『生きてこそ』
――ねぇ、カジゥ。
――なぁに、ママ。
――聞いてほしいことがあるの。いいかしら?
――うん、ママ。
――いい子ね。ママは嬉しいわ。
――どうしたの?ママ。何か変だよ?怖いよ。
――……カジゥ。これから話すことは、ママがお母さん、つまりカジゥのお婆ちゃんから聞いた話で、お婆ちゃんもそのママ、つまり私のお婆ちゃんから聞いた、ずっとずっと語り継がれてきた言葉なの。
――ママのママのママの……ずっと前のママから?
――そうよ。それだけ大切なことなの。だから……心のどこかで、大切に持っていて欲しい事なのよ。
――……うん、ママ。
――カジゥは偉いわね。それじゃあ、話すわ。この場所に言い伝えられる、大事な大事な言葉を……。
――――――
「ヘリシカ!ヘリシカぁっ!」
山の中腹、平らな高原に設けられた避難場所にいる旦那を発見できたのは、もうじき夕暮れが誰もかも分からなくしてしまう頃合いだった。
山に実りをもたらす為に行う枝の間伐を行う私の旦那を見送り、ブラックハーピー達に頼まれていた産着を縫っていた私――ヘリシカは、昼過ぎに突然起こった、山を崩すような揺れに慌てて住処にしていた洞窟から二人分の避難用具を手にとって、山の上に駆けていった。雪山暮らしに特化した魔物であるイエティの筋肉は、火事場の馬鹿力によって瞬く間に避難所まで私の体を押し上げていく。
ここまで来れば大丈夫だ……そう私が振り返った、その視線の先、旦那達が木々を整然と均したから透いて見える、海に程近い町並みは……。
「――!!!!」
見るも無惨、と評するしかない有様だった。酷い、それ以外にこの視界に広がる惨状を語ることが出来るだろうか。ポセイドンが乱心を起こしたか、或いは主審の尖兵によって深手を負い、海のコントロールを失ったか、そうとしか考えられないような状況。濁った灰色と黄土色の塊が、人と魔物の営みを全て押し流していく。歴史を、象る建物を、紡ぐ人を問わずまっさらにしていく。
山に迫る津波を前に、私は、ただ旦那のことが心配で、気が気でならなかった。幸いなのは今日の担当場所が私達の家よりも高い位置に生えている木である事だったけれど、地震のせいで地滑りでも起きたら、いや、そもそも振り落とされて落ちて背骨を折ったりしたら――!
けれど、この辺りの集合場所はあくまでここであり、既にハーピー族の魔物達が動いていて、避難所でも生存者と不明者の確認が行われている以上、迂闊に動くわけにはいかなかった。
それに、この場所に私が暮らす以上、知っておかなければならない言葉があり、それを破ることは旦那を裏切ることになる。それは旦那を何より愛し、信頼している私からすれば到底許されることではない。
旦那の無事を信じ、この場で待つこと、それが私に出来ることだった。
そうして避難所で待った四時間は、今まで旦那と共に過ごした時間のどれよりも長く、そしてもどかしくあった。
だから、這々の体で山を上がってきた旦那の姿が見えたとき、私は旦那に向かって駆け出すことを抑えられなかった。
「あんたぁっ!あんたぁぁっ!」
こうして二人、無事に会えたことが嬉しくて、私達はただ抱き合って心落ち着くまで互いの無事を分かち合っていた。まだ妻や夫に会えない人がいるけれど、抑えきれなかった。
イエティはまず肌での触れ合いがコミュニケーションの基本だ。それすら出来ないことが、どれだけ苦しいことか、寂しいことか、心細いことか……。
数分経って落ち着いたところで、私達は改めて何が起こったのか、情報を確認することにした。
まず、私達が住むこの領を前代未聞の規模の地震が襲ったこと。さらに、地震が大津波を起こし、沿岸の生活区域はほぼ全壊。既に夜に近いこの時間では、生存者の探索も難しいということ……。
今は洞窟に住むワーバット達が、夜目の利きづらいハーピー族に代わって超音波で探しているらしい。地上作業部隊も、時折思い出したように襲い来る揺れに警戒しながら、ドワーフ特製暗視鏡(ドワーフの目のメカニズムを解析利用し云々)を使って不明者捜索に乗り出している。
私達に何か出来るのか。旦那と確認した私は、生存者の確認を行っているアヌビスのお役人様に地上部隊への参加を申し出た。
アヌビスは小考の後、私達に暗視鏡を手渡した。食糧の配給があるので、日が出るまでには戻るように、との言葉と共に。
「……あんた……」
「……」
山を降りる間、旦那は一言も話さず、辺りを見渡していた。余震による津波はまだ確認されていない。確認されたらまず確実にワーバットの皆さんが山中に響き渡るような声で叫んでいる。必ずそれが来るとわかっているから、旦那はただ私の手を取り、辺りを集中的に見回していた。
