クリスマスパーティ(狩)
その日、都会に雪が降った。
シンシンと積もっていく雪は、都会を白銀の世界へと沈めていく。
確かーー、予報では晴れだったハズだ。それが見事なホワイトクリスマス。
都会に雪だなんて、交通に影響がでないだろうか?
そんな野暮な呟きなど、見事に白化粧を施されたビルの前では些細なこと。
雪の中で煌めくビルの明かりは、クリスマスツリーのライトのよう。
見たことのないほどの幻想的な光景に。人々は息を飲み、カップルは甘いひと時に身を浸す。
今日はクリスマス。
恋人たちが愛を語らい、愛を育む、素敵な日ーーー。
こんな光景だからだろうか……。
シャンシャンという鈴の音まで聞こえてくる。
サンタを信じなくなった人でも、思わず空を見上げずにはいられない。
竜堂幸助はかじかむ手に息を吹きかけながら、空を見上げて目を凝らす。
トナカイが引くソリにサンタが乗っている。そんなこと、あるはずがない。
だって、そんな魔物娘はいないはずだから。
そう。ホワイトホーンが引く空飛ぶソリに乗っているのは、氷の女王………。
「え?」
冷(ビ)ョウッ!
幸助の心に冷気が入り込んでくる。彼女の姿を見てはならない。その戒めを守らぬものは、すべからく心を凍てつかされる。
誰か…、誰か私を抱きしめて欲しい。抱きしめて、そのまま、その温もりの中で交わりたい。
幸助も例外ではなく、心がそんなことを思う。だが、それを彼の理性は許さない。
絶対に許してはくれないのだ。なぜならーーー。
「私は龍ちゃんという心に決めたヒトがいるのだからッ!」
彼はそう言って、拳を握り締める。彼の端正な顔は、襲いかかってくる冷気でも凍てつかせることは出来ない。
ぽたり、ほたり。
彼の立っている白銀の世界に、まるで血が滲むように、赤が現れる。
それは数を増し、そこかしこに現れる。
彼は目を見開く、そして、もう一度空を見る。空には蒼い氷の女王。
ホワイトホーンの引くソリに乗っているとはいえ、彼女がサンタのわけがない。その証拠に、赤い服なんて着ていないし、袋だって……空っぽだ。
そこから推察した……、これから起こることに、幸助の総身が粟立つ。
「ま、……さか」
脱(ダ)ッ、と彼は駆け出す。
危険だ。今すぐにこの街を出ないと危険だ。
ーーアレは。……彼女たちはプレゼントを配りに来たのではない。
ましてや、プレゼントを貰おうと待っている可愛い子供ではない。
飢えた獣(けだもの)の群れ。自分でプレゼントを狩りにきた。恐ろしい、魔物の群勢ーーー。
降りしきる雪の中で明滅する赤い帽子は、カップルに対する嫉妬で赤く燃えている。
今にも血涙を流しそうなほどに、鬼気迫った表情。目につくものは片っ端から取って、ヤっちまおうという気概に燃えている。
竜堂幸助は走る。一心不乱に、息をする暇なんてない。
夏には仲間がいた。装備も、気力だって万端だった。
しかし、今はそうではない。彼は苦々しい思いを噛み締めてここにいたのだ。
龍ちゃんにクリスマスプレゼントと称して、渡そうとした婚約指輪を彼女の父である宮司に阻まれた。
その際の戦闘で、クリスマスケーキを台無しにしてしまった。
龍ちゃんの涙を見てしまった。だから、彼はこの街にケーキを買いに来たのだ。
ケーキをお持ち帰りしようとしたのに、今、自分がお持ち帰りされる危険がある。
笑えない。だから、走る。雪の中を、白銀の地面を蹴って。
巻き上げられた雪が白々しく、キラキラと舞う。
夏ーー。彼は、軍曹と呼ばれる夢追い人として、祭りの喧騒を駆け抜けた。
冬ーー。今、彼はただ一人の逃走者として、街を走っていた。
今だ状況を理解できていない、哀れなチェリーたちを横目に見て、彼はひた走る。
「みんなぁぁぁぁ、今年は。今年のクリスマスこそは、レッドクリスマスじゃない。ホワイトクリスマスにするわよォォォ!」
リーダー格のレッドキャップの怒声で、鬨の声が上がる。
「赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤(あああああああああああああああ)ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
赤帽子サンタ隊が、手に持った魔界銀の鉈を打ち鳴らすと、一斉に白銀の街に放たれる。
餓がガが、牙チャジャ邪。がががガガガがーーーーー。
爆(バ)ッ赤(ア)と。真っ白な世界に、赤の散弾銃が撃ち放たれる。
悲しみで血が噴き出したように……。積もり積もった怨嗟を吐血したように……。
せっかく氷の女王にまで、協力してもらって用意したこの狩場。
ここでしくじって、今年も赤い帽子のレッドクリスマスを過ごすことになってしまったら、目も当てられない。
今年こそは、彼の精液で、身も心も、帽子も白くなって、ホワイトクリスマスを過ごしたい。
大人になった今。待っていてもサンタは来てくれない。
ならば、ーーー自分がサンタになればいい。
自分がサンタになって、いつもまでも来てくれない男(プレゼント)を狩(買)えばいい。
これこそ、大人買い。鉈を振りかざしたレッドキャップの群れが走る。
「何だコレは? 何が、何が起こっている?」
「いい、いいなぁ。コレ。ちっちゃい子がいっぱいだ」
慌てふためく、サクランボが次々と狩られていく。
それは、とても悲しく……。ほっこりとする光景だった。
ギュウッと抱きしめてくる。レッドキャップを振りほどける独り身男性などいない……。
心に染み入ってくる冷気に一人で凍えるなど、耐えられるわけがない。
だって……、今夜はクリスマス。こんな冷気に一人では耐えられないーーー。
「ヤられるかよぉ!」
幸助は地下鉄の階段を駆け下りる。まだ、この街が狩場と化したことを知らない通行人たちが、彼のことを迷惑そうな目で見ている。
ホームで電車を待つ時間が、とても煩わしい。まだか、まだか、と彼は電車を待つ。
カチ。しかし、電車はやってこない。コチ。時計は虚しく、時を刻むのみ。電光掲示板と時計を見比べると………。
ーーーもうとっくに、列車の発車時刻を過ぎている。
彼の脳裏にイヤな予感が湧き起こる。そんなーー。まさか……。
しかし、このイベントには氷の女王が噛んでいる。最上位の一角とも言える魔物娘。
社会的に高い地位についていてもおかしくはない。こんな、都市を覆い尽くすような雪を降らせている時点で……。街全体がグルである可能性を考えるのは、遅いくらいだ。
その証拠に、聞こえて来たのは……。列車がレールを走る音ではなく、蹄の音と、レールの上をソリが滑る音。
散(チ)ィッ! 幸助は盛大に舌打ちをすると、元来た道を引き返す。
地下鉄は、もうダメだ。ここにいる全員ヤられてしまう。
阿鼻と嬌姦のコンサートホールに変えられてしまう。階段を登りきった幸助の横目には……。
ホワイトホーンに引かれた巨大なソリから、大量のグラキエスが降りてくる光景であった。
幸助は脇目もふらずに走る。まだ、今ならば間に合う。まだ自分を個人として特定している魔物娘はいないはずだ。
このまま地下の商店街を抜けて、中心地から一刻でも早く抜け出す。抜け出せなくて、ヌかれてしまうわけにはいかない!
