高性能で残念な彼女
○△○□--プロローグ--□○△○
彼女を見つけたのは3年も前の話になる。
古代遺跡、と一言で言えば簡単ではあるが、いわゆる失われし時代の遺産が眠る遺跡はそうそう見つかるものではない。
仮に見つかったとしても、殆どが盗掘済みで、残っているものなど精々拾い零し程度のものだ。
物が残っているとしたら、2つに1つ。
つまり今もなおセキュリティが生きていて侵入者を容赦なく排除しているか、運良く他者に見つかっていないかだ。
彼女と出会ったのは後者の遺跡だった。
殆どが埋もれ、探索できる部分等ほとんど無い遺跡。
それ故に彼女が眠る遺跡は放置されていたのかもしれない。
小さな部屋の奥底で、彼女は不思議なガラス製のシリンダーの中で静かにその時を待っていた。
コポコポと、時折気泡が湧きだつ、成分も分からぬ液体に満たされたその中で、彼女は静かに眠っていた。
彼女を起こせたのは偶然だったのか、それとも誰にでも起こせたのかは今となっては分からない。
彼女が眠る筒の前のパネルに手を重ねる。
それが彼女を目覚めさせるためのアクションだったから。
ゴポゴポと音を立てながら、彼女が眠るシリンダーを満たす液体が抜けていく。
すべての液体が抜けた後、シリンダーもゆっくりと沈み、彼女だけが取り残された。
ゆっくりと目を開けた彼女と目が合う。そして彼女はゆっくりと口開く。
「システム、オールグリーン。起動シーケンス異常ナシ。セルフチェック……一部問題アリ…軽度、改善不要。コレヨリ認証シーケンスニ移行…創造主ノ生体認証、登録開始」
彼女が何を言っているかは全くわからなかった。
こちらをジッと見つめる瞳は、自分の全てを見透かすようだった。
生命の息吹を感じないその瞳に吸い込まれるような、不思議な感覚を感じた。
それでいて、彼女自身はまるで生きている人間と思えるほどに生気を感じるという矛盾した存在。
そんな彼女は暫くこちらのことを観察すると、また何かを小さく呟いている。
何を呟いているかは分からなかった。人が聞き取るにはあまりにも早すぎて、あまりに難解だったから。
そんな彼女の呟きが終わった後、彼女をはゆっくりと瞳を閉じ、そしてゆっくりと開く。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「はじめまして、貴方が私のマスターですね。私はYggdrasillプロジェクト第3世代、コードネーム:Ymirと申しましゅ」
「(噛んだ!?)」
失われた技術の結晶であるはずの、どこか残念な彼女との出会いだった。
− ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ −
○△○□--残念な朝--□○△○
ちゅんちゅんと小鳥のさえずりが聞こえ始める朝。
まだ太陽は東の山間から漸く頭を覗かせた程度。
時刻で言えば、まだ6時を迎える少し前と言ったところだろう。
彼女はゆっくりと立ち上がると、ベッドでスヤスヤと眠る彼女のマスターの元へと向かう。
気持ちよく眠る彼を起こすのは、どこか気が引ける思いだが、起こさないわけにも行かない。
「マスター、マスター。起きて下さい。定刻となりました。」
「んぅ……んん?…ユミ…リア…?」
「はい、マスター、私です。起きて下さい。」
ゆさゆさと彼の身体を揺らし、起きるように促す。
カーテンを開け、外の光が入るように、彼の目が覚めるようにと、テキパキと行動する。
「マスター、眠いところ申し訳ありません。ですが寝坊を許すわけにも行きません。さぁ、起きて下さい」
「あの…ユミリア…」
「ふふ、今日も太陽が元気なその顔を覗かせております。気持ちのよい朝ですよ」
「あの。あのね…ユミリア…聞いて…」
眠そうな彼が、必死に起こそうとする彼女にまったをかける。
「どうなさいましたか?マスターともあろう方が」
「あのね…ユミリア…時間ぴったりに起こしてくれるのはとてもありがたいんだ。いつも、本当に感謝しているよ」
「お褒めに与り光栄でございます」
「でも今日は日曜日なんだ」
「………」
「昨日寝る前に、起こさなくていいよって言ったよね…?」
「………」
「何か言いたいことはある?」
「ご安心下さいマスター。私には古今東西、ありとあらゆる時代の子守唄を備えております。マスターが気持ちよく眠りにつくその瞬間まで歌い続けることが……」
「言わなきゃいけないこと、あるよね?」
「………申し訳ありません」
「ん…いい子だね」
そう言って、頭を下げた彼女を優しく撫でる。
基本的に無表情に近い彼女だが、どことなく気落ちしている時というのは、この3年で随分と理解できるようになった。
「ほら、おいで」
布団をめくると、彼女をベッドへと誘う。
オートマトンである彼女は眠る必要はないが、人と共に暮らすための機能として、擬似的に眠りにつくことが可能だった。
「良いのですか…?私はマスターにご迷惑を…」
「いいから、おいで。一緒にもう少しだけ眠ろ」
「マスターがそうおっしゃるのであれば…」
そう言って、彼女もベッドへと入ってくる。
基本的には彼の言うことを彼女が断ることはない。
「ふふ、マスター。とてもあたたかいです」
「ん……それじゃもう一眠りといこうか」
「承知いたしました。」
「次は8時位に起こしてほしいかな…」
「お任せ下さい!」
「ふふ……おやすみ、ユミリア」
「はい…おやすみなさいませ、マスター」
「おはようございます。マスター。もう10時半ですよ」
「10時半!?!?」
○△○□--残念な行動--□○△○
ブウゥンと音を発しながら、彼女の右手の甲から光の刃が伸びる。
長さで言えば30cm程度のものだろうか。短刀とでも呼べる長さのそれは、彼女の持つ幾多の武器の中の1つだった。
人を守るための存在である彼女は、人を傷つけることは決してしない。
あくまで人を守るためのものであり、力を誇示するため、むやみな殺生を行うために使うものではない。
「ユミリア、落ち着いて。慌てなくていいんだ」
「ご安心下さい。私の持つ武器は全て人を、マスターを守るためのもの。決して破壊を求めるものではありません」
「うん、それは凄くわかってる。でもね」
「さぁ…準備は整いました。いざ!」
「ちょ、ちょちょっとまって!!ユミリア!今離れるか…」
