自由の街の遊び人
赤や黒、それらに混じって透き通るような白い石がランダム敷かれた通路には、馬車が余裕をもってすれ違えるほどの広さがある。
石畳というにはとても平坦に並べられたその石の道は、作った者たちの技術力の高さを誇るかのようだ。
ここは街の入口からほど近い、この街のメインストリート、第一通り。それを裏付けるように、腰に剣を帯び商品を手に取る傭兵や、大きな荷物を脇に下ろし熱心に客引きをする商人、物珍しそうに露天と露天の間を縫って歩く街の住人の姿がある。
そんな活気と喧噪にまみれた歓楽街を、その人物は歩いていた。勝気な黄金の瞳と、同色のくせのない長い髪。そして、その小さな体を包むのは、このあたりでは珍しいえんじ色の着物だ。その着物も彼女の体に対して大きめで、まるで着崩しているようにも見える。妖狐と呼ばれる種族は全体的にすらりとした体を持っているものだが、彼女はその例に漏れるようだ。
しかし、彼女の最大の特徴はそこではない。
その白い面の半分を覆う狐を模った面と、紐で首に提げられた、まるで鬼のような形相をした般若面である。そのせいで外から覗けるのは顔の左半分だけだ。
彼女につれあいは無く、ホクホク顔で口の横にソースをつけながら何かの肉を串に刺して焼いたものを食べている。その串も左手で持っており、狐面にはソースをつけないように配慮しているようだ。
着物の裾をはためかせて進む彼女には、常にあちこちの商人から声がかけられる。
「シオンさん!あんたジパングの出だろう?いいもん入ったんだ、見ていかないかい?」
「シオンさーん、この前頼まれてたアレ、手に入ったよー!」
「始音さん、サービスしますよ、寄っていってください」
その声に、シオンと呼ばれた彼女は片手に肉を持ったままふらふらと露天に近づいて行く。上半身がゆらりと揺れるたび、首にかけた般若面もからから揺れる。
人と人の間をすり抜け、金の髪を煌めかせながらふらふらとする姿は、どことなく危なっかしい子供を彷彿とさせた。
彼女がふらふらと向かったのは、まだ少年のようにも見える若い男の商人の元だった。
「ほら、これ。何て名前だっけ……。とりあえず手に入ったよ」
そう言って、商人は近寄ってきたシオンに陶器の徳利を渡す。
シオンは徳利のくびれに巻かれた縄を掴み、その徳利を腰の帯に挿みこんだ。そのとき、陶器の中身が揺れ、とぷんと音を鳴らす。
この近隣では手に入れることも難しいこの酒を調達する手腕は、その若さに見合わず既に一流のようだ。
「相変わらず見事よぉ。わっちではどうやってもこん酒を見つけられんかったに」
どことなく独特の語感を漂わせながら、シオンは商人を褒める。その称賛の言葉と共に、精いっぱい背伸びをし、商人の頭をなでた。着物の袖がめくれ、細く白い手が肘まで露わになる。
まるで兄と妹のように身長差がある2人だが、生きてきた歳月では圧倒的にシオンが上なのだ
「この街は楽園よな。おかげでわっちも遊び歩いておれるし、よぅも商売に精出せる」
シオンは商人に声をかける。よぅ、というのは話し相手の商人のことだろうか。
その言葉に、若い男の商人ははにかんで答える。短く刈った茶色い髪が、陽光を反射した。
「それはシオンさんのおかげだろ」
その商人の言葉に、シオンは目を細める。
「……わっちには力しかない。でも、それで何かが守れればそれでいいんよ」
繋がっていないように聞こえるシオンの答えだが、しかしそれはこの街の住人なら誰でも違和感なく聞き取れる。
“力”でこの街を作った9人。眼の前の少女は、恐るべき力を持った魔物なのだ。一見奔放に見える彼女だが、それは人間では知り得ない何かを知った為の奔放さなのだろう。
彼女だけではなく、他の8人も方向こそ違えどどこか浮世離れしているというか、達観している節がある。
