とある中隊長の不運で幸せな一日
「−…だから…ね」
日が半分程、落ちて赤く染まった空の中に俺達はいた。正確には言うならそこはただの街の上にある崖であり、下に目を向ければ火がともし始めた街が目に入るだろう。しかし、当時の俺は本気でそこは空の中なのだと信じていた。
そんな場所で俺の横に座っている少女が一人。
赤い空の中、それにも負けてはいないブルーサファイアのような青い髪をショートにして皮の帽子を被っている。顔も何処か強気な面持ではあるものの、周りにいる少女と比べて掛け値なしに美少女である事は確かだ。実際、俺も最初はこの顔に騙されt…いや、何でもない。
服装は女の子が着るような服装…とは程遠い皮製のキュロットと白いシャツの上に黒いジャケットを羽織っている。まるで貴族の子が乗馬の格好で飛び出してきたような姿だが…俺はこの子の親が何をしているのかはっきりとは知らない。普段の強気な態度から貴族の子でもおかしくないと思ったし、もし、詮索して貴族の子だった場合、今までと同じような態度で遊べる自信が無かったからだ。
ま、それはさておき。
何時もの強気な態度―何かあるたびに「馬鹿!」だの「阿呆!」だの罵られていた。理不尽だ…―とはうってかわって何処か落ち込んでいるその姿に寂しさを覚えると同時に胸の苦しさを覚えた。なんだかんだと言いながら俺は普段の強気な彼女が嫌いではなかったし……もっとはっきり言うと間違いなく彼女が俺の初恋の相手だったからだ。
「私…帰らなきゃいけなくなったの」
その言葉にまるで鈍器で殴られたような衝撃を受けた事を今でもはっきり覚えている。「帰る」それは遊んでいる子供の中では普通の言葉だろう。日が落ちた。親が呼んでいる。御飯が出来た。etc…。しかし、それは俺たちの間では酷く重い言葉だった。―決して聞きたくないと俺が望んでしまうくらい。
「そ、そうか。でも、また来れるんだよな?」
明るく言う俺の言葉にも彼女は悲しそうに首を横に振るだけだった。タイムリミット―そんな単語が思わず俺の頭の中をよぎる。元々、時間制限がついている…そういう関係だったのだ。分かってはいたが、子供の俺にはそれを理解しても納得する事が出来なかった。
「何でだよ!またも来いよ!俺、他にもお前と遊びたい所が沢山―」
「私だってここにずっといたいよ!でも……」
そこで言いよどむ彼女の目に涙が浮かんでいるのにようやく気づき、ガキの俺はやっと事の次第と大きさに気づいた。彼女だって決してこの別れを悲しんでいないわけではない…それどころか俺より悲しんでいるのかもしれないという事に。
どうにかしたくて、彼女の涙を止めたくて何かを言いたかったけれど、俺たちはまだ子供で、世界にはどうにもならない事が沢山ある。それは大人になっても同じ事ではあるけれど、大人は諦める事が出来る。だけど、子供はどうなんだろう?まだ「どうにもならない」と諦める事も出来ず、無力感を受け止める事も出来ず、足掻こうにも何も出来ない。そんな子供の抵抗といえば……これくらいしかない。
「…じゃあ、俺ずっと待ってるよ」
「…え?」
「ここでずっとお前を待ってる。お前以外誰にも言わない。俺とお前だけの場所で、お前を待ってる」
何時か…そう。何時か遠い未来、『大人』の自分に夢を託すしかない。『今』は無理でも、『子供』であれば無理でも、きっと『大人』なら何とかなるはずだ。そんな風に希望を作って、自分を納得させるしか方法は無いんだと俺は思う。
「無理だよ…だって私―」
「無理でも良い。俺が勝手にやるだけだから」
しかし、それしか方法が無かったと思っていても…少し『大人』になった今は思う。―この選択はただの先延ばしでしかなかったんじゃないのかと。
無力感を後々へと分割で―それも諦めない限り永遠に―受け取っていくようなそんな負の遺産じゃないのかと、『大人』になった俺は脳裏をよぎってしまう。『子供』の時の俺のような一途さを失ってしまった、何処か薄汚れた『大人』の俺。その中にあるこの感情はきっと後悔なんだろう。自分でもわかっている。
―だからこそ、こんな夢を見るんだって言う事も。
「…貴方、やっぱり馬鹿でしょ」
「お前、最後までそれかよ」
少し何時もの気丈さを取り戻して、彼女は少し笑った。細い指で目じりの涙を拭い、呆れたような表情を作ろうとしているのが子供の俺にも見て取れる。…しかし、どうにも頬がにやけて上手いこといかないらしい。
「あーあ、貴方みたいな馬鹿。放っておけないじゃないの」
「お前みたいな強気女もな。そのままだと嫁の貰い手がなくなるぞ」
「大丈夫。私、貴方と違って可愛いからきっと引く手あまたよ」
何時ものやり取り。何時もの会話。
でも、確実に『何時もの』ではないと『子供』の俺も分かっていた。きっとこれが最後の会話になると二人が思っているからだろうか。二人とも無理して何時もの会話にしようとしているからだろうか…。
そんなことを考えていると彼女の目じりにまた涙が浮かんできた。―やっぱりお互い無理をして『何時もの』を装おうとしているからだ。そんな風に子供の俺は結論付ける。
必死で涙を拭おうとしているけれど…しかし、次から次へと溢れる涙が止まらない。そんな彼女に何か言いたいけれど、『子供』の俺には何も言えなくて、歯痒さだけが募る。きっと『大人』であれば彼女の涙を一発で止めるような台詞が言えるのに…。そんなことを思っていた記憶が今でもはっきりと残っている。
何も出来ないならば、せめて泣き顔だけは見てやらないでおこうとおもむろに立ち上がって…街で大掛かりな準備をしている事に気づいた。
そういえばもうすぐお祭りだったけ。と子供の俺はようやく考え付く。
山の中腹程度に位置し、山道が交差する場所にあるこの街は交通の要所にあり、多くの交易品が行き交う。自然、商人やキャラバンが多く出入りし、旅人の出入りも比較的多い方だ。故に普段はお祭りなどやらない。それより普通に街を運営した方が収益も安定するし、何より普段から多い街の中にさらに人が増えると警備隊だけではカバーしきれない可能性もある。実際、何年か前には不穏な事件も起こったそうだ。
しかし、合理性だけでは動かないのが人間というものの常であって、お祭りも無いただの街では息が苦しくなってしまう。余裕はあるのだし一年に一度くらいドカンと大きくやってやろう、と言う祭りが後数週間後にまで迫っていた。
少し前までは楽しみにしていたが、最近は彼女の事で頭が一杯でそんな事も忘れていたらしい。
「…そうだ」
「…?」
「あれ見えるか?お祭りの準備」
「うん。見える…けど」
何を言っているんだとそんな目で彼女が俺を見る。きっとまた馬鹿だと罵られると思いながらも子供の俺は、子供ゆえの純粋さで口を開いた。
「何時かお祭りに一緒に行こう。楽しいんだぜ?色々、大道芸人とか来てさ。見たことも無いようなすげぇ技や吟遊詩人が聞いたことも無いような物語を聞かせてくれるんだ」
「でも、私は……」
無理だ、と何度、言われても分からないのだろうかこの子供は。
自分の事ながら少し腹立たしくもなる。毎度、馬鹿だ阿呆だと罵られもしたが、多少『大人』になった今なら分かる。俺は馬鹿だ。それも大馬鹿者だ。何度彼女にこんな悲しそうな声をあげさせれば気が済むんだろう。少しは学習すれば良いんだ。
「何時か…で良いんだ。勝手に待ってる。嫌だったら忘れてくれれば良い」
振り向くのが怖くて、それでも、子供特有の純粋さ―というより多分、このときの俺は何も考えちゃいなかった―と押しの強さ―我侭さとも言う―で強引に纏め上げた。
―今でも思う。このときの約束が無ければもっと俺の人生は別のものになっていたんじゃないかと。
「貴方って馬鹿で阿呆なのは知ってたけれど、その上、強引だったのね」
さっきまでの悲しそうな声とは違い、何処かあきれたような声で彼女はそう言った。
「ばーか。今更気づいたのかよ」
もう涙は止まったようだ、と俺は安心して振り向いて…そこで絶句するような光景を目にすることになる。
毎晩見る夢だ。結末は分かっている。でも、駄目だ。これ以上は見ちゃいけない。
「じゃあ、私とも一つ約束して」
振り向いた先にあったのは、目じりに涙を浮かべながらも今まで見たことも無いような綺麗な笑顔で微笑む彼女の姿だった……。
「はーい。今晩もお勤めご苦労様でーす」
何時もの夢を見て、何時もの時間に起きて、何時ものように天井を見ながら独り言を呟いてみた。
―そうでもしなきゃやってられねぇよ。二十年近く経った今でも毎晩同じ夢を見るなんて思春期の子供じゃねぇんだから。
のそりベッドから身体を起こし、カーテンを開けると日が少し差し込んできている。そろそろ交代の時間だ。早く準備して変わってやらないとハワードの奴にまた一杯奢る羽目になっちまう。
俺はそのまま洗面所へ向かい、顔と歯を洗った後、鏡の前で何時ものように剃刀を手に取った。鏡に映るのは29のおっさんの顔だ。それも子供の頃の夢を棄てきれない、図体だけは『大人』で『子供』の。
「相変わらずひでぇ顔してやがんなおい」
思わずそう自嘲して、剃刀を髭に当てた。
『子供』の頃の俺はもっと希望を持って輝いていた。また会った時彼女をびっくりさせるほどの良い男になろうと遊ぶ時間のほとんどを剣の修練に当てて―ここで学を得ると言う方向に進まなかったのは何故なのか子供の頃の俺に問いたい―、それ以外はずっとあの場所で彼女を待ち続けた。
しかし、十歳のガキが十五になり、街の警備隊に入って一丁前に街の平和を護る一端を担い…さらにそのガキが二十になって、小隊長へと昇進し…さらにさらに二十七で中隊を任せられる程になるにつれて……ガキは世間に塗れ、煤け、疲れていった。
いや、いい加減、目をそむけていた事に目を向けなければいけなくなったと言うべきか。
「おっと」
考え事をしながら剃刀を使うのは止めた方が良いと思いながらも朝のこの時間はどうにも頭が上手く働かない。駄々漏れになる思考をとめることが出来ず、その結果、何時ものように剃刀で顎を切ってしまった。―まったく…俺って奴は何時までも成長しない奴だ。ウィルソンにまたからかわれちまう。
しかし、痛みのお陰で頭が若干すっきりしたのは事実だった。まぁ、結果よければ全てよし、という奴だろう。俺はそのまま手早く髭剃りを済ませ、硬くなったパンを口に詰め込み、咀嚼する間に中隊長に支給される制服を着て…玄関の前に立つ。
「うっし」
何時もの時間。何時もの掛け声。
そのまま両手を両頬に叩きつけて気合を入れる。『子供』で居て良いのはこの部屋の中とあの場所だけだ。ココから先は俺は多くの連中の命と街の平和を護る責任のある『大人』であり、自嘲や甘えは許されない。
そう今一度、心に刻み付けて俺は玄関の扉を開けると……ひらりと、一枚の紙が足元に落ちた。どうやら二つ折りにして玄関の扉の間に挟まれていたらしい。…郵便ポストもあるのに、変な奴だ、と思いながらも、変な魔術がかかっていないかどうかを確認する。警備隊と言うのは尊敬を集めるのと同じくらい人の怒りも買いやすい職業だからだ。この前も別の中隊長が不幸の手紙を貰ったと漏らしていたし、用心に越したことは無い。
しかし、その紙からは特に魔力を感じる事は出来なかった。ただの杞憂だったか、不幸の手紙か…そんなことを思いながら紙を開くとそこにはたった一文だけ。
『本日、祭りの焔が夜を焦がす頃、貴方を頂きに参ります』
「……なんだこりゃ」
てっきり不幸の手紙かと思ったらまさかの誘拐予告とは。
…俺も舐められたもんだよな。こんなものでびびると思われてんのかね。仮にも警備隊の中隊を率いる男がこんなものでびびる訳ないだろうが。
嗚呼…阿呆らしい。余計な時間を喰っちまった。
今日は祭りで忙しいんだ。こんなことに構っている暇は無い。そう思って俺は家の玄関から街の玄関まで走り出したのだった。
やはり祭りの日は忙しい。
そう思うのは普段の何倍もの人数を相手にしているからだろうか。
「あー…すまんがアンタは街の中に入れることが出来ない。迂回するか、明日まで待っていてくれ」
「何でだよ!?特に俺も積み荷も妖しい事はないだろうが!」
「お前さんは知らないだろうがこの街は祭りの日の前だけ厳戒態勢が布かれるんだよ。悪いがこの街に入った記録がない奴を入れるわけにはいかないんだ」
街の門にある警備隊の詰め所の中。机にどかっと座りってペンで書類の一部分を指しながら俺は思わず頭を抱えながらもはっきりとそう言った。
頭を抱えたくなる理由は色々あるが―特に顕著なのがこのやり取りが既に今日だけでも何十度目かになっているからだ。
多くの領地へと繋がる山道の交差点に位置し、流通で潤うこの街が祭りを行う上で打ち出した苦肉の策が「記録のないものを入れるわけにはいかない」というものだ。
実際、これを導入してから祭りの最中に街で起こる騒動の数ががくっと減った。どうやら思ったより旅の恥はかき捨て―東の方のコトワザというものらしい。ウィルソンが詳しいが俺は良く知らない―と考える人間は多かったらしい。まったく……恥を棄てられる側の人間にもなって欲しいもんだ。
まぁ、一見さんやたまたまこの時期にこの街を始めて通ろうとする商人達には悪いような気もするが、街中で起こる騒動に対し、絶対的に警備隊の数が足りていないのもまた事実であり、こればかりは我慢してもらうしかない。警備隊を増やそうにも基本的にこの仕事は志願制だ。それよりも流通や交易で潤う商人になった方が遥かに金儲けが出来るのでこの街ではよっぽどの馬鹿か腕自慢くらいしか警備隊に入ろうなんて奴は居ない。
―俺はまぁ、前者だった訳だが。
それはさておき。最初は悪いという気もするので丁寧に対応をしていたがさすがにこう何十分もごねられるといい加減、限界になってくる。この時期、商人だけでなくお祭り狙いで訪れる旅人も多いのだ。一人に何十分もかけていると普通に入れる連中でさえ入れなくなってしまう。
「こう言いたくは無いがな。商人にとって情報は命なんだろ?それをお前、自分が情報を集めていなかったからってこっちに八つ当たりされてもな」
「ぐっ……」
目の前の商人は若い。恐らく商人として独立して間もないくらいだろう。歳は19かそこら。まだまだ顔には張りがあり精力的な頃だ。―今の俺とはまったく違う。
だが、若いからこそ経験不足があったのだろう。もしくは慣れだした頃か。それでもセオリーである旅先の情報収集を怠るなんて普通では考えられないが。
「で、でも、俺は今日この町を通らないと納期に間に合わないんだ」
「だから、情に訴えようってか?おいおい。子供じゃないんだから自分の約束には責任を持つべきだろ」
―少なくとも俺はそうして生きてきた。それだけが俺の中の誇りですらある。
それに商人として納期ぎりぎりに納品するなんてのはあってはいけないことだろう。納期なんてものはトラブルに巻き込まれても挽回できるだけの余裕を持っておくべきだ。大方、高い報酬に目がくらんでその依頼に飛びついたのだろう。何故、その報酬が高いのかろくに調べもせずに。
「まぁまぁ、中隊長。そんなに強く言わなくても」
「ハワード……」
それを紛糾してやろうと口を開こうとした所に、後ろからかけられた聞き覚えのある声に俺は振り向いてその名を呼んだ。
声をかけた男はひょろりとした痩せ型で身長が高く、特徴のある狐のような面長の顔で目が糸の様に細い。何時も笑っているような顔をしているが、その奥では様々な謀略、策謀が渦巻いているのを俺は身を持って知っている。こいつのアイデアに助けられた事は一度や二度じゃないからだ。そして尚、その剣の腕は決して俺に勝るとも劣らない。
―それは俺の率いる中隊の中に組み込まれている小隊の小隊長であり、俺の飲み仲間のハワード・ノリスンだった。
そのまま俺の横まで歩いてくるハワードに非難めいた目線を向けるが、ハワードは何処吹く風と言うかのようにまるで意に介していない。
「中隊長。交代のお時間です」
「しかし…」
確かに交代の時間はそろそろではあった。だが、まだ周りで机に座って必死になって客を捌いている警備隊の皆にはまだまだ交代の気配は無い。実際、備え付けの時計に眼をくべるとまだもう少し時間はある。朝早くから必死に入街審査で事務仕事をやっている身としては正直、飛びつきたいほどの申し出だが、人の上に立つ者として一番最初に責務を離れるという事はあってはならないと思わないでもない。そんな意地が俺を留まらせた。
―しかしながら……それ以上にハワードの目は有無を言わさない光を帯びている。
直感でこいつは少し怒って居るのを察した。その怒りが俺に向いているのか、だだをこね続けている青年に向いているのか、それとも祭りの途中まで机から離れられない今日のシフトに向いているのか…それまでは分からなかったが。
こいつは普段溜め込むタイプの癖に裏でいろいろやっているタイプなので、飲み仲間と言えどもこの状態のハワードを刺激するのは得策ではない。
無いんだが……しかし、俺にも意地があった。
別に尊敬を集める良い上司になりたい訳ではないが、軽蔑される上司にはなりたくはない。誰だってそうだろう。
「…ああ、分かった」
そのままハワードと少しの間、見詰め合っての硬直状態の末……結局、俺が選んだのは打算だった。
少なくともハワードの方が俺より口が巧いのは確かだ。さらに付け加えるなら俺はこういう事務仕事は苦手で、本音を言うならばまったく進展しない仕事に逃げ出したかった。
しかし、それをやってしまうのは上司として最低の行為であり…そして俺は今、打算的な感情でその行為を行った訳だ。
「すまん。また一杯奢るよ」
「えぇ。そうしてください」
少しばかり笑ったような気がするハワードにその場を任せて、俺は詰め所の外への扉を開き…そのままため息を吐いた。
―何をやっているんだろうな俺は。
自分でも気が立っていると思う。毎年、祭りのある日はこうだ。どこか苛立ち、焦り、マトモに仕事が手につかない。無論、普段はそんなことはなく、あんな若造、煙に巻いて言い負かす事だって出来たはずだ。
しかし、祭りの日だけはそれが出来ない。…理由は自分でも分かっている。その解決法も既に自分の中で答えが出ている。なのに、実行する事が出来ない。
そうして迷っている間にも部下に迷惑をかけているのも理解はしているつもりだ。しかし……。
「二十年もずっと持ってたものをそうそう棄てられる訳ないよなぁ…」
自分で勝手に彼女と結んだあの約束。
もし、諦めた後、彼女がこちらに来れたら…。そう思うと捨てる事が出来ないままだ。そのまま長い年月が過ぎ…棄てようと思っても捨てられないようになって、『大人』でも、『子供』でもない存在のまま日々を何時もどおり生きている。
「…そろそろ潮時かね」
―しかし、いい加減、そんな自分と決別しなきゃいけない。そんな時がきているのかもしれない。
別に今日だけの話じゃなく、最近、良くそう思う。俺ももう29で、若くない。警備隊の仕事にいまだ支障は無いけれど、色々一人でやるにも限界が来た頃だ。それに兄貴がいるからそこまで深刻に考えなかったがパン屋をやってる両親にも最近良く嫁さんはまだかとせっつかれるようになった。考えてみれば両親はもう年齢的に何時死んでもおかしく無い位だ。せめてその前に安心させてもやりたい。
―なんだ。良い事ずくめじゃないか。
嫁さんがすぐに出来るわけじゃないだろうが、少なくとも今、あの場所にいる時間を他に使えば嫁さんを捕まえるのも決して出来なくは無いはずだ。幸い顔は悪くない……ハズだし。
そこまで思考が進んでも俺の脚はまっすぐと例の場所へと向かっていた。
分かっているはずなのに。駄目だと理解しているはずなのに。
毎晩夢で見るあの最後の笑顔が俺をあの場所へと駆り立てていく。あのどうしようもないくらい綺麗で好きだ好きだと思っていた俺ですら一発で完璧に、これ以上無いくらい、ノックアウトするくらいのあの笑顔をもう一度見たくて、今日もありもしない希望にすがって二人だけの秘密基地へと向かっていく。
『子供』の頃は上れなかった斜面を登り、『子供』の頃は迂回しなきゃいけなかった川に自分で掛けた橋を渡り……『子供』の頃目印にしていた大木を右に曲がって……。
―そうして着いた秘密基地にはやっぱり誰もいなかった。
「うん。分かってたんだぜ。分かってた。うん。だから大丈夫」
何となく自分にそう言い聞かせて俺は『大人』になってから持ち込んだ安楽椅子に身体を預ける。昔は木が変形して椅子の様になっていた場所に二人で仲良く腰掛けていたが『大人』になった今ではそこに座ろうとすれば身体を押し込めるしかない。二人で座った思い出の木を壊したくないので、そこに座ることを止めたのは丁度、警備隊に入った頃だったか。初任給でまずこの安楽椅子を買ってえいこらとここまで運んできたのを覚えている。少し奮発したお陰かそれとも毎日やっている手入れが良いのか長い年月が経っても今だ安楽椅子が壊れる気配は無い。俺の数少ない自慢の一つだ。…とは言え、誰にも言えない自慢なんだが。
ふと空を見上げると既に日が落ちかけて赤く染まっていた。それに合わせて眼下の街では火が灯され始め、陽気な雰囲気が見て取れた。どうやら祭りが本格的に始まったらしい。
