前篇
「はあぁ…」
既に多くの生物が眠りに就いた晩秋の森にひとつ、ため息が響いた。その声は若干高めであり、女性かまだ子供のものであるように思える。
かさり…かさり…
「どうしよう…」
果たして、枯れ葉を踏みつけながら木々の間をやや重い足取りで歩くのは一人の少年だった。
そしてその傍らには…
「えっと…なんとかなりますよ、きっと」
…一体のおおなめくじが寄り添うように歩いている。金色の長い髪をなびかせ、少年のゆっくりめな歩調と同じ速さで体を這わせ進んでいた。
適当なことを…と少年は一瞬だけ考えてしまったが決して口には出さない。彼女なりに気を遣って励まそうとしてくれているのが分かっているからだ。たとえ気休めでも、今はその気持ちが素直にありがたかった。だから…
「…ありがとう」
そう一言だけ告げる。
…彼らは別に冒険者ではない。それなのにこんなところをくたびれた様子でうろついているのは…簡単に言えば帰る場所が無いためである。
彼らは、正確にはこの少年は、住んでいた村を追放されたのだ。
話は数刻前に逆のぼる…
この少年が住んでいたのは山間にある小さな農村だった。季節は晩秋、これから冬に向けて収穫物を備蓄しようという時期である。そんなときにこの村で小さな事件が起こった。
倉庫に保存していた野菜が食い荒らされていたのだ。幸い被害はそれほど大きくはなくついでに犯人はすぐに見つかった。
…どこから潜り込んだのか、今少年の隣にいるおおなめくじである。
この村は別段反魔的というわけではないが、閉鎖された人間の集落というのはとかく部外者と違反者には冷酷である。しかし、発見され、その場で殺されそうになったところをこの少年は庇ってしまったのだ。
…実は少年は彼女の存在を以前より知っていた。彼は生まれつき周囲と比較して体力的に劣っており、周りと同じだけの仕事は出来なかった。故に、分配される住居も食事も最も質素、同年代の子供たちからは蔑まれ、両親ですらろくに労働力にならない癖に食い扶持だけは要求する彼の事を疎んでいた。
彼は孤独だった。話し相手が欲しかったのだ。…たとえそれが人外の存在だったとしても
両親とは離れて暮らす彼の小さな小屋…家に居づらくなった彼が空き家を改造してこさえたものである…に彼女が現れたのは、そんなときだった。
…魔物はこの村の人間をあまり好まない。そのため、周囲を森に囲まれているにもかかわらず魔物が村に入って来ることは稀である。少年の小屋は村の外れにあり、すぐそこに森が迫っている状態であった。おそらくそこから、それでも外よりは少しばかり温かい小屋の温度に引かれてやって来たのだろう。或いは少年の微かな牡の匂いに引き寄せられたのかもしれない。
いずれにしても、入口の天井裏に張り付いていた彼女は少年が外から帰ってドアを開けると同時に、その隙間からにゅるりと中に入り込んできたのだ。突然の珍入者に少年は一瞬だけ警戒するも、彼女のおっとりとした表情に敵意が感じられないのを理解すると緊張を解き、とりあえず話し掛けてみた。
「…こんばんは。僕に何か?」
「こんばんわ〜外が寒いので〜泊めてもらってもいいですか〜?」
やや間の抜けた声でニコニコと彼女は微笑みながら答える。
「…たいしたもてなしはできませんけど、うちでよければどうぞ。」
少年はあっさりと了承した。そして少し部屋を暖めようと中央に小さくある囲炉裏に森で拾ってきた枯れ枝を少しくべる。おきになって微かに残っていた火が枯れ枝に移り、小さな炎が上がる。
「ではお言葉に甘えて〜」お客のおおなめくじはそう言うと少年の傍へすり寄ってきた。そして彼の隣にぴったりと寄り添うとその手を彼のそれに絡めた。
至近距離からふんわりと香る魔物特有の甘い匂いに若干どぎまぎしながら少年は彼女の方へ顔を向けるが、座った状態の二人の体格差では彼女の細い肩には不釣り合いなほど大きく膨らんだ胸元が彼の目の前に来てしまい、少年は真っ赤になって慌てて顔を逸らした。
「…?」
少年の挙動におおなめくじの頭には?が浮かぶがとりあえず放置して純情な少年の気も知らず、絡めた手を擦り合わせて温め合おうとする。
「…どうして僕の家に来たんですか?い、いえ別に迷惑とかそういうんじゃなくて、もっと大きくて暖かそうな家がもうちょっと進めばいっぱいあるのに…」
少年なりに自分の家を訪れた客にたいした持て成しも出来ないことを気にしているのだ。
それに対して、少年の意図を察したおおなめくじはクスリと微笑む。
「私たちには…なんとなく分かるんです。その人の持つ温かさというか、魂の格というか…そういうものが。どんな魔物でも、この村の中で相手を探すということになったら迷わず最初に貴方を訪ねると、思いますよ?」