彼の制止を振り切り、彼女の右手が眼前の標的に向かって振り下ろされる。
古代の技術によって造られた光刃は、目の前の対象の防御など意に返さぬように、容易く切り裂いた。
正確無比に彼女の右腕が振るわれる度にそれは彼女の望みどおりの形に切り裂かれていく。
まるで嵐のような、それでいて演舞のような彼女の動きが終わった後、そこに残っていたものは原型を残さない。
「…マスター。完了しました。」
「うん、そうだね。」
「ありえないはずですが、お怪我はございませんか?」
「無いよ、いつだって君は僕を傷つけることはないからね」
「当然でございます」
「でもかぼちゃを切るためにレーザーブレードを使う理由は無いと思うんだ」
「……………」
「なんで途中まで包丁使ってたのに、レーザーブレードに切り替えたの?」
「………硬かったので」
「そうだね、硬いよね。でも確か少し前にも言ったよね?料理中にレーザーブレード使っちゃダメだよって。危ないから」
「ご安心下さい。私のレーザーブレードはあくまで対無機物用ですので、対生物ではございません。仮に接触した場合でも、精々痺れる程度の物となっており生命活動への影響は」
「ユミリア?」
「………申し訳ありません」
「うん、今度はちゃんと包丁で切って作ろうね」
「……はい」
彼女が細切れにしたかぼちゃは、グラタンで使うことにした。
○△○□--残念な方向--□○△○
その日は、とあるお客さんに呼ばれていたため、午後から向かうことにしていた。
果樹園を営むその人は、彼に世話になっているからということで、お礼に採れたての果樹をプレゼントしてくれるそうだ。
しかし、その人の家は広大な森が広がる中、更に幾多の果樹園が広がる中に家がある上、
いつもお客さんが彼の家に訪れてくるため、こちらから向かうのは初めてだった。
地図を渡されたものの、初めて向かう場所であるということ、お礼を期待してて欲しいと言われた事を考えると、
一人で行くには色々と不安要素が大きいと判断した。
そこで彼女に手伝ってもらうことにした。
「お任せ下さい。マスターは重荷を背負うことも、道に迷う必要もございません。私に全てお任せ下さい」
「あーうん。そうだね。」
「場所の地図はございますか?」
「えっとね、確かこれだよ。ただでさえ広い森の中に果樹園がいくつもあってさ、その中に家があるからわかりにくくてね」
「なるほど。ですが、私には目的地を目指すための多数のセンサー、機能が備わっております。」
「うん、そうだね」
「マスターの心配など、杞憂に終わることでしょう」
「そうだね、期待しているよ。うん」
感情表現が苦手な彼女も、得意気になる時がある。
そんなときは決まってほんの少し口角が上がっている。
笑顔というわけではない、がどこか嬉しそうにしているのがよく分かる瞬間だった。
「それでは参りましょう、マスター」
「うん、よろしくね」
軽い足取りで家を出て、彼を先導する彼女。
彼女が道に迷うことがなければ、順調に行けば、大よそ1時間程度で辿り着く見通しだった。
果樹園が見えてくれば、大分近づいたことは分かる。
しかし、行けども行けども森の中をひたすら進むだけで、果樹園は見えてこなかった。
それどころか渡るはずのない川が目の前には広がっていた。
「ねぇ、ユミリア……ちょっとだけ思うんだ」
「どうなさいましたか?地図の情報からは今大よそ半ば程度の距離に居るはずです」
「うん、そうだね。でもここはだいぶ森の奥深くで、いくら進んでも果樹園は見えてこなさそうなんだ」
「確かに、マスターの仰る通り、周囲を見渡す限り果樹園とは程遠い様に見えます」
「提案なんだけどさ、1度地図を確かめてみないかい?」
「マスターの提案であれば、断る理由はございません。」
バサリと、持っていた地図を足者へ広げる彼女。
彼女の持つセンサーの1つから地図に光が放たれ、彼女達が今いるであろう場所を指し示す。
地図を見る限りでは、彼女が指し示す場所は、目的の場所と自宅の間近くと言っても過言ではない。
「もしかして地図が間違えているのでしょうか?」
「うーん、それはないともうんだけどなぁ」
「しかし、私のセンサーに異常は見当たりませんが…」
「うーん、なんだろうねぇ………ん?」
ふと地図を見ていて何かに気がつく。
地図の端に書かれた小さな記号は、方位を示すものだった。
「ねぇ、ユミリア」
「どうなさいましたか?」
「思ったんだけどね、この地図上下逆で見てないかい?」
「ふふ、マスターも面白いことをおっしゃいますね。まさかそんなことがあるはずが」
「逆にするとさ、川とかも目の前に合っておかしくない位置になると思うんだ、ほら」
「………………」
「逆、だよね?向かう方向」
「……………」
「ユミリア?」
「ふふ、さすがマスターですね。冷静で的確な分析は私の演算処理すらをも凌駕する程です。聡明なマスターの元に使えることができ、私は今とても」
「家を出る前の君の言葉は確か、「マスターの心配など、杞憂に終わることでしょう」だったかな?」
「………申し訳ありません」
「うん、とりあえず急いで戻ろうか」
「はい……」
その後、予定よりも遅くなってしまったが無事にたどり着いた。
○△○□--残念な判断--□○△○
彼女は人のために、人を守るためにあった。
最優先順位は、無論彼女が仕えるマスターが最たるものであるが、彼女の周囲に危険に瀕している者がいれば彼女はそれを必ず助ける。それこそが彼女が造られた理由なのだから。
「ユミリア、大丈夫かい?かなり重いと思うんだけど…」
「ご安心下さいマスター、私であればこの程度の重量は問題ありません」
「そう?ならいいんだけどさ。」
彼女が両手で抱える袋には、食料品を始めとした様々なものが詰め込まれていた。
人一人で持つにはかなり無理のある量だったが、彼女にとっては十分に許容範囲内だった。
大量の荷物を彼女に任せ、自分は手ぶらであることを考えると、流石に申し訳ない気分になるが、
かと言って持つのを変われるかと言われれば、無理の一言だった。
そんな気持ちを抱きながら自宅へと向かう途中、ふと広場で遊ぶ子どもたちの楽しそうな声が聞こえた。
笑顔を浮かべ無邪気に遊ぶ子どもたちを見ると、どこか懐かしさを覚える。
広場に生えた木に登って遊ぶ子、ボールで遊ぶ子、難しい縄跳びの飛び方を練習する子と様々だ。