街の中では異国からやってきたらしいアラクネ種が自ら織った珍しい製品を見せて客引きしている。様々な国から様々な商品を集めるこの街で、商品を検閲する仕事もある警備隊をやっているが…彼女が手に持っているのは俺でさえ見たことが無いような色遣いをしていた。アラクネ種が織った織物と言うだけでもその価値は警備隊の安月給じゃ手が出ない程になるだろうに、それに加え異国の意匠とあれば高い値段を出しても手に入れたがる好事家は星の数ほどいるだろう。実際、多くの商人が彼女の前で足を止め、値段の交渉を始めている。しかし、どうやら上手くはいっていないらしい。彼女は頑として首を縦に振る様子はなかった。多くの商人が諦め、肩を落として去っていく中、若い青年が熱心に値段の交渉をしている。……そしてその青年を見る異国のアラクネ種の目は何処か異質だった。…とりあえずあの青年が明日の朝を無事に迎えられる事を祈ろう。
ミミック種の少女がその能力を使って当て物屋をしている…。どうやら宝箱を開けたときに彼女らが居れば当たりらしい。丁度、当たったらしい青年が喜んで彼女のキスを頬に受けていた。…何が商品かは何となく察しがつくが……とりあえずおめでとう、とだけ言っておく事にしておこう。それがご愁傷様、になるかは彼次第だが。
ワーラビットの少女が忙しそうに祭りを楽しむ人々の間を駆け抜ける。その両手には多くの荷物を持ち好奇心に溢れた眼で周囲を見渡し、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。…しかしながらそんなことをしていると……あぁ、やっぱりぶつかって転んだ。
どうやらぶつかった相手は若い男−それも少年と言えるくらいの年齢のようでしきりに彼女に謝り、彼女を心配している。その様に心打たれたのかワーラビットの少女は顔を赤くし、もじもじとその身体をくねらせている。…どうやらスイッチが入ってしまったようだ。そのまま少年の手を引いてどこかへと連れ去っていく。…まぁ、いきなり押し倒さなかったのは流石、街に慣れた魔物と言うべきか。さすがに街中でいきなり始められてしまうと警備隊も捕まえなければいけない。
それ以外にも様々な魔物達が行きかい、客を引き…人々と会話し、また笑っている。無論、この街は人間の街だ。それもそれなりに大きな街で、今も尚、発展を続けている。それでもこの街がこれだけ多くの魔物を内包するのはこの辺りを収めている領主が表立ってはいないもののかなりの共存派だからだろう。この街も来るものは(騒ぎの類を持ち込まないのであれば)拒まない。というスタンスであり、魔物と一緒になり、追放された人々も多く暮らしている。
そんな街の中で生まれ、今までずっと暮らしている俺も無論、共存派である。話し合って敵対せずにいられるのであればそれで良い。誰だって戦乱の世の中よりは平和な世の中のほうが良いだろう。特に警備隊に入ってからは特にそう思う。
…しかしながら殲滅派のいう事も分からないでも無いのも事実だ。
魔物と一緒になった男は大抵、人間の女性に目もくれないと聞く。あれだけの美貌だ。分からないでも無い。さらに魔物との間に生まれる子供は魔物しか生まれないという話も聞く。もしそうであるならば、それは武器を持たない侵略戦争だ。
例えそうでなくとも人間との敵対を望んでいない現在の魔王の治世が永遠に続くとは思えない。やはり魔王だって代代わりはあるのだろうし、例えなくとも今の魔王がずっと人間との敵対を望まないとも限らない。その時、施政の中枢にまで魔物が入り込んでいる現在の状況では疑心が疑心を呼び、今まで数や結束で何とか魔物と対抗してきた人類はなすすべも無くひねり潰されてしまうだろう。
―でも、それは何の努力もしなければ…の話だ。
人間と魔物が少しずつ友好的な関係を築くに当たって人間の技術も大きく進歩した。鉄を打つ製法から始まり、糸を紡ぐ技術、剣を扱う剣術―そして何より顕著なのが魔術だ。
現在の人間の魔術は少し前とは比べ物にならないくらい発達している。例え今は魔物との間に生まれる子供が魔物しか生まれなくともこのまま進歩を続ければ人間の子供を作ることが可能になるかもしれない。疑心もそうだ。お互いがお互いの種族を尊重し、理解しあえば決して難しい問題ではない―そう思うのは楽観的だろうか。
「少なくとも殲滅派みたいな悲観的になるよりゃマシだわな」
眼下に広がる街を見てそう思う。
今こうやって多くの種族が手をとって共存できるのだ。異なる種族であっても、同じ種族のように感じ、笑い、悲しみ、同じように街で暮らし、祭りを楽しんだり出来る。
それでいいじゃないか。それ以上、何を望むって言うんだ。
―…望むんだろうな。やっぱり。
最近、殲滅派と共存派の軋轢が酷くなっていると旅人からよく聞く。別の地方では既に戦争紛いの事にまで発展しているそうだ。幸い、この近くではそこまでにはなっていないものの殲滅派との境界では既に小競り合いが起きていると聞く。
それはまだ遠い、話で聞くだけの、決して実感を伴ったものではない。しかし、きっとこの街も無関係ではいられない。交通の要所にあるここを抑える事は戦略的にも経済的にも大きなアドバンテージになる。その事は街の権力者達も分かっているのだろう。最近は頻繁に防壁が強化され、入る旅人のチェックも厳しくするようお達しが来た。武器も揃い始めているし、長く篭城するための食料もここを根城にする商人たちの協力により確保済みだ。そうそう落とされない準備は整っている。…だけど、もし、この街が殲滅派の手に渡れば…現在この街に住む魔物やその家族は皆殺しにされてしまうだろう。
―それだけは防がなきゃいけない。
別の種族だからとかじゃなくて、同じ種族だからとかじゃなくて。
まるで吟遊詩人が語る過去の魔王の諸行のようなその行いを一人の人間として許すわけにはいかない。
「ま、俺のようなおっさんが出来る事なんてたかが知れてるけどさ」
そう自嘲して空を見上げると既に日は完全に落ちており小さく瞬く星が目に入った。
しかし、祭りなんてものは日が落ちてからが本番。耳を澄ますとここからでも軽快な民族楽器の音色が―
かさっ
「っ!」
小さく、しかし、間違いなく鳴った草が擦れるような音。耳を澄ましていなければきっと聞こえないほど小さなかったが、再び耳を澄ますとまたも音が聞こえてくる。―どうやら俺の気のせいじゃないらしい。
一瞬、彼女か、とも思ったけれど彼女であれば気配や音を殺して近づいてくるハズがない。思いつくのは俺がここにいる事を知っている相手で、俺に気づかれては困るような、尚且つ偶然耳を澄ましていなければ気配すら感じられないようなそんな実力を持つ相手だが…そんな都合の良い相手、そうそう居る訳が…。
―そこまで考えて何故か今朝、玄関に挟まれていた二つ折りの紙の事を思い出した。
おいおいおいおいおいおい!アレ、冗談の類じゃなかったのかよ!洒落になんねぇぞ!?つか、冴えない29の中隊長誘拐したってメリットなんて一つも―ってちょっと待て。
確か文面は『本日、祭りの焔が夜を焦がす頃、貴方を頂きに参ります』じゃなかったか。それを俺は誘拐予告と勘違いしてたがもしかしてアレは『(命を)頂きに参ります』だったりしたら―!
―やべぇ…。ちょっとこれはマジやばいかもしれねぇ。
柄にも無く冷や汗が背中を流れていくのをはっきりと感じる。久し振りに感じる死の予感に身体の中から冷えて腹の中で何か嫌なものが煮え立つのが分かった。
並みの相手であればそうそう負けるつもりは無い。今まで馬鹿のように剣を振るい続けてきたし、それに伴って実力をつけてきたつもりだ。最近は衰えを感じる事も少なくなくなってきたが、まだまだ警備隊の中でも俺に勝てる奴はそうそういない。
しかし、相手は恐らく自分とはそもそもの格が違う相手であり、さらに言うならばここは街を一望できる崖の手前だ。後ろにさがれず逃げ場は一切無い。
前に進もうにも既に音は近くまで迫っていた。俺はとりあえず恐怖に固まりそうになる身体を落ち着けて何時でも剣を抜けるように柄へと右手を当てる。
「……そこにいるのは誰だ?」
―問うたその言葉に隠れても無駄と悟ったのか。ゆっくりと草陰から表れた相手は勿論…俺が恋焦がれた彼女ではなかった。
まず目に付いたのは紫を基調とした鎧。しかし、ただの鎧ではない。鉱物よりも生物を連想させるようなそのフォルムもさることながら一番異質なのは所々に意匠のように配置されている目玉だ。―意匠でないのは辺りを警戒するようにぎょろぎょろと動き続けてる目玉を見ればすぐに分かったが。
顔も身体と同じように完全に紫の兜に覆われて顔どころか今、笑っているのか無表情でいるのかもわからない。
女であるのは鎧の上からでもはっきり分かる豊満な胸元や「お前、太もも護る気無いだろ」と思わず突っ込みたくなる腰元を見ればすぐに分かるが。…いや、決していやらしい意味じゃなくてだな。見えるものは見えるんだからしょうがないだろ?
「……誰だ。と問いたか」
「ああ。後、ついでに何でここに来たのか教えてくれると有り難いんだがな」
「……前者の問いには答えることは出来んが後者の問いには答えてやろう。今朝方、手紙が玄関に挟まっていただろう。…それは私の書いたものだ」
「そうかい。そりゃ残念だ」
思わずため息をつきそうになって…何とかそれだけは自重した。
少なくともこれでまだ敵意を持って近づいてきているわけじゃないかもしれない。という俺の中の幻想は見事に打ち砕かれたわけだ。あの手紙をどう解釈したって好意的なモンじゃないだろうし。
―あぁ……どうやら今日は朝の髭剃りから始まってケチのつきっぱなしだ。幾らなんでも厄日過ぎるだろ、おい。
「残念……。そうか…残念か……」
俺の返答に何故か女は微妙に落ち込んでいるように見えた。さっきより声のトーンと肩を落としているように感じるんだが…。
…あれ?何かすげぇ誤解がないか?
俺はお前のような実力者と敵対するのが残念だ、って意味で使ったんだが…。
何とかその辺りの事伝えようと俺が口を開こうとした瞬間、女はきっと―相変わらず顔は見えないが本当にそんな感じだった―こっちを睨んでくる。
どうやら俺は知らないうちに逆鱗に触れていたらしい……。
「しかし、私も諦めるわけにはいかない。…前者の問いには答えることが出来ないと言ったが…答えてやっても良い」
「ほ、本当か?」
「だが……私を倒す事が出来たら、だ」
そう言って背中の闇色のマントに手を伸ばす女。何をするつもりなのかと俺が無用心にも見守っているとマントと同じ闇色に染まった両刃の長剣を取り出した。長さ自体はそれほどでもないが厚みと幅が恐ろしい。金色の柄には悪魔を思わせる意匠が施されており間違いなく銘の入った一品だろう。あんなもので叩きつけられれば俺の持つ大量生産一般支給用の長剣なんてすぐに真っ二つだ。
「…ていうか、ちょっと待て。なんだその、とんでもマント!?」
「私のところの正式採用装備だ。安心しろ。戦いでは使わん。そんな必要もなさそうだしな」
思い切り見下して「ふん」と言いたそうに女はこちらを見てくる。
―おのれ。俺を馬鹿にして良いのは彼女だけなのに、こんな奴に馬鹿にされるとは……!
…いや、それもどうなんだよ。俺。
そうやって自問している間に女は感触を確かめるように一、二度剣を振るった。女の剣はこちらにはまだまだ届かない距離にあるはずだがその切っ先から生み出される風のうねりは間違いなくここまで届いている。
―いや、これは無理だろ俺。
今まで何度か死ぬと思った事はあった。小隊で盗賊に囲まれ残り俺一人になった時。逃げる際に足を折ってしまい、人の通らない山奥で身動きが取れなくなった時。動けないので何とか這ってキノコを食べたらそれが毒キノコだった時。その状態で狼に囲まれた時。
しかし、どんな時だって今日ほど明確に死を身近に感じる事は無かった。
―やばい…っマジで洒落にならん…!
「覚悟は出来たか?答えは聞いていないが」
その一言と同時に大上段から振り下ろされる長剣の一撃を俺は横っ飛びで何とか交わすことが出来た。……と言えれば聞こえが良いが実際は無様に転げまわっただけだ。しかも、若干手加減された状態で。
「ばっ!まだこっちの準備がっ」
「馬鹿か。戦いに始めの合図は無い」
―あ、何か今ちょっと懐かしい気がした。
って懐かしんでる場合じゃねぇ!今度は横一文字!なぎ払われた女の長剣が俺の髪から何本かもぎ取っていく―あぁぁぁ!もう俺の歳は髪の毛の成長が十代に比べて遅くなってるっていうのに!!!
しかし、抗議の声を上げようにも今度は斜めから振り下ろされる袈裟切りが……
そのままどれくらいの時間が経っただろう。
俺はまだ奇跡的に生きている事が出来た。…というよりは生かされていたというほうが正しいか。
俺が避ける事の出来るぎりぎりの速度で振るわれる続ける長剣から何度も逃げる事が出来るのを運や奇跡だけで説明するほど俺は楽観的じゃない。
―何のつもりだ……?
殺すつもりであれば最初の一撃で終わっていた。それどころか今までだって数え切れないほどのチャンスはあったはず。なのにこうして悪戯に体力を削るような真似をして何がしたいのだろう。
それとも…いたぶってから殺さなければ気がすまないほど俺は逆鱗に触れたという事か。それはそれで申し訳ない気もしたが謝ろうにも既に声は枯れはて息を整えるのに精一杯になっている。生きるか死ぬかの瀬戸際で集中力を持続させるというのは気力と共に体力も大きく奪うからだ。
…しかしながら早すぎる。幾らなんでも、もう少し体力は持ったはずだ。
しかし、一太刀、また一太刀と避ける間にイメージとの誤差がどんどん広がっていく。
―精神的には疲れていてもまだまだ十代と同じくらい体力はあるつもりだったんだがな
どうやら俺は自分でも思っていた以上にロートルであったらしい。これが無事に終わったら現場ばかりじゃなく事務仕事も出来るようになろう。無論、この場を何とか切り抜ける事が出来たら、の話だが。
そんな事を思っているとやはり注意も散漫になったのか木の根に引っかかって倒れてしまった。
―ああ、もう限界だな。
すぐさま立ち上がって構えようにも足はがくがくと痙攣するだけで、命乞いしようにも肺は全力で空気を求めていた。指一本、剣一本抜けないままこのまま殺されるのか…。
心残りはやはり彼女の事だ。会えないままここで殺されるのであれば自分から彼女を探しに行けばよかった…。約束なんかに拘らず、何処へなりとも行ってしまえばよかった…。そうすれば万分の一の確率くらいは望みがあったかもしれないのに…。
後はハワードにも一杯奢る約束があったな。すまん。ハワード。あの世で会えたら奢ってやるよ。
「…まったく手間かけさせて」
倒れて動けない俺を見下して女は呆れたようにそう言った。そのまま持っていた長剣をマントの中に戻し、こちらへと向きなおる。
「………そんなに抵抗する位嫌か…」
…そんなに悲しそうに呟くなよ。つーか、誰だって殺されるのは嫌だろ。
殺されるのが好きな変態なんてさすがの俺でも見たことねぇよ。
口に出す気力も体力もなくて言えないけどさ。
「……約束した……のに」
え……?
いや、ちょっと待って。俺、超初対面なんだけど。
…ていうか、アレか。もしかして別の男と勘違いしてませんか?貴女。
「ここでずっと待ってるって言ってくれたから私、頑張って帰ってきたのに!」
ちょ…!まっ…えぇ!?
「そもそもなんで気づかないのよ!馬鹿!」
その声と同時に投げ捨てられた兜の向こうは俺がずっと夢の中で見てきた少女ではなかった。
しかし、その顔は彼女がそのまま成長したらこうなるだろうと俺が心の中で描いていた姿そのもので。その顔が今、かつての別れの時と同じく涙を大きく目じりにためてこっちを睨んでいる。
「気づくわけねぇだろうが阿呆!!!!」
色々と言いたい事はあったが、とりあえず気力とか体力とかそういうものを超越した俺は腹の底からそれだけを振り絞って気絶したのだった……。
―目が覚めると目の前に夢の中の彼女―グレースがいた。
「気がついた…?」
脱ぎ捨てた鎧を傍らに上から心配そうにグレースが見下ろしてくる。兜の中に詰め込んでいたのだろう。その特徴のある美しい髪が俺の視界の中でゆらゆらと揺れていた。その長さは記憶の中にあるものよりもさらに長い。どうやら今はロングにしているようだ。ショートも可愛かったがロングはロングで女性らしさが際立っていて良い。
先ほどの鎧姿とは違い、今のグレースは白シャツとスカートだけを着ているだけだった。しかし、シャツはどうやらサイズが微妙に合っていないようで胸元にちらちら目が言ってしまう。多分、鎧を上から着ること前提の格好なのだろうが、官能的にも程がある。少なくとも30前の男には眼の毒だ。
それにしても…お互い長い年月の間に成長したとは言え、珍しいものを見たものだ。グレースがこんな風な顔をしたのは滅多に見たことがなかった。
…ていうか、さっきから思っていたが、このアングル…そして頭の柔らかいもの…もしかして膝枕って奴なのか!?
ぐ、グレースがそんなことしてくれるなんて…ていうか、あれだけ恐ろしい踏み込みやら恐ろしい脚力してるのにこれだけふともも柔らかいってどういうことなんだよ…。反則だろ。つか、幸せだろ俺今、すごく。これだけで今日の色々な厄とか帳消しにしても良いくらい。
「……ああ」
「あ、あれくらいで倒れるなんて鍛え方柔なんじゃないの!?」
「…かもなぁ」
グレースの一言で幸せに浸っている気分が全部吹っ飛んだ。
実際、今日一日で自分の非力さを痛感した気がする。
子供っぽさでハワードに迷惑をかけ勝手に傷つき、そして惚れた女と戦って完膚無きまでに負ける。
今まで生きてきた人生の中でこれほど自分の無力さを思い知らされたのはあの時、グレースと別れた時くらいだ。
―…なさけねぇ。
次にあったときにびっくりさせてやろうと自分なりに鍛え続けてきたつもりだったが、実のところ惚れた女を護るどころか手加減されてその上で手も足も出ないと来たものだ。これでも警備隊の中ではそれなりの実力者であったつもりだが、それすら今は疑わしい。皆、俺が弱すぎて手加減してくれていたんじゃなかろうか…。
そんな事を考えているとグレースがどうにも気まずそうにしていた。グレースはグレースなりに今のは言い過ぎたと思っているんだろう。俺としては言われて当然なので特に何とも思って無いんだが……。
でも…昔もそうだった。やりすぎたと思っても中々、グレースは謝れない。だから、喧嘩をしても謝るのは何時も俺のほうからで、それで遅れてようやくグレースが謝る。そんな関係を一年近く続けていたんだ。
―変わったと思ったがお前もなんだかんだと変わって無いんだな。
二十年近くたって尚、まだ俺とグレースの間に繋がりがある気がして少しだけ嬉しかった。
「…その、悪い」
「な、何をよ?」
「気づかなくて、ごめん」
「………」
「後、誤解しててごめん」
「…良いわよ別に」
「そっか。…なら良かった」
それきり俺も黙ってしまう。グレース相手にあまりしつこく言うと怒られたり結局素直になる機会を失わせてしまうのは子供時代に何度も経験済みだ。後はグレースが自然と謝ってくるまでゆっくり待てば良い。それが子供時代の俺が学んだ対グレース用の処世術だった。
「……私も……その」
そこまで言ってもじもじと赤い顔の前で手を組んだり閉じたりして止まってしまう。
グレースと付き合っていれば何時もの事だ。…そうは思っていても大人のグレースはまた新鮮だった。生意気だった子供の頃は何処か微笑ましい気持ちだったものの、何処か女性としての柔らかさや気品を持った今のグレース相手にはそんな優しいものじゃない。好きだ、とか愛しいだとか、そんな強い感情が溢れかえってくる。
「…ああっ!もう!」
じれったくなったのかグレースが真っ赤な顔で睨むようにしてこっちを見てくる。それもまた『子供』の頃の日常と化したものだ。『子供』の頃であれば真っ赤な顔をしながら怒鳴るように謝ってくる―いや、謝ったとは世間様一般では言わないかもしれないがグレースはグレースなりに頑張ったんだ。察してあげて欲しい―。しかし、『大人』のグレースがその次に言った言葉は『子供』の頃の日常からは程遠いものだった。
「これから凄いものを見せるけれど…驚くな、とは言わないわ。でも、逃げないで。一応、これでも貴方の事…その……信用……してるんだから」
『信用』
少なくとも昔のグレースには程遠い言葉だ。『信用している』なんて言う位なら子供の頃のグレースは容赦なく俺を詰っていただろう。…というか、実際そうだったし。
だからこそ今のグレースの言葉が俺には信じられなかった。…いや、信じられなかったというのは正しい表現じゃないな。理解できなかった。本当にグレースが、あの夢の中の彼女が俺を信用していると言うなんて思ってもみなかったから。
「…ちょっと聞いてるの」
あまりに理解できない言葉を聴いてどうやら一瞬思考の中に逃げ込んでしまったようだ。グレースが何処か不満げにこちらを見下ろしてくる。
「あ、あぁ、すまん。聞いてる。大丈夫。『約束』しよう。俺は逃げない」
「もう……ホント、馬鹿ね、貴方」
約束という言葉にグレースは何処か顔を赤くして呆れたようにそう言った。昔と同じ照れくさい時の仕草だ。今のグレースの中にも昔の面影を見つけてしまう。
―どうやら俺はよっぽどのグレース馬鹿だったらしい。
自覚していなかったそれを久し振りの再会でまざまざと見せ付けられて、さすがに何処か気恥ずかしくなった俺は昔のように軽いやり取りにしたくて口を開く。
「二十年もここで待ち続けたんだ。約束の一つや二つお手の物さ」
「……そうね。そうよね……」
何処か悲しそうな顔をしてグレースは目を伏せた…。
―ていうか、馬鹿か俺は!もしくは大馬鹿か!?こんな言い方したらグレースが気に病むの分かってる話だろうが!空気が読めないってレベルじゃねぇぞ!
