読切小説
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ぬら屋討ち入り
「ここか……では、手筈通りに」
宗介の呼びかけに、同行者たちからそれぞれの頷きが返ってくる。
「ぬら屋」。それが彼らの前にそびえる旅籠だった。三階建ての木造で、逗留客も奉公人たちも寝静まっているよう。しかし情報が確かなら、この中ではおぞましい宴が開かれているらしい。

すっかり日の暮れた空から、気味の悪い風が降りてくる。生暖かく絡みついてくる感覚は、まるで髪の毛のよう。宗介は知らず、腰の物に手をかけていた。武士の魂、刀である。まさかあやかしを斬ることになろうとは……。宗介はそう思って、ぶるりと身を震わせる。これは恐怖ではない、自らにそう言い聞かせて傍を見れば、7名の同行者がいた。
宗介を含め、彼らは浪人である。擦り切れた着物を着て、その日の量食にも困っているような風貌であるが、眼だけは闇の中でもギラギラと輝き、携える刀だけは立派であった。

宗介はある家の三男坊。武家屋敷は持っているものの、藩の要職に付いているわけでもない家柄では、食いっぱぐれることはなくとも、自身のそこまでの出世は望めない。そこで彼は立身出世を志し、国元を出てきた。だが世は太平。戦場で手柄を上げるように、誰かを斬ればのしあがれるというものではない。そんな事をしては、捕らえられてしまう。
正しく刀で出世するには、藩の御前試合で剣の腕を見せれば良いのだが、そうそう流れの浪人が正式な御前試合に出させてもらえるわけもない。家を出る際に威勢良く啖呵を切ったこともあり、家には戻れない。このままではよくてヤクザもの、悪くて盗賊になるくらいしか道はないのだ。宗介は途方に暮れかけていた。全員がそうと言うわけではないが、同行の浪人たちも、事情は少なからず一緒である。

そんな時、彼らは声をかけられた。
声をかけてきた男は見るからに妖しい風貌の男だったが、連れていかれた屋敷がどこかを知って、宗介たちは肝っ玉が飛び出すほどに驚いたのである。そこは、この町の奉行所だった。

「この町にはあやかしたちが巣食っている。そいつらは夜な夜な人を捕まえては食らっている」

現れた奉行直々にそんな言葉を聞かされては、普段ならそんなものはいないと笑い飛ばす彼らでも、信じざるを得なかった。
奉行所の調べでは、そのあやかしたちの住処がこの「ぬら屋」という旅籠なのだと言う。だが、決め手となる証拠が見つからない。この旅籠は、実は近隣住民からの評判も高く、御用改めで押し入ろうものならば、住民たちの反発は免れないらしい。
そこでまずは浪人である自分たちが盗人を装って押し入り、証拠を見つける。証拠を見つけたのであれば、離れて待機している奉行所の面々に合図を送る。それまでにあやかしが襲いかかってくるようならば、容赦なく斬り捨てて構わない。見事あやかしを討ち果たすことが出来れば、褒美を与え、奉行所への奉公人として取り立てても構わないという話だった。
このままでは食うに困って盗人に落ちようとしていた宗介たちにとって、それに断る理由はない。奉行直々の依頼でもある。彼らは二つ返事で了解した。

彼らの計画としては、三、三、二人組で順に忍び込み、それぞれの階を襲撃するというもので、宗介は最後の二人組であった。

「じゃあ、裏口を開けてやるよォ。ちょいとお待ちよ殿方たち」
「うむ」
鍵開けが得意だという浪人が、慣れた足取りで戸に向かう。その堂々とした歩みは、盗人を装っても、武士であるからにはかくあるべし、と皆がみな、感心してしまうものであった。上衣に袴をはいて、上には羽織を羽織っている。歩くたび、後ろ頭で結って腰まで垂れている長髪が、優雅に揺れる。その隙間から覗くほっそりと白い頸(うなじ)に、宗介は見惚れてしまう。

「ほゥら、開いたよォ」

呼ばれる声に、宗介は我に帰る。今、自分は何を考えていたのだ。男の首元に見惚れてしまうなど……。そう思って頬を軽く張る。あやかしの住まう旅籠に押し入るという緊張感が、おかしな方に働いたのかもしれない。これはもしや、本当にあやかしが住まっているのかもしれない。宗介はそう思う。
あやかしであるからには、きっと妖術を使うだろう。妖術には妖気がつきものだという話を、戯作本で読んだことがある。いくら奉行からの依頼であるとしても、やはりあやかしなどというものの存在には半信半疑ではあった。だが、こうしたおかしな感覚を抱くからには、信憑性が高まろうと言うもの。

