17.凶星堕つ
凶刃が振り下ろされる。
「うわぁぁぁ、痛い、痛い、止めてよお」
光の剣が何本も体に突き立ち幼子の体を地面に縫い付けていた。
神の剣の前ではリビングアーマーの装甲も意味をなさない。
手の甲、手首、前腕、二の腕、足首、下腿、大腿。
中手骨間、手根骨、橈尺骨間、上腕骨、足根骨、脛腓骨間、大腿骨。
あるものは骨を穿ち、あるものは骨の間を通ってブレイブの体を地面に磔にしている。
その剣は実際の傷を与えてはいない。
肉体ではなく精神に向けて与えられる罰。傷を与えず拘束し、ただ痛みだけを与えていた。
「やめ、て。許してぇ」
容量を越える痛みに対して。ブレイブは涙を流してルチアに許しを請う。
弱々しく動く唇、すでに目から光は失われていた。
ルチアは無言。
しかし、ブレイブを見つめる目は熱っぽく、上気した頬と堪えきれず溢れる吐息が彼女の興奮を物語っている。
純白の衣装の内側では下着が湿り気を帯びていた。
「ああ、ブレイブ。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。」
ヴィヴィアンは止めどなく涙を零しながらブレイブに謝り続ける。
私が弱かったから、ルチアに勝てなかったから、ブレイブがあんな目にあっている。
ヴィヴィアンはむせび泣く。
「貴、様ぁぁ!」
ヴェルメリオの額にははち切れんばかりに血管が浮かび上がり、噛み締めすぎた歯からは血が滴っていた。
この身が動くのならば首だけでも構わない。あの女の首を噛みちぎってやる。
ヴェルメリオは呪詛を込めた瞳でルチアを睨みつけながら、体を動かそうと力を振り絞る。
”あ、う、あ…。”
アンのか細い呻き声はブレイブの耳だけに聞こえていた。
僕はブレイブの鎧なのにこの子を守れていない。僕の体で包んでいるのに苦痛を感じさせてしまっている。
自身も苦痛を受けながら、アンは少しでもブレイブの苦痛を肩代わりしようとブレイブの心に深く交わろうとする。
「………」
白衣は無言で耐える。
こんな痛みは何でもありません。早くなんとかしなくては。それまでなんとか頑張ってください、ブレイブさん。
白衣は必死で自分に言い聞かせながら、希望の糸口を掴もうとしていた。
ブレイブが磔にされているのは元から広がっていた血だまりの上。
固まって乾いていく血だまりに、ブレイブの涙は吸い込まれていた。
「あ、はぁ」
ルチアは麗しい唇から艶かしい吐息を漏らして体を震わせた。
背筋を走る快感が堪らない。激しい動悸が肩で息をさせる。
体の奥底で疼く淀んだ感情が彼女を急かす。
「みんな、いい顔をするじゃない。痛い?、坊や、痛いならもっと訴えなさい。彼女たちに救いを。私に許しを。そうすれば誰か、が助けてくれるかもしれない」
ルチアはブレイブの顔を蹴る。適度に加減して。すぐに壊してしまっては楽しめない。
苦痛に呻くブレイブの顔を見て、ルチアの体に再び震えが走って甘い痺れが残る。
「可愛い。今なら、ヴィヴィアンがあなたに入れ込んだ理由もわかるかもしれない」
昏い悦びを宿した瞳がブレイブに注がれて歪む。
ブレイブの前でルチアはしゃがみ込む。この角度ではブレイブからはスカートの中身が見えて、濡れた下着に気づかれてしまうかもしれない。
普段ならばそんなことは許さないが、昂った心ではむしろ見せつけたいとさえ思ってしまう。
ただのナイフを取り出してルチアは弄ぶ。
「次は皮を剥ぎましょうか。どこからがいい?。頭、顔、首、手、足、お尻、お腹。好きなところを選んでいいのよ」
そこでルチアはふと思いつく。
「いいことを思いついたわ。おちんちんにしてあげる。戦乙女様に割礼してもらえるなんて光栄に思いなさい」
ルチアの嗜虐的な笑みが深まる。
ブレイブにはもうルチアの声は届いていなかった。
絶えずに響いてくる苦痛が思考を奪い、希望を、勇気の炎を消していた。
もう殺されてた方がマシだ。
ブレイブの心がそう訴えようとした時、声が聞こえた。
”…、イ…。ブレ、…。…レ、…ブ。諦、…る、な”
幻聴だろうか。痛みのあまりに聞こえてきたそれは、何だか大事な人の声に似ている気がする。
”ブレイブ、…るな。あき、…な”
大事な人とは誰だったか。痛みに塗りつぶされた頭ではたどり着けない。
”諦めるな、ブレイブ!”