「僕も、シオンさんのおかげでなんとか商売をやっていけるよ。シオンさんの御用達ってことでお客もいっぱい来るし」
そう言って笑う商人だが、彼が裏でいろいろ苦労していることも知っているシオンは素直に笑えない。
お客が増えるということは、それだけ処理すべき仕事も増すということだ。それは、まだ年若いこの商人には重荷だろう。
本人は気が付いていないかもしれないが、その疲れは確実にひとを蝕む。
「まぁ、そうよな。よぅも無理はせんほうがいいやぁ」
そう言って、ほれ、と商人の口に左手の串を突っ込む。肉を無理やり口に押し込まれた商人は、もぐもぐとそれを咀嚼した。
彼がその肉を食べ終わったのを見計らって、シオンは大粒の赤い宝石を彼の手に握らせた。それの大きさにひるんだ手を、小さな手でぎゅっと握りこませる。
「よぅ、死ぬなよ。また生きて、この街に来るんよ」
なぁ、とひらひらと後ろに手を振って、シオンは彼の元を離れていった。
ひとり残された商人は、客引きも忘れてシオンの小さな背中を見送る。淡く朱に染まった頬に自分で気づくこともなく。
そして、しばらく経って我に返った時、手のひらに握らされていた宝石の大きさに、彼は再び呆然とするのだった。
商人たちの怒号にも似た客引きの声にもまれながら、シオンはふらふらと第一通りをうろつく。その手には先ほどまでの串焼きはなく、代わりにパンに肉や野菜を挟んだものが納まっている。
パンにはうっすらとバターが塗られ、肉はレアに焼き上げた後甘辛のタレにつけて焼きなおしてある。それとともに挟まれた新鮮な野菜がくどさを弱め、しゃきっとした歯ごたえを与えている。
先ほど寄った露天の豪快な笑いが耳に残る髭の濃い店主に貰ったものだ。新商品だとかで、試しに食べてほしいと言われてありがたく貰っておいた。大変うまいので、後は値段次第で確実に売れるだろう。
「むぅ、旨いものは心の栄養なりて」
ぺろりと唇に付いたタレを舌で舐めとり、ぽつりとつぶやく。ふと後ろを振り返れば、もはや通りは後戻りもできないほど混雑していた。昼が近いのだ。
シオンは毎日朝からこの通りにいるので、人の数で大体の時間が解る。実はそんなことをせずとも、この街のどこからでも見えるあの塔を見れば時間など解るのだが。
昼が近くなり、この通りに人が増えるのを見ると、シオンは何となく幸せな気持ちになるのだ。そんな気持ちを今日もかみしめながら、ふらふらと歩く。
と、そこで突然シオンの耳にこの場にある意味ふさわしい、しかし似つかわしくない怒声が飛び込んできた。
「この野郎!!さっきから聞いてりゃ嘘ばっかり吐きやがって!!!」
人が集まれば騒ぎも起こる。
それはある意味必然で、当然のことなのだが。それはこの街において、当然ではない。この街を縛る、唯一の法によって、それは当然ではなくなった。
見れば、声がしたと思しき場所は円を描くように人だかりが出来ている。果たしてそれは仲裁に入ろうか決めあぐねているのか、ただの下種な野次馬か。
確認のためにシオンが近づけば、人だかりは自然と左右に割れてシオンの為の道を作る。シオンはその道を堂々と進んだ。
――人だかりの中心では、2人の男が睨み合っていた。2人とも皮鎧を身にまとう傭兵で、互いに剣を突き付けている。男たちの顔を見る限り、このまま放っておけばほぼ確実に血が流れるだろう。
そこにシオンは一歩踏み出す。
「おい、うつけども。この街の法を忘れたのや?」
「あぁ?」
突然現れ声をかけてきた小さな少女に、剣を突き付け合っていた傭兵が反応する。そのうちの一人はその巨体全身で威嚇するように睨みを効かせ、シオンを見つめる。
「ガキが俺様になんか用かよ?」
もう一人のやせぎすの傭兵も、話しかけてきたのが小さな少女だと解ると、嘲るような声を上げた。