幸助は地下道の一番端の出入り口から、外に向かう。
その扉を見て、息を飲む。
スフィンクスだ。お前、クリスマスと関係ないだろう、というツッコミも一緒に飲み込む。
「さ、寒いにゃ。アタシもネコの仲間だから、ホントはコタツで丸くなっていたいにゃ……」
だったらすぐ帰れよ。氷の女王が喝采を送るであろうほどの冷たい目を、幸助は彼女に向ける。
「でも、1人でコタツで丸くなるのは、嫌にゃ。そこのお兄さん? アタシと一緒にコタツランデブー、しないかにゃ?」
「悪いが、先約があってね。家で、愛する人が待っているんだ」
「ふぅーん。その割には、匂いが少ないけどにゃ……。じゃあ、もーんだい、にゃ。今、アタシが欲しいものは何だろにゃ?」
その答えは、おそらく男。そうに決まっている。先ほど、彼女自身がそう言っていた。
だが、それを答えれば、お持ち帰り〜! されてしまう。だから、幸助はこう答える。
「男、だろ。一緒にコタツで丸くなってくれる、ナァッ!」
そう言いながら、幸助は彼女に突っ込んで行く。両手を広げて、彼女を抱きしめるようなポーズで。
「ぉおう!? お兄さんもその気だったと、相手がいると言うのに、イケナイにゃあ。で・も。そんなヒト嫌いじゃない、にゃお〜ん♡」
彼の様子を見て、スフィンクスが嬉しそうな鳴き声をあげる。
同様に手を広げる彼女に突っ込んで行った彼は、彼女の腕が自分を捕まえる直前で。広げていた手を狭めて。彼女の目の前で、両手を打ち合わせる。
猫だまし。
スモトリの絶技とされる。ダマシ手だ。悪いオトコ。
ネコでもあるスフィンクスには、効果絶大だ。抱きしめようとしていたはずのに、突如現れた手と破裂音。
ビックリする彼女の脇を幸助はすり抜けて外に出る。
走る。すぐに捕まってしまっては元も子もない。
「ひっ、どいにゃ〜! ネコの純情を弄んで! お前のチンポを猫じゃらしにして、弄んでやるにゃ〜!」
怒った猫のほえ声が聞こえるが、彼は、咄嗟にドアの後ろに隠れてやり過ごす。
激昂して、前しか見ていなかった彼女はそのまま駆けていく。
一先ずの難は逃れたが、絶望的な状況は変わらない。
白銀の世界には、レッドキャップの赤帽子が獰猛に蠢いている。
まるで、とあるアニメで見た怒った王蟲のようでもある。
荒い息を吐きながら、幸助は駆ける。
捕まっている男性たちを横目に見て。
ホワイトホーンの角に引っかけられていたショタがいる。
グラキエスに群がられている紳士がいる。
レッドキャップにしがみつかれている巨漢がいる。
トナカイになって、イエティを運んでいるM男がいる。
都会のビルの谷間が、雪山のクレバスの如く。雪の魔物娘が、男たちの欲望を飲み込んでいく。
飲み込まれた欲望は、凍てついた彼女たちの心の氷を溶かして、より大きな劣情を目覚めさせる。
風よ。もっと吹け。彼らを震えさせ、より大きな熱を生め。
雪よ。もっと降れ。白銀の下に、決して凍らぬ熱情を閉じ込めろ。
氷の女王が嫋やかな青の腕を振るう。彼女の袋はいまだに空っぽだ。
彼女は、風雪を越えて、己を溶かしてくれる漢を求めている。
その彼女と、幸助は目が合ってしまう。目が……、合ってしまったのだ。
マズイ。本能の底から湧き起こる冷情。冷たい瞳に射抜かれた心が、彼女を求めようとしてしまう。
それを、唇を噛み締めて黙らせる。失せろ。こんな外付けの気持ちなどに私は負けない。
幸助は射すくめられるような視線を切って走り出す。
それを見た彼女は、ニィ、と口端を歪める。氷の女王が……嗤ったのだ。
彼女はホワイトホーンの手綱を操る。ホワイトホーンは、氷の女王の乗ったソリを彼めがけて運んでいく。
猛然と吹雪を伴い、凍てつく青謐の運び手が、白銀の覇者が、幸助を袋に詰めようと迫る。
彼女のソリは幸助に並走し、ついにその魔の手が幸助の首根っこを捉え…。
「ふん、無様なものだ」
Siィィィィィィィィ。火勢でそこに割り込む、1人の男性。
宮司。彼の叔父。愛しの龍ちゃんの父であり、彼の打ち倒すべき怨敵。
彼は右手で彼女の手を払う。そして、左手のケーキボックスを幸助に託す。
「え?」
幸助は間抜けな声をあげてしまう。何故、彼が自分を助けてくれるのか。
自分がここで捕まってしまえば、龍ちゃんにつく悪い虫を片付けることになるのではないか?
だが、幸助は、彼の目を見て気がつく。我らの決着はこんな形で、終えるものではない。いずれ、あの場所で、然るべき時に、決するもの。
こんな、横から掻っ攫われていい訳がないッ!
幸助は静かに頷くと、そのケーキボックスを受け取る。
そして、礼を言って、走り出す。中身を崩さぬように、気をつけながら。
「ありがとうございます。義父うさん!」
「義父うさんと、呼ぶんじゃあナイッ!」
宮司が叫び返すが、幸助にはすでに届かない。あたりの喧騒と、氷の女王の訪れで、猛烈に吹きすさぶ吹雪が許しはしない。
「この先には行かせんよ」
歯を剥き出して笑う宮司。
氷の女王は、宮司に触れられた手をさすって、ただの乙女のように頬を染めたーーー。
◆
「ハッ、ハッ」
幸助は猛烈な吹雪の中を走る。すでに身も心も冷え切って、誰でもいいから抱きつきたいという気持ちにかられてしまう。
そうできたら、どんなにいいだろう。しかし、それだけは絶対にできない。できるわけがない。
重(ズ)、ズゥゥゥン。
地面が揺れる。雪に足を取られて幸助は転んでしまう。
頭上を見れば、二つの光り。ーーーゴクリ。幸助は、ビルの灯りとは違う、生々しいその輝きに生唾を飲み込んでしまう。
建物の三階に等しい背丈の巨人がそこに立っていた。おそらくはウェンディゴの夫。
ヌゥッ、と巨大な掌が幸助を掴み上げる。
「や、やめろぉッ!」
幸助の叫びも虚しく、巨人がその肩に幸助を乗せる。
隣の顔のあたりから、声がする。
「なーにやってんすか? 会長。今日はこの街が、大規模なクリスマス婚活会場になるって知らなかったんすか〜」
その呑気な声に、幸助は胸をなでおろす。
「ああ、君か……。ありがとう」
彼は確か、クラスメイトの一人。そして、ウェンディゴの彼氏だったはずだ。それならばーー、と幸助は目線を下げる。
巨人の下腹部のあたりに、真っ裸の少女がいた。
こんな寒い中で、お盛んなことだ。いや、だからこそ……か。
幸助は彼女にも頭を下げる。これならば、大丈夫だろう。このまま、彼に街の外まで送って貰えばいい。
「すまないが、街の外まで私を運んでは貰えないだろうか?」
「いいっすよ〜」
軽く返す彼に対して、幸助は丁寧に礼を言う。
「でも、一筋縄ではいかないっすよ」
彼が視線を向けた方向に、釣られて幸助も視線を向ける。
そこには、雪女がいた。白無垢のような着物に身を包んだ冷徹な美人。
それから、ウェンディゴの彼氏は街の四方に向けて視線をやる。聡明な幸助は、それだけで彼が何を言いたいのかわかってしまう。
「まさか、結界でも張っていると言うのか?」
「当たりっす。街の四方には彼女を含めて、雪女、ウェンディゴ、ぬらりひょん、バ××グさんが要となって結界を張っているっす。こんな吹雪が外に漏れ出したら危ないっすよねー」
待て、前半は分かるとしても、後半はなんだ。雪、関係ないだろう。
そんな、大物中の大物を引っ張り出してきて、妖怪大戦争どころか、魔界大戦争でも起こすつもりか。下手をすれば、×凶まで引っ張り出して来てはいないだろうな、とメタ的な設定にまで思いを馳せてしまう。
「でも、もしかしたら、ウェンディゴのところから出れるかもしれないっす。彼女のよしみで」
幸助はこの言葉に一抹の期待を抱く。
彼は頷いて、ウェンディゴの彼氏を促す。
「では、そこから頼む」
「アイアイサー、っす。いいっすよね?」
彼は彼女に了解を取ることを忘れない。ウェンディゴがニチャア、っと顔を蕩けさせて、咥え込んでいる肉棒を締め付ける。
「ぅあっ。ありがとうっす」
彼は彼女の中に放出してしまったようだ。それが、了承の意であることはわかるのだが、耳元で男のイき声を聞かされるなど、幸助にとってはたまったものではない。
しかし、彼はそれをおくびにも出さず、巨人の肩に乗ったまま運ばれていく。
吹雪の中、ビルの隙間をぬって巨人が通っていく。巨人は誰をも踏むことなく、通り過ぎる幻影の如く進んだ。
白銀の街で、ナカも外も真っ白に染めて。情事にふける新しいカップルの上をーー。
………巨人の裾に、赤いシミがついていることなど知りもせず。
幸助たちは、四方で結界を張っている一角、ウェンディゴの元にたどり着いた。
彼女は幸助を外に出すことに、快く了承してくれた。
そんな幸助に、不吉な声が投げかけられる。
「見ぃーつけちゃったー、見ーつけたぁ〜」
バッと振り返るそこには、レッドキャップ。
瞳を爛々と欲情に爛れさせる、獰猛な狩人がいた。
彼女はギザギザの歯で、ギシィ威(ィ)ィ、と軋むような笑顔を見せる。
「ここが正念場か……」
幸助は観念したように、構える。周りの者は、幸助の敵に回らないが、味方でもない。
魔物娘の婚活を邪魔することはしないのだ。人の恋路を邪魔する奴は、たとえホワイトホーンさんでも蹴るに違いない。
「大人しく、私のプレゼントになりやがれェッ!」
凶悪な鉈を振りかざして、レッドキャップが猛然と打ち掛かってくる。斬(ざん)ッ。
吹雪を切り裂いて、赤帽子が幸助に迫る。
幸助は持ち前の運動神経とカラテの技で、彼女の鉈をいなす。
彼女もただいなされるだけではない。鉈を逆手に持ち替えて、回転しながら幸助に振るう。
それをいなす。振るう。いなす。降り積もる雪の中、赤帽子が翻り、鉈が鈍重な風を纏う。
一つとして受け手を誤れば、その鉈の餌食。だが、幸助の集中力と判断力は寸分違わずに。ーーー彼女の鉈を通さない。
「チィっ! なんで、あたしに攻撃しない。お前の実力なら、あたしを叩きのめすことだって、出来るだろう」
レッドキャップの鉈をいなし続ける彼は、その実、ただの一度たりとも、攻撃をしなかった。いなした力で、彼女を投げ飛ばすことなど容易であったはずなのに……。
レッドキャップは、バカにしているのか、と憤る。私は、私はこんなにも本気なのにッ!
