28.幕間:マステマーず(教会勢力、ルッチーパーティ)
「大司教っ、マステマス大司教っ!!」
「何だ、ここは神聖なる教会。もっと静かにしたまえ」
廊下を息急き切りながら駆けてきた兵士を爬虫類じみた目がギョロリと睨んだ。
「っ、申し訳ありません」
彼とて歴戦の戦士ではるのだが、相手が悪い。感情を感じさせない無機質な目に睨まれてゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「気をつけたまえ」
「はっ!!」
神経質そうな声音は兵士の返事など聞いてもいないように彼を促す。
「それで? 何か用かね」
「はいっ。ヒルドールヴの方々が帰還されて、至急大司教にお目にかかりたいと」
「……ふん。わかった。今どこにいる?」
「兵士宿舎の前の広場です。その、今しがた帰られたばかりで……」
言葉を濁す兵士にマステマスは無機質な視線を投げかける。
「ああ……、そのまま帰ってきたのか。ならば、しっかりと汚れを落として、そちらから来いと伝えろ」
「そ、それが至急お伝えしたいことがあるので、と……、申しておりまして……」
大司教相手になおも食い下がる兵士に対して、マステマスはつまらなさそうに言う。
「大方、私が来ないようなら、引きずってでも連れて来いと言われていたのだろう。そうしなければ、お前を殺す、と」
コクコクと慌てて頷く兵士を置き去りにしてマステマスは歩き出す。
「知らん、勝手に殺されろ。聖言くらい、誰かが唱えてくれるだろう」
「大司教様っ、お願いいたします!!」
今にも泣き出しそうな様子で兵士は懇願するが、
「教会では静かにしろと言ったはずだが?」
マステマスは振り向きもせずに言う。
兵士は今にもマステマスにすがりきそうではあったが、それをしてしまうと今度はマステマスに殺されることになってしまう。
兵士は行き場のない手を宙でわなめかせた。
「ひっどい、大司教さまだねぇ」
二人の後ろから楽しそうな声がかけられた。
「至急って言ったのに来てくれないもんだから、こっちから来なくちゃいけなかったじゃないか。ちゃんとお使いしてよ、キミィ。連れて来なかったら、どうなるか言わなかったっけ?」
「……あ、ぁ……」
兵士から歯をカチカチと噛み合わせる音がする。
マステマスは声の主に向かって振り向き、相手の姿を上から下まで見てから口を開いた。
「ちゃんと、綺麗にしてから来たようだな」
「あっはぁ、当たり前でしょ? いくらボクらでも教会に汚れたまんまじゃ入らないよ」
「しかし、前までは来たわけだ。街の中はそのままで来たのだろう」
「うん、そだけど?」
「街に入る前に汚れを落とせ」
「えー、それもダメ? だって至急の話があったし?」
「手紙なりで早馬で届ければ良かっただろう。魔物の汚れた血など街にも持ち込むな」
マステマスは吐き捨てるように言う。
「はい、はーい。ごめんなさーい。でも、この話は直接聞かせたくてさぁ。ルチア、ヤラレちゃったって」
「ほう」
マステマスは初めて興味を持ったような声を出した。それでも、瞳に感情はない。
「ならば、話を聞こうではないか」
去っていくマステマスともう一人。その後ろ姿を見送って、兵士は初めて大きく息をついた。
◆
「そうか」
マステマスは執務室で相手の報告を聞いてそれだけを口にした。執務室の中の無骨ながら座りごごちのよいソファーに向かい合わせで二人は座っている。
「とうとうあの女が落ちたか……。他のモノスの動向はどうだ?」
「んー、他は分からないなぁ」
砂糖菓子を噛み砕きながら彼は答えた。
「お前たちが掴めていないということはあまり活発に動いていないということか」
