親知らずの鳥は
それは、これ以上ない醜聞だった。
場所はとある国の、中心に近く中枢から遠い、ちいさな町。住人は皆あたたかく、決して豊かではないが幸せな暮らしをしていた。
その街を治める貴族も、町を愛しそこに暮らす人々を愛していた。
休日には町の教会に人々は集まり、そこでは笑顔と笑顔が交換される、そんなあたたかい町。
絵本の中から飛び出してきたような町に、その醜聞は生まれた。生まれてしまった。
魔物が、見つかったのだ。
その国は反魔物国家で、その町の住人のほとんどは本物の魔物を見たことすら無かった。
領主も教団も正式に発表していないのに、魔物発見の噂は瞬く間に風に乗って広まった。
見つかったのは魔物の子供で、まるで捨て子同然に放置されていたらしい。
本来なら、その子供に命は無かっただろう。子供とはいえ魔物で、ここは反魔物国家の都市なのだから。
だが、事を公にするには少々事情がまずかった。
なぜなら。ここは反魔物国家の中心で、発見されたのは魔物の子供なのだ。
子供が居るのなら、当然、親もいる。そこまで入り込まれるまで、子供が捨てられるまで、教団すら気付けなかった。
それを醜聞と言わずしてなんというのか。
それを公開することが憚られるくらいには、体面のわるいものだった。
そして、ある聖騎士の言った一言が、魔物の子供の明暗を分ける鍵となる。
「魔物、魔物と言うが、私には人の子にしか見えない。たとえ魔物であろうと、我らが正しく導けば、必ずや正しく育つ。それとも、我らはそれすら適わぬほど力のない存在か?」
もともと、教団の誰もがその子供を殺すことを躊躇っていた。
本当にその子供を殺すことが、正しき行いなのかどうか、確信が持てずにいた。
そして、そこにある聖騎士が別の道を示したのだ。教団の醜聞を無かった事にし、あるいは偉大な功績を立て得るかもしれない道を。
こうして、魔物の子は命を救われた。
今日は日曜日だ。町に幾つかある教会のうち、一番小さな教会へ向かう日だ。
小さな私の体躯にあった、あちらこちらに可愛い模様があしらわれた服を着る。フードはかぶらず、後ろに垂れさせたまま、首から銀の懐中時計を提げる。そうして手にはシャベルを持ち、私は小屋の扉を閉めた。
私が身につけるものも、小屋にあるものも。その小屋も、この私自身も。この町の人から貰ったものだ。服はアンリさんが作ってくれた。笛は細工師のベンさんが、シャベルは鍛冶屋のトマス夫妻が、小屋は大工のアレンが。そして、私はあの聖騎士さまと教団の皆が。
どれもこれも、皆私のことを考えてつくられた、私だけのものだった。服は動きやすく、時計は軽くて丈夫。シャベルは鋭くて、簡単に土を掘る。小屋は1人の私には丁度よい広さで、大きな窓からは私の大好きな町が一望できる。
そして、仕事はこの町の皆がくれる。その生の証として、そして、最後の仕上げとして。それを、こんな私にゆだねてくれる。
私は、墓守だった。それも、人間ではなく、魔物の血を引く異形の墓守。
そんな私を、信頼してくれる。
「では、行ってきます」
ばたりとドアを閉め、誰も居ない小屋に向かって、声をかける。
「うん。行こうよ、カッコウ」
呼ばれたのは私の名前。親知らずの托卵の鳥の名前。
私の後ろ。町に続く道から、返事が返ってくる。
私の親友であり、聖職者見習いの、
「イグレシア……」
イグレシアは黒い修道服に身を包み、青い瞳でこちらを見ていた。片手でちいさな聖典を持ち、もう片方の小さな手をこちらに向けて振っている。
「迎えに来たよ。お子ちゃまの一人歩きは危険だからね」
そう言うイグレシアも今年で15歳。十分子供だと思うのだが。その小さな手といい、発展途上の胸といい。
そんな事を思いながら、私はとてとてと彼女の元へ歩みを進めた。
それに彼女は頬を緩め、にやけた顔でこちらを見ている。
「はぁ〜、可愛いな〜。いいなぁアンリさんばっかり。ボクもコウに着せてみたい服とかいっぱいあるのに……」
コウ、というのは私の愛称だ。
アンリさんは私に服を作ってくれる優しいおばさんで、墓場から町へちょっと入った所に住んでいる。
「はぁ〜、いいなぁ。コウは何歳になったんだっけ? まあ10歳くらいにしか見えないけどね」
イグレシアは目をキラキラさせながら言う。このままでは私は彼女に拉致されるかもしれない。
それにしても、友人の歳を覚えていないのはあんまりだと思う。
「14歳ですよ……。もうすぐあなたと同じ15です」
歩き出しながら、答える。
だが、そう答える私の背丈は、イグレシアの言う通り10歳児のそれだった。これで14歳だとしたら間違いなく発育不良だ。だが、私の外見がこれ以上成長することは無い。
別に不満は無いが、墓守としての仕事をしているときに、せめてもう少し大きければ、と思う事はあった。
「うわーっ! その外見で敬語とかやっぱりポイント高いよ! ボクだから良いものの、男の子だったら絶対お持ち帰りだね!」
イグレシアが、シスターとは思えぬ発言を連射する。慣れたものなので、私は気にとめない。だが、こいつはよく教団から破門されないな、とは思う。
私がジト目で彼女を見つめている間も、イグレシアは悶えたり私の頭を撫でたりと一見すると変態にしか見えない行動を繰り返す。
「……なんでイグレシアは破門されないんですか? なんでまだシスターなんですか?」
「え!? ボクの存在全否定!? この善良なボクの、どこに破門される理由があるのさ?」
その答えを聞いて、私ははぁ、とため息をついた。
「自覚の無い変態が一番厄介ですよね……」
すると、自覚の無い変態ことイグレシアは、
「そうだよねー。自覚してない変態は厄介だよね。何言っても聞かないし」
オマエの事だよ! 口が動きそうになるのを必死で止めた。
その代わり、革紐て吊ってあるショベルに手をかけ、次に何か言ったら速攻で頭蓋をたたき割る準備を整える。
すると、その気配を敏感に察したのか、イグレシアが急にまじめな顔になった。
「カッコウ。戸締り、した?」
私の住むこの町は、住む人々が全員知り合いのような小さくも温かい町だ。特に墓場などという町から離れた場所にある小屋に住む私には、戸締りという習慣はなかった。
それはこれまでもそうだったし、これからもそうだと思っていた。
イグレシアだって私の小屋に遊びに来るのは初めてでは無いというのに、何故今回に限ってそんな事を指摘するのだろうか。
「忘れちゃったの? 明日は年に一度の降臨祭だよ」
「あっ――」
忘れていた。
降臨祭とは、この町の教会が主催する大きな催しの事だ。ここは小さな町だが、その時ばかりはあちこちから人が集まる。町の大きな通りが飾り付けられ、いろいろな出店が出る。
もちろん出店の人たちも町の外から来た人たちが多く、降臨祭が終わっても数日は営業を続けるのが常だった。
教会主催故、出し物は真っ当なものに限られるのだが、問題は人の出入りだ。
町に入るには当然審査がある。だが、この時に限って言えば、それはとても緩いものになるのだ。
「そう。だから、もういつもの町じゃないよ。どんな人が来るのか分からないし、皆が善人とは限らないんだよ」