「悪いな。私は女性に手はあげないのだ」
ワザマエ! カラテじゃないワザマエを魅せてくれた。彼の言葉に、レッドキャップはウッと言葉を詰まらせる。
そして、彼女は肩を震わせながら、顔を赤くする。
「あたしじゃ、ダメなのかよ? こんなに、あんたのことが好きなのに!」
瞳を潤ませる彼女を見て、幸助は思い出す。
そうか、彼女はあの時の。幸助はケーキを買いにこの街にやって来てすぐ。転んでいた白い帽子の女の子を助け起こしていた。
この赤帽子の彼女は、あの白帽子の彼女だった。
幸助は一度目を閉じて、まっすぐに彼女を見る。そしてーー、口を開く。
「申し訳ない。私には心に決めた人がいる。だから、君の気持ちに応えることはできないのだ」
「……………ッ。馬ッ鹿、バカやろぉぉぉぉぉ!」
やたらめったらに、レッドキャップが鉈を振り回す。精彩を欠いて、力任せに振るわれるソレが、幸助に当たるはずもない。
だが、彼女の気迫に押されてしまったのだろうか?
彼女の鉈が、幸助の持っていたケーキボックスを引っ掛ける。飛んでいくケーキボックス。
「あっ」
彼女が声を上げる。
それを幸助は呆然としてみる。雪の中、無情に弧を描くケーキボックス。
これでは中身はぐしゃぐしゃだ。龍ちゃんの笑顔を見ることができない。
女性の泣き顔ばかり見るなんて……、散々なクリスマスだ。幸助は少し、泣きそうになる。
「わ、……悪い。ーーごめんなさい」
急に殊勝になったレッドキャップの頭を幸助は優しく撫でる。
「いいさ、君の気持ちに応えられなかった私が悪い」
幸助は何とか笑顔を返す。レッドキャップはシュンとなりながら、頬を染めて、撫でられた頭を触っている。
幸助は落ちたケーキボックスを取ろうとする。降りしきる雪は激しさを増して、吹雪となっていた。
幸助は、龍ちゃんに責められているような心持ちになる……。
ーーーと、それを先に拾う者がいた。
サンタの格好をしたグリフォンだ。勇壮な翼に、雪を乗せて、精悍な顔つきで幸助とレッドキャップの少女を見ている。
美しい切れ長の目が、吹雪を射抜くようだ。寒くはないのか?
布の面積は狭い。赤い帽子をかぶり、下乳のはみ出た上半身に、赤い布をパレオのように腰につけている。流石に、その下は……はいている、はずだ。図鑑世界でなければ、面白い格好をしたアブナイ女。
彼女が口を開く。
「これは、私への挑戦だな?」
「「へ?」」
グリフォンの言葉に、幸助からもレッドキャップからもま抜けな声が上がる。
「私に向かって、ケーキを叩きつけるなど、これは挑戦に他ならない。お前たち、私からケーキを奪うつもりだろう。そして、負けた私を精液(生クリーム)でぬちょぬちょにする気だな!? エロ同人みたいに、エロ同人みたいにッ!」
彼女の叫びに呼応して、吹雪が豪(ゴウ)ッと吹き荒ぶ。白銀の風に吹かれる彼女の羽毛が力強く、美しい。
ーーーが、外見も中身もアブナイ女であったグリフォンに、誰も声を発することができない。
「何せ、お前からは、私(ケーキ)が欲しいという欲望が漏れ出ている」
「………。もしかして、貴方に勝てば、その袋のケーキを私にくれるということだろうか?」
「そう言っている。私は宝(プレゼント)を守るグリフォン。相手の求めるものがわからないはずがない。ほぅら、ケーキが欲しいのだろう? 欲しければ、私を屈服させてみせろ。全てはそれからだ!」
雄々しい雄叫びを上げるグリフォンに、幸助は思う。アブナイが、この人はいい人なのだろう。
そして、軋(ギ)チリと頭の歯車を組み替える。
逃走者から、夢追い人へーーー。
己の在るべきカタチへと、己という存在を組み替えるーー。
「恋(来い)。汝の挑戦を受け入れよう」
苛烈に笑うグリフォンに、幸助は獰猛に笑う。氷の女王に挑んだ叔父のように、未来の義父のように。
あの子の笑顔を守るためにーーー!
幸助の横顔をレッドキャップが寂しそうな目で見る。
彼の視線はグリフォンに向いている。だが、彼が見ているものはもっと、ずっと先のものだ。
その勇ましい視線が自分に向くことはない。
だけど、今は横に並ぶ。彼のケーキを台無しにしてしまったのは、自分なのだから。
いくら、振り向いてくれないとはいえ、彼のクリスマスまで、ーーー台無しにしてしまう理由はない!
「あたしも、手伝うよ。あいつは結構強そうだから」
心強い申し出に、幸助は静かに頷く。
行け。恋する男女よ。汝らの糸が交わることはない。しかし、ねじれの位置であれ、共に並ぶことは出来る。
ただこの白銀の一夜(ひとよ)に、ただこの吹雪の一時に。
熱く、滾る想いを一気に放つのだ。
「うぉぉぉぉ!」
「あ、ああああああ!」
幸助は裂帛の気合いを放ち、レッドキャップは鉈を振り上げ咆哮する。
吹雪を切り裂いて、赤帽子が、青年が、赤衣(クリスマス)の守護獣に挑み掛かる。
もちろん、幸助は女性に手などあげはしない。グリフォンは、自分を屈服させてみせろと言っていた。
彼女を討ち果たす必要などない。彼女への勝利条件は、つまり、ケーキの奪取である。
脱(ダ)ッシュ。袋に伸ばされた幸助の拳を、猛禽の爪が阻む。
爪(ジ)ャキィ。鉈と爪が鎬を削り、硬質な音が風雪の中に溶けていく。
いくらエロイ格好のアブナイ女とは言え、麗しき守護獣。
強壮な膂力に、非力なレッドキャップと人間の足掻きなど滑稽ですらある。
しかしーー。その瞬間の瞬きは星のようで、銀雪の煌めきよりも尚、美しいーーー。
グリフォンは陶然(ウットリ)とする。私は、このために、宝を守るのかもしれない。
宝を守ることが目的なのではなく、宝を求めて、必死に輝く、ヒトの欲望の煌めきこそが、私にとっての本当の宝であるーー。
グリフォンは羽を打つ。猛然と吹き荒ぶ吹雪を散らす。
人と、魔物娘が湧き立たせる。熱風が、吹雪を押し分ける。
いい。いいぞーーー。
グリフォンは獰猛に笑う。その笑みは、肉食獣のそれ、宝(獲物)を前にした強者の覇色(はしょく)。
幾合の攻防が無駄と断じられたのだろう。だが、彼らの足掻きはついに、彼女の喉元に届く。
彼女を打ち倒し、縄にくくりつけるが如くに屈服させるーーー!
それは、強者だからこそ持ち得る油断。非力な種族が次に何をしてくれるか、そうして爛々と目を輝かせながら見ていたからこそ、釣られた。
幸助は、己の目を真っ直ぐに見てきたグリフォンの目を見返しつつ、バッと横を向いたのだ。
自分と戦っているはずなのに……。自分よりも目に移さなくてはならないものがあるのか!