「信頼してくれてるのは嬉しいけどさ、もちろん僕たちもカンペキじゃないんだよ?」
「当たり前だ」
おどけた調子の声にマステマスの静かな声が返される。ボリボリと砂糖菓子を噛み砕く音だけが部屋に聞こえている。
「んぅ? 僕らの任務の報告は聞かなくていいの?」
「聞いた方がいいのか? お前たちが戻って来たことが何よりの報告であり、不備があればそちらから申し出るだろう」
「あっははは。確かにそうだけどね。形だけでも、しといた方がいいんじゃないかな? ボク、あのやり取り嫌いじゃないし」
「わかった。ならば聞こう」
マステマスはギョロリと彼に目を向けた。彼は口の中のものをゴクリと飲み込んで居住まいを正した。
「街の住人は?」
「全て殺した」
彼は昼食の内容を答えるかのような気軽さで答えた。
「そうだ、魔物娘もインキュバスも、そして彼らを受けれた人間は死ななければならない。死体は?」
「全部集めて燃やした。骨も残らず灰になった」
部屋の掃除はちゃんと済ませましたと報告するようだ。
「そうだ。せっかく殺したのに、アンデッドとして復活されては元も子もない。生き残りは本当にいないのか?」
「うん、最後に街ごと燃やし尽くしたからいるはずがない」
テストの見直しもバッチリだ、という優等生の答え。
「よろしい。聖なる炎によってようやく魔物の汚れが消え去るのだ。こちらの損害は?」
「ない。あるはずがない。我らヒルドールヴ、神に放たれし狼の群れ。我らにあるのは色欲ではなく殺戮欲」
己の存在理由と、それを疑ってもいないという、真っ直ぐで澄んだ瞳が答える褐色の狂気。
「その通り。汝らこそ戦いのみを求める飢えた狼。神の威光は汝らを戦いに駆り立て、魔物に屈することはない。ーーアーメン」
「アーメン」
二人は十字を切った。
「じゃあ、次の任務をちょうだいよ。僕らに休息なんてとっている暇はない。だって、まだまだ魔物は生きているものね」
急かす彼に向けてマステマスは机から1束の書類を手にすると相手に手渡した。
「次の任務だ」
「ほいほーい、ありがたくお受けいたしまーす、って、アレレェ? これ、本気ィ?」
相手が嬉しそうな声をあげた。
「もちろん、本気だ。嘘は神によって禁じられている」
「んふふ。嬉しいねェ。やぁっと許可が下りたんだね」
「ああ。人権派と謳っている老人たちにも、先日のエルタニン一件が効いたらしい。役にも立たん勇者を何匹も無駄に囲っていたせいで、数名の魔物に落とされた、笑い話にもならん」
「あっははは。おっかしいなぁ。ボクらの一人でもいれば、たとえドラゴンでもリリムでも殺してあげたのに」
刺し違えることになっても、と彼は冗談めかして言うが、事実彼はそう思っている。
魔物を殺すためであれば自分の命すら使い捨てる、と。だから、手元の資料に載っている『兵器』を使用することに躊躇いはない。
それが、彼らと同じ勇者の命を使用するものだとしても……。
彼、牙はソファーから立ち上がる。
嬉しそうに資料を携えて。
「じゃあ、チャッチャッとヤってくるよ」
「汝の後ろに主の威光があらんことを」
マステマスは立ち上がり、彼に手向けて見送った。
ーーヒルドールヴ、血に飢えた狼である彼らの前には悪しき魔物達しかいない。
彼らの行く先々では血を涙と悲鳴が巻き起こる。彼らの後を教会が丁寧に履いて清めるのだ。
魔物が一掃された、そこにこそ神が顕れると彼は信じている。
魔物の勢力が増している現状も、全ては主の掌の上の出来事に違いない。主は魔物を滅せないのではない、滅ぼさないだけのだ。
これは人間が魔物を滅せと言う試練なのだ。
