貴方に思いを
「ふふ、どうですか皆さん?上手にできてますか?」
バレンタインデーから少し経ったある日、街のとある場所で開かれたお菓子教室には多くの参加者がいました。
お菓子教室の先生は、角や尻尾が生えたサキュバスと呼ばれる魔物のお姉さんでした。
お菓子教室に参加している人は、よくよく見てみると男性が多めという不思議な光景でした。
慣れないお菓子作りに四苦八苦しながらも、皆真剣な表情で手順や分量を覚えようとしています。
そう、この日開催されたお菓子教室はホワイトデーのお返しを贈る人向けのものでした。
勿論、カップルで参加している人もいるようです。
「ふぅ…慣れてないってのもあるが中々難しいな…あとはこれとこれを混ぜて…っておい!」
「にひひ、隠し味隠し味♪」
「おまっ神楽、今何入れた!ってもはや隠してすらいないじゃないか!」
「なーにせっかくだから美味しく面白くってね、ひひ」
「…真面目にやらんとホワイトデーのお返しはチョコに似た別の何かになるぞ」
「そんときゃ龍樹の濃厚なホワイトチョコをたっぷりくれればいいさね♥」
「……頼むから外でそういう言動は謹んでくれ」
「にひひ♪」
どこか手玉に取られながらも決して嫌という雰囲気ではない二人へと、サキュバスのお姉さんが近づきます。
二人が浮かべる笑顔につられるように、お姉さんの顔にも笑顔が浮かんでいました。
「あらあら、随分と楽しそうですね、ふふ」
「あ、先生…すいません、ウチのが迷惑を…」
「そんなことありませんよ…あら、これは……陶酔の果実の果汁かしら?…ふふ、素敵な隠し味になるわね」
「ほれほれ、見たことか、先生のお墨付きさね」
勝ち誇った顔で嬉しそうな笑みを浮かべる彼女に、お姉さんは嬉しそうに言葉を続けます。
「大好きな人と一緒に愛に酔いしれたい、好きで好きで堪らないって思いが良く伝わってきますよ♪」
「……だそうだが?」
「…ひとに言われると、どうしてこうもこっ恥ずかしいんだろうかね…ひひ♪」
彼と同じくらい顔を赤くした彼女は、恥ずかしそうにしながらも嬉しそうな笑みを浮かべていました。
そんな二人を過ぎたお姉さんは、慣れないお菓子作りに挑む人へ助け舟を出しながら、優しく作り方を教えていました。
何度か教室を周る頃には、全員何とかお菓子作りを終えていました。
上手にできた人、まだまだ練習が必要な人と様々でしたが、皆満足した顔を浮かべていました。
そして作ったお菓子を味見しながら、今日のお菓子作り教室は幕を閉じました。
嬉しそうな顔を浮かべて帰っていく人たちを、お姉さんは優しく見送ります。
「先生、ありがとうございました。ウチのアホが変なの入れたせいで味見出来ませんでしたが…」
「にひひ、家でたらふく食べればいいじゃないか、あたしの愛情たっぷりさね♪…先生、楽しかったよ、ありがとね」
「くすくす、とても仲睦まじくて羨ましいですね、ふふ♪」
嬉しそうな笑みを浮かべて帰る人、何度もお礼を言う人、また参加することを伝える人。
そんな人達をお姉さんは嬉しそうな笑みを浮かべて見送ります。
そして最後の一人を見送ると、シンとした教室の中でお姉さんは一人、ポツリと呟きました。
「一人くらいはもしかしたら…って思ってたんだけどなぁ…」
誰か一人くらいは思いと共に自分に渡してくれることを期待していたお姉さんでしたが、毎度の如く誰も渡してくれる人はいませんでした。
少しだけ悲しげな表情を浮かべたお姉さんでしたが、気持ちを切り替えると後片付けをすることにしました。
片付けが終わり、自分のお店へと帰るお姉さん。
もうすぐお店に到着する、そんな時でした。
ふと自分のお店の前に誰かが立っているのが見えました。
近づいて見ると、ショーウィンドウに飾られたお菓子を張り付くようにして見ている少年がいました。
まだ幼い少年は目を輝かせながら、色とりどりの美味しそうなお菓子を見つめていました
後ろからゆっくりと近づくと、窓にお姉さんの姿が反射したのか、慌てて少年は振り向きます。
「ふふ、こんにちは」
「あ……あの、こ、こんにちはっ」
「くすくす、素敵な顔で見てたわね。お菓子が好きなのかしら?」
「え、えっと、うん…」
「もし良かったら中で見る?ここお姉さんのお店だから」
「…いいの?」
「えぇ、勿論♪」
お姉さんはどこか嬉しそうな笑みを浮かべながら、お店のドアの鍵を開けて少年を手招きします。
「close」表示のドアプレートを「open」に変え、少年と一緒にお店の中へと入っていきました。
お店の中は甘い美味しそうな匂いでいっぱいでした。
少年は先程よりも目を輝かせながら、お店に置いてあるお菓子を夢中で見ていました。
自分の作ったお菓子をキラキラとした目で見つめる少年を見て、お姉さんも思わず笑みを浮かべます。
上機嫌になったお姉さんは、少年に近づくと優しく頭を撫でてあげました。
「くすくす、とっても楽しそうね♪ そんな目で見てもらえるなんてお姉さんも嬉しくなっちゃうわ」
「あ…えっと…すごい綺麗で美味しそうだからその…」
「良かったら少し食べてみる?」
「えっ?…いいの!?」
「ふふ、お姉さん今凄い気分良いから特別サービスよ♪ 君が食べてみたいって思ったのを選んでいいわ」
「…えへへ、お姉さんありがとう!」
「どういたしまして♪」
展示されている色とりどりのお菓子を忙しなく見ていた少年は、1つのお菓子の前で止まりました。
少年が見つめていたものは、市松模様やハートの形をしたクッキーでした。
割とありふれたそのクッキーですが、少年にはどこか惹かれるものがありました。
「あの…これ」
「あら?それでいいの?遠慮しないで好きなのを選んでいいのに」
「んと…これが食べてみたいから」
「そう…ふふ、わかったわ。ちょっと準備するからそこの席に掛けてて?」
「うん!」
展示していたクッキーを取ると、お姉さんは持ったままお店の奥の方へと行ってしまいました。
一人取り残されてしまった少年は、飽きること無くキョロキョロと店内に飾られたお菓子を見つめていました。
しばらくすると、お姉さんはトレンチを手に戻ってきました。
お菓子とは異なる、いい香りの湯気が立つティーカップを2つと、クッキーが盛られたお皿を乗せて。
「おまたせ♪ ごめんね、お店閉めてたからお湯が湧いてなかったの」
「ううん、大丈夫!」
「ふふ、ならよかった…あ!熱いから気をつけてね?お砂糖は入れる?」
「うん!」
少年はお砂糖を多めに、お姉さんは甘さ控えめの紅茶にしました。
ふーっ、ふーっと冷ましながら少しずつ飲む少年を、お姉さんは優しい目で見ていました。
「美味しい?ちょっと熱すぎたかしら…?」
「ううん!美味しいよ…クッキーも食べていい?」
「ふふ、勿論。召し上がれ♪」
少年はクッキーに手を伸ばすと、星型のクッキーを手にしました。
星の尖った部分から順に食べていくのを見て、お姉さんの顔には思わず笑いがこみ上げます。
ただ、とても美味しそうに食べる少年の姿を見て、お姉さんはとても嬉しくなりました。
頬杖を付きながら優しく見ていたお姉さんですが、クッキーを手に取るとそのまま少年へと手を伸ばします。
「ふふ…はい、あーん♪」
「え…あの、ボク一人で食べれ…」
「だーめ♪ ほら、あーん♪」
「うぅ…あ、あーん…」
少年は顔を真っ赤にしながらも、口を開けてお姉さんからのクッキーを受け取ります。
サクサクと口の中に広がるクッキーの味は、恥ずかしさでよく分からなくなってしまいました。
そんな少年の反応を面白そうに見ていたお姉さんは、再びクッキーを手に取りました。
「ふふ…あーん♪」
「あ、あーん」
「美味しい?」
「モグモグ…う、うん…えっと凄く…美味し」
「くすくす、それは良かった♪」
結局最初の一枚以外、少年はお姉さんに食べさせてもらうことになりました。
紅茶をおかわりして、少年の身の回りのことや自分のことを話している内に、二人は随分と打ち解けていました。
ですが、気がつけば外は陽が傾き、暗くなり始めていました。
「そう、ふふ…ってあら、もうこんな時間ね」
「あ…そろそろボク帰らなきゃ…」
「そうね、貴方のご両親も心配するわね…一人で帰れる?」
「うん!大丈夫!えっと…お姉さん、ありがとう」
「くすくす、どういたしまして♪……いつでも来ていいからね」
「え?」
「お客さんとしてでもいいし、こうしてお姉さんとおしゃべりするためでもどっちもいいわ、貴方が来たい時に来てくれればそれでいいから、ね?」
「あ…えっと、う、うんっ!」
「うふふ、いい返事♪…それじゃあ気をつけて帰るのよ?」
「うんっ!またね、お姉さん!」
「えぇ、またね♪」
お店を出た少年の姿が見えなくなるまで、お姉さんはずっと手を振っていました。
どこか満足げな笑みを浮かべたお姉さんは、上機嫌なままお店へと戻っていきました。
「私にも春が…なーんてね、ふふ」
冗談めいた、そんな言葉を呟きながら。