その爬虫類のような目が、シオンを上から下までじろじろと無遠慮に舐めまわす。
しかし、シオンは動じず、顔に笑みを浮かべたままもう一度問いかける。
「この街の法、覚えておるかい?」
シオンが言いたいのは、詰まる所冷静になれということである。が、そもそもこの傭兵たちはこの街を自分たちにとって都合のいい無法地帯としかとらえていなかった。
傭兵は馬鹿にするように言い返す。
「ガキが何を言ってんだか。法? そんなもん俺様には関係ねぇんだよ。こんな魔物がのさばるような街の法なんてなぁ!」
その言葉に、傭兵たちを取り巻く人だかりから殺気が滲む。その殺気が、魔物を蔑視するような発言に対してなのか、この街を馬鹿にする傭兵に対してなのかは解らないが。
人だかりの中には気性が荒い事で有名な種族もいる。が、それでも眼の前の傭兵が血袋に変えられないのはこの街の法ゆえだ。このような、他の街や国ならば確実に違法となるような物や店が平然と立ち並ぶこの通りでも、街の法は順守される。
シオンはその殺気の中で、未だ笑顔を浮かべていた。しかし、その黄金の瞳には獰猛な光が輝き、笑いの形に歪んでいる口元からは鋭い犬歯が覗いていたが。
「よぅみたいな輩が、世を腐らせるのやよぉ」
独特の語感を持つため、相手に意図が伝わりにくいシオンの喋り方だが、流石に言葉の端に滲む軽蔑の色は相手に伝わったようだ。たちまち傭兵が気色ばむ。
だが、そんなものは目に入らない、といった態度でシオンが続ける。ただ、首にさがった般若面だけがシオンの怒りを受けたかのようにかたかたと鳴る。
「なんでも力で片付くもん思うとケガするぅよ、というのや」
例えば今みたいになぁ、とシオンがしめると、傭兵2人は顔を真っ赤にして斬りかかってきた。衆人環視の中、丸腰の少女に対して全力で。しかも二人がかりである。その行動に、人だかりの中から飛び出そうとした者も居たが、シオンの余裕の表情を見て思い留まる。
斬りかかった傭兵達は、自らの振るった刃のあぎとに捕えられ、なすすべもなく血だまりに沈む少女の姿を想像した。実際、途中まではそうなった。
かぎん、と鈍い音と共に刃をはじいたのは、シオンが袖から滑り落とすように取りだした鉄扇だった。たたまれた状態のそれは、鉄の硬度を以て刃を退ける。そして、鉄扇の動きはそこでは終わらない。
ばしゃりと小気味いい音を響かせ広がった鋼鉄の扇は、続くやせぎすの傭兵が放った横なぎの剣も退ける。同時にバランスを崩したやせぎすの傭兵に、シオンは追撃の蹴りをお見舞いする。蹴られた傭兵の体は驚くほど簡単に宙に浮き、背後の大男を巻きこんで背後の壁に激突した。
「………」
叫び声も上げずに飛んでいき、壁と激突した傭兵は一撃で気絶したようで、それっきり立ちあがってこなかった。
それを確認すると、シオンは再び鉄扇を音と共にたたむ。するりとそれを袖に仕舞いこんだ彼女は、気絶した傭兵に向かって話しかけた。
「“吟味”いうのは、なんも深く考えるだけちがう。わっちは喧嘩も悪ぅないと思うねぇ、が、それが考えナシではいかんよぅ」
せめて素手で、なぁ?と言い残し、シオンは彼らに背を向ける。とっくに人だかりは消えており、周囲には昼特有の白熱した値引き交渉が飛び交っている。
シオンはその光景と喧噪に深い幸せを覚えながら、戦闘中もずっと左手に持っていたサンドイッチもどきを一口、パクリと食べた。
街の北部、天を貫くように立つ塔。全て石で造られたこの塔の最上階に、二つの人影があった。
部屋の広さは大したことはないが、その空間にあるものがたった一つのイスだけとなれば広く感じるものだ。カーテンどころか窓ガラスすらない割にはとても大きな窓が8つ、全方位を見渡せるようにあり、ここから街の全貌を望むことができるようになっている。
