読切小説
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夫婦と人形達の非日常
雪が解けて緑が生い茂るようになった季節。
夜になればまだ寒いが昼間はコート無しでも問題ない程暖かい。
リスや小鳥などの小動物はこの暖かさを喜んで迎え入れ、狐の親子は若草が生える草原の上でじゃれ合っている。
生きとし生けるもの全てが春の訪れをひしひしと感じている。
そして一匹の青い小鳥が樹木で羽休めをしていた。
ふと、小鳥はその両目をある方向へと向けると。
一際大きい屋敷が目についた。
高貴な貴族とかが住んでいる派手な屋敷、とは違うがそれでも立派な屋敷だ。
きちんと最低限の装飾とかはされているし掃除も行き届いているから寂れた印象はしない。
そして雑草など一つも生えていない整った庭。
花壇を見れば小さなつぼみがちらほらと。
どうやら腕利きの庭師とかでも雇っているのだろう。
一通り屋敷の外装を鑑賞した後、また小鳥は眼を窓ガラスの方へと向ける。
まず一階の窓ガラスを見ると執事姿をした人間が内側から窓ガラスを拭いていた。
紫色のポニーテールを後頭部からぶら下げていたのだから一見すれば女なのかと思ったが体つきは男性のそれだった。
丁寧に、丁寧に、ゆっくりと雑巾で拭いていた。
そして二階の窓ガラスに目をやる。
丁度、何かが通り過ぎて行った。
小鳥はすぐさま次の窓ガラスに目を向けて対象が来るのを待った。
今度ははっきりと捉えた。
それは男性でまだ歳若い青年だ。
くせ毛のある青い髪が印象的だった。
服装は執事の姿をしていなかった。
とてもラフな格好だったのだから館に来たお客さんか、もしくは館の主なのだろうと思った。
さらに見ると水をすくったかの様に彼は両手でお椀型を作り上げていた。
その中身は布、しかし中央少しだけ膨らんでいたので何かを包んでいたのだと分かる。
どうやらこの男はその布に包んだ何かを持っていこうとしているのだろう。


「おーい! メイコさんー!! 何処にいるんですかー?」

やや声を大きくして叫んでいた。
この屋敷の中で人を探しているようだ。

「何ですかカイトさん。私に御用があるのですか?」

彼の行く先に立ちはだかる様に立っていたのは女性だった。
青髪の彼よりもずっと若い。
歳はおそらく14歳か、15歳程度。
メイド服を着ていたのだからこの屋敷の使用人なのだろう。
腰まで届く緑のツインテールが印象的だった。

「ああ、ミンクさん。メイコさんは何処にいるんですか?」
「何を言っているのですか? 『私』はここにいますよ?」

窓越しではあったが表情は伺える。
さも当然の様に呟いている彼女の姿が。
話の流れからすれば彼女の名前は『ミンク』というのに彼女は自分が『メイコ』だと主張しているのだ。
名前を2種類持っているのか?
彼もその反応に首を傾げ困る素振りを見せ、どう返せばいいのか分からなかった様だ。
だが彼は何かに気づいたかの様な表情を見せると。

「いや、『本体』の方は何処ですか?」

すると彼女は納得した表情を見せ、口を開く。

「それでしたら私の部屋ですよ」

分かった、と呟くと男性は屋敷内の階段を駆け上がっていく。
そしてメイドの彼女もまた彼に一礼してからその場を去っていく。
違和感が否めない会話だった。
メイドの名はミンクであるのに自分はメイコだと言い張るのはどういう事なのか。
カイトという男性が言った『本体』とはどういう事なのか。
だがもう小鳥には関係ない事だ。
すっかり興味を無くした小鳥は休めていた羽を動かしその場から去っていた。



♢♢♢♢♢♢



階段を一段ずつ飛ばして駆け上がっていき、廊下の角を曲がれば彼女の部屋だった。
そこでふと立ち止まる。
もう目と鼻の先だというのに立ち止まった訳は若干の不安があったからだ。

「どう評価してくれるかな?」

独り言を呟きながらカイトは目線を布へと落とす。
別に彼女は自分の師匠でも、先生でもないのだが自分の尊敬する師の娘であるのだから多少の緊張もする。
意を決し、カイトは扉を2回ノックした。


『どうぞ』


扉越しから許可の声が出たのでドアノブに手をかけて回し、開ける。
出迎えたのは年頃の女性。
清楚さという言葉を体現したかのような女性特有の体つきで短めの茶髪、顔たちも整っており確実に美人の部類に入るだろう。
最も彼女が『人間』であれば、の話だが。

「カイトさん、わざわざこちらまで来て。でもどうしてですか? あの時私に言えば良かったのでは?」
「いや、どうしてもメイコさんに会いたくて。例えメイコさんがミンクさんを操っていた、としても僕はどうしても慣れなくて」
「それほどまで私に会いたかったのですね。嬉しいですよ、カイトさん」

そう言い笑みを見せた彼女は本当に嬉しそうだった。

「ですけど別にあの子も私なのですから遠慮とかしないでください。わざわざ私の所にまで出向くのはめんどくさいですし」
「確かにそうだけど、僕はやっぱり本人に会わないとすっきりしないんだ。筋ってやつを通したいから」
「人間って難しいですよね。ああ、私は“元”人間でしたよね。けどこの体になってからあまり気難しい事は考えなくなって」


そうだ、今の彼女は人間ではないのだ。
メイコはカイトが偉大な師として仰いでいた人形職人ケミリアの一人娘だった。
その昔メイコは重い病にかかり人間の体を捨て、人形の体へと移らなければならなかった。
結果、彼女は『リビングドール』という魔物へと変貌する事になった。
例えどんなに粉々にされようとも元の姿に戻れる不死の人形、そして他の人形を自由に操る力を持つ人とはかけ離れた存在。
先程カイトが会ったメイドのミンクも、そして窓を拭いていた紫色のポニーテールの男性――メイコはクドと命名している―――も彼女が操っていたのだ。
他にも数体の人形が存在し、その能力を見込まれ親にこの屋敷の管理を任されたのだ。
人形達と共に屋敷の手入れ等をしながら数年以上、人知れずひっそりとここで生活していた。
そんな折に偉大な師を一目見ようとカイトがこの屋敷を訪れ、メイコは一目見て彼を気に入ったのだ。
彼こそが自分に相応しい夫なのだ、と。
そして滞在中であった彼に自分の夫になる様申し入れしたのだ。
カイトは当初こそ彼女は人間ではないという異端さに戸惑ったが彼女の誠意ある申し入れに承諾し、そして自分自身も彼女を初めて会った時から少なからず好意を抱いていたのだから嫌ではなかった。
ただ迎え入れるその際に彼女の感性の違いから、はたまた度合いからかある騒動が起きてカイトは怖い思いをしたのだがそれはまた別の話である。
何はともあれ夫婦となって早二ヶ月、現在ではこの様に良好な夫婦関係となっている。

「あれ? その子は?」

カイトの目が奥にあるものを捉えた。
椅子に腰かけているのは人影だ。
まさか知らないうちに来訪者が来ていたのかと思ったがよく見たらそれは人形だった。
人間と同じサイズで中肉中背といった所か。
茶色の短髪に左目は金で右目は緑、オッドアイだ。
服装からして執事だから男なのだろうと思うが顔は中性的でメイド服を着ていても違和感なく女性だと勘違いしそうな程整っていた。

「ああ。この子ですか? 今新しく作っていた子なんです。今完成致しましたので紹介しようかと思っていましたから丁度良かったです」

そう言うとメイコは人差し指をその人形の方へと向ける。
数秒もしないうちに人形の中指がぴくり、と動いた。
徐々に指先がしなる様に動き出し、両目が瞬きをした。
そして人形の顔色が、リビングドール特有の無機質だった色が人間特有の温かみある肌色へと変貌していく。
次にはなんと両足を動かし椅子から立ち上がった。
初めはよろよろとだが次第に足取りはしっかりとしていきカイトの方へと歩いていく。
カイトの前まで来ると人形は綺麗にお辞儀をして見せた。