いや、自分を責める前にまずフォローだ。汚名は挽回せねばなるまい。
…あれ?逆だったっけか?いや、まぁ、どっちでもいい!
「で、でもな!俺が勝手に待ち続けただけで…」
「良いの。…貴方が責めるつもりで言った訳じゃないってのは分かってるから」
「グレース……」
「…昔から筋金入りの馬鹿だものね。貴方」
「…おい」
ちょっと良い話だと思った俺が馬鹿みたいじゃないか…。いや、グレースの言葉を借りれば間違いなく馬鹿なのか。
「でも…分かってても私は素直になれない。だからこそ…貴方に見てて欲しいの」
その顔は覚悟に満ちていたけれど…さっきまでの何処か悲痛なものとは違っていた。少なくとも俺が馬鹿やった事は無駄ではなかったらしい。
ならば俺も彼女の覚悟に応えなければいけない。例え彼女が偽者であっても決して逃げない。そんな覚悟で彼女を見上げる。
―そして彼女は自分の頭に手を当てて………そのままそれを上に上げた。
……は?
え?いや、ちょ…何だそれ。
もしかして『それだけ』なのか?
「これが本当の私の姿なの…。人じゃない存在―魔物なの」
悲しそうに目を伏せて―無論、身体とは完全に乖離し、今は両手で抱えられている彼女の顔がだ―そうぽつりとグレースは言った。
…いや、なんていうかな。その…上手く言葉が出ない。
「………」
「呆れてモノも言えない…?そうよね…。ずっと騙し続けて貴方の二十年を奪ってしまったんだから。ごめんなさい……。謝っても取り返しはつかないけれど…本当にごめんなさい……」
「……なぁ、グレース。お前、馬鹿か?それとも阿呆だったのか?」
「…そうかもしれな―」 「人じゃないなんて昔っから分かってたよ。グレース」
「え……?」
―まったく…もしかしてずっとこれを思い悩んできたのだろうか。
だとしたら大間抜けだ。グレースじゃなく、俺が。はっきりとグレースに伝えなかったから彼女をここまで思い悩ませてしまった。
「何処の世界に黒炎纏った黒馬に乗った人間の子供が居やがる」
「うっ…いや、でも、お金持ちの子供とかなら…」
「何処の世界に素手で狼追い払う子供が居やがる」
「もしかしたら月を見たら変身する異星人の子供だったかもしれないじゃない!」
「寧ろそっちの方が驚きだよ俺は」
「うー」
「つか、お前、一番最初の口調なんなんだよ。びっくりしたじゃないか」
「アレはその…私たちは騎士団の誇りであり象徴だから何時もの口調じゃ駄目だって先輩から叩き込まれて…」
何時もとは若干違うやり取り。馬鹿だとか阿呆だとか罵られるわけでもなく、何処か素直なグレースとのやり取り。新鮮なそれらは俺の中にストンと落ち、あっという間に着床する。
こういう時、幼馴染というのは本当に便利だ。昔を知っているだけにお互いに一番良い距離が手探りながらもすぐ理解できる。それは今の素直なグレースも同じなんだろう。何時もと違うやり取りながらも、先ほどまでの覚悟の色は消え、楽しんでいる事がその表情からは窺い知れた。
「ま…デュラハンだったのは驚いたけどな」
―デュラハン
高位の魔物にして強大な戦闘種族を誇るエリート種族だ。
高い忠誠心と優れた武術で魔王の誇る騎士団を支える精鋭達である。
首を片手で持ち戦場を駆けるその姿からは首なし騎士とも呼ばれ、人間に恐れられてきた。
…と、ここまでは現在の魔王になるまでのお話である。
デュラハンはその性質上、魔界からは中々出てこないため、夢魔化した今ではどんな性質を持っているのか不明だとされてきたが、グレースの様子を見るにさほど変わっていないらしい。
さすがはデュラハン。高位の魔物になれば魔王の魔力に逆らう事も可能なようだ。
「……怖がらないの…?」
「ん?」
「…だって私…首が取れちゃう化け物なんだよ…?」
「…寧ろ逆だろ。俺なんか首が取れない化け物なんだぜ?」
「え…?」
この街で暮らしてきて最近良くそう思う。
魔物と人間の違いは多くある。それこそ一つ一つあげていけばキリが無いくらいだ。それは人間から側見れば異質な事もあるし、魔物側から見て異質な事もある。
人間の価値観は絶対ではない。少なくとも正義や免罪符の類として掲げて良いような絶対普遍のものではないはずだ。それを殲滅派の連中は勘違いしていると俺は思う。
人間が気持ち悪い、と思う逆の事を魔物だって気持ち悪いと思っているかもしれない。それはすごく当然で普通の流れだ。そして双方にそれがある以上、片方だけが歩み寄っても意味が無い。しかし、双方が歩み寄れば決してその溝を埋める事は不可能ではないはずだ。
「…怖いと思うか?俺のこと」
「…そんな事ある訳ないじゃない……」
「だろ?俺も同じだよ」
そう笑って、くしゃっと両手で抱えられているグレースの髪を撫でた。
最初は驚いた顔をしていたグレースも何度か撫でると嬉しそうに目を細める。
―昔からグレースはこうされるのが好きだったな。昔であれば髪が崩れるからやめなさい馬鹿、と言いながらも嬉しそうにしていたが…今のグレースはどうやらそんな憎まれ口を叩いたりはしないらしい。
その素直な姿と昔のグレースとのギャップがまたも俺の胸を叩く。具体的に言うと心臓が高鳴るくらい強く。くそ…つか、反則だぞこんなに可愛くなってるなんてさ。
―彼氏とか居るんだろうなぁ……寧ろ、いなきゃおかしい。これだけの美女ほっとく方がどうかしてる。
そう考えて、涙が浮かびそうになるのを何とかこらえた。
―馬鹿か俺。いや、馬鹿だな俺。会えただけで満足してりゃ良いんだよ。
俺にもう『子供』の頃のような無邪気さはない。今更、素直に『ずっと好きだった』なんて言うには中途半端な『大人』になってから身に着けた意地やプライドが邪魔をする。
かと言ってグレースを諦められるかといわれれば…勿論、無理だ。二十年経ち何度も諦めようと思ったことがある。無駄だとそう思ったことは数え切れない。しかし、今こうやってグレースと会うことが出来て少なくともその二十年は無駄ではなかったのだとそう思えることが出来る。
結局、先に進む事も戻る事も出来ない。そんな袋小路の中に俺は居た。
―どうすっかね、マジで。袋小路もそうだが、これからをよ。
このまま撫でているのも良いがさすがにそれはグレースも退屈だろう―そこまで考えて二十年前にしたもう一つの約束を思い出した。
デュラハンといえば魔王の騎士団の精鋭であり、エリートだ。勿論、その仕事は過密で窮屈だろう。次に何時来れるようになるかは分からない。むしろ次は来れるかどうかすら分からない。なら、丁度、今日は祭りなのだし、一緒に行っても良いかもしれない。
―うん。我ながら名案だ。たまには冴えてるじゃないか俺。
「なぁ、グレース」
そう言ってグレースに目を向けると彼女は息を荒くしていた。
まるで何かの熱病に浮かされたように顔も赤く、明らかに様子が…!
「ぐ、グレース!?どうした!?」
「ごめん…。もう限界なの…。」
「限界!?」
とりあえず洒落にならない事態のようなのでグレースを横にさせる。少し楽になれば、と思ったがまるで効果は無いようだ…。
デュラハンに限界とまで言わしめるほどのそれとは何なのか。思わず辺りを見渡したが何も無い。自分の身体に手を当ててもグレースと一緒に居るからか何時も以上に高鳴っている胸以外は特に変化はなかった。
まさか人間には関係なく魔物にだけ発症する病気とかか!?いや、そんなものがあれば、このすぐ下にある街もパニックになっているはずだ。暢気に祭りをしている様子からはパニックのようなものは見て取れない。
―いや、考えてる時間はねぇな。
俺は胸ポケットを探したが…ハンカチの一つも入っちゃ居なかった。くそっ!29のおっさんはこれだから!ウィルソンがハンカチと避妊は男のマナーだって言ってるのを素直に聞いておければよかった!
「汚れてるだろうけど我慢しろよ!」
そのまま腕の制服を破き、綺麗な部分だけをさらに選別し―警備隊の制服はこういった事態のために横に破きやすいようになっている―腰につけてある標準装備の水筒で濡らしてグレースの額に置いた。
これからどうする…!?
正直、あんなものじゃ気休めにもならないだろう。グレースの様子を見れば良く分かる。
さっきよりもさらに顔が赤く、息も荒くなっている。本当に苦しそうだ…。くそ!何でもっと早く気づかなかったんだよ!馬鹿?大馬鹿?そんなもんじゃねぇ!俺は最低のクズ野朗だ!
いや、自分を責めるのは後だ。まず必要なのは医者だろう。
しかし、動かして良いのかどうかは分からない。不用意に動かせば命に関わる危険性もある…。
ここから全力で降りれば約15分。そこから診療所に駆け込んで医者を背負って走って三十分。
―やるしかねぇ
さっきのグレースとのじゃれあいで随分と体力は減ったが、その分、今は気力が充実している。今ならきっと十代の頃のような無茶も効きそうだ。
「グレース。俺は医者を呼んでくる。すぐ戻ってくるから待って―」「行かないで…」
ぎゅっと左手だけで頭を抱えて、右手で俺の腕を掴むグレース。
始めてみるといっても良いその弱弱しい姿に心を動かされるが…正直、ここでグレースが死んでしまっては意味が無い。
「医者を呼ばなきゃどうにもなんないだろ!」
「良いの…。一緒に居てくれれば治るから……。…お願い。信じて……」
「……」
―信じてなんて言うなよ。何時だって俺はお前の事信じてたよ。
流れの速い川に流されて死に掛けた時も、狼の群れに囲まれた時も、二人で山の中で迷って身を寄せ合って一晩、夜を越した時も。
どんな無茶をしてた時もこいつと一緒なら乗り越えていけるって『子供』の頃から信じてたよ。
それは…まだ『子供』のままの俺も同じだ。
「分かった。俺は…何をすれば良い?」
「そこに居てくれれば良いの。後は―」
そこで一旦言葉を区切って……俺の目の前に黒いモノが一瞬よぎる。
「私がやるから」
気づいた時には世界が反転していて俺はグレースに馬乗りになられていた。
『黒いモノ』なんて思ったのはいきなり起き上がってこちらを押し倒したグレースの余りのスピードに俺がまともに知覚出来なかったからだと気づいた時には既に足は彼女の両足で完全に動けないようにロックされ胴体を起こそうにも頭を持っていない右手だけで完全に押し込められていた。
―え…?何この展開?さっきまで結構やばそうにしてただろ?なんでそんなに元気なんだよ!?
実際、グレースの今の顔も赤いままで息もさっきよりもさらに荒くなっている。
でも、違うのは先ほどまで何処か苦しそうにしていた表情とは違い、今は何処か楽しそうというか、期待に目を輝かせている。
まずい。何が起こっているのか詳しい事はわからないがともかくまずい事態へずるずると引きずりこまれているというのだけは良く分かる。
「私…嬉しかったんだよ…?」
「な、何が…?」
「本当にここで二十年も待ってくれていて…。絶対に無理だと思った。きっと途中で諦めて誰か素敵な人と結婚しているもんだと思ってた…」
「残念ながら俺はモテなくてね」
―誤解が無いように言うが別に俺だって告白された事が無い訳じゃない。
しかし、好きな女からは一度もモテた事が無いんだ。…好きになった女なんて世界中でグレースしかいないが。
「素直じゃないの……」
まるで全部見透かすように嬉しそうにそう言われて。…なんていうか、反則だその顔。昔は意地張った顔しかしなかった癖にそんな素直に嬉しそうな顔見せられたら…なんていうか、反応しちまう。
…ていうか、位置的にやばいんじゃないかおい。俺の息子の真上になんていうか、グレースの腰がある訳で。このまま反応を続けたら一発でグレースにばれてしまう…!
―それだけは絶対に防がなければならない。嫌われたりするのはある程度覚悟の上だがそんな理由で嫌われるのだけは防がなければいけない!
待て!戻れ!戻るんだ!マイサン!!!
「でも、嬉しかった。私との約束も覚えてくれてたんだって思って…本当…泣きたくなるくらい嬉しかったの…」
―…グレース。………ごめん。そっちの約束は覚えて無いんだ。
だって、ほら、その…な。あの笑顔に見惚れてて、あの時何言われたのかまったく記憶に無いんだよ。
…空気読める俺は言わないけど。
「でも、それは私の勝手だから…。もし、今からやるのが迷惑だったら…抵抗して。…絶対に逃がさないけど」
それなんか矛盾してないか、そう突っ込もうとした俺の唇に何か柔らかいものが触れてきた。何処か甘い香りのするそれはそのまま俺の唇を割って、俺の口内を好き勝手に動き回る。
でも、それは何処か嫌な動きじゃなくて、寧ろ官能的で情熱的な思いの篭ったものだった。
―…ていうか、これどう見てもキスだよな?目の前にグレースの顔あるし。口の中でぬるぬる動いてるし…。
つか、これ俺のファーストキスなんだけどどうすりゃ良いんだよ!?こっちも舌を絡ませれば良いのか!?やっちゃっていいのか!おい!やって嫌われないのか!?誰か応えてくれ!!!
そうこうして迷っている間にグレースの舌が俺の口内からするりと抜け出した。ど、どうしたのか!?俺、またなんかやっちまったのか!?と思っているとそのまま不安げにこちらを見下ろしてくる。
「あの…気持ちよくなかった?…先輩がこうやってキスしてあげると気持ち良いからって教えてくれたんだけど…」
「あ、いや…なんていうか……違うんだ」
「え……?」
恥ずかしい。惚れた女の前で何故こんなにも醜態を晒さなければいけないのか…!しかし。しかしだ。惚れた女にこんな顔させて何もしないでいるほど俺は鈍感でも無い。
どうせ今日だけで数え切れないほど恥をかいてるんだ。今更恥が一つ増えたところで良いじゃないか!
「…今のが…初めてなんだよ…」
「嘘……っ!」
「いや…マジで。女と付き合ったことも無いし、娼館にも行った事無いからな」
両方ともグレースに対する裏切りのように感じて出来なかった。
せめて待っている間だけはそんなこととは無縁でいよう。そう思って過ごしてきて…結局この歳になるまで何もなしだ。少なくとも当時はそれが正しい事のように感じていたが、今のようにグレースを困惑させるのであれば恋愛経験くらいつんでいても良かったのかもしれない。
「……それは…どうして?」
「…言っただろ。こんなおっさんはモテないんだよ」
「じゃあモテていたらしてたの…?」
「……お前、意地悪いな」
何処か嬉しそうに。でも、意地悪そうにそう笑いながらグレースはまた顔を近づけてくる。
キスをし、顔を間近で見ている今ならば分かる。グレースの顔を染め、息を荒くさせているのは間違いなく欲情だ。夢魔化の影響を抑えきれなくなったのか、それとも何か別の要因が有るのか。ともかく彼女は今、間違いなく欲情している。
「…だって嬉しいんだよ。私も…初めてだったから」
「いや、嘘つけ。そんな舌使いじゃなかったぞ」
「ほ、ホントよ。先輩だって目の前で実演してくれたのを見てただけだし…」
そう言って目を伏せるグレースに俺の中の欲情が炙られるのをはっきりと自覚した。
―ていうか、それは…そういうことなのか?期待しちゃって良いのか…?
―二十年間ずっとお前を想ってきたのは決して無駄ではなかったのだと思って良いのか?
…答えが欲しくて触れるほど近くに居たグレースの顔に今度は俺からキスをした。
一瞬、戸惑ったように唇を震わせたグレースだが、俺が恐る恐る舌を入れる頃には嬉しそうに舌を絡めてくる。
そのまま二人の間で舌が踊った。グレースが逃げれば俺が追いかけ、俺が逃げればグレースが追いかけてくる。捕まれば二人で触れ合い、愛撫し、唾液を塗りつけるように遊び…また頃合を見てどちらかが逃げていく。
息が続かなくて鼻で息をするその瞬間も惜しくてずっと触れ合っていたくて。俺はいつの間にか自由になっていた両手でグレースの顔を抱きしめていた。
「ふぅんっ♪」
途中、息を吸おうとする甘いグレースの声すら俺を誘っているかのように感じる。
―いや、もしかしたら本当に誘っているのかもしれない。
少なくともグレースの舌は決して拒んではいない。それどころかまるで奥へ奥へと誘う様に俺の舌に触れ挑発してくる。
―そっちがその気ならこっちだって。
それを拒める精神力も技巧も経験も俺には無かった。グレースに誘われるままに奥に奥に。そしてさらにねっとりと。唾液を送られ、味わい…さらに此方からも返し……。
…そうして長い長い愛撫が終わってお互いがお互いを開放した頃には既に二人とも酸欠に近い状態だった。
「…はぁ…はぁ……貴方……激しすぎ…」
「…はぁ……お前に…はぁ……言われたく無い…」
実際、俺よりも遥かにグレースのほうが上手だった。夢魔化した影響だろうか。舌が触れ合うたびにグレースはどんどん上達していった。俺はただ追いつこうと必死だっただけだ。
「だって…こんな…キスが気持ち良いなんて思ってもみなかった…」
―それは俺の台詞だ。
キスだけで何度イきそうになった事か。暴発しなかった事が自分でも奇跡のように思える。
世の中のカップルどもはこんな気持ち良い事をよく街中で出来るもんだ…。俺だったらそのまま我慢し切れなくて押し倒してしまいそうだが。
―いや、今押し倒されてるのは俺の方だけどな。
そのまま二人で抱き合って―頭を抱いているだけだが―息を整え、落ち着いた頃にグレースがこちらを見上げてくる。その目はやっぱり欲情に染まっていた。
「……ね。私…もう我慢できないの」
その声と同時に、今まで俺を押さえつけているだけだった身体の方のグレースが俺のズボンを脱がそうとしてくる。
抵抗しようにも俺がグレースの顔を抱いている分、身体のほうは両手が使えるのでまるで抵抗らしい抵抗が出来ないまま脱がされていく…。
「待て!お前はそれで良いのか!?俺は来年30のおっさんだぞ!?」
「そんなこと言ったら私も来年31のおばさんよ?」
「生きてる時間が違うだろうが!」
「同じよ。……少なくとも私は二十年間も貴方と離れていてさびしかったし、苦しかった」
「グレース……?」
「好きよ。本当に。どうしようもないくらい貴方が好きなの。種族が違うからって諦めようと思ったことなんて一度や二度じゃない。きっと本当のことを知ったら軽蔑されてしまうって考えたことなんて数え切れないくらい。
でも、駄目だったの!一人前になって魔界から出られるようになる頃にはきっと諦めているだろう。って思ってたけど無理だったの!例え、私が諦められなくても貴方はもう結婚してるだろうからって思ってたけど貴方がまだ私を待ってくれているのを知って我慢できなくなったの!」
「…おい」
ていうか、この状況でそれは反則じゃないか?
