骨の私と霊の私
私、石堂桃華は絶賛戦争中である。
相手は私。今日も今日とてあいつは彼の布団の中。
「ぐ、ぐぬぬぬぬ」
私は幸せそうに眠っている彼の布団の横の膨らみに、歯噛みする。
今日という今日は許せない。
「起きなさーい! そして出ていきなさい! 骨の私」
私が叫んでも彼は起きない。だが、彼の隣の膨らみはもぞもぞと鬱陶しそうに身じろぎする。
私がいるのを知って、彼女はわざと彼にすり寄ったのだ。
彼の眠りが深いのは昔っから知っている。
小さい頃から彼を起こすのは苦労したものだった。
それとは逆に、私の眠りは浅く、部屋に誰かが入ってきたことで目を覚ませるくらい。
だから私である彼女が起きていないわけがない。
私は布団をすり抜ける自分の手を突っ込んで、奴を引きずり出す。
ボテン、とベッドから落っこちる私。
「酷いじゃない。霊の私」と舌ったらずな声。
「ちょっ、あなたまた服も着ないで……」
そいつの姿を見て、私は拳を握りしめ、ワナワナと肩を震わせる。
彼女はスケルトンという魔物娘。真っ白な白骨の体を露わにしている。骨のくせに何でそんなに柔らかそうな肌をしているのだという疑問はあるが、女の私であってもドキリとせずにはいられないような可愛らしい顔に、艶かしい肢体。
ベースが私の死体だから、私って実はいけてたんじゃないか、と自画自賛してみたりもする。
しかし、今の私と彼女は別物。
私は半透明の体で、フヨフヨと彼女と睨み合いながら浮かんでる。
「そんなに彼とくっつきたいのなら、くっつけばいいのに」
「そ、そんな恥ずかしい事出来るわけないでしょう!?」
私は半透明の体で頬を染める。そんな私に骨の私はフフン、とペタンコの胸を張る。
「私のくせに情けない」
「私のくせに慎みがない」
「慎みがあったことなんて、私は覚えていないわ。私はこの体が求める衝動に従っているだけ。私って、慎みがあったの?」
「ぐぬっ、」そう言われると私は黙らざるを得ない。
自分で言うのも何だが、私は私に慎みがあったなどと、口が裂けても言えはしない。
「それじゃあ、そう言う事で」
「そう言う事で、じゃなーい!」
私はいそいそと彼の布団に戻ろうとする彼女の手を引く。
「くっ、シースルー私のくせに、力が強いわ」
「そんな骨骨女に負けるわけないでしょ」
「彼への想いなら負けないわよ」
「わ、私だって……」
モゴモゴと言う私を彼女は鼻で笑う。
こいつ、私のくせに性格悪い。いや、私だからか……。
「と、とにかく服を着なさい」
「大丈夫、私はこんななりだから、合法合法、霊の私はゴーホーム(意訳:墓場に帰れ)」
と、骨女は亡くなった時のロリぷにぼでーで言い放つ。
「むしろ違法よ!」
私が叫ぶと、「ふんッ」
と彼女は強く手を引く。私も負けじと引っ張りもんどり打って二人して彼の布団の上に。
「「………………」」
「私のドヤ顔が憎い」
「そういう私だって顔がニヤけてる」
ぐぬぬぬぬ。
そうして霊(ゴースト)の私は、今日も今日とて骨(スケルトン)の私と彼を巡って争い合う。骨肉の争いならぬ、骨霊の争いだ。
どうしてこんな事になっているのか、事実は小説よりも奇なり、と言うけれど、私がこんな状況になるなんて、お釈迦さまでも分からなかったに違いない。
彼の好きな漫画の言葉なら、『おお、ブッダよ、寝ていらっしゃるのですか』といったところだ。
つまるところ、…………私は死にました。
それは9年前のこと。
彼を含む友達たちと一緒に川遊びをしていた私は、流れに足を取られてそのまま川底へと真っ逆さま。私はもがいてどっちが上で、どっちが下かわからないままに、溺れて死んだ。
その時の事はあんまりにも苦しくて、思い出したくはないのだけれどもーー。
