読切小説
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とある理容室の一日
「そろそろ髪切ろうかな」
 鏡に映る伸びきった後ろ髪を見て、そう考える。今日は休みで特に予定もないから
いつも通う理容室に行ける。決めたら即行動と、アパートを出ててすぐ自転車に乗る。
 理容室に向かう途中、横切る風で後ろ髪がバサバサとなびく。最近仕事が多忙で
意識してなかったからか、今になって頭が重く感じる。気になるとまるでムラムラして
処理したくなるのと同じ気持ちで、伸びた髪の毛を切ってスッキリしたくなるものだ。
数分ほどこぐと、あの青白赤の螺旋模様が動くサインポールを置いた馴染み深い
理容室にたどり着く。僕が小さいときからお世話になってる場所だ。ドアノブを握り、
開けるといつものカランカランという音が鳴り響く。

「あらあら、いらっしゃい」
 中に入ると、ここの店長であるテンチョーがカウンターから僕に挨拶する。
「テンチョーこんにちは」
 この人は小さい頃からの付き合いで、いつも髪を切ってもらっている。
「ホント三ヶ月ぶりね、今日もシャンプーとカットかしら?」
「そうですね、いつも通りそれでお願いします」
「指名はあるかしら?」
「特にないです」
「了解、奥のシャンプー台に座ってて」
 小さい頃から歩き慣れた木の床の感触を堪能しながら、奥にあるシャンプー台に向かう。
その途中でテンチョーがカウンターから出ると、大蛇のような下半身を表す。
テンチョーはエキドナと呼ばれる上級魔物の種族で、何十人もの娘を産み育てた既婚者。
シャンプー台に着くと、下半身が大蛇の風貌を持ちながらも色白の肌を持つ
青肌のテンチョーと異なるラミアの女性が待っていた。
「こんにちは、担当のエミリーです。今日もよろしくお兄ちゃん」
 馴れ馴れしく挨拶するこいつは、決まっていつも僕の担当になる従業員だ。
「今日もお前か、まあよろしく頼むよ」
 実はテンチョーの娘で十数年も前から働いている。テンチョーいわく、
エミリーの様に娘の何人か従業員として雇ってるようだが、見たことはない。
ここに通う知り合いの話だと逆にエミリー以外の別の人しか見た事がないという、
偶然なのか分からない事が起きている。

挨拶をすませてシャンプー台に腰を下ろす。
「それじゃ台を上げるよー」
 台の上昇と同時に椅子状から真っすぐになって、体が徐々に仰向けになっていく。
何度もやってるが歯医者で治療を受けるか手術するみたいでこの感覚に慣れない。
「頭の位置は大丈夫?」
「大丈夫だ、シャワー頼むよ」
 エミリーは僕の顔にタオルをかぶせ、シャワーを手に持つ。耳元からジョロジョロと
水道から水を少し流す様な音が、徐々にシャーッと洗面台に強く水を流す音に変わる。
エミリーは自分の手にシャワーを当てて温度と強さを確認すると、髪を濯ぎ始めた。
「お湯加減はどうですか?」
「ちょうど良いよ」
 髪全体を湿らせるように髪をほぐしながら僕の様子をうかがう。エミリーの気遣いと
手慣れたシャワー捌きがいつもの安心感に浸れる。たまに他所の理容室や美容院を使うし
同様に丁寧だけども、ここしか味わえない不思議な安心感がある。昔から通ってるから
僕にとっての第二の家みたいなもの、なのだろうか?
「ところでお兄ちゃん、三ヶ月も来なかったけど何してたの?」
「そうだな、急に大きな商談があって連日徹夜で作業してた」
「本当に? その割には疲れてないように見えるけど」
「先週それが終わったから、しばらくは定時に帰れるのさ。良い事だ」
「ふーん、また違うトコで う わ き し て た か と 思 っ た 」
 急に見えない恐怖を感じたのか、背筋が震える。
「うち以外に行くのはだめよ、いつもエミリーが待ってるんだからー」
「そうだよ、こんな可愛い女の子を待たせるんだからね」
 声のトーンは戻ったものの、髪を握る力が強くて少し痛い。