別に告白は男からなんてそんな事に拘っているわけじゃない。…少し拘っているかもしれないけど。でも、なんていうか、この状況でそんなこと言われたら流されてしまいそうになる。
駄目だ。流されちゃいけない。少なくともあの意地っ張りのグレースがここまで言ってくれたのだから、それに応えなきゃいけない。
「俺は……俺はお前に凄いと褒められたくて子供の頃、ずっと剣の修行をしてた。それ以外は毎日ここに居たよ。…子供の頃は飯食べてるか、寝ているか、剣を振ってるか、ここにいるかのどれかしかしていなかった気がする。
それから自分の強さの限界が見え始めた頃。俺は警備隊に入った。お陰で剣を振ってる時間はそのまま警備隊での仕事になって……それでも若干、足りなくてここにいられる時間ががくっと少なくなったよ。
それから小隊長になった。人を率いる立場になると自然と仕事が増えて…またここに居られる時間が少なくなった。
…それから中隊長になった。二十年が経った。それでも、俺の脚はここにずっと向かってきたよ。
そんなのよっぽどの馬鹿じゃなきゃできやしない。よっぽどのグレース馬鹿じゃなきゃな。
お前の言うとおり俺は馬鹿だ。それも稀代の大馬鹿だ。お前の事になると俺は余計馬鹿になる。
…………好きだよ。グレース。魔物であってもなんであっても。…本当は二十年前に言いたかったけれどな」
そこまで一息に言って…ふと見下ろすと…グレースが泣いていた。
…え?いや、ここ泣くところか!?寧ろ笑ったりしてるべきじゃないか!?
そう一人でぱにくっているとグレースが小さく「嬉しい…」と呟いた。…よかった。少なくとも嫌がられていたわけではないみたいだ。
「…でも、私、二十年も連絡もなしに待たせた酷い女なんだよ…?」
「魔界から手紙出したって途中で握りつぶされるだろ。寧ろあて先の俺に危険が及ぶ可能性だってあっただろうし。それだけ考えてくれてたんだろ。二十年ってのはちょっと予想外だったけれど、それだけデュラハンってのは厳しいんだろうさ。エリート中のエリートなんだろうし」
「私、魔物だよ…?多分、淫乱になっちゃうよ…?」
「男は少しくらいいやらしい女のほうが好みなんだよ」
そのまま顔と身体を抱きしめて。
「恥ずかしいから何度も言わせるな。俺はお前が何であってもお前が好きであることに変わりは無いよ」
「………嬉しい…」
そのまま抱き合って終わり…………。
となれば良い話で終わるんだが、どうにも俺の息子はそれでは不満のようだ。さっきから痛いくらいに血液を集めて自己主張してやがる。
それに気づいたグレースも顔を赤くして股間を押し付けて……よくよく見れば彼女のそこも酷く濡れていた。
―多分、今のグレースと俺の気持ちは同じはず。
「…ね」
「あぁ、悪いが格好良い時間は終わりだ。これからは格好悪いけれど…良いか?」
「女は少しくらい格好悪い男のほうが母性本能をくすぐられるのよ」
そう笑ってグレースは押し倒していた身体を離す。そのまま俺が抱きしめていた自らの顔を受け取り、四つんばいになってこちらに向かって見事なラインを描く尻を見せ付けた。そのままスカートをたくし上げ、下着をずらし、下の唇を指で開いてこちらを挑発してくる…!
透明な愛液で濡れたそこはひくひくと誘うように蠢き、見ているだけでおかしくなってしまいそうなくらいだ。
「ね…早くここにお願い…」
「言われなくとも…と言いたいが、その前に」
欲情に煽られた不満そうに目でこちらを見てくるグレース。ここまでさせて今更逃げるつもりは無い。でも、はっきりと言っておかなければいけない事が二つある。
「避妊はできない。そんな余裕は絶対に無いしな。ただ、妊娠したら言ってくれ。別に養う甲斐性が無い訳じゃない。安月給とは言えそれくらいの甲斐性はある。後もう一つは…多分入れたらすぐイっちまう。割と限界なんだ」
「…初めてなのは私も同じよ。だから、安心して。……それに私も入れられたらすぐイっちゃいそうなくらい…もう限界なの」
「ああ、じゃあ…行くぞ」
そのままグレースの腰を掴んでズボンから息子を取り出し……広げられたそこにあてがって一気に進んで…!
「っ!」
初めての異物を、長年待ち望んだそれを突き入れられたグレースの膣はまるで今までの鬱憤を晴らすかのようにうねうねと絡み付いてくる!さっきのキスがまるで児戯のように感じるほどの快感が息子から俺に流れ込んでくる…!
無論、そんなもの我慢できるわけも無く…
「あぁぁぁ♪何これぇ♪」
「うぁ……くっ!」
グレースの初めて聞く、本当に蕩けきった嬌声の中で予告どおりすぐイってしまった。
だが、気力も体力もまだまだ有り余っている。イって尚、貪欲に絞ろうと絡みついてくる膣の中を何とか掻き分け…こつんと奥に何か当たるまで進めた所で一度休憩する。
「グレース…痛く無いか…?」
「うん…大丈夫……。っていうか……気持ちよくて…♪それどころじゃない…かもぉ♪」
後ろから獣のように突き入れているのでグレースの表情は伺えない。しかし、その声は恍惚としているようで何処か熱に浮かされた響きがある。やはり夢魔だからか最初でも痛みを感じる事は無いのかもしれない…。
「それより…ね。もっと一杯…して?さっきの熱くて美味しいの…もっと私の中に頂戴…?」
「おま…そんなこと言ったら手加減できねぇぞ…?」
何時ものグレースであれば絶対に言わないであろう甘く媚びた声。それに心の中にかすかに残っていた自制心を溶かされ、大きくストロークを開始する。
「手加減なんてしたら怒るからっ♪あぁぁっ♪」
「くっ!」
一突きごとにグレースの膣は慣れていくかのように激しく、そして効率的に息子に吸い付いてくる。ある時は奥へ奥へと誘うように。またあるときは吸い付いて離さないかのように。ある時は奥へ行くのを阻むかのようにきつく締め付けてくる。
―無理だろ…!こんなもの…!
我慢するとかしないとかそんなレベルじゃなかった。下手をすれば気を持っていかれそうな勢いで快感が流れ込んでくる。まだイかないで居られるのは最初に思いっきり暴発していたからだ。普段であれば三十秒も持たない。
しかし、それもそろそろ限界に近くなってきた。既に快感が足に伝ってマトモに立ってるのさえ危うくなっている。…というか、既に限界だ。倒れないで居るのは男の意地と言っても良い。それでももっともっとグレースの身体をむさぼりたくてストロークは早く大きくなっていく。
「グレース…すまん。もう…っ!」
「来て♪膣に来てねっ♪一杯出してねっ♪」
嬌声と共に搾り出すその声に俺は思いっきり二度目の精を放った。
―…やばい…。死ぬかもしれない…。
目の裏がちかちかして白くなる。気持ちよすぎて頭の中に頭痛が走る。
それでも尚、射精は止まらず快感だけが増えていく…!
長い長い…本当に永遠に続くかと思った射精が収まった頃には俺の身体はぐったりとグレースの身体に倒れこんでいた……。
「…気持ちよかった…?」
「…つか、気持ちよすぎだ。身体に力が入らねぇよ…」
まるで生命力全てを持っていかれたようだ。大の男に体重をかけられて重いだろうし、動かそうという気は有るのにまったく動かない。
…それでもまたやりたいと思うのは俺がグレースの事を好きだからか。それとも既に夢魔としての彼女に捕らえられているからか。
「…ん♪でも、まだ力いっぱいのところがあるよね…♪」
「え?」
―そんなものないだろ。そう言おうとして…今だ息子が張りと力を保ってグレースの膣の中にいる事に気づいた。
ちょっと待て!?さすがにこれはおかしいだろ!
抜かずに三発出来るほど俺はもう若くないんだぞ!つか、死ぬ。多分このまま次やったら死ぬ!!
「ちょ、まっ!」
「ちょっと失礼♪」
静止しようとした俺の声を遮りグレースはそのままこちらに体重をかけてくる。同時に息子を入れたまま器用にこちらへと振り返り…そのまま騎乗位の体制へと持ち込まれた。
「動けないみたいだから…今度は私が動くね♪」
そのまま左腕から俺の胸元へとグレースの頭が置かれた。
「落ちないように抱きしめておいてね♪ぎゅっとしっかり…ね?」
いや、それには異論は無いんだが何ていうかこれはちょっとっていうか、かなり危ないって言うか!
そう言おうとした所でグレースの身体が本格的に動き始めた…!
「んっ♪あっ…これ良いかもぉ…♪」
最初は感触を味わうようにゆっくりと上下へ。ぱちゅんぱちゅんと肉同士が当たる音が段々、大きくなり、早くなり…腰にうねりが加わって…!前後へ動き始め…!
自分ではがむしゃらにぶつかる事しか出来なかった。たったそれだけでも信じられないほどの快感が俺を襲ったというのに…今はまるで熟練の娼婦の技のように俺の上でグレースが踊っている。服の合間からかすかに見える上気した肌も、上下に動くたびに弾ける豊満な胸も、欲情し、みだらに喘ぐその声も、全てが俺の前にあり、俺のためにある。
今日だけで何度無理といったのかは分からない。でも、今度こそ本当に無理だった。
流し込まれる快感はあっという間に俺の理性という堤防をぶち壊し、糸の切れた人形のようだった身体にもう一度火を入れる。本能のみで再び動き出した腰に合わせてグレースが喘ぎ、踊る。それを見て、俺の動きもまた早くなっていく…!
「グレース!グレース!」
「あぁぁぁ♪素敵!こんな素敵なの初めてぇ♪」
もう本当に何も分からない。俺の世界はグレースだけでグレースしか感じられない。
グレースもまた同じなのだろう。俺の腕の中で喘ぐグレースの顔は俺以外何も捕らえちゃいなかった。
―グレース!グレース!グレース!!!
頭が真っ白になっていく。今度こそ本当に死の予感がする。しかし、それでも良かった。グレースに、それも、こんな形で殺してもらえるのであれば、それは男として最高の死に方じゃないだろうか。
―…いや、でも死ねないな。死んだらこいつはきっと泣くだろうから。
今までも沢山泣かしたけれど、その分、グレースを護ってやりたい。俺が出来る事なんてたかが知れてるだろうけれど…それでも。
そんな思いが胸の中に溢れて、グレースへの愛しさと快感がごっちゃになって何も分からない状態のまま……俺は最後の射精と同時に意識を失った。
「なぁ」
「何よ?」
「家、帰らなくても良いのかよ」
「良いのよ。あんな所、帰りたくないわ」
何時もの秘密基地。何時もの遊び相手。
何時ものように俺が実家からくすねてきたパンを一緒に食べ、何時ものようにそう尋ねた。
「でも、お前家出にしちゃ長すぎるだろ…」
実際、目の前のこの女は既に三ヶ月ほどここにいる。最初はその格好から貴族の子とも思ったが、三ヶ月も貴族の子供が山の中で隠れながら生活できるわけも無い。
何かすげぇ馬と一緒に居たし、大人でもてこずる狼を追い払ったりしたし…もしかしたらこいつは人間じゃないのかもしれない。…まぁ、だとしても俺の友達である事に変わりは無いわけだけど。
「何よ!?貴方も私が悪いって言うの!?」
「いや、詳しい事情もしらねぇし何とも」
「そもそもお母様がお父様と毎日毎日いちゃいちゃしてるのが悪いのよ!まったく!風上にも置けない人達!」
「聞けよ」
そのままぷりぷりと怒っている顔を見るのもまぁ、嫌いじゃなかった。
ただ、いい加減、家出してきて三ヶ月以上経っているんだから、怒りも収まった頃だろうと思ったが如何せん、少女の怒りは随分と根強いものだったらしい。
「……それとも…私がここにいるの…迷惑?」
またそんな不安そうな顔をする。
そういうの反則だと思うんだけどな俺。
「別に迷惑じゃねぇよ」
少なくとも毎日実家からパンをくすねて大目玉を喰らったりするのも。それを一緒に二人だけの秘密基地で食べたりするのも。それを三ヶ月間毎日続けたりするのも俺が勝手にやっている事だ。
迷惑なんて一度も思ったことは無い。
―あぁ、そうか。
俺が毎日、帰らないのか、なんて聞くのは帰って欲しくないからなんだな。
毎日、こいつと遊んでいるのが楽しくて、それだけが続いて欲しくて。だから、ずっと怒ってて欲しくてそんな事を確認するんだ。
……俺、きっとこいつの事好きなんだな。
「…何よ。変な顔して。熱でもあるの?」
何処か心配そうに覗き込んでくる少女、グレースに俺は笑いかけて。
「別に。何でもねぇよ」
俺は空を見上げた。
青い空が何処までも広がっている。時間はまだ昼過ぎ頃で…遊ぶ時間はまだまだ沢山あるはずだ。
さぁ、今日は何して遊ぼう。そんな事を思いながら俺はもう一口、パンを齧ったのだった。
「ねぇ。ねぇってば!」
頼む良いところなんだ。もう少し寝かせてくれ…。
「…ねぇ。起きなさいって!」
揺らすんじゃねぇよ…。折角、何時もとは違う夢が見れたんだ。もうちょっと見させておいてくれ…。
「馬ぁ鹿」
「いてぇ!」
ずびしっっという音と共に頭の中が真っ白になったのを知覚した瞬間、眠気で霧がかったような俺の思考はあっさりと覚醒した。
つーか…何だおい。人が折角良い気分だったのに。星が見えたぞ!
「何しやがる!?」
「あら…?こんなに良い女放っておいてぐーすか寝ているほうが悪いのよ」
良い女?そんなもの29の男の部屋にいる訳ないだろ。って……あれ?何で夜空なんか見えるんだ?ここ俺の部屋じゃ…?
……つか、グレースが何でここに!?
「貴方、まだ寝ぼけてるの?」
呆れたような顔でグレースがこちらを見下ろしてくる。
その姿は既に最初にあったときのように紫色の鎧(目玉着き)を着ており、首も人間のようにきちんとあるようだ。
むぅ。若干、もったいない気もするが……。
「…あー、何時ものグレースか」
「残念だけどそうよ。ほら、早く起きなさいよね。服が汚れるわ」
今更だ、と思いながらもグレースに引っ張られる手に支えられゆっくりと上体を起こした。そのまま辺りを見渡すと真っ暗で星明りが微かに差し込むだけだった。既に祭りは終わったのか…そう思いながら耳を澄ますとまだ微かに民族楽器の音色が聞こえる。どうやら火を少し落としただけで、祭りが終わるにはまだまだ時間はあるらしい。
まぁ、それにしても…手を引いたりするグレースは何時ものように強気なわけだが……『子供』の頃はそういうのは全部俺の仕事だった所為か何処か新鮮でもある。だからって訳じゃないが、素直なグレースも良いが、やっぱり何時ものグレースも悪くないな。
「…馬鹿」
どうやら俺は思ったことをそのまま口に出していたらしい。グレースのでこピンを―無論手加減された―を受けてそのまま後ろにのけぞった。
さっき…無理矢理たたき起こされたのと同じ感覚だ。どうやら俺はでこピンで飛び起きたらしい。…どうにも情けない話だが。
何とか上体を起こしてグレースのほうを見ると顔を真っ赤にしている。既に街の火はかなり落とされているようだし…それは決して街の火に煽られたからではないはずだ。
「…それよりもう良いのか?」
「…何がよ」
「いや、満足してくれたのかな?と」
「もう一発額に喰らいたいかしら?」
「調子乗ってすみませんでした」
思わず条件反射でそう謝って、グレースを見上げると、何処か気まずそうにしている。
何か言いたいけれど気恥ずかしくて言えないんだろう。そう判断した俺はとりあえずせかしたりちゃかしたりせず待つことにした。
下の街では既に騒ぎは随分と下火になってきたらしい。人通りは少なく、手をつないだり組んだりして歩くカップルが殆どだ。聞こえてくる音楽も軽快なものではなく、何処かムードのあるゆったりとした音楽へと変わっている。
子供はとっくに寝るお時間。カップル的にはここからが本番だ。
「…その。デュラハンだって魔王様の魔力を受けて夢魔化してるのは知ってるわよね?
