少女と駄菓子屋
カンカン照りの砂利道を、一人の幼い少女が歩いていた。
ジーワジーワと、蝉時雨がひっきりなしに降っている。彼女の他には人っ子一人見かけない。このような炎天下の真っ昼間に、誰も外に出たくはないのだ。この辺りで見かけるはずの野良猫たちすら姿を見せない。
どこか木陰に身を隠したいが、先ほど触った石造りの塀は、火傷するかと思うほどに熱かった。彼女は帽子だけで日差しを防ぎ、彷徨うように歩く。その目はすでに死んでいた。
蜃気楼のような家々が、陽炎に滲んでいる。
それは、彼女の姿をも滲ませていた。
陽炎に揺らいで、少女の姿には魔物娘の姿が重なったように見えた。頭には山羊の角、両手両足は獣のもの。それは彼女の正体であるバフォメットの姿である。しかし、それはすぐに、ふぅと陽炎の向こうに消えてしまう。
歩いているのは、ただの人間の姿をした、可愛らしい少女である。
カッと照りつける太陽は、彼女の小さな影を、砂利道に刻みつける。
微笑ましく魅入らずにはいられない少女の幼い顔は、暑さのために舌を出して歪められ、ふっくらとした輪郭を、汗が次から次へと流れ落ちていた。剥き出しの鎖骨を滴って、肩紐で吊り下げただけのキャミソールの中、微かに膨らむ胸元へと落ちていく。
幼いながらに、汗とともに、官能の兆しが萌えたっているよう。
緩やかな曲線を描く、生木のような足を懸命に動かして、彼女は駄菓子屋へと向かっていた。山羊のキャラクターの顔のポーチも、心なしか苦しそうである。
あまりの暑さに耐えかねた彼女は、母からもらったお小遣いで、アイスでも買おうと思い立った。
しかし。
「あっついのじゃあ……。これだったら、家で氷でもかじって扇風機に当たっていた方がマシじゃった。この国の夏がこんなにも暑いとは思わなんだのぅ。うぅ……。サボりなどせず、ちゃんと魔法の勉強をしておくべきじゃった……」
まるで砂漠の放浪者のように、彼女は肩で息をしつつ、ふらふらと歩いていた。
彼女の横をトラックが行き過ぎていく。溺れるような湿気のせいで、砂埃は立たないが、恐ろしい熱風が彼女に襲いかかる。
「あっつう!」彼女は剥き出しの細い肩を抱き、ぷるぷると泣き出しそうな顔をして……壊れた。「…………ぐむ。ぎょあああー!」
彼女は奇怪な叫び声をあげて走り出した。
歩いとる場合ではない。ワシのか弱い水分が全て出て行ってしまうわ! 彼女はあたりの目も気にせず、なりふり構わずに駆けた。とはいえ、幸か不幸か、あたりには誰もいない。
誰か、助けてください!
たとえそんなことを言ったところで、誰も助けてくれる人などいない。
それに、心優しいお兄ちゃんが助けてくれないだろうか。
そんな甘い期待すら、沸騰しそうになっている彼女の頭には浮かばない。肩紐がずり落ちて、薄い膨らみが見えかけていることにも気がつかず、彼女はサンダルをペタペタと響かせて、なんとか、駄菓子屋にたどり着いた。
「おやおや、大丈夫かい」
駄菓子屋のおばあちゃんは、手を膝について肩で息をする少女を驚いた顔で見た。
屋根があるだけで随分と涼しい。古い扇風機が、軋んだ音を立てて首を振っている。暑苦しい蝉の大合唱とは違って、懐古的な涼しさをもたらしてくれる。
「大丈夫、なの……じゃ」
まるっきし大丈夫ではない様子で彼女は言った。キャミソールがビタビタになって幼い肌に張り付き、胸のフリルがなければ、きっと乳首が透けて見えていたことだろう。顎の先から汗の雫が一つ、コンクリートの床に落ちた。
おばあちゃんは、「ちょっと待っててね」と言って、奥に引っ込んで行った。柔和な彼女の微笑みに、少女は軽く微笑んで応えた。
「ありがとうなのじゃ」
「おかわりもあるからね」
少女はおばあちゃんから麦茶を受け取ると、一気に飲んだ。少女の細い喉がコクコクと動く。麦の香りと冷たさが、体全体に染み渡っていくような気がした。
日を豊かに受けた麦畑に逃げ込んで、その影の涼しさを味わっているよう。
「ふぅ、なのじゃ」