「…?」
魔物特有のその感覚を理解できない少年はやや怪訝な顔をするが、なんだか褒められた気がして照れたように下を向いた。これまでの生活で褒められる事など滅多に無かった少年にとって、彼女の言葉はとても甘く響く。この時既に少年の方も彼女に惹かれていたのかもしれない。
その日はそのまま他愛のない会話をのんびりと交わしながら小さな小屋の中で一夜を過ごした。
翌朝、少年はまた農作業に出る。おおなめくじはまだすやすやと眠っており、少年はその幸せそうな寝顔を見て邪魔しないよう気をつけながらそっと家を後にした。
そして今日もまたいつもと変わらない1日が始まる。すぐに作業の手を止めてしまう彼を見る周りの人間の嫌味な視線を無視し、今日の作業が終わってからはその成果を見て今度は口で嫌味を言ってくる村人を暴力を振るわれないよう相手の感情を調整しながらやり過ごす。
ひとしきり小言を言われたあと、まるで隠す気の無い視線と嫌味をさらに背中に受けながら帰路につくのだ。
ようやく小屋もとい彼の家に着いた。そして扉を開ける。
…。
…まだいた。
あろうことか今も床で寝ている。まさか朝からこの時間までずっと寝ていたのかと思ったが、よくみると彼女の這った跡が微かに光って床に残っているので一度は起きた様である。
扉の音で目を覚ましたのか寝起きのぼんやりした顔で少年の方を見た。
「あ、おかえりなさい〜♪」
「どうしてまだいるんです…何処かへ行く途中なのでしょう?」
「それがー、起きたら貴方が居ないものですから〜、少し探したんですけどそしたらまた眠くなってしまってー…」
…只の二度寝だった。
「そういうわけですからー今日も泊めてもらって宜しいですか?」
「…どうぞ好きなだけ居てください。」
少年はげんなりとした感じて了承する。しかし同時にどこか安心していたのも事実だった。彼女の柔らかな笑顔を見ていると、なんだか疲れが抜けて、重く沈んだ気持ちが少しずつ軽くなっていくような気がした。
「ありがとうございます♪」
などといっているうちに彼女がむにゅりと少年に抱きついてくる。そのまま彼の体と頭に腕を回して抱きしめた。魔物の甘い匂いとその体の柔らかさに脳を犯された少年の体はふにゃふにゃに弛緩してしまった。力が入らず抵抗できなくなった彼の体に、年頃の少年にはやや刺激の強いスキンシップを一方的に続ける…。
ようやく彼女が満足し腕の中から解放されると、少年は腰砕けとなった体に鞭打ってお湯を沸かし、風呂に入る。そしてまたとりとめの無い話をしながら眠りに就くのだ。
そんな1日がしばらく続いた…
そして事件は起こる。
村人たちがその日の仕事を終えて帰路につく頃、少年も周りより少し遅れて帰ろうとした。
その帰り道の途中、とある農夫の家の前で怒鳴り声が上がるのを聞いた。そこは人の住んでいる家としては少年の小屋から最も近い位置にある。なんだか嫌な予感がした。声は土蔵の方から聞こえる。少年は声の主に見つからないよう足音を忍ばせて柱の影から覗き込んだ。
そして少年の予感は的中する。
…そこにはあのおおなめくじの姿があった。傍にはかじられた白菜。事情は明白である。
人間よりもエネルギー効率の良い魔物は、普通に生きているだけならばそこまで食物を必要としない。しかし少年を探しに行こうと家を出た彼女の目に偶然映った瑞々しい野菜は、普段の森の中ではお目にかかれないご馳走である。そしていくら高尚な精神を持っていようと、野生の中で難なく独りで生きてゆける力を持つ魔物には、個では生き残れないが故に形成される社会という概念を、またそのルールを、理解するのは難しい。
結果としてそこに転がっている食べ物を何の疑問も無く食べてしまったのだ。
…方や農夫にとって収穫物を食い荒らす目の前の魔物の存在は、泥棒というよりはむしろデカい害虫である。害虫ならば見つけ次第潰さなければならない。彼は手に持った鋤を振り上げた…。
「待ってくださいっ!!」
気付いた時には少年は思わず飛び出していた。そしてその農夫の前で頭を下げ彼女の事情を説明し、なんとか許して貰うよう頼み込んだ。…少年は必死だった、故に自分と彼女の関係まで明かしてしまう。それを知った目の前の男が、彼の立場を知る村人が、どう思うかまで考えが及ばなかったのだ。
「そうか、お前の知り合いだったか…」
ろくに働きもしない子供が魔物を匿い村の食糧を食わせた。そう理解した男の怒りは頂点に達した。
…とりあえずこいつを殴ろう、話はそれからだ…
鋤を下ろすと同時に右の拳を渾身の力で振り抜いた。思わず少年は目をつむる。
パンッ!!
