異邦人と蜥蜴娘3<完>
「‥‥と、このくらいでいいか?」
そう問うたのはリザードマンのイリアである。
それに対し、テーブルの向かいに座っているリュウが答えた。
「ああ。聞きたかったことはだいたい聞けたから、充分だな」
昨日の晩、リュウがイリアを助けた際にした約束である『聞きたいことに答えてもらう』というのを今果たしたところである。
とイリアが少々呆れた様子で喋りだした。
「よくそんな何も分かっていない状態で、違う世界に行き来出来るものだな。常識にはじまり、文化、言語、宗教何から何まで違うというのに‥‥いや、言語だけは先に学んでいたようだが」
「いや、俺は今俺の国の言葉で喋ってるよ」
「?そんなはずはないだろう。しっかりと喋って・・・魔法の類でも使っているのか?」
「まあ、考え方的には近いかな。科学と魔法は同じ道の両端だから。よく俺の口を見てみれば分かる。そっちの言葉は使ってない。学べば使えるけどな」
「言葉には不自由しないということか」
「言葉だけ、な。それ以外は今みたいに現地で覚えていかなければならない」
肩をすくめてリュウが締めるように一口、テーブルに置かれていた味の薄い果実酒を飲む。
時刻は昼を過ぎ、あと小一時間もすれば各家庭で夕飯の準備を始めるであろう時間。
朝、セムスに着いた二人はとりあえずは宿を見付け、睡眠をとった。そして起きた後、持って来ていた武器などを換金し、ーーこれは大した金にはならなかった、食堂に入り今に至る。
食堂には客が他に誰もおらず、二人だけである。時刻から考えれば至極当然のことだ。
そこで改めてリュウが食事の途中、頃合いを見て『聞きたかったこと』を聞いた。その内容とは
「しかし、『この世界について、およそ一般的な知識や常識と思われることを教えてくれ』と言われるとは思わなかったぞ」
これがリュウの『聞きたかったこと』である。その世界に実際に赴かない限り、その世界がどうなっているのかなどは知る由もないのだ。想像は出来るが、外れた時には目も当てられない事態になりかねない。故にそこで暮らす者から聞くのが一番正確で、時にはその世界における豆知識のようなものも手に入る。という理由からリュウは専ら人に聞くことが多い。だが、
「今回は異例なだけだ。普通、面と向かってそう聞いたら怪しまれるからな」
「では普段はどんな状態なのだ?」
「俺が異世界の人間であると知られていない状態。普段なら世界に入り込む時に人がいる場所には出ないんだよ。だから後はこっそりと人の中に紛れてしまえばいい。世界の主な知的生命体が人型でない場合もあるが、その場合については割愛するぞ。で、少しずつ少しずつ情報を集めていく」
つまり、今回のことは彼にとって不測の事態ではあったが、情報収集の時間を省けるという幸と不幸が一遍にやってきた、ということである。
「ところでリュウ、この後はどうするつもりだ?」
会計を済ませ、通りに出たところでイリアはおもむろにリュウに問いを投げかけた。
「さて、ね。特には決めていないな。俺の捜し物は当分は見付からないだろうし」
「なら少々付き合って貰いたいのだが、構わないだろうか」
「ああ、いいぞ」
了承を得るや否や、イリアはセムスに向かう時同様先導するように歩きだした。そして
「では付いて来てくれ」
素っ気なくただ一言を呟くように言った。
街に入った時とは違う門をくぐり街を少し離れ、人気のない林の中を二人は歩いている。
「お〜い。どこまで行くんだ?何だかいやな予感が膨れ上がってきたんだが」
リュウが少しおどけたように言う。
そのリュウの言葉にイリアは実に真剣な声で返した。
「先ほど、この世界においては魔物と呼ばれる者は人間の上位にあたると言ったな?」
「らしいな」
「そしてまた、現在の魔王はサキュバス種で旧来と違い魔物を人間の女のような姿に変えてしまい、自身の種の特性を他種族にも植え付けたとも」
「面白い奴だよな。一度会ってみたい」
「虜にされて終わるだけだ。そんなことは私が許さん‥‥‥ではなくて、その結果人間は殺されなくなったが、かえって魔物から狙われるようになった」
「精を得る為だったな」
「そしてすべての魔物はそれから逃れられない」
「イリア、まさかここでスるとか言い出すんじゃないだろうな・・・?」
「安心しろ、この大陸、【フリエント大陸】は特殊な土地で魔王の影響は受けにくいので、色欲に囚われることはまずない。だが・・・」
「全く影響を受けないわけじゃないんだな?」
「そうだ。特性は受けてしまっている。その為、私たちリザードマンは戦いに秀でた男に惹かれる習性を得てしまった」
話しながらも歩は止めず、やがてイリアが立ち止まった。
「だが、いくら強くとも私たちに劣るのでは意味がない」
振り向かず、そう言ったイリアに対してリュウが口を開く。
「それはまた狭き門だな」
「だから私たちは強そうな者を見つけると、一対一での決闘を申し込む」
「そうして自らの腕も上げていく、と。下手すれば最終的に独り身で終わるんじゃないか?」
「大概は早い段階で負ける。実力以上の相手に挑むことはざらだからな」
「でも、お前さん、相当歳食ってるだろう?」
「ッッッッッッ!!!?!???!!」
リュウの一言で思わず振り向いて真っ赤になっているイリアである。
そして一言。
「‥‥なんで分かった」
「カマ掛けただけ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
バシッ!!
