John〜未完時計の物語〜
『――ジョン?ジョン……なのか……?』
『――ん?……あぁ、そう……らしいな』
『……へ?』
『しっかし参ったね。折角蓄えた髭もどっかいっちまったし、手の肉刺もなくなりやがったか……やれやれ』
『……』
『ま、俺が俺である限り"クラフトマン"は止めねぇけどな。』
『……』
『……ん?どうしたんだ?』
『いや……ジョンなんだな、と思ってな』
『たりめーよ!失敗作は数知れず!成功作も数知れず!生ける伝説、クラフトマン=ジョンとは俺の事よ!
……まっ、この体じゃ、作風はちょいと修正が必要かもだけどな』
――――――
ドワーフは見掛けに拠らず手先が器用である。それは前魔王の時代からの特徴であるが、そうなった経緯というのは元来彼らが地中や洞窟に縁が深い種族であり、繊細かつ大胆に土を掘らなければ大惨事を招きかねない事から、力強さと繊細さをスキルとして持つようになったという。今先程ドワーフの族長から聞いた話だ。
「……ユキ。こうして見てみると、本当に無駄がないというか……崩落の対策用の土も含めて、安全性と利便性の両立が考えられている場所だよね」
「……ジャイアントアントと良い勝負……」
隣で私の夫であるレクターが、興味深そうに土の壁を見、触れ、その機能美に感心している。私もまたその横で、ぺたぺたと壁に手を這わせ、柔硬のバランスのとれた壁の作りに感心している。
「おいおいお二人さん、感心してんのはいいが置いてくぞ?この調子でお宅らに付き合ったら時間が足んねぇからな」
私達の足下から響く、ソプラノの声に似合わぬべらんめぇ親父口調。見下ろすとそこには、人間換算にして3〜5歳も良いところの、橙〜朱色のショートカットに厚底のゴーグルを乗せた女の子……いや、女性。それがやれやれと世知辛さを表すかのように首を横に振りつつ、鶴嘴を進行方向へと掲げていた。
「あ、ごめんなさい。つい見入ってしまって……」
丁寧に頭を下げると、彼女はふん、と鼻を鳴らし、手にしたカンテラで洞窟の先を照らしてくれた。
「ロエカータ館長とナドキエさん直々のお達しだから、本来族外非の保管庫まで通すんだぜ?そこんとこ分かってくれや。な?其処さえ案内したら、後はマッピングと落書きとサンプル採取、破壊工作以外は営業時間中好きなだけ調べてくれや」
とふとふ、肩を片手で叩きつつやれやれと横に首を振る彼女に謝りつつ、私達は興味の光を双眸に爛々と灯しながら洞窟の奥へと足を進めていくのだった。
『ロエカータ館長とナドキエさん直々のお達し』
その言葉の意味を噛みしめる出来事を思い出しながら。
――――――
『……を?』
『……相変わらず無茶するな。部屋に籠もって何時間だ?もう日は暮れたぞ?』
『おお、そんなに経ってやがったか』
『全く……作業に集中すると何も見えなくなるのは変わらないんだな』
『がっはっは!それでこそのクラフトマンよぉ!』
『体壊して倒れても知らんぞ。じゃ、俺は家に戻るぞ』
『お、おい待てよ。泊まってかねぇのか?』
『ジョン。お前の工房に俺が泊まれる空間がないのは俺が一番解ってるんだ』
『う゛……ったく、しゃあねぇな。ほらよ』
『!……っと。何だ?この錠は』
『部屋に来た礼だ。お互い長生きしようぜ』
『……そうだな。じゃあな、ジョン。また来週、会えたら会おうぜ』
キィ……バタン
『……ったく、誰のためだと思ってやがんだ……』
『……見抜かれてるな……ゴホッゴホッ……。
持つか……持たせなきゃ……な……』
――――――
「おい、レクター。お前、『クラフトマン=ジョン記念館』に行ったことがないって本当か?」
切っ掛けは、僕達の恩人であり、腕利きのトレジャーハンターでもあるコール=フィレン氏が僕に告げたこの一言だった。
「あ……はい。行く機会がなかったです」
この『ジョイレイン博物館』に納められている数々の物品の中に、名工'クラフトマン=ジョン'作の品物は多い。例えばそもそも中々壊れない上に、部品を定期的に交換して螺子を巻くだけで半永久的に時を刻む時計。大量生産用の複製品(レプリカ)が大量に出回る中、領主直々に本物を寄贈されている。
また、'ぶれない羅針盤'や'虚栄の王冠'、さらにはジパングから学んだという土器や磁器など、作り上げた物は枚挙に暇がない。基本オーダーメイドであり、量よりも質を重視した作品は、呪いの有無が噂されたことがあるものの、今も愛好家が尽きず、表でも闇オークションでも相当の金や宝石が飛び交う……。
当時彼の歴史について調べていた僕だったけど、その時には記念館はなく、色々伝を使ってドワーフ達と話し、歴史を聞いて、やっとこさ書き上げた記憶がある。正直、あのときに記念館があれば、研究者に会うのもスムーズだっただろうな……。尤も、最近まで記念館が建てられなかったのは、"呪い"の噂が一時期立ったから、というのもあるんだけど……。
「意外だなぁ、調べ物好きなお前さんならもう向かってると思ったが」
「職業病ですけどね。後は上司対策に必要なんですよ」
ロエカータ館長の蘊蓄の真偽を確認し、密かにメモをしていることを館長は知らない。知っていても黙認しているかもしれない。そして真偽が分かる度に、館長の尋常でなさを僕は肌で感じる事になるのであった。意図的に間違えていると思われる名称以外、殆ど間違っていないなんて……。
迷惑に思われていた館長が、実は偉大な人だったんじゃないか、そんな疑惑すら浮かんでしまうほどに、その事実は僕にとって衝撃的だった。それに関してはコール氏にとっても同感だったらしく、頭を掻きながらやれやれと首を横に振っていた。
「だってあのおっさん、以前聖堂の改築のために呼ばれてたらしいぞ?あの自治聖都市ノーディスのな。何でも"下手な教会上層より歴史や美術的特徴、及び建築者集団について知っている"からアドバイスを伺いたくなったんだとか」
リリまた(リリムすら跨いで通る)都市であるガッチガチの教団の支配地、自治都市ノーディスに、表面上は中立に近い親魔物国家出身者が呼ばれるとは。以前ならまた法螺でも吹いたか、と辟易するところだったけど……さもありなん。コール氏曰く、その後模写した資料を領主許可の元受け渡すことで解決したらしい。『作る以上書き込んだりするでしょ?』と一言を添えて……そんなに手渡したくなかったのだろうか。蒐集癖あるとは聞いているし。
『勝手に改竄されかねないからねぇ。よく聞くでしょ?古本屋で買った昔の資料を破いたり切り取ったりするような無粋な人がいるって』
ジョイレイン領に於いて、無粋とはルール破りの次に許すことの出来ないものだ。生粋のジョイレイン人である館長が無粋、と評するように、館長は資料を汚す存在は許さない。新発見によって認識の塗り替えが行われるのは歓迎だけど、改竄は絶対に許さない。普段の鬱陶しいくらいに知識を伝えているのは、それが館長にとっての愛の表明のような物らしい。聞いている側にとっては傍迷惑この上ないけど。
で……目にしたことはないけど、バウンティハンターの"狼を従えし者"ガラ氏を片手で伸したことがある(コール氏曰く)くらい、外見に似合わず強いらしいんだ……。雑誌で目にしたジパング出身の松の丘の剣士の来歴じゃないけど……。
・北にいた資料の改竄をもくろんだ領主を、情報で"精神的制裁"
・中央教会の歴史捏造録を密かに"作成"して"配布"
・西のマフィアが納める港町の (マフィアの)歴史変遷を"内部潜入"して"執筆"
・当館を襲撃した暗殺集団及び盗賊団が一週間経たずして背後にいた存在ごと"完全崩壊"
……これだけの荒行を体一つでやるなんて……どれだけチートなんだろう。まず僕は無理だ。最初のそれの時点で胸をやられる。まぁ……この『ならず者達の領』に住んでいる以上、ある程度の訓練は積んではいるんだけどね。と言うかよくあんな人の隣に居て命を狙われなかったよ僕ら……。
閑話休題。館長の話で脱線してしまったところに、コール氏がそれはさておき、と持ち出した物は……。
「……『ナドキエ出版』……の名刺……?」
そこにあったのは、この世界ではわりと有名な、親魔物寄りの書物を出版する出版社、ナドキエ出版の社長:ナドキエ=カタリーナの名刺であった。紙に縁取りされた、恐らく北西部の紋様を取り入れたであろう金のラインには様々な術式と多量の魔力が組み合わされており、名刺自体の品質を保たせるだけでなく、不必要な譲渡の禁止など様々な効果がある。まぁ、この名刺自体が様々な施設(教会関係以外)の入館許可証になるから無理はないか……。
しかし、どうして僕に、そもそも何でコールさんがこれを?疑問はすぐに解決された。
「あ〜、あの出版社で"ダンジョン探索ガイドライン(仮)"と"はじめてのダンジョン製作"を発行することになってな、俺がムクの奴と一緒に協力してたんだよ。で、内容は纏まったんで、お役御免ついでに次の仕事……っつか野暮用を頼まれたんだよ。
ほら、持っとけ」
声を出す間もなく、名刺を押しつけられる僕。取り落としそうになる僕を気に掛けず、彼は続けて何かを取り出す。それは……仕様書?何のだろう。それと……依頼書。それも……依頼者はナドキエ社長!?
「これが俺の『野暮用』だ。とりあえず仕様書を読んでくれや」
言われずとも……僕は何となく何をやらされようとしているか理解して、依頼書を手に取り開いたのだった……。
――――――
『完成させたくねぇ』
『……今、何と?』
『あぁ?俺はコレを完成させたくねぇっつったんだ』
『そんな!貴女は今までこれを完成させるために時を――人生を賭してきたじゃないですか!今完成間近のこの時になって、どうしてそんな事を――』
『――っっ!!いいから……出て行きやがれ……っ!金輪際顔を……見せんなぁ……っ!』
『……クソッ……クソックソックソックソックソォッ!……不甲斐なくてやんなるぜ……』
『……完成させたくねぇんじゃねぇ……もう、完成しねぇんだ……完成しねぇんだよ!クソがぁっ!』
『……間に合わなかった……ッ……!』
――――――
「『永遠の未完成絡繰時計』について、逸話を調べて欲しい……まさか、ユキも同じ依頼を受けていたとはねぇ……」
私も正直驚いた。けれど依頼人が依頼人だし、正直さもありなん。エピキュリアンで、野生のルールの中で欲望を追究するジョイレイン人の主と、経歴不詳にして神出鬼没の出版の主。この二人が意気投合しないはずが……ない。断じて仲違いは有り得ない。
あぁ、恥ずかしくも苛烈な斬新な罠の研究の仕事。雪のように綺麗な美白の肌だったから付けられたと言う私の名前からすれば、今の仕事はあまりにも美白には程遠い。寧ろ対極に位置すると言える。早く箱に籠もってレクターとまぐわいたい。まぐわって仕事のことを記憶から追い出したい、時折そう考えるほどに苛烈だ。
この大陸の他のどこに『男であることにありったけのトラウマを植え付ける罠』などという風変わりにして意地悪く、ふざけた罠を創らせようとする一領主がいるだろう。他にも『使い魔レベルアップの罠』、『羞恥ポーズのまま固定しガーゴイル部屋に転送する罠』、『隠された性癖を暴露される罠』……ここの領主の正気を疑いたくなる。いや、ドランクン兄弟の時点で十分怪しいか……。
「……」
レクターの言葉に肯きつつ、私はしばし普段の仕事について忘れることにした。今は『永遠の未完成絡繰時計』の謎だ。
「……ほらよ、この先だ。グレート=ジョンの遺言通り、起動は出来ねぇが、周りを探ることは出来るだろうさ」
ぶっきらぼうな口調で戸を開けつつ、案内人のドワーフがカンテラを掲げると、明かりが空間を照らし出す。
――其処にあったのは、完全に風景と融合した、一台の――いや、一棟、と言っても過言でもないかもしれない大きさの、巨大な絡繰り時計だった。
恐らく模様は丁度魔王の代替わりの頃に流行った蔓草が絡み合ったオリエンタルな柄に、スペードとハートをあしらった物。それが固定化魔法された樹に描かれている。時折キラキラと輝くものがある。宝石だ。紅玉、黄玉、アクアマリン……。色とりどりの磨き抜かれた宝石が、互いの美しさを邪魔することがない配置で私達に瞬いている。そう言えば"クラフトマン"は宝石職人としても一流であったと聞く。氏の芸術的技巧がこれでもかと凝らされた、金銭的価値で推し量ることの出来ない作品だ。
何処か城か、或いは教会に置かれている建物備え付けのパイプオルガンを思わせる外観を持つそれは、壁面のそこかしこに魔力が籠められた紋様が、絡み付く蔦に紛れるかのように刻み込まれている。維持術式の一部なのかもしれない。魔法帝国時代のアンティークには、大概このような紋様が刻まれているものだ。外面を綺麗なままにしておきたい先人の知恵を生かしたのかもしれない。
塔に開いた覗き窓のような、黒く塗られた窪みが幾つか見られる。本来であれば時間になればここから何かの絡繰りが飛び出すのだろう。それとなく神話を折り込んだ、日常の風景を絡繰りにして再現するのが"クラフトマン"の流儀らしいけど……動かない今、それを確かめる術はない。
そして巨大な時計板には、現在も砂漠の民を率いているというファラオ、ラメラス十七世が考案した数字が刻まれ、時計を眺める私達に時を知らせている。同時に……今は全く動いていないということも、重なり合った時計の針は告げている。
「……?」
……12,3,6,9時の所に、数字に蔦を絡ませるようなデザインで、宝石を使って花が描かれている。チューリップ、ヒマワリ、コスモス、ポインセチア。どれも四季折々の花だ。特段珍しいものではない。でも何だろう。どこか、頭に引っかかる……。
「……しかし、これが未完成品とは……」
レクターの何気ない呟きに、案内ドワーフは溜め息と共に肯く。
「全くもってその通りだぜ。俺も技術屋の端くれだが、この時点で未完成だってのが信じられねぇよ。当時の設計図が残ってりゃいいんだが……まだなんか付け足す気だったのかもな……」
これ以上何か付け足す、そう口にしつつも、この場にいる私を含め三人は、頭の中でそれを否定していた……。けれど、それを証明する術はない。設計図が掘り出されるか、もしくは……。
もやもやとした思いを抱えながら、私達は一回、この場所を去ることにした。このまま此処にいても得られる物はないだろう。そう判断してのことだ。
「……あ、あと一つよろしいですか?」