グリフォンは憤りを込めてその視線を追う。その視線の先には、彼氏と交わり、淫らに表情を蕩けさせたウェンディゴの姿。
「へ?」
獲物を前にして、猛っていたグリフォンの気持ちが急速に下腹部に向かってしまう。
そんなもの、魔物娘として、気を取られずにはいられない……。
「とったぁぁ!」
レッドキャップの嬉しそうな声で、グリフォンは我に帰る。
我に返って、あらん限りに目を見開く。しまった。取られてしまった。
しかも、そっちはケーキの入った袋ではない。
さっき捕まえた、自分への宝(プレゼント)ーーー。
「えっ!? きゃぁあああああ。遼くん? 何で遼くんが入っているの!?」
レッドキャップが可愛らしい声で絶叫を上げる。レッドキャップの知り合いのようだ。
遼くんと呼ばれた彼は、ご丁寧にも猿ぐつわをかまされて、両手両足を縛られていた。
突然の状況に、あたりが静まり返る。グリフォンから大量の冷や汗が流れている。
吹雪の音が虚しく、聞こえる。びゅうびゅう。びょうびょう。
「あ、もしもし、警察ですか? あ、はい。そうです。グリフォンが……」
ウェンディゴの彼氏が電話をかけている。
「よくぞ私を倒した。それは君へのプレゼントだ。このまま、見逃してくれると助かる!」
ジャっ、と手を上げて飛び立ったグリフォンが撃ち落とされる。
どこかから飛んできた真っ黒な炎で、煙を上げながら墜落していく。
炎の飛んできた方角は確か、バ××グさんがいるという方角だ。炎の大悪魔の前では、さすがのグリフォンと言えども為すすべはない。
この吹雪の中に炎を通せるなど、あの存在しかいない。
ファンファンファンという、サイレンの音が聞こえてくる。
ブラックサンタのグリフォンを、ヘルハウンドのお巡りさんがお縄につけてくれることだろう。
「遼くん、大丈夫?」
レッドキャップが捕まっていた少年の戒めを解いていく。解放された少年は、堪らずにレッドキャップにしがみつく。
「うわァァァ〜〜ん。怖かったよ〜。赤染さーん」
「………。もう、遼くんはあたしがいないとダメなんだな……」
レッドキャップが、しがみつく少年を抱き締め返す。
ーーメリークリスマス。
幸助は、その光景を微笑ましそうに見る。レッドキャップの彼女に幸せなクリスマスが訪れてくれてよかった……。
彼はそのまま、街から出ようとする。
「いいの? ケーキ、持ってかなくて」
ウェンディゴが交わりながら尋ねてくる。
それに。幸助は朗らかに笑いかえす。
「いいさ。盗品かもしれないもので、彼女が喜んでくれるはずがない。私は別の形で、誠意を見せよう」
別のお菓子を作る……。それでダメならば、ドゲザ、か。
「…………………。じゃあ、これ、持って行きなよ」
幸助の哀愁漂う背中を見て、ウェンディゴが彼氏の外套の中から、彼女たちのケーキボックスを取り出す。
それを見て、幸助は驚く。
「いい、のか? それは君たちのものじゃないか」
「いい。彼のケーキは、彼の精液デコレーションした私。私が食べられるケーキ、なの。こんなもの持っていたら、彼が私を食べてくれない」
ウェンディゴはそう言って、幼い容貌を艶然と蕩けさせる。彼氏である巨人は、ポリポリと頭をかきつつ頷いてくれている。
頑張る、ということだ。頑張れ、武士(もののふ)よ。幸助は力強く、彼に頭を下げる。
「わかった。そういうことなら、ありがたく頂こう」
幸助はそう言って、ケーキのボックスを受け取る。
その際に、真っ裸の少女の肢体を間近で見ることになるのだが、彼はそれに心を揺らされることなどない。
何せーー、最愛の女が、ケーキを待っている。
むしろ、目をそらして、外套の隙間からその深淵を覗き込んでしまう方が問題だ。
幸助はその街を後にする。
騒がしい、クリスマス。今はもう、都市はほとんど白銀の化粧に覆われている。
赤帽子たちは相手を見つけられて、その帽子が白くなっているようだった。
白銀街を汚していた血のような赤は、今はヴァージンスノーを自分の初めての血で染めているだろう。
それは、なんと幸せなことか。
幸助は、雪に閉ざされたビルを見る。
「ーーメリークリスマス」
幸助は誰にでもなく、呟く。
その言の葉は風に吹かれ、性なる夜に吸い込まれていった。
吹雪の中、くるくる巻いて、誰かの元へ届けられるーーー。
◆
蛇足、ならぬ、龍の足。
「主よ。そこに直れ」
龍様。龍ちゃんの母であるイブキの恐ろしい声が、神社に響く。
その前で、縮こまっているのは彼女の夫である宮司だ。
彼は、氷の女王に触れていた。彼に触れられた彼女は、彼に心を溶かされてしまった。
だからーーー。
「何故、ケーキを買ってくるはずが、氷人形など買って来ておるのじゃ? 儂というものがありながら、どういうことじゃアッ!」
恐ろしい、恐ろしい光景を幸助はコタツに足を入れながら眺めていた。
隣では、彼の持って来たケーキを幼い龍ちゃんが美味しそうに頬張っている。
「古き龍の神よ。氷人形などとは辛辣ですね」
氷の女王がその玲瓏な表情をピクリとも動かさずに、冷たく言う。
「事実じゃろう」
イブキも負けないくらいの冷徹な声で返す。
宮司は、床に正座させられている。勇ましい姿は何処へやら。歯をカチカチと打ち鳴らしながら、恐怖と寒さと寂しさで震えていた。
龍の怒りと、氷の女王の冷気をまともに浴びて、一介のインキュバスに耐えられるわけがない。
「しかしーー」
「しかしも何もないわ。このタワケッ!」
その苛烈な言葉にビクリと身を竦ませる。
「そんなに虐められて、お可哀想に……」
その原因が宮司にスリつく。イブキの眉がますます吊り上がる。
外では氷の女王の影響で、龍神山にも雪が降っている。
シー・ビショップは「血が滾るぜぇ!」と言いながら、山にかけて行き、その夫が後を追いかけていった。
妖狐や稲荷の夫は、伴侶のフサフサの尻尾に包まれて、幸せそうに、ハスハスと匂いを嗅いでいる。彼女たちは困った顔を見合わせているが、嬉しそうに微笑んでもいる。部屋に引っ込んでいくのも時間の問題だ。
寒さに弱い白蛇の夫婦はすでに部屋に引っ込んで、裸で巻きついて、そのまま冬眠でもしそうな勢いだ。
龍神神社の面々は各々のホワイトクリスマスを楽しんでいる。
「確かに、今の私は、人形のようかもしれません。ですから、ダーリン様に、この固い顔を……あなた様の固いモノで、蕩けさせて欲しいのです」
氷の女王は、そう言って宮司の唇を奪う。
そこで、とうとうイブキの逆鱗がピリリと反応する。
「あい、分かった。良いじゃろう。ならば、お主が誰のものなのか、その体に刻み込もうではないか。お主が泣いて謝ったって、許してはやらぬーー!」
イブキが、氷の女王ごと宮司を引っ張っていく。
これから彼は、苛烈で凍てつく、龍と氷のクリスマスナイトを過ごすのだろう。
それは、耐えられるものなのだろうか?
幸助はそれを見送りながら、合掌する。
ご武運を。我が怨敵。我が義父よーー。
私はその間、龍ちゃんとしっぽり、グフフフ。
そうして、彼は龍ちゃんに目をやる。彼女はケーキに夢中。それをみて、幸助は、ニチャアっと笑う。
「美味しいか?」
「うん、こーちゃん。ありがとう。私、こーちゃん好きーー」
ゴフゥッ。その屈託無い笑みに、その暴力的な言葉に、彼の理性が粉微塵になるほどに叩きのめされる。
このまま、押し倒してしまいたい。
だが、それはまだイケナイ。まだ、宮司を倒してないのだから。
グギギギィィ。と彼は折れそうになるくらい歯をくいしばる。鋼の理性で耐える。耐える。
私が過ごしたいのは、龍ちゃんと二人っきりのほっこりとしたクリスマスナイト。
龍ちゃんはそんな彼の胸中を知ってか知らずか、彼にすり寄ってくる。
幸助はあまりの多幸感に逝ってしまいそうになる。
ハーッ、ハーッと息を荒げてしまう幸助。
「うんしょ、うんしょ」
龍ちゃんはそのまま彼の膝の上に座る。そして、えへへぇ。と無邪気に笑う。
やめたげてヨォ。彼、必死で我慢しているんだかラァ。
「こ、うちゃーん。何か固いものが私に当たってるよ〜」
幼いとはいえ、龍ちゃんも魔物娘。性に関して積極的であることには間違いがない。
しかし、これは、積極的になりすぎではないだろうか?
幸助は、もしや、と思う。もらったケーキの中に、何か入っていたのではないか。
それは、ありえなくない。というか、むしろ、入っていないはずがない。
膝の上で、龍ちゃんが振り返りつつ、流し目で幸助に言う。
「いいよ。こうちゃん。もう、父(てて)上も、母(かか)さまも、今はいない。私のこと、好きにして、イ・イ・よ♡」
幸助の鼻に、彼女の甘い匂いが漂ってくる。しっとりと太ももに沈み込んでくる彼女の重さが心地いい。
艶然と流し目を送るその瞳は、幼女のものではなく、熟練の遊女のよう。
オソロシイ、生き物を目にした幸助はーーー。
フッと意識を手放してしまった。
ゴチン。と床と彼の頭が打つかった、危ない音がした。
「こ、こうちゃん!? 大丈夫? もー、意気地なしなんだから〜。母(かか)さまも言ってるよ〜。据え膳食わぬは男の恥、って」
いや、無理だろう。無理だ。こんな子に勝てるわけがない。
幸助は真っ白な頭で思う。
幼くとも、魔物娘は魔物なのだ。ただでさえ、女とは、男が勝てるわけのない魔モノ。
そうして、彼の意識は真っ白な荒野へと放り出される。
そんな彼を、龍ちゃんは呆れた顔で見て。彼の上にのしかかって、瞳を閉じる。
彼女にとっては、ケーキよりも自分のために頑張ってくれた彼こそがクリスマスプレゼント。
匂いをつけるように、彼の胸に顔をこすりつける。そのまま、彼女は可愛らしい寝息をたて始める。
外ではしんしんと雪が降り積もり。山の全てを眠らせる。
せっかくのクリスマス。それでも、まだまだ若い彼らには時間がある。
来年も、再来年も。もっと素敵なクリスマスを。
全てのヒトと魔物娘に、ーーーメリークリスマス。
シンシンと積もっていく雪は、都会を白銀の世界へと沈めていく。
確かーー、予報では晴れだったハズだ。それが見事なホワイトクリスマス。
都会に雪だなんて、交通に影響がでないだろうか?
