連載小説
[TOP][目次]
2.コカトリス:カルシウム欠乏症
鳥。動物界脊椎動物門鳥綱の総称。
爬虫類から分岐し、哺乳類と異なる空を行く彼らは、飛行能力の有無に関わらず翼を持つ。
飛べるものはなおさらに、体を軽くするため、彼らの骨は軽くて脆い。
骨というモノは、体を支えるという事以外にも重要な役割を持つ。
それは、何か? ーーカルシウムの貯蔵庫である。
生命の肉体は入れ替わる砂の楼閣であり、その体は止まることなく新しい物質で置き換わる。
何が言いたいかというと、骨に貯蔵されたカルシウムは使用される、ということだ。そうして再び蓄えられる。貯蔵庫なのだから、当たり前。それは使用するために蓄えられている。

DNAの乗り物である生命は、命の継承が己の命題(テーゼ)。

だから、鳥は、ーーそんななけなしのカルシウムを我が子を守る殻として動員する。その中に、守るべき我が子がいないとしても。
システム化された生命は、DNA(せっけいず)の基盤に基づいて、条件のスイッチで明滅する。そこに意識が介在する隙間は、

ーー無い。



「どっこいしょ」
和冬の診療所に、医療機器、医薬品が運び込まれてきた。
「ふぅ、これで全部ね」
「ああ、ありがとう」
診療所の主である和冬(かずと)が礼を言う相手はリリム。
この世の全ての美を凝集させたような白い髪。その瞳は彼女を求めた男たちの血に染まったような、人を狂わせる艶やかな赤。天上の彫刻家が何人集まったところで表現できそうにも無い、極上のプロポーション。ーーそんな彼女が。
「ふぃー、終わった終わった。こんな重たいものを運んできたせいで、腰が痛くなってしまったわ。腰を痛めるのは、ベッドの上だけにしたいわね」
とチラリと和冬に流し目を送ってきた。……おっさんだった。和冬は露骨に彼女から目をそらす。
ーーまだ、相手が見つからないのか。とか。
ーーもう、腰を痛める年だろう。とか。
そんな事は思ったところで言ってはいけない。
「今、行き遅れの年増って思ったでしょ!」
「そこまでは思っていない!」
「ふーん、じゃあ、どこまで思ったのかしら」
美貌のこめかみに青筋を立てながら、冷たい笑顔で、リリムである結(ゆい)が和冬に迫ってくる。和冬は冷や汗を垂らしながら、目をそらし続ける。と。
「あー、リリムのおばちゃんでちー」無邪気な声がかかり、「誰がおばちゃんじゃあー!」声の方に結は駆けて行った。「ごめんなさいでちー。許してでちー!」向こうから本気で慌てている声が聞こえる。
和冬は自分の嫁の一人である、Pちゃんに対して合掌すると、結に届けてもらった品物を丁寧に棚にしまっていく。
和冬はもともと、図鑑世界では無い現実世界の住人である。世界を移動することのできるほどの力を持ったリリムである結の手で、この世界に連れてこられた。図鑑世界で自身の知識を活かすために、彼女に様々な医療機器を届けてもらっている。
いくら診療にかかる費用が領主持ちだとはいっても、レントゲンや超音波、血液検査機器などは、こちらの世界に換算してあまりにも高価で購入できないが、点滴、心電図、麻酔器などといった小さな診療所に必要な器具は十分に揃っていた。電気は知り合いのサンダーバードに頼んで、いくつものバッテリーに充電してもらっている。
魔法が普通に存在する世界である図鑑世界。それでも、物理的な手段が必要になる時はもちろんあるのである。