それから偶に少年はお姉さんのお店に顔を出すようになりました。
学校の帰り道や、休みの日に来てはお姉さんと一緒にお菓子を食べておしゃべりをしていました。
色々なお菓子をとても美味しそうに食べる姿は他のお客さんにも好評で、少年が食べているものと同じお菓子を帰っていく人が多く見られました。
偶にお姉さんの商売人魂を満たすために、お姉さんがその日のお菓子を選ぶこともありました。
お姉さんの目論見通り、お客さんがそれを買った時のお姉さんの顔はいつもの優しいお姉さんの顔とは違いました。
小さく「計画通り」と呟くその顔は、どこか悪人を思わせる様な顔をしていました。
そんな日々を過ごす内に、お姉さんのお店は慌ただしさを覚えるようになりました。
いつもは女性のお客さんが多いお店ですが、男の人が多く訪れるようになっています。
特に今日は男の人が多くお姉さんのお店を訪れては、どのお菓子を買おうか悩んでいました。
それもそのはず。
明日はホワイトデーです。
お姉さんの作る美味しいお菓子はファンになる人もいるほどで、贈り物にはぴったりでした。
そんな忙しい日の午後の出来事でした。
「いらっしゃいま…あら?カリラの旦那さんじゃない」
「よう、カチュア。相変わらずいい匂いの店だな」
「うふふ、お菓子屋さんだもの…今日来たってことはやっぱり?」
「おう、カミさんへの贈りモンってな」
お姉さんと会話している相手は、この街でアラクネの奥さんと一緒に洋服屋さんを開いている人でした。
お店の品は全て奥さんの手作りで、とても素敵な洋服を取り揃えているお店です。
気前のいいお店の店主として、町内では少し有名な方でした。
「カチュアのオススメはあるかい?相変わらずこういう甘いモンはよく分からなくてよ」
「勿論あるけど…んーやっぱりこういうのって自分で選ぶべきじゃないかしら?」
「まぁそうなんだけどよ…ふむ…」
「…またコーヒーチョコレートでも贈ってみたらどうかしら?ちゃんとあるわよ?くすくす♥」
「勘弁してくれ…色々と大変だったんだ、翌日以降もな…」
「たまには素直に甘えることも大切だと思うの♪」
「あれ以来、ウチじゃコーヒー禁止令が出たんだぞ…贈った日にゃ何されるかわかったもんじゃねぇ…」
以前店主が奥さんへコーヒーチョコレートを贈った日、とても大変なことが起きました。
奥さんがコーヒーチョコレートを食べた後、普段の強気な様子とは一変して甘えん坊になっていました。
【蜘蛛にコーヒーを飲ませると酔う】という言葉通り、奥さんもコーヒーで酔っ払ってしまいました。
たくさん甘えて、沢山気持ちよくなった翌日、元に戻った奥さんは顔を真っ赤にして暫く店主を見れなかったそうです。
そんなこともあり、奥さんへのコーヒーは禁止となってしまったのです。
「ふふ、コーヒーが入ってるかどうか位は教えてあげるから自分で選びなさいな」
「…嘘ついたらもう服売ってやらんぞ」
「あらそれは大変ね、ふふ♪……贈り物ってね」
「うん?」
少し意地悪していたお姉さんは真面目な顔に戻ると、自分の胸に手を当ててゆっくりと言葉を紡ぎました。
「大切なのは、値段や味とか、手作りかそうじゃないか、とかじゃないと思うの」
「ふむ…」
「相手のことを想って、相手の喜ぶ姿を考えて、そのためにどうすればいいかいっぱい悩んで…」
「…」
「悩み抜いて決めたものに、自分の気持ちを余すこと無く詰め込めることが大切だと、私は思うわ」
「…あぁ」
「私が選んでもいいけど…きっとカリラが一番喜ぶのは、貴方に選んでもらったものを受け取るときだと思うの」
「たしかにな」
「それにね、カリラならきっと気がつくわ。貴方が選んだのか、私が選んだのかってね」
「…ふむ」
「だからこそ、貴方に自分で選んでほしいの……なんかごめんなさいね、説教じみたこと言っちゃって」
「いや、そんなこたぁないさ。確かに俺が選ばにゃ意味はねえな…すまんな、カチュア」
「…いいえ、どういたしまして♪」
そう言うと店主はゆっくりとお店の中を見て回りました。
そんな姿をお姉さんは嬉しそうな、優しい笑みで見つめていました。
やがて悩み抜いた末に、店主は1つのチョコを手にして戻ってきました。
シンプルで、飾り気のない、ありふれた長方形のチョコレートでした。
それは、贈るにはあまり適さないようなチョコレートに見えました。
「こいつを貰うよ」
「あら…ふふ、いいものを選ぶじゃない」
「その…なんだ」
「うふふ、大丈夫。コーヒーも混ざってないし、見ないであげるから」
「…ありがとな」
そう言うと、店主は目を閉じそっとチョコに掌をかざしました。
すると、飾り気の無かったチョコには白いチョコで文字が浮かび上がってきました。
お姉さんの特殊な魔法が込められたそのチョコは、贈る相手への思いを映し出すチョコレートでした。
短い、それでいてシンプルで真っ直ぐな店主の奥さんへの思いが、浮かび上がります。
「ん、終わったよ。カチュア」
「んふふ、どうする?ラッピングも自分でしてみる?」
「…そうだな。たまには、な」
お姉さんに教わりながら、店主は丁寧にラッピングをしていきます。
綺麗な包装紙で包んだチョコを、店主は少し恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな顔で鞄へと入れました。
「ありがとよ、カチュア。また今度ウチの店にも顔を見せに来てくれよ」
「うふふ、そうね。それを受け取ったカリラがどんな顔を浮かべたのか聞きたいし♪」
「きっとお前さんの予想通りの顔をするに決まってるさ、へへ」
そう言って二人で笑った後、店主はお店を後にしました。
それから暫くはお客さんの対応に追われたお姉さんでしたが、夕方にもなると客足も収まってきました。
お店も静かになり、そろそろ閉店にしようかしら、そんなことを考えた時でした。
カランコロンという音と共にお店のドアが開きました。
「ん?あら、いらっしゃい。リク君♪」
「えへへ、こんばんはカチュアお姉さん」
「ふふ、今日も来てくれて嬉しいわ♪ 今お茶出してあげるから」
「あ、えっと…その」
「ん?どうしたの?」
「えっと…今日はボクは…そのお客さん…だから!」
「あら…そうだったの、くすくす」
そういうと、少年はキョロキョロとお菓子が並べられた棚を見渡しました。
来る度にラインナップが変わるお姉さんのお店は、その日しか買えないお菓子も少なくありません。
少年は視界に移る色とりどりのお菓子にどこか圧倒されながらも、一つ一つを見ていました。
「………誰に渡すのかな?」
「えっ!?」
「んふふ…誰にも言わないからお姉さんに教えて欲しいなぁ〜♪」
「えっと…だ、だめ!!」
「あら…リク君のケチー。お姉さん悲しいなぁ、しくしく」
「うぅ…でも、でも…だめ!」
「ちぇー」
カウンターで頬を膨らませて不機嫌さをアピールするお姉さんでしたが、とても真剣に選んでいる少年の姿を見て、静かに見守ることにしました。
少年は先程お姉さんが店主へ送った言葉の通りに、必死に相手のことを思いながら選んでいました。
そんな彼を茶化すことはお姉さんには出来ませんでした。
「(いいなぁ…リク君あんなに悩んでる…贈られる人は幸せな人ね…ふふ)」
一つ手にとっては、悩み、そして元に戻す。
そんな少年をお姉さんはとても優しい笑みで見守っていました。
やがて少年は一つのチョコを手に取ると、お姉さんの元へと来ました。
「えっと…ボク、これが欲しいです」
「…ふふ、それにしたのね」
「う、うんっ!」
少年が選んだのは、変形したハート型のチョコが幾つも敷き詰められ、1つの大きなハートの形を為したものでした。
ピンク色のイチゴ味のチョコレートで出来た、甘く蕩ける思いを相手に伝えるためのチョコレート。
少年は悩み抜いた末に、それを選ぶことにしました。
「ふふ…沢山悩んで、悩んで、悩み抜いて選んでたね」
「うん…」
「きっと貰った相手は喜ぶと思うわ。リク君思いが沢山込められたものだもの、ふふ♪」
「ぁ…うん…」
「ただ、ちょっとこれ高めなのよね…リク君お金大丈夫かしら?」
「あの…これで足りますか…?」
少年が出したお財布からはジャラジャラと小銭がたくさん出てきました。
お姉さんはそれを嫌な顔ひとつ浮かべずに、丁寧に数え始めます。
やがて数え終わったお姉さんは少しだけ困った表情を浮かべていました。
「んー…ちょっと…というかだいぶ足りないわねぇ」
「え…あ…そんな…えっと、どうしよう…えっと…」
「うーん…そうねぇ…」
そんな言葉を口にしたお姉さんでしたが、その顔には笑みが浮かんでいました。
カウンターの向こう側から少年の方へと来ると、少し膝を曲げて少年と同じ目線になりました。
先ほどとは別の意味で悩む少年の頭を優しく撫でると、お姉さんはゆっくりと口を開きます。
「ふふ、そんな泣きそうな顔しないの!お姉さんも鬼じゃないんだから、ね?」