帰ろうとした私の足を、レクターの声が留める。どうにも何か引っかかっているような顔で、彼は案内ドワーフに尋ねた。
「……この時計は、いつから未完成になったのか、記録は御座いますか?」
案内ドワーフは鼻をならしつつ、何も意識せず答えた。
「あぁ、あるぜ。
当時工房の商品を売りさばいていたゴブリン商隊の隊長『グツコーゴブリ=ゴッブール』の手記に拠れば、魔王が代替わりして5年後の霜降月だとよ。"クラフトマン"が突然完成させたくないと言いだして、それっきりだとさ」
――――――
「……ねぇ、レクター」
今日の取材の帰り道、ユキが何かを悩みながら僕に話しかけてきた。先程まで見てきた『永遠の未完成絡繰時計』に、何か腑に落ちない物があったらしい。
それは僕も一緒だ。何せ、あの時計は『完成している』。組立も整備も完全、ユキ曰く魔力回路の損傷もない。普通に開始術式さえ始動すれば、半永久的に動くはずだ。
現に僕らと同じ事を考えた、幾人もの氏の後継者が、動かそうとあらゆる事を試したらしい。氏が禁止したすれすれのこともやってのけた。けど、それでも動かなかった。まるで、あの空間自体が、時を止めてしまったかのように、何も変化しなかったのだ。
「……開始術式が何か、判ればいいんだけどね……」
ユキの意を受けて発言したつもりの言葉は、しかし全く見当違いのものだったみたいだ。
「……あの、花の模様……やっと思い出せた」
「……花?」
花、というのは時計の文字盤に刻まれていた、あの四輪の花の事を言っているのだろう。特に目新しくもない、僕らからしたら見慣れた花だったけど、それがどうしたんだろう。
「何を、思い出せたんだい?」
ユキは僕の声に、ただ透いた蒼の瞳でじっと僕を見据え、淡々と口を開いた。
「……描かれていた花の持つ、言葉……」
「それって、前に話していた……花言葉のこと?」
以前、彼女との『逢瀬』をしていた時に、彼女は豊富な知識を僕に話してくれた。その中の一つに、『花言葉』がある。
「……元々は古代の魔法帝国にて、自身の言葉によって他者及び自分自身を魔法で縛る可能性を考慮して、防衛手段として発達した物が、いつの間にか乙女達による思いの伝達手段に変わったもの……」
その語り出しと共に、僕は彼女に色々な花言葉を習ったりしたっけ。ちなみにそんなユキが好きな花言葉はナズナのそれらしい。ちょっと重いけど、僕は背負う覚悟は出来ている。
話はずれた。つまり、ユキはあの時計の花には意味が込められているらしい。チューリップ、ヒマワリ、コスモス、ポインセチア……四季折々の花達だ。
「……でも、特に花言葉に共通性は見当たらないんだけど……」
そう、少なくとも現代の花言葉で、描かれた花々の言葉は共通性が見られないのだ。チューリップは『一時の栄光』、向日葵は『天真爛漫』、コスモスは『無邪気な残酷さ』、ポインセチアは『成功への道標』……辛うじて向日葵とコスモスが近そうだけど、他の二つは……何か違う。少なくともこれでは何も伝わらないだろう。
「……レクター、違う。現在のは現代に合わせたもの。時代によって……花言葉の意味は違う……」
僕の疑問は見透かされていたらしい。背負ったリュックの中から……やけに装丁が古い本を取りだして開いた。表紙の時点で読めない……いつの時代の物なんだろう。
ぺらぺらとページを開いては、一部のページに付箋を挟んでいく。一つ、二つ、三つ……そして四つ目の栞を挟み終わったところで、彼女は僕にその本を渡し、小声で何か呪文を唱えた。
「……『読可(リーダブル)』……読めるようにしたから、見て。これで……魔王代替わり時期の花言葉が……分かるから……」
言われるがままに本を開く。目に飛び込んできたのは、普段見慣れた標準語の文字だった。どうやら今の呪文は読めない文字や文を読めるようにする物らしい。
僕はその文字を追っていき……そして理解した。と同時に、ユキに以前聞いた"罪人"の事を思い出し……何かが繋がった気がした。
ユキに本を返し、すぐにジョイレイン領に戻ることにした。
しばらくしたら戻る、とも、ドワーフの館長にも伝えて。
――――――
『……はぁ……はぁ……』
『……随分と……ガタが来やがってたんだな……俺様もよ……ロクに……前も見えやしねぇ……』
『……好き勝手やってきて……心残りがこれだけたぁな……だがよ……これが最大だ……』
『――,G,I,R,M……』
『……ははっ……そりゃ、動く筈も……ねぇわな……。
相変わらず俺は……憎たらしいほど……いい腕……して……や……が……る……ぜ……』
『……あばよ……会えんなら、また、来世……』
――――――
……カツ、カツ……。
まさか、レクターと一緒に、この場所を歩くことになるとは思わなかった。私が行き慣れた場所であり……私が汚れてしまった場所でもある。そんな私をレクターはしっかりと受け止めてくれたけど……もし拒まれたらと思うと……。
ジョイレイン領地下牢。"ならず者の領"としてそれなりに有名なこの領だけれど、当然ながら領としての法律は存在する。そして破った者は、裁きを受け牢へ入れられる。その裁きが公平である……とはお世辞にも言えない。けれどそういうものなのだ。真に公平な裁きなど、主神や魔王にも出来ないのに人が出来るはずもない。
尤も、主がある一定の事柄に関して熱をあげていない限り、法規は天秤の如く均衡を保たせるよう、誠意努力するもの……の筈だが、そもそも祖先が侠客上がりで、前領主がアレなもの――それこそ私の知識をふんだんに使って前代未聞の罠を作成させようとするような珍妙奇天烈にして人畜有害、そう当人も認めている――だから、領に横たわる"ルール"が法となっている現状から鑑みても、努力はしているとは到底思えない。
『"ルール"を破れば放り込む』
雑に言えばこの場所はそういう場所だ。そして……深ければ深いほど、破った"ルール"は多い。そんな存在が集う場所なのだ。
「……」
独特の臭気に、レクターは顔をしかめている。当然だ。……そこかしこでデビルバグとベルゼバブ、そしてラージマウスが交わっていればこんな脂と酢と汗が混ざった独特の香りにもなるだろう。
『あひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!』
……これは"天人フルコース"の真っ最中にあげる声……か、或いは新たなる拷問"男悔の世代(だんかいのせだい)"の実験か……非道だ、色々と非道すぎる。
青ざめた顔をしているだろう私に、レクターはぽん、と肩に手を置いた。その表情は、どこまでも優しい……が、何処か痛々しい。
「……今度、フリスアリス領に観光に行こう……」
力なく頭を垂れるように肯いた私達の歩みは、まだ続く。癒しを求めて旅行するにしても、まずは目の前に迫る仕事……とも個人的な我が儘とも言える何かを解決する必要がある。
幾度目かの階段を過ぎ、幾度目かの叫びを意識的にスルーした後……、私達は、或る死霊術士が捕らえられた牢の前へとたどり着いた。
「……ギャブモール=ティープ。貴様に面会人だ」
「……おお……!」
その死霊術士は……私の姿を見た途端、天を仰ぐような奇妙なポーズのまま固まると、ドッペルゲンガーとも競い合えそうな小声とコカトリスの逃げ足の如き早口で何やらぶつぶつと呟きだした。……聞きたくないのでシャットアウトする事にする。
「……ティープさん、貴方にお聞きしたいことがあるので」
「OKOK壊したいくらいラヴィンユーなユキちゃんの相談なら俺のプライベートなラインまでどんどん話しちゃうぜぇ♪まずはスリーサイズから彼処のサイズまで――アギャッ!」
私の隣で、案内人さんが彼に向けて魔力を放った。割ときつめの懲罰魔法だ。
「……警告、98です。あと二回の警告で、『1501』か『ジョーカー』、或いは『2700』か『俺の嫁』、お好きなものを選んでいただきます」
どちらも私も知らない罰だ……何を考えているのだろう、ここの元領主は、本当に。その言葉だけで苦々しそうに、どう考えても他人の言うことなど聞きそうもない男が回る舌を止め口を噤む程度には酷いのだろう。
「……」
私は深呼吸して心を落ち着かせ、本題に入ることにした。
「……貴方が以前創り出したスケルトンについて、お話を伺いたい――」
「あ゛?何何あの阿婆擦れの話?褪めるぜ……」
声を荒げるのも無理はない。何せ、この男がこうして牢に入っている原因が、スケルトンによる衰弱寸前まで行きそうな強姦(……で、いいんだろうか……)によって体力尽かされたからであるからだ。
使役文様を使役対象に刻む間もない反逆、それは各地で指名手配されるに至った"墓荒らし"の彼のプライドを酷く傷つけたらしい。死霊術士としては有ってはならない、初歩中の初歩すら出来なかった事になる以上、当たり前か。
憂さを晴らし、苛立ちをそのまま音にするように彼は吐き捨てるように話し始めた。
「あーはいはい言えばいい言えばいいんだろ?ったく。
ゾンビやスケルトンが生前の技術を持っていることは当然ユキちゃんは知ってんだろ?俺ら死霊術士はそれに目を付け、企業秘密の手段で蘇らせていく。
で、当然元となる素体が上質であればあるほど、相応の技量が期待できるわけだ。しかもこの魔王の御時世だ。生きてたときにはむさ苦しいおっさんだったとしてもバリヤバグラマラスから直滑降プニロリボデーまであらゆるナオンのマジヤバGスポットを味わうことが出来る……グゥレイトな時代だぜ」
下卑た笑いを一瞬浮かべるティープ。レクターは表情を変えないけど……目には明らかに嫌悪の色が見える。私は……最初から冷たい色だけど。
そんなティープは、本題に入ろうとすると苛立つのか、表情を歪める。歪める。分かり易いほどに歪める。当人としても思い出したくないらしい。
「……で、そんな事を日々考えつつ、忘れもしねぇ一年前、"クラフトマン"の弟子をやっていた奴の墓を暴いたのさ。ソイツに構造も含め本物と瓜二つの安価な贋作を作らせて詐欺ろうと考えたんだ……がっ!」
――――――
『……?』
『ふふ……まさかこんな魔力の少ない場所で精製できるとはな……さすが俺様グゥレイトだぜ!これでまた一稼ぎといくか――』
『――ほしい……』
『――さて、使役のルーンを……おわぁっ!』
『……ほしい……やくそく……やくそく……おなか……やくそく……?』
『な、何しやがって何反抗しやがむぐぅっ!』
『……ん……んぅ……んんっ……』
『んむむんんんんっ!』
『……むっふ……むむ……むんむ……むっふ……むっふ……』
『――!んんんんんんんっ!んんっ!んんんんんんんんんっ!』
――――――
「……っつーわけだ。ったく、いきなり強烈な力で押さえつけられ、口とアソコのダブルドレインたぁ……実際腎虚寸前だったらしい。ここにパクられたときには救われたとすら思ったぜ……が、あのジジイの悪罵は思い出したくもねぇ最悪の記憶の一つだ。アイツは人間じゃねぇっつか、同じ人間の血が入ってると思いたくねぇ……」
何言ったんだ元領主……あぁ、隣の案内人さんもその件に関しては肯いている……。本当に、凄まじいところで私は仕事しているよなぁ……。
それは兎も角として……約束?言葉の真偽は兎も角、嘘でないとするならば、私達の推測はいよいよ以て当たっている目算が高い。
しかも弟子がいたなんて聞いてないわ。確か記録によれば相当の偏屈者で他人を寄せず一人で好き放題やっていたはず。
「……掘り出した弟子の名前は?」
「……ヘイマー=マクファーソンだ」
軽口を叩くなよと睨まれているからか、ティープは憮然と苛立ちがありったけ籠められた言葉を吐き捨て、そのまま押し黙ってしまった。
が、今ので十分だ。成る程。そしてこの死霊術士は思い違いをしている。ヘイマー=マクファーソンは"クラフトマン"の助手だ。弟子ではない。
ともあれ……。
「……情報提供。有り難う御座いました」
丁寧に一礼し、私達は牢の前を去った。帰り際に案内人さんが彼に向けて何かの紙を牢の中に投げ入れていた……何だろう。
そしてレクターも、何故か険しい顔をしていて……っ!
「……急ごう、ユキ。無礼無粋を覚悟で早く領主様にお伝えしなければいけない事がある!」
言うが早いか、私の腕を掴んで一気に階段を駆け上がり始めた!待って!そっちは近道じゃない!
――――――
「……まずいかもしれない……」
僕の腕を掴んで息も絶え絶えに何とか引き留めたユキは、僕を彼女の箱へと引きずり込みつつ、突然慌てた理由を尋ねてきた。
「……さっき、ティープ氏が言っていたよね?ヘイマー氏を蘇らせ、搾られている最中に『約束』と言っていたって」
「……ええ……」
「……そして、ヘイマー氏は生前は"クラフトマン"の弟子……正確には助手……だった。そうだよね?」
「……ええ……」
一つ一つ、資料を確認するように、僕はユキに尋ねていく。"クラフトマン"は弟子をとるような存在じゃないこと、助手は彼一人であったこと、記念館は内装や展示品の構成自体は完成して、件の"呪い"騒動で開館だけを延期していただけだったこと。そして――。
「……ねぇ、ユキ。ヘイマー氏が亡くなったのって、何年の話?」
ユキはその質問に不思議そうに答え――目を見開き、僕の方を向いた。
「……確か、ジョイレイン歴126年霜降月8日……まさか!?」
険しい表情のまま、僕は肯く。そろそろジョイレイン領主の館辺りに入ったところか。
「そうだよ。その年は魔王代替わり後5年が経った年。"クラフトマン"があの時計を創るのを止めた年だ。偶然にしては符合が過ぎていないかい?」
創るのを止めた、とは言っても、晩年氏は心残りを無くすかのように作業を密かに再開している。内装や外装が完璧だったのは、晩年の氏の作業に拠るところも大きい。
けれど、どれだけ手を尽くしても動かなかった、いや、もしかしたら動かないと分かっていても、それでもなお完成させようとしていたとしたら……。
「ティープ氏が言っていた『約束』に、もしあの時計が関係しているなら……」
きっと、記念館のあの場所を目指して各地を放浪していることになる。それだけならまだいい。
だが、未だに辿り着かず、既に一年近く経過している、ということは……既に相当数の精の犠牲者(亡くなってはいないだろうけれど)が存在するはず……とすれば、教会が動かないはずはない!