そんな野暮な呟きなど、見事に白化粧を施されたビルの前では些細なこと。
雪の中で煌めくビルの明かりは、クリスマスツリーのライトのよう。
見たことのないほどの幻想的な光景に。人々は息を飲み、カップルは甘いひと時に身を浸す。
今日はクリスマス。
恋人たちが愛を語らい、愛を育む、素敵な日ーーー。
こんな光景だからだろうか……。
シャンシャンという鈴の音まで聞こえてくる。
サンタを信じなくなった人でも、思わず空を見上げずにはいられない。
竜堂幸助はかじかむ手に息を吹きかけながら、空を見上げて目を凝らす。
トナカイが引くソリにサンタが乗っている。そんなこと、あるはずがない。
だって、そんな魔物娘はいないはずだから。
そう。ホワイトホーンが引く空飛ぶソリに乗っているのは、氷の女王………。
「え?」
冷(ビ)ョウッ!
幸助の心に冷気が入り込んでくる。彼女の姿を見てはならない。その戒めを守らぬものは、すべからく心を凍てつかされる。
誰か…、誰か私を抱きしめて欲しい。抱きしめて、そのまま、その温もりの中で交わりたい。
幸助も例外ではなく、心がそんなことを思う。だが、それを彼の理性は許さない。
絶対に許してはくれないのだ。なぜならーーー。
「私は龍ちゃんという心に決めたヒトがいるのだからッ!」
彼はそう言って、拳を握り締める。彼の端正な顔は、襲いかかってくる冷気でも凍てつかせることは出来ない。
ぽたり、ほたり。
彼の立っている白銀の世界に、まるで血が滲むように、赤が現れる。
それは数を増し、そこかしこに現れる。
彼は目を見開く、そして、もう一度空を見る。空には蒼い氷の女王。
ホワイトホーンの引くソリに乗っているとはいえ、彼女がサンタのわけがない。その証拠に、赤い服なんて着ていないし、袋だって……空っぽだ。
そこから推察した……、これから起こることに、幸助の総身が粟立つ。
「ま、……さか」
脱(ダ)ッ、と彼は駆け出す。
危険だ。今すぐにこの街を出ないと危険だ。
ーーアレは。……彼女たちはプレゼントを配りに来たのではない。
ましてや、プレゼントを貰おうと待っている可愛い子供ではない。
飢えた獣(けだもの)の群れ。自分でプレゼントを狩りにきた。恐ろしい、魔物の群勢ーーー。
降りしきる雪の中で明滅する赤い帽子は、カップルに対する嫉妬で赤く燃えている。
今にも血涙を流しそうなほどに、鬼気迫った表情。目につくものは片っ端から取って、ヤっちまおうという気概に燃えている。
竜堂幸助は走る。一心不乱に、息をする暇なんてない。
夏には仲間がいた。装備も、気力だって万端だった。
しかし、今はそうではない。彼は苦々しい思いを噛み締めてここにいたのだ。
龍ちゃんにクリスマスプレゼントと称して、渡そうとした婚約指輪を彼女の父である宮司に阻まれた。
その際の戦闘で、クリスマスケーキを台無しにしてしまった。
龍ちゃんの涙を見てしまった。だから、彼はこの街にケーキを買いに来たのだ。
ケーキをお持ち帰りしようとしたのに、今、自分がお持ち帰りされる危険がある。
笑えない。だから、走る。雪の中を、白銀の地面を蹴って。
巻き上げられた雪が白々しく、キラキラと舞う。
夏ーー。彼は、軍曹と呼ばれる夢追い人として、祭りの喧騒を駆け抜けた。
冬ーー。今、彼はただ一人の逃走者として、街を走っていた。
今だ状況を理解できていない、哀れなチェリーたちを横目に見て、彼はひた走る。
「みんなぁぁぁぁ、今年は。今年のクリスマスこそは、レッドクリスマスじゃない。ホワイトクリスマスにするわよォォォ!」
リーダー格のレッドキャップの怒声で、鬨の声が上がる。
「赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤(あああああああああああああああ)ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
赤帽子サンタ隊が、手に持った魔界銀の鉈を打ち鳴らすと、一斉に白銀の街に放たれる。
餓がガが、牙チャジャ邪。がががガガガがーーーーー。
爆(バ)ッ赤(ア)と。真っ白な世界に、赤の散弾銃が撃ち放たれる。
悲しみで血が噴き出したように……。積もり積もった怨嗟を吐血したように……。
せっかく氷の女王にまで、協力してもらって用意したこの狩場。
ここでしくじって、今年も赤い帽子のレッドクリスマスを過ごすことになってしまったら、目も当てられない。
今年こそは、彼の精液で、身も心も、帽子も白くなって、ホワイトクリスマスを過ごしたい。
大人になった今。待っていてもサンタは来てくれない。
ならば、ーーー自分がサンタになればいい。
自分がサンタになって、いつもまでも来てくれない男(プレゼント)を狩(買)えばいい。
これこそ、大人買い。鉈を振りかざしたレッドキャップの群れが走る。
「何だコレは? 何が、何が起こっている?」
「いい、いいなぁ。コレ。ちっちゃい子がいっぱいだ」
慌てふためく、サクランボが次々と狩られていく。
それは、とても悲しく……。ほっこりとする光景だった。
ギュウッと抱きしめてくる。レッドキャップを振りほどける独り身男性などいない……。
心に染み入ってくる冷気に一人で凍えるなど、耐えられるわけがない。
だって……、今夜はクリスマス。こんな冷気に一人では耐えられないーーー。
「ヤられるかよぉ!」
幸助は地下鉄の階段を駆け下りる。まだ、この街が狩場と化したことを知らない通行人たちが、彼のことを迷惑そうな目で見ている。
ホームで電車を待つ時間が、とても煩わしい。まだか、まだか、と彼は電車を待つ。
カチ。しかし、電車はやってこない。コチ。時計は虚しく、時を刻むのみ。電光掲示板と時計を見比べると………。
ーーーもうとっくに、列車の発車時刻を過ぎている。
彼の脳裏にイヤな予感が湧き起こる。そんなーー。まさか……。
しかし、このイベントには氷の女王が噛んでいる。最上位の一角とも言える魔物娘。
社会的に高い地位についていてもおかしくはない。こんな、都市を覆い尽くすような雪を降らせている時点で……。街全体がグルである可能性を考えるのは、遅いくらいだ。
その証拠に、聞こえて来たのは……。列車がレールを走る音ではなく、蹄の音と、レールの上をソリが滑る音。
散(チ)ィッ! 幸助は盛大に舌打ちをすると、元来た道を引き返す。
地下鉄は、もうダメだ。ここにいる全員ヤられてしまう。
阿鼻と嬌姦のコンサートホールに変えられてしまう。階段を登りきった幸助の横目には……。
ホワイトホーンに引かれた巨大なソリから、大量のグラキエスが降りてくる光景であった。
幸助は脇目もふらずに走る。まだ、今ならば間に合う。まだ自分を個人として特定している魔物娘はいないはずだ。
このまま地下の商店街を抜けて、中心地から一刻でも早く抜け出す。抜け出せなくて、ヌかれてしまうわけにはいかない!