「どうもカイトさん。新しく入りました執事のコルルです。どうぞよろしくお願いします」

人形の口から発した声だ。
まだ年若いが威勢がいい男声だった。

「ああ、どうもよろしく。コルルさん」
「さん付けはよろしいですよ。カイトさん」

先程まで人形だったそれが人間と大差ない動きと会話している。
知らない人間がこの光景を見たら失神しても可笑しくはないくらいの異常さなのだがカイトはもう慣れている。 

「いつの間にこの子を?」
「カイトさんが寝ている間です。私には食事はもちろん睡眠も休息も必要ありませんから。ああ、ただ私にはカイトさんが必要ですので」

そういいメイコはややにやけた笑みを浮かべた。
自分が必要という意味をカイトは十分知っているがここではとても表せないものだった。

「そう言えば私を探していたのは何の為ですか?」
「ああ、新しく作ったグラスアイなんですけど・・・どうですか?」

カイトが包んでいた布から取り出したのは人形の眼球に当たるパーツ、グラスアイだった。
人形の目として付けられている装飾の一つであり今回はデザインがより自由なシリコンアイを作り上げた。
メイコは興味津々にそれを手に取った。

「素材はシリコンですか。色彩は鮮やかですし、絵具とかもにじみ出ていませんね」

その表情と目つきはまさしく人形作りの職人が見せる真剣さだった。
かなりの好感触だがまだまだ彼女には遠く及ばない事をカイトは知っている。
何しろ自分が知らない間にコルルという人間大のビスクドールを作り上げ、彼女が取り付いているとは言えそれでも一瞬だけ見たら人間かと思わせる程の精巧さがあった。
流石人形職人の娘である。
自分もまだまだ精進しなくてはと頭の中で勝手に考えていた時だった。

「何なら売りに出しても問題はありませんね」
「え? 売れるんですか?」

カイトの『売れるんですか?』は売却が出来る事に対してではない。
別に人形の部品が売買出来るのは知っているがカイトの疑問は何処で売却出来るのかという事だ。
ここは人里離れた屋敷だ。
自分の記憶が正しければ一番近くの村に行っても売却出来る店など無かったはずだ。
にも関わらず彼女はその店を知っているとなるともしや自分その店を知らないだけではないのか。
ではその店は何処なのかと聞こうとした時だ。

「では今から売りに行きましょうか。準備をしておきますので一緒に行きましょう」

そう言いメイコはカイトの手を引っ張り歩き出した。
何処へ連れていかれるのだろうとカイトは思ったが不思議と不安は感じられない。
自分の愛する妻なのだから心配するなど取り越し苦労だったからだ。



♢♢♢♢♢♢



釣られるがまま案内されたのはこの屋敷の地下だった。
特に地下には用が無かったので今まで出向かなかったが初めて入りそこには何があるのかというほのかな期待があった。
メイコが地下室へと続く扉を開けるとそこには。

「扉?」

鎮座していたのは一際大きな扉だった。
少々古ぼけた扉だ。
木材を自然の中で数年間放置したらこんな薄緑になるんじゃないかという色をしていた。
試しに真横とか後ろ側もぐるりと見渡してみたが別の部屋に繋がっている訳でもない本当にただの観賞用の扉だ。

「カイトさん、コートを用意しましたのでこれを来てください」

声の方へ振り向くとそこには桃色の長髪を持った女性が一人。
メイコと同年代で、まだ若く手首まで伸びているメイド服を着ている。
名はルウカ、彼女もまたメイコが操っている人形の一体である。
その手には男性用のコートと大きめのトランクが握られていた。

「暖かくなったとはいえ他所に行かれるのですからこれぐらいは着ておくべきですよ」
「他所へ行く?」

ルウカから貰ったコートに袖に通したカイトはメイコの台詞の意味が分からなかった。

「では行きましょう。カイトさん」

メイコがドアノブに手をかけて回す。
扉がゆっくりと開き始める。
この時カイトはこれから起きる事など分かっていなかった。
大方、メイコが自分をからかう為の―――彼女は悪戯好きではないが―――仕掛けなのだろうと思っていた。
実はこの扉を開けたら何もありませんでした、というのがオチだろう。
だが扉を開けた瞬間そこに広がっていたのは別次元だった。
開いた隙間から風が吹き込んできた。
次に匂いが鼻を刺激した。
これは焼き立てのパンの匂いだ。
そして景色を確認した。
2度くらい目をこすって。

「え? これは?」

道幅が狭い、大人二人分ぐらいの幅しかない。
両端は茶色のレンガ壁が高く積まれて多少の息苦しさがある。
どうやらここは路地裏の様だ。

「さあ、早く」

メイコに言われるがまま手を引かれて扉の外へと連れて来られる。
扉から一歩踏み出した途端に実感できる。
ここは外であり、自分の知らない町であると。
後ろを振り返ればルウカが扉を閉めて鍵をかけている。

「ちゃんと戸締りはしておきませんといけませんよね。カイトさん」

確かに戸締りは大事なのだがここは何処なのかと尋ねたかった。

「こっちですよ。早く見せたいんです」

メイコに引きずられて真っすぐに向かっていく。
どうやらこの路地裏から出る様だ。
それと同時に聞こえてくる。
人の、それも沢山の声が。
これは活気のある、賑やかな声だ。
笑い声を挙げているのも聞こえてきた。
茶色のレンガ壁に挟まれた路地から抜け出す。

「ようこそ、親魔物国家エリスの商店街へ」



♢♢♢♢♢♢



カイトは今自分の両目に映っている信じられない光景に驚愕している。
自分は先程まで屋敷の中だったはずなのに彼女に案内され、地下の扉から広がっていたのは。
歩道には人間の男性と彼に付き添う様に歩く猫耳や尻尾を持った女性。
中にはドラゴンの翼と尾を持った女性、下半身全てが尾である女性もいた。
店先を見れば色とりどりの果物に混ざって瓶に入れられた液体がちらほらと。
空を見上げればどんよりとした桃色の雲があちらこちらに広がっており、ここがいかに異国な世界である事は明白だった。

「あんまりきょろきょろしない方がいいですよ。変な薬を買わされたりしますから」

ルウカが心配そうに声をかけてきた。

「いや、余りにも珍しいものばかりでして。いつもここに来るんですか?」
「用事とか買い出しがあればここに来られる様あの扉にそう細工しております」

会話を引きつぐ形でメイコが答えた。

「買い出し? 食事だったらメイコさんには必要ないんじゃ?」
「ですけど掃除用具とかは必要ですから。後庭の整備費用とかもありますし、それに最も大事なのはカイトさんの食事を用意する為ですからね」

その言葉を聞いた時カイトの心が少しだけ痛んだ。
自分の為であるというのは本当にありがたいのだが本来であれば夫となった自分がお金を稼ぎ、妻を楽させるというのが世の常というものだ。
にも関わらず今の自分は彼女に頼りきっているという何処か罪悪感というものがあった。


(・・・せめて屋敷の掃除とかすればこの痛みは和らぐのかな・・・)


そう思って何度か屋敷の仕事を手伝ってみたのだが重労働だったのを覚えている。
別に簡単な仕事ではないのは承知していたのだが窓ふきに床の掃除とかはまだいいだろう。
だが水汲みに骨董品の運搬にさらに屋根に上って清掃等など。
次の日には筋肉痛になり、筋肉からの悲鳴に耐えながら1日を過ごしたのは忘れられない。
生身の人間でなければ、人形であるのだから毎日の清掃が出来るのだろう。
そう考えたら改めてメイコは人間とは違う存在なのだと、魔物であるのだと理解する。
同時に魔物を嫌う人間が存在する訳も少しだけ理解出来る。
空を飛べて、海も泳げ、高度な知識を有した人間とは非なる存在。
そんな魔物達を人々は恐れたりもするし拒絶したりもするだろう。
現に一部は反魔物主義を掲げ魔物達を討伐しようと武力行為を働いていると聞く。
カイトも初めてメイコの、複数の人形を操れる力に決して壊れない人形の体という能力を知ってその力にある意味恐れを抱いたりしたかも知れない。
だが自分は今こうして彼女と結婚しているし、考えを改めて離婚しようとする気持ちは起きない。
その理由は何故かと思考を働かせようとした時だ。
メイコがカイトの腕を掴み、自分の方へと引き寄せる。
ぎゅっと体を付かせて頭をカイトの肩へとくっ付ける。