「それでは、参る」「参ろうぞ」「参りもうす」

最初の組が、芝居がかった口ぶりで言う。彼らも緊張し、そしてそれ以上に、奉行から依頼されたあやかし退治という題目で心が昂ぶっていた。彼らも宗介同様に、元は屋敷住まいの武士の子息。戯作を読めるほどには裕福であっただろう。
「三名さま、ご案なァーい」
そうやって囁くのは鍵を開けた浪人で、奇妙な応答だが、きっとそれは何か戯作の台詞なのだろう、と宗介は納得する。
(彼はどんな戯作が好きなのだろうか)
趣味合うならば語り合いたいと、なぜか緊張感が緩む宗介は、ふとその浪人と目が合う。
切れ長の瞳に肌は白く、線の細い輪郭を描いている。自分を見ている宗介に気がつくと、少しだけ驚いたような、嬉しそうな色を瞳に浮かべた。婀娜っぽい流し目を送りつつ、艶やかで赤い唇を、ニュッと吊り上げてくる。
宗介に男色趣味はないのだが、そこらの遊女でも見ないくらいの、艶やかとも言えるその仕草に、宗介の背筋はぞくぞくと粟立ち、魔羅が飛び上がりそうになった。
(いかん……)
自分は大分おかしくなっているようだ。宗介は思わず音が鳴るくらいに自分の頬を張り、他の浪人から小突かれてしまった。鍵開けの浪人を見れば、袖で口元を隠して笑っているようだった。
笑われているというのに、宗介はなぜか悪い気はしなかった。



最初の組は上手くやっているようで、旅籠の中からは悲鳴も、物音一つ聞こえてこなかった。その上首尾を見て、次の三人組が旅籠に入る。
「参る」「参る」「応ッ!」声が大きすぎるだろう、と咎めたくなるような掛け声で、先ほど宗介を小突いた男も入っていく。
「三名さまお代わり入るよゥー」
鍵開けの浪人が、愉快とも言える調子で囁く。
(次が自分の番だ……)
宗介は気を引き締めて刀の柄を撫でる。宗介はもちろん人を斬ったことはない。あやかしであれば尚更である。宗介は旅籠を見る。最初の組も次の組も、上首尾に進めているようで、不思議なくらいに物音は聞こえてこない。宗介は手のひらがじんわりと汗をかいていることに気づく。
(俺は怖気付いているのではない。武者震いに震えているだけなのだ……)
心の中でそう言って、宗介は頃合いを待つ。

と、ふにゃん。
宗介は右腕に柔らかいものを感じた。見れば、鍵開けの浪人が、宗介の腕を抱えてしがみついていた。男にしては柔らかく華奢なその感触に、含み笑いを持って見上げてくるその美貌に、宗介は一瞬、こいつを抱えて逃げてしまおうかという誘惑に駆られる。だが、すぐに自分がトンデモないことを考えていたことに気づいて愕然とする。
(一体俺はどうしたというのだ……)
宗介はゆるゆると頭を振り、しがみついてくる相手に口を開く。

「何をしている。まさか怖気付いたのではあるまいな」

宗介の言葉に相手は一瞬キョトンとするものの、すぐに艶やかな含み笑いを浮かべる。
「それはこっちの台詞さァ。あんたこそ怖気付いたわけじゃあないだろォねェ。せっかくあたしが同伴するんだから、もっとしゃっきりしてくんなきゃイけないよゥ」
「ふん、誰にものを言っている。俺は梅木家の三男、梅木宗介だ。あやかし程度に怖気付くわけがない」
「へぇ、旦那は宗介ってェ名前なんだ。あたしは朔、素浪人の朔乃助さァ」
「朔乃助殿か……」
「おゥよ。良い名前だろォ?」
「ああ」
男の名前であることに、宗介は若干の気落ちをした。
(何を残念がっているのだ俺は……。朔乃助殿から伝わる感触が、まるでさらしで潰した女子の胸の感触のようであっても、彼は男なのだ……)
そのような感触を実際に味わったことなどあるはずもないが、朔乃助の感触を言い表す単語を探せば、今まで何度も夢にまで見たその感触がピッタリ当てはまるというだけのことだった。

「人の趣味に口を挟む気はないが、時と場所をわきまえよ」

「俺にそんな趣味はない」宗介はむっつりと反論する。が、朔乃助が笑う。
「あははァ、あたしは構わないよ。このままふけちまって、表からこの旅籠に入って、朝までしっぽりと……」
「朔乃助殿……そのような冗談はおやめいただきたい」
「おぅ、悪ィ悪ィ……」そう言いつつも、朔乃助に悪びれた様子はない。
「まったく……緊張感のない……」
宗介と朔乃助の緊張感のないやりとりに、宗介と二人組に割り振られた浪人(名前を吉蔵と言っていた)がため息をつく。だが、彼らも武士の端くれ、「さて」と気を取り直せば、目つきも鋭くなる。