…しかしその手は少年に届かなかった。震えながら少年は目を開ける。すると横から伸びた細い腕が男の手首を掴んでいた…。
少年の斜め後ろにいたおおなめくじが瞬時に上体を伸ばし男の拳を止めていたのである。遅れて下半身がゆっくりと這って少年の前に回り込んだ。
彼女は何が目の前の男を激昂させているのかなど理解してはいない。ただ自分を庇おうとした少年を暴力から守ったに過ぎなかった。しかしこの状況を以て以前少年に言った言葉を補強する。
「これが貴方を選んだ理由ですよ♪」
少年にその真意が理解できたかは分からない。彼はただ目の前の魔物の心配をしていた。
結果的にそれは杞憂に終わる。
農夫の男は狼狽えていた。魔物の細腕に掴まれた自分の、農作業で鍛えられた筋骨隆々の腕がピクリとも動かないのだ。目の前の魔物は特に力を入れている風にも見えず、それどころか少年にのんびりと話し掛けている。ならば…ともう片方の腕でその顔を狙おうとするも、その素振りを見せた瞬間右の手首がミシリと音をたてた。激痛に呻き声を上げて顔を向けると今しがた自分の手首を握る指に少しばかり力を込めた魔物と目が合う。
…下手なことをすればこのまま右腕の骨を粉砕する…
さっきと全く変わらないニコニコとした表情で、言外にそう告げている彼女の瞳に男は青ざめた。
―おおなめくじは移動速度が遅く、逃げること自体はそう難しくない。しかし一度捕まってしまえばそれは至難の技である―…魔物が滅多に入り込まないこの村の住民は、そんな事すら知らなかった。
「…俺をどうするつもりだ、じきに他の人間がくるぞ。」
「…。」
「…どうすればいいんでしょう?」
「そんな事言われても…」と少年。
「どうしようもねぇよ!!こうなった以上もうお前の居場所なんざ無ええぎゃああっ!?」ミシミシ
そして学習しない男である…。
「…私と…一緒に行きませんか?」
不意に彼女は少年に言った。
「この村を出て私と…」
今までのほわほわとしたしまりのない表情ではない、これまでしたことの無い、或いは初めて作るかもしれない真剣な顔で少年に語りかけた。
少年も覚悟を決める。
「はい…。」
「そうはいくかよっ!!すぐに皆を集めて退治してやるこの化け物!そしてお前は…」「じゃあ仲間を呼びに行けないように脚を砕いておきますね♪」
そう言って男の膝に左手を伸ばし…
…ゴキリッ!!
そして握り潰した。辺りに嫌な音が響いた。
ついに男は泡を吹いて倒れる。その右脚は不自然な方向に曲がっていた。
…この脚ではもうまともな仕事など出来まい。これからはこの男がこれまでの少年の立場を味わうのだ…。
…本当に馬鹿な男である。
「それでは見つからないうちに行きましょうか。」
彼らは少年の家とは反対側の山道を目指し、林の中を迂回するように進んで行く。時間も既に暮れに近いこともあって誰にも見つからずに村を離れることが出来た。
…しかし大変なのはこれからである。
季節は晩秋、山間部の夜は冷え込む。更に食糧も無い。そして目的地は…、
……
「…そういえばどこに行くつもりだったんですか?」
少年の方も大概であった。状況が状況だったので仕方がないといえばそうであるが…
「村を挟んだ向こう側の森の奥にある洞窟にー、とあるエキドナさんが新しくダンジョンを作ったそうでー、そこに入れて貰おうかと思いまして〜」
「それって、ここからどれくらいあるんですか?」
「徒歩ですと〜5日くらいでしょうかね〜?」
(生きて辿り着けるだろうか…)
そこはかとなく不安だった。
やがて日も沈み、辺りは真っ暗闇となる。既に葉を落とした広葉樹林の枝の隙間から射し込む月光のみが木々の間に出来た道を照らしていた。
「今日はここで休みましょうか。」
突然前を進んでいたおおなめくじが立ち止まり言った。
ここで野宿…凍死するのではないかと少年が考えていると彼女はおもむろに側にあった大木の幹を叩く。
「ごめんください〜」
「は〜い」
すると幹の中より返事が聞こえた。少年は腰を抜かして尻餅をつく。
声に続いて幹より人の輪郭が浮き出てくる。そして女性の姿になった。
…ドリアードである。
「あの〜一晩泊めていただきたいんですけどもー」
ドリアードは目の前のおおなめくじとその後ろで腰を下ろしている少年を交互に見つめ、そして了承した。
「いいけど…かわりにその子くれない?」
「だめです〜!!」
「じゃあ一晩!一晩だけ吸わせて!!」「うー…私と一緒になら…いいです。」「む…それでいいわ。それじゃいらっしゃい…」