私の死体は見つからなかった。
最期に私が思ったのは彼の事。
ーーあーあ、ここで死んじゃうんだったら告白しとけば良かったな、って。
神さまが私のその言葉を聞いてくれたのか、私は目を覚ませば幽霊でした。いや、神さまというものがもしもいるのなら、幽霊となって地上を彷徨うことを許しはしないだろう。キリスト教も仏教も、霊魂なんて認めていない。
だから、私がこうしている事を認めてくれているのは、そうした有難い何者か、ではなくて、おせっかいでタチの悪い何者か……もしくは未練をタラタラしい私自身なのだろう。
そうして私は彼の守護霊になりました。
彼に私は見えず、私は彼の側でこの9年間ずっと彼の事を見守ってきた。
彼に見えない事をいい事に、添い寝したり、一緒にお風呂に入ったり、トイレにもついて行ったり、だから彼が自慰を覚えたのがいつかも知っている。いやいや、誤解のないように言っておけば、ただの興味本位だ。
霊に性欲なんてありません。ないったらない、と私は言い張る。だって、私も彼を見て自慰を試して見たけれど、感覚がないから気持ちよくなんかならなかった。
じゃあ、好奇心はどうして生まれるの、って言われれば黙るしかないけれども……。
そんな事はおいといて。
大事な事は、私は彼がエロ本を迂闊な場所に隠して母親に見つかりそうになった時にはいつだって厳重に隠してあげた。
だから……決して悪霊ではありません、と言う事である。
ああ、でも。
私が本当に彼の守護霊だったのならば、死んでしまった私を思い出して泣く彼の悲しみを和らげられたはずだ。
私がいつも近くにいるからか、彼は「桃華が近くにいる気がする」と言って泣く事がよくあった。だから、結局私は悪霊の類だったのかも知れない。
彼を悲しませてしまう存在。
どんな原理か一向に見当はつかないが、そんな日々を彼と一緒に過ごしていた私は、霊だと言うのに彼と一緒に成長してきた。
私が死んだのは10歳の時。同い年の彼は今、19歳。霊の私の見た目も19歳。
でも、今年突然現れた骨の私は私が亡くなった時のままの年齢で10歳くらい。
大学に進学した彼の下宿に、骨の少女が「来ちゃった」と言って訪れた。
フザケルナ、と言う話である。
玄関先に現れた彼女に、私はその時、そう叫んでいた。
私は確か、「私たちのスイートホームに入ってくるな」とかなんとかも口走っていた気がする。
動転していた私が、その時に口走った内容を私は覚えていない。
私が常に彼と一緒にいたと言う事実が判明した時、彼は私が常に彼と一緒にいた事を怖がるでも喜ぶでもなく、よそよそしい雰囲気であるのは、それが原因ではないと信じたい。
そうしてーー彼と私たち三人の、奇妙な三角関係が始まったのである。
問題は、彼が好きだと言う気持ちだけがその骨ボディに残っている骨の私は性に貪欲で、羞恥心も私が私だったと言う自覚も意識的な記憶もないらしく、問題と私の体が覚えている黒歴史だけが残っていると言う事だ。
ようやく起きた彼が、私の作った目玉焼きを食べる。
その膝に奴が乗って、
「ほら、ケンちゃん、あーん」
なんて宣っている。
「やめなさいよ」と、私が言えば、
「どうして? おままごとで良くやってたじゃない。私がママで、ケンちゃんがパパで」と、骨。
「あー、そういややってたな。確か箸がよくなくなったような……」
「私が回収していたもの」
「そ、そうか……」彼は遠い目。
「や、やめろぉおおお!」
私ですら忘れていた黒歴史が、過去から全力で私を追いかけくる。
そんなものに追いかけられるくらいなら、バイブを持って走ってくるジェイソンの方がマシだ。
ヴィイイイイン! ヴィン、ヴィン!
