読切小説
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We can walk to tomorrow
――いちばん壊れやすいのは、こころ。
――正解。




 私は、構えていた刀をゆっくりと下ろした。そのまま左右に切り払い、鞘に納める。それから、目の前に倒れて動かない少女を見つめた。
 そう、少女。血まみれの体で血だまりに横たわり、ぴくりとも動かない。その体から流れ出た血液は、石畳に不気味な模様を描き出している。そして、不思議と澄んだ青い瞳からは、もはや生気を感じなかった。
 死んでいる。というか、私が殺した。しかし、私が切りつける前から彼女は満身創痍だった。体中から血を流し、それに倍する量の返り血を浴びていた。

「…………」
 私は黙って彼女の目蓋を下ろした。そのまま踵を返し、足早にその場を立ち去る。あの少女が盛大に神殿騎士を虐殺したおかげで辺りには新しい死体がごろごろしている。中にはミンチのようにつぶれて、顔すら判別できないようなものまである。じきに野次馬で埋め尽くされることは想像に難くない。

「…………」

 一瞬だけ振り向いて、すぐまた前を向く。依頼主のところへ行くために。心の中に荒れ狂う炎をなだめながら、私は教会へ向かった。




 がちゃり、と重々しくそびえ立つ扉に手をかけ、片手で押す。本来大の大人が2人がかりで開くように作られた扉が、私の片腕でその奥を覗かせた。開いた扉の隙間から教会の中に入り込み、再び片腕で扉を閉める。
 教会の内部は流石に宗教国家なだけはあり、非常に豪華な造りになっていた。しかし、その広さに見合わない小さめの窓からは、十分な光が届いていない。あるいは、それによって神秘を演出したつもりなのだろうか。だとしたら、ここの設計者は相当にセンスが無いと思う。
 それでも、この教会は貴族などの上流階級の使用する教会なので、壇上だけでなく客席もとても金が掛かっている。客席は町中にある教会のそれではなく、一つ一つにクッションやひじ掛けのついたものだ。
 心の中で思う存分場違いだと思いながら、無駄に広い教会の内部を歩く。カツコツと床の大理石が鳴った。
 そうして歩きながらも、警戒は全く解かない。むしろ内部の地理を把握し、戦闘に有利なポジションを探る。それだけでなく戦闘に転用できそうなギミックも頭に入れておく。これまでそうやって生きてきたため、ほとんど癖のようになっている。
 しかし、今回に限ってはその癖を戒める必要もない――。

「おお、エソラ殿!待っていましたぞ」

 無駄に広い教会の奥、異常なまでの飾り付けが施された壇上から、私に声がかけられる。汚いだみ声だが、この教会は音響がよほどしっかりしているらしく、ちゃんと私にも言語として認識できた。
 声の主は神殿騎士団団長、ギルバートという男。件の少女の殺害を、私に依頼した男。

「首尾の方は――と、聞くまでも無いですかな」

 その男が、壇上から私を見下すように見つめる。趣味の悪い装飾まみれの鎧に、むりやりなでつけたような金髪。口は笑っているが、目は私を値踏みするようにねっとりとした視線を投げつけてくる。
 その視線は、私の体をなぞり、最後に顔で止まる。何を考えているかなど嫌でもわかる。女と権力と金に溺れてきた無能の考えることなど。
 嫌な男だ。そもそも、戦場から逃げ帰ってくる騎士団長など無能もいいところだろう。
 だが、今は私情を殺して事務的に対応する。

「依頼は遂行した」

 短く返す。ギルバートの顔が、狂喜に醜く歪んだ。
 ――アレは、小動物をいたぶる子供のような歪んだ喜びだ。弱者をいたぶって、自らの醜い欲望を満足させる者の笑み。
 それを直感的に理解しながらも、私はここを立ち去らなかった。

「それで、報酬の件ですが………」

 そう切り出すことを理解していたからだ。そこで、私は目的を果たすために動きだす。さりとて、力むわけでもなく、あくまで自然体で。

「確か、私の好きなものを一つ、望んでもいい、という内容だったな?」

 最後の確認。答えは聞くまでもない。違うと言えば即座に首を刎ねる、と視線で語る。それをギルバートが理解したかどうかは分からないが、答えは私の望むものだった。

「え、ええ。なんなりと」

 おまえのような旅人が望むものなどたかが知れている。と、その顔には書いてあった。
 確かにそうかもしれないな、と思いつつ、私は言った。


「では、お前の命を貰おう」





 体中が痛い。しかもなんだかねばねばしたものがこびりついている。頭もぼーっとして、思考がうまくまとまらない。
 あぁ、昔もこんなことがあったなぁ。妹の**カと川で遊んで、風邪をひいたときも今みたいに体が痛くて、頭もぼーっとしたっけなぁ。
 あの時は*ルカにさんざんからかわれて、母さんにも呆れられて………。
 僕が死んだときもそうだっけ。剣で刺されて、血がどんどん抜けて行って。痛いのなんて無くなればいいって思いながら、だんだん真っ暗に………
 ぞわり。何かが疼く。何かが違うと僕のどこかが呼びかける。


