魂迷いし浮世の鎮魂歌(上)
エリベールは優れた指揮官だ。自らの実力は元より、部下からも慕われている。
外見も十分、美しい部類に入るだろう。アッシュブロンドの長い髪と、どちらかと言えば丸っこい青の双眸に彩られたその姿は20代前半か。
事務能力も、戦闘技能も、指揮能力も申し分ない。外見などは、教皇を以てして“神に愛された容貌”と言わしめるほどである。どれも本人は否定しているが、彼女を知る者はそれが本心からの言葉だと知っている。
彼女の欠点を敢えてあげつらうというのなら、それは彼女の性格だろうか。
彼女は自己犠牲に過ぎる。それが周囲の彼女の性格への評価である。
そのエリベールは、現在教皇の前で冷や汗をかいていた。
「…………エリベール。君ほどの指揮官が、ここまで徹底的にやられるとはな………」
「………申し訳ありません」
教皇の、深い疲れの色が滲む声。しかし、その声には騎士団という組織に組み込まれた人間ならば絶対に逆らえない威厳が込められる。
彼女は、その灰銀色の髪が地面につきそうになるほど深く頭を下げる。
それで済む問題ではないのは分かっている。だが、それは頭を下げなくても良いということにはならない。
「……中央騎士団長、エリベール」
「……はい」
「自室にて待機し、沙汰を待て」
「………はい」
そう言って、一層深く頭を下げる。そうして顔を上げると、そこにはこちらを慈しむような教皇の顔があった。
深いしわの刻まれた顔の奥の、思慮深そうな緑の瞳がこちらを見つめる。そこには純粋に、ねぎらいの色だけがあった。
その視線に、エリベールはばつの悪さを感じる。
「……後で何か届けさせよう。今はじっくり体を休めろ。なに、ちょっとした休暇だと思えばいい。お前は優秀だ。悪いようにはならんさ」
先ほどまでとは違う、ゆったりとした口調。入団したての頃から、エリベールの才覚にいち早く気づき、目をかけてきたゆえの言葉。それは裏表の無い、ただの厚意だ。
教皇の厚意に、エリベールは涙が出そうになる。だが、今はその時ではない。
「………ご厚意、感謝します。ですが、私1人がぬくぬくと休暇を貪るなど、そんなことができようはずもございません。
私の部下は、あの戦いで大勢命を散らせたのです。必要とあらば、この命、差し出す覚悟でございます」
そう言って、エリベールは教皇の執務室を出ていった。制止の声はかからなかった。
先月、帝国はとある“街”に戦争を仕掛けた。
その街は15年ほど前、帝国の領土に突如として現れ、魔物を主力とする圧倒的な戦力を以て数多の軍勢を退けた。以降、幾度も帝国はその街に軍勢を送り込んでいるが、二度目の進攻で聖騎士を失って以来、その勢いは確実に衰えつつある。
本来、防衛や治安維持が主任務であるエリベールがその街への進攻戦に駆り出されたのは、戦争で国力をすり減らした故の苦肉の策でもあった。だが、それ以上に彼女の性格が災いしたのだともいえる。
きっかけは噂だった。その街には法が無いとされ、魔物が人間を奴隷の如く働かせているという噂。内部は文字通りの無法地帯で、暴力と策略の渦巻く社会の暗部のような街なのだという噂。
しかし、自分の浅慮な行動のせいで、多くの部下が戦場で散った。ある者は戦友を庇い、ある者は味方の退路を拓くために敵陣に特攻した。
エリベールは中央騎士団の団長だ。そのような浅はかな行動は控えるべきであるはずなのに………。
「……………くそッッ!!!」
バキィ! と、エリベールは自室の壁を思い切り殴った。硬いレンガ造りの壁にクモの巣状の亀裂が走り、ぶつけた拳が切れて紅いしずくが飛ぶ。
その痛みに、エリベールの脳裏に敵の将の言葉が蘇る。
戦場だというのに着物姿で、右手に鉄扇と呼ばれる珍しい武器をぶら下げた少女は、首に下げた般若の面を揺らしながら言った。