いや、恐怖の種類が違うか……。
「そしてあなたは犬よ」と骨は私を指差す。
「子供ですらない!?」
「え、だってこの前そういうプレイを妄想……」
「黙れー!」彼はすでに黙っていた。
黒歴史は現在進行形で建造中だった。黒く雄々しく、天突くようにそそり立つ。
「ち、違うのよ。こいつが勝手に……」
「じゃあ、私が犬をやるわ。私も私だもの。同じような性癖を持っていたっておかしくない。さあ、私を犬にして」
と、骨は彼にしなだれ掛かる。
「ダメ、それは私の役よ」
「どーぞどーぞ。そんな性癖を持っているなんて、私は私ながらロクデモナイわね。私が9年間死んでいる間、あなたはおかしな性癖を溜め込んだようね」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ。あなたは毒を溜め込んだようだけど」
「そっちよりはマシでしょう」
いがみ合う私たちを前に、彼は暖かな苦笑を浮かべて、それはくすぐったい。
「準備できたか?」
「もちろん。私じゃあるまいし」
「私だって出来てるわよ」
彼の声に骨の私と霊の私が答える。
今日は実は私の命日だったりする。
私の魂はここにいて、私の体もそこにいる。
去年まで彼は私に見られている事を知らずに、毎年この日には私が死んだあの川に向っていた。今年は私たちを連れて……。変わらず向かうという事に意味があるのか分からない。
去年まで、私は花を投げる彼の後ろ姿を、その後ろから眺めるだけだった。
今年は一緒に……。
骨の私はその姿が分からないように、夏だというのに肌を露出しない厚着で、帽子も深くかぶっている。その姿は、陽炎に浮かび上がる幻じみてもいた。
私はその横に並ぶ。
こうして並んでいると、子供づれの夫婦に見えなくもないと思って、頬がにやけてしまう。
「気持ち悪い顔をしないでよ」
「気持ち悪い顔なんてしてないわよ」
私と骨は、燦々と照りつける日光の下。いつも通り、いや、新しい日常を歩いていく。
電車のドアが閉まるアナウンス。
高層建築物がそびえ立つ都会のジャングルを抜ければ、閑静な住宅街が広がっていた。列車を乗り換える。
平日のこの路線は人が少ない。
ガタン、ガタンと鈍行列車に揺られていると、この列車の先は何処に続いているのだろうと私は考える。死んだ後にもこうして私が続いているように、私たちのこの日常も続いていくのだろうか。
窓の外の景色は川の流れのように過ぎ去っていく。
列車は北上し、川を渡る。緑に覆われた山が近い。空は変わらず白々しいまでの晴天で、雲が旗のように流れていく。天に誰かがいるとするならば、それはその何者かが振る白旗のようにも見えた。
だってそうでしょう。死んだはずの私が、私たちが彼の隣にいる。
それが、私たちの勝ちでないとするならば、何になるのだろう。
電車を降りて、山道を歩く。
私たちを覗き込むように、木々の隙間から木漏れ日が降ってくる。 蝉の声がそれを茶化しているよう。
「俺がこうして毎年来ている事を知っていたんだよな」
彼の独白じみた問いかけに、私と骨は、一緒に頷く。
「……そっか」
と、彼は静かに息を吐いた。
森の中は夏の昼間でも涼しい。それは木々のカーテンと、彼らの呼吸が夏の暑さから守ってくれているようにも感じる。ふと、木立を抜けた。川だ。
清流が、サラサラと静かな音を立てて流れている。
私が溺れ死んだ時から9年経つ。変わらない風景に、彼の記憶は風化しなかったのだろう。
毎年の彼の背中を思い出し、私は言い得ない思いを抱く。
その背中を見て、私は何度、私がここにいると言う事を伝えたいと思ったか知れない。
その背中を見て、私はいっそ、それを押して彼にこちらに来てもらおうかと思った事すらある。
だからかも知れない。彼女が今になってようやく現れたのは。
彼は花束を手に、川瀬に経つ。
「俺の中では、桃華はもう死んでいるんだ」
彼は川に消えたはずの私に向かって言う。
川に流れる木の葉のように、風に流れる雲のように。
彼の言の葉は、遠いところに行ってしまったはずの私に届く。