幾つかの木々が地滑りを起こした他は、幸いな事に山に被害は無かった。植物系の魔物娘、特にドリアードの皆さんが頑張ってくれたのが大きい。根や枝で絡み合って地面深くに伸びて支えて、そうして大半の木は生き延びた。とはいえ、一部年を召した大樹や若木が崩れてしまったのは避けようがなかったらしい。(と、耐久活動を指示したドリアードは私達に語ってくれた。全員助ける事は、難しかったらしい)。
これから少しずつ、森を回復させていく事だろう。ドリアードとの会話で彼女達の思いを知り、簡単なハグを済ませた後、私たちはさらに山を降りようとした。
そう。そのときに行き倒れていた子が一人、居たのだ。
着の身着のままで出て、一生懸命走ってきたのだろう。地面に生えた草や木の枝などで肌は傷つき、夜の寒さのせいで体温は下がりつつあった。木にもたれかかって弱弱しい呼吸を繰り返す、恐らく10歳かそこらの子。息がある……生存者だ。
私は迷うことなくその子を抱き締めて、旦那に顔を向けた。弱弱しい、けれどまだ確かな形を持つ脈動がこの子から私に伝えられていく。生きている。生きているのだ、この子は。
「――あんた……」
「ヘリシカ、この子を連れて、一旦戻ろう。この場にいても徒に衰弱させるだけだ」
旦那は私にそう告げると、そのまま私の体をぽん、と軽く押し、そのまま山を登っていく。私も旦那に促されるように、後を追っていったのだった……。
麓の町からこの山の中へ必死で逃げてきたこの子が意識を取り戻したのは、夜が明けるほんの少し前ほどであった。まだ体力が回復していないにも拘らず無理して起き上がろうとし、思うように動かない身体を支えきれずに地面に頭をぶつけそうになった。思うように眠れずに起きていた私は、咄嗟に彼を抱えて、優しく下ろしたのだった。
「無理しないで。何も食べていなかったんでしょう?まずはこれを食べて、ゆっくり休みなさい」
アヌビスから受け取ったベルフラウ印の非常食(主に乾パン、氷砂糖)及び水を彼に渡し、ゆっくりと口に含むのを眺めつつ、私は彼の言葉を待つ。乾パンを一口ざくりと、噛み締めるように口にし、嚥下。渇きを潤すように水をゆっくりと口にし、一息。
「……有難うございました。えぇと……」
「ヘリシカ、よ。貴方のお名前は?」
「カジゥ……です」
まだ本調子じゃないのか、たどたどしい言葉でそう返す彼の視線は、私ではなくその周囲へと向かっている。彼にしてみれば、気付いたら別の場所に居た、という事態になっているのだから、仕方ないのかもしれない。
「ここは避難所よ」
避難所、と私が口にすると、カジゥ君は一瞬安堵し、すぐに真顔になった後で、親がこちらに来ていないか、訊ねた。
親の名前を一通り聞いた後、私は彼を待たせ、アヌビスに彼らがこちらに来ているかを訊ねた。結果は……まだこの場所には来ていない、というカジゥ君にとっては残念な返答だった。
幾分かのオブラートに包んだ返答を私から聞いたカジゥ君は……、そのまま私に礼を告げると、暫く何か考え事をするかのように黙り、そのまま眠ってしまった。一人での助かるための山登りは、思った以上に彼の身体に負担をかけていたようだった。……ううん、彼だけじゃない。旦那もまた、深い眠りについている。普段なら、既に起きていてもおかしくない時間だというのに……。
「……」
ふぁ……、私も、眠くなってきちゃった……。
カジゥ君が無事に意識を取り戻した事から、私も安堵したのか、急に睡魔が襲ってきて……そのまま私も、眠りこけてしまった……。
そして、三人とも目が覚めて、暫く経った昼前。おきてからも色々と考えている素振りを見せていたカジゥ君は私達を呼び、そして……頭を下げた。
「――お願いします。一緒に探すのを、手伝わせてください。お願いします」
「どの辺りに何があったのか、どんな建物があったのか、分かります。足手まといにはなりません。ですから、お願いします。一緒に、連れて行ってください」
カジゥ君の目は、何処までも真っ直ぐで、自分が我侭を言っていることを分かっていて、それでも、といった感じだった。
大人としては、まだ危険な現場に一緒に行かせるべきではないのかもしれない。けれど、この子の感情を考えれば、いかせたいとも考えてしまう。待つだけの身は、辛いのだ。
「カジゥ君……」
大人としては、彼を止めて、安全な場所に置いておいた方がいいのかもしれない。二次災害に巻き込まれるかもしれない状況に置くことを、きっと彼の親は臨んでは居ないだろう。