 ――痛み。

 ――昔。

 ――死。


 ばしりと頭に電流が流れた。その衝撃で、今まで考えていたことは全て混沌の彼方に消えてゆく。そのかわり、僕は僕を取り戻す。
 
「そうだ、僕は――!!」

 手を動かす。動く。足を動かす。動く。そうだ、僕はまだ動く。
 最後に、目蓋を開く。その途端、強い光が流れ込んできて、僕の視界を白に染め上げた。でも、僕は瞳を閉じない。

「僕は一度殺された……!!二度目までも同じことを繰り返してたまるか……!!」

 真っ白な視界の中に、エル*を殺したあの男の顔がフラッシュバックする。あの姿、あの顔、あの笑い。そして、妹の無残な死体。
 ――殺す。もう一度あの死神が僕の前に立ちふさがろうと、必ずあの男だけは殺す。そのためなら、再び壊れたって狂ったっていい。
 僕は、怨念を纏って動き始めた。心の中で、幾千の呪詛をつぶやきながら




「では、お前の命を貰おう」

 私がそう言った後、教会はしばしの静寂に包まれた。ステンドグラスから降り注ぐ、冷たい日の光だけが曇ったり晴れたりを繰り返す。私は相手の反応をじっと待った。
 やがて、凍りついた顔を無理やり動かしたように、ギルバートが似合わない愛想笑いを顔に張り付けて問いかけてくる。

「え、えーと、今なんと………?」

 地面を蹴る。丈夫な大理石が、私の蹴りでびしりと亀裂を孕んだ。しかし、そこにはすでに誰もいない。
 ギルバートと私の間には高低差含め10メートルほどの開きがあったが、私の跳躍でそれは途端に意味を失う。一陣の風となった私に、その程度の距離は距離とは言わない。
 ギルバートには風が舞ったようにしか感じなかっただろう。彼が何かの動きを見せる前に、空中で抜刀した黒刃を喉元に突き付けた。一連の行動を、一切の音を立てずに行った私は、彼の問いに答えるべく音を紡いだ。

「何度でも言おう。お前の、命を、報酬に、貰う」

 刃を突き付けられた喉元が、唾を嚥下するためにか動く。体はのけぞるようにして反り、今のギルバートの姿は情けないの一言に尽きた。それを私は冷めた目で見つめる。
 恐怖に声も出ないのか、叫び声も上げずにかすかに震える視線を私の黒刃に向けている。その瞳の中には、恐怖や困惑、怒りといった負の感情が渦巻いていた。

「10年ほど前。東部のある町が教会の粛清を受けた」

 私の言葉が唐突だったためか、ギルバートは一瞬刃から意識を逸らして私を見た。しかし、その言葉の意味を理解すると途端に青くなり、再び刃を見つめる。まるで、見つめることで死から逃れられるとでも言うように。
 その様子を見ていた私は、疑念に確信を得て言葉を続ける。音がよく通るように造られた教会内部に、神に背く私の声が響くのが可笑しかった。

「理由は、町の浄化。しかし、町の中には魔物の姿は無かった」

 乾いた声で続ける。目の前の男はそれを聞くのを拒否しようとするが、首に突き付けられた刃がそれを許さない。
 死神が聖職者を、神の家たる教会で嬲っているというのに、神はまだ現れない。

「目的は、浄化などでは無かった。出世のための口実。手柄の捏造。自らの私利私欲のためだった」

 私の言葉を聞く唯一の聴衆たる男は、今や脂汗を滝のように流しながらぶるぶると震えていた。それが自らの罪に対するおびえなのか、それとも私という死神に対するおびえなのかはよく判らなかった。
 
「そこでお前は、殺戮を行った。私に殺させた少女は、その町の唯一の生き残り………」

 淡々と男の罪を暴く。私にそんな権利など無くても、そのための力ならある。
 もはや男は蒼白な顔で震えるのみだ。

「私に殺しを命じた者は、対価に命を差し出す。当然だろう?」

 言葉と共に、刃をゆっくりと動かしギルバートの首に近づけて行く。
 しかし、後少しで命を吸う距離まで近づいた刃は、再び止められた。教会の入り口の扉が吹き飛んだ轟音によって。
 その入口には、血まみれの少女が立っていた。