ーー特に、緊急時なんて。



「急患だよ!」
奥でカルテを書いていた和冬は、その声を聞いて急いで診察室に入った。
そこにいたのは、

ーー口から涎を垂れ流し、白目を剥いて、全身を小刻みに痙攣させているコカトリスの少女の姿だった。一目でわかるエマージェンス(緊急状態)である。

「血管確保! 輸液剤とステロイド剤……、あまり使いたくは無いが、抗痙攣薬に鎮静剤も準備しておけ!」
「了解、ほとんど準備はしてあるよ」ナース服を着たワーウルフの少女ブランと稲荷の女性桔梗、女郎蜘蛛の女性紬がテキパキと準備をしていく。確かに。和冬がくるまでに、すでにほとんどの準備がされていた。
コカトリスの体には、すでに心電図、血圧計、SpO2センサーが取り付けられている。
「跳ね上がる可能性もあるから、念のためベッドに縛り付けておいてくれ。触診できるように、重心だけを抑える形で!」「了解じゃ」女郎蜘蛛の紬が糸でコカトリスの手足と腰の部分だけでベッドに固定していく。「ん?」紬が不審そうな声をあげた。
「こいつを連れてきたやつは?」和冬は彼女の腕に留置針(点滴を流す針)を設置して叫ぶ。
「僕だよ。さっき外で倒れてるのを見つけたんだ」ブランが言う。
「じゃあ、こいつがどうしてこうなったのか、問診できるやつはいないということか……」
チッ……、仕方がない。血液検査も出来ないここでは、思いつくものからやっていかなくてはいけない。
「胃洗浄用意。毒物摂取による神経性の中毒症状の可能性を調べておこう」
静脈から鎮静剤を注入しつつ、和冬が言う。まずはこの痙攣を抑え、原因を調べつつ、現在の状態を改善する手立てを為していかなくてはいけない。心電図、血圧、血中酸素濃度(SpO2)、体温、瞳孔反射、瞳孔の開き方、様々な身体検査を行ってから。
それだけでは原因は分からなかった。痙攣の方は鎮静剤で一先ず抑えることにして、次の処置に移る。
口からカテーテル(医療用の細長い管)を入れて、絶対に誤嚥させないように胃洗浄を行なっていく。出てきたものは液体ばかりであり、大してものは入っていなかった。だからと言って、何もないとは限らない。溶けてしまったり、胃より先に進んでしまった場合もあるのだ。
コカトリスの痙攣はまだおさまらない。体全体が小刻みに震えている。
抗痙攣薬の効果がまだ現れていないのか……、すでにステロイドも注射して、輸液剤に微量のブドウ糖も混ぜてある。毒物による中毒症状の他に、痙攣を起こす病態としては、低血糖、脳神経系自体の異常、慢性疾患の末期症状など、様々なものがある。
ここまでの処置で、

痙攣の鎮静
ーー鎮静剤、ステロイド剤の薬剤投与により、鎮静および、神経、筋肉の消炎、障害部位の拡大防止をはかる、

体液の改善処置
ーー点滴によって、吸収されているかもしれない毒物の濃度を薄める、また、代謝を進めて体液の改善をはかる、

低血糖改善
ーー完全に出来ているとは言い難い、が、低血糖でもないのに大量のブドウ糖を注入すれば、むしろ高血糖によって状態を悪化させることになってしまうため、今行なっている濃度よりも大きく上げることができない、

慢性疾患の末期症状への対処
ーーこれは、現在の症状の対処療法としての補液やそれに見合った薬剤注入しかないが、見るからに若い彼女では可能性は低い、それでも、可能性はゼロではない、

を行った。

胃洗浄を行っておいたのは、魔物娘とはいえ、鳥型である彼女が鉛を食べていないかと思ったのだ。ーー鳥類は、石を食べて筋胃ですり潰す手助けとするが、その際に誤って散弾銃の銃弾(鉛で出来ており、今ではその理由で使用が禁止されている)を摂取してしまうことがある。
そうでなくとも、もしも植物などの毒物の摂取による症状ならば、これ以上の毒物の吸収を抑えるためにも胃洗浄は有効な手立てだ。

他は……。
和冬は順番に、彼女を触診していく。薬が効いて、少し痙攣は治まってきているようだ。
「のう、主よ。気になることがあるのじゃが」紬が彼に声をかけた。
「なんだ? 気づいたことがあれば何でも言ってくれ」
「こやつの腰を縛った時じゃが、何ぞ触れた気がしたのじゃ。腹の中に何かあるのではないのかの?」
「何だと?」
和冬は急いでコカトリスの腹部を触診する。
確かに、触れるものがある。これはーー。
「卵か」
それもいくつもある。卵塞を起こしている可能性がある。だが、それだけではこの症状は説明がつかない。
「脱がすぞ」
和冬は彼女たちに協力してもらって、コカトリスの陰部を露わにする。「膣口鏡」「はい」コカトリスに大股を開けさせて、陰部に器具を挿入し中を確認する。確かに卵はある。子供がいるような大きさの卵には見えない。それに、相手がいるような魔物娘であればこんな症状にはそもそも陥らないはずだ。…………。それを見て、和冬には気になることがあった。
「鉗子」「はい」
和冬は膣口鏡の隙間から、鉗子(ハサミ型で摘む為の道具)を差し入れる。そうして、卵に触れた時、
「そう言うことか……」和冬は無理矢理卵を引き摺り出す事などせずに、静かに器具を抜き取った。これほど柔らかい卵であると、無理に引き摺り出そうとすれば彼女の胎内で割りかねないし、卵が存在している距離的に、明らかな卵塞では無さそうだった。

