とある航海長の不運で幸せな航海
ある日を境に航海は変わった。
山ほど食料と水、そして奴隷を積み込んで尚、一度でも嵐に会えば終わり。運よく嵐に会わずとも半数が一度の航海で死亡する。熟練し専門の知識を身につけた航海士がいなければ目的地に着くことは出来ず、海の魔物に出会えば全員が武器を手にとって命がけで戦い、何十人もの犠牲を出してそれらを撃退していた時代。いわば『冒険』の時代とも言うべき航海は、魔王の代変わりと共に幕を閉じた。
「あなたー!早く帰ってきてねー♪」
「おうっ!待ってろよ!精のつくもん山ほど買ってきて、良い子を産ませてやるからな!」
「あなた…その…」
「マーメイドぉぉぉ!俺だーっ!結婚してくれー!」
肌のちりつくような太陽の下。海水と日の光をたっぷり浴びて年季の入った甲板の上に何十人もの男が集まっていた。皆、一様に同じ制服を着ていて、腕周りだけでも、女の子が腕を絡ませて尚、いくらか余るほど太く、服の上からでも引き締まった身体が見て取れる。
彼らは『海の男』とも言われる男たちであり、このフライングプッシーフット号を完璧に運用する熟練の船乗りでもあった。まぁ、だらしなくデレデレしながら、それぞれの恋女房ともいえる魔物娘に手を振る姿からはまったくそれが想像できないんだが。
―しかし…いい加減、出航の時間だって言うのに暢気な船員たちだ。
「そういや今日も航海長のイイヒトは来てないですねーっ」
そんな中、一人の船員が俺に向かって振り向いた。そいつは特に何も考えず、確認の為に口に出してくれたのだろうが、そんな彼の言葉が俺の心にぐさっと突き刺さる。
「……あぁ」
―見れば分かるんだよっ!一々、口に出して確認しなくとも良いだろうがっ!
そう怒鳴りたくなるのを何とか堪える。航海長と言う責任のある立場の人間がそうそう激して大声を上げるわけにはいかないのだ。…とは言っても、俺の居るこのフライングプッシーフット号には俺を含めて三人しか航海士が居ないので、責任のある立場、と言っても正直、大したことは無いんだが。
「最近、来ませんね。航海長のイイヒト」
「…お前……さっきから喧嘩売ってるのか?」
コメカミが引きつるのを感じながら思いっきり敵意をぶつけてやると、そいつは青くなってふるふると首を振った。航海長に任命されてからめっきり喧嘩する回数は減ったが、それでも昔は荒くればかりの船員に指示を飛ばすために喧嘩に明け暮れたもんだ。その実力は今でも劣らっておらず、主に船員を締めるのにもっぱら使っている。
「ち、違いますよ!そうじゃなくてっ!その…家の奴と違ってやっぱり大変なんだろうなぁ、って」
「あぁ…まぁ…な」
家の奴、と言った時に見せる嬉しそうな顔に何も言えなくなってしまう。
海の上で大半を過ごす船員には大抵、魔物娘の恋女房がいる。男だけの環境で、ずっと船と言う閉じられた場所に押し込められているのだ。そんな所に可愛らしい容姿の魔物娘がやってこればそりゃ恋も芽生える。『教団』はそれを禁止しているが、船員からすれば男同士よりはいくらか健全だ。そう思うのは俺にも懸想する恋女房がいるからだろうか。まぁ、さっきからずっと俺が不機嫌なのは、その恋女房が最近、顔を出さずに、こうして他の連中がいちゃついているところを見せ付けられているからなのだが。
―しかし、何時までも不機嫌なままじゃいられないのが管理職の辛いところだ。
「おーし。お前らぁ!そろそろ出航だ!碇を上げるぞ!!」
そう声を出して船員に指示を飛ばしていく。そうすると、今までのデレデレした『旦那』の顔とは違い、キリッとした『海の男』の顔に戻るのは流石だ。さっきまでの様子が嘘のようにてきぱきと身体を動かし、あっという間に出航の準備が出来上がってしまう。そのスピードはよその船と比べても遜色なく、自慢できるほどである。…しかし、俺は胸を張れるほどの船員の働きっぷりに頭が痛くなるのを堪え切れなかった。
―普通、こういう指示を飛ばすのは、航海長の助言を受けながら、船長がやる仕事なんだけれどな…。
ただの航海長に過ぎない俺に指示を飛ばされるのが普通になってしまっているその姿には涙を禁じえない。しかし、残念ながら家の船長は放っておくと「カリュブディスたんとちゅっちゅしたいよぉ」としか言わなくなる極度の駄目野朗なのだ。指示を飛ばすことは元より、出来て当たり前の仕事一つでさえ期待は出来ない。今も船の甲板にいないのは船長室の中で、カリュブディスを思って妄想しているからなのだろう。そんな奴がどうして船長をやっているのか、俺は今でも謎なんだが、仕事を立派にこなす船員やその才能を持つ船員を何処からとも無く見つけてくる辺り、人を見る目だけはあるんだろう。
そんなことを考えているうちに碇を上げられた船のマストに何人かが登り、純白の帆を広げた。ふわりと広がる純白の三角形が青い空に幾つもの花を開かせ、目に眩しい。帆は追い風をその身一杯に受けて緩やかに船が前進していく。熟練の技術で舵を切る船員が船を自在に操り、入港してくる船を軽々と避けて外海へ。
―そう。フライングプッシーフット号の何十度目かの航海がこれから始まるのだ。
ある日を境に航海は変わった。
恐るべき魔物は愛すべき魔物娘となり、栄養不足に喘ぐ船員に新鮮な魚介類を提供してくれる。嵐の時も魔物娘に先導を任せて乗り切り、誤って海の落ちた船員も魔物娘が拾ってくれる。正確な航路は熟練し、専門性の高い知識を持つ航海士がいなくとも魔物娘が教えてくれるし、奴隷などなくとも発展した技術を精をつけて力の有り余った船員たちが用いれば、十二分に船を運用できる。
『冒険』であった航海は終わりを告げ、『安全で安心』の航海の時代。『陸よりも安全で楽しい生活』なんて昔の船乗りの間で流行ったジョークだが、今ではまさにその通りだ。
―それが俺にとっては少しばかり不満ではあったんだが。
俺にとって航海は憧れだった。
俺の生まれた村は何の特産品もないド田舎もド田舎で、地方の片隅にぽつんとある。土地が肥えているわけでもない、人を呼び寄せられるほど豊富な資源があるわけでもない、魔物に対する強烈なアレルギーがあるわけでもない、ないない尽くしのド田舎。そんな場所で俺はガキ大将として君臨し、二人の子分を従えて毎日遊びまわっていたんだ。
そんなある日の事、村に旅人がやってきた。名をリックと言い、何処かの国の王子様だって言われてもあっさり皆信じてしまうような美しい人だったな。彼は竪琴と歌声だけで諸国を回る吟遊詩人で、俺の生まれた村に寄ったのは…まぁ、この辺は良いだろ。とにかく俺たちのお陰でリックは村に寄って少しの間、滞在していたのさ。
そして俺たちとリックは一番仲が良かった。俺たちは毎日、リックにくっついて、彼に寄ってこようとする女どもを警戒し―俺はホモじゃないぞ。リックが女に寄ってこられると困っていたんだ―同時に役得として俺たちは彼に詩を乞うた。彼の歌声は今でもしっかりと覚えている。子分その1は天使のような歌声だ、と言っていたが、まさにその通りだ。美しく荘厳で、同時に優しくて、聞いているだけで胸が一杯になるその歌声は、ド田舎に住んでいる俺たちにとって初めて聞くものだったよ。
そして俺が彼の詩の中で一番、好きなのは冒険譚だ。強い勇者の物語―例えば黄金の鉄の塊で出来た騎士の物語のような。あんなもん、いまどき誰が信じるのだろう。いや、子分の一人はそれを信じていたわけだが―や、悲劇や喜劇に彩られたラブロマンスではない。特別な才能があるわけではない、特別に強いわけでもない、けれど、皆が協力して沢山の財宝を得る冒険譚が俺は大好きだった。
―そう。例えば、昔の『冒険』の時代の航海の様な。
だから、俺は船乗りになろうとした。生まれ故郷を捨て、辻馬車を乗り継ぎ、地方で一番の都市へと足を向けて、そこで船に密航したわけだ。
―この時の俺はなんで密航を選んだのか分からない。恐らくは密航して無理やり働かせてもらい、そこで実力を認めてもらって、正式採用してもらう、そんなことを考えていたんだろうとは思うんだが…。
しかし、密航は船乗りの間で重大な犯罪だ。認めていたらキリがない為、海に突き落とす同業者も少なくないという。そんな同業者に当たったら目論見はすぐに御破算だ。船があるということは近くに魔物娘が居る為、死ぬことは少ないが、運悪く死ぬ場合もあるだろう。また突き落とされなくとも見せしめのためにリンチにする船も数多い。そんな状況を後で知ったのだからこの時の俺がどれだけ無謀であったか少しは伝わるのじゃないだろうか。
そんな同業者たちの中で俺が当たったのがこのフライングプッシーフット号だった。船長は昔から「カリュブディスたんとちゅっちゅしたいよぉ」としか言わない駄目野朗だったが、当時の航海長―今はもう船を下りて嫁のセイレーンと幸せに暮らしている―が当時の俺の無謀さと馬鹿さ加減を買ってくれた。密航したのは働かせてもらうため、と必死に説明しても船員たちに信じてもらえなかった俺を航海長付きの見習いにしてくれたんだ。それからの俺は毎日、航海長の後を着いて回って勉強の日々だったな。人生であれほど勉強をした日々はなかったと思う。それだけ一部の事を除いては熱心に航海術や、船員たちの仕事を勉強する毎日だった。
見ず知らずのガキに何故それだけ航海長が熱心の自分の秘術とも言うべき航海術を教えてくれたのか、今の俺には少しだけ分かる。…航海長は多分、悲しかったんだ。
―今まで多くの先人の犠牲と、発見が積み重なって培われてきた航海術。しかし、それは今、必要とされなくなっている。
魔物娘たちに罪は無い。彼女たちは愛する船乗りを少しでも楽にしてあげようと善意でやってくれているのだ。それを感謝こそすれ恨む気持ちなんぞまったくない。それは恐らく航海長も同じだろう。
―しかし、同時に魔物娘たちの所為で航海術は要らない技術となった。
まるでロートルでポンコツの骨董品のように。フライングプッシーフット号はかつては奴隷を含めて、200人を収容し航海していたそこそこ大きな船なのだが、そんな船でさえ今では航海士が三人しかいないほどだ。航海長がまだ船に乗っていた頃は七人の航海士がいたが、一人、また一人と嫁と一緒に海へと消えていった。そして消えていった航海士の補充はまったくない。こんな時代に航海術なんて学ぼうとする奴はいないし、いなくても特に問題ないからだ。
−恐らく航海長はそんな先が見えていたんだろう。
だから、それに少しでも抗おうとハナタレの悪ガキであった俺にさえ航海術を熱心に教えてくれた。例えこれから先、殆ど役に立たない技術と知っていても、また次の世代へと航海術を伝えてくれることを祈って。
だからこそ俺は『冒険』の時代の航海が少しばかり恋しいのだ。かつて夢見た『冒険』の舞台でもあり、俺に技術を教えてくれた航海長の心を無駄にしない為にも、航海術が必要とされ、航海術を思う存分に揮えるそんな航海が俺はしたい…!
―けれど、俺のそんな心とは裏腹に今日も平和で、安全な航海である。
雲ひとつ無い天気は、変わりやすい海の天気とは言え、当分嵐も何も無い事を告げている。純白の花は、今も、追い風を沢山受け、その花弁を大きく広げていた。お陰様で推進力は文句の無いほどで、甲板や、船底で働く船員たちもいるが、残りの半分の船員は自分たちの部屋に篭ってそれぞれの恋女房とよろしくやっているだろう。船底はわからないが、俺のいる甲板の船員たちも真面目に仕事をしている訳ではなく、恋女房と話す合間に仕事をしているような有様だ。あまりにもダレきっているその仕事っぷりに、渇を入れてやろうとも思うが、いざ必要な時には他の船顔負けの作業速度を誇る上に、今すぐ、やらなければいけない仕事もない為に何も言えない。可能性があるとすれば追い風が向かい風になって、マストを畳む位だが、肌を撫でていく風の感覚や、空の色を見るに、この追い風は当分、収まることは無いだろう。
―まぁ、つまるところ順調過ぎるほど、順調な航海な訳だ。
船の左右に目を向けると船の速度に追いつき併走している海の魔物娘たちが見える。疲れたのか、魔物娘を受け入れるためのタラップを開いて、そこに腰をかけて船員と抱き合っている魔物娘さえ居た。流石に注意しようと思って口を開こうとするが…ふと俺の視界が何か黒いものに奪わる。
「カリュブディスたんといちゃらぶしたいよぉ」
『それ』は俺の頭一つ分したくらいまでの身長しかなかった。それでも俺の視界が奪われ、開こうとしていた口が何も言えずに閉じてしまったのは無理やり被っている船長帽がその身長を20cmほど水増ししているからだ。
そいつは線が細く、低い身長を含めて、まだまだティーンズの少年にしか見えず、さらさらと日を弾く金色の髪はそこそこの裕福な家庭の出であることを教えてくれる。瞳は見ているだけで引き込まれるようなブラウンをしていて、今も好奇心を一杯に込めて輝いていた。服装は俺たちと同じ制服で、背に羽織るフライングプッシーフット号を所有する商会のマークが入ったマントと船長帽があって尚、誰もこいつをこの船の船長だとは思わないだろう。
「何してるんですか船長」
「見回りなんよ」
―ほう。珍しい。
この見るからに海の男というよりも、貴族のお坊ちゃまの方が近い男は見た目通り力仕事は一切、出来ない。船長として最低限しなければいけない仕事―例えば帳簿をつけたりは俺などは出来ない―はやるが、他の…例えば航海長である俺でも出来る仕事があれば躊躇なく俺に任せてくる。本人曰く「適材適所なんよ」だが、面倒くさいだけなのは誰の目から見ても明らかだ。
―その船長が見回りとは…少しは自覚が出てきたか。
船乗りにとって組織のトップは船を所有する商会ではない。海の上で絶対的な権力を持つ船長だ。自然、そんな船長が船内を見回りしていれば、だらけた仕事をしている船員にも身が入る。これでピンク色に染まったこの船にも少し渇が入れば良いんだが…。
そんな俺の期待を背に受けて、船長は甲板を見渡した。そこには船長が甲板に出ていることも知らず、十何メートルの距離を開いて、恋女房と話をしている船員が山ほど居る。
―さぁ、連中に渇を入れてくれ船長っ!
期待して船長を見つめる俺の視線を、他所にこいつはがっくりと肩を落とした。
「カリュブディスたんの渦潮は今日もないんよ…」
「…は?」
「もしかしたら、と思って見回りに着たけどカリュブディスたんの渦潮はないんよ…」
―まぁ、そりゃあってもらっちゃ困るからな。カリュブディスは最悪の天災みたいなものだ。もし、発見したら全力でルートを変更する。其の為に幾つかの魔物娘には先行してもらって、カリュブディスの有無を確かめてもらっているほどだし。
いや、そうじゃなくて…まさか見回りってそういうことなのか…?
「カリュブディスたんの渦潮が無いなら用はないんよ。船長室に戻るんよ。…あ、そこのいちゃらぶしてる奴は羨ましいから航海長が叱って欲しいんよ」
そう言って船長はとぼとぼと船内に戻っていった。その背中は悲しみを背負っているように見えたが、悲哀の量は俺が背負っていつものとは比べ物にならないだろう。
―奴に期待した俺が馬鹿だった…。
そもそも本当に見回りするような殊勝な心がけの船長であるならばとっくの昔にやっているだろう。実年齢が不明で、俺がであったときにはもう今の姿で「カリュブディスたんとちゅっちゅしたいよぉ」と言うのが、大半のあの船長は、今までもずっと大半の業務を人に丸投げして生きてきたのだ。今更、そんな風に見回りすることなんてないだろう。
−辞めたい…この船ホント辞めたい…。
船長は船員にも気軽に接してアットホームな職場、と言えないことも無いだろうが実情はほとんどの業務の責任が俺に圧し掛かっているのだ。航海長なんていう名ばかりの役職では背負いきれないほどの重荷が俺の肩にはある。
船員はやる時はやるが、やらない時はやらない連中ばかりで、船長にいたってはやる時もやらない。何よりの問題はそんな連中でさえ、無事に航海を成功させ、このフライングプッシーフット号が不沈船としてそこそこ有名になっているという現状にある。
―今はまだ良い。実力のある船員が山ほど居る。だけど、その船員たちが降りたらどうするんだよ…。
このフライングプッシーフット号を所有する商会がある都市は古くから魔物が魔物娘となった頃から魔物を積極的に受け入れてきた稀有な場所だ。交通の要所でもあるそこは魔物娘の商業的価値を古くから気づいていて、特に海の魔物を重視して、彼女たちを保護している。その都市が彼女たちにどんな契約をしているのか、詳しくは俺も知らないが、俺が船乗りになった頃には魔物娘はもう船乗りにとってなくてはならない隣人であったのだ。そんな魔物娘のお陰で、新しい航路が沢山開拓され、航海の成功率も跳ね上がって今では失敗することの方が珍しいくらいだが、問題が無いわけではない。
元々、海の魔物は男を海に連れ去るのが主流なのだ。それをどんな手法かは知らないが我慢させて、男の航海を手伝わせている。海の上でも一緒なので、普通の女よりは接している時間が長いとは言え、恋した女に一方的に我慢させている現状を多くの船乗りが善しとは思っていない。
―それはこの船の暗黙の了解である『5年ルール』にも見て取れる。
『五年ルール』とは、船乗りは一度、勤めてから五年は船を下りてはいけない、と言う物だ。これは、どんどんと人が辞めていくという現状を防ぐ為に半ば人の良心から出来上がった規則でもあり、船を下りる権利を正当化するルールでもある。船を下りる順番をこうして決めておけば、抜けるときに味わう良心の痛みも軽減されるからだ。
まぁ、そんな一種馬鹿らしい暗黙の了解があり、また魔物娘たちの手伝いもあって、今は深刻な人手不足にはなっていないものの、近い将来、それは現実となってしまう。
―そんな中、新人がまともに仕事を覚えるかよ…。
新人は人の背を見て仕事をする。特に海の世界ではそうだ。厳しい船では厳格な船乗りになるし、熟練した船乗りが多ければより発奮し技術を磨こうとするし、だらけた船ではやはりだらけた船乗りにしかならないだろう。ステレオタイプ的に確実にこう分類できるわけではないが、多くの船乗りと接してきた感覚からそう感じる。
―そしてこの船は至極残念なことに、どちらかといえば三番目に分類されてしまう。
この事実だけで、何時か確実に来る『近い将来』に不安を覚えるのは仕方のないことだろう。
「あぁー…マジでどっか良い船無いかなぁ…」
甲板でいちゃいちゃしてる船員たちを尻目に空を見上げた。深くて全部飲み込んでしまいそうな濃い青とは違い、突き抜けるような青は何時もと同じで、俺の悩みや辛さなんか知らないようで、目尻に少しばかり水が溜まってしまったのだった…。
そんな生活が二週間ほど続いた。
アレから何度も注意したが、やはり俺の怖さ程度は、魔物娘の魅力には勝てないのか船員のダラけっぷりは止まらない。確かにダラけてはいるものの、仕事はきちんとしている船員が多いので、皆、この現状にそんなに危機感を持っていないのだろう。なので危機感を持ってもらおうと、船長を動かそうとしても、奴は「カリュブディスたんハァハァ」と言って自分の部屋に篭っている。無理やり突入することも考えたが、そんな声が聞こえる扉を開けたくない気持ちが勝ってしまった。
「はぁ…どうすっかねぇ…マジで」
火が落ちて暗くなった俺の部屋を揺れる蝋燭の炎が不規則に照らす。その炎を光源に船長の代わりに書いていた航海日誌から顔をあげ、俺は思わずため息を付いた。
―俺も後、一ヶ月で勤続五年か…。
一ヶ月先…この航海が終わる頃には俺はこの船を下りることが出来る。それが俺の中の焦りを助長する一つの要因でもあった。
―俺が抜けたらこの船どうなるんだろうなぁ…。
別に俺の航海術がなかったら、この船はやっていけない、と思うほど自惚れては居ない。まだまだ実力のある船員は沢山居るし、本当にやばくなれば船長も動き出すだろう。仕事がどれだけ出来なくても人を見る目だけはしっかりしているあの船長が居る限り、そんなに心配をする必要は無いのかもしれない。
けれど、それでも尚、一抹の不安が俺の脳裏を過ぎってしまう。もし、俺がこの船をまったく改善しようともし無かった所為で、この船の長い歴史が絶えてしまったらどうしよう、と思ってしまうのだ。
―だからこそ、俺の居る間に少しでも空気を変えたいんだが…。
長年、俺自身も善し、としてきただけに、この船に満ちる空気は中々、変えることができない。それが俺の最近の悩みの種だった。
「あーあ。もうやってられるかってんだ」
一人呟いて、書きかけの航海日誌を閉じた。今日も順調過ぎて何のトラブルも無かったので、書く事なんて方角と進んだ距離、それと俺の愚痴くらいしかない。商会が業務のチェックに義務としているとは言え、愚痴ばかり書かれている航海日誌にまた一ページ増やす行為に何のやりがいを見出せというのか。
「あー…荒れてるなぁ俺…」
普段よりも棘のある思考に気づいて、俺は少しばかり頭を掻いた。
荒れてる理由は山ほど思いつく。夢も希望も失い、託された思いすら繋げないふがいない自分。船長の意識も、船員の意識も変えられない無力な自分。そして…忙しいと分かっているとは言え、恋人と会えない期間が長くて、その浮気を疑ってしまう弱い自分。
「何やってるんだろうなぁ…あいつ」
既に拠点を出発してから二週間以上が経っている。それなのに、俺の恋女房はまるで姿を現さない。基本的な航路は何時もと同じなので、俺の船の位置も大体、分かっているはずだ。それなのに顔を出さないということはきっと忙しいのだろう。『彼女』は海の魔物にとって無くてはならない大事な仕事をしているのだから。
しかし、そうは分かっていても脳裏に過ぎ去るような黒い感情を抑えることは出来なかった。
「はぁ…マス掻いて寝よう…」
起きていてもろくな考えが起こらない。それなら気分転換に一発抜いて寝たほうがマシだ。そう思って、俺は蝋燭を消そうと燭台に手を伸す。そうして俺の手が燭台に触れる寸前、俺の後ろの壁に「こんっ」と何かが当たるような音がした。
―まさか…っ!
