連載小説
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ナイトメア
(及川くん! 一緒に帰ろう!)
なんて、口に出さなくちゃ気づいてもらえるわけがないよね……。
もう何度目になるかもわからないため息をつく私の前を、意中の人は気づきもせずに通り過ぎていく。私は諦めてとぼとぼと、何気ないようすで彼の十メートル後くらいをついていく。別にストーカーというわけではない。彼の家は私の隣なのだ。
昔はもうちょっとすんなり彼に話しかけることができていたと思うのだけど、高校にあがった今となっては目も合わせることすらできない。きっと、彼は私に嫌われていると思っているかもしれない。男友達と楽しそうにしている彼を見ながら、私はとぼとぼと歩く。

こんなに……練習してるのになぁ……。
「及川くん、一緒に帰ろう?」
家に着いた私は自室の鏡の前で何度目になるかわからない自主練を行う。500回を超えたあたりからはもう数えていない。
鏡に映った私は前髪を伸ばして目を見えないようにしている。私は引っ込み思案で、はっきり言って根暗で……。
「こんなんじゃ釣り合わないよね……」
彼はサッカー部のエースで、はっきり言ってモテる。でも、だからと言って彼を諦められるわけがない。でも、でもでも……。彼に声すらかける度胸がない私は、日々悶々としている。
家が隣同士ということもあって、私たちは幼馴染だ。私は昔からこんな感じで、ともすればイジメられそうになる私を彼はいつだって庇ってくれた。それが変わってきたのは中学に上がってから。

私の通っている御伽学園は中高一貫で、実は魔物娘がその正体を隠して結構通っている。そこで私は、私のこの種族柄の性格を知っていて、それでも仲良くなってくれる友達ができて、彼に守ってもらう必要がなくなって、だんだん彼とは疎遠になっていって……。
私は彼を見つめているだけで、それは夢の中でも同じだった。でも、夢の中ではもうちょっと堂々と彼を見ていられる。
私はナイトメア。
彼の夢の中に入ることのできる魔物娘だ。

ようやく私の待ち遠しかった時間がやってきた。
私は窓から彼の部屋の電気が消えるのを見計らって、本性を現す。私の下半身は馬。これじゃあ余計に彼に堂々と好きだと言えない。だから、私は彼の夢の中で姿を変える。
「おじゃましまーす」
私はそろりと彼の夢の中に入る。
「いたいた」
今日の彼の夢はどうやら海水浴らしい。
そうだよね。もうすぐ夏休みだ。きっと部活の友達と遊びに行く予定でいるはずだ。
私も行きたいな……。でも、そうなったら彼に水着を見られることになるわけで、というかそもそも声をかけることもかけられることもできないわけで……。
だから、私はここでしか彼と海水浴には行けないのだ。
でも、私は夢の中でも私の姿で彼に会うことはできなくて……。

私はこっそりと変身する。
以前彼が言っていた好みの女性の姿に。
私はおっぱいもお尻も出ているグラマラスな体型になって、クリクリとした瞳をバッチリ晒した女性へと変身する。水着も私が着るわけがない紐のビキニで……。
「うー……夢の中でも恥ずかしい……」
私は海水浴客の合間を縫って、彼の元へとかけて行く。夢の中ではその都度、別々の彼の好みの女性に変身するけれども、この体型で走るといつだって胸が揺れて大変なことになる。本当の私はこの調子で走ったって大変なことにはなりはしない。……あ、ちょっと悲しくなってきた。
私はそんな気持ちに蓋をして、彼の元へ。
といっても、彼に声をかけるだなんてとんでもない。夢の中ですら私にはそんな度胸はない。せいぜいが彼の近くに行って、時折向けられる彼の視線を感じていい気になるくらいだ。自分で言っていて虚しくなるけれども……。
だけど、真夏の真昼の海水浴場で、今夜の夢は違っていたのだ。