この町の、犯罪発生率が一番高い時期。それが、降臨祭だった。
「そういえば、礼拝の日が降臨祭の準備期間と重なるのって珍しいですよね」
降臨祭はなかなかに規模の大きな祭りだ。当然、この町の教会は全員てんやわんやで準備に駆り出される。
なので、本当なら礼拝どころではないはずなのだが……。
「うん。だから準備はもう終わったよ」
なんでもない事のように言う。
手を頭の後ろで組み、猫のように目を細めて、イグレシアは笑った。
「な、なんで言ってくれなかったんですか! 教えてくれたら、私も手伝いに行ったのに!」
「いや、ダメだよ。コウは墓守だもの」
イグレシアは知っている。墓守という仕事を。イグレシアは知っている。私が生まれのせいでどれほど苦労したのかを。
――だから、イグレシアは私の友人なのだ。
自分勝手で、聖職者で、傲岸不遜で、ちょっぴり変態だけど。細かい気配りが出来て、誰よりも他人を思い遣ることに長けている。
思えば、今までずいぶんとイグレシアに助けられたものだと思う。私は魔物で、本来避けられるべきなのに。
「押しつけられる面倒はボクに押しつけなよ」
気づけば、私とイグレシアは歩みを止めて向き合っていた。広くなってきた道の真ん中で、視線の高さを合わせて見つめ合う。
私を見るイグレシアの表情はひどくまじめで、それが逆に可笑しかった。
「だから。礼拝はボクに任せて、戸締りしておいで。鍵は付いてるでしょ?」
「あ、ええ……。小屋を建ててくれたアレンが、次の年の降臨祭にプレゼントしてくれました」
「あの馬鹿……。なんで最初っからつけなかった……」
イグレシアが呆れるように頭を抱える。
「では、お言葉に甘えて、戸締りしてきますね。一応礼拝には間にあうように戻るつもりです」
「鐘の意味は知っているよね? 一回なれば15分、二回で30分だからね。50分にはいないとまずいから、三回鳴るまでには戻ってくるんだよ」
今日はボクが鐘を鳴らす日なんだ、とイグレシアは笑う。
その笑顔を見て、私はふと思う。彼女が笑わない日なんてあるのだろうか、と。
「気を付けなよ! 降臨祭の時期だけはね!」
イグレシアがそう言って、既に走り出していた私は片手を上げて答えた。
縛りなおし、背中で揺れるショベルの重みを感じながら、私は墓地へと急ぐ。
墓地へはすぐに着いた。元より、町から10分と離れていない。それに、墓地への道は私が整備したのだ。それこそ落ちている小石の位置まで把握している。その道で、この私が時間を食うなど有り得ない。
墓地の入口、水場や薪置き場、その他の道具置き場がしつらえてある一角の隅、私の小屋へ向かう。
「ちょっとだけ、ただいまです」
言いながら、ドアを開けた。内側のドアノブに紐でぶら下がっている鍵を取り、
「では行ってきますー」
ばたんと閉める。真鍮のドアノブの下に開いた小さな穴に、今取ったばかりの鍵を差し込む。クローバーの意匠が施された、可愛らしい鍵だった。
それを抜いて、ちょっとだけ迷ってから服のポケットに仕舞う。
ちりん、と音がした。
「さて、急ぎましょう」
くるり、と振り向いた先で、おかしなものを見た。
遠くに見える山々、その更に向こうの大きな雲。その先に無限につづく青い空。手前には、乾いた地面と少しばかりの草、村人の墓石が並ぶ墓地。
その中に存在する、おかしなもの。
「………?」
まだ綺麗な、汚れの無い小さな手で、ごしごしと目元をこする。そうして見ても、確かにおかしなものはそこに居た。
「アレ……、お客さんでしょうか」
おかしなもの――薄汚れた数人の男たちは、これまたみすぼらしいスコップやツルハシを持ち、私が丹精込めて作った墓石を指さして何やら相談していた。
ぼろを纏い、手には穴掘り道具。ある意味墓場に相応しい彼らは、私に気づくことなくなにやら話し込んでいる。
聞き耳を立ててみた。
「……からよ、ここにゃガキの墓守っきゃいねぇんだよ。狙い目だろう?」
「ふん。だが昼間っから墓荒らしか? 夜まで待った方が確実だろう」
「見つかったって殺しゃ良いさ。ただのガキだ」
「殺す以外にも使い道がありそうじゃねぇか。女のガキなんだろ?」
「あのー、みなさん。ここは教会ではなくてお墓ですよ? 教会なら、あそこの道をずっと行ったところです」
「――!」
男たちが驚いてこちらを見る。
私は黙ってそれを見つめていた。ざわめく男たちを、じっと観察する。
一月前に私が埋葬したマーク・ドミニクの墓の前に立つのは、4人の男。いずれもボロ同然の服を纏っている。1人は短髪、後はぼさぼさの髪の毛をしていた。
噂には、聞いていた。
世の中には“墓荒らし”と呼ばれる者たちがいることを。
彼らは墓守が心をこめて埋葬した死者を掘り起こし、副葬品や死体そのものを盗んでいくことを。
彼らは、墓守の敵だという事を。
私は、聞いていた。
敵が動いた。持っていたズタ袋の中に隠された何かを抜き取る素振りを見せる。
悪意に濁った瞳が私を捉え、撫でまわすようにまさぐった。私もまた視線を飛ばし、男を捉える。交錯した視線は仮想の火花を散らし、私と男の神経を逆なでする。
後ろ手で、ショベルを縛る紐を解く。
「それとも。お墓に何か用ですか?」
ズタ袋から取り出した何かを隠し持つ男が、視線でこちらを探りながらじりじりとにじり寄ってくる。他の男たちはその場にとどまったままだ。
私の歩幅では、もう逃げ切れない距離だ。体力の問題では無く、単純に体格の問題。
成長しないからだが、この場では仇となる。
男は、にやにやしたいやらしい笑いを口に張り付けたままこちらに歩いてくる。その周りの空気すら、汚れて見えるのは、男が墓荒らしだからだろうか。
「ああ、俺たちはここに用があるんだよ――」
最早、男は平然と歩みを進める。汚いブーツで地面を踏みしめ、後ろに隠した手には恐らく得物。
「――だから、おとなしく捕まってくれや」
私は背のショベルを抜き放つ。男は私と同時に、隠し持っていたダガーの鞘を払う。
目が合った。殺意に満ちた、濁った目。私の嫌いな目。再び、視線が交錯する。視線にこもった殺意を交換する。
目測で距離感を補完、完全に手になじんだショベルの芯で打つ構え。私は男の顔面をショベルで狙い、男は私の首元を、ナイフで狙う。
宙に、二つの銀光が走る――。
ゴーーーン、と鐘の音色が響く。重くて大きな音色だが、時間を告げる大事な音色でもある。
ボクは、鐘楼にいた。かなり高い場所にあるそれは、確実に音を届ける為のものなのだろうか。
「ふぅ……。頭痛いなぁこれ」
まだ細かく震え、断末魔に似た残響を残す鐘をぼんやり見つめる。それの後ろには、ボクの住む小さな町が陽光の下に姿を晒している。
小さいけれど、健気に営まれる日常。ボクの好きな毎日。
こんな日が、いつまでも続けば良いと思う。心から。
「カッコウ……。早く来なきゃだめだよ」
鐘楼の柱にもたれて、墓場を見ながら小さく呟く。
呟きは風に乗って、誰にも届かずに潰えた。
どさり、と崩れ落ちる。手からは得物が転がり落ち、がらがらと地面に転がった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