「私から離れないでくださいね。私の匂いが付けられているとは言えどうしても気に入った男性がいれば告白してくるのが魔物達ですから」

どうやら自分が狙われない様に守っているのだろう。
問題はその守り方が体をくっ付けるというメイコの願望が入り混じっているのではないかという点だが。
しかしカイトはもう彼女の表現方法には慣れている。
気になったのは即婚でも男性を狙っている魔物がいるという事だ。

「それって重婚というものですか? あんまりいい印象とかは持てないんですけど」

それは誰にでも当てはまる事だ。
身もふたもない話をすれば浮気そのものであり今いる妻を見捨てるというカイトにとっては信じがたい行為なのだ。

「私達にとっては別段可笑しい事ではありませんよ、人間でも王様とかは世継ぎを残すために愛人を沢山作っていますし。後、噂では7人以上の魔物達と結婚した男性がいると聞きましたから。でも・・・」

そこまで言うとメイコはカイトの顔を見上げた。

「私には、私だけのカイトさんが必要なんです。もしカイトさんが他の女性も好きになったら・・・やっぱり嫉妬してしまいますし、穏やかな気持ちではいられないんです」
「それってつまり、独占欲?」
「・・・率直に申せばその通りです。恥ずかしながら・・・。私が初めて好きになった男性なのですから」

カイトは気づいた。
自分をじっと見つめるメイコの顔が不安に満ちていたのを。
考えてみれば彼女は人などめったに訪れない屋敷を管理し、あそこで少なくとも数年は生きているのだ。
寂しくなったら何時でも自分達を呼んでくれと親は伝えているらしいがメイコは極力呼ばなかったという。
重い病を患い、迷惑をかけた経験からか二人を気遣って敢えて呼ぶのを控えていたらしいがそれでも孤独感というものは拭い去れるものではない。
そんな状態で自分が来て夫となったのだから彼女の喜びは計り知れないし、もし自分が浮気でもしたら彼女の喪失感は尋常なものではない。
自分はメイコにとって大切な、かけがえのない人であるのだ。
だからカイトは反対側の手でメイコの頭を優しく撫でた。
そしてメイコに告げたのは誓いの台詞だ。

「心配しないで。僕は何処にもいかないしずっと傍にいるから」

メイコは答えなかった。
だがカイトには言わなくても分かっていた。
何故なら自分の腕を掴んでいるメイコの手の力がさっきよりも強かったからだ。



♢♢♢♢♢♢



しばらく商店街をさまよったカイト達だったがやがてメイコがとある店で足を止める。
それに釣られてカイトも足を止めた。

「ここですよ」

メイコが指さす店の看板にはこう書かれていた。


『ドールショップ リンリ』


外装はよくある古めかしい家であるが窓ガラスには展示用と思われる人形らが飾られていた。

「ここが買い取ってくれる所?」
「そうです。さあ中へ入りましょう」

メイコがドアノブに手をかけドアを開ける。
カラン、と金属音が鳴り響いた。
中に入れば規則正しく並べられたリビングドール達がカイト達を出迎えた。
どれも可愛らしいドレス調の衣装を着せられ、多少の埃が被っている人形がいたがそれでも手入れはされている方だ。

「ごめんなさい、マスターいますか?」

だが返事がなかった。

「奥の方かしら? カイトさん、ちょっと待っててください」

そう告げるとメイコはルウカを連れて奥の方へと進んでいく。
店の中を見物していたカイトは何気なく一体の人形を手に取った。
銀髪の髪の毛でややゴスロリ調の衣装を身にまとっていた。
グラスアイも限りなく人間の瞳孔に近い様に装飾され作り手のこだわりを感じられる。
中々の出来でこれなら高値が付けられるだろうとカイトは思った。

「へえ、よく出来てるな。ここのマスターが作ったのかな?」
「私本人ですわよ。お客様」

急にその人形の口元が開いて言葉を発したのだからカイトは腰を抜かして床に尻もちをついた。

「な!? えっと!?」

その拍子に手を離してしまったが人形は宙に浮いていた。
物音に気付き奥から戻ってきたメイコとルウカはすぐさまカイトに近寄る。

「大丈夫でしたかカイトさん?」
「何ともないよ。ただ・・・急に人形が喋って・・」
「あら、人形とは喋ってはいけないというのが常識なのでしょうかお客様?」

やや意地悪そうな笑みで人形はカイトにそう返した。 

「お遊びが過ぎますよ。マスター」
「あらあら。久しぶりの人間の男性が来たんだから退屈しのぎの悪戯だったのに」
「貴方がこの店の?」
「ええ、リビングドールのリンリと申します。よろしくね、カイトさん」

リンリという名の人形、もといリビングドールはお辞儀をしてみせた。

「それにしてもまさか貴方が夫を手に入れるなんて、ねえ。まさか力づくで手に入れたりとかしてないでしょうね?」
「そんな事ありません。ちゃんと私が誠意込めて告白して了承してくれたのですから」

その事実は半分正解で半分不正解である。
だが敢えてカイトは口にしなかったのは自分がもう既に夫だからであった。
夫になったのだから些細な事にこだわってはいけないのだ。

「それで私に御用がおありで?」
「カイトさんが作ったこのパーツを買い取ってください」

そう言いメイコはポケットからカイトの作ったグラスアイを取り出し、リンリに手渡した。

「少々拝見させてもらいますわ。・・・・ほう、ふむふむ」

値打ちをする目でグラスアイを見ていたのだからカイトは緊張し、息も止まりそうだった。
やがでリンリはグラスアイを持って店の会計所へと向かい布を取り出した。
その布でグラスアイを丁寧に包み、次にはそろばんを取り出して打ち始める。
1分ぐらいするとリンリはそろばんから顔を挙げてカイトの方へと戻ってきた。

「どうぞ」

何かを握りながらカイトの前に出していたので両手でお椀を作り受け取った。
受け取った物を確認するとそれは金貨、数枚程度だった。

「ではこれぐらいで。まあ夫さんという事も考慮して特別価格での算出ですけれども」

予想はしていたが投資した材料費の約半分程度といった感じだった。
名のある人形職人ならまだしもカイトは駆け出しの人形職人だ。
売れただけでも御の字だろう。

「ではマスター。私の方からも売買を」

そう言いメイコはルウカをリンリの前へと来させた。
ルウカの手には屋敷からここへと来た時からずっと持っていたあのトランクが握られていた。
そのトランクを横へと置くと中身を空ける。
入っていたのは人形の胴体や腕、足に当たるパーツであった。
どうやらメイコはついでに自分の作った部品を売るつもりだったようだ。

「じっくり見るまでもありませんわ。この数量でしたら・・・」

彼女が手を挙げると棚に置いてあった人形達が動き出した。
人形達はトランクからパーツを慎重に取り出し、やがて奥の方へと向かっていった。
そしてリンリはまた会計所へと向かい何かを掴むとメイコの方へ向かうと。

「はい、どうぞ」

メイコが受け取ったのはお札、それも数枚もだった。
流石は人形職人の娘だ。
年季も技術も段違いだという事だ。

「いつもながら立派な出来ですわ。惜しいですわね、貴方がこの業界に飛び込めばすぐにでも数人の弟子が付いてくるのに。本当に勿体ないくらいの技術だわ」
「私はこうして夫と一緒にいればそれでいいんです。カイトさんが居てくれれば他の物なんていりませんので。リンリさんにも素敵な男性が出来れば分かりますよ」

恥ずかしがる事もなくさらりと述べたメイコにカイトの顔は真っ赤になってしまった。
それはリンリも同じだったが彼女の場合、恥ずかしさと同時に悔しさもあった。
特に『男性』という単語には非常に反応していたのだ。

「わ、私だってっ! 何時か来てくれる素敵な旦那様の為に日夜手入れしておりますわっ!! 髪の毛は毎日ブラシを当てていますし!! ドレスだって毎日洗濯をっ!!」
「ですけれどその割には成果が見られませんよ?」