利用するものは利用する、勇者であろうと異端であろうと、人間の勝利のためには全ては道具にすぎない。
今の主神を否定する、異端であるモノスであろうと利用する。ルチアが敗れたということは痛いことに違いないが、彼女は主によって切られたのだと彼は思う。
自分は間違っていない。自分が今、神に切り捨てられるとなく生きていることがその証左である。
マステマスは礼拝堂へ迎う。今日もまた神に祈りを捧げるために。
彼は、神の善性の前には人の悪性など取るに足らないものであると、考えていたーーー。
数日後、ヒルドールヴが魔界の一つを消しとばしたことが報告された。同時に、少なくない数の勇者が戦死したとも。
彼らは名誉の戦死として讃えられ、聖者に列席された。
彼らは魔物たちに殺されたのではなく、味方に使い潰されたことを知っているのは、ほんの一握りの「人間」だけだった。
◆
「聞きましたか? ヒルドールヴが魔界を消しとばした、と」
「あ、あ。聞いた。酷い、な。可哀相……。殺すの、よく、ない」
「ええ。ただ殺すのでは勿体ないです」
「おれ、殺し……嫌い」
「今まで沢山殺してきてるのに?」
「おれ……殺してない。他の命、……いじめる、アイツ、ラは、元か、ら生きて、ない」
「くっくっく。言いますネェ。なら、ルチアさんはどうなのです? いじめるどころじゃありませんよ」
「ルチア、おれ、助けてくれた。それに……、ルチア、いつも……泣いてた」
「まぁ、確かに彼女の狂態は泣き叫くだだっ子の様でしたが」
クツクツとザキルは笑う。ザキルの前には巨躯の男が椅子に自分の体を押し込める様にして座っている。座っているというよりはハマっていると言った方が正しいかもしれない。
二人が談笑していると、ーーーバァァァァンっ!! 扉が勢いよく開け放たれた。
そこにいたのは金の髪を逆だたせながら、顔を真っ赤にした幼女だった。
モノスという一応秘密結社ある彼らが話をしているこの部屋には基本的にモノスのメンバーでしか入ってくることはできない魔術がかけられている。それを打ちやぶって入ってくることもできるが、無理矢理破った様な衝撃は感じられなかった。
ザキルは訝しそうに幼女を見ているのだが、幼女はそんなザキルの様子など御構いなしで彼の元にツカツカと歩み寄って行くと、
「だ、れ、が、だだっ子よーーー!!」
うがぁっ、と憤りながら誰が見てもだだっ子と答えるであろう幼女がザキルに殴りかかった。
ポカ、ポカポカポカ。まっっっっったく痛くも痒くもないだだっ子パンチを受けながら、ザキルは彼女の顔をじっくり見て、まさか、と思う。
パッと見て似ているとは思ったが、すぐに同一人物だと結び付けられるはずはなくーー。
「………まさか、あなたはルチアさんですか」
「そうよーー、他に誰がいるって言うのよーーー!」
だだっ子パンチを続ける狂女もとい、幼女。そろそろ疲れてきたのか、叩く手を止めて肩でゼィゼィと息を切らしている。
「……………」
あんまりにも驚きすぎて、ザキルは何も言葉を発することができない。
「ルチア、この前、から、ここに、いる」
巨漢のロックの言葉にザキルはなんとか気を取り直して口を開く。
「……教えてくれも良かったのでは?」
「ルチア、が、内緒、って、言った。だけど……」
「ぅぬぬぬ。私だってザキルが帰るまで隠れてるつもりだったわよ! でも、あんたがだだっ子だなんて言うからぁ。だぁぁー!」
再び始まるだだっ子パンチ。
ザキルは何とは無しに微笑ましい気持ちになってしまう。しかし、相手はあの、ルチアだ。複雑な思いを抱いてしまう。
「なぜ、その様なことに? あの後、何かあったのですか?」
「うるさいわね。ええ、そうよ。あったのよ。大アリよ!」
