3.享楽の宴、その裏側で
人あるところに、享楽あり。
そう告げたのは果たして誰だったか。
遥か昔の吟遊詩人か。
はたまた町中のならず者か。
何れにせよ、その言葉が真理であるのは、歴史を紐解けば理解するに容易いだろう。
「やっほ〜、旅人さん♪」
当然この世界――魔と人が生活を織り成すこの世界に於いてもそれがあるわけで。特に――非合法な見世物に群がる存在も後を断たないわけで。
「ようこそ、ティルナ・ノーグへ……な〜んてね♪」
だが、どんな享楽にも準備が必要だ。さもなくば只の児戯と何が変わると言うのだろう。そしてその準備のために、彼、ブロックス=モーシュはいる。王国と、友好関係にある王国を結ぶ山道に、馬車と護衛を連れて。
そして――。
「お久しぶりだね〜♪」
「あぁ、久しぶりだねテュホン」
テュホン=ラルディン。
ボーイッシュな栗色のショートヘアーに健康的な肌色の顔。鼻もとの軽いそばかすはご愛嬌。翡翠色の瞳は感情に合わせてくるくるころころと姿を変えていく。
服装は至ってシンプル。半袖シャツに半ズボン。袖を通す場所が破れたようになっているのも、先程の外見的特徴と合わせて、まるでやんちゃな少年のような初々しさを感じさせる。
そして最大の特徴は……鈎爪のような足に翼のようになった腕。非常に分かりやすい、ハーピー成人女性。それが彼女なのだ。
テュホンは二本の鈎爪に掴んだ荷物をゆっくりと土の地面に降ろすと、そのままくるっと空中で一回転して地面に片足着地する。両足同時にしないのは、「その方が体の軸が安定するから」だという。まぁ確かにあの鳥足で地面の衝撃を受けるのはキツいだろうし、何よりバランスがとり辛くなるだろうな、とその話を聞いた当時ブロックスは生物の合理性についてしみじみと考えたという。
まぁそれは兎も角。地面に置かれた荷物の中身を確認すると、ブロックスはテュホンに手間賃をプラスした代金を支払い、被っていた帽子を手に取った。
「いつも有り難う。君のお陰でサーカスも成り立ってるんだ」
「えへへぇ。まぁ私も楽しませて貰ってるしねぇ♪」
半袖シャツの上からでは目立たない胸を自慢げに突き出して、腰に羽を当てて「えっへん」と言わんばかりの格好をするテュホン。腰に付けたポシェットに黄金の硬貨を入れて、ご機嫌顔だ。
案外ハーピーは手先……というか羽先が器用だったりする、というのが、このハーピーと交流を始めてブロックスが学んだことの一つだったりする。ついでに、彼女らが山で交易する人間たちの橋渡しを喜んでする事も。
理由としては、ハーピー一族がわりと享楽的と言うか、お祭り好きと言うか、そんな一面があるからだろう。楽しそうな場所には、わりと彼女たちの一族がかしましく喋っていたりもするという。
『ハーピー二人で漫談開始
ハーピー三人で市が立ち
ハーピー四人で祭りが始まる』
こんな諺もあるくらいに。
――――――――――――――
この世界にもサーカスは存在する。魔王の手によって産み出された化け物(というのが王国や中央教会の見解)であるモンスター娘達が自らの技を披露したり、鍛え上げられた人間が己の限界にチャレンジする、歓声と興奮が支配する空間。それがテュホンの言っていた『ティルナ・ノーグ』である。
人間も魔物も関係なく受け入れて旅をする彼らは、当然ながら人間至上主義者やら中央教会やらが支配層にいる王国では合法のものとして認められず、国立の劇場なりで演技するどころか、国家内で土地を借用することすら難しい状況だったりする。尤も、フリスアリス家やジョイレイン家に代表される魔物共存派の領主は、彼らを祭りの初日の開会式に合わせて招いたりしているが。
「……お」
そう言えば、と馬車の客間の木の壁にもたれ掛かっていたブロックスは思い出した。フリスアリス家で数日前に何やらひと悶着合ったらしい。何でも一人娘を誘拐し、領主の地位を落とそうとした集団が根刮ぎ御用となったという。庶民の噂は尾ひれが付いているから信用できないが、中にはその一人娘か淫魔と化して助けに来た騎士を誘惑したとの情報も入っている。噂ごときで異端審問官が動くとは思えないが、暫くはゴタゴタが続くだろうな、などと考えてしまう。
だが、この仕事とフリスアリス家とは関係ない。と言うのも、彼らが治める地方での収穫祭は当分先だ。今回の勤め先はジョイレイン家の絡繰祭(マリオネットフェスタ)だ。年に一度行われる、国中の絡繰職人が各々の自信作を引っ提げて様々に競い合う大会だ。優勝者にはジョイレイン家から賞金と楯が受け渡されるらしい。
「ねーねーご主人様ぁ、さーかすってどんなの?」
荷物の護衛役にブロックスが雇った、『狼を従えし者』一団。馬車の客間の上に陣取るワーウルフが、馭者の隣に座るリーダー格の男=ガラに聞く。普通そんな場所に座る人間はいないが、流石ワーウルフ。至って自由である。
「……行ったことがないから分からないが……まぁ、仕事が終わったら行くか?ヴァン」
ガラは声色一つ変えず返す。その間も警戒を緩めない辺り、相当の場数を踏んでいるのだろう。筋肉達磨……と言うよりは体脂肪を極限まで削ぎ落とした、無駄の無い良質な体つきもそうだが、辺りを見つめる眼光も、よく研磨された刀のように鋭い。
もう一匹の小柄なワーウルフは、馬車の後ろで警戒している。こちらはまだ大して場慣れていないのか、覗き窓から見える姿は体に無駄な力が入っていた。
「……」
三者三様、か。などと考えながら、ブロックスは時間を確認する。サーカス団が到着するのは大体昼前、それまでに到着すれば問題はない。などと考えながら、横に置いた巨大な箱を手元に近付ける。
サーカスに届ける大切な荷物だ。幻想と幻惑の世界『ティルナ・ノーグ』への切符となる、大事な――!