けれど、カジゥ君の気持ちも分かるのだ。この場に留まって待つことしか出来ない、その無力感。今この場に居ない親を探したいという、純粋な思い。
「……」
旦那は、黙ったまま、カジゥ君を、その瞳を見据えていた。そのまま少し考え……目線をカジゥ君の高さにまで落として、言い聞かせるように告げた。
「……この先、どんな事があっても、どんな光景を見る事になっても、それを現実として受け入れること。その覚悟はあるんだよな?」
それは、カジゥ君の年齢からしたらとても厳しい要求だった。又聞きで聞いてしまえば誰かの嘘としてしまえることも、目にしてしまえばそれは否応なしに事実として認知せざるを得なくなる。そして、これから先。恐らく10かそこらの少年には受け入れがたい光景と『事実』が待っているのは間違いないのだ。
カジゥ君が、それに耐えられるか。もしくは耐えるつもりでいるのか。旦那はカジゥ君の本気を推し量ろうとしているのかもしれない。
「……はい」
だからこそ、彼が頷いて旦那の目を真っ直ぐ見たとき、旦那もそれを受けて、ゆっくり微笑み、頷いたんだろう。とはいえ、危険なことはさせないように、あくまで案内だけだぞ、と付け足すのも忘れてはいなかったのだけど。
こうして、私達夫婦と、カジゥ君による被災者探しは始まったのだった。
――――――
瓦礫の山。土台からもぎ取られた住居。中にあった物も跡形もなく流され埋もれた。これを天罰などと揶揄する輩がいるとすれば、一体どれだけの咎をこの住人は背負っていると認識しているのだろうとその認識の歪みを疑いたくもなる有様が、僕達の暗視鏡に映し出されている。
妻は既に言葉もない。顔は明らかに青ざめているのが分かる。僕はそんな妻の手を引きつつ、山を下り、既に波の引くどこの地平とも分からなくなってしまった町へと歩いていった。
「――大丈夫か、ヘリシカ」
「……ええ……」
「カジゥ君も」
「……大丈夫、です」
一人でも、いや、少しでも、生存者を見つけたい。僕達は、僕達に出来る範囲でやれることをやるしかない、逆に言えばそれしか出来ないと言うことでもあって……どうにももどかしいのはある。
でも、何か出来ないかと考えるよりも先に、今は命の灯火を守っていく必要がある。それを次世代に繋いでいくために。
再び起こる揺れ。僕達は津波に警戒しつつ、廃墟と化した麓の街の中、生存者を求めて歩き、首を、視線を巡らせ続けた。
凄惨な有様の街を何日も、僕達は進み、瓦礫の撤去などを手伝っていく。既にミノタウロスやホルスタウロス、オーガ等のパワーを持った魔物達が先行してこれらの仕事を行なっているが、まだまだ片付くのは当分先になると思われる。ヘリシカはイエティである。普段誰かを抱き締めるときはそこまでの力は出さないが、そもそも雪山の大男が変じた種族であるため、ミノタウロスクラスの力はある。そのため、瓦礫を一人で退けることなど実は造作もないのだ。
カジゥ君が案内し、ヘリシカが除け、僕が見る。誰かを発見したら辺りで発掘作業を進めている隊員を呼び、その後の現場は任せる。これが、僕らがこの場所で出来る事だった。本来なら、専門家に任せるのが良いのだろう。けれど、彼らが……いや、彼女らが来るまでの時間、私達は何が出来るのか。何かをせずにいられなかったのだ。
探す過程で、何人もの被災者……の遺体を見つけることになった。
――そうして数日経った夕暮れ時。そろそろ本日の捜索も終了しなければならないだろう時間。
「……そろそろ一度帰還しよう」
「分かったわ。でもその前に、あんた、この瓦礫だけどかしちゃうわね。すぐどかせそうだし」
了解、と僕は山の上の避難所に戻るための暗視ゴーグルなどを用意し、周りを改めて見回す。周りの捜索部隊も、続々と捜索を切り上げ、避難所へと戻っていく。見つけ出した生者も死者も連れて、彼ら彼女らは安全な場所へと再び戻っていく。
黄昏時。これ以上の捜索は難しいだろう。体力を回復して、体調を整えて、もう一度ここへ。避難所へと戻ろう。僕は二人にそう呼びかけようと口を開きつつ振り向き――。
「――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
屋根の面影を幽かに残した瓦礫、それを退かした妻の表情は……明らかに変化した。顔に青が差し、瞳孔は小さくなり、信じられないとばかりに口を覆っている。
瓦礫の下にあったもの、それは、恐らく迫り来る瓦礫に胸を貫かれ、全身を圧迫されて死亡したであろう、女性の死体であった。苦しみのなか亡くなったであろう彼女の顔は……しかし何処か何かを為し、そして祈るような力強さも含んでいた。何か……死の間際に何を……?