靄がかかった頭に力強い声が響いた。ブレイブの目に光が戻り始める。
これは大事な、大好きなカーラの声だ!
カーラお姉ちゃん。
唇から溢れた声は、掠れて音にはならなかった。
だが、カーラにはブレイブの声が届いた。
”そうだ。『お前の』、カーラお姉ちゃんだ”
カーラの力強い声が頭の中に響く。
”ブレイブ。なんだその姿は。相手が強くて負けてしまうことはある。今、勝てない相手というのは存在する”
カーラの声にブレイブは自分の鼓動が早くなるのを感じる。
”だが、それは本当の負けじゃない。負けたって鍛え直して、また挑めばいい。次に勝てなかったなら、その次”
なんとか歯を食いしばって痛みに抗う。
”本当の負けは諦めてしまった時、心が負けてしまった時だ。それに、お前はまだ自分の力を出し切っていない”
ブレイブは手に力を込めようとする。
”子供だということは言い訳にはならない。お前は小さくとも勇者だ。私はお前を立派な男だと思っている”
カーラの言葉に応えるように拳を握り締める。
”気張れ、ブレイブ。ここが踏ん張りどころだ。踏ん張ってあいつをブッ飛ばせ”
でも、武器がないよカーラお姉ちゃん。ブレイブは心の中で訴える。
”武器ならある。私だ。私は初めからお前の剣だ。さあ、私を引き抜けブレイブ!”
カーラの叫びにブレイブは目を見開いた。
カーラだった血だまりに手のひらを押し付ける。
ぶよぶよとした血の塊を押しつぶしながらブレイブは手のひらに力を込める。
腕が熱い。それは痛みではなく、どこかで感じたことのある熱。あの人に教えてもらった”勇気の火”がもたらす脈打つような熱。
「う、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ブレイブは叫びをあげながら、手のひらを握り締める。熱は自身が横たわっている血だまり全てに伝わる。
「どうしたの?、急に叫び出して。もうおかしくなっちゃった?。我慢してよ、まだ全然足りないのだから」
ルチアの声には残念そうな響きがある。
「「ブレイブ!?」」
突然叫びだしたブレイブの様子にヴィヴィアンもヴェルメリオも呆気にとられる。
”うう、あ。熱い”
ブレイブから伝わる熱がアンの鎧の体を駆け巡る。その熱は苦しくも痛くもなく、猛々しくて力強くて、何よりも彼女にとって、キモチガイイ。
「間に、合いました、ぁっ、はぁぁァァぁン」
一人胸を撫で下ろそうとしていた白衣にも熱は届き、彼女を悶えさせる。
「うおおおおおおおおおおお!」
ブレイブの叫びに呼応した血だまりが黒い魔力に変換されて、ブレイブを中心として渦を巻く。
「あなた、何をしてるの」
ルチアは目の前の光景に目を見開く。
ブレイブの右手にはカーラが残していた、カーラの一部であった鎧の欠片が形を変えてブレイブの腕に巻きついていた。
ブレイブは魔力の渦から”それ”を引き上げる。
ブレイブから、ブレイブの周りから迸る尋常ではない魔力にルチアに初めて焦りが浮かぶ。
「それを、やめろ!」
ルチアが白銀のロングソードをブレイブに向かって振り下ろす。
その銀の軌跡を紅の槍が受け止めた。魔力の渦の前にしてルチアの威圧が緩み動けるようになったヴェルメリオが入り込んでいた。
だが、今のルチアの放った剣撃に槍は耐えられない。
槍は折れ、ヴェルメリオの体に剣が入る。
血を噴き出しながら仰向けにヴェルメリオは倒れていく。
その血はブレイブにかかり、魔力の渦に吸い込まれていく。
倒れ伏すヴェルメリオ。その後ろで、ブレイブは剣を引き抜いた。
渦を巻いていた魔力は収束して剣の形をとる。ブレイブの右手に巻きついていたカーラの一部も剣に吸収されていた。