ドゴォン!
「――!?」
彼の思索は、無粋な衝撃によって中断されることになった。馬車が突然停止したのだ。同時に、護衛役が三人ともいない。どうやらこの馬車は何者かに襲撃されているらしい。
ブロックスはナイフを手に持つと、箱を座席中央に置いて覗き窓を閉めた。光は無くなるが、相手から身を隠せる。テュホンが持っていた荷物の取っ手を持てば、指が切られない限り荷物を奪われることはない。
そのまま木の車体越しに伝わる音に耳を澄ましながら、ブロックスはこの嵐が早く過ぎ去ることを祈っていた。願うなら、只の弱い野盗であって欲しい――。
数刻後、馬車は何の異常もなかったかのように出発する。彼が覗き窓を開けると、縛られた野盗が鳴子の如く馬車に引きずられているのが見えた。基本的に野盗――特に賞金首はD.O.A.指定である。襲撃に失敗した野盗の運命など、知ったことではないのだろう。で――、
「やっほ〜♪」
反対側の覗き窓に、くりくりとした翡翠の瞳。彼にとっては聞き覚えのある声。馬車の振動音でよく聞こえないが、きっと外ではふぁさふぁさ音が響いていることだろう。
「テュホン……どうしてここに?」
荷物を反対側に押し退けて馬車の戸を開け、突然の来客を招き入れるブロックス。驚きを隠せない彼に、テュホンは腕を絡ませながら心底嬉しそうに囀ずった。
「荷物渡した後ね〜、街道に怪しい人達がいたからね〜、上の……えーと……」
「ヴァンさんか」
「そうそう!ヴァンさんに『風囁(ウィンドウィスパー)』で伝えたの〜♪」
――つまり、あの境界の山からずっと飛んできた事になるわけだ。普段の彼女ならそんな行為をする筈はない。それが分かっているブロックスは、いつの間にかハグ体勢になっているテュホンに聞いてみることにした。
「……テュホン、もしかして……発情期か?」
嫌な予感だったが、幸いなことに今回は外れたようだ。
「ううん〜?発情期だったら〜、問答無用でブロックスを山まで連れていったよ♪今こうしてるのは疲れたから〜♪」
単純に甘えているんだろう。ブロックスはそう思うことにして、彼女の柔らかな羽が奏でる優しい愛撫に、身を委ねることにした。
ふわふわする羽は暖かく、まるで冬場の布団のように彼の体を包み込んでいく。すりすりと擦り寄せる肌の感触が、彼にはとても気持ちよく思えて……。
「ぴゅう……ぴゅう……」
ブロックスに抱きついたまま、胸に顔を埋めて眠るテュホン。邪険にも出来ないので、そのまま抱きつかせるままにしておくことにした。到着まで――あと数時間。野盗に襲われることも……まぁ無いだろう、そう期待して……。
――――――――――――――
「Ya-Ha!ようこそ現実の狭間に咲いた夢、奇跡の数時間をお贈りする『ティルナ・ノーグ』へ!」
派手な化粧をして奇っ怪な服装を着ている道化師――実は副団長――が、街の中心でジャグリングをしながら通り過ぎる人々の注目を集めている。祭りはもう始まっているらしい。
一応指定時刻は夜のイベントまでではあるが、なるべく早くとも言われている。ブロックス自身としても、仕事は早く終わらせておきたい。
早く終わらさないと、鳥目のテュホンには辛い時間がやって来る。ハーピーの習性は発情期に連れ去る事くらいしかよく分かっていないとはいえ、いつも夕方になるとどんな状況でも山の方に飛んで帰るから(しかもそんな仕来たりはないらしいから)、まず予想は間違いないだろう。尤も、サーカスを見るつもりなら、嫌でもブロックスに着いていくだろうが。
「――と」
ようやく到着したらしい。ブロックスは荷物を持ち上げて下ろし、寝ているテュホンを狼団達に一時的に預けた。ヴァンと呼ばれたワーウルフが涎を垂らしていたが、多分ガラが止めるだろうと、一応信用して。
――――――――――――――
「……ん?」
サーカス団のテントが近付くにつれ、周辺が慌ただしくなっている事にブロックスは気付く。どうも、妙に全員そわそわあたふたしているのだ。演技前の精神状態ではないだろう。
「………」
仕事を終えた後で何があったか聞こう。そう考えたブロックスは、頼まれた品物を運びながら団長の待つであろうテントへと向かっていった。
だがそんなブロックスの算段は真っ向から裏切られる事になる。仕事は――まだ終わりはしなかったのだ。
「……団長が誘拐だと?」
その一報をジャグリング担当のミミック、エッジから聞かされたとき、ブロックスは心底信じられない気持ちで一杯だった。
あの団長が。弟子の中にラミアの巻き付きに耐えたという人物もいるあの猛獣使いというか寧ろ彼自身が猛獣と言っても過言ではない団長が、誰かに誘拐された……?