無言でかつ高速で放たれたイリアの拳はリュウに片手で止められた。
と、その拳を止められたイリアは驚愕の顔を見せた。
それにリュウはさも不思議な様子で聞いた。
「なんでそんなに驚いてるんだ?ただ拳を止められただけだろ?」
その言葉で我を取り戻したのかイリアは拳を引き、神妙な様子で応えた。
「先ほどの話は憶えているな?」
「ああ。と言ってもどのあたりだ?」
「魔物は人間の上位にあたる、というところだ」
「魔力によって身体に於いてはあらゆるものが強化される、というのもしっかり記憶しているぞ」
「普通の人間‥‥では語弊が生じるな。うむ、人間でも最強と云われるくらいの者が受たとして、先ほどの拳、我を忘れて全力で放ったので、五体がバラバラになるくらいなんだがな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
リュウが苦虫を潰したような顔で押し黙った。暗に、やってしまった、と顔が語っているのは言うまでもないだろう。
「と言うわけで、決闘を受けて貰うぞ。まさか実力がないとは言わせん」
「計算づくか?」
ジト目でリュウはイリアに尋ねた。
「歳云々は計算外だった」
少し赤くなってイリアは答えた。答えてしまうところが素直である。
「はぁ〜〜〜〜〜〜」
頭をガシガシと掻き、深い溜息を吐いたリュウは次いで言った。
「逃げたら追ってくるんだろうし、受けるよ」
イリアは満足げに頷き、背から大剣を引き抜き、油断無く構えた。それに対するリュウは胡乱気な表情である。そしてなんとなく分かってはいるが、リュウはあることを聞くことにした。
「ちなみに俺が勝ったら、どうなるんだ?」
それを聞いたイリアは少し間の抜けた顔になった後、喜色満面と言った顔になり、
「我が生涯の伴侶とする!!」
言うと同時に間合いを詰めるべく、飛び出した。
何十回目になるだろうか。イリアの斬撃をリュウはただひたすら避けている。反撃出来ないわけではない。寧ろあからさまに反撃を誘う攻撃もあった。それでもリュウは手を出さない。
辺りはすでに暗くなりつつあり、見通しは悪くなる一方だが、両者とも全く気にかかっていない。
イリアの斬撃は、一言で言えばとんでもない、だった。
(過去にこいつに挑まれた奴はどうなったんだろうな)
にべもなくそんな事をリュウが考えているときだった。
イリアが止まった。
猛攻に次ぐ猛攻で息を切らせる、というのは魔物である彼女には当てはまらない。では何故か。それはすぐに分かった。
「何故!!攻撃してこない!!!」
始めのうちは自身の攻撃が当たらない相手と戦う事が久しい為、どうやって当てようという事に思考が巡っていたが、さすがにおかしさに気付き、単調な攻撃を仕掛けるも反撃されないので、とうとう業を煮やしての怒号である。
それを平然と受けながらリュウは言った。
「俺の“本気”が見たいんだろ?」
「当然だ!!」
一人冷静なリュウに更にイリアの心境は荒れ模様を増す。
「もうちょい待て。この世界での擦り合わせの為の演算が完了する」
「なんだ!それは!」
「完了した。つまり・・・こういう事さ」
その瞬間、リュウの体から“何か”が放たれ、世界が震えた。
「いかん、やり過ぎた」
その一言でリュウから放たれた莫大な“何か”は途端に消え失せた。が、イリアは違うと、自らに言い聞かせた。消えたのではない。あれは内に溜め込んだのだと。必然、剣を握る手に力が籠もる。
「じゃ、いくぞ」
何の気なしの、ともすれば聞き流すような一言。しかし、イリアはそれがこれまでの生涯で、もっともはっきり聞こえた声のような気がした。
イリアはリュウを正面に捉える。リュウは構えていない。またこちらの攻撃を待つつもりかと逡巡していた刹那、リュウが文字通り、消えた。
ヒゥン!!
イリアは勘で左に大きく避けた。果たしてそれは正しかった。視界の右端にいつの間にか、剣を持ったリュウの姿が見える。暗い木々の中、先程自分が居た位置の丁度首の辺りに銀閃が走っている。
一転し、体勢を立て直す。
危なかった。
勘で避けるのなど一体いつ以来だろうか。
冷や汗が吹き出た。
しかし、しかししかし。
リュウはイリアが自分の剣筋を避けたことに正直驚いた。
(ウチにスカウトしようか・・・?)