弾かれたように後ろを振り向き、窓から海の方を見下ろす。そこには俺がずっと待っていた奴がいた。飛び上がりそうな歓喜を感じるのもそこそこに、俺は窓枠の傍のレバーを操作し、壁を『扉』へと切り替える。ロックが解除され、壁が開くのを確認すると、俺はすぐさま、それを開き、海へと向かってロープを下ろした。
「やっべ…!部屋片付けてねぇ…!」
そこまでやって俺は自分の部屋が散らかりに散らかっているのに気づく。普段から船長の仕事の多くも肩代わりしているので部屋の中を整理する時間も無く、その辺に資料やら服やらが無造作に転がっているのだ。足の踏み場が無いというほどではないにせよ、あまり居心地の良い部屋ではない。
「こんばんはです…♪」
「あー…」
そう思って、散らかっている衣服に手を伸ばした俺の背中に可愛らしい声がかかる。俺の部屋は船の中でも船長室の下にあり、海からは結構な高さなのだが、彼女はもう慣れてしまったものなのか、するすると登ってきたらしい。
「こんばんは、レティ」
諦めて振り返ると、そこには女神も裸足で逃げ出すような美女が居た。
長い髪は透き通る湖のような色をしていた。水に濡れて淡く輝くようなその髪が月の光を受けるのはまるで神話の中の一ページを切り取ったようにさえ感じる。薄く茶色がかったその瞳は、知的で温厚な彼女の性格をはっきりと現していた。胸元の大きく開いた白い修道服の下に、下着のような水着をつけているその姿は清純そうな彼女の酷くミスマッチだったが、それがまた強く興奮を掻きたてられてしまう。手や腰から伸びる大きな鰭や、髪からぴょこん、と伸びる鰭のような耳、また美しい鱗が幾つも立ち並ぶすらりとした尾が彼女が魚類型の魔物娘であることを明確に伝えていた。
彼女はシー・ビショップと呼ばれる種族の魔物だ。船乗りにとっても信仰の対象である海神ポセイドンの巫女であり、人間の身体を海の中でも生活できるように適合させる稀有な能力の持ち主でもある。海の魔物の結婚式を行う司祭でもある彼女は常に海を駆け、少しでも幸せなカップルを増やそうと俺なんかより遥かに忙しく世界中を駆け回っていた。
「遅れてごめんなさい…」
そう言って彼女―俺の恋女房でもあるレティは手に持つ石版―海神ポセイドンの教えが記された経典らしいが俺には読めない―を大事そうに横へと置いた。
「いや、仕方ねぇよ。レティは忙しいんだし」
さっきまでの黒い感情は何処に言ったのかというほど清々しい感情で俺はそう言う事が出来た。レティの顔一つ見れるだけで、疑っていたのが馬鹿馬鹿しくなってしまうほど、彼女は美しい。
「でも…」
「良いよ。それより良い酒が手に入ったんだ。一緒に飲もうぜ」
俺がそう言ってもレティの中の良心の痛みは無くせないのだろう。まだ申し訳なさそうに形の良い瞼で目を伏せる彼女に背を向けて、俺は机の上の木箱に手を伸ばした。見るからに上等な桐の箱の蓋を開けると、緩衝材に包まれたワインが姿を現す。それを無造作に掴むと、戸棚に隠してあったチーズと共に彼女の元へと向かう。
「お待たせ」
そして俺はすぐ近くにある食器棚から二つのワイングラスを取り出した。俺と彼女の逢瀬は基本的にこの壁際なので、すぐに取り出せるよう食器類はここに置いてある。食品は、潮風で浸食されてしまって腐りが早くなったり味が変色するので常備できないが、食べ物を取る程度ならば俺が動けば良い。少なくとも足が尾になっているのに、ここまで上がってきてくれている彼女を部屋の中央まで連れあがるのよりはそっちの方が健全だ。
「あら…それ…」
「知っているのか?」
きゅっ、とコルクを抜く時、独特の擦れる音がする。その瞬間、部屋の中に果実が醗酵した独特の香りが広がった。それをより深く味わうように彼女は目を閉じながら、頷く。
「この前、結婚式のお礼として貰ったものです。かなり美味しいと有名な果実酒らしいですが…高かったんじゃないですか?」
「あぁ、まぁ…なんだ」
―畜生…もう飲んでいるんだったら別のにすればよかった…!
「仲間が山ほど買い込んだ分を分けてもらったんだ。どうやら口に合わなかったらしくてな。別に買ったもんじゃないから気にしないで良い」
―嘘だ。本当はこのワインが美味しいという噂を聞いて、街中駆けずり回って、目ん玉飛び出そうになるくらいの値段にも我慢して、ようやく手に入れたんだ。
レティは普通の蒸留酒の類を好まない。唯一、美味しい、と言って飲むのは果実酒だけだ。しかし、レティは海の中に居て、果実酒なんて滅多に手に入らない。だから、せめて俺と会うときは美味い果実酒を飲ませてやろうと、必死になったんだが…その必要はなかったようだ。表情は必死に普通にしていたが、思わず少し肩が落ちるのを感じる。
「ふふ…っ♪そんなに落ち込まなくとも受け取りませんでしたよ。お礼を目的でやっているわけではありませんし」
まるで俺の心の落胆を見透かしているようにレティは口元に手を当てて、微笑んだ。まるで何の事は無いそんな仕草でさえ、彼女がするだけでまるで貴族の令嬢のような気品溢れるものに変わる。
―やっべ。可愛い…。
もうすぐ五年の付き合いになるが、未だにレティのそんな仕草に俺はどきり、としてしまった。そこらにいる人間なんかよりも遥かに上品で、仕草一つとっても気品溢れるレティは出会った当初のようなときめきを何時も俺に与える。
「なら、良…いや、まぁ、俺が買ったんじゃないけれどな!」
「ふふっ…♪」
必死に誤魔化そうとして、強調した俺の様子に再びレティは微笑んだ。その様子はまるで悪戯した子供の言い訳を聞いているようで、全部見透かされているような気さえしてくる。
―畜生…なんか負けた気がする…。
悔しくて俺は思わず目を泳がせた後、自分の手に持っているボトルに気づいた。そして、気恥ずかしさを隠すように、目を伏せて、果実酒を彼女のグラスに注いだ。薄く白に染まったワインがグラスの中で踊り、蓋を開けた瞬間に広がったのよりもさらに濃厚な果実の香りを伝えてくる。
「美味しそうですね…」
その匂いを一杯に吸い込んでレティは嬉しそうに笑った。その様子に少しばかり満足し、胸が一杯になるのを感じながら、俺は自分のグラスにもそのワインを注ぐ。
「だな。有名なだけはあるみたいだ」
そう応えて俺はワイングラスを親指と人差し指で持ち上げた。それを見たレティも同じようにグラスを持ち上げる。少し二人で、見つめあった後、俺は小さく口を開いた。
「それじゃ、乾杯」
「えぇ。乾杯」
小さくグラスをぶつけて、ガラス同士が触れ合うキィンと言う音がする。レティも俺も弾かれた反動を利用するように、そのままグラスを口へと近づけ、果実酒を口に含んだ。
―最初に感じたのは甘さ。次は匂いだ。
果実酒独特のあの甘ったるさではない。口の中に一気に広がり、次に来る匂いをより味あわせようと、すっとそれが引いていく。甘さが引くのと同じ辺りで口の中一杯に果実の香りが広がる。そして再び帰ってきた甘さが匂いと共に口の中で踊るようだった。
「美味いな…」
「えぇ…」
じっくり味わった後に嚥下して、それでも尚、しっかりと口の中に印象付けるその味は俺が今まで味わってきたワインが、まるで子供の飲み物に感じるほどに濃厚な代物だった。それはレティも同じだったのだろう。味わうように頬に手を当てて目を閉じる。
―その姿はまるで神に祈るようだった。
レティは果実酒が好きで、飲む度によくこんな顔をする。それは美味しければ美味しいほど長く続き、時には眠っているのではないかと心配になる事もあった。今ではレティのそんな癖には慣れたもので、逆にそんなレティが見たいからこそ美味しい果実酒を探すくらいほどだ。
「ホント…美味しい…」
そのまま、たっぷりとレティは口の中のワインを味わったのだろう。ツマミが欲しくて持ち出したチーズを俺が陶製のナイフで切り出した頃に、レティはようやくうっとりとした目を開けた。清純なレティが、瞳を潤ませるその姿は、見慣れている俺でさえ胸の高鳴りを覚える。勿論、そんなどきりとするレティの姿が俺は大好きだった。
「で、最近どうなんだ?」
「えぇ、それなんですけれど…」
そこからはずっと他愛無い話が進んだ。しかし、退屈することは無い。酒気で頬を赤くしたレティの顔を見るだけでも楽しい時間であったし、彼女の話は沢山のカップルを見てきただけあって面白いものばかりだからだ。
嵐で無人島に流れ着き、そこから脱出しようとイカダを作って海に出たもののカリュブディスに捕まって結婚させられた船乗りの話。
漁を生活基盤とする村で、昔から縁結びとして活躍していたメロウが、ついに旅人と結ばれる話。
親の事業の失敗で多額の借金を背負い、世を儚んで身を投げたものところをセイレーンに捕まって、彼女の歌に癒され、生きる気力を取り戻した男の話。
船の中に潜んでいたスキュラに、嵐で落ちそうになったところを助けてもらい、喜んでいたのもつかの間、そのまま連れさらわれた船乗りの話。
他にも様々なカップルの話がレティの口から飛び出した。どれもこれも聞いているだけで、楽しい話であったが、レティは大きいと表現する時に両手を大きく広げたりして身振り手振りを交えて話すのでインパクトもあり、あっという間に時間と酒が進んでいく。
そんなレティの話が一段落した頃には、レティの頬はアルコールで真っ赤になり、潤んだ目になっていた。そんなレティを見ると俺はレティと始めてであった頃の事を思い出してしまう。
―俺とレティが出会ったのは俺が始めての嵐に出会った夜だった。
その日は、天気が晴れていたものの、雲の流れがいつもより速く、航海長は嵐が来る事を予見していた。自然、船乗りたちは気を引き締めて、作業に望み、見事それを乗り切って見せたんだが…当時の俺にとってはそれははじめての嵐だったんだ。まるで岩に押されているようにずるずると動かされてしまうほどの風も、踏ん張ろうにもつるつると滑る甲板も俺にとっては始めての経験で、あっさりと海へと投げ出されてしまう。
この時、大体の場合、気づいた魔物娘が救助して後で船底のタラップから船へと戻してくれるんだが、あいにくとその日は夜で、落ちた俺に魔物娘は誰も気づかなかった。着衣のまま水に浸かる感覚も味わったことの無かった俺は、鉛の様に重い衣服のまま必死に泳ごうとしたが、まるで、海の底にずるずると引っ張られるように溺れてしまう。
―そんな時だ。レティに出会ったのは。
レティはその時、近くのカップルの結婚式を終えた帰りで、たまたま夜の海に沈んで行く俺を見つけてくれた。しかし、既に先へと進んでしまい、船の周りの魔物娘たちも一緒に行ってしまったので、近くに魔物娘は居らず、彼女は仕方なく緊急避難として人間を海に適合させる秘術を使ってくれた訳である。それは…まぁ、早い話、海の魔物の魔力を男に流し込む訳で、それはやっぱりエロい行為な訳で、つまり、まぁ、レティは俺の始めての相手な訳だ。そして、まぁ、その最中の表情が今のレティのように赤く上気していて、目も潤んでいて…今とは違いアルコールで上気したんじゃなく、欲情で興奮していたって違いは確かにあるんだが。
まぁ、そんな夢のような一夜が明けて嵐が収まった後、俺が居ないのに気づいて大騒ぎになった船にレティは俺を運んでくれた。
それからレティはフライングプッシーフット号を見かける度に俺の顔を見に来てくれて、何度も何度も今みたいに壁際に二人座って話し込むようになった。その時には俺は彼女にベタ惚れで、殆ど彼女の事しか考えてなかったな。
―だって、そうだろう?清純で優しくて、ちょっぴりエロい命の恩人を嫌える男が何処にいるって言うんだ?
「大丈夫…?」
「あぁ…悪い」
かつて無いほどに美味い酒の所為か、それとも初めて出会ったときの事に思いを馳せていた所為か、少しぼんやりしていた様だ。レティが少しばかり心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「体調が悪いのですか…?もしそうなら寝た方が…」
「いや、大丈夫だ」
確かに悩みの種は山ほどあるが、体調を崩すほどではない。毎日、そこそこ忙しいが、夜も泳ぎ続けてカップルの下へと急ぐレティに比べれば忙しいとは言えない程度だ。体調が悪いはずもない。
しかし、それでもレティは心配そうにこっちを見つめていた。それを安心させる為に俺はレティの頬に手を伸ばす。
―そして俺の手がレティの頬に触れる直前。ついにてらてらと揺れていた蝋燭の火が消えてしまう。
「…レティ」
愛する恋女房の名前を呼びながら、俺の手はレティの頬に触れた。レティはそれに抵抗せず、まるで全て受け入れるように目を閉じている。従順に俺の手を受けとめ、ろうそくの消えた真っ暗な部屋に差し込むつきの光を受けるその姿は、まるで海の女神のようだ。
「はい…」
レティはそのまま頬に触れる俺の手に、自分の手を重ね合わせた。瞬間、レティの熱が俺の手に伝わってくる。それはアルコールの所為か、それともこれから始まる事に対する期待の所為か、いつもより熱く、疼くような熱を俺の手に焼き付けた。
「時間は…?」
「朝までは…居れます」
「そうか…」
そのまま開いた手でレティの身体を抱き寄せた。ころん、とワイングラスとボトルが転がり、ごろごろと、部屋の扉のほうへと転がっていく。レティはさっきと同じようにそれに抵抗せず、ずっと目を伏せたままだった。
密着したレティの身体は柔らかく、抱きしめているのは俺なのに、抱きしめられているような安心感すら感じる。服越しにとは言え、触れた場所は燃えるような熱を持っているようだった。
「レティ…その…」
名前を呼びながら俺はすぐ横にある食器棚に目を向けた。そこにはずっと渡そうと思って、しかし、決心が付かなかった給料三か月分のあるモノが眠っている。それを今日こそは彼女に渡そうとして手を伸ばそうとしながらも、俺の手は一向に動かなかった。
―このまま何もしないままこの船から逃げて良いのか…?
その自問がまるで俺の手を縛り付けられているように留めてしまう。
「…どうかしました…?」
固まった俺の身体に疑問を持ったのだろう。レティは薄く目を開いて、俺の顔を見つめた。その目はさっきまでのようにアルコールに濡れたものとは違い、欲情で塗れているのが見て取れた。
清純なレティの普段からは想像も出来ないその瞳に俺の欲情が燃え上がる。辛い決断を俺に強いる指輪の事は後回しにして、俺は頬に触れた手を離し、両手で離さない様にレティの身体を抱きしめた。
「いや…その、なんだ。…良いか…?」
「そう言う事…聞かないでください…」
レティは恥ずかしそうにそう言って、抱きしめ返してくれた。より密着した事で伝わる熱と興奮が跳ね上がったのが分かる。少なくとも俺の心臓は、興奮で激しく動悸していた。
「運ぶぞ…?」
「はい…♪」
抱きしめたままではレティを落すかもしれないので、俺は抱きしめていた右手を彼女の尾の下へと通す。彼女もそれに応えて尾を少しだけ上げて、首の後ろで両手を繋いでくれた。俺はそれを確認すると、足と腰に力を入れて立ち上がる。まぁ、早い話、お姫様だっこ、と言う奴だ。ちなみに…持ち上げると分かるが、レティは服の上からでも興奮を掻き立てられるような豊満な体と、船よりも早く走る強力な尾を持っているのにまるで重くは無い。
そのまま特に何事も無く俺はレティをベッドに運ぶことが出来た。毎日、日の下に干している―何時レティが来るか分からないのでシーツの洗濯だけは毎日しっかりやっているのだ―白いシーツの上にレティの髪が広がる。そんなレティに月明かりが当たって、目を奪われるような美しさを彼女に与えていた。
「綺麗だ…」
レティが来る度にその光景は目にしているはずだった。しかし、それでも、その光景は俺の心に何度も焼きつくようで、思わずそう言ってしまう。それがレティには恥ずかしいようで、赤くなった顔を拗ねたように逸らした。
それが可愛くて、俺は悪戯したくなってしまうのは何時もの事である。彼女の上着を止めている幾つかのボタンを外して肌蹴せると、彼女の上着の前は完全に開き、豊満な胸とは対照的に、括れた腰が目に入るようになった。
そして俺はその括れをゆっくりと撫で上げる。
「ひゃう…♪」
目を背けたままレティは可愛らしく声を上げた。羞恥とちょっぴりの快感に震えるその腕をまるで耐える様に口元へと当てて、必死に声をあげるのを我慢している。そんな姿がまた可愛らしくて、悪戯心がむくむくと顔を見せてしまうのは仕方のないことだろう。
「レティの括れはホント、綺麗だな。撫で回したくなる」
「は、恥ずかしいこと言わないでください…っ」
言いながらもレティは括れを撫で上げる俺の手を止めようとはしない。恥ずかしそうに目を伏せて、少し荒い息をつくだけだ。右手は口元に当てているし、左手も必死にシーツを掴み、皺を作っていることから決して拒んでいないのが見て分かる。
「じゃあ、こっちの鱗はどうだ?」
俺は彼女の尾に手を伸ばして、そこをつるりと撫で上げる。一枚一枚がまるで高価なサファイアのような輝きを放つその尾は、つるつるとしていて、触るだけで心地いい感触を俺の手に残した。
「ひゃぅぅんっ♪」
そして彼女は括れを撫でられるよりも強く反応する。びくんっとまるで電流でも流れたかのように身体を震わせ、口元に当てる人差し指にも、シーツを掴む左手にもぎゅっと力が入れた。
彼女の尾は海の中でより早く泳ぐため、人間などには想像も出来ないほどの筋肉の塊である。自然、そこにはそれらの筋肉を効率的に運用するための神経が多く通っていて、こうして鱗越しに撫でられるだけの感覚にも、強い快感を感じてしまうのを俺は知っていた。
「気持ち良いか…?」
俺が聞いたその言葉に彼女はふるふると首を左右に振ることで答えた。
どうしてか俺も知らないんだが、彼女はそんな強い性感帯でもある尾が気持ち良いとは決して認めない。どんな事をしても素直に受け入れてくれるレティのそんな数少ない強情な一面に、俺はやはり嗜虐心をそそられてしまう。
「その割には撫でるたびに震えてるぞ?」
そして俺は指先で鱗を一枚一枚撫でるようにしながらゆっくりと上のほうへと移動していく。尾と彼女の肌の境目は帯状の下着で覆われているが、そこはレティの一番、敏感な箇所だ。勿論、その辺りは彼女にとって、より敏感な場所に他ならない。
「はぁ…っ♪」
快楽を堪えきれないように、レティは甘く息をついた。まるでピンク色に染まってしまったかのような甘い甘い吐息は、果実酒の甘い香りの満ちる部屋の中でも、尚甘い。嗅いでいるだけで脳裏がちろちろと撫でられて本能に火がついてしまうようだった。
「もう一度聞くが…気持ち良いか…?」
「貴方は…何でそんな意地悪になったんですか…っ」
はぁはぁとピンク色の息を荒くつきながら、ベッドの上で彼女が隠すように右腕を両目の上に当てる。けれど、それは何の解決にもなっていなかった。右腕だけでは赤く上気した肌も、興奮を伝える早い呼吸も、その呼吸の度に揺れる柔らかい胸も、鱗に触れるたびにぴくんっと震える可愛い尾も、そして何よりゆっくりと濡れ始めている下着も隠せはしないのだから。
「聞きたいんだよ。レティの口から」
「…貴方は…スケベです…」
「俺をスケベにしたのはレティだろ?」
「…知りません…っ」
ついっと俺に性に関する事を沢山、教えてくれた初恋の女性が目を背ける。
―しかし、「違う」じゃなくて「知らない」と言うところが可愛らしいよなぁホント
彼女は何年も魔物娘と人間の結婚式を執り行ってきた。つまり、まぁ、そういう性に関する知識は山ほど持っている訳だ。それをレティは初めての性交に夢中になっていたガキに教え込んでくれた。そのお陰で、今、こうしてレティを虐めることが出来るのだから、世の中どうなるか分からないものだな。
―まぁ、虐めるのもほどほどにするか。
右腕で隠されているので、レティの様子は分からないが、そろそろ泣きそうな気がしないでもない。レティを虐めるのは好きだが、精々焦らす程度だ。流石に好きな女を泣かせるような高尚な趣味は持ち合わせていない。
「じゃあ、こっちはどうだ…?」
言いながら俺が触れたのはレティの服から溢れんばかりになっている胸だった。片手で収まらないほどのボリュームを持つそれは、触れるたびに柔らかく形を変える。しかし、同時に重力がかかっているとは思えないほど、ぴんっと突き出した形を維持するハリも持っていた。その胸をボンテージのような黒い艶のある水着が覆っている。
「ふぅんっ♪」
その刺激に敏感な尾に触れられたのと同じくらいぴくんっとレティは身を揺るわせる。その振動でさえ、柔らかい彼女の胸は卵の黄身のようにふるふる震えた。
―やべ。むしゃぶりつきたい。
思わず、そんなガキっぽい事を考えてしまうほど、レティの胸は美味しそうに見える。
「あっ…♪…やぁ……♪」
恥ずかしそうに身を捩るレティだが、それだけで、胸を隠そうとも、俺の手を払いのけようともしない。俺はそれに調子に乗って、胸の前でちょうちょ結びにしてあるリボンへと手を伸ばす。そのまま端を引っ張ると、まるで黒い水着が弾けたように開き、艶やかな肌色の塊が完全に俺の目の前に姿を表した。
―相変わらず大きいなぁ…。
肌色の塊は、開放の喜びを感じているかのようにふるふると身を震わせた。その光景には圧倒される迫力さえ感じる。しかし、レティの胸が持っているのは迫力だけではない。頂上に位置するピンク色の突起は既に膨れ上がって自己主張していて可愛らしい。
そして、俺はその可愛い突起を虐めてやろうと手を伸ばした。硬くしこった乳首を人差し指と親指で掴み、すり合わせるように刺激する。
「あ…っ♪あぁあっっ♪」
その刺激にまるで嫌々をするように首を振りながらレティは乱れた。ぎゅっと握ったシーツが波打ち、しっとりと汗ばんだ肌が血流を促進させてレティの白い肌を赤く染めていく。清純で清楚と言う言葉が誰よりも似合う彼女があられもなく乱れる倒錯的な姿は否応無く俺の興奮を高めた。
―本当に…綺麗だ。
乱れるレティの表情は今だ右腕でがっちりと目をガードされているので詳しいことは分からない。しかし、快感に叫ぶその口元や、必死に快感を逃がそうとシーツを握り締める腕や、まるで誘うようにふりふりと動く彼女の尾が、彼女がどれだけ感じてくれているかをはっきりと俺に教えてくれる。
そして俺はもっと彼女を感じさせたくて、もう片方の胸にも手を伸ばした。ゆっくりと撫で上げるだけでも、柔らかく反応し、そして俺の手が過ぎ去った後に、ぷるんっ、と震えて元に戻るその胸を俺は楽しむように撫でまわしながら、彼女の乳首を口に含む。
「ひゅうううんっ♪」
叫ぶような彼女の声を無視して、俺はそのままレティの乳首を歯と歯の間で挟み込む。こりこりと弾力のある乳首が俺の歯を通して柔らかそうな感触を俺に伝えてくれた。それをもっと味わおうと、俺は舌先で彼女の乳首をちろちろと弄んだ。
「駄目…っ♪胸は…あぁっ…弱いんです…」
―知ってるよ。
何回も何回もレティと交歓した俺は、ここだけで絶頂してしまうことも珍しくないのを知っている。乱れに乱れて、はぁはぁとやらしく息をついて、おねだりするように腰を押し付けてくるのも理解している。だからこそ、俺はそんなレティが見たくて、彼女の声を無視して虐め続けた。
「あぁ…っ♪意地悪…っ貴方は意地悪です…っ」
―そいつも知ってる。
だが、俺からすれば悪いのはレティの方だ。優しいだけの愛撫よりも、こうしたちょっと激しい愛撫の方が感じて、より激しく乱れる、少しマゾヒスティックな趣味を持つレティが初恋の相手でなければ、俺もここまでは意地の悪い愛撫は覚えなかっただろう。俺はレティをもっと気持ちよくしてあげようとして色々学習しただけなのだから。…まぁ、想像だけどな。レティ以外の女に恋してる俺なんて想像できないし。
「意地悪…っ意地悪ぅ…♪」
まるで壊れた蓄音機みたいに何度も言うのでまたふつふつと悪戯心が鎌首をもたげていく。そりゃ何度もこうやって、まるでおねだりするように意地悪と言われたら、誰だってそうする。俺だってそうする。
だから、俺は歯に少しばかり力を入れてやった。今まで左右に擦られるようだった乳首が上下からかかる圧力に、さっきとはまったく違う形に変形していくのが舌先で分かる。
「あああああんっ♪」
普通の女だったら痛みだけしか感じられないほどの圧力に、レティは嬌声を上げて身を震わせる。びくびくっと電流が走ったように身体を逸らすだけでなく、絶頂を覚えているのか背筋を浮かせて胸を突き出して、より快楽を貪ろうとしているのが分かった。そんなレティに答えるため、乳首に快感を刻み込むように歯により圧力をかけ、同時に癒すように乳首を撫でまわす。勿論、空いている手でより乳首が敏感になるように胸を撫で上げたり、片方の乳首を指先で弄ぶのも忘れない。
そうやってたっぷり三十分は虐めた頃だろうか。レティの反応に大体満足した俺は、彼女の胸から顔を離した。
口に含む前は誘うようなピンク色だった乳首が、今では真っ赤に充血し、快感の余韻で可愛らしく痙攣している。
「はぁ……あぁ……♪」
まるで惚けた様に息をつくレティの目は既に右腕で隠されておらず、快感に震えるメスの表情を余すところ無く俺に見せ付けた。力なくシーツをつかむその腕は、絶頂の余韻か、ふるふると震えて、珠の汗をにじませている。
―こんなもん見せ付けられたら我慢できるはずないだろうが…っ!