「9年間。俺は、君がいないと言う事実とともに生きて来た。今更君が戻って来たところで、はいそうですか、と言えるわけもない。でも、君は君なんだよな」
私たちは、黙っている。
せせらぎは静かに、彼から私と共に過ごすはずだった時間を飲み込んで、素知らぬ顔で流れている。
「私は来ない方が良かった?」
骨の私が尋ねる。
「いいや、君が戻って来てくれた事はよかったと思う。でも、時が止まったような君の姿を見ると、どうしても何か思わざるを得ない」
「これから9年間じゃ足りない年月を私とともに生きていくのに?」
「そうだな」
そうして彼は嘆息して私を見る。彼の瞳に私は写っていない。
「君はそこにいるのか?」
「いるわ。9年間、あなたと共に成長しながら……」
骨の言葉に彼は手を伸ばす。
彼の手は私の体をすり抜けて、空をかく。
ーーああ、触れられないんだ。
私は彼女のような魔物娘ではない。私は彼と別の次元で生きている。いや、死んでいる。
私の頬を涙が伝う。ポロポロと。私の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだろう。でもいいんだ。彼に私は見えない。
「そっか。死んでも、次があるんだな」
彼の言葉に、私はぞくりとする。それは、死んでいたはずの神経が、一斉に身震いをしたよう。
骨の私も同様だ。
花束を片手に、じゃぶじゃぶと、彼は川に足を踏み入れる。
「ダメっ!」
骨の私が彼の手を掴む。だけど、幼い私の体躯では、青年になった彼の体を引き止めることなどできない。私は……彼に触れらない。
彼は骨の私にしがみつかれたまま、川に進む。
もうすぐ……ちょうど私が死んでいたところにたどり着く。
「俺は、君じゃない。彼女に会いたいんだ。体の君に会えたのなら、彼女の魂にだって会えるはずだ。だって、彼女はずっと、俺の隣にいてくれたはずだ。俺を、ここへ呼び続けていてくれたはずだ」
彼は歩みを止めない。
そうなのだ。私の声は、彼の耳にはそう届いていたらしい。彼を死へと誘(いざな)う声として。
彼にとって、私の死とは押しつぶされない事が不思議なくらいの出来事だった。いや、霊となった私が一緒に居続けたせいで、そうなってしまったのかも知れない。でも、彼はその理性で押しつぶされる事はなかった。
でも、骨の私の登場は、彼にその一歩を踏み出す後押しになってしまったらしい。
彼はとうとう私の呼び声に応えて、こちらに来ようとしている。
私はここに居るのに……。
彼が行ってしまう。
死んでいる私にはどうにも出来ない。
私は骨の私に勝てなくったっていい。だから、彼は死んではいけないのだ。
彼の頭が水に沈む。
きっと、彼も私のように、上も下も、右も左も分からなくなって、川底に沈むのだろう。
そう思うと、私はいつの間にか夢中で彼の手を掴もうとしていた。
彼は怖いくらいに潔く、力を抜いて、水底に沈んでいく。私たちは必死で彼を掴もうとする。
ダメだ。こちらに来てはいけない。
私たちは必死で、死んでいるのだと言うのに、必死で……。
ーー私は何かに触れられた気がした。
川辺の砂利の上、彼は仰向けに寝転んでいた。
彼の虚ろな焦点は、私の顔に合わさっていた。
「ここはあの世なのか……?」
「違うわよ。あなたはまだ生きているわ。でも、私はもう死んでいる」
「でも、触れられる」
彼は私の頬に手を当てて、微かに笑う。
その顔はとても安らかで、今にも眠ってしまいそうだった。
私は、ようやく彼に触れられる魔物娘になれたのだ。
「えい」
舌ったらずの声が、彼の腹に降る。
「せっかく助けたと言うのに、死のうとしないで。それに、よくも私をふってくれたわね」
骨の私が泣きはらした顔で彼を見ていた。
「ごめん」
「許さない。だから、私たちの両方を幸せにしなさい」
骨の私はそんな事を言う。
彼の瞳には私たち二人の顔が写っている。
「分かった……」
彼は天を仰いで嘆息する。
白旗のふりをしていた雲はかき消えて、底のない青空が広がっている。
川のせせらぎが、止まらない時を教えてくれる。
「身も魂も手に入れてしまうなんてあなたは贅沢な男よ」
それはどちらの言葉だったのか……。
