レッドスライム・スープ
「はぁ…今日はこれだけか…」
夕暮れ時。
ひとりの男が、朱色に染まってきた斜陽を浴びながら、
レンガ造りの家が並ぶ通りを歩いていく。
その身なりはお世辞にも良いものとは言えず、
ボロに近く色の褪せた服は、所々穴が空いたままになっていたり端が擦りきれたりしている。
髪はボサボサと生え放題になって手入れがされていないことが見てとれ、その表情はどこか
やつれているようでもあった。
そんな彼の手には人参を始め、いくつかの野菜の切れ端が握られていた。
それは何件かの料理店や家庭を回って手に入れたものだ。
そう、彼は物乞いをして生活をしていた。
彼は生来から乞食だった訳ではない。
それどころか、この街の名門貴族の末席に名を連ねる家系の長子であった。
貴族の一人息子として大切に育て上げられた彼は、その家の名に相応しい青年へと成長した。
しかし、大切に育てられた故に世の中を知らなかった。
両親を流行りの病で亡くしてしまうと、途方にくれた彼は毎日を泣き明かした。
その悲しみを粉わせるかのように、彼は賭け事の類いに執心していった。
トランプ、ルーレットとやれるものなら何でもやった。
世間のことに対してまったくの無知であった彼は賭け事をただの享楽としか受け取れなかった。
金ならいくらでもある。勝ったら勝ったで金は増えるし、負けたとしても損失は大したことはない。
そうして彼は一進一退の興奮にさらにのめり込んでいった。
いいカモにされているとは知らずに。
気がつけば山のようにあった両親の遺産は底をつきかけていた。
そこで諦めていたらよかったものを、しかし止めようとはしなかった。
彼は負けず嫌いだったのだ。
周囲の反対を押しきり、いままで負け込んでいた分を取り返そうと躍起になっていた。
それだけならまだよかったのだが、家の土地の権利書まで持ち出したのがいけなかった。
当然のごとく賭けには負け、あっという間に名門貴族の名は地に落ちていった。
そして、今に至る。
豪奢な屋敷住まいは、狭い裏通りでの生活に様変わりし、柔らかなベッドの代わりに固い石畳の上で寝なくてはならなくなった。
「慣れてきたとはいえ、やっぱり屋敷の方がいいよなぁ…」
貧困街を歩きながら、男は一人呟く。
「せめて並の生活ができればいいんだが…」
しかしその願いは当分のところ、叶いそうになかった。
観念したようにひとつ息をつくと不意に空腹が思い出され、
一先ず今現在の飢えを満たすためにも自分の住み処へと足を早めるのだった。
「………ん?」
先程からいくらかの距離を歩き、もうすぐ寝床としている場所に着くところまで来てあるものが
目に入った。
それは裏通りへと続く道の前、つまり男の住み処の正面に落ちていた。
「なんだこれ?」
近づいて見てみると、その様子がよく分かる。
朱色でぷよぷよとした半透明の塊が水溜まりのように一ヵ所に集まっている。
中央の部分が少し盛り上がっていて、よく見るとそれは少女の形をしており、意識はないが
時折ピクピクと動いているようだった。
男はこれが何なのかすぐに合点がいった。
「なんだ……レッドスライムか」
レッドスライム。
他の魔物と同様に魔王が代替わりしてから女性の姿をとるようになった不定形の魔物である。
人も魔物も自由奔放に暮らしているこの街ではどんな魔物がいたところでさして驚かれはしないが、それでも魔物が道端に倒れていたら大抵の人は驚く。
男の声が残念そうなのは、我が家の前に落ちていたそれが食べ物であることを期待していたからだった。
「いや、待てよ…」
ふと男は顎に手をあて、朱色をした半透明のそれをしげしげと見つめる。
その眼に写っていたのは魔物でも少女でもなく、ゼリー状の『食べ物』だった。
「これ、食えるんじゃないか…?」
人間、極限状態になるととんでもない考えを起こすものである。
そして図らずも彼もそんな人間のひとりだった。
レッドスライムを見てお屋敷で生活していたころに飲んだオニオンスープでも思い出したのだろうか。
正直、魔物が美味しいかどうかは分からないが、住み処の前に魔物が倒れているという状況でそれを食べようと考えてしまうほど彼は空腹だったのだ。
「ちょっとくらい……いいよな……?」
その時の彼の目は異様な光を放っていたそうな。
「うぅん……あれ?……ここは……?」
ふと、何か息苦しさを感じて私は目を覚ました。
徐々に意識が戻ってくるのを感じる。
しかしぼやけた視界に入るのは暗闇だけ。
今どこにいるのかまったく見当がつかなかった。
「たしか私は……そうだ、お腹が減って気を失ってそれで……」
道端で倒れた、はずだった。
その後どうなったのか覚えていない。
目を凝らしてみても以前として真っ暗で、何も見えない。
状況をよく知るために体を起こそうとして気が付いた。
今私はすごく狭い場所にいるということに。
まるで箱のようなものの中にいるようで、身動きをとるスペースもなかったのだ。
そして体に感じる違和感。
まるで下半身が溶けて上半身とひとつになっているような……
あ、私スライムだから当たり前か。
そうではなくて主に下半身の方が
……熱い
足元からじわじわと熱気が立ち上ってくるのがはっきりと分かる。
しかもだんだんと熱さが増してきている気がする。
これって……もしかして危険な状態?