だから、和冬はこう指示を出した。
「卵の殻が薄い。点滴剤に、カルシウム剤を追加してくれ」



ピッ、ピッーー。
入院室に、規則正しい心電図の音が鳴っている。
その後の治療によって、何とかコカトリスの容態は安定したようだった。

「……う、うん」
コカトリスの少女が、むずがるように目を開いた。
「あ、マスター、彼女起きたみたいだよー」
ワーウルフの少女、ブランが和冬を呼ぶ。
少女と入っても、少女と女性の間くらいの見た目のブランは、白いナース服を着て、コカトリスのベッドの隣の椅子に座っていた。彼女は凛々しめの顔立ちをした美人であり、目つきは、悪いと言ってもいいほどに鋭かった。真っ黒な狼の耳と尻尾には、所々、金や白の毛が混じって、ともすれば神々しい、と言える模様を形作っていた。
「おう、起きたか……」
彼女の治療を考え、診療もこなしていた和冬は、疲れた顔で笑った。
「えっと……、私」
イマイチ、状況を把握できていない彼女に、和冬はベッドの隣の椅子に座り、何があったかを説明した。
「えっ! 私……、ありがとうございました。あなたが私を助けてくれたんですね……」彼女は噛みしめるように言った。そして、ポツリと漏らす。「……でも、払えるお金、ありません」
「金なんて、とってねぇよ。領主さまが一括で払ってくれているからな」
「そ、そうなのですか……。じゃあ、私、いつ退院できますか? バイトをしなくてはいけなくて……」
「バイトぉ? しばらく出来るわけないだろうがァ、お前、自分がどんな状態だったのか分かってんのかぁ?」
「ひっ……」
ピッピッピッピッ。心電図から聞こえるコカトリスのの心拍数が上がる。
「どうどーう。今の状態、安静必要、YOU(ユー)、KNOW(ノー)?、YOU、NO!」
凄む和冬を、表情を変えずにブランが宥めてくる。煽っているの間違いではなかろうか……?
ブランは無表情では無いが、表情の変化は乏しい。
「チッ、何のバイトをしているんだ?」
和冬は、彼女のバイトの動機ではなく、内容を聞いた。
「えっと……、運搬の仕事を……(掛け持ちの内容を訥々と語る)」
「お前はブラック企業の運転手か!」
「ひぇッ……(ガタガタブルブル)」ピーッ!ピーッ!(心電図の音)
「うるせぇ!」和冬はコカトリスの体から心電図を取り外そうとして(これだけシッカリ受け答え出来ていれば、心電図はもういいだろう)、手を止める。「ブラン、外してやってくれ」
「アイアイサー。フラグを立てないように気をつけるその姿勢、好感が持てるね。だが、いつからフラグが立っていないと錯覚していた!?」
「な……。って、付き合わないぞ」こいつは今、目を覚ましたばかりだ。フラグを立てた瞬間は無かった、……はず。今だって威圧的に話しているわけだし……。
「残念……」あくまでも表情を変えずに、ブランはコカトリスの体から、心電図のセンサーを外していく。「ひゃあッ!?」ついでに彼女の胸を揉んで。「うん、僕の勝ちだね」
「きゃうんッ!?」ブランが和冬に尻尾を掴まれて嬌声を上げた。さすがの彼女も、驚いた表情で頬を染めている。
「ふざけてるんじゃない……」和冬の固い声に、
「いやいや、ふざけているのはマスターの方だよ。尻尾をそんなに強く握りしめられたら……」
ブランはモジモジしながら答える。和冬は、一つため息をついてからコカトリスに言う。
「その仕事を減らせ。じゃないとこのままだとお前、死ぬぞ」
「ふぇッ、…………、じゃあ、卵売りはやっていてもいいですか?」
「卵売り?」
「はい、何故か私、卵をいっぱい産める体質みたいでして、それなら体に負担がかからないから大丈夫ですよね?」
得意そうに、(薄い)胸を張るコカトリス。そんな彼女を見た和冬は、
「ひっ!」「どうどーう。ダメだよ。病人を殴ろうとしちゃ」ブランに止められた。「代わりに僕を殴ればいい、さぁ、リョナ同人みたいに、リョナ同人みたいにッ! (ナデナデ)ふぁあ……もっとぉ」
……お前の守備範囲は何なんだ。と思いながら、和冬は殴る代わりに、ブランの頭を撫でて耳をくすぐった。「ふわ、わーん!」それを続けつつ、コカトリスに告げる。
「お前な、その卵を産むって事が、今回のことに繋がったんだよ」
和冬の言葉に、コカトリスはキョトンとした表情を浮かべる。和冬はウンザリとした表情を浮かべながら、ふぅ、と息を吐いてから、ーー語り出す。
「じゃあ、話してやるよ。お前に何が起こったかを……」和冬の膝の上にはブランの頭が乗っかり、髪を優しく撫でられているブランは、ただ気持ちよさそうにしていた。
「まず、今回お前が倒れた理由。それはカルシウム欠乏症だ」
「カル、……シムー?」
何処かの火の悪魔のような単語を口に出しつつ、コカトリスはキョトンとして小首を傾げる。
「ま、こっちの世界じゃ、まだ知らないよな……。カルシウムっていうのは、ミルクとかに含まれていて、骨や卵の殻の元になる成分だ」
「………、?」
「簡単に言えば、骨や卵の殻みたいな白くて硬いものを作る、魔力の種類だ」
そこで、コカトリスはなんとか納得したという顔を見せた。和冬のその言い分は、医者としてはあまりにも乱暴な説明ではあったが、彼女にカルシウムが何なのかを説明することが目的ではないので、良しとさせてもらおう。決して、面倒だったわけでは、……ない!
「で、だ。その魔力はな。卵の殻を作って、産卵すれば体から無くなっていく」産卵という言い方に、コカトリスは少し顔を赤らめたが、和冬が気づいた様子はない。「そうして足りなくなった分は、骨を溶かしたり、他に回す分を卵を作ることに当ててくる」
「骨、……ですか」
「そうだ。だからこの病気は、人であれば、徐々に進行して骨粗鬆症ーー骨が脆くなって骨折しやすくなるという病気として現れてくることがある。そして、カルシウムの役割はそれだけじゃないから……、今度は神経性の症状として現れてくる。……神経というのは、体の中にある
《体を動かせ》、という魔力の通り道だとでも思っておいてくれ」
神経が何か分かっていなさそうな彼女に対して、和冬はまた、乱暴な説明をした。
「だから、カルシウムという魔力が足りなくなると、体をうまく自由に動かせなくなる、と思っておいてくれればいい。今回のお前みたいに酷いのは、人ではなく、鳥や牛に多く起きてくる症状だがな」