「その通りだな」
私たちは彼に抱きついた。
ようやく触れられた私は頬を盛大に緩める。
私は魔物娘(ゴースト)になれないまま、魔物娘(スケルトン)となった私と彼を取り合っていた。
私は勝ってはいけない勝負に勝ってしまっていた。
私は私の幸せよりも、彼の幸せを考えたら、負けてしまった。
でも、それで良かったのだ。
ようやく同じ土俵に立てて、私たちは彼を巡って争い合う。
私のどちらが彼をより幸せに出来るのか、を。
「重たいな」彼が言う。
「ヒドイッ!?」とゴーストの私。
「私の方が軽いから、私じゃない」スケルトンの私が言う。
そんな私たちに彼は笑う。
「でも、心地の良い重さだ」
そうして彼は手にしていた花束を二つに分けて私たちに均等に渡す。
「ごめん、バカな事をした。でも、これからよろしく」
霊と骨の私たちは顔を見合わせて、苦笑しながらそれを受け取ったのだった。
相手は私。今日も今日とてあいつは彼の布団の中。
「ぐ、ぐぬぬぬぬ」
私は幸せそうに眠っている彼の布団の横の膨らみに、歯噛みする。
今日という今日は許せない。
「起きなさーい! そして出ていきなさい! 骨の私」
私が叫んでも彼は起きない。だが、彼の隣の膨らみはもぞもぞと鬱陶しそうに身じろぎする。
私がいるのを知って、彼女はわざと彼にすり寄ったのだ。
彼の眠りが深いのは昔っから知っている。
小さい頃から彼を起こすのは苦労したものだった。
それとは逆に、私の眠りは浅く、部屋に誰かが入ってきたことで目を覚ませるくらい。
だから私である彼女が起きていないわけがない。
私は布団をすり抜ける自分の手を突っ込んで、奴を引きずり出す。
ボテン、とベッドから落っこちる私。
「酷いじゃない。霊の私」と舌ったらずな声。
「ちょっ、あなたまた服も着ないで……」
そいつの姿を見て、私は拳を握りしめ、ワナワナと肩を震わせる。
彼女はスケルトンという魔物娘。真っ白な白骨の体を露わにしている。骨のくせに何でそんなに柔らかそうな肌をしているのだという疑問はあるが、女の私であってもドキリとせずにはいられないような可愛らしい顔に、艶かしい肢体。
ベースが私の死体だから、私って実はいけてたんじゃないか、と自画自賛してみたりもする。
しかし、今の私と彼女は別物。
私は半透明の体で、フヨフヨと彼女と睨み合いながら浮かんでる。
「そんなに彼とくっつきたいのなら、くっつけばいいのに」
「そ、そんな恥ずかしい事出来るわけないでしょう!?」
私は半透明の体で頬を染める。そんな私に骨の私はフフン、とペタンコの胸を張る。
「私のくせに情けない」
「私のくせに慎みがない」
「慎みがあったことなんて、私は覚えていないわ。私はこの体が求める衝動に従っているだけ。私って、慎みがあったの?」
「ぐぬっ、」そう言われると私は黙らざるを得ない。
自分で言うのも何だが、私は私に慎みがあったなどと、口が裂けても言えはしない。
「それじゃあ、そう言う事で」
「そう言う事で、じゃなーい!」
私はいそいそと彼の布団に戻ろうとする彼女の手を引く。
「くっ、シースルー私のくせに、力が強いわ」
「そんな骨骨女に負けるわけないでしょ」
「彼への想いなら負けないわよ」
「わ、私だって……」
モゴモゴと言う私を彼女は鼻で笑う。
こいつ、私のくせに性格悪い。いや、私だからか……。
「と、とにかく服を着なさい」
「大丈夫、私はこんななりだから、合法合法、霊の私はゴーホーム(意訳:墓場に帰れ)」
と、骨女は亡くなった時のロリぷにぼでーで言い放つ。
「むしろ違法よ!」
私が叫ぶと、「ふんッ」
と彼女は強く手を引く。私も負けじと引っ張りもんどり打って二人して彼の布団の上に。
「「………………」」
「私のドヤ顔が憎い」
「そういう私だって顔がニヤけてる」
ぐぬぬぬぬ。
そうして霊(ゴースト)の私は、今日も今日とて骨(スケルトン)の私と彼を巡って争い合う。骨肉の争いならぬ、骨霊の争いだ。
どうしてこんな事になっているのか、事実は小説よりも奇なり、と言うけれど、私がこんな状況になるなんて、お釈迦さまでも分からなかったに違いない。