そこで初めて、僕はカジゥ君が先程から何一言も喋らないことに気付いた。
カジゥ君は信じられない、信じたくない、そんな感情を隠しはしなかった。けれど、抑えるので精一杯らしい。ゆっくり、搾り出すように、錆付いた心の弁を少しずつ開くように、音にした。
その絞り出した声に、僕は……ただ言葉を失っていた。
「……ママ……これ、……ママです……」
――――――
「……ママ……これ、ママです……」
カジゥ君が手で示す、その先。そこに"あった"のは、迫ってきた瓦礫によって胸を潰されただろう人間の女性の姿だった。苦しげな表情のまま、けれど何かを成し遂げたような顔で事切れた彼女を、カジゥ君はお母さん、だと言った。
「にげろ、って、やくそく、って、いっしょに、にげられなくって、ぼく、は、ママを、ママを……」
辿々しい、告白。それは何も知らない人からしたら、薄情、非常、人でなしと糾弾されるだろう代物だ。けれど、それを謗ることなど、私にも旦那にも出来ない。出来るはずがない。
カジゥ君の言う、『約束』。それがどれだけの思いの下で交わされたか。いや、交わされてきたことか。それを知る私達に、彼を責める事なんて出来はしない。
旦那……サクルさんは辺りを見渡し、既に他の探索者が山に戻ったことを確認していた。瓦礫だらけの風景の中、日が沈み行く夕暮れ。じきに、探索する事もままならなくなるだろう。準備を終えた旦那は……けれど私達を急かしはしなかった。
私は……ただカジゥ君を抱き締めることしかできなかった。
私の胸の中で、嗚咽を漏らすカジゥ君。小さい、一人で生きるにはあまりにも小さなその背中を、私はただ優しくさする。
「今は、泣いてもいいよ。泣いて、泣いて、泣いて……また笑顔になれるように生きようね。
あなたと約束をしたお母さんも、それを強く願っているわ」
悲しみを押し流すように、感情を全て涙に変えているかのように
嗚咽がすすり泣きに変わり、やがて寝息に変わるまで、私は彼を抱き締め、背をさすり続けた。
「……ねぇ、あんた……」
避難所に戻り、朝日が私達の体に輪郭を再び取り戻させる頃、私は旦那にこれからの事を聞く事にした。眠ることなんて出来なかった。
避難所に、彼の両親や親戚は見当たらず……一人はこうして、私達に居場所を明らかにしてしまったけれども……親が見つかるまでは天涯孤独ということになってしまう。
こんなに幼い子を、一人にして置ける筈がない。温もりの無い寒い世界においておく事など、私は私自身が許せなくなる。イエティ族は、温もりと愛情を尊ぶ魔物だ。一度でも抱いた力なき子を、愛無き場所に放すなど出来るはずもない……。
旦那は――そんな私の心などお見通しであった。昇り行く朝日を眺めながら、ゆっくりと私を抱き締めて、頷いた。
当然、「親が見つかるまで、そしてカジゥ君がそれを望むなら」と付け加えて。
――――――
――あれから、ボクは夫妻と一緒に、いや、町ぐるみ区域ぐるみで家族を捜したけれど、二年経った今も誰一人として見つかることはなかった。
いや、見つからなかった、というのには語弊がある。何人かは見つかったのだ。母さんを始め、父さん、お爺さん……みんな、物言わぬ躯と化していたけれど。
ただ、それすら幸運かもしれない。未だに、行方が分からない人や魔物達は沢山居るのだから。
そんな経緯もあって、頼るべき親戚も現れなかった……多分流されてしまった……ボクは夫妻の養子となることになった。ボクはよくあの日のママを思い出して夜に泣いていたらしいけど、ヘリシカ……お母さんがその度にボクを優しく抱き締めて、大丈夫、大丈夫だよ、と背中をさすってくれた。
ママの温もりと、お母さんの温もりが、少しずつ重なっていく。上書きされることは、もうないけれど、ボク自身がお母さんがお母さんになったことを、心の中で受け入れていくのが、何となく分かった。
……けど、甘えてばかりじゃいけないことも、ボクは分かっている。パパとサクルお父さんからも言われているし、何よりボクが、強く思っているんだ。
「親を見捨てるなんて、薄情じゃないのか?」
「見捨てて生き残ったのか。大したタマだな、吐き気がする」
災害を知らない場所からそんな言葉を投げ掛けられる人達や魔物達を見てきた。理想はいつだって綺麗で完璧なんだ。それは仕方ないこと。
けれど、完璧でないボクらは、完璧ではなく寧ろ不安定な場所で完璧でない命を紡ぐために、知恵を振り絞り、犠牲を出しながら"大切な言葉"に辿り着いたんだ。あの日、ママがボクに話した、ママも話されてきた、言葉に。
『津波が来たら、まずは自分で安全な場所へと逃げなさい。家族を助けようとか、そんな事は思わずに、兎に角生き延びることを考えなさい。
大丈夫、生きていれば、また家族で会えるからね』
ボクは結局会えなかったけれど、こうして生き延びている。
ママとの、先祖から続く約束を、ボクはしっかり守っている。
ボクは、ボク達は、生きるんだ。
次へと、命を紡いでいくために。
Fin.