メイコの口調から悪気のない発言なのは分かるがそれを聞いたリンリは両腕をぶんぶん振り回して駄々っ子の様に叫んだ。

「うるさいですわっ! 今にきっと素敵なウエディングドレスを着てバージンロードを歩いて見せますわ!! もう用がないならとっとと出て行ってくださいなっ!!」

そう催促されては留まる訳にはいかなかった。
即座にカイトはメイコの手を掴みドアの方へと歩いていく。

「どうも失礼いたしました」

そう残してカイトとメイコは店から出た。
続けてトランクを閉じて持ってきたルウカも店から出てきた。
だがメイコは首を傾げていた。

「何であんなに怒っていたのでしょうか? カイトさん分かりますか?」

無知とは実に恐ろしいものなのだとカイトは思った。



♢♢♢♢♢♢



店から出てきたカイト達はその後様々な店先へと出向き、掃除用具やら日常品とか食料品も買っていったのだが。
その道中でカイトは改めてメイコの能力を不思議に思った。
自分とメイコ、ルウカ一人と二手に分かれてこちらは日常品を買いルウカは食料品を買って戻ってきた。
カイトと会話しながら商品を買っている傍ら、メイコはルウカを操り食料品を買って来させる。
例えるなら料理をしながら読書をして、更に庭掃除を同時にやっているという離れ業を見せているのだ。
そんな事すれば人間だったら必ず混乱してどれも手が付けられずになるだろう。
されどメイコは混乱の表情を見せていない。
だから思わず訪ねてみた。

「前から聞きたかった事なんですけど」

カイトからの声にメイコは振り向いた。

「他の人形を動かすという感覚はどんなものなんですか? 掃除をしながらコーヒーを飲むようだったらかなり大変な作業なのかなと?」
「いえいえ、手足を動かすような感覚ですよ。そこまで難しいものではございません」

その声はメイコではなくルウカの口から出た声だ。

「例えば両手と両足の指先をただ動かすぐらいだったら誰にでも出来ますよね。私の場合もそんな感覚なのです」

ルウカの代わりにメイコが答えた。

「私が本体で他の人形達は私の分身であり手足、そう考えれば大した事を行っておりませんよ。私がルウカ達人形であり、ルウカ達人形が私とでも言いましょうかね」

そうメイコから回答を得てもやっぱり腑に落ちない。
確かに同じ女性の人形であるルウカやミンクらはいいだろう。
だが男性の人形はどうだろう?
メイコは男性の人形であるクドらも操っているのだ。
例えば口調とかどうだろうか。
女の口調ではなく男の口調で話すことを要求されるのだからやや勝手も分からないし、うっかり女の口調に戻ってしまうのではないか。
しかし少なくとも自分と一緒に生活している中で口調を崩した事は一度もない。
ちゃんと男らしい口調で話しているし歩き方だって男特有のスタスタとした歩きだった。
男と女の振る舞いを区別しボロを出さずに接するのはある意味才能がなければ出来ない芸当だ。
やはり魔物とは自分の常識では計り知れない力を持っているのだとカイトは思った。
そんな会話をしながら市場を物色しているとある事に気が付いた。
キノコ類が数多く並べられている事だ。
茶色のキノコだけでなく白と黒が入り交ざったキノコや中には桃色に染まったキノコまである。

「そっか。もう春だからキノコとか生えていても問題ないんだよね」

正確に言えばキノコ類は年中、冬でも取れるのだがカイトにはそれらの知識が無かった。

「もしかして夕食はキノコ類とか食べたいですか?」
「まあ、食べてみたいかなって気持ちかな。最近キノコを食べていなかったからね」
「確かに最近の献立にはキノコを使った料理がありませんでしたね。ただ買って食べるのは面白くないですしそれにあのキノコ達は・・・」

ぶつぶつと小言を言っている姿にカイトはこれらキノコ類が普通の使い方ではない事が確信できた。
一体どんな使い方がされるのか見当がつかなかったが自分の直観から食用での使い方ではないだろう。
ならばあられもない方面での使い方なのだろうか。

「なら屋敷の裏山に行ってみたらどうですか? タダでキノコが取れますし良い散歩にはなると思いますよ」

いきなりの提案であった。
だがメイコの提案に反対する理由など何処にもなかった。
その理由の大半が食べるのであればここにあるキノコではなく裏山にあるキノコを勧めてきたからだ。
つまりカイトの予想通り、食用ではないキノコだという事でありあられもない使い方向けのものだという意味だ。
付け加えてカイト自身の要求。
グラスアイを作るのに丸一日屋敷に籠っていたからもっと外の、自然な所での空気を吸いたかったという願いだった。

「うん。その方が良いね。人形制作で籠り続けていたから体に悪いよね」
「では早速帰りましょう。善は急げですよ」

そう言いメイコはカイトの手を引っ張りながら歩いていくのだった。



♢♢♢♢♢♢



帰ってきたカイトらは早速、屋敷の裏山へと出向いた。
山の奥という事もあってか登ればものの数分であちらこちらに生えるキノコを見つけた。
キノコは沢山あったが手あたり次第に取っていく事は出来なかった。
無論、手あたり次第根こそぎ取るのはキノコ狩りにおいてマナー違反にも匹敵する暴挙なのは言うまでもないのだがもう一つ根本的な問題があったからだ。

「これは、えっと食べられるのかな?」

カイトが訪ねた相手は彼よりもずっと年下、12歳前後の女の子だった。
黄色の短髪が目印でこの山奥に来ているにも関わらずメイド調の服を着ていた。
足首まで届くスカートが動く際に邪魔になりそうだったが本人は気にしていないみたいだ。

「ちょっと待ってください。・・・・・・食べられるみたいですね。茹でなければ大丈夫です」

彼女もまたメイコが操っている人形、名前はリリンである。
背丈が小さい彼女に自分が訪ねるという光景は奇妙だなとカイトは感じだ。
しかも中身は自分の妻でもあるのだから余計に不可思議さがある。


(・・・しっかり者の妹が兄を引っ張る、何処かで見たような光景だな・・・)


そんな二人から少しだけ離れた場所でしゃがんでいるのは男の子だった。
執事姿でリリンと同年齢くらいの男の子だ。
やがて立ち上がるとその右手には手のひら大のキノコが握られていた。

「カイトさん。このキノコでしたら茹でても蒸しても問題ありませんよ」

男の子の名はレイン、彼もまたメイコが操っている人形だ。
二人は双子を想定して作られた人形でありメイコの父、ケミリアが彼女の誕生日にプレゼントとして与えたのだ。
すぐさまレインの元へと歩いて行ったカイトは取ったキノコを籠へと入れた。

「ありがとう。キノコ狩りに来たのは良かったんだけど僕にはキノコに関する知識が全くないからね」
「この子達を通して屋敷にいる『私』がカイトさんに教えなければなりませんね」
「面倒事になってしまいましたね。こんな事になるならあの時、商店街で探してみて買っておいた方が良かったですか?」

リリン、そしてレインが続けてカイトに告げた。

「いや、こうして散歩気分で狩るのも良いと思うよ。人形制作に夢中で屋敷の中に閉じこもるってのも嫌だからね」

食べれば死に至るキノコは元より、調理を間違えれば毒になるキノコが存在するからだ。
そしてカイトはキノコに関する知識が無かった。
キノコを見つけてはリリンやレインに―――もとい屋敷に残っているメイコと他の人形達でキノコに関する書籍を調べて、その情報をリリンやレインを通して―――聞いて、食用であれば取るという手段でしか方法がなかった。
まさかキノコに関する書籍一式を抱えてキノコ狩りするなど、試しにカイトはその書籍だけを持ち運ぼうとしたが酒場とかでよく見かける水の入った樽(たる)と同じぐらい重かった。
そんな状態で山奥を歩くのは無理難題だ。
メイコが操る人形達を使えば持ち運びには問題ないのだが山中で、いちいち本の中から一冊ずつ取り出してページを開くのも一苦労だ。
ならばメイコが屋敷内で本を調べて、リリンらを連れて籠だけを持っていった方がよっぽど賢明な判断だ。
ふと、カイトは辺りを見渡した。
生い茂る草木や木々に囲まれていると心が安らぐがその中から微かに見える屋敷がもう米粒みたいに小さくなっている。
つまり屋敷から遠く離れているのだ。
別に遠く離れていても帰り道は分かるのだから問題はないがふと頭を過った心配事が。
たまらずリリンとレイン、もとい彼らを通して屋敷に待機しているメイコに声をかけた。

「ねえ、リリンとレインをここまで離して大丈夫なのかな? 幾ら複数の人形を操れるメイコさんでもその力には限度があるんじゃ?」

すると振り向いた二人は何ともないという表情をカイトに見せた。

「確かに以前の私でしたらここまで来たら効果が切れてこの子達はただの人形になってしまいました。でも今の私なら余裕ですよ。だってカイトさんがいてくれるからですよ」
「魔物達はパートナーとなる男性を手に入れればその力を増していくんです。男性を手に入れて一緒に暮らせば魔力はどんどん高まり、リビングドールでしたらこの様に広範囲に渡って人形を使役も可能になるんです」