彼の好きな漫画の言葉なら、『おお、ブッダよ、寝ていらっしゃるのですか』といったところだ。
つまるところ、…………私は死にました。
それは9年前のこと。
彼を含む友達たちと一緒に川遊びをしていた私は、流れに足を取られてそのまま川底へと真っ逆さま。私はもがいてどっちが上で、どっちが下かわからないままに、溺れて死んだ。
その時の事はあんまりにも苦しくて、思い出したくはないのだけれどもーー。
私の死体は見つからなかった。
最期に私が思ったのは彼の事。
ーーあーあ、ここで死んじゃうんだったら告白しとけば良かったな、って。
神さまが私のその言葉を聞いてくれたのか、私は目を覚ませば幽霊でした。いや、神さまというものがもしもいるのなら、幽霊となって地上を彷徨うことを許しはしないだろう。キリスト教も仏教も、霊魂なんて認めていない。
だから、私がこうしている事を認めてくれているのは、そうした有難い何者か、ではなくて、おせっかいでタチの悪い何者か……もしくは未練をタラタラしい私自身なのだろう。
そうして私は彼の守護霊になりました。
彼に私は見えず、私は彼の側でこの9年間ずっと彼の事を見守ってきた。
彼に見えない事をいい事に、添い寝したり、一緒にお風呂に入ったり、トイレにもついて行ったり、だから彼が自慰を覚えたのがいつかも知っている。いやいや、誤解のないように言っておけば、ただの興味本位だ。
霊に性欲なんてありません。ないったらない、と私は言い張る。だって、私も彼を見て自慰を試して見たけれど、感覚がないから気持ちよくなんかならなかった。
じゃあ、好奇心はどうして生まれるの、って言われれば黙るしかないけれども……。
そんな事はおいといて。
大事な事は、私は彼がエロ本を迂闊な場所に隠して母親に見つかりそうになった時にはいつだって厳重に隠してあげた。
だから……決して悪霊ではありません、と言う事である。
ああ、でも。
私が本当に彼の守護霊だったのならば、死んでしまった私を思い出して泣く彼の悲しみを和らげられたはずだ。
私がいつも近くにいるからか、彼は「桃華が近くにいる気がする」と言って泣く事がよくあった。だから、結局私は悪霊の類だったのかも知れない。
彼を悲しませてしまう存在。
どんな原理か一向に見当はつかないが、そんな日々を彼と一緒に過ごしていた私は、霊だと言うのに彼と一緒に成長してきた。
私が死んだのは10歳の時。同い年の彼は今、19歳。霊の私の見た目も19歳。
でも、今年突然現れた骨の私は私が亡くなった時のままの年齢で10歳くらい。
大学に進学した彼の下宿に、骨の少女が「来ちゃった」と言って訪れた。
フザケルナ、と言う話である。
玄関先に現れた彼女に、私はその時、そう叫んでいた。
私は確か、「私たちのスイートホームに入ってくるな」とかなんとかも口走っていた気がする。
動転していた私が、その時に口走った内容を私は覚えていない。
私が常に彼と一緒にいたと言う事実が判明した時、彼は私が常に彼と一緒にいた事を怖がるでも喜ぶでもなく、よそよそしい雰囲気であるのは、それが原因ではないと信じたい。
そうしてーー彼と私たち三人の、奇妙な三角関係が始まったのである。
問題は、彼が好きだと言う気持ちだけがその骨ボディに残っている骨の私は性に貪欲で、羞恥心も私が私だったと言う自覚も意識的な記憶もないらしく、問題と私の体が覚えている黒歴史だけが残っていると言う事だ。
ようやく起きた彼が、私の作った目玉焼きを食べる。
その膝に奴が乗って、
「ほら、ケンちゃん、あーん」
なんて宣っている。
「やめなさいよ」と、私が言えば、
「どうして? おままごとで良くやってたじゃない。私がママで、ケンちゃんがパパで」と、骨。
「あー、そういややってたな。確か箸がよくなくなったような……」
「私が回収していたもの」
「そ、そうか……」彼は遠い目。
「や、やめろぉおおお!」
私ですら忘れていた黒歴史が、過去から全力で私を追いかけくる。
そんなものに追いかけられるくらいなら、バイブを持って走ってくるジェイソンの方がマシだ。
ヴィイイイイン! ヴィン、ヴィン!