「そろそろ頃合いだな」

「おう、参ろうぞ」「参る」
「二名さまお代わり〜。でも片方はあたしのだかんなァー」
気持ちを切り替えた二人の耳に、朔乃助の相変わらず緊張感のない声が届く。だが、彼らは無視することにした。前の組がうまく言っていようとも、自分たちの組は”一人少ない”のである。油断して自分たちがヘマを打つことになれば目も当てられない。宗介はギュッと丹田に力を込めると、朔乃助を右手にしがみつかせたまま、裏口の戸を抜けるのであった。



旅籠「ぬら屋」の中は静かだった。先に入った浪人たちの物音も聞こえない。二人とも夜目が利く。暗い廊下が軋む音を立てないように、用心して進む。

「これは……香を焚いているのか?」
「そのようだな……。甘ったるい匂いだ」
宗介と吉蔵が微かな声を交わす。
「これはねェ、舶来ものの香りなンだ。悲鳴草(マンドラゴラ)の根を乾燥させたものを焚いているのサ」
腕にしがみついている呑気な朔乃助の言葉に、宗介は咎めることもなくただ感心した。「朔乃助殿は詳しいのだな」
「おゥ。なんせ、この香りは魔羅が元気になるからねェ」
「魔……(んぐぅ)」
思わず大きな声をあげそうになって、宗介は慌てて口を抑える。あろうことか、朔乃助はネットリとした吐息で、耳元で囁いてきたのだ。息がかかった箇所が火照っている。

「朔乃助殿……、ふざけるのはやめていただきたい。ここはすでに敵地、どこからあやかしが飛び出してくるのか分からぬだから」
「へェ、あたしの心配をしてくれてるんだ。嬉しいねェ」
「べ、別に貴殿の心配をしたわけでは……」
「しっ」もう一人の浪人が宗介たちを止めた。
後世ならツンデレ、とでも言われそうな台詞を吐いた宗介は、申し訳ない気持ちになる。朔乃助には自分の呼吸を乱されてしまう。ここは気を引き締めなくてはならない場であるのに……。なにせ、自分たちは前の組よりも一人少ない……。
(ん……? 一人少ない……?)
そこに違和感を覚えた宗介だったが、もう一人の浪人が彼らを止めた理由に気づいて、その先を考えることは出来なかった。

「んっ……んっ……、ぁ、ハンッ」
「ぅん、おっ……、ぉッ……」

聞こえてきた音は、男女が睦み合う濡れ音だった。パンパンと肉がぶつかる音に水音が混じり、宗介は体が火照るのを感じてしまう。そうして、先ほどよりも鋭く、右腕にしがみつく朔乃助の感触を意識してしまう。
「おぅおぅ、やってるねェ」朔乃助のニンマリとした声。
「ふん、この旅籠があやかしの巣だとも知らず、呑気なものだ」吉蔵が吐き捨てる。「だがまぁ、好都合ではあるな。俺たちも忍びやすくなる」
「ああ」
宗介はなんとか平静を装って応える。再び歩みを始めるが、徐々に大きく近づいていく情事の音に、心臓の鼓動は否応なく高まっていく。しがみついてくる朔乃助が柔らかい。いつしか香の匂いだけではなく、朔乃助の髪の匂いまで宗介は感じ取っていた。まるで春に咲く花のような、朗らかな香りである。
(いかん……。どうしたのだ俺は……)
そろそろと相方の後をついていく宗介は、自分の体の変化を必死で抑えようとしていた。

と、廊下を曲がった時だった。
ーー仄かな明かりが漏れていた。

「ふぅん、好き者だな。明かりをつけたままふけっている。もしくは遊女でも呼びつけたか……」自然に覗こうとする吉蔵に、宗介は呆れそうになる。が、覗き込んだ彼の顔がさぁっと青ざめたのを見て、思わず刀に手をかけた。
「おやおやァ? なぁにを見ィたんだぁい?」朔乃助の愉しそうな声がする。
ふっふっ、と相方の浪人は、血走った目を見開いて浅い息を吐いていた。彼の様子に、宗介も同様の息を吐く。
情事の声が聞こえている。女の喘ぐ声に、男の果てる声。だと言うのに、女はまだまだ喘ぎ、男は懇願するような呻きを上げ……、情事は続く。

「宗介……。合図をあげろ」
相方の押し殺した声に、宗介は身を硬くする。
「もはや証拠を見つけるまでもない。これは……」
彼はすでに刀の柄に手をかけていた。腰を落とし、一息で斬りかかれるように態勢を整えている。そうして、一気呵成に飛び出す。