再び疲れてきて、パンチを止めるルチア、さっきよりも持続時間が短い。
「あの後ね……。ぐぅううううううう、ぬぬぬぬぬ」
自分では言いたくないために、ルチアは唸るだけになってしまう。
「ルチア、負け、た、……て」
代わりにロックが告げる。
「ま、負けてないモンっ! 油断しただけだモンっ! あのガキが、ドバーンって、剣をぶっ放してェ。ああーっ!! というか、あのカースドソードの女ぁ、アイツが生きててぇ。だから、私がこんなんになったのは元はと言えば、お前のせいだーーー!」
言動まで幼くなって、ウルウルと目いっぱいに涙を溜めながら、再びザキルにだだっ子パンチを繰り出すルチア。戸惑いは消えないが、若干慣れてきた彼は、ルチアの頭に手を当て腕を突っ張って彼女のパンチが届かない様にした。空を切る幼女の小っちゃいお手手。
ブンブンと手を振り回し続けるルチアを余所にザキルは思案する。
まさか、あの女が生きていたとは……。ブンブン。念入りに殺したはずなのに、ゼェゼェ。アレで生きていると言うのならば、ブンブンブン。どうやって殺せばいいのだ。ぅぐぬぬぬぬ。
あの時ですら、あまりの戦闘センスに今殺しておかないと、ゼェーはぁーゼェ〜はぁー。後々手が出せなくなると思ったのだ。ヒュう〜ヒュー。アレからもう時が経っている。ぅううう、………クスン。
今はどれ程のものになっているのか……。背筋を冷たいものが這い上がってくる。
「じぇえエエえイッ!」
思案していたザキルの脛を幼女が蹴る。が、
「痛ァァァ! 何で固いの!? あんたバカなの!?」
ピーピー叫くルチアによって、現実に引き戻された。涙目どころかすでに涙を零している幼女が頬を膨らませて顔を真っ赤にして見上げてきていた。
何だ、この生き物は……。とザキルは思った。
何とかちょっかいをかけたくなる気持ちを押さえつけて彼はルチアに尋ねた。
「それで、あなたは今後どうするつもりですか?」
小さくなった彼女を上から下まで眺める。
そこで幼女は無い胸を張って、言い放った。涙の跡が残っているのは……気にしないであげてもらいたい。
「諦めるわけないじゃ無い。私はどんなナリになろうと、私が私であることをやめない。あの方を復活させるまで私は止まらない」
目の前の幼女に対して、やはりコレでなくては、とザキルは素直に感心する。それでこそ、かつて自分に手を差し伸べてくれた彼女だ。
「だから、協力しなさい。もう私には力がない。自分で自分の身を守ることすらできやしない。だから、あなたたちが私を守るのよ。………だって怖いし」
「うん、おれ、ルチア、守る」
ロックが力強く頷く。
「………怖いんですね」
「あ、あったりまえじゃない。この姿じゃ何されたって、抵抗なんて出来はしないわ」
彼女は自信満々で言い放つが、小さな肩は小刻みに揺れている。
ザキルはその姿を見て、
「くっくっく。あーはっはっは」
彼に似合わない豪快な笑い声をあげた。
バカにされているのでは無いかと、ルチアは思わず身構えるのだが、ーーー彼からはいつもの陰鬱さが感じられなかった。
一しきり笑い終えた後、ザキルは真っ直ぐに彼女を見て、おもむろに跪いた。
「いいでしょう。私が、私たちが、あなたを全力でお守りいたしましょう。かつての明けの明星、今の、マイリトルレディ」
そんな態度を取られてまんざらでも無いのか。
「うむ、苦しゅうない」
ルチアは一層得意げに胸を張った。………無い胸を。
「ルチア、嬉しそう」
「うっさいわぁ!」
ロックの微笑みにルチアは真っ赤になって返す。
椅子に座りなおしたザキルは、くつくつと、また陰鬱な笑みを取り戻していた。
「何だ、ここは神聖なる教会。もっと静かにしたまえ」