そんな部屋の中央、部屋にひとつだけある大きなイスに腰掛けた、黒髪が美しいアヌビスの女性、リィリと向き合うようにシオンは立っていた。
リィリは瞳を静かに閉じ、手を前で合わせて穏やかにイスに腰掛けている。それに対しシオンは相変わらずのやや大きめなえんじ色の着物を着、左手に丸いイモをほかほかに蒸し焼きにし、バターと塩を振ったものを持った状態で話している。そして、その着物の帯には商人の男に調達してもらった酒が入っていた。
「始音。右の狐面になにかが付いていますよ」
がぶりと手に持ったイモにかぶりついたシオンに、目を閉じたままのリィリが教える。そして、シオンはそれを疑うことなく狐面を外し、確認する。
「あ、本当さぁ」
そう言ったシオンは付いていたソースを指でぬぐい、その指を口に含む。ちゅぱ、とソースを舐めとり、再び狐面をかぶる。
シオンが狐面をかぶり終わったのを見計らい、リィリは声をかける。
「それで、あなたがここを訪れたのにはなにか理由があるのですか?」
大抵、この塔を昇ってここに来る者はリィリに相談があってくる者たちだ。しかし、眼の前の妖狐はひとつの物事に固執してくよくよ悩んだりはしないタイプだ。無論、絶対にないとは言い切れないだろうが。
そのリィリの問いに、シオンは南の窓際まで歩きながら答えた。
「用はないんね。街全体を見渡せるならここやのぅてもよかったさぁ」
そう言って、シオンは窓から街を眺める。第一通りには未だ人の姿が溢れかえっており、その存在を声高に主張していた。
そして、街を眺めたままつぶやく。
「この街は楽園よぅ。わっちはここにおられるし、わっちもここにおりたいのぉ」
そう言って、シオンは左手のイモをぽいと口に放り込む。
イモからは、幸せの味がした。
「優しさ、ですね」
リィリが、ぽつりと、つぶやいた。
石畳というにはとても平坦に並べられたその石の道は、作った者たちの技術力の高さを誇るかのようだ。
ここは街の入口からほど近い、この街のメインストリート、第一通り。それを裏付けるように、腰に剣を帯び商品を手に取る傭兵や、大きな荷物を脇に下ろし熱心に客引きをする商人、物珍しそうに露天と露天の間を縫って歩く街の住人の姿がある。
そんな活気と喧噪にまみれた歓楽街を、その人物は歩いていた。勝気な黄金の瞳と、同色のくせのない長い髪。そして、その小さな体を包むのは、このあたりでは珍しいえんじ色の着物だ。その着物も彼女の体に対して大きめで、まるで着崩しているようにも見える。妖狐と呼ばれる種族は全体的にすらりとした体を持っているものだが、彼女はその例に漏れるようだ。
しかし、彼女の最大の特徴はそこではない。
その白い面の半分を覆う狐を模った面と、紐で首に提げられた、まるで鬼のような形相をした般若面である。そのせいで外から覗けるのは顔の左半分だけだ。
彼女につれあいは無く、ホクホク顔で口の横にソースをつけながら何かの肉を串に刺して焼いたものを食べている。その串も左手で持っており、狐面にはソースをつけないように配慮しているようだ。
着物の裾をはためかせて進む彼女には、常にあちこちの商人から声がかけられる。
「シオンさん!あんたジパングの出だろう?いいもん入ったんだ、見ていかないかい?」
「シオンさーん、この前頼まれてたアレ、手に入ったよー!」
「始音さん、サービスしますよ、寄っていってください」
その声に、シオンと呼ばれた彼女は片手に肉を持ったままふらふらと露天に近づいて行く。上半身がゆらりと揺れるたび、首にかけた般若面もからから揺れる。
人と人の間をすり抜け、金の髪を煌めかせながらふらふらとする姿は、どことなく危なっかしい子供を彷彿とさせた。