――なぁに、ママ。
――聞いてほしいことがあるの。いいかしら?
――うん、ママ。
――いい子ね。ママは嬉しいわ。
――どうしたの?ママ。何か変だよ?怖いよ。
――……カジゥ。これから話すことは、ママがお母さん、つまりカジゥのお婆ちゃんから聞いた話で、お婆ちゃんもそのママ、つまり私のお婆ちゃんから聞いた、ずっとずっと語り継がれてきた言葉なの。
――ママのママのママの……ずっと前のママから?
――そうよ。それだけ大切なことなの。だから……心のどこかで、大切に持っていて欲しい事なのよ。
――……うん、ママ。
――カジゥは偉いわね。それじゃあ、話すわ。この場所に言い伝えられる、大事な大事な言葉を……。
――――――
「ヘリシカ!ヘリシカぁっ!」
山の中腹、平らな高原に設けられた避難場所にいる旦那を発見できたのは、もうじき夕暮れが誰もかも分からなくしてしまう頃合いだった。
山に実りをもたらす為に行う枝の間伐を行う私の旦那を見送り、ブラックハーピー達に頼まれていた産着を縫っていた私――ヘリシカは、昼過ぎに突然起こった、山を崩すような揺れに慌てて住処にしていた洞窟から二人分の避難用具を手にとって、山の上に駆けていった。雪山暮らしに特化した魔物であるイエティの筋肉は、火事場の馬鹿力によって瞬く間に避難所まで私の体を押し上げていく。
ここまで来れば大丈夫だ……そう私が振り返った、その視線の先、旦那達が木々を整然と均したから透いて見える、海に程近い町並みは……。
「――!!!!」
見るも無惨、と評するしかない有様だった。酷い、それ以外にこの視界に広がる惨状を語ることが出来るだろうか。ポセイドンが乱心を起こしたか、或いは主審の尖兵によって深手を負い、海のコントロールを失ったか、そうとしか考えられないような状況。濁った灰色と黄土色の塊が、人と魔物の営みを全て押し流していく。歴史を、象る建物を、紡ぐ人を問わずまっさらにしていく。
山に迫る津波を前に、私は、ただ旦那のことが心配で、気が気でならなかった。幸いなのは今日の担当場所が私達の家よりも高い位置に生えている木である事だったけれど、地震のせいで地滑りでも起きたら、いや、そもそも振り落とされて落ちて背骨を折ったりしたら――!
けれど、この辺りの集合場所はあくまでここであり、既にハーピー族の魔物達が動いていて、避難所でも生存者と不明者の確認が行われている以上、迂闊に動くわけにはいかなかった。
それに、この場所に私が暮らす以上、知っておかなければならない言葉があり、それを破ることは旦那を裏切ることになる。それは旦那を何より愛し、信頼している私からすれば到底許されることではない。
旦那の無事を信じ、この場で待つこと、それが私に出来ることだった。
そうして避難所で待った四時間は、今まで旦那と共に過ごした時間のどれよりも長く、そしてもどかしくあった。
だから、這々の体で山を上がってきた旦那の姿が見えたとき、私は旦那に向かって駆け出すことを抑えられなかった。
「あんたぁっ!あんたぁぁっ!」
こうして二人、無事に会えたことが嬉しくて、私達はただ抱き合って心落ち着くまで互いの無事を分かち合っていた。まだ妻や夫に会えない人がいるけれど、抑えきれなかった。
イエティはまず肌での触れ合いがコミュニケーションの基本だ。それすら出来ないことが、どれだけ苦しいことか、寂しいことか、心細いことか……。
数分経って落ち着いたところで、私達は改めて何が起こったのか、情報を確認することにした。
まず、私達が住むこの領を前代未聞の規模の地震が襲ったこと。さらに、地震が大津波を起こし、沿岸の生活区域はほぼ全壊。既に夜に近いこの時間では、生存者の探索も難しいということ……。
今は洞窟に住むワーバット達が、夜目の利きづらいハーピー族に代わって超音波で探しているらしい。地上作業部隊も、時折思い出したように襲い来る揺れに警戒しながら、ドワーフ特製暗視鏡(ドワーフの目のメカニズムを解析利用し云々)を使って不明者捜索に乗り出している。
私達に何か出来るのか。旦那と確認した私は、生存者の確認を行っているアヌビスのお役人様に地上部隊への参加を申し出た。
アヌビスは小考の後、私達に暗視鏡を手渡した。食糧の配給があるので、日が出るまでには戻るように、との言葉と共に。
「……あんた……」
「……」
山を降りる間、旦那は一言も話さず、辺りを見渡していた。余震による津波はまだ確認されていない。確認されたらまず確実にワーバットの皆さんが山中に響き渡るような声で叫んでいる。必ずそれが来るとわかっているから、旦那はただ私の手を取り、辺りを集中的に見回していた。