…その煽りなのよ。デュラハンは騎士団の中枢を担うから他の夢魔みたいに大量の精を欲しがったりはしないわ。でも、それはこの首のお陰なの。この首が外れた時…中から溜め込んでいた精が飛び出しちゃって、酷く空腹になるの。その上…その、常日頃溜め込んでいるものが色々出ちゃって…」
「なるほど。素直になっちゃう訳か」
性欲的な意味でも。性格的な意味でも。
だから、あの時、素直に謝ることが出来なかったグレースは本来とは違う、副作用を期待して首を取って見せたわけか。確かにそれに関しての謎は解けたが…。
「つまり素直なグレースに会いたければその首を取ってしまえば良いんだな」
「やっても構わないけれどもう一度倒れる覚悟してからやりなさいよね」
う…痛いところを突きやがる…。
確かに男として最中に倒れたなんてのは最低も最低だ。プライド的にはずたずたである。…まぁ、そんなものは今日一日で修復不可能なくらいにまで傷ついたが。
とは言ってもこのまま突っ込まれ続けるのも癪である。ここは素直に話題を変えるべきだろう。
「…そういやあの紙は何か意味あったのか?」
「紙…?あぁ、アレね。あれは……その…そういう作法なのよ」
「何のだよ」
「…だから…なんていうか、その……た男を迎える作法なの」
なるほど。良く聞こえなかったが何となく内容については察しが着く。
しかし、素直に分かってやるのも面白く無い。ここは先ほどの礼をするべきだろう。
「すまん。良く聞こえなかった」
「だから………いった男を…」
「もう一度、頼む」
「だから!好きな男を迎えにいくために作法なんだって言ってるでしょ!!」
……ほほーう。
「うっ…何よ。その目は。首があってもやる気になればす、す、すす好き位、言えるわよ。ば、馬鹿にいないでよね!」
「いや、馬鹿になんてして無いが」
「してる!何か目がにやにやしてるもん!すっごい意地悪な目してるじゃない!」
それはな。グレース。真っ赤になって意地を張るお前の仕草が余りにも可愛らしいからだ。
しかし、中々、面白い事を聞いた。これはこれから仕返しする時のネタとして重宝するな。
しっかり覚えておこう。
…ま、その辺りは後のことだ。
とりあえず今は……。
「ま、それはさておいといて…時間も無いし行こうか」
「え…?」
差し出した右手と俺の顔を交互に見て、きょとんとした顔のままグレースが固まった。
そんな表情も中々良い。…とは流石に声に出さないでおく。あのデコピンは中々痛いんだ。
「祭りだよ。約束しただろ」
「でも、私は…こんな姿だし…」
「誰も気にしねぇよ。気にしたって大道芸の一座か何かだって思うさ」
―まぁ、普通、ぎょろぎょろした目玉が沢山ついた鎧の大道芸人なんていないだろうが。
「それにもうほとんど店じまいしてるわよ…」
「やってるところは沢山知ってる」
―何時かお前と遊びに行こうと情報収集は欠かした事はなかったしな。
「…本当に一緒に行って良いの…?」
「当たり前だろ。お前以外と行きたいなんて思ったこと一度もねぇよ」
―それに祭りの日は毎日ここに来てたんだ。ようやく会えたのだし一緒に楽しみたい。
…グレースはそのまま何かを考えるように俯いて…それからおずおずと俺の手を取った。
―まるで昔に戻ったようだ。
そう思いながら俺はしっかりと手を握りしめ、そのまま十代の頃のように山を駆け下りていく。
後ろをちらりと見るとグレースは笑っていた。俺もきっと今笑顔なんだと思う。
「知ってるか?遠い地方のお菓子の屋台とかも沢山入ってるんだぜ。興味あるだろ?」
「勿論、奢りでしょうね?」
「仕方ねぇな。今日だけだぜ!」
そうやって何時ものように笑いながら、からかいながら『大人』の身体をした『子供』二人が駆け下りていく。
きっと今日は最高の日になる。その予感が俺の中にはっきりと芽吹いていた。
〜その後〜
彼は祭りの次の日、警備隊に辞表を出した後、忽然と姿を消した。
一説では前日、一緒に歩いている姿を目撃された女性がデュラハンで、彼はデュラハンに魅入られて攫われたとも言われているが…真相の程は分からない。
最近では魔界のほうでデュラハンの集団に混じって彼に似た存在が良く確認されているがきっと他人の空似という奴だろう。
……ていうか、中隊長。俺、まだ一杯奢ってもらって無いんですが、それまで無事でいてくれますよね。
魔界でも何処でも良いですから無事で居てください。
ハワード・ノリスン中隊長代理の日記より抜粋
追記:
「…ところで私との約束覚えてる?」
「……実はさ。あの時、お前の笑顔に見惚れてて覚えてない」
「………まぁ、良いわ。一応、約束は破られなかったみたいだし」
「何だよ。気になるじゃん」
「貴方が悪いんだからずっとそうやって気にしていなさい」
―幾ら子供の頃の話だからって『何時か迎えに来る時まで私のこと好きでいて』って言ったなんて言えない。
デュラハンだって女の子だもの。やっぱりプロポーズは相手からして欲しいし。
…まぁ、こいつじゃ当分無理かもしれないけれど、気長に待つとしよう。
幸い知り合いに人魚が居る。時間はまだまだ沢山あるはずだ。
「何だよ?何、笑ってるんだ?」
「秘密。自分で考えなさい」
幸せだからなんて言ってあげない。絶対に。
だから…察してよね。
貴方ならそれが出来るって信じてるから。
BAD END
日が半分程、落ちて赤く染まった空の中に俺達はいた。正確には言うならそこはただの街の上にある崖であり、下に目を向ければ火がともし始めた街が目に入るだろう。しかし、当時の俺は本気でそこは空の中なのだと信じていた。
そんな場所で俺の横に座っている少女が一人。
赤い空の中、それにも負けてはいないブルーサファイアのような青い髪をショートにして皮の帽子を被っている。顔も何処か強気な面持ではあるものの、周りにいる少女と比べて掛け値なしに美少女である事は確かだ。実際、俺も最初はこの顔に騙されt…いや、何でもない。
服装は女の子が着るような服装…とは程遠い皮製のキュロットと白いシャツの上に黒いジャケットを羽織っている。まるで貴族の子が乗馬の格好で飛び出してきたような姿だが…俺はこの子の親が何をしているのかはっきりとは知らない。普段の強気な態度から貴族の子でもおかしくないと思ったし、もし、詮索して貴族の子だった場合、今までと同じような態度で遊べる自信が無かったからだ。
ま、それはさておき。
何時もの強気な態度―何かあるたびに「馬鹿!」だの「阿呆!」だの罵られていた。理不尽だ…―とはうってかわって何処か落ち込んでいるその姿に寂しさを覚えると同時に胸の苦しさを覚えた。なんだかんだと言いながら俺は普段の強気な彼女が嫌いではなかったし……もっとはっきり言うと間違いなく彼女が俺の初恋の相手だったからだ。
「私…帰らなきゃいけなくなったの」
その言葉にまるで鈍器で殴られたような衝撃を受けた事を今でもはっきり覚えている。「帰る」それは遊んでいる子供の中では普通の言葉だろう。日が落ちた。親が呼んでいる。御飯が出来た。etc…。しかし、それは俺たちの間では酷く重い言葉だった。―決して聞きたくないと俺が望んでしまうくらい。
「そ、そうか。でも、また来れるんだよな?」
明るく言う俺の言葉にも彼女は悲しそうに首を横に振るだけだった。タイムリミット―そんな単語が思わず俺の頭の中をよぎる。元々、時間制限がついている…そういう関係だったのだ。分かってはいたが、子供の俺にはそれを理解しても納得する事が出来なかった。
「何でだよ!またも来いよ!俺、他にもお前と遊びたい所が沢山―」
「私だってここにずっといたいよ!でも……」
そこで言いよどむ彼女の目に涙が浮かんでいるのにようやく気づき、ガキの俺はやっと事の次第と大きさに気づいた。彼女だって決してこの別れを悲しんでいないわけではない…それどころか俺より悲しんでいるのかもしれないという事に。
どうにかしたくて、彼女の涙を止めたくて何かを言いたかったけれど、俺たちはまだ子供で、世界にはどうにもならない事が沢山ある。それは大人になっても同じ事ではあるけれど、大人は諦める事が出来る。だけど、子供はどうなんだろう?まだ「どうにもならない」と諦める事も出来ず、無力感を受け止める事も出来ず、足掻こうにも何も出来ない。そんな子供の抵抗といえば……これくらいしかない。
「…じゃあ、俺ずっと待ってるよ」
「…え?」
「ここでずっとお前を待ってる。お前以外誰にも言わない。俺とお前だけの場所で、お前を待ってる」
何時か…そう。何時か遠い未来、『大人』の自分に夢を託すしかない。『今』は無理でも、『子供』であれば無理でも、きっと『大人』なら何とかなるはずだ。そんな風に希望を作って、自分を納得させるしか方法は無いんだと俺は思う。
「無理だよ…だって私―」
「無理でも良い。俺が勝手にやるだけだから」
しかし、それしか方法が無かったと思っていても…少し『大人』になった今は思う。―この選択はただの先延ばしでしかなかったんじゃないのかと。
無力感を後々へと分割で―それも諦めない限り永遠に―受け取っていくようなそんな負の遺産じゃないのかと、『大人』になった俺は脳裏をよぎってしまう。『子供』の時の俺のような一途さを失ってしまった、何処か薄汚れた『大人』の俺。その中にあるこの感情はきっと後悔なんだろう。自分でもわかっている。
―だからこそ、こんな夢を見るんだって言う事も。
「…貴方、やっぱり馬鹿でしょ」
「お前、最後までそれかよ」
少し何時もの気丈さを取り戻して、彼女は少し笑った。細い指で目じりの涙を拭い、呆れたような表情を作ろうとしているのが子供の俺にも見て取れる。…しかし、どうにも頬がにやけて上手いこといかないらしい。
「あーあ、貴方みたいな馬鹿。放っておけないじゃないの」
「お前みたいな強気女もな。そのままだと嫁の貰い手がなくなるぞ」
「大丈夫。私、貴方と違って可愛いからきっと引く手あまたよ」
何時ものやり取り。何時もの会話。
でも、確実に『何時もの』ではないと『子供』の俺も分かっていた。きっとこれが最後の会話になると二人が思っているからだろうか。二人とも無理して何時もの会話にしようとしているからだろうか…。
そんなことを考えていると彼女の目じりにまた涙が浮かんできた。―やっぱりお互い無理をして『何時もの』を装おうとしているからだ。そんな風に子供の俺は結論付ける。
必死で涙を拭おうとしているけれど…しかし、次から次へと溢れる涙が止まらない。そんな彼女に何か言いたいけれど、『子供』の俺には何も言えなくて、歯痒さだけが募る。きっと『大人』であれば彼女の涙を一発で止めるような台詞が言えるのに…。そんなことを思っていた記憶が今でもはっきりと残っている。
何も出来ないならば、せめて泣き顔だけは見てやらないでおこうとおもむろに立ち上がって…街で大掛かりな準備をしている事に気づいた。
そういえばもうすぐお祭りだったけ。と子供の俺はようやく考え付く。
山の中腹程度に位置し、山道が交差する場所にあるこの街は交通の要所にあり、多くの交易品が行き交う。自然、商人やキャラバンが多く出入りし、旅人の出入りも比較的多い方だ。故に普段はお祭りなどやらない。それより普通に街を運営した方が収益も安定するし、何より普段から多い街の中にさらに人が増えると警備隊だけではカバーしきれない可能性もある。実際、何年か前には不穏な事件も起こったそうだ。
しかし、合理性だけでは動かないのが人間というものの常であって、お祭りも無いただの街では息が苦しくなってしまう。余裕はあるのだし一年に一度くらいドカンと大きくやってやろう、と言う祭りが後数週間後にまで迫っていた。
少し前までは楽しみにしていたが、最近は彼女の事で頭が一杯でそんな事も忘れていたらしい。
「…そうだ」
「…?」
「あれ見えるか?お祭りの準備」
「うん。見える…けど」
何を言っているんだとそんな目で彼女が俺を見る。きっとまた馬鹿だと罵られると思いながらも子供の俺は、子供ゆえの純粋さで口を開いた。
「何時かお祭りに一緒に行こう。楽しいんだぜ?色々、大道芸人とか来てさ。見たことも無いようなすげぇ技や吟遊詩人が聞いたことも無いような物語を聞かせてくれるんだ」
「でも、私は……」
無理だ、と何度、言われても分からないのだろうかこの子供は。
自分の事ながら少し腹立たしくもなる。毎度、馬鹿だ阿呆だと罵られもしたが、多少『大人』になった今なら分かる。俺は馬鹿だ。それも大馬鹿者だ。何度彼女にこんな悲しそうな声をあげさせれば気が済むんだろう。少しは学習すれば良いんだ。
「何時か…で良いんだ。勝手に待ってる。嫌だったら忘れてくれれば良い」
振り向くのが怖くて、それでも、子供特有の純粋さ―というより多分、このときの俺は何も考えちゃいなかった―と押しの強さ―我侭さとも言う―で強引に纏め上げた。
―今でも思う。このときの約束が無ければもっと俺の人生は別のものになっていたんじゃないかと。
「貴方って馬鹿で阿呆なのは知ってたけれど、その上、強引だったのね」
さっきまでの悲しそうな声とは違い、何処かあきれたような声で彼女はそう言った。
「ばーか。今更気づいたのかよ」
もう涙は止まったようだ、と俺は安心して振り向いて…そこで絶句するような光景を目にすることになる。
毎晩見る夢だ。結末は分かっている。でも、駄目だ。これ以上は見ちゃいけない。
「じゃあ、私とも一つ約束して」
振り向いた先にあったのは、目じりに涙を浮かべながらも今まで見たことも無いような綺麗な笑顔で微笑む彼女の姿だった……。
「はーい。今晩もお勤めご苦労様でーす」
何時もの夢を見て、何時もの時間に起きて、何時ものように天井を見ながら独り言を呟いてみた。
―そうでもしなきゃやってられねぇよ。二十年近く経った今でも毎晩同じ夢を見るなんて思春期の子供じゃねぇんだから。
のそりベッドから身体を起こし、カーテンを開けると日が少し差し込んできている。そろそろ交代の時間だ。早く準備して変わってやらないとハワードの奴にまた一杯奢る羽目になっちまう。
俺はそのまま洗面所へ向かい、顔と歯を洗った後、鏡の前で何時ものように剃刀を手に取った。鏡に映るのは29のおっさんの顔だ。それも子供の頃の夢を棄てきれない、図体だけは『大人』で『子供』の。
「相変わらずひでぇ顔してやがんなおい」
思わずそう自嘲して、剃刀を髭に当てた。
『子供』の頃の俺はもっと希望を持って輝いていた。また会った時彼女をびっくりさせるほどの良い男になろうと遊ぶ時間のほとんどを剣の修練に当てて―ここで学を得ると言う方向に進まなかったのは何故なのか子供の頃の俺に問いたい―、それ以外はずっとあの場所で彼女を待ち続けた。
しかし、十歳のガキが十五になり、街の警備隊に入って一丁前に街の平和を護る一端を担い…さらにそのガキが二十になって、小隊長へと昇進し…さらにさらに二十七で中隊を任せられる程になるにつれて……ガキは世間に塗れ、煤け、疲れていった。
いや、いい加減、目をそむけていた事に目を向けなければいけなくなったと言うべきか。
「おっと」
考え事をしながら剃刀を使うのは止めた方が良いと思いながらも朝のこの時間はどうにも頭が上手く働かない。駄々漏れになる思考をとめることが出来ず、その結果、何時ものように剃刀で顎を切ってしまった。―まったく…俺って奴は何時までも成長しない奴だ。ウィルソンにまたからかわれちまう。
しかし、痛みのお陰で頭が若干すっきりしたのは事実だった。まぁ、結果よければ全てよし、という奴だろう。俺はそのまま手早く髭剃りを済ませ、硬くなったパンを口に詰め込み、咀嚼する間に中隊長に支給される制服を着て…玄関の前に立つ。
「うっし」
何時もの時間。何時もの掛け声。
そのまま両手を両頬に叩きつけて気合を入れる。『子供』で居て良いのはこの部屋の中とあの場所だけだ。ココから先は俺は多くの連中の命と街の平和を護る責任のある『大人』であり、自嘲や甘えは許されない。
そう今一度、心に刻み付けて俺は玄関の扉を開けると……ひらりと、一枚の紙が足元に落ちた。どうやら二つ折りにして玄関の扉の間に挟まれていたらしい。…郵便ポストもあるのに、変な奴だ、と思いながらも、変な魔術がかかっていないかどうかを確認する。警備隊と言うのは尊敬を集めるのと同じくらい人の怒りも買いやすい職業だからだ。この前も別の中隊長が不幸の手紙を貰ったと漏らしていたし、用心に越したことは無い。
しかし、その紙からは特に魔力を感じる事は出来なかった。ただの杞憂だったか、不幸の手紙か…そんなことを思いながら紙を開くとそこにはたった一文だけ。
『本日、祭りの焔が夜を焦がす頃、貴方を頂きに参ります』
「……なんだこりゃ」
てっきり不幸の手紙かと思ったらまさかの誘拐予告とは。
…俺も舐められたもんだよな。こんなものでびびると思われてんのかね。仮にも警備隊の中隊を率いる男がこんなものでびびる訳ないだろうが。
嗚呼…阿呆らしい。余計な時間を喰っちまった。
今日は祭りで忙しいんだ。こんなことに構っている暇は無い。そう思って俺は家の玄関から街の玄関まで走り出したのだった。
やはり祭りの日は忙しい。
そう思うのは普段の何倍もの人数を相手にしているからだろうか。
「あー…すまんがアンタは街の中に入れることが出来ない。迂回するか、明日まで待っていてくれ」
「何でだよ!?特に俺も積み荷も妖しい事はないだろうが!」
「お前さんは知らないだろうがこの街は祭りの日の前だけ厳戒態勢が布かれるんだよ。悪いがこの街に入った記録がない奴を入れるわけにはいかないんだ」
街の門にある警備隊の詰め所の中。机にどかっと座りってペンで書類の一部分を指しながら俺は思わず頭を抱えながらもはっきりとそう言った。
頭を抱えたくなる理由は色々あるが―特に顕著なのがこのやり取りが既に今日だけでも何十度目かになっているからだ。
多くの領地へと繋がる山道の交差点に位置し、流通で潤うこの街が祭りを行う上で打ち出した苦肉の策が「記録のないものを入れるわけにはいかない」というものだ。
実際、これを導入してから祭りの最中に街で起こる騒動の数ががくっと減った。どうやら思ったより旅の恥はかき捨て―東の方のコトワザというものらしい。ウィルソンが詳しいが俺は良く知らない―と考える人間は多かったらしい。まったく……恥を棄てられる側の人間にもなって欲しいもんだ。
まぁ、一見さんやたまたまこの時期にこの街を始めて通ろうとする商人達には悪いような気もするが、街中で起こる騒動に対し、絶対的に警備隊の数が足りていないのもまた事実であり、こればかりは我慢してもらうしかない。警備隊を増やそうにも基本的にこの仕事は志願制だ。それよりも流通や交易で潤う商人になった方が遥かに金儲けが出来るのでこの街ではよっぽどの馬鹿か腕自慢くらいしか警備隊に入ろうなんて奴は居ない。
―俺はまぁ、前者だった訳だが。
それはさておき。最初は悪いという気もするので丁寧に対応をしていたがさすがにこう何十分もごねられるといい加減、限界になってくる。この時期、商人だけでなくお祭り狙いで訪れる旅人も多いのだ。一人に何十分もかけていると普通に入れる連中でさえ入れなくなってしまう。
「こう言いたくは無いがな。商人にとって情報は命なんだろ?それをお前、自分が情報を集めていなかったからってこっちに八つ当たりされてもな」
「ぐっ……」
目の前の商人は若い。恐らく商人として独立して間もないくらいだろう。歳は19かそこら。まだまだ顔には張りがあり精力的な頃だ。―今の俺とはまったく違う。
だが、若いからこそ経験不足があったのだろう。もしくは慣れだした頃か。それでもセオリーである旅先の情報収集を怠るなんて普通では考えられないが。
「で、でも、俺は今日この町を通らないと納期に間に合わないんだ」
「だから、情に訴えようってか?おいおい。子供じゃないんだから自分の約束には責任を持つべきだろ」
―少なくとも俺はそうして生きてきた。それだけが俺の中の誇りですらある。
それに商人として納期ぎりぎりに納品するなんてのはあってはいけないことだろう。納期なんてものはトラブルに巻き込まれても挽回できるだけの余裕を持っておくべきだ。大方、高い報酬に目がくらんでその依頼に飛びついたのだろう。何故、その報酬が高いのかろくに調べもせずに。
「まぁまぁ、中隊長。そんなに強く言わなくても」
「ハワード……」
それを紛糾してやろうと口を開こうとした所に、後ろからかけられた聞き覚えのある声に俺は振り向いてその名を呼んだ。
声をかけた男はひょろりとした痩せ型で身長が高く、特徴のある狐のような面長の顔で目が糸の様に細い。何時も笑っているような顔をしているが、その奥では様々な謀略、策謀が渦巻いているのを俺は身を持って知っている。こいつのアイデアに助けられた事は一度や二度じゃないからだ。そして尚、その剣の腕は決して俺に勝るとも劣らない。
―それは俺の率いる中隊の中に組み込まれている小隊の小隊長であり、俺の飲み仲間のハワード・ノリスンだった。
そのまま俺の横まで歩いてくるハワードに非難めいた目線を向けるが、ハワードは何処吹く風と言うかのようにまるで意に介していない。
「中隊長。交代のお時間です」
「しかし…」
確かに交代の時間はそろそろではあった。だが、まだ周りで机に座って必死になって客を捌いている警備隊の皆にはまだまだ交代の気配は無い。実際、備え付けの時計に眼をくべるとまだもう少し時間はある。朝早くから必死に入街審査で事務仕事をやっている身としては正直、飛びつきたいほどの申し出だが、人の上に立つ者として一番最初に責務を離れるという事はあってはならないと思わないでもない。そんな意地が俺を留まらせた。
―しかしながら……それ以上にハワードの目は有無を言わさない光を帯びている。
直感でこいつは少し怒って居るのを察した。その怒りが俺に向いているのか、だだをこね続けている青年に向いているのか、それとも祭りの途中まで机から離れられない今日のシフトに向いているのか…それまでは分からなかったが。
こいつは普段溜め込むタイプの癖に裏でいろいろやっているタイプなので、飲み仲間と言えどもこの状態のハワードを刺激するのは得策ではない。
無いんだが……しかし、俺にも意地があった。
別に尊敬を集める良い上司になりたい訳ではないが、軽蔑される上司にはなりたくはない。誰だってそうだろう。
「…ああ、分かった」
そのままハワードと少しの間、見詰め合っての硬直状態の末……結局、俺が選んだのは打算だった。
少なくともハワードの方が俺より口が巧いのは確かだ。さらに付け加えるなら俺はこういう事務仕事は苦手で、本音を言うならばまったく進展しない仕事に逃げ出したかった。
しかし、それをやってしまうのは上司として最低の行為であり…そして俺は今、打算的な感情でその行為を行った訳だ。
「すまん。また一杯奢るよ」
「えぇ。そうしてください」
少しばかり笑ったような気がするハワードにその場を任せて、俺は詰め所の外への扉を開き…そのままため息を吐いた。
―何をやっているんだろうな俺は。
自分でも気が立っていると思う。毎年、祭りのある日はこうだ。どこか苛立ち、焦り、マトモに仕事が手につかない。無論、普段はそんなことはなく、あんな若造、煙に巻いて言い負かす事だって出来たはずだ。
しかし、祭りの日だけはそれが出来ない。…理由は自分でも分かっている。その解決法も既に自分の中で答えが出ている。なのに、実行する事が出来ない。
そうして迷っている間にも部下に迷惑をかけているのも理解はしているつもりだ。しかし……。
「二十年もずっと持ってたものをそうそう棄てられる訳ないよなぁ…」
自分で勝手に彼女と結んだあの約束。
もし、諦めた後、彼女がこちらに来れたら…。そう思うと捨てる事が出来ないままだ。そのまま長い年月が過ぎ…棄てようと思っても捨てられないようになって、『大人』でも、『子供』でもない存在のまま日々を何時もどおり生きている。
「…そろそろ潮時かね」
―しかし、いい加減、そんな自分と決別しなきゃいけない。そんな時がきているのかもしれない。