今の魔物達は本能の赴くままに人の血肉を喰らい、力を蓄えるという野蛮な行動は絶対しない。
誰もが優しい心を持ち、人間と共存しようと努力する魔物ばかりだ。
そして力を蓄える方法はもっと別の、愛を確かめる方法に変わっているのだ。
つまりは夫婦としての当然の行為となる“アレ”である。

「その方法って・・・・物凄く恥ずかしい行為だよね?」
「ですけど魔物達にとっては当たり前の行為ですよ? だから私達はサキュバスという種族に尊敬の念をしてますし、この方がよっぽど幸福的ですよ?」

自分のおかげでメイコの力が増したと聞こえはいいのだが、問題はその増強手段なのだ。


(・・・おしとやかだけど、激しいからな・・・)


だが次にはここで思い返しては駄目だと自分に戒めた。
今自分がいる場所は屋敷の中ではないからだ。
外は外、内は内と切り替えなければ人間としての尊厳が失ってしまう。
気を取り直してカイトは再び、双子と共にキノコ狩りを再開した。



♢♢♢♢♢♢



「よし、これぐらい集めればもう大丈夫だよ。沢山取りすぎては他の動物達に迷惑がかかるからね」

日が少しだけ傾き始めた頃、改めて籠の中を覗いた。
大きさは市販のキノコと同じぐらい、全部で11個ぐらいであったがそれで充分だった。

「これ程でしたらキノコのシチューとかキノコのバター焼きとか色々作れますね。では帰ったら早速調理致しましょう」
「そんな沢山作らなくてもいいよ。食べるのは僕一人だけなんだからシチューぐらいで十分だよ、けど・・・」

そう言いカイトは自分の髪の毛を撫でた。

「もしメイコさんが僕と一緒に食事出来たら沢山作っても・・・、なんてね。そんな事出来るはずもないのに」

だがそれは叶わない夢であろう。
メイコは人間の体を捨てて人形という体を手に入れ自由を手に入れたと思っていたがカイトと生活を共にすれば違いというものは出てくる。
食事を必要としない、睡眠を必要としない、休息も必要としないこの体は傍から見れば羨ましいのかも知れないが。
メイコは生身の肉体などないただの『人形』なのだ。
そう、カイトにとって当たり前の反応が自分には出来ないのだ。
カイトの好物でもあるジェラードをメイコが食べても味など感じられない。
カイトは寝れば夢を見られるのにメイコは目をつぶっても夢など見ない。
自分は人間ではない。
皆が恐れる化け物と何ら変わらないのだ。
それを知ったメイコは自分が屋敷に残っていて良かったと思っていた。
もし自分がこの場に存在していれば気まずそうな、複雑な顔を彼に見せていただろう。
そんな顔を見せたら彼を心配させてしまうし、重い空気が立ち込めてしまう。
妻として愛すべき夫に対する気遣いは忘れてはならない。
だからそのまま平然を装ってリリンとレインを操りカイトに接する。

「さあ、帰りましょう。カイトさん」
「籠は僕が持ちますよ。カイトさん」
「大丈夫だよ。これくらいは自分でも持てるから」

そう良いカイトは一人先へと歩いていく。
どうやら気づいていなかった様だ。
だがメイコにとってはその方がよっぽど良かった。
仮に彼が知ってもどうすればいいのか分からないのだから。



♢♢♢♢♢♢



山を下り道が開いた場所へと入ってしばらく歩いていた時だった。
突如、道のわきから現れた一団がカイト達の目の前に立ちはだかった。
男二人、女二人の計4人。
ぱっと見て旅人の様だがその容姿は物々しい。
4人とも槍やら剣やら、よく遠征とかで出向く騎士の一団と似ていた。
僧侶の様な身なりに手には槍らしき物を携えた男に岩石の様に硬い筋肉を持った男、その両手には小手らしき物が付けられていた。
残りの女性二人は魔法使い風の衣装に杖を持っていて、最後の一人は女騎士だった。
鋭い目と短めに揃えた薄緑色の髪が印象的な女性だった。

「な、何の用ですか?」

この時のカイトは少なくとも彼らを危険人物ではないと理由なき根拠を持っていた。

「唐突で済まない。君の名前はカイトで合ってるか?」

騎士風の女性が口を開いた。
何で自分の名前を知っているのかについて問わないが一応返答してみた。

「確かに僕の名前ですけど、それが何か?」
「頼むぞ」

騎士風の女の言葉に無言で頷いた男がカイトに迫ってきた。
目の鼻の先まで迫ってきたのだからカイトは少しだけたじろいだ。

「わりいな、兄ちゃん」

声色は本当に申し訳ないという気持ちが伝わる程だった。
その瞬間、カイトは自分に何をされたのか分からなかった。
ただ脳で考えてではなく、体の痛みで分かった。
彼が自分のみぞおちに拳をぶつけて意識を失わせようとした事。
そんな事をすれば自分は気絶するのに。
何故彼らが自分にそんな事をしたのか分からない。
頭を働かせようとしてもその頭も機能を停止させてゆく。
薄れゆく意識の中で自分の両目に映った最後の光景は。
自分の元へと駆け寄ってくるリリンとレインの二人が巨大な炎の渦に飲み込まれ焼け焦げていく一番見たくない光景だった。
但し二人は人形であったから人肉が焼けこげるような匂いではなく、プラスチックが焼けた際に放つあの独特な匂いが鼻についた。
人じゃなかったのが不幸中の幸い、ではない。
人形でもあの二人はメイコと同じくらい大切な存在である。
そんな彼らを無慈悲にも焼き尽くすとは何を考えているのだ。
されどその最後の思考までも機能を停止する。
訪れたのは暗闇だけであった―――。



♢♢♢♢♢♢



意識が戻ったカイトがまず初めに考えた事。
みぞおちをくらった際の目覚めとはこんなにも悪いものなのか、という考えだった。
無理やり気絶させられた体なのだから自然な目覚めとはわけが違う。
時間の経過と共に体の感覚が戻ってきた。
目の焦点が定まってきたカイトは辺りを見渡した。
まだ太陽が出ていたから気絶していた時間はそう長くはないだろう。
どうやらここは廃屋の様だ。
床や壁は所々穴が空いていたが家としての原型は保っている。
屋根も、それを支える柱もまだ機能している。
そして正面を見れば先程の一団がいた。
男の一人がこっちに気づいた。

「手荒な真似して済まねえな、兄ちゃん。こんな事はしたくなかったんだがうちのリーダーからの命令でな」

血生臭い仕事や死線を経験した事のないから分からないが殺意など感じられなかった。
本当に自分を気遣っている様だった。
だが警戒は解かないのがカイトだった。

「ぼ、僕を・・・身代金目的・・・で攫った・・・のか?」

二日酔いにでもあったかのようなズキズキ痛む脳を抑えて言葉を紡いだ。
心当たりがあるものはそれぐらいだ。
金目のものがあの屋敷にあったのだろうかと考えた矢先だった。

「いや。逆だ。我々は君を助けに来たのだ」

男の隣にいた騎士風の女からの衝撃発言。
自分を助けに来たとはどういう意味だ?
自分は奴隷みたいな扱いはされていないしそもそも捕まってなどいない。
メイコと順風満帆で生活していたにも関わらず彼女達は自分を助けたと言い切っているのだ。

「説明が遅れたな。我々は教団の勇者一団だ。度重なる魔物の脅威と人々を守るという崇高な使命を全うする為、こうして諸国巡りをしている最中だ」

そう言い彼女はマントを翻し、肩当てに刻まれていた教団のシンボルマークを見せてきた。
今でこそ魔物は人々を襲わない存在になったのだが昔は会ったら当然の如く人間に襲い掛かる危険な存在だった。それで人間を守る為に組織された団体がいくつも存在し『教団』もまたその一つだ。
その名残が今でも続いており彼女達の言う『教団』も『魔物は人間の敵』という考えをまだ改めていない時代に取り残された組織なのだ。
教団についてカイトは魔物達と敵対する勢力であるという情報だけは知っていたが、人々を守る存在の彼らが何故こうして拉致したのか意味が分からない。