幸助は地下道の一番端の出入り口から、外に向かう。
その扉を見て、息を飲む。
スフィンクスだ。お前、クリスマスと関係ないだろう、というツッコミも一緒に飲み込む。
「さ、寒いにゃ。アタシもネコの仲間だから、ホントはコタツで丸くなっていたいにゃ……」
だったらすぐ帰れよ。氷の女王が喝采を送るであろうほどの冷たい目を、幸助は彼女に向ける。
「でも、1人でコタツで丸くなるのは、嫌にゃ。そこのお兄さん? アタシと一緒にコタツランデブー、しないかにゃ?」
「悪いが、先約があってね。家で、愛する人が待っているんだ」
「ふぅーん。その割には、匂いが少ないけどにゃ……。じゃあ、もーんだい、にゃ。今、アタシが欲しいものは何だろにゃ?」
その答えは、おそらく男。そうに決まっている。先ほど、彼女自身がそう言っていた。
だが、それを答えれば、お持ち帰り〜! されてしまう。だから、幸助はこう答える。
「男、だろ。一緒にコタツで丸くなってくれる、ナァッ!」
そう言いながら、幸助は彼女に突っ込んで行く。両手を広げて、彼女を抱きしめるようなポーズで。
「ぉおう!? お兄さんもその気だったと、相手がいると言うのに、イケナイにゃあ。で・も。そんなヒト嫌いじゃない、にゃお〜ん♡」
彼の様子を見て、スフィンクスが嬉しそうな鳴き声をあげる。
同様に手を広げる彼女に突っ込んで行った彼は、彼女の腕が自分を捕まえる直前で。広げていた手を狭めて。彼女の目の前で、両手を打ち合わせる。
猫だまし。
スモトリの絶技とされる。ダマシ手だ。悪いオトコ。
ネコでもあるスフィンクスには、効果絶大だ。抱きしめようとしていたはずのに、突如現れた手と破裂音。
ビックリする彼女の脇を幸助はすり抜けて外に出る。
走る。すぐに捕まってしまっては元も子もない。
「ひっ、どいにゃ〜! ネコの純情を弄んで! お前のチンポを猫じゃらしにして、弄んでやるにゃ〜!」
怒った猫のほえ声が聞こえるが、彼は、咄嗟にドアの後ろに隠れてやり過ごす。
激昂して、前しか見ていなかった彼女はそのまま駆けていく。
一先ずの難は逃れたが、絶望的な状況は変わらない。
白銀の世界には、レッドキャップの赤帽子が獰猛に蠢いている。
まるで、とあるアニメで見た怒った王蟲のようでもある。
荒い息を吐きながら、幸助は駆ける。
捕まっている男性たちを横目に見て。
ホワイトホーンの角に引っかけられていたショタがいる。
グラキエスに群がられている紳士がいる。
レッドキャップにしがみつかれている巨漢がいる。
トナカイになって、イエティを運んでいるM男がいる。
都会のビルの谷間が、雪山のクレバスの如く。雪の魔物娘が、男たちの欲望を飲み込んでいく。
飲み込まれた欲望は、凍てついた彼女たちの心の氷を溶かして、より大きな劣情を目覚めさせる。
風よ。もっと吹け。彼らを震えさせ、より大きな熱を生め。
雪よ。もっと降れ。白銀の下に、決して凍らぬ熱情を閉じ込めろ。
氷の女王が嫋やかな青の腕を振るう。彼女の袋はいまだに空っぽだ。
彼女は、風雪を越えて、己を溶かしてくれる漢を求めている。
その彼女と、幸助は目が合ってしまう。目が……、合ってしまったのだ。
マズイ。本能の底から湧き起こる冷情。冷たい瞳に射抜かれた心が、彼女を求めようとしてしまう。
それを、唇を噛み締めて黙らせる。失せろ。こんな外付けの気持ちなどに私は負けない。
幸助は射すくめられるような視線を切って走り出す。
それを見た彼女は、ニィ、と口端を歪める。氷の女王が……嗤ったのだ。
彼女はホワイトホーンの手綱を操る。ホワイトホーンは、氷の女王の乗ったソリを彼めがけて運んでいく。
猛然と吹雪を伴い、凍てつく青謐の運び手が、白銀の覇者が、幸助を袋に詰めようと迫る。
彼女のソリは幸助に並走し、ついにその魔の手が幸助の首根っこを捉え…。
「ふん、無様なものだ」
Siィィィィィィィィ。火勢でそこに割り込む、1人の男性。
宮司。彼の叔父。愛しの龍ちゃんの父であり、彼の打ち倒すべき怨敵。
彼は右手で彼女の手を払う。そして、左手のケーキボックスを幸助に託す。
「え?」
幸助は間抜けな声をあげてしまう。何故、彼が自分を助けてくれるのか。
自分がここで捕まってしまえば、龍ちゃんにつく悪い虫を片付けることになるのではないか?
だが、幸助は、彼の目を見て気がつく。我らの決着はこんな形で、終えるものではない。いずれ、あの場所で、然るべき時に、決するもの。
こんな、横から掻っ攫われていい訳がないッ!
幸助は静かに頷くと、そのケーキボックスを受け取る。
そして、礼を言って、走り出す。中身を崩さぬように、気をつけながら。
「ありがとうございます。義父うさん!」
「義父うさんと、呼ぶんじゃあナイッ!」
宮司が叫び返すが、幸助にはすでに届かない。あたりの喧騒と、氷の女王の訪れで、猛烈に吹きすさぶ吹雪が許しはしない。
「この先には行かせんよ」
歯を剥き出して笑う宮司。
氷の女王は、宮司に触れられた手をさすって、ただの乙女のように頬を染めたーーー。
◆
「ハッ、ハッ」
幸助は猛烈な吹雪の中を走る。すでに身も心も冷え切って、誰でもいいから抱きつきたいという気持ちにかられてしまう。
そうできたら、どんなにいいだろう。しかし、それだけは絶対にできない。できるわけがない。
重(ズ)、ズゥゥゥン。
地面が揺れる。雪に足を取られて幸助は転んでしまう。
頭上を見れば、二つの光り。ーーーゴクリ。幸助は、ビルの灯りとは違う、生々しいその輝きに生唾を飲み込んでしまう。
建物の三階に等しい背丈の巨人がそこに立っていた。おそらくはウェンディゴの夫。
ヌゥッ、と巨大な掌が幸助を掴み上げる。
「や、やめろぉッ!」
幸助の叫びも虚しく、巨人がその肩に幸助を乗せる。
隣の顔のあたりから、声がする。
「なーにやってんすか? 会長。今日はこの街が、大規模なクリスマス婚活会場になるって知らなかったんすか〜」
その呑気な声に、幸助は胸をなでおろす。
「ああ、君か……。ありがとう」
彼は確か、クラスメイトの一人。そして、ウェンディゴの彼氏だったはずだ。それならばーー、と幸助は目線を下げる。
巨人の下腹部のあたりに、真っ裸の少女がいた。
こんな寒い中で、お盛んなことだ。いや、だからこそ……か。
幸助は彼女にも頭を下げる。これならば、大丈夫だろう。このまま、彼に街の外まで送って貰えばいい。
「すまないが、街の外まで私を運んでは貰えないだろうか?」
「いいっすよ〜」
軽く返す彼に対して、幸助は丁寧に礼を言う。
「でも、一筋縄ではいかないっすよ」
彼が視線を向けた方向に、釣られて幸助も視線を向ける。
そこには、雪女がいた。白無垢のような着物に身を包んだ冷徹な美人。
それから、ウェンディゴの彼氏は街の四方に向けて視線をやる。聡明な幸助は、それだけで彼が何を言いたいのかわかってしまう。
「まさか、結界でも張っていると言うのか?」
「当たりっす。街の四方には彼女を含めて、雪女、ウェンディゴ、ぬらりひょん、バ××グさんが要となって結界を張っているっす。こんな吹雪が外に漏れ出したら危ないっすよねー」
待て、前半は分かるとしても、後半はなんだ。雪、関係ないだろう。
そんな、大物中の大物を引っ張り出してきて、妖怪大戦争どころか、魔界大戦争でも起こすつもりか。下手をすれば、×凶まで引っ張り出して来てはいないだろうな、とメタ的な設定にまで思いを馳せてしまう。
「でも、もしかしたら、ウェンディゴのところから出れるかもしれないっす。彼女のよしみで」
幸助はこの言葉に一抹の期待を抱く。
彼は頷いて、ウェンディゴの彼氏を促す。
「では、そこから頼む」
「アイアイサー、っす。いいっすよね?」
彼は彼女に了解を取ることを忘れない。ウェンディゴがニチャア、っと顔を蕩けさせて、咥え込んでいる肉棒を締め付ける。
「ぅあっ。ありがとうっす」
彼は彼女の中に放出してしまったようだ。それが、了承の意であることはわかるのだが、耳元で男のイき声を聞かされるなど、幸助にとってはたまったものではない。
しかし、彼はそれをおくびにも出さず、巨人の肩に乗ったまま運ばれていく。
吹雪の中、ビルの隙間をぬって巨人が通っていく。巨人は誰をも踏むことなく、通り過ぎる幻影の如く進んだ。
白銀の街で、ナカも外も真っ白に染めて。情事にふける新しいカップルの上をーー。
………巨人の裾に、赤いシミがついていることなど知りもせず。
幸助たちは、四方で結界を張っている一角、ウェンディゴの元にたどり着いた。
彼女は幸助を外に出すことに、快く了承してくれた。
そんな幸助に、不吉な声が投げかけられる。
「見ぃーつけちゃったー、見ーつけたぁ〜」
バッと振り返るそこには、レッドキャップ。
瞳を爛々と欲情に爛れさせる、獰猛な狩人がいた。
彼女はギザギザの歯で、ギシィ威(ィ)ィ、と軋むような笑顔を見せる。
「ここが正念場か……」
幸助は観念したように、構える。周りの者は、幸助の敵に回らないが、味方でもない。
魔物娘の婚活を邪魔することはしないのだ。人の恋路を邪魔する奴は、たとえホワイトホーンさんでも蹴るに違いない。
「大人しく、私のプレゼントになりやがれェッ!」
凶悪な鉈を振りかざして、レッドキャップが猛然と打ち掛かってくる。斬(ざん)ッ。
吹雪を切り裂いて、赤帽子が幸助に迫る。
幸助は持ち前の運動神経とカラテの技で、彼女の鉈をいなす。
彼女もただいなされるだけではない。鉈を逆手に持ち替えて、回転しながら幸助に振るう。
それをいなす。振るう。いなす。降り積もる雪の中、赤帽子が翻り、鉈が鈍重な風を纏う。
一つとして受け手を誤れば、その鉈の餌食。だが、幸助の集中力と判断力は寸分違わずに。ーーー彼女の鉈を通さない。
「チィっ! なんで、あたしに攻撃しない。お前の実力なら、あたしを叩きのめすことだって、出来るだろう」
レッドキャップの鉈をいなし続ける彼は、その実、ただの一度たりとも、攻撃をしなかった。いなした力で、彼女を投げ飛ばすことなど容易であったはずなのに……。
レッドキャップは、バカにしているのか、と憤る。私は、私はこんなにも本気なのにッ!