暗く、狭く、熱い。
それ以外の情報を遮断され、命の危険まで感じてきた私の頭は次第にパニックへと陥ってしまう。
「……ねぇ!誰かいないの!?ねぇったら!」
声を上げてみるがただくぐもった音が響くだけ。
全身が凍りついた。
「ちょっとぉ!!なんなの!誰かぁ!誰か助けてぇ!!ここから出して!!」
叫びながら、見えない壁を叩き、窮屈な箱のなかで暴れまわる。
これが効果があるのかは分からない。
だけどこんな訳のわからない所で命を落とすのが怖くて必死で助けを呼んだ。
すると案の定、ぐらっと体全体が傾くような感覚がして
ガシャン!!
衝撃と共に視界が明るくなり、体が固いものに叩きつけられる。
どうやら外に出たようだが周りにはまだ薄暗さが残っている。
上を見上げるとぽっかりと月が浮かんでいる。
気絶している間に夜になっていたらしい。
「いたたた……って、私スライムだから痛くないのか」
痛みもしない頭を擦りながらのっそりと体を起こすと、そこも壁で囲まれた空間だった。
しかし、今度は月明かりのおかげで周囲の状況がはっきりと分かる。
ボロボロと所々崩れている建物の壁や石畳は、
私が倒れる前と変わらずに貧困街にいることを示している。
だがそこらじゅうに毛布や物が整理されて置いてあるのを見ると、ここが居住スペースであることを感じさせた。
……なんでこんなところにいるの……?
そんな疑問を感じつつそれらをぼんやりと眺めていると突然背後から大声が響く。
「あああああああ!!俺の晩飯がああああああああああああ!!!」
突然のことでビクッと驚いて、思わず振り返るとそこにはボロボロの格好をした男がいた。
どうやらこの空間は布で外と仕切られているようで、男はそこから入ってきたようだった。
その人は私の目の前まで来ると、膝から崩れ落ちてガクッと項垂れてしまった。
「嗚呼……せっかくの晩飯が……」
もちろん私は状況が飲み込めない訳で。
「えと…あの、晩飯って……?」
恐る恐る尋ねてみる。
すると彼はあるものを指差す。
その指し示す先を辿っていくと、目に入ったのは横転している鍋、散乱している野菜の
切れ端、そしてパチパチと小さく燃えている焚き火……
あぁ、鍋が倒れてしまったのね。
ってあれ?鍋…?火…?