ブレイブの体の大きさに合った大きさの剣は刀身も柄も真っ黒で聖剣とはとても言えないものだ。
それでも、見るものの心を震わせ勇気を与えてくれるほどに力強く真っ直ぐに掲げられた剣はまぎれもない勇者の剣だった。
膨大な魔力は黒剣とそれを握りしめたブレイブ、アン、白衣の中で脈打っていた。
「覚悟しろ、ルチア」
子供らしからぬ声音でブレイブが告げる。
漆黒の鎧に身を包み、純白のマントが翻る。
背丈こそ小さいものの、その有様は誰もが思い描く英雄の姿に寸分と違わない。
倒れたヴェルメリオに回復魔法をかけて、彼女を介抱しているヴィヴィアンは潤んだ瞳で彼を見つめていた。
「ブレイブ、これをあなたに」
ヴィヴィアンがブレイブにキューブ・アトモスフィアを手渡す。
「これは?」
「ルチアに殺された人たちの魂。あなたと一緒に戦わせてあげて」
ブレイブは受け取るとそれを握り締める。
キューブは光り輝きバラバラになってブレイブの周りを舞う。
ブレイブはルチアに向かって剣を大上段に構える。
「何、それ。何それ何それ何それ、意味わかんない。そんなので私に勝てると思ってるの。私はルチア。あの方が最初に作り、最初に愛してくださったモノ。私の輝きは星の輝き。そんなちっぽけな奴らがいくら集まったって、敵うわけないでしょうが!」
ルチアの輝きが最高潮に達する。10枚の翼を目いっぱいに広げて辺りを輝き照らす。
光だけで焼け焦げてしまいそうだ。
その光を彼女は白銀の長剣に全て集める。天に届くと見まごうほどの光の柱となってそびえ立つ。
「消え去りなさい」
すわった目がブレイブを睨みつける。
「僕は勝つ」
ブレイブとルチアが互いに剣を振り下ろす。
”ブレイブ・バースト”
”ディバイン・ルーチェ”
黒と白の極光が激突する。
「うおおおおおおおおっ」
「がああああああああっ」
拮抗してせめぎ合う二つの光。
ヴィヴィアンは手を合わせて祈る。神にではない、ブレイブに、小さな勇者様に。
彼女のなけなしの魔力は全てキューブに注ぎ込んだ。彼女にできることはもう祈ることだけ。
「ぐっ、うっ、ブレイブ」
小さな勇者の勇姿を見逃さないようにヴェルメリオはなんとか目を開ける。彼女の目に映っているのは雄々しい一匹の雄の姿。
「私のも持って行ってください」
手を上げてブレイブに魔力を託す。
「やめなさい、ヴェルメリオ。そんな体じゃ」
「いいえ、絶対に止めません。だから、絶対に勝ってください。リトルブレイバー」
ブレイブに竜の魔力を預けたヴェルメリオは目を閉じ、その手を落とす。
ブレイブに加わった竜の魔力は内側で凶暴な熱となって暴れまわる。
「ぐっ、うあああ」
その熱も剣に乗せて放つ。
「ぢぃぃぃぃぃ」
血走った目で歯を噛みしめるルチアはさらに力を込める。もはやその美貌もあったものでは無い。
”俺、僕、私、ワシ、あたし、ボク、ーーーー、たちの力も使ってくれ”
キューブに納められた魂たちの声が重なる。
うん。一緒に戦おう。一緒にあいつを倒そう。
ブレイブが頷くとその小さな手に数多の手が重ねられる。幾つもの手がブレイブの背中を支えて押す。
「う、わああああああああああ」
ブレイブの雄叫びと共に黒の輝きは光を増して、白の極光を押し返す。
「そんなものに負けるかよぉっ!」
ルチアは全身と全霊をもって輝きを強める。
だが、近づいてくる黒い光を止めることはできない。
「くそっ、クソッ、くそぉぉぉぉぉぉぉ!。こんな、こんなところで私が負ける?。そんなことあって良いはずがないっ!」
ルチアの叫びも虚しく、幾千幾万の想いを束ねた輝きはついに彼女に届く。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!