「……ユキ、急ごう!彼、いや、彼女を亡くしてしまうわけにはいかない!何とかして教会より先に見つけて、記念館に連れて行くんだ!」
ユキ達の創り出す不思議な空間を、僕らは駆け抜けていった。その神秘性に、何の感慨も抱かないままに……。
――――――
『……やくそく……やくそく……』
『……やくそく……』
『……』
『……ジョン……?』
『……ジョン……ジョン……ジョン……』
『……ジョン……!』
『……ジョン……やくそく……』
『……見つけた。"呪い"の元凶、ようやく見つけたぞ。
奴のお陰で我が領にて教会に仇なす親魔物派を一網打尽に出来た。その功績を讃え――我らが領で働いた狼藉を無にし、御霊を天に帰してやろう。
なぁに、寂しがらせはせんさ……貴様と共に歩む者は幾らでもいるからな……』
――――――
「……おう、レクター。丁度その件について訊きたいと思っていたぜ」
相変わらず皮肉的に無駄に安っぽく装飾させている謁見の間。そこにある実はハリボテの椅子にどっかと座る現領主:マトシケィジ=ジョイレイン様は、高価そうに見える煙管をふかしつつ、レクターに鋭い視線を投げ掛けた。
射竦められるレクターだけど、流石にこのジョイレインに暮らしているだけある。そのまま領主を見つめ、口を開いた。
「……教会の軍勢ですか?」
正解だ、と領主は椅子に飾られた水晶をレクターに向かって投げつける。それを受け止め、中をのぞき込むと……其処には、何故か伸びている見張りの一人と、それに活を入れる見張り。そして彼らから視認不可能な位置にいる……千人規模の教会兵団。
「親父ンとこに攻めて惨敗喫したばッかなのに、懲りねェと思ッたら、まさかンな事情があったたァな……」
一ヶ月弱ほど前、領主の父――マジュール公の元に教会の小隊が襲撃してきた。襲撃結果は……教会側の惨敗。大半は奴隷化、数名は魔物化して、今も元領主の屋敷の何処かに居るという。
そう言えば、ムクさんが『メイド見習いのアルプの娘が来たのですよー♪』と嬉しそうに私に言ってきたのが一ヶ月くらい前……まさかね……。
そんな邪推よりも、今は襲撃部隊、しかも千人クラスの対処をどうするか、それが問題だ。流石にマトシケィジ公と言えど、この人数と規模は無傷では済まない。それに今回は……恐らく門番を犯して侵入したヘイマーさんを保護しなければならない。相手が発見する前に……。
とはいえ、魔力の探知をしようにも……私はヘイマーさんの魔力を知らないし、虱潰しに探すとなると兵隊が足りない……。一体どうするべきなんだろう……兵法書の記憶、兵法書の記憶……。
私の焦りをよそに、マトシケィジ様は特に慌てた様子もなかった。そのまま手にしたメモサイズの羊皮紙に、羽ペンでさらりと何かを記して……私に向かって投げてきた。
「――っ」
危なかった……レクターが咄嗟に手を伸ばして紙を取らなければ、私は傷を負っていただろう……全然反応できなかった。
レクターは私に紙を渡し、マトシケィジ様に水晶を丁寧に返した。それをふんだくるように持つマトシケィジ様を後目に、私はその紙を確認して……!
「――有り難う御座います……マトシケィジ様」
いきなりの私の言葉に何が書いてあったのか見当が付かず首を傾げるレクターを余所に、年若きジョイレイン領主はすっくと立ち上がり、私に、いや、私達に向けて激励とも取れる叫びを放った。
「――行きな!時間は待っちゃくれねェぜ!留めた時を万魔殿から引きずり出して来なァ!」
刃のない剣を抜き、敵勢のいる地点へと向ける領主に、私は頷くと、そのままレクターの手を取り、背中の"箱"の中へと引きずり込んだ。この方が速いからだ。
「――厄災(カタストロフ)がお望みか?なンらその思いを抱いたまま、虚飾にその命を燃やせやァ!
ドランクン兄弟!祭りと行くぞ!」
領主のどこか嬉々とした啖呵を背に受けながら、私達は箱の中を進む。目指す先は――地図に示された場所。
――――――
『……やくそく……』
『……やくそく……!?』
『……やくそく……どこかにいく……いっちゃう……!』
『……まって……いかないで……ジョン……ジョン……!』
――――――
――ユキに手を引かれ、僕達は箱の中を駆け、"必要なもの"を許可を得て集めた。その許可証はいつの間にか地図の裏に焼きつけられていた領主直々のサイン……本当にいつの間につけたんだろうか。やはりここの領主は凄い。
そんな感想は兎も角として、僕らは今、ユキお手製のミミックの力が籠もった異次元バッグを手に、やや騒然となった領地を進んでいく。箱の中でない理由は……"彼女"を招き寄せるためだ。
「……今、領を出歩いている不死族の魔力は?」
魔力探知を使うユキに、僕は問いかける。聞こえていない可能性の方が多いとはいえ、聞いておかずにはいられない。今回は聞こえていたようだ。
「……こっちに来ているのは、四つ。……他は留まっているか……前線に」
……騒然としている理由が「ヒャッハー!」だったりするからなぁ、この領の住民は。だから他の国に『ならず者国家』とか言われるんだろう。来歴を考えれば特に間違っていないのも泣ける。それはアンデッドな魔物娘になっても変わらないらしいわけで……。
兎も角、こっちに近付く魔物娘が四体、その中でスケルトンが何人いるのかは分からないけど、早いとこ転送方陣に招かないといけない。逆に言えば……招けば、僕らの目的は達成できるわけだ。待ちの一手をとるのもいいかもしれない。待っていれば相手はこちらに来るからだ。
過ぎった思考を……僕は取り下げた。油断ならない。特に、こんな奔放な自由が罷り通る領の、それも突発的非常事態には、何か良からぬ事が必ず発生する。それはエロカータ館長も時折漏らす言葉だったりする。
『そりゃこんな領だもの。腹に一物抱えている人のダースにグロスくらいいるさ』
人数規模的にどう考えても笑い事じゃないはずなのに笑い飛ばせる館長は相当色々な意味で強いことは明らかだ。僕もそんな館長に多少は訓練を受けているとはいえ、暴徒と化した住民を相手に出来るほどの力はない。
ただ、力があろうと無かろうと――!
「――伏せろっ!」
――災禍は発生するものだ。
僕がユキを抱え込んで地面に倒れるその直後、僕らがいた軌道を高速で何かが通り抜ける。風を切ったそれは、何にも刺さることなく空間を駆けていく。信託を得た弓だと矢がホーミングしてくるというけれど、どうやらそれはないらしい。それよりも、軌道から敵の位置を割り出さなきゃ……っ!?
ユキを抱えながら、僕は石畳の上を転がった。肩を掠めそうな位置に突き立つ、数本の矢。間違いなく、敵は一人じゃない。何故僕が狙われるのかは分からないけど、大体予想はつく。博物館の従業員に対する腹癒せか……或いは、魔物の妻を持つ者に対する許せない思いか。どちらにしても逆恨みも良いところだとしか思えない。
内部潜伏する教会派。混乱のさなかに内側から崩落させようとする勢力を、領主は黙認している。ここは自由の領だ。刃向かって何をされても構わないならばそのように振る舞えばいいし、それが嫌ならば腹の中に何か抱いていても表面上はルールを遵守していれば領にいてもいい。
だが今は非常事態だ。罰を与える存在が前線にいる以上、反逆のデメリットは少なく、もしかしたら乗っ取らせることも可能かもしれない。何せそれだけの勢力を以て、教会はこの領に攻めてきているのだ。
まだ往年のレスカティエ軍でないだけマシかもしれないけれど……。
何て思っている暇はない!僕は周りを見回しつつ――ポケットから『玉』を一つ取り出して、指で上に弾く。そのままユキを抱き上げる格好になった。
「――『小火(シガル)』」
着火した玉は、そのまま一気に爆発し――土煙に似た色の煙を辺り一面に広めた。ご丁寧に土の香りまで付いたそれに包まれつつ……僕らは駆け足でその場を後にした。短時間なら、撒ける。その間に改めてヘイマー氏の場所を探り、見つからないように移動しなければ……。
つくづく、にわか教会兵の持つ弓にホーミング機能がなかったことを幸いと思うよ。もしあったら、さっきの煙幕ごと僕らの左胸を貫きかねない。
「……ユキ、探知できるかい?」
僕の胸元で硬直したままのユキに話しかけると、ユキははっとしたように首を横に振り、改めて探知して――?
「?どうしたんだい?」
驚き、不思議、そのような感情が綯い交ぜになった表情を浮かべながら、ユキは、探知できた事情をありのまま、僕に伝えたのだった。
「……この辺り、人と同じくらいの数のアンデッドがいる……しかも、この魔力……」
――――――
『反乱分子の鎮圧』。
それが彼に与えられた出国条件であった。百の警告を重ねた罪人に与えられる反逆不可のルーンに込められた死よりもえげつない代償の効果を思い返し、ギャブモール=ティープは下卑た顔を歪めつつ、スケルトンやゾンビを召喚していた。まだ相手を見つけていない、独身のアンデッド達は零距離にいる男や女を倒れ込むように押し倒し、ある者は唇を貪り、ある者は胸を押しつけ、ある者はいきなり御開帳させながら自らの秘所へとそれを招き……と、いい具合にエロ地獄絵図を作成していた。
「……ケッ」
本人としては、自らを捕らえ散々監禁したこの国のため、ひいてはその原因となったあのスケルトンのためになるようなことをするのは癪だった。かなり癪だった。癪じゃなければ何だというのだ。だが……浮かび上がった反逆不可のルーンを見て、最低最悪の元領主の姿及び罵倒ボイスをイヤというほど思い出し、一刻も早くこの領から出ることが先決だと、無理矢理自分を奮い立たせた。どうせ今のままでは元領主どころか、あのちゃらんぽらんな服を着た領主にすら勝てない。ならば実力や魔力を重ねてから改めてあのクソ元領主に……そう誓いながら、彼は死体や魂を錬成していったのだった。
錬成さえすれば、後は魔王の魔力が魔物娘にしてくれる。そう考えると終始操る必要がないだけ、今の時代は楽なのかもしれない。
ある程度済んだところでとんずらこくか……そうティープは、嬌声の響く街の通りで、拾ったばかりのシケモクを吹かしたのだった……。
――――――
「あひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!」
……ここの領は表面上は中立領だというのに、この様はまるで魔界化した土地のようじゃない……。内心の溜め息を、レクターは察してくれたように私の肩に手を置いた。まさかの救援がもたらしたそれには感謝の思いはある。あるけれど……これは単純に視覚的に酷い、としか。
「まぁデビルバグトラップに比べれば……」
「……」
レクター、最低と比べるのは意味がない。お願いだから私が来る以前からあった最低最悪のトラップを引き合いに出さないで。あれは男女にとってどうしようもないレベルでのトラウマになるから。デビルバグがわっさわさー……はね……。
それは兎も角、と。私達は改めて自分の位置と、こちらに向かう死者の魔力を探知し直した。前者は大通りから二本ほど離れた位置。裏通りを向かうはずが、かなり離れてしまったらしい。そして後者は……。
「……ようやく、かな?」
「……うん」
私達が息を合わせて振り向くと……そこには、黄土色の襤褸切れ一枚だけを纏った、虚ろな瞳のスケルトンが一人、何かを呟きながら私達の方に近付いていた。アシンメトリーの布切れは、どこか流浪の旅人を思わせるわけなんだけど……覚束ない足取りに、焦点が定まっているようには到底見えないその瞳では、正直ただの浮浪者としか判断しようがない。骸骨の浮浪者……何だろう、鎌を担がせたら外見だけは通り魔のような死神ね……。
そんな私の思考は兎も角、目の前のスケルトンは、まるでゾンビのように両手を前に突きだして、譫言のように何かを呟きながら私達に近付いてきたのだった。
『……やくそく……やくそく……どこ……?』
――――――
『……やくそく……やくそく……どこ……?』
……予想していた事とはいえ、思っていた以上にかなり思考が不安定なようだ。ユキは危険性を鑑みてか僕を下がらせようとしたけど、僕はそれを押し留めた。ユキにはやって貰いたいことがある。記念館行きの、直通ルートを開き、その周りに人払いの結界を展開することだ。ジョイレインの兵が出払っている今、万が一教会がそっちに軍を差し向けていたら……そもそもおじゃんになる。丈夫が取り得のクラフトマン=ジョンとはいえ、多人数で壊されてはどうにもならない……。
渋々ユキが離れると、僕は無造作且つ無防備に彼女に近付いていく。彼女の視点は、既に僕の手に持つバッグに向けられている。中に入っているクラフトマンの作品――細かく言うならば、そこに秘められた魔力に気付いているようだ。
譫言のように約束と呟きながら、彼女は僕達のバッグにつかみかかろうとする。それを何とか押し留めつつ、僕は少し屈み、バッグを握る彼女の目をじっと見て、言い聞かせるようにゆっくりと口を開いた。
「……貴女は、ヘイマーさんですか?」
『……?』
彼女は約束のことしか頭になかったのか、反応は中々返ってこなかった。精は足りているのだろうか。もし足りていなければ、『コーラドー』のアクメリアスでも持参するべきだったのかもしれない。緊急事態とはいえ、そこまで行き着かなかったのは自分の判断ミスだ……が、来てしまったのだからもうどうしようもない。
『……へいまー……ヘイマー……わたし……ヘイマー……?』
今聞いた言葉を、頭の中で反復させていく彼女。その間にも領の中の叫び声や生々しい音は大きくなっていく。外は一体どうなっているのだろう。……急ぐ必要はあるかもしれない。卑怯かもしれないしエゴかもしれないけれど……やるしかない。
僕はユキの姿を確認する。ユキは……丁度頼んだ事をやってくれて戻ってきたところのようだ。疲れた素振り一つ見せずに僕のところに近付き、向こうの現状を報告する。……懸念としている教会勢はなし、ただし盗賊の危険性はあるため、念には念を重ね結界は張ったという報告を受け、僕は密かに胸を撫で下ろし……まだ早い、と自分に言い聞かせた。真に胸を撫で下ろすのは、僕らが僕らの役目を無事達成したときだ。
――尤も、その時に胸を撫で下ろしたい気持ちになっているかどうかは分からないけれど……ね。
「……あの」
僕は、自分の名前に戸惑いつつもなおも僕の持つバッグに手を伸ばそうとする彼女の目を見つめ……どこか契約を迫るセールスマンのような気配を纏いつつ、道を尋ねられた老婆に見せるような穏やかな態度で告げた。
「……貴女の『やくそく』の場所、僕らが案内しましょうか?」
『やくそく……やくそく……!』
僕の言葉を頭の中で何度か反芻した彼女が、首を縦に振らないはずもなく、それを確認するが早いか、僕らは彼女をユキ箱の中に招いた。目的地は――『クラフトマン=ジョン記念館』。
――――――
「――ったく、今日は休館日の予定だぜ?俺は旦那とイチャコラする予定を立ててたってのに……よっ!」
本当にごめんなさい。でも今日このチャンスを逃せば、きっともう二度と、この時計は目覚めない、そんな気が私はしている。いや、私だけじゃない。レクターもきっと、思いは同じはず。
だからこそ私に念には念を入れさせただろうし、わざわざ警備の人に館長の連絡先を聞いてこちらに(私を使って)呼び寄せたのだろう。
「そうだねぇ。さすがに何らかの返礼は期待しちゃっていいかな?もちろん僕よりもマイワイフにね」
気障な返事をする館長の旦那さんにも頭を下げ謝りつつ、私達は記念館の中に入れてもらった。
無論、このスケルトン――ヘイマー(?)も一緒に。理由は既に二人に説明した。館長は訝しげだけれど、旦那さんの方はどこか期待するような目線で私達を見つめている。
「……しっかし、本当なのかい?そのスケルトンが……えぇと、その……クラフトマンの助手だったってぇのは」
「本物かどうかは、分かりません。ですが蘇らせた死霊術師の発言や"やくそく"と呟きながらクラフトマン作の道具を求める様子から、全く無関係の者とは判断できませんし、何しろクラフトマン自体が相当偏屈者ですから、約束を交わすような相手の候補を考えるとなると、指の数を数える方が時間が掛かるぐらいなので……」
「あぁあぁまどろっこしいから本物って事にしておくぞ!」
私の話を強引に打ち切りつつ、館長は奥の部屋の鍵を開けた。あぁ、私のいけない癖が出ちゃったか。気を付けてはいたんだけど、話を進めるうちに異様に回りくどく説教臭くなる悪い癖。現状認識の共有ばかり求めちゃっていたから……。
「本物だとしたら、相当の儲け物だねぇ。何て言ったって、あのクラフトマンの最終未完成作が命を持つ瞬間を、目の当たりに出来るかもしれないんだからねぇ」
旦那さんの方は既にその気のようだ。事情を知らない人からすれば、このイベントは何処までも喜ばしいものだと言えるかもしれない。あくまで、その裏に流れる物語を知らなければ、の話だけど。
戸が開かれるにつれ、部屋の空気がこちらに流れ込むのが感じられる。暖かさと涼しさ、太陽と風が運ぶ心地良い二つの要素は、前に来たときは驚きが勝っていたとはいえどこか安らかな気持ちにさせられる。嫉妬も、憎悪も薄らぐような空間……それがこの場所だ。
「……あれ?」
レクターが声をあげた。何か違和感を覚えたらしい。どういう事なんだろうと私もまた時計を見て……。
「……あ……」
……針がある盤面の下、右側の天使のレリーフの胸元に付いた、金剛石らしきものが、ぴかぴかと明滅していた。
「……おでれーた。今まで光ったことなんざ無かったんだがよ……」
「全くだよ。初めてマイワイフに連れてきてもらってから、一度としてこんな事はなかったよ」
館長夫妻が私の横で、私の内心と同じ感想を述べている。この"変化"で、私達は目の前で、ゆっくりと時計を見上げ始めたスケルトンが、ヘイマー氏であることが証明された。宝石が光っている天使……嘗ては両性を有していたり男も女もさして区別がなかったりと形が定まっていない存在だけど、これはどちらにも性別が確固としている。光っているのは女性の側だ。……ということは、"クラフトマン"が……?