「ぉおおおお!」
「おぉッ、飛んだ!」朔乃助はやはり呑気な声を上げる。
女の甲高い悲鳴が上がった。彼は何かを切り捨てたのだろう、と宗介は思う。”何か”とは、あやかしに決まっている。
「イっちまったねェ、くくく」
愉快そうな朔乃助の手を振りほどき、宗介は外に続く戸を一気に蹴り破る。
「あーあ、体で弁償してもらうよォ、ったくゥ……」
嘯く朔乃助をほっぽいて、宗介は懐から火打ち石を取り出し、狼煙玉に火をつける。この合図を送れば、奉行所の面々がここに押し入る手筈になっている。宗介はそうしておいてから、吉蔵の踏み込んだ部屋に押し入る。

「なっ……」
宗介はそこで目にしたものが信じられなかった。いたのは、仰向けになった男と、その上に倒れこむ女。情事の最中に斬り伏せられた光景である。だが、異常な光景、女はまぎれもなくあやかしであった。女の艶かしく長い髪は、男に、まるで何条もの蛇のように絡みつき、男の体を封じていた。
女はそうして縛り上げた男に跨り、精を吸い上げていた、と言うことらしい。

「先に入った奴だ。チッ、まんまとやられおって……」
吉蔵が忌々しそうに吐き捨てる。宗介が覗き込めば、確かに見覚えのある顔であった。しかし、その顔はこの旅籠に入る時の厳しい顔つきではなく、破廉恥に緩んだ顔である。男はその顔のまま、身体中に髪が巻きつけられ、ピクリとも”動けない”。
「奴(やっこ)さん、あやかしの中は相当よかったと見える」吉蔵は警戒を解かず、”血の付いていない刀”を構えたままであった。宗介は何かに違和感を覚える。

だが、
「あんたも試してみるかィ?」
宗介の違和感は朔乃助の声で断ち切られた。

「馬鹿を言うな」宗介は相方に習って刀を構えつつ、朔乃助に応える。朔乃助を庇うように立つ。
「あぁ、守ってくれるんだねェ。まるでお姫(ひい)さんのようで、悪くない気分だ」
「だ、だから馬鹿を言うなと」
狼狽える宗介に朔乃助がくくくと笑い、それで宗介の違和感はどこかへ霧散してしまっていた。
と、突然。部屋の襖が一斉に開く。
その向こうにいたのは……、
「しゃれこうべ……」
「あやかしの巣か……」
「またの名を愛の巣サ」
宗介と吉蔵は、朔乃助に構わず刀を構える。宗介は刀を立てて体の右に構える八相構え、吉蔵は中段の構えの切っ先を少しだけ右上にあげる正眼の構えである。彼らは数人のしゃれこうべ、海の向こうではスケルトンとも呼ばれるあやかしに囲まれている。しゃれこうべたちは熱っぽい視線を二人に向け、朔乃助には羨ましそうな視線を向けていた。

「来るぞ、宗介殿、下手を打つなよ」
「それはこちらの台詞だ。貴殿も、生きて帰るぞ。朔乃助殿、俺の後ろから離れぬよう」
「おぅ、ちゃあんと守ってくれよな」朔乃助がまんざらではないという顔をする。
それが合図となったのだろうか、しゃれこうべたちは朔乃助に向かって飛びかかる。
「くっ、そこを狙うか……」宗介が応戦する。
「あんたら、今本気だったろ……」朔乃助はしゃれこうべたちにジト目を向ける。

「ハッ! やっ、とぅ!」「いやぁあああン!」「きゃん!」
吉蔵が、襲いかかって来るしゃれこうべたちを斬り伏せていく。彼女たちが骨だからだろうか。全く血が出ることもなく、ただ嬌声を上げて倒れ伏していく。宗介も吉蔵に負けないようにしゃれこうべたちを斬り伏せていく。
「やれェ、そこだ! そいつは尻の方が弱ェんだ!」
朔乃助の助言とも言えない声援に、宗介は不思議な力が湧いている気がした。これが誰かを守ろうとする力なのか、と戯作好きの彼は自分に酔ってもしまう。

やがて立っているのが宗介たちだけになり、彼らは一息をつく。
「こんな有様では、先に入ったやつらは全滅しているだろうな」
「ああ、みぃんな残らずイってるはずサ」
朔乃助の言葉に、宗介は肩を落とす。この旅籠に忍び込むだけの付き合いではあったが、一時でも仲間とした彼らが討たれた。そこに宗介は若干の寂しさを感じなくもないのである。

「ふん、分け前が増えるだけいいだろう。死んだのは死んだ奴が悪い」
吉蔵のその言葉には、武士である宗介も同意はする。だが、喜べる気分ではないのは確かであり、口ではそう言いつつも、吉蔵の方も宗介と同じ気持ちではあるようだった。だが、そうした気分に浸ってばかりではいられない。