自らの身を焼く真っ黒な魔力の奔流。ルチアの絶叫も光の束にかき消される。
黒い光の束は天に届いて消えていく。
きっと天界からもその光は見えたことだろう。
小さいながらも新しく英雄と呼べる勇者が誕生した光。その輝きは、今代の魔王が誕生する間際にも現れたことのある光だった。
◆
はぁ、はぁ。ブレイブは肩で息をしながら膝をついた。
目線の先には立ち尽くしたままのルチア。
ブレイブが放ったのは魔物娘の魔力の奔流。ルチアの肉体を傷つけることはない。
だが、確かにそれはルチアを焼き尽くした。その証拠として、彼女の純白の翼にはシミのような黒斑が浮かび輝く金髪も今は白に染まっている。
「ありえなぁい」
幽鬼のように立ち尽くす彼女の瞳は虚ろ。わなわなと震える唇から、掠れた呪詛が漏れる。
彼女の翼の黒斑がじくじくと広がっていく。
「ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえなぁぁぁぁいっ!。あの方に、あの方に作っていただいて、愛していただいたこの体を汚してしまうなんて、ありえない。あって良いはずがなぁぁぁぁ”いっ」
ルチアの体がゆらゆらと揺れて、焦点の定まらない目は宙を彷徨う。
「やめてよ。何かの悪い冗談でしょう。今までの事だったら謝るからさあ。だから、お願い。この体に入ってこないで。私の、あの方のための体。出ていけぇぇぇっ!」
鬼女の様相で髪を振り乱して、自らの翼をむしり出すルチア。翼だけでなく白く染まった髪も引きちぎる。
「や、やめなさい」
ヴィヴィアンが止めようとするが、この場で動けるものはルチア以外にはいない。
ブチブチという嫌な音が聞こえる。
顔も掻きむしり何本もの赤い筋が頬に走っている。
「あ”、ああ”ぁぁぁ”ぁ”ぁぁ”ああぁ」
ルチアは自傷を止めない。自らの翼を根元から引きちぎる。
「来るな来るな来るな来るな来るなぁぁぁぁっ」
うわ言のように繰り返しながら、行為を続ける。
ブレイブもヴィヴィアンも狂女の悍ましい凶行をただ見ていることしかできない。
そのままルチアはついに、自らの心臓を抉り出す。
乳房の間を裂き、胸骨を折って肋骨を開いた様はリコリスの花のようだ。掴み出した心臓をルチアは掲げる。
「これだけは、私とあの方の心だけは何者の侵入を許さないし、誰にも奪わせはしない」
そうしてルチアは自らの心臓を天に向かって投げる。
投げられた心臓は赤く鈍く輝きながら、天の彼方へと消えていった。
凄絶な笑みを浮かべながら事切れて崩れ落ちるルチアの体。
天に向かって咲いた肋骨の花は、まるで助けを求める指のようでもあった。
ついに宿敵を倒したはずのヴィヴィアンもブレイブたちの凄惨な彼女の最後に声を発することができないでいた。
こうしてとうとう”明けの明星”とまで言われ、かつては敬われ、今は恐れられていた天の凶星は堕ちた。
ブレイブたちの心に後味の悪いものを残しながら。
「うわぁぁぁ、痛い、痛い、止めてよお」
光の剣が何本も体に突き立ち幼子の体を地面に縫い付けていた。
神の剣の前ではリビングアーマーの装甲も意味をなさない。
手の甲、手首、前腕、二の腕、足首、下腿、大腿。
中手骨間、手根骨、橈尺骨間、上腕骨、足根骨、脛腓骨間、大腿骨。
あるものは骨を穿ち、あるものは骨の間を通ってブレイブの体を地面に磔にしている。
その剣は実際の傷を与えてはいない。
肉体ではなく精神に向けて与えられる罰。傷を与えず拘束し、ただ痛みだけを与えていた。
「やめ、て。許してぇ」
容量を越える痛みに対して。ブレイブは涙を流してルチアに許しを請う。