そう言って樹の中に戻ってゆく。そのあとには人一人がくぐれるくらいの大きな洞が開いていた。
「それではお世話になりましょう!!」
交渉を終えたおおなめくじは少年の方を振り返ると彼の手を引いて樹の幹に開いた穴に入ってゆく。今だ状況が理解出来ない少年が手を引かれるまま中に入ったところで、その洞は口を閉じその痕は癒着して見えなくなった。あとにはなんの変てつも無い大木が月の光を受けてそびえるのみである。
ドリアードの樹の中に案内された二人はその内部を見て唖然とした。明らかに外から見た樹の大きさを無視した異次元の空間が広がっている。中の空気は暖かく花のような甘い香りが充満しており、空間の一角にはその香りのもととなっている樹液が満たされた深く広い窪みがあった。夜にも関わらず内部を照らすオレンジの光を反射して金色に輝く樹液が天井からとろとろと幾本もの筋となって絶え間なく流れ落ち、まるで掛け流し温泉のようである。(…少し違うか)
いずれにしろ、そこには幻想的とすら言える光景が広がっていた。
「綺麗な…ところですね…」
思わず少年が呟く。
「でしょ?でしょ!?なんならずーっとここに居てくれてもいいのよ!?あ、これどうぞ。」
薄い琥珀色の温かい液体が入った木で出来たコップを渡す。
「こらー、勝手に口説かないでくださいー!」
「ちっ…」
すかさず少年を口説きにかかるドリアードをおおなめくじが牽制した。まったく油断も隙もあったものではない…
口を挟める雰囲気ではないので少年はとりあえず手渡された液体を口に含んでみる。
「あ、おいしい…」
渡された飲み物はすっきりとした程よい甘さで少年の喉を潤した。飲んでしばらくすると体がポカポカとしはじめお腹の底から登ってくるじんわりとした熱が溜まった疲労を癒してゆく。あっという間に少年は杯を空にしてしまった。
「うー、でも宿代分はきっちりと頂くからね!」
そう言ってドリアードは突然衣服を脱ぎ去った。
元々布一枚を被っただけのような薄着で露出も多く、その上中身も驚く程の美人なので密かに目のやり場に困っていた少年だったが、突然それが裸になり始めたためついに顔を赤くして俯いてしまう。しかし、そんな仕草を見せられた魔物の方もたまったものではない。
((か…かわいい…))
少年は知らず知らずに二人の母性愛のような何かにすっかり火をつけてしまっていた。
「さぁこっちへ来なさい…」
ドリアードが有無を言わせぬ勢いで少年の手を引いて樹液が満たされた窪みの方へ歩いてゆく。
「あっ」
前をずんずんと歩く女性の、歩調に合わせて揺れる乳房や尻をなるべく見ないようにしながら引っ張られるままに少年は連れてゆかれ、やがて足元に金色の波が寄せる窪みの縁に立たされた。
「な、何を…」
という少年の疑問には口で答えず行動で返す。
ババッ
ドリアードの腕が一瞬霞んだかと思うと一体どんな技術か、次の瞬間には少年の纏っていた衣服は全て彼女の手に握られていた。そしてそのまま後ろへ放り投げる。
「え…、!!?、な、何をするんですかッ!?」
ワンテンポ遅れて自分の格好(裸に靴のみ)を理解し、悲鳴を上げた。
「何って、何をするのに邪魔でしょ?これからそこに入るんだから」
そう言って少年の背後に広がる金色の水面を指差した。同時に露になった彼の胸に指を這わせる。
「ひぁっ」
それだけの行為に普通とは異なる刺激を感じ、再び悲鳴を上げた。彼女に触れられた箇所が異様なくすぐったさを伝えて来たのだ。まるで皮膚の感覚が普段の数倍敏感になってしまったかのよう…
果たしてその通りであった。
「触られただけなのに凄くくすぐったいでしょう?…さっき貴方が飲んだ飲み物…そこに溜まってる樹液をお湯で薄めたモノなの、アルラウネの蜜程じゃないけど皮膚の感覚を敏感にする効果があるわ♪」
ドリアードがクスクスと笑いながら種明かしをする。
…その原液の中へ今から飛び込めというのだ。退路を塞ぐようにいつの間にかおおなめくじの方も目の前に迫っていた。二人の、4本の腕が伸び、腕や脚、背中へと伸びた腕が少年の身体を持ち上げる。その状態で靴を脱がし、そして…
せ〜の…
「「そぉい!!」」
投げ込まれた。
「ああぁぁぁぁぁ・・・・」
悲鳴と共に少年の姿が飛んでいく・・・
既に多くの生物が眠りに就いた晩秋の森にひとつ、ため息が響いた。その声は若干高めであり、女性かまだ子供のものであるように思える。
かさり…かさり…
「どうしよう…」
果たして、枯れ葉を踏みつけながら木々の間をやや重い足取りで歩くのは一人の少年だった。