「実は滞在していた村で君が魔物に魅入られたという噂話を聞いてな。それで探していたら彼が双子に連れられて山の中に入っていったという目撃情報を知って、すぐに駆け付けた。もう恐れる事はない。我々がいる以上君は大丈夫だ。そうだ、君の故郷まで我々が護衛しよう、だから安心したまえ」

これで合点が付いた。
彼女らは根本的な勘違いを犯している。
カイトはメイコに誘拐された人間だと思い込んでいるのだ。
このままでは勝手に事が運ばれてしまうと思ったカイトは早々に誤解を解こうと口を開く。

「待って・・・ください。彼女は・・・メイコさんは・・・悪い魔物じゃ・・・ないです。いい魔物なん・・・です」

頭の頭痛を抑えて訴えてみたが彼女は聞く耳を持たなかった。

「何を言っているんだ。それが奴らの常とう手段なんだ。女性という姿で異性を惑わし男を捕らえ何処にも逃げ出せない様に監禁し自分の栄養源として精を啜る。おぞましき人間の敵なんだ。君だって彼女に監禁されていたのだろう」

その表情はごく当然の様に、信じて疑わないという自信の顔に満ち溢れていた。
カイトにとってその顔は狂信者のそれ。
何も言っても聞いてもらえず通用しないという恐ろしい事態だった。

「確かに・・・最初は、誤解とかも・・・ありましたし・・・無理矢理な時も・・・ありました。けど・・・僕は彼女を心の底から・・・愛してます」
「それは彼女と一緒にいたからだ。奴らはそうやって男性の警戒心と徐々に解いていき・」
「違います。僕は彼女が・・・あったその時から・・・・好きになったんです・・・。これだけは僕の・・・嘘偽りない本心です。だから・・・僕を元の、彼女の場所へ・・・」
「駄目だ!! どうやら魅力魔法の類にかけられているみたいだな。今すぐ解除の呪文をかけよう」

なんと頭の固い女性だ、とカイトは思った。
盲目で現実と夢をごちゃ混ぜにして自分の都合よい場面だけを取り上げている。
どうすれば分かってくれるのだろうかとカイトは考え込んだ矢先だった。

「なあなあ、リーダー。兄ちゃんがこう言ってるんだ。見逃したらどうだ?」

あの岩石の筋肉を持った、格闘家らしき男が助け船を出したのだ。

「何を言っている!? 我々は魔物から人々を守る為に存在しているのだぞ!!」 
「けど兄ちゃんと一緒にいる魔物、他の人間に危害とか加えたのか?」
「被害報告はないが、それは奴が人に知られずひっそりと生きてきたからだろう。もしかすると監視する為に置いていたかも知れない。・・さては貴様、報酬だけもらって逃げ出す魂胆なのだろうな?」
「んな事しねえよ!! ちゃんと報酬分は働くつもりだよ!! けどよ、俺達があちこち回ってみても聞くのは『魔物はいい奴だ』、とか『人間と仲良しだ』とか良い噂ばかりじゃねえか。思っていたものとは随分差があるんじゃねえか?」

騎士風の、もとい勇者の女は思い返す。
初めて地方へと出向き村の人々に魔物についてどう思うかと聞いた際、答える人間は『自分達に危害を加えない』と口揃えて唱えていた。
『魔物は人間の敵だ』、『人間を守る為魔物を倒すべきだ』という当たり前の考えを刷り込まれていた彼女にとってその台詞は想定外で頭にハンマーをくらったかの様な衝撃だった。
それでも彼女の認識は変わらない。
いや、変えてはいけないのだ。

「馬鹿者。それが奴らの手口なんだ。奴らはそうやって人間に隙が出てくるのを見計らっているだけだ。絶対に騙されてはいけないぞ」

きっと無害なのを装っているだけだ。
きっと魔法で危害を加えられた記憶を無くしているだけだ。
そうやって理由を付けたり都合よく解釈して自身の持つ信念を正当化する防衛反応という思考は彼女にとって最大の不幸だったのかも知れない。

「とにかく一度君を周辺の村まで連れていく。そこで洗脳の魔法を解いて、改めて君の望みを聞こう。よし、ここでの休憩は終わりだ。出発しよう」

勇者の女はそうやって切り上げると仲間達に荷物をまとめさせる。
当のカイトはどう言ったら彼女達は分かってくれるのか考えていた。
頭の頭痛が収まった今ならもっとはっきりと証明出来るはずだ。
いや、証明しなければならない。
言葉でしか証明する手段はないがそれでもやらなければならない。
でなければ自分は連れ去られてしまう。
もう一度彼女を説得しようとカイトが口を開いたその時だ。








『ドンッ!!』

古ぼけた扉が床へと倒れこむ。
一同は目を扉の方へと注目する。
扉から入ってきたのは一人の女性だった。
短髪の茶色で清楚さが似合うその女性はカイトが愛する人であった。

「メイコさん!」

カイトが叫んだ。
それと同時に入ってきたのは紫色のポニーテールが印象的の男性クドにオッドアイが特徴のコルルだった。
カイトの姿を見てメイコは一瞬だけ頬を緩めたが次には険しい表情で勇者の女が率いる一団に目をやった。

「カイトさんを返してもらいます」

口調だけで分かる。
いつも穏やかさを絶やさないメイコが怒りを露にしていたのを。

「何故この場所が分かった?」

勇者の女は臆していない。

「私はカイトさんの妻です。もしもの時の為に『印』をつけて何処にいるのか直ぐに分かります。決して貴方達、特に勇者である貴方には分からない印ですから」

そう言いメイコは勇者の女に指差しした。
『貴方』の台詞だけ強めに言ったからメイコなりの当てつけなのだろうかとカイトは思った。
されど指を刺された勇者の女は笑みを浮かべていた。
この時の彼女には余裕があったという事だ。

「魔物か。いつか討伐するつもりであったが好都合。今こそ教団の聖剣に屈し、断罪を受けよ!!」

剣をかざし高らかに宣言する勇者の女。
その合図と同時に傍にいた拳法の男と僧侶の男がメイコへと走り出す。
すかざすメイコはコルルとクドを差し向ける。
拳法家の男は彼らの動きで即座に判断した。
あいつらには戦闘経験がないのだ、と。
ならば簡単だ。
前の二人をなぎ倒してあの魔物を倒せばいい。
僧侶の彼も同じ事を考えているのだろう。
何も言わず目線を片方の、オッドアイの男に定めている。
という事は自分の相手は紫色のポニーテールを持った男だ。
相手が誰であろうと所詮は生身、傷つければ悲鳴を上げるし痛みも覚える。
乗り気では無かったが報酬はもう受け取っている。
それに見合う武働きをしなければ契約内容に反するし、信頼関係を損なうのだ。



―――悪く思わないでくれよ、紫の兄ちゃんよ!―――


だが不幸だったのはメイコがリビングドールという人形の体を持った魔物だった事。
そして今拳を腹へと叩きこもうとした相手も人形だったという事も不幸だった。
腹部への突きは確実に決めたと思った。
防具越しで伝わる拳の感覚。
生き物じゃない、無機質な物体に当てた際に感じる別の痛み。
それでも手ごたえはあった。
と言うのも男の一撃はクドの腹を貫通し、彼の体に風穴を開けていたからだ。
だがクドはまだ動けている。

「な? こいつら人形だったのかよ!?」

だが混乱は一瞬だった。
人形が相手なら関節を狙っても効果は薄いし向こうは痛みすら感じない。
ならば胴体を何回も攻撃して破壊すればいいだろうと、もう一撃入れようとした時だ。
クドがぴったりと体を密着させてきた。
そしてクドは彼の体を両腕と両足でがっちりと抑え、身動きさせないようにした。
一方、僧侶の男はコルルの腹へと突き刺し腹部を貫通させた。
されどコルルは刺されているにも関わらず男の方へと無理矢理槍を伝って引き寄せ、両手で彼の体を抑えた。
引き離そうとしても拳法家の男は貫通したその拳が引き抜けない。

「ええい!! 離せ、この化け物!!」

僧侶の男も自分の武器を引き抜こうとしてもコルルが密着する程まで詰めていたのだから引き抜けない。
尚且つ両者とも信じられないくらいの力で二人の体を抑えこんでいた。
最初からこれが狙いだったのだろう。
メイコはなるべく傷つけない様に勇者一団を無力化するつもりだったのだ。
自分の人形達を犠牲にしても。