ーーカルシウム。
カルシウムは、骨や卵を作るだけではなく、筋肉を収縮させるために必要なイオンでもあり、神経伝達物質としても働いている、体にとってなくてはならない物質である。
だからこそ、骨という器官の形をとって体内に多量に保存されているのだ。木という《生物》を見ればわかる通り、体を支えるためだけであれば、何も骨という器官である必要はない。《動物》が動くためには、カルシウムという物質が必要であり、その物質は外部から得るしかないそのため、骨という貯蔵器官が必要となった。
だから、カルシウムが足りなくなれば、神経の働きに支障を来たし、体を構成している筋肉、それこそ消化管、卵管といった内臓筋にまで影響を及ぼしてくる。過剰産卵に陥った鳥類が、卵塞にになるのは、卵管が疲弊するからだけではなく、低カルシウム状態になり、卵を産むための筋力および、卵管の活動が低下してしまう、という理由もある。

「お前のような急激な症状は、人と違って、カルシウムを乳として大量に出してしまう牛……ホルスタウロスや、お前のような卵としてカルシウムをまとめて排出してしまう鳥型の魔物娘、一気にカルシウムを失うことのある種族だからこそ起こった症状だともいえる」
だから、牛ではカルシウム分を多くて含む種類の牧草を与えるし、飼っているインコにボレー粉(カルシウムを含んでいる牡蠣殻)を与えたり、爬虫類の餌にカルシウムを振りかけたりするのだ。野生とは違って、人が与えるただの餌ではカルシウムは足りない。ーー閑話休題。
和冬がコカトリスを見ると、ホルスタウロスのミルクの話を聞いたからか、彼女は自分の薄い胸をフニフニと触っていた。それを見なかったことにして、和冬は続ける。
「そこから、お前にバイトを減らせという、話につながるが……。今までの話、ちゃんと理解できたか?」
「は、はい。……えっと、カルシウムという魔力が、産……卵(チラッと和冬を見た)で、私のナカからなくなっちゃって、調子が悪くなっちゃった、……と」
「そうだ。思っていたよりも、お利口じゃないか」
和冬の褒めているのか貶しているのかわからない言葉に、コカトリスはエヘヘ、とはにかんだように笑う。ブランが何か言いたそうに、尻尾をパタリと一振りした。「こいつ、絶対あのNGワードにたどり着く……」ブランにとって、その光景を想像することは容易かった。
「お前、卵をよく産む体質だって言っていたが、それは体質じゃない、お前らの性質だ。鳥、特に誰かに飼われている鳥だが……、野生とは違って、人工の光に晒される時が多い。鳥はな……、光に当たっている時間が長くなってくると、卵を産みやすくなるんだ。後は、飼っている人に恋をして、発情していたり、……とかな。」
「飼われている、鳥……。飼っている人に、恋……。発……、情……」和冬の言葉を反芻するように、コカトリスはブツブツと口の中で言っている。
彼女の頬が赤くなってきていることに気づいた和冬は、
「どうした? 頬が赤いが、調子が悪くなってきていたりしないか?」と彼女を気遣った。
「い、いえ。大丈夫です。あ、……あはははは……」
慌てて羽を振るコカトリスを見て、さすがに話しすぎたか、と和冬は思う。元気そうに見えても
、彼女はまだ目覚めたばかりだ。いくら点滴に無色の魔力製剤を混ぜているとは言え、好きでもない男と話しているだけで元気が出てくるなどという幻想はーー起こらないだろう。
「ま、結論を言うと、お子様は早く寝ろ、と言うことだ」
ぶっきらぼうに、乱暴にまとめた和冬にコカトリスが反応する。
「お、お子様じゃありません! 卵だって産めますし、」あなたの卵だって……(ボショボショ)。ブランの耳がピクリと動く。
「いや、自分の体を省みないでいる時点でお子様だよ。何でそんなに金が必要なんだ」
和冬の言葉に、コカトリスは口を噤んでしまう。そして、言いにくそうに、口を開く。
「実は、借金がありまして……、(カクカクシカジカ)」
「どこのC●WC●Wファイナンスだよ!」
「ひぇッ!?」
「お前、世間知らずにも程があるだろう……。これから先、大丈夫かよ」
「 ……エヘヘー」コカトリスは和冬に心配されて、何故か嬉しそうに笑った。もしかすると、心配されたりすることもあまり経験してこなかったのかもしれない。