「でも…ボクこれ以上お金持って無くて…」
「そんな顔しないで…ふふ、特別よ……んぅ?」
一瞬ふと、最近似たようなことがあったような、と視線が上に向くお姉さんでした。
ですが、すぐに視線を少年へと戻すと優しい笑みを浮かべます。
「え?」
「あ、ううん。なんでもないわ、うふふ。それよりも、特別にお代は無しにしてあげる」
「えっ!?でも…」
「その代わりお姉さんとの約束。それが守れるならお代はいらないわ」
「約束…?」
「リク君が選んだそのチョコレートを渡すとき、必ず自分の気持ちをはっきりと伝えること!」
「ボクの気持ちを…」
「そう!恥ずかしがって何も言わずに渡すなんてことしちゃダメよ?…それがちゃんと出来るって今約束してくれたら特別サービスしてあげる♪」
「う、うんっ!ボク、約束する!!」
「ふふ…いい返事ね。大丈夫よ、きっと貴方の思いは伝わるわ♪」
「うん…!」
その後、少し難しいラッピングをお姉さんに手伝ってもらいながらも何とか出来た少年は、とても嬉しそうな笑みでそのチョコレートを抱えました。
そんな少年の姿を、お姉さんは優しく見つめていました。
「ふふ…あとはメッセージカードかしら。えーっと…はい!好きなのを選んでね」
「えっと……じゃあこれ」
「ふふ、リク君は青色が好きなのかしら?お姉さんと一緒ね♪」
「え?…あぅ…」
「んふふ、メッセージはどんな内容かな〜?書き終わったらお姉さんに見せて?」
「駄目っ!ボ、ボクお家で書く!」
「えー!?そんな寂しいこと言われたらお姉さん泣いちゃう…しくしく」
「だめ!だめったらだめ!」
「ちぇー…」
結局少年はお姉さんに見られるのが恥ずかしいのか、家で書くことにしました。
チョコレートと、メッセージカードを持って少年は何度もお姉さんにお礼を言いました。
「ふふ、そんな頭下げなくてもいいわよ。たまーにお姉さんもリク君に助けられてるし」
「え?」
「あーいやね、こっちの話。うふふ♪…明日頑張ってね!約束破っちゃ駄目よ?」
「う、うんっ!ありがとう、カチュアお姉さん!」
そう言うと少年は駆け足で家へと帰っていきました。
見えなくなるまで見送ったお姉さんは、お店のドアプレートを「open」から「close」へと変えてお店の中へと戻りました。
お店に入る途中、先程から引っかかってたあることを思い出して一人小さく呟きました。
「そう言えば…バレンタインデーも同じような事があったわね…あのゾンビの娘はちゃんと帰れたのかしら?」
翌日のホワイトデーも朝からお姉さんのお店には多くの男の人が、カップルが訪れていました。
真剣に悩む人、相手が選んだものを素直に買う人、沢山の人に渡すために買っていく人。
色々な人がお姉さんのお店を訪れ、お店はてんやわんやの大忙しでした。
そんな忙しさも午後を過ぎた頃から落ち着きを取り戻し、陽が沈み始める夕方近くにはだいぶ人もまばらになりました。
そんな中、ふと見つめた先に映ったのは、ショーウィンドウを覗くカップルでした。
どこか見覚えのあるようなゾンビの女の子と、その相手の彼氏が何か話しているみたいです。
何か確認するような二人でしたが、彼氏の手に引かれてゆっくりとお店の中へ入ってきました。
「どう?リナ。このお店かな?」
「ぅー…ぅ?…あはぁ…お姉さ♪」
「あっ…走っちゃ駄目だよリナ」
お店の入り口でキョロキョロとしていた二人でしたが、お姉さんと目が合うと、リナと呼ばれたゾンビの娘はトタトタとお姉さんへと駆け寄ってきました。
お姉さんも嬉しそうな笑みを浮かべながら、カウンターから店内へと出てきした。
胸に飛び込んできたゾンビの娘を、お姉さんは優しく抱きとめました。
「えへぇ…お姉さ♪」
「あらあら♪ お久しぶりね。ふふ、お姉さんのお店覚えててくれたんだ」
「あの…すみません、リナが急に…」
「あら、気にしないで。…そう、貴方がこーたさんね」
「…えっと、何故僕の名前を?」
「んふふ…勿論、貴方の大切なこの子からお話しは聞いてるもの、ね?」
「ねー♪」
「ねー♪…あの後ちゃんと帰れたのか心配だったけど、大丈夫だったみたいね」
嬉しそうな笑みを浮かべながら、お姉さんとゾンビの娘は一緒に声を揃えていました。
そんな二人を見た彼氏は、少し表情は柔らかくなったものの、何処かまだ引っかかった様な表情を浮かべていました。
腕の中で嬉しそうに笑うゾンビの娘を優しく撫でながら、少し首を傾げるお姉さん。
彼氏のどこか申し訳無さそうな表情の理由を問いました。
「そんな顔してちゃだめよ?この子がこんなに素敵な笑顔を浮かべてのに…もしかして妬いちゃったかしら?くすくす」
「ふへぇ♥」
「いえ…その、今日はまずお詫びをしなきゃと思ってて…」
「お詫び?…あら?お詫びが必要になることなんてあったかしら?」
「…以前リナがこのお店に来た時、お財布を持ってなかったと思います」
「あー…そうねぇ。確かに持ってなかったわ」
「どういった経緯であのチョコレートを頂けたのかはわかりませんが、お金はちゃんと支払わないと…と思って」
「ふーん…」
「ほら…リナもちゃんと謝るんだよ?…すみませんでした」
「ぁぅ…お姉さ…めんねぇ…」
ペコリと頭を下げる彼氏と、お姉さんの胸に顔をうずめながら謝るゾンビの娘をお姉さんはじっと見ていました。
優しく頭を撫でる手は止めないまま、もう片方の手で頭を下げた彼氏の頭をポンポンと優しく触れました。
「えっと…あの…」
「真面目ねぇ…まぁでもこの子…リナちゃんからはちゃんと話しは聞けてなかったみたいね…ふふ」
「話しって…どういうことですか?」
「んふふ、そうね…ねぇ、リナちゃん?お姉さんとの約束はちゃんと守れたかしら?」
「ぅー?…やくそ、ぅ?」
「ちゃんと貴方の書いた手紙はこーたさんへ渡せたかしら?」
「ぅん…てがみ…あげたぁ♥」
「そう…ふふ、それで貴方の気持ちもちゃんと伝えれた?」
「ぅん、えへぇ…こーた、好きぃって、ぎゅっ…したぁ♥」
「うんうん、良い子ね♪ チョコレートは美味しかったかしら?」
「ふへぇ…甘ぃ…こーたが、あーん…くれたぁ、えへぇ♥」
「そうなのね、ふふ♪ちゃんとお姉さんとの約束守れたのね、お姉さん嬉しいわ♪」
「えへぇ♪」
「あの…」
二人の間で進む会話に入れない彼氏が、思わず言葉を漏らした時でした。
お姉さんは、小指を上げるとそれを彼氏に見せつけるようにゆらゆらと揺らしました。
「私はね、この子と約束したの」
「約束、ですか?」
「そう、約束。自分の気持ちをちゃんと伝えて、貴方と一緒にチョコを食べること。それが約束」
「…確かに一緒に食べましたが…」
「約束を守れるなら、お代はいらないわって。そんな条件であのチョコレートをこの子に譲ったの」
「…そんな約束が…?」
「ええ、この娘が貴方のことをとても大切に思っていたのだもの、だからお代はいらないって言ったのよ」
「…そう、だったんですね…だからあんなに、ふふ……でも本当にいいんですか?」
「ええ、勿論♪…それにお姉さん安心しちゃった」
「安心?」
「えぇ…とっても素敵な彼氏に愛されてるなって♪」
「愛されてるって、あのえっと、その僕はその」
「うふふ…ねぇ?リナちゃん、こーたさんのこと好き?」
「こーた?こーた好きぃ…大好きぃ…えへぇ♥」
「ふふ…この子は素直ね。くすくす。貴方ももう少し素直になるともっと素敵な彼氏になれるかしらね♪」
「あの、あのっ、あんまりからかわないで下さいっ!」
「やーん、怒っちゃだめよ?ねー?」
「ねー?…ふへぇ♪」
暫く3人で楽しく話した後、二人は一緒に手を繋ぎながら店内を回りました
幸せそうな笑みを浮かべながらお菓子を選ぶ二人を、お姉さんは少し羨ましそうな目で見ていました。
そんな二人が、一つのチョコレートを選んでお姉さんの元へとやってきました。
「これを、お願いします」
「ふふ、あんまり幸せそうに選んでるからお姉さんちょっと妬いちゃったわ、料金上乗せしようかしら♪」
「…やっぱり前回の分お支払した方がいいですか?」
「うそうそ、冗談よ冗談、くすくす…無料でメッセージカード付けれるけど、いるかしら?」
「…そうですね、リナから貰ったのに僕が返さないのは立つ瀬がないですし」
「ふふ、じゃあ好きなのを選んでね」
お姉さんが出したメッセージカードの1つを選ぶと、彼氏はそこに彼女への思いを書き連ねます。
言葉では恥ずかしさが邪魔をして言えない、真っ直ぐな彼女への思いを文字として。
書き終わったそれを、お姉さんはラッピングした箱と一緒に袋へ入れて、彼氏へと渡しました。
「はい、どうぞ。…貴方も私と約束できるかしら?」
「約束…気持ちを伝えて…一緒に食べる、でしたっけ?」
「ふふ、そう。大切なこの子への気持ち、こんな素敵な日だからこそ伝えてあげて?」
「…分かりました、約束します!」
「…本当にこの子の彼氏が貴方で良かったわ…ふふ、お姉さんも安心だわ♪…って私が言うことじゃないのになんでかしら?」