『――ジョン……!』
「……え……?」
ふらり、と前に足を踏み出したヘイマーさん。その瞳の光は……しっかりしている?先程までの虚ろなそれとは違って、はっきりとした光が宿っていた。
覚束無い足取りから、しっかりと地面を踏み締めて進んでいくその光景は、まるでヘイマー氏が完全に蘇ったかのよう……だったけれど。その動きは、さらに時計に近付くにつれ、緩んでいく。いや、体から力が抜けていき、支えることが出来なくなったかのように地面に崩れ落ちていった。
『ジョン……まってた……ずっと……ずっとここで……わ……た……し……を……!』
わなわなと震えながら、地面にへたり込むヘイマーさん。彼女は理解したのだろう。求めていた約束を果たす相手は此処にいて、しかし遠い過去の存在となってしまった事を。
レクターは瞳を伏せていた。……伝えていなかったのね。私だったらどうしただろう。伝えていただろうか。……伝えて成仏したら元も子もない、と考えて伝えていないかもしれない。口の動きから、「僕は卑怯だ……」と漏らしているのも分かった。……レクターは優しいから。
心配そうに抱き合う……というよりも端から見たら旦那さんが館長を抱っこしているようにも見える夫妻。この空間を壊すほどの魔力も、膂力もこのスケルトンには存在しないことは理解していても、どうなることか心配なのだろう。
彼らの様子を目にしながら……私はただ、何もせずにヘイマー氏のことを眺めていた。
『……ごめんね……ずっと……ずっとまって……やくそく……まもりに……おくれて……』
辿々しく、感情を絞り出すように呟きながら、ヘイマー氏は時計の目の前で、再びゆっくりと立ち上がって……まだ光っていない天使と同じ方向を向きながら……両手を胸に重ね当て、そのまま前に差し出した。……図鑑に載っていた、旧式の婚約の儀礼だ。本来ならば新郎側の行為をするはずのところを新婦側のそれにしているのは、魔王の魔力の影響か。
しばらくそのままの格好でいた彼女は、再びそれを重ね、かっ、と目を見開いた!
『――!!!!』
――彼女が叫んだ言葉が何か、私達には聞き取れなかった。恐らく古代の言語に独特の訛りが加わったものだろう。それよりも、その叫びの反響が終わったとき――時計の奥で。
かちり、歯車がはまり、魔力が怒濤の勢いで巡る音がした。
――――――
「――な……!?」
地響きのような音を立て、目の前の仕組み時計はその針を高速で回転させていく!まるで止まっていた分の時を取り戻すかのように、目で追うのがやっとの速度で両針を回していく。錆付いていたはずの針の駆動箇所は、今やその錆を自ら落とすように生き生きと動き、そして徐々に速度を緩めていく。
かちかち、かち、かち……がち……がち……。重く、それでいてどこか軽快に響く針の音。それが一つ鳴る度に、天頂で待つ短針に、長針が近付いていく……それと同時に、城の窓を模した部分が開き、カチリカチリと歯車が回る音がする。何かが出てくるのだろうか。微かな期待が僕の中に湧いてきた頃合い。
――カチン
「……え……?」
何だろう。空気が流れ込んでいく音がする……?時計の中に空気が入り込んでいるのか……?一体何が起こるのだろうか……そう考えた僕の耳に、荘厳であり、聞く人が思わず身を震わすような鐘の音と、堰を切ったように溢れ出すパイプオルガンの音が飛び込んできた!
「!?」
驚きのあまり心臓が止まりそうになる僕らの前で、時計に仕掛けられたパイプオルガンは、空間全体に響き渡る音で何かの曲を奏でている。この曲……何だろうか、何処かで聞き覚えが……!
「――久々に聞いたぜ……こいつぁ、既に廃れかかった、ドワーフ伝統の"結婚式"用の曲だ……」
そうだ!クラフトマンの歴史を調べたときに一度だけ聞かせてもらったことがあった曲だ!今は廃れしまったという結婚式の曲……クラフトマンはそれを"この曲だけは特別だ"と気に入っていた!
鐘をバックにしたパイプオルガンの音楽が鳴り響く中、開いた窓から、何かが迫り出していく。左右対称そこから出てきたのは、アーチを描く鉄の……鉄よりも固い物質で出来た、中に空洞が出来た棒。それらは丁度シンメトリーとなった天使の中心線で二つ重なり、組み合わさった。この仕掛けは見たことがある。とすると中から……やっぱり出てきた。
「マイワイフ、懐かしいねぇ。僕らの結婚式も、あんな可愛らしい人形を君は一杯用意していたねぇ」
「そうさねぇ。尤も、そこまで精巧に動くものじゃあなかったがね」
絡繰り人形の一団。それも、結婚式を祝う人々や、両親を模したもの、楽団風のもの、子供や大人のようなもの、ドワーフに似せたもの……中にはエルフのような人形まであった。種族的に仲が悪い人形を入れるのは、一体どういった意味があるのだろう……。
それらは互いに挨拶を交わしたり、楽器を奏でたりと、思い思いの行動をしている。いや、そう動くように作られている。デフォルメされているものの、その動きは間違いなく、精巧さを極めようと苦心し、絡繰技師のレベルを引き上げたクラフトマンの達越した技量が現れている。
だが、技量云々の感動よりも……僕は、クラフトマンが何のためにこれを作ったのか、その純粋な思いに、そしてそれ故のこの結末に心を痛めていた。全ては彼女の助手をしていたヘイマー氏のために。時計の草花も、天使のつけた首飾りの仕掛けも、沢山の人形達も……みんな、今は"彼女"となってしまった彼のため……。
「……」
何度も目を逸らしそうになるのを堪えながら、僕は目の前で活き活きとした姿を見せる時計を眺めていた。鐘が体を震わす中、曲はいよいよクライマックスを迎えようとしていた。アーチを描く人形の通路の最上段に、まだ人形が一つも無いところがある。そこに登場したのは――ウェディング姿のクラフトマンとタキシード姿のヘイマー氏……の人形。両端から、二人、ゆっくりと近付いていく。
高鳴るパイプオルガン、体を揺らす鐘、空間が最大の盛り上がりを見せる中……丁度天使の真下辺りで、二人の人形は口付けを交わしたのだった……。
『……そう……ジョン……あなたは……これを……わたしに……!』
その一連の壮大な、実のある、しかし今となってはどこか哀愁すら感じられる時計の産声にして、事切れなければ実現するはずだった未来予想図を目にして、彼女はどこか呻くような、囁くような、擦り切れそうな声で呟いた。
ぽたり、ぽたり。体の水分を絞り出したような涙の滴が、地面に落ちて黒い水玉を作り出していく。嗚咽が、何重にも反響する鐘の音を貫いて僕らの耳に届く。
『……ごめん……ねぇ……っ……!ジョン……ごめ……っぐ……ん……ひぐっ……っく……ぁあ……ぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……』
"クラフトマン"の、何処までも純粋な、ヘイマー氏に対する思いを目にして、僕らの目の前で、襤褸切れを身に纏ったスケルトンは、巨大な時計に縋るような格好で、大粒の涙をぽろぽろと流しながら、せき止められない悲しみを押し出すように泣いた。
嗚咽にノイズが混ざり始めているのは、恐らく既に彼女の魂が、媒体となる骨から剥離し始めているからだろう。
……これで、良かったのだろうか。
……もっと、上手くやれたんじゃないか。
……もっと、上手い方法があったんじゃないか。
痛む胸で頭を巡らしても、何も浮かばない自分の想像力の無さをこれほど恨めしいと思った事はなかった。
高らかに鳴る、ウェディングの鐘。それに合わせるように、殆ど掠れきった声で、彼女は……。
『――ジョン、私も……あ、い、し、て……』
その言葉を残して――彼女の魂は、輪廻の中に消えていった。
カラン、と音を立てて、彼女の体を構成する骨が地面に落ち、乾いた音を立てて割れ、土へと還っていく。
時を刻み始めた時計の産声が、彼女の魂を送っていくかのように、土で囲まれた空間に、身を震わす音で響き渡る……。
その音を耳にしながら、僕は自然と、天井を見上げていた。僕だけじゃない。ムクも、ドワーフの館長もまた、彼女が昇る先を見つめていた……。
ただ、ただ、見つめていた……。
……『未完の絡繰時計』が時を超えて動き出したことは、忽ちのうちに噂となり広がり、記念館にはしばらくの間連日客がひっきりなしに訪れ、その姿を目にしたのだった。
一定の時間には絡繰人形の踊りが音楽と共に見られる事もあり、噂による客足が一段落した後でも、リピーターは多とは、館長の話。
けれど、その誰一人として、パイプオルガンが奏でるあのメロディを耳にし、人形総出のあの結婚式の様子を目にしたものは存在しなかった……。
――――――
『――斯くして、未完成の遺作は、幾年を経て動き出した。あの日果たせなかった約束を果たし、天へと昇る彼女の魂を見送るように――』
……そう記すしかあるまい。実際はそんなロマンチックなものではない。無器用で、鈍くて、そして、遅い。お互いに間に合わなかったのだ。
"クラフトマン"も、彼女と共にいた、一番のカメラードにして親友で、そして"恋人"だった"彼女"に贈ろうとした、魅力的なプレゼント。
もしその時に完成していたら、今頃この場所は技術職魔物とその夫の絶好のプロポーズスポットとして、彼女らの名前と共に有名になっていただろう。それこそ、二人して『永遠』になれただろう。
そして"彼女"もまた、遅かった。亡くなったのが比較的魔力の薄い地域だったのが災いし、欲の皮が張った死霊術師の手によって魔力を与えられ復活したときには、既に"クラフトマン"はこの世にいなかった。おまけに復活自体も不完全で、大切な約束の記憶まで薄れてしまっていた。
けれど――けれどその断片こそが彼女の存在を支えるものだった。だから"彼女"は"クラフトマン"の断片、つまり彼女の作品を探して、あちこちを放浪していた。一時期噂になった"クラフトマンの亡霊"の正体は、まず間違いなく彼女だ。
で、退治しようとした教会下級兵が手傷を負い、その関係で教会内で指名手配……傷を負いながらも、"彼女"はずっと、約束を果たすために、片割れの言葉を持って放浪を続けた。今はもう居ない、"クラフトマン"と交わした約束を、果たすために……。
「……」
私は手にした羽ペンを止め、窓の外に広がる、雲の切れ間から差し込む光を眺める。そこに天国への階段があるかどうかは解らない。でも、もし存在するならば、どうか二人の魂を、再び巡り合わせて欲しい。切に、切にそう願う。
そして……私達も考えなければならないだろう。既にコールはインキュバスと化しているとはいえ、一緒に天寿を全うできるとは限らない。運命の神は常に退屈を紛らすために悲劇を求めているのだから。
「……――」
だからこそ――この一日一日を大切にしていこう。私達二人が、幸せであるために。
――――――
『――コレが完成したらよ、まず真っ先にお前に見せてやるよ!』
『……そうか。そいつは光栄だな』
『でよ!でよ!そしたらお前に言ってほしい言葉があんだ!俺と一緒にな!』
『……またお得意の小細工か?本当に上手く行くんだろうな?』
『大丈夫だ!何たって俺は――』
『はいはい。で、早く教えてくれないか?』
『むぅ。……じゃあ、良く聞けよ――』
『E,A,R,A.』
fin.