これって……
「……どういうことなのか説明してもらいましょうか……?」
「ひぃ!」
その時の私は、顔は笑ってたけど目は笑ってなかったと思う。
「……で、何?お腹が空いてたから私が美味しそうに見えて、それで野菜と一緒に煮込んでたってわけ?」
「ゴメンナサイ……」
所変わらず男の住み処。
そこには頬を膨らませたレッドスライムの少女の前に男が正座をしているという、不思議な構図が出来上がっていた。
「信じられない……」
「……返す言葉もない……」
「まったくもう……」
男は申し訳なさそうに俯く。
彼も悪気があったわけではなく、その様子を見る限り反省はしているようだった。
(まあ本当に食べたわけじゃないんだし別にいいか。それよりも……)
彼女はふう、とひとつ息をつくと組んでいた腕をほどき、ちらと男を一瞥した。
(この人……おいしそう……)
彼と同様に空腹であった彼女には、魔物としての姿が見え隠れしていた。
ゴクリと喉をならすと、男に言った。
「じゃあ代わりと言ってはなんだけど、ひとつお願いがあるの」
「お願い……?」
「私も今すっごくお腹空いてるの。だからいっぱいにしてほしいんだけど」
「……ここには食べ物はないんだが……」
「ああ、そうじゃなくて」
訝しげな視線を送る男に、焦れったそうに首を振る少女。
「あなたの精が欲しいの」
「……はい?」
「だから、あなたの精をちょうだいって言ってるの!」
「精ってその…精ですよね?」
「うん」
何でもなさそうに言ってのける彼女。
魔物としては当然と言えば当然なのだが、人間である男にとってはそうではなかった。
箱入り息子とでもいうような育て方をされた男は、情事に関する知識がほとんどなかった。
それどころか女性に触れた経験もなかったのだ。
精が欲しい、という言葉だけでも赤面してしまう程に。
「で、どうするの?」
首を傾げて尋ねてくる。
「えっと……その…」
彼は迷っていた。
彼女が何を求めているのかだけは分かっていた。
その後に続く行為も。
しかしそれ以上でも以下でもない。
あまりにも無知過ぎたのだ。
だからこそ未知に対する恐れのようなものを抱くのは自然であった。
「嫌ならいいけど」
「……」
しかし、彼はなんと言っても男であった。
そして、男というものは女性に言い寄られると断れないものである。
「お、俺でよければ」
「ん、ありがと♪」
こうして彼の長い夜が始まるのだった。
「ほんとにいいのね?」
「あぁ…構わない」
横になった男の上に跨がりながら、レッドスライムの少女は尋ねる。
ここまできてもすぐに襲わずに男を気遣うのは人間らしい感情が発達したレッドスライムゆえだからだろうか。
それでも顔はどこか赤らんでいて発情しているのが見てとれる。
一方男の方は緊張しているのか、表情には固さが見える。
彼女にはその顔が堪らなく愛おしく見えた。
「じゃあまずはリラックスしようか♪」
そう言うと彼女は自身の液状の体を服の下にスルリと滑り込ませ、男の身体をすっかり覆ってしまう。
突然のヒヤリとした感触に、思わず男の全身が強張る。
「大丈夫、ちょっとほぐしてあげるだけだから」
安心させるようにそう告げると、液状部分がむにゅむにゅと動いて身体を緩やかに刺激し始める。
肩、腕、足と筋肉の多いところを程よい加減で揉まれ、固くなっていた身体も解されていく。
まるで温い湯に浸りながらマッサージを受けているような感覚。
最初は緊張していた男の表情も次第に安らいだものへとかわっていった。
「ねぇ、気持ちいい?」
「あぁ…なかなかいいな」
「ふふっ、それはよかった。じゃあもっとしてあげるね」
嬉しそうに笑むと今度は揉む力を強め、ぐにぐにとした動きに変わる。
性交に至らないまでも、その穏やかに続く心地よさに男は完全に身を委ね、悦楽に浸っていた。
そうした全身マッサージをしながら、少女はふと思い出したように男に尋ねた。
「そういえばあなたの名前聞いてなかったね。
なんていうの?」
「…ん、俺か?俺は……」
身体を揉み解されながらも、男は少し思案すると
「……ポーカーにかけちまった」
「……え?」
「昔博打に入り浸ってたときがあってな。それで負けて無くしちまったよ」
事も無げにそう言い切った。
彼としては真剣に答えたつもりであったのだが、
彼女は一瞬キョトンとした顔をして
「ぷっ、アハハハハ!なにそれ?カッコつけてるの?」
「お、おかしかったか?」
「だって名前を賭けちゃうなんてウソっぽいんだもん」
「真面目に答えたつもりだったんだけどなぁ…」
「おかしいけど、でも」
腹を抱えながら笑っていた少女は、そこまで言うと不意に顔を近づけ
「…そういうのキライじゃないよ」
唇を重ねた。
あまりに突然過ぎることに男は呆然として行動できないでいると、口のなかに柔らかい感触が入り込んでくる。