上階から響いてきた、巨大な蛇が這いずるような音に二人は顔を硬ばらせたのだ。ガサガサと、大きな虫のようなものが這う音も聞こえる。ズシン、ズシン。ガチャガチャ、ワチャワチャ。
力強く四股を踏むような音に、ちょうど、傘や提灯が擦れあったような音もする。
「化け物屋敷が本性を現したか……」
「これほどの気配を隠していたとは、妖術を使っていることは間違いがない」
二人の浪人の、刀を握る手にも力が入る。
そんな二人を、朔乃助がニヤニヤしながら眺めている。

「行くか」「応!」
「「武士道とは死ぬことと見つけたりッ!」」

二人は叫ぶと走り出した。もはや忍ぶことに意味はない。今ならまだ引き返せるかもしれないが、宗介は朔乃助にそんな情けない姿を見せたくないとも思う。なりふり構わずあやかしを切り捨て、彼を守り通して奉行所の面々を迎える。宗介は腹を決め、懸命に薄暗い廊下を蹴った。
上に登る階段から明かりが漏れている。その灯りの出所は、腹に灯りを入れ込んだ少女だった。

「提灯おばけとでも言うべきか……可憐な少女だが、あやかしと分かっていれば斬るのみ」宗介は階段を一足飛びで駆け上がり、横薙ぎに彼女の胴を払う。
「やぁああん! やーらーれーたー」
嬌声を上げて、愉しそうな顔で、ワザとらしく飛んでいく提灯おばけの少女。彼女の腹の灯りは、斬られて倒れたと言うのに、むしろ明々と強く燃えたっている。
「可憐だなんて、浮気かィ?」拗ねたような朔乃助の声。
だが、宗介に弁明する暇はない。それは、真っ青な肌の女鎧武者が切りかかってきたからである。

「はっ!」裂帛の気合とともに宗介は彼女の刀を受ける。そのまま右回転に振り返りざまに彼女の首を狙う。宗介の刀は彼女の首を”通り抜けた”。
「あへぇええ……」女武者は膝から崩れ落ち、だらしなく白眼をむいて舌を出していた。股間のあたりが濡れている。
(今、首を飛ばしたはずだが……なぜくっついているのだろうか……。それに血も出ていない……)宗介はここに至ってようやく自分の違和感に気がつく。だが、あやかしだからか、と思うことで納得することにした。
あやかしたちはワラワラと出てきて、獲物の品定めをするような目で宗介たちを見つめている。余計なことを考えている暇はない。”奉行からもらったこの刀”には、あやかし払いの秘術がかけられている、と言うことかもしれない。

「トォ!」吉蔵が下半身がムカデになった女に斬りかかる。
彼女はムカデの足爪で彼の刀を受け止めた。
「百(もも)姉さんに向かっていった!?」「やべーよ、あいつ逝(イ)ったわ」
何やらあやかしたちの間に衝撃が走っているようだった。
「ハァッ!」「ふぅゥーッ!」
吉蔵が鍔迫り合いから半歩後ろに引き、引いた力をそのまま前進に転換する。ムカデの足爪の隙間を抜け、人間の女の体の部分、柔肌に向かって刀を通そうとする。だが、相手も敵ながらあっぱれで、体を最小に捻るだけ、彼の刀をムカデの甲殻で受けることに成功する。
金属と甲殻が重なる甲高い音が、火花を伴って女の美貌を照らす。

吉蔵はあまりの硬さに手が痺れたようだが、歯をくいしばって、刀を落とさないように飛び退る。そうしてすぐに構えなおしていた。
ムカデ女は少しだけヒビの入った自らの甲殻を見て、ニィイ、と頬を歪める。
「私の体に傷をつけるとは……。これは楽しめそうな殿方ですねェ……。人間にしておくことが勿体無いくらい……」
ヒタヒタと影が忍び寄ってくるような、昏い響きを持つ声に、仲間であるはずのあやかしたちがズザザ、と音を立てて引いていた。

「ま、まさか。姉さんあれをヤル気じゃあ……」
「やめてー! あれをやられるとお掃除大変なのー!」
なにやら舌の長いあやかしが涙目で訴えていた。
「問答、無用」
吉蔵に対してか、彼女(あかなめ)に対してか。ムカデ女の体に禍々しい紫の紋が浮かんだかと思うと、彼女の口が開く。鋭い牙からは唾液が糸を引き、彼女は大きく息を吸い込むと、紫色の霧を吐く。