「しかもご丁寧な事にこんな脅迫状まで来た……アタイは正直どうしたらいいか分からんよ」
手持ちのを羊皮紙をブロックスに見せるエッジ。
『一切の公演を中止せよ!さもなくば貴様らの存在を王国に通達するぞ!団長の首をもってな!』
「……これは酷い。剰りにも酷い」
ブロックスは思わず顔をしかめた。羊皮紙に殴り書きされたような文字は、間違いなく血で出来ていた。血液型診断は吸血鬼じゃないから出来る筈もない。これが団長の血か判断する術はないが……。
「………」
団長の行方は当然気になる。拐った奴がどんな奴かも気になる。給金もそうだが、流石に祭りに水を差されるのを好む奴はいない。合法非合法問わず、享楽は冷静を嫌うものだ。冷や水を浴びせられて――平気でいるのは植物系の魔物娘かマゾだけ。そしてブロックスは、そのどちらにも属さない。
「……追加報酬」
「――え?まさか、ブロさん……」
ブロックスはぼそりと呟くと、そのまま手持ちの羊皮紙にすらすらと金額を書き込み、告げる。ただし、書き込むその手の甲には、血管が浮き出ていた。
「もし夜までに団長が戻ったらこれだけの額を、戻らなかったらこちらの額をもらえるかい?」
会計担当は額と財政状況、そして現在の状況とを脳に詰め込み、一瞬で勘定する。そして――。
「――お願いします。ブロックスさん」
依頼の声を背中で受け、待たせている護衛担当の元へと足を進めながらブロックスは手を振った。呟き声を、吹き晒す風に残して。
「祭りに喧嘩――はっ、んな高尚なものじゃないな。剰りにも無粋だ。無粋な輩には……一泡吹いてもらおうか」
――――――――――――――
「ぴゅう〜っ!駄目ダメぇ私は美味しくないよぉっ!」
「離してご主人様こいつ食べれな……話が出来ないっ!」
「……ヴァン、そう言うのは様々なマナーのいろは〜んをを外で実践できる奴が言うことだ。というか彼女は客人だろう」
「というより流石に……明らかに獲物じゃない彼女を食べるのはどうかと思うよ……ヴァンお姉ちゃん」
「あぁ……ノアちゃん……お姉ちゃんって何ていい響き……ってそんな!アタシがそんな不誠実な狼に――」
「「「見え(るぞ)(るよ)(ますよぅ)」」」
「がーん!」
「……ん?」
ヴァンを羽交い締めにしているガラが、戻ってきたブロックスの姿を確認する。だが、明らかにただならぬ事態に陥っていると見抜いたらしい。直ぐ様ヴァンを頸動脈を極めて気絶させ土の地面に横たえると、小柄なワーウルフ=ノアを呼ぶ。その後ろでガタガタ震えているテュホンも安全になったことを確認できたことから、ブロックスの辺りに近付いて来た。
「何かアクシデントか?」
男は早速、拳を慣らし始める。ノアもそれに倣って、軽い柔軟を始めた。
「ブロックス、どうしたの?」
状況を掴めていないテュホンは、首を斜めに傾げて仕事相手を見つめる。
三者三様の態度を受けながら、ブロックスは平然と言い放った。
「サーカス団の団長が誘拐された。俺はこれから団長を救いに行く。給料は既にサーカス団に請求した。無論、そちらの分も上乗せしてね。夜までに団長を生きて帰せば、俺が最初に提示した金額の倍を与えるよ。夜までに間に合わなければ、提示金額の一・五倍。どう?受けてもらえる?」
ガラは少し考え、了承した。彼の隣で怒りに瞳を燃やす若いワーウルフが一人いるのが決め手になった……かどうかは知らないが、少なくとも、理由の一つにはなるだろう。
「全く……ご主人様、アタシを殺そうとしないで下さいよぉ!」
横ではようやく起き上がった狼藉者が空気を読む気もなくガラに襲いかかるも、直ぐ様撃退。土埃が舞う中、鼻頭を押さえて蹲るヴァンを、ガラは一瞥した。
「……ヴァン、新しく仕事が入った。これを終えたら、サーカスを見に行くぞ」
『マジで!?やったぁっ!」
痛みも先程までの行為すら忘れたように、飛び上がる勢いでガッツポーズを決めるヴァン。
「え……えと……え?」
一人取り残されておろおろしているテュホンの耳に、俺は囁く。
「サーカスの団長が連れ去られた。今から奪還に向かうが、どうする?待つならサーカスの団員に匿って貰うといいが、団長が帰るまでサーカスは始まらないぞ」
答えは一瞬。ついでに目的まで叫んでくれたりして。
「当然!何のためにキミに着いてきたと思ってるかなぁ〜♪」
――――――――――――――
「空中に踊るブ〇ンコ〜♪
飛べない〇前は〇〜エ〜〇〜♪」
どこで覚えたか分からない歌を歌いながら、ヴァンは先頭をひたすら走っている……割りと手加減無しで。