生き返った心地で、彼女は盆にコップを置いた。
「よくこんな日に来たわねぇ」
おばあちゃんは嬉しいような、困ったような顔で言う。おばあちゃんが店の外を見れば、陽炎に景色が滲んでいる。相変わらず、往来を歩く人通りもない。
少女はばつが悪そうに言う。
「アイスが食べたくなったのじゃ。……しかし、家で氷でもかじっておった方がマシであった」
「そうねぇ」とおばあちゃんは少女に目を細める。「それじゃあ、どのアイスにする?」
少女は低い電動音を響かせているクーラーボックスに目をやる。しかし、口をへの字に曲げた。
「今は気分ではなくなってしまったのじゃ……。この麦茶が一番美味しかったのじゃ」
「ありがとう。でも、それじゃあここに来てくれた意味がなくなってしまうわねぇ」
「いいや、ワシはこの麦茶を飲みに来たのじゃ」
少女が言えば、おばあちゃんは上品に手を口に当てた。
「うふふ」
「ふふふ、なのじゃ」
扇風機首を振る軋む音が、緩やかな時間を風とともに運んでくれた。
ふと見れば、一人の男の子が店に入って来た。
彼は少女と同じくらいの年代に見える。彼も彼女が入って来た時と同じように、膝に手をついて、全身で汗をかいていた。ぐい、と顎の汗を手の甲で拭った仕草に、少女は少しだけどきりとした。が、すぐに思い直したように、お盆の上に乗っているコップに麦茶を入れると、少年の元へ近寄った。
「どうぞなのじゃ」
「あ、ありがとう」
美少女に微笑まれてしまった少年は頬を染めながら、それを受け取ると、一気に飲み干した。少女はそれを嬉しそうに見ている。
「いい飲みっぷりじゃ。もっと飲むかの?」
「うん、ちょうだい」
「ふふふ、たっぷり飲むといいのじゃ」
そう言って彼女は少年のコップに麦茶のおかわりを注いでやる。
小さな二人の様子を、おばあちゃんは微笑ましそうな顔をして見ている。
「私の若い頃を思い出すわねぇ……」
ほう、と。枯れているとは思えない吐息が漏れた。
「お主は何か買いに来たのかの?」
少女が覗き込むようにして少年に尋ねると、少年は少しだけ恥ずかしそうに身をよじった。そして目を逸らしつつ、できるだけぶっきらぼうに言う。
「暑いからアイスを買いに来たんだ」
「おお、ワシもじゃ。ワシら、似たもの同士じゃな、くふ」
目を輝かせて笑う少女に、少年はさらに気恥ずかしそうにする。そしてばつが悪そうに
「でも、さっきの麦茶で、もうアイスの気分じゃなくなったよ」
そうしてポリポリと頬をかいた。
少女はさらに目を輝かせる。「おお、それも一緒じゃ」
少女が少年の手を握ってぶんぶんと振れば、少年の汗の香りがした。
「ちょ、ちょっと、おい」
少女は鼻を膨らませて、意気込んでいた。「じゃあ、ワシと遊ばぬか? 出会った男は逃してはならんと母も言っておった」
「え、……ええ?」
人懐っこい美少女に、彼はもう顔を真っ赤にさせてしまった。きっと彼は、彼女と遊んでみたいけれども、そんな姿を友達に見られたらどんな風に囃し立てられるかわかったものじゃない。そんな風にも思っているのだろう。
混乱している少年に、おばあちゃんが声をかける。
「そうなったらその子はもう聞きませんよ。大人しく上がって一緒に遊んでいったらいいわ」
その声にようやくおばあちゃんに気がついた少年は彼女を見て、驚いた声をあげた。
「ふ、双子……?」
見たこともないような美少女に手を握られて遊ぼうと言われただけでなく、彼女にそっくりな美少女がもう一人いた。夏の陽炎が見せた幻。それとも暑さで頭がおかしくなってしまったのではないか。
少年は自分が正常か、心配になってしまった。
しかし、自分の手を握ってくる、熱いくらいの少女の体温と、小さく柔らかな手の感触が、これが現実だと教えてくれている。
そうして惚けたように自分たちを見比べてくる少年を見て、少女と祖母は、顔を見合わせ、同じ顔で笑う。
「さあ、ワシと一緒に遊ぶのじゃ」
扇風機の軋む音が、まるで彼女たちのクスクス笑いのようだった。