「さてと、次はシャンプーするからね」
 エミリーは自分の手にシャンプー液を垂らし、くちゅくちゅと少し泡立てる。
次に泡立てた両手で髪の毛を洗いながら頭皮をやさしくマッサージ。
「もみもみ、もみもみ」
 揉んでいる様を声にしつつ、前頭部から頭頂部に後頭部の範囲を指先で押す。
弱すぎず強すぎない、絶妙な力加減でなんだか天国に行ってしまいそうだ。
「力加減はどう? お兄ちゃん」
「ああ、最高だよ。他だとくすぐったかったり痛かったりでね」
「そうでしょそうでしょ。お兄ちゃんの事をよーく知ってるの私だけだもん」
 見えなくても分かる、エミリーはドヤ顔してるに違いない。
「ちょっと首元くすぐったいけど我慢してね」
 片手で支えるように頭を少し持ち上げ、もう片方で後頭部を撫でる様に洗う。
僕は後頭部からうなじが敏感で特に撫でられるのが苦手なのでとてもこそばゆくて、
ずっと背中と足がブルブル震える。まるでエロ同人でイキっぱなしの女性みたいに。
「もうちょっとだけ、我慢して」
 続けて後頭部を撫でる様に洗われて、全身が震えっぱなしだ。もし顔にタオルを
かけてなかったら無様なアヘ顔を晒していただろう。もっとも、人間を虜にする
魔物が頭を洗うだけで済ませているからこの程度で済んでいるのだろう。
仮にセックスなんてしたら、セックス始めたら、どうなってしまうのだろうか?
「はい、終わったよ。最後はシャワーで流すね」
 再びシャワーを出して、髪の毛の泡を落とす。シャーっと髪の毛全体にかけては、
頭皮まで近づけてジュワーって流す。この様に泡を残さず落とすんだ。
これを繰り返し行って、洗髪は無事に終わった。一度タオルで髪を包み、
曲げたり傷めないように水気をふき取る。台をゆっくり下ろして仰向けから座った
体勢に戻し、髪にドライヤーを当てる。熱気のこもった風で髪が徐々に乾く。
「はい、お疲れさまです。入り口の近くの席に座って待ってね」
 指示に従って席に向かう際に、テンチョーからもお疲れ様と声をかけられる。
席に座るとテンチョーが僕にシーツをかけ、しばらく待っててと言われた。

 少しして、エミリーが理容器具を入れたワゴンを押してこっちに来る。
「お待たせお兄ちゃん。それじゃ始めよっか」
 そう言うと長い尾を動かして椅子ごとからみつく。シーツ越しでも今に始まったことではないが、
女の子が巻きつくはやや不純と言うか理性が揺らぎかねない。
「手元が安定するのか知らないけど、年頃の女の子が巻きつくなんてはしたないよ」
「えー、良いでしょ。それにお兄ちゃんはこの方がやりやすいんだから、ね」
 これ以上何を言っても進展しないだろうから、このまま散髪してもらおう。
「それで、今日も髪は切るだけ?」
「うん、いつもの条件で。髪型は任せるよ」
「オッケー、お兄ちゃんをワタシ色にシてあ・げ・る」
 前髪をつまんでピンと伸ばし、専用ハサミで小刻みに切る。スパスパと心地よく
切れる音、徐々に徐々に軽くなる感じ、これがたまらなく気持ちいい。
一度前髪を前に垂らして長さを見て、確認したら次は頭頂部の髪を切り始める。
 スパスパスパスパ、またさらに重さが減ってスッキリしていく。ふと足元をみると
山が出来たと思えるぐらい、切った髪が積もっていた。
「これでも切ったばかりだよ。これから足元の毛がさらに増えるから」
 たった三ヶ月でここまで伸びる自分に驚く。その時店のベルが鳴り、新たな客が
来たことを知らせる。
「いらっしゃいませ。あら、エレナちゃんこんにちは」
 どんな人か気になって横目で見ると茶髪の小さな女の子だった。もちろん人間ではなく
頭にヤギと同じ角を生やしている事から、おそらくバフォメットと呼ばれるテンチョー並みの
凄い種族だと聞いた事がある。なんでこんな所にと思ったが、冷静に考えればテンチョーも
エキドナと言う凄い存在だという事を身近過ぎて忘れていた。
「テンチョーこんにちわなのじゃ。いつも通りシャンプーとカットを頼む」
「了解。それじゃあ奥のシャンプー台に座ってね」
 テンチョーはその少女をシャンプー台に連れて行った。
「ロリコンさん、顔まっすぐ向いて下さい」
「誰がロリコンだ」
 一応髪を切りやすい様に顔をまっすぐ向きなおす。
「あの客さんが好みなんだ。へぇー」
「いや別にそういうわけじゃないよ。珍しいなあって思っただけだよ」
「えっ、あの客さんを知らないの? 私と同じ歳ながら至る所にサバトを置きつつ、
 地域貢献と礼節を忘れず模範的な運営をしてるある意味変わり者として有名な子よ。
 ちなみに昔からずーっとここに通ってるわ」
 それほど有名な子を知らなかったというか、歳も僕より少し下か。
そんな事を考えていた間に髪もだいぶ軽くなっており、エミリーはハサミを変えて
次の作業に取り掛かる。サクサク、サクサク、先ほどと違う音で髪が切られる。
「いつも気になってるけど、そのくしみたいなハサミはなんなの?」
「ああこれ? すきバサミって言ってランダムに切ったり残したりする時に使うの。
 こうやって部分部分を切って並べて毛の量が減ってないように見せたりとか、
 結構便利だけど難しいのよ」
 説明しながらくしばさみでサクサクと後ろ髪を切っていく。エミリーは一息ついて
手を止めると、ハサミをワゴンの上に置く。体を覆うシーツをはがし、
パラパラと床に毛を落とす。
「お疲れさまー。もう一度シャンプー台に行ってね」
 席を立ち、再びシャンプー台に向かう。