「おいコラ待てヴァン!止まれ止まれよ止まれって!敵に会う前に味方を疲れさせてどうする!」
その後ろではガラとノアがほぼ同じ速度で暴走狼を追っている。ノアは無言だ。サーカスが潰されること……と言うよりも、人間が卑怯な手段を用いて恫喝する行為に怒りを覚えている、と言った方が良いのだろうか。
「……うわぁ」
「凄い土埃だねぇ〜♪」
その上空、ブロックスと、その両肩を足で掴んでいるテュホンは、下界の風景に呆れるやら楽しそうに喜ぶやらしている。道路の整備は兎も角、舗装は王都や教会周辺部、あるいは貿易都市や波止場くらいしかされていない。殆どの地面は雑草の天下だ。辛うじて人が踏みつけていった場所は土が露になっているが、雨が降れば当然ぬかるむので逆に危険だったりする。尤も――運動神経の塊であるワーウルフに、地面のコンディションは殆ど関係しないらしいが。
羊皮紙に付いた血の香り、それをかぎ分けて走るヴァン。
それにしても……と風の抵抗を感じまくっているブロックスは思う。剰りにも風景が殺風景過ぎる。所々看板はあったらしいが、殆どが叩き割られていたり折られていたり切られていたりと、録な扱いを受けていない。何が書いてあったのか見てはみたかったが、生憎今は空中。手が伸びでもしない限り引っくり返すことなど出来はしない。
この道を通ったことがあるか、ブロックスは記憶を逆行させてみた。肩に食い込む爪が若干痛いが無視することにして。
「(……えっと……この辺りで看板を建てるとしたら……絶対ジョイレイン家くらいだね。で、あの家が看板を建てるような物は……博物館、大ホール、美術館、絡繰記念館、遊園地、大広場に出ている出店の数々……!)」
考えれば考えるほど、どんな絵が描かれていたか、彼の頭に思い浮かんでいく。
その大半に、デフォルメ、あるいは相応の等身を持った人型の魔物――例えば今ブロックスを掴んで飛ぶハーピーなり、大量の砂埃を上げながら疾走を続けるワーウルフなりと言った魔物が手軽なキャラクターとして描かれていたのだ。
それをわざわざ土台から壊すとは……。しかも看板内容的にお上に報告は出来ない。教会が家族全員に異端審問をかけるだろう。かかったという事実だけでも、ジョイレイン地方の名誉は潰れる。そりゃあの家も放置するのが道理だろう。
――だが、誘拐となると話は別だ。お上に報告できなかろうが、潰してもいい、というか潰す手段を取らせても良いという意思表示に他ならないからだ。
「……これは随分と興を冷ましてくれたもんだ」
ブロックスは、相手の見当が既についていた。あの看板の破壊、それだけでも十分すぎるほど分かる。実はこの辺りの勢力図と領主との関係一覧は分かりやすい。ジョイレイン家はフリスアリス家と違って敵は多いのだが、反目する内容がそれぞれに違うのだ。今回の看板破壊の原因を考えると――。
基本的に、ブロックスはウエストポーチにしか物は入れていない。武器らしき物も、ポーチの中にしか入っていないが、一体どうやって戦うのか?
「……あ、目的地を見つけたっぽいよ〜♪」
土煙が収まり、石畳とレンガ造りの住宅街ひた走る狼一行を確認すると、ブロックスはさてどうするかと一思案。このまま街の上を飛ばせていいものかと考え――出した結論。
「さ、いっくよー♪」
テュホンが高速飛行の構えをするのと同時に、彼は身構える。今この位置で人目の付かないところに降りて姿を追えば、確実に追い付けないことは分かっていた。だから――そのまま突っ込んでしまえ。
「――『斬撃無効(スラッシュレデュース)』」
そのままの速度では色々と切り裂かれるので、二人の体に魔法をかけたブロックスは、そのままジャミバ卿の治める地の上空を高速で飛んで――。
――――――――――――――
ジャミバ卿は上機嫌だった。どのくらい上機嫌かというと、最上階に置かれた自室にて、この世界に於いてロマネ・コンティクラスの最高級ワイン『サロメ・ド・ブラン』を開けて一人で飲むくらい上機嫌だった。
あの魔獣を匿う集団を潰すことが出来れば、組織の中でもさらに上にのし上がる事が出来る。忌々しく醜いあの魔獣共を排斥し、人間による支配を確立し、自らがその先陣に立てるのだ――などとうわぁ小物だと言える妄想を膨らませていたジャミバ卿は、窓ガラスの向こうに、なにか巨大な影を確認した。
何だ、この至福の時に生意気な……などとこれまた小物な事を考えながら椅子から立ち上がり、そちらの方をよく見つめた瞬間――!