「もしここ引いてくれるのであれば私は・」

だがその優しさは勇者の女には届かなかった。

「愚問だ!! 魔物は全て人類の敵!! 我々勇者は決して屈しない!! アリサ!!」

魔法使いの女が呪文を唱え始める。
彼女が持っていた杖の先端から炎が溢れ出てきた。
今からやろうとしている事、カイトは知っていた。
リリンとレインがあの炎によって飲み込まれ、焼かれていった。

「メイコさん!!」

悲鳴染みた声を挙げ、駆け付けようとしたが一瞬だけ遅かった。
杖から炎が噴き出してメイコへと向かう。
そしてメイコが炎の渦に飲み込まれる。
彼女は悲鳴など挙げる暇なく全身が炎に包まれる。

「遠慮はいらん!! ありったけの魔力を込めるんだ!!」

炎の勢いが更に増した。
ここまで勢いがあったら廃屋まで火が移って全焼するのではないかという程だったが特殊な魔法なのか、それとも魔法使いの女の力量なのか廃屋に火が付かない絶妙の加減でメイコだけを焼いていた。
だがカイトにはそんな事は関係なかった。
目から涙が溢れそうだった。
握り拳を作り、ブルブルと震わせていた。
リリンとレインを焼かれた際にはまだ冷静な自分があった。
二人は人形、メイコの力でまた直せるのだから割り切れていたが今自分が感じているこの感情は。
『怒り』と『憎しみ』。
彼女を焼いている魔法使いの女が憎い。
平然と彼女が焼かれる光景を見ている勇者の女が憎い。
今すぐこの二人を刃物や鈍器とかで傷つけたいという衝動があった。
ならば簡単だった。
カイトは魔法使いの女に向かって突進した。

「何をする!?」

寸前で勇者の女がカイトを押させつけ、壁の方へと放り投げた。

「あまりこんな事はしたくなかったが我々の邪魔をしないでもらいたい。これも人々の為なんだ」

「悪い魔物じゃないのに!! 平然と傷つけ!! メイコさんを殺そうとする貴方達の方が!! よっぽどの化け物だっ!!」

涙で顔がぐちゃぐちゃになりながら訴える形相と化け物という発言は流石の彼女でも身じろぎした。
だがカイトの叫びを聞いても魔法使いから放たれている炎は止まらない。
完全にメイコの体を焼き切るつもりなのだ。
それを知ったカイトはメイコを助ける為に近づこうとしたが、出来なかった。
炎が壁の様に阻み、近づけない。
もう既に全身まで火が回って彼女の体は黒焦げであった。
だがカイトはある事に気づいた。
魔法使いの女の表情に笑みがない事を。
それどころか焦りの顔が見えた。





―――焼け崩れないのだ。

いくら焼けども、いくら魔力を込めて燃やそうとも。
黒ずんだメイコの体は立っている。
表面は確実に焦げているはずなのに、普通であればもう原型など留めていないはずなのに。
それが魔法使いと勇者の不安を募らせた。

「どうした!? 何故焼け落ちない!? 手加減などしてる暇はないんだ!!」
「最初から全力です!! けど何で立っているの!? もう原型なんて留められない程の火力なのに!!」

苛立ちが言葉となって吐き捨てた。
だから気づくのが遅かった。
勇者の女は自分の背後に何かが床へと落ちてきた音が聞こえた。
次には全身に痛みが走った。
後ろを振り返るとそこにいたのはメイド姿の女性だった。
緑色のツインテールに自分より背が低い、まだ幼い少女だった。
魔法使いの彼女も杖を落として桃色の髪を持ったメイドに取り押さえられていた。
そこで初めて察した。

―――わざと耐えて注意を逸らしていたのだと。
彼女は黒焦げになっていたメイコの体に注目した。
すると少しだけそれが震えると黒焦げだった表面だけが崩れ落ち中から出てきたのは傷一つ付いていないメイコだった。
リビングドールという魔物はどれだけ粉々になっても再生出来る力が備わっている。
だから冷静になれば心配するのは鳥越苦労なのだがそれでも無事だという事実にはカイトは喜びを隠しきれない。
思わずカイトは彼女の元へと駆け寄り体を抱きしめた。

「本当に無事なんですね・・・」
「カイトさんを置いて死ぬはずないじゃないですか。私はカイトさんの妻なんですから」

そう言いメイコはカイトの頭を軽く撫でると再び勇者の女と魔法使いの女の方へと振り向いた。
当の二人は廃屋の床に仰向けで倒れこんでいた。

「何故動けないんだ・・・出血などしてないのに痛みだけが・・・」

勇者の女が顔を挙げるとメイドの片手には包丁の様なものが握られていた。
恐らくあれで切り付けられたのだろうと思ったが自分の体から血が流れていない。
にも関わらず出血したかの様な痛みが体を駆け巡っているのは何故だ。

「特殊な金属で出来た非殺傷武器です。血は流れませんが痛みは切られた時と同じものです」

はっきりと顔で分からないと示していたのかメイコがその訳を説明した。
そして動けない二人をミンクとルウカで改めて抑え込んだ。
しかし勇者風の女はまだ諦めていなかったようだ。
ミンクが取り押さえていてもその両目でメイコを睨みつけていた。
絶対貴様を葬るだとか絶対八つ裂きにしてやるといった、殺意のある目だった。
だが次に見せたメイコの目はそれすらも凌駕していた。
彼女の顔直前まで近づき右手で首を掴んだ事も要因だった。

「・・・もしカイトさんが死んだなら。・・・・貴方を死ぬ直前まで苦しませて、その魂を人形に押し込んで一生痛めつけてやります!! 私のカイトさんを傷つけた罪は生半可な痛みでは許しませんっ!!」

口調こそ怒鳴っていたが彼女の目は虚空であった。
愛する者を誘拐し、一度だけ見逃そうと情けをかけても彼女達はそれを不意にしたのだ。
次の瞬間には戸惑う事無く手で喉を締め付けて殺すのだろうと彼女は確信していた。
されど往生際が悪かった。
教団の勇者という肩書を背負っている自分が魔物に屈するなどあってはならない事態だ。
我々にはご加護がある、決して諦めてはいけないなどと意地を張っていたのだから。
そのまま沈黙が流れていたが黙っていた所でメイコが拘束を外してくれるなどあるはずがない。
しかしその沈黙を打ち破る者がいた。

「あ〜、ちょいといいかな姉ちゃん? 確かあんたらって人間に危害を加えるってのは極力ないってのを聞いたんだがそれは本当か?」

あの格闘家の男が口を開いたのだ。
その瞬間、勇者風の女は目を吊り上げ格闘家の男を睨みつけた。
何を馬鹿な事を口走っている。
危害を加えないとは真っ赤な嘘だ。
現に自分達をこうして痛めつけているだろ、と勇者風の女は目で訴えていた。
だが元を辿ればこの事態を招いたのは紛れもなく彼女達自身でありメイコはカイトを奪われそうになった被害者だからこれは正当な報復なのは誰の目から見ても明らかだ。
付け加えてメイコはなるべく彼女達を傷つけない様にかつ無力化させたのだから筋違いもいい所だ。

「はい、そうです」
「もし俺達が兄ちゃんを開放してもう手出ししないって約束したら、姉ちゃんも俺達に手出ししないって約束してくれるか?」
「約束いたします。私はカイトさんが無事ならそれでいいんです」
「・・・なら降参だ。兄ちゃんを開放するし、俺たちもこれ以上の追及はしない」

その瞬間、勇者の女が信じられないという表情を見せた。

「何を勝手な事を!? 魔物を討伐するのが使命という教会の理念を忘れたのか!?」
「でもリーダー、この状況を見ても強気にはなれねえぞ? 御覧の通り俺達全員、戦闘不能だ。勝てない勝負に挑むのは無謀なんだぞ? それに・・」

格闘家の男はカイトの方へと振り向いた。

「この兄ちゃんが言ってるんだ。邪魔しないで欲しいって。最初から間違っていたんじゃねえのか、俺達は?」

元々仕事の為とはいえ魔物の討伐には懐疑的だった彼は当然勇者の女が下した魔物に囚われたカイトを無理矢理拉致して連れてくるという作戦にも乗り気では無かった。
そして結果はこの有様だった。
男から言わせれば教団の使命などというプライドを守って殉死するなどまっぴら御免だ。
彼女は自分達の命を奪うつもりはない。
ならば素直に降参して負けを認めるべきだろう。