いや、恐怖の種類が違うか……。
「そしてあなたは犬よ」と骨は私を指差す。
「子供ですらない!?」
「え、だってこの前そういうプレイを妄想……」
「黙れー!」彼はすでに黙っていた。
黒歴史は現在進行形で建造中だった。黒く雄々しく、天突くようにそそり立つ。
「ち、違うのよ。こいつが勝手に……」
「じゃあ、私が犬をやるわ。私も私だもの。同じような性癖を持っていたっておかしくない。さあ、私を犬にして」
と、骨は彼にしなだれ掛かる。
「ダメ、それは私の役よ」
「どーぞどーぞ。そんな性癖を持っているなんて、私は私ながらロクデモナイわね。私が9年間死んでいる間、あなたはおかしな性癖を溜め込んだようね」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ。あなたは毒を溜め込んだようだけど」
「そっちよりはマシでしょう」
いがみ合う私たちを前に、彼は暖かな苦笑を浮かべて、それはくすぐったい。
「準備できたか?」
「もちろん。私じゃあるまいし」
「私だって出来てるわよ」
彼の声に骨の私と霊の私が答える。
今日は実は私の命日だったりする。
私の魂はここにいて、私の体もそこにいる。
去年まで彼は私に見られている事を知らずに、毎年この日には私が死んだあの川に向っていた。今年は私たちを連れて……。変わらず向かうという事に意味があるのか分からない。
去年まで、私は花を投げる彼の後ろ姿を、その後ろから眺めるだけだった。
今年は一緒に……。
骨の私はその姿が分からないように、夏だというのに肌を露出しない厚着で、帽子も深くかぶっている。その姿は、陽炎に浮かび上がる幻じみてもいた。
私はその横に並ぶ。
こうして並んでいると、子供づれの夫婦に見えなくもないと思って、頬がにやけてしまう。
「気持ち悪い顔をしないでよ」
「気持ち悪い顔なんてしてないわよ」
私と骨は、燦々と照りつける日光の下。いつも通り、いや、新しい日常を歩いていく。
電車のドアが閉まるアナウンス。
高層建築物がそびえ立つ都会のジャングルを抜ければ、閑静な住宅街が広がっていた。列車を乗り換える。
平日のこの路線は人が少ない。
ガタン、ガタンと鈍行列車に揺られていると、この列車の先は何処に続いているのだろうと私は考える。死んだ後にもこうして私が続いているように、私たちのこの日常も続いていくのだろうか。
窓の外の景色は川の流れのように過ぎ去っていく。
列車は北上し、川を渡る。緑に覆われた山が近い。空は変わらず白々しいまでの晴天で、雲が旗のように流れていく。天に誰かがいるとするならば、それはその何者かが振る白旗のようにも見えた。
だってそうでしょう。死んだはずの私が、私たちが彼の隣にいる。
それが、私たちの勝ちでないとするならば、何になるのだろう。
電車を降りて、山道を歩く。
私たちを覗き込むように、木々の隙間から木漏れ日が降ってくる。 蝉の声がそれを茶化しているよう。
「俺がこうして毎年来ている事を知っていたんだよな」
彼の独白じみた問いかけに、私と骨は、一緒に頷く。
「……そっか」
と、彼は静かに息を吐いた。
森の中は夏の昼間でも涼しい。それは木々のカーテンと、彼らの呼吸が夏の暑さから守ってくれているようにも感じる。ふと、木立を抜けた。川だ。
清流が、サラサラと静かな音を立てて流れている。
私が溺れ死んだ時から9年経つ。変わらない風景に、彼の記憶は風化しなかったのだろう。
毎年の彼の背中を思い出し、私は言い得ない思いを抱く。
その背中を見て、私は何度、私がここにいると言う事を伝えたいと思ったか知れない。
その背中を見て、私はいっそ、それを押して彼にこちらに来てもらおうかと思った事すらある。
だからかも知れない。彼女が今になってようやく現れたのは。
彼は花束を手に、川瀬に経つ。
「俺の中では、桃華はもう死んでいるんだ」
彼は川に消えたはずの私に向かって言う。
川に流れる木の葉のように、風に流れる雲のように。
彼の言の葉は、遠いところに行ってしまったはずの私に届く。
「9年間。俺は、君がいないと言う事実とともに生きて来た。今更君が戻って来たところで、はいそうですか、と言えるわけもない。でも、君は君なんだよな」
私たちは、黙っている。
せせらぎは静かに、彼から私と共に過ごすはずだった時間を飲み込んで、素知らぬ顔で流れている。
「私は来ない方が良かった?」
骨の私が尋ねる。
「いいや、君が戻って来てくれた事はよかったと思う。でも、時が止まったような君の姿を見ると、どうしても何か思わざるを得ない」