さっきからずっと服の中から押し上げていた俺のムスコが痛いほど自己主張し始めた。ムスコに支配された本能が、今すぐレティを押し倒して彼女を孕ませたい、と俺の脳裏で囁く。
そして俺はその囁きに従って、彼女の帯状の黒い下着に手をかけて、両端の結び目を解いた。下着ではなく、一枚の布と化したそれは、はらり、とシーツの上に落ちて、黒い花を咲かせる。下着の下から現れたのは、ぷくりと美味しそうに膨れる恥丘と、そこに走る一筋の割れ目で、そこはもう甘そうな蜜液で溢れかえっているようだった。
―ごくりっ。
何時見てもその光景には慣れずに、咽喉が鳴ってしまう。毛一つ生えていない代わりに少しばかり鱗に覆われ、ぷっくりと膨らんだそこはまるで小さい子供の性器―誤解がないように言うがロリ型の魔物と付き合う船乗りの話を聞いただけだ。断じて浮気した訳じゃない―のようだ。成熟したメスの身体を持つレティの中の唯一と言って良いほど幼いその部分はとてもアンバランスであったが、俺の興奮を何時も我慢できないほどに掻き立てる。
そして勿論、我慢できなかった俺は自分の服を一気にパンツごとずり下ろした。同時に締め付けから開放された俺の愛剣が、腹に着きそうなほど、反り返って現れる。サイズもそこそこで、レティとならば何回でもこなせるそれは、分不相応な俺の彼女と並んで俺の中の最大の自慢の種でもあった。
「…挿入れるぞ」
「…はい」
押し当てただけで、内に染み込んだ蜜液がじゅるり、と音を立てて溢れ出して来る。既に俺の男根を受け入れる準備が出来ているレティは、その刺激に耐えるように、俺の首に両手を回した。
「来て下さい…♪」
うっとりとしたその顔に誘われるように、俺は一気に腰を押し付けた。真っ赤に腫れ上がった亀頭から、反り返ったカリ首、そして血管の浮き出た肉茎までがあっさりとレティの膣に飲み込まれ、ぐしょぐしょに濡れた肉の腕で抱きしめられているような快感が俺を襲う。
「はああああぁ…♪」
俺の男根で押し上げられている感覚が襲うのか、レティは息を長く長く吐いてうっとりとした顔のまま俺に抱きついている。柔らかな胸と、硬くしこった乳首が俺の胸板に押し付けられて、身じろぎする度に肌に残していく肉の感覚がとても艶かしい。
「ん…奥まで…一杯です…♪」
女としての悦びを身体一杯で感じているのか、幸せそうにレティは笑った。彼女の言うとおり、俺と彼女の間には一部の隙も無いくらいぴったりと収まって、付け根から亀頭までを肉の抱擁が襲い掛かっている。俺が彼女に合わされたのか、彼女が俺に合わせたのか。どちらにせよ、俺の男根のサイズと彼女の膣のサイズはぴったりと一致していた。
「気持ち…良いですか…?」
さっきの逆襲のように幸せそうな笑みを、悪戯を思いついた無邪気な子供のような顔に変えて彼女はそう言った。思わず答えに詰まる俺に、彼女は、更に強く胸を押し付けて、まるで俺の胸板に乳首で文字を描くように動き出す。
―こりゃ…新しい…っ!
その感覚は今までの俺たちの交歓にはなかったもので、慣れない俺の身体に不思議な熱を残していく。そのままされると、あっさりと膣内で出してしまいそうなので、俺は諦めて素直に口を開いた。
「き、気持ち良いよ。最高だ」
「ふふ…っ♪」
俺の答えに満足そうに笑って、レティは軽く身じろぎする。それだけでぎゅっと抱きしめられた膣の感覚が、蠢き、より強く俺の男根を締め付けた。レティの膣は、突起が少なく搾り取られるような感覚こそないが、奥へ奥へと誘う絶妙な肉の蠢きと、抱きしめられているような甘い肉の抱擁で、溶けてしまいそうな心地よさがある。俺を受け入れ、許し、抱きしめてくれるそこは、まるで彼女自身のような優しい快感の坩堝でもあった。
―そんな快感に昔は秒殺されていたんだよなぁ…。
レティとの初体験から数回は入れてすぐに暴発するような有様が何度も続いた。ある程度の回数からは我慢を覚えて射精をコントロールすることも出来るようになったが、それで彼女の膣の気持ちよさに慣れたとは言えない。寧ろ、慣れれば慣れるほど、この甘やかされるような快感を流し込まれるのが癖になっていくような気さえする。
「ん…っ♪」
繋がったまま、動かずに抱き合う快感がもどかしいのかレティはもじもじと腰を振るわせる。その動きに反応して、どろどろに蕩けた肉壁が、まるで激しい動きをおねだりするように、俺の男根にさらに絡み付いてきた。それに応えて、今すぐにでも腰を動かしたい気持ちがあるが
―だけど…彼女曰く意地悪な俺はさっきの仕返しもしたい。
「ん…っ…あ、あの…」
「どうした?」
触れ合うレティの身体が恥ずかしそうに震える。その度にレティの最大の性感帯である膣奥と、亀頭が擦れ合い、彼女は不満げな吐息を漏らした。けれど、まだ、動いて欲しいと言うほどには、焦らされてはいないようなので、俺は彼女の肌を滑るように手を這わせる。
「分かってますよね…?わ、分かっててやってますよね絶対!?」
まるで腰を動かさず、触れ合うだけの感覚でさえ快楽として、背筋に力を入れるレティが目尻に少し濡らして俺を睨みつけてくる。けれど、それに迫力はまったく感じない。寧ろ、小動物が必死になって、餌を強請っている姿を見るような微笑ましさすら感じるほどだ。
「さぁ?俺は意地悪らしいから分からないな」
そう言って、俺は彼女の首に顔を埋める。そこは汗腺が近い所為か、今や部屋中に広がる甘いフェロモンで一杯だった。大きく息を吸って、胸いっぱいにそれを溜め込むように堪能してから、俺はレティの首筋に舌を這わせる。
「ひゃっ♪」
くすぐったそうにレティは身を捩じらせるが、繋がった部分が彼女を遠くへ逃がしはしない。まるで首輪につながれた犬のように一定の距離をじたばたを足掻くだけだ。その姿に嗜虐心をそそられて、軽く歯を立てると、レティの身じろぎがより強くなる。
―ホント…可愛い奴だ。俺には勿体無いくらい。
彼女が身じろぎすると自然、俺とレティの奥でも擦れあう事になる。その刺激は俺にとっては少しもどかしい甘い快感だったけれども、レティにとっては荒い息に嬌声のアクセントを何度もつけるほどだった。
「ん…っ…意地悪ぅ…っ♪」
彼女の首元に顔を埋める俺にはその表情が見えないが、レティの声には欲情だけでなく、強い欲求不満の色が混じり始めたような気がする。それは多分、俺の気のせいではないだろう。その証拠に、彼女の腰が少しだが、はっきりと動いているのが分かる。
俺の部屋はそこそこ高級なベッドを使っているので、密着していて尚、若干撓る余地を残しているのだ。意識的か無意識なのかは分からないが、その撓りを利用して、レティは俺のモノで、奥を突こうと必死になって腰を動かしている。しかし、どれだけ必死にレティが腰を動かしても、その撓りは数cmにもならないだろう。その刺激は、彼女の欲求を収めるどころか、一度火がついた魔物娘の本能をより燃え上がらせていくだけだ。
「やぁ…っもう…っ♪」
ついにレティは目尻に涙を浮かべて、抱きしめていた俺の胸を手放した。そして、少し隙間が出来た俺たちの胸の間に両手を入れて、小さい女の子がするように手を振るい、ぽかぽかと俺の胸を殴る。その腕には勿論、ろくな力が入っていなくて、痛くも何とも無い。寧ろ服から飛び出る鰭が撫でるような感覚を残して気持ち良いほどだ。
「これ以上、意地悪したら嫌いになりますよ…ぉ♪」
―何時も言ってるよな、それ。
そんなこと言ったら本人が確実に拗ねてしまうので言わないが、これが彼女なりの合図であることを俺は知っている。
「嫌いになられるのは嫌だな」
だから、俺は何時も通りそう言いながらもまだ動かさない。寧ろそこから先を急かすように、がっちりと彼女の尾をまたで挟み込み、身じろぎさえ封じようとする。その動きに彼女は観念したのか、目を閉じて叫ぶように口を開いた。
「き、気持ち良いですっ♪貴方の大きいが入っているだけでイッちゃいそうなんですっ♪火傷しちゃいそうなくらい気持ち良いんですっ♪でも、それじゃ足りないのっ♪子宮コンコン突かれるのが大好きなんですっ♪おっきい絶頂が欲しいんですぅぅっ♪だから、動いてくださいいいいっ♪」
そう叫んで彼女は羞恥と快感で真っ赤になってしまう。少しマゾヒスティックな趣味を持つレティはそんな告白でさえ、快感を感じるのだろう。その証拠に彼女の膣は告白の最中、とても強く、俺を抱きしめていた。あの告白で絶頂へと達していたのは想像に難くない。
「ここまで言わせたのなら動かないとな」
強気に言い放ちつつも、俺自身も結構、限界だった。彼女の膣は他の魔物娘のように―何度も言うが船乗り同士の下世話な雑談ネタで聞いたものだ―搾り取るようなものではない。激しい快感を与えて、男に精をより多く吐き出させるようなものではなく、心地よい快感を与えて、より深く、長く、交わりをしていたい、と望むような甘い快感を与えるものだ。
しかし、それでも長い時間、彼女の膣の中に居ると、絶頂がどんどんと近づいてくる。搾り取るものではなく、腰も動かしていないとは言え、彼女の蕩けたような表情が、まるで生クリームの沢山かかったケーキのような体臭が、メスの本能に支配され男を誘う嬌声が、触れるたびに柔らかく俺を受け入れてくれる彼女自身の身体が、そして彼女の抱きしめるような甘い甘い膣が、俺の理性をどんどん削り、オスとしての本能が鎌首をもたげ、目の前のメスを孕ませようと腰を突き入れそうになっていたのだから当然だ。
「当たり前ですっ♪こんな恥ずかしいこと言わせて…動かなかったら本当に絶交ですからぁ♪」
恥ずかしそうに叫んで、レティは俺に再び抱きついてきた。胸越しでさえ、伝わってくる彼女の鼓動が俺の胸を叩き、強い興奮を伝えてくる。それが恥ずかしいのか、レティはさっきまでの俺と同じように、俺の首筋に顔を押し付けた。その可愛らしい様子に俺の中の最後の我慢が吹き飛ばされてしまう。
「それは本気で嫌だな。俺ももう限界だし…」
「限界になるまで焦らさなくても…ひゃあああああっ♪」
何か言ったレティの言葉を遮るように俺の腰は本能に任せて抽送する。その度に、彼女の尾や無駄が一切無いレティの腹へとぶつかり、ぱちゅんっと音がしてしまう。その音は俺は好きで、もっと聞きたいと腰を震わせるが、レティにとっては俺よりもさらに興奮を掻き立てられる音のようだった。その音が響くたびに、俺に必死に抱きつく両腕がふるふると快楽に震えて、俺に興奮を伝えてくる。
「レティだって焦らされるの…好きだろ…?」
「わ、私、んくっ…そ、そんな変態じゃぁ…ありま…せんっ」
しかし、俺の目には必死に快楽に震える腕で抱きつき、嬌声を上げながら否定するレティの姿は発情したメス犬にしか見えない。膣の中も、ようやく動いたオスを歓迎し、より奥へ奥へと誘うように抱きしめてくるし、絶頂の中で絶頂を感じているのか時折、強く俺もイキそうになるくらいどろどろな快感を俺に注ぎ込んでいた。愛液は何度も何度も俺のカサで掻き出され、ベッドに幾つもの染みを作っているし、鱗一つ一つをとっても宝石のような彼女の尾は快感で震えに震えている。その姿はどれをとっても、注がれる快楽に溺れる変態そのものだと俺は思う。
「変態はぁ…あ、貴方だけです…っ」
「こんなによがっているのに?」
言いながら俺は今までのより、強く腰を打ち込んだ。がつんっとぶつかる様に俺の先と彼女の膣奥がぶつかる。
「きゃあああああっ♪」
悲鳴のような嬌声を上げてベッドの上で彼女の尾が暴れる。びたびたっと弾けるようなその動きに、こりこりと俺と彼女の一番敏感な部分が擦れあう。
「駄目っっ♪それ駄目ですうううっ♪」
レティの最大の性感帯はさっきも言ったが、この子宮口だ。それを弄ってるだけで絶頂を極めることも多い尾や胸よりも、さらに敏感なそこは普通のぶつかり合いでさえ、清純な彼女に嬌声を上げさせるが、大きく打ち込めばそれだけで絶頂へと押し上げられてしまう。その絶頂は、彼女にとっても大きすぎるのか、レティはあまりそれを強請らないが、暴れるような尾も、背筋を逸らし、首を必死に振るうその姿も全て俺は大好きだった。
「焦らされてこんなに感じるって事はレティはマゾの気がある変態なんじゃないのか?」
「ち、違…ぁ…いますっ…私はそんなのじゃ…あ、ありません…っ」
―ぐりぐりと奥を弄ると悦びに、甘い蜜液を漏らし、必死に強く腰を奥に打ち付けてもらおうと腰を浮かせて、抽送を受け入れる姿で否定してもしょうがないと思うんだが。
「貴方だからぁっ!貴方だからぁ…こ、こんなに感じるだけですっ」
「そう言うの卑怯だと思うぞ…!」
―可愛過ぎて追求できないじゃないか…!
「卑怯なのはぁ…あ、貴方ですっ!こ、こんなに焦らせてぇ沢山イかせてぇ…っ!こ、こんな気持ち良いのっ!我慢できる訳無いじゃないですかぁあああ♪」
もう頭も快楽に溶かされきってしまったのだろう。レティは普段であれば決して言わないような言葉で俺の興奮を誘う。ぴくんっと、彼女の膣で俺のチンポが反応し、彼女の膣の中で一回り大きくなったのが俺にも分かった。彼女にもそれが伝わったのだろう。蕩ける表情を一瞬、驚きに変えて、彼女は嬌声と共に口を開く。
「ま、まだ大きくするなんてぇ…あ、貴方は変態ですっ♪えっちですっ♪」
「レティだからだよ…!」
仕返しに俺は彼女を強く抱きしめながら彼女の耳に囁く。既に何度も絶頂し、耳も敏感になっているのか、小さく囁くだけの刺激にもレティは飛び跳ねるように反応する。
「レティが好きだから虐めるし、モノだって幾らでもでっかくなるんだよ…!」
「馬鹿ぁ…♪私は嫌いですっ!虐める貴方なんか嫌いですぅ…っ♪」
嫌いと言いながらもレティは抱きついたその腕も、抱きついてくる膣も決して緩めようとはしない。寧ろ逆に痛いほど締め付けてくる。
「じゃあ…意地悪な俺を好きになってもらえるようもっとレティをマゾにしないとな…っ!」
「へ、変態…っ変態ですっ…!」
言って、レティはぶるり、と今までに無いほど震えた。恐らく俺の言葉で、マゾヒスティックな快楽に震える自分を想像したのだろう。レティは耳年増で、一人で居る時間も長いため、そう言った妄想はお手の物なのだから。
「これ以上マゾにされたらぁ…わ、私…私…もう…ホ、ホントに貴方抜きじゃ生きられなくなっちゃう…っ♪」
―馬鹿。そんな事言われたら余計やりたくなるだろうが…!
その一言で今まで何とか絶頂を堪えていた俺のモノにどんどん精液が集まるのを感じる。俺の奥で蠢く熱いそれらは、今か今かと開放の時を待ち、俺の我慢を鑢で撫で付けるように削っていく。
「レティみたいな良い女、頼まれたって手放すかよ…!レティはずっと…俺専用の恋人奴隷だ…!」
「ああああっ♪」
嬉しそうに嬌声を上げるレティの肢体がまたも背筋を逸らして、ぴーんと大きく反り返る。そして彼女の腰の鰭がまるで俺を離さないかのように俺の腰を包み込む。
「し、してください…っ♪私を…私を…っ!大好きな貴方専用の恋人奴隷にしてくださいっ♪」
「あぁっ!染めてやる!膣内から俺色に…!」
愛らしい彼女の様子に俺の男根は既に限界を迎えていた。射精を堪える為に力を入れているが、ぴくぴくとレティの膣の中で震えるだけで精液を食い止められはしない。自然、噴出そうと上りに上る精液と共鳴するかのように俺の快感は高まっていく。
そんな俺の様子を膣の感覚で悟ったのだろう。レティは抱きしめる力を少しだけ緩めて、俺の顔を真正面から見据えた。
肌は上気して、白い肌がまるで燃えているように朱気を帯びている。快感を従順に受け入れているその目は高まる快楽に涙さえ流していた。艶やかで見ているだけで誘われてしまうような唇は、快感を伝えるだけの器官になっている。
そんな彼女は次の瞬間、俺の唇に貪りついた。高まる快感と目の前のオスを何処にも逃がさないように、ひたすら舌を絡ませようとするその姿は恋人奴隷、なんて造語に相応しい姿だろう。
―出る…!