弱々しく動く唇、すでに目から光は失われていた。
ルチアは無言。
しかし、ブレイブを見つめる目は熱っぽく、上気した頬と堪えきれず溢れる吐息が彼女の興奮を物語っている。
純白の衣装の内側では下着が湿り気を帯びていた。
「ああ、ブレイブ。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。」
ヴィヴィアンは止めどなく涙を零しながらブレイブに謝り続ける。
私が弱かったから、ルチアに勝てなかったから、ブレイブがあんな目にあっている。
ヴィヴィアンはむせび泣く。
「貴、様ぁぁ!」
ヴェルメリオの額にははち切れんばかりに血管が浮かび上がり、噛み締めすぎた歯からは血が滴っていた。
この身が動くのならば首だけでも構わない。あの女の首を噛みちぎってやる。
ヴェルメリオは呪詛を込めた瞳でルチアを睨みつけながら、体を動かそうと力を振り絞る。
”あ、う、あ…。”
アンのか細い呻き声はブレイブの耳だけに聞こえていた。
僕はブレイブの鎧なのにこの子を守れていない。僕の体で包んでいるのに苦痛を感じさせてしまっている。
自身も苦痛を受けながら、アンは少しでもブレイブの苦痛を肩代わりしようとブレイブの心に深く交わろうとする。
「………」
白衣は無言で耐える。
こんな痛みは何でもありません。早くなんとかしなくては。それまでなんとか頑張ってください、ブレイブさん。
白衣は必死で自分に言い聞かせながら、希望の糸口を掴もうとしていた。
ブレイブが磔にされているのは元から広がっていた血だまりの上。
固まって乾いていく血だまりに、ブレイブの涙は吸い込まれていた。
「あ、はぁ」
ルチアは麗しい唇から艶かしい吐息を漏らして体を震わせた。
背筋を走る快感が堪らない。激しい動悸が肩で息をさせる。
体の奥底で疼く淀んだ感情が彼女を急かす。
「みんな、いい顔をするじゃない。痛い?、坊や、痛いならもっと訴えなさい。彼女たちに救いを。私に許しを。そうすれば誰か、が助けてくれるかもしれない」
ルチアはブレイブの顔を蹴る。適度に加減して。すぐに壊してしまっては楽しめない。
苦痛に呻くブレイブの顔を見て、ルチアの体に再び震えが走って甘い痺れが残る。
「可愛い。今なら、ヴィヴィアンがあなたに入れ込んだ理由もわかるかもしれない」
昏い悦びを宿した瞳がブレイブに注がれて歪む。
ブレイブの前でルチアはしゃがみ込む。この角度ではブレイブからはスカートの中身が見えて、濡れた下着に気づかれてしまうかもしれない。
普段ならばそんなことは許さないが、昂った心ではむしろ見せつけたいとさえ思ってしまう。
ただのナイフを取り出してルチアは弄ぶ。
「次は皮を剥ぎましょうか。どこからがいい?。頭、顔、首、手、足、お尻、お腹。好きなところを選んでいいのよ」
そこでルチアはふと思いつく。
「いいことを思いついたわ。おちんちんにしてあげる。戦乙女様に割礼してもらえるなんて光栄に思いなさい」
ルチアの嗜虐的な笑みが深まる。
ブレイブにはもうルチアの声は届いていなかった。
絶えずに響いてくる苦痛が思考を奪い、希望を、勇気の炎を消していた。
もう殺されてた方がマシだ。
ブレイブの心がそう訴えようとした時、声が聞こえた。
”…、イ…。ブレ、…。…レ、…ブ。諦、…る、な”
幻聴だろうか。痛みのあまりに聞こえてきたそれは、何だか大事な人の声に似ている気がする。
”ブレイブ、…るな。あき、…な”
大事な人とは誰だったか。痛みに塗りつぶされた頭ではたどり着けない。
”諦めるな、ブレイブ!”