――よぅほどのモンでも、大局読むぅは難しいようやのぉ
その時はその少女の言う意味が分からなかったが、後になってみればこのざまだ。戦力の3割を失い、残る7割も満身創痍。敵はといえば、最初見たときとまったく変わっていない。
驚くほどの少数のままだ。
開戦時の戦力差、およそ10倍。それを、敵は損害を出すこともなく凌ぎきった。勝てない。直感がそう告げていた。
「……………ゴメンね、トリシュ、ゴードン、エルト………」
名前を上げ出せばキリがない。彼女は、自分の騎士団の全員をしっかり把握している。それこそ、一平卒に至るまで完全に。だからこそ、彼らが血しぶきをあげて倒れる様は、できれば見たくなかった。
だが。それを引き起こしたのは他ならぬ自分なのだ。彼女は冷たい石の床に、力なく座り込んだ。
手から流れ出る血は、いつまでも熱くて、まるで彼女を責めているようだった。
エリベールは、両手を後ろ手に縛られ、馬の引く小さな車に乗せられていた。幸いなのかは分からないが、目は隠されていないためにどこに連れていかれるかは大体分かっている。
「すみませんエリベールさん!本当は、こんなこと………」
「いいえ………これで良かったのですよ。元より、私だけおめおめと生き延びるつもりはありません」
御者の若い男が、涙を枯らしたエリベールの代わりに泣くかのように涙していた。エリベールには見覚えは無いが、彼女は自分で考える以上に有名なのだ。御者の男が知っているのも無理はないと言えた。
ガタガタと揺れる馬車の荷台で、エリベールは何を思ったか。それきり、口を開くことは無かった。ただ、御者の男のすすり泣く声だけが聞こえる。
処刑場には、朝早くから大勢の人が集まっていた。あのエリベールが処刑されるというのだから、これくらいの人は集まって当然なのかもしれない。
その中には騎士装の者の姿もあり、処刑場を隔てる柵を激しくゆすっている。
「なんで、なんでエリベールさんが!なんで団長が処刑なんて!!」
「これは何かの間違いだ!!」
「教皇様に問い合わせろ!あの方がこのようなことを許すはずがない!!」
そんな叫びも虚しく、粛々と処刑の準備は進められる。広場の真ん中に十字架が建てられ、槍を持った兵士が現れる。
だが、彼らも全く気にしていないわけではないようだ。皆、良く見ると肩を震わせ、中にはそっと涙を拭く者までいる。しかし、彼らとて仕事。私情を優先して暴走するわけにはいかない。
その、衆人環視の処刑場。エリベールは、そこに姿を現した。
「…………」
元は感情がそのまま表れると言われた瞳も、もはや青い光を返すだけの無機質なガラスのように空虚で。元は豊かな感情を湛えたその面も、今は凪いだように無表情。それは恐怖故か、絶望故か。
そのままエリベールは無抵抗に十字架に括りつけられる。手と足を縛られ、それでも未だに人間味に欠ける面をさらす。
そのあまりにも無感動な姿勢に、最後の言葉を聞きとどけるはずの聖職者でさえ、彼女に近づくのをためらったほどだ。
「最後に、言い残すことは?」
ギラリと朝日を反射して光る凶刃が、エリベールに明確な死の恐怖を植え付ける。
しかし、それすらもどこか遠くの出来事のように感じながら、彼女は首を横に降る。
「エリベールさん!!あなたが死刑なら俺達も同罪だ!!」
槍を持つ兵士たちが、エリベールの縛られる十字架の間に並んだ時。そんな声が刑場に響く。しかし、エリベールはそちらを見向きもしない。
そして、それと同時に、処刑官の手が無造作に振り下ろされる。並んだ三つの槍が、エリベールの腹部を刺し貫いた。
「うわあああぁぁぁああああぁぁぁぁ!!!」
それは、堪え切れない執行者の思いか、それとも、ただの罪悪感故か。ここに集まる皆の思いを代弁したかのような叫びは、やがて刑場を揺るがす呻き声や叫び、悲鳴に変わってゆく。