「いやぁあああ!」
あかなめの絶叫が響く。

見るからに毒と分かる霧が、天井や床、部屋の障子紙に紫のシミを作っていく。
「あ、あ、あ。この前やっと舐めきったばかりなのに……」愕然とする彼女は、切られてもいないのに膝をついていた。
吉蔵は迫り来る紫の毒霧に、顔をしかめ、逃げ場のないことを知ると、宗介に目線を送る。その目は雄弁に、あとは任せたと言っていた。

「いかん!」「御免!」

宗介が引き止めるも、彼は毒霧に真っ向から飛び込み、羽織で散らし、ムカデ女の心の臓へ、一直線に刀を突き入れた。ムカデ女は末期の快感に体をわななかせ、だが、飛び込んできた男をムカデの体でしっかと抱きとめると、その首筋にかぶりつく。
「ぅん、うぐぐぐぐ……」吉蔵が呻く。
「吉蔵!」「野暮はいけねェよ」「朔乃助殿……」
思わず助太刀しようとした宗介は、朔乃助に袖を引かれて止められた。

ムカデ女の体の毒紋が明滅し、それが消えるとともに、吉蔵はガックリと首を垂れていた。彼女の毒で果てたのだった。
「うふふふふ、手を出したらダメですよ……この方は私のもの……」
ムカデ女はそれをあやかしたちに言うと、彼女も限界だったのだろう、男を抱いたまま、その場にバタァンと倒れてしまった。

「いや、ねぇ。姉さんから奪えるわけないよねぇ……」「あーあ、あいつはもう朔姐のものだし、失敗したぁー!」
あやかしたちが思い思いにさえずるが、宗介は刀に力を込めて肩を怒らせる。
「おのれぇ……、敵討ちだ!」
宗介は激情に駆られて大きく刀を振りかぶる。

が、
「ほい、膝をかっくん」
朔乃助の呑気な声とともに、膝が折れた。「何……?」宗介はわけも分からず仰向けに倒れてしまう。上に、ニマニマとした朔乃助の顔が見えた。
「朔乃助殿! 何をふざけて……」
驚きに目を見開く宗介に朔乃助が悪びれもせずにのたまう。「いやいや、あたしは至って大真面目さ。あたしほど真面目が服着て歩いているような奴はいないよゥ」そうしてクツクツと笑う。

その時、にわかに階下が騒がしくなる。
「やぁっと到着かい。ほゥら、みんな。団体客の到着だ。存分にもてなしておやりよ。こいつらと一緒で、”刀は魔界銀性のものにすり替えてある”が、あたしがずぅっと憑いてた浪人さんたちと違って、万が一ってェことがあるから、油断はしちゃあけないよ」
「はーい」と、朔乃助の言葉にいい返事をするあやかしたち。
その親しげな様子に、宗介は愕然とする。
(まさか、朔乃助殿はあやかしの仲間……)
そうして気がついた途端、今までの不審な点にいっぺんに気がついてしまった。

(最後の組は、吉蔵と俺の二人だけだったはずだ。朔乃助どのを加えては三人になってしまう。なぜ……、なぜそんなことに気がつかなかったのだ……。それに、この刀は、奉行さまから直接もらったわけではなく、そうだ、朔乃助殿からお奉行さまから、と言って渡されていた……!)
これは、あやかしたち、朔乃助たちによる自分たちへの罠だった。それを思い、宗介はいたたまれなくて仕方がなくなった。
(それなら、あの時の奉行所は妖術にようる偽物? 奉行所の助けは来ない……。いや、それなら下から登ってくるのは誰だ? 俺は、何を呼び寄せてしまったのだ……!?)

恐ろしさに体を震わせる宗介だったが、現れた集団を見て、ますますわけが分からなくなる。その相手というのは、来ないはずの奉行所の面々だったからである。
その先頭には、まぎれもないお奉行の姿があった。
しかし宗介はすぐに気を取り直す。
「お奉行さま、恥を忍んで頼みます。お助けください。こいつらは皆あやかしです。ここはあやかしの巣でした」
いくらあやかしと言えども、奉行所の手練れに敵うはずがない。宗介は期待を込めて奉行を見るが、返ってきたのは邪悪な笑みであった。
奉行が声を張り上げる。

「者共! ここには人間はおらぬ、すべてはあやかし、引っ捕らえなくてよい。すべて斬り殺せ!」

「お奉行さま……、何を……」
確実に自分のことも殺せと言っているお奉行の言葉に、宗介は何を信じていいのかが分からなくなる。自分はあやかしではない。それは、自分たちにこの旅籠の内定を依頼してきたお奉行なら知らないはずがない。