「んー、なんだか小さい頃を思い出すなぁ。僕もよく木登りとかして遊んでたんだよ」
「そうなのですか?失礼かもしれませんが少し意外に思えました。」
「ユミリアと出会ってからは静かに暮らすようにしちゃったからね。昔は一人旅をしてたんだよ?」
「そうだったのですね。」
「小さい頃、よく冒険ごっことかもしててね。僕が旅をし始めた理由も、いつかごっこじゃなくて本当の冒険がしたいと思ったからかな。遺跡発掘もその延長だったのかもしれないね」
「なるほど。もしマスターが大人しい子でしたら、私はマスターに出会うことはなかったのかもしれませんね」
「はは、そうかもね」
そんな他愛のない会話をしていた時だった。
ふと彼女の視線が、木登りをしている少女に向けられていることに気がつく。
少女は漸く登れたことに喜んでいるようだったが、その子が何か気になるのか、彼女はジッと見つめている。
「ユミリ――」
―――ターゲット、推定年齢8歳。性別…女。地表カラノ高度…2.32mト判断
―――行動履歴カラノ解析ノ結果、運動能力ニ少々難アリ。
―――バランス感覚、低。年齢及ビ性別、行動履歴ヨリ残存体力50%未満ト推定
―――目標達成ニ伴ウ精神的油断有リ
―――現在ノ状況ヨリ推測サレル今後ノ状況予測
―――自力デノ降下…3%、落下…97%、内、落下時ノ体制遷移ニ伴ウ重傷化ノ可能性78%
―――総合的判定、対象ノ危険レベル3、直チニ保護行動ニ移行。最優先デノ保護ヲ実施。
「―――ア?どうしたの?」
「救助行動に移行します。マスターこれをお願いします。」
「えちょっと嘘でしょこっちにそれ投げられても無」
彼女の行動は何1つとして無駄のない動きだった。
行動するに辺り、障害となりうるものの排除、そして己の持つ機能の全てを最大限にまで活用する。
彼女の脚部に備え付けられているブースターが、彼女と少女の距離を瞬く間に詰める。
彼女が導き出した予測通り、少女は木の上でバランスを崩し、後ろ向きに頭から落ちた。
地面との距離を考えれば、落ちる時間など一瞬に等しい。
少女が悲鳴を上げる間もなく、周囲の子が助けることも出来ぬまま、彼女は地面に叩きつけられるだろう。
数瞬後に迎える残酷な現実への恐怖と、自分の行動に対する後悔が混ざり合う中。
少女が感じたのは、強烈な痛みでもなく、不快な浮遊感でもなく、柔らかく暖かな温もりだった。
「……!?」
「……もう、大丈夫ですよ、ご安心下さい」
彼女の腕の中には、しっかりと少女が抱きかかえられていた。
ほんの少し彼女の判断が遅ければ間に合わず、地面に叩きつけられていただろう。
すぐに少女の親が駆けつけ、お礼と謝罪の言葉を彼女へと伝える。
落ちた恐怖と、親に怒られたことで涙ぐむ少女の頭を、彼女は優しく撫でる。
「次はもっと気をつけて遊びましょうね。私との約束です。さぁ、もう泣くのはお止めましょう」
「…ヒッグ…うん…!」
「…いい子です、ふふ」
彼女が広場を離れるまで、何とも頭を下げお礼をいう親子に、優しく手を振りながら、彼女は先程自分が居た場所へと戻る。
そこで待っていたのは、破れた袋を脇に抱え、潰れた野菜等の汁で服が汚れ、割れた瓶が散乱する中で優しい笑顔で立っている彼のマスターだった。
周囲のヒトからは、どこか可哀想な目で見られていた。
「…………」
「おかえり、ユミリア」
「あの……マスター…その」
「とりあえず、僕の言いたいこと分かるかな?」
「申し訳…あり、ません」
彼の手が彼女へと伸びる。オートマトンである彼女に恐怖という感情はないはずだが、目をぎゅっと瞑ってしまう。
暗闇の中で感じたのは熱さを感じる痛みではなく、温かで柔らかい手の感触。
目を開けると、彼が優しく頭を撫でてくれていた。
「……マスター?」
「あの女の子が怪我をしなかったのは、ユミリアのおかげだよ。本当によく頑張ってくれたね。」
「マスター…はい、ありがとうございます」
「でも次からは荷物は僕に投げるんじゃなくて、地面においてほしいかな」
「……はい」
「とりあえず…帰ろっか、着替えたいし」
「はい、自宅に着き次第、すぐに着替えを用意致します。」
結局翌日、もう一度買い物に出かけることになった二人だった。
○△○□--残念な記録--□○△○
特別良いことがあったわけではない。ただなんとなく、機嫌の良いときには鼻歌が出てしまうものだ。
だが、つい出てしまうものなのに、何故か他人に聞かれると得も言われぬ恥ずかしさがこみ上げてくる。
彼もまた、一人で倉庫を片付けている間、気が抜けていたのか無意識の内に鼻歌を口ずさんでいた。
「〜〜♪〜♪〜#〜$%♪〜…?」
「…」
「あぁ、居たんだねユミリア、気が付かなかったよ」
「申し訳ありません、お邪魔をしてしまいましたか?」
「気にしなくていいさ。…下手だったでしょ?」
「そんなことはございません。」
自分に音の才能は無いことを彼は自覚していた。
きっと彼女なりの優しさなのだろうと、自分に言い聞かせるも、彼女の優しさが逆に胸にチクチクと突き刺さる。
それこそ、もっと上手ければ彼女と一緒に色々と唄うのも悪くはないのだろうと思ってしまう。
「自分でもわかってるんだ、音痴だってね。でも不思議とつい口ずさんでるんだよね」
「私はマスターの鼻歌が好きですよ」
「…なんか面と向かってそう言われると恥ずかしいな、はは」
「嘘ではありません。」
彼女は嘘をつくことはない。無論間違えることは多々あるが。
そんな彼女が好きだと言ってくれるのだから、たとえ音痴であっても不思議と悪い気はしない。
「私はマスターが口ずさむ鼻歌が好きです。」
「分かった分かったから、恥ずかしいからやめてよもう…、でも、ありがとうユミリ」
「だからいつもマスターが口ずさんでいるときは、忘れぬように録音しております」
「録音!?」
「そして先程ので、めでたく録音数400を突破いたしました」
「400!?どういうこと!?」
「マスターとの思い出は、常に私の中で色褪せぬよう、鮮明に保存されております。」
「しなくてもいいよ!!むしろ今すぐ消して!」
「マスターは謙虚な方ですね。でも、マスターは決して音痴などではありません。私がそれを証明致します」
「しなくていいからすぐ消して!」
「私がお気に入りにしているマスターの鼻歌を、私が寸分狂わぬ形で歌いますので、どうぞお聞き下さい」
「羞恥プレイにしかならないよ!?