息が荒い。てのひらが汗でぬめり、髪が額に張り付く。
それでも、瞳の炎を消さず、残り三人となった男たちを見つめる。手にはシャベルを持ち、首には銀の懐中時計。
倒れた男は、ぴくりとも動かなかった。
「………。オイ、なんだよコレ。おかしいだろうよ」
たっぷり1分ほど待って、ようやく男たちの1人が口を開く。
その頃には、動悸も、息も、元に戻っていた。それでも目は逸らさずに、残った男を視線で縛る。
「オイ。オイオイ。ガキ1人って話だったじゃねぇか! なんだよコレ!?」
「………」
その問いかけに、誰も答えない。
ただ、男の視線が、私と地面に落ちたナイフのあいだを往復する。血走った眼で、狂気の瞳で、私を睨む。
崩れ落ちた男は、微動だにせず地面と接吻を続けていた。
「簡単な仕事って話だったじゃねぇか! ちょっと墓掘り起こして、ガキが埋めた死体とってくるだけだったはずじゃねぇか!? 一体何なんだよ!」
叫びは、虚空に消えていく。だが、私の耳には届いた。届いてしまった。
死体を、とってくる。
なんでもない事のように、そんな事を言い捨てる男。
ぎりり、とショベルを握る手に、力が入った。小さくて白い、子供の手で握られた樫の柄は、当然ビクともしない。
遠くの雲が、ゆっくりと形を変えてゆく。
「オイ。落ちつけよ。相手は1人だ。こっちが1人やられたからって、慌てる事はねぇ」
静かな怒りに満ちた瞳を向けた先に、落ち付いた様子の男がいる。
取り乱す男に後ろから近づき、ばふっと肩を叩く。
「こっちは3人だぞ。それに、ガキの力自体はたいして強くねぇ」
分析される。冷静に、一方的に、私を分析する。
そうだ。私は魔物とはいえ、力は強くない。体も小さく、手足を大人に比べれば圧倒的に短い。
だが。
「そ、それもそうだな……。オイ、やっちまうぞ!」
男たちがツルハシを構える。最早、体面も気にせずそれを振りかぶって、私を狙う。
敵は走る事はしない。走らずとも、私を殺す事は容易いからだ。
明確な殺傷力を秘めたツルハシが、岩石の代わりに私を砕くべく、その鈍色のくちばしを輝かせる。
「………」
ゆっくり、ゆっくりと後ずさる。無意識の内にシャベルを構えて、銀の鎖で首から下がった銀時計の背を撫でた。冷たい金属の感触が、人差し指を伝う。
日常の中に紛れ込むような非日常に、確かに私は動転していた。それでも、平静を取りつくろって敵を見つめる。
灰金の瞳いっぱいに敵の姿が映る。脳裏には警鐘が鳴り響き、逃げろ逃げろと急かす。
「死ね」
男がツルハシを振り下ろす。鈍い風切り音を鳴らして振るわれる刃は、直撃すれば確実に私を殺すだろう。
だが、凶器も当たらなければただの重りだ。
「――ッ」
身を捻って回避する。墓場の硬く乾いた地面を蹴って、ツルハシの切っ先をかわす。
私の首で銀時計が暴れ、ショベルは重石になって私の動きを縛った。
だが、かわした。硬い地面を抉ったツルハシは、その重さとも相まってすぐには二撃目を放てない。
目測で距離感を補完。地面を踏みしめ、体勢を安定させてシャベルを振りかぶる。私の灰金の瞳は、完全に目の前の男を捕捉した。
男は呆然とした表情で私を眺めていた。その鼻をへし折る構えで、私はショベルを振り下ろす。
「――させるかよ。ガキ」
肺の空気が残らず吐き出され、身体が宙を舞った。ショベルはあらぬ方向へ飛んでいき、くるくると回転してざくりと地面に突き立つ。視界がぐるりと回り、平衡感覚が狂い死んだ。
私の体も地面でバウンドし、全身どろと擦り傷まみれになる。かすむ視界で見れば、ツルハシ男の脇に短髪の男が立っていた。その男に蹴られたのだと、一瞬で理解する。
口の中にまで泥が入り込み、泥の味が口の中いっぱいに広がる。
「がっ、は――ッ!!」
もう一人の男は、飛んで行った私のショベルをからん、と足で蹴倒す。
さげすむような目で私を見下し、いやらしい笑みを浮かべて嘲笑した。
「はっはァ、昼間にやってた方がよかったろ? このガキ、良い面してるじゃねぇか。売り飛ばすにしても可愛がってやるにしても、上玉には違いねぇ」
「フン。気を抜くのは終わってからにしろよ。オイ、そこで寝てる奴を起こせ。俺はこのガキを縛っとく」
体中が痛い。それでも、痛みをこらえて立ち上がる。
「お? まだ起き上がるか。だがお前にもう武器は無い。観念するんだな」
「――まだです」
ちゃり、と鎖の鳴る音。手に鎖を絡めながら、銀の時計を手に取る。
全身の傷がもたらす熱さの対極にあるように、銀細工の時計はひんやりと冷たかった。手から、内部の機構の動く一定のリズムが伝わってくる。
ぱちり、とその蓋を開く。仕込まれたばねの力によって、蓋は勢いよく開いた。その奥に現れるのは、シンプルだが、どこか上品な文字盤。
ゆっくりと、私の中に、私が生まれ落ちた時からある魔力を手繰る。私に残された、最後の武器。
「私は、カッコウは、魔女です」
私が今から行うのは、邪法の魔術。教会の教えに背く、背徳の理。
私を支える全てに対する裏切りともとれるその業を、しかし、私は用いる。
この町を、この町に眠る死者を護るため――。
「――炎よ」
両の灰金で目標を捕捉。距離感を補足し、脳内で式を組み立てる。声に出すのは最後の引き金、邪法の魔術は一瞬にして完成した。
銀時計を触媒に、空中に魔法陣が展開する。左右非対称で、幾何学的な図形の組み合わせであるそれは、それなのにどこかが歪だ。
次の瞬間、私に向かって歩みを進めていた男が、炎に呑まれた。
魔物や外道の魔導師が用いる、邪法の魔術。人を傷つけ、奪うための魔法。
誰に教わるでもなく、あまりにも自然にそれを繰る私は、やっぱりどうしようもなく魔物なのだろう。
その背徳を用いる自分自身に、わずかな痛痒を感じる。私を信じて、魔物である私でさえも人であると言った、あの聖騎士の言葉を自ら否定する行いに、心が張り裂けそうになる。
どこからともなく発生した炎は男を飲み込み、だが可燃物を持たない炎を短時間で鎮火する。
「があああああぁッッ!!」
それでも、男を止めるには十分だった。男は歩みを止め、残りの二人も突然の出来ごとに固まったままだ。
その隙に、私はたたみかける。
心に流れる涙を無視して、墓守としてではなく魔物として、不埒者に鉄槌を下す。
「風よ」
男に、真空の切れ味を秘めた風が襲いかかる。あっという間に服は裂かれ、辺りに真紅の血が飛び散った。
「土よ」
男に、急激に隆起した地面が襲いかかる。胸の中央を打たれ、男は口から血を撒き散らした。
気づけば、私の口元は流れる血に由来する嗜虐的な笑みで歪んでいた。血を吐いてのたうち回る男に、優越を感じる自分が居る。
同時に、この程度では足りない、とも感じる。もっと圧倒的な力で蹂躙し尽くして、二度とこんな行いが出来ないようにしなければ、と。
「闇よ――」
がし、と銀時計を持つ手を掴まれる。はっとして振り返ると、そこには正装用の鎧で身を固めた騎士がいた。腰には教団の紋章が入った剣を吊っており、そのいでたちは正に騎士といった感じだ。
――いつの間に、近づかれていた?