気付いたときには既に遅く、侵入してきたそれはなだれ込むように口内を動き回り、撫で回し、蹂躙する。
必死に押し返そうとするものの、その為に伸ばした舌にも貪欲に絡み付いてくる。
まるで舌自体が吸いとられるような感覚。
まったく抵抗の余地がない、一方的なキスは、しかし少女が口を放すことで終わりを迎える。
「ぷはぁ♪……私のキスどうだった?初めてだったんだけど」
「……いきなりすぎるだろ。驚いたんだけど」
「だってぇ…ガマンできなかったんだもん♪」
悪びれもせずにふふ、と笑う少女。
顔は完全に上気していて、既に魔物としての本性が現れ出ていた。
どうやらマッサージをしつつも彼の汗を吸収して完全に発情したようだ。
「ねぇ、それよりそろそろ……いいでしょ?」
「…わかった」
「やった♪」
子供のようにはしゃいだ声を出すと、待ちきれないと言わんばかりに下着ごと
一気に男のズボンを下ろした。
そして露わにされる男の肉棒。
それを見て少女は歓喜の声を上げる。
「わぁ、おっきい…!」
「…あんまりじろじろ見ないでくれ」
「ふふ♪ 照れなくてもいいのに〜。
じゃあさっそく、いただきま〜す♪」
そう言い終わるが早いか、大きく口を開けてそのままパクっと肉棒を咥え込む。
ただそれだけでも男の全身に痺れるような快感が走る。
粘度の高く、それでいて湿った感触が肉棒を覆ってしまうと、ぐちゅぐちゅと音を立てて舌が蠢く。
「あむ…じゅぷ…じゅぷ…ちゅう…」
「うぁ……!」
舌全体で舐り、吸い上げ、また咥え込む。
執拗に舌を絡ませ、搾り取るように上下に動かす。
放したかと思うと亀頭を重点的に責められる。
男は絶え間無く襲ってくる強烈な快感の波に、既に限界に達しようとしていた。
「ふふっ、らひてもいいんらよ?」
咥えながら喋る振動に加え、射精を促すように頭をストロークさせる。
もはや耐える余地など皆無だった。
「で……でる……!」
「らひて!いっはいらひて!」
止めとばかりにイチモツを一気に飲み込んでしまう。
それが引き金になったかのように、
ドクドクと音を立てて精液が少女の口の中へと放出される。
初めてであることもあってか達するのは早く、またその量も多かった。
一滴も逃さないよう、じゅるじゅると精液を吸い上げ嚥下していく。
それがしばらく続いた後、少女はようやく男のモノから口を離した。
「ふぅ、おいしかった♪」
「そうか…それはよかったな……」
快楽の余韻が残っているのか気だるそうに返事をする。
「十分出ただろ?だからそろそろ……」
「え?まだお腹いっぱいじゃないよ?」
「……え?」
「すごくお腹空いてたんだもん。ごちそうさまはまだだからね♪」
「え、ちょ、待っ……!」
「改めていただきま〜す♪」
その日の夜は、街に水音が絶えなかったという。
「……なあ」
「ん?なあに?」
とある日の貧困街。
通りを歩いていた男はふと立ち止まり後ろを振り返る。
「……なんで付いてきてんの?」
「だってぇ、お腹空いてきたんだもん♪」
「……」
えへへ、とあどけなく笑うレッドスライムの少女。
彼女はあれ以来、男について回るようになっていた。
そして行く先々で現れては精をねだっていたのだった。
(俺はエサか何かかよ……)
内心ため息を吐きながら、彼女に言う。
「残念ながら俺の方が腹減ってんの。できればなんか食べ物持ってきてくれない?」
「イヤ♪」
「……スープにするぞ?」
「できないくせに〜」
「さあどうだろうな?俺は食わないけど、黙って売れば金になるかもしれないしな」
「むぅ……それもイヤ」
「じゃあ大人しく待っててくれよ」
「わかった……」
分かりやすく落ち込む彼女に、男は思わず頬の端が緩む。
(まあ本当に売ったりなんかしないけどな)
むぅと眉をひそめている可愛らしい姿を見ていると、つい手を伸ばして頭を撫でてしまいたくなる。
しかしそれをぐっと堪えると前に向き直って再び歩き出す。
「ねぇ、今からどこ行くの?」
「ん?街角にあるレストランだよ。あそこはよく余り物くれるからな」
「私も……一緒にいい?」
「ああ、いいよ」
「やった!じゃあキスして!」
「なんでそうなるんだよ……」
「だからぁ、お腹空いてるの!」
「………夜になったら腹いっぱいにしてやるから」
「ふふふ、楽しみにしてるね♪」
それからというもの、貧困街では幸せそうに並んで歩くひとりの男とひとりのレッドスライムを見かけるようになったという。
夕暮れ時。
ひとりの男が、朱色に染まってきた斜陽を浴びながら、
レンガ造りの家が並ぶ通りを歩いていく。
その身なりはお世辞にも良いものとは言えず、
ボロに近く色の褪せた服は、所々穴が空いたままになっていたり端が擦りきれたりしている。
髪はボサボサと生え放題になって手入れがされていないことが見てとれ、その表情はどこか
やつれているようでもあった。