廊下を息急き切りながら駆けてきた兵士を爬虫類じみた目がギョロリと睨んだ。
「っ、申し訳ありません」
彼とて歴戦の戦士ではるのだが、相手が悪い。感情を感じさせない無機質な目に睨まれてゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「気をつけたまえ」
「はっ!!」
神経質そうな声音は兵士の返事など聞いてもいないように彼を促す。
「それで? 何か用かね」
「はいっ。ヒルドールヴの方々が帰還されて、至急大司教にお目にかかりたいと」
「……ふん。わかった。今どこにいる?」
「兵士宿舎の前の広場です。その、今しがた帰られたばかりで……」
言葉を濁す兵士にマステマスは無機質な視線を投げかける。
「ああ……、そのまま帰ってきたのか。ならば、しっかりと汚れを落として、そちらから来いと伝えろ」
「そ、それが至急お伝えしたいことがあるので、と……、申しておりまして……」
大司教相手になおも食い下がる兵士に対して、マステマスはつまらなさそうに言う。
「大方、私が来ないようなら、引きずってでも連れて来いと言われていたのだろう。そうしなければ、お前を殺す、と」
コクコクと慌てて頷く兵士を置き去りにしてマステマスは歩き出す。
「知らん、勝手に殺されろ。聖言くらい、誰かが唱えてくれるだろう」
「大司教様っ、お願いいたします!!」
今にも泣き出しそうな様子で兵士は懇願するが、
「教会では静かにしろと言ったはずだが?」
マステマスは振り向きもせずに言う。
兵士は今にもマステマスにすがりきそうではあったが、それをしてしまうと今度はマステマスに殺されることになってしまう。
兵士は行き場のない手を宙でわなめかせた。
「ひっどい、大司教さまだねぇ」
二人の後ろから楽しそうな声がかけられた。
「至急って言ったのに来てくれないもんだから、こっちから来なくちゃいけなかったじゃないか。ちゃんとお使いしてよ、キミィ。連れて来なかったら、どうなるか言わなかったっけ?」
「……あ、ぁ……」
兵士から歯をカチカチと噛み合わせる音がする。
マステマスは声の主に向かって振り向き、相手の姿を上から下まで見てから口を開いた。
「ちゃんと、綺麗にしてから来たようだな」
「あっはぁ、当たり前でしょ? いくらボクらでも教会に汚れたまんまじゃ入らないよ」
「しかし、前までは来たわけだ。街の中はそのままで来たのだろう」
「うん、そだけど?」
「街に入る前に汚れを落とせ」
「えー、それもダメ? だって至急の話があったし?」
「手紙なりで早馬で届ければ良かっただろう。魔物の汚れた血など街にも持ち込むな」
マステマスは吐き捨てるように言う。
「はい、はーい。ごめんなさーい。でも、この話は直接聞かせたくてさぁ。ルチア、ヤラレちゃったって」
「ほう」
マステマスは初めて興味を持ったような声を出した。それでも、瞳に感情はない。
「ならば、話を聞こうではないか」
去っていくマステマスともう一人。その後ろ姿を見送って、兵士は初めて大きく息をついた。
◆
「そうか」
マステマスは執務室で相手の報告を聞いてそれだけを口にした。執務室の中の無骨ながら座りごごちのよいソファーに向かい合わせで二人は座っている。
「とうとうあの女が落ちたか……。他のモノスの動向はどうだ?」
「んー、他は分からないなぁ」
砂糖菓子を噛み砕きながら彼は答えた。
「お前たちが掴めていないということはあまり活発に動いていないということか」
「信頼してくれてるのは嬉しいけどさ、もちろん僕たちもカンペキじゃないんだよ?」
「当たり前だ」