そしてその傍らには…
「えっと…なんとかなりますよ、きっと」
…一体のおおなめくじが寄り添うように歩いている。金色の長い髪をなびかせ、少年のゆっくりめな歩調と同じ速さで体を這わせ進んでいた。
適当なことを…と少年は一瞬だけ考えてしまったが決して口には出さない。彼女なりに気を遣って励まそうとしてくれているのが分かっているからだ。たとえ気休めでも、今はその気持ちが素直にありがたかった。だから…
「…ありがとう」
そう一言だけ告げる。
…彼らは別に冒険者ではない。それなのにこんなところをくたびれた様子でうろついているのは…簡単に言えば帰る場所が無いためである。
彼らは、正確にはこの少年は、住んでいた村を追放されたのだ。
話は数刻前に逆のぼる…
この少年が住んでいたのは山間にある小さな農村だった。季節は晩秋、これから冬に向けて収穫物を備蓄しようという時期である。そんなときにこの村で小さな事件が起こった。
倉庫に保存していた野菜が食い荒らされていたのだ。幸い被害はそれほど大きくはなくついでに犯人はすぐに見つかった。
…どこから潜り込んだのか、今少年の隣にいるおおなめくじである。
この村は別段反魔的というわけではないが、閉鎖された人間の集落というのはとかく部外者と違反者には冷酷である。しかし、発見され、その場で殺されそうになったところをこの少年は庇ってしまったのだ。
…実は少年は彼女の存在を以前より知っていた。彼は生まれつき周囲と比較して体力的に劣っており、周りと同じだけの仕事は出来なかった。故に、分配される住居も食事も最も質素、同年代の子供たちからは蔑まれ、両親ですらろくに労働力にならない癖に食い扶持だけは要求する彼の事を疎んでいた。
彼は孤独だった。話し相手が欲しかったのだ。…たとえそれが人外の存在だったとしても
両親とは離れて暮らす彼の小さな小屋…家に居づらくなった彼が空き家を改造してこさえたものである…に彼女が現れたのは、そんなときだった。
…魔物はこの村の人間をあまり好まない。そのため、周囲を森に囲まれているにもかかわらず魔物が村に入って来ることは稀である。少年の小屋は村の外れにあり、すぐそこに森が迫っている状態であった。おそらくそこから、それでも外よりは少しばかり温かい小屋の温度に引かれてやって来たのだろう。或いは少年の微かな牡の匂いに引き寄せられたのかもしれない。
いずれにしても、入口の天井裏に張り付いていた彼女は少年が外から帰ってドアを開けると同時に、その隙間からにゅるりと中に入り込んできたのだ。突然の珍入者に少年は一瞬だけ警戒するも、彼女のおっとりとした表情に敵意が感じられないのを理解すると緊張を解き、とりあえず話し掛けてみた。
「…こんばんは。僕に何か?」
「こんばんわ〜外が寒いので〜泊めてもらってもいいですか〜?」
やや間の抜けた声でニコニコと彼女は微笑みながら答える。
「…たいしたもてなしはできませんけど、うちでよければどうぞ。」
少年はあっさりと了承した。そして少し部屋を暖めようと中央に小さくある囲炉裏に森で拾ってきた枯れ枝を少しくべる。おきになって微かに残っていた火が枯れ枝に移り、小さな炎が上がる。
「ではお言葉に甘えて〜」お客のおおなめくじはそう言うと少年の傍へすり寄ってきた。そして彼の隣にぴったりと寄り添うとその手を彼のそれに絡めた。
至近距離からふんわりと香る魔物特有の甘い匂いに若干どぎまぎしながら少年は彼女の方へ顔を向けるが、座った状態の二人の体格差では彼女の細い肩には不釣り合いなほど大きく膨らんだ胸元が彼の目の前に来てしまい、少年は真っ赤になって慌てて顔を逸らした。
「…?」
少年の挙動におおなめくじの頭には?が浮かぶがとりあえず放置して純情な少年の気も知らず、絡めた手を擦り合わせて温め合おうとする。
「…どうして僕の家に来たんですか?い、いえ別に迷惑とかそういうんじゃなくて、もっと大きくて暖かそうな家がもうちょっと進めばいっぱいあるのに…」
少年なりに自分の家を訪れた客にたいした持て成しも出来ないことを気にしているのだ。
それに対して、少年の意図を察したおおなめくじはクスリと微笑む。
「私たちには…なんとなく分かるんです。その人の持つ温かさというか、魂の格というか…そういうものが。どんな魔物でも、この村の中で相手を探すということになったら迷わず最初に貴方を訪ねると、思いますよ?」
「…?」