「くくく、気持ちのいい悪党っぷりだねェ」
宗介を見下ろす朔乃助が、やはり愉しそうに笑っていた。

「混乱したまんまのあんたに、簡単に言ってやるとだね。こいつらはあんたらを使って、あたしたちがあやかしだと証拠を掴ませ、もしも証拠を掴んだのなら、あんたらごとこの旅籠のあやかしを全部殺して、儲けを分捕っていこうとしていたのサ。
流れの浪人を使えば、証拠を掴めずそのままのたれ死んでも構わない。成功しても失敗しても、そうして全部の罪はあんたらになすりつけ、成功した時には、奪った金はすでに仲間の賊が運び出していた、とお上には言い張るってェ塩梅さ」
「そんな……お奉行、それは本当なのですか」
「あやかしが喚いておるようだが耳を貸すな! ワシらが貸すべき声は、法と金だ!」お奉行の声に、配下がぞろぞろと階段を登ってくる。

「ああ……お奉行が、そんなことを……。そのために俺以外が死んで……」
「おゥ、イッち待ったなァ」朔乃助がニタニタと笑う。そうして問いかけてくる。

「なら、お前さんはどうする?」

宗介は自分を覗き込んでくる朔乃助の瞳に、自分の情けない顔が写っていることに気がついた。朔乃助に、情けない姿を見られている。お奉行の所業は許せない。だが、それよりも情けない姿を朔乃助にみせることの方が、どうしても許せないことだった。
宗介は拳を握り締める。「……許さん」

「くく、許せんのはあやかしとお奉行のどっちだ?」

「両方だ。だが、今はお奉行の方が許せん」

「それならどうする?」

「斬る」

宗介の声に、朔乃助が強く息を吐いた。

「ハッ! よぅく言った。安心しな。お前の仲間たちは、あたしらあやかしも含めてだぁれも死んじゃあいないよ。みぃんな、ちこーっと気持ちよくなってぶっ倒れてただけさァ」
「え……」
口をポカンと開ける宗介を、朔乃助がグイと手を引いて立たせた。それを合図に、床板を破って何かが下から飛び出してきた。まるで山津波のように長い毛を波うたせる毛娼妓の毛に、死んだと思っていた仲間の浪人がしがみついていた。

「お主、生きて」
「いいや、殺されてしもうた……。俺は天国におった」
恥ずかしげに頭を掻く彼だけではない。他の浪人たちも、何やらそれぞれのあやかしに伴われて現れた。彼らの仲睦まじそうな姿を見れば、ナニがあったかは察せようと言うものだ。
「お主たち……手篭めにされたのか」
宗介の言に朔乃助は吹き出し、笑った涙を拭いながら問いかける。「これで、あやかしへの恨みはないってェもんだろォ?」
驚くやら嬉しいやらで目を白黒させる宗介に、朔乃助が背中で語る。彼はいつの間にか左手にキセルを持っており、それは、いたくサマになる格好だった。
彼は、いや、彼女は羽織を脱ぎ捨て、右腕を着物の袖から抜いて、さらしを巻いた胸元と右腕ををあらわにする。そこには、艶やかな夜桜の刺青(すみ)が入っていた。
流れる黒髪に、咲き誇る夜桜。
宗介はその艶やかな美しさに、彼が彼女だったことへの驚きなど忘れ、ただ見惚れてしまった。

「金に目がくらむのもいいけどねェ。金にならない夜桜見物ってぇのも見ものだとは思わねェかい?」
「フン、そんなもの、燃やしてしまえばいい」お奉行が吐き捨てる。
「あーあ、これだから風情を感じない輩は困る。あんたのお屋敷に厄介になってた時、何度そのたるんだ腹を引っ叩いてやろうと思ったことか」
「何を分けの分からないことを言っておる」
お奉行が手でかかれと合図する。ついてきた彼の配下たちは、それぞれ刀を手にあやかしたちを狙う。
「朔乃助殿!」宗介が叫ぶが、朔乃助は手にしたキセルで刀を受けると、それを絡め取って放り捨てる。そのままキセルでカン、と相手の頭を叩く。と、相手はそのままんま倒れてしまった。

「中身が入ってねェといい音するねェ。こいつは魔界銀の刀だから受けても大丈夫なんだけど、あんたに喘いでやる義理はひとっつもねェな」
くくく、と笑うと、彼女は左手のキセルを吸い、夜桜の咲く右肩ごしに、首だけを傾ける。

「ああ、そうだ。宗介旦那、あたしの名前は朔乃助じゃあねぇ。素浪人の朔乃助は世をしのぶ仮の姿。しかしてその実態はーー、あやかし旅籠「ぬら屋」の女主人、ぬらりひょんの櫻良(さくら)ってェもんサ。旦那には優しく呼んでもらいたいねェ」
「櫻良どの……」
名前を呼ばれて櫻良はくくくと笑う。それは刺青(すみ)の夜桜よりも美しく、彼女こそが、まさしく夜に映える櫻の花だった。
彼女は艶やかに、凛として見得を切る。