靄がかかった頭に力強い声が響いた。ブレイブの目に光が戻り始める。
これは大事な、大好きなカーラの声だ!
カーラお姉ちゃん。
唇から溢れた声は、掠れて音にはならなかった。
だが、カーラにはブレイブの声が届いた。
”そうだ。『お前の』、カーラお姉ちゃんだ”
カーラの力強い声が頭の中に響く。
”ブレイブ。なんだその姿は。相手が強くて負けてしまうことはある。今、勝てない相手というのは存在する”
カーラの声にブレイブは自分の鼓動が早くなるのを感じる。
”だが、それは本当の負けじゃない。負けたって鍛え直して、また挑めばいい。次に勝てなかったなら、その次”
なんとか歯を食いしばって痛みに抗う。
”本当の負けは諦めてしまった時、心が負けてしまった時だ。それに、お前はまだ自分の力を出し切っていない”
ブレイブは手に力を込めようとする。
”子供だということは言い訳にはならない。お前は小さくとも勇者だ。私はお前を立派な男だと思っている”
カーラの言葉に応えるように拳を握り締める。
”気張れ、ブレイブ。ここが踏ん張りどころだ。踏ん張ってあいつをブッ飛ばせ”
でも、武器がないよカーラお姉ちゃん。ブレイブは心の中で訴える。
”武器ならある。私だ。私は初めからお前の剣だ。さあ、私を引き抜けブレイブ!”
カーラの叫びにブレイブは目を見開いた。
カーラだった血だまりに手のひらを押し付ける。
ぶよぶよとした血の塊を押しつぶしながらブレイブは手のひらに力を込める。
腕が熱い。それは痛みではなく、どこかで感じたことのある熱。あの人に教えてもらった”勇気の火”がもたらす脈打つような熱。
「う、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ブレイブは叫びをあげながら、手のひらを握り締める。熱は自身が横たわっている血だまり全てに伝わる。
「どうしたの?、急に叫び出して。もうおかしくなっちゃった?。我慢してよ、まだ全然足りないのだから」
ルチアの声には残念そうな響きがある。
「「ブレイブ!?」」
突然叫びだしたブレイブの様子にヴィヴィアンもヴェルメリオも呆気にとられる。
”うう、あ。熱い”
ブレイブから伝わる熱がアンの鎧の体を駆け巡る。その熱は苦しくも痛くもなく、猛々しくて力強くて、何よりも彼女にとって、キモチガイイ。
「間に、合いました、ぁっ、はぁぁァァぁン」
一人胸を撫で下ろそうとしていた白衣にも熱は届き、彼女を悶えさせる。
「うおおおおおおおおおおお!」
ブレイブの叫びに呼応した血だまりが黒い魔力に変換されて、ブレイブを中心として渦を巻く。
「あなた、何をしてるの」
ルチアは目の前の光景に目を見開く。
ブレイブの右手にはカーラが残していた、カーラの一部であった鎧の欠片が形を変えてブレイブの腕に巻きついていた。
ブレイブは魔力の渦から”それ”を引き上げる。
ブレイブから、ブレイブの周りから迸る尋常ではない魔力にルチアに初めて焦りが浮かぶ。
「それを、やめろ!」
ルチアが白銀のロングソードをブレイブに向かって振り下ろす。
その銀の軌跡を紅の槍が受け止めた。魔力の渦の前にしてルチアの威圧が緩み動けるようになったヴェルメリオが入り込んでいた。
だが、今のルチアの放った剣撃に槍は耐えられない。
槍は折れ、ヴェルメリオの体に剣が入る。
血を噴き出しながら仰向けにヴェルメリオは倒れていく。
その血はブレイブにかかり、魔力の渦に吸い込まれていく。
倒れ伏すヴェルメリオ。その後ろで、ブレイブは剣を引き抜いた。
渦を巻いていた魔力は収束して剣の形をとる。ブレイブの右手に巻きついていたカーラの一部も剣に吸収されていた。