「これから9年間じゃ足りない年月を私とともに生きていくのに?」
「そうだな」
そうして彼は嘆息して私を見る。彼の瞳に私は写っていない。
「君はそこにいるのか?」
「いるわ。9年間、あなたと共に成長しながら……」
骨の言葉に彼は手を伸ばす。
彼の手は私の体をすり抜けて、空をかく。
ーーああ、触れられないんだ。
私は彼女のような魔物娘ではない。私は彼と別の次元で生きている。いや、死んでいる。
私の頬を涙が伝う。ポロポロと。私の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだろう。でもいいんだ。彼に私は見えない。
「そっか。死んでも、次があるんだな」
彼の言葉に、私はぞくりとする。それは、死んでいたはずの神経が、一斉に身震いをしたよう。
骨の私も同様だ。
花束を片手に、じゃぶじゃぶと、彼は川に足を踏み入れる。
「ダメっ!」
骨の私が彼の手を掴む。だけど、幼い私の体躯では、青年になった彼の体を引き止めることなどできない。私は……彼に触れらない。
彼は骨の私にしがみつかれたまま、川に進む。
もうすぐ……ちょうど私が死んでいたところにたどり着く。
「俺は、君じゃない。彼女に会いたいんだ。体の君に会えたのなら、彼女の魂にだって会えるはずだ。だって、彼女はずっと、俺の隣にいてくれたはずだ。俺を、ここへ呼び続けていてくれたはずだ」
彼は歩みを止めない。
そうなのだ。私の声は、彼の耳にはそう届いていたらしい。彼を死へと誘(いざな)う声として。
彼にとって、私の死とは押しつぶされない事が不思議なくらいの出来事だった。いや、霊となった私が一緒に居続けたせいで、そうなってしまったのかも知れない。でも、彼はその理性で押しつぶされる事はなかった。
でも、骨の私の登場は、彼にその一歩を踏み出す後押しになってしまったらしい。
彼はとうとう私の呼び声に応えて、こちらに来ようとしている。
私はここに居るのに……。
彼が行ってしまう。
死んでいる私にはどうにも出来ない。
私は骨の私に勝てなくったっていい。だから、彼は死んではいけないのだ。
彼の頭が水に沈む。
きっと、彼も私のように、上も下も、右も左も分からなくなって、川底に沈むのだろう。
そう思うと、私はいつの間にか夢中で彼の手を掴もうとしていた。
彼は怖いくらいに潔く、力を抜いて、水底に沈んでいく。私たちは必死で彼を掴もうとする。
ダメだ。こちらに来てはいけない。
私たちは必死で、死んでいるのだと言うのに、必死で……。
ーー私は何かに触れられた気がした。
川辺の砂利の上、彼は仰向けに寝転んでいた。
彼の虚ろな焦点は、私の顔に合わさっていた。
「ここはあの世なのか……?」
「違うわよ。あなたはまだ生きているわ。でも、私はもう死んでいる」
「でも、触れられる」
彼は私の頬に手を当てて、微かに笑う。
その顔はとても安らかで、今にも眠ってしまいそうだった。
私は、ようやく彼に触れられる魔物娘になれたのだ。
「えい」
舌ったらずの声が、彼の腹に降る。
「せっかく助けたと言うのに、死のうとしないで。それに、よくも私をふってくれたわね」
骨の私が泣きはらした顔で彼を見ていた。
「ごめん」
「許さない。だから、私たちの両方を幸せにしなさい」
骨の私はそんな事を言う。
彼の瞳には私たち二人の顔が写っている。
「分かった……」
彼は天を仰いで嘆息する。
白旗のふりをしていた雲はかき消えて、底のない青空が広がっている。
川のせせらぎが、止まらない時を教えてくれる。
「身も魂も手に入れてしまうなんてあなたは贅沢な男よ」
それはどちらの言葉だったのか……。
「その通りだな」
私たちは彼に抱きついた。
ようやく触れられた私は頬を盛大に緩める。
私は魔物娘(ゴースト)になれないまま、魔物娘(スケルトン)となった私と彼を取り合っていた。
私は勝ってはいけない勝負に勝ってしまっていた。
私は私の幸せよりも、彼の幸せを考えたら、負けてしまった。
でも、それで良かったのだ。
ようやく同じ土俵に立てて、私たちは彼を巡って争い合う。
私のどちらが彼をより幸せに出来るのか、を。
「重たいな」彼が言う。
「ヒドイッ!?」とゴーストの私。
「私の方が軽いから、私じゃない」スケルトンの私が言う。
そんな私たちに彼は笑う。
「でも、心地の良い重さだ」
そうして彼は手にしていた花束を二つに分けて私たちに均等に渡す。
「ごめん、バカな事をした。でも、これからよろしく」
霊と骨の私たちは顔を見合わせて、苦笑しながらそれを受け取ったのだった。
17/07/27 12:50更新 / ルピナス