私はそれを見て、固まってしまった。それはもう、クラスのメデューサちゃんに見つめられてしまった時くらいにカチンコチンに。
「ねー及川くーん。日焼け止め塗ってよー」
「仕方がねーな」
女の子にねだられて彼が鼻の下を伸ばしている。私が支配しているはずのこの夢の中でどういうこと。猫なで声で彼を促す彼女はうつ伏せに寝っ転がると、
「ね、ちゃんとこの紐外して塗ってよね」
背中と腰の紐をつついて挑発的な流し目を送っている。彼は唾を飲み込む。
「い、いいのか?」
「だって外さないとちゃんと濡れないでしょ? あー、照れてるんだー可愛いー」
「うるさい。バカ。そんなわけねーよ」
彼女はクスクスと笑い、彼も照れながらも苦笑いをしている。見れば見るほどにお似合いのカップルだ。私は彼らの様子に顔を真っ赤にしつつ、呆然としてしまう。
だって、その彼女というのは、まさしく私だったのだから。

もちろん下半身は人間の下半身だ。でも、私は普段の私が着るはずのない紐のビキニの水着を着てーー奇しくも別人に化けている私と色違いの水着だ、前髪もしっかりと上げて、彼と仲睦まじくいちゃついている。
私の複雑な気持ちと言ったらない。
それは彼が見ている夢? でも、私は……彼が海水浴の夢を見ていると知って、シチュエーションはそのままに、全てを支配したはずだ。こんな、私が出てくるなんてイレギュラー、知らない。
「ね、手が滑ってもいいよ」
「バーカ」
「ふーんずいぶん慎重じゃない。私って魅力がないのかなぁ……」
私の顔がふくれっ面で拗ねている。とてもムズムズする。
「そんなわけないだろ。お前が魅力的で付き合ってるかからこそ、二人で海に遊びに来たんじゃないか」
何ですと!?
「うふふ。よろしい。及川くんは私にゾッコンだから」
「そうだよ。でもお前だってそうだろ? 喋らなくなってからもお前が俺のことをずっと見てたのは知ってたんだから」
今なんていいました!?
「もうそれ言わないでよ」
私はもうわけが分からなくなって、頭がグワングワンする。もう、私たちのこのバカップルぶりに頭が沸騰しそうだし、でも彼女は私の顔をしているだけで実際の私じゃないわけだし、でもこの夢は彼の夢だからこれは彼の願望でもあって、でも私が好きにできる夢の世界のはずなのに私は好きにできていなくて……。
わけがわからないよ。

もはや私の思考回路がショート寸前になっていると、日焼け止めを塗り終わった私は彼の手を引いて海の方へと行ってしまう。そんな事、私にできるわけがないのに……! その時、彼女はチラリとこちらを見た気がした。いや、見ていたに違いない。だって、クスリと笑った唇が、トンデモナイことを言い出したのだから。
「ね、及川くん。海の中でシちゃわない?」
「するって何を?」
「分かってるくせに……」
彼女ーー私は彼の耳に口を寄せてーー近い! 近いってば……!
「え……!?」
私は彼女の唇の動きが読めた。それはセから始まってスで終わる四文字。彼の顔はみるみる赤くなってそれでも私の手を強く海をと引いた。私は頬を染めながらも嬉しそうに笑って……。