『――ん?……あぁ、そう……らしいな』
『……へ?』
『しっかし参ったね。折角蓄えた髭もどっかいっちまったし、手の肉刺もなくなりやがったか……やれやれ』
『……』
『ま、俺が俺である限り"クラフトマン"は止めねぇけどな。』
『……』
『……ん?どうしたんだ?』
『いや……ジョンなんだな、と思ってな』
『たりめーよ!失敗作は数知れず!成功作も数知れず!生ける伝説、クラフトマン=ジョンとは俺の事よ!
……まっ、この体じゃ、作風はちょいと修正が必要かもだけどな』
――――――
ドワーフは見掛けに拠らず手先が器用である。それは前魔王の時代からの特徴であるが、そうなった経緯というのは元来彼らが地中や洞窟に縁が深い種族であり、繊細かつ大胆に土を掘らなければ大惨事を招きかねない事から、力強さと繊細さをスキルとして持つようになったという。今先程ドワーフの族長から聞いた話だ。
「……ユキ。こうして見てみると、本当に無駄がないというか……崩落の対策用の土も含めて、安全性と利便性の両立が考えられている場所だよね」
「……ジャイアントアントと良い勝負……」
隣で私の夫であるレクターが、興味深そうに土の壁を見、触れ、その機能美に感心している。私もまたその横で、ぺたぺたと壁に手を這わせ、柔硬のバランスのとれた壁の作りに感心している。
「おいおいお二人さん、感心してんのはいいが置いてくぞ?この調子でお宅らに付き合ったら時間が足んねぇからな」
私達の足下から響く、ソプラノの声に似合わぬべらんめぇ親父口調。見下ろすとそこには、人間換算にして3〜5歳も良いところの、橙〜朱色のショートカットに厚底のゴーグルを乗せた女の子……いや、女性。それがやれやれと世知辛さを表すかのように首を横に振りつつ、鶴嘴を進行方向へと掲げていた。
「あ、ごめんなさい。つい見入ってしまって……」
丁寧に頭を下げると、彼女はふん、と鼻を鳴らし、手にしたカンテラで洞窟の先を照らしてくれた。
「ロエカータ館長とナドキエさん直々のお達しだから、本来族外非の保管庫まで通すんだぜ?そこんとこ分かってくれや。な?其処さえ案内したら、後はマッピングと落書きとサンプル採取、破壊工作以外は営業時間中好きなだけ調べてくれや」
とふとふ、肩を片手で叩きつつやれやれと横に首を振る彼女に謝りつつ、私達は興味の光を双眸に爛々と灯しながら洞窟の奥へと足を進めていくのだった。
『ロエカータ館長とナドキエさん直々のお達し』
その言葉の意味を噛みしめる出来事を思い出しながら。
――――――
『……を?』
『……相変わらず無茶するな。部屋に籠もって何時間だ?もう日は暮れたぞ?』
『おお、そんなに経ってやがったか』
『全く……作業に集中すると何も見えなくなるのは変わらないんだな』
『がっはっは!それでこそのクラフトマンよぉ!』
『体壊して倒れても知らんぞ。じゃ、俺は家に戻るぞ』
『お、おい待てよ。泊まってかねぇのか?』
『ジョン。お前の工房に俺が泊まれる空間がないのは俺が一番解ってるんだ』
『う゛……ったく、しゃあねぇな。ほらよ』
『!……っと。何だ?この錠は』
『部屋に来た礼だ。お互い長生きしようぜ』
『……そうだな。じゃあな、ジョン。また来週、会えたら会おうぜ』
キィ……バタン
『……ったく、誰のためだと思ってやがんだ……』
『……見抜かれてるな……ゴホッゴホッ……。
持つか……持たせなきゃ……な……』
――――――
「おい、レクター。お前、『クラフトマン=ジョン記念館』に行ったことがないって本当か?」
切っ掛けは、僕達の恩人であり、腕利きのトレジャーハンターでもあるコール=フィレン氏が僕に告げたこの一言だった。
「あ……はい。行く機会がなかったです」
この『ジョイレイン博物館』に納められている数々の物品の中に、名工'クラフトマン=ジョン'作の品物は多い。例えばそもそも中々壊れない上に、部品を定期的に交換して螺子を巻くだけで半永久的に時を刻む時計。大量生産用の複製品(レプリカ)が大量に出回る中、領主直々に本物を寄贈されている。
また、'ぶれない羅針盤'や'虚栄の王冠'、さらにはジパングから学んだという土器や磁器など、作り上げた物は枚挙に暇がない。基本オーダーメイドであり、量よりも質を重視した作品は、呪いの有無が噂されたことがあるものの、今も愛好家が尽きず、表でも闇オークションでも相当の金や宝石が飛び交う……。
当時彼の歴史について調べていた僕だったけど、その時には記念館はなく、色々伝を使ってドワーフ達と話し、歴史を聞いて、やっとこさ書き上げた記憶がある。正直、あのときに記念館があれば、研究者に会うのもスムーズだっただろうな……。尤も、最近まで記念館が建てられなかったのは、"呪い"の噂が一時期立ったから、というのもあるんだけど……。
「意外だなぁ、調べ物好きなお前さんならもう向かってると思ったが」
「職業病ですけどね。後は上司対策に必要なんですよ」
ロエカータ館長の蘊蓄の真偽を確認し、密かにメモをしていることを館長は知らない。知っていても黙認しているかもしれない。そして真偽が分かる度に、館長の尋常でなさを僕は肌で感じる事になるのであった。意図的に間違えていると思われる名称以外、殆ど間違っていないなんて……。
迷惑に思われていた館長が、実は偉大な人だったんじゃないか、そんな疑惑すら浮かんでしまうほどに、その事実は僕にとって衝撃的だった。それに関してはコール氏にとっても同感だったらしく、頭を掻きながらやれやれと首を横に振っていた。
「だってあのおっさん、以前聖堂の改築のために呼ばれてたらしいぞ?あの自治聖都市ノーディスのな。何でも"下手な教会上層より歴史や美術的特徴、及び建築者集団について知っている"からアドバイスを伺いたくなったんだとか」
リリまた(リリムすら跨いで通る)都市であるガッチガチの教団の支配地、自治都市ノーディスに、表面上は中立に近い親魔物国家出身者が呼ばれるとは。以前ならまた法螺でも吹いたか、と辟易するところだったけど……さもありなん。コール氏曰く、その後模写した資料を領主許可の元受け渡すことで解決したらしい。『作る以上書き込んだりするでしょ?』と一言を添えて……そんなに手渡したくなかったのだろうか。蒐集癖あるとは聞いているし。
『勝手に改竄されかねないからねぇ。よく聞くでしょ?古本屋で買った昔の資料を破いたり切り取ったりするような無粋な人がいるって』
ジョイレイン領に於いて、無粋とはルール破りの次に許すことの出来ないものだ。生粋のジョイレイン人である館長が無粋、と評するように、館長は資料を汚す存在は許さない。新発見によって認識の塗り替えが行われるのは歓迎だけど、改竄は絶対に許さない。普段の鬱陶しいくらいに知識を伝えているのは、それが館長にとっての愛の表明のような物らしい。聞いている側にとっては傍迷惑この上ないけど。
で……目にしたことはないけど、バウンティハンターの"狼を従えし者"ガラ氏を片手で伸したことがある(コール氏曰く)くらい、外見に似合わず強いらしいんだ……。雑誌で目にしたジパング出身の松の丘の剣士の来歴じゃないけど……。
・北にいた資料の改竄をもくろんだ領主を、情報で"精神的制裁"
・中央教会の歴史捏造録を密かに"作成"して"配布"
・西のマフィアが納める港町の (マフィアの)歴史変遷を"内部潜入"して"執筆"
・当館を襲撃した暗殺集団及び盗賊団が一週間経たずして背後にいた存在ごと"完全崩壊"
……これだけの荒行を体一つでやるなんて……どれだけチートなんだろう。まず僕は無理だ。最初のそれの時点で胸をやられる。まぁ……この『ならず者達の領』に住んでいる以上、ある程度の訓練は積んではいるんだけどね。と言うかよくあんな人の隣に居て命を狙われなかったよ僕ら……。
閑話休題。館長の話で脱線してしまったところに、コール氏がそれはさておき、と持ち出した物は……。
「……『ナドキエ出版』……の名刺……?」
そこにあったのは、この世界ではわりと有名な、親魔物寄りの書物を出版する出版社、ナドキエ出版の社長:ナドキエ=カタリーナの名刺であった。紙に縁取りされた、恐らく北西部の紋様を取り入れたであろう金のラインには様々な術式と多量の魔力が組み合わされており、名刺自体の品質を保たせるだけでなく、不必要な譲渡の禁止など様々な効果がある。まぁ、この名刺自体が様々な施設(教会関係以外)の入館許可証になるから無理はないか……。
しかし、どうして僕に、そもそも何でコールさんがこれを?疑問はすぐに解決された。
「あ〜、あの出版社で"ダンジョン探索ガイドライン(仮)"と"はじめてのダンジョン製作"を発行することになってな、俺がムクの奴と一緒に協力してたんだよ。で、内容は纏まったんで、お役御免ついでに次の仕事……っつか野暮用を頼まれたんだよ。
ほら、持っとけ」
声を出す間もなく、名刺を押しつけられる僕。取り落としそうになる僕を気に掛けず、彼は続けて何かを取り出す。それは……仕様書?何のだろう。それと……依頼書。それも……依頼者はナドキエ社長!?
「これが俺の『野暮用』だ。とりあえず仕様書を読んでくれや」
言われずとも……僕は何となく何をやらされようとしているか理解して、依頼書を手に取り開いたのだった……。
――――――
『完成させたくねぇ』
『……今、何と?』
『あぁ?俺はコレを完成させたくねぇっつったんだ』
『そんな!貴女は今までこれを完成させるために時を――人生を賭してきたじゃないですか!今完成間近のこの時になって、どうしてそんな事を――』
『――っっ!!いいから……出て行きやがれ……っ!金輪際顔を……見せんなぁ……っ!』
『……クソッ……クソックソックソックソックソォッ!……不甲斐なくてやんなるぜ……』
『……完成させたくねぇんじゃねぇ……もう、完成しねぇんだ……完成しねぇんだよ!クソがぁっ!』
『……間に合わなかった……ッ……!』
――――――
「『永遠の未完成絡繰時計』について、逸話を調べて欲しい……まさか、ユキも同じ依頼を受けていたとはねぇ……」
私も正直驚いた。けれど依頼人が依頼人だし、正直さもありなん。エピキュリアンで、野生のルールの中で欲望を追究するジョイレイン人の主と、経歴不詳にして神出鬼没の出版の主。この二人が意気投合しないはずが……ない。断じて仲違いは有り得ない。
あぁ、恥ずかしくも苛烈な斬新な罠の研究の仕事。雪のように綺麗な美白の肌だったから付けられたと言う私の名前からすれば、今の仕事はあまりにも美白には程遠い。寧ろ対極に位置すると言える。早く箱に籠もってレクターとまぐわいたい。まぐわって仕事のことを記憶から追い出したい、時折そう考えるほどに苛烈だ。
この大陸の他のどこに『男であることにありったけのトラウマを植え付ける罠』などという風変わりにして意地悪く、ふざけた罠を創らせようとする一領主がいるだろう。他にも『使い魔レベルアップの罠』、『羞恥ポーズのまま固定しガーゴイル部屋に転送する罠』、『隠された性癖を暴露される罠』……ここの領主の正気を疑いたくなる。いや、ドランクン兄弟の時点で十分怪しいか……。
「……」
レクターの言葉に肯きつつ、私はしばし普段の仕事について忘れることにした。今は『永遠の未完成絡繰時計』の謎だ。
「……ほらよ、この先だ。グレート=ジョンの遺言通り、起動は出来ねぇが、周りを探ることは出来るだろうさ」
ぶっきらぼうな口調で戸を開けつつ、案内人のドワーフがカンテラを掲げると、明かりが空間を照らし出す。
――其処にあったのは、完全に風景と融合した、一台の――いや、一棟、と言っても過言でもないかもしれない大きさの、巨大な絡繰り時計だった。
恐らく模様は丁度魔王の代替わりの頃に流行った蔓草が絡み合ったオリエンタルな柄に、スペードとハートをあしらった物。それが固定化魔法された樹に描かれている。時折キラキラと輝くものがある。宝石だ。紅玉、黄玉、アクアマリン……。色とりどりの磨き抜かれた宝石が、互いの美しさを邪魔することがない配置で私達に瞬いている。そう言えば"クラフトマン"は宝石職人としても一流であったと聞く。氏の芸術的技巧がこれでもかと凝らされた、金銭的価値で推し量ることの出来ない作品だ。
何処か城か、或いは教会に置かれている建物備え付けのパイプオルガンを思わせる外観を持つそれは、壁面のそこかしこに魔力が籠められた紋様が、絡み付く蔦に紛れるかのように刻み込まれている。維持術式の一部なのかもしれない。魔法帝国時代のアンティークには、大概このような紋様が刻まれているものだ。外面を綺麗なままにしておきたい先人の知恵を生かしたのかもしれない。
塔に開いた覗き窓のような、黒く塗られた窪みが幾つか見られる。本来であれば時間になればここから何かの絡繰りが飛び出すのだろう。それとなく神話を折り込んだ、日常の風景を絡繰りにして再現するのが"クラフトマン"の流儀らしいけど……動かない今、それを確かめる術はない。
そして巨大な時計板には、現在も砂漠の民を率いているというファラオ、ラメラス十七世が考案した数字が刻まれ、時計を眺める私達に時を知らせている。同時に……今は全く動いていないということも、重なり合った時計の針は告げている。
「……?」
……12,3,6,9時の所に、数字に蔦を絡ませるようなデザインで、宝石を使って花が描かれている。チューリップ、ヒマワリ、コスモス、ポインセチア。どれも四季折々の花だ。特段珍しいものではない。でも何だろう。どこか、頭に引っかかる……。
「……しかし、これが未完成品とは……」
レクターの何気ない呟きに、案内ドワーフは溜め息と共に肯く。
「全くもってその通りだぜ。俺も技術屋の端くれだが、この時点で未完成だってのが信じられねぇよ。当時の設計図が残ってりゃいいんだが……まだなんか付け足す気だったのかもな……」
これ以上何か付け足す、そう口にしつつも、この場にいる私を含め三人は、頭の中でそれを否定していた……。けれど、それを証明する術はない。設計図が掘り出されるか、もしくは……。
もやもやとした思いを抱えながら、私達は一回、この場所を去ることにした。このまま此処にいても得られる物はないだろう。そう判断してのことだ。
「……あ、あと一つよろしいですか?」