幾つかの木々が地滑りを起こした他は、幸いな事に山に被害は無かった。植物系の魔物娘、特にドリアードの皆さんが頑張ってくれたのが大きい。根や枝で絡み合って地面深くに伸びて支えて、そうして大半の木は生き延びた。とはいえ、一部年を召した大樹や若木が崩れてしまったのは避けようがなかったらしい。(と、耐久活動を指示したドリアードは私達に語ってくれた。全員助ける事は、難しかったらしい)。
これから少しずつ、森を回復させていく事だろう。ドリアードとの会話で彼女達の思いを知り、簡単なハグを済ませた後、私たちはさらに山を降りようとした。
そう。そのときに行き倒れていた子が一人、居たのだ。
着の身着のままで出て、一生懸命走ってきたのだろう。地面に生えた草や木の枝などで肌は傷つき、夜の寒さのせいで体温は下がりつつあった。木にもたれかかって弱弱しい呼吸を繰り返す、恐らく10歳かそこらの子。息がある……生存者だ。
私は迷うことなくその子を抱き締めて、旦那に顔を向けた。弱弱しい、けれどまだ確かな形を持つ脈動がこの子から私に伝えられていく。生きている。生きているのだ、この子は。
「――あんた……」
「ヘリシカ、この子を連れて、一旦戻ろう。この場にいても徒に衰弱させるだけだ」
旦那は私にそう告げると、そのまま私の体をぽん、と軽く押し、そのまま山を登っていく。私も旦那に促されるように、後を追っていったのだった……。
麓の町からこの山の中へ必死で逃げてきたこの子が意識を取り戻したのは、夜が明けるほんの少し前ほどであった。まだ体力が回復していないにも拘らず無理して起き上がろうとし、思うように動かない身体を支えきれずに地面に頭をぶつけそうになった。思うように眠れずに起きていた私は、咄嗟に彼を抱えて、優しく下ろしたのだった。
「無理しないで。何も食べていなかったんでしょう?まずはこれを食べて、ゆっくり休みなさい」
アヌビスから受け取ったベルフラウ印の非常食(主に乾パン、氷砂糖)及び水を彼に渡し、ゆっくりと口に含むのを眺めつつ、私は彼の言葉を待つ。乾パンを一口ざくりと、噛み締めるように口にし、嚥下。渇きを潤すように水をゆっくりと口にし、一息。
「……有難うございました。えぇと……」
「ヘリシカ、よ。貴方のお名前は?」
「カジゥ……です」
まだ本調子じゃないのか、たどたどしい言葉でそう返す彼の視線は、私ではなくその周囲へと向かっている。彼にしてみれば、気付いたら別の場所に居た、という事態になっているのだから、仕方ないのかもしれない。
「ここは避難所よ」
避難所、と私が口にすると、カジゥ君は一瞬安堵し、すぐに真顔になった後で、親がこちらに来ていないか、訊ねた。
親の名前を一通り聞いた後、私は彼を待たせ、アヌビスに彼らがこちらに来ているかを訊ねた。結果は……まだこの場所には来ていない、というカジゥ君にとっては残念な返答だった。
幾分かのオブラートに包んだ返答を私から聞いたカジゥ君は……、そのまま私に礼を告げると、暫く何か考え事をするかのように黙り、そのまま眠ってしまった。一人での助かるための山登りは、思った以上に彼の身体に負担をかけていたようだった。……ううん、彼だけじゃない。旦那もまた、深い眠りについている。普段なら、既に起きていてもおかしくない時間だというのに……。
「……」
ふぁ……、私も、眠くなってきちゃった……。
カジゥ君が無事に意識を取り戻した事から、私も安堵したのか、急に睡魔が襲ってきて……そのまま私も、眠りこけてしまった……。
そして、三人とも目が覚めて、暫く経った昼前。おきてからも色々と考えている素振りを見せていたカジゥ君は私達を呼び、そして……頭を下げた。
「――お願いします。一緒に探すのを、手伝わせてください。お願いします」
「どの辺りに何があったのか、どんな建物があったのか、分かります。足手まといにはなりません。ですから、お願いします。一緒に、連れて行ってください」
カジゥ君の目は、何処までも真っ直ぐで、自分が我侭を言っていることを分かっていて、それでも、といった感じだった。
大人としては、まだ危険な現場に一緒に行かせるべきではないのかもしれない。けれど、この子の感情を考えれば、いかせたいとも考えてしまう。待つだけの身は、辛いのだ。
「カジゥ君……」
大人としては、彼を止めて、安全な場所に置いておいた方がいいのかもしれない。二次災害に巻き込まれるかもしれない状況に置くことを、きっと彼の親は臨んでは居ないだろう。