「確か、そんな名前だったと思います。ホルスタウロスさんとミノタウロスさんが取り立てに来て……」
「まんまじゃねぇか……。ブラン、狼のお前にこんなことをいうのは申し訳ないが、後でひとっ走りして、領主さまに報告してきてくれないか?」
「お安い御用さ。というより、僕はマスターの狗として、そのまま僕がその牛たちを屠々(ホフホフ)して来ようか?」
僕は攻撃担当だしーー、と。ブランは頬が裂けたのではないかと言うほどに、大きく口を開いて鋭い犬歯を見せた。目が怪しく、爛々と輝いている。コカトリスからはその表情が見えないところに、彼女の強かさが見え隠れしている。
「何を言っているんだ。お前は狗じゃなくて、俺の大事な嫁だろうが。いいよ。そんな事しなくて」和冬がブランの頭をポンポンと叩くと、「くぅーん、マスターって、……狡いよね……」という幸せそうな返事が返って来た。「何がだよ」と言ってから、彼はコカトリスを見る。
「ま、正規の借金はちゃんと返さなくてはいけないが、そんな無茶苦茶な利息が無くなれば、お前もバイトを減らせるだろう」
「あッ、ありがとうございます!」コカトリスがベッドの上で大きく頭を下げた。
「そういえば……」和冬はそこで先日のことを思い出した。この診療所にアッチの世界から医療の物品を届けてくれているリリムの事を。
「お前、その運搬の仕事をやめて。ウチに品物を届ける仕事をしてみないか? 多分、給料もいいと思う」雇い主がリリムならば、給料の支払いも就業形態も良い、ということは、ただの偏見かもしれないが。
「えぇっ!? ……それは、借金のかたにして、私を飼いたいということでしょうか?」
「ソンナ話は全くしていない……」和冬の声が硬くなる。いや、でも、この言い方だと、そういう事になるのかもしれない……。ブランから生暖かい視線を感じる。「雇うのは俺じゃない。俺は紹介するだけで、お前を雇うのはリリムだ。全く違う」
「リリムッ!? ……そうなんですね」リリムという種族にビックリしたようだったが、言葉の最後には残念そうな響きがあった。「分かりました。よろしくお願いします」
それでも、思っていたよりもアッサリと了承した彼女に、和冬は心配になる。
もう少し考えろよ。だから、今まで変な奴らに引っかかったんじゃないのか?
だから、彼女の、「これで、堂々とここに来れる」という言葉が和冬に聞こえる事はなかった。ブランの耳がピクピクと動いている。
「じゃあ、話は終わりだ。お前はしばらくここで安静にしていろ」
椅子から立ち上がろうとした和冬に、コカトリスが声をかける。彼にまだ居て欲しいというように。
「でも、お医者さんってすごいですね。私の病気の原因が、そんな、カルシウムが足りないなんて、分かるなんて」
「ま、確定は出来なかったが、お前の卵殻の薄さを見て気がついたんだよ」
「え、えぇぇぇ!」コカトリスは、蒸し鶏にされたように顔を真っ赤にする。「わ、私の卵って、私……漏らしたんですか?」
卵を漏らすって、どういう表現だ。それに、売っているくらいなのだから、卵を見られることが恥ずかしい、ということはないはずだ。
「いや、……漏らしてなんかいない。お前の治療のために体を調べた時に」
「体を、調べた」……まさぐった?(ボソリ)
「お前の卵管に残っていた柔らかい卵を見つけたんだよ」
「ど、どうやって、……ですか(ゴクリ)」
「? そりゃあ、陰部に器具を挿し込んで開いて、奥を覗いて調べたんだよ」
「(オマ●コに)挿し込んで開いて、奥まで覗かれて、調べられた……」
コカトリスが表情を蕩けさせて、アヘェ、と口を半開きにしている。それを見て、ブランが不機嫌そうに尻尾を床に叩きつけている。
「責任とっていただくとか、出来ませんか?」
「責任? 何のだよ……」そこで、和冬は気がついた。
ーーしまった。彼女が自分を怖がっているようだったから、つい油断してしまった。魔物娘である彼女たちに対して、それは医療行為であっても、自分がやったとは言わない方がいい事だった。誠実さに欠ける気もするが、自分と患者たちの身を、嫁たちから守るためには必要な処置と言えるだろう。今はもう、手遅れだが。