別に今日だけの話じゃなく、最近、良くそう思う。俺ももう29で、若くない。警備隊の仕事にいまだ支障は無いけれど、色々一人でやるにも限界が来た頃だ。それに兄貴がいるからそこまで深刻に考えなかったがパン屋をやってる両親にも最近良く嫁さんはまだかとせっつかれるようになった。考えてみれば両親はもう年齢的に何時死んでもおかしく無い位だ。せめてその前に安心させてもやりたい。
―なんだ。良い事ずくめじゃないか。
嫁さんがすぐに出来るわけじゃないだろうが、少なくとも今、あの場所にいる時間を他に使えば嫁さんを捕まえるのも決して出来なくは無いはずだ。幸い顔は悪くない……ハズだし。
そこまで思考が進んでも俺の脚はまっすぐと例の場所へと向かっていた。
分かっているはずなのに。駄目だと理解しているはずなのに。
毎晩夢で見るあの最後の笑顔が俺をあの場所へと駆り立てていく。あのどうしようもないくらい綺麗で好きだ好きだと思っていた俺ですら一発で完璧に、これ以上無いくらい、ノックアウトするくらいのあの笑顔をもう一度見たくて、今日もありもしない希望にすがって二人だけの秘密基地へと向かっていく。
『子供』の頃は上れなかった斜面を登り、『子供』の頃は迂回しなきゃいけなかった川に自分で掛けた橋を渡り……『子供』の頃目印にしていた大木を右に曲がって……。
―そうして着いた秘密基地にはやっぱり誰もいなかった。
「うん。分かってたんだぜ。分かってた。うん。だから大丈夫」
何となく自分にそう言い聞かせて俺は『大人』になってから持ち込んだ安楽椅子に身体を預ける。昔は木が変形して椅子の様になっていた場所に二人で仲良く腰掛けていたが『大人』になった今ではそこに座ろうとすれば身体を押し込めるしかない。二人で座った思い出の木を壊したくないので、そこに座ることを止めたのは丁度、警備隊に入った頃だったか。初任給でまずこの安楽椅子を買ってえいこらとここまで運んできたのを覚えている。少し奮発したお陰かそれとも毎日やっている手入れが良いのか長い年月が経っても今だ安楽椅子が壊れる気配は無い。俺の数少ない自慢の一つだ。…とは言え、誰にも言えない自慢なんだが。
ふと空を見上げると既に日が落ちかけて赤く染まっていた。それに合わせて眼下の街では火が灯され始め、陽気な雰囲気が見て取れた。どうやら祭りが本格的に始まったらしい。
街の中では異国からやってきたらしいアラクネ種が自ら織った珍しい製品を見せて客引きしている。様々な国から様々な商品を集めるこの街で、商品を検閲する仕事もある警備隊をやっているが…彼女が手に持っているのは俺でさえ見たことが無いような色遣いをしていた。アラクネ種が織った織物と言うだけでもその価値は警備隊の安月給じゃ手が出ない程になるだろうに、それに加え異国の意匠とあれば高い値段を出しても手に入れたがる好事家は星の数ほどいるだろう。実際、多くの商人が彼女の前で足を止め、値段の交渉を始めている。しかし、どうやら上手くはいっていないらしい。彼女は頑として首を縦に振る様子はなかった。多くの商人が諦め、肩を落として去っていく中、若い青年が熱心に値段の交渉をしている。……そしてその青年を見る異国のアラクネ種の目は何処か異質だった。…とりあえずあの青年が明日の朝を無事に迎えられる事を祈ろう。
ミミック種の少女がその能力を使って当て物屋をしている…。どうやら宝箱を開けたときに彼女らが居れば当たりらしい。丁度、当たったらしい青年が喜んで彼女のキスを頬に受けていた。…何が商品かは何となく察しがつくが……とりあえずおめでとう、とだけ言っておく事にしておこう。それがご愁傷様、になるかは彼次第だが。
ワーラビットの少女が忙しそうに祭りを楽しむ人々の間を駆け抜ける。その両手には多くの荷物を持ち好奇心に溢れた眼で周囲を見渡し、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。…しかしながらそんなことをしていると……あぁ、やっぱりぶつかって転んだ。
どうやらぶつかった相手は若い男−それも少年と言えるくらいの年齢のようでしきりに彼女に謝り、彼女を心配している。その様に心打たれたのかワーラビットの少女は顔を赤くし、もじもじとその身体をくねらせている。…どうやらスイッチが入ってしまったようだ。そのまま少年の手を引いてどこかへと連れ去っていく。…まぁ、いきなり押し倒さなかったのは流石、街に慣れた魔物と言うべきか。さすがに街中でいきなり始められてしまうと警備隊も捕まえなければいけない。
それ以外にも様々な魔物達が行きかい、客を引き…人々と会話し、また笑っている。無論、この街は人間の街だ。それもそれなりに大きな街で、今も尚、発展を続けている。それでもこの街がこれだけ多くの魔物を内包するのはこの辺りを収めている領主が表立ってはいないもののかなりの共存派だからだろう。この街も来るものは(騒ぎの類を持ち込まないのであれば)拒まない。というスタンスであり、魔物と一緒になり、追放された人々も多く暮らしている。
そんな街の中で生まれ、今までずっと暮らしている俺も無論、共存派である。話し合って敵対せずにいられるのであればそれで良い。誰だって戦乱の世の中よりは平和な世の中のほうが良いだろう。特に警備隊に入ってからは特にそう思う。
…しかしながら殲滅派のいう事も分からないでも無いのも事実だ。
魔物と一緒になった男は大抵、人間の女性に目もくれないと聞く。あれだけの美貌だ。分からないでも無い。さらに魔物との間に生まれる子供は魔物しか生まれないという話も聞く。もしそうであるならば、それは武器を持たない侵略戦争だ。
例えそうでなくとも人間との敵対を望んでいない現在の魔王の治世が永遠に続くとは思えない。やはり魔王だって代代わりはあるのだろうし、例えなくとも今の魔王がずっと人間との敵対を望まないとも限らない。その時、施政の中枢にまで魔物が入り込んでいる現在の状況では疑心が疑心を呼び、今まで数や結束で何とか魔物と対抗してきた人類はなすすべも無くひねり潰されてしまうだろう。
―でも、それは何の努力もしなければ…の話だ。
人間と魔物が少しずつ友好的な関係を築くに当たって人間の技術も大きく進歩した。鉄を打つ製法から始まり、糸を紡ぐ技術、剣を扱う剣術―そして何より顕著なのが魔術だ。
現在の人間の魔術は少し前とは比べ物にならないくらい発達している。例え今は魔物との間に生まれる子供が魔物しか生まれなくともこのまま進歩を続ければ人間の子供を作ることが可能になるかもしれない。疑心もそうだ。お互いがお互いの種族を尊重し、理解しあえば決して難しい問題ではない―そう思うのは楽観的だろうか。
「少なくとも殲滅派みたいな悲観的になるよりゃマシだわな」
眼下に広がる街を見てそう思う。
今こうやって多くの種族が手をとって共存できるのだ。異なる種族であっても、同じ種族のように感じ、笑い、悲しみ、同じように街で暮らし、祭りを楽しんだり出来る。
それでいいじゃないか。それ以上、何を望むって言うんだ。
―…望むんだろうな。やっぱり。
最近、殲滅派と共存派の軋轢が酷くなっていると旅人からよく聞く。別の地方では既に戦争紛いの事にまで発展しているそうだ。幸い、この近くではそこまでにはなっていないものの殲滅派との境界では既に小競り合いが起きていると聞く。
それはまだ遠い、話で聞くだけの、決して実感を伴ったものではない。しかし、きっとこの街も無関係ではいられない。交通の要所にあるここを抑える事は戦略的にも経済的にも大きなアドバンテージになる。その事は街の権力者達も分かっているのだろう。最近は頻繁に防壁が強化され、入る旅人のチェックも厳しくするようお達しが来た。武器も揃い始めているし、長く篭城するための食料もここを根城にする商人たちの協力により確保済みだ。そうそう落とされない準備は整っている。…だけど、もし、この街が殲滅派の手に渡れば…現在この街に住む魔物やその家族は皆殺しにされてしまうだろう。
―それだけは防がなきゃいけない。
別の種族だからとかじゃなくて、同じ種族だからとかじゃなくて。
まるで吟遊詩人が語る過去の魔王の諸行のようなその行いを一人の人間として許すわけにはいかない。
「ま、俺のようなおっさんが出来る事なんてたかが知れてるけどさ」
そう自嘲して空を見上げると既に日は完全に落ちており小さく瞬く星が目に入った。
しかし、祭りなんてものは日が落ちてからが本番。耳を澄ますとここからでも軽快な民族楽器の音色が―
かさっ
「っ!」
小さく、しかし、間違いなく鳴った草が擦れるような音。耳を澄ましていなければきっと聞こえないほど小さなかったが、再び耳を澄ますとまたも音が聞こえてくる。―どうやら俺の気のせいじゃないらしい。
一瞬、彼女か、とも思ったけれど彼女であれば気配や音を殺して近づいてくるハズがない。思いつくのは俺がここにいる事を知っている相手で、俺に気づかれては困るような、尚且つ偶然耳を澄ましていなければ気配すら感じられないようなそんな実力を持つ相手だが…そんな都合の良い相手、そうそう居る訳が…。
―そこまで考えて何故か今朝、玄関に挟まれていた二つ折りの紙の事を思い出した。
おいおいおいおいおいおい!アレ、冗談の類じゃなかったのかよ!洒落になんねぇぞ!?つか、冴えない29の中隊長誘拐したってメリットなんて一つも―ってちょっと待て。
確か文面は『本日、祭りの焔が夜を焦がす頃、貴方を頂きに参ります』じゃなかったか。それを俺は誘拐予告と勘違いしてたがもしかしてアレは『(命を)頂きに参ります』だったりしたら―!
―やべぇ…。ちょっとこれはマジやばいかもしれねぇ。
柄にも無く冷や汗が背中を流れていくのをはっきりと感じる。久し振りに感じる死の予感に身体の中から冷えて腹の中で何か嫌なものが煮え立つのが分かった。
並みの相手であればそうそう負けるつもりは無い。今まで馬鹿のように剣を振るい続けてきたし、それに伴って実力をつけてきたつもりだ。最近は衰えを感じる事も少なくなくなってきたが、まだまだ警備隊の中でも俺に勝てる奴はそうそういない。
しかし、相手は恐らく自分とはそもそもの格が違う相手であり、さらに言うならばここは街を一望できる崖の手前だ。後ろにさがれず逃げ場は一切無い。
前に進もうにも既に音は近くまで迫っていた。俺はとりあえず恐怖に固まりそうになる身体を落ち着けて何時でも剣を抜けるように柄へと右手を当てる。
「……そこにいるのは誰だ?」
―問うたその言葉に隠れても無駄と悟ったのか。ゆっくりと草陰から表れた相手は勿論…俺が恋焦がれた彼女ではなかった。
まず目に付いたのは紫を基調とした鎧。しかし、ただの鎧ではない。鉱物よりも生物を連想させるようなそのフォルムもさることながら一番異質なのは所々に意匠のように配置されている目玉だ。―意匠でないのは辺りを警戒するようにぎょろぎょろと動き続けてる目玉を見ればすぐに分かったが。
顔も身体と同じように完全に紫の兜に覆われて顔どころか今、笑っているのか無表情でいるのかもわからない。
女であるのは鎧の上からでもはっきり分かる豊満な胸元や「お前、太もも護る気無いだろ」と思わず突っ込みたくなる腰元を見ればすぐに分かるが。…いや、決していやらしい意味じゃなくてだな。見えるものは見えるんだからしょうがないだろ?
「……誰だ。と問いたか」
「ああ。後、ついでに何でここに来たのか教えてくれると有り難いんだがな」
「……前者の問いには答えることは出来んが後者の問いには答えてやろう。今朝方、手紙が玄関に挟まっていただろう。…それは私の書いたものだ」
「そうかい。そりゃ残念だ」
思わずため息をつきそうになって…何とかそれだけは自重した。
少なくともこれでまだ敵意を持って近づいてきているわけじゃないかもしれない。という俺の中の幻想は見事に打ち砕かれたわけだ。あの手紙をどう解釈したって好意的なモンじゃないだろうし。
―あぁ……どうやら今日は朝の髭剃りから始まってケチのつきっぱなしだ。幾らなんでも厄日過ぎるだろ、おい。
「残念……。そうか…残念か……」
俺の返答に何故か女は微妙に落ち込んでいるように見えた。さっきより声のトーンと肩を落としているように感じるんだが…。
…あれ?何かすげぇ誤解がないか?
俺はお前のような実力者と敵対するのが残念だ、って意味で使ったんだが…。
何とかその辺りの事伝えようと俺が口を開こうとした瞬間、女はきっと―相変わらず顔は見えないが本当にそんな感じだった―こっちを睨んでくる。
どうやら俺は知らないうちに逆鱗に触れていたらしい……。
「しかし、私も諦めるわけにはいかない。…前者の問いには答えることが出来ないと言ったが…答えてやっても良い」
「ほ、本当か?」
「だが……私を倒す事が出来たら、だ」
そう言って背中の闇色のマントに手を伸ばす女。何をするつもりなのかと俺が無用心にも見守っているとマントと同じ闇色に染まった両刃の長剣を取り出した。長さ自体はそれほどでもないが厚みと幅が恐ろしい。金色の柄には悪魔を思わせる意匠が施されており間違いなく銘の入った一品だろう。あんなもので叩きつけられれば俺の持つ大量生産一般支給用の長剣なんてすぐに真っ二つだ。
「…ていうか、ちょっと待て。なんだその、とんでもマント!?」
「私のところの正式採用装備だ。安心しろ。戦いでは使わん。そんな必要もなさそうだしな」
思い切り見下して「ふん」と言いたそうに女はこちらを見てくる。
―おのれ。俺を馬鹿にして良いのは彼女だけなのに、こんな奴に馬鹿にされるとは……!
…いや、それもどうなんだよ。俺。
そうやって自問している間に女は感触を確かめるように一、二度剣を振るった。女の剣はこちらにはまだまだ届かない距離にあるはずだがその切っ先から生み出される風のうねりは間違いなくここまで届いている。
―いや、これは無理だろ俺。
今まで何度か死ぬと思った事はあった。小隊で盗賊に囲まれ残り俺一人になった時。逃げる際に足を折ってしまい、人の通らない山奥で身動きが取れなくなった時。動けないので何とか這ってキノコを食べたらそれが毒キノコだった時。その状態で狼に囲まれた時。
しかし、どんな時だって今日ほど明確に死を身近に感じる事は無かった。
―やばい…っマジで洒落にならん…!
「覚悟は出来たか?答えは聞いていないが」
その一言と同時に大上段から振り下ろされる長剣の一撃を俺は横っ飛びで何とか交わすことが出来た。……と言えれば聞こえが良いが実際は無様に転げまわっただけだ。しかも、若干手加減された状態で。
「ばっ!まだこっちの準備がっ」
「馬鹿か。戦いに始めの合図は無い」
―あ、何か今ちょっと懐かしい気がした。
って懐かしんでる場合じゃねぇ!今度は横一文字!なぎ払われた女の長剣が俺の髪から何本かもぎ取っていく―あぁぁぁ!もう俺の歳は髪の毛の成長が十代に比べて遅くなってるっていうのに!!!
しかし、抗議の声を上げようにも今度は斜めから振り下ろされる袈裟切りが……
そのままどれくらいの時間が経っただろう。
俺はまだ奇跡的に生きている事が出来た。…というよりは生かされていたというほうが正しいか。
俺が避ける事の出来るぎりぎりの速度で振るわれる続ける長剣から何度も逃げる事が出来るのを運や奇跡だけで説明するほど俺は楽観的じゃない。
―何のつもりだ……?
殺すつもりであれば最初の一撃で終わっていた。それどころか今までだって数え切れないほどのチャンスはあったはず。なのにこうして悪戯に体力を削るような真似をして何がしたいのだろう。
それとも…いたぶってから殺さなければ気がすまないほど俺は逆鱗に触れたという事か。それはそれで申し訳ない気もしたが謝ろうにも既に声は枯れはて息を整えるのに精一杯になっている。生きるか死ぬかの瀬戸際で集中力を持続させるというのは気力と共に体力も大きく奪うからだ。
…しかしながら早すぎる。幾らなんでも、もう少し体力は持ったはずだ。
しかし、一太刀、また一太刀と避ける間にイメージとの誤差がどんどん広がっていく。
―精神的には疲れていてもまだまだ十代と同じくらい体力はあるつもりだったんだがな
どうやら俺は自分でも思っていた以上にロートルであったらしい。これが無事に終わったら現場ばかりじゃなく事務仕事も出来るようになろう。無論、この場を何とか切り抜ける事が出来たら、の話だが。
そんな事を思っているとやはり注意も散漫になったのか木の根に引っかかって倒れてしまった。
―ああ、もう限界だな。
すぐさま立ち上がって構えようにも足はがくがくと痙攣するだけで、命乞いしようにも肺は全力で空気を求めていた。指一本、剣一本抜けないままこのまま殺されるのか…。
心残りはやはり彼女の事だ。会えないままここで殺されるのであれば自分から彼女を探しに行けばよかった…。約束なんかに拘らず、何処へなりとも行ってしまえばよかった…。そうすれば万分の一の確率くらいは望みがあったかもしれないのに…。
後はハワードにも一杯奢る約束があったな。すまん。ハワード。あの世で会えたら奢ってやるよ。
「…まったく手間かけさせて」
倒れて動けない俺を見下して女は呆れたようにそう言った。そのまま持っていた長剣をマントの中に戻し、こちらへと向きなおる。
「………そんなに抵抗する位嫌か…」
…そんなに悲しそうに呟くなよ。つーか、誰だって殺されるのは嫌だろ。
殺されるのが好きな変態なんてさすがの俺でも見たことねぇよ。
口に出す気力も体力もなくて言えないけどさ。
「……約束した……のに」
え……?
いや、ちょっと待って。俺、超初対面なんだけど。
…ていうか、アレか。もしかして別の男と勘違いしてませんか?貴女。
「ここでずっと待ってるって言ってくれたから私、頑張って帰ってきたのに!」
ちょ…!まっ…えぇ!?
「そもそもなんで気づかないのよ!馬鹿!」
その声と同時に投げ捨てられた兜の向こうは俺がずっと夢の中で見てきた少女ではなかった。
しかし、その顔は彼女がそのまま成長したらこうなるだろうと俺が心の中で描いていた姿そのもので。その顔が今、かつての別れの時と同じく涙を大きく目じりにためてこっちを睨んでいる。
「気づくわけねぇだろうが阿呆!!!!」
色々と言いたい事はあったが、とりあえず気力とか体力とかそういうものを超越した俺は腹の底からそれだけを振り絞って気絶したのだった……。
―目が覚めると目の前に夢の中の彼女―グレースがいた。
「気がついた…?」
脱ぎ捨てた鎧を傍らに上から心配そうにグレースが見下ろしてくる。兜の中に詰め込んでいたのだろう。その特徴のある美しい髪が俺の視界の中でゆらゆらと揺れていた。その長さは記憶の中にあるものよりもさらに長い。どうやら今はロングにしているようだ。ショートも可愛かったがロングはロングで女性らしさが際立っていて良い。
先ほどの鎧姿とは違い、今のグレースは白シャツとスカートだけを着ているだけだった。しかし、シャツはどうやらサイズが微妙に合っていないようで胸元にちらちら目が言ってしまう。多分、鎧を上から着ること前提の格好なのだろうが、官能的にも程がある。少なくとも30前の男には眼の毒だ。
それにしても…お互い長い年月の間に成長したとは言え、珍しいものを見たものだ。グレースがこんな風な顔をしたのは滅多に見たことがなかった。
…ていうか、さっきから思っていたが、このアングル…そして頭の柔らかいもの…もしかして膝枕って奴なのか!?
ぐ、グレースがそんなことしてくれるなんて…ていうか、あれだけ恐ろしい踏み込みやら恐ろしい脚力してるのにこれだけふともも柔らかいってどういうことなんだよ…。反則だろ。つか、幸せだろ俺今、すごく。これだけで今日の色々な厄とか帳消しにしても良いくらい。
「……ああ」
「あ、あれくらいで倒れるなんて鍛え方柔なんじゃないの!?」
「…かもなぁ」
グレースの一言で幸せに浸っている気分が全部吹っ飛んだ。
実際、今日一日で自分の非力さを痛感した気がする。
子供っぽさでハワードに迷惑をかけ勝手に傷つき、そして惚れた女と戦って完膚無きまでに負ける。
今まで生きてきた人生の中でこれほど自分の無力さを思い知らされたのはあの時、グレースと別れた時くらいだ。
―…なさけねぇ。
次にあったときにびっくりさせてやろうと自分なりに鍛え続けてきたつもりだったが、実のところ惚れた女を護るどころか手加減されてその上で手も足も出ないと来たものだ。これでも警備隊の中ではそれなりの実力者であったつもりだが、それすら今は疑わしい。皆、俺が弱すぎて手加減してくれていたんじゃなかろうか…。
そんな事を考えているとグレースがどうにも気まずそうにしていた。グレースはグレースなりに今のは言い過ぎたと思っているんだろう。俺としては言われて当然なので特に何とも思って無いんだが……。
でも…昔もそうだった。やりすぎたと思っても中々、グレースは謝れない。だから、喧嘩をしても謝るのは何時も俺のほうからで、それで遅れてようやくグレースが謝る。そんな関係を一年近く続けていたんだ。
―変わったと思ったがお前もなんだかんだと変わって無いんだな。
二十年近くたって尚、まだ俺とグレースの間に繋がりがある気がして少しだけ嬉しかった。
「…その、悪い」
「な、何をよ?」
「気づかなくて、ごめん」
「………」
「後、誤解しててごめん」
「…良いわよ別に」
「そっか。…なら良かった」
それきり俺も黙ってしまう。グレース相手にあまりしつこく言うと怒られたり結局素直になる機会を失わせてしまうのは子供時代に何度も経験済みだ。後はグレースが自然と謝ってくるまでゆっくり待てば良い。それが子供時代の俺が学んだ対グレース用の処世術だった。
「……私も……その」
そこまで言ってもじもじと赤い顔の前で手を組んだり閉じたりして止まってしまう。
グレースと付き合っていれば何時もの事だ。…そうは思っていても大人のグレースはまた新鮮だった。生意気だった子供の頃は何処か微笑ましい気持ちだったものの、何処か女性としての柔らかさや気品を持った今のグレース相手にはそんな優しいものじゃない。好きだ、とか愛しいだとか、そんな強い感情が溢れかえってくる。
「…ああっ!もう!」
じれったくなったのかグレースが真っ赤な顔で睨むようにしてこっちを見てくる。それもまた『子供』の頃の日常と化したものだ。『子供』の頃であれば真っ赤な顔をしながら怒鳴るように謝ってくる―いや、謝ったとは世間様一般では言わないかもしれないがグレースはグレースなりに頑張ったんだ。察してあげて欲しい―。しかし、『大人』のグレースがその次に言った言葉は『子供』の頃の日常からは程遠いものだった。
「これから凄いものを見せるけれど…驚くな、とは言わないわ。でも、逃げないで。一応、これでも貴方の事…その……信用……してるんだから」
『信用』
少なくとも昔のグレースには程遠い言葉だ。『信用している』なんて言う位なら子供の頃のグレースは容赦なく俺を詰っていただろう。…というか、実際そうだったし。
だからこそ今のグレースの言葉が俺には信じられなかった。…いや、信じられなかったというのは正しい表現じゃないな。理解できなかった。本当にグレースが、あの夢の中の彼女が俺を信用していると言うなんて思ってもみなかったから。
「…ちょっと聞いてるの」
あまりに理解できない言葉を聴いてどうやら一瞬思考の中に逃げ込んでしまったようだ。グレースが何処か不満げにこちらを見下ろしてくる。
「あ、あぁ、すまん。聞いてる。大丈夫。『約束』しよう。俺は逃げない」
「もう……ホント、馬鹿ね、貴方」
約束という言葉にグレースは何処か顔を赤くして呆れたようにそう言った。昔と同じ照れくさい時の仕草だ。今のグレースの中にも昔の面影を見つけてしまう。
―どうやら俺はよっぽどのグレース馬鹿だったらしい。
自覚していなかったそれを久し振りの再会でまざまざと見せ付けられて、さすがに何処か気恥ずかしくなった俺は昔のように軽いやり取りにしたくて口を開く。
「二十年もここで待ち続けたんだ。約束の一つや二つお手の物さ」
「……そうね。そうよね……」
何処か悲しそうな顔をしてグレースは目を伏せた…。
―ていうか、馬鹿か俺は!もしくは大馬鹿か!?こんな言い方したらグレースが気に病むの分かってる話だろうが!空気が読めないってレベルじゃねぇぞ!
