Shall we……
一人の男を虜にした。
世を救う勇者でも総てを識った賢者でもないただの男は、月光の下でわたしを激しく貪り――わたしの餌食となった。
それで正しい。それが正しい。わたしは男を取り込む夢魔なのだから。わたしが視線で誘えば男は見とれ、わたしが深淵へ誘えば男は理性を失う。
獣性をむき出しにした彼に組み敷かれても、その欲望に塗れた瞳で穢されても――彼はわたしの可愛い奴隷。まるで“おあずけ”でもするように嫌がるふりをしてやれば、たちまち大人しくなる。
彼のすべてをわたしが握っている。体も心も、恋も色も。夜な夜な這い寄る夢魔に、彼は性も生も、全て捧げることになるのだ。
嗚呼、世の夢魔がそうであるように。夜の夢魔が、そうであるように。
自らの躰を餌にして、淫らに卑猥に淫蕩に。甘ったるい蜜のような快感を、目の覚めるような快楽を、彼に教えてやった。
蜜の味を覚えた彼は、目の色を変えてわたしを求めて――夢魔は、妖艶な笑みと共にそれに応えた。
いつまでも甘さの残る深い口づけに、ケモノの首輪を外すための優しい愛撫。解き放たれたケモノは、欲望のままに長い夜を駆ける――。
一匹の獣を虜にした。――初めは、それで構わなかった。
わたしは夢魔。わたしの躰は男を誘うためにある。
しかし――いつの頃からだったろうか、彼の瞳が、わたしを見ていないことに寂しさを覚えるようになったのは。
夜、部屋を訪れたわたしを出迎える彼も、夜、シーツをかぶって肢体を隠してみせるわたしを見つめる彼も。夜、貪りあうさなかに交わる視線の彼も――。
わたしを見てなどいなかった。
“だって、それは仕方がないでしょう?”
愛されているように見えても、操っているように見えても――わたしは彼の可愛い奴隷。彼が求めているのは、夢魔であって、わたしではないのだ――。
嗚呼、なんということだ。恋とはこうも、報われないものなのか。生も性も、捧げる覚悟はあるというのに。
わたしが好きだといえば、彼もまた好きだと返すだろう。わたしが愛しているといえば、彼もまた愛していると返すだろう。しかし、そこにあるのは残酷なすれちがい――。
夜な夜な這い寄る、その時間が終われば、彼の心も視線も離れて行ってしまうような気がして。ひたすら彼を求めるわたしは、もうすでに夢魔などではなかった。
一人の男に恋した一人の女。叶わぬ恋に心焦がす、一人の女――。
嗚呼、されど。わたしは夢魔。わたしの躰は男を惑わすためにある。
――わたしを見て!
心が得られぬならと、より激しく、より深くまで。
――ねぇ、もう、どこにも行かせないから
離れていくのを恐れるように、その背中にしっかりと手を回し。
――わたしの事、すき……?
すれちがっていると知りながら、薄っぺらい言葉にすがり。
――わたしも、大好きよ
捨てられたくないと、彼を貪り、貪られ。
しかし――そんな幻想じみた妄想は、永くは続かなかった。
◇◆◇◆◇
“ねえ、もう終わりにしよう”
彼の告げたひと言は、まさに夢の終わりを告げる一言で。
その時の彼の瞳は、まっすぐに、残酷なほどまっすぐに夢魔を見つめていた。
“嗚呼、目を覚まして、しまったのね”
その視線は、もう戻れない決定的な刻の訪れを告げていた。
暮れない日が無いように。また、明けない夜も、無いのだと。
日が明けてしまえば、夢魔は光から逃げるように退散し、再び夜の訪れを待つよりない――。
“うん。……ごめんね、こんな、みっともない僕で”
言葉と共に訪れる、最後の接吻。今までのような深い深いそれではなく、あっさりした甘酸っぱさの、やさしい口づけ。
まるで眠り姫の眠りを覚ますように。まるで貴婦人に愛を語るように。やさしい口づけを交わされた私の指には、いつの間にか銀色の指輪がはめられていた。
銀色の、冷たいはずの指輪。しかし、それは彼が持っていたからなのか、それとも、愛が籠っているからなのか――それはほのかに暖かく。
わたしを彼の下に縛り付ける。
“もう逃がさない。たとえ朝が来ても――どこにも行かせない”
僕といっしょになってください。
夢魔が幾度となくかけられた言葉。わたしが、心の底から欲した言葉。
ナミダは、悲しいときに流れる。だから、わたしがその時に流したそれは、きっとナミダではなかったのだろう。
「「愛して、います」」
世を救う勇者でも総てを識った賢者でもないただの男は、暁光の下でわたしに愛をかたり――わたしの伴侶となった。