大好きな恋人のそんな姿に俺は我慢できるはずも無かった。高まる快感に亀頭のすぐ裏にまで吹き上がってきている精液を感じた俺は、最後の抽送と共に彼女の中で果てる。
「んんんんんんんんんっ♪」
長い間、焦らされに焦らされ続けた俺の精子は留まる所を知らないように彼女の子宮へと飛び込んでいく。その刺激に、敏感な彼女がまたも絶頂し、より高いところに押し上げられているのが分かった。レティの舌は抱きつくように俺の舌に絡みながらも小さく痙攣し、子宮口はお掃除フェラをするように俺の亀頭へと何度も何度も吸い付き精液を強請るほどで、その絶頂は、今まで感じていたものと非ではないのだろう。
それからたっぷり俺の精液を吸い上げて綺麗にした彼女はくたり、と力なくベッドに横たわった。だらしなくシーツにもたれかかる腕と、唾液を口から垂らしているのに拭う気力も無いその姿は普段のしっかりした彼女からは想像も出来ない。
「大丈夫か…?」
「はい…」
気遣う俺の言葉にしっかりとレティは応えてくれる。しかし、それでも当分、身体に力が入っていないのか、尾の先でさえ、快楽の余韻に小さく震えるだけだった。
―ちょっとやりすぎたかな…。
正直、たった一回で、ここまで腰を抜かすとは思わなかった俺は焦りを感じてしまう。
「ふふ…大丈夫…ですよ…」
そんな俺の様子に気づいたのか彼女は淡く微笑んだ。いまだ余韻で痺れる体は顔の筋肉さえ弱らせてしまっているのか、その笑みは今まで見たことが無いくらい弱弱しい。
「それより…ここはまだ大きいままですね…」
彼女の言うとおり、俺の男根は一度の射精程度ではまったく萎えていない。何時、レティと会えるのか分からない生活をしているので、普段の俺は禁欲生活まっしぐらだったのだ。今日はあまりの黒い感情を発散するためにも気分転換として自慰をするつもりだったが、普段は自慰もしていないので、彼女と会えなかった期間分の精液が俺の股間には溜まっている。レティに性の手ほどきをしてもらった時からやけに精力絶倫になったのもあって、一度や二度程度の射精では硬さを失わない。
「いや…でもよ」
一度射精したからか興奮は大分、収まっていた。本音を言えば、何時もの様に抜かずに何度も交わりたかったが、レティの見たことも無いほどの弱弱しい姿に気後れしてしまう。
―それに…無理して付き合ってもらうことも無いだろ。
俺とレティの関係は、恋人である。決してお互いに最高の快楽を求める爛れた関係などではない。彼女が辛いなら、獣になるのは止めるべきだ。それが男としての最低限の礼儀だろう。
「まだまだ出し足りません…よね…?」
しかし、そんな俺の決心を無駄にするように彼女の震える手は俺の頬にそっと触れる。指先一つずつからでも伝わるような熱はまるで焼け爛れるような熱を持っていて、俺の興奮にそっと華を添える。
「良いですよ…♪私を…貴方の恋人奴隷を好きなように使ってください…♪」
「おまっ…」
レティの言葉にめきめきと股間の逸物が震えて、力を取り戻すのを感じる。まるで絶頂寸前のような大きさを取り戻したそれは、俺に目の前のメスを貪れと、何度も命じてくる。
「ぐちょぐちょのどろどろにして…貴方の精液で一杯にしてください…♪離れていても貴方の精液の匂いに包まれるくらい一杯…っ♪」
―清純な恋人の蕩けるようなその言葉に我慢出来る男なんて居るだろうか。
少なくとも俺は無理だった。一回、射精して、取り戻した理性があっさりと本能に降伏し、腰を突き動かしてしまう。
「はあああああっ♪」
快楽に震える彼女を見ながら、頭の中が興奮に染まりきっていくのが分かる。目の前のメスを自分のものに、恋人奴隷にしたくて、真っ赤になっていくその感覚は、身を焦がすような情熱を持って、俺の思考を焼き上げていった。
そして、そのまま始まった二回戦の後も、三回戦も、四回戦も、その先も、ずっと俺はその興奮に身を委ねっぱなしで、今までの分だとばかりに彼女の肢体を貪り続けたのだった。
俺が理性を取り戻したのは空が白く染まり始めた頃だった。
月はその白さから逃れるように隠れて、既に姿は見えない。恐らくは後、一時間もすれば潮騒を囁く海の地平線から太陽が顔を出すだろう。
「…また、やっちまった」
「何をです…?」
思わず目に手を当てて、天井を仰ぎ見る俺の横でレティが素肌を白いシーツに包まれながらそう聞いた。その姿は理性を取り戻したいつものレティで、さっきまで俺の下で何度も鳴いていた恋人奴隷とは同一人物とは思えない。
「…何かえっちな事を考えている気がします。駄目ですよ。もうこれ以上したら貴方も私も寝る時間がなくなってしまいます」
「いや、まぁ、それもあるんだが、そうじゃなくて」
じと目で俺を見つめるレティの姿に、目を背けるように髪を掻いて、俺は言いよどむ。どう言えば良いのか、そもそも言って良いのか、迷ったが、俺は決心して口を開いた。
「また、こんなに朝早くまでヤっちまった…てな。朝早いだろうにすまん」
俺はまだ良い。船員は優秀だし、俺一人、多少寝過ごしたくらいではこの船は揺るがないのは事実だ。その優秀さが最近は仇になっている、と思うことも多いのだが、それはさておき。そんな俺とは違い、レティの代わりは同じシー・ビショップにしか出来ない。そしてこの世界中の海では今も、シー・ビショップが泳ぎ続けているが、魔物娘の結婚の多さに慢性的に人手不足なのが現状だ。その為、レティは一度、俺の元を離れると一週間以上帰ってこない事も少なくない。
そんな忙しいレティを俺との性行為に付き合わせて、こんな時間まで起こしている、という事実に酷い自己嫌悪を感じてしまう。今も多くの魔物娘を待たせているレティは、今から寝ても数時間程度の睡眠しか取れないだろう。何より、そもそも、俺が船乗りを辞めれば、会えない問題は幾らでも解決されるのに、それも俺の我侭の様な事情から出来ないのだ。
―どれだけ迷惑かければ済むんだろうな俺は…。
さっきまで性行為で高揚していた精神がずっと沈んでいくのを感じる。
沈んだ様子を見せればレティがまた心配してしまうと分かってはいるものの、まだガキであった頃に比べて身体はでかくなったが、精神まではそう簡単に成長してはくれず、重苦しい感覚が俺の心を襲う。
「気にしないでください。私も…その、したかったですし…」
赤くなった顔を白いシーツで隠すようにレティは小さく呟いた。その表情に心が幾分か軽くなるが、それでもまだ自虐のような棘は抜けきらない。
「いや、でも…」
「もう…」
呆れたように少し眉を歪めたレティはシーツを手放し、俺の頭を抱きこんだ。俺は驚き、一瞬身を硬くしたが、すぐに身体から力を抜く。豊満な胸に左右から抱きしめられる優しい感覚は、自己嫌悪にささくれ立った俺の心を優しく撫でて安心させてくれたからだ。
「私は何ですか…?」
「そりゃ…俺の恋人奴隷だけど…」
「後でちょっとお話があります。まぁ…その、それなら、もっと甘えてください」
そのまま胸の鼓動を聞かせるようにレティは腕に力を込めた。
とくん、とくん、と言う優しい音が俺の鼓膜を叩き、指先から力が抜けていくのが分かる。溶かされるようなその感覚は性行為とはまた違った意味で、とても心地良い。
「貴方は意地悪だけど、とても優しいから色々な事を考えて背負ってしまうのは知っています」
―とくんとくん
「それを我慢して虚勢を張って、思い悩んでいることが沢山あるのも分かってます」
―とくんとくん
「それを私に言え、とは言いません。相談はして欲しいですが、強がりな貴方はきっとぎりぎりまで背負い込んでしまうでしょう」
―とくんとくん…っ
「だから、せめて、私にだけは甘えてください。それが出来ないなら…私にだけは何をしても良い、と思ってください」
―とくんとくん…っ
「私は貴方の恋人…奴隷で、髪の先から鱗の一つ一つまで貴方のものです。貴方にされることは何だって嬉しくて、悦んでしまうのですから」
そう言って、レティはまるで子供にするような仕草で俺の頭を優しく撫でた。
それだけで俺の中の何もかもが洗い流されてしまうようだった。虚勢も強がりも、悩みも自己嫌悪も、何もかもが流されて、俺の中に残るのはレティへの愛しさだけ。その感覚が妙に心地良く、安心できるのと同時に悔しい。
―また人を子ども扱いして…。
そう思うの自体、まだまだ子供の証拠であると理解はしていたが、恋人にそんな風に接されて嬉しいはずがない。なのに、身体と本能は、まるで溶かされてしまうような心地よさを享受していた。
「レティ…」
「何です…?」
名を呼ぶ俺の声に優しい声でレティが応える。その声は最初に会った時に、パニックになる俺を宥めてくれた声そのものだ。最近は俺が彼女に悪戯することが多くて、中々、そんな声が聞けなかったが、俺はその声が大好きだった。…そして悔しいことにそれは今も変わっていないらしい。
そんな悔しさを込めて俺は口を開く。
「…それはつまりマゾ奴隷宣言と見て「尻尾でその顔、張り倒しますよ?」…ごめんなさい」
彼女の尻尾は筋肉の固まりだ。そんなもので張り倒されたら首の骨がどうにかなってしまうだろう。
―まぁ、やらないだろうけれどな。
母性に溢れたレティの表情が崩れて、真っ赤に染まるのと同時に一瞬、さっきまで俺の下で喘いでいた恋人奴隷の顔を覗かせた。そんな表情を見せるということは、なんだかんだと言いつつも、やっぱりレティは虐められるのが好きなのだろう。
―やべ…勃ってきた…。
そんなレティを見るとちらちらと嗜虐心を撫で上げられているようにさえ感じる。この数週間禁欲生活をずっと続けていた俺は数時間程度の交わりでは満足できない。それを何とか理性で抑えようとするが、俺のムスコは俺と同じようにクソガキでまったく言う事を聞かなかった。それでも、何とか萎えさせようとしている内に身じろぎした彼女の腹に熱く火照った息子が撫でられ、レティに気づかれてしまう。
「まったく…貴方は何時だって悪戯小僧なんですから」
呆れたような口調だったが、彼女は決して嫌そうではなかった。寧ろ嬉しそうな表情のまま、俺を抱きしめる腕に力を込める。
「そんな悪戯小僧が好きなんだろ?」
「えぇ。悔しいことに、大好きで大好きで仕方ないんです…♪」
そう言ってレティは俺の額についばむようなキスを落とした。それがまた甘やかされているようで、くすぐったさと安心感を感じる。
―それだけで俺は満足だった。
むくむくと持ち上がろうとする欲情の鎌首を必死になって押さえつける。このまま第十何回戦に突入してしまえば、レティは寝ずにまたこの大海原を駆け回ることになるだろう。それだけは阻止しなければいけない。
「俺も…大好きだよレティ」
「えぇ…知ってます…」
欲情を必死に抑えようとする俺の気持ちをレティは見抜いたのだろうか。俺を抱きしめた姿勢のまま再び安心させるように頭を撫でてくれる。欲情を上回る安心感が身体を駆け巡り、指先から力が抜けていく感覚は、そのまま睡眠へと変わろうとしていた。
「レティ…ありがとう…」
―夢の中に落ちる寸前、そう呟いた俺の言葉は彼女に届いたのか。
それを確かめる術も無いまま、俺は深い深い眠りの中へと落ちていった。
そして、俺が目を覚ましたのは既に太陽が真上を過ぎた頃のようだった。航路的に日の出を見ない俺の部屋にさえ、日光が差し込み暑苦しいのだから、コーラを飲んだらゲップするくらい確実に寝過ごしているだろう。部屋に備え付けの時計を見なくても分かる。
「何で誰も起こさないんだよおおおおお!!!」
思わず叫んで、ベッドから身体を跳ね上げさせた。そのまま綺麗に机の上に整頓されている制服―恐らくはレティがやってくれたのだろうが、整頓する時間があれば起こして欲しかった…!―に袖を通して、私室を飛び出る。
船内の道路を一瞬で頭の中でトレースしながら、今日の勤務場所である甲板への最短ルートを駆け上がる。途中、珍しく寝坊した俺に驚いたのだろう船員と何人かすれ違ったが、そいつらに意識を向ける間も無く、俺は甲板への扉を開いた。
「すまん!遅くなった!!!」
叫ぶ俺に作業中の船員の目線が集まる。その視線は、驚いていたが、俺が最初に予想した敵意や呆れたような感情の篭ったものではなかった。
―あれ…?
かすかに感じる違和感に首を傾げる。甲板では船員たちが何時もの様に作業していて、黒っぽい何かがその邪魔をしているだけだ。いつもと特に変わらな―…黒っぽい何か?
「おはようなんよ。さくやはおたのしみでしたね、なんよ」
そう言って俺の視界に入ってきたその黒っぽいものは普段、船長室から出てこないはずの船長だった。船長帽を自慢げ被る奴は、いやらしそうな表情を浮かべて俺に近づいてくる。
「な、何の話だ…?」
「とぼけても無駄なんよ。昨日、航海長の部屋にイイヒトが顔を出していたのは調査済みなんよ」
―ぐっ…。よりにもよって一番知られたくない奴に知られるとは…!
思わず悔しさに叫びだしたい衝動に駆られるが、それを必死に抑える。ここで、叫んでも何の解決にもならないし、船長に知られたところで俺に痛い所は何も無いのだから。
「と、言う訳で航海長は船長権限で半日休暇とったんよ。後は任せるんよ」
「…は?おい、こら、ちょっと待て」
そう言って、入れ違いに船内に戻ろうとする船長の背を反射的に掴んでしまう。「ぐぇ」とまるでカエルの潰れたような声を出しながら、軽い船長の身体は簡単に止まってしまった。
「半日休暇ってどういうことだ?」
この船は申請すれば半日魔物娘といちゃいちゃする為に、休暇を取ることが出来る。無論、その間の給金は休暇なので発生しないが、一度の航海が成功すればかなりの給料が入る船員にとっては、金よりも魔物娘といちゃいちゃ出来る時間の方が大事のようで、かなりの数の申請が毎日舞い込んでくる。それを処理してスケジュールを組むのも俺の仕事なので、その存在までは知っていたが、恋人が忙しい俺は今までそれを取ったことが無かった。
「だから、遅刻すると思って船長権限で半日休暇にしたんよっ!そもそも航海長は毎日働き過ぎだから少し身体を休めるべきなんよっ!ていうか、締まっているから離して欲しいんよっ!」
「あ、悪い」
―思わず呆然として固まったが…なんだ。つまりはまぁ…『そういう事』なのか…?
「まったく…航海長の代わりに仕事しようとすると船員には邪魔者扱いにされるし、航海長には首を絞められるし…今日は厄日なんよ…」
珍しく−本当に明日世界が終わるかもしれないほど珍しく−船長らしい気遣いを見せた奴が首元を擦りながらそう言った。
「まぁ…その、なんだ。ありがとうな」
悔しいが、船長のお陰で助かったのも事実なので、目を逸らしながら礼を言う。それに船長は、年相応…というよりは童顔相応の少年っぽい笑みを見せた。そのままぐっ、と右手を握り締め、親指を立てる。
「まぁ、これくらい当然なんよ。…じゃあな、なんよ。グッドラック、なんよ」
そのまま再び、船内に戻ろうとしている奴の襟を俺は再び掴んだ。またも「ぐぇえええ」と言う声が聞こえたような気がしたが、俺は気にしないことにする。
「何良い話っぽく纏めようとしているんだ…?」
「お、おかしいんよ!ここの後は航海長が船員に指示を出して「俺たちの航海はこれからだ!」的になるはずなんよ!」
「知るか!そもそもてめぇがまともに仕事してくれりゃあ俺だってこんなに色々悩まなくて済むんだよ!!!」
感謝の念は勿論ある。勿論あるが…それ以上に怒りの気持ちが抑え切れなかった。だって、そうだろう?まるで悩んでいるのが馬鹿らしくなるくらいきちんと働いているのを見れば、どうして最初からそうしないのか、と怒りが湧き上がってくるのは多くの人が分かるはずだ。
「てめぇらもだ!」
そう言って、甲板の上で作業する船員たちに指を指す。まさか自分たちにまで火の粉が被るとは思わなかったのだろう。魔物娘と話していた何人かの船員がびっくりしてこちらを向いた。
「俺は決めた!この航海が終われば俺は船を下りる!だが、その前に…船長含めお前ら最近たるみ過ぎだ!」
「いや、だって、その…仕事が無いんですぜ…?仕方ないでしょう?」
おずおずとマーメイドとお喋りしていた船員が言う。彼の言うことは俺も最もだと思う。しかし、それがそもそもの誤りなのだ。
「そうだな。だから、俺も今までそう口を酸っぱくして言わなかった。だから、それを解決する良い案を思いついたんだよ。お前らの仕事を増やしてやる」
「ええええええええええ!!!」
「横暴だ!幾らなんでも職権乱用過ぎるぞ!」
「そうなんよ!ボクはカリュブディスたんとのいちゃいちゃを妄想するのに忙しいんよ!!」
「黙れお前ら!特に最後の奴!!!!」
大声を上げて抵抗する船員どもを黙らせるように人差し指で一人一人を指差してやる。
「安心しろ。お前らの身にもなる」
にやりと、心の底から湧き上がる愉悦にしたがって、俺の頬が歪むのを自覚した。恐らく、今の俺はまるで悪役のような顔になっているだろう。しかし、それで良い。
「お前らに航海術を教え込んでやるぞ!これから先、一ヶ月じっくりと!!!」
―そうだ。別に悩み過ぎる必要は無かった。片意地を張る必要性は無かった。
二つの問題と気がかりがあるのであれば一気に片付けてしまえば良い。単純にそれだけの事だ。それで良かった。
―なんでこんな簡単なことに気づけなかったんだろう。
昨日、レティと抱き合って眠った所為だろうか。今まで支えてたものがなくなったような胸は軽く、肩も重荷が取れたように晴れやかだ。
「さぁ、覚悟しやがれ!お前ら!」
心底嫌がって絶叫する船員どもを見ながら、俺は軽くなった心のままそう叫ぶ。
一ヶ月先がどうなるのか俺にまだ分からない。もしかしたら俺はこの件で船員たちから孤立し、何の改革も出来ないままこの船から下りるのかもしれない。けれど、雲ひとつない空のように晴れきった俺の心は何の恐怖もなく、寧ろ大冒険を前にしたワクワク感さえある。
こうした俺の思惑を乗せて、フライングプッシーフット号の何時もより少しだけ違う一ヶ月の航海が今日から幕を開けたのだった。
BAD END
〜おまけ〜
「ふふ…可愛い寝顔…♪」
そう呟いて私は大事な宝物をぎゅっと抱きしめました。胸の中で小さく寝息を立てる私の大好きな恋人はそれに身じろぎしましたが、起きる気配がありません。昨日から今日にかけてあんなに沢山…その…えっちなことをしたのですから当然です。
「あんなに意地悪した人と同じとは思えないくらい…」
彼…アルムの寝顔は安らかでまるで子供のようでした。元々、彼は童顔で整った顔立ちをしているのですが、それが今、私を信頼しきった表情のまま目を閉じているので、本当に幼い子供のようです。
−もっとも、彼の身体を少し見れば彼が子供ではないことは分かるのですけれど。
重い荷物を幾つも運ぶこともあるその腕は太陽に焼けて赤黒くまた私では抱え込まなければ掴めないほど太いです。胸板一つ見ても、鉄板のような硬く厚い胸板はまさしく海の男という名に相応しいほどでした。
―そして何よりも…。
未だ熱と硬さを保ち、私のお腹に押し付けられている彼の性器は子供とは思えない破壊力を持っていました。昨夜も私を沢山、鳴かせたそれはまさしく凶器的な、という形容詞が当てはまるでしょう。
「こんなに大きくして…」
それはアルムの我慢の結晶でした。悪戯小僧でもあると同時に、私の事を世界で誰よりも気遣ってくれる愛しい人は、私の睡眠時間を気にして必死に欲情を理性でコントロールしてくれたのです。それが分かるだけに、私の胸もまた恐らくは彼と同じように痛みました。
―いっそ何もかも捨てられたら…。
何もかも忘れて、彼のメスになれれば、どんなに幸せでしょう。そうすればこんな風に彼を我慢させることもなく、また私も旅先で自分の欲情を持て余す事がなくなるのです。彼の夢だった船乗りを辞めさせることもなく、昼はこの船の周りで彼を応援しながら併走し、夜には彼に抱かれて恋人奴隷になる。そんな日常を送れたらどれだけ幸せでしょう…。
―けれど…。
私の助けを待っている魔物娘が沢山居るのです。海の中で生きていく事の出来ない人間の男に恋焦がれながら、時には仲を引き裂かれてしまう娘もいるのです。…私はそれを無視できません。彼と離れるのは辛いですし、悲しいですが、それは一時の事です。けれど、中には二度と愛する人と会えなくなってしまう娘もいるのですから。
−ごめんなさい…。
口には出さないですが、彼には謝っても謝りきれません。こんな面倒な女が初体験の相手でなければ、彼はもっと良い相手が居た事でしょう。マーメイドやネレウス、セイレーンなどであれば、こんな風に欲情を押さえ込む必要などなく、一晩中激しい快楽に身を任せられることが出来たでしょう。それがどれだけ男にとって幸せか想像できるだけに私は辛いのです。
−だけど…一度、アルムを知ってしまった私は彼の元から離れることも出来ません。
何度も何度も、このまま付き合っても、彼の事を悲しませるだけだと身を引こうとしました。しかし、その度に脳裏に彼の顔がチラつくのです。どれだけ離れていてもアルムを思い浮かべ、目の前で『儀式』を見せ付けられるたびに私も彼とそうしたいと願ってしまうのです。どれだけ逃げようとしても、気づくと何時もこの船の航路へ出てしまうのです。
そして彼と出会う度に、話す度に、触れ合う度に、それの呪縛はもっとずっと強くなるばかりでした。最初は、ただ、初体験の相手が気になっているだけだと思っていましたが、それはきっかけなだけでどんどん私の中でアルムの存在が大きくなっていったのです。
最初は子供だとばかり思っていたその子が、胸板もどんどん厚くなり、背も私より低かったのにいつの間にか追い越して、抱きしめる腕が力強くて、そして意地悪だけど優しい顔を見せる…そんな彼を好きにならない訳がありません。
「アルム…」
−私の大好きで、私の唯一の経験相手で…今では私にとって、なくてはならない愛しい人。意地悪で、馬鹿で、変態だけど、誰よりも私に優しくして、私を思いやってくれる強い男。責任感が強くて、精一杯虚勢を張るけれど、本当は優しさに飢えている可愛い子…。
そんな彼を抱きしめる手を私は手放しました。
もう既に日は昇り、名残惜しいですがそろそろ私もこの部屋を出なければいけない時間になってしまったのです。
「だけど、その前に…」
もぞもぞと二人のベッドから抜け出して、私は彼の手で脱がされた下着や上着を身につけます。無造作にベッドの上に放置してあったそれらは皺が幾つか着いており、また愛液や精液の匂いも移っていますが、海神ポセイドンの加護を受けた衣服は海水に浸かればすぐに元に戻るでしょう。
「この部屋を片付けないと…ですね」
見回したその部屋はとんでもないことになっていました。昨日は暗くてあまり気づきませんでしたが床には衣服が散らばって、航海術の本や、書き損じのメモなどが無造作に転がっています。それらを拾うため、私は壁に凭れ掛かりながら、器用に尾の筋肉も使って進んでいきました。海以外の場所で進むのは、最初は慣れなかった物ですが、もう五年近くやっている私にとってはお手の物です。三十分もした頃には部屋の中は大体、片付きました。
「これは…どうしましょう…」
迷う私の手には二つのワイングラスが握られています。普段であれば彼が片付けていたであろうそれは、お酒の魔力に負けて、私たちが触れ合っていたので、そのままで放置されていたのです。本当はどうすればいいのか分からないものを下手に片付けるのは無謀ですが、波が揺らめく海を渡る船の上ですから放置するわけにも行きません。
「やっぱり食器棚に片付けるのが一番ですね」
机の上も何かの拍子で零れ落ちてしまったら危険です。もし、彼が落ちたグラスの破片で怪我でもしたら謝っても謝りきれません。洗ってもいないグラスワインを食器棚に入れるのは少々不衛生ですが、この場合、背に腹は変えられません。
そう思って食器棚を開けた私の目の前に黒い箱が見えました。
「あれ…?これは…?」
食器棚は扉に向かって背を向けるように設置されているので、扉から入ってそのままの場所で彼と語り合う私の目からは基本、中は見えませんでした。しかし、食器棚の中にあるその箱は私の中でとても見覚えのあるもののような気がしたのです。
―もしかして…。
期待と、そしてちょっぴりの不安を胸に私はその箱を手に取りました。
さらさらとした独特の感覚が手に優しいその箱は私の小さな手にも収まる程度で、貝のように開けることができるのが分かります。
―やっぱり勝手に開けちゃまずいですよね…。
そうは思っても、胸の中の期待と不安は私の背をどんどんと後押しします。結局、我慢できなくなった私は決心して、それを開けると…中には一対の輪が仲良く並んでいたのでした。
「や、やっぱりこれって…!」
それは『儀式』を行うシー・ビショップにとってとても馴染みの深いものです。『儀式』を行う男女が必ず身につけているその輪は私にとって、憧れの対象でもあり、決して見間違えることはありません。
「結婚指輪…」
それは紛れもなく結婚指輪でした。変わらぬ愛を象徴するダイヤモンドがキラキラと輝き、目に眩しいくらいです。リングの部分も手の込んだ意匠装飾されており、一目で値打ちものだと分かりました。
しかし、値打ちものであればあるほど、私の胸の中の不安がどんどん大きくなっていきます。アルムは勿論、一途な男性なので、浮気なんてするはずがありません。そう信じています。しかし、私の中にある彼を放っておいているという後ろ暗さが彼が他の魔物娘と恋仲にあるのでは、という妄想を酷く掻きたてるのです。ありえないのは自分でも分かっていました。それでも何度頭を振っても、その最悪の予想が離れないのです。
―そしてその不安を振り払う唯一の方法が目の前にあります。
もし、女性用に作られた小さな指輪が私の指に通れば、これは私に作られた指輪であることはほぼ間違いないでしょう。しかし、それはとても卑怯な行為です。彼の愛情を疑う何よりも卑劣な行為なのです。
―けれど……。
「た、試してみれば分かりますよね…」
押しつぶされそうになる不安に負けて、私は自分を納得させるようにわざと口に出しながら小さいほうの指輪を手に取りました。そして、そのまま左手の薬指へと嵌めると…それはぴったりと収まったのです。
―…アルム…っ。
彼の愛情を酷く卑怯な手段で確認した私は自己嫌悪よりも彼への愛しさで胸が一杯になりました。胸が張り裂けてしまいそうな感情のまま彼の元へと走って今すぐ抱きしめたいくらいでしたが、一度、愛情を疑ってしまった私には少なくとも今はその資格がありません。
「ごめんなさい…」
そう呟いて私は元の通りに指輪を黒い箱へと戻し、それを食器棚へと入れます。そして、それを隠すように二つのワイングラスを並び立てました。これで、彼が黒い箱に気づかれたことに感づくことはない…と思います。
そして私は食器棚を閉めると、開け放されている扉へと近づきます。最後に少しだけ後ろを振り返って、アルムの顔を見つめた後、振り切るように海へと身を投げました。
―まるで鳥になったみたい…
そんな一瞬の浮遊感の後、海へと着水します。身体にかかる圧力と、水面に叩きつけられた痛みが私を襲いますが、今はそれも愛おしいくらいでした。それらが彼を疑った私を罰してくれているように感じるからです。
そして私はいつもと同じように水を尾で蹴るようにして加速していきます。何時か、彼があの指輪をプレゼントしてくれるのを期待しながら、私は何時もより幸せな気分で私を待つ恋人たちの元へと急ぐのでした。
山ほど食料と水、そして奴隷を積み込んで尚、一度でも嵐に会えば終わり。運よく嵐に会わずとも半数が一度の航海で死亡する。熟練し専門の知識を身につけた航海士がいなければ目的地に着くことは出来ず、海の魔物に出会えば全員が武器を手にとって命がけで戦い、何十人もの犠牲を出してそれらを撃退していた時代。いわば『冒険』の時代とも言うべき航海は、魔王の代変わりと共に幕を閉じた。
「あなたー!早く帰ってきてねー♪」
「おうっ!待ってろよ!精のつくもん山ほど買ってきて、良い子を産ませてやるからな!」
「あなた…その…」
「マーメイドぉぉぉ!俺だーっ!結婚してくれー!」
肌のちりつくような太陽の下。海水と日の光をたっぷり浴びて年季の入った甲板の上に何十人もの男が集まっていた。皆、一様に同じ制服を着ていて、腕周りだけでも、女の子が腕を絡ませて尚、いくらか余るほど太く、服の上からでも引き締まった身体が見て取れる。
彼らは『海の男』とも言われる男たちであり、このフライングプッシーフット号を完璧に運用する熟練の船乗りでもあった。まぁ、だらしなくデレデレしながら、それぞれの恋女房ともいえる魔物娘に手を振る姿からはまったくそれが想像できないんだが。
―しかし…いい加減、出航の時間だって言うのに暢気な船員たちだ。
「そういや今日も航海長のイイヒトは来てないですねーっ」
そんな中、一人の船員が俺に向かって振り向いた。そいつは特に何も考えず、確認の為に口に出してくれたのだろうが、そんな彼の言葉が俺の心にぐさっと突き刺さる。
「……あぁ」
―見れば分かるんだよっ!一々、口に出して確認しなくとも良いだろうがっ!