「ふふ…そうですね。でも、そう言って貰えるのはとても嬉しいです…それじゃあ」
「えぇ、またいつでもいらして下さいな」
「お姉さ…ばいばぃ♪」
「またね、リナちゃん。こーたさん♪」
笑顔で店を出て行く二人を、優しい笑みで見送るお姉さんでした。
やがて陽もずいぶんと傾く頃、お客さんも来なくなってきた頃でした。
そろそろお店を閉めようかなと、お店のドアプレートを「close」に変えようと思った時でした
ふとショーウィンドウの外側に小さな人影があることに気が付きました。
慌てて外へと向かうと、そこには少年が顔を赤らめながら立っていました。
「あら?リク君?どうしたのこんな所で?」
「あ…カチュアお姉さん…」
「学校の帰り?………チョコ渡せなかったの?」
「あの…えっと、そのボク…」
少年の手にあったのは、見覚えのあるラッピングがされた箱でした。
顔を赤くして、それでいて何処か戸惑っている少年を見て、お姉さんはチョコが渡せなかったのだと思い込みました。
そんな少年を慰めてあげようと、お店の中へ招こうとした、その時でした。
「カチュアお姉さんっ!!」
「はひっ!…ってどうしたの?!急に大きな声出して、お姉さんびっくりし…」
「ボク!カチュアお姉さんが好きです!大好きです!だから…だからこのチョコレートを贈ります!」
「……え?」
思っても見なかったことに思わず硬直するお姉さんと、顔を夕焼けよりも真っ赤にしながらチョコを差し出す少年。
じっとお姉さんを見つめる少年の目は何処までも真っ直ぐで、何処までも純真な輝きを帯びていました。
そんな少年の目を、お姉さんは驚きと戸惑いが混ざった目で見つめ返していました。
人にはアドバイス出来ていたのに、いざ自分がその立場になった途端、お姉さんは固まって動けなくなってしまいました。
そんなお姉さんへ少年は思いを言葉にして、お姉さんとの約束を守るために恥ずかしさを堪えて思いを紡ぎます。
「初めて見た時から、ずっとカチュアお姉さんが好きでした!」
「……」
「いつも優しくしてくれるカチュアお姉さんが大好きです!」
「リク君…」
「ボクのカチュアお姉さんへの気持ちです!受け取って下さい!」
「……そう…そうだったのね、ふふ。まさかこんなサプライズが起きるなんてね」
戸惑いが混ざったお姉さんの目は、落ち着きを取り戻しいつもの優しい目に戻っていました。
いつも少年を笑顔で迎えてくれる、少年が大好きなお姉さんの目に。
お姉さんはゆっくりと膝を曲げると、少年と同じ目線の高さで少年を見つめました。
「昨日悩んでいたのは私に渡すために…一生懸命悩んでくれていたのね」
「…うん!」
「ちゃんと約束も守って…ふふ、リク君はほんとえらいわね」
「カチュアお姉さん…」
「貴方の気持ち…言葉以上に私に伝わってるよ…とても素敵な思いが、ね」
そう言いながら、お姉さんは少年が差し出しているチョコを優しく受け取りました。
ラッピングのリボンの間に挟まれたメッセージカードは、昨日少年が選んだ青色のカードでした。
目線で少年へと開けてよいか問いかけると、少年はゆっくりと頷きました。
お姉さんは微笑みながら、少年の書いた手紙を広げました。
―――カチュアお姉さんへ
―――いつもおいしいおかしをくれてありがとう
―――ボクがお店にいくととってもやさしくしてくれてすごくうれしいです
―――ボクはお姉さんといっしょにおかしを食べるのが好きです
―――お姉さんが笑ってくれると、ボクもとってもうれしいです
―――ボクはいつもやさしくしてくれるお姉さんのことが好きです
―――おかしみたいにあまい、いいにおいのするお姉さんのことが好きです
―――はじめてお姉さんを見たときからお姉さんのことが大好きです
―――リクより
まだ拙い、自分の気持ちを上手く文章に出来ない、けれども少年の思いが余すこと無く詰められた手紙でした。
そんな手紙を、お姉さんは少年に向けた笑顔の中で一番優しい笑顔で読んでいました。
薄っすらと浮かぶ涙を堪えながら、お姉さんは何度も何度も少年からの手紙を読みました。
その間、ずっと真っ直ぐな目でお姉さんを見つめていた少年へ、お姉さんは優しく笑みを返しました。
「ありがとう…とても、とても素敵な貴方の気持ち…全部ちゃんと受け取ったよ…ふふ」
「カチュアお姉さん…」
「…チョコ、食べてもいいかな?」
「う、うんっ!」
少年がお姉さんへ送ったチョコは、変形したハート型のチョコが幾つも敷き詰められ、1つの大きなハートの形を為したもの。
自分で作ったはずのそれは、お姉さんには今全くの別物に見えていました。
見覚えのあるものなのに、作成時のことも思い出せるのに、初めて見るような、不思議な感覚でした。
その中の一つを手にすると、ゆっくりと自分の口へと運んでいきます。
口の中に広がる甘く蕩けるような味は、イチゴ味ではなく、もっと甘い別のもの。
目の前の相手の気持ちがふんだんに詰め込められた、思いの結晶でした。
「ふふ、とっても美味しいわ…ってこれは自画自賛になるのかしら?」
「えっと、えっと…」
「ふふ、冗談よ…甘くて蕩けちゃうわ…リク君の思いが沢山込められているんだもの。こんな美味しいのは…初めてよ」
「…うん!」
少年の気持ちが込められたチョコはその味とともにお姉さんの心へと染み渡りました。
優しくて元気な、どこまでも一途な純粋な思い。
世界中のどんなものよりも勝る、かけがえのない幸せの味でした。
蕩けたチョコと同じように、素敵な笑みを浮かべるお姉さんにつられて、少年も嬉しそうな笑みを浮かべます。
ですが、お姉さんの口から出た言葉は、少年が思ってもいなかった言葉でした。
「でもね…今のリク君の気持ちには…お姉さん応えられないかな…」
「…………え?」
「ごめんね…」
「あ…ぁ…」
お姉さんの口から放たれた言葉は、少年の気持ちを拒否する、そんな言葉でした。
お姉さんの笑顔を見て喜んでいた少年にとって、思ってもみなかった言葉でした。
それ故に、少年の顔からは笑顔は消え、動揺と悲しみの表情が浮かんでいました。
薄っすらと浮かぶ涙は、少年の落胆が垣間見みえるようでした。
ですが、お姉さんは優しい笑みを浮かべると、また言葉を紡ぎました。
「…勘違いしちゃ駄目よ?」
「…ヒッグ…ぇ?」
「ふふ…今言った通りよ…"今のリク君"の気持ちには応えられないってこと」
「え?……え?」
「んふふ…そうね、少しリク君には難しかったかもね、くすくす」
そう言いながら、お姉さんはもう1つチョコを手に取ると、自分の口へと運びました。
ゆっくりと味わいながら、口の中でチョコを溶かすように。
「リク君の気持ちは全部私に伝わったよ…そして、私の気持ちもリク君と同じ…リク君のことが大好きよ」
「でも…でも今…ヒッグ…カチュアお姉さん…ボクのこと嫌いって…」
「あら?私がいつリク君のことを嫌いって言ったのかしら?」
「…え?」
「ふふ…言葉じゃ難しいかもね…くすくす」
そう言って笑ったお姉さんは、目の前で泣きそうな少年の首に腕をまわすと、少年に優しくキスをしました。
最初は唇で、そして徐々に舌を使いながら少年の唇を優しく愛撫しました。
初めてのキスに驚きながらも、優しくリードするお姉さんに従うように少年もゆっくりと唇を動かし始めました
舌に残るチョコは少しずつ少年の口へと広がり、甘く蕩けた快感と味に少年は酔いしれます。
チョコよりもずっと甘い、好きという思いに心まで蕩けるような、そんなキスでした。
お姉さんの口の中のチョコがなくなるまで、長く甘い、恋人同士がするような素敵なキスは続きました。
「んっ…んふ、どうかしら?お姉さんの気持ちはちゃんと伝わった?」
「ふぁ…ぅん…」
「ふふ、蕩けちゃったね…♪ 顔も真っ赤にしちゃって。とっても可愛いわ」
「んぅ…カチュアお姉さんも…顔赤いよ…」
「…ふふ、そうね。だって好きな人とこんな素敵なキスが出来たんだもの」
「カチュアお姉さん…」
「でもね…リク君はまだ幼すぎるの」
「……」
「だからね…まだ、まだリク君の気持ちにはお姉さんは応えられないかな」
「ボクは…」
悲しそうな、それでいて戸惑いに暮れた顔を浮かべる少年をお姉さんは優しく抱きしめました。
その言葉はどこまでも優しくて、温かく愛に満ちたものでした。
「だから、いつかまた…リク君が大きくなったらもう一度同じ言葉を聞きたいわ」
「大きくなったら…?」
「そう、私がこうして膝を曲げて…貴方と同じ目線の高さにする必要が無くなるくらいに大きくなったら」
「…そんなの…ずっと、ずっと先になっちゃうよ」
「そうね…でも」
そういうとお姉さんは抱きしめていた少年をそっと離すと、コツリと少年の額に自分の額を触れさせました。
「私は…私は待つよ…貴方がもう一度、同じ思いで…今以上の気持ちを持って…私の元へ来てくれることを」
「カチュアお姉さん…」