そんな疑問が湧いて出る。騎士は鎧に身を包んでいて、無音で歩くなど到底不可能だ。なのに、腕を掴まれるまで気付けなかった。それはつまり――。
途端、全身を流れる血液が凍りついたかのような寒気が私を襲う。騎士に掴まれた手から力が抜けて、銀の時計が手から零れおちた。
――目の前の獲物をいたぶるのに夢中で、それに身を任せて、人としての自分を失っていた。
「もう、止めなさい。これ以上やると、死んでしまう。それとも、殺す気だったのかな」
兜の奥、綺麗な青い瞳はちっとも笑ってなんかいなくて、それがまた私の恐怖をあおる。
私は彼の疑問を否定するように首を何度も横に振り、恐ろしくて出てきた涙をこらえる事が出来なくて、ただ涙する。
私は、彼の、教団の、この町の信頼を裏切ってしまった。私を信じてくれた全ての人々を裏切ってしまった。
「そうか。詳しい話は教会で聞こう。私は君を迎えに来たんだよ。――無事でよかった」
聖騎士は――ウィリアム・アークレイヴは、そう言って、初めて笑った。
教会の礼拝堂の奥、本来は会議などで使われるはずの部屋に、私は居た。
持ち物などは何も取りあげられていない。それどころか、墓地と私の小屋は教団の騎士が警備してくれているらしい。
白で内装が統一された綺麗な室内で、私は縮こまるように膝を抱える。自分のやってしまった事が、たまらなく恐ろしかった。
白いソファにもたれるこの身も、シャワーを浴びて綺麗な服に着替えた後だ。墓荒らしに蹴られ、地面を這わされた無様な墓守はもうここには居ない。
だが、幾らこの身を洗っても、幾ら綺麗な服を着ようとも、私は人間とは違う。決定的に、絶望的に、それは違う。
細かい、繊細な編み方で編まれた私の髪も、綺麗な刺繍の入ったこの服も。落ちついた空気で私を受け入れてくれるこの部屋も。
私という魔物を、拒絶しているように感じた。
他人が言うなら、まだ否定出来たかもしれない。私は人間だと、人間になれると、私を拒絶するものに叫べたかもしれない。
でも。
最悪なことに、私は自覚してしまった。私は墓守なんかじゃない。私は人間なんかじゃない。
自分で自分に吐いてきた、優しい嘘が。自分すら騙してきた、甘い嘘が、その正体を白日のもとに晒す――。
泣きたかった。涙で全てを流しつくして、そのまま消えてしまいたかった。
皆の、憐みの視線が痛かった。聖騎士の、底の見えない笑みが怖かった。
全てを暴かれ、親しかった者たちの手で裁かれるくらいなら、この手で自分に決着をつけてしまいたい――。
あと数分、それが遅かったなら、私は衝動を堪え切れなくなっていたかもしれない。
「待たせたね」
ノックもせずに、部屋の扉が開かれた。音も立てずに開いたそれの向こうから、聖騎士とこの町の教会を預かる老司祭が現れる。
聖騎士は儀礼用の鎧からシンプルな軽鎧に着替え、相変わらずの笑みを浮かべている。その腰には、教団の紋章入りの長剣。例え私がシャベルでその剣を防いでも、彼の剣はシャベルごと私を両断できるだろう。
老司祭は、いつもの好々爺然とした表情で、私の向かいのソファに腰を下ろした。聖術用というよりは体重を預けるための杖を脇に立てかけ、にこにこと私を見つめている。
「カッコウ。まずは礼を言おう」
ウィリアム・アークレイヴが、そう告げる。
そう言われても、私はうつむいたまま、そちらを見もせずに黙りこくる。
流す涙すら尽き果て、顔を背ける免罪符を失ってもなお、私は視線を合わせることを頑ななまでに拒む。
「君の身に危険が及ぶことも顧みず、墓荒らしたちと闘ったその勇気は、称賛に値する」
何故。
何故、死を目前にした得物をいたぶるようなことをするのか。
さっさと私を殺すなり追い出すなりすればいいだろう。私があの男たちにそうしたように、慈悲も情けも一片の容赦もなく、私を裁けばいいだろう。
それとも、私にはそれすら赦されないのだろうか。
「この旨は、後で正式に教団から表彰があるだろう」
そこまで言うと、聖騎士は笑みを消した。
それだけで、部屋に重苦しい空気が充満する。わずかに顔を上げていた私は、その空気の変化に気圧されるように再び顔をうつむける。
ふてくされた駄々っ子のように顔をうつむけたままの私の首元に、聖騎士の手が伸びる。
そこにあるのは、綺麗な銀細工が施された、機械仕掛けの懐中時計。未だ私の使った魔力の残滓の残るそれは、それでも正確に時を刻み続けていた。
「これの、事だが」
ちゃり、と銀の鎖が引っ張られる音がする。彼の、剣を握り続けた硬い手が、私の時計を手に取った音だ。
「カッコウ。君は、魔法を使ったね」
死刑宣告。
幼い私の命を繋いだ聖騎士から、その言葉を言われることは、私にとって死刑宣告も同然だった。
「私達は君に魔術はおろか、聖術すら教えていない。つまり、それは君がどこかで、ひょっとしたら自然に身に付けた技術なんだろうね」
私はうつむいて答えない。
無言さえ雄弁な答えとなるこの場で、それでも沈黙を貫きとおす。そんな私の考えを透かし見るように、老司祭はにこにこと私を見る。
「――あの男は死んでいないよ。そこは心配しなくてもいい」
聖騎士は、私の時計から手を放した。銀細工の時計は、私の胸に軽く当たり、そこで止まる。だが、それの刻む時は止まらずに、残酷に進み続けるのだ。
だが、聖騎士の言った次の言葉は、確かに時間を止めた。少なくとも、私にとってはそれに等しい重みを持つ言葉だった。
「済まなかった」
思考が止まった。
見れば、老司祭も聖騎士と一緒に頭を下げている。それも、イスから立ち上がり、曲がった腰を無理に伸ばして。
何故、という疑問が、具体的な形を成さずに沸いて出る。
謝るのは私の方なのに。何故、あなたが私に頭をさげる?裏切りと知っても邪法を使い、私を信じた全ての人の思いを踏みにじったのは私なのに。
何故、と、声にならない疑問が、いくつもいくつも湧いて出る。
「君を危険な目に遭わせてしまった。そして、きっと君が隠していたかったであろう業まで、使わせてしまった……」
この男は、どこまで生真面目なのだろう。
そもそも、魔女は教団とは正反対に位置する魔物なのだ。その魔女の魔法を使い、私が無罪放免となるはずがない。
つまり、私が魔法を使ってしまったのは、自分のせいだと言っているのだ。この男は。
覚悟していたのとは全く違う対応をされ、驚きからか、涙が出てきた。
「……うっ、く。えぐ……」
「本当に済まない。このことで、教団が君を処罰する事は無い。これから、折を見て君に聖術も教えよう……。だから、泣かないでくれ、カッコウ――」
なんで、こんなに優しい言葉をかけるのだろうか。
なんで魔物である私に、こんなに優しくしてくれるのだろうか。
なんで、なんでと、子供のように疑問を繰り返すうちに、張り詰めていた心の糸はぷっつり切れて。
彼に優しい言葉をかけられるにつれ、私は感情の抑えが利かなくなって。結局最後には、無邪気な子供のように彼の胸元に縋りついて声を上げて泣いてしまうのだった。
向こうから、イグレシアが駆け寄ってくる。
修道服の裾をひるがえして、沢山の礼拝者の間を縫うようにして、駆け寄ってくる。
磨き上げられた聖堂の床に、無遠慮な靴音を響かせて。決して手放してはいけない聖典すら放り投げて、イグレシアが駆け寄ってくる。
「コウー!! ボク心配したんだよぉ!」
人目もはばからず、平然と大声を上げる。もうすぐ司祭が現れ、礼拝が始まる予定の礼拝堂の厳粛な空気をぶち壊すかのように、彼女の声をよく通った。
「ボクが、ボクが1人で行かせたりするから……! ごめんね、コウ……」
がっしりと、両手で抱え込むように抱きしめられる。
未だ平坦な胸に顔を押しつけられ、頭をよしよしと撫でられる。私の顔は未だ泣き顔で、もともとは灰金の色をしている目も真っ赤に充血したままだ。それが彼女の保護欲をくすぐったのかもしれない。