そう怒鳴りたくなるのを何とか堪える。航海長と言う責任のある立場の人間がそうそう激して大声を上げるわけにはいかないのだ。…とは言っても、俺の居るこのフライングプッシーフット号には俺を含めて三人しか航海士が居ないので、責任のある立場、と言っても正直、大したことは無いんだが。
「最近、来ませんね。航海長のイイヒト」
「…お前……さっきから喧嘩売ってるのか?」
コメカミが引きつるのを感じながら思いっきり敵意をぶつけてやると、そいつは青くなってふるふると首を振った。航海長に任命されてからめっきり喧嘩する回数は減ったが、それでも昔は荒くればかりの船員に指示を飛ばすために喧嘩に明け暮れたもんだ。その実力は今でも劣らっておらず、主に船員を締めるのにもっぱら使っている。
「ち、違いますよ!そうじゃなくてっ!その…家の奴と違ってやっぱり大変なんだろうなぁ、って」
「あぁ…まぁ…な」
家の奴、と言った時に見せる嬉しそうな顔に何も言えなくなってしまう。
海の上で大半を過ごす船員には大抵、魔物娘の恋女房がいる。男だけの環境で、ずっと船と言う閉じられた場所に押し込められているのだ。そんな所に可愛らしい容姿の魔物娘がやってこればそりゃ恋も芽生える。『教団』はそれを禁止しているが、船員からすれば男同士よりはいくらか健全だ。そう思うのは俺にも懸想する恋女房がいるからだろうか。まぁ、さっきからずっと俺が不機嫌なのは、その恋女房が最近、顔を出さずに、こうして他の連中がいちゃついているところを見せ付けられているからなのだが。
―しかし、何時までも不機嫌なままじゃいられないのが管理職の辛いところだ。
「おーし。お前らぁ!そろそろ出航だ!碇を上げるぞ!!」
そう声を出して船員に指示を飛ばしていく。そうすると、今までのデレデレした『旦那』の顔とは違い、キリッとした『海の男』の顔に戻るのは流石だ。さっきまでの様子が嘘のようにてきぱきと身体を動かし、あっという間に出航の準備が出来上がってしまう。そのスピードはよその船と比べても遜色なく、自慢できるほどである。…しかし、俺は胸を張れるほどの船員の働きっぷりに頭が痛くなるのを堪え切れなかった。
―普通、こういう指示を飛ばすのは、航海長の助言を受けながら、船長がやる仕事なんだけれどな…。
ただの航海長に過ぎない俺に指示を飛ばされるのが普通になってしまっているその姿には涙を禁じえない。しかし、残念ながら家の船長は放っておくと「カリュブディスたんとちゅっちゅしたいよぉ」としか言わなくなる極度の駄目野朗なのだ。指示を飛ばすことは元より、出来て当たり前の仕事一つでさえ期待は出来ない。今も船の甲板にいないのは船長室の中で、カリュブディスを思って妄想しているからなのだろう。そんな奴がどうして船長をやっているのか、俺は今でも謎なんだが、仕事を立派にこなす船員やその才能を持つ船員を何処からとも無く見つけてくる辺り、人を見る目だけはあるんだろう。
そんなことを考えているうちに碇を上げられた船のマストに何人かが登り、純白の帆を広げた。ふわりと広がる純白の三角形が青い空に幾つもの花を開かせ、目に眩しい。帆は追い風をその身一杯に受けて緩やかに船が前進していく。熟練の技術で舵を切る船員が船を自在に操り、入港してくる船を軽々と避けて外海へ。
―そう。フライングプッシーフット号の何十度目かの航海がこれから始まるのだ。
ある日を境に航海は変わった。
恐るべき魔物は愛すべき魔物娘となり、栄養不足に喘ぐ船員に新鮮な魚介類を提供してくれる。嵐の時も魔物娘に先導を任せて乗り切り、誤って海の落ちた船員も魔物娘が拾ってくれる。正確な航路は熟練し、専門性の高い知識を持つ航海士がいなくとも魔物娘が教えてくれるし、奴隷などなくとも発展した技術を精をつけて力の有り余った船員たちが用いれば、十二分に船を運用できる。
『冒険』であった航海は終わりを告げ、『安全で安心』の航海の時代。『陸よりも安全で楽しい生活』なんて昔の船乗りの間で流行ったジョークだが、今ではまさにその通りだ。
―それが俺にとっては少しばかり不満ではあったんだが。
俺にとって航海は憧れだった。
俺の生まれた村は何の特産品もないド田舎もド田舎で、地方の片隅にぽつんとある。土地が肥えているわけでもない、人を呼び寄せられるほど豊富な資源があるわけでもない、魔物に対する強烈なアレルギーがあるわけでもない、ないない尽くしのド田舎。そんな場所で俺はガキ大将として君臨し、二人の子分を従えて毎日遊びまわっていたんだ。
そんなある日の事、村に旅人がやってきた。名をリックと言い、何処かの国の王子様だって言われてもあっさり皆信じてしまうような美しい人だったな。彼は竪琴と歌声だけで諸国を回る吟遊詩人で、俺の生まれた村に寄ったのは…まぁ、この辺は良いだろ。とにかく俺たちのお陰でリックは村に寄って少しの間、滞在していたのさ。
そして俺たちとリックは一番仲が良かった。俺たちは毎日、リックにくっついて、彼に寄ってこようとする女どもを警戒し―俺はホモじゃないぞ。リックが女に寄ってこられると困っていたんだ―同時に役得として俺たちは彼に詩を乞うた。彼の歌声は今でもしっかりと覚えている。子分その1は天使のような歌声だ、と言っていたが、まさにその通りだ。美しく荘厳で、同時に優しくて、聞いているだけで胸が一杯になるその歌声は、ド田舎に住んでいる俺たちにとって初めて聞くものだったよ。
そして俺が彼の詩の中で一番、好きなのは冒険譚だ。強い勇者の物語―例えば黄金の鉄の塊で出来た騎士の物語のような。あんなもん、いまどき誰が信じるのだろう。いや、子分の一人はそれを信じていたわけだが―や、悲劇や喜劇に彩られたラブロマンスではない。特別な才能があるわけではない、特別に強いわけでもない、けれど、皆が協力して沢山の財宝を得る冒険譚が俺は大好きだった。
―そう。例えば、昔の『冒険』の時代の航海の様な。
だから、俺は船乗りになろうとした。生まれ故郷を捨て、辻馬車を乗り継ぎ、地方で一番の都市へと足を向けて、そこで船に密航したわけだ。
―この時の俺はなんで密航を選んだのか分からない。恐らくは密航して無理やり働かせてもらい、そこで実力を認めてもらって、正式採用してもらう、そんなことを考えていたんだろうとは思うんだが…。
しかし、密航は船乗りの間で重大な犯罪だ。認めていたらキリがない為、海に突き落とす同業者も少なくないという。そんな同業者に当たったら目論見はすぐに御破算だ。船があるということは近くに魔物娘が居る為、死ぬことは少ないが、運悪く死ぬ場合もあるだろう。また突き落とされなくとも見せしめのためにリンチにする船も数多い。そんな状況を後で知ったのだからこの時の俺がどれだけ無謀であったか少しは伝わるのじゃないだろうか。
そんな同業者たちの中で俺が当たったのがこのフライングプッシーフット号だった。船長は昔から「カリュブディスたんとちゅっちゅしたいよぉ」としか言わない駄目野朗だったが、当時の航海長―今はもう船を下りて嫁のセイレーンと幸せに暮らしている―が当時の俺の無謀さと馬鹿さ加減を買ってくれた。密航したのは働かせてもらうため、と必死に説明しても船員たちに信じてもらえなかった俺を航海長付きの見習いにしてくれたんだ。それからの俺は毎日、航海長の後を着いて回って勉強の日々だったな。人生であれほど勉強をした日々はなかったと思う。それだけ一部の事を除いては熱心に航海術や、船員たちの仕事を勉強する毎日だった。
見ず知らずのガキに何故それだけ航海長が熱心の自分の秘術とも言うべき航海術を教えてくれたのか、今の俺には少しだけ分かる。…航海長は多分、悲しかったんだ。
―今まで多くの先人の犠牲と、発見が積み重なって培われてきた航海術。しかし、それは今、必要とされなくなっている。
魔物娘たちに罪は無い。彼女たちは愛する船乗りを少しでも楽にしてあげようと善意でやってくれているのだ。それを感謝こそすれ恨む気持ちなんぞまったくない。それは恐らく航海長も同じだろう。
―しかし、同時に魔物娘たちの所為で航海術は要らない技術となった。
まるでロートルでポンコツの骨董品のように。フライングプッシーフット号はかつては奴隷を含めて、200人を収容し航海していたそこそこ大きな船なのだが、そんな船でさえ今では航海士が三人しかいないほどだ。航海長がまだ船に乗っていた頃は七人の航海士がいたが、一人、また一人と嫁と一緒に海へと消えていった。そして消えていった航海士の補充はまったくない。こんな時代に航海術なんて学ぼうとする奴はいないし、いなくても特に問題ないからだ。
−恐らく航海長はそんな先が見えていたんだろう。
だから、それに少しでも抗おうとハナタレの悪ガキであった俺にさえ航海術を熱心に教えてくれた。例えこれから先、殆ど役に立たない技術と知っていても、また次の世代へと航海術を伝えてくれることを祈って。
だからこそ俺は『冒険』の時代の航海が少しばかり恋しいのだ。かつて夢見た『冒険』の舞台でもあり、俺に技術を教えてくれた航海長の心を無駄にしない為にも、航海術が必要とされ、航海術を思う存分に揮えるそんな航海が俺はしたい…!
―けれど、俺のそんな心とは裏腹に今日も平和で、安全な航海である。
雲ひとつ無い天気は、変わりやすい海の天気とは言え、当分嵐も何も無い事を告げている。純白の花は、今も、追い風を沢山受け、その花弁を大きく広げていた。お陰様で推進力は文句の無いほどで、甲板や、船底で働く船員たちもいるが、残りの半分の船員は自分たちの部屋に篭ってそれぞれの恋女房とよろしくやっているだろう。船底はわからないが、俺のいる甲板の船員たちも真面目に仕事をしている訳ではなく、恋女房と話す合間に仕事をしているような有様だ。あまりにもダレきっているその仕事っぷりに、渇を入れてやろうとも思うが、いざ必要な時には他の船顔負けの作業速度を誇る上に、今すぐ、やらなければいけない仕事もない為に何も言えない。可能性があるとすれば追い風が向かい風になって、マストを畳む位だが、肌を撫でていく風の感覚や、空の色を見るに、この追い風は当分、収まることは無いだろう。
―まぁ、つまるところ順調過ぎるほど、順調な航海な訳だ。
船の左右に目を向けると船の速度に追いつき併走している海の魔物娘たちが見える。疲れたのか、魔物娘を受け入れるためのタラップを開いて、そこに腰をかけて船員と抱き合っている魔物娘さえ居た。流石に注意しようと思って口を開こうとするが…ふと俺の視界が何か黒いものに奪わる。
「カリュブディスたんといちゃらぶしたいよぉ」
『それ』は俺の頭一つ分したくらいまでの身長しかなかった。それでも俺の視界が奪われ、開こうとしていた口が何も言えずに閉じてしまったのは無理やり被っている船長帽がその身長を20cmほど水増ししているからだ。
そいつは線が細く、低い身長を含めて、まだまだティーンズの少年にしか見えず、さらさらと日を弾く金色の髪はそこそこの裕福な家庭の出であることを教えてくれる。瞳は見ているだけで引き込まれるようなブラウンをしていて、今も好奇心を一杯に込めて輝いていた。服装は俺たちと同じ制服で、背に羽織るフライングプッシーフット号を所有する商会のマークが入ったマントと船長帽があって尚、誰もこいつをこの船の船長だとは思わないだろう。
「何してるんですか船長」
「見回りなんよ」
―ほう。珍しい。
この見るからに海の男というよりも、貴族のお坊ちゃまの方が近い男は見た目通り力仕事は一切、出来ない。船長として最低限しなければいけない仕事―例えば帳簿をつけたりは俺などは出来ない―はやるが、他の…例えば航海長である俺でも出来る仕事があれば躊躇なく俺に任せてくる。本人曰く「適材適所なんよ」だが、面倒くさいだけなのは誰の目から見ても明らかだ。
―その船長が見回りとは…少しは自覚が出てきたか。
船乗りにとって組織のトップは船を所有する商会ではない。海の上で絶対的な権力を持つ船長だ。自然、そんな船長が船内を見回りしていれば、だらけた仕事をしている船員にも身が入る。これでピンク色に染まったこの船にも少し渇が入れば良いんだが…。
そんな俺の期待を背に受けて、船長は甲板を見渡した。そこには船長が甲板に出ていることも知らず、十何メートルの距離を開いて、恋女房と話をしている船員が山ほど居る。
―さぁ、連中に渇を入れてくれ船長っ!
期待して船長を見つめる俺の視線を、他所にこいつはがっくりと肩を落とした。
「カリュブディスたんの渦潮は今日もないんよ…」
「…は?」
「もしかしたら、と思って見回りに着たけどカリュブディスたんの渦潮はないんよ…」
―まぁ、そりゃあってもらっちゃ困るからな。カリュブディスは最悪の天災みたいなものだ。もし、発見したら全力でルートを変更する。其の為に幾つかの魔物娘には先行してもらって、カリュブディスの有無を確かめてもらっているほどだし。
いや、そうじゃなくて…まさか見回りってそういうことなのか…?
「カリュブディスたんの渦潮が無いなら用はないんよ。船長室に戻るんよ。…あ、そこのいちゃらぶしてる奴は羨ましいから航海長が叱って欲しいんよ」
そう言って船長はとぼとぼと船内に戻っていった。その背中は悲しみを背負っているように見えたが、悲哀の量は俺が背負っていつものとは比べ物にならないだろう。
―奴に期待した俺が馬鹿だった…。
そもそも本当に見回りするような殊勝な心がけの船長であるならばとっくの昔にやっているだろう。実年齢が不明で、俺がであったときにはもう今の姿で「カリュブディスたんとちゅっちゅしたいよぉ」と言うのが、大半のあの船長は、今までもずっと大半の業務を人に丸投げして生きてきたのだ。今更、そんな風に見回りすることなんてないだろう。
−辞めたい…この船ホント辞めたい…。
船長は船員にも気軽に接してアットホームな職場、と言えないことも無いだろうが実情はほとんどの業務の責任が俺に圧し掛かっているのだ。航海長なんていう名ばかりの役職では背負いきれないほどの重荷が俺の肩にはある。
船員はやる時はやるが、やらない時はやらない連中ばかりで、船長にいたってはやる時もやらない。何よりの問題はそんな連中でさえ、無事に航海を成功させ、このフライングプッシーフット号が不沈船としてそこそこ有名になっているという現状にある。
―今はまだ良い。実力のある船員が山ほど居る。だけど、その船員たちが降りたらどうするんだよ…。
このフライングプッシーフット号を所有する商会がある都市は古くから魔物が魔物娘となった頃から魔物を積極的に受け入れてきた稀有な場所だ。交通の要所でもあるそこは魔物娘の商業的価値を古くから気づいていて、特に海の魔物を重視して、彼女たちを保護している。その都市が彼女たちにどんな契約をしているのか、詳しくは俺も知らないが、俺が船乗りになった頃には魔物娘はもう船乗りにとってなくてはならない隣人であったのだ。そんな魔物娘のお陰で、新しい航路が沢山開拓され、航海の成功率も跳ね上がって今では失敗することの方が珍しいくらいだが、問題が無いわけではない。
元々、海の魔物は男を海に連れ去るのが主流なのだ。それをどんな手法かは知らないが我慢させて、男の航海を手伝わせている。海の上でも一緒なので、普通の女よりは接している時間が長いとは言え、恋した女に一方的に我慢させている現状を多くの船乗りが善しとは思っていない。
―それはこの船の暗黙の了解である『5年ルール』にも見て取れる。
『五年ルール』とは、船乗りは一度、勤めてから五年は船を下りてはいけない、と言う物だ。これは、どんどんと人が辞めていくという現状を防ぐ為に半ば人の良心から出来上がった規則でもあり、船を下りる権利を正当化するルールでもある。船を下りる順番をこうして決めておけば、抜けるときに味わう良心の痛みも軽減されるからだ。
まぁ、そんな一種馬鹿らしい暗黙の了解があり、また魔物娘たちの手伝いもあって、今は深刻な人手不足にはなっていないものの、近い将来、それは現実となってしまう。
―そんな中、新人がまともに仕事を覚えるかよ…。
新人は人の背を見て仕事をする。特に海の世界ではそうだ。厳しい船では厳格な船乗りになるし、熟練した船乗りが多ければより発奮し技術を磨こうとするし、だらけた船ではやはりだらけた船乗りにしかならないだろう。ステレオタイプ的に確実にこう分類できるわけではないが、多くの船乗りと接してきた感覚からそう感じる。
―そしてこの船は至極残念なことに、どちらかといえば三番目に分類されてしまう。
この事実だけで、何時か確実に来る『近い将来』に不安を覚えるのは仕方のないことだろう。
「あぁー…マジでどっか良い船無いかなぁ…」
甲板でいちゃいちゃしてる船員たちを尻目に空を見上げた。深くて全部飲み込んでしまいそうな濃い青とは違い、突き抜けるような青は何時もと同じで、俺の悩みや辛さなんか知らないようで、目尻に少しばかり水が溜まってしまったのだった…。
そんな生活が二週間ほど続いた。
アレから何度も注意したが、やはり俺の怖さ程度は、魔物娘の魅力には勝てないのか船員のダラけっぷりは止まらない。確かにダラけてはいるものの、仕事はきちんとしている船員が多いので、皆、この現状にそんなに危機感を持っていないのだろう。なので危機感を持ってもらおうと、船長を動かそうとしても、奴は「カリュブディスたんハァハァ」と言って自分の部屋に篭っている。無理やり突入することも考えたが、そんな声が聞こえる扉を開けたくない気持ちが勝ってしまった。
「はぁ…どうすっかねぇ…マジで」
火が落ちて暗くなった俺の部屋を揺れる蝋燭の炎が不規則に照らす。その炎を光源に船長の代わりに書いていた航海日誌から顔をあげ、俺は思わずため息を付いた。
―俺も後、一ヶ月で勤続五年か…。
一ヶ月先…この航海が終わる頃には俺はこの船を下りることが出来る。それが俺の中の焦りを助長する一つの要因でもあった。
―俺が抜けたらこの船どうなるんだろうなぁ…。
別に俺の航海術がなかったら、この船はやっていけない、と思うほど自惚れては居ない。まだまだ実力のある船員は沢山居るし、本当にやばくなれば船長も動き出すだろう。仕事がどれだけ出来なくても人を見る目だけはしっかりしているあの船長が居る限り、そんなに心配をする必要は無いのかもしれない。
けれど、それでも尚、一抹の不安が俺の脳裏を過ぎってしまう。もし、俺がこの船をまったく改善しようともし無かった所為で、この船の長い歴史が絶えてしまったらどうしよう、と思ってしまうのだ。
―だからこそ、俺の居る間に少しでも空気を変えたいんだが…。
長年、俺自身も善し、としてきただけに、この船に満ちる空気は中々、変えることができない。それが俺の最近の悩みの種だった。
「あーあ。もうやってられるかってんだ」
一人呟いて、書きかけの航海日誌を閉じた。今日も順調過ぎて何のトラブルも無かったので、書く事なんて方角と進んだ距離、それと俺の愚痴くらいしかない。商会が業務のチェックに義務としているとは言え、愚痴ばかり書かれている航海日誌にまた一ページ増やす行為に何のやりがいを見出せというのか。
「あー…荒れてるなぁ俺…」
普段よりも棘のある思考に気づいて、俺は少しばかり頭を掻いた。
荒れてる理由は山ほど思いつく。夢も希望も失い、託された思いすら繋げないふがいない自分。船長の意識も、船員の意識も変えられない無力な自分。そして…忙しいと分かっているとは言え、恋人と会えない期間が長くて、その浮気を疑ってしまう弱い自分。
「何やってるんだろうなぁ…あいつ」
既に拠点を出発してから二週間以上が経っている。それなのに、俺の恋女房はまるで姿を現さない。基本的な航路は何時もと同じなので、俺の船の位置も大体、分かっているはずだ。それなのに顔を出さないということはきっと忙しいのだろう。『彼女』は海の魔物にとって無くてはならない大事な仕事をしているのだから。
しかし、そうは分かっていても脳裏に過ぎ去るような黒い感情を抑えることは出来なかった。
「はぁ…マス掻いて寝よう…」
起きていてもろくな考えが起こらない。それなら気分転換に一発抜いて寝たほうがマシだ。そう思って、俺は蝋燭を消そうと燭台に手を伸す。そうして俺の手が燭台に触れる寸前、俺の後ろの壁に「こんっ」と何かが当たるような音がした。
―まさか…っ!