「約束するわ。貴方が来てくれるその時まで、ずっと待ってる。だから、いつかまた貴方の思いを聞かせて?」
「…うんっ!」
「…いい返事ね…それじゃあ、約束の指切りげんまん」
そっと差し出したお姉さんの小指に、少年の小指が重なります。
しっかりと絡み合った指は、互いを信じ合い、そして決して破らぬ約束であることを誓うようでした。
そんな二人を、夕日と月明かりが優しく照らしていました。
それからまた、お姉さんの偶に忙しい、のんびりとした日々が流れるようになりました。
「あら?いらっしゃいカリラ。今日は旦那さんへのお土産かしら?くすくす♪」
偶にやってくる親しい友人。
「こんにちは、お久しぶりねお二方…あら?その子はもしかして…そう、琴音ちゃんっていうの…ふふ、二人によく似てるわ♪」
お菓子教室で知り合った夫婦。
「こーたさんお久しぶりね♪ あら、そちらの方は?…まぁ!?ふふ、きっとこーたさんの愛の証ね♪うふふ、羨ましくなっちゃうわ、くすくす♪」
夫の愛を受け華麗な姿へと変貌した元ゾンビの子。
お姉さんのお店には、幾つもの幸せの顔がありました。
そして、それを優しい笑顔で見守るお姉さんの姿がありました。
今日もお店は多くの人が訪れ、そして皆一様に笑顔で帰っていきました。
最後のお客さんを見送ったお姉さんは、お店のドアプレートを「close」に変えるために外へと向かいました。
まだ春には少しだけ早い、冷たい風が吹き抜ける夕刻の中。
ドアプレートをひっくり返したお姉さんが店に戻ろうとしたその時でした。
振り返ると、そこには一人の青年が立っていました。
かつて少年だった、それでいてもう少年と呼べない程に立派に育った風貌の青年でした。
その青年はどこか決意を秘めた表情で、それでいてどこまでも優しい笑みを浮かべていました。
お姉さんもまた、それに負けないほどに優しい笑みを浮かべていました。
「…あの時の約束を守りに来ました」
「…うん」
昔交わした、大切な約束を守るために。
「カチュアお姉さん…いえ、カチュアさん」
その言葉は、あの時と何一つ変わらない、それでいて募る想いはかつてとは比べ物にならないほどに大きく。
「貴方のことが好きです…大好きです!」
沈みかけの太陽と登りかけの月が、二人を優しく照らしていました。
バレンタインデーから少し経ったある日、街のとある場所で開かれたお菓子教室には多くの参加者がいました。
お菓子教室の先生は、角や尻尾が生えたサキュバスと呼ばれる魔物のお姉さんでした。
お菓子教室に参加している人は、よくよく見てみると男性が多めという不思議な光景でした。
慣れないお菓子作りに四苦八苦しながらも、皆真剣な表情で手順や分量を覚えようとしています。
そう、この日開催されたお菓子教室はホワイトデーのお返しを贈る人向けのものでした。
勿論、カップルで参加している人もいるようです。
「ふぅ…慣れてないってのもあるが中々難しいな…あとはこれとこれを混ぜて…っておい!」
「にひひ、隠し味隠し味♪」
「おまっ神楽、今何入れた!ってもはや隠してすらいないじゃないか!」
「なーにせっかくだから美味しく面白くってね、ひひ」
「…真面目にやらんとホワイトデーのお返しはチョコに似た別の何かになるぞ」
「そんときゃ龍樹の濃厚なホワイトチョコをたっぷりくれればいいさね♥」
「……頼むから外でそういう言動は謹んでくれ」
「にひひ♪」
どこか手玉に取られながらも決して嫌という雰囲気ではない二人へと、サキュバスのお姉さんが近づきます。
二人が浮かべる笑顔につられるように、お姉さんの顔にも笑顔が浮かんでいました。
「あらあら、随分と楽しそうですね、ふふ」
「あ、先生…すいません、ウチのが迷惑を…」
「そんなことありませんよ…あら、これは……陶酔の果実の果汁かしら?…ふふ、素敵な隠し味になるわね」
「ほれほれ、見たことか、先生のお墨付きさね」
勝ち誇った顔で嬉しそうな笑みを浮かべる彼女に、お姉さんは嬉しそうに言葉を続けます。
「大好きな人と一緒に愛に酔いしれたい、好きで好きで堪らないって思いが良く伝わってきますよ♪」
「……だそうだが?」
「…ひとに言われると、どうしてこうもこっ恥ずかしいんだろうかね…ひひ♪」
彼と同じくらい顔を赤くした彼女は、恥ずかしそうにしながらも嬉しそうな笑みを浮かべていました。
そんな二人を過ぎたお姉さんは、慣れないお菓子作りに挑む人へ助け舟を出しながら、優しく作り方を教えていました。
何度か教室を周る頃には、全員何とかお菓子作りを終えていました。
上手にできた人、まだまだ練習が必要な人と様々でしたが、皆満足した顔を浮かべていました。
そして作ったお菓子を味見しながら、今日のお菓子作り教室は幕を閉じました。
嬉しそうな顔を浮かべて帰っていく人たちを、お姉さんは優しく見送ります。
「先生、ありがとうございました。ウチのアホが変なの入れたせいで味見出来ませんでしたが…」
「にひひ、家でたらふく食べればいいじゃないか、あたしの愛情たっぷりさね♪…先生、楽しかったよ、ありがとね」
「くすくす、とても仲睦まじくて羨ましいですね、ふふ♪」
嬉しそうな笑みを浮かべて帰る人、何度もお礼を言う人、また参加することを伝える人。
そんな人達をお姉さんは嬉しそうな笑みを浮かべて見送ります。
そして最後の一人を見送ると、シンとした教室の中でお姉さんは一人、ポツリと呟きました。
「一人くらいはもしかしたら…って思ってたんだけどなぁ…」
誰か一人くらいは思いと共に自分に渡してくれることを期待していたお姉さんでしたが、毎度の如く誰も渡してくれる人はいませんでした。
少しだけ悲しげな表情を浮かべたお姉さんでしたが、気持ちを切り替えると後片付けをすることにしました。
片付けが終わり、自分のお店へと帰るお姉さん。
もうすぐお店に到着する、そんな時でした。
ふと自分のお店の前に誰かが立っているのが見えました。
近づいて見ると、ショーウィンドウに飾られたお菓子を張り付くようにして見ている少年がいました。
まだ幼い少年は目を輝かせながら、色とりどりの美味しそうなお菓子を見つめていました
後ろからゆっくりと近づくと、窓にお姉さんの姿が反射したのか、慌てて少年は振り向きます。
「ふふ、こんにちは」
「あ……あの、こ、こんにちはっ」
「くすくす、素敵な顔で見てたわね。お菓子が好きなのかしら?」
「え、えっと、うん…」
「もし良かったら中で見る?ここお姉さんのお店だから」
「…いいの?」
「えぇ、勿論♪」
お姉さんはどこか嬉しそうな笑みを浮かべながら、お店のドアの鍵を開けて少年を手招きします。
「close」表示のドアプレートを「open」に変え、少年と一緒にお店の中へと入っていきました。
お店の中は甘い美味しそうな匂いでいっぱいでした。
少年は先程よりも目を輝かせながら、お店に置いてあるお菓子を夢中で見ていました。
自分の作ったお菓子をキラキラとした目で見つめる少年を見て、お姉さんも思わず笑みを浮かべます。
上機嫌になったお姉さんは、少年に近づくと優しく頭を撫でてあげました。
「くすくす、とっても楽しそうね♪ そんな目で見てもらえるなんてお姉さんも嬉しくなっちゃうわ」
「あ…えっと…すごい綺麗で美味しそうだからその…」
「良かったら少し食べてみる?」
「えっ?…いいの!?」
「ふふ、お姉さん今凄い気分良いから特別サービスよ♪ 君が食べてみたいって思ったのを選んでいいわ」
「…えへへ、お姉さんありがとう!」
「どういたしまして♪」
展示されている色とりどりのお菓子を忙しなく見ていた少年は、1つのお菓子の前で止まりました。
少年が見つめていたものは、市松模様やハートの形をしたクッキーでした。
割とありふれたそのクッキーですが、少年にはどこか惹かれるものがありました。
「あの…これ」
「あら?それでいいの?遠慮しないで好きなのを選んでいいのに」
「んと…これが食べてみたいから」
「そう…ふふ、わかったわ。ちょっと準備するからそこの席に掛けてて?」
「うん!」
展示していたクッキーを取ると、お姉さんは持ったままお店の奥の方へと行ってしまいました。
一人取り残されてしまった少年は、飽きること無くキョロキョロと店内に飾られたお菓子を見つめていました。
しばらくすると、お姉さんはトレンチを手に戻ってきました。
お菓子とは異なる、いい香りの湯気が立つティーカップを2つと、クッキーが盛られたお皿を乗せて。
「おまたせ♪ ごめんね、お店閉めてたからお湯が湧いてなかったの」
「ううん、大丈夫!」
「ふふ、ならよかった…あ!熱いから気をつけてね?お砂糖は入れる?」
「うん!」
少年はお砂糖を多めに、お姉さんは甘さ控えめの紅茶にしました。
ふーっ、ふーっと冷ましながら少しずつ飲む少年を、お姉さんは優しい目で見ていました。
「美味しい?ちょっと熱すぎたかしら…?」