屋敷を猛烈な振動が襲った。
――――――――――――――
「命の〇〜〇〜〇〜ッ♪」
相変わらずどこで知ったか知らない歌を歌いながら暴れまわるヴァン。その遥か後ろでは……。
「……何故こんなにも人通りが少ないんだ……?」
領主の屋敷に続く大通りに全く人通りが無いことを不思議に思うガラと、
「多分だけど、みんなお祭りに行ってるからじゃないかな?」
その場で想像しうる真っ当な結論を告げるノアがいた。
軽く風を切る速度で走るヴァンが町に起こした被害を最小限度に留めるために、通り道の道路を軽く整備しているのだ。ちなみに領主の屋敷は無視するつもりらしい。
人一人くらい撥ね飛ばされているかもしれない……などと考えていたが、意外なことに昼過ぎだというのに外に人の姿が全く見えなかったのだ。
「……そんなものなのか?」
訝しげに辺りを見回すガラだが、店に貼られた紙に『本日、絡繰祭のため臨時休業』などと書かれているのを確認すると、ため息と共に肩を落とした。
「……まぁ祭りには出店も必要だろう。それなら仕方ない、か」
ならば、せめて町の修繕でも進めようか……そう一歩踏み出し――、
「――臥せろっ!」
――言うが速いか、ノアと同時に地面に伏せた。次の瞬間、石畳に刺さる弓。逃げ出す足音が二つ。。
「ノアっ!」
ガラはノアに一声叫ぶと、それを受けてノアは飛び上がり、屋根の上を走り最短軌道で逃げた人々の場所へと駆ける。
着地した場所で確認できたのは、年齢にして二十代前半か中盤の男性二人。ただしいかにも不良やごろつきと言った方が良い外見をしていたが。
「……この魔獣がっ!」
憎き対象――というより、ただ一方的に殺られるべき対象が自分達に歯向かおうとする様に憤慨した男達が、ノアに矢を放とうと弓を構えた……その時には既に遅かった。
「――やぁっ!」
相手の懐に一瞬で近付き、そのまま両腕でラリアット。身長の低いノアだが、その腕は弓をへし折りながら相手の喉仏を正確に捉えていた。そのまま首を締め付けるような速度で走り、前方で待ち構えるガラに向けてその腕を振り抜いた。
吹っ飛んだ状態で投げられたチンピラ二人が丁度重なる位置で、ガラは片腕で一人の男にラリアットをかました。既に時速20km/h近くの速度で宙を飛んでいた男は、一気に真逆方向に体を振られ――真後ろの男と強烈な頭突きを交換することとなった。そのままラリアットをまともに食らった男は気絶。もう一人の男は――頭を押さえながら視線を上げ……硬直した。
一本道の街道を振り返ると、そこには既に臨戦体勢に入ったノアが見え……さらに硬直。
ノアは明らかに不機嫌そう……と言うより呆れと言うか、哀れみにも似た視線が彼女の瞳に見てとれた。恐らく、さっきの一言が効いているのだろう。
「さて、質問の時間だ。黙秘権はないから心しておけ」
ノアの発する気配を読みながら、ガラは厳しい視線をチンピラに向ける。それだけで竦み上がるチンピラ。
「まず一つ。――何故俺達を殺そうとした?」
答えない――いや、答えられない。身を縮め狩人に命乞いするような目線を投げ掛けるチンピラ。恐怖のせいで声帯は振動することすら出来ずにいた。
「……お兄ちゃん?ポキン式?」
熱を感じさせない声で尋ねるノアに、ガラは無言で頷いた。
ポキン式と言う訳の分からない単語にさらなる恐怖を覚えたチンピラだが、その意味をすぐに知ることになった――体で。
ポキン
「ギ、ギャアアアアアアァッァッアアアアあっアアアアア!?」
「まずは左小指。次は右だな」
表情一つ変えず、右手の小指に手をかけようとするガラ。その動作に躊躇いはない。
痛みのあまりじたばたもがく体を、ノアは同じように冷たい表情で見つめながら押さえ込む。
「もう一度聞こう。どうして俺達を殺そうとした?」
ぐぐ……と逆向きに曲げられていく小指に、恐怖の臨界点を越えたのだろう。赤子のように泣きわめきながらチンピラは喚き出した。
「ば……バケモンと一緒に行動するなんざ正気の沙汰じゃねぇだろ!魔王に魂を売ってんのか!?こ……この辺りじゃ魔物は仲間ごと殺しても罪になんねぇどころか褒賞金すら貰えんだよ!さらに匿った家を密告すりゃ金は倍だ!あの熊男も仲間かなんだか知らねぇがバケモンを庇いやがって!命をとらねぇだけ安心しろ――」
ドゴォッ!