彼女がふらふらと向かったのは、まだ少年のようにも見える若い男の商人の元だった。
「ほら、これ。何て名前だっけ……。とりあえず手に入ったよ」
そう言って、商人は近寄ってきたシオンに陶器の徳利を渡す。
シオンは徳利のくびれに巻かれた縄を掴み、その徳利を腰の帯に挿みこんだ。そのとき、陶器の中身が揺れ、とぷんと音を鳴らす。
この近隣では手に入れることも難しいこの酒を調達する手腕は、その若さに見合わず既に一流のようだ。
「相変わらず見事よぉ。わっちではどうやってもこん酒を見つけられんかったに」
どことなく独特の語感を漂わせながら、シオンは商人を褒める。その称賛の言葉と共に、精いっぱい背伸びをし、商人の頭をなでた。着物の袖がめくれ、細く白い手が肘まで露わになる。
まるで兄と妹のように身長差がある2人だが、生きてきた歳月では圧倒的にシオンが上なのだ
「この街は楽園よな。おかげでわっちも遊び歩いておれるし、よぅも商売に精出せる」
シオンは商人に声をかける。よぅ、というのは話し相手の商人のことだろうか。
その言葉に、若い男の商人ははにかんで答える。短く刈った茶色い髪が、陽光を反射した。
「それはシオンさんのおかげだろ」
その商人の言葉に、シオンは目を細める。
「……わっちには力しかない。でも、それで何かが守れればそれでいいんよ」
繋がっていないように聞こえるシオンの答えだが、しかしそれはこの街の住人なら誰でも違和感なく聞き取れる。
“力”でこの街を作った9人。眼の前の少女は、恐るべき力を持った魔物なのだ。一見奔放に見える彼女だが、それは人間では知り得ない何かを知った為の奔放さなのだろう。
彼女だけではなく、他の8人も方向こそ違えどどこか浮世離れしているというか、達観している節がある。
「僕も、シオンさんのおかげでなんとか商売をやっていけるよ。シオンさんの御用達ってことでお客もいっぱい来るし」
そう言って笑う商人だが、彼が裏でいろいろ苦労していることも知っているシオンは素直に笑えない。
お客が増えるということは、それだけ処理すべき仕事も増すということだ。それは、まだ年若いこの商人には重荷だろう。
本人は気が付いていないかもしれないが、その疲れは確実にひとを蝕む。
「まぁ、そうよな。よぅも無理はせんほうがいいやぁ」
そう言って、ほれ、と商人の口に左手の串を突っ込む。肉を無理やり口に押し込まれた商人は、もぐもぐとそれを咀嚼した。
彼がその肉を食べ終わったのを見計らって、シオンは大粒の赤い宝石を彼の手に握らせた。それの大きさにひるんだ手を、小さな手でぎゅっと握りこませる。
「よぅ、死ぬなよ。また生きて、この街に来るんよ」
なぁ、とひらひらと後ろに手を振って、シオンは彼の元を離れていった。
ひとり残された商人は、客引きも忘れてシオンの小さな背中を見送る。淡く朱に染まった頬に自分で気づくこともなく。
そして、しばらく経って我に返った時、手のひらに握らされていた宝石の大きさに、彼は再び呆然とするのだった。
商人たちの怒号にも似た客引きの声にもまれながら、シオンはふらふらと第一通りをうろつく。その手には先ほどまでの串焼きはなく、代わりにパンに肉や野菜を挟んだものが納まっている。
パンにはうっすらとバターが塗られ、肉はレアに焼き上げた後甘辛のタレにつけて焼きなおしてある。それとともに挟まれた新鮮な野菜がくどさを弱め、しゃきっとした歯ごたえを与えている。
先ほど寄った露天の豪快な笑いが耳に残る髭の濃い店主に貰ったものだ。新商品だとかで、試しに食べてほしいと言われてありがたく貰っておいた。大変うまいので、後は値段次第で確実に売れるだろう。
「むぅ、旨いものは心の栄養なりて」
ぺろりと唇に付いたタレを舌で舐めとり、ぽつりとつぶやく。ふと後ろを振り返れば、もはや通りは後戻りもできないほど混雑していた。昼が近いのだ。