「ううん!美味しいよ…クッキーも食べていい?」
「ふふ、勿論。召し上がれ♪」
少年はクッキーに手を伸ばすと、星型のクッキーを手にしました。
星の尖った部分から順に食べていくのを見て、お姉さんの顔には思わず笑いがこみ上げます。
ただ、とても美味しそうに食べる少年の姿を見て、お姉さんはとても嬉しくなりました。
頬杖を付きながら優しく見ていたお姉さんですが、クッキーを手に取るとそのまま少年へと手を伸ばします。
「ふふ…はい、あーん♪」
「え…あの、ボク一人で食べれ…」
「だーめ♪ ほら、あーん♪」
「うぅ…あ、あーん…」
少年は顔を真っ赤にしながらも、口を開けてお姉さんからのクッキーを受け取ります。
サクサクと口の中に広がるクッキーの味は、恥ずかしさでよく分からなくなってしまいました。
そんな少年の反応を面白そうに見ていたお姉さんは、再びクッキーを手に取りました。
「ふふ…あーん♪」
「あ、あーん」
「美味しい?」
「モグモグ…う、うん…えっと凄く…美味し」
「くすくす、それは良かった♪」
結局最初の一枚以外、少年はお姉さんに食べさせてもらうことになりました。
紅茶をおかわりして、少年の身の回りのことや自分のことを話している内に、二人は随分と打ち解けていました。
ですが、気がつけば外は陽が傾き、暗くなり始めていました。
「そう、ふふ…ってあら、もうこんな時間ね」
「あ…そろそろボク帰らなきゃ…」
「そうね、貴方のご両親も心配するわね…一人で帰れる?」
「うん!大丈夫!えっと…お姉さん、ありがとう」
「くすくす、どういたしまして♪……いつでも来ていいからね」
「え?」
「お客さんとしてでもいいし、こうしてお姉さんとおしゃべりするためでもどっちもいいわ、貴方が来たい時に来てくれればそれでいいから、ね?」
「あ…えっと、う、うんっ!」
「うふふ、いい返事♪…それじゃあ気をつけて帰るのよ?」
「うんっ!またね、お姉さん!」
「えぇ、またね♪」
お店を出た少年の姿が見えなくなるまで、お姉さんはずっと手を振っていました。
どこか満足げな笑みを浮かべたお姉さんは、上機嫌なままお店へと戻っていきました。
「私にも春が…なーんてね、ふふ」
冗談めいた、そんな言葉を呟きながら。
それから偶に少年はお姉さんのお店に顔を出すようになりました。
学校の帰り道や、休みの日に来てはお姉さんと一緒にお菓子を食べておしゃべりをしていました。
色々なお菓子をとても美味しそうに食べる姿は他のお客さんにも好評で、少年が食べているものと同じお菓子を帰っていく人が多く見られました。
偶にお姉さんの商売人魂を満たすために、お姉さんがその日のお菓子を選ぶこともありました。
お姉さんの目論見通り、お客さんがそれを買った時のお姉さんの顔はいつもの優しいお姉さんの顔とは違いました。
小さく「計画通り」と呟くその顔は、どこか悪人を思わせる様な顔をしていました。
そんな日々を過ごす内に、お姉さんのお店は慌ただしさを覚えるようになりました。
いつもは女性のお客さんが多いお店ですが、男の人が多く訪れるようになっています。
特に今日は男の人が多くお姉さんのお店を訪れては、どのお菓子を買おうか悩んでいました。
それもそのはず。
明日はホワイトデーです。
お姉さんの作る美味しいお菓子はファンになる人もいるほどで、贈り物にはぴったりでした。
そんな忙しい日の午後の出来事でした。
「いらっしゃいま…あら?カリラの旦那さんじゃない」
「よう、カチュア。相変わらずいい匂いの店だな」
「うふふ、お菓子屋さんだもの…今日来たってことはやっぱり?」
「おう、カミさんへの贈りモンってな」
お姉さんと会話している相手は、この街でアラクネの奥さんと一緒に洋服屋さんを開いている人でした。
お店の品は全て奥さんの手作りで、とても素敵な洋服を取り揃えているお店です。
気前のいいお店の店主として、町内では少し有名な方でした。
「カチュアのオススメはあるかい?相変わらずこういう甘いモンはよく分からなくてよ」
「勿論あるけど…んーやっぱりこういうのって自分で選ぶべきじゃないかしら?」
「まぁそうなんだけどよ…ふむ…」
「…またコーヒーチョコレートでも贈ってみたらどうかしら?ちゃんとあるわよ?くすくす♥」
「勘弁してくれ…色々と大変だったんだ、翌日以降もな…」
「たまには素直に甘えることも大切だと思うの♪」
「あれ以来、ウチじゃコーヒー禁止令が出たんだぞ…贈った日にゃ何されるかわかったもんじゃねぇ…」
以前店主が奥さんへコーヒーチョコレートを贈った日、とても大変なことが起きました。
奥さんがコーヒーチョコレートを食べた後、普段の強気な様子とは一変して甘えん坊になっていました。
【蜘蛛にコーヒーを飲ませると酔う】という言葉通り、奥さんもコーヒーで酔っ払ってしまいました。
たくさん甘えて、沢山気持ちよくなった翌日、元に戻った奥さんは顔を真っ赤にして暫く店主を見れなかったそうです。
そんなこともあり、奥さんへのコーヒーは禁止となってしまったのです。
「ふふ、コーヒーが入ってるかどうか位は教えてあげるから自分で選びなさいな」
「…嘘ついたらもう服売ってやらんぞ」
「あらそれは大変ね、ふふ♪……贈り物ってね」
「うん?」
少し意地悪していたお姉さんは真面目な顔に戻ると、自分の胸に手を当ててゆっくりと言葉を紡ぎました。
「大切なのは、値段や味とか、手作りかそうじゃないか、とかじゃないと思うの」
「ふむ…」
「相手のことを想って、相手の喜ぶ姿を考えて、そのためにどうすればいいかいっぱい悩んで…」
「…」
「悩み抜いて決めたものに、自分の気持ちを余すこと無く詰め込めることが大切だと、私は思うわ」
「…あぁ」
「私が選んでもいいけど…きっとカリラが一番喜ぶのは、貴方に選んでもらったものを受け取るときだと思うの」
「たしかにな」
「それにね、カリラならきっと気がつくわ。貴方が選んだのか、私が選んだのかってね」
「…ふむ」
「だからこそ、貴方に自分で選んでほしいの……なんかごめんなさいね、説教じみたこと言っちゃって」
「いや、そんなこたぁないさ。確かに俺が選ばにゃ意味はねえな…すまんな、カチュア」
「…いいえ、どういたしまして♪」
そう言うと店主はゆっくりとお店の中を見て回りました。
そんな姿をお姉さんは嬉しそうな、優しい笑みで見つめていました。
やがて悩み抜いた末に、店主は1つのチョコを手にして戻ってきました。
シンプルで、飾り気のない、ありふれた長方形のチョコレートでした。
それは、贈るにはあまり適さないようなチョコレートに見えました。
「こいつを貰うよ」
「あら…ふふ、いいものを選ぶじゃない」
「その…なんだ」
「うふふ、大丈夫。コーヒーも混ざってないし、見ないであげるから」
「…ありがとな」
そう言うと、店主は目を閉じそっとチョコに掌をかざしました。
すると、飾り気の無かったチョコには白いチョコで文字が浮かび上がってきました。
お姉さんの特殊な魔法が込められたそのチョコは、贈る相手への思いを映し出すチョコレートでした。
短い、それでいてシンプルで真っ直ぐな店主の奥さんへの思いが、浮かび上がります。
「ん、終わったよ。カチュア」
「んふふ、どうする?ラッピングも自分でしてみる?」
「…そうだな。たまには、な」
お姉さんに教わりながら、店主は丁寧にラッピングをしていきます。
綺麗な包装紙で包んだチョコを、店主は少し恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな顔で鞄へと入れました。
「ありがとよ、カチュア。また今度ウチの店にも顔を見せに来てくれよ」
「うふふ、そうね。それを受け取ったカリラがどんな顔を浮かべたのか聞きたいし♪」
「きっとお前さんの予想通りの顔をするに決まってるさ、へへ」
そう言って二人で笑った後、店主はお店を後にしました。
それから暫くはお客さんの対応に追われたお姉さんでしたが、夕方にもなると客足も収まってきました。
お店も静かになり、そろそろ閉店にしようかしら、そんなことを考えた時でした。
カランコロンという音と共にお店のドアが開きました。
「ん?あら、いらっしゃい。リク君♪」
「えへへ、こんばんはカチュアお姉さん」
「ふふ、今日も来てくれて嬉しいわ♪ 今お茶出してあげるから」
「あ、えっと…その」
「ん?どうしたの?」
「えっと…今日はボクは…そのお客さん…だから!」
「あら…そうだったの、くすくす」
そういうと、少年はキョロキョロとお菓子が並べられた棚を見渡しました。
来る度にラインナップが変わるお姉さんのお店は、その日しか買えないお菓子も少なくありません。
少年は視界に移る色とりどりのお菓子にどこか圧倒されながらも、一つ一つを見ていました。
「………誰に渡すのかな?」
「えっ!?」
「んふふ…誰にも言わないからお姉さんに教えて欲しいなぁ〜♪」