いや、自分を責める前にまずフォローだ。汚名は挽回せねばなるまい。
…あれ?逆だったっけか?いや、まぁ、どっちでもいい!
「で、でもな!俺が勝手に待ち続けただけで…」
「良いの。…貴方が責めるつもりで言った訳じゃないってのは分かってるから」
「グレース……」
「…昔から筋金入りの馬鹿だものね。貴方」
「…おい」
ちょっと良い話だと思った俺が馬鹿みたいじゃないか…。いや、グレースの言葉を借りれば間違いなく馬鹿なのか。
「でも…分かってても私は素直になれない。だからこそ…貴方に見てて欲しいの」
その顔は覚悟に満ちていたけれど…さっきまでの何処か悲痛なものとは違っていた。少なくとも俺が馬鹿やった事は無駄ではなかったらしい。
ならば俺も彼女の覚悟に応えなければいけない。例え彼女が偽者であっても決して逃げない。そんな覚悟で彼女を見上げる。
―そして彼女は自分の頭に手を当てて………そのままそれを上に上げた。
……は?
え?いや、ちょ…何だそれ。
もしかして『それだけ』なのか?
「これが本当の私の姿なの…。人じゃない存在―魔物なの」
悲しそうに目を伏せて―無論、身体とは完全に乖離し、今は両手で抱えられている彼女の顔がだ―そうぽつりとグレースは言った。
…いや、なんていうかな。その…上手く言葉が出ない。
「………」
「呆れてモノも言えない…?そうよね…。ずっと騙し続けて貴方の二十年を奪ってしまったんだから。ごめんなさい……。謝っても取り返しはつかないけれど…本当にごめんなさい……」
「……なぁ、グレース。お前、馬鹿か?それとも阿呆だったのか?」
「…そうかもしれな―」 「人じゃないなんて昔っから分かってたよ。グレース」
「え……?」
―まったく…もしかしてずっとこれを思い悩んできたのだろうか。
だとしたら大間抜けだ。グレースじゃなく、俺が。はっきりとグレースに伝えなかったから彼女をここまで思い悩ませてしまった。
「何処の世界に黒炎纏った黒馬に乗った人間の子供が居やがる」
「うっ…いや、でも、お金持ちの子供とかなら…」
「何処の世界に素手で狼追い払う子供が居やがる」
「もしかしたら月を見たら変身する異星人の子供だったかもしれないじゃない!」
「寧ろそっちの方が驚きだよ俺は」
「うー」
「つか、お前、一番最初の口調なんなんだよ。びっくりしたじゃないか」
「アレはその…私たちは騎士団の誇りであり象徴だから何時もの口調じゃ駄目だって先輩から叩き込まれて…」
何時もとは若干違うやり取り。馬鹿だとか阿呆だとか罵られるわけでもなく、何処か素直なグレースとのやり取り。新鮮なそれらは俺の中にストンと落ち、あっという間に着床する。
こういう時、幼馴染というのは本当に便利だ。昔を知っているだけにお互いに一番良い距離が手探りながらもすぐ理解できる。それは今の素直なグレースも同じなんだろう。何時もと違うやり取りながらも、先ほどまでの覚悟の色は消え、楽しんでいる事がその表情からは窺い知れた。
「ま…デュラハンだったのは驚いたけどな」
―デュラハン
高位の魔物にして強大な戦闘種族を誇るエリート種族だ。
高い忠誠心と優れた武術で魔王の誇る騎士団を支える精鋭達である。
首を片手で持ち戦場を駆けるその姿からは首なし騎士とも呼ばれ、人間に恐れられてきた。
…と、ここまでは現在の魔王になるまでのお話である。
デュラハンはその性質上、魔界からは中々出てこないため、夢魔化した今ではどんな性質を持っているのか不明だとされてきたが、グレースの様子を見るにさほど変わっていないらしい。
さすがはデュラハン。高位の魔物になれば魔王の魔力に逆らう事も可能なようだ。
「……怖がらないの…?」
「ん?」
「…だって私…首が取れちゃう化け物なんだよ…?」
「…寧ろ逆だろ。俺なんか首が取れない化け物なんだぜ?」
「え…?」
この街で暮らしてきて最近良くそう思う。
魔物と人間の違いは多くある。それこそ一つ一つあげていけばキリが無いくらいだ。それは人間から側見れば異質な事もあるし、魔物側から見て異質な事もある。
人間の価値観は絶対ではない。少なくとも正義や免罪符の類として掲げて良いような絶対普遍のものではないはずだ。それを殲滅派の連中は勘違いしていると俺は思う。
人間が気持ち悪い、と思う逆の事を魔物だって気持ち悪いと思っているかもしれない。それはすごく当然で普通の流れだ。そして双方にそれがある以上、片方だけが歩み寄っても意味が無い。しかし、双方が歩み寄れば決してその溝を埋める事は不可能ではないはずだ。
「…怖いと思うか?俺のこと」
「…そんな事ある訳ないじゃない……」
「だろ?俺も同じだよ」
そう笑って、くしゃっと両手で抱えられているグレースの髪を撫でた。
最初は驚いた顔をしていたグレースも何度か撫でると嬉しそうに目を細める。
―昔からグレースはこうされるのが好きだったな。昔であれば髪が崩れるからやめなさい馬鹿、と言いながらも嬉しそうにしていたが…今のグレースはどうやらそんな憎まれ口を叩いたりはしないらしい。
その素直な姿と昔のグレースとのギャップがまたも俺の胸を叩く。具体的に言うと心臓が高鳴るくらい強く。くそ…つか、反則だぞこんなに可愛くなってるなんてさ。
―彼氏とか居るんだろうなぁ……寧ろ、いなきゃおかしい。これだけの美女ほっとく方がどうかしてる。
そう考えて、涙が浮かびそうになるのを何とかこらえた。
―馬鹿か俺。いや、馬鹿だな俺。会えただけで満足してりゃ良いんだよ。
俺にもう『子供』の頃のような無邪気さはない。今更、素直に『ずっと好きだった』なんて言うには中途半端な『大人』になってから身に着けた意地やプライドが邪魔をする。
かと言ってグレースを諦められるかといわれれば…勿論、無理だ。二十年経ち何度も諦めようと思ったことがある。無駄だとそう思ったことは数え切れない。しかし、今こうやってグレースと会うことが出来て少なくともその二十年は無駄ではなかったのだとそう思えることが出来る。
結局、先に進む事も戻る事も出来ない。そんな袋小路の中に俺は居た。
―どうすっかね、マジで。袋小路もそうだが、これからをよ。
このまま撫でているのも良いがさすがにそれはグレースも退屈だろう―そこまで考えて二十年前にしたもう一つの約束を思い出した。
デュラハンといえば魔王の騎士団の精鋭であり、エリートだ。勿論、その仕事は過密で窮屈だろう。次に何時来れるようになるかは分からない。むしろ次は来れるかどうかすら分からない。なら、丁度、今日は祭りなのだし、一緒に行っても良いかもしれない。
―うん。我ながら名案だ。たまには冴えてるじゃないか俺。
「なぁ、グレース」
そう言ってグレースに目を向けると彼女は息を荒くしていた。
まるで何かの熱病に浮かされたように顔も赤く、明らかに様子が…!
「ぐ、グレース!?どうした!?」
「ごめん…。もう限界なの…。」
「限界!?」
とりあえず洒落にならない事態のようなのでグレースを横にさせる。少し楽になれば、と思ったがまるで効果は無いようだ…。
デュラハンに限界とまで言わしめるほどのそれとは何なのか。思わず辺りを見渡したが何も無い。自分の身体に手を当ててもグレースと一緒に居るからか何時も以上に高鳴っている胸以外は特に変化はなかった。
まさか人間には関係なく魔物にだけ発症する病気とかか!?いや、そんなものがあれば、このすぐ下にある街もパニックになっているはずだ。暢気に祭りをしている様子からはパニックのようなものは見て取れない。
―いや、考えてる時間はねぇな。
俺は胸ポケットを探したが…ハンカチの一つも入っちゃ居なかった。くそっ!29のおっさんはこれだから!ウィルソンがハンカチと避妊は男のマナーだって言ってるのを素直に聞いておければよかった!
「汚れてるだろうけど我慢しろよ!」
そのまま腕の制服を破き、綺麗な部分だけをさらに選別し―警備隊の制服はこういった事態のために横に破きやすいようになっている―腰につけてある標準装備の水筒で濡らしてグレースの額に置いた。
これからどうする…!?
正直、あんなものじゃ気休めにもならないだろう。グレースの様子を見れば良く分かる。
さっきよりもさらに顔が赤く、息も荒くなっている。本当に苦しそうだ…。くそ!何でもっと早く気づかなかったんだよ!馬鹿?大馬鹿?そんなもんじゃねぇ!俺は最低のクズ野朗だ!
いや、自分を責めるのは後だ。まず必要なのは医者だろう。
しかし、動かして良いのかどうかは分からない。不用意に動かせば命に関わる危険性もある…。
ここから全力で降りれば約15分。そこから診療所に駆け込んで医者を背負って走って三十分。
―やるしかねぇ
さっきのグレースとのじゃれあいで随分と体力は減ったが、その分、今は気力が充実している。今ならきっと十代の頃のような無茶も効きそうだ。
「グレース。俺は医者を呼んでくる。すぐ戻ってくるから待って―」「行かないで…」
ぎゅっと左手だけで頭を抱えて、右手で俺の腕を掴むグレース。
始めてみるといっても良いその弱弱しい姿に心を動かされるが…正直、ここでグレースが死んでしまっては意味が無い。
「医者を呼ばなきゃどうにもなんないだろ!」
「良いの…。一緒に居てくれれば治るから……。…お願い。信じて……」
「……」
―信じてなんて言うなよ。何時だって俺はお前の事信じてたよ。
流れの速い川に流されて死に掛けた時も、狼の群れに囲まれた時も、二人で山の中で迷って身を寄せ合って一晩、夜を越した時も。
どんな無茶をしてた時もこいつと一緒なら乗り越えていけるって『子供』の頃から信じてたよ。
それは…まだ『子供』のままの俺も同じだ。
「分かった。俺は…何をすれば良い?」
「そこに居てくれれば良いの。後は―」
そこで一旦言葉を区切って……俺の目の前に黒いモノが一瞬よぎる。
「私がやるから」
気づいた時には世界が反転していて俺はグレースに馬乗りになられていた。
『黒いモノ』なんて思ったのはいきなり起き上がってこちらを押し倒したグレースの余りのスピードに俺がまともに知覚出来なかったからだと気づいた時には既に足は彼女の両足で完全に動けないようにロックされ胴体を起こそうにも頭を持っていない右手だけで完全に押し込められていた。
―え…?何この展開?さっきまで結構やばそうにしてただろ?なんでそんなに元気なんだよ!?
実際、グレースの今の顔も赤いままで息もさっきよりもさらに荒くなっている。
でも、違うのは先ほどまで何処か苦しそうにしていた表情とは違い、今は何処か楽しそうというか、期待に目を輝かせている。
まずい。何が起こっているのか詳しい事はわからないがともかくまずい事態へずるずると引きずりこまれているというのだけは良く分かる。
「私…嬉しかったんだよ…?」
「な、何が…?」
「本当にここで二十年も待ってくれていて…。絶対に無理だと思った。きっと途中で諦めて誰か素敵な人と結婚しているもんだと思ってた…」
「残念ながら俺はモテなくてね」
―誤解が無いように言うが別に俺だって告白された事が無い訳じゃない。
しかし、好きな女からは一度もモテた事が無いんだ。…好きになった女なんて世界中でグレースしかいないが。
「素直じゃないの……」
まるで全部見透かすように嬉しそうにそう言われて。…なんていうか、反則だその顔。昔は意地張った顔しかしなかった癖にそんな素直に嬉しそうな顔見せられたら…なんていうか、反応しちまう。
…ていうか、位置的にやばいんじゃないかおい。俺の息子の真上になんていうか、グレースの腰がある訳で。このまま反応を続けたら一発でグレースにばれてしまう…!
―それだけは絶対に防がなければならない。嫌われたりするのはある程度覚悟の上だがそんな理由で嫌われるのだけは防がなければいけない!
待て!戻れ!戻るんだ!マイサン!!!
「でも、嬉しかった。私との約束も覚えてくれてたんだって思って…本当…泣きたくなるくらい嬉しかったの…」
―…グレース。………ごめん。そっちの約束は覚えて無いんだ。
だって、ほら、その…な。あの笑顔に見惚れてて、あの時何言われたのかまったく記憶に無いんだよ。
…空気読める俺は言わないけど。
「でも、それは私の勝手だから…。もし、今からやるのが迷惑だったら…抵抗して。…絶対に逃がさないけど」
それなんか矛盾してないか、そう突っ込もうとした俺の唇に何か柔らかいものが触れてきた。何処か甘い香りのするそれはそのまま俺の唇を割って、俺の口内を好き勝手に動き回る。
でも、それは何処か嫌な動きじゃなくて、寧ろ官能的で情熱的な思いの篭ったものだった。
―…ていうか、これどう見てもキスだよな?目の前にグレースの顔あるし。口の中でぬるぬる動いてるし…。
つか、これ俺のファーストキスなんだけどどうすりゃ良いんだよ!?こっちも舌を絡ませれば良いのか!?やっちゃっていいのか!おい!やって嫌われないのか!?誰か応えてくれ!!!
そうこうして迷っている間にグレースの舌が俺の口内からするりと抜け出した。ど、どうしたのか!?俺、またなんかやっちまったのか!?と思っているとそのまま不安げにこちらを見下ろしてくる。
「あの…気持ちよくなかった?…先輩がこうやってキスしてあげると気持ち良いからって教えてくれたんだけど…」
「あ、いや…なんていうか……違うんだ」
「え……?」
恥ずかしい。惚れた女の前で何故こんなにも醜態を晒さなければいけないのか…!しかし。しかしだ。惚れた女にこんな顔させて何もしないでいるほど俺は鈍感でも無い。
どうせ今日だけで数え切れないほど恥をかいてるんだ。今更恥が一つ増えたところで良いじゃないか!
「…今のが…初めてなんだよ…」
「嘘……っ!」
「いや…マジで。女と付き合ったことも無いし、娼館にも行った事無いからな」
両方ともグレースに対する裏切りのように感じて出来なかった。
せめて待っている間だけはそんなこととは無縁でいよう。そう思って過ごしてきて…結局この歳になるまで何もなしだ。少なくとも当時はそれが正しい事のように感じていたが、今のようにグレースを困惑させるのであれば恋愛経験くらいつんでいても良かったのかもしれない。
「……それは…どうして?」
「…言っただろ。こんなおっさんはモテないんだよ」
「じゃあモテていたらしてたの…?」
「……お前、意地悪いな」
何処か嬉しそうに。でも、意地悪そうにそう笑いながらグレースはまた顔を近づけてくる。
キスをし、顔を間近で見ている今ならば分かる。グレースの顔を染め、息を荒くさせているのは間違いなく欲情だ。夢魔化の影響を抑えきれなくなったのか、それとも何か別の要因が有るのか。ともかく彼女は今、間違いなく欲情している。
「…だって嬉しいんだよ。私も…初めてだったから」
「いや、嘘つけ。そんな舌使いじゃなかったぞ」
「ほ、ホントよ。先輩だって目の前で実演してくれたのを見てただけだし…」
そう言って目を伏せるグレースに俺の中の欲情が炙られるのをはっきりと自覚した。
―ていうか、それは…そういうことなのか?期待しちゃって良いのか…?
―二十年間ずっとお前を想ってきたのは決して無駄ではなかったのだと思って良いのか?
…答えが欲しくて触れるほど近くに居たグレースの顔に今度は俺からキスをした。
一瞬、戸惑ったように唇を震わせたグレースだが、俺が恐る恐る舌を入れる頃には嬉しそうに舌を絡めてくる。
そのまま二人の間で舌が踊った。グレースが逃げれば俺が追いかけ、俺が逃げればグレースが追いかけてくる。捕まれば二人で触れ合い、愛撫し、唾液を塗りつけるように遊び…また頃合を見てどちらかが逃げていく。
息が続かなくて鼻で息をするその瞬間も惜しくてずっと触れ合っていたくて。俺はいつの間にか自由になっていた両手でグレースの顔を抱きしめていた。
「ふぅんっ♪」
途中、息を吸おうとする甘いグレースの声すら俺を誘っているかのように感じる。
―いや、もしかしたら本当に誘っているのかもしれない。
少なくともグレースの舌は決して拒んではいない。それどころかまるで奥へ奥へと誘う様に俺の舌に触れ挑発してくる。
―そっちがその気ならこっちだって。
それを拒める精神力も技巧も経験も俺には無かった。グレースに誘われるままに奥に奥に。そしてさらにねっとりと。唾液を送られ、味わい…さらに此方からも返し……。
…そうして長い長い愛撫が終わってお互いがお互いを開放した頃には既に二人とも酸欠に近い状態だった。
「…はぁ…はぁ……貴方……激しすぎ…」
「…はぁ……お前に…はぁ……言われたく無い…」
実際、俺よりも遥かにグレースのほうが上手だった。夢魔化した影響だろうか。舌が触れ合うたびにグレースはどんどん上達していった。俺はただ追いつこうと必死だっただけだ。
「だって…こんな…キスが気持ち良いなんて思ってもみなかった…」
―それは俺の台詞だ。
キスだけで何度イきそうになった事か。暴発しなかった事が自分でも奇跡のように思える。
世の中のカップルどもはこんな気持ち良い事をよく街中で出来るもんだ…。俺だったらそのまま我慢し切れなくて押し倒してしまいそうだが。
―いや、今押し倒されてるのは俺の方だけどな。
そのまま二人で抱き合って―頭を抱いているだけだが―息を整え、落ち着いた頃にグレースがこちらを見上げてくる。その目はやっぱり欲情に染まっていた。
「……ね。私…もう我慢できないの」
その声と同時に、今まで俺を押さえつけているだけだった身体の方のグレースが俺のズボンを脱がそうとしてくる。
抵抗しようにも俺がグレースの顔を抱いている分、身体のほうは両手が使えるのでまるで抵抗らしい抵抗が出来ないまま脱がされていく…。
「待て!お前はそれで良いのか!?俺は来年30のおっさんだぞ!?」
「そんなこと言ったら私も来年31のおばさんよ?」
「生きてる時間が違うだろうが!」
「同じよ。……少なくとも私は二十年間も貴方と離れていてさびしかったし、苦しかった」
「グレース……?」
「好きよ。本当に。どうしようもないくらい貴方が好きなの。種族が違うからって諦めようと思ったことなんて一度や二度じゃない。きっと本当のことを知ったら軽蔑されてしまうって考えたことなんて数え切れないくらい。
でも、駄目だったの!一人前になって魔界から出られるようになる頃にはきっと諦めているだろう。って思ってたけど無理だったの!例え、私が諦められなくても貴方はもう結婚してるだろうからって思ってたけど貴方がまだ私を待ってくれているのを知って我慢できなくなったの!」
「…おい」
ていうか、この状況でそれは反則じゃないか?