ブレイブの体の大きさに合った大きさの剣は刀身も柄も真っ黒で聖剣とはとても言えないものだ。
それでも、見るものの心を震わせ勇気を与えてくれるほどに力強く真っ直ぐに掲げられた剣はまぎれもない勇者の剣だった。
膨大な魔力は黒剣とそれを握りしめたブレイブ、アン、白衣の中で脈打っていた。
「覚悟しろ、ルチア」
子供らしからぬ声音でブレイブが告げる。
漆黒の鎧に身を包み、純白のマントが翻る。
背丈こそ小さいものの、その有様は誰もが思い描く英雄の姿に寸分と違わない。
倒れたヴェルメリオに回復魔法をかけて、彼女を介抱しているヴィヴィアンは潤んだ瞳で彼を見つめていた。
「ブレイブ、これをあなたに」
ヴィヴィアンがブレイブにキューブ・アトモスフィアを手渡す。
「これは?」
「ルチアに殺された人たちの魂。あなたと一緒に戦わせてあげて」
ブレイブは受け取るとそれを握り締める。
キューブは光り輝きバラバラになってブレイブの周りを舞う。
ブレイブはルチアに向かって剣を大上段に構える。
「何、それ。何それ何それ何それ、意味わかんない。そんなので私に勝てると思ってるの。私はルチア。あの方が最初に作り、最初に愛してくださったモノ。私の輝きは星の輝き。そんなちっぽけな奴らがいくら集まったって、敵うわけないでしょうが!」
ルチアの輝きが最高潮に達する。10枚の翼を目いっぱいに広げて辺りを輝き照らす。
光だけで焼け焦げてしまいそうだ。
その光を彼女は白銀の長剣に全て集める。天に届くと見まごうほどの光の柱となってそびえ立つ。
「消え去りなさい」
すわった目がブレイブを睨みつける。
「僕は勝つ」
ブレイブとルチアが互いに剣を振り下ろす。
”ブレイブ・バースト”
”ディバイン・ルーチェ”
黒と白の極光が激突する。
「うおおおおおおおおっ」
「がああああああああっ」
拮抗してせめぎ合う二つの光。
ヴィヴィアンは手を合わせて祈る。神にではない、ブレイブに、小さな勇者様に。
彼女のなけなしの魔力は全てキューブに注ぎ込んだ。彼女にできることはもう祈ることだけ。
「ぐっ、うっ、ブレイブ」
小さな勇者の勇姿を見逃さないようにヴェルメリオはなんとか目を開ける。彼女の目に映っているのは雄々しい一匹の雄の姿。
「私のも持って行ってください」
手を上げてブレイブに魔力を託す。
「やめなさい、ヴェルメリオ。そんな体じゃ」
「いいえ、絶対に止めません。だから、絶対に勝ってください。リトルブレイバー」
ブレイブに竜の魔力を預けたヴェルメリオは目を閉じ、その手を落とす。
ブレイブに加わった竜の魔力は内側で凶暴な熱となって暴れまわる。
「ぐっ、うあああ」
その熱も剣に乗せて放つ。
「ぢぃぃぃぃぃ」
血走った目で歯を噛みしめるルチアはさらに力を込める。もはやその美貌もあったものでは無い。
”俺、僕、私、ワシ、あたし、ボク、ーーーー、たちの力も使ってくれ”
キューブに納められた魂たちの声が重なる。
うん。一緒に戦おう。一緒にあいつを倒そう。
ブレイブが頷くとその小さな手に数多の手が重ねられる。幾つもの手がブレイブの背中を支えて押す。
「う、わああああああああああ」
ブレイブの雄叫びと共に黒の輝きは光を増して、白の極光を押し返す。
「そんなものに負けるかよぉっ!」
ルチアは全身と全霊をもって輝きを強める。
だが、近づいてくる黒い光を止めることはできない。
「くそっ、クソッ、くそぉぉぉぉぉぉぉ!。こんな、こんなところで私が負ける?。そんなことあって良いはずがないっ!」
ルチアの叫びも虚しく、幾千幾万の想いを束ねた輝きはついに彼女に届く。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!