そんな彼の手には人参を始め、いくつかの野菜の切れ端が握られていた。
それは何件かの料理店や家庭を回って手に入れたものだ。
そう、彼は物乞いをして生活をしていた。
彼は生来から乞食だった訳ではない。
それどころか、この街の名門貴族の末席に名を連ねる家系の長子であった。
貴族の一人息子として大切に育て上げられた彼は、その家の名に相応しい青年へと成長した。
しかし、大切に育てられた故に世の中を知らなかった。
両親を流行りの病で亡くしてしまうと、途方にくれた彼は毎日を泣き明かした。
その悲しみを粉わせるかのように、彼は賭け事の類いに執心していった。
トランプ、ルーレットとやれるものなら何でもやった。
世間のことに対してまったくの無知であった彼は賭け事をただの享楽としか受け取れなかった。
金ならいくらでもある。勝ったら勝ったで金は増えるし、負けたとしても損失は大したことはない。
そうして彼は一進一退の興奮にさらにのめり込んでいった。
いいカモにされているとは知らずに。
気がつけば山のようにあった両親の遺産は底をつきかけていた。
そこで諦めていたらよかったものを、しかし止めようとはしなかった。
彼は負けず嫌いだったのだ。
周囲の反対を押しきり、いままで負け込んでいた分を取り返そうと躍起になっていた。
それだけならまだよかったのだが、家の土地の権利書まで持ち出したのがいけなかった。
当然のごとく賭けには負け、あっという間に名門貴族の名は地に落ちていった。
そして、今に至る。
豪奢な屋敷住まいは、狭い裏通りでの生活に様変わりし、柔らかなベッドの代わりに固い石畳の上で寝なくてはならなくなった。
「慣れてきたとはいえ、やっぱり屋敷の方がいいよなぁ…」
貧困街を歩きながら、男は一人呟く。
「せめて並の生活ができればいいんだが…」
しかしその願いは当分のところ、叶いそうになかった。
観念したようにひとつ息をつくと不意に空腹が思い出され、
一先ず今現在の飢えを満たすためにも自分の住み処へと足を早めるのだった。
「………ん?」
先程からいくらかの距離を歩き、もうすぐ寝床としている場所に着くところまで来てあるものが
目に入った。
それは裏通りへと続く道の前、つまり男の住み処の正面に落ちていた。
「なんだこれ?」
近づいて見てみると、その様子がよく分かる。
朱色でぷよぷよとした半透明の塊が水溜まりのように一ヵ所に集まっている。
中央の部分が少し盛り上がっていて、よく見るとそれは少女の形をしており、意識はないが
時折ピクピクと動いているようだった。
男はこれが何なのかすぐに合点がいった。
「なんだ……レッドスライムか」
レッドスライム。
他の魔物と同様に魔王が代替わりしてから女性の姿をとるようになった不定形の魔物である。
人も魔物も自由奔放に暮らしているこの街ではどんな魔物がいたところでさして驚かれはしないが、それでも魔物が道端に倒れていたら大抵の人は驚く。
男の声が残念そうなのは、我が家の前に落ちていたそれが食べ物であることを期待していたからだった。
「いや、待てよ…」
ふと男は顎に手をあて、朱色をした半透明のそれをしげしげと見つめる。
その眼に写っていたのは魔物でも少女でもなく、ゼリー状の『食べ物』だった。
「これ、食えるんじゃないか…?」
人間、極限状態になるととんでもない考えを起こすものである。
そして図らずも彼もそんな人間のひとりだった。
レッドスライムを見てお屋敷で生活していたころに飲んだオニオンスープでも思い出したのだろうか。
正直、魔物が美味しいかどうかは分からないが、住み処の前に魔物が倒れているという状況でそれを食べようと考えてしまうほど彼は空腹だったのだ。
「ちょっとくらい……いいよな……?」
その時の彼の目は異様な光を放っていたそうな。
「うぅん……あれ?……ここは……?」
ふと、何か息苦しさを感じて私は目を覚ました。
徐々に意識が戻ってくるのを感じる。
しかしぼやけた視界に入るのは暗闇だけ。
今どこにいるのかまったく見当がつかなかった。
「たしか私は……そうだ、お腹が減って気を失ってそれで……」
道端で倒れた、はずだった。
その後どうなったのか覚えていない。
目を凝らしてみても以前として真っ暗で、何も見えない。
状況をよく知るために体を起こそうとして気が付いた。
今私はすごく狭い場所にいるということに。
まるで箱のようなものの中にいるようで、身動きをとるスペースもなかったのだ。
そして体に感じる違和感。
まるで下半身が溶けて上半身とひとつになっているような……
あ、私スライムだから当たり前か。
そうではなくて主に下半身の方が
……熱い
足元からじわじわと熱気が立ち上ってくるのがはっきりと分かる。
しかもだんだんと熱さが増してきている気がする。
これって……もしかして危険な状態?