ジーワジーワと、蝉時雨がひっきりなしに降っている。彼女の他には人っ子一人見かけない。このような炎天下の真っ昼間に、誰も外に出たくはないのだ。この辺りで見かけるはずの野良猫たちすら姿を見せない。
どこか木陰に身を隠したいが、先ほど触った石造りの塀は、火傷するかと思うほどに熱かった。彼女は帽子だけで日差しを防ぎ、彷徨うように歩く。その目はすでに死んでいた。
蜃気楼のような家々が、陽炎に滲んでいる。
それは、彼女の姿をも滲ませていた。
陽炎に揺らいで、少女の姿には魔物娘の姿が重なったように見えた。頭には山羊の角、両手両足は獣のもの。それは彼女の正体であるバフォメットの姿である。しかし、それはすぐに、ふぅと陽炎の向こうに消えてしまう。
歩いているのは、ただの人間の姿をした、可愛らしい少女である。
カッと照りつける太陽は、彼女の小さな影を、砂利道に刻みつける。
微笑ましく魅入らずにはいられない少女の幼い顔は、暑さのために舌を出して歪められ、ふっくらとした輪郭を、汗が次から次へと流れ落ちていた。剥き出しの鎖骨を滴って、肩紐で吊り下げただけのキャミソールの中、微かに膨らむ胸元へと落ちていく。
幼いながらに、汗とともに、官能の兆しが萌えたっているよう。
緩やかな曲線を描く、生木のような足を懸命に動かして、彼女は駄菓子屋へと向かっていた。山羊のキャラクターの顔のポーチも、心なしか苦しそうである。
あまりの暑さに耐えかねた彼女は、母からもらったお小遣いで、アイスでも買おうと思い立った。
しかし。
「あっついのじゃあ……。これだったら、家で氷でもかじって扇風機に当たっていた方がマシじゃった。この国の夏がこんなにも暑いとは思わなんだのぅ。うぅ……。サボりなどせず、ちゃんと魔法の勉強をしておくべきじゃった……」
まるで砂漠の放浪者のように、彼女は肩で息をしつつ、ふらふらと歩いていた。
彼女の横をトラックが行き過ぎていく。溺れるような湿気のせいで、砂埃は立たないが、恐ろしい熱風が彼女に襲いかかる。
「あっつう!」彼女は剥き出しの細い肩を抱き、ぷるぷると泣き出しそうな顔をして……壊れた。「…………ぐむ。ぎょあああー!」
彼女は奇怪な叫び声をあげて走り出した。
歩いとる場合ではない。ワシのか弱い水分が全て出て行ってしまうわ! 彼女はあたりの目も気にせず、なりふり構わずに駆けた。とはいえ、幸か不幸か、あたりには誰もいない。
誰か、助けてください!
たとえそんなことを言ったところで、誰も助けてくれる人などいない。
それに、心優しいお兄ちゃんが助けてくれないだろうか。
そんな甘い期待すら、沸騰しそうになっている彼女の頭には浮かばない。肩紐がずり落ちて、薄い膨らみが見えかけていることにも気がつかず、彼女はサンダルをペタペタと響かせて、なんとか、駄菓子屋にたどり着いた。
「おやおや、大丈夫かい」
駄菓子屋のおばあちゃんは、手を膝について肩で息をする少女を驚いた顔で見た。
屋根があるだけで随分と涼しい。古い扇風機が、軋んだ音を立てて首を振っている。暑苦しい蝉の大合唱とは違って、懐古的な涼しさをもたらしてくれる。
「大丈夫、なの……じゃ」
まるっきし大丈夫ではない様子で彼女は言った。キャミソールがビタビタになって幼い肌に張り付き、胸のフリルがなければ、きっと乳首が透けて見えていたことだろう。顎の先から汗の雫が一つ、コンクリートの床に落ちた。
おばあちゃんは、「ちょっと待っててね」と言って、奥に引っ込んで行った。柔和な彼女の微笑みに、少女は軽く微笑んで応えた。
「ありがとうなのじゃ」
「おかわりもあるからね」
少女はおばあちゃんから麦茶を受け取ると、一気に飲んだ。少女の細い喉がコクコクと動く。麦の香りと冷たさが、体全体に染み渡っていくような気がした。
日を豊かに受けた麦畑に逃げ込んで、その影の涼しさを味わっているよう。
「ふぅ、なのじゃ」
生き返った心地で、彼女は盆にコップを置いた。