「さァて、今宵はとう旅籠『ぬら屋』に置いでいただきありがとう存じます。
お奉行様がたのご来店、誠に、心から歓迎するねェ。
あたしらの”おもてなし”を、心よりご堪能くださいますよう、誠心誠意、尽くしてやんヨ」

ーーあんたら、やっちメェな。

櫻良の声を聞くやいなや、あやかしたちはお奉行の一行を精一杯に”もてなし”にかかった。
「なっ……んぐむむむ……」好き者の一反木綿がお奉行に巻きついた。
ねこまたたちが侍の股の下を駆けては下の球を弄ぶ。うしおにが男を乳で吹っ飛ばし、鬼が投げ飛ばす。しゃれこうべが踊り、狐火が飛び交う。
しっちゃかめっちゃかで一方的な百鬼夜行絵巻に、宗介は頬をひきつらせるしかできなかった。

「よぅ旦那。黙ってて悪かったな。お奉行たちがウチを狙ってるって聞いたんでね、チィと協力してもらったのサ」
百鬼夜行を背に、近づいてきた櫻良が悪びれもしない顔で笑う。
「櫻良どの、あなたは戦わないのか?」
「あったりまえだろ? 主ってぇもんは、子分を焚き付けてナンボだ。焚き付けた後は、踏ん反り返って信じて眺めてりゃあいい。もう、あたしのお膳立ては済んだ。ここで手を出しちゃあ、むしろ野暮ってェもんサ」

彼女の先ほどのキセル裁きを見れば、様々な小細工を労せずとも、一人で力技でねじ伏せられそうなものだったが、なるほど、いけしゃあしゃあと乱痴気騒ぎを眺めてキセルをふかしているこの姿の方が、サマになる、と宗介は思う。
彼女という夜桜よりの周りであやかしたちが踊る。その様に、宗介はポツリと漏らしてしまう。

「これでは、初めっから俺らに勝ち目などないではないか」

「そうかねぇ、どうだろうねェ」
のらりくらりとした返事とともに、櫻良が宗介にしなだれかかってくる。
「櫻良どのッ、その、当たって、女子がはしたない」
晒しを巻いているとは言え、先ほどよりも感じる女の柔らかさに、彼女の花の香りが鼻腔を刺激する。宗介は櫻良を見ることができなかった。だが、櫻良はとんでもないことを言ってくる。
「くくく、なぁにを言ってるんだ。あたしらは夫婦になるんだろう」
「は、え? 夫婦……?」宗介は耳を疑う。そんな彼の様子に、櫻良は拗ねてみせる。
「おやぁ、もらってくれなィのかィ? あんなに激しくしておいて、用が済んだらポイッてのはひどい男だねェ」
「いや、俺はそんなことはしない。そもそも櫻良どのに何もしては……」
「本当に? 舐めるように見ていたじゃないか。あたしを男だと思いつつ」
「気づいて、って、いや、そんな目では見ていない……」
「あーあ、悪い男だ悪い男だ。あたしを抱いたのも忘れたんだ」
「いや、抱いていな……」

(あれ? どっちだ?)

宗介は櫻良にまくしたてられて、何が真実で何が真実でないか分からなくなってきた。彼女は本当のことを言っていないのかもしれないが、嘘も言っていないと思う。

「う、うむむむむむ」
混乱した宗介は、唸り声を上げてしまう。
櫻良は愉快そうに見て笑っている。

「いいサ、あたしはあたしの好きにする。だからサ、旦那もあたしを好きにしな」
「それはどう言う意味……んむっ」
宗介は櫻良に口を吸われ、二の句を継げられなくされてしまう。
「武士道とは死ぬことと見つけたり、って言っていたじゃあないか。今死なずに、いつ死ぬってんだい」

(そうか、俺は彼女と言うあやかしに殺されてしまったのだなぁ……)
宗介はしみじみとそう思ってしまった。ぬらりひょんである彼女に目をつけられてしまっては最後、人間としてはもはや生きられない。あやかしの伴侶として、こっち側で生きていくことになる。
宗介は観念して、彼女の肩に手を置く。

のらりくらりと咲き誇る夜桜が、百鬼夜行を見ながら、隣の男にしなだれかかる。
ーー枝垂れ桜の夜桜見物ってェな。
18/01/23 22:24更新 / ルピナス

■作者メッセージ
櫻良「ま、お奉行に囁いて唆したのは、何を隠そうあたしなんだけどねェ。これでお奉行所もあたしの手のうちさァ」
宗介「この、鬼、悪魔、ぬらりひょん!」


私は、ぬら姐さんの特性を、認識阻害、認識すり替えの能力と解釈しております。ですので、私のぬら姐さんのイメージは、一連のこんな感じなのでございます。

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