ーーもう手の施しようがありません。

「フザケンな、餓鬼。10年はえぇよ」そう言って、和冬は急いで椅子から立ち上がると、部屋を出て行く。それをブランのセリフが追いかける。
「そのセリフ、僕も言われてみたいなー。その上で無理矢理マスターを押し倒す!」
お前はもう俺の守備範囲まで育っているだろうが、それまで我慢するのがどれだけ大変だったか……。なんて事は今は関係のない話なので、和冬はブランの言葉を無視して彼女たち二人から避難して行く。
そう言えば、ブランの尻尾が不機嫌そうだった。
ブランも看護師の一人だ。せっかく助けた彼女を手にかけることはないが、これから何が起こるか見ているのは恐ろしい。コカトリスが自分の事を諦めてくれるように、ブランがコカトリスに(テイネイニ)お話してくれるはずだ。
和冬は、ふるりと体を震わせて、診察室の方に戻っていった。



「さて、と」和冬が立ち去って、二人っきりになった病室で、ブランがコカトリスに向き直る。「君、マスターに惚れちゃった? 彼の《妻》であり《狗》である僕に正直にいってごらん」
ブランは悪い目付きを精一杯優しく歪めている。だから、肉食獣が嗤うのは、餌を前にした時だ、という彼女の原則には全っっっく、コカトリスが気づくことはなかった。
「はい」ブランの言った《妻》という言葉にも、《狗》という言葉を気にも留めないで、コカトリスは無邪気な笑みを浮かべた。彼女の笑みに、ブランは鼻をヒクつかせる。

ーーーうん、その仮面は大したものだ。でもね、僕の鼻は誤魔化せないよ。

「ふぇ?」ブランの言葉に、コカトリスはあざとい声を上げる。
「だから、優しいマスターは別として、僕にはバレているんだって。そんな演技しなくてもいいよ、不愉快だ。それとも、もしかしたら、それは素でやっているのかな?」
「な、何の事でしょうか……」
「とぼけないでね。君、さっき言っていた、バイトが多いっていうのは嘘だろう。それに、借金だって、わざわざ悪徳なところを調べて借りて、踏み倒そうとしたんじゃないかな?」
それか、ーー商売敵を陥れようとした、とか。彼女の匂いはそれくらいのことをしてもおかしくないものだとブランは思う。彼女はコカトリスから、ドロドロと濁った、哀れになるほどの異臭を感じていた。
「ほっ、本当ですよ。何でそんな酷い言いがかりをつけてくるんですか……?」
「言いがかりじゃないよ。確かに、最後のは僕の当てずっぽうだけど」ーー狼の勘、かな。とブランは軽く嗤う。「僕は君がカルシウムが足りなくなるほど産卵した理由を知っている」
コカトリスはそこで、引きつったようになった。彼女の幼さの仮面の下で、闇が脈打ったようだった。ブランはそれを感じ取って、言葉を続ける。
「君、