世を救う勇者でも総てを識った賢者でもないただの男は、月光の下でわたしを激しく貪り――わたしの餌食となった。
それで正しい。それが正しい。わたしは男を取り込む夢魔なのだから。わたしが視線で誘えば男は見とれ、わたしが深淵へ誘えば男は理性を失う。
獣性をむき出しにした彼に組み敷かれても、その欲望に塗れた瞳で穢されても――彼はわたしの可愛い奴隷。まるで“おあずけ”でもするように嫌がるふりをしてやれば、たちまち大人しくなる。
彼のすべてをわたしが握っている。体も心も、恋も色も。夜な夜な這い寄る夢魔に、彼は性も生も、全て捧げることになるのだ。
嗚呼、世の夢魔がそうであるように。夜の夢魔が、そうであるように。
自らの躰を餌にして、淫らに卑猥に淫蕩に。甘ったるい蜜のような快感を、目の覚めるような快楽を、彼に教えてやった。
蜜の味を覚えた彼は、目の色を変えてわたしを求めて――夢魔は、妖艶な笑みと共にそれに応えた。
いつまでも甘さの残る深い口づけに、ケモノの首輪を外すための優しい愛撫。解き放たれたケモノは、欲望のままに長い夜を駆ける――。
一匹の獣を虜にした。――初めは、それで構わなかった。
わたしは夢魔。わたしの躰は男を誘うためにある。
しかし――いつの頃からだったろうか、彼の瞳が、わたしを見ていないことに寂しさを覚えるようになったのは。
夜、部屋を訪れたわたしを出迎える彼も、夜、シーツをかぶって肢体を隠してみせるわたしを見つめる彼も。夜、貪りあうさなかに交わる視線の彼も――。
わたしを見てなどいなかった。
“だって、それは仕方がないでしょう?”
愛されているように見えても、操っているように見えても――わたしは彼の可愛い奴隷。彼が求めているのは、夢魔であって、わたしではないのだ――。
嗚呼、なんということだ。恋とはこうも、報われないものなのか。生も性も、捧げる覚悟はあるというのに。
わたしが好きだといえば、彼もまた好きだと返すだろう。わたしが愛しているといえば、彼もまた愛していると返すだろう。しかし、そこにあるのは残酷なすれちがい――。
夜な夜な這い寄る、その時間が終われば、彼の心も視線も離れて行ってしまうような気がして。ひたすら彼を求めるわたしは、もうすでに夢魔などではなかった。
一人の男に恋した一人の女。叶わぬ恋に心焦がす、一人の女――。
嗚呼、されど。わたしは夢魔。わたしの躰は男を惑わすためにある。
――わたしを見て!
心が得られぬならと、より激しく、より深くまで。
――ねぇ、もう、どこにも行かせないから
離れていくのを恐れるように、その背中にしっかりと手を回し。
――わたしの事、すき……?
すれちがっていると知りながら、薄っぺらい言葉にすがり。
――わたしも、大好きよ
捨てられたくないと、彼を貪り、貪られ。
しかし――そんな幻想じみた妄想は、永くは続かなかった。
◇◆◇◆◇
“ねえ、もう終わりにしよう”
彼の告げたひと言は、まさに夢の終わりを告げる一言で。
その時の彼の瞳は、まっすぐに、残酷なほどまっすぐに夢魔を見つめていた。
“嗚呼、目を覚まして、しまったのね”
その視線は、もう戻れない決定的な刻の訪れを告げていた。
暮れない日が無いように。また、明けない夜も、無いのだと。
日が明けてしまえば、夢魔は光から逃げるように退散し、再び夜の訪れを待つよりない――。
“うん。……ごめんね、こんな、みっともない僕で”
言葉と共に訪れる、最後の接吻。今までのような深い深いそれではなく、あっさりした甘酸っぱさの、やさしい口づけ。
まるで眠り姫の眠りを覚ますように。まるで貴婦人に愛を語るように。やさしい口づけを交わされた私の指には、いつの間にか銀色の指輪がはめられていた。
銀色の、冷たいはずの指輪。しかし、それは彼が持っていたからなのか、それとも、愛が籠っているからなのか――それはほのかに暖かく。
わたしを彼の下に縛り付ける。
“もう逃がさない。たとえ朝が来ても――どこにも行かせない”
僕といっしょになってください。
夢魔が幾度となくかけられた言葉。わたしが、心の底から欲した言葉。
ナミダは、悲しいときに流れる。だから、わたしがその時に流したそれは、きっとナミダではなかったのだろう。
「「愛して、います」」
世を救う勇者でも総てを識った賢者でもないただの男は、暁光の下でわたしに愛をかたり――わたしの伴侶となった。
12/07/03 13:36更新 / 湖