「それではいきます」
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
この後、暫く鼻歌を唄うことはしなくなった。
○△○□--エピローグ--□○△○
一度壊れてしまったものを直すことは、作ることよりも困難である場合がある。
軽度であれば容易く、あるいは誤魔化すことでどうにでもできるかもしれない。
しかし、完全に壊れてしまえば、それはもはや物言わぬガラクタに過ぎない。
今目の前で壊れたソレを完全に直そうとするならば、どれ程の代償を要するか。
彼は目の前にあるソレを見つめ、ただただ悲しい目で見つめるしか無かった。
「……あっけないものだね」
決してもの言わぬソレを見て、ポツリと呟く。
誰に聞かせるものでもない。ただただ口から零れてしまっただけだった。
ゆっくりとしゃがみ、そっと手を触れる。
「まったく。いつも君はそうやって僕を困らせるんだ……」
その言葉には怒気や呆れと言った感情は含まれていない。
ただ、小さな子供を優しく叱るような、そんな優しい口調だった。
「どうしよう…かな」
こんな時に言うべき言葉は何なのか。頭の中で浮かんでは消え、やがて一つだけが残った。
ゆっくりと立ち上がり、小さなため息にも似たそれを吐くと彼は言葉を投げかける。
「これで何度目だい?ユミリア?」
「……申し訳ありませんマスター」
彼女が掃除中に落としたモノ、割ったものはこれでいくつになったのだろうか。
最近では落としても割れない、保護印が刻まれた家具に順次変えているが、まるでピンポイントで狙ったかのように彼女はモノを壊す。
とは言えど、特段彼女を攻めるつもりはない。
彼女と暮らしはじめて3年近く経つ今、彼女のポンコツさにはもはや愛おしさを覚えるレベルだ。
「とりあえず、破片を片付けちゃおうか、怪我する前に」
「……申し訳ありません。マスターの…大切なモノを…」
「そんな気落ちしなくても大丈夫だよ、そこまで大切ってほどでもないさ」
「しかし…」
彼女が割った小さな、だけれども緻密で繊細な装飾が施された壺は、以前彼が発掘をしていたときに見つけたものだった。
遺跡からの発掘品ということもありそれなりの価値があったが、彼にとっては部屋のインテリアにぴったりだという位の認識しかなかった。
それ故に、彼女に壊されてしまったことは残念ではあるものの、気にする程でもない。
「形あるものは、いずれ壊れてしまう運命さ。百年後か、一万年後か、1分後かの違いだけだよ」
彼女を慰める意味で発した言葉に、彼女がどこか悲しげな反応を示した。
少しだけ俯きながら、どこか聞くことを躊躇うような、そんな仕草をして。
「ユミリア?」
「……私もいずれは、壊れてしまうのでしょうか?」
「……そうだね、形あるものは、いずれ」
「…私はオートマトンです。造られし存在である私にはヒトのような明確な感情はありません。擬似的な、限りなく近くて、それでいて異なるものはありますが。」
「うん…」
「そんな私が、今は"怖い"です。いつか、その壺のように、バラバラに、何言わぬガラクタになる時が来ることが、マスターとお別れする時が来てしまうことが」
「…ユミリア」
「マスターは"怖く"ありませんか?いずれヒトは死を迎えることが。……離れて、しまうことが」
彼女は小さく震えていた。人に造られた存在である彼女が、己の最期の瞬間を思い、恐怖し、震えている。
己の存在が消えること、己の主人との永遠の別れが訪れることに恐怖を覚えていた。
それはまるで、ヒトだった。人ならざるモノである彼女が、ヒト以上にヒトを思わせる。
それでいて何処か救いを求めるように、彼を見つめていた。
"恐怖"に震える滑稽な人形である己にどうか救いを、と言うように。
「怖いさ、とてもね。君と離れる事は考えたくもないさ」
「……ならば、マスターは…どうするのですか?」
「んー……そうだね。」
不安そうに見つめる彼女へ、いつものように温かく微笑みながら、優しく彼女の頭を撫でる。
彼女の白く、透き通るようなきれいな髪を撫でるのは、彼のお気に入りだった。
「今を、精一杯、君と生きるようにする。それが答えだよ」
「……今を?」
「そうさ。きっといつかは別れの時は来てしまうよ。でもね僕はその時を思って不安に生きるよりも、君と共に居る今を大切な思い出にしたいんだ」
「大切な……思い出…」
「そう、大切な思い出、君と一緒に生きた証さ。最期の最期の瞬間まで、君と共に生きることが出来てよかったって。大切な、温かな思い出に包まれて、幸せだったと思えたら、きっと怖くないと僕は思うんだ」
「マスターとの…」
「だから僕は今から最期の時を考えるなんてことはしないよ。それよりも君と1つでも多くの思い出を作りたい。」
「……私は」
「だからこそ、僕は冒険をやめて、この村で君と少しでも長く一緒にいられるようにしたんだから」
「……!」
「…これが僕の答えだよ。君の望む答えになったかな?」
彼女は何度も小さく、彼が言った言葉を繰り返していた。俯いたまま、何度も何度も。
そんな彼女の頭を、彼は優しく撫でていた。
答えを急かすこともなく、彼女自身が答えを出すまで、厳しくも優しく待ち続けていた。
そして、ゆっくりと彼女は顔を上げる。
「私にはまだ、"恐怖"が残っています。」
「……うん」
「ですが…私も…1つでも多くの思い出を…マスターとともに作りたいと、思う気持ちは一緒です。ですから…」
「うん」
彼女の震えは止まっていた。どこかか細く、消えてしまいそうだった彼女の瞳には、今は先ほどと違った力強さを感じた。
「私も、マスターと共に在ったことを、温かなこの今を、決して色褪せぬ大切な思い出をたくさん作っていこうと思います」
「…ふふ、いい答えだよ思うよ」
ヒトのように悩み、恐れ、苦しむ事ができる彼女が、今決断し、新たな一歩を踏み出した。
ならばと、彼もまた彼女と共にあるために、一歩を踏み出す。
「ユミリア、これからも、ずっとずっと、僕の側で一緒に居てくれるかい?」
「はい、よろしくお願い致します。マスター……いえ、私の、大切な…愛しのマスター」
「なんか恥ずかしい…かな、はは」
「ふふふ」
彼と彼女の柔らかな笑顔が、温かな笑いが家の中で響き合った。
「でもとりあえず片付けから始めようね」
「はい……」