ゴポリとエリベールの口から溢れた血が、喉を伝い服を汚す。そのまま槍をねじられ、傷口を広げられても、もはやエリベールは何の反応も返さなかった。その代わり、槍を持つ男たちが彼女の痛みを代わりに引き受けたかのように叫び声を上げる。
ただ、溢れ出た赤色の血が、地面を濡らす。槍の柄を伝い、処刑者の手を汚す。
「…………さよ…なら」
ただ、誰の耳にも残らない遺言だけが、風に消えた。
目を覚ましたのは、真っ暗な狭い場所だった。そこに、仰向けに寝かされている。
「ひっ! ここ、どこ?なんでこんなところに居るの!?」
だんだんと自分が閉じ込められていた場所の天井と思われるところを叩く。が、そこからは重い手ごたえが帰ってくるだけ。一条の光すら差し込まず、真っ暗で暗い場所は相変わらず不安を助長する。
このまま脱出できないのではないか………そんな不安に駆られて、さらに激しく天井を叩く。
「嫌……嫌よぉ! 出して!!ここから出してぇ!!」
激しく叩きすぎ、手がボロボロになっていく。それでもこの密室はびくともしない。
「出してよ……出してよぉ! こんなところで死にたくないよぉ!!」
渾身の力を込めて叩いても、手が切れて血が滴るだけ。
そのうち、目からもなにか暖かいしずくが零れる。
「あぁ………ああ…ぁぁぁ………」
だが。それは神の導きか。悪魔の気まぐれか。
ついに観念して、天井を叩く手を止めた時。がばりと、それは開いた。
「また会ぅたのぅ」
木製の棺の扉を持ち上げ、満月を背負って立つその少女は、えんじ色の着物を着て、首には般若のお面を下げていた。彼女の月明かりをそのまま糸にしたかのような金髪を纏う面は、狐を模した仮面が右半分を隠している。
その、あまりにも浮世離れした姿は。一度見たら、二度と忘れないその容姿は。
「私、なんで生きてるの………?」
吹き飛んだ記憶を、取り戻すには十分だった。
外見も十分、美しい部類に入るだろう。アッシュブロンドの長い髪と、どちらかと言えば丸っこい青の双眸に彩られたその姿は20代前半か。
事務能力も、戦闘技能も、指揮能力も申し分ない。外見などは、教皇を以てして“神に愛された容貌”と言わしめるほどである。どれも本人は否定しているが、彼女を知る者はそれが本心からの言葉だと知っている。
彼女の欠点を敢えてあげつらうというのなら、それは彼女の性格だろうか。
彼女は自己犠牲に過ぎる。それが周囲の彼女の性格への評価である。
そのエリベールは、現在教皇の前で冷や汗をかいていた。
「…………エリベール。君ほどの指揮官が、ここまで徹底的にやられるとはな………」
「………申し訳ありません」
教皇の、深い疲れの色が滲む声。しかし、その声には騎士団という組織に組み込まれた人間ならば絶対に逆らえない威厳が込められる。
彼女は、その灰銀色の髪が地面につきそうになるほど深く頭を下げる。
それで済む問題ではないのは分かっている。だが、それは頭を下げなくても良いということにはならない。
「……中央騎士団長、エリベール」
「……はい」
「自室にて待機し、沙汰を待て」
「………はい」
そう言って、一層深く頭を下げる。そうして顔を上げると、そこにはこちらを慈しむような教皇の顔があった。
深いしわの刻まれた顔の奥の、思慮深そうな緑の瞳がこちらを見つめる。そこには純粋に、ねぎらいの色だけがあった。
その視線に、エリベールはばつの悪さを感じる。
「……後で何か届けさせよう。今はじっくり体を休めろ。なに、ちょっとした休暇だと思えばいい。お前は優秀だ。悪いようにはならんさ」
先ほどまでとは違う、ゆったりとした口調。入団したての頃から、エリベールの才覚にいち早く気づき、目をかけてきたゆえの言葉。それは裏表の無い、ただの厚意だ。
