読切小説
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深淵より愛をこめて
「チッ、また迷惑メールだ」

 俺はうんざりした声を上げた。
「ほんと、邪魔だ」
 最近、俺の携帯に迷惑メールが増えた。こんなものに引っかかるやつがいるのだろうか。俺は面倒くさいと思いつつも、迷惑メールを削除していく。
 迷惑メールの種類は豊富だ。中には、メールアドレスが、アナゾン、s0バンクだったり、自分の名前を母として登録していたり……。手の込んでいて、見ていて楽しいものもあるが、あてずっぽうに出されたものは、ただ鬱陶しいだけだ。
 【画像あり】、とか。同じタイトルが連続するのものはその最たるものと言える。
 拒否しようにも毎回別のアドレスから送られてきて、拒否しきることが出来ない。迷惑メールをうまいこと拒否できるアプリがあれば、一儲け出来るのでは、とも思えてしまう。

「……今回は文字化けパターンか」
 そもそもひっかけるつもりがあるのだろうか? 真面目くさった文章を書く癖に、最後の一文が文字化けしていたりする。しかし、今回はすでにタイトル自体が文字化けしていた。

 くねとらす

 そんな文字が入っていた。
 その時の俺は、無駄だと思いながらも、律儀に迷惑メールとしてそのアドレスを登録した。
 それはいつもの事。迷惑メールは、迷惑で邪魔なただの迷惑メールでしかない。

 俺は
 ーーそう思っていた。

 そして結局、俺はその認識を変えることを、最後まで、出来なかった。

 ◆

 数日が経った。
 俺は会社の昼休みに、携帯をいじっていた。
 あれだけ来ていた迷惑メールが、不思議と止んでいた。
 来ないのであれば、それに越したことはないのだが、あいにく、迷惑メールや広告メールくらいしか届かない身としては、少しさびしくも感じてしまう。
 面倒くさい、俺は俺に自嘲する。
 だが、向こうの業者にもリズムがあるのだろう。たとえば給料日後、たとえば年の暮。彼らは狙い時をわかっている。

「まだガラケーなんですね」
 同じ部署の若い女性社員が話しかけてきた。
 俺はコーヒーをすすりつつ、出来る限り愛想良く答える。
「ええ。思い出深いものでして。もう、会えなくなった人からのメールが残っているんですよ」
 俺は精一杯寂しそうな色を瞳に浮かべてやる。
「あ……。そうなんですね。……ごめんなさい」
 彼女はなかなか感受性が強いようだ。
 俺の様子に、『会えなくなった』理由の種類を悟ったらしい。
 うすら暗い思いを抱きつつ、俺は努めて明るく言う。
「大丈夫ですよ。まだそうと決まったわけではないので」
 俺は遠くを見るような眼をして言う。
 彼女は曖昧にうなずくと、軽く会釈をして去っていく。
 他の同僚の女子社員と何事か囁いているのが、まるで小波のように聞こえる。

 そうだ。彼女の死体は上がっていない。彼女は未だ、行方不明だ。
 だが、生きているわけがないだろう。
 俺は暗い海のようなコーヒーをすすった。

 ◆

 数日が立った。
 迷惑メール用のフォルダをあけてみた。
 数件のメールが入っていた。
「珍しい。前と同じメールアドレスだ。しかも、またタイトルが文字化けしている」
 俺は思わず苦笑してしまう。
 それらのメール以外、他には迷惑メールは入ってはいなかった。
 そのタイトルは、来た順に並べると、

 いかひいま、にんるさき、ええすだい

 こうしてみると、何だか、古いゲームのパスワードのようにも見えてくる。
 ド●クエのふっかつの呪文とか。打ち込んでみても面白いかもしれない。
 休日、思い立った俺は、押し入れの奥から古びたゲーム機を引っ張り出して、起動させてみた。
 さすがは日本製品。起動した。
「やっぱり、何も起こらないか……」
 そう言って、自分が何か漠然とした期待を抱いていたことに気がつく。
 俺はふん、とゲーム機のスイッチを切る。
 こんな風にリセットしてしまえるのならばーーセーブして、ロードできるのであればーー俺はどこからやり直すのだろう?