 教会の壇上では、僕を斬り殺そうとした死神と妹の仇の男が立っていた。死神は刃物を男に突き付けていて、その刃はステンドグラスからこぼれる光を浴びていた。
 この場所を見つけ出すのは簡単だった。通りで僕を襲ったのは神殿騎士団。彼らがあの死神を雇ったのなら報酬の引き渡しは当然、教会で行うはずだからだ。問題は時間だったけれど、どうやら間にあったようだ。
 僕は壇上に向かって血まみれの足を進める。白い大理石に紅い足跡が伸びてゆく。

「……失敗なら、報酬は貰えないな」

 そう言って、死神は刃を引いた。ようやく壇上に辿りついた僕の前で、男が情けない声を上げながら壁際まで後ずさる。その顔は面白いほど恐怖に歪んでいた。
 死神はそれに見向きもせずに刃を納めると、出口に向かって歩き出す。僕の横を通り過ぎ、教会の外に消えてゆく。
 
「貴様、こ、この死にぞこないがッ……!!」

 死神が消えたからか、急に元気になった様子の男がこちらを睨みつけてくる。僕はその目を真っ向からにらみ返し、痛む体を顧みずに喋る。

「10年前の真実………。お前が、僕たちの仇か………!!」

 血が入ってかすむ目で睨みつける。怒りが満ちていくにつれて、痛みが引いて行く。体の疼きも、どこかに消えてゆく。

 ――おかえり、ボク。
 ――ただいま、僕。

 僕が壊れつつある。それでも、ボクは止まらなかった。

「ボクの町を、ボクの妹を、よくも………!!」

 完全に痛みの消えた体で、男に向かって猛然と突進する。男は依然まだ何かをわめいていたけど、ボクは人語じゃないと聞き取れないから無視した。
 
「あははははははははははッ!!」

 気が付いたら笑い声を上げている。もうすぐ仇が討てると思うと楽しくて笑いが止まらない。でも、同時に暖かいしずくも目からこぼれおちる。なんでだろう。
 笑いながら、目の前のオジサンが抜いた装飾過多の剣を裏拳で打ちすえる。手加減なしの一撃を加えられた剣は甲高い泣き声を上げて真ん中からぽきりと折れた。
 泣きながら、目の前のオジサンの右腕を掴み、思い切り力を込める。真っ白な鎧に真っ赤な血がこびりつく。けど、すぐに鎧ごと握りつぶされてぐちゃぐちゃになった腕からどす黒い血が流れ出して鎧をさらに染めていく。
 
 ――簡単にハ、殺さナい。

 右腕が壊れたら左腕。左腕が壊れたら右足。右足が壊れたら――。
 
「ねえ、痛い?ボクも、エルカも、皆も、とっても、とっても痛かったんだよ?」

 そう言いながら、左足を引っこ抜く。どくどくと血が流れてくるけど、もうつぶれちゃってたから、こんなものがついていても邪魔にしかならないだろう。うん、ボクって優しい。
 それにしてもどばどば流れ出る血が邪魔だなぁ、汚れちゃうじゃないか。
 
「ねえ、苦しい?血が抜けて行くって、とっても苦しいでしょう?」

 そう言いながら引っこ抜いた左足でオジサンを殴ってみたら、ウンともスンとも言わなくなった。今までうるさいくらいわめいていたのに。寝ちゃったんだろうか?
 こんなところで寝ると風邪をひいちゃうから、起こしてあげる。見開いたままになっている眼球に、2本の指をぶすりと突き立てる。

「ぎぃぃやぁぁぁぁあああぁぁッッ!!」

 起きた。でもまだ許してあげない。だって、

「駄目だよ、ボクたちの痛みはこんなもんじゃなかったよ」




 気が付くと、僕は無人の教会に座り込んでいた。僕の目の前には大量の血と、肉と、骨と、内臓が転がっていた。正視に堪えないほど無残に破壊された死骸は、それでも僕に敵愾心を抱かせた。それと同時に、こらえきれないほどの痛みが体中を駆け巡る。
 その痛みに、僕は歯をくいしばって耐えた。

「……満足した?」

 声のした方を見ると、柱にもたれるようにして死神がこちらを見ていた。過剰な装飾の施された柱に体重を預け、けだるげな顔でこちらを見ている。僕は、その問いにこくりと頷きを返す。
 そして、ひとつ、お願いをした。

「死神さん。僕を妹のところに連れて行ってくれませんか」
 
 すると、にこりと優しく微笑んだ死神は、

「嫌」

 と言った。それに食い下がることなく僕はそうですか、と引き下がる。そして、そのまま立ち上がることなく、じっとそこに座り込む。
 復讐は終わった。同時に、僕の生きる意味も終わった。力なく座り込んだ僕には、もはや立ち上がる気力すら残っていない。じくじくと、痛みに蝕まれる体にも、その体力が残っていない。ただ、ステンドグラスから漏れる陽が、依然としてきれいだった。
 こんな景色の中で、仮初の命を返すのも悪くない。そう思って、仰向けに倒れ込む。大理石の床は、優しく受け止めてなどくれずに僕を強く打った。