「だ、大丈夫ですよ。ちょっと蹴られたりしましたが、もう何ともないです」
「そうかー、よかったよかった。じゃあ、後ろに並ぼっか。礼拝、もうすぐ始まるよ」
行こう、と手を引いて私を促すイグレシア。
「ボクも、大体の事情は知ってるよ……。無事で、よかった」
この場合の無事とは、教団の処罰を含めての「無事」なのだろう。
私が行った事を知ってなお、私の心配をしてくれるイグレシアに、再び目頭が熱くなる。小さな私の手を引く、15歳のてのひらに、とてつもない安心感を得る私がいた。
「いざとなったら、ボクがコウを連れて逃げようと思ってた」
「! ダメですよ! 私のために、そんなことをしちゃ駄目です!」
イグレシアは、孤児だ。教団に育てられ、その内に聖職者を志すようになった、立派な人間だ。
いつも明るく振舞っているが、淋しくないはずはない。勤勉で、真面目で、なにより敬虔な信徒である彼女が、教団から追われるなどあってはならない。
「あはは、やさしいなぁ、カッコウは」
優しいのはどちらなのだ。
「お人よしが過ぎると、身を滅ぼしますよ」
「聞こえないよー」
鐘鳴らしっぱなしで、耳が痛くなっちゃった、と笑うイグレシア。
その、まぶしすぎる笑顔を見て、私は思う。彼女が笑わない日などあるのだろうか――と。
夜更け。町の全てが眠りにつき、暗闇が支配する夜の闇の中、動くものがひとつ。
「ふん、やっぱり墓荒らし程度じゃやられないか」
その人影は呟く。
「それに、魔法まで使って無罪放免か。全く甘ちゃんで困っちゃうね。魔物なんて、全部殺してなんぼのモンなのにさ」
満月に吠える狼のように。
「今回、アイツは何にも傷ついちゃいない。墓守としても、魔物としても、人としても。何にも傷ついちゃいない」
朝日を呪う悪魔のように。
「そんなの赦されない。アイツはもっともっと傷ついて、二度と這いあがれない所まで落とさなきゃ、赦されない」
魔物を厭う人間のように。
「周りの人間に罪はないけれど……。あんな奴といるなんて同罪だよね。悪いけれど、ちょっとばかり不運を見てもらおうか」
人を惑わす魔物のように、人影は嗤った。
場所はとある国の、中心に近く中枢から遠い、ちいさな町。住人は皆あたたかく、決して豊かではないが幸せな暮らしをしていた。
その街を治める貴族も、町を愛しそこに暮らす人々を愛していた。
休日には町の教会に人々は集まり、そこでは笑顔と笑顔が交換される、そんなあたたかい町。
絵本の中から飛び出してきたような町に、その醜聞は生まれた。生まれてしまった。
魔物が、見つかったのだ。
その国は反魔物国家で、その町の住人のほとんどは本物の魔物を見たことすら無かった。
領主も教団も正式に発表していないのに、魔物発見の噂は瞬く間に風に乗って広まった。
見つかったのは魔物の子供で、まるで捨て子同然に放置されていたらしい。
本来なら、その子供に命は無かっただろう。子供とはいえ魔物で、ここは反魔物国家の都市なのだから。
だが、事を公にするには少々事情がまずかった。
なぜなら。ここは反魔物国家の中心で、発見されたのは魔物の子供なのだ。
子供が居るのなら、当然、親もいる。そこまで入り込まれるまで、子供が捨てられるまで、教団すら気付けなかった。
それを醜聞と言わずしてなんというのか。
それを公開することが憚られるくらいには、体面のわるいものだった。
そして、ある聖騎士の言った一言が、魔物の子供の明暗を分ける鍵となる。
「魔物、魔物と言うが、私には人の子にしか見えない。たとえ魔物であろうと、我らが正しく導けば、必ずや正しく育つ。それとも、我らはそれすら適わぬほど力のない存在か?」
もともと、教団の誰もがその子供を殺すことを躊躇っていた。
本当にその子供を殺すことが、正しき行いなのかどうか、確信が持てずにいた。
そして、そこにある聖騎士が別の道を示したのだ。教団の醜聞を無かった事にし、あるいは偉大な功績を立て得るかもしれない道を。
こうして、魔物の子は命を救われた。
今日は日曜日だ。町に幾つかある教会のうち、一番小さな教会へ向かう日だ。
小さな私の体躯にあった、あちらこちらに可愛い模様があしらわれた服を着る。フードはかぶらず、後ろに垂れさせたまま、首から銀の懐中時計を提げる。そうして手にはシャベルを持ち、私は小屋の扉を閉めた。
私が身につけるものも、小屋にあるものも。その小屋も、この私自身も。この町の人から貰ったものだ。服はアンリさんが作ってくれた。笛は細工師のベンさんが、シャベルは鍛冶屋のトマス夫妻が、小屋は大工のアレンが。そして、私はあの聖騎士さまと教団の皆が。
どれもこれも、皆私のことを考えてつくられた、私だけのものだった。服は動きやすく、時計は軽くて丈夫。シャベルは鋭くて、簡単に土を掘る。小屋は1人の私には丁度よい広さで、大きな窓からは私の大好きな町が一望できる。
そして、仕事はこの町の皆がくれる。その生の証として、そして、最後の仕上げとして。それを、こんな私にゆだねてくれる。
私は、墓守だった。それも、人間ではなく、魔物の血を引く異形の墓守。
そんな私を、信頼してくれる。
「では、行ってきます」
ばたりとドアを閉め、誰も居ない小屋に向かって、声をかける。
「うん。行こうよ、カッコウ」
呼ばれたのは私の名前。親知らずの托卵の鳥の名前。
私の後ろ。町に続く道から、返事が返ってくる。
私の親友であり、聖職者見習いの、
「イグレシア……」
イグレシアは黒い修道服に身を包み、青い瞳でこちらを見ていた。片手でちいさな聖典を持ち、もう片方の小さな手をこちらに向けて振っている。
「迎えに来たよ。お子ちゃまの一人歩きは危険だからね」
そう言うイグレシアも今年で15歳。十分子供だと思うのだが。その小さな手といい、発展途上の胸といい。
そんな事を思いながら、私はとてとてと彼女の元へ歩みを進めた。
それに彼女は頬を緩め、にやけた顔でこちらを見ている。
「はぁ〜、可愛いな〜。いいなぁアンリさんばっかり。ボクもコウに着せてみたい服とかいっぱいあるのに……」
コウ、というのは私の愛称だ。
アンリさんは私に服を作ってくれる優しいおばさんで、墓場から町へちょっと入った所に住んでいる。
「はぁ〜、いいなぁ。コウは何歳になったんだっけ? まあ10歳くらいにしか見えないけどね」
イグレシアは目をキラキラさせながら言う。このままでは私は彼女に拉致されるかもしれない。
それにしても、友人の歳を覚えていないのはあんまりだと思う。
「14歳ですよ……。もうすぐあなたと同じ15です」
歩き出しながら、答える。
だが、そう答える私の背丈は、イグレシアの言う通り10歳児のそれだった。これで14歳だとしたら間違いなく発育不良だ。だが、私の外見がこれ以上成長することは無い。
別に不満は無いが、墓守としての仕事をしているときに、せめてもう少し大きければ、と思う事はあった。
「うわーっ! その外見で敬語とかやっぱりポイント高いよ! ボクだから良いものの、男の子だったら絶対お持ち帰りだね!」
イグレシアが、シスターとは思えぬ発言を連射する。慣れたものなので、私は気にとめない。だが、こいつはよく教団から破門されないな、とは思う。
私がジト目で彼女を見つめている間も、イグレシアは悶えたり私の頭を撫でたりと一見すると変態にしか見えない行動を繰り返す。
「……なんでイグレシアは破門されないんですか? なんでまだシスターなんですか?」
「え!? ボクの存在全否定!? この善良なボクの、どこに破門される理由があるのさ?」
その答えを聞いて、私ははぁ、とため息をついた。
「自覚の無い変態が一番厄介ですよね……」
すると、自覚の無い変態ことイグレシアは、
「そうだよねー。自覚してない変態は厄介だよね。何言っても聞かないし」