別に告白は男からなんてそんな事に拘っているわけじゃない。…少し拘っているかもしれないけど。でも、なんていうか、この状況でそんなこと言われたら流されてしまいそうになる。
駄目だ。流されちゃいけない。少なくともあの意地っ張りのグレースがここまで言ってくれたのだから、それに応えなきゃいけない。
「俺は……俺はお前に凄いと褒められたくて子供の頃、ずっと剣の修行をしてた。それ以外は毎日ここに居たよ。…子供の頃は飯食べてるか、寝ているか、剣を振ってるか、ここにいるかのどれかしかしていなかった気がする。
それから自分の強さの限界が見え始めた頃。俺は警備隊に入った。お陰で剣を振ってる時間はそのまま警備隊での仕事になって……それでも若干、足りなくてここにいられる時間ががくっと少なくなったよ。
それから小隊長になった。人を率いる立場になると自然と仕事が増えて…またここに居られる時間が少なくなった。
…それから中隊長になった。二十年が経った。それでも、俺の脚はここにずっと向かってきたよ。
そんなのよっぽどの馬鹿じゃなきゃできやしない。よっぽどのグレース馬鹿じゃなきゃな。
お前の言うとおり俺は馬鹿だ。それも稀代の大馬鹿だ。お前の事になると俺は余計馬鹿になる。
…………好きだよ。グレース。魔物であってもなんであっても。…本当は二十年前に言いたかったけれどな」
そこまで一息に言って…ふと見下ろすと…グレースが泣いていた。
…え?いや、ここ泣くところか!?寧ろ笑ったりしてるべきじゃないか!?
そう一人でぱにくっているとグレースが小さく「嬉しい…」と呟いた。…よかった。少なくとも嫌がられていたわけではないみたいだ。
「…でも、私、二十年も連絡もなしに待たせた酷い女なんだよ…?」
「魔界から手紙出したって途中で握りつぶされるだろ。寧ろあて先の俺に危険が及ぶ可能性だってあっただろうし。それだけ考えてくれてたんだろ。二十年ってのはちょっと予想外だったけれど、それだけデュラハンってのは厳しいんだろうさ。エリート中のエリートなんだろうし」
「私、魔物だよ…?多分、淫乱になっちゃうよ…?」
「男は少しくらいいやらしい女のほうが好みなんだよ」
そのまま顔と身体を抱きしめて。
「恥ずかしいから何度も言わせるな。俺はお前が何であってもお前が好きであることに変わりは無いよ」
「………嬉しい…」
そのまま抱き合って終わり…………。
となれば良い話で終わるんだが、どうにも俺の息子はそれでは不満のようだ。さっきから痛いくらいに血液を集めて自己主張してやがる。
それに気づいたグレースも顔を赤くして股間を押し付けて……よくよく見れば彼女のそこも酷く濡れていた。
―多分、今のグレースと俺の気持ちは同じはず。
「…ね」
「あぁ、悪いが格好良い時間は終わりだ。これからは格好悪いけれど…良いか?」
「女は少しくらい格好悪い男のほうが母性本能をくすぐられるのよ」
そう笑ってグレースは押し倒していた身体を離す。そのまま俺が抱きしめていた自らの顔を受け取り、四つんばいになってこちらに向かって見事なラインを描く尻を見せ付けた。そのままスカートをたくし上げ、下着をずらし、下の唇を指で開いてこちらを挑発してくる…!
透明な愛液で濡れたそこはひくひくと誘うように蠢き、見ているだけでおかしくなってしまいそうなくらいだ。
「ね…早くここにお願い…」
「言われなくとも…と言いたいが、その前に」
欲情に煽られた不満そうに目でこちらを見てくるグレース。ここまでさせて今更逃げるつもりは無い。でも、はっきりと言っておかなければいけない事が二つある。
「避妊はできない。そんな余裕は絶対に無いしな。ただ、妊娠したら言ってくれ。別に養う甲斐性が無い訳じゃない。安月給とは言えそれくらいの甲斐性はある。後もう一つは…多分入れたらすぐイっちまう。割と限界なんだ」
「…初めてなのは私も同じよ。だから、安心して。……それに私も入れられたらすぐイっちゃいそうなくらい…もう限界なの」
「ああ、じゃあ…行くぞ」
そのままグレースの腰を掴んでズボンから息子を取り出し……広げられたそこにあてがって一気に進んで…!
「っ!」
初めての異物を、長年待ち望んだそれを突き入れられたグレースの膣はまるで今までの鬱憤を晴らすかのようにうねうねと絡み付いてくる!さっきのキスがまるで児戯のように感じるほどの快感が息子から俺に流れ込んでくる…!
無論、そんなもの我慢できるわけも無く…
「あぁぁぁ♪何これぇ♪」
「うぁ……くっ!」
グレースの初めて聞く、本当に蕩けきった嬌声の中で予告どおりすぐイってしまった。
だが、気力も体力もまだまだ有り余っている。イって尚、貪欲に絞ろうと絡みついてくる膣の中を何とか掻き分け…こつんと奥に何か当たるまで進めた所で一度休憩する。
「グレース…痛く無いか…?」
「うん…大丈夫……。っていうか……気持ちよくて…♪それどころじゃない…かもぉ♪」
後ろから獣のように突き入れているのでグレースの表情は伺えない。しかし、その声は恍惚としているようで何処か熱に浮かされた響きがある。やはり夢魔だからか最初でも痛みを感じる事は無いのかもしれない…。
「それより…ね。もっと一杯…して?さっきの熱くて美味しいの…もっと私の中に頂戴…?」
「おま…そんなこと言ったら手加減できねぇぞ…?」
何時ものグレースであれば絶対に言わないであろう甘く媚びた声。それに心の中にかすかに残っていた自制心を溶かされ、大きくストロークを開始する。
「手加減なんてしたら怒るからっ♪あぁぁっ♪」
「くっ!」
一突きごとにグレースの膣は慣れていくかのように激しく、そして効率的に息子に吸い付いてくる。ある時は奥へ奥へと誘うように。またあるときは吸い付いて離さないかのように。ある時は奥へ行くのを阻むかのようにきつく締め付けてくる。
―無理だろ…!こんなもの…!
我慢するとかしないとかそんなレベルじゃなかった。下手をすれば気を持っていかれそうな勢いで快感が流れ込んでくる。まだイかないで居られるのは最初に思いっきり暴発していたからだ。普段であれば三十秒も持たない。
しかし、それもそろそろ限界に近くなってきた。既に快感が足に伝ってマトモに立ってるのさえ危うくなっている。…というか、既に限界だ。倒れないで居るのは男の意地と言っても良い。それでももっともっとグレースの身体をむさぼりたくてストロークは早く大きくなっていく。
「グレース…すまん。もう…っ!」
「来て♪膣に来てねっ♪一杯出してねっ♪」
嬌声と共に搾り出すその声に俺は思いっきり二度目の精を放った。
―…やばい…。死ぬかもしれない…。
目の裏がちかちかして白くなる。気持ちよすぎて頭の中に頭痛が走る。
それでも尚、射精は止まらず快感だけが増えていく…!
長い長い…本当に永遠に続くかと思った射精が収まった頃には俺の身体はぐったりとグレースの身体に倒れこんでいた……。
「…気持ちよかった…?」
「…つか、気持ちよすぎだ。身体に力が入らねぇよ…」
まるで生命力全てを持っていかれたようだ。大の男に体重をかけられて重いだろうし、動かそうという気は有るのにまったく動かない。
…それでもまたやりたいと思うのは俺がグレースの事を好きだからか。それとも既に夢魔としての彼女に捕らえられているからか。
「…ん♪でも、まだ力いっぱいのところがあるよね…♪」
「え?」
―そんなものないだろ。そう言おうとして…今だ息子が張りと力を保ってグレースの膣の中にいる事に気づいた。
ちょっと待て!?さすがにこれはおかしいだろ!
抜かずに三発出来るほど俺はもう若くないんだぞ!つか、死ぬ。多分このまま次やったら死ぬ!!
「ちょ、まっ!」
「ちょっと失礼♪」
静止しようとした俺の声を遮りグレースはそのままこちらに体重をかけてくる。同時に息子を入れたまま器用にこちらへと振り返り…そのまま騎乗位の体制へと持ち込まれた。
「動けないみたいだから…今度は私が動くね♪」
そのまま左腕から俺の胸元へとグレースの頭が置かれた。
「落ちないように抱きしめておいてね♪ぎゅっとしっかり…ね?」
いや、それには異論は無いんだが何ていうかこれはちょっとっていうか、かなり危ないって言うか!
そう言おうとした所でグレースの身体が本格的に動き始めた…!
「んっ♪あっ…これ良いかもぉ…♪」
最初は感触を味わうようにゆっくりと上下へ。ぱちゅんぱちゅんと肉同士が当たる音が段々、大きくなり、早くなり…腰にうねりが加わって…!前後へ動き始め…!
自分ではがむしゃらにぶつかる事しか出来なかった。たったそれだけでも信じられないほどの快感が俺を襲ったというのに…今はまるで熟練の娼婦の技のように俺の上でグレースが踊っている。服の合間からかすかに見える上気した肌も、上下に動くたびに弾ける豊満な胸も、欲情し、みだらに喘ぐその声も、全てが俺の前にあり、俺のためにある。
今日だけで何度無理といったのかは分からない。でも、今度こそ本当に無理だった。
流し込まれる快感はあっという間に俺の理性という堤防をぶち壊し、糸の切れた人形のようだった身体にもう一度火を入れる。本能のみで再び動き出した腰に合わせてグレースが喘ぎ、踊る。それを見て、俺の動きもまた早くなっていく…!
「グレース!グレース!」
「あぁぁぁ♪素敵!こんな素敵なの初めてぇ♪」
もう本当に何も分からない。俺の世界はグレースだけでグレースしか感じられない。
グレースもまた同じなのだろう。俺の腕の中で喘ぐグレースの顔は俺以外何も捕らえちゃいなかった。
―グレース!グレース!グレース!!!
頭が真っ白になっていく。今度こそ本当に死の予感がする。しかし、それでも良かった。グレースに、それも、こんな形で殺してもらえるのであれば、それは男として最高の死に方じゃないだろうか。
―…いや、でも死ねないな。死んだらこいつはきっと泣くだろうから。
今までも沢山泣かしたけれど、その分、グレースを護ってやりたい。俺が出来る事なんてたかが知れてるだろうけれど…それでも。
そんな思いが胸の中に溢れて、グレースへの愛しさと快感がごっちゃになって何も分からない状態のまま……俺は最後の射精と同時に意識を失った。
「なぁ」
「何よ?」
「家、帰らなくても良いのかよ」
「良いのよ。あんな所、帰りたくないわ」
何時もの秘密基地。何時もの遊び相手。
何時ものように俺が実家からくすねてきたパンを一緒に食べ、何時ものようにそう尋ねた。
「でも、お前家出にしちゃ長すぎるだろ…」
実際、目の前のこの女は既に三ヶ月ほどここにいる。最初はその格好から貴族の子とも思ったが、三ヶ月も貴族の子供が山の中で隠れながら生活できるわけも無い。
何かすげぇ馬と一緒に居たし、大人でもてこずる狼を追い払ったりしたし…もしかしたらこいつは人間じゃないのかもしれない。…まぁ、だとしても俺の友達である事に変わりは無いわけだけど。
「何よ!?貴方も私が悪いって言うの!?」
「いや、詳しい事情もしらねぇし何とも」
「そもそもお母様がお父様と毎日毎日いちゃいちゃしてるのが悪いのよ!まったく!風上にも置けない人達!」
「聞けよ」
そのままぷりぷりと怒っている顔を見るのもまぁ、嫌いじゃなかった。
ただ、いい加減、家出してきて三ヶ月以上経っているんだから、怒りも収まった頃だろうと思ったが如何せん、少女の怒りは随分と根強いものだったらしい。
「……それとも…私がここにいるの…迷惑?」
またそんな不安そうな顔をする。
そういうの反則だと思うんだけどな俺。
「別に迷惑じゃねぇよ」
少なくとも毎日実家からパンをくすねて大目玉を喰らったりするのも。それを一緒に二人だけの秘密基地で食べたりするのも。それを三ヶ月間毎日続けたりするのも俺が勝手にやっている事だ。
迷惑なんて一度も思ったことは無い。
―あぁ、そうか。
俺が毎日、帰らないのか、なんて聞くのは帰って欲しくないからなんだな。
毎日、こいつと遊んでいるのが楽しくて、それだけが続いて欲しくて。だから、ずっと怒ってて欲しくてそんな事を確認するんだ。
……俺、きっとこいつの事好きなんだな。
「…何よ。変な顔して。熱でもあるの?」
何処か心配そうに覗き込んでくる少女、グレースに俺は笑いかけて。
「別に。何でもねぇよ」
俺は空を見上げた。
青い空が何処までも広がっている。時間はまだ昼過ぎ頃で…遊ぶ時間はまだまだ沢山あるはずだ。
さぁ、今日は何して遊ぼう。そんな事を思いながら俺はもう一口、パンを齧ったのだった。
「ねぇ。ねぇってば!」
頼む良いところなんだ。もう少し寝かせてくれ…。
「…ねぇ。起きなさいって!」
揺らすんじゃねぇよ…。折角、何時もとは違う夢が見れたんだ。もうちょっと見させておいてくれ…。
「馬ぁ鹿」
「いてぇ!」
ずびしっっという音と共に頭の中が真っ白になったのを知覚した瞬間、眠気で霧がかったような俺の思考はあっさりと覚醒した。
つーか…何だおい。人が折角良い気分だったのに。星が見えたぞ!
「何しやがる!?」
「あら…?こんなに良い女放っておいてぐーすか寝ているほうが悪いのよ」
良い女?そんなもの29の男の部屋にいる訳ないだろ。って……あれ?何で夜空なんか見えるんだ?ここ俺の部屋じゃ…?
……つか、グレースが何でここに!?
「貴方、まだ寝ぼけてるの?」
呆れたような顔でグレースがこちらを見下ろしてくる。
その姿は既に最初にあったときのように紫色の鎧(目玉着き)を着ており、首も人間のようにきちんとあるようだ。
むぅ。若干、もったいない気もするが……。
「…あー、何時ものグレースか」
「残念だけどそうよ。ほら、早く起きなさいよね。服が汚れるわ」
今更だ、と思いながらもグレースに引っ張られる手に支えられゆっくりと上体を起こした。そのまま辺りを見渡すと真っ暗で星明りが微かに差し込むだけだった。既に祭りは終わったのか…そう思いながら耳を澄ますとまだ微かに民族楽器の音色が聞こえる。どうやら火を少し落としただけで、祭りが終わるにはまだまだ時間はあるらしい。
まぁ、それにしても…手を引いたりするグレースは何時ものように強気なわけだが……『子供』の頃はそういうのは全部俺の仕事だった所為か何処か新鮮でもある。だからって訳じゃないが、素直なグレースも良いが、やっぱり何時ものグレースも悪くないな。
「…馬鹿」
どうやら俺は思ったことをそのまま口に出していたらしい。グレースのでこピンを―無論手加減された―を受けてそのまま後ろにのけぞった。
さっき…無理矢理たたき起こされたのと同じ感覚だ。どうやら俺はでこピンで飛び起きたらしい。…どうにも情けない話だが。
何とか上体を起こしてグレースのほうを見ると顔を真っ赤にしている。既に街の火はかなり落とされているようだし…それは決して街の火に煽られたからではないはずだ。
「…それよりもう良いのか?」
「…何がよ」
「いや、満足してくれたのかな?と」
「もう一発額に喰らいたいかしら?」
「調子乗ってすみませんでした」
思わず条件反射でそう謝って、グレースを見上げると、何処か気まずそうにしている。
何か言いたいけれど気恥ずかしくて言えないんだろう。そう判断した俺はとりあえずせかしたりちゃかしたりせず待つことにした。
下の街では既に騒ぎは随分と下火になってきたらしい。人通りは少なく、手をつないだり組んだりして歩くカップルが殆どだ。聞こえてくる音楽も軽快なものではなく、何処かムードのあるゆったりとした音楽へと変わっている。
子供はとっくに寝るお時間。カップル的にはここからが本番だ。
「…その。デュラハンだって魔王様の魔力を受けて夢魔化してるのは知ってるわよね?
…その煽りなのよ。デュラハンは騎士団の中枢を担うから他の夢魔みたいに大量の精を欲しがったりはしないわ。でも、それはこの首のお陰なの。この首が外れた時…中から溜め込んでいた精が飛び出しちゃって、酷く空腹になるの。その上…その、常日頃溜め込んでいるものが色々出ちゃって…」
「なるほど。素直になっちゃう訳か」
性欲的な意味でも。性格的な意味でも。
だから、あの時、素直に謝ることが出来なかったグレースは本来とは違う、副作用を期待して首を取って見せたわけか。確かにそれに関しての謎は解けたが…。
「つまり素直なグレースに会いたければその首を取ってしまえば良いんだな」
「やっても構わないけれどもう一度倒れる覚悟してからやりなさいよね」
う…痛いところを突きやがる…。
確かに男として最中に倒れたなんてのは最低も最低だ。プライド的にはずたずたである。…まぁ、そんなものは今日一日で修復不可能なくらいにまで傷ついたが。
とは言ってもこのまま突っ込まれ続けるのも癪である。ここは素直に話題を変えるべきだろう。
「…そういやあの紙は何か意味あったのか?」
「紙…?あぁ、アレね。あれは……その…そういう作法なのよ」
「何のだよ」
「…だから…なんていうか、その……た男を迎える作法なの」
なるほど。良く聞こえなかったが何となく内容については察しが着く。
しかし、素直に分かってやるのも面白く無い。ここは先ほどの礼をするべきだろう。
「すまん。良く聞こえなかった」
「だから………いった男を…」
「もう一度、頼む」
「だから!好きな男を迎えにいくために作法なんだって言ってるでしょ!!」
……ほほーう。
「うっ…何よ。その目は。首があってもやる気になればす、す、すす好き位、言えるわよ。ば、馬鹿にいないでよね!」
「いや、馬鹿になんてして無いが」
「してる!何か目がにやにやしてるもん!すっごい意地悪な目してるじゃない!」
それはな。グレース。真っ赤になって意地を張るお前の仕草が余りにも可愛らしいからだ。
しかし、中々、面白い事を聞いた。これはこれから仕返しする時のネタとして重宝するな。
しっかり覚えておこう。
…ま、その辺りは後のことだ。
とりあえず今は……。
「ま、それはさておいといて…時間も無いし行こうか」
「え…?」
差し出した右手と俺の顔を交互に見て、きょとんとした顔のままグレースが固まった。
そんな表情も中々良い。…とは流石に声に出さないでおく。あのデコピンは中々痛いんだ。
「祭りだよ。約束しただろ」
「でも、私は…こんな姿だし…」
「誰も気にしねぇよ。気にしたって大道芸の一座か何かだって思うさ」
―まぁ、普通、ぎょろぎょろした目玉が沢山ついた鎧の大道芸人なんていないだろうが。
「それにもうほとんど店じまいしてるわよ…」
「やってるところは沢山知ってる」
―何時かお前と遊びに行こうと情報収集は欠かした事はなかったしな。
「…本当に一緒に行って良いの…?」
「当たり前だろ。お前以外と行きたいなんて思ったこと一度もねぇよ」
―それに祭りの日は毎日ここに来てたんだ。ようやく会えたのだし一緒に楽しみたい。
…グレースはそのまま何かを考えるように俯いて…それからおずおずと俺の手を取った。
―まるで昔に戻ったようだ。
そう思いながら俺はしっかりと手を握りしめ、そのまま十代の頃のように山を駆け下りていく。
後ろをちらりと見るとグレースは笑っていた。俺もきっと今笑顔なんだと思う。
「知ってるか?遠い地方のお菓子の屋台とかも沢山入ってるんだぜ。興味あるだろ?」
「勿論、奢りでしょうね?」
「仕方ねぇな。今日だけだぜ!」
そうやって何時ものように笑いながら、からかいながら『大人』の身体をした『子供』二人が駆け下りていく。
きっと今日は最高の日になる。その予感が俺の中にはっきりと芽吹いていた。
〜その後〜
彼は祭りの次の日、警備隊に辞表を出した後、忽然と姿を消した。
一説では前日、一緒に歩いている姿を目撃された女性がデュラハンで、彼はデュラハンに魅入られて攫われたとも言われているが…真相の程は分からない。
最近では魔界のほうでデュラハンの集団に混じって彼に似た存在が良く確認されているがきっと他人の空似という奴だろう。
……ていうか、中隊長。俺、まだ一杯奢ってもらって無いんですが、それまで無事でいてくれますよね。
魔界でも何処でも良いですから無事で居てください。
ハワード・ノリスン中隊長代理の日記より抜粋
追記:
「…ところで私との約束覚えてる?」
「……実はさ。あの時、お前の笑顔に見惚れてて覚えてない」
「………まぁ、良いわ。一応、約束は破られなかったみたいだし」
「何だよ。気になるじゃん」
「貴方が悪いんだからずっとそうやって気にしていなさい」
―幾ら子供の頃の話だからって『何時か迎えに来る時まで私のこと好きでいて』って言ったなんて言えない。
デュラハンだって女の子だもの。やっぱりプロポーズは相手からして欲しいし。
…まぁ、こいつじゃ当分無理かもしれないけれど、気長に待つとしよう。
幸い知り合いに人魚が居る。時間はまだまだ沢山あるはずだ。
「何だよ?何、笑ってるんだ?」
「秘密。自分で考えなさい」
幸せだからなんて言ってあげない。絶対に。
だから…察してよね。
貴方ならそれが出来るって信じてるから。
BAD END
12/08/13 12:53更新 / デュラハンの婿