今日も彼らは、1つとして同じもののない、大切な思い出を作っている。
彼女を見つけたのは3年も前の話になる。
古代遺跡、と一言で言えば簡単ではあるが、いわゆる失われし時代の遺産が眠る遺跡はそうそう見つかるものではない。
仮に見つかったとしても、殆どが盗掘済みで、残っているものなど精々拾い零し程度のものだ。
物が残っているとしたら、2つに1つ。
つまり今もなおセキュリティが生きていて侵入者を容赦なく排除しているか、運良く他者に見つかっていないかだ。
彼女と出会ったのは後者の遺跡だった。
殆どが埋もれ、探索できる部分等ほとんど無い遺跡。
それ故に彼女が眠る遺跡は放置されていたのかもしれない。
小さな部屋の奥底で、彼女は不思議なガラス製のシリンダーの中で静かにその時を待っていた。
コポコポと、時折気泡が湧きだつ、成分も分からぬ液体に満たされたその中で、彼女は静かに眠っていた。
彼女を起こせたのは偶然だったのか、それとも誰にでも起こせたのかは今となっては分からない。
彼女が眠る筒の前のパネルに手を重ねる。
それが彼女を目覚めさせるためのアクションだったから。
ゴポゴポと音を立てながら、彼女が眠るシリンダーを満たす液体が抜けていく。
すべての液体が抜けた後、シリンダーもゆっくりと沈み、彼女だけが取り残された。
ゆっくりと目を開けた彼女と目が合う。そして彼女はゆっくりと口開く。
「システム、オールグリーン。起動シーケンス異常ナシ。セルフチェック……一部問題アリ…軽度、改善不要。コレヨリ認証シーケンスニ移行…創造主ノ生体認証、登録開始」
彼女が何を言っているかは全くわからなかった。
こちらをジッと見つめる瞳は、自分の全てを見透かすようだった。
生命の息吹を感じないその瞳に吸い込まれるような、不思議な感覚を感じた。
それでいて、彼女自身はまるで生きている人間と思えるほどに生気を感じるという矛盾した存在。
そんな彼女は暫くこちらのことを観察すると、また何かを小さく呟いている。
何を呟いているかは分からなかった。人が聞き取るにはあまりにも早すぎて、あまりに難解だったから。
そんな彼女の呟きが終わった後、彼女をはゆっくりと瞳を閉じ、そしてゆっくりと開く。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「はじめまして、貴方が私のマスターですね。私はYggdrasillプロジェクト第3世代、コードネーム:Ymirと申しましゅ」
「(噛んだ!?)」
失われた技術の結晶であるはずの、どこか残念な彼女との出会いだった。
− ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ − ○ −
○△○□--残念な朝--□○△○
ちゅんちゅんと小鳥のさえずりが聞こえ始める朝。
まだ太陽は東の山間から漸く頭を覗かせた程度。
時刻で言えば、まだ6時を迎える少し前と言ったところだろう。
彼女はゆっくりと立ち上がると、ベッドでスヤスヤと眠る彼女のマスターの元へと向かう。
気持ちよく眠る彼を起こすのは、どこか気が引ける思いだが、起こさないわけにも行かない。
「マスター、マスター。起きて下さい。定刻となりました。」
「んぅ……んん?…ユミ…リア…?」
「はい、マスター、私です。起きて下さい。」
ゆさゆさと彼の身体を揺らし、起きるように促す。
カーテンを開け、外の光が入るように、彼の目が覚めるようにと、テキパキと行動する。
「マスター、眠いところ申し訳ありません。ですが寝坊を許すわけにも行きません。さぁ、起きて下さい」
「あの…ユミリア…」
「ふふ、今日も太陽が元気なその顔を覗かせております。気持ちのよい朝ですよ」
「あの。あのね…ユミリア…聞いて…」
眠そうな彼が、必死に起こそうとする彼女にまったをかける。
「どうなさいましたか?マスターともあろう方が」
「あのね…ユミリア…時間ぴったりに起こしてくれるのはとてもありがたいんだ。いつも、本当に感謝しているよ」
「お褒めに与り光栄でございます」
「でも今日は日曜日なんだ」
「………」
「昨日寝る前に、起こさなくていいよって言ったよね…?」
「………」
「何か言いたいことはある?」
「ご安心下さいマスター。私には古今東西、ありとあらゆる時代の子守唄を備えております。マスターが気持ちよく眠りにつくその瞬間まで歌い続けることが……」
「言わなきゃいけないこと、あるよね?」
「………申し訳ありません」
「ん…いい子だね」
そう言って、頭を下げた彼女を優しく撫でる。
基本的に無表情に近い彼女だが、どことなく気落ちしている時というのは、この3年で随分と理解できるようになった。
「ほら、おいで」
布団をめくると、彼女をベッドへと誘う。
オートマトンである彼女は眠る必要はないが、人と共に暮らすための機能として、擬似的に眠りにつくことが可能だった。
「良いのですか…?私はマスターにご迷惑を…」
「いいから、おいで。一緒にもう少しだけ眠ろ」
「マスターがそうおっしゃるのであれば…」
そう言って、彼女もベッドへと入ってくる。
基本的には彼の言うことを彼女が断ることはない。
「ふふ、マスター。とてもあたたかいです」
「ん……それじゃもう一眠りといこうか」
「承知いたしました。」
「次は8時位に起こしてほしいかな…」
「お任せ下さい!」
「ふふ……おやすみ、ユミリア」
「はい…おやすみなさいませ、マスター」
「おはようございます。マスター。もう10時半ですよ」
「10時半!?!?」
○△○□--残念な行動--□○△○
ブウゥンと音を発しながら、彼女の右手の甲から光の刃が伸びる。
長さで言えば30cm程度のものだろうか。短刀とでも呼べる長さのそれは、彼女の持つ幾多の武器の中の1つだった。
人を守るための存在である彼女は、人を傷つけることは決してしない。
あくまで人を守るためのものであり、力を誇示するため、むやみな殺生を行うために使うものではない。
「ユミリア、落ち着いて。慌てなくていいんだ」
「ご安心下さい。私の持つ武器は全て人を、マスターを守るためのもの。決して破壊を求めるものではありません」
「うん、それは凄くわかってる。でもね」
「さぁ…準備は整いました。いざ!」
「ちょ、ちょちょっとまって!!ユミリア!今離れるか…」