オマエの事だよ! 口が動きそうになるのを必死で止めた。
その代わり、革紐て吊ってあるショベルに手をかけ、次に何か言ったら速攻で頭蓋をたたき割る準備を整える。
すると、その気配を敏感に察したのか、イグレシアが急にまじめな顔になった。
「カッコウ。戸締り、した?」
私の住むこの町は、住む人々が全員知り合いのような小さくも温かい町だ。特に墓場などという町から離れた場所にある小屋に住む私には、戸締りという習慣はなかった。
それはこれまでもそうだったし、これからもそうだと思っていた。
イグレシアだって私の小屋に遊びに来るのは初めてでは無いというのに、何故今回に限ってそんな事を指摘するのだろうか。
「忘れちゃったの? 明日は年に一度の降臨祭だよ」
「あっ――」
忘れていた。
降臨祭とは、この町の教会が主催する大きな催しの事だ。ここは小さな町だが、その時ばかりはあちこちから人が集まる。町の大きな通りが飾り付けられ、いろいろな出店が出る。
もちろん出店の人たちも町の外から来た人たちが多く、降臨祭が終わっても数日は営業を続けるのが常だった。
教会主催故、出し物は真っ当なものに限られるのだが、問題は人の出入りだ。
町に入るには当然審査がある。だが、この時に限って言えば、それはとても緩いものになるのだ。
「そう。だから、もういつもの町じゃないよ。どんな人が来るのか分からないし、皆が善人とは限らないんだよ」
この町の、犯罪発生率が一番高い時期。それが、降臨祭だった。
「そういえば、礼拝の日が降臨祭の準備期間と重なるのって珍しいですよね」
降臨祭はなかなかに規模の大きな祭りだ。当然、この町の教会は全員てんやわんやで準備に駆り出される。
なので、本当なら礼拝どころではないはずなのだが……。
「うん。だから準備はもう終わったよ」
なんでもない事のように言う。
手を頭の後ろで組み、猫のように目を細めて、イグレシアは笑った。
「な、なんで言ってくれなかったんですか! 教えてくれたら、私も手伝いに行ったのに!」
「いや、ダメだよ。コウは墓守だもの」
イグレシアは知っている。墓守という仕事を。イグレシアは知っている。私が生まれのせいでどれほど苦労したのかを。
――だから、イグレシアは私の友人なのだ。
自分勝手で、聖職者で、傲岸不遜で、ちょっぴり変態だけど。細かい気配りが出来て、誰よりも他人を思い遣ることに長けている。
思えば、今までずいぶんとイグレシアに助けられたものだと思う。私は魔物で、本来避けられるべきなのに。
「押しつけられる面倒はボクに押しつけなよ」
気づけば、私とイグレシアは歩みを止めて向き合っていた。広くなってきた道の真ん中で、視線の高さを合わせて見つめ合う。
私を見るイグレシアの表情はひどくまじめで、それが逆に可笑しかった。
「だから。礼拝はボクに任せて、戸締りしておいで。鍵は付いてるでしょ?」
「あ、ええ……。小屋を建ててくれたアレンが、次の年の降臨祭にプレゼントしてくれました」
「あの馬鹿……。なんで最初っからつけなかった……」
イグレシアが呆れるように頭を抱える。
「では、お言葉に甘えて、戸締りしてきますね。一応礼拝には間にあうように戻るつもりです」
「鐘の意味は知っているよね? 一回なれば15分、二回で30分だからね。50分にはいないとまずいから、三回鳴るまでには戻ってくるんだよ」
今日はボクが鐘を鳴らす日なんだ、とイグレシアは笑う。
その笑顔を見て、私はふと思う。彼女が笑わない日なんてあるのだろうか、と。
「気を付けなよ! 降臨祭の時期だけはね!」
イグレシアがそう言って、既に走り出していた私は片手を上げて答えた。
縛りなおし、背中で揺れるショベルの重みを感じながら、私は墓地へと急ぐ。
墓地へはすぐに着いた。元より、町から10分と離れていない。それに、墓地への道は私が整備したのだ。それこそ落ちている小石の位置まで把握している。その道で、この私が時間を食うなど有り得ない。
墓地の入口、水場や薪置き場、その他の道具置き場がしつらえてある一角の隅、私の小屋へ向かう。
「ちょっとだけ、ただいまです」
言いながら、ドアを開けた。内側のドアノブに紐でぶら下がっている鍵を取り、
「では行ってきますー」
ばたんと閉める。真鍮のドアノブの下に開いた小さな穴に、今取ったばかりの鍵を差し込む。クローバーの意匠が施された、可愛らしい鍵だった。
それを抜いて、ちょっとだけ迷ってから服のポケットに仕舞う。
ちりん、と音がした。
「さて、急ぎましょう」
くるり、と振り向いた先で、おかしなものを見た。
遠くに見える山々、その更に向こうの大きな雲。その先に無限につづく青い空。手前には、乾いた地面と少しばかりの草、村人の墓石が並ぶ墓地。
その中に存在する、おかしなもの。
「………?」
まだ綺麗な、汚れの無い小さな手で、ごしごしと目元をこする。そうして見ても、確かにおかしなものはそこに居た。
「アレ……、お客さんでしょうか」
おかしなもの――薄汚れた数人の男たちは、これまたみすぼらしいスコップやツルハシを持ち、私が丹精込めて作った墓石を指さして何やら相談していた。
ぼろを纏い、手には穴掘り道具。ある意味墓場に相応しい彼らは、私に気づくことなくなにやら話し込んでいる。
聞き耳を立ててみた。
「……からよ、ここにゃガキの墓守っきゃいねぇんだよ。狙い目だろう?」
「ふん。だが昼間っから墓荒らしか? 夜まで待った方が確実だろう」
「見つかったって殺しゃ良いさ。ただのガキだ」
「殺す以外にも使い道がありそうじゃねぇか。女のガキなんだろ?」
「あのー、みなさん。ここは教会ではなくてお墓ですよ? 教会なら、あそこの道をずっと行ったところです」
「――!」
男たちが驚いてこちらを見る。
私は黙ってそれを見つめていた。ざわめく男たちを、じっと観察する。
一月前に私が埋葬したマーク・ドミニクの墓の前に立つのは、4人の男。いずれもボロ同然の服を纏っている。1人は短髪、後はぼさぼさの髪の毛をしていた。
噂には、聞いていた。
世の中には“墓荒らし”と呼ばれる者たちがいることを。
彼らは墓守が心をこめて埋葬した死者を掘り起こし、副葬品や死体そのものを盗んでいくことを。
彼らは、墓守の敵だという事を。
私は、聞いていた。
敵が動いた。持っていたズタ袋の中に隠された何かを抜き取る素振りを見せる。
悪意に濁った瞳が私を捉え、撫でまわすようにまさぐった。私もまた視線を飛ばし、男を捉える。交錯した視線は仮想の火花を散らし、私と男の神経を逆なでする。
後ろ手で、ショベルを縛る紐を解く。
「それとも。お墓に何か用ですか?」
ズタ袋から取り出した何かを隠し持つ男が、視線でこちらを探りながらじりじりとにじり寄ってくる。他の男たちはその場にとどまったままだ。
私の歩幅では、もう逃げ切れない距離だ。体力の問題では無く、単純に体格の問題。
成長しないからだが、この場では仇となる。
男は、にやにやしたいやらしい笑いを口に張り付けたままこちらに歩いてくる。その周りの空気すら、汚れて見えるのは、男が墓荒らしだからだろうか。
「ああ、俺たちはここに用があるんだよ――」
最早、男は平然と歩みを進める。汚いブーツで地面を踏みしめ、後ろに隠した手には恐らく得物。
「――だから、おとなしく捕まってくれや」
私は背のショベルを抜き放つ。男は私と同時に、隠し持っていたダガーの鞘を払う。
目が合った。殺意に満ちた、濁った目。私の嫌いな目。再び、視線が交錯する。視線にこもった殺意を交換する。
目測で距離感を補完、完全に手になじんだショベルの芯で打つ構え。私は男の顔面をショベルで狙い、男は私の首元を、ナイフで狙う。
宙に、二つの銀光が走る――。
ゴーーーン、と鐘の音色が響く。重くて大きな音色だが、時間を告げる大事な音色でもある。