「えっと…だ、だめ!!」
「あら…リク君のケチー。お姉さん悲しいなぁ、しくしく」
「うぅ…でも、でも…だめ!」
「ちぇー」
カウンターで頬を膨らませて不機嫌さをアピールするお姉さんでしたが、とても真剣に選んでいる少年の姿を見て、静かに見守ることにしました。
少年は先程お姉さんが店主へ送った言葉の通りに、必死に相手のことを思いながら選んでいました。
そんな彼を茶化すことはお姉さんには出来ませんでした。
「(いいなぁ…リク君あんなに悩んでる…贈られる人は幸せな人ね…ふふ)」
一つ手にとっては、悩み、そして元に戻す。
そんな少年をお姉さんはとても優しい笑みで見守っていました。
やがて少年は一つのチョコを手に取ると、お姉さんの元へと来ました。
「えっと…ボク、これが欲しいです」
「…ふふ、それにしたのね」
「う、うんっ!」
少年が選んだのは、変形したハート型のチョコが幾つも敷き詰められ、1つの大きなハートの形を為したものでした。
ピンク色のイチゴ味のチョコレートで出来た、甘く蕩ける思いを相手に伝えるためのチョコレート。
少年は悩み抜いた末に、それを選ぶことにしました。
「ふふ…沢山悩んで、悩んで、悩み抜いて選んでたね」
「うん…」
「きっと貰った相手は喜ぶと思うわ。リク君思いが沢山込められたものだもの、ふふ♪」
「ぁ…うん…」
「ただ、ちょっとこれ高めなのよね…リク君お金大丈夫かしら?」
「あの…これで足りますか…?」
少年が出したお財布からはジャラジャラと小銭がたくさん出てきました。
お姉さんはそれを嫌な顔ひとつ浮かべずに、丁寧に数え始めます。
やがて数え終わったお姉さんは少しだけ困った表情を浮かべていました。
「んー…ちょっと…というかだいぶ足りないわねぇ」
「え…あ…そんな…えっと、どうしよう…えっと…」
「うーん…そうねぇ…」
そんな言葉を口にしたお姉さんでしたが、その顔には笑みが浮かんでいました。
カウンターの向こう側から少年の方へと来ると、少し膝を曲げて少年と同じ目線になりました。
先ほどとは別の意味で悩む少年の頭を優しく撫でると、お姉さんはゆっくりと口を開きます。
「ふふ、そんな泣きそうな顔しないの!お姉さんも鬼じゃないんだから、ね?」
「でも…ボクこれ以上お金持って無くて…」
「そんな顔しないで…ふふ、特別よ……んぅ?」
一瞬ふと、最近似たようなことがあったような、と視線が上に向くお姉さんでした。
ですが、すぐに視線を少年へと戻すと優しい笑みを浮かべます。
「え?」
「あ、ううん。なんでもないわ、うふふ。それよりも、特別にお代は無しにしてあげる」
「えっ!?でも…」
「その代わりお姉さんとの約束。それが守れるならお代はいらないわ」
「約束…?」
「リク君が選んだそのチョコレートを渡すとき、必ず自分の気持ちをはっきりと伝えること!」
「ボクの気持ちを…」
「そう!恥ずかしがって何も言わずに渡すなんてことしちゃダメよ?…それがちゃんと出来るって今約束してくれたら特別サービスしてあげる♪」
「う、うんっ!ボク、約束する!!」
「ふふ…いい返事ね。大丈夫よ、きっと貴方の思いは伝わるわ♪」
「うん…!」
その後、少し難しいラッピングをお姉さんに手伝ってもらいながらも何とか出来た少年は、とても嬉しそうな笑みでそのチョコレートを抱えました。
そんな少年の姿を、お姉さんは優しく見つめていました。
「ふふ…あとはメッセージカードかしら。えーっと…はい!好きなのを選んでね」
「えっと……じゃあこれ」
「ふふ、リク君は青色が好きなのかしら?お姉さんと一緒ね♪」
「え?…あぅ…」
「んふふ、メッセージはどんな内容かな〜?書き終わったらお姉さんに見せて?」
「駄目っ!ボ、ボクお家で書く!」
「えー!?そんな寂しいこと言われたらお姉さん泣いちゃう…しくしく」
「だめ!だめったらだめ!」
「ちぇー…」
結局少年はお姉さんに見られるのが恥ずかしいのか、家で書くことにしました。
チョコレートと、メッセージカードを持って少年は何度もお姉さんにお礼を言いました。
「ふふ、そんな頭下げなくてもいいわよ。たまーにお姉さんもリク君に助けられてるし」
「え?」
「あーいやね、こっちの話。うふふ♪…明日頑張ってね!約束破っちゃ駄目よ?」
「う、うんっ!ありがとう、カチュアお姉さん!」
そう言うと少年は駆け足で家へと帰っていきました。
見えなくなるまで見送ったお姉さんは、お店のドアプレートを「open」から「close」へと変えてお店の中へと戻りました。
お店に入る途中、先程から引っかかってたあることを思い出して一人小さく呟きました。
「そう言えば…バレンタインデーも同じような事があったわね…あのゾンビの娘はちゃんと帰れたのかしら?」
翌日のホワイトデーも朝からお姉さんのお店には多くの男の人が、カップルが訪れていました。
真剣に悩む人、相手が選んだものを素直に買う人、沢山の人に渡すために買っていく人。
色々な人がお姉さんのお店を訪れ、お店はてんやわんやの大忙しでした。
そんな忙しさも午後を過ぎた頃から落ち着きを取り戻し、陽が沈み始める夕方近くにはだいぶ人もまばらになりました。
そんな中、ふと見つめた先に映ったのは、ショーウィンドウを覗くカップルでした。
どこか見覚えのあるようなゾンビの女の子と、その相手の彼氏が何か話しているみたいです。
何か確認するような二人でしたが、彼氏の手に引かれてゆっくりとお店の中へ入ってきました。
「どう?リナ。このお店かな?」
「ぅー…ぅ?…あはぁ…お姉さ♪」
「あっ…走っちゃ駄目だよリナ」
お店の入り口でキョロキョロとしていた二人でしたが、お姉さんと目が合うと、リナと呼ばれたゾンビの娘はトタトタとお姉さんへと駆け寄ってきました。
お姉さんも嬉しそうな笑みを浮かべながら、カウンターから店内へと出てきした。
胸に飛び込んできたゾンビの娘を、お姉さんは優しく抱きとめました。
「えへぇ…お姉さ♪」
「あらあら♪ お久しぶりね。ふふ、お姉さんのお店覚えててくれたんだ」
「あの…すみません、リナが急に…」
「あら、気にしないで。…そう、貴方がこーたさんね」
「…えっと、何故僕の名前を?」
「んふふ…勿論、貴方の大切なこの子からお話しは聞いてるもの、ね?」
「ねー♪」
「ねー♪…あの後ちゃんと帰れたのか心配だったけど、大丈夫だったみたいね」
嬉しそうな笑みを浮かべながら、お姉さんとゾンビの娘は一緒に声を揃えていました。
そんな二人を見た彼氏は、少し表情は柔らかくなったものの、何処かまだ引っかかった様な表情を浮かべていました。
腕の中で嬉しそうに笑うゾンビの娘を優しく撫でながら、少し首を傾げるお姉さん。
彼氏のどこか申し訳無さそうな表情の理由を問いました。
「そんな顔してちゃだめよ?この子がこんなに素敵な笑顔を浮かべてのに…もしかして妬いちゃったかしら?くすくす」
「ふへぇ♥」
「いえ…その、今日はまずお詫びをしなきゃと思ってて…」
「お詫び?…あら?お詫びが必要になることなんてあったかしら?」
「…以前リナがこのお店に来た時、お財布を持ってなかったと思います」
「あー…そうねぇ。確かに持ってなかったわ」
「どういった経緯であのチョコレートを頂けたのかはわかりませんが、お金はちゃんと支払わないと…と思って」
「ふーん…」
「ほら…リナもちゃんと謝るんだよ?…すみませんでした」
「ぁぅ…お姉さ…めんねぇ…」
ペコリと頭を下げる彼氏と、お姉さんの胸に顔をうずめながら謝るゾンビの娘をお姉さんはじっと見ていました。
優しく頭を撫でる手は止めないまま、もう片方の手で頭を下げた彼氏の頭をポンポンと優しく触れました。
「えっと…あの…」
「真面目ねぇ…まぁでもこの子…リナちゃんからはちゃんと話しは聞けてなかったみたいね…ふふ」
「話しって…どういうことですか?」
「んふふ、そうね…ねぇ、リナちゃん?お姉さんとの約束はちゃんと守れたかしら?」
「ぅー?…やくそ、ぅ?」
「ちゃんと貴方の書いた手紙はこーたさんへ渡せたかしら?」
「ぅん…てがみ…あげたぁ♥」
「そう…ふふ、それで貴方の気持ちもちゃんと伝えれた?」
「ぅん、えへぇ…こーた、好きぃって、ぎゅっ…したぁ♥」
「うんうん、良い子ね♪ チョコレートは美味しかったかしら?」
「ふへぇ…甘ぃ…こーたが、あーん…くれたぁ、えへぇ♥」
「そうなのね、ふふ♪ちゃんとお姉さんとの約束守れたのね、お姉さん嬉しいわ♪」
「えへぇ♪」
「あの…」
二人の間で進む会話に入れない彼氏が、思わず言葉を漏らした時でした。
お姉さんは、小指を上げるとそれを彼氏に見せつけるようにゆらゆらと揺らしました。
「私はね、この子と約束したの」
「約束、ですか?」
「そう、約束。自分の気持ちをちゃんと伝えて、貴方と一緒にチョコを食べること。それが約束」
「…確かに一緒に食べましたが…」