 彼女と別れる前に戻すだろうか。
 それとも彼女と出会う前に戻すだろうか。
 俺はふてくされたように横になり、ぼんやりと彼女のことを思い出す。

 深海(ふかみ)すず。
 大学時代、俺は彼女と付き合っていた。
 スキューバダイビングが好きだった彼女は、旅行先のきれいな海で……。俺は、海の底の割れ目に吸い込まれていくような、彼女との別れを思い出す。あれは、まるで、−−海が、彼女を奪っていくようだった。
 彼女のもがく手が俺を求める。その手の動きは俺を手招いているようにも見えて……。

 プン、と。磯の匂いがした。生き物の死骸の煮詰まった、海の匂い。

「ゲホッ!」
 俺はガバッと跳ね上がり、台所で水を一杯口に含む。苦い味がして、俺はたまらず吐きだす。水を嚥下することが出来ず、俺は溺れるように口を漱いだ。
 何度も、何度も。
 しかし、粘ついた口の中が清められる気はしない。体中に、海のというものがこびり付いている気がする。

 何時までもくよくよしていても仕方がない。俺は頭を振る。
 汗ばんで重たくなった髪に、まだ水の中にいる気がする。
 俺は深く息をつく。
 あれは数年前の事だ。俺は大学を卒業して、会社に就職した。社内でも評判はいい。だが、彼女を作れないでいた。
 得体のしれない恐れのようなものが、あの日から俺の体にまとわりついている。
 
 携帯のメール着信音が鳴った。
 俺はそれを開かなかった。

 ◆
 
 数日後、社内の飲み会に参加して、トイレで用を足しているとき、ふとあの文字化けメールが気になった。
 メールが増えていた。
 相変わらずの文字化けメール。

 かんいくに、むしあてい

 俺はなんとはなしに、そのメールの一つを開いてみた。
 ぷん、と。潮のにおいがした気がした。
 このあたりに海はないはずなのに。俺から彼女を奪った忌まわしい香り。
 俺はトイレの個室で吐こうとして、ドアを開けた。

 ーー息をのんだ。

 トイレットペーパーが散乱していた。どこかの酔っぱらいのたちの悪いいたずら。
 そう片付けたかった。だが、トイレットペーパーの波打つ様子は昆布やワカメのような、ぬめりのある海藻を連想させた。紙で出来た海藻の一部は便器につかり、水を吸って透明になっている。

 俺はどうしてしまったのか?
 どうして何でもかんでも、海に結び付けるのだ?
 もうあれから数年たっている。どうして?
 最近、頻繁に海の香りを感じる。それが理由だろうか。
 もしかすると、彼女が、海の底から帰ってくる……。
 俺は吐いた。
 海藻のように、長い髪を波に揺らめかせて、彼女が浮かび上がってくる。そんな悪夢を思う。
 その髪は紫色で、その体はすでに人のものではなくーー。

 メールの内容は、空だった。
 こんなメール、送る意味もないだろう。
 文字化けしたタイトルだけの、文面のない、不可思議なメール。

 他のメールを開けてみても、同じだった。
 俺が口をすすいでいると、メールが増えた。
 そのタイトルも文字化け。

 をははいあし

 しかし、それを並べてみて、瞬間、俺は背筋が寒くなった。
「ぁ、あ、あ」
 うめき声にもならない声を上げて、俺は、気分が悪いと言って、その会を後にした。

 なんだ、このメールは。
 そのフォルダには、新しい順に、タイトルが並んでいる。そこに浮き出てきた文章に、俺は足に海藻が絡みついているような恐怖を感じる。よくよく見れば、その迷惑メールはいつも同じ時間に届いている。
 その時間は、どこかで聞いたことのある時間。

 家に帰った俺は、もう一度そのフォルダを開けてみる。
 メールが増えていた。
 差出人のアドレスには、名前がついていた。
「ぁ、あぁ……」うめき声が聞こえた。
 その差出人は、忘れもしない。
 俺が殺した彼女の名ーー。

「う、うわぁあああ!」
 俺はたまらず携帯を壁に投げつけた。
 薄暗い部屋の中、携帯のディスプレイが明滅している。
 フォルダは開けっ放し。意味のない文字化けしたタイトルが並んでいる。
 そのタイトルはきっと、あと一回のメールで意味を成す。

 メールのタイトルは新しい順に並んでいる。
 右から読める、縦書きの手紙。

 なたなっっ
 たしたてと
 をははいあ
 むしあてい
 かんいくに
 ええすだい
 にんるさき
 いかひいま
 くらとねす

 逃げなくてはいけない。
 逃げなくてはいけない。
 だが、俺はどこに逃げればいい?