「やげぉっ!」
「……お兄ちゃん、もう、いいよね……?」
訊くより先に、ノアは強烈な蹴りをチンピラにお見舞いしていた。良質の筋肉の集合体であるワーウルフの脚から繰り出される必殺の蹴りは、チンピラの内臓に食い込むほどに強力で、受けたチンピラの意識をコンマ数秒で吹き飛ばした。
「……あぁ……」
いつになく無言なノア。その気持ちは当然ガラも察している。だからこそ、突然ガラに抱きついてきても、何も咎めはしなかった。
静寂が戻った町並み。破損した煉瓦がずり落ちてノアの背中に落ちる。着地の際に割れた石畳の上、ノアはぽつりぽつりと、絞り出すように話し出した。
「……人間って、魔物って……何なんだろうね……何が違うんだろうね……?生きてるだけじゃダメなのかな……解り合えないのかな……?」
「…………」
ガラは何も答えず、ただ話を聞いていた。ただ、ノアを抱く腕の力を少し強めていた。
「コールさんのところみたいに、二人仲良くやっているところもある。依頼主のブロックスさんみたいに、商売で付き合っている人もいる。私、それが当たり前のように感じてた。知性とか、理性とか、それがあれば分かり合えるものなんだと思ってた。少し人と違うだけで、人と変わらないんだって分かってくれるって思ってた……。
でも……でも……っ……」
あの必要以上に冷たい視線の意味は――衝撃。人ではないという、ただその一点で殺されかけるという、元々人間だったノアには存在を揺らがせられるような体験。
ヒト、マモノ。その狭間。
「……ノア……」
ガラはしばらく胸でノアを抱き留めると、彼女が落ち着いてきたところで離した。胸元は、幽かに濡れた痕が残っている。
ゆっくりと呼吸をしてから、ノアに言い聞かせるように、口を開いた。
「……確かに、存在そのものを否定しようとする存在は居る。それは人の間でも起こりうることだ。肌の色、話す言葉、出身地……違いは沢山あり、そこに差別は生まれる。そうして分けなければ人間はどうしようもなかったのかもしれない。
全ての人が、お前を理解してくれるわけではないだろう。だが――
――だが、ノア。大切なのは、お前がノア=レギーアである、と言うことだ。ヒトやマモノ、バケモノじゃなく、'ノア'である、それが大切なんだ。
だから……種族がどうとか今は気にするな」
ヴァンが心配だ。早く行くぞと駆け出すガラの背中で、ノアは小さく、ありがとうと呟くと、石畳が割れた地面を蹴り、ガラの元へと追い付くために駆け出した……。
――――――――――――――
「なっ!なななななななななな何が起こったっ!?」
突然爆発にも似た音が屋敷から発生し、狼狽えるジャミバ卿。高級なカーペットをくしゃくしゃに踏み締める程に動き回りながら、呼鈴で衛兵を呼ぶ。数刻後、到着した衛兵に怒鳴り付けた。
「一体何が起こっているッ!」
「そ……それが捕らえていたサーカス団長と魔物の元に一匹のワーウルフが」
「えぇい止めよ!場合によっては殺しても構わん!」
「ですが貴重な調度品を傷つけるなとの命令は」
「殺害が最優先だ!とっとと――」
最後まで発する筈だった声は、背後のガラス破壊音に止められた。
盛大な音を立てて弾け飛ぶガラス。昼過ぎの斜陽を受けてキラキラと輝くそれを纏いながら部屋に飛び込んできたのは――ブロックスとテュホンだった。だが……その姿を目にした瞬間、ジャミバ卿は大きく震え出した!
「お……お、お、おま、おま、お前はははっ……」
そんな様子を気にするでもなく、ブロックスはジャミバ卿に近付いていく。
「どうも。お噂は予々耳にしております、ブロックス=モーシュでございます。どうぞよしなに」
ガラスが敷かれたカーペットを踏み締め、服や髪に着いたガラスを軽く払って落とした後、にこやかな笑顔を見せた。
だがその笑顔にも……いや、笑顔だからこそジャミバ卿はさらに恐怖の色を強くした。
「ブ……ブロックスだと!?嘘をつけ!貴様はマト――」
「ブロックス、ですよ。どこにマト、なんて文字が入りましたか?」
圧力をかけるように、近付くブロックス。怯えきったジャミバは衛兵に怒鳴り付けた。
「衛兵!何ぼさっとしておる!この不届き者を叩き出せ!」
「は――ハッ!」
突然の茶番に呆然としていた衛兵達が我に還った。どんな状況でも、突然の大声は我に還す手段として最適らしい。だが――タイムラグがありすぎた。
「『風鎖(ウィンドチェイン)』!」
可愛らしい女性の声、それが部屋に響き渡った瞬間――割られた窓から猛烈な風が吹き、衛兵を部屋の壁に押し付けた!石で出来た壁に、まるで貼り付けられるような姿勢のままで、衛兵の動きは封じられた。
「ナイス、テュホン」
「えへへぇ♪」
近くにのこのことやって来たテュホンの頭を優しく撫でると、ブロックスはそのままジャミバの方に手を置いた。直ぐ様払い除けようとするジャミバ。
「ふっ、触れるな汚らわしい!汚らわしい魔物に触れた手で私に触れるなっ!」