暗く、狭く、熱い。
それ以外の情報を遮断され、命の危険まで感じてきた私の頭は次第にパニックへと陥ってしまう。
「……ねぇ!誰かいないの!?ねぇったら!」
声を上げてみるがただくぐもった音が響くだけ。
全身が凍りついた。
「ちょっとぉ!!なんなの!誰かぁ!誰か助けてぇ!!ここから出して!!」
叫びながら、見えない壁を叩き、窮屈な箱のなかで暴れまわる。
これが効果があるのかは分からない。
だけどこんな訳のわからない所で命を落とすのが怖くて必死で助けを呼んだ。
すると案の定、ぐらっと体全体が傾くような感覚がして
ガシャン!!
衝撃と共に視界が明るくなり、体が固いものに叩きつけられる。
どうやら外に出たようだが周りにはまだ薄暗さが残っている。
上を見上げるとぽっかりと月が浮かんでいる。
気絶している間に夜になっていたらしい。
「いたたた……って、私スライムだから痛くないのか」
痛みもしない頭を擦りながらのっそりと体を起こすと、そこも壁で囲まれた空間だった。
しかし、今度は月明かりのおかげで周囲の状況がはっきりと分かる。
ボロボロと所々崩れている建物の壁や石畳は、
私が倒れる前と変わらずに貧困街にいることを示している。
だがそこらじゅうに毛布や物が整理されて置いてあるのを見ると、ここが居住スペースであることを感じさせた。
……なんでこんなところにいるの……?
そんな疑問を感じつつそれらをぼんやりと眺めていると突然背後から大声が響く。
「あああああああ!!俺の晩飯がああああああああああああ!!!」
突然のことでビクッと驚いて、思わず振り返るとそこにはボロボロの格好をした男がいた。
どうやらこの空間は布で外と仕切られているようで、男はそこから入ってきたようだった。
その人は私の目の前まで来ると、膝から崩れ落ちてガクッと項垂れてしまった。
「嗚呼……せっかくの晩飯が……」
もちろん私は状況が飲み込めない訳で。
「えと…あの、晩飯って……?」
恐る恐る尋ねてみる。
すると彼はあるものを指差す。
その指し示す先を辿っていくと、目に入ったのは横転している鍋、散乱している野菜の
切れ端、そしてパチパチと小さく燃えている焚き火……
あぁ、鍋が倒れてしまったのね。
ってあれ?鍋…?火…?