彼の制止を振り切り、彼女の右手が眼前の標的に向かって振り下ろされる。
古代の技術によって造られた光刃は、目の前の対象の防御など意に返さぬように、容易く切り裂いた。
正確無比に彼女の右腕が振るわれる度にそれは彼女の望みどおりの形に切り裂かれていく。
まるで嵐のような、それでいて演舞のような彼女の動きが終わった後、そこに残っていたものは原型を残さない。
「…マスター。完了しました。」
「うん、そうだね。」
「ありえないはずですが、お怪我はございませんか?」
「無いよ、いつだって君は僕を傷つけることはないからね」
「当然でございます」
「でもかぼちゃを切るためにレーザーブレードを使う理由は無いと思うんだ」
「……………」
「なんで途中まで包丁使ってたのに、レーザーブレードに切り替えたの?」
「………硬かったので」
「そうだね、硬いよね。でも確か少し前にも言ったよね?料理中にレーザーブレード使っちゃダメだよって。危ないから」
「ご安心下さい。私のレーザーブレードはあくまで対無機物用ですので、対生物ではございません。仮に接触した場合でも、精々痺れる程度の物となっており生命活動への影響は」
「ユミリア?」
「………申し訳ありません」
「うん、今度はちゃんと包丁で切って作ろうね」
「……はい」
彼女が細切れにしたかぼちゃは、グラタンで使うことにした。
○△○□--残念な方向--□○△○
その日は、とあるお客さんに呼ばれていたため、午後から向かうことにしていた。
果樹園を営むその人は、彼に世話になっているからということで、お礼に採れたての果樹をプレゼントしてくれるそうだ。
しかし、その人の家は広大な森が広がる中、更に幾多の果樹園が広がる中に家がある上、
いつもお客さんが彼の家に訪れてくるため、こちらから向かうのは初めてだった。
地図を渡されたものの、初めて向かう場所であるということ、お礼を期待してて欲しいと言われた事を考えると、
一人で行くには色々と不安要素が大きいと判断した。
そこで彼女に手伝ってもらうことにした。
「お任せ下さい。マスターは重荷を背負うことも、道に迷う必要もございません。私に全てお任せ下さい」
「あーうん。そうだね。」
「場所の地図はございますか?」
「えっとね、確かこれだよ。ただでさえ広い森の中に果樹園がいくつもあってさ、その中に家があるからわかりにくくてね」
「なるほど。ですが、私には目的地を目指すための多数のセンサー、機能が備わっております。」
「うん、そうだね」
「マスターの心配など、杞憂に終わることでしょう」
「そうだね、期待しているよ。うん」
感情表現が苦手な彼女も、得意気になる時がある。
そんなときは決まってほんの少し口角が上がっている。
笑顔というわけではない、がどこか嬉しそうにしているのがよく分かる瞬間だった。
「それでは参りましょう、マスター」
「うん、よろしくね」
軽い足取りで家を出て、彼を先導する彼女。
彼女が道に迷うことがなければ、順調に行けば、大よそ1時間程度で辿り着く見通しだった。
果樹園が見えてくれば、大分近づいたことは分かる。
しかし、行けども行けども森の中をひたすら進むだけで、果樹園は見えてこなかった。
それどころか渡るはずのない川が目の前には広がっていた。
「ねぇ、ユミリア……ちょっとだけ思うんだ」
「どうなさいましたか?地図の情報からは今大よそ半ば程度の距離に居るはずです」
「うん、そうだね。でもここはだいぶ森の奥深くで、いくら進んでも果樹園は見えてこなさそうなんだ」
「確かに、マスターの仰る通り、周囲を見渡す限り果樹園とは程遠い様に見えます」
「提案なんだけどさ、1度地図を確かめてみないかい?」
「マスターの提案であれば、断る理由はございません。」
バサリと、持っていた地図を足者へ広げる彼女。
彼女の持つセンサーの1つから地図に光が放たれ、彼女達が今いるであろう場所を指し示す。
地図を見る限りでは、彼女が指し示す場所は、目的の場所と自宅の間近くと言っても過言ではない。
「もしかして地図が間違えているのでしょうか?」
「うーん、それはないともうんだけどなぁ」
「しかし、私のセンサーに異常は見当たりませんが…」
「うーん、なんだろうねぇ………ん?」
ふと地図を見ていて何かに気がつく。
地図の端に書かれた小さな記号は、方位を示すものだった。
「ねぇ、ユミリア」
「どうなさいましたか?」
「思ったんだけどね、この地図上下逆で見てないかい?」
「ふふ、マスターも面白いことをおっしゃいますね。まさかそんなことがあるはずが」
「逆にするとさ、川とかも目の前に合っておかしくない位置になると思うんだ、ほら」
「………………」
「逆、だよね?向かう方向」
「……………」
「ユミリア?」
「ふふ、さすがマスターですね。冷静で的確な分析は私の演算処理すらをも凌駕する程です。聡明なマスターの元に使えることができ、私は今とても」
「家を出る前の君の言葉は確か、「マスターの心配など、杞憂に終わることでしょう」だったかな?」
「………申し訳ありません」
「うん、とりあえず急いで戻ろうか」
「はい……」
その後、予定よりも遅くなってしまったが無事にたどり着いた。
○△○□--残念な判断--□○△○
彼女は人のために、人を守るためにあった。
最優先順位は、無論彼女が仕えるマスターが最たるものであるが、彼女の周囲に危険に瀕している者がいれば彼女はそれを必ず助ける。それこそが彼女が造られた理由なのだから。
「ユミリア、大丈夫かい?かなり重いと思うんだけど…」
「ご安心下さいマスター、私であればこの程度の重量は問題ありません」
「そう?ならいいんだけどさ。」
彼女が両手で抱える袋には、食料品を始めとした様々なものが詰め込まれていた。
人一人で持つにはかなり無理のある量だったが、彼女にとっては十分に許容範囲内だった。
大量の荷物を彼女に任せ、自分は手ぶらであることを考えると、流石に申し訳ない気分になるが、
かと言って持つのを変われるかと言われれば、無理の一言だった。
そんな気持ちを抱きながら自宅へと向かう途中、ふと広場で遊ぶ子どもたちの楽しそうな声が聞こえた。
笑顔を浮かべ無邪気に遊ぶ子どもたちを見ると、どこか懐かしさを覚える。
広場に生えた木に登って遊ぶ子、ボールで遊ぶ子、難しい縄跳びの飛び方を練習する子と様々だ。