「悪いな。私は女性に手はあげないのだ」
ワザマエ! カラテじゃないワザマエを魅せてくれた。彼の言葉に、レッドキャップはウッと言葉を詰まらせる。
そして、彼女は肩を震わせながら、顔を赤くする。
「あたしじゃ、ダメなのかよ? こんなに、あんたのことが好きなのに!」
瞳を潤ませる彼女を見て、幸助は思い出す。
そうか、彼女はあの時の。幸助はケーキを買いにこの街にやって来てすぐ。転んでいた白い帽子の女の子を助け起こしていた。
この赤帽子の彼女は、あの白帽子の彼女だった。
幸助は一度目を閉じて、まっすぐに彼女を見る。そしてーー、口を開く。
「申し訳ない。私には心に決めた人がいる。だから、君の気持ちに応えることはできないのだ」
「……………ッ。馬ッ鹿、バカやろぉぉぉぉぉ!」
やたらめったらに、レッドキャップが鉈を振り回す。精彩を欠いて、力任せに振るわれるソレが、幸助に当たるはずもない。
だが、彼女の気迫に押されてしまったのだろうか?
彼女の鉈が、幸助の持っていたケーキボックスを引っ掛ける。飛んでいくケーキボックス。
「あっ」
彼女が声を上げる。
それを幸助は呆然としてみる。雪の中、無情に弧を描くケーキボックス。
これでは中身はぐしゃぐしゃだ。龍ちゃんの笑顔を見ることができない。
女性の泣き顔ばかり見るなんて……、散々なクリスマスだ。幸助は少し、泣きそうになる。
「わ、……悪い。ーーごめんなさい」
急に殊勝になったレッドキャップの頭を幸助は優しく撫でる。
「いいさ、君の気持ちに応えられなかった私が悪い」
幸助は何とか笑顔を返す。レッドキャップはシュンとなりながら、頬を染めて、撫でられた頭を触っている。
幸助は落ちたケーキボックスを取ろうとする。降りしきる雪は激しさを増して、吹雪となっていた。
幸助は、龍ちゃんに責められているような心持ちになる……。
ーーーと、それを先に拾う者がいた。
サンタの格好をしたグリフォンだ。勇壮な翼に、雪を乗せて、精悍な顔つきで幸助とレッドキャップの少女を見ている。
美しい切れ長の目が、吹雪を射抜くようだ。寒くはないのか?
布の面積は狭い。赤い帽子をかぶり、下乳のはみ出た上半身に、赤い布をパレオのように腰につけている。流石に、その下は……はいている、はずだ。図鑑世界でなければ、面白い格好をしたアブナイ女。
彼女が口を開く。
「これは、私への挑戦だな?」
「「へ?」」
グリフォンの言葉に、幸助からもレッドキャップからもま抜けな声が上がる。
「私に向かって、ケーキを叩きつけるなど、これは挑戦に他ならない。お前たち、私からケーキを奪うつもりだろう。そして、負けた私を精液(生クリーム)でぬちょぬちょにする気だな!? エロ同人みたいに、エロ同人みたいにッ!」
彼女の叫びに呼応して、吹雪が豪(ゴウ)ッと吹き荒ぶ。白銀の風に吹かれる彼女の羽毛が力強く、美しい。
ーーーが、外見も中身もアブナイ女であったグリフォンに、誰も声を発することができない。
「何せ、お前からは、私(ケーキ)が欲しいという欲望が漏れ出ている」
「………。もしかして、貴方に勝てば、その袋のケーキを私にくれるということだろうか?」
「そう言っている。私は宝(プレゼント)を守るグリフォン。相手の求めるものがわからないはずがない。ほぅら、ケーキが欲しいのだろう? 欲しければ、私を屈服させてみせろ。全てはそれからだ!」
雄々しい雄叫びを上げるグリフォンに、幸助は思う。アブナイが、この人はいい人なのだろう。
そして、軋(ギ)チリと頭の歯車を組み替える。
逃走者から、夢追い人へーーー。
己の在るべきカタチへと、己という存在を組み替えるーー。
「恋(来い)。汝の挑戦を受け入れよう」
苛烈に笑うグリフォンに、幸助は獰猛に笑う。氷の女王に挑んだ叔父のように、未来の義父のように。
あの子の笑顔を守るためにーーー!
幸助の横顔をレッドキャップが寂しそうな目で見る。
彼の視線はグリフォンに向いている。だが、彼が見ているものはもっと、ずっと先のものだ。
その勇ましい視線が自分に向くことはない。
だけど、今は横に並ぶ。彼のケーキを台無しにしてしまったのは、自分なのだから。
いくら、振り向いてくれないとはいえ、彼のクリスマスまで、ーーー台無しにしてしまう理由はない!
「あたしも、手伝うよ。あいつは結構強そうだから」
心強い申し出に、幸助は静かに頷く。
行け。恋する男女よ。汝らの糸が交わることはない。しかし、ねじれの位置であれ、共に並ぶことは出来る。
ただこの白銀の一夜(ひとよ)に、ただこの吹雪の一時に。
熱く、滾る想いを一気に放つのだ。
「うぉぉぉぉ!」
「あ、ああああああ!」
幸助は裂帛の気合いを放ち、レッドキャップは鉈を振り上げ咆哮する。
吹雪を切り裂いて、赤帽子が、青年が、赤衣(クリスマス)の守護獣に挑み掛かる。
もちろん、幸助は女性に手などあげはしない。グリフォンは、自分を屈服させてみせろと言っていた。
彼女を討ち果たす必要などない。彼女への勝利条件は、つまり、ケーキの奪取である。
脱(ダ)ッシュ。袋に伸ばされた幸助の拳を、猛禽の爪が阻む。
爪(ジ)ャキィ。鉈と爪が鎬を削り、硬質な音が風雪の中に溶けていく。
いくらエロイ格好のアブナイ女とは言え、麗しき守護獣。
強壮な膂力に、非力なレッドキャップと人間の足掻きなど滑稽ですらある。
しかしーー。その瞬間の瞬きは星のようで、銀雪の煌めきよりも尚、美しいーーー。
グリフォンは陶然(ウットリ)とする。私は、このために、宝を守るのかもしれない。
宝を守ることが目的なのではなく、宝を求めて、必死に輝く、ヒトの欲望の煌めきこそが、私にとっての本当の宝であるーー。
グリフォンは羽を打つ。猛然と吹き荒ぶ吹雪を散らす。
人と、魔物娘が湧き立たせる。熱風が、吹雪を押し分ける。
いい。いいぞーーー。
グリフォンは獰猛に笑う。その笑みは、肉食獣のそれ、宝(獲物)を前にした強者の覇色(はしょく)。
幾合の攻防が無駄と断じられたのだろう。だが、彼らの足掻きはついに、彼女の喉元に届く。
彼女を打ち倒し、縄にくくりつけるが如くに屈服させるーーー!
それは、強者だからこそ持ち得る油断。非力な種族が次に何をしてくれるか、そうして爛々と目を輝かせながら見ていたからこそ、釣られた。
幸助は、己の目を真っ直ぐに見てきたグリフォンの目を見返しつつ、バッと横を向いたのだ。
自分と戦っているはずなのに……。自分よりも目に移さなくてはならないものがあるのか!