「エルカ………。僕、がんばったよ。皆の仇を、討ったよ」

 床に抱かれたまま、つぶやきが漏れる。目から流れた涙が、頬についた血を洗い流していく。
 でも、なぜか心は晴れなかった。せっかく仇を討ったのに………。

「――もう、あなたは人間じゃないけど」

 唐突に、相変わらず柱にもたれたままの死神がしゃべりだした。その声は小さく、ともすれば聞きもらしてしまいそうになる。もしかしたら、ただの独り言なのかもしれない。
 真っ黒な死神は、姿に似合わずきれいな声で続ける。

「心の中身はどうしようもないほど人間のまま」

 そんなことはない。僕の心はもう壊れていて、殺人に対する忌避もない。今だって、1人の人間をただの肉塊に変えた。
 しかし、そんな僕の心情を察することもなく死神は続ける。

「本当は、魔物と人間の間には何もありはしないのかもしれない。あるのは、人間が勝手に開けた溝だけ」

 その顔は相変わらずけだるげで、とてもこちらを気遣っているようには見えない。
 でも、その口からこぼれる言葉は、今の僕にはとても優しく感じた。

「もし、あなたさえよければ」

 ここでやっと死神は顔を上げ、こちらを見つめた。壁にもたれたまま、僕の方に手を差し伸べる。

「私と、生きましょう」

 それは相変わらず小さな声で、少しの雑音にもかきけされてしまいそうな一言だったけど、僕にとってはそんなことはどうでも良かった。
 気が付けば僕は死神の方に手を伸ばして、うまく機能するかも怪しい喉を使って叫んでいた。

「はい………!!」




 バルバスの町はずれにある、小さな宿屋の一室。僕は傷跡すら残らず完治した腕を、革製の真っ黒なコートの袖に差し入れる。そのまま両腕を通すと、コートについているフードをかぶった。短い黒髪をそれで覆い、そこはかとなく人相を隠す。
 このコートやズボンはエソラさんの持ち物だが、血まみれズタボロの僕の服では目立つからと貸してくれたものだ。流石に彼女の持ち物らしく、全部真っ黒である。

「着替え、終わった?」

 後ろから、気配もなく部屋に入って来ていたエソラさんが声をかけてくる。正直に言えば全く気が付かなかったのだが、そんなことはおくびにも出さずに答える。

「終わったよ」

 振り向いて見ると、あのときのように壁にもたれかかってこちらを見ているエソラさんの姿があった。相変わらずの存在感すら希薄なその姿は、僕に安心感を抱かせた。
 そう、と彼女は頷き、自分の荷物を手に取る。

「じゃ、出発ね」

 それに頷きを返し、僕とエソラさんは連れだって部屋を出る。最後に部屋を見渡して忘れ物が無いかチェックし、扉を閉め鍵をかける。
 鍵をエソラさんに渡し、僕らはそのまま階段を降りた。鍵を無人のカウンターに置き、宿屋の外に出る。

「昨日の騒ぎ、どうなったの?」

 僕はずっと気になっていたことを聞いてみた。あれだけ暴れたのだ、きっと大騒ぎになっているに違いない。

「どうってことないわ」

 エソラさんは、外の風に長い黒髪をなびかせながら答える。

「あなたがあいつを殺したし、主だった団員も皆戦死したから。この町の警察組織はほとんど壊滅したの」

 僕はその姿につい見惚れて、エソラさんの話した内容はほとんど上の空で聞いていた。しばらくぼーっと見惚れてから、はっと我に返る。
 エソラさんがいつの間にか歩き出していたからだ。

「あ、ちょっとー」

 そう言いながら慌てて追いかける。エソラさんはこちらを振り向き、薄く笑った。それもまた、とっても綺麗だった。




 ――エルカ。僕はもうちょっとこっちで生きてみることにしたよ。多分、そのうちそっちに行くと思うから、もうしばらく。もうしばらくだけ待っていて――
10/12/30 14:01更新 /

■作者メッセージ
こんにちは、湖です。

今回は「Lost」の続編になっております。
ってこれあらすじにも書いた気が………。

というわけで、連載にしなかったことを激しく後悔している湖です。
どうでしょうか、ちゃんとSSになっておりますでしょうか。
僕のストーリーを皆さんにお届け出来たなら幸いです。

では、読んでくださった皆様に最上級の感謝を

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