弾かれたように後ろを振り向き、窓から海の方を見下ろす。そこには俺がずっと待っていた奴がいた。飛び上がりそうな歓喜を感じるのもそこそこに、俺は窓枠の傍のレバーを操作し、壁を『扉』へと切り替える。ロックが解除され、壁が開くのを確認すると、俺はすぐさま、それを開き、海へと向かってロープを下ろした。
「やっべ…!部屋片付けてねぇ…!」
そこまでやって俺は自分の部屋が散らかりに散らかっているのに気づく。普段から船長の仕事の多くも肩代わりしているので部屋の中を整理する時間も無く、その辺に資料やら服やらが無造作に転がっているのだ。足の踏み場が無いというほどではないにせよ、あまり居心地の良い部屋ではない。
「こんばんはです…♪」
「あー…」
そう思って、散らかっている衣服に手を伸ばした俺の背中に可愛らしい声がかかる。俺の部屋は船の中でも船長室の下にあり、海からは結構な高さなのだが、彼女はもう慣れてしまったものなのか、するすると登ってきたらしい。
「こんばんは、レティ」
諦めて振り返ると、そこには女神も裸足で逃げ出すような美女が居た。
長い髪は透き通る湖のような色をしていた。水に濡れて淡く輝くようなその髪が月の光を受けるのはまるで神話の中の一ページを切り取ったようにさえ感じる。薄く茶色がかったその瞳は、知的で温厚な彼女の性格をはっきりと現していた。胸元の大きく開いた白い修道服の下に、下着のような水着をつけているその姿は清純そうな彼女の酷くミスマッチだったが、それがまた強く興奮を掻きたてられてしまう。手や腰から伸びる大きな鰭や、髪からぴょこん、と伸びる鰭のような耳、また美しい鱗が幾つも立ち並ぶすらりとした尾が彼女が魚類型の魔物娘であることを明確に伝えていた。
彼女はシー・ビショップと呼ばれる種族の魔物だ。船乗りにとっても信仰の対象である海神ポセイドンの巫女であり、人間の身体を海の中でも生活できるように適合させる稀有な能力の持ち主でもある。海の魔物の結婚式を行う司祭でもある彼女は常に海を駆け、少しでも幸せなカップルを増やそうと俺なんかより遥かに忙しく世界中を駆け回っていた。
「遅れてごめんなさい…」
そう言って彼女―俺の恋女房でもあるレティは手に持つ石版―海神ポセイドンの教えが記された経典らしいが俺には読めない―を大事そうに横へと置いた。
「いや、仕方ねぇよ。レティは忙しいんだし」
さっきまでの黒い感情は何処に言ったのかというほど清々しい感情で俺はそう言う事が出来た。レティの顔一つ見れるだけで、疑っていたのが馬鹿馬鹿しくなってしまうほど、彼女は美しい。
「でも…」
「良いよ。それより良い酒が手に入ったんだ。一緒に飲もうぜ」
俺がそう言ってもレティの中の良心の痛みは無くせないのだろう。まだ申し訳なさそうに形の良い瞼で目を伏せる彼女に背を向けて、俺は机の上の木箱に手を伸ばした。見るからに上等な桐の箱の蓋を開けると、緩衝材に包まれたワインが姿を現す。それを無造作に掴むと、戸棚に隠してあったチーズと共に彼女の元へと向かう。
「お待たせ」
そして俺はすぐ近くにある食器棚から二つのワイングラスを取り出した。俺と彼女の逢瀬は基本的にこの壁際なので、すぐに取り出せるよう食器類はここに置いてある。食品は、潮風で浸食されてしまって腐りが早くなったり味が変色するので常備できないが、食べ物を取る程度ならば俺が動けば良い。少なくとも足が尾になっているのに、ここまで上がってきてくれている彼女を部屋の中央まで連れあがるのよりはそっちの方が健全だ。
「あら…それ…」
「知っているのか?」
きゅっ、とコルクを抜く時、独特の擦れる音がする。その瞬間、部屋の中に果実が醗酵した独特の香りが広がった。それをより深く味わうように彼女は目を閉じながら、頷く。
「この前、結婚式のお礼として貰ったものです。かなり美味しいと有名な果実酒らしいですが…高かったんじゃないですか?」
「あぁ、まぁ…なんだ」
―畜生…もう飲んでいるんだったら別のにすればよかった…!
「仲間が山ほど買い込んだ分を分けてもらったんだ。どうやら口に合わなかったらしくてな。別に買ったもんじゃないから気にしないで良い」
―嘘だ。本当はこのワインが美味しいという噂を聞いて、街中駆けずり回って、目ん玉飛び出そうになるくらいの値段にも我慢して、ようやく手に入れたんだ。
レティは普通の蒸留酒の類を好まない。唯一、美味しい、と言って飲むのは果実酒だけだ。しかし、レティは海の中に居て、果実酒なんて滅多に手に入らない。だから、せめて俺と会うときは美味い果実酒を飲ませてやろうと、必死になったんだが…その必要はなかったようだ。表情は必死に普通にしていたが、思わず少し肩が落ちるのを感じる。
「ふふ…っ♪そんなに落ち込まなくとも受け取りませんでしたよ。お礼を目的でやっているわけではありませんし」
まるで俺の心の落胆を見透かしているようにレティは口元に手を当てて、微笑んだ。まるで何の事は無いそんな仕草でさえ、彼女がするだけでまるで貴族の令嬢のような気品溢れるものに変わる。
―やっべ。可愛い…。
もうすぐ五年の付き合いになるが、未だにレティのそんな仕草に俺はどきり、としてしまった。そこらにいる人間なんかよりも遥かに上品で、仕草一つとっても気品溢れるレティは出会った当初のようなときめきを何時も俺に与える。
「なら、良…いや、まぁ、俺が買ったんじゃないけれどな!」
「ふふっ…♪」
必死に誤魔化そうとして、強調した俺の様子に再びレティは微笑んだ。その様子はまるで悪戯した子供の言い訳を聞いているようで、全部見透かされているような気さえしてくる。
―畜生…なんか負けた気がする…。
悔しくて俺は思わず目を泳がせた後、自分の手に持っているボトルに気づいた。そして、気恥ずかしさを隠すように、目を伏せて、果実酒を彼女のグラスに注いだ。薄く白に染まったワインがグラスの中で踊り、蓋を開けた瞬間に広がったのよりもさらに濃厚な果実の香りを伝えてくる。
「美味しそうですね…」
その匂いを一杯に吸い込んでレティは嬉しそうに笑った。その様子に少しばかり満足し、胸が一杯になるのを感じながら、俺は自分のグラスにもそのワインを注ぐ。
「だな。有名なだけはあるみたいだ」
そう応えて俺はワイングラスを親指と人差し指で持ち上げた。それを見たレティも同じようにグラスを持ち上げる。少し二人で、見つめあった後、俺は小さく口を開いた。
「それじゃ、乾杯」
「えぇ。乾杯」
小さくグラスをぶつけて、ガラス同士が触れ合うキィンと言う音がする。レティも俺も弾かれた反動を利用するように、そのままグラスを口へと近づけ、果実酒を口に含んだ。
―最初に感じたのは甘さ。次は匂いだ。
果実酒独特のあの甘ったるさではない。口の中に一気に広がり、次に来る匂いをより味あわせようと、すっとそれが引いていく。甘さが引くのと同じ辺りで口の中一杯に果実の香りが広がる。そして再び帰ってきた甘さが匂いと共に口の中で踊るようだった。
「美味いな…」
「えぇ…」
じっくり味わった後に嚥下して、それでも尚、しっかりと口の中に印象付けるその味は俺が今まで味わってきたワインが、まるで子供の飲み物に感じるほどに濃厚な代物だった。それはレティも同じだったのだろう。味わうように頬に手を当てて目を閉じる。
―その姿はまるで神に祈るようだった。
レティは果実酒が好きで、飲む度によくこんな顔をする。それは美味しければ美味しいほど長く続き、時には眠っているのではないかと心配になる事もあった。今ではレティのそんな癖には慣れたもので、逆にそんなレティが見たいからこそ美味しい果実酒を探すくらいほどだ。
「ホント…美味しい…」
そのまま、たっぷりとレティは口の中のワインを味わったのだろう。ツマミが欲しくて持ち出したチーズを俺が陶製のナイフで切り出した頃に、レティはようやくうっとりとした目を開けた。清純なレティが、瞳を潤ませるその姿は、見慣れている俺でさえ胸の高鳴りを覚える。勿論、そんなどきりとするレティの姿が俺は大好きだった。
「で、最近どうなんだ?」
「えぇ、それなんですけれど…」
そこからはずっと他愛無い話が進んだ。しかし、退屈することは無い。酒気で頬を赤くしたレティの顔を見るだけでも楽しい時間であったし、彼女の話は沢山のカップルを見てきただけあって面白いものばかりだからだ。
嵐で無人島に流れ着き、そこから脱出しようとイカダを作って海に出たもののカリュブディスに捕まって結婚させられた船乗りの話。
漁を生活基盤とする村で、昔から縁結びとして活躍していたメロウが、ついに旅人と結ばれる話。
親の事業の失敗で多額の借金を背負い、世を儚んで身を投げたものところをセイレーンに捕まって、彼女の歌に癒され、生きる気力を取り戻した男の話。
船の中に潜んでいたスキュラに、嵐で落ちそうになったところを助けてもらい、喜んでいたのもつかの間、そのまま連れさらわれた船乗りの話。
他にも様々なカップルの話がレティの口から飛び出した。どれもこれも聞いているだけで、楽しい話であったが、レティは大きいと表現する時に両手を大きく広げたりして身振り手振りを交えて話すのでインパクトもあり、あっという間に時間と酒が進んでいく。
そんなレティの話が一段落した頃には、レティの頬はアルコールで真っ赤になり、潤んだ目になっていた。そんなレティを見ると俺はレティと始めてであった頃の事を思い出してしまう。
―俺とレティが出会ったのは俺が始めての嵐に出会った夜だった。
その日は、天気が晴れていたものの、雲の流れがいつもより速く、航海長は嵐が来る事を予見していた。自然、船乗りたちは気を引き締めて、作業に望み、見事それを乗り切って見せたんだが…当時の俺にとってはそれははじめての嵐だったんだ。まるで岩に押されているようにずるずると動かされてしまうほどの風も、踏ん張ろうにもつるつると滑る甲板も俺にとっては始めての経験で、あっさりと海へと投げ出されてしまう。
この時、大体の場合、気づいた魔物娘が救助して後で船底のタラップから船へと戻してくれるんだが、あいにくとその日は夜で、落ちた俺に魔物娘は誰も気づかなかった。着衣のまま水に浸かる感覚も味わったことの無かった俺は、鉛の様に重い衣服のまま必死に泳ごうとしたが、まるで、海の底にずるずると引っ張られるように溺れてしまう。
―そんな時だ。レティに出会ったのは。
レティはその時、近くのカップルの結婚式を終えた帰りで、たまたま夜の海に沈んで行く俺を見つけてくれた。しかし、既に先へと進んでしまい、船の周りの魔物娘たちも一緒に行ってしまったので、近くに魔物娘は居らず、彼女は仕方なく緊急避難として人間を海に適合させる秘術を使ってくれた訳である。それは…まぁ、早い話、海の魔物の魔力を男に流し込む訳で、それはやっぱりエロい行為な訳で、つまり、まぁ、レティは俺の始めての相手な訳だ。そして、まぁ、その最中の表情が今のレティのように赤く上気していて、目も潤んでいて…今とは違いアルコールで上気したんじゃなく、欲情で興奮していたって違いは確かにあるんだが。
まぁ、そんな夢のような一夜が明けて嵐が収まった後、俺が居ないのに気づいて大騒ぎになった船にレティは俺を運んでくれた。
それからレティはフライングプッシーフット号を見かける度に俺の顔を見に来てくれて、何度も何度も今みたいに壁際に二人座って話し込むようになった。その時には俺は彼女にベタ惚れで、殆ど彼女の事しか考えてなかったな。
―だって、そうだろう?清純で優しくて、ちょっぴりエロい命の恩人を嫌える男が何処にいるって言うんだ?
「大丈夫…?」
「あぁ…悪い」
かつて無いほどに美味い酒の所為か、それとも初めて出会ったときの事に思いを馳せていた所為か、少しぼんやりしていた様だ。レティが少しばかり心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「体調が悪いのですか…?もしそうなら寝た方が…」
「いや、大丈夫だ」
確かに悩みの種は山ほどあるが、体調を崩すほどではない。毎日、そこそこ忙しいが、夜も泳ぎ続けてカップルの下へと急ぐレティに比べれば忙しいとは言えない程度だ。体調が悪いはずもない。
しかし、それでもレティは心配そうにこっちを見つめていた。それを安心させる為に俺はレティの頬に手を伸ばす。
―そして俺の手がレティの頬に触れる直前。ついにてらてらと揺れていた蝋燭の火が消えてしまう。
「…レティ」
愛する恋女房の名前を呼びながら、俺の手はレティの頬に触れた。レティはそれに抵抗せず、まるで全て受け入れるように目を閉じている。従順に俺の手を受けとめ、ろうそくの消えた真っ暗な部屋に差し込むつきの光を受けるその姿は、まるで海の女神のようだ。
「はい…」
レティはそのまま頬に触れる俺の手に、自分の手を重ね合わせた。瞬間、レティの熱が俺の手に伝わってくる。それはアルコールの所為か、それともこれから始まる事に対する期待の所為か、いつもより熱く、疼くような熱を俺の手に焼き付けた。
「時間は…?」
「朝までは…居れます」
「そうか…」
そのまま開いた手でレティの身体を抱き寄せた。ころん、とワイングラスとボトルが転がり、ごろごろと、部屋の扉のほうへと転がっていく。レティはさっきと同じようにそれに抵抗せず、ずっと目を伏せたままだった。
密着したレティの身体は柔らかく、抱きしめているのは俺なのに、抱きしめられているような安心感すら感じる。服越しにとは言え、触れた場所は燃えるような熱を持っているようだった。
「レティ…その…」
名前を呼びながら俺はすぐ横にある食器棚に目を向けた。そこにはずっと渡そうと思って、しかし、決心が付かなかった給料三か月分のあるモノが眠っている。それを今日こそは彼女に渡そうとして手を伸ばそうとしながらも、俺の手は一向に動かなかった。
―このまま何もしないままこの船から逃げて良いのか…?
その自問がまるで俺の手を縛り付けられているように留めてしまう。
「…どうかしました…?」
固まった俺の身体に疑問を持ったのだろう。レティは薄く目を開いて、俺の顔を見つめた。その目はさっきまでのようにアルコールに濡れたものとは違い、欲情で塗れているのが見て取れた。
清純なレティの普段からは想像も出来ないその瞳に俺の欲情が燃え上がる。辛い決断を俺に強いる指輪の事は後回しにして、俺は頬に触れた手を離し、両手で離さない様にレティの身体を抱きしめた。
「いや…その、なんだ。…良いか…?」
「そう言う事…聞かないでください…」
レティは恥ずかしそうにそう言って、抱きしめ返してくれた。より密着した事で伝わる熱と興奮が跳ね上がったのが分かる。少なくとも俺の心臓は、興奮で激しく動悸していた。
「運ぶぞ…?」
「はい…♪」
抱きしめたままではレティを落すかもしれないので、俺は抱きしめていた右手を彼女の尾の下へと通す。彼女もそれに応えて尾を少しだけ上げて、首の後ろで両手を繋いでくれた。俺はそれを確認すると、足と腰に力を入れて立ち上がる。まぁ、早い話、お姫様だっこ、と言う奴だ。ちなみに…持ち上げると分かるが、レティは服の上からでも興奮を掻き立てられるような豊満な体と、船よりも早く走る強力な尾を持っているのにまるで重くは無い。
そのまま特に何事も無く俺はレティをベッドに運ぶことが出来た。毎日、日の下に干している―何時レティが来るか分からないのでシーツの洗濯だけは毎日しっかりやっているのだ―白いシーツの上にレティの髪が広がる。そんなレティに月明かりが当たって、目を奪われるような美しさを彼女に与えていた。
「綺麗だ…」
レティが来る度にその光景は目にしているはずだった。しかし、それでも、その光景は俺の心に何度も焼きつくようで、思わずそう言ってしまう。それがレティには恥ずかしいようで、赤くなった顔を拗ねたように逸らした。
それが可愛くて、俺は悪戯したくなってしまうのは何時もの事である。彼女の上着を止めている幾つかのボタンを外して肌蹴せると、彼女の上着の前は完全に開き、豊満な胸とは対照的に、括れた腰が目に入るようになった。
そして俺はその括れをゆっくりと撫で上げる。
「ひゃう…♪」
目を背けたままレティは可愛らしく声を上げた。羞恥とちょっぴりの快感に震えるその腕をまるで耐える様に口元へと当てて、必死に声をあげるのを我慢している。そんな姿がまた可愛らしくて、悪戯心がむくむくと顔を見せてしまうのは仕方のないことだろう。
「レティの括れはホント、綺麗だな。撫で回したくなる」
「は、恥ずかしいこと言わないでください…っ」
言いながらもレティは括れを撫で上げる俺の手を止めようとはしない。恥ずかしそうに目を伏せて、少し荒い息をつくだけだ。右手は口元に当てているし、左手も必死にシーツを掴み、皺を作っていることから決して拒んでいないのが見て分かる。
「じゃあ、こっちの鱗はどうだ?」
俺は彼女の尾に手を伸ばして、そこをつるりと撫で上げる。一枚一枚がまるで高価なサファイアのような輝きを放つその尾は、つるつるとしていて、触るだけで心地いい感触を俺の手に残した。
「ひゃぅぅんっ♪」
そして彼女は括れを撫でられるよりも強く反応する。びくんっとまるで電流でも流れたかのように身体を震わせ、口元に当てる人差し指にも、シーツを掴む左手にもぎゅっと力が入れた。
彼女の尾は海の中でより早く泳ぐため、人間などには想像も出来ないほどの筋肉の塊である。自然、そこにはそれらの筋肉を効率的に運用するための神経が多く通っていて、こうして鱗越しに撫でられるだけの感覚にも、強い快感を感じてしまうのを俺は知っていた。
「気持ち良いか…?」
俺が聞いたその言葉に彼女はふるふると首を左右に振ることで答えた。
どうしてか俺も知らないんだが、彼女はそんな強い性感帯でもある尾が気持ち良いとは決して認めない。どんな事をしても素直に受け入れてくれるレティのそんな数少ない強情な一面に、俺はやはり嗜虐心をそそられてしまう。
「その割には撫でるたびに震えてるぞ?」
そして俺は指先で鱗を一枚一枚撫でるようにしながらゆっくりと上のほうへと移動していく。尾と彼女の肌の境目は帯状の下着で覆われているが、そこはレティの一番、敏感な箇所だ。勿論、その辺りは彼女にとって、より敏感な場所に他ならない。
「はぁ…っ♪」
快楽を堪えきれないように、レティは甘く息をついた。まるでピンク色に染まってしまったかのような甘い甘い吐息は、果実酒の甘い香りの満ちる部屋の中でも、尚甘い。嗅いでいるだけで脳裏がちろちろと撫でられて本能に火がついてしまうようだった。
「もう一度聞くが…気持ち良いか…?」
「貴方は…何でそんな意地悪になったんですか…っ」
はぁはぁとピンク色の息を荒くつきながら、ベッドの上で彼女が隠すように右腕を両目の上に当てる。けれど、それは何の解決にもなっていなかった。右腕だけでは赤く上気した肌も、興奮を伝える早い呼吸も、その呼吸の度に揺れる柔らかい胸も、鱗に触れるたびにぴくんっと震える可愛い尾も、そして何よりゆっくりと濡れ始めている下着も隠せはしないのだから。
「聞きたいんだよ。レティの口から」
「…貴方は…スケベです…」
「俺をスケベにしたのはレティだろ?」
「…知りません…っ」
ついっと俺に性に関する事を沢山、教えてくれた初恋の女性が目を背ける。
―しかし、「違う」じゃなくて「知らない」と言うところが可愛らしいよなぁホント
彼女は何年も魔物娘と人間の結婚式を執り行ってきた。つまり、まぁ、そういう性に関する知識は山ほど持っている訳だ。それをレティは初めての性交に夢中になっていたガキに教え込んでくれた。そのお陰で、今、こうしてレティを虐めることが出来るのだから、世の中どうなるか分からないものだな。
―まぁ、虐めるのもほどほどにするか。
右腕で隠されているので、レティの様子は分からないが、そろそろ泣きそうな気がしないでもない。レティを虐めるのは好きだが、精々焦らす程度だ。流石に好きな女を泣かせるような高尚な趣味は持ち合わせていない。
「じゃあ、こっちはどうだ…?」
言いながら俺が触れたのはレティの服から溢れんばかりになっている胸だった。片手で収まらないほどのボリュームを持つそれは、触れるたびに柔らかく形を変える。しかし、同時に重力がかかっているとは思えないほど、ぴんっと突き出した形を維持するハリも持っていた。その胸をボンテージのような黒い艶のある水着が覆っている。
「ふぅんっ♪」
その刺激に敏感な尾に触れられたのと同じくらいぴくんっとレティは身を揺るわせる。その振動でさえ、柔らかい彼女の胸は卵の黄身のようにふるふる震えた。
―やべ。むしゃぶりつきたい。
思わず、そんなガキっぽい事を考えてしまうほど、レティの胸は美味しそうに見える。
「あっ…♪…やぁ……♪」
恥ずかしそうに身を捩るレティだが、それだけで、胸を隠そうとも、俺の手を払いのけようともしない。俺はそれに調子に乗って、胸の前でちょうちょ結びにしてあるリボンへと手を伸ばす。そのまま端を引っ張ると、まるで黒い水着が弾けたように開き、艶やかな肌色の塊が完全に俺の目の前に姿を表した。
―相変わらず大きいなぁ…。
肌色の塊は、開放の喜びを感じているかのようにふるふると身を震わせた。その光景には圧倒される迫力さえ感じる。しかし、レティの胸が持っているのは迫力だけではない。頂上に位置するピンク色の突起は既に膨れ上がって自己主張していて可愛らしい。
そして、俺はその可愛い突起を虐めてやろうと手を伸ばした。硬くしこった乳首を人差し指と親指で掴み、すり合わせるように刺激する。
「あ…っ♪あぁあっっ♪」
その刺激にまるで嫌々をするように首を振りながらレティは乱れた。ぎゅっと握ったシーツが波打ち、しっとりと汗ばんだ肌が血流を促進させてレティの白い肌を赤く染めていく。清純で清楚と言う言葉が誰よりも似合う彼女があられもなく乱れる倒錯的な姿は否応無く俺の興奮を高めた。
―本当に…綺麗だ。
乱れるレティの表情は今だ右腕でがっちりと目をガードされているので詳しいことは分からない。しかし、快感に叫ぶその口元や、必死に快感を逃がそうとシーツを握り締める腕や、まるで誘うようにふりふりと動く彼女の尾が、彼女がどれだけ感じてくれているかをはっきりと俺に教えてくれる。
そして俺はもっと彼女を感じさせたくて、もう片方の胸にも手を伸ばした。ゆっくりと撫で上げるだけでも、柔らかく反応し、そして俺の手が過ぎ去った後に、ぷるんっ、と震えて元に戻るその胸を俺は楽しむように撫でまわしながら、彼女の乳首を口に含む。
「ひゅうううんっ♪」
叫ぶような彼女の声を無視して、俺はそのままレティの乳首を歯と歯の間で挟み込む。こりこりと弾力のある乳首が俺の歯を通して柔らかそうな感触を俺に伝えてくれた。それをもっと味わおうと、俺は舌先で彼女の乳首をちろちろと弄んだ。
「駄目…っ♪胸は…あぁっ…弱いんです…」
―知ってるよ。
何回も何回もレティと交歓した俺は、ここだけで絶頂してしまうことも珍しくないのを知っている。乱れに乱れて、はぁはぁとやらしく息をついて、おねだりするように腰を押し付けてくるのも理解している。だからこそ、俺はそんなレティが見たくて、彼女の声を無視して虐め続けた。
「あぁ…っ♪意地悪…っ貴方は意地悪です…っ」
―そいつも知ってる。
だが、俺からすれば悪いのはレティの方だ。優しいだけの愛撫よりも、こうしたちょっと激しい愛撫の方が感じて、より激しく乱れる、少しマゾヒスティックな趣味を持つレティが初恋の相手でなければ、俺もここまでは意地の悪い愛撫は覚えなかっただろう。俺はレティをもっと気持ちよくしてあげようとして色々学習しただけなのだから。…まぁ、想像だけどな。レティ以外の女に恋してる俺なんて想像できないし。
「意地悪…っ意地悪ぅ…♪」
まるで壊れた蓄音機みたいに何度も言うのでまたふつふつと悪戯心が鎌首をもたげていく。そりゃ何度もこうやって、まるでおねだりするように意地悪と言われたら、誰だってそうする。俺だってそうする。
だから、俺は歯に少しばかり力を入れてやった。今まで左右に擦られるようだった乳首が上下からかかる圧力に、さっきとはまったく違う形に変形していくのが舌先で分かる。
「あああああんっ♪」
普通の女だったら痛みだけしか感じられないほどの圧力に、レティは嬌声を上げて身を震わせる。びくびくっと電流が走ったように身体を逸らすだけでなく、絶頂を覚えているのか背筋を浮かせて胸を突き出して、より快楽を貪ろうとしているのが分かった。そんなレティに答えるため、乳首に快感を刻み込むように歯により圧力をかけ、同時に癒すように乳首を撫でまわす。勿論、空いている手でより乳首が敏感になるように胸を撫で上げたり、片方の乳首を指先で弄ぶのも忘れない。
そうやってたっぷり三十分は虐めた頃だろうか。レティの反応に大体満足した俺は、彼女の胸から顔を離した。
口に含む前は誘うようなピンク色だった乳首が、今では真っ赤に充血し、快感の余韻で可愛らしく痙攣している。
「はぁ……あぁ……♪」
まるで惚けた様に息をつくレティの目は既に右腕で隠されておらず、快感に震えるメスの表情を余すところ無く俺に見せ付けた。力なくシーツをつかむその腕は、絶頂の余韻か、ふるふると震えて、珠の汗をにじませている。
―こんなもん見せ付けられたら我慢できるはずないだろうが…っ!