自らの身を焼く真っ黒な魔力の奔流。ルチアの絶叫も光の束にかき消される。
黒い光の束は天に届いて消えていく。
きっと天界からもその光は見えたことだろう。
小さいながらも新しく英雄と呼べる勇者が誕生した光。その輝きは、今代の魔王が誕生する間際にも現れたことのある光だった。
◆
はぁ、はぁ。ブレイブは肩で息をしながら膝をついた。
目線の先には立ち尽くしたままのルチア。
ブレイブが放ったのは魔物娘の魔力の奔流。ルチアの肉体を傷つけることはない。
だが、確かにそれはルチアを焼き尽くした。その証拠として、彼女の純白の翼にはシミのような黒斑が浮かび輝く金髪も今は白に染まっている。
「ありえなぁい」
幽鬼のように立ち尽くす彼女の瞳は虚ろ。わなわなと震える唇から、掠れた呪詛が漏れる。
彼女の翼の黒斑がじくじくと広がっていく。
「ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえなぁぁぁぁいっ!。あの方に、あの方に作っていただいて、愛していただいたこの体を汚してしまうなんて、ありえない。あって良いはずがなぁぁぁぁ”いっ」
ルチアの体がゆらゆらと揺れて、焦点の定まらない目は宙を彷徨う。
「やめてよ。何かの悪い冗談でしょう。今までの事だったら謝るからさあ。だから、お願い。この体に入ってこないで。私の、あの方のための体。出ていけぇぇぇっ!」
鬼女の様相で髪を振り乱して、自らの翼をむしり出すルチア。翼だけでなく白く染まった髪も引きちぎる。
「や、やめなさい」
ヴィヴィアンが止めようとするが、この場で動けるものはルチア以外にはいない。
ブチブチという嫌な音が聞こえる。
顔も掻きむしり何本もの赤い筋が頬に走っている。
「あ”、ああ”ぁぁぁ”ぁ”ぁぁ”ああぁ」
ルチアは自傷を止めない。自らの翼を根元から引きちぎる。
「来るな来るな来るな来るな来るなぁぁぁぁっ」
うわ言のように繰り返しながら、行為を続ける。
ブレイブもヴィヴィアンも狂女の悍ましい凶行をただ見ていることしかできない。
そのままルチアはついに、自らの心臓を抉り出す。
乳房の間を裂き、胸骨を折って肋骨を開いた様はリコリスの花のようだ。掴み出した心臓をルチアは掲げる。
「これだけは、私とあの方の心だけは何者の侵入を許さないし、誰にも奪わせはしない」
そうしてルチアは自らの心臓を天に向かって投げる。
投げられた心臓は赤く鈍く輝きながら、天の彼方へと消えていった。
凄絶な笑みを浮かべながら事切れて崩れ落ちるルチアの体。
天に向かって咲いた肋骨の花は、まるで助けを求める指のようでもあった。
ついに宿敵を倒したはずのヴィヴィアンもブレイブたちの凄惨な彼女の最後に声を発することができないでいた。
こうしてとうとう”明けの明星”とまで言われ、かつては敬われ、今は恐れられていた天の凶星は堕ちた。
ブレイブたちの心に後味の悪いものを残しながら。
16/06/16 10:22更新 / ルピナス
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