「約束を守れるなら、お代はいらないわって。そんな条件であのチョコレートをこの子に譲ったの」
「…そんな約束が…?」
「ええ、この娘が貴方のことをとても大切に思っていたのだもの、だからお代はいらないって言ったのよ」
「…そう、だったんですね…だからあんなに、ふふ……でも本当にいいんですか?」
「ええ、勿論♪…それにお姉さん安心しちゃった」
「安心?」
「えぇ…とっても素敵な彼氏に愛されてるなって♪」
「愛されてるって、あのえっと、その僕はその」
「うふふ…ねぇ?リナちゃん、こーたさんのこと好き?」
「こーた?こーた好きぃ…大好きぃ…えへぇ♥」
「ふふ…この子は素直ね。くすくす。貴方ももう少し素直になるともっと素敵な彼氏になれるかしらね♪」
「あの、あのっ、あんまりからかわないで下さいっ!」
「やーん、怒っちゃだめよ?ねー?」
「ねー?…ふへぇ♪」
暫く3人で楽しく話した後、二人は一緒に手を繋ぎながら店内を回りました
幸せそうな笑みを浮かべながらお菓子を選ぶ二人を、お姉さんは少し羨ましそうな目で見ていました。
そんな二人が、一つのチョコレートを選んでお姉さんの元へとやってきました。
「これを、お願いします」
「ふふ、あんまり幸せそうに選んでるからお姉さんちょっと妬いちゃったわ、料金上乗せしようかしら♪」
「…やっぱり前回の分お支払した方がいいですか?」
「うそうそ、冗談よ冗談、くすくす…無料でメッセージカード付けれるけど、いるかしら?」
「…そうですね、リナから貰ったのに僕が返さないのは立つ瀬がないですし」
「ふふ、じゃあ好きなのを選んでね」
お姉さんが出したメッセージカードの1つを選ぶと、彼氏はそこに彼女への思いを書き連ねます。
言葉では恥ずかしさが邪魔をして言えない、真っ直ぐな彼女への思いを文字として。
書き終わったそれを、お姉さんはラッピングした箱と一緒に袋へ入れて、彼氏へと渡しました。
「はい、どうぞ。…貴方も私と約束できるかしら?」
「約束…気持ちを伝えて…一緒に食べる、でしたっけ?」
「ふふ、そう。大切なこの子への気持ち、こんな素敵な日だからこそ伝えてあげて?」
「…分かりました、約束します!」
「…本当にこの子の彼氏が貴方で良かったわ…ふふ、お姉さんも安心だわ♪…って私が言うことじゃないのになんでかしら?」
「ふふ…そうですね。でも、そう言って貰えるのはとても嬉しいです…それじゃあ」
「えぇ、またいつでもいらして下さいな」
「お姉さ…ばいばぃ♪」
「またね、リナちゃん。こーたさん♪」
笑顔で店を出て行く二人を、優しい笑みで見送るお姉さんでした。
やがて陽もずいぶんと傾く頃、お客さんも来なくなってきた頃でした。
そろそろお店を閉めようかなと、お店のドアプレートを「close」に変えようと思った時でした
ふとショーウィンドウの外側に小さな人影があることに気が付きました。
慌てて外へと向かうと、そこには少年が顔を赤らめながら立っていました。
「あら?リク君?どうしたのこんな所で?」
「あ…カチュアお姉さん…」
「学校の帰り?………チョコ渡せなかったの?」
「あの…えっと、そのボク…」
少年の手にあったのは、見覚えのあるラッピングがされた箱でした。
顔を赤くして、それでいて何処か戸惑っている少年を見て、お姉さんはチョコが渡せなかったのだと思い込みました。
そんな少年を慰めてあげようと、お店の中へ招こうとした、その時でした。
「カチュアお姉さんっ!!」
「はひっ!…ってどうしたの?!急に大きな声出して、お姉さんびっくりし…」
「ボク!カチュアお姉さんが好きです!大好きです!だから…だからこのチョコレートを贈ります!」
「……え?」
思っても見なかったことに思わず硬直するお姉さんと、顔を夕焼けよりも真っ赤にしながらチョコを差し出す少年。
じっとお姉さんを見つめる少年の目は何処までも真っ直ぐで、何処までも純真な輝きを帯びていました。
そんな少年の目を、お姉さんは驚きと戸惑いが混ざった目で見つめ返していました。
人にはアドバイス出来ていたのに、いざ自分がその立場になった途端、お姉さんは固まって動けなくなってしまいました。
そんなお姉さんへ少年は思いを言葉にして、お姉さんとの約束を守るために恥ずかしさを堪えて思いを紡ぎます。
「初めて見た時から、ずっとカチュアお姉さんが好きでした!」
「……」
「いつも優しくしてくれるカチュアお姉さんが大好きです!」
「リク君…」
「ボクのカチュアお姉さんへの気持ちです!受け取って下さい!」
「……そう…そうだったのね、ふふ。まさかこんなサプライズが起きるなんてね」
戸惑いが混ざったお姉さんの目は、落ち着きを取り戻しいつもの優しい目に戻っていました。
いつも少年を笑顔で迎えてくれる、少年が大好きなお姉さんの目に。
お姉さんはゆっくりと膝を曲げると、少年と同じ目線の高さで少年を見つめました。
「昨日悩んでいたのは私に渡すために…一生懸命悩んでくれていたのね」
「…うん!」
「ちゃんと約束も守って…ふふ、リク君はほんとえらいわね」
「カチュアお姉さん…」
「貴方の気持ち…言葉以上に私に伝わってるよ…とても素敵な思いが、ね」
そう言いながら、お姉さんは少年が差し出しているチョコを優しく受け取りました。
ラッピングのリボンの間に挟まれたメッセージカードは、昨日少年が選んだ青色のカードでした。
目線で少年へと開けてよいか問いかけると、少年はゆっくりと頷きました。
お姉さんは微笑みながら、少年の書いた手紙を広げました。
―――カチュアお姉さんへ
―――いつもおいしいおかしをくれてありがとう
―――ボクがお店にいくととってもやさしくしてくれてすごくうれしいです
―――ボクはお姉さんといっしょにおかしを食べるのが好きです
―――お姉さんが笑ってくれると、ボクもとってもうれしいです
―――ボクはいつもやさしくしてくれるお姉さんのことが好きです
―――おかしみたいにあまい、いいにおいのするお姉さんのことが好きです
―――はじめてお姉さんを見たときからお姉さんのことが大好きです
―――リクより
まだ拙い、自分の気持ちを上手く文章に出来ない、けれども少年の思いが余すこと無く詰められた手紙でした。
そんな手紙を、お姉さんは少年に向けた笑顔の中で一番優しい笑顔で読んでいました。
薄っすらと浮かぶ涙を堪えながら、お姉さんは何度も何度も少年からの手紙を読みました。
その間、ずっと真っ直ぐな目でお姉さんを見つめていた少年へ、お姉さんは優しく笑みを返しました。
「ありがとう…とても、とても素敵な貴方の気持ち…全部ちゃんと受け取ったよ…ふふ」
「カチュアお姉さん…」
「…チョコ、食べてもいいかな?」
「う、うんっ!」
少年がお姉さんへ送ったチョコは、変形したハート型のチョコが幾つも敷き詰められ、1つの大きなハートの形を為したもの。
自分で作ったはずのそれは、お姉さんには今全くの別物に見えていました。
見覚えのあるものなのに、作成時のことも思い出せるのに、初めて見るような、不思議な感覚でした。
その中の一つを手にすると、ゆっくりと自分の口へと運んでいきます。
口の中に広がる甘く蕩けるような味は、イチゴ味ではなく、もっと甘い別のもの。
目の前の相手の気持ちがふんだんに詰め込められた、思いの結晶でした。
「ふふ、とっても美味しいわ…ってこれは自画自賛になるのかしら?」
「えっと、えっと…」
「ふふ、冗談よ…甘くて蕩けちゃうわ…リク君の思いが沢山込められているんだもの。こんな美味しいのは…初めてよ」
「…うん!」
少年の気持ちが込められたチョコはその味とともにお姉さんの心へと染み渡りました。
優しくて元気な、どこまでも一途な純粋な思い。
世界中のどんなものよりも勝る、かけがえのない幸せの味でした。
蕩けたチョコと同じように、素敵な笑みを浮かべるお姉さんにつられて、少年も嬉しそうな笑みを浮かべます。
ですが、お姉さんの口から出た言葉は、少年が思ってもいなかった言葉でした。
「でもね…今のリク君の気持ちには…お姉さん応えられないかな…」
「…………え?」
「ごめんね…」
「あ…ぁ…」
お姉さんの口から放たれた言葉は、少年の気持ちを拒否する、そんな言葉でした。
お姉さんの笑顔を見て喜んでいた少年にとって、思ってもみなかった言葉でした。
それ故に、少年の顔からは笑顔は消え、動揺と悲しみの表情が浮かんでいました。
薄っすらと浮かぶ涙は、少年の落胆が垣間見みえるようでした。
ですが、お姉さんは優しい笑みを浮かべると、また言葉を紡ぎました。
「…勘違いしちゃ駄目よ?」
「…ヒッグ…ぇ?」
「ふふ…今言った通りよ…"今のリク君"の気持ちには応えられないってこと」
「え?……え?」
「んふふ…そうね、少しリク君には難しかったかもね、くすくす」
そう言いながら、お姉さんはもう1つチョコを手に取ると、自分の口へと運びました。
ゆっくりと味わいながら、口の中でチョコを溶かすように。