魔物特有のその感覚を理解できない少年はやや怪訝な顔をするが、なんだか褒められた気がして照れたように下を向いた。これまでの生活で褒められる事など滅多に無かった少年にとって、彼女の言葉はとても甘く響く。この時既に少年の方も彼女に惹かれていたのかもしれない。
その日はそのまま他愛のない会話をのんびりと交わしながら小さな小屋の中で一夜を過ごした。
翌朝、少年はまた農作業に出る。おおなめくじはまだすやすやと眠っており、少年はその幸せそうな寝顔を見て邪魔しないよう気をつけながらそっと家を後にした。
そして今日もまたいつもと変わらない1日が始まる。すぐに作業の手を止めてしまう彼を見る周りの人間の嫌味な視線を無視し、今日の作業が終わってからはその成果を見て今度は口で嫌味を言ってくる村人を暴力を振るわれないよう相手の感情を調整しながらやり過ごす。
ひとしきり小言を言われたあと、まるで隠す気の無い視線と嫌味をさらに背中に受けながら帰路につくのだ。
ようやく小屋もとい彼の家に着いた。そして扉を開ける。
…。
…まだいた。
あろうことか今も床で寝ている。まさか朝からこの時間までずっと寝ていたのかと思ったが、よくみると彼女の這った跡が微かに光って床に残っているので一度は起きた様である。
扉の音で目を覚ましたのか寝起きのぼんやりした顔で少年の方を見た。
「あ、おかえりなさい〜♪」
「どうしてまだいるんです…何処かへ行く途中なのでしょう?」
「それがー、起きたら貴方が居ないものですから〜、少し探したんですけどそしたらまた眠くなってしまってー…」
…只の二度寝だった。
「そういうわけですからー今日も泊めてもらって宜しいですか?」
「…どうぞ好きなだけ居てください。」
少年はげんなりとした感じて了承する。しかし同時にどこか安心していたのも事実だった。彼女の柔らかな笑顔を見ていると、なんだか疲れが抜けて、重く沈んだ気持ちが少しずつ軽くなっていくような気がした。
「ありがとうございます♪」
などといっているうちに彼女がむにゅりと少年に抱きついてくる。そのまま彼の体と頭に腕を回して抱きしめた。魔物の甘い匂いとその体の柔らかさに脳を犯された少年の体はふにゃふにゃに弛緩してしまった。力が入らず抵抗できなくなった彼の体に、年頃の少年にはやや刺激の強いスキンシップを一方的に続ける…。
ようやく彼女が満足し腕の中から解放されると、少年は腰砕けとなった体に鞭打ってお湯を沸かし、風呂に入る。そしてまたとりとめの無い話をしながら眠りに就くのだ。
そんな1日がしばらく続いた…
そして事件は起こる。
村人たちがその日の仕事を終えて帰路につく頃、少年も周りより少し遅れて帰ろうとした。
その帰り道の途中、とある農夫の家の前で怒鳴り声が上がるのを聞いた。そこは人の住んでいる家としては少年の小屋から最も近い位置にある。なんだか嫌な予感がした。声は土蔵の方から聞こえる。少年は声の主に見つからないよう足音を忍ばせて柱の影から覗き込んだ。
そして少年の予感は的中する。
…そこにはあのおおなめくじの姿があった。傍にはかじられた白菜。事情は明白である。
人間よりもエネルギー効率の良い魔物は、普通に生きているだけならばそこまで食物を必要としない。しかし少年を探しに行こうと家を出た彼女の目に偶然映った瑞々しい野菜は、普段の森の中ではお目にかかれないご馳走である。そしていくら高尚な精神を持っていようと、野生の中で難なく独りで生きてゆける力を持つ魔物には、個では生き残れないが故に形成される社会という概念を、またそのルールを、理解するのは難しい。
結果としてそこに転がっている食べ物を何の疑問も無く食べてしまったのだ。
…方や農夫にとって収穫物を食い荒らす目の前の魔物の存在は、泥棒というよりはむしろデカい害虫である。害虫ならば見つけ次第潰さなければならない。彼は手に持った鋤を振り上げた…。
「待ってくださいっ!!」
気付いた時には少年は思わず飛び出していた。そしてその農夫の前で頭を下げ彼女の事情を説明し、なんとか許して貰うよう頼み込んだ。…少年は必死だった、故に自分と彼女の関係まで明かしてしまう。それを知った目の前の男が、彼の立場を知る村人が、どう思うかまで考えが及ばなかったのだ。
「そうか、お前の知り合いだったか…」
ろくに働きもしない子供が魔物を匿い村の食糧を食わせた。そう理解した男の怒りは頂点に達した。
…とりあえずこいつを殴ろう、話はそれからだ…
鋤を下ろすと同時に右の拳を渾身の力で振り抜いた。思わず少年は目をつむる。
パンッ!!