 仰向けになり、髪全体にシャワーを当てる。髪に残った毛を洗い流し、
毛先から頭皮まで丁寧に行う。最初の洗髪よりも短い時間で終えると
台を下ろし、再び腰を下ろす状態に戻る。もちろん髪を乾かすのも忘れずに。
「はいお絞り。これで顔をよく拭いて」
 少し熱めのお絞りを広げ、顔にそっと当てる。独特の臭いが鼻に付くも
気にせず顔を拭き、額と鼻頭や目元に頬の汚れと毛をふき取る。
「はいお疲れー。最後の仕上げだからまたさっきの席に戻ってね」
 再び席に戻り、シーツを被せてエミリーに巻きつかれた状態で仕上げが始まる。
小さなハサミでチョキチョキとエミリーのイメージに合うように後ろ髪の毛先を揃える。
次に全方位から違和感がないか見て、気になった右耳周辺の毛先を切る。今度は
前髪を垂らし、目に当たる毛先だけ一切りして再び全方位を見渡す。
 ハサミを置いて切る工程を終えると、ワゴンからワックス入りの詰め物を取り出す。
ふたを開けて中身を中指ですくい、こねる様に手のひらに塗る。両手で髪を優しく掴み、
髪全体を形作るように持っていく方向に手を動かすと、髪がそのまま固定されていく。
これを2回か3回行うと、ワゴンから鏡を取り出す。最後に僕自身が正面の鏡と
後ろにいるエミリーの持つ鏡で髪を見るのだ。
「お兄ちゃん、前と後ろはこんな感じにしたけどどうかしら?」
「ああ、結構いい感じに決まってるな」
「でしょでしょ。手ぐしで出来るから忙しくてもすぐ出来るよ」
 エミリーは顔をにやけて、嬉しそうにして鏡をしまってシーツをはがす。エミリーが
片づけしている間に僕は席を立ち、カウンターで待つ。ただ待っているのも退屈なので、
先ほどのエレナと言う少女とその髪を切っているテンチョーに目を向けた。

 バフォメットと言うと高い能力を持ちながらもバフォいと言われたり
ネタ要員だったりとギャグっぽい印象が強いが、そんな印象とは別の堅物そうな顔だ。
テンチョーは対照的にいつも笑顔で優しいお母さんって感じ。昔お母さんって間違えて
呼んじゃって十年早いと爆笑された事を忘れたいけども。二人は難しい話をしてるようだが
部外者の俺には何のことかさっぱり分からなかった。
「人の話を盗み聞きするのはダメでしょ、お兄ちゃん」
 いつの間にかカウンターにいたエミリーが小声で注意する。我に返って
カウンターに向けると会計金額が表示されていた。
「カットとシャンプーで会計は3400円になりまーす」
 ポケットから財布を取り出し、桁全部揃えて支払った。
「はーい、確かに受け取りました。ありがとうございました」
「また来てねー」
 テンチョーからの見送りの挨拶を受け、手を振って入り口に向かう。
エミリーがドアを開けて、カランカランという音と共にここを出た。
置いた自転車に乗ると、エミリーが声をかける。
「浮気しないでよね、お兄ちゃん」
「分かってるよ。また伸びたら来る」
 そう言って自転車をこぎ始め、この理容室から離れる。
「またのご来店をお待ちしまーす」
 来る前は重かった頭も、今は気分と一緒に軽くなった。
13/09/24 11:13更新 / 男魔術士

■作者メッセージ
なんかまーた長いブランクがあったものの、何とか書けました。
数日前に髪が伸びたので馴染みの美容室に行った際に、
色々思いついたので実験的にやってみようかなと思って本作を書きました。

とはいえ以前から散髪物書いてみたかったけど、
音フェチ系の書き方がさっぱり分からなくて悩んでました。
正直擬音の扱いについても悩むんですね、この書き方に問題はないかとか……、
まあ問題だったとしても次の機会に直せばいいか。

ちなみにわざわざ美容室でなく理容室にした理由は、
エキドナさんと散髪を組み合わせたイメージが理容室しかなかったんです。
やや美容院の様に髪型を作る感じになってるけど別に良いよね!(開き直り)

いかがでしょうか? ちなみに頭をマッサージされるとくすぐったくて震えます(笑)

以下余談:
1年もの間ここでSS書かず他所で合同誌に参加したり、ツクールにて
あるものを作ったりしてたけど文章上手くなったかしら。
ううーむ……

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