さっきからずっと服の中から押し上げていた俺のムスコが痛いほど自己主張し始めた。ムスコに支配された本能が、今すぐレティを押し倒して彼女を孕ませたい、と俺の脳裏で囁く。
そして俺はその囁きに従って、彼女の帯状の黒い下着に手をかけて、両端の結び目を解いた。下着ではなく、一枚の布と化したそれは、はらり、とシーツの上に落ちて、黒い花を咲かせる。下着の下から現れたのは、ぷくりと美味しそうに膨れる恥丘と、そこに走る一筋の割れ目で、そこはもう甘そうな蜜液で溢れかえっているようだった。
―ごくりっ。
何時見てもその光景には慣れずに、咽喉が鳴ってしまう。毛一つ生えていない代わりに少しばかり鱗に覆われ、ぷっくりと膨らんだそこはまるで小さい子供の性器―誤解がないように言うがロリ型の魔物と付き合う船乗りの話を聞いただけだ。断じて浮気した訳じゃない―のようだ。成熟したメスの身体を持つレティの中の唯一と言って良いほど幼いその部分はとてもアンバランスであったが、俺の興奮を何時も我慢できないほどに掻き立てる。
そして勿論、我慢できなかった俺は自分の服を一気にパンツごとずり下ろした。同時に締め付けから開放された俺の愛剣が、腹に着きそうなほど、反り返って現れる。サイズもそこそこで、レティとならば何回でもこなせるそれは、分不相応な俺の彼女と並んで俺の中の最大の自慢の種でもあった。
「…挿入れるぞ」
「…はい」
押し当てただけで、内に染み込んだ蜜液がじゅるり、と音を立てて溢れ出して来る。既に俺の男根を受け入れる準備が出来ているレティは、その刺激に耐えるように、俺の首に両手を回した。
「来て下さい…♪」
うっとりとしたその顔に誘われるように、俺は一気に腰を押し付けた。真っ赤に腫れ上がった亀頭から、反り返ったカリ首、そして血管の浮き出た肉茎までがあっさりとレティの膣に飲み込まれ、ぐしょぐしょに濡れた肉の腕で抱きしめられているような快感が俺を襲う。
「はああああぁ…♪」
俺の男根で押し上げられている感覚が襲うのか、レティは息を長く長く吐いてうっとりとした顔のまま俺に抱きついている。柔らかな胸と、硬くしこった乳首が俺の胸板に押し付けられて、身じろぎする度に肌に残していく肉の感覚がとても艶かしい。
「ん…奥まで…一杯です…♪」
女としての悦びを身体一杯で感じているのか、幸せそうにレティは笑った。彼女の言うとおり、俺と彼女の間には一部の隙も無いくらいぴったりと収まって、付け根から亀頭までを肉の抱擁が襲い掛かっている。俺が彼女に合わされたのか、彼女が俺に合わせたのか。どちらにせよ、俺の男根のサイズと彼女の膣のサイズはぴったりと一致していた。
「気持ち…良いですか…?」
さっきの逆襲のように幸せそうな笑みを、悪戯を思いついた無邪気な子供のような顔に変えて彼女はそう言った。思わず答えに詰まる俺に、彼女は、更に強く胸を押し付けて、まるで俺の胸板に乳首で文字を描くように動き出す。
―こりゃ…新しい…っ!
その感覚は今までの俺たちの交歓にはなかったもので、慣れない俺の身体に不思議な熱を残していく。そのままされると、あっさりと膣内で出してしまいそうなので、俺は諦めて素直に口を開いた。
「き、気持ち良いよ。最高だ」
「ふふ…っ♪」
俺の答えに満足そうに笑って、レティは軽く身じろぎする。それだけでぎゅっと抱きしめられた膣の感覚が、蠢き、より強く俺の男根を締め付けた。レティの膣は、突起が少なく搾り取られるような感覚こそないが、奥へ奥へと誘う絶妙な肉の蠢きと、抱きしめられているような甘い肉の抱擁で、溶けてしまいそうな心地よさがある。俺を受け入れ、許し、抱きしめてくれるそこは、まるで彼女自身のような優しい快感の坩堝でもあった。
―そんな快感に昔は秒殺されていたんだよなぁ…。
レティとの初体験から数回は入れてすぐに暴発するような有様が何度も続いた。ある程度の回数からは我慢を覚えて射精をコントロールすることも出来るようになったが、それで彼女の膣の気持ちよさに慣れたとは言えない。寧ろ、慣れれば慣れるほど、この甘やかされるような快感を流し込まれるのが癖になっていくような気さえする。
「ん…っ♪」
繋がったまま、動かずに抱き合う快感がもどかしいのかレティはもじもじと腰を振るわせる。その動きに反応して、どろどろに蕩けた肉壁が、まるで激しい動きをおねだりするように、俺の男根にさらに絡み付いてきた。それに応えて、今すぐにでも腰を動かしたい気持ちがあるが
―だけど…彼女曰く意地悪な俺はさっきの仕返しもしたい。
「ん…っ…あ、あの…」
「どうした?」
触れ合うレティの身体が恥ずかしそうに震える。その度にレティの最大の性感帯である膣奥と、亀頭が擦れ合い、彼女は不満げな吐息を漏らした。けれど、まだ、動いて欲しいと言うほどには、焦らされてはいないようなので、俺は彼女の肌を滑るように手を這わせる。
「分かってますよね…?わ、分かっててやってますよね絶対!?」
まるで腰を動かさず、触れ合うだけの感覚でさえ快楽として、背筋に力を入れるレティが目尻に少し濡らして俺を睨みつけてくる。けれど、それに迫力はまったく感じない。寧ろ、小動物が必死になって、餌を強請っている姿を見るような微笑ましさすら感じるほどだ。
「さぁ?俺は意地悪らしいから分からないな」
そう言って、俺は彼女の首に顔を埋める。そこは汗腺が近い所為か、今や部屋中に広がる甘いフェロモンで一杯だった。大きく息を吸って、胸いっぱいにそれを溜め込むように堪能してから、俺はレティの首筋に舌を這わせる。
「ひゃっ♪」
くすぐったそうにレティは身を捩じらせるが、繋がった部分が彼女を遠くへ逃がしはしない。まるで首輪につながれた犬のように一定の距離をじたばたを足掻くだけだ。その姿に嗜虐心をそそられて、軽く歯を立てると、レティの身じろぎがより強くなる。
―ホント…可愛い奴だ。俺には勿体無いくらい。
彼女が身じろぎすると自然、俺とレティの奥でも擦れあう事になる。その刺激は俺にとっては少しもどかしい甘い快感だったけれども、レティにとっては荒い息に嬌声のアクセントを何度もつけるほどだった。
「ん…っ…意地悪ぅ…っ♪」
彼女の首元に顔を埋める俺にはその表情が見えないが、レティの声には欲情だけでなく、強い欲求不満の色が混じり始めたような気がする。それは多分、俺の気のせいではないだろう。その証拠に、彼女の腰が少しだが、はっきりと動いているのが分かる。
俺の部屋はそこそこ高級なベッドを使っているので、密着していて尚、若干撓る余地を残しているのだ。意識的か無意識なのかは分からないが、その撓りを利用して、レティは俺のモノで、奥を突こうと必死になって腰を動かしている。しかし、どれだけ必死にレティが腰を動かしても、その撓りは数cmにもならないだろう。その刺激は、彼女の欲求を収めるどころか、一度火がついた魔物娘の本能をより燃え上がらせていくだけだ。
「やぁ…っもう…っ♪」
ついにレティは目尻に涙を浮かべて、抱きしめていた俺の胸を手放した。そして、少し隙間が出来た俺たちの胸の間に両手を入れて、小さい女の子がするように手を振るい、ぽかぽかと俺の胸を殴る。その腕には勿論、ろくな力が入っていなくて、痛くも何とも無い。寧ろ服から飛び出る鰭が撫でるような感覚を残して気持ち良いほどだ。
「これ以上、意地悪したら嫌いになりますよ…ぉ♪」
―何時も言ってるよな、それ。
そんなこと言ったら本人が確実に拗ねてしまうので言わないが、これが彼女なりの合図であることを俺は知っている。
「嫌いになられるのは嫌だな」
だから、俺は何時も通りそう言いながらもまだ動かさない。寧ろそこから先を急かすように、がっちりと彼女の尾をまたで挟み込み、身じろぎさえ封じようとする。その動きに彼女は観念したのか、目を閉じて叫ぶように口を開いた。
「き、気持ち良いですっ♪貴方の大きいが入っているだけでイッちゃいそうなんですっ♪火傷しちゃいそうなくらい気持ち良いんですっ♪でも、それじゃ足りないのっ♪子宮コンコン突かれるのが大好きなんですっ♪おっきい絶頂が欲しいんですぅぅっ♪だから、動いてくださいいいいっ♪」
そう叫んで彼女は羞恥と快感で真っ赤になってしまう。少しマゾヒスティックな趣味を持つレティはそんな告白でさえ、快感を感じるのだろう。その証拠に彼女の膣は告白の最中、とても強く、俺を抱きしめていた。あの告白で絶頂へと達していたのは想像に難くない。
「ここまで言わせたのなら動かないとな」
強気に言い放ちつつも、俺自身も結構、限界だった。彼女の膣は他の魔物娘のように―何度も言うが船乗り同士の下世話な雑談ネタで聞いたものだ―搾り取るようなものではない。激しい快感を与えて、男に精をより多く吐き出させるようなものではなく、心地よい快感を与えて、より深く、長く、交わりをしていたい、と望むような甘い快感を与えるものだ。
しかし、それでも長い時間、彼女の膣の中に居ると、絶頂がどんどんと近づいてくる。搾り取るものではなく、腰も動かしていないとは言え、彼女の蕩けたような表情が、まるで生クリームの沢山かかったケーキのような体臭が、メスの本能に支配され男を誘う嬌声が、触れるたびに柔らかく俺を受け入れてくれる彼女自身の身体が、そして彼女の抱きしめるような甘い甘い膣が、俺の理性をどんどん削り、オスとしての本能が鎌首をもたげ、目の前のメスを孕ませようと腰を突き入れそうになっていたのだから当然だ。
「当たり前ですっ♪こんな恥ずかしいこと言わせて…動かなかったら本当に絶交ですからぁ♪」
恥ずかしそうに叫んで、レティは俺に再び抱きついてきた。胸越しでさえ、伝わってくる彼女の鼓動が俺の胸を叩き、強い興奮を伝えてくる。それが恥ずかしいのか、レティはさっきまでの俺と同じように、俺の首筋に顔を押し付けた。その可愛らしい様子に俺の中の最後の我慢が吹き飛ばされてしまう。
「それは本気で嫌だな。俺ももう限界だし…」
「限界になるまで焦らさなくても…ひゃあああああっ♪」
何か言ったレティの言葉を遮るように俺の腰は本能に任せて抽送する。その度に、彼女の尾や無駄が一切無いレティの腹へとぶつかり、ぱちゅんっと音がしてしまう。その音は俺は好きで、もっと聞きたいと腰を震わせるが、レティにとっては俺よりもさらに興奮を掻き立てられる音のようだった。その音が響くたびに、俺に必死に抱きつく両腕がふるふると快楽に震えて、俺に興奮を伝えてくる。
「レティだって焦らされるの…好きだろ…?」
「わ、私、んくっ…そ、そんな変態じゃぁ…ありま…せんっ」
しかし、俺の目には必死に快楽に震える腕で抱きつき、嬌声を上げながら否定するレティの姿は発情したメス犬にしか見えない。膣の中も、ようやく動いたオスを歓迎し、より奥へ奥へと誘うように抱きしめてくるし、絶頂の中で絶頂を感じているのか時折、強く俺もイキそうになるくらいどろどろな快感を俺に注ぎ込んでいた。愛液は何度も何度も俺のカサで掻き出され、ベッドに幾つもの染みを作っているし、鱗一つ一つをとっても宝石のような彼女の尾は快感で震えに震えている。その姿はどれをとっても、注がれる快楽に溺れる変態そのものだと俺は思う。
「変態はぁ…あ、貴方だけです…っ」
「こんなによがっているのに?」
言いながら俺は今までのより、強く腰を打ち込んだ。がつんっとぶつかる様に俺の先と彼女の膣奥がぶつかる。
「きゃあああああっ♪」
悲鳴のような嬌声を上げてベッドの上で彼女の尾が暴れる。びたびたっと弾けるようなその動きに、こりこりと俺と彼女の一番敏感な部分が擦れあう。
「駄目っっ♪それ駄目ですうううっ♪」
レティの最大の性感帯はさっきも言ったが、この子宮口だ。それを弄ってるだけで絶頂を極めることも多い尾や胸よりも、さらに敏感なそこは普通のぶつかり合いでさえ、清純な彼女に嬌声を上げさせるが、大きく打ち込めばそれだけで絶頂へと押し上げられてしまう。その絶頂は、彼女にとっても大きすぎるのか、レティはあまりそれを強請らないが、暴れるような尾も、背筋を逸らし、首を必死に振るうその姿も全て俺は大好きだった。
「焦らされてこんなに感じるって事はレティはマゾの気がある変態なんじゃないのか?」
「ち、違…ぁ…いますっ…私はそんなのじゃ…あ、ありません…っ」
―ぐりぐりと奥を弄ると悦びに、甘い蜜液を漏らし、必死に強く腰を奥に打ち付けてもらおうと腰を浮かせて、抽送を受け入れる姿で否定してもしょうがないと思うんだが。
「貴方だからぁっ!貴方だからぁ…こ、こんなに感じるだけですっ」
「そう言うの卑怯だと思うぞ…!」
―可愛過ぎて追求できないじゃないか…!
「卑怯なのはぁ…あ、貴方ですっ!こ、こんなに焦らせてぇ沢山イかせてぇ…っ!こ、こんな気持ち良いのっ!我慢できる訳無いじゃないですかぁあああ♪」
もう頭も快楽に溶かされきってしまったのだろう。レティは普段であれば決して言わないような言葉で俺の興奮を誘う。ぴくんっと、彼女の膣で俺のチンポが反応し、彼女の膣の中で一回り大きくなったのが俺にも分かった。彼女にもそれが伝わったのだろう。蕩ける表情を一瞬、驚きに変えて、彼女は嬌声と共に口を開く。
「ま、まだ大きくするなんてぇ…あ、貴方は変態ですっ♪えっちですっ♪」
「レティだからだよ…!」
仕返しに俺は彼女を強く抱きしめながら彼女の耳に囁く。既に何度も絶頂し、耳も敏感になっているのか、小さく囁くだけの刺激にもレティは飛び跳ねるように反応する。
「レティが好きだから虐めるし、モノだって幾らでもでっかくなるんだよ…!」
「馬鹿ぁ…♪私は嫌いですっ!虐める貴方なんか嫌いですぅ…っ♪」
嫌いと言いながらもレティは抱きついたその腕も、抱きついてくる膣も決して緩めようとはしない。寧ろ逆に痛いほど締め付けてくる。
「じゃあ…意地悪な俺を好きになってもらえるようもっとレティをマゾにしないとな…っ!」
「へ、変態…っ変態ですっ…!」
言って、レティはぶるり、と今までに無いほど震えた。恐らく俺の言葉で、マゾヒスティックな快楽に震える自分を想像したのだろう。レティは耳年増で、一人で居る時間も長いため、そう言った妄想はお手の物なのだから。
「これ以上マゾにされたらぁ…わ、私…私…もう…ホ、ホントに貴方抜きじゃ生きられなくなっちゃう…っ♪」
―馬鹿。そんな事言われたら余計やりたくなるだろうが…!
その一言で今まで何とか絶頂を堪えていた俺のモノにどんどん精液が集まるのを感じる。俺の奥で蠢く熱いそれらは、今か今かと開放の時を待ち、俺の我慢を鑢で撫で付けるように削っていく。
「レティみたいな良い女、頼まれたって手放すかよ…!レティはずっと…俺専用の恋人奴隷だ…!」
「ああああっ♪」
嬉しそうに嬌声を上げるレティの肢体がまたも背筋を逸らして、ぴーんと大きく反り返る。そして彼女の腰の鰭がまるで俺を離さないかのように俺の腰を包み込む。
「し、してください…っ♪私を…私を…っ!大好きな貴方専用の恋人奴隷にしてくださいっ♪」
「あぁっ!染めてやる!膣内から俺色に…!」
愛らしい彼女の様子に俺の男根は既に限界を迎えていた。射精を堪える為に力を入れているが、ぴくぴくとレティの膣の中で震えるだけで精液を食い止められはしない。自然、噴出そうと上りに上る精液と共鳴するかのように俺の快感は高まっていく。
そんな俺の様子を膣の感覚で悟ったのだろう。レティは抱きしめる力を少しだけ緩めて、俺の顔を真正面から見据えた。
肌は上気して、白い肌がまるで燃えているように朱気を帯びている。快感を従順に受け入れているその目は高まる快楽に涙さえ流していた。艶やかで見ているだけで誘われてしまうような唇は、快感を伝えるだけの器官になっている。
そんな彼女は次の瞬間、俺の唇に貪りついた。高まる快感と目の前のオスを何処にも逃がさないように、ひたすら舌を絡ませようとするその姿は恋人奴隷、なんて造語に相応しい姿だろう。
―出る…!