帰ろうとした私の足を、レクターの声が留める。どうにも何か引っかかっているような顔で、彼は案内ドワーフに尋ねた。
「……この時計は、いつから未完成になったのか、記録は御座いますか?」
案内ドワーフは鼻をならしつつ、何も意識せず答えた。
「あぁ、あるぜ。
当時工房の商品を売りさばいていたゴブリン商隊の隊長『グツコーゴブリ=ゴッブール』の手記に拠れば、魔王が代替わりして5年後の霜降月だとよ。"クラフトマン"が突然完成させたくないと言いだして、それっきりだとさ」
――――――
「……ねぇ、レクター」
今日の取材の帰り道、ユキが何かを悩みながら僕に話しかけてきた。先程まで見てきた『永遠の未完成絡繰時計』に、何か腑に落ちない物があったらしい。
それは僕も一緒だ。何せ、あの時計は『完成している』。組立も整備も完全、ユキ曰く魔力回路の損傷もない。普通に開始術式さえ始動すれば、半永久的に動くはずだ。
現に僕らと同じ事を考えた、幾人もの氏の後継者が、動かそうとあらゆる事を試したらしい。氏が禁止したすれすれのこともやってのけた。けど、それでも動かなかった。まるで、あの空間自体が、時を止めてしまったかのように、何も変化しなかったのだ。
「……開始術式が何か、判ればいいんだけどね……」
ユキの意を受けて発言したつもりの言葉は、しかし全く見当違いのものだったみたいだ。
「……あの、花の模様……やっと思い出せた」
「……花?」
花、というのは時計の文字盤に刻まれていた、あの四輪の花の事を言っているのだろう。特に目新しくもない、僕らからしたら見慣れた花だったけど、それがどうしたんだろう。
「何を、思い出せたんだい?」
ユキは僕の声に、ただ透いた蒼の瞳でじっと僕を見据え、淡々と口を開いた。
「……描かれていた花の持つ、言葉……」
「それって、前に話していた……花言葉のこと?」
以前、彼女との『逢瀬』をしていた時に、彼女は豊富な知識を僕に話してくれた。その中の一つに、『花言葉』がある。
「……元々は古代の魔法帝国にて、自身の言葉によって他者及び自分自身を魔法で縛る可能性を考慮して、防衛手段として発達した物が、いつの間にか乙女達による思いの伝達手段に変わったもの……」
その語り出しと共に、僕は彼女に色々な花言葉を習ったりしたっけ。ちなみにそんなユキが好きな花言葉はナズナのそれらしい。ちょっと重いけど、僕は背負う覚悟は出来ている。
話はずれた。つまり、ユキはあの時計の花には意味が込められているらしい。チューリップ、ヒマワリ、コスモス、ポインセチア……四季折々の花達だ。
「……でも、特に花言葉に共通性は見当たらないんだけど……」
そう、少なくとも現代の花言葉で、描かれた花々の言葉は共通性が見られないのだ。チューリップは『一時の栄光』、向日葵は『天真爛漫』、コスモスは『無邪気な残酷さ』、ポインセチアは『成功への道標』……辛うじて向日葵とコスモスが近そうだけど、他の二つは……何か違う。少なくともこれでは何も伝わらないだろう。
「……レクター、違う。現在のは現代に合わせたもの。時代によって……花言葉の意味は違う……」
僕の疑問は見透かされていたらしい。背負ったリュックの中から……やけに装丁が古い本を取りだして開いた。表紙の時点で読めない……いつの時代の物なんだろう。
ぺらぺらとページを開いては、一部のページに付箋を挟んでいく。一つ、二つ、三つ……そして四つ目の栞を挟み終わったところで、彼女は僕にその本を渡し、小声で何か呪文を唱えた。
「……『読可(リーダブル)』……読めるようにしたから、見て。これで……魔王代替わり時期の花言葉が……分かるから……」
言われるがままに本を開く。目に飛び込んできたのは、普段見慣れた標準語の文字だった。どうやら今の呪文は読めない文字や文を読めるようにする物らしい。
僕はその文字を追っていき……そして理解した。と同時に、ユキに以前聞いた"罪人"の事を思い出し……何かが繋がった気がした。
ユキに本を返し、すぐにジョイレイン領に戻ることにした。
しばらくしたら戻る、とも、ドワーフの館長にも伝えて。
――――――
『……はぁ……はぁ……』
『……随分と……ガタが来やがってたんだな……俺様もよ……ロクに……前も見えやしねぇ……』
『……好き勝手やってきて……心残りがこれだけたぁな……だがよ……これが最大だ……』
『――,G,I,R,M……』
『……ははっ……そりゃ、動く筈も……ねぇわな……。
相変わらず俺は……憎たらしいほど……いい腕……して……や……が……る……ぜ……』
『……あばよ……会えんなら、また、来世……』
――――――
……カツ、カツ……。
まさか、レクターと一緒に、この場所を歩くことになるとは思わなかった。私が行き慣れた場所であり……私が汚れてしまった場所でもある。そんな私をレクターはしっかりと受け止めてくれたけど……もし拒まれたらと思うと……。
ジョイレイン領地下牢。"ならず者の領"としてそれなりに有名なこの領だけれど、当然ながら領としての法律は存在する。そして破った者は、裁きを受け牢へ入れられる。その裁きが公平である……とはお世辞にも言えない。けれどそういうものなのだ。真に公平な裁きなど、主神や魔王にも出来ないのに人が出来るはずもない。
尤も、主がある一定の事柄に関して熱をあげていない限り、法規は天秤の如く均衡を保たせるよう、誠意努力するもの……の筈だが、そもそも祖先が侠客上がりで、前領主がアレなもの――それこそ私の知識をふんだんに使って前代未聞の罠を作成させようとするような珍妙奇天烈にして人畜有害、そう当人も認めている――だから、領に横たわる"ルール"が法となっている現状から鑑みても、努力はしているとは到底思えない。
『"ルール"を破れば放り込む』
雑に言えばこの場所はそういう場所だ。そして……深ければ深いほど、破った"ルール"は多い。そんな存在が集う場所なのだ。
「……」
独特の臭気に、レクターは顔をしかめている。当然だ。……そこかしこでデビルバグとベルゼバブ、そしてラージマウスが交わっていればこんな脂と酢と汗が混ざった独特の香りにもなるだろう。
『あひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!』
……これは"天人フルコース"の真っ最中にあげる声……か、或いは新たなる拷問"男悔の世代(だんかいのせだい)"の実験か……非道だ、色々と非道すぎる。
青ざめた顔をしているだろう私に、レクターはぽん、と肩に手を置いた。その表情は、どこまでも優しい……が、何処か痛々しい。
「……今度、フリスアリス領に観光に行こう……」
力なく頭を垂れるように肯いた私達の歩みは、まだ続く。癒しを求めて旅行するにしても、まずは目の前に迫る仕事……とも個人的な我が儘とも言える何かを解決する必要がある。
幾度目かの階段を過ぎ、幾度目かの叫びを意識的にスルーした後……、私達は、或る死霊術士が捕らえられた牢の前へとたどり着いた。
「……ギャブモール=ティープ。貴様に面会人だ」
「……おお……!」
その死霊術士は……私の姿を見た途端、天を仰ぐような奇妙なポーズのまま固まると、ドッペルゲンガーとも競い合えそうな小声とコカトリスの逃げ足の如き早口で何やらぶつぶつと呟きだした。……聞きたくないのでシャットアウトする事にする。
「……ティープさん、貴方にお聞きしたいことがあるので」
「OKOK壊したいくらいラヴィンユーなユキちゃんの相談なら俺のプライベートなラインまでどんどん話しちゃうぜぇ♪まずはスリーサイズから彼処のサイズまで――アギャッ!」
私の隣で、案内人さんが彼に向けて魔力を放った。割ときつめの懲罰魔法だ。
「……警告、98です。あと二回の警告で、『1501』か『ジョーカー』、或いは『2700』か『俺の嫁』、お好きなものを選んでいただきます」
どちらも私も知らない罰だ……何を考えているのだろう、ここの元領主は、本当に。その言葉だけで苦々しそうに、どう考えても他人の言うことなど聞きそうもない男が回る舌を止め口を噤む程度には酷いのだろう。
「……」
私は深呼吸して心を落ち着かせ、本題に入ることにした。
「……貴方が以前創り出したスケルトンについて、お話を伺いたい――」
「あ゛?何何あの阿婆擦れの話?褪めるぜ……」
声を荒げるのも無理はない。何せ、この男がこうして牢に入っている原因が、スケルトンによる衰弱寸前まで行きそうな強姦(……で、いいんだろうか……)によって体力尽かされたからであるからだ。
使役文様を使役対象に刻む間もない反逆、それは各地で指名手配されるに至った"墓荒らし"の彼のプライドを酷く傷つけたらしい。死霊術士としては有ってはならない、初歩中の初歩すら出来なかった事になる以上、当たり前か。
憂さを晴らし、苛立ちをそのまま音にするように彼は吐き捨てるように話し始めた。
「あーはいはい言えばいい言えばいいんだろ?ったく。
ゾンビやスケルトンが生前の技術を持っていることは当然ユキちゃんは知ってんだろ?俺ら死霊術士はそれに目を付け、企業秘密の手段で蘇らせていく。
で、当然元となる素体が上質であればあるほど、相応の技量が期待できるわけだ。しかもこの魔王の御時世だ。生きてたときにはむさ苦しいおっさんだったとしてもバリヤバグラマラスから直滑降プニロリボデーまであらゆるナオンのマジヤバGスポットを味わうことが出来る……グゥレイトな時代だぜ」
下卑た笑いを一瞬浮かべるティープ。レクターは表情を変えないけど……目には明らかに嫌悪の色が見える。私は……最初から冷たい色だけど。
そんなティープは、本題に入ろうとすると苛立つのか、表情を歪める。歪める。分かり易いほどに歪める。当人としても思い出したくないらしい。
「……で、そんな事を日々考えつつ、忘れもしねぇ一年前、"クラフトマン"の弟子をやっていた奴の墓を暴いたのさ。ソイツに構造も含め本物と瓜二つの安価な贋作を作らせて詐欺ろうと考えたんだ……がっ!」
――――――
『……?』
『ふふ……まさかこんな魔力の少ない場所で精製できるとはな……さすが俺様グゥレイトだぜ!これでまた一稼ぎといくか――』
『――ほしい……』
『――さて、使役のルーンを……おわぁっ!』
『……ほしい……やくそく……やくそく……おなか……やくそく……?』
『な、何しやがって何反抗しやがむぐぅっ!』
『……ん……んぅ……んんっ……』
『んむむんんんんっ!』
『……むっふ……むむ……むんむ……むっふ……むっふ……』
『――!んんんんんんんっ!んんっ!んんんんんんんんんっ!』
――――――
「……っつーわけだ。ったく、いきなり強烈な力で押さえつけられ、口とアソコのダブルドレインたぁ……実際腎虚寸前だったらしい。ここにパクられたときには救われたとすら思ったぜ……が、あのジジイの悪罵は思い出したくもねぇ最悪の記憶の一つだ。アイツは人間じゃねぇっつか、同じ人間の血が入ってると思いたくねぇ……」
何言ったんだ元領主……あぁ、隣の案内人さんもその件に関しては肯いている……。本当に、凄まじいところで私は仕事しているよなぁ……。
それは兎も角として……約束?言葉の真偽は兎も角、嘘でないとするならば、私達の推測はいよいよ以て当たっている目算が高い。
しかも弟子がいたなんて聞いてないわ。確か記録によれば相当の偏屈者で他人を寄せず一人で好き放題やっていたはず。
「……掘り出した弟子の名前は?」
「……ヘイマー=マクファーソンだ」
軽口を叩くなよと睨まれているからか、ティープは憮然と苛立ちがありったけ籠められた言葉を吐き捨て、そのまま押し黙ってしまった。
が、今ので十分だ。成る程。そしてこの死霊術士は思い違いをしている。ヘイマー=マクファーソンは"クラフトマン"の助手だ。弟子ではない。
ともあれ……。
「……情報提供。有り難う御座いました」
丁寧に一礼し、私達は牢の前を去った。帰り際に案内人さんが彼に向けて何かの紙を牢の中に投げ入れていた……何だろう。
そしてレクターも、何故か険しい顔をしていて……っ!
「……急ごう、ユキ。無礼無粋を覚悟で早く領主様にお伝えしなければいけない事がある!」
言うが早いか、私の腕を掴んで一気に階段を駆け上がり始めた!待って!そっちは近道じゃない!
――――――
「……まずいかもしれない……」
僕の腕を掴んで息も絶え絶えに何とか引き留めたユキは、僕を彼女の箱へと引きずり込みつつ、突然慌てた理由を尋ねてきた。
「……さっき、ティープ氏が言っていたよね?ヘイマー氏を蘇らせ、搾られている最中に『約束』と言っていたって」
「……ええ……」
「……そして、ヘイマー氏は生前は"クラフトマン"の弟子……正確には助手……だった。そうだよね?」
「……ええ……」
一つ一つ、資料を確認するように、僕はユキに尋ねていく。"クラフトマン"は弟子をとるような存在じゃないこと、助手は彼一人であったこと、記念館は内装や展示品の構成自体は完成して、件の"呪い"騒動で開館だけを延期していただけだったこと。そして――。
「……ねぇ、ユキ。ヘイマー氏が亡くなったのって、何年の話?」
ユキはその質問に不思議そうに答え――目を見開き、僕の方を向いた。
「……確か、ジョイレイン歴126年霜降月8日……まさか!?」
険しい表情のまま、僕は肯く。そろそろジョイレイン領主の館辺りに入ったところか。
「そうだよ。その年は魔王代替わり後5年が経った年。"クラフトマン"があの時計を創るのを止めた年だ。偶然にしては符合が過ぎていないかい?」
創るのを止めた、とは言っても、晩年氏は心残りを無くすかのように作業を密かに再開している。内装や外装が完璧だったのは、晩年の氏の作業に拠るところも大きい。
けれど、どれだけ手を尽くしても動かなかった、いや、もしかしたら動かないと分かっていても、それでもなお完成させようとしていたとしたら……。
「ティープ氏が言っていた『約束』に、もしあの時計が関係しているなら……」
きっと、記念館のあの場所を目指して各地を放浪していることになる。それだけならまだいい。
だが、未だに辿り着かず、既に一年近く経過している、ということは……既に相当数の精の犠牲者(亡くなってはいないだろうけれど)が存在するはず……とすれば、教会が動かないはずはない!