「だめーッ!」
私はもう羞恥心なんてものなんか何処かへほっぽって、まるでビーチフラッグでももぎ取るかのように彼にタックルをかましてしまった。砂浜にもんどり打って倒れる私たち。それを私がワザとらしく目を丸くして見ている。
「いてててて」
「ご、ごめんなさい」
彼の上で謝る私。彼の鍛えられた胸板に私の偽物の巨乳が押しつぶされている。足も絡まって、伝わってくる彼の体温に私の体感温度は急上昇する。
彼は私を見て、その感触に鼻の下を伸ばしたようだったが……。
「ふぅーん、そういう胸の大きい子が好みなんだ」
「ち、違う。いや、違わないけど、い、いや! 胸の大きさなんて関係なくて俺はお前のことが好きで……」
しどろもどろで、私の姿をした彼女に弁明する彼。それは嬉しいものだけど、彼女に言っているのだから私としてはやっぱり複雑な気持ちだ。
「というか、どきなさいよ。私たちはこれから海でイイことするんだから」
と、私が言ってくる。
「だ、ダメ。そんな……破廉恥なこと」
「別に愛し合ってる二人だから関係いいでしょ。それとも何? あなた私の彼をとるつもり?」
「そ、そんなわけじゃ……」
「というかどきなさいよ! この泥棒猫!」
私は馬なのにそんなことを言われるなんて思ってもいなかった。しかも、それを言ってくるのが私だなんて……。そうして混乱している私に業を煮やした私は、彼の上に乗ったままの泥棒猫であるところの私を突き飛ばしてきた。
「きゃあ!」
「お、おい、そんな乱暴な……」
「何よ。私の及川くんを取ろうとする女なんて許せない」
私だというのに何と凶暴なのなだろう。いや、もしかすると、彼女の姿こそが私の本当の姿なのかもしれない。
彼女は私に舌を突き出して、彼の腕をとって海の方へ向かう。
ああ、行ってしまう。彼が私と一緒に行ってしまう。彼を連れて行くのは私だけれども、置いていかれるのは本物の私で……。

私はやっぱり夢の中でも変わらないんだ……。
私はあんまりにも悲しくて、とうとう涙がこぼれてしまった。そんな私に気がついたわけじゃないだろうけど、彼はチラリとこちらを振り返って、目を見開いて……。
「お前、まさか夢香か?」
私が息が詰まった。どうして……。この姿は私の姿じゃないのに……。
「何言っているのよ。夢香は私でしょ」
彼の隣の私が怒った風で言うが、彼女は戸惑っているようでも、むしろ面白がっているようでもあった。
「いや、そうだけど……」
彼は逡巡するようなそぶりを見せて、明らかに迷っているようだった。だけど、
「いや、やっぱり夢香だ」
そう言って私の姿をした誰かの手を振り払い、別人の姿をしている私のところへ駆け寄ってきてれた。そして私の腕を掴んで、トンデモナイことを言った。
「夢香、お前がナイトメアだったのか」
「え、えぇええええええええーーーーー!」
夢の中の海水浴場、青空に向かって私の声が天高く吸い込まれていく。

まるであぶくのように消えて行くその光景の中で、やっぱりあぶくのように形を失っていく私の顔が、面白そうに笑って、
「悪夢(ユメ)は見れたかよ」
ーーそんな声が聞こえた。



目を覚ました私は、下半身が馬である本性を晒して、彼の部屋で彼に手を掴まれていた。
とっさに逃げようとしたけれども、彼が私の手を引く方が早くて、私は彼の胸の中に倒れこむことになってしまった。
静かな部屋で、彼に私の心臓の音が聞こえてしまわないかが心配だった。体が熱い。どんなにか細く息をしようとしても、ここは彼の部屋の中だからどうしたって彼の匂いが私の体の中に入ってきてしまうわけだし、こうして抱きしめられていると、彼の体温も汗の匂いだってダイレクトに伝わってきて、私は死んでしまいそうなくらいに恥ずかしくて……、でもこんなことを耳元で言われたら死んでしまうことなんてできなくて……。
「まさか夢香がナイトメアだったなんて」
私はゴクリと唾を飲み込む。
「知ってたの?」
彼が首を振る振動が伝わってきた。どうやら彼は私を離すつもりはないらしい。離した途端に私が逃げ出してしまうのを知っているからだ。
彼は話してくれた。私をぎゅうっと捕まえたままで。