これって……
「……どういうことなのか説明してもらいましょうか……?」
「ひぃ!」
その時の私は、顔は笑ってたけど目は笑ってなかったと思う。
「……で、何?お腹が空いてたから私が美味しそうに見えて、それで野菜と一緒に煮込んでたってわけ?」
「ゴメンナサイ……」
所変わらず男の住み処。
そこには頬を膨らませたレッドスライムの少女の前に男が正座をしているという、不思議な構図が出来上がっていた。
「信じられない……」
「……返す言葉もない……」
「まったくもう……」
男は申し訳なさそうに俯く。
彼も悪気があったわけではなく、その様子を見る限り反省はしているようだった。
(まあ本当に食べたわけじゃないんだし別にいいか。それよりも……)
彼女はふう、とひとつ息をつくと組んでいた腕をほどき、ちらと男を一瞥した。
(この人……おいしそう……)
彼と同様に空腹であった彼女には、魔物としての姿が見え隠れしていた。
ゴクリと喉をならすと、男に言った。
「じゃあ代わりと言ってはなんだけど、ひとつお願いがあるの」
「お願い……?」
「私も今すっごくお腹空いてるの。だからいっぱいにしてほしいんだけど」
「……ここには食べ物はないんだが……」
「ああ、そうじゃなくて」
訝しげな視線を送る男に、焦れったそうに首を振る少女。
「あなたの精が欲しいの」
「……はい?」
「だから、あなたの精をちょうだいって言ってるの!」
「精ってその…精ですよね?」
「うん」
何でもなさそうに言ってのける彼女。
魔物としては当然と言えば当然なのだが、人間である男にとってはそうではなかった。
箱入り息子とでもいうような育て方をされた男は、情事に関する知識がほとんどなかった。
それどころか女性に触れた経験もなかったのだ。
精が欲しい、という言葉だけでも赤面してしまう程に。
「で、どうするの?」
首を傾げて尋ねてくる。
「えっと……その…」
彼は迷っていた。
彼女が何を求めているのかだけは分かっていた。
その後に続く行為も。
しかしそれ以上でも以下でもない。
あまりにも無知過ぎたのだ。
だからこそ未知に対する恐れのようなものを抱くのは自然であった。
「嫌ならいいけど」
「……」
しかし、彼はなんと言っても男であった。
そして、男というものは女性に言い寄られると断れないものである。
「お、俺でよければ」
「ん、ありがと♪」
こうして彼の長い夜が始まるのだった。
「ほんとにいいのね?」
「あぁ…構わない」
横になった男の上に跨がりながら、レッドスライムの少女は尋ねる。
ここまできてもすぐに襲わずに男を気遣うのは人間らしい感情が発達したレッドスライムゆえだからだろうか。
それでも顔はどこか赤らんでいて発情しているのが見てとれる。
一方男の方は緊張しているのか、表情には固さが見える。
彼女にはその顔が堪らなく愛おしく見えた。
「じゃあまずはリラックスしようか♪」
そう言うと彼女は自身の液状の体を服の下にスルリと滑り込ませ、男の身体をすっかり覆ってしまう。
突然のヒヤリとした感触に、思わず男の全身が強張る。
「大丈夫、ちょっとほぐしてあげるだけだから」
安心させるようにそう告げると、液状部分がむにゅむにゅと動いて身体を緩やかに刺激し始める。
肩、腕、足と筋肉の多いところを程よい加減で揉まれ、固くなっていた身体も解されていく。
まるで温い湯に浸りながらマッサージを受けているような感覚。
最初は緊張していた男の表情も次第に安らいだものへとかわっていった。
「ねぇ、気持ちいい?」
「あぁ…なかなかいいな」
「ふふっ、それはよかった。じゃあもっとしてあげるね」
嬉しそうに笑むと今度は揉む力を強め、ぐにぐにとした動きに変わる。
性交に至らないまでも、その穏やかに続く心地よさに男は完全に身を委ね、悦楽に浸っていた。
そうした全身マッサージをしながら、少女はふと思い出したように男に尋ねた。
「そういえばあなたの名前聞いてなかったね。
なんていうの?」
「…ん、俺か?俺は……」
身体を揉み解されながらも、男は少し思案すると
「……ポーカーにかけちまった」
「……え?」
「昔博打に入り浸ってたときがあってな。それで負けて無くしちまったよ」
事も無げにそう言い切った。
彼としては真剣に答えたつもりであったのだが、
彼女は一瞬キョトンとした顔をして
「ぷっ、アハハハハ!なにそれ?カッコつけてるの?」
「お、おかしかったか?」
「だって名前を賭けちゃうなんてウソっぽいんだもん」
「真面目に答えたつもりだったんだけどなぁ…」
「おかしいけど、でも」
腹を抱えながら笑っていた少女は、そこまで言うと不意に顔を近づけ