教皇の厚意に、エリベールは涙が出そうになる。だが、今はその時ではない。
「………ご厚意、感謝します。ですが、私1人がぬくぬくと休暇を貪るなど、そんなことができようはずもございません。
私の部下は、あの戦いで大勢命を散らせたのです。必要とあらば、この命、差し出す覚悟でございます」
そう言って、エリベールは教皇の執務室を出ていった。制止の声はかからなかった。
先月、帝国はとある“街”に戦争を仕掛けた。
その街は15年ほど前、帝国の領土に突如として現れ、魔物を主力とする圧倒的な戦力を以て数多の軍勢を退けた。以降、幾度も帝国はその街に軍勢を送り込んでいるが、二度目の進攻で聖騎士を失って以来、その勢いは確実に衰えつつある。
本来、防衛や治安維持が主任務であるエリベールがその街への進攻戦に駆り出されたのは、戦争で国力をすり減らした故の苦肉の策でもあった。だが、それ以上に彼女の性格が災いしたのだともいえる。
きっかけは噂だった。その街には法が無いとされ、魔物が人間を奴隷の如く働かせているという噂。内部は文字通りの無法地帯で、暴力と策略の渦巻く社会の暗部のような街なのだという噂。
しかし、自分の浅慮な行動のせいで、多くの部下が戦場で散った。ある者は戦友を庇い、ある者は味方の退路を拓くために敵陣に特攻した。
エリベールは中央騎士団の団長だ。そのような浅はかな行動は控えるべきであるはずなのに………。
「……………くそッッ!!!」
バキィ! と、エリベールは自室の壁を思い切り殴った。硬いレンガ造りの壁にクモの巣状の亀裂が走り、ぶつけた拳が切れて紅いしずくが飛ぶ。
その痛みに、エリベールの脳裏に敵の将の言葉が蘇る。
戦場だというのに着物姿で、右手に鉄扇と呼ばれる珍しい武器をぶら下げた少女は、首に下げた般若の面を揺らしながら言った。
――よぅほどのモンでも、大局読むぅは難しいようやのぉ
その時はその少女の言う意味が分からなかったが、後になってみればこのざまだ。戦力の3割を失い、残る7割も満身創痍。敵はといえば、最初見たときとまったく変わっていない。
驚くほどの少数のままだ。
開戦時の戦力差、およそ10倍。それを、敵は損害を出すこともなく凌ぎきった。勝てない。直感がそう告げていた。
「……………ゴメンね、トリシュ、ゴードン、エルト………」
名前を上げ出せばキリがない。彼女は、自分の騎士団の全員をしっかり把握している。それこそ、一平卒に至るまで完全に。だからこそ、彼らが血しぶきをあげて倒れる様は、できれば見たくなかった。
だが。それを引き起こしたのは他ならぬ自分なのだ。彼女は冷たい石の床に、力なく座り込んだ。
手から流れ出る血は、いつまでも熱くて、まるで彼女を責めているようだった。
エリベールは、両手を後ろ手に縛られ、馬の引く小さな車に乗せられていた。幸いなのかは分からないが、目は隠されていないためにどこに連れていかれるかは大体分かっている。
「すみませんエリベールさん!本当は、こんなこと………」
「いいえ………これで良かったのですよ。元より、私だけおめおめと生き延びるつもりはありません」
御者の若い男が、涙を枯らしたエリベールの代わりに泣くかのように涙していた。エリベールには見覚えは無いが、彼女は自分で考える以上に有名なのだ。御者の男が知っているのも無理はないと言えた。
ガタガタと揺れる馬車の荷台で、エリベールは何を思ったか。それきり、口を開くことは無かった。ただ、御者の男のすすり泣く声だけが聞こえる。
処刑場には、朝早くから大勢の人が集まっていた。あのエリベールが処刑されるというのだから、これくらいの人は集まって当然なのかもしれない。
その中には騎士装の者の姿もあり、処刑場を隔てる柵を激しくゆすっている。
「なんで、なんでエリベールさんが!なんで団長が処刑なんて!!」