だが、払い除けようと出した手はすぐに逆腕にとられた。肘間接を極めるサブミッションを用いて、ジャミバの動きを封じるブロックス。念のため、テュホンが魔法を使って逃走経路を塞ぐなどしている。
ジャミバの悲鳴をBGMに、ブロックスは耳元で語りかける。
「さて、話を聞きましょうか。どうして僕の商売……は兎も角享楽の宴をこうも無粋に邪魔してくれましたか……その理由を聞きたいところですが如何でしょう」
返答は一瞬だった。
「黙れ魔王の尖兵め!この人が治めるべき地に侵略せし悪魔の手先めが!私に触れるでない話すでない!あぁ臭い臭い硫黄臭いわ!硫黄の臭いがプンプンしおるわ!」
何とも分かりやすい罵詈雑言である。さらに口を開くジャミバ卿。
「しかも手先と共に享楽じゃと!?遊戯じゃと!?信じられんわ!悪魔の手先は悪魔共々滅びるがいい!地下に閉じた魔物使いの熊男かて、魔物共々直ぐ様殺してしまいたいくらいだわ!」
並々ならぬ憎しみを募らせた口調で叫ぶジャミバ。その発言を聞いた後、ブロックスは悪罵を全く聞いていなかったテュホンに、耳打ちすると、開いたままの窓から飛び立たせた。
「……さて」
その後、ジャミバに向き直るブロックス。その顔は相変わらず笑顔である。だが――ジャミバは気付かない。いや、気付きはしない。彼が致命的な一言を、既に口にしてしまったことを……。
「――貴様は領主として不適格なようだ」
ブロックスの口調から、敬語が消えた。その言葉をジャミバが理解する前に矢継ぎ早に言葉を発していく。
「全く、あいつから聞いていたとはいえとんだ下衆だな貴様。手ェ下さなきゃなんねェ事はしてんだが俺様が直々下さなくともこの分じゃァ先も長くねェだろ。興を冷ますッてなレベルじゃねェ。雪女の浮気の仕打ちの方がまだ暖かいくらいだぜ」
「な……何じゃとこの人でなしが!同じ人なら人を庇う筈であろう!」
先程よりは力を入れていない筈のブロックスだが、ジャミバは抜け出すことが全く出来なかった。
「庇うッてのと、守るッてのは違うぜ?貴様は人を庇うようだが、どんな悪人でも'庇う'んだろ?」
「あんな木偶共、魔物共を殺させるための道具でしかないわ!ちょいと金を出せばホイホイついて来おるからな!」
痛み分けなら最良、殺されたら戻って来ない、殺したら魔物が一匹減る。どの結果でもジャミバにとっては最善のものだ。だが、それを怒りに委せて口にしてしまったこの男は――。
「――ふゥん」
心からの、侮蔑。サブミッションを外し、ジャミバにくれてやるものなど、ブロックスにはそれ以外無かった。
心の底で燃える冷たい炎。それは辺りの空気すら凍らすような気配をブロックスに与える。ジャミバは怒りと怯えが半々に、顔を赤青点灯させながら逃げ出そうとしたが、足がすくんだように動けなくなっていた。衛兵は――既に気絶している。ブロックスの強烈な気配に当てられたのだ。
「そうか、そうか。つまり貴様はそんな奴なんだな……」
その言葉がジャミバの耳に入ったかは知らない。何故なら――言い終わる頃には、ブロックスの爪先は男の顎を破壊する勢いで蹴り上げていたのだから。
叫び声すら上げることなく、地上に倒れ伏すジャミバを蔑みの目で一瞥すると、ブロックスは窓の外を眺めながら、自嘲気味に呟いた。
「……まぁ、こんな入り方した時点で、この発言に説得力もへッたくれもねェんだがな」
硝子一つ無い窓が、静かに風を吹き付けていく……。
――――――――――――――
「……ありがとよ」
差し出されたテュホンの頭を撫でながら、ガラは『風囁(ウィンドウィスパー)』で聞かされた発言を頭の中に刻み込んだ。罵詈雑言の塊の最後に洩らした、あまりにも呆気ない手掛かり。だが、それでも十分な情報だった。
「どういたしまして〜♪」
どこまでも能天気と言うか、無邪気な声でテュホンは返すと、そのまま飛び去ってしまった。多分ブロックスを迎えに行くのだろう。
ならばこちらも――ヴァンを迎えに行く必要がある。
「――ノア」
「――うん、お兄ちゃん」
二人は構え――駆け出した。
――――――――――――――
「はっはは〜♪それ1up!1up!1up合わせて何up〜?」
左上にBASA〇Aとか、右上にSty〇ishとか表示されそうな勢いで門番や壁、ゴーレム(Not娘)を次々と破壊していくヴァン。調度品を盾にしたり、天井を足場にしたりと、まさにやりたい放題忍者アクションじみた移動をしている。魔法使いは吹き飛ばした一般兵を当てた後気絶するという無茶な戦法も取りながら、確実に地下に向かっていた。
「あぁもぅ魔法臭ってこれだから嫌いだ!鼻が痛くなるっ!」
正確には魔法臭と言うより、魔法を中断されたことにより空気中に残存した魔力の気配なのだが。鼻が利くワーウルフには少々鼻が痛くなる程度の濃度にはなっている。
その中から何とか匂いをかぎ分け――ついに目的地に辿り着いた。無論、その間に門番を何人か倒していたりするが。
「しっかし妙な門番だったな〜。みんな服が違うじゃん。何故かぼろ切れが多いし……」
ヴァン、それ門番とちゃう、チンピラや!