ボクは、鐘楼にいた。かなり高い場所にあるそれは、確実に音を届ける為のものなのだろうか。
「ふぅ……。頭痛いなぁこれ」
まだ細かく震え、断末魔に似た残響を残す鐘をぼんやり見つめる。それの後ろには、ボクの住む小さな町が陽光の下に姿を晒している。
小さいけれど、健気に営まれる日常。ボクの好きな毎日。
こんな日が、いつまでも続けば良いと思う。心から。
「カッコウ……。早く来なきゃだめだよ」
鐘楼の柱にもたれて、墓場を見ながら小さく呟く。
呟きは風に乗って、誰にも届かずに潰えた。
どさり、と崩れ落ちる。手からは得物が転がり落ち、がらがらと地面に転がった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
息が荒い。てのひらが汗でぬめり、髪が額に張り付く。
それでも、瞳の炎を消さず、残り三人となった男たちを見つめる。手にはシャベルを持ち、首には銀の懐中時計。
倒れた男は、ぴくりとも動かなかった。
「………。オイ、なんだよコレ。おかしいだろうよ」
たっぷり1分ほど待って、ようやく男たちの1人が口を開く。
その頃には、動悸も、息も、元に戻っていた。それでも目は逸らさずに、残った男を視線で縛る。
「オイ。オイオイ。ガキ1人って話だったじゃねぇか! なんだよコレ!?」
「………」
その問いかけに、誰も答えない。
ただ、男の視線が、私と地面に落ちたナイフのあいだを往復する。血走った眼で、狂気の瞳で、私を睨む。
崩れ落ちた男は、微動だにせず地面と接吻を続けていた。
「簡単な仕事って話だったじゃねぇか! ちょっと墓掘り起こして、ガキが埋めた死体とってくるだけだったはずじゃねぇか!? 一体何なんだよ!」
叫びは、虚空に消えていく。だが、私の耳には届いた。届いてしまった。
死体を、とってくる。
なんでもない事のように、そんな事を言い捨てる男。
ぎりり、とショベルを握る手に、力が入った。小さくて白い、子供の手で握られた樫の柄は、当然ビクともしない。
遠くの雲が、ゆっくりと形を変えてゆく。
「オイ。落ちつけよ。相手は1人だ。こっちが1人やられたからって、慌てる事はねぇ」
静かな怒りに満ちた瞳を向けた先に、落ち付いた様子の男がいる。
取り乱す男に後ろから近づき、ばふっと肩を叩く。
「こっちは3人だぞ。それに、ガキの力自体はたいして強くねぇ」
分析される。冷静に、一方的に、私を分析する。
そうだ。私は魔物とはいえ、力は強くない。体も小さく、手足を大人に比べれば圧倒的に短い。
だが。
「そ、それもそうだな……。オイ、やっちまうぞ!」
男たちがツルハシを構える。最早、体面も気にせずそれを振りかぶって、私を狙う。
敵は走る事はしない。走らずとも、私を殺す事は容易いからだ。
明確な殺傷力を秘めたツルハシが、岩石の代わりに私を砕くべく、その鈍色のくちばしを輝かせる。
「………」
ゆっくり、ゆっくりと後ずさる。無意識の内にシャベルを構えて、銀の鎖で首から下がった銀時計の背を撫でた。冷たい金属の感触が、人差し指を伝う。
日常の中に紛れ込むような非日常に、確かに私は動転していた。それでも、平静を取りつくろって敵を見つめる。
灰金の瞳いっぱいに敵の姿が映る。脳裏には警鐘が鳴り響き、逃げろ逃げろと急かす。
「死ね」
男がツルハシを振り下ろす。鈍い風切り音を鳴らして振るわれる刃は、直撃すれば確実に私を殺すだろう。
だが、凶器も当たらなければただの重りだ。
「――ッ」
身を捻って回避する。墓場の硬く乾いた地面を蹴って、ツルハシの切っ先をかわす。
私の首で銀時計が暴れ、ショベルは重石になって私の動きを縛った。
だが、かわした。硬い地面を抉ったツルハシは、その重さとも相まってすぐには二撃目を放てない。
目測で距離感を補完。地面を踏みしめ、体勢を安定させてシャベルを振りかぶる。私の灰金の瞳は、完全に目の前の男を捕捉した。
男は呆然とした表情で私を眺めていた。その鼻をへし折る構えで、私はショベルを振り下ろす。
「――させるかよ。ガキ」
肺の空気が残らず吐き出され、身体が宙を舞った。ショベルはあらぬ方向へ飛んでいき、くるくると回転してざくりと地面に突き立つ。視界がぐるりと回り、平衡感覚が狂い死んだ。
私の体も地面でバウンドし、全身どろと擦り傷まみれになる。かすむ視界で見れば、ツルハシ男の脇に短髪の男が立っていた。その男に蹴られたのだと、一瞬で理解する。
口の中にまで泥が入り込み、泥の味が口の中いっぱいに広がる。
「がっ、は――ッ!!」
もう一人の男は、飛んで行った私のショベルをからん、と足で蹴倒す。
さげすむような目で私を見下し、いやらしい笑みを浮かべて嘲笑した。
「はっはァ、昼間にやってた方がよかったろ? このガキ、良い面してるじゃねぇか。売り飛ばすにしても可愛がってやるにしても、上玉には違いねぇ」
「フン。気を抜くのは終わってからにしろよ。オイ、そこで寝てる奴を起こせ。俺はこのガキを縛っとく」
体中が痛い。それでも、痛みをこらえて立ち上がる。
「お? まだ起き上がるか。だがお前にもう武器は無い。観念するんだな」
「――まだです」
ちゃり、と鎖の鳴る音。手に鎖を絡めながら、銀の時計を手に取る。
全身の傷がもたらす熱さの対極にあるように、銀細工の時計はひんやりと冷たかった。手から、内部の機構の動く一定のリズムが伝わってくる。
ぱちり、とその蓋を開く。仕込まれたばねの力によって、蓋は勢いよく開いた。その奥に現れるのは、シンプルだが、どこか上品な文字盤。
ゆっくりと、私の中に、私が生まれ落ちた時からある魔力を手繰る。私に残された、最後の武器。
「私は、カッコウは、魔女です」
私が今から行うのは、邪法の魔術。教会の教えに背く、背徳の理。
私を支える全てに対する裏切りともとれるその業を、しかし、私は用いる。
この町を、この町に眠る死者を護るため――。
「――炎よ」
両の灰金で目標を捕捉。距離感を補足し、脳内で式を組み立てる。声に出すのは最後の引き金、邪法の魔術は一瞬にして完成した。
銀時計を触媒に、空中に魔法陣が展開する。左右非対称で、幾何学的な図形の組み合わせであるそれは、それなのにどこかが歪だ。
次の瞬間、私に向かって歩みを進めていた男が、炎に呑まれた。
魔物や外道の魔導師が用いる、邪法の魔術。人を傷つけ、奪うための魔法。
誰に教わるでもなく、あまりにも自然にそれを繰る私は、やっぱりどうしようもなく魔物なのだろう。
その背徳を用いる自分自身に、わずかな痛痒を感じる。私を信じて、魔物である私でさえも人であると言った、あの聖騎士の言葉を自ら否定する行いに、心が張り裂けそうになる。
どこからともなく発生した炎は男を飲み込み、だが可燃物を持たない炎を短時間で鎮火する。
「があああああぁッッ!!」
それでも、男を止めるには十分だった。男は歩みを止め、残りの二人も突然の出来ごとに固まったままだ。
その隙に、私はたたみかける。
心に流れる涙を無視して、墓守としてではなく魔物として、不埒者に鉄槌を下す。
「風よ」
男に、真空の切れ味を秘めた風が襲いかかる。あっという間に服は裂かれ、辺りに真紅の血が飛び散った。
「土よ」
男に、急激に隆起した地面が襲いかかる。胸の中央を打たれ、男は口から血を撒き散らした。
気づけば、私の口元は流れる血に由来する嗜虐的な笑みで歪んでいた。血を吐いてのたうち回る男に、優越を感じる自分が居る。
同時に、この程度では足りない、とも感じる。もっと圧倒的な力で蹂躙し尽くして、二度とこんな行いが出来ないようにしなければ、と。
「闇よ――」
がし、と銀時計を持つ手を掴まれる。はっとして振り返ると、そこには正装用の鎧で身を固めた騎士がいた。腰には教団の紋章が入った剣を吊っており、そのいでたちは正に騎士といった感じだ。
――いつの間に、近づかれていた?