けれど、カジゥ君の気持ちも分かるのだ。この場に留まって待つことしか出来ない、その無力感。今この場に居ない親を探したいという、純粋な思い。
「……」
旦那は、黙ったまま、カジゥ君を、その瞳を見据えていた。そのまま少し考え……目線をカジゥ君の高さにまで落として、言い聞かせるように告げた。
「……この先、どんな事があっても、どんな光景を見る事になっても、それを現実として受け入れること。その覚悟はあるんだよな?」
それは、カジゥ君の年齢からしたらとても厳しい要求だった。又聞きで聞いてしまえば誰かの嘘としてしまえることも、目にしてしまえばそれは否応なしに事実として認知せざるを得なくなる。そして、これから先。恐らく10かそこらの少年には受け入れがたい光景と『事実』が待っているのは間違いないのだ。
カジゥ君が、それに耐えられるか。もしくは耐えるつもりでいるのか。旦那はカジゥ君の本気を推し量ろうとしているのかもしれない。
「……はい」
だからこそ、彼が頷いて旦那の目を真っ直ぐ見たとき、旦那もそれを受けて、ゆっくり微笑み、頷いたんだろう。とはいえ、危険なことはさせないように、あくまで案内だけだぞ、と付け足すのも忘れてはいなかったのだけど。
こうして、私達夫婦と、カジゥ君による被災者探しは始まったのだった。
――――――
瓦礫の山。土台からもぎ取られた住居。中にあった物も跡形もなく流され埋もれた。これを天罰などと揶揄する輩がいるとすれば、一体どれだけの咎をこの住人は背負っていると認識しているのだろうとその認識の歪みを疑いたくもなる有様が、僕達の暗視鏡に映し出されている。
妻は既に言葉もない。顔は明らかに青ざめているのが分かる。僕はそんな妻の手を引きつつ、山を下り、既に波の引くどこの地平とも分からなくなってしまった町へと歩いていった。
「――大丈夫か、ヘリシカ」
「……ええ……」
「カジゥ君も」
「……大丈夫、です」
一人でも、いや、少しでも、生存者を見つけたい。僕達は、僕達に出来る範囲でやれることをやるしかない、逆に言えばそれしか出来ないと言うことでもあって……どうにももどかしいのはある。
でも、何か出来ないかと考えるよりも先に、今は命の灯火を守っていく必要がある。それを次世代に繋いでいくために。
再び起こる揺れ。僕達は津波に警戒しつつ、廃墟と化した麓の街の中、生存者を求めて歩き、首を、視線を巡らせ続けた。
凄惨な有様の街を何日も、僕達は進み、瓦礫の撤去などを手伝っていく。既にミノタウロスやホルスタウロス、オーガ等のパワーを持った魔物達が先行してこれらの仕事を行なっているが、まだまだ片付くのは当分先になると思われる。ヘリシカはイエティである。普段誰かを抱き締めるときはそこまでの力は出さないが、そもそも雪山の大男が変じた種族であるため、ミノタウロスクラスの力はある。そのため、瓦礫を一人で退けることなど実は造作もないのだ。
カジゥ君が案内し、ヘリシカが除け、僕が見る。誰かを発見したら辺りで発掘作業を進めている隊員を呼び、その後の現場は任せる。これが、僕らがこの場所で出来る事だった。本来なら、専門家に任せるのが良いのだろう。けれど、彼らが……いや、彼女らが来るまでの時間、私達は何が出来るのか。何かをせずにいられなかったのだ。
探す過程で、何人もの被災者……の遺体を見つけることになった。
――そうして数日経った夕暮れ時。そろそろ本日の捜索も終了しなければならないだろう時間。
「……そろそろ一度帰還しよう」
「分かったわ。でもその前に、あんた、この瓦礫だけどかしちゃうわね。すぐどかせそうだし」
了解、と僕は山の上の避難所に戻るための暗視ゴーグルなどを用意し、周りを改めて見回す。周りの捜索部隊も、続々と捜索を切り上げ、避難所へと戻っていく。見つけ出した生者も死者も連れて、彼ら彼女らは安全な場所へと再び戻っていく。
黄昏時。これ以上の捜索は難しいだろう。体力を回復して、体調を整えて、もう一度ここへ。避難所へと戻ろう。僕は二人にそう呼びかけようと口を開きつつ振り向き――。
「――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
屋根の面影を幽かに残した瓦礫、それを退かした妻の表情は……明らかに変化した。顔に青が差し、瞳孔は小さくなり、信じられないとばかりに口を覆っている。
瓦礫の下にあったもの、それは、恐らく迫り来る瓦礫に胸を貫かれ、全身を圧迫されて死亡したであろう、女性の死体であった。苦しみのなか亡くなったであろう彼女の顔は……しかし何処か何かを為し、そして祈るような力強さも含んでいた。何か……死の間際に何を……?