「んー、なんだか小さい頃を思い出すなぁ。僕もよく木登りとかして遊んでたんだよ」
「そうなのですか?失礼かもしれませんが少し意外に思えました。」
「ユミリアと出会ってからは静かに暮らすようにしちゃったからね。昔は一人旅をしてたんだよ?」
「そうだったのですね。」
「小さい頃、よく冒険ごっことかもしててね。僕が旅をし始めた理由も、いつかごっこじゃなくて本当の冒険がしたいと思ったからかな。遺跡発掘もその延長だったのかもしれないね」
「なるほど。もしマスターが大人しい子でしたら、私はマスターに出会うことはなかったのかもしれませんね」
「はは、そうかもね」
そんな他愛のない会話をしていた時だった。
ふと彼女の視線が、木登りをしている少女に向けられていることに気がつく。
少女は漸く登れたことに喜んでいるようだったが、その子が何か気になるのか、彼女はジッと見つめている。
「ユミリ――」
―――ターゲット、推定年齢8歳。性別…女。地表カラノ高度…2.32mト判断
―――行動履歴カラノ解析ノ結果、運動能力ニ少々難アリ。
―――バランス感覚、低。年齢及ビ性別、行動履歴ヨリ残存体力50%未満ト推定
―――目標達成ニ伴ウ精神的油断有リ
―――現在ノ状況ヨリ推測サレル今後ノ状況予測
―――自力デノ降下…3%、落下…97%、内、落下時ノ体制遷移ニ伴ウ重傷化ノ可能性78%
―――総合的判定、対象ノ危険レベル3、直チニ保護行動ニ移行。最優先デノ保護ヲ実施。
「―――ア?どうしたの?」
「救助行動に移行します。マスターこれをお願いします。」
「えちょっと嘘でしょこっちにそれ投げられても無」
彼女の行動は何1つとして無駄のない動きだった。
行動するに辺り、障害となりうるものの排除、そして己の持つ機能の全てを最大限にまで活用する。
彼女の脚部に備え付けられているブースターが、彼女と少女の距離を瞬く間に詰める。
彼女が導き出した予測通り、少女は木の上でバランスを崩し、後ろ向きに頭から落ちた。
地面との距離を考えれば、落ちる時間など一瞬に等しい。
少女が悲鳴を上げる間もなく、周囲の子が助けることも出来ぬまま、彼女は地面に叩きつけられるだろう。
数瞬後に迎える残酷な現実への恐怖と、自分の行動に対する後悔が混ざり合う中。
少女が感じたのは、強烈な痛みでもなく、不快な浮遊感でもなく、柔らかく暖かな温もりだった。
「……!?」
「……もう、大丈夫ですよ、ご安心下さい」
彼女の腕の中には、しっかりと少女が抱きかかえられていた。
ほんの少し彼女の判断が遅ければ間に合わず、地面に叩きつけられていただろう。
すぐに少女の親が駆けつけ、お礼と謝罪の言葉を彼女へと伝える。
落ちた恐怖と、親に怒られたことで涙ぐむ少女の頭を、彼女は優しく撫でる。
「次はもっと気をつけて遊びましょうね。私との約束です。さぁ、もう泣くのはお止めましょう」
「…ヒッグ…うん…!」
「…いい子です、ふふ」
彼女が広場を離れるまで、何とも頭を下げお礼をいう親子に、優しく手を振りながら、彼女は先程自分が居た場所へと戻る。
そこで待っていたのは、破れた袋を脇に抱え、潰れた野菜等の汁で服が汚れ、割れた瓶が散乱する中で優しい笑顔で立っている彼のマスターだった。
周囲のヒトからは、どこか可哀想な目で見られていた。
「…………」
「おかえり、ユミリア」
「あの……マスター…その」
「とりあえず、僕の言いたいこと分かるかな?」
「申し訳…あり、ません」
彼の手が彼女へと伸びる。オートマトンである彼女に恐怖という感情はないはずだが、目をぎゅっと瞑ってしまう。
暗闇の中で感じたのは熱さを感じる痛みではなく、温かで柔らかい手の感触。
目を開けると、彼が優しく頭を撫でてくれていた。
「……マスター?」
「あの女の子が怪我をしなかったのは、ユミリアのおかげだよ。本当によく頑張ってくれたね。」
「マスター…はい、ありがとうございます」
「でも次からは荷物は僕に投げるんじゃなくて、地面においてほしいかな」
「……はい」
「とりあえず…帰ろっか、着替えたいし」
「はい、自宅に着き次第、すぐに着替えを用意致します。」
結局翌日、もう一度買い物に出かけることになった二人だった。
○△○□--残念な記録--□○△○
特別良いことがあったわけではない。ただなんとなく、機嫌の良いときには鼻歌が出てしまうものだ。
だが、つい出てしまうものなのに、何故か他人に聞かれると得も言われぬ恥ずかしさがこみ上げてくる。
彼もまた、一人で倉庫を片付けている間、気が抜けていたのか無意識の内に鼻歌を口ずさんでいた。
「〜〜♪〜♪〜#〜$%♪〜…?」
「…」
「あぁ、居たんだねユミリア、気が付かなかったよ」
「申し訳ありません、お邪魔をしてしまいましたか?」
「気にしなくていいさ。…下手だったでしょ?」
「そんなことはございません。」
自分に音の才能は無いことを彼は自覚していた。
きっと彼女なりの優しさなのだろうと、自分に言い聞かせるも、彼女の優しさが逆に胸にチクチクと突き刺さる。
それこそ、もっと上手ければ彼女と一緒に色々と唄うのも悪くはないのだろうと思ってしまう。
「自分でもわかってるんだ、音痴だってね。でも不思議とつい口ずさんでるんだよね」
「私はマスターの鼻歌が好きですよ」
「…なんか面と向かってそう言われると恥ずかしいな、はは」
「嘘ではありません。」
彼女は嘘をつくことはない。無論間違えることは多々あるが。
そんな彼女が好きだと言ってくれるのだから、たとえ音痴であっても不思議と悪い気はしない。
「私はマスターが口ずさむ鼻歌が好きです。」
「分かった分かったから、恥ずかしいからやめてよもう…、でも、ありがとうユミリ」
「だからいつもマスターが口ずさんでいるときは、忘れぬように録音しております」
「録音!?」
「そして先程ので、めでたく録音数400を突破いたしました」
「400!?どういうこと!?」
「マスターとの思い出は、常に私の中で色褪せぬよう、鮮明に保存されております。」
「しなくてもいいよ!!むしろ今すぐ消して!」
「マスターは謙虚な方ですね。でも、マスターは決して音痴などではありません。私がそれを証明致します」
「しなくていいからすぐ消して!」
「私がお気に入りにしているマスターの鼻歌を、私が寸分狂わぬ形で歌いますので、どうぞお聞き下さい」
「羞恥プレイにしかならないよ!?