おどけた調子の声にマステマスの静かな声が返される。ボリボリと砂糖菓子を噛み砕く音だけが部屋に聞こえている。
「んぅ? 僕らの任務の報告は聞かなくていいの?」
「聞いた方がいいのか? お前たちが戻って来たことが何よりの報告であり、不備があればそちらから申し出るだろう」
「あっははは。確かにそうだけどね。形だけでも、しといた方がいいんじゃないかな? ボク、あのやり取り嫌いじゃないし」
「わかった。ならば聞こう」
マステマスはギョロリと彼に目を向けた。彼は口の中のものをゴクリと飲み込んで居住まいを正した。
「街の住人は?」
「全て殺した」
彼は昼食の内容を答えるかのような気軽さで答えた。
「そうだ、魔物娘もインキュバスも、そして彼らを受けれた人間は死ななければならない。死体は?」
「全部集めて燃やした。骨も残らず灰になった」
部屋の掃除はちゃんと済ませましたと報告するようだ。
「そうだ。せっかく殺したのに、アンデッドとして復活されては元も子もない。生き残りは本当にいないのか?」
「うん、最後に街ごと燃やし尽くしたからいるはずがない」
テストの見直しもバッチリだ、という優等生の答え。
「よろしい。聖なる炎によってようやく魔物の汚れが消え去るのだ。こちらの損害は?」
「ない。あるはずがない。我らヒルドールヴ、神に放たれし狼の群れ。我らにあるのは色欲ではなく殺戮欲」
己の存在理由と、それを疑ってもいないという、真っ直ぐで澄んだ瞳が答える褐色の狂気。
「その通り。汝らこそ戦いのみを求める飢えた狼。神の威光は汝らを戦いに駆り立て、魔物に屈することはない。ーーアーメン」
「アーメン」
二人は十字を切った。
「じゃあ、次の任務をちょうだいよ。僕らに休息なんてとっている暇はない。だって、まだまだ魔物は生きているものね」
急かす彼に向けてマステマスは机から1束の書類を手にすると相手に手渡した。
「次の任務だ」
「ほいほーい、ありがたくお受けいたしまーす、って、アレレェ? これ、本気ィ?」
相手が嬉しそうな声をあげた。
「もちろん、本気だ。嘘は神によって禁じられている」
「んふふ。嬉しいねェ。やぁっと許可が下りたんだね」
「ああ。人権派と謳っている老人たちにも、先日のエルタニン一件が効いたらしい。役にも立たん勇者を何匹も無駄に囲っていたせいで、数名の魔物に落とされた、笑い話にもならん」
「あっははは。おっかしいなぁ。ボクらの一人でもいれば、たとえドラゴンでもリリムでも殺してあげたのに」
刺し違えることになっても、と彼は冗談めかして言うが、事実彼はそう思っている。
魔物を殺すためであれば自分の命すら使い捨てる、と。だから、手元の資料に載っている『兵器』を使用することに躊躇いはない。
それが、彼らと同じ勇者の命を使用するものだとしても……。
彼、牙はソファーから立ち上がる。
嬉しそうに資料を携えて。
「じゃあ、チャッチャッとヤってくるよ」
「汝の後ろに主の威光があらんことを」
マステマスは立ち上がり、彼に手向けて見送った。
ーーヒルドールヴ、血に飢えた狼である彼らの前には悪しき魔物達しかいない。
彼らの行く先々では血を涙と悲鳴が巻き起こる。彼らの後を教会が丁寧に履いて清めるのだ。
魔物が一掃された、そこにこそ神が顕れると彼は信じている。
魔物の勢力が増している現状も、全ては主の掌の上の出来事に違いない。主は魔物を滅せないのではない、滅ぼさないだけのだ。
これは人間が魔物を滅せと言う試練なのだ。
利用するものは利用する、勇者であろうと異端であろうと、人間の勝利のためには全ては道具にすぎない。