大好きな恋人のそんな姿に俺は我慢できるはずも無かった。高まる快感に亀頭のすぐ裏にまで吹き上がってきている精液を感じた俺は、最後の抽送と共に彼女の中で果てる。
「んんんんんんんんんっ♪」
長い間、焦らされに焦らされ続けた俺の精子は留まる所を知らないように彼女の子宮へと飛び込んでいく。その刺激に、敏感な彼女がまたも絶頂し、より高いところに押し上げられているのが分かった。レティの舌は抱きつくように俺の舌に絡みながらも小さく痙攣し、子宮口はお掃除フェラをするように俺の亀頭へと何度も何度も吸い付き精液を強請るほどで、その絶頂は、今まで感じていたものと非ではないのだろう。
それからたっぷり俺の精液を吸い上げて綺麗にした彼女はくたり、と力なくベッドに横たわった。だらしなくシーツにもたれかかる腕と、唾液を口から垂らしているのに拭う気力も無いその姿は普段のしっかりした彼女からは想像も出来ない。
「大丈夫か…?」
「はい…」
気遣う俺の言葉にしっかりとレティは応えてくれる。しかし、それでも当分、身体に力が入っていないのか、尾の先でさえ、快楽の余韻に小さく震えるだけだった。
―ちょっとやりすぎたかな…。
正直、たった一回で、ここまで腰を抜かすとは思わなかった俺は焦りを感じてしまう。
「ふふ…大丈夫…ですよ…」
そんな俺の様子に気づいたのか彼女は淡く微笑んだ。いまだ余韻で痺れる体は顔の筋肉さえ弱らせてしまっているのか、その笑みは今まで見たことが無いくらい弱弱しい。
「それより…ここはまだ大きいままですね…」
彼女の言うとおり、俺の男根は一度の射精程度ではまったく萎えていない。何時、レティと会えるのか分からない生活をしているので、普段の俺は禁欲生活まっしぐらだったのだ。今日はあまりの黒い感情を発散するためにも気分転換として自慰をするつもりだったが、普段は自慰もしていないので、彼女と会えなかった期間分の精液が俺の股間には溜まっている。レティに性の手ほどきをしてもらった時からやけに精力絶倫になったのもあって、一度や二度程度の射精では硬さを失わない。
「いや…でもよ」
一度射精したからか興奮は大分、収まっていた。本音を言えば、何時もの様に抜かずに何度も交わりたかったが、レティの見たことも無いほどの弱弱しい姿に気後れしてしまう。
―それに…無理して付き合ってもらうことも無いだろ。
俺とレティの関係は、恋人である。決してお互いに最高の快楽を求める爛れた関係などではない。彼女が辛いなら、獣になるのは止めるべきだ。それが男としての最低限の礼儀だろう。
「まだまだ出し足りません…よね…?」
しかし、そんな俺の決心を無駄にするように彼女の震える手は俺の頬にそっと触れる。指先一つずつからでも伝わるような熱はまるで焼け爛れるような熱を持っていて、俺の興奮にそっと華を添える。
「良いですよ…♪私を…貴方の恋人奴隷を好きなように使ってください…♪」
「おまっ…」
レティの言葉にめきめきと股間の逸物が震えて、力を取り戻すのを感じる。まるで絶頂寸前のような大きさを取り戻したそれは、俺に目の前のメスを貪れと、何度も命じてくる。
「ぐちょぐちょのどろどろにして…貴方の精液で一杯にしてください…♪離れていても貴方の精液の匂いに包まれるくらい一杯…っ♪」
―清純な恋人の蕩けるようなその言葉に我慢出来る男なんて居るだろうか。
少なくとも俺は無理だった。一回、射精して、取り戻した理性があっさりと本能に降伏し、腰を突き動かしてしまう。
「はあああああっ♪」
快楽に震える彼女を見ながら、頭の中が興奮に染まりきっていくのが分かる。目の前のメスを自分のものに、恋人奴隷にしたくて、真っ赤になっていくその感覚は、身を焦がすような情熱を持って、俺の思考を焼き上げていった。
そして、そのまま始まった二回戦の後も、三回戦も、四回戦も、その先も、ずっと俺はその興奮に身を委ねっぱなしで、今までの分だとばかりに彼女の肢体を貪り続けたのだった。
俺が理性を取り戻したのは空が白く染まり始めた頃だった。
月はその白さから逃れるように隠れて、既に姿は見えない。恐らくは後、一時間もすれば潮騒を囁く海の地平線から太陽が顔を出すだろう。
「…また、やっちまった」
「何をです…?」
思わず目に手を当てて、天井を仰ぎ見る俺の横でレティが素肌を白いシーツに包まれながらそう聞いた。その姿は理性を取り戻したいつものレティで、さっきまで俺の下で何度も鳴いていた恋人奴隷とは同一人物とは思えない。
「…何かえっちな事を考えている気がします。駄目ですよ。もうこれ以上したら貴方も私も寝る時間がなくなってしまいます」
「いや、まぁ、それもあるんだが、そうじゃなくて」
じと目で俺を見つめるレティの姿に、目を背けるように髪を掻いて、俺は言いよどむ。どう言えば良いのか、そもそも言って良いのか、迷ったが、俺は決心して口を開いた。
「また、こんなに朝早くまでヤっちまった…てな。朝早いだろうにすまん」
俺はまだ良い。船員は優秀だし、俺一人、多少寝過ごしたくらいではこの船は揺るがないのは事実だ。その優秀さが最近は仇になっている、と思うことも多いのだが、それはさておき。そんな俺とは違い、レティの代わりは同じシー・ビショップにしか出来ない。そしてこの世界中の海では今も、シー・ビショップが泳ぎ続けているが、魔物娘の結婚の多さに慢性的に人手不足なのが現状だ。その為、レティは一度、俺の元を離れると一週間以上帰ってこない事も少なくない。
そんな忙しいレティを俺との性行為に付き合わせて、こんな時間まで起こしている、という事実に酷い自己嫌悪を感じてしまう。今も多くの魔物娘を待たせているレティは、今から寝ても数時間程度の睡眠しか取れないだろう。何より、そもそも、俺が船乗りを辞めれば、会えない問題は幾らでも解決されるのに、それも俺の我侭の様な事情から出来ないのだ。
―どれだけ迷惑かければ済むんだろうな俺は…。
さっきまで性行為で高揚していた精神がずっと沈んでいくのを感じる。
沈んだ様子を見せればレティがまた心配してしまうと分かってはいるものの、まだガキであった頃に比べて身体はでかくなったが、精神まではそう簡単に成長してはくれず、重苦しい感覚が俺の心を襲う。
「気にしないでください。私も…その、したかったですし…」
赤くなった顔を白いシーツで隠すようにレティは小さく呟いた。その表情に心が幾分か軽くなるが、それでもまだ自虐のような棘は抜けきらない。
「いや、でも…」
「もう…」
呆れたように少し眉を歪めたレティはシーツを手放し、俺の頭を抱きこんだ。俺は驚き、一瞬身を硬くしたが、すぐに身体から力を抜く。豊満な胸に左右から抱きしめられる優しい感覚は、自己嫌悪にささくれ立った俺の心を優しく撫でて安心させてくれたからだ。
「私は何ですか…?」
「そりゃ…俺の恋人奴隷だけど…」
「後でちょっとお話があります。まぁ…その、それなら、もっと甘えてください」
そのまま胸の鼓動を聞かせるようにレティは腕に力を込めた。
とくん、とくん、と言う優しい音が俺の鼓膜を叩き、指先から力が抜けていくのが分かる。溶かされるようなその感覚は性行為とはまた違った意味で、とても心地良い。
「貴方は意地悪だけど、とても優しいから色々な事を考えて背負ってしまうのは知っています」
―とくんとくん
「それを我慢して虚勢を張って、思い悩んでいることが沢山あるのも分かってます」
―とくんとくん
「それを私に言え、とは言いません。相談はして欲しいですが、強がりな貴方はきっとぎりぎりまで背負い込んでしまうでしょう」
―とくんとくん…っ
「だから、せめて、私にだけは甘えてください。それが出来ないなら…私にだけは何をしても良い、と思ってください」
―とくんとくん…っ
「私は貴方の恋人…奴隷で、髪の先から鱗の一つ一つまで貴方のものです。貴方にされることは何だって嬉しくて、悦んでしまうのですから」
そう言って、レティはまるで子供にするような仕草で俺の頭を優しく撫でた。
それだけで俺の中の何もかもが洗い流されてしまうようだった。虚勢も強がりも、悩みも自己嫌悪も、何もかもが流されて、俺の中に残るのはレティへの愛しさだけ。その感覚が妙に心地良く、安心できるのと同時に悔しい。
―また人を子ども扱いして…。
そう思うの自体、まだまだ子供の証拠であると理解はしていたが、恋人にそんな風に接されて嬉しいはずがない。なのに、身体と本能は、まるで溶かされてしまうような心地よさを享受していた。
「レティ…」
「何です…?」
名を呼ぶ俺の声に優しい声でレティが応える。その声は最初に会った時に、パニックになる俺を宥めてくれた声そのものだ。最近は俺が彼女に悪戯することが多くて、中々、そんな声が聞けなかったが、俺はその声が大好きだった。…そして悔しいことにそれは今も変わっていないらしい。
そんな悔しさを込めて俺は口を開く。
「…それはつまりマゾ奴隷宣言と見て「尻尾でその顔、張り倒しますよ?」…ごめんなさい」
彼女の尻尾は筋肉の固まりだ。そんなもので張り倒されたら首の骨がどうにかなってしまうだろう。
―まぁ、やらないだろうけれどな。
母性に溢れたレティの表情が崩れて、真っ赤に染まるのと同時に一瞬、さっきまで俺の下で喘いでいた恋人奴隷の顔を覗かせた。そんな表情を見せるということは、なんだかんだと言いつつも、やっぱりレティは虐められるのが好きなのだろう。
―やべ…勃ってきた…。
そんなレティを見るとちらちらと嗜虐心を撫で上げられているようにさえ感じる。この数週間禁欲生活をずっと続けていた俺は数時間程度の交わりでは満足できない。それを何とか理性で抑えようとするが、俺のムスコは俺と同じようにクソガキでまったく言う事を聞かなかった。それでも、何とか萎えさせようとしている内に身じろぎした彼女の腹に熱く火照った息子が撫でられ、レティに気づかれてしまう。
「まったく…貴方は何時だって悪戯小僧なんですから」
呆れたような口調だったが、彼女は決して嫌そうではなかった。寧ろ嬉しそうな表情のまま、俺を抱きしめる腕に力を込める。
「そんな悪戯小僧が好きなんだろ?」
「えぇ。悔しいことに、大好きで大好きで仕方ないんです…♪」
そう言ってレティは俺の額についばむようなキスを落とした。それがまた甘やかされているようで、くすぐったさと安心感を感じる。
―それだけで俺は満足だった。
むくむくと持ち上がろうとする欲情の鎌首を必死になって押さえつける。このまま第十何回戦に突入してしまえば、レティは寝ずにまたこの大海原を駆け回ることになるだろう。それだけは阻止しなければいけない。
「俺も…大好きだよレティ」
「えぇ…知ってます…」
欲情を必死に抑えようとする俺の気持ちをレティは見抜いたのだろうか。俺を抱きしめた姿勢のまま再び安心させるように頭を撫でてくれる。欲情を上回る安心感が身体を駆け巡り、指先から力が抜けていく感覚は、そのまま睡眠へと変わろうとしていた。
「レティ…ありがとう…」
―夢の中に落ちる寸前、そう呟いた俺の言葉は彼女に届いたのか。
それを確かめる術も無いまま、俺は深い深い眠りの中へと落ちていった。
そして、俺が目を覚ましたのは既に太陽が真上を過ぎた頃のようだった。航路的に日の出を見ない俺の部屋にさえ、日光が差し込み暑苦しいのだから、コーラを飲んだらゲップするくらい確実に寝過ごしているだろう。部屋に備え付けの時計を見なくても分かる。
「何で誰も起こさないんだよおおおおお!!!」
思わず叫んで、ベッドから身体を跳ね上げさせた。そのまま綺麗に机の上に整頓されている制服―恐らくはレティがやってくれたのだろうが、整頓する時間があれば起こして欲しかった…!―に袖を通して、私室を飛び出る。
船内の道路を一瞬で頭の中でトレースしながら、今日の勤務場所である甲板への最短ルートを駆け上がる。途中、珍しく寝坊した俺に驚いたのだろう船員と何人かすれ違ったが、そいつらに意識を向ける間も無く、俺は甲板への扉を開いた。
「すまん!遅くなった!!!」
叫ぶ俺に作業中の船員の目線が集まる。その視線は、驚いていたが、俺が最初に予想した敵意や呆れたような感情の篭ったものではなかった。
―あれ…?
かすかに感じる違和感に首を傾げる。甲板では船員たちが何時もの様に作業していて、黒っぽい何かがその邪魔をしているだけだ。いつもと特に変わらな―…黒っぽい何か?
「おはようなんよ。さくやはおたのしみでしたね、なんよ」
そう言って俺の視界に入ってきたその黒っぽいものは普段、船長室から出てこないはずの船長だった。船長帽を自慢げ被る奴は、いやらしそうな表情を浮かべて俺に近づいてくる。
「な、何の話だ…?」
「とぼけても無駄なんよ。昨日、航海長の部屋にイイヒトが顔を出していたのは調査済みなんよ」
―ぐっ…。よりにもよって一番知られたくない奴に知られるとは…!
思わず悔しさに叫びだしたい衝動に駆られるが、それを必死に抑える。ここで、叫んでも何の解決にもならないし、船長に知られたところで俺に痛い所は何も無いのだから。
「と、言う訳で航海長は船長権限で半日休暇とったんよ。後は任せるんよ」
「…は?おい、こら、ちょっと待て」
そう言って、入れ違いに船内に戻ろうとする船長の背を反射的に掴んでしまう。「ぐぇ」とまるでカエルの潰れたような声を出しながら、軽い船長の身体は簡単に止まってしまった。
「半日休暇ってどういうことだ?」
この船は申請すれば半日魔物娘といちゃいちゃする為に、休暇を取ることが出来る。無論、その間の給金は休暇なので発生しないが、一度の航海が成功すればかなりの給料が入る船員にとっては、金よりも魔物娘といちゃいちゃ出来る時間の方が大事のようで、かなりの数の申請が毎日舞い込んでくる。それを処理してスケジュールを組むのも俺の仕事なので、その存在までは知っていたが、恋人が忙しい俺は今までそれを取ったことが無かった。
「だから、遅刻すると思って船長権限で半日休暇にしたんよっ!そもそも航海長は毎日働き過ぎだから少し身体を休めるべきなんよっ!ていうか、締まっているから離して欲しいんよっ!」
「あ、悪い」
―思わず呆然として固まったが…なんだ。つまりはまぁ…『そういう事』なのか…?
「まったく…航海長の代わりに仕事しようとすると船員には邪魔者扱いにされるし、航海長には首を絞められるし…今日は厄日なんよ…」
珍しく−本当に明日世界が終わるかもしれないほど珍しく−船長らしい気遣いを見せた奴が首元を擦りながらそう言った。
「まぁ…その、なんだ。ありがとうな」
悔しいが、船長のお陰で助かったのも事実なので、目を逸らしながら礼を言う。それに船長は、年相応…というよりは童顔相応の少年っぽい笑みを見せた。そのままぐっ、と右手を握り締め、親指を立てる。
「まぁ、これくらい当然なんよ。…じゃあな、なんよ。グッドラック、なんよ」
そのまま再び、船内に戻ろうとしている奴の襟を俺は再び掴んだ。またも「ぐぇえええ」と言う声が聞こえたような気がしたが、俺は気にしないことにする。
「何良い話っぽく纏めようとしているんだ…?」
「お、おかしいんよ!ここの後は航海長が船員に指示を出して「俺たちの航海はこれからだ!」的になるはずなんよ!」
「知るか!そもそもてめぇがまともに仕事してくれりゃあ俺だってこんなに色々悩まなくて済むんだよ!!!」
感謝の念は勿論ある。勿論あるが…それ以上に怒りの気持ちが抑え切れなかった。だって、そうだろう?まるで悩んでいるのが馬鹿らしくなるくらいきちんと働いているのを見れば、どうして最初からそうしないのか、と怒りが湧き上がってくるのは多くの人が分かるはずだ。
「てめぇらもだ!」
そう言って、甲板の上で作業する船員たちに指を指す。まさか自分たちにまで火の粉が被るとは思わなかったのだろう。魔物娘と話していた何人かの船員がびっくりしてこちらを向いた。
「俺は決めた!この航海が終われば俺は船を下りる!だが、その前に…船長含めお前ら最近たるみ過ぎだ!」
「いや、だって、その…仕事が無いんですぜ…?仕方ないでしょう?」
おずおずとマーメイドとお喋りしていた船員が言う。彼の言うことは俺も最もだと思う。しかし、それがそもそもの誤りなのだ。
「そうだな。だから、俺も今までそう口を酸っぱくして言わなかった。だから、それを解決する良い案を思いついたんだよ。お前らの仕事を増やしてやる」
「ええええええええええ!!!」
「横暴だ!幾らなんでも職権乱用過ぎるぞ!」
「そうなんよ!ボクはカリュブディスたんとのいちゃいちゃを妄想するのに忙しいんよ!!」
「黙れお前ら!特に最後の奴!!!!」
大声を上げて抵抗する船員どもを黙らせるように人差し指で一人一人を指差してやる。
「安心しろ。お前らの身にもなる」
にやりと、心の底から湧き上がる愉悦にしたがって、俺の頬が歪むのを自覚した。恐らく、今の俺はまるで悪役のような顔になっているだろう。しかし、それで良い。
「お前らに航海術を教え込んでやるぞ!これから先、一ヶ月じっくりと!!!」
―そうだ。別に悩み過ぎる必要は無かった。片意地を張る必要性は無かった。
二つの問題と気がかりがあるのであれば一気に片付けてしまえば良い。単純にそれだけの事だ。それで良かった。
―なんでこんな簡単なことに気づけなかったんだろう。
昨日、レティと抱き合って眠った所為だろうか。今まで支えてたものがなくなったような胸は軽く、肩も重荷が取れたように晴れやかだ。
「さぁ、覚悟しやがれ!お前ら!」
心底嫌がって絶叫する船員どもを見ながら、俺は軽くなった心のままそう叫ぶ。
一ヶ月先がどうなるのか俺にまだ分からない。もしかしたら俺はこの件で船員たちから孤立し、何の改革も出来ないままこの船から下りるのかもしれない。けれど、雲ひとつない空のように晴れきった俺の心は何の恐怖もなく、寧ろ大冒険を前にしたワクワク感さえある。
こうした俺の思惑を乗せて、フライングプッシーフット号の何時もより少しだけ違う一ヶ月の航海が今日から幕を開けたのだった。
BAD END
〜おまけ〜
「ふふ…可愛い寝顔…♪」
そう呟いて私は大事な宝物をぎゅっと抱きしめました。胸の中で小さく寝息を立てる私の大好きな恋人はそれに身じろぎしましたが、起きる気配がありません。昨日から今日にかけてあんなに沢山…その…えっちなことをしたのですから当然です。
「あんなに意地悪した人と同じとは思えないくらい…」
彼…アルムの寝顔は安らかでまるで子供のようでした。元々、彼は童顔で整った顔立ちをしているのですが、それが今、私を信頼しきった表情のまま目を閉じているので、本当に幼い子供のようです。
−もっとも、彼の身体を少し見れば彼が子供ではないことは分かるのですけれど。
重い荷物を幾つも運ぶこともあるその腕は太陽に焼けて赤黒くまた私では抱え込まなければ掴めないほど太いです。胸板一つ見ても、鉄板のような硬く厚い胸板はまさしく海の男という名に相応しいほどでした。
―そして何よりも…。
未だ熱と硬さを保ち、私のお腹に押し付けられている彼の性器は子供とは思えない破壊力を持っていました。昨夜も私を沢山、鳴かせたそれはまさしく凶器的な、という形容詞が当てはまるでしょう。
「こんなに大きくして…」
それはアルムの我慢の結晶でした。悪戯小僧でもあると同時に、私の事を世界で誰よりも気遣ってくれる愛しい人は、私の睡眠時間を気にして必死に欲情を理性でコントロールしてくれたのです。それが分かるだけに、私の胸もまた恐らくは彼と同じように痛みました。
―いっそ何もかも捨てられたら…。
何もかも忘れて、彼のメスになれれば、どんなに幸せでしょう。そうすればこんな風に彼を我慢させることもなく、また私も旅先で自分の欲情を持て余す事がなくなるのです。彼の夢だった船乗りを辞めさせることもなく、昼はこの船の周りで彼を応援しながら併走し、夜には彼に抱かれて恋人奴隷になる。そんな日常を送れたらどれだけ幸せでしょう…。
―けれど…。
私の助けを待っている魔物娘が沢山居るのです。海の中で生きていく事の出来ない人間の男に恋焦がれながら、時には仲を引き裂かれてしまう娘もいるのです。…私はそれを無視できません。彼と離れるのは辛いですし、悲しいですが、それは一時の事です。けれど、中には二度と愛する人と会えなくなってしまう娘もいるのですから。
−ごめんなさい…。
口には出さないですが、彼には謝っても謝りきれません。こんな面倒な女が初体験の相手でなければ、彼はもっと良い相手が居た事でしょう。マーメイドやネレウス、セイレーンなどであれば、こんな風に欲情を押さえ込む必要などなく、一晩中激しい快楽に身を任せられることが出来たでしょう。それがどれだけ男にとって幸せか想像できるだけに私は辛いのです。
−だけど…一度、アルムを知ってしまった私は彼の元から離れることも出来ません。
何度も何度も、このまま付き合っても、彼の事を悲しませるだけだと身を引こうとしました。しかし、その度に脳裏に彼の顔がチラつくのです。どれだけ離れていてもアルムを思い浮かべ、目の前で『儀式』を見せ付けられるたびに私も彼とそうしたいと願ってしまうのです。どれだけ逃げようとしても、気づくと何時もこの船の航路へ出てしまうのです。
そして彼と出会う度に、話す度に、触れ合う度に、それの呪縛はもっとずっと強くなるばかりでした。最初は、ただ、初体験の相手が気になっているだけだと思っていましたが、それはきっかけなだけでどんどん私の中でアルムの存在が大きくなっていったのです。
最初は子供だとばかり思っていたその子が、胸板もどんどん厚くなり、背も私より低かったのにいつの間にか追い越して、抱きしめる腕が力強くて、そして意地悪だけど優しい顔を見せる…そんな彼を好きにならない訳がありません。
「アルム…」
−私の大好きで、私の唯一の経験相手で…今では私にとって、なくてはならない愛しい人。意地悪で、馬鹿で、変態だけど、誰よりも私に優しくして、私を思いやってくれる強い男。責任感が強くて、精一杯虚勢を張るけれど、本当は優しさに飢えている可愛い子…。
そんな彼を抱きしめる手を私は手放しました。
もう既に日は昇り、名残惜しいですがそろそろ私もこの部屋を出なければいけない時間になってしまったのです。
「だけど、その前に…」
もぞもぞと二人のベッドから抜け出して、私は彼の手で脱がされた下着や上着を身につけます。無造作にベッドの上に放置してあったそれらは皺が幾つか着いており、また愛液や精液の匂いも移っていますが、海神ポセイドンの加護を受けた衣服は海水に浸かればすぐに元に戻るでしょう。
「この部屋を片付けないと…ですね」
見回したその部屋はとんでもないことになっていました。昨日は暗くてあまり気づきませんでしたが床には衣服が散らばって、航海術の本や、書き損じのメモなどが無造作に転がっています。それらを拾うため、私は壁に凭れ掛かりながら、器用に尾の筋肉も使って進んでいきました。海以外の場所で進むのは、最初は慣れなかった物ですが、もう五年近くやっている私にとってはお手の物です。三十分もした頃には部屋の中は大体、片付きました。
「これは…どうしましょう…」
迷う私の手には二つのワイングラスが握られています。普段であれば彼が片付けていたであろうそれは、お酒の魔力に負けて、私たちが触れ合っていたので、そのままで放置されていたのです。本当はどうすればいいのか分からないものを下手に片付けるのは無謀ですが、波が揺らめく海を渡る船の上ですから放置するわけにも行きません。
「やっぱり食器棚に片付けるのが一番ですね」
机の上も何かの拍子で零れ落ちてしまったら危険です。もし、彼が落ちたグラスの破片で怪我でもしたら謝っても謝りきれません。洗ってもいないグラスワインを食器棚に入れるのは少々不衛生ですが、この場合、背に腹は変えられません。
そう思って食器棚を開けた私の目の前に黒い箱が見えました。
「あれ…?これは…?」
食器棚は扉に向かって背を向けるように設置されているので、扉から入ってそのままの場所で彼と語り合う私の目からは基本、中は見えませんでした。しかし、食器棚の中にあるその箱は私の中でとても見覚えのあるもののような気がしたのです。
―もしかして…。
期待と、そしてちょっぴりの不安を胸に私はその箱を手に取りました。
さらさらとした独特の感覚が手に優しいその箱は私の小さな手にも収まる程度で、貝のように開けることができるのが分かります。
―やっぱり勝手に開けちゃまずいですよね…。
そうは思っても、胸の中の期待と不安は私の背をどんどんと後押しします。結局、我慢できなくなった私は決心して、それを開けると…中には一対の輪が仲良く並んでいたのでした。
「や、やっぱりこれって…!」
それは『儀式』を行うシー・ビショップにとってとても馴染みの深いものです。『儀式』を行う男女が必ず身につけているその輪は私にとって、憧れの対象でもあり、決して見間違えることはありません。
「結婚指輪…」
それは紛れもなく結婚指輪でした。変わらぬ愛を象徴するダイヤモンドがキラキラと輝き、目に眩しいくらいです。リングの部分も手の込んだ意匠装飾されており、一目で値打ちものだと分かりました。
しかし、値打ちものであればあるほど、私の胸の中の不安がどんどん大きくなっていきます。アルムは勿論、一途な男性なので、浮気なんてするはずがありません。そう信じています。しかし、私の中にある彼を放っておいているという後ろ暗さが彼が他の魔物娘と恋仲にあるのでは、という妄想を酷く掻きたてるのです。ありえないのは自分でも分かっていました。それでも何度頭を振っても、その最悪の予想が離れないのです。
―そしてその不安を振り払う唯一の方法が目の前にあります。
もし、女性用に作られた小さな指輪が私の指に通れば、これは私に作られた指輪であることはほぼ間違いないでしょう。しかし、それはとても卑怯な行為です。彼の愛情を疑う何よりも卑劣な行為なのです。
―けれど……。
「た、試してみれば分かりますよね…」
押しつぶされそうになる不安に負けて、私は自分を納得させるようにわざと口に出しながら小さいほうの指輪を手に取りました。そして、そのまま左手の薬指へと嵌めると…それはぴったりと収まったのです。
―…アルム…っ。
彼の愛情を酷く卑怯な手段で確認した私は自己嫌悪よりも彼への愛しさで胸が一杯になりました。胸が張り裂けてしまいそうな感情のまま彼の元へと走って今すぐ抱きしめたいくらいでしたが、一度、愛情を疑ってしまった私には少なくとも今はその資格がありません。
「ごめんなさい…」
そう呟いて私は元の通りに指輪を黒い箱へと戻し、それを食器棚へと入れます。そして、それを隠すように二つのワイングラスを並び立てました。これで、彼が黒い箱に気づかれたことに感づくことはない…と思います。
そして私は食器棚を閉めると、開け放されている扉へと近づきます。最後に少しだけ後ろを振り返って、アルムの顔を見つめた後、振り切るように海へと身を投げました。
―まるで鳥になったみたい…
そんな一瞬の浮遊感の後、海へと着水します。身体にかかる圧力と、水面に叩きつけられた痛みが私を襲いますが、今はそれも愛おしいくらいでした。それらが彼を疑った私を罰してくれているように感じるからです。
そして私はいつもと同じように水を尾で蹴るようにして加速していきます。何時か、彼があの指輪をプレゼントしてくれるのを期待しながら、私は何時もより幸せな気分で私を待つ恋人たちの元へと急ぐのでした。
12/08/13 12:54更新 / デュラハンの婿