まもむすGO。
彼はそんなアプリを手に入れたそうだ。
それは近くにいる魔物娘が表示され、攻略可能な魔物娘を画面に写すと、彼女の本当の姿が映し出されるものらしい。
「驚いたよ。俺たちの学園って魔物娘がたくさん通ってたんだな」
彼の苦笑が甘い響きとなって私に伝わってきて、私はくすぐったかった。
そのアプリには、今となってはそれが……私、らしいのだけど、攻略可能な魔物娘が一人だけ表示されていたそうだ。彼はもしやと思って私を画面に写そうとした。でも、彼の視線に敏感で隠れてばかりいた私を写すことはどうしてもできなかったようだ。
そんな時、持って計ったように現れた課金で可能になる狸さんのアドバイスと、とあるアイテムを手に入れたのだと言う。
狸さんのアドバイスでは、攻略可能な魔物娘がナイトメアという種族で、そのナイトメアはたびたび自分の夢に入り込んできているということだった。
そして彼は笑った。
「種族の説明には夢の中では彼女たちは好き勝手やるって書いてあったのに、俺は夢の中では襲われたこともなければ、女の子に声をかけられたこともない。お前、夢の中でも変わらないのな」
耳元で奏でられる彼の声に、私は体がもう爆発しそうなくらいに熱くなるのを感じる。
「おい、暴れるなって」
彼が私を抱きしめる力が強くなる。もう溶けてしまうのではないかってくらいに彼と私の体は密着して、私は暴れるわけにはいかなくなる、というか、あまりのことで溶けてしまった。なんだかもはや意識が朦朧としている気までする。
彼の声が私の頭に染み込んでくる。
「で、その課金アイテムは【ナイトメア】って言って、俺の夢に入り込んできたナイトメアが正体を現さずにはいられないような夢に変えるってものらしい。そうしてお前は飛び出してきたくせにやっぱり正体は隠したままで。俺、お前だったら、って期待してたのに、その姿を見てちょっとショックだったんだぜ? 夢香じゃなかったのか、って」彼は呆れた声。「でも、やっぱりお前でよかった」
ホッとした声に、私はオズオズと口を開く。
「及川くんは、私が良かったの……? 私、こんな意気地なしで根暗で……」
だけど、私はその続きを言うことができなかった。
私を捕まえていた彼の腕が緩んで、彼は私の肩を掴んで体を起こさせた。彼の真剣な瞳が私を見る。
「こんな、なんて言うなよ。俺はお前が好きなんだから」
私は思わず泣いてしまった。夢の中のような悲しみの涙じゃなくて、暖かい嬉しい涙。
「私も、及川くんのこと、好き。大好き。ずっと話しかけたかったのに話しかけられなくて、夢の中でも話しかけられなくて、でも、今ようやく……。嬉しい」
私は、思わず私から彼に抱きついていた。彼の背中に手を回せば、彼の手も私の背中に回ってきた。じんわりと甘く溶け合っていく体温がとても心地がいい。私はようやく手に入れたこの温かさをもっと感じていたかったけれど、お腹のあたりにあたる固いものが許してはくれなかった。

「及川くん……」
「悪いかよ。ずっと好きだったお前とこうしていて、何も反応しない方がおかしい。それに……」
といいつつ、彼は目をそらす。
その顔はさっき夢の中で見た顔だ。それで私は彼が何を考えているのかが分かってしまった。さっき彼は、夢の中の私と、その……海の中でしようとしていたのだ。そこでやっと、私のナカの魔物娘の本性は長い夢から覚めてくれたらしい。
私はもうたまらなくなって彼の唇を奪った。唇を離せば彼は真っ赤な顔をしていた。
「もうダメ。私、今まで我慢していた分が溢れ出したみたい」
「お、おい……夢香?」
私は彼をベッドに馬の体でのしかかって押さえつける。
「でも及川くんも悪いんだよ。私(ナイトメア)に悪夢(ナイトメア)を見せるんだから。今から私が飛びっきりのイイ悪夢(ユメ)を見させてあげる」
私はきっと、私が見たこともない顔をしているのだろう。
彼もまた、私が今まで見たこともない顔をしている。
私たちが夢を見ていた時間はどうやら現実の時間ではそう長くはなかったらしい。だから、まだまだ夜は長い。それでも、今まで待ちわびていた夢を見る時間にしては短いかもしれない。
だから、さっさと眠ってしまった方がいい。

「おやすみなさい。いい夢を」
そう言って私たちは、私たちの現実(夢)を重ねたのだった。
17/09/04 13:15更新 / ルピナス
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■作者メッセージ
イイ夢見たいなぁ……。

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