ーー最近、マスターのことをストーカーしてたよね。

朝から夜遅くまで。それは君がさっき言っていたバイトの時間と一致している。とんだ自白を聞いている気分だったよ。それで、君は隠れてずっとオ●ニーしていた。桔梗たちはどこかで誰かが発情しているくらいにしか思っていなかったけど、僕はその下の歪んだ想いも嗅ぎとれてしまうんだ。君の匂いが臭くて臭くてしょうがなかった」
ーー診療所内に来てくれれば、蜘蛛の糸と蛇の目が待っていたのだけど。と、ブランは診療所内の防犯の手立てを思う。
「……………」コカトリスは沈黙している。病室の温度が一気に下がったようだった。
「卵を産む回数が増えたのは、マスターに思い煩って、ストーカーオ●ニーをし始めてからじゃないかな。全く、マスターもツメが甘い。

過剰産卵の原因が光か恋か、とまで言ったなら、
魔物娘ならーー後者に決まっているじゃあないか。

僕らはヒトでも動物でもない。魔物娘だ」
ブランは呆れた風で言う。男としてそれなりに鈍感である彼が、魔物娘なんて、恋と愛に生きる生物の診断のツメが甘いのは、正直、仕方がないことかもしれない。だから、そっちの分野では、僕らが彼をフォローする。
そして、今回のような、彼の身に降りかかるかもしれない危険は、《僕》が摘み取ってしまおう。ブランは伊達に、攻撃担当ではないのだ。
「……………」
「で、その匂いはだんだんきな臭くなってきていた。マスターの身に危害が及ぶ前に、僕が動こうとした矢先に、君は今回の症状に陥って、勝手に僕の口の中に飛び込んできてくれたってわけだ。命はマスターに助けてもらえたけれども、……御愁傷様」
とブランは、死人のように青ざめてきていながら、健気に自分を睨みつけてきているコカトリスに向かって言った。彼女の表面と匂いは、ーーまだ一致していない。凪いだように見える湖面の下で、熾烈な弱肉強食が繰り広げられているようだった。
「そもそもね。あれだけ理解する力があるというのに、倒れるほどのバイトの掛け持ちとか、借金に押しつぶされるだけ、とか君がするわけ無いじゃないか。いや、ーー君はそれをするほど間抜け……かな。
どちらにせよ。君がただの善良なコカトリスではないことだけは確かだ。ファイナンスと君の関係は、領主さまに言って調べて貰おう。僕ができないこともないけれど、マスターを隣で守ることの方が、僕にとっては重要だ。
ま、一つ、ーー命を賭けてストーカーをする、という君の根性は認めてもいいけどね」
ブランは犯(おか)しそうに嗤う。コカトリスは、青ざめて震えているものの、何とか口を開く。うーん……、しぶとい、とブランは思う。
「彼を好きになってはいけないのでしょうか。初めて、私に優しくしてくれたのは、彼、だけでした。私の体が、ここから成長しなくなってから、ここまで心が震えたのは初めてでした……」
何をしたのか知らないが、これは本当のようだ。あの天然フラグビルダーはいつも余計なことを……、彼こそホフホフしてしまうおうか(性的に)。いや、ーーすでにしている。
「それは、別に悪くない。悪く無いんだけどね。君は僕たちから、マスターを奪って独り占めにしょうと考えていただろう。彼の気持ちなんて御構い無しに監禁しよう、とか」
「そんな、……こと」「考えていなかった?」「…………」
「うん、それが答えだ」
少しづつ、彼女の表面と匂いが重なり出している気がする。
「私を領主さまに突き出しますか?」
「うん。それで僕らの役に立ってもらう」
「え? 」コカトリスが驚いた声を上げた。
「マスターはあんな風だからね。ぶっきらぼうにして、その優しさを隠そうとするんだけど、あれでどうして隠していると思えているのかが、僕には不思議でならない。そこにつけ込んでくる人たちがいるんだよ。向こうではそれで散々だったみたいだ……」
ブランの独白をコカトリスは静かに聞いている。
「だから、マスターを守るために君にも協力してもらいたい、ということさ。もしも裏で何かやっているのなら、その知識を活かして。ま、君にどんな形で協力してもらうか、はまだ分からないけど、ね」
「……………、その場合、ここに品物を運ぶという仕事はどうなるのでしょうか?」
「おや、そこを気にするとはやはり強かだね。それはマスターが言い出した事だから、やらせてあげられるようには、しようと思う。それでも、マスターに手を出すことは許さない」
ブランの鋭い眼光に負けずに、コカトリスは「……分かりました」と頷いた。彼女の様子を見て、ブランはその可愛らしい鼻をヒクつかせる。彼女の言葉が口だけのものである事は、ブランではなくとも分かる。
「やっぱり、というか、何というか。懲りてはいないみたいだね」
ブランの言葉に、コカトリスは露骨に嫌そうな顔をして目をそらした。彼女はもはや震えても青ざめてもいない。「チッ」と舌打ちまで聞こえた。それを聞いて、ブランは嬉しそうに頷く。尻尾も千切れそうなくらいに振っている。
ようやく、仮面を外してくれた。中々しぶとかったけれども、僕の鼻にはお見通しであることを理解してくれたみたいだ。こんな危ない奴を側に置くなんて、と思われるかもしれないけれども、万が一でも、彼を傷つけることだけはしない魔物娘の方が、人よりは信用はできる。
「うん、それでこそ、だ。それでこそ、お仕置き(ホフホフ)のし甲斐がある」
ブランはベッドで体を起こしたままの、コカトリスににじり寄る。
「………私は安静にしていなくてはいけない、と言ったのはあなたですよね」
コカトリスの冷たい声に、彼女が心を開いてくれたようで、ブランは嬉しくなる。
「うん、でも、君、魔力製剤を補給しながらマスターと話していたお陰で、見た目よりも元気だよね。体はまだちゃんと動かないようだけど……じゃあ、まずはまだ体に残っている歪んだ形の卵を取り出そうか。それから、マスターへの歪んだ想いも全部、垂れ流させてあげよう。ちなみに、この部屋はマスターの別の嫁の魔法で完全防音にされているから、どう叫ぼうが外に漏れる事はない」
ブランの言葉で、コカトリスはようやく、本気で震え始めた。その様子に、ブランは舌なめずりをする。ご馳走だ。臭ければ臭いほど、美味しいし、そこに恐怖が合わさればより、熟成される。
「大丈夫だよ。むしろ前よりも健全になれるさ」
ブランのその言葉を最後に、病室にはコカトリスの艶に塗れた絶叫が響くことになる。それは外に絶対に漏れることはない。
防音の魔法を施している蛇は、ナカでナニが行われているかを知っているが、何も言うことはない。