「……ユキ、急ごう!彼、いや、彼女を亡くしてしまうわけにはいかない!何とかして教会より先に見つけて、記念館に連れて行くんだ!」
ユキ達の創り出す不思議な空間を、僕らは駆け抜けていった。その神秘性に、何の感慨も抱かないままに……。
――――――
『……やくそく……やくそく……』
『……やくそく……』
『……』
『……ジョン……?』
『……ジョン……ジョン……ジョン……』
『……ジョン……!』
『……ジョン……やくそく……』
『……見つけた。"呪い"の元凶、ようやく見つけたぞ。
奴のお陰で我が領にて教会に仇なす親魔物派を一網打尽に出来た。その功績を讃え――我らが領で働いた狼藉を無にし、御霊を天に帰してやろう。
なぁに、寂しがらせはせんさ……貴様と共に歩む者は幾らでもいるからな……』
――――――
「……おう、レクター。丁度その件について訊きたいと思っていたぜ」
相変わらず皮肉的に無駄に安っぽく装飾させている謁見の間。そこにある実はハリボテの椅子にどっかと座る現領主:マトシケィジ=ジョイレイン様は、高価そうに見える煙管をふかしつつ、レクターに鋭い視線を投げ掛けた。
射竦められるレクターだけど、流石にこのジョイレインに暮らしているだけある。そのまま領主を見つめ、口を開いた。
「……教会の軍勢ですか?」
正解だ、と領主は椅子に飾られた水晶をレクターに向かって投げつける。それを受け止め、中をのぞき込むと……其処には、何故か伸びている見張りの一人と、それに活を入れる見張り。そして彼らから視認不可能な位置にいる……千人規模の教会兵団。
「親父ンとこに攻めて惨敗喫したばッかなのに、懲りねェと思ッたら、まさかンな事情があったたァな……」
一ヶ月弱ほど前、領主の父――マジュール公の元に教会の小隊が襲撃してきた。襲撃結果は……教会側の惨敗。大半は奴隷化、数名は魔物化して、今も元領主の屋敷の何処かに居るという。
そう言えば、ムクさんが『メイド見習いのアルプの娘が来たのですよー♪』と嬉しそうに私に言ってきたのが一ヶ月くらい前……まさかね……。
そんな邪推よりも、今は襲撃部隊、しかも千人クラスの対処をどうするか、それが問題だ。流石にマトシケィジ公と言えど、この人数と規模は無傷では済まない。それに今回は……恐らく門番を犯して侵入したヘイマーさんを保護しなければならない。相手が発見する前に……。
とはいえ、魔力の探知をしようにも……私はヘイマーさんの魔力を知らないし、虱潰しに探すとなると兵隊が足りない……。一体どうするべきなんだろう……兵法書の記憶、兵法書の記憶……。
私の焦りをよそに、マトシケィジ様は特に慌てた様子もなかった。そのまま手にしたメモサイズの羊皮紙に、羽ペンでさらりと何かを記して……私に向かって投げてきた。
「――っ」
危なかった……レクターが咄嗟に手を伸ばして紙を取らなければ、私は傷を負っていただろう……全然反応できなかった。
レクターは私に紙を渡し、マトシケィジ様に水晶を丁寧に返した。それをふんだくるように持つマトシケィジ様を後目に、私はその紙を確認して……!
「――有り難う御座います……マトシケィジ様」
いきなりの私の言葉に何が書いてあったのか見当が付かず首を傾げるレクターを余所に、年若きジョイレイン領主はすっくと立ち上がり、私に、いや、私達に向けて激励とも取れる叫びを放った。
「――行きな!時間は待っちゃくれねェぜ!留めた時を万魔殿から引きずり出して来なァ!」
刃のない剣を抜き、敵勢のいる地点へと向ける領主に、私は頷くと、そのままレクターの手を取り、背中の"箱"の中へと引きずり込んだ。この方が速いからだ。
「――厄災(カタストロフ)がお望みか?なンらその思いを抱いたまま、虚飾にその命を燃やせやァ!
ドランクン兄弟!祭りと行くぞ!」
領主のどこか嬉々とした啖呵を背に受けながら、私達は箱の中を進む。目指す先は――地図に示された場所。
――――――
『……やくそく……』
『……やくそく……!?』
『……やくそく……どこかにいく……いっちゃう……!』
『……まって……いかないで……ジョン……ジョン……!』
――――――
――ユキに手を引かれ、僕達は箱の中を駆け、"必要なもの"を許可を得て集めた。その許可証はいつの間にか地図の裏に焼きつけられていた領主直々のサイン……本当にいつの間につけたんだろうか。やはりここの領主は凄い。
そんな感想は兎も角として、僕らは今、ユキお手製のミミックの力が籠もった異次元バッグを手に、やや騒然となった領地を進んでいく。箱の中でない理由は……"彼女"を招き寄せるためだ。
「……今、領を出歩いている不死族の魔力は?」
魔力探知を使うユキに、僕は問いかける。聞こえていない可能性の方が多いとはいえ、聞いておかずにはいられない。今回は聞こえていたようだ。
「……こっちに来ているのは、四つ。……他は留まっているか……前線に」
……騒然としている理由が「ヒャッハー!」だったりするからなぁ、この領の住民は。だから他の国に『ならず者国家』とか言われるんだろう。来歴を考えれば特に間違っていないのも泣ける。それはアンデッドな魔物娘になっても変わらないらしいわけで……。
兎も角、こっちに近付く魔物娘が四体、その中でスケルトンが何人いるのかは分からないけど、早いとこ転送方陣に招かないといけない。逆に言えば……招けば、僕らの目的は達成できるわけだ。待ちの一手をとるのもいいかもしれない。待っていれば相手はこちらに来るからだ。
過ぎった思考を……僕は取り下げた。油断ならない。特に、こんな奔放な自由が罷り通る領の、それも突発的非常事態には、何か良からぬ事が必ず発生する。それはエロカータ館長も時折漏らす言葉だったりする。
『そりゃこんな領だもの。腹に一物抱えている人のダースにグロスくらいいるさ』
人数規模的にどう考えても笑い事じゃないはずなのに笑い飛ばせる館長は相当色々な意味で強いことは明らかだ。僕もそんな館長に多少は訓練を受けているとはいえ、暴徒と化した住民を相手に出来るほどの力はない。
ただ、力があろうと無かろうと――!
「――伏せろっ!」
――災禍は発生するものだ。
僕がユキを抱え込んで地面に倒れるその直後、僕らがいた軌道を高速で何かが通り抜ける。風を切ったそれは、何にも刺さることなく空間を駆けていく。信託を得た弓だと矢がホーミングしてくるというけれど、どうやらそれはないらしい。それよりも、軌道から敵の位置を割り出さなきゃ……っ!?
ユキを抱えながら、僕は石畳の上を転がった。肩を掠めそうな位置に突き立つ、数本の矢。間違いなく、敵は一人じゃない。何故僕が狙われるのかは分からないけど、大体予想はつく。博物館の従業員に対する腹癒せか……或いは、魔物の妻を持つ者に対する許せない思いか。どちらにしても逆恨みも良いところだとしか思えない。
内部潜伏する教会派。混乱のさなかに内側から崩落させようとする勢力を、領主は黙認している。ここは自由の領だ。刃向かって何をされても構わないならばそのように振る舞えばいいし、それが嫌ならば腹の中に何か抱いていても表面上はルールを遵守していれば領にいてもいい。
だが今は非常事態だ。罰を与える存在が前線にいる以上、反逆のデメリットは少なく、もしかしたら乗っ取らせることも可能かもしれない。何せそれだけの勢力を以て、教会はこの領に攻めてきているのだ。
まだ往年のレスカティエ軍でないだけマシかもしれないけれど……。
何て思っている暇はない!僕は周りを見回しつつ――ポケットから『玉』を一つ取り出して、指で上に弾く。そのままユキを抱き上げる格好になった。
「――『小火(シガル)』」
着火した玉は、そのまま一気に爆発し――土煙に似た色の煙を辺り一面に広めた。ご丁寧に土の香りまで付いたそれに包まれつつ……僕らは駆け足でその場を後にした。短時間なら、撒ける。その間に改めてヘイマー氏の場所を探り、見つからないように移動しなければ……。
つくづく、にわか教会兵の持つ弓にホーミング機能がなかったことを幸いと思うよ。もしあったら、さっきの煙幕ごと僕らの左胸を貫きかねない。
「……ユキ、探知できるかい?」
僕の胸元で硬直したままのユキに話しかけると、ユキははっとしたように首を横に振り、改めて探知して――?
「?どうしたんだい?」
驚き、不思議、そのような感情が綯い交ぜになった表情を浮かべながら、ユキは、探知できた事情をありのまま、僕に伝えたのだった。
「……この辺り、人と同じくらいの数のアンデッドがいる……しかも、この魔力……」
――――――
『反乱分子の鎮圧』。
それが彼に与えられた出国条件であった。百の警告を重ねた罪人に与えられる反逆不可のルーンに込められた死よりもえげつない代償の効果を思い返し、ギャブモール=ティープは下卑た顔を歪めつつ、スケルトンやゾンビを召喚していた。まだ相手を見つけていない、独身のアンデッド達は零距離にいる男や女を倒れ込むように押し倒し、ある者は唇を貪り、ある者は胸を押しつけ、ある者はいきなり御開帳させながら自らの秘所へとそれを招き……と、いい具合にエロ地獄絵図を作成していた。
「……ケッ」
本人としては、自らを捕らえ散々監禁したこの国のため、ひいてはその原因となったあのスケルトンのためになるようなことをするのは癪だった。かなり癪だった。癪じゃなければ何だというのだ。だが……浮かび上がった反逆不可のルーンを見て、最低最悪の元領主の姿及び罵倒ボイスをイヤというほど思い出し、一刻も早くこの領から出ることが先決だと、無理矢理自分を奮い立たせた。どうせ今のままでは元領主どころか、あのちゃらんぽらんな服を着た領主にすら勝てない。ならば実力や魔力を重ねてから改めてあのクソ元領主に……そう誓いながら、彼は死体や魂を錬成していったのだった。
錬成さえすれば、後は魔王の魔力が魔物娘にしてくれる。そう考えると終始操る必要がないだけ、今の時代は楽なのかもしれない。
ある程度済んだところでとんずらこくか……そうティープは、嬌声の響く街の通りで、拾ったばかりのシケモクを吹かしたのだった……。
――――――
「あひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!」
……ここの領は表面上は中立領だというのに、この様はまるで魔界化した土地のようじゃない……。内心の溜め息を、レクターは察してくれたように私の肩に手を置いた。まさかの救援がもたらしたそれには感謝の思いはある。あるけれど……これは単純に視覚的に酷い、としか。
「まぁデビルバグトラップに比べれば……」
「……」
レクター、最低と比べるのは意味がない。お願いだから私が来る以前からあった最低最悪のトラップを引き合いに出さないで。あれは男女にとってどうしようもないレベルでのトラウマになるから。デビルバグがわっさわさー……はね……。
それは兎も角、と。私達は改めて自分の位置と、こちらに向かう死者の魔力を探知し直した。前者は大通りから二本ほど離れた位置。裏通りを向かうはずが、かなり離れてしまったらしい。そして後者は……。
「……ようやく、かな?」
「……うん」
私達が息を合わせて振り向くと……そこには、黄土色の襤褸切れ一枚だけを纏った、虚ろな瞳のスケルトンが一人、何かを呟きながら私達の方に近付いていた。アシンメトリーの布切れは、どこか流浪の旅人を思わせるわけなんだけど……覚束ない足取りに、焦点が定まっているようには到底見えないその瞳では、正直ただの浮浪者としか判断しようがない。骸骨の浮浪者……何だろう、鎌を担がせたら外見だけは通り魔のような死神ね……。
そんな私の思考は兎も角、目の前のスケルトンは、まるでゾンビのように両手を前に突きだして、譫言のように何かを呟きながら私達に近付いてきたのだった。
『……やくそく……やくそく……どこ……?』
――――――
『……やくそく……やくそく……どこ……?』
……予想していた事とはいえ、思っていた以上にかなり思考が不安定なようだ。ユキは危険性を鑑みてか僕を下がらせようとしたけど、僕はそれを押し留めた。ユキにはやって貰いたいことがある。記念館行きの、直通ルートを開き、その周りに人払いの結界を展開することだ。ジョイレインの兵が出払っている今、万が一教会がそっちに軍を差し向けていたら……そもそもおじゃんになる。丈夫が取り得のクラフトマン=ジョンとはいえ、多人数で壊されてはどうにもならない……。
渋々ユキが離れると、僕は無造作且つ無防備に彼女に近付いていく。彼女の視点は、既に僕の手に持つバッグに向けられている。中に入っているクラフトマンの作品――細かく言うならば、そこに秘められた魔力に気付いているようだ。
譫言のように約束と呟きながら、彼女は僕達のバッグにつかみかかろうとする。それを何とか押し留めつつ、僕は少し屈み、バッグを握る彼女の目をじっと見て、言い聞かせるようにゆっくりと口を開いた。
「……貴女は、ヘイマーさんですか?」
『……?』
彼女は約束のことしか頭になかったのか、反応は中々返ってこなかった。精は足りているのだろうか。もし足りていなければ、『コーラドー』のアクメリアスでも持参するべきだったのかもしれない。緊急事態とはいえ、そこまで行き着かなかったのは自分の判断ミスだ……が、来てしまったのだからもうどうしようもない。
『……へいまー……ヘイマー……わたし……ヘイマー……?』
今聞いた言葉を、頭の中で反復させていく彼女。その間にも領の中の叫び声や生々しい音は大きくなっていく。外は一体どうなっているのだろう。……急ぐ必要はあるかもしれない。卑怯かもしれないしエゴかもしれないけれど……やるしかない。
僕はユキの姿を確認する。ユキは……丁度頼んだ事をやってくれて戻ってきたところのようだ。疲れた素振り一つ見せずに僕のところに近付き、向こうの現状を報告する。……懸念としている教会勢はなし、ただし盗賊の危険性はあるため、念には念を重ね結界は張ったという報告を受け、僕は密かに胸を撫で下ろし……まだ早い、と自分に言い聞かせた。真に胸を撫で下ろすのは、僕らが僕らの役目を無事達成したときだ。
――尤も、その時に胸を撫で下ろしたい気持ちになっているかどうかは分からないけれど……ね。
「……あの」
僕は、自分の名前に戸惑いつつもなおも僕の持つバッグに手を伸ばそうとする彼女の目を見つめ……どこか契約を迫るセールスマンのような気配を纏いつつ、道を尋ねられた老婆に見せるような穏やかな態度で告げた。
「……貴女の『やくそく』の場所、僕らが案内しましょうか?」
『やくそく……やくそく……!』
僕の言葉を頭の中で何度か反芻した彼女が、首を縦に振らないはずもなく、それを確認するが早いか、僕らは彼女をユキ箱の中に招いた。目的地は――『クラフトマン=ジョン記念館』。
――――――
「――ったく、今日は休館日の予定だぜ?俺は旦那とイチャコラする予定を立ててたってのに……よっ!」
本当にごめんなさい。でも今日このチャンスを逃せば、きっともう二度と、この時計は目覚めない、そんな気が私はしている。いや、私だけじゃない。レクターもきっと、思いは同じはず。
だからこそ私に念には念を入れさせただろうし、わざわざ警備の人に館長の連絡先を聞いてこちらに(私を使って)呼び寄せたのだろう。
「そうだねぇ。さすがに何らかの返礼は期待しちゃっていいかな?もちろん僕よりもマイワイフにね」
気障な返事をする館長の旦那さんにも頭を下げ謝りつつ、私達は記念館の中に入れてもらった。
無論、このスケルトン――ヘイマー(?)も一緒に。理由は既に二人に説明した。館長は訝しげだけれど、旦那さんの方はどこか期待するような目線で私達を見つめている。
「……しっかし、本当なのかい?そのスケルトンが……えぇと、その……クラフトマンの助手だったってぇのは」
「本物かどうかは、分かりません。ですが蘇らせた死霊術師の発言や"やくそく"と呟きながらクラフトマン作の道具を求める様子から、全く無関係の者とは判断できませんし、何しろクラフトマン自体が相当偏屈者ですから、約束を交わすような相手の候補を考えるとなると、指の数を数える方が時間が掛かるぐらいなので……」
「あぁあぁまどろっこしいから本物って事にしておくぞ!」
私の話を強引に打ち切りつつ、館長は奥の部屋の鍵を開けた。あぁ、私のいけない癖が出ちゃったか。気を付けてはいたんだけど、話を進めるうちに異様に回りくどく説教臭くなる悪い癖。現状認識の共有ばかり求めちゃっていたから……。
「本物だとしたら、相当の儲け物だねぇ。何て言ったって、あのクラフトマンの最終未完成作が命を持つ瞬間を、目の当たりに出来るかもしれないんだからねぇ」
旦那さんの方は既にその気のようだ。事情を知らない人からすれば、このイベントは何処までも喜ばしいものだと言えるかもしれない。あくまで、その裏に流れる物語を知らなければ、の話だけど。
戸が開かれるにつれ、部屋の空気がこちらに流れ込むのが感じられる。暖かさと涼しさ、太陽と風が運ぶ心地良い二つの要素は、前に来たときは驚きが勝っていたとはいえどこか安らかな気持ちにさせられる。嫉妬も、憎悪も薄らぐような空間……それがこの場所だ。
「……あれ?」
レクターが声をあげた。何か違和感を覚えたらしい。どういう事なんだろうと私もまた時計を見て……。
「……あ……」
……針がある盤面の下、右側の天使のレリーフの胸元に付いた、金剛石らしきものが、ぴかぴかと明滅していた。
「……おでれーた。今まで光ったことなんざ無かったんだがよ……」
「全くだよ。初めてマイワイフに連れてきてもらってから、一度としてこんな事はなかったよ」
館長夫妻が私の横で、私の内心と同じ感想を述べている。この"変化"で、私達は目の前で、ゆっくりと時計を見上げ始めたスケルトンが、ヘイマー氏であることが証明された。宝石が光っている天使……嘗ては両性を有していたり男も女もさして区別がなかったりと形が定まっていない存在だけど、これはどちらにも性別が確固としている。光っているのは女性の側だ。……ということは、"クラフトマン"が……?