今の主神を否定する、異端であるモノスであろうと利用する。ルチアが敗れたということは痛いことに違いないが、彼女は主によって切られたのだと彼は思う。
自分は間違っていない。自分が今、神に切り捨てられるとなく生きていることがその証左である。
マステマスは礼拝堂へ迎う。今日もまた神に祈りを捧げるために。
彼は、神の善性の前には人の悪性など取るに足らないものであると、考えていたーーー。
数日後、ヒルドールヴが魔界の一つを消しとばしたことが報告された。同時に、少なくない数の勇者が戦死したとも。
彼らは名誉の戦死として讃えられ、聖者に列席された。
彼らは魔物たちに殺されたのではなく、味方に使い潰されたことを知っているのは、ほんの一握りの「人間」だけだった。
◆
「聞きましたか? ヒルドールヴが魔界を消しとばした、と」
「あ、あ。聞いた。酷い、な。可哀相……。殺すの、よく、ない」
「ええ。ただ殺すのでは勿体ないです」
「おれ、殺し……嫌い」
「今まで沢山殺してきてるのに?」
「おれ……殺してない。他の命、……いじめる、アイツ、ラは、元か、ら生きて、ない」
「くっくっく。言いますネェ。なら、ルチアさんはどうなのです? いじめるどころじゃありませんよ」
「ルチア、おれ、助けてくれた。それに……、ルチア、いつも……泣いてた」
「まぁ、確かに彼女の狂態は泣き叫くだだっ子の様でしたが」
クツクツとザキルは笑う。ザキルの前には巨躯の男が椅子に自分の体を押し込める様にして座っている。座っているというよりはハマっていると言った方が正しいかもしれない。
二人が談笑していると、ーーーバァァァァンっ!! 扉が勢いよく開け放たれた。
そこにいたのは金の髪を逆だたせながら、顔を真っ赤にした幼女だった。
モノスという一応秘密結社ある彼らが話をしているこの部屋には基本的にモノスのメンバーでしか入ってくることはできない魔術がかけられている。それを打ちやぶって入ってくることもできるが、無理矢理破った様な衝撃は感じられなかった。
ザキルは訝しそうに幼女を見ているのだが、幼女はそんなザキルの様子など御構いなしで彼の元にツカツカと歩み寄って行くと、
「だ、れ、が、だだっ子よーーー!!」
うがぁっ、と憤りながら誰が見てもだだっ子と答えるであろう幼女がザキルに殴りかかった。
ポカ、ポカポカポカ。まっっっっったく痛くも痒くもないだだっ子パンチを受けながら、ザキルは彼女の顔をじっくり見て、まさか、と思う。
パッと見て似ているとは思ったが、すぐに同一人物だと結び付けられるはずはなくーー。
「………まさか、あなたはルチアさんですか」
「そうよーー、他に誰がいるって言うのよーーー!」
だだっ子パンチを続ける狂女もとい、幼女。そろそろ疲れてきたのか、叩く手を止めて肩でゼィゼィと息を切らしている。
「……………」
あんまりにも驚きすぎて、ザキルは何も言葉を発することができない。
「ルチア、この前、から、ここに、いる」
巨漢のロックの言葉にザキルはなんとか気を取り直して口を開く。
「……教えてくれも良かったのでは?」
「ルチア、が、内緒、って、言った。だけど……」
「ぅぬぬぬ。私だってザキルが帰るまで隠れてるつもりだったわよ! でも、あんたがだだっ子だなんて言うからぁ。だぁぁー!」
再び始まるだだっ子パンチ。
ザキルは何とは無しに微笑ましい気持ちになってしまう。しかし、相手はあの、ルチアだ。複雑な思いを抱いてしまう。
「なぜ、その様なことに? あの後、何かあったのですか?」
「うるさいわね。ええ、そうよ。あったのよ。大アリよ!」
再び疲れてきて、パンチを止めるルチア、さっきよりも持続時間が短い。
「あの後ね……。ぐぅううううううう、ぬぬぬぬぬ」