シオンは毎日朝からこの通りにいるので、人の数で大体の時間が解る。実はそんなことをせずとも、この街のどこからでも見えるあの塔を見れば時間など解るのだが。
昼が近くなり、この通りに人が増えるのを見ると、シオンは何となく幸せな気持ちになるのだ。そんな気持ちを今日もかみしめながら、ふらふらと歩く。
と、そこで突然シオンの耳にこの場にある意味ふさわしい、しかし似つかわしくない怒声が飛び込んできた。
「この野郎!!さっきから聞いてりゃ嘘ばっかり吐きやがって!!!」
人が集まれば騒ぎも起こる。
それはある意味必然で、当然のことなのだが。それはこの街において、当然ではない。この街を縛る、唯一の法によって、それは当然ではなくなった。
見れば、声がしたと思しき場所は円を描くように人だかりが出来ている。果たしてそれは仲裁に入ろうか決めあぐねているのか、ただの下種な野次馬か。
確認のためにシオンが近づけば、人だかりは自然と左右に割れてシオンの為の道を作る。シオンはその道を堂々と進んだ。
――人だかりの中心では、2人の男が睨み合っていた。2人とも皮鎧を身にまとう傭兵で、互いに剣を突き付けている。男たちの顔を見る限り、このまま放っておけばほぼ確実に血が流れるだろう。
そこにシオンは一歩踏み出す。
「おい、うつけども。この街の法を忘れたのや?」
「あぁ?」
突然現れ声をかけてきた小さな少女に、剣を突き付け合っていた傭兵が反応する。そのうちの一人はその巨体全身で威嚇するように睨みを効かせ、シオンを見つめる。
「ガキが俺様になんか用かよ?」
もう一人のやせぎすの傭兵も、話しかけてきたのが小さな少女だと解ると、嘲るような声を上げた。
その爬虫類のような目が、シオンを上から下までじろじろと無遠慮に舐めまわす。
しかし、シオンは動じず、顔に笑みを浮かべたままもう一度問いかける。
「この街の法、覚えておるかい?」
シオンが言いたいのは、詰まる所冷静になれということである。が、そもそもこの傭兵たちはこの街を自分たちにとって都合のいい無法地帯としかとらえていなかった。
傭兵は馬鹿にするように言い返す。
「ガキが何を言ってんだか。法? そんなもん俺様には関係ねぇんだよ。こんな魔物がのさばるような街の法なんてなぁ!」
その言葉に、傭兵たちを取り巻く人だかりから殺気が滲む。その殺気が、魔物を蔑視するような発言に対してなのか、この街を馬鹿にする傭兵に対してなのかは解らないが。
人だかりの中には気性が荒い事で有名な種族もいる。が、それでも眼の前の傭兵が血袋に変えられないのはこの街の法ゆえだ。このような、他の街や国ならば確実に違法となるような物や店が平然と立ち並ぶこの通りでも、街の法は順守される。
シオンはその殺気の中で、未だ笑顔を浮かべていた。しかし、その黄金の瞳には獰猛な光が輝き、笑いの形に歪んでいる口元からは鋭い犬歯が覗いていたが。
「よぅみたいな輩が、世を腐らせるのやよぉ」
独特の語感を持つため、相手に意図が伝わりにくいシオンの喋り方だが、流石に言葉の端に滲む軽蔑の色は相手に伝わったようだ。たちまち傭兵が気色ばむ。
だが、そんなものは目に入らない、といった態度でシオンが続ける。ただ、首にさがった般若面だけがシオンの怒りを受けたかのようにかたかたと鳴る。
「なんでも力で片付くもん思うとケガするぅよ、というのや」
例えば今みたいになぁ、とシオンがしめると、傭兵2人は顔を真っ赤にして斬りかかってきた。衆人環視の中、丸腰の少女に対して全力で。しかも二人がかりである。その行動に、人だかりの中から飛び出そうとした者も居たが、シオンの余裕の表情を見て思い留まる。