と半ば本気で考える。
リュウは今、世界の理からその身を完全に切り離している。つまり、いかなる法則も彼を縛っていない。およそ生命の限界を超える動きを容易になせるのだが、それをイリアは回避した。
しかもあれだけの殺気を込めた一撃に今し方立ち上がったイリアは、
笑っていた
獰猛でも妖艶でもなく
ただ、純粋に
(通りで嫁に行けてないわけだ)
心の中でリュウは苦笑した。
「次で終まいにしよう」
リュウが言った。無言でイリアも頷く。
(さすがに力量差は計れたか。さっきのマグレに期待しない思考。いい人材なんだが‥‥)
リュウが心の中で独りごちていた時、奇しくも似たようなことをイリアも考えていた。
(二度三度はかわせない。さっきのはたまたまだ。次は恐らくリュウが修正してくる)
イリアは剣を右側後方に向かって降ろし、左半身を前に突き出す形で構えを取る。リュウは相変わらず構えない。剣を右手に持ち下げたままだ。
木々のざわめきさえ聞こえない、耳が痛くなるほどの静寂。
数瞬後、二人の姿が消える。
イリアはこの時を振り返りこう語る。
あの一撃は生涯最高の一撃だった、と。
互いに小細工なしに真っ正面から突っ込んでいた。
イリアはこの一瞬がやたら長く感じていた。
そして不思議にも自分の攻撃の始点と終点がハッキリと分かった。
(ここ!!)
思った瞬間には体が動いていた。
左手を離す
体を右に捻る
右手が体の左になる
右腕と剣をその遠心力に任せ振り抜いた
「‥‥ったく、なんて奴だよお前は」
リュウは目の前で俯せに倒れている、イリアに呆れたような笑みを浮かべながら言った。
そのリュウの額からうっすらと血が流れている。
イリアの斬撃は神速を越えた。リュウですらかわせなかった。
「こいつとやり合うのは二度とゴメンだ」
《結婚するのか?》
唐突に冷たい感じの女性の声が響く。同時に女性のホログラフが浮かび上がる。
「LUFFYか。そうしてやりたいのは山々だがな。それは無理だろうが」
《フザケてみただけだ》
そう言い合って、二人はイリアを見る。幸せそうな顔をして気絶している。
《何ともまあ、晴れやかな顔だな》
そう言う声は実に冷ややかだ。
「で、それを言うためにわざわざ回線開いて出てきたんじゃないんだろ?」
《ああ。イレギュラーがこの世界に入り込んだ際に発生したイレギュラーの予想総エネルギーの結果とそれに伴うランクが一応出た》
「わざわざ言いに来るって事は余程か」
《心しろ、【闇天】だ》
「‥‥‥〈エトス〉、よりによって過去戦った中で最強か。あの時は世界の八割が消滅したな」
《武運を》
「ああ」
リュウが答えた後、LUFFYのホログラフは掻き消えた。
あたりに静寂が戻る。
すると、それを待っていたかのようにイリアが目を覚ました。もぞもぞと動き、ようやく腕を支えにして何とか起き上がる。そして喋りだした。
「・・・私は負けたのだな」
どこか清々しいといった感じで彼女は呟いた。
「ま、でもイリアの一撃も届いた。ほら」
額に薄っすらと流れる血を指してリュウが返した。
「届いていたのか。‥‥だが、あの斬撃は二度と出来まい」
そう言ってイリアは苦笑した。次いで
「私の伴侶になってくれないか?」
そう切り出してきた。リュウは何とも困った顔で、そして思案し答えた。
「悪いが、それは出来ない。だが、この世界にいる間は一緒にいることは出来る。それだけでもいいなら」
「はっきり言うのだな」
「俺にはいるんだよ、どうにもならないくらい愛おしいと想う人が」
「だが無下にも出来ない」
「そう言うことだ。我ながら情けない」
「ふふ、やはりお人好なのだな」
「好きに言え。ほら」
そう言ってリュウは座ったまま立てずにいるイリアをお姫様だっこする。
イリアは赤面しジタバタともがくが、いかんせんダメージが抜けきらず結局リュウの腕に収まった。
「・・・恥ずかしい」
「おぶった方が良かったか?」
リュウが満面の笑みで言った。
「意地が悪いな」
イリアが少し恨めしそうに言う。
しばらくして堪えきれなくなった二人は笑いあった。
少し歩くとイリアはまた眠ってしまった。
その寝顔をリュウは眺めながら呟いた。
「必ず、守るさ。どんな奴がこの世界を消そうとしたってな」
誰に向けているのか、その言葉は夜の帳に消えていった。
10/03/31 06:04更新 / ぱんち
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