…しかしその手は少年に届かなかった。震えながら少年は目を開ける。すると横から伸びた細い腕が男の手首を掴んでいた…。
少年の斜め後ろにいたおおなめくじが瞬時に上体を伸ばし男の拳を止めていたのである。遅れて下半身がゆっくりと這って少年の前に回り込んだ。
彼女は何が目の前の男を激昂させているのかなど理解してはいない。ただ自分を庇おうとした少年を暴力から守ったに過ぎなかった。しかしこの状況を以て以前少年に言った言葉を補強する。
「これが貴方を選んだ理由ですよ♪」
少年にその真意が理解できたかは分からない。彼はただ目の前の魔物の心配をしていた。
結果的にそれは杞憂に終わる。
農夫の男は狼狽えていた。魔物の細腕に掴まれた自分の、農作業で鍛えられた筋骨隆々の腕がピクリとも動かないのだ。目の前の魔物は特に力を入れている風にも見えず、それどころか少年にのんびりと話し掛けている。ならば…ともう片方の腕でその顔を狙おうとするも、その素振りを見せた瞬間右の手首がミシリと音をたてた。激痛に呻き声を上げて顔を向けると今しがた自分の手首を握る指に少しばかり力を込めた魔物と目が合う。
…下手なことをすればこのまま右腕の骨を粉砕する…
さっきと全く変わらないニコニコとした表情で、言外にそう告げている彼女の瞳に男は青ざめた。
―おおなめくじは移動速度が遅く、逃げること自体はそう難しくない。しかし一度捕まってしまえばそれは至難の技である―…魔物が滅多に入り込まないこの村の住民は、そんな事すら知らなかった。
「…俺をどうするつもりだ、じきに他の人間がくるぞ。」
「…。」
「…どうすればいいんでしょう?」
「そんな事言われても…」と少年。
「どうしようもねぇよ!!こうなった以上もうお前の居場所なんざ無ええぎゃああっ!?」ミシミシ
そして学習しない男である…。
「…私と…一緒に行きませんか?」
不意に彼女は少年に言った。
「この村を出て私と…」
今までのほわほわとしたしまりのない表情ではない、これまでしたことの無い、或いは初めて作るかもしれない真剣な顔で少年に語りかけた。
少年も覚悟を決める。
「はい…。」
「そうはいくかよっ!!すぐに皆を集めて退治してやるこの化け物!そしてお前は…」「じゃあ仲間を呼びに行けないように脚を砕いておきますね♪」
そう言って男の膝に左手を伸ばし…
…ゴキリッ!!
そして握り潰した。辺りに嫌な音が響いた。
ついに男は泡を吹いて倒れる。その右脚は不自然な方向に曲がっていた。
…この脚ではもうまともな仕事など出来まい。これからはこの男がこれまでの少年の立場を味わうのだ…。
…本当に馬鹿な男である。
「それでは見つからないうちに行きましょうか。」
彼らは少年の家とは反対側の山道を目指し、林の中を迂回するように進んで行く。時間も既に暮れに近いこともあって誰にも見つからずに村を離れることが出来た。
…しかし大変なのはこれからである。
季節は晩秋、山間部の夜は冷え込む。更に食糧も無い。そして目的地は…、
……
「…そういえばどこに行くつもりだったんですか?」
少年の方も大概であった。状況が状況だったので仕方がないといえばそうであるが…
「村を挟んだ向こう側の森の奥にある洞窟にー、とあるエキドナさんが新しくダンジョンを作ったそうでー、そこに入れて貰おうかと思いまして〜」
「それって、ここからどれくらいあるんですか?」
「徒歩ですと〜5日くらいでしょうかね〜?」
(生きて辿り着けるだろうか…)
そこはかとなく不安だった。
やがて日も沈み、辺りは真っ暗闇となる。既に葉を落とした広葉樹林の枝の隙間から射し込む月光のみが木々の間に出来た道を照らしていた。
「今日はここで休みましょうか。」
突然前を進んでいたおおなめくじが立ち止まり言った。
ここで野宿…凍死するのではないかと少年が考えていると彼女はおもむろに側にあった大木の幹を叩く。
「ごめんください〜」
「は〜い」
すると幹の中より返事が聞こえた。少年は腰を抜かして尻餅をつく。
声に続いて幹より人の輪郭が浮き出てくる。そして女性の姿になった。
…ドリアードである。
「あの〜一晩泊めていただきたいんですけどもー」
ドリアードは目の前のおおなめくじとその後ろで腰を下ろしている少年を交互に見つめ、そして了承した。
「いいけど…かわりにその子くれない?」
「だめです〜!!」
「じゃあ一晩!一晩だけ吸わせて!!」「うー…私と一緒になら…いいです。」「む…それでいいわ。それじゃいらっしゃい…」