自分では言いたくないために、ルチアは唸るだけになってしまう。
「ルチア、負け、た、……て」
代わりにロックが告げる。
「ま、負けてないモンっ! 油断しただけだモンっ! あのガキが、ドバーンって、剣をぶっ放してェ。ああーっ!! というか、あのカースドソードの女ぁ、アイツが生きててぇ。だから、私がこんなんになったのは元はと言えば、お前のせいだーーー!」
言動まで幼くなって、ウルウルと目いっぱいに涙を溜めながら、再びザキルにだだっ子パンチを繰り出すルチア。戸惑いは消えないが、若干慣れてきた彼は、ルチアの頭に手を当て腕を突っ張って彼女のパンチが届かない様にした。空を切る幼女の小っちゃいお手手。
ブンブンと手を振り回し続けるルチアを余所にザキルは思案する。
まさか、あの女が生きていたとは……。ブンブン。念入りに殺したはずなのに、ゼェゼェ。アレで生きていると言うのならば、ブンブンブン。どうやって殺せばいいのだ。ぅぐぬぬぬぬ。
あの時ですら、あまりの戦闘センスに今殺しておかないと、ゼェーはぁーゼェ〜はぁー。後々手が出せなくなると思ったのだ。ヒュう〜ヒュー。アレからもう時が経っている。ぅううう、………クスン。
今はどれ程のものになっているのか……。背筋を冷たいものが這い上がってくる。
「じぇえエエえイッ!」
思案していたザキルの脛を幼女が蹴る。が、
「痛ァァァ! 何で固いの!? あんたバカなの!?」
ピーピー叫くルチアによって、現実に引き戻された。涙目どころかすでに涙を零している幼女が頬を膨らませて顔を真っ赤にして見上げてきていた。
何だ、この生き物は……。とザキルは思った。
何とかちょっかいをかけたくなる気持ちを押さえつけて彼はルチアに尋ねた。
「それで、あなたは今後どうするつもりですか?」
小さくなった彼女を上から下まで眺める。
そこで幼女は無い胸を張って、言い放った。涙の跡が残っているのは……気にしないであげてもらいたい。
「諦めるわけないじゃ無い。私はどんなナリになろうと、私が私であることをやめない。あの方を復活させるまで私は止まらない」
目の前の幼女に対して、やはりコレでなくては、とザキルは素直に感心する。それでこそ、かつて自分に手を差し伸べてくれた彼女だ。
「だから、協力しなさい。もう私には力がない。自分で自分の身を守ることすらできやしない。だから、あなたたちが私を守るのよ。………だって怖いし」
「うん、おれ、ルチア、守る」
ロックが力強く頷く。
「………怖いんですね」
「あ、あったりまえじゃない。この姿じゃ何されたって、抵抗なんて出来はしないわ」
彼女は自信満々で言い放つが、小さな肩は小刻みに揺れている。
ザキルはその姿を見て、
「くっくっく。あーはっはっは」
彼に似合わない豪快な笑い声をあげた。
バカにされているのでは無いかと、ルチアは思わず身構えるのだが、ーーー彼からはいつもの陰鬱さが感じられなかった。
一しきり笑い終えた後、ザキルは真っ直ぐに彼女を見て、おもむろに跪いた。
「いいでしょう。私が、私たちが、あなたを全力でお守りいたしましょう。かつての明けの明星、今の、マイリトルレディ」
そんな態度を取られてまんざらでも無いのか。
「うむ、苦しゅうない」
ルチアは一層得意げに胸を張った。………無い胸を。
「ルチア、嬉しそう」
「うっさいわぁ!」
ロックの微笑みにルチアは真っ赤になって返す。
椅子に座りなおしたザキルは、くつくつと、また陰鬱な笑みを取り戻していた。
16/11/03 14:46更新 / ルピナス
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