そこで初めて、僕はカジゥ君が先程から何一言も喋らないことに気付いた。
カジゥ君は信じられない、信じたくない、そんな感情を隠しはしなかった。けれど、抑えるので精一杯らしい。ゆっくり、搾り出すように、錆付いた心の弁を少しずつ開くように、音にした。
その絞り出した声に、僕は……ただ言葉を失っていた。
「……ママ……これ、……ママです……」
――――――
「……ママ……これ、ママです……」
カジゥ君が手で示す、その先。そこに"あった"のは、迫ってきた瓦礫によって胸を潰されただろう人間の女性の姿だった。苦しげな表情のまま、けれど何かを成し遂げたような顔で事切れた彼女を、カジゥ君はお母さん、だと言った。
「にげろ、って、やくそく、って、いっしょに、にげられなくって、ぼく、は、ママを、ママを……」
辿々しい、告白。それは何も知らない人からしたら、薄情、非常、人でなしと糾弾されるだろう代物だ。けれど、それを謗ることなど、私にも旦那にも出来ない。出来るはずがない。
カジゥ君の言う、『約束』。それがどれだけの思いの下で交わされたか。いや、交わされてきたことか。それを知る私達に、彼を責める事なんて出来はしない。
旦那……サクルさんは辺りを見渡し、既に他の探索者が山に戻ったことを確認していた。瓦礫だらけの風景の中、日が沈み行く夕暮れ。じきに、探索する事もままならなくなるだろう。準備を終えた旦那は……けれど私達を急かしはしなかった。
私は……ただカジゥ君を抱き締めることしかできなかった。
私の胸の中で、嗚咽を漏らすカジゥ君。小さい、一人で生きるにはあまりにも小さなその背中を、私はただ優しくさする。
「今は、泣いてもいいよ。泣いて、泣いて、泣いて……また笑顔になれるように生きようね。
あなたと約束をしたお母さんも、それを強く願っているわ」
悲しみを押し流すように、感情を全て涙に変えているかのように
嗚咽がすすり泣きに変わり、やがて寝息に変わるまで、私は彼を抱き締め、背をさすり続けた。
「……ねぇ、あんた……」
避難所に戻り、朝日が私達の体に輪郭を再び取り戻させる頃、私は旦那にこれからの事を聞く事にした。眠ることなんて出来なかった。
避難所に、彼の両親や親戚は見当たらず……一人はこうして、私達に居場所を明らかにしてしまったけれども……親が見つかるまでは天涯孤独ということになってしまう。
こんなに幼い子を、一人にして置ける筈がない。温もりの無い寒い世界においておく事など、私は私自身が許せなくなる。イエティ族は、温もりと愛情を尊ぶ魔物だ。一度でも抱いた力なき子を、愛無き場所に放すなど出来るはずもない……。
旦那は――そんな私の心などお見通しであった。昇り行く朝日を眺めながら、ゆっくりと私を抱き締めて、頷いた。
当然、「親が見つかるまで、そしてカジゥ君がそれを望むなら」と付け加えて。
――――――
――あれから、ボクは夫妻と一緒に、いや、町ぐるみ区域ぐるみで家族を捜したけれど、二年経った今も誰一人として見つかることはなかった。
いや、見つからなかった、というのには語弊がある。何人かは見つかったのだ。母さんを始め、父さん、お爺さん……みんな、物言わぬ躯と化していたけれど。
ただ、それすら幸運かもしれない。未だに、行方が分からない人や魔物達は沢山居るのだから。
そんな経緯もあって、頼るべき親戚も現れなかった……多分流されてしまった……ボクは夫妻の養子となることになった。ボクはよくあの日のママを思い出して夜に泣いていたらしいけど、ヘリシカ……お母さんがその度にボクを優しく抱き締めて、大丈夫、大丈夫だよ、と背中をさすってくれた。
ママの温もりと、お母さんの温もりが、少しずつ重なっていく。上書きされることは、もうないけれど、ボク自身がお母さんがお母さんになったことを、心の中で受け入れていくのが、何となく分かった。
……けど、甘えてばかりじゃいけないことも、ボクは分かっている。パパとサクルお父さんからも言われているし、何よりボクが、強く思っているんだ。
「親を見捨てるなんて、薄情じゃないのか?」
「見捨てて生き残ったのか。大したタマだな、吐き気がする」
災害を知らない場所からそんな言葉を投げ掛けられる人達や魔物達を見てきた。理想はいつだって綺麗で完璧なんだ。それは仕方ないこと。
けれど、完璧でないボクらは、完璧ではなく寧ろ不安定な場所で完璧でない命を紡ぐために、知恵を振り絞り、犠牲を出しながら"大切な言葉"に辿り着いたんだ。あの日、ママがボクに話した、ママも話されてきた、言葉に。
『津波が来たら、まずは自分で安全な場所へと逃げなさい。家族を助けようとか、そんな事は思わずに、兎に角生き延びることを考えなさい。
大丈夫、生きていれば、また家族で会えるからね』
ボクは結局会えなかったけれど、こうして生き延びている。
ママとの、先祖から続く約束を、ボクはしっかり守っている。
ボクは、ボク達は、生きるんだ。
次へと、命を紡いでいくために。
Fin.
13/10/07 00:11更新 / 初ヶ瀬マキナ