「よくこんな日に来たわねぇ」
おばあちゃんは嬉しいような、困ったような顔で言う。おばあちゃんが店の外を見れば、陽炎に景色が滲んでいる。相変わらず、往来を歩く人通りもない。
少女はばつが悪そうに言う。
「アイスが食べたくなったのじゃ。……しかし、家で氷でもかじっておった方がマシであった」
「そうねぇ」とおばあちゃんは少女に目を細める。「それじゃあ、どのアイスにする?」
少女は低い電動音を響かせているクーラーボックスに目をやる。しかし、口をへの字に曲げた。
「今は気分ではなくなってしまったのじゃ……。この麦茶が一番美味しかったのじゃ」
「ありがとう。でも、それじゃあここに来てくれた意味がなくなってしまうわねぇ」
「いいや、ワシはこの麦茶を飲みに来たのじゃ」
少女が言えば、おばあちゃんは上品に手を口に当てた。
「うふふ」
「ふふふ、なのじゃ」
扇風機首を振る軋む音が、緩やかな時間を風とともに運んでくれた。
ふと見れば、一人の男の子が店に入って来た。
彼は少女と同じくらいの年代に見える。彼も彼女が入って来た時と同じように、膝に手をついて、全身で汗をかいていた。ぐい、と顎の汗を手の甲で拭った仕草に、少女は少しだけどきりとした。が、すぐに思い直したように、お盆の上に乗っているコップに麦茶を入れると、少年の元へ近寄った。
「どうぞなのじゃ」
「あ、ありがとう」
美少女に微笑まれてしまった少年は頬を染めながら、それを受け取ると、一気に飲み干した。少女はそれを嬉しそうに見ている。
「いい飲みっぷりじゃ。もっと飲むかの?」
「うん、ちょうだい」
「ふふふ、たっぷり飲むといいのじゃ」
そう言って彼女は少年のコップに麦茶のおかわりを注いでやる。
小さな二人の様子を、おばあちゃんは微笑ましそうな顔をして見ている。
「私の若い頃を思い出すわねぇ……」
ほう、と。枯れているとは思えない吐息が漏れた。
「お主は何か買いに来たのかの?」
少女が覗き込むようにして少年に尋ねると、少年は少しだけ恥ずかしそうに身をよじった。そして目を逸らしつつ、できるだけぶっきらぼうに言う。
「暑いからアイスを買いに来たんだ」
「おお、ワシもじゃ。ワシら、似たもの同士じゃな、くふ」
目を輝かせて笑う少女に、少年はさらに気恥ずかしそうにする。そしてばつが悪そうに
「でも、さっきの麦茶で、もうアイスの気分じゃなくなったよ」
そうしてポリポリと頬をかいた。
少女はさらに目を輝かせる。「おお、それも一緒じゃ」
少女が少年の手を握ってぶんぶんと振れば、少年の汗の香りがした。
「ちょ、ちょっと、おい」
少女は鼻を膨らませて、意気込んでいた。「じゃあ、ワシと遊ばぬか? 出会った男は逃してはならんと母も言っておった」
「え、……ええ?」
人懐っこい美少女に、彼はもう顔を真っ赤にさせてしまった。きっと彼は、彼女と遊んでみたいけれども、そんな姿を友達に見られたらどんな風に囃し立てられるかわかったものじゃない。そんな風にも思っているのだろう。
混乱している少年に、おばあちゃんが声をかける。
「そうなったらその子はもう聞きませんよ。大人しく上がって一緒に遊んでいったらいいわ」
その声にようやくおばあちゃんに気がついた少年は彼女を見て、驚いた声をあげた。
「ふ、双子……?」
見たこともないような美少女に手を握られて遊ぼうと言われただけでなく、彼女にそっくりな美少女がもう一人いた。夏の陽炎が見せた幻。それとも暑さで頭がおかしくなってしまったのではないか。
少年は自分が正常か、心配になってしまった。
しかし、自分の手を握ってくる、熱いくらいの少女の体温と、小さく柔らかな手の感触が、これが現実だと教えてくれている。
そうして惚けたように自分たちを見比べてくる少年を見て、少女と祖母は、顔を見合わせ、同じ顔で笑う。
「さあ、ワシと一緒に遊ぶのじゃ」
扇風機の軋む音が、まるで彼女たちのクスクス笑いのようだった。
17/09/24 13:44更新 / ルピナス