「僕はマスターの《妻》であり、彼の《お狗さま》さ。彼のアッチで住んでいた国では、狼を魔除けとして信仰していたこともある。だから、僕は、彼に害なす《魔》をホフホフしちゃのさ」
ブランは楽しそうに歌った。



「お世話になりました……」
すっかり元気になったコカトリスが診療所から出ていく。
彼女の顔は晴れ晴れとして、まるで憑き物が落ちたかのようだった。
「じゃあ、詳しい事はあっちと話してくれ」
「はい、何から何まで、ありがとうございます」
少女っぽさが抜けてきている彼女の様子に、和冬はおや、と思うが、治ったのならばそれでいい、と和冬は流した。
「じゃあ、手筈通りに」
何だか美味しいものでも食べたように、ツヤツヤとしているブランが彼女に言う。確かに昨日はブランともしたが、それだけでもないような気が、和冬にはした。それが何なのかは全く分からないが……。
「はいッ、ブランさま」
うん、分からない方が良さそうだ。病室でナニがあったのかは、想像もしない事にしておこうと、和冬は固く心に誓った。
そうして、病院を去る(まず領主の館に向かう手はずである)コカトリスは、一言、
「えっと、10年後、よろしくお願いします」
と言った。そんなコカトリスに、和冬は頬をひきつらせ、ブランは感心した声を上げる。
そうして、和冬は自分に投げかけられる狐と蜘蛛の視線をヒシヒシと感じた……。蛇さまは今は寝ている……。イタチたちはそもそもそんな事を気にしない。
和冬は、逃げる準備を始める。(もちろんすぐに捕まる。)

そうしてコカトリスは去り、後日、リリムの結の代わりに物品を運んでくれるようになる。
このコカトリスの協力により、彼女の商売敵だった闇金融業者が、大規模な摘発を受けたのは、また別の話である。
17/01/28 09:33更新 / ルピナス
戻る 次へ

■作者メッセージ
治療内容は、人、というよりは鳥よりで、まぁ、ブレンドされております。
ということで、整合性のない部分はお許しくださいませ…。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33