「……おじさんが、サーカス団長?」
ヴァンの前には、『あぁ、これが熊男という種族か……』と区分されてもおかしくない外見をした男が一人、衰弱した赤スライム娘を介抱していた。
ヴァンを見つめる団長の瞳は、まだ力を失っていなかった。
「いかにも。私が幻想庭園『ティル・ナ・ノーグ』の団長、マーク・レラツだ」
幻想と、顔に似合わぬ言葉に思わず吹きそうになるのをこらえながら、ヴァンは牢獄の鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
カチリ、と音がして外された鍵。扉を開くと、マークは驚きの顔を浮かべた。
「その鍵は……と言うより君は……?」
「鍵?あそこに引っ掛かってたもの。鍵穴は全部一緒っぽかったし適当に入れてみた。アタシは依頼主さんからの依頼でおじさんを助けに来たのってかおじさんがいないとサーカスが出来ないじゃんかさ!アタシ楽しみにしてんだから帰るよ!立てる!?」
何とか立ち上がったマークは、赤スライム娘に腕に巻き付いてもらうと、ゆっくりと立ち上がり、軽く屈伸運動をした。そのまま伸びをして体を解すと、牢獄から一歩足を踏み出した。
「……礼を」
「あぁもぅそんなのは後々今は兎に角ずらかるよっ!」
礼の言葉を遮るように、ヴァンはマークの腕を引き、高速で駆ける。その進路には――当然誰もいない。貴重な調度品は兵士の手によって壊されていたが。
「あぁもぅっ!壊すなら一個ぐらいアタシに頂戴よぉっ!」
わざとかは知らないが、半泣きの声で叫ぶヴァンに、マークは「それは泥棒だろ……」と思わず呟いたが、それを聞いたのは腕にしがみつく赤スライム娘だけだった……。
――――――――――――――
「マト〜♪終わったよ〜♪」
ふらふらと、ジャミバ卿宅の壊れた私室窓に着地するテュホン。バランスを崩して倒れそうになるところを、ブロックスは手を出して支えた。
「……ッと、その呼び方は仕事後に、『誰も』いない場所でして欲しいよ」
先程までの様子とはうって変わった、柔和さすら感じられる声でテュホンに話しかける。同時に優しく頭を撫でた。その行為が気持ち良いのか、テュホンは「ぴゅう……」とため息を漏らす。
「お疲れ様、テュホン。協力、ありがとうね」
「ぴゅう……どういたしまして♪」
労いの言葉に、テュホンは笑顔で返した。
――――――――――――――
『Ladies And Gentlemen!一夜限りの幻想境、ティルナ・ノーグにようこそぉ!私、団長のマークと!』
『アシスタントのスライムベス、マネージが!』
『『オープニングを勤めさせていただきます!みんな〜!準備はいいかな〜!』』
「「「イェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェィ!」」」
団長を無事、日が暮れる遥か前に送り届けた一行は、依頼分の給料を受け取った後、公演のチケットを人数分渡された。団長曰く、「お金を渡してハイサヨナラじゃ、あまりにも冷たい。せめて仕事以外でも私達の事を覚えていって欲しいからね」とのこと。
さすがに最前列は既に売り捌かれていたので、中段よりやや後ろの――全体が見渡せる位置のチケットを渡された。そして今――。
「――凄い人だな」
「――うん」
――興奮の坩堝にある客を眺めながら、その興奮に取り残されたようにガラとノアは呟く。尤も、ノアの方は既に精神はティルナ・ノーグに行ってしまっているが。ヴァンに至っては既に他の客と同化している。
派手なライトアップ(絡繰師による力作)、舞台の上で目まぐるしく入れ替わる人、魔物、人、魔物……。飛び交う技、歓声――そして道化師の滑稽な演技を幕間に。その全てが遠くの人に演技が見えるように双眼鏡(オペラグラスサイズ)を無料で配る辺り、団長の人の良さが窺える。
気が付けば――、ガラも客の一員として歓声をあげていた。
――――――――――――――
「――祭りッてなァこうじゃなくちゃァな」
ガラのいる場所の上空、星々が煌めくなか、隙間の闇に紛れるようにブロックス=モーシュはいた。『浮遊(レビテイト)』の呪文を使って、席の場所をとらずに演技を見ていたのだ。
「わ〜♪」
テュホンはその横で、興奮気味にワーウルフと人間が繰り広げる火の輪潜りを眺めている。鳥目――ではなかったらしい。何でもよく誤解されるのは、別に殆どのハーピーは鳥目でもなんでもないという。
「鳥目なのは、コカトリス族くらいなのか〜♪」
何故か手を真横に広げ、十字架っぽいポーズをとりながら言っていたのがブロックスには気になったが、まぁ気にしないことに決めた。
「……さて、グラン・フィナーレ、か……」
空中ブランコをマネージと副団長(ピエロ)が跳ぶ様を見つめながら、ブロックスは何の気も無しに呟いていた。
既にブロックスは、弟に頼む事を一通りメモした羊皮紙を弟の部屋に放り込んだ。兄より優秀な弟は、それをそつなくこなすだろう事を理解して。そして――、
「……この後、いつ解放されんのやら……なァ」
興奮したテュホンが放つ発情フェロモン。当人としては普段通り甘えていたつもりの馬車内で、既に発情期の予兆はあった。それに気付かぬまま共に一仕事して、窓枠に飛び移り損なったことで確信した。普通、木の枝に乗ることに慣れているハーピーが、枠に掴まってつんのめる事など、億が一にも有り得ない――普通なら。
だからこそブロックスは、わざわざ魔法を使ってテュホンの視界に入る場所にいたりする。ティルナ・ノーグの終わり、それがテュホンの行動開始の合図なのだから。
「……お?」
と、ブロックスは客席の中に見覚えのある姿らしきものを見つけた。最前列、軽装備の騎士と服を着ている女性が、演技に夢中になっている姿だ。二人とも――どちらかと言えば落ち着いて眺めている感じの。
「……ふふッ、そうかィ、成就したんだなァ」
かつて見ていた、恋する少女の瞳を思い出しながら、ブロックスは今にも終わりの時を迎えそうな巨大トランポリン演技を眺めていた――。
――――――――――――――
『ティルナ・ノーグから戻った者達は、時がいつの間にか過ぎたことに気付く。
元の世界への別れの餞別に、森の緑に染まる羽が、空を舞う。手にしたものは、孤独ではなくなるだろう』
fin.
09/11/10 21:30更新 / 初ヶ瀬マキナ
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