グリフォンは憤りを込めてその視線を追う。その視線の先には、彼氏と交わり、淫らに表情を蕩けさせたウェンディゴの姿。
「へ?」
獲物を前にして、猛っていたグリフォンの気持ちが急速に下腹部に向かってしまう。
そんなもの、魔物娘として、気を取られずにはいられない……。
「とったぁぁ!」
レッドキャップの嬉しそうな声で、グリフォンは我に帰る。
我に返って、あらん限りに目を見開く。しまった。取られてしまった。
しかも、そっちはケーキの入った袋ではない。
さっき捕まえた、自分への宝(プレゼント)ーーー。
「えっ!? きゃぁあああああ。遼くん? 何で遼くんが入っているの!?」
レッドキャップが可愛らしい声で絶叫を上げる。レッドキャップの知り合いのようだ。
遼くんと呼ばれた彼は、ご丁寧にも猿ぐつわをかまされて、両手両足を縛られていた。
突然の状況に、あたりが静まり返る。グリフォンから大量の冷や汗が流れている。
吹雪の音が虚しく、聞こえる。びゅうびゅう。びょうびょう。
「あ、もしもし、警察ですか? あ、はい。そうです。グリフォンが……」
ウェンディゴの彼氏が電話をかけている。
「よくぞ私を倒した。それは君へのプレゼントだ。このまま、見逃してくれると助かる!」
ジャっ、と手を上げて飛び立ったグリフォンが撃ち落とされる。
どこかから飛んできた真っ黒な炎で、煙を上げながら墜落していく。
炎の飛んできた方角は確か、バ××グさんがいるという方角だ。炎の大悪魔の前では、さすがのグリフォンと言えども為すすべはない。
この吹雪の中に炎を通せるなど、あの存在しかいない。
ファンファンファンという、サイレンの音が聞こえてくる。
ブラックサンタのグリフォンを、ヘルハウンドのお巡りさんがお縄につけてくれることだろう。
「遼くん、大丈夫?」
レッドキャップが捕まっていた少年の戒めを解いていく。解放された少年は、堪らずにレッドキャップにしがみつく。
「うわァァァ〜〜ん。怖かったよ〜。赤染さーん」
「………。もう、遼くんはあたしがいないとダメなんだな……」
レッドキャップが、しがみつく少年を抱き締め返す。
ーーメリークリスマス。
幸助は、その光景を微笑ましそうに見る。レッドキャップの彼女に幸せなクリスマスが訪れてくれてよかった……。
彼はそのまま、街から出ようとする。
「いいの? ケーキ、持ってかなくて」
ウェンディゴが交わりながら尋ねてくる。
それに。幸助は朗らかに笑いかえす。
「いいさ。盗品かもしれないもので、彼女が喜んでくれるはずがない。私は別の形で、誠意を見せよう」
別のお菓子を作る……。それでダメならば、ドゲザ、か。
「…………………。じゃあ、これ、持って行きなよ」
幸助の哀愁漂う背中を見て、ウェンディゴが彼氏の外套の中から、彼女たちのケーキボックスを取り出す。
それを見て、幸助は驚く。
「いい、のか? それは君たちのものじゃないか」
「いい。彼のケーキは、彼の精液デコレーションした私。私が食べられるケーキ、なの。こんなもの持っていたら、彼が私を食べてくれない」
ウェンディゴはそう言って、幼い容貌を艶然と蕩けさせる。彼氏である巨人は、ポリポリと頭をかきつつ頷いてくれている。
頑張る、ということだ。頑張れ、武士(もののふ)よ。幸助は力強く、彼に頭を下げる。
「わかった。そういうことなら、ありがたく頂こう」
幸助はそう言って、ケーキのボックスを受け取る。
その際に、真っ裸の少女の肢体を間近で見ることになるのだが、彼はそれに心を揺らされることなどない。
何せーー、最愛の女が、ケーキを待っている。
むしろ、目をそらして、外套の隙間からその深淵を覗き込んでしまう方が問題だ。
幸助はその街を後にする。
騒がしい、クリスマス。今はもう、都市はほとんど白銀の化粧に覆われている。
赤帽子たちは相手を見つけられて、その帽子が白くなっているようだった。
白銀街を汚していた血のような赤は、今はヴァージンスノーを自分の初めての血で染めているだろう。
それは、なんと幸せなことか。
幸助は、雪に閉ざされたビルを見る。
「ーーメリークリスマス」
幸助は誰にでもなく、呟く。
その言の葉は風に吹かれ、性なる夜に吸い込まれていった。
吹雪の中、くるくる巻いて、誰かの元へ届けられるーーー。
◆
蛇足、ならぬ、龍の足。
「主よ。そこに直れ」
龍様。龍ちゃんの母であるイブキの恐ろしい声が、神社に響く。
その前で、縮こまっているのは彼女の夫である宮司だ。
彼は、氷の女王に触れていた。彼に触れられた彼女は、彼に心を溶かされてしまった。
だからーーー。
「何故、ケーキを買ってくるはずが、氷人形など買って来ておるのじゃ? 儂というものがありながら、どういうことじゃアッ!」
恐ろしい、恐ろしい光景を幸助はコタツに足を入れながら眺めていた。
隣では、彼の持って来たケーキを幼い龍ちゃんが美味しそうに頬張っている。
「古き龍の神よ。氷人形などとは辛辣ですね」
氷の女王がその玲瓏な表情をピクリとも動かさずに、冷たく言う。
「事実じゃろう」
イブキも負けないくらいの冷徹な声で返す。
宮司は、床に正座させられている。勇ましい姿は何処へやら。歯をカチカチと打ち鳴らしながら、恐怖と寒さと寂しさで震えていた。
龍の怒りと、氷の女王の冷気をまともに浴びて、一介のインキュバスに耐えられるわけがない。
「しかしーー」
「しかしも何もないわ。このタワケッ!」
その苛烈な言葉にビクリと身を竦ませる。
「そんなに虐められて、お可哀想に……」
その原因が宮司にスリつく。イブキの眉がますます吊り上がる。
外では氷の女王の影響で、龍神山にも雪が降っている。
シー・ビショップは「血が滾るぜぇ!」と言いながら、山にかけて行き、その夫が後を追いかけていった。
妖狐や稲荷の夫は、伴侶のフサフサの尻尾に包まれて、幸せそうに、ハスハスと匂いを嗅いでいる。彼女たちは困った顔を見合わせているが、嬉しそうに微笑んでもいる。部屋に引っ込んでいくのも時間の問題だ。
寒さに弱い白蛇の夫婦はすでに部屋に引っ込んで、裸で巻きついて、そのまま冬眠でもしそうな勢いだ。
龍神神社の面々は各々のホワイトクリスマスを楽しんでいる。
「確かに、今の私は、人形のようかもしれません。ですから、ダーリン様に、この固い顔を……あなた様の固いモノで、蕩けさせて欲しいのです」
氷の女王は、そう言って宮司の唇を奪う。
そこで、とうとうイブキの逆鱗がピリリと反応する。
「あい、分かった。良いじゃろう。ならば、お主が誰のものなのか、その体に刻み込もうではないか。お主が泣いて謝ったって、許してはやらぬーー!」
イブキが、氷の女王ごと宮司を引っ張っていく。
これから彼は、苛烈で凍てつく、龍と氷のクリスマスナイトを過ごすのだろう。
それは、耐えられるものなのだろうか?
幸助はそれを見送りながら、合掌する。
ご武運を。我が怨敵。我が義父よーー。
私はその間、龍ちゃんとしっぽり、グフフフ。
そうして、彼は龍ちゃんに目をやる。彼女はケーキに夢中。それをみて、幸助は、ニチャアっと笑う。
「美味しいか?」
「うん、こーちゃん。ありがとう。私、こーちゃん好きーー」
ゴフゥッ。その屈託無い笑みに、その暴力的な言葉に、彼の理性が粉微塵になるほどに叩きのめされる。
このまま、押し倒してしまいたい。
だが、それはまだイケナイ。まだ、宮司を倒してないのだから。
グギギギィィ。と彼は折れそうになるくらい歯をくいしばる。鋼の理性で耐える。耐える。
私が過ごしたいのは、龍ちゃんと二人っきりのほっこりとしたクリスマスナイト。
龍ちゃんはそんな彼の胸中を知ってか知らずか、彼にすり寄ってくる。
幸助はあまりの多幸感に逝ってしまいそうになる。
ハーッ、ハーッと息を荒げてしまう幸助。
「うんしょ、うんしょ」
龍ちゃんはそのまま彼の膝の上に座る。そして、えへへぇ。と無邪気に笑う。
やめたげてヨォ。彼、必死で我慢しているんだかラァ。
「こ、うちゃーん。何か固いものが私に当たってるよ〜」
幼いとはいえ、龍ちゃんも魔物娘。性に関して積極的であることには間違いがない。
しかし、これは、積極的になりすぎではないだろうか?
幸助は、もしや、と思う。もらったケーキの中に、何か入っていたのではないか。
それは、ありえなくない。というか、むしろ、入っていないはずがない。
膝の上で、龍ちゃんが振り返りつつ、流し目で幸助に言う。
「いいよ。こうちゃん。もう、父(てて)上も、母(かか)さまも、今はいない。私のこと、好きにして、イ・イ・よ♡」
幸助の鼻に、彼女の甘い匂いが漂ってくる。しっとりと太ももに沈み込んでくる彼女の重さが心地いい。
艶然と流し目を送るその瞳は、幼女のものではなく、熟練の遊女のよう。
オソロシイ、生き物を目にした幸助はーーー。
フッと意識を手放してしまった。
ゴチン。と床と彼の頭が打つかった、危ない音がした。
「こ、こうちゃん!? 大丈夫? もー、意気地なしなんだから〜。母(かか)さまも言ってるよ〜。据え膳食わぬは男の恥、って」
いや、無理だろう。無理だ。こんな子に勝てるわけがない。
幸助は真っ白な頭で思う。
幼くとも、魔物娘は魔物なのだ。ただでさえ、女とは、男が勝てるわけのない魔モノ。
そうして、彼の意識は真っ白な荒野へと放り出される。
そんな彼を、龍ちゃんは呆れた顔で見て。彼の上にのしかかって、瞳を閉じる。
彼女にとっては、ケーキよりも自分のために頑張ってくれた彼こそがクリスマスプレゼント。
匂いをつけるように、彼の胸に顔をこすりつける。そのまま、彼女は可愛らしい寝息をたて始める。
外ではしんしんと雪が降り積もり。山の全てを眠らせる。
せっかくのクリスマス。それでも、まだまだ若い彼らには時間がある。
来年も、再来年も。もっと素敵なクリスマスを。
全てのヒトと魔物娘に、ーーーメリークリスマス。
16/12/29 13:06更新 / ルピナス