連載小説
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第四話



・・・ ざ っ  ざ っ  ざ っ



その晩。 いびつな円の月が高く上がる。

月明りを避け、人目をかわし、ひとりの男がひた走る。



 ざ っ  ざ っ  ざ っ ・・・



太い足が廻る。 大きな肩が揺れる。

勘介だ。



 ざ    ざ    ざ    ざ 。



重たい足音をはばかりながら、里を抜け、山へと向かう。

蒸気船のように白い息を太く吐き出す。

昼の日差しを失った山の風は肌に刺さるほど冷たい。

切り裂き魔が現れるのは、こんな雲一つない冷え切った夜だ。



― シマキ、ハヤテ、ソヨ、待ってろ。



ざくざくと砂利を踏みしめ、大きなからだが山道を駆けのぼる。



― 下手人はかならず、俺が挙げてやる。
                あきら
  おまえらのせいじゃないことを 昭 かにしてやる。



勘介は道理をわきまえた男。

若輩ながら里を支える立場である以上、このような無茶が許されぬことは百も承知。

しかし、どうしても自分を止められなかった。


気丈なシマキの手が、かすかにふるえていた。
  きゃ
お 侠 んなハヤテの眼が、わずかに赤くうるんでいた。

明るいソヨのからだが、どうしようもなくこわばっていた。


それだけで、十分だ。



ざくっ ざくっ ざくっ ざくっ。



              なら
谷間までの道のりは、きちんと 均 されている。

月の白い光が砂利を白く照らし、夜道でも不自由はない。

勝手知ったる山のこと、何も考えずとも足は動き体を運んでいってくれる。



走りながら考えていたのは、やはり三姉妹のことだった。

三姉妹は魔物。 自分が子供の時から、ずっとあの姿をしている。

おさななじみといえば同世代のものすべてがあてはまるようなこの里で、

彼女ら三人は里の誰にとっても、子供のころには「お姉さん」だった。



母と早く死に別れた勘介。

一番古い記憶は、自分を抱き上げ微笑むシマキの顔。

ものごごろついたころ、忙しい父親に変わって遊んでくれたのはソヨ。
わっぱ
 童 になったころには、ガキ大将のハヤテと野山を駆けまわった。

前髪を落とすころには、シマキのもとに足しげく通い、勉学剣術を教わった。



それからむくむくと体が伸びて膨らみ毛が生えて、

二十歳を過ぎた今では熊のようなむくつけき大男となってしまった。

三姉妹もいまでは、自分を年相応に扱ってくれている。

見た目の年の差のとおり、こちらを立てながら丁寧に接してくれる。


勘介も普段はそのように付き合うことにしているが、

勘介にとって三姉妹はいくつになってもやはり「あのころのお姉さん」だった。



そして。

それらよりもっと大事な思い出が浮かぶ。

それぞれの姉妹と、ふたりきりの間に秘められたこと。

ほかの姉妹にも言えない、ふたりだけのこと ―





― カンちゃん。 おんなのこのこと、おしえてあげる。

 ここだよ。 見える? うん、やさしくしてね・・・



はじめて触れた女は、ソヨだった。

十になるかならぬころ、権現さまの裏手、木漏れ日の中。



― きたなくない? ・・・きれい? ありがとね、カンちゃん。

 そう、うん、そう。 なんだか、しびれるみたいないい気持ち・・・



裾をそっとまくったら、ぷっくりとした砂糖菓子のようなものがあった。

ていねいに開いて中に触れると、きらりと露がきらめいた。



― ふふ、カンちゃん、悪い子だね。 ・・・誰にも、ないしょだよ?

 おっきくなったら、こんどは、ソヨがしてあげるからね。





― まだ? まあ、そりゃそうだろな。 勘介ならな、ははっ。

 ・・・なあ。 あたしじゃ、嫌かい?




はじめて触れてくれた女は、ハヤテだった。

十をいくらかすぎたころ。権現さまのやしろの中。



― すごい。 あんたの、こんなにも熱いよ。 固くなってるよ。

 あ、や、やだ。 そんなこと、言わないで。 あっ、勘介、さん・・・



まだその時でないからと、おたがいをおたがいの手で確かめた。

おたがいに身をまかせあい、おたがいのめくるめく瞬間を感じ取った。



― 勘介。 いつかきっと、今日の続き、しような。

 あたし、待ってる。 ずっと待ってるから ―





― ふふ。 悪い男ですね、勘介さん。

 わたしのこと、どうするおつもりなんですか ―?



はじめての女は、シマキだった。

もうすぐ二十になるところ。権現さまにほど近い、三姉妹の家。


                よ
― わたしに、構わないで。 どうか、悦くなってください。

 わたしのは、あなたのを、悦くできていますか ―?



祭りの夜に意を決して忍びこんだ自分を、妹たちに聞こえぬようにとしとねに迎えてくれた。

その肌ははだけた襦袢よりもなお白く、桃色の花からは鮮やかな紅の露がこぼれた。



― ようやく、あなたのものになれた。

 わたし、ずっと、待っていたんですよ。 勘介さん ―





ありし日の思い出と言うにはあまりに鮮烈で生々しい記憶が、脳を赤く染める。

じゃまなものがつきだして、走る足がからみそうになる。

まったくこんな時にとひとりごちて、勘介は山道を駆けあがっていった。






勘介が山道を駆けあがっているころ。

山の上、岩むき出しの谷間。

そこに小さな影があった。



「・・・ ・・・ ・・・」



格子柄の着物。 手には小刀を持っている。

肩が、わずかに震えている。



「・・・ お姉ちゃん」



影はかすかに震える声で、ひとりささやく。



― 悪い風は、わたしがきっと止めてみせる。

  ソヨがきっと、助けてあげるからね。



青い月の光が岩肌を白々と照らす。

その中でソヨはひとり、風の魔物を待ち受けていた。

17/10/01 22:16更新 / 一太郎
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