斬りかかった傭兵達は、自らの振るった刃のあぎとに捕えられ、なすすべもなく血だまりに沈む少女の姿を想像した。実際、途中まではそうなった。
かぎん、と鈍い音と共に刃をはじいたのは、シオンが袖から滑り落とすように取りだした鉄扇だった。たたまれた状態のそれは、鉄の硬度を以て刃を退ける。そして、鉄扇の動きはそこでは終わらない。
ばしゃりと小気味いい音を響かせ広がった鋼鉄の扇は、続くやせぎすの傭兵が放った横なぎの剣も退ける。同時にバランスを崩したやせぎすの傭兵に、シオンは追撃の蹴りをお見舞いする。蹴られた傭兵の体は驚くほど簡単に宙に浮き、背後の大男を巻きこんで背後の壁に激突した。
「………」
叫び声も上げずに飛んでいき、壁と激突した傭兵は一撃で気絶したようで、それっきり立ちあがってこなかった。
それを確認すると、シオンは再び鉄扇を音と共にたたむ。するりとそれを袖に仕舞いこんだ彼女は、気絶した傭兵に向かって話しかけた。
「“吟味”いうのは、なんも深く考えるだけちがう。わっちは喧嘩も悪ぅないと思うねぇ、が、それが考えナシではいかんよぅ」
せめて素手で、なぁ?と言い残し、シオンは彼らに背を向ける。とっくに人だかりは消えており、周囲には昼特有の白熱した値引き交渉が飛び交っている。
シオンはその光景と喧噪に深い幸せを覚えながら、戦闘中もずっと左手に持っていたサンドイッチもどきを一口、パクリと食べた。
街の北部、天を貫くように立つ塔。全て石で造られたこの塔の最上階に、二つの人影があった。
部屋の広さは大したことはないが、その空間にあるものがたった一つのイスだけとなれば広く感じるものだ。カーテンどころか窓ガラスすらない割にはとても大きな窓が8つ、全方位を見渡せるようにあり、ここから街の全貌を望むことができるようになっている。
そんな部屋の中央、部屋にひとつだけある大きなイスに腰掛けた、黒髪が美しいアヌビスの女性、リィリと向き合うようにシオンは立っていた。
リィリは瞳を静かに閉じ、手を前で合わせて穏やかにイスに腰掛けている。それに対しシオンは相変わらずのやや大きめなえんじ色の着物を着、左手に丸いイモをほかほかに蒸し焼きにし、バターと塩を振ったものを持った状態で話している。そして、その着物の帯には商人の男に調達してもらった酒が入っていた。
「始音。右の狐面になにかが付いていますよ」
がぶりと手に持ったイモにかぶりついたシオンに、目を閉じたままのリィリが教える。そして、シオンはそれを疑うことなく狐面を外し、確認する。
「あ、本当さぁ」
そう言ったシオンは付いていたソースを指でぬぐい、その指を口に含む。ちゅぱ、とソースを舐めとり、再び狐面をかぶる。
シオンが狐面をかぶり終わったのを見計らい、リィリは声をかける。
「それで、あなたがここを訪れたのにはなにか理由があるのですか?」
大抵、この塔を昇ってここに来る者はリィリに相談があってくる者たちだ。しかし、眼の前の妖狐はひとつの物事に固執してくよくよ悩んだりはしないタイプだ。無論、絶対にないとは言い切れないだろうが。
そのリィリの問いに、シオンは南の窓際まで歩きながら答えた。
「用はないんね。街全体を見渡せるならここやのぅてもよかったさぁ」
そう言って、シオンは窓から街を眺める。第一通りには未だ人の姿が溢れかえっており、その存在を声高に主張していた。
そして、街を眺めたままつぶやく。
「この街は楽園よぅ。わっちはここにおられるし、わっちもここにおりたいのぉ」
そう言って、シオンは左手のイモをぽいと口に放り込む。
イモからは、幸せの味がした。
「優しさ、ですね」
リィリが、ぽつりと、つぶやいた。
11/01/16 17:18更新 / 湖
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