『――ジョン……!』
「……え……?」
ふらり、と前に足を踏み出したヘイマーさん。その瞳の光は……しっかりしている?先程までの虚ろなそれとは違って、はっきりとした光が宿っていた。
覚束無い足取りから、しっかりと地面を踏み締めて進んでいくその光景は、まるでヘイマー氏が完全に蘇ったかのよう……だったけれど。その動きは、さらに時計に近付くにつれ、緩んでいく。いや、体から力が抜けていき、支えることが出来なくなったかのように地面に崩れ落ちていった。
『ジョン……まってた……ずっと……ずっとここで……わ……た……し……を……!』
わなわなと震えながら、地面にへたり込むヘイマーさん。彼女は理解したのだろう。求めていた約束を果たす相手は此処にいて、しかし遠い過去の存在となってしまった事を。
レクターは瞳を伏せていた。……伝えていなかったのね。私だったらどうしただろう。伝えていただろうか。……伝えて成仏したら元も子もない、と考えて伝えていないかもしれない。口の動きから、「僕は卑怯だ……」と漏らしているのも分かった。……レクターは優しいから。
心配そうに抱き合う……というよりも端から見たら旦那さんが館長を抱っこしているようにも見える夫妻。この空間を壊すほどの魔力も、膂力もこのスケルトンには存在しないことは理解していても、どうなることか心配なのだろう。
彼らの様子を目にしながら……私はただ、何もせずにヘイマー氏のことを眺めていた。
『……ごめんね……ずっと……ずっとまって……やくそく……まもりに……おくれて……』
辿々しく、感情を絞り出すように呟きながら、ヘイマー氏は時計の目の前で、再びゆっくりと立ち上がって……まだ光っていない天使と同じ方向を向きながら……両手を胸に重ね当て、そのまま前に差し出した。……図鑑に載っていた、旧式の婚約の儀礼だ。本来ならば新郎側の行為をするはずのところを新婦側のそれにしているのは、魔王の魔力の影響か。
しばらくそのままの格好でいた彼女は、再びそれを重ね、かっ、と目を見開いた!
『――!!!!』
――彼女が叫んだ言葉が何か、私達には聞き取れなかった。恐らく古代の言語に独特の訛りが加わったものだろう。それよりも、その叫びの反響が終わったとき――時計の奥で。
かちり、歯車がはまり、魔力が怒濤の勢いで巡る音がした。
――――――
「――な……!?」
地響きのような音を立て、目の前の仕組み時計はその針を高速で回転させていく!まるで止まっていた分の時を取り戻すかのように、目で追うのがやっとの速度で両針を回していく。錆付いていたはずの針の駆動箇所は、今やその錆を自ら落とすように生き生きと動き、そして徐々に速度を緩めていく。
かちかち、かち、かち……がち……がち……。重く、それでいてどこか軽快に響く針の音。それが一つ鳴る度に、天頂で待つ短針に、長針が近付いていく……それと同時に、城の窓を模した部分が開き、カチリカチリと歯車が回る音がする。何かが出てくるのだろうか。微かな期待が僕の中に湧いてきた頃合い。
――カチン
「……え……?」
何だろう。空気が流れ込んでいく音がする……?時計の中に空気が入り込んでいるのか……?一体何が起こるのだろうか……そう考えた僕の耳に、荘厳であり、聞く人が思わず身を震わすような鐘の音と、堰を切ったように溢れ出すパイプオルガンの音が飛び込んできた!
「!?」
驚きのあまり心臓が止まりそうになる僕らの前で、時計に仕掛けられたパイプオルガンは、空間全体に響き渡る音で何かの曲を奏でている。この曲……何だろうか、何処かで聞き覚えが……!
「――久々に聞いたぜ……こいつぁ、既に廃れかかった、ドワーフ伝統の"結婚式"用の曲だ……」
そうだ!クラフトマンの歴史を調べたときに一度だけ聞かせてもらったことがあった曲だ!今は廃れしまったという結婚式の曲……クラフトマンはそれを"この曲だけは特別だ"と気に入っていた!
鐘をバックにしたパイプオルガンの音楽が鳴り響く中、開いた窓から、何かが迫り出していく。左右対称そこから出てきたのは、アーチを描く鉄の……鉄よりも固い物質で出来た、中に空洞が出来た棒。それらは丁度シンメトリーとなった天使の中心線で二つ重なり、組み合わさった。この仕掛けは見たことがある。とすると中から……やっぱり出てきた。
「マイワイフ、懐かしいねぇ。僕らの結婚式も、あんな可愛らしい人形を君は一杯用意していたねぇ」
「そうさねぇ。尤も、そこまで精巧に動くものじゃあなかったがね」
絡繰り人形の一団。それも、結婚式を祝う人々や、両親を模したもの、楽団風のもの、子供や大人のようなもの、ドワーフに似せたもの……中にはエルフのような人形まであった。種族的に仲が悪い人形を入れるのは、一体どういった意味があるのだろう……。
それらは互いに挨拶を交わしたり、楽器を奏でたりと、思い思いの行動をしている。いや、そう動くように作られている。デフォルメされているものの、その動きは間違いなく、精巧さを極めようと苦心し、絡繰技師のレベルを引き上げたクラフトマンの達越した技量が現れている。
だが、技量云々の感動よりも……僕は、クラフトマンが何のためにこれを作ったのか、その純粋な思いに、そしてそれ故のこの結末に心を痛めていた。全ては彼女の助手をしていたヘイマー氏のために。時計の草花も、天使のつけた首飾りの仕掛けも、沢山の人形達も……みんな、今は"彼女"となってしまった彼のため……。
「……」
何度も目を逸らしそうになるのを堪えながら、僕は目の前で活き活きとした姿を見せる時計を眺めていた。鐘が体を震わす中、曲はいよいよクライマックスを迎えようとしていた。アーチを描く人形の通路の最上段に、まだ人形が一つも無いところがある。そこに登場したのは――ウェディング姿のクラフトマンとタキシード姿のヘイマー氏……の人形。両端から、二人、ゆっくりと近付いていく。
高鳴るパイプオルガン、体を揺らす鐘、空間が最大の盛り上がりを見せる中……丁度天使の真下辺りで、二人の人形は口付けを交わしたのだった……。
『……そう……ジョン……あなたは……これを……わたしに……!』
その一連の壮大な、実のある、しかし今となってはどこか哀愁すら感じられる時計の産声にして、事切れなければ実現するはずだった未来予想図を目にして、彼女はどこか呻くような、囁くような、擦り切れそうな声で呟いた。
ぽたり、ぽたり。体の水分を絞り出したような涙の滴が、地面に落ちて黒い水玉を作り出していく。嗚咽が、何重にも反響する鐘の音を貫いて僕らの耳に届く。
『……ごめん……ねぇ……っ……!ジョン……ごめ……っぐ……ん……ひぐっ……っく……ぁあ……ぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……』
"クラフトマン"の、何処までも純粋な、ヘイマー氏に対する思いを目にして、僕らの目の前で、襤褸切れを身に纏ったスケルトンは、巨大な時計に縋るような格好で、大粒の涙をぽろぽろと流しながら、せき止められない悲しみを押し出すように泣いた。
嗚咽にノイズが混ざり始めているのは、恐らく既に彼女の魂が、媒体となる骨から剥離し始めているからだろう。
……これで、良かったのだろうか。
……もっと、上手くやれたんじゃないか。
……もっと、上手い方法があったんじゃないか。
痛む胸で頭を巡らしても、何も浮かばない自分の想像力の無さをこれほど恨めしいと思った事はなかった。
高らかに鳴る、ウェディングの鐘。それに合わせるように、殆ど掠れきった声で、彼女は……。
『――ジョン、私も……あ、い、し、て……』
その言葉を残して――彼女の魂は、輪廻の中に消えていった。
カラン、と音を立てて、彼女の体を構成する骨が地面に落ち、乾いた音を立てて割れ、土へと還っていく。
時を刻み始めた時計の産声が、彼女の魂を送っていくかのように、土で囲まれた空間に、身を震わす音で響き渡る……。
その音を耳にしながら、僕は自然と、天井を見上げていた。僕だけじゃない。ムクも、ドワーフの館長もまた、彼女が昇る先を見つめていた……。
ただ、ただ、見つめていた……。
……『未完の絡繰時計』が時を超えて動き出したことは、忽ちのうちに噂となり広がり、記念館にはしばらくの間連日客がひっきりなしに訪れ、その姿を目にしたのだった。
一定の時間には絡繰人形の踊りが音楽と共に見られる事もあり、噂による客足が一段落した後でも、リピーターは多とは、館長の話。
けれど、その誰一人として、パイプオルガンが奏でるあのメロディを耳にし、人形総出のあの結婚式の様子を目にしたものは存在しなかった……。
――――――
『――斯くして、未完成の遺作は、幾年を経て動き出した。あの日果たせなかった約束を果たし、天へと昇る彼女の魂を見送るように――』
……そう記すしかあるまい。実際はそんなロマンチックなものではない。無器用で、鈍くて、そして、遅い。お互いに間に合わなかったのだ。
"クラフトマン"も、彼女と共にいた、一番のカメラードにして親友で、そして"恋人"だった"彼女"に贈ろうとした、魅力的なプレゼント。
もしその時に完成していたら、今頃この場所は技術職魔物とその夫の絶好のプロポーズスポットとして、彼女らの名前と共に有名になっていただろう。それこそ、二人して『永遠』になれただろう。
そして"彼女"もまた、遅かった。亡くなったのが比較的魔力の薄い地域だったのが災いし、欲の皮が張った死霊術師の手によって魔力を与えられ復活したときには、既に"クラフトマン"はこの世にいなかった。おまけに復活自体も不完全で、大切な約束の記憶まで薄れてしまっていた。
けれど――けれどその断片こそが彼女の存在を支えるものだった。だから"彼女"は"クラフトマン"の断片、つまり彼女の作品を探して、あちこちを放浪していた。一時期噂になった"クラフトマンの亡霊"の正体は、まず間違いなく彼女だ。
で、退治しようとした教会下級兵が手傷を負い、その関係で教会内で指名手配……傷を負いながらも、"彼女"はずっと、約束を果たすために、片割れの言葉を持って放浪を続けた。今はもう居ない、"クラフトマン"と交わした約束を、果たすために……。
「……」
私は手にした羽ペンを止め、窓の外に広がる、雲の切れ間から差し込む光を眺める。そこに天国への階段があるかどうかは解らない。でも、もし存在するならば、どうか二人の魂を、再び巡り合わせて欲しい。切に、切にそう願う。
そして……私達も考えなければならないだろう。既にコールはインキュバスと化しているとはいえ、一緒に天寿を全うできるとは限らない。運命の神は常に退屈を紛らすために悲劇を求めているのだから。
「……――」
だからこそ――この一日一日を大切にしていこう。私達二人が、幸せであるために。
――――――
『――コレが完成したらよ、まず真っ先にお前に見せてやるよ!』
『……そうか。そいつは光栄だな』
『でよ!でよ!そしたらお前に言ってほしい言葉があんだ!俺と一緒にな!』
『……またお得意の小細工か?本当に上手く行くんだろうな?』
『大丈夫だ!何たって俺は――』
『はいはい。で、早く教えてくれないか?』
『むぅ。……じゃあ、良く聞けよ――』
『E,A,R,A.』
fin.
12/08/02 20:40更新 / 初ヶ瀬マキナ