「これは何かの間違いだ!!」
「教皇様に問い合わせろ!あの方がこのようなことを許すはずがない!!」
そんな叫びも虚しく、粛々と処刑の準備は進められる。広場の真ん中に十字架が建てられ、槍を持った兵士が現れる。
だが、彼らも全く気にしていないわけではないようだ。皆、良く見ると肩を震わせ、中にはそっと涙を拭く者までいる。しかし、彼らとて仕事。私情を優先して暴走するわけにはいかない。
その、衆人環視の処刑場。エリベールは、そこに姿を現した。
「…………」
元は感情がそのまま表れると言われた瞳も、もはや青い光を返すだけの無機質なガラスのように空虚で。元は豊かな感情を湛えたその面も、今は凪いだように無表情。それは恐怖故か、絶望故か。
そのままエリベールは無抵抗に十字架に括りつけられる。手と足を縛られ、それでも未だに人間味に欠ける面をさらす。
そのあまりにも無感動な姿勢に、最後の言葉を聞きとどけるはずの聖職者でさえ、彼女に近づくのをためらったほどだ。
「最後に、言い残すことは?」
ギラリと朝日を反射して光る凶刃が、エリベールに明確な死の恐怖を植え付ける。
しかし、それすらもどこか遠くの出来事のように感じながら、彼女は首を横に降る。
「エリベールさん!!あなたが死刑なら俺達も同罪だ!!」
槍を持つ兵士たちが、エリベールの縛られる十字架の間に並んだ時。そんな声が刑場に響く。しかし、エリベールはそちらを見向きもしない。
そして、それと同時に、処刑官の手が無造作に振り下ろされる。並んだ三つの槍が、エリベールの腹部を刺し貫いた。
「うわあああぁぁぁああああぁぁぁぁ!!!」
それは、堪え切れない執行者の思いか、それとも、ただの罪悪感故か。ここに集まる皆の思いを代弁したかのような叫びは、やがて刑場を揺るがす呻き声や叫び、悲鳴に変わってゆく。
ゴポリとエリベールの口から溢れた血が、喉を伝い服を汚す。そのまま槍をねじられ、傷口を広げられても、もはやエリベールは何の反応も返さなかった。その代わり、槍を持つ男たちが彼女の痛みを代わりに引き受けたかのように叫び声を上げる。
ただ、溢れ出た赤色の血が、地面を濡らす。槍の柄を伝い、処刑者の手を汚す。
「…………さよ…なら」
ただ、誰の耳にも残らない遺言だけが、風に消えた。
目を覚ましたのは、真っ暗な狭い場所だった。そこに、仰向けに寝かされている。
「ひっ! ここ、どこ?なんでこんなところに居るの!?」
だんだんと自分が閉じ込められていた場所の天井と思われるところを叩く。が、そこからは重い手ごたえが帰ってくるだけ。一条の光すら差し込まず、真っ暗で暗い場所は相変わらず不安を助長する。
このまま脱出できないのではないか………そんな不安に駆られて、さらに激しく天井を叩く。
「嫌……嫌よぉ! 出して!!ここから出してぇ!!」
激しく叩きすぎ、手がボロボロになっていく。それでもこの密室はびくともしない。
「出してよ……出してよぉ! こんなところで死にたくないよぉ!!」
渾身の力を込めて叩いても、手が切れて血が滴るだけ。
そのうち、目からもなにか暖かいしずくが零れる。
「あぁ………ああ…ぁぁぁ………」
だが。それは神の導きか。悪魔の気まぐれか。
ついに観念して、天井を叩く手を止めた時。がばりと、それは開いた。
「また会ぅたのぅ」
木製の棺の扉を持ち上げ、満月を背負って立つその少女は、えんじ色の着物を着て、首には般若のお面を下げていた。彼女の月明かりをそのまま糸にしたかのような金髪を纏う面は、狐を模した仮面が右半分を隠している。
その、あまりにも浮世離れした姿は。一度見たら、二度と忘れないその容姿は。
「私、なんで生きてるの………?」
吹き飛んだ記憶を、取り戻すには十分だった。
11/01/25 21:04更新 / 湖
戻る
次へ