「そんじゃ、問題はねえよな?」

男の決断に反対する声は無かった。
つまりこのまま話を進めていっても良いという暗黙の了承だ。

「話はまとまりましたか?」

格闘家の男は頷いた。
そしてメイコは再びカイトの方へと体を向けた。

「メイコさん・・・」

もう決着はついたのだがカイトはどう言葉をかければ良いのか分からなかった。
自分のせいで彼女に迷惑をかけ、自身や人形を傷つけざる負えない状況にさせてしまった。
言葉に詰まり何も言い出せないでいると。

「さあ、帰りましょう。カイトさん」

何も言わずメイコが手を差し伸べた。
一瞬だけ迷ったがカイトは無言でその手を掴んだ。
そのまま廃屋の外へと出て行った時の気持ちといったらどう表していいのかカイトには分からなかった。



♢♢♢♢♢♢



二人が廃屋から去ってしばらくするとミンクら人形達が拘束を解いた。
つまりあの二人は安全な場所まで行ったという事なのだろう。
貫通した腹から拳を引き抜いた格闘家の男はバツが悪そうに顔をクドに向けた。

「その、悪かった・・・とだけ言っておいた方がいいか?」
「いえいえ、どうやら貴方達は教団の方々ですよね。先程の戦闘での話からそう推測出来ますよ」
「まあな。俺は傭兵だが他の3人は教団の奴だ」
「勘違いなどで手を出してしまったという話はよくある話ですのでご心配なさらずに」

同じく貫通していた槍を引き抜いたコルルが残りの三人に目をやると一礼した。

「手荒な真似をして申し訳ございません。我々はこれで失礼いたします。どうか道中お怪我がないようお気を付けください」

そう言い残して人形達は廃屋から出ていこうとする。
人形達の後ろ姿に何を思ったのか格闘家の男は口を開いた。

「なあ、一つだけ聞いてもいいか? 今のあんたは彼と一緒にいて幸せか?」

人形達の、おそらくメイコに向けての質問だった。
すると人形の一体であるミンクはその場で立ち止まり男に顔を向けた。

「勿論幸せですよ。カイトさんは私の夫であり大切な人ですから」

そう言いミンクは笑みを見せた。
嘘偽りのない、今は幸せだと実感している人間が見せる本当の笑みだった。
人形達が去っていくと辺りに立ち込めるのは敗北感だった。

「魔物に情けをかけられるとは、勇者失格か・・・・」

勇者の女はまさに敗北感に打ちひしがれていた。

「あ〜、だからリーダー。その考えを改めろって言ってるんだよ」

男がめんどくさそうに呟いた。

「あいつはその気になれば俺達を全員殺せるはずの力があるんだ。それでも俺達を見逃したのは何故か?」

その答えは言わなくても分かった。
本当に魔物達は人間達に危害を加えない、友好的な存在なのだと。
人形を操る彼女が血を流さす自分達を無力化したのが何よりの証拠だった。

「・・・・まさか本当だったとはな」

ただ一言だけ呟いた。
その後に沈黙が続いたのは教団に対して、というよりも自分に対して課題が生まれたからだ。

「これで我々には迷いが生まれた。魔物を討つべきかどうかについて」

僧侶の男も呟いた。

「もっと見てないと駄目なのですか? 私達は?」

魔法使いの女も呟いた。
この二人もまた自分に対する課題を見つけたのだ。

「ゆっくり見つけりゃいいのさ。それが新しい目的、だな」

ただ一人だけ格闘家の男は違った。
悩みが晴れたかの様な、そんな印象を受ける顔だったから。



♢♢♢♢♢♢



屋敷へと向かう帰り際だった。
ミンクら人形達がメイコとカイトに合流した。
そしてカイトはクドとコルルの傷ついた体を見た。
二人とも腹部にはぽっかりと穴が空いていてその状態で歩いている。

「大丈夫なんですか? クドさんとコルルさんは?」

人形を気遣うというのは可笑しな話であるがこの二人にも特別な思いがある。

「心配いりませんよ、暫く立てば治りますので」

だがカイトの顔は晴れない。
自分を助ける為に人形を犠牲にしてしまったのだと考えたら胸が痛む。
傷ついた人形というフレーズからあの双子の顔が頭を過った。
立て続けにカイトはメイコに訪ねた。

「リリンとレインはどうなったの? 確か二人が丸焦げにされたはずだけど」
「大丈夫ですよ。もうすっかり元通りになりましたから。あの子達は私でもありますから私と同じ再生する能力もありますので」

カイトは実質的に同じ質問を何度も聞いてしまっている。
それでもメイコはそれを指摘せず答えたのは妻として当たり前の事だった。
だからその次に出てきたのは謝罪の台詞だった。

「・・・ごめんなさい、カイトさん・・・私があの場にいればこんな思いをしなずに済んだはずなのに・・・。私をお嫌いになりましたか?」

メイコは妻の務めとして夫を気遣うのは当然でカイトを危険な目に会わせたのだから謝罪するべきだと思っていた。
がメイコが謝罪するのは間違っているとカイトは思った。
どうして彼女が謝罪しなければならないのか。
一連の事件は不可抗力であり誰も想像できない事態だったのだし、最後には彼女は自分を助けに来たのだ。
そんな命の恩人が謝罪の台詞を口にするなど可笑しいだろう。
だから気づいた。
魔物という異形の存在であるメイコからの求婚を引き受けた理由を。
あの時思った離婚したいという気持ちが起きなかったのを。

「謝らないでメイコさん・・・。もう過ぎた事だよ」

そして一度間を置いてからカイトは告げた。

「・・・僕はやっぱりメイコさんが好きだよ」

その台詞を聞いたメイコの表情は嬉しさに満ちていた。

「確かに最初は何かの手違いだったかも知れないし、強制があったかもしれない。けど僕の心にある気持ちは嘘偽りないよ。だって一緒にいれば楽しいから」

そうだ、こんな簡単な理由を何故思わなかったのだろう。
彼女といれば楽しい事がたくさん起きるはずだ。
そして彼女が好きで受け入れたのだ。
それだけの理由でいいだろう。
深い理由など考えずシンプルな理由がカイトにはお似合いだった。

「もっとメイコさんと一緒にいたい。・・・だからお願いします。僕とまた一緒にいてください」

メイコがどう返答するか。
それはもう決まっていたし分かり切っていた。

「・・・勿論です。そのプロポーズ、改めてお受けいたしますよ。カイトさん」

そう言いメイコはカイトの手を掴み密着して自身の頭を彼の肩に乗せた。
お決まりの愛情表現だ。
そしてカイトが頭を撫でれば彼女は幸福に満ちた笑みを浮かべた。



♢♢♢♢♢♢



屋敷へと戻ってきたカイトは扉のドアノブを回した。
出迎えたのはあの双子だった。

「お騒がせ致しましたカイトさん。この通り私達は元通りです」
「心配をおかけしましたカイトさん。もうご安心ください」

リリンとレインが丸焦げにされたのが嘘みたいに元の綺麗なままの姿でカイトにお辞儀をした。

「良かった、二人とも。無事に戻って」

心底カイトは安堵していた。
という事は損傷しているクドやコルルも時が経てば元通りになるのだろう。
そう考えたら本当に良かったとカイトは思った。
するとカイトの傍にいたメイコが顔を近づけると。

「さあ、ご夕食を作りましょう。勿論カイトさんが取ってきたキノコを用いて。その後は勿論お楽しみの時間ですよ」
「お楽しみって・・・まさか?」
「あの人達のせいで私の魔力が不足してるんですよ。ちゃんと補給しないと・・・ね?」

メイコが片目をウインクして要求してきたのでカイトは少しだけ肩をガクッと落とした。
がその顔はまんざらでもなかった。
それにメイコが自分の為にその身を削ったのだからケアするのは当然だ。

「分かったよ。夫として妻を十分労わってあげるから」

これからもカイトは愛するメイコと、彼女が操る人形達と一緒に住んでいく。
その心はいつにも増して満たされていたのだった。


17/06/02 09:32更新 / リュウカ

■作者メッセージ
タグに『甘口』とか追加してもいいのかな?

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