そう言って樹の中に戻ってゆく。そのあとには人一人がくぐれるくらいの大きな洞が開いていた。
「それではお世話になりましょう!!」
交渉を終えたおおなめくじは少年の方を振り返ると彼の手を引いて樹の幹に開いた穴に入ってゆく。今だ状況が理解出来ない少年が手を引かれるまま中に入ったところで、その洞は口を閉じその痕は癒着して見えなくなった。あとにはなんの変てつも無い大木が月の光を受けてそびえるのみである。
ドリアードの樹の中に案内された二人はその内部を見て唖然とした。明らかに外から見た樹の大きさを無視した異次元の空間が広がっている。中の空気は暖かく花のような甘い香りが充満しており、空間の一角にはその香りのもととなっている樹液が満たされた深く広い窪みがあった。夜にも関わらず内部を照らすオレンジの光を反射して金色に輝く樹液が天井からとろとろと幾本もの筋となって絶え間なく流れ落ち、まるで掛け流し温泉のようである。(…少し違うか)
いずれにしろ、そこには幻想的とすら言える光景が広がっていた。
「綺麗な…ところですね…」
思わず少年が呟く。
「でしょ?でしょ!?なんならずーっとここに居てくれてもいいのよ!?あ、これどうぞ。」
薄い琥珀色の温かい液体が入った木で出来たコップを渡す。
「こらー、勝手に口説かないでくださいー!」
「ちっ…」
すかさず少年を口説きにかかるドリアードをおおなめくじが牽制した。まったく油断も隙もあったものではない…
口を挟める雰囲気ではないので少年はとりあえず手渡された液体を口に含んでみる。
「あ、おいしい…」
渡された飲み物はすっきりとした程よい甘さで少年の喉を潤した。飲んでしばらくすると体がポカポカとしはじめお腹の底から登ってくるじんわりとした熱が溜まった疲労を癒してゆく。あっという間に少年は杯を空にしてしまった。
「うー、でも宿代分はきっちりと頂くからね!」
そう言ってドリアードは突然衣服を脱ぎ去った。
元々布一枚を被っただけのような薄着で露出も多く、その上中身も驚く程の美人なので密かに目のやり場に困っていた少年だったが、突然それが裸になり始めたためついに顔を赤くして俯いてしまう。しかし、そんな仕草を見せられた魔物の方もたまったものではない。
((か…かわいい…))
少年は知らず知らずに二人の母性愛のような何かにすっかり火をつけてしまっていた。
「さぁこっちへ来なさい…」
ドリアードが有無を言わせぬ勢いで少年の手を引いて樹液が満たされた窪みの方へ歩いてゆく。
「あっ」
前をずんずんと歩く女性の、歩調に合わせて揺れる乳房や尻をなるべく見ないようにしながら引っ張られるままに少年は連れてゆかれ、やがて足元に金色の波が寄せる窪みの縁に立たされた。
「な、何を…」
という少年の疑問には口で答えず行動で返す。
ババッ
ドリアードの腕が一瞬霞んだかと思うと一体どんな技術か、次の瞬間には少年の纏っていた衣服は全て彼女の手に握られていた。そしてそのまま後ろへ放り投げる。
「え…、!!?、な、何をするんですかッ!?」
ワンテンポ遅れて自分の格好(裸に靴のみ)を理解し、悲鳴を上げた。
「何って、何をするのに邪魔でしょ?これからそこに入るんだから」
そう言って少年の背後に広がる金色の水面を指差した。同時に露になった彼の胸に指を這わせる。
「ひぁっ」
それだけの行為に普通とは異なる刺激を感じ、再び悲鳴を上げた。彼女に触れられた箇所が異様なくすぐったさを伝えて来たのだ。まるで皮膚の感覚が普段の数倍敏感になってしまったかのよう…
果たしてその通りであった。
「触られただけなのに凄くくすぐったいでしょう?…さっき貴方が飲んだ飲み物…そこに溜まってる樹液をお湯で薄めたモノなの、アルラウネの蜜程じゃないけど皮膚の感覚を敏感にする効果があるわ♪」
ドリアードがクスクスと笑いながら種明かしをする。
…その原液の中へ今から飛び込めというのだ。退路を塞ぐようにいつの間にかおおなめくじの方も目の前に迫っていた。二人の、4本の腕が伸び、腕や脚、背中へと伸びた腕が少年の身体を持ち上げる。その状態で靴を脱がし、そして…
せ〜の…
「「そぉい!!」」
投げ込まれた。
「ああぁぁぁぁぁ・・・・」
悲鳴と共に少年の姿が飛んでいく・・・
11/12/29 14:22更新 / ラッペル
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