 恐怖のあまり、俺は歯を打ち鳴らす。
 と、携帯のメール音がーー

 心臓が破れそうなほどに胸を叩く。ここから出してくれ、と。
 息苦しい。息苦しい。その声と手は、彼女のものに思えた。
 乾いた呼吸の音が、ひきつる。
 携帯のディスプレイには、文字化けしたタイトルが増えている。

 あわあまき

 すべてのタイトルがジワリと滲み、一つのメールになった。

 送信者 深海すず
 タイトル 深淵より愛をこめて

 ひとりでにメールが開く。

 今まで、文字化けだと思っていたタイトルが、意味を持った言葉として並んでいる。

 きっと逢いに行きます
 待っていてくださいね
 あなたは愛する人
 私は深淵から
 あなたを迎えに行く

 携帯のディスプレイが滲む。
 滲んでいるのは俺の瞳の方かもしれない。

 携帯から、名状しがたい、紫色の触手のようなものが、這い出てくる。
「ひ、ひひひひひ」
 恐怖のあまり、俺はひきつった笑いを上げる。
 股間が冷たい。アンモニア臭がする。
 次々と這い出してくる触手の先には、忘れようもない彼女の顔が……。
 水をしたたらせて浮いていた。
 
 プン、と。潮の香り。

 ◆

 俺は彼女と、海に来ていた。
 彼女は俺の腕に抱かれて、幸せそうにしている。
「怖い夢を見たんだ」
 俺はそう言って、彼女の胸に顔をうずめる。
「どんな夢?」彼女は朗らかに問いかけてくる。
「俺が、君を殺してしまう夢だ」
「そうなんだ。怖いわね」
「ああ。俺は君の酸素ボンベに細工をした」
「私はそれで窒息してしまうのかしら?」
「違う。苦しくなってもがいた君は、突然の激しい潮流で流されてしまう。それで海底の割れ目に吸い込まれて消えてしまう。君の死体は上がらなかった。その後、俺はのうのうと陸に戻って、恋人を失った哀れな男を演じるんだ」
「どうしてそんな事をしたの?」
 俺は顔を上げて彼女の顔を見る。
「君を海にとられてしまうかと思ったんだ。一緒に海に潜っているうちに、君は俺よりも海の方が好きであるように思えてきた」
 俺の真剣な瞳に、
「なぁんだ。そうだったの。私はちゃんとあなたの方が好きよ」
 彼女は優しく微笑む。
「よかった。私を嫌いになったわけじゃなかったのね」
「当たり前だ」
 俺たちは見つめ合い、口づけを交わす。磯の香りに、彼女の香りが混じっている。塩っ辛さと、彼女の甘さが溶け合って、粘ついた味がする。
 これは俺が好きなものだ。
 
 ん? あれ?
 俺は海が嫌いになってはいなかったか?
 あの時から。
 ……あの時とはいつだ?
 思い出せない。
 だが、それはどうでもいいことだろう。
 俺には、彼女さえいればいい。

 俺たちは海の上、波に流されるまま浮いていた。見渡す限りの大海原は、まるで空に浮いているようにも思えてくる。雲一つなく、真っ青で明るい空。俺たちが浮いているのは、まるで泥のように真っ暗な海。

 俺は彼女を抱いたまま、真っ暗な海に沈んでいく。
 浮いていくのかもしれない。
 俺たちはもう一度、口づけを交わした。

 ◆

「よかった、よかった。戻ってきて本当によかった」
 彼女は自分の触手を彼に絡ませながら歌う。
 彼は虚ろな目をして、彼女の艶めかしい紫色の触手に愛撫されている。
「私はあなたに殺される前に、海にさらわれた。でも、私はちゃあんとあなたの元に戻ってきた。これからはずっと一緒よ。ダーリン」
 一人のマインドフレイアが、一人の男の耳から触手を突き入れている。
 紫色の触手はクチュクチュと淫靡に蠢き、彼女は官能的に頬を緩める。
 うっとりと、蕩けるような瞳で、彼の唇に舌を這わせる。
「ふふふ。かわいい人。じきに人ではなくなるわ。この私のように……。ああ、待ち遠しい」
 彼女は白魚のような指で、自らの下腹部を撫でる。その指は巣穴を求めるように彼女の股の割れ目を目指す。

 くちゅくちゅ。
 水音が増える。彼女の触手のうごめきが激しくなる。

 ここはどこか知れない。海の、深い深い場所。

 そこで男は彼女に抱かれて、二人は永遠に、蕩けるような甘いーー夢を見る。
17/04/28 17:20更新 / ルピナス

■作者メッセージ
文字化けって、ほんと呪文っぽいのです。

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