「…そういうのキライじゃないよ」
唇を重ねた。
あまりに突然過ぎることに男は呆然として行動できないでいると、口のなかに柔らかい感触が入り込んでくる。
気付いたときには既に遅く、侵入してきたそれはなだれ込むように口内を動き回り、撫で回し、蹂躙する。
必死に押し返そうとするものの、その為に伸ばした舌にも貪欲に絡み付いてくる。
まるで舌自体が吸いとられるような感覚。
まったく抵抗の余地がない、一方的なキスは、しかし少女が口を放すことで終わりを迎える。
「ぷはぁ♪……私のキスどうだった?初めてだったんだけど」
「……いきなりすぎるだろ。驚いたんだけど」
「だってぇ…ガマンできなかったんだもん♪」
悪びれもせずにふふ、と笑う少女。
顔は完全に上気していて、既に魔物としての本性が現れ出ていた。
どうやらマッサージをしつつも彼の汗を吸収して完全に発情したようだ。
「ねぇ、それよりそろそろ……いいでしょ?」
「…わかった」
「やった♪」
子供のようにはしゃいだ声を出すと、待ちきれないと言わんばかりに下着ごと
一気に男のズボンを下ろした。
そして露わにされる男の肉棒。
それを見て少女は歓喜の声を上げる。
「わぁ、おっきい…!」
「…あんまりじろじろ見ないでくれ」
「ふふ♪ 照れなくてもいいのに〜。
じゃあさっそく、いただきま〜す♪」
そう言い終わるが早いか、大きく口を開けてそのままパクっと肉棒を咥え込む。
ただそれだけでも男の全身に痺れるような快感が走る。
粘度の高く、それでいて湿った感触が肉棒を覆ってしまうと、ぐちゅぐちゅと音を立てて舌が蠢く。
「あむ…じゅぷ…じゅぷ…ちゅう…」
「うぁ……!」
舌全体で舐り、吸い上げ、また咥え込む。
執拗に舌を絡ませ、搾り取るように上下に動かす。
放したかと思うと亀頭を重点的に責められる。
男は絶え間無く襲ってくる強烈な快感の波に、既に限界に達しようとしていた。
「ふふっ、らひてもいいんらよ?」
咥えながら喋る振動に加え、射精を促すように頭をストロークさせる。
もはや耐える余地など皆無だった。
「で……でる……!」
「らひて!いっはいらひて!」
止めとばかりにイチモツを一気に飲み込んでしまう。
それが引き金になったかのように、
ドクドクと音を立てて精液が少女の口の中へと放出される。
初めてであることもあってか達するのは早く、またその量も多かった。
一滴も逃さないよう、じゅるじゅると精液を吸い上げ嚥下していく。
それがしばらく続いた後、少女はようやく男のモノから口を離した。
「ふぅ、おいしかった♪」
「そうか…それはよかったな……」
快楽の余韻が残っているのか気だるそうに返事をする。
「十分出ただろ?だからそろそろ……」
「え?まだお腹いっぱいじゃないよ?」
「……え?」
「すごくお腹空いてたんだもん。ごちそうさまはまだだからね♪」
「え、ちょ、待っ……!」
「改めていただきま〜す♪」
その日の夜は、街に水音が絶えなかったという。
「……なあ」
「ん?なあに?」
とある日の貧困街。
通りを歩いていた男はふと立ち止まり後ろを振り返る。
「……なんで付いてきてんの?」
「だってぇ、お腹空いてきたんだもん♪」
「……」
えへへ、とあどけなく笑うレッドスライムの少女。
彼女はあれ以来、男について回るようになっていた。
そして行く先々で現れては精をねだっていたのだった。
(俺はエサか何かかよ……)
内心ため息を吐きながら、彼女に言う。
「残念ながら俺の方が腹減ってんの。できればなんか食べ物持ってきてくれない?」
「イヤ♪」
「……スープにするぞ?」
「できないくせに〜」
「さあどうだろうな?俺は食わないけど、黙って売れば金になるかもしれないしな」
「むぅ……それもイヤ」
「じゃあ大人しく待っててくれよ」
「わかった……」
分かりやすく落ち込む彼女に、男は思わず頬の端が緩む。
(まあ本当に売ったりなんかしないけどな)
むぅと眉をひそめている可愛らしい姿を見ていると、つい手を伸ばして頭を撫でてしまいたくなる。
しかしそれをぐっと堪えると前に向き直って再び歩き出す。
「ねぇ、今からどこ行くの?」
「ん?街角にあるレストランだよ。あそこはよく余り物くれるからな」
「私も……一緒にいい?」
「ああ、いいよ」
「やった!じゃあキスして!」
「なんでそうなるんだよ……」
「だからぁ、お腹空いてるの!」
「………夜になったら腹いっぱいにしてやるから」
「ふふふ、楽しみにしてるね♪」
それからというもの、貧困街では幸せそうに並んで歩くひとりの男とひとりのレッドスライムを見かけるようになったという。
13/03/28 20:53更新 / リテラル