そんな疑問が湧いて出る。騎士は鎧に身を包んでいて、無音で歩くなど到底不可能だ。なのに、腕を掴まれるまで気付けなかった。それはつまり――。
途端、全身を流れる血液が凍りついたかのような寒気が私を襲う。騎士に掴まれた手から力が抜けて、銀の時計が手から零れおちた。
――目の前の獲物をいたぶるのに夢中で、それに身を任せて、人としての自分を失っていた。
「もう、止めなさい。これ以上やると、死んでしまう。それとも、殺す気だったのかな」
兜の奥、綺麗な青い瞳はちっとも笑ってなんかいなくて、それがまた私の恐怖をあおる。
私は彼の疑問を否定するように首を何度も横に振り、恐ろしくて出てきた涙をこらえる事が出来なくて、ただ涙する。
私は、彼の、教団の、この町の信頼を裏切ってしまった。私を信じてくれた全ての人々を裏切ってしまった。
「そうか。詳しい話は教会で聞こう。私は君を迎えに来たんだよ。――無事でよかった」
聖騎士は――ウィリアム・アークレイヴは、そう言って、初めて笑った。
教会の礼拝堂の奥、本来は会議などで使われるはずの部屋に、私は居た。
持ち物などは何も取りあげられていない。それどころか、墓地と私の小屋は教団の騎士が警備してくれているらしい。
白で内装が統一された綺麗な室内で、私は縮こまるように膝を抱える。自分のやってしまった事が、たまらなく恐ろしかった。
白いソファにもたれるこの身も、シャワーを浴びて綺麗な服に着替えた後だ。墓荒らしに蹴られ、地面を這わされた無様な墓守はもうここには居ない。
だが、幾らこの身を洗っても、幾ら綺麗な服を着ようとも、私は人間とは違う。決定的に、絶望的に、それは違う。
細かい、繊細な編み方で編まれた私の髪も、綺麗な刺繍の入ったこの服も。落ちついた空気で私を受け入れてくれるこの部屋も。
私という魔物を、拒絶しているように感じた。
他人が言うなら、まだ否定出来たかもしれない。私は人間だと、人間になれると、私を拒絶するものに叫べたかもしれない。
でも。
最悪なことに、私は自覚してしまった。私は墓守なんかじゃない。私は人間なんかじゃない。
自分で自分に吐いてきた、優しい嘘が。自分すら騙してきた、甘い嘘が、その正体を白日のもとに晒す――。
泣きたかった。涙で全てを流しつくして、そのまま消えてしまいたかった。
皆の、憐みの視線が痛かった。聖騎士の、底の見えない笑みが怖かった。
全てを暴かれ、親しかった者たちの手で裁かれるくらいなら、この手で自分に決着をつけてしまいたい――。
あと数分、それが遅かったなら、私は衝動を堪え切れなくなっていたかもしれない。
「待たせたね」
ノックもせずに、部屋の扉が開かれた。音も立てずに開いたそれの向こうから、聖騎士とこの町の教会を預かる老司祭が現れる。
聖騎士は儀礼用の鎧からシンプルな軽鎧に着替え、相変わらずの笑みを浮かべている。その腰には、教団の紋章入りの長剣。例え私がシャベルでその剣を防いでも、彼の剣はシャベルごと私を両断できるだろう。
老司祭は、いつもの好々爺然とした表情で、私の向かいのソファに腰を下ろした。聖術用というよりは体重を預けるための杖を脇に立てかけ、にこにこと私を見つめている。
「カッコウ。まずは礼を言おう」
ウィリアム・アークレイヴが、そう告げる。
そう言われても、私はうつむいたまま、そちらを見もせずに黙りこくる。
流す涙すら尽き果て、顔を背ける免罪符を失ってもなお、私は視線を合わせることを頑ななまでに拒む。
「君の身に危険が及ぶことも顧みず、墓荒らしたちと闘ったその勇気は、称賛に値する」
何故。
何故、死を目前にした得物をいたぶるようなことをするのか。
さっさと私を殺すなり追い出すなりすればいいだろう。私があの男たちにそうしたように、慈悲も情けも一片の容赦もなく、私を裁けばいいだろう。
それとも、私にはそれすら赦されないのだろうか。
「この旨は、後で正式に教団から表彰があるだろう」
そこまで言うと、聖騎士は笑みを消した。
それだけで、部屋に重苦しい空気が充満する。わずかに顔を上げていた私は、その空気の変化に気圧されるように再び顔をうつむける。
ふてくされた駄々っ子のように顔をうつむけたままの私の首元に、聖騎士の手が伸びる。
そこにあるのは、綺麗な銀細工が施された、機械仕掛けの懐中時計。未だ私の使った魔力の残滓の残るそれは、それでも正確に時を刻み続けていた。
「これの、事だが」
ちゃり、と銀の鎖が引っ張られる音がする。彼の、剣を握り続けた硬い手が、私の時計を手に取った音だ。
「カッコウ。君は、魔法を使ったね」
死刑宣告。
幼い私の命を繋いだ聖騎士から、その言葉を言われることは、私にとって死刑宣告も同然だった。
「私達は君に魔術はおろか、聖術すら教えていない。つまり、それは君がどこかで、ひょっとしたら自然に身に付けた技術なんだろうね」
私はうつむいて答えない。
無言さえ雄弁な答えとなるこの場で、それでも沈黙を貫きとおす。そんな私の考えを透かし見るように、老司祭はにこにこと私を見る。
「――あの男は死んでいないよ。そこは心配しなくてもいい」
聖騎士は、私の時計から手を放した。銀細工の時計は、私の胸に軽く当たり、そこで止まる。だが、それの刻む時は止まらずに、残酷に進み続けるのだ。
だが、聖騎士の言った次の言葉は、確かに時間を止めた。少なくとも、私にとってはそれに等しい重みを持つ言葉だった。
「済まなかった」
思考が止まった。
見れば、老司祭も聖騎士と一緒に頭を下げている。それも、イスから立ち上がり、曲がった腰を無理に伸ばして。
何故、という疑問が、具体的な形を成さずに沸いて出る。
謝るのは私の方なのに。何故、あなたが私に頭をさげる?裏切りと知っても邪法を使い、私を信じた全ての人の思いを踏みにじったのは私なのに。
何故、と、声にならない疑問が、いくつもいくつも湧いて出る。
「君を危険な目に遭わせてしまった。そして、きっと君が隠していたかったであろう業まで、使わせてしまった……」
この男は、どこまで生真面目なのだろう。
そもそも、魔女は教団とは正反対に位置する魔物なのだ。その魔女の魔法を使い、私が無罪放免となるはずがない。
つまり、私が魔法を使ってしまったのは、自分のせいだと言っているのだ。この男は。
覚悟していたのとは全く違う対応をされ、驚きからか、涙が出てきた。
「……うっ、く。えぐ……」
「本当に済まない。このことで、教団が君を処罰する事は無い。これから、折を見て君に聖術も教えよう……。だから、泣かないでくれ、カッコウ――」
なんで、こんなに優しい言葉をかけるのだろうか。
なんで魔物である私に、こんなに優しくしてくれるのだろうか。
なんで、なんでと、子供のように疑問を繰り返すうちに、張り詰めていた心の糸はぷっつり切れて。
彼に優しい言葉をかけられるにつれ、私は感情の抑えが利かなくなって。結局最後には、無邪気な子供のように彼の胸元に縋りついて声を上げて泣いてしまうのだった。
向こうから、イグレシアが駆け寄ってくる。
修道服の裾をひるがえして、沢山の礼拝者の間を縫うようにして、駆け寄ってくる。
磨き上げられた聖堂の床に、無遠慮な靴音を響かせて。決して手放してはいけない聖典すら放り投げて、イグレシアが駆け寄ってくる。
「コウー!! ボク心配したんだよぉ!」
人目もはばからず、平然と大声を上げる。もうすぐ司祭が現れ、礼拝が始まる予定の礼拝堂の厳粛な空気をぶち壊すかのように、彼女の声をよく通った。
「ボクが、ボクが1人で行かせたりするから……! ごめんね、コウ……」
がっしりと、両手で抱え込むように抱きしめられる。
未だ平坦な胸に顔を押しつけられ、頭をよしよしと撫でられる。私の顔は未だ泣き顔で、もともとは灰金の色をしている目も真っ赤に充血したままだ。それが彼女の保護欲をくすぐったのかもしれない。
「だ、大丈夫ですよ。ちょっと蹴られたりしましたが、もう何ともないです」
「そうかー、よかったよかった。じゃあ、後ろに並ぼっか。礼拝、もうすぐ始まるよ」
行こう、と手を引いて私を促すイグレシア。
「ボクも、大体の事情は知ってるよ……。無事で、よかった」
この場合の無事とは、教団の処罰を含めての「無事」なのだろう。
私が行った事を知ってなお、私の心配をしてくれるイグレシアに、再び目頭が熱くなる。小さな私の手を引く、15歳のてのひらに、とてつもない安心感を得る私がいた。
「いざとなったら、ボクがコウを連れて逃げようと思ってた」
「! ダメですよ! 私のために、そんなことをしちゃ駄目です!」
イグレシアは、孤児だ。教団に育てられ、その内に聖職者を志すようになった、立派な人間だ。
いつも明るく振舞っているが、淋しくないはずはない。勤勉で、真面目で、なにより敬虔な信徒である彼女が、教団から追われるなどあってはならない。
「あはは、やさしいなぁ、カッコウは」
優しいのはどちらなのだ。
「お人よしが過ぎると、身を滅ぼしますよ」
「聞こえないよー」
鐘鳴らしっぱなしで、耳が痛くなっちゃった、と笑うイグレシア。
その、まぶしすぎる笑顔を見て、私は思う。彼女が笑わない日などあるのだろうか――と。
夜更け。町の全てが眠りにつき、暗闇が支配する夜の闇の中、動くものがひとつ。
「ふん、やっぱり墓荒らし程度じゃやられないか」
その人影は呟く。
「それに、魔法まで使って無罪放免か。全く甘ちゃんで困っちゃうね。魔物なんて、全部殺してなんぼのモンなのにさ」
満月に吠える狼のように。
「今回、アイツは何にも傷ついちゃいない。墓守としても、魔物としても、人としても。何にも傷ついちゃいない」
朝日を呪う悪魔のように。
「そんなの赦されない。アイツはもっともっと傷ついて、二度と這いあがれない所まで落とさなきゃ、赦されない」
魔物を厭う人間のように。
「周りの人間に罪はないけれど……。あんな奴といるなんて同罪だよね。悪いけれど、ちょっとばかり不運を見てもらおうか」
人を惑わす魔物のように、人影は嗤った。
11/07/25 20:54更新 / 湖
戻る
次へ