「それではいきます」
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
この後、暫く鼻歌を唄うことはしなくなった。
○△○□--エピローグ--□○△○
一度壊れてしまったものを直すことは、作ることよりも困難である場合がある。
軽度であれば容易く、あるいは誤魔化すことでどうにでもできるかもしれない。
しかし、完全に壊れてしまえば、それはもはや物言わぬガラクタに過ぎない。
今目の前で壊れたソレを完全に直そうとするならば、どれ程の代償を要するか。
彼は目の前にあるソレを見つめ、ただただ悲しい目で見つめるしか無かった。
「……あっけないものだね」
決してもの言わぬソレを見て、ポツリと呟く。
誰に聞かせるものでもない。ただただ口から零れてしまっただけだった。
ゆっくりとしゃがみ、そっと手を触れる。
「まったく。いつも君はそうやって僕を困らせるんだ……」
その言葉には怒気や呆れと言った感情は含まれていない。
ただ、小さな子供を優しく叱るような、そんな優しい口調だった。
「どうしよう…かな」
こんな時に言うべき言葉は何なのか。頭の中で浮かんでは消え、やがて一つだけが残った。
ゆっくりと立ち上がり、小さなため息にも似たそれを吐くと彼は言葉を投げかける。
「これで何度目だい?ユミリア?」
「……申し訳ありませんマスター」
彼女が掃除中に落としたモノ、割ったものはこれでいくつになったのだろうか。
最近では落としても割れない、保護印が刻まれた家具に順次変えているが、まるでピンポイントで狙ったかのように彼女はモノを壊す。
とは言えど、特段彼女を攻めるつもりはない。
彼女と暮らしはじめて3年近く経つ今、彼女のポンコツさにはもはや愛おしさを覚えるレベルだ。
「とりあえず、破片を片付けちゃおうか、怪我する前に」
「……申し訳ありません。マスターの…大切なモノを…」
「そんな気落ちしなくても大丈夫だよ、そこまで大切ってほどでもないさ」
「しかし…」
彼女が割った小さな、だけれども緻密で繊細な装飾が施された壺は、以前彼が発掘をしていたときに見つけたものだった。
遺跡からの発掘品ということもありそれなりの価値があったが、彼にとっては部屋のインテリアにぴったりだという位の認識しかなかった。
それ故に、彼女に壊されてしまったことは残念ではあるものの、気にする程でもない。
「形あるものは、いずれ壊れてしまう運命さ。百年後か、一万年後か、1分後かの違いだけだよ」
彼女を慰める意味で発した言葉に、彼女がどこか悲しげな反応を示した。
少しだけ俯きながら、どこか聞くことを躊躇うような、そんな仕草をして。
「ユミリア?」
「……私もいずれは、壊れてしまうのでしょうか?」
「……そうだね、形あるものは、いずれ」
「…私はオートマトンです。造られし存在である私にはヒトのような明確な感情はありません。擬似的な、限りなく近くて、それでいて異なるものはありますが。」
「うん…」
「そんな私が、今は"怖い"です。いつか、その壺のように、バラバラに、何言わぬガラクタになる時が来ることが、マスターとお別れする時が来てしまうことが」
「…ユミリア」
「マスターは"怖く"ありませんか?いずれヒトは死を迎えることが。……離れて、しまうことが」
彼女は小さく震えていた。人に造られた存在である彼女が、己の最期の瞬間を思い、恐怖し、震えている。
己の存在が消えること、己の主人との永遠の別れが訪れることに恐怖を覚えていた。
それはまるで、ヒトだった。人ならざるモノである彼女が、ヒト以上にヒトを思わせる。
それでいて何処か救いを求めるように、彼を見つめていた。
"恐怖"に震える滑稽な人形である己にどうか救いを、と言うように。
「怖いさ、とてもね。君と離れる事は考えたくもないさ」
「……ならば、マスターは…どうするのですか?」
「んー……そうだね。」
不安そうに見つめる彼女へ、いつものように温かく微笑みながら、優しく彼女の頭を撫でる。
彼女の白く、透き通るようなきれいな髪を撫でるのは、彼のお気に入りだった。
「今を、精一杯、君と生きるようにする。それが答えだよ」
「……今を?」
「そうさ。きっといつかは別れの時は来てしまうよ。でもね僕はその時を思って不安に生きるよりも、君と共に居る今を大切な思い出にしたいんだ」
「大切な……思い出…」
「そう、大切な思い出、君と一緒に生きた証さ。最期の最期の瞬間まで、君と共に生きることが出来てよかったって。大切な、温かな思い出に包まれて、幸せだったと思えたら、きっと怖くないと僕は思うんだ」
「マスターとの…」
「だから僕は今から最期の時を考えるなんてことはしないよ。それよりも君と1つでも多くの思い出を作りたい。」
「……私は」
「だからこそ、僕は冒険をやめて、この村で君と少しでも長く一緒にいられるようにしたんだから」
「……!」
「…これが僕の答えだよ。君の望む答えになったかな?」
彼女は何度も小さく、彼が言った言葉を繰り返していた。俯いたまま、何度も何度も。
そんな彼女の頭を、彼は優しく撫でていた。
答えを急かすこともなく、彼女自身が答えを出すまで、厳しくも優しく待ち続けていた。
そして、ゆっくりと彼女は顔を上げる。
「私にはまだ、"恐怖"が残っています。」
「……うん」
「ですが…私も…1つでも多くの思い出を…マスターとともに作りたいと、思う気持ちは一緒です。ですから…」
「うん」
彼女の震えは止まっていた。どこかか細く、消えてしまいそうだった彼女の瞳には、今は先ほどと違った力強さを感じた。
「私も、マスターと共に在ったことを、温かなこの今を、決して色褪せぬ大切な思い出をたくさん作っていこうと思います」
「…ふふ、いい答えだよ思うよ」
ヒトのように悩み、恐れ、苦しむ事ができる彼女が、今決断し、新たな一歩を踏み出した。
ならばと、彼もまた彼女と共にあるために、一歩を踏み出す。
「ユミリア、これからも、ずっとずっと、僕の側で一緒に居てくれるかい?」
「はい、よろしくお願い致します。マスター……いえ、私の、大切な…愛しのマスター」
「なんか恥ずかしい…かな、はは」
「ふふふ」
彼と彼女の柔らかな笑顔が、温かな笑いが家の中で響き合った。
「でもとりあえず片付けから始めようね」
「はい……」
今日も彼らは、1つとして同じもののない、大切な思い出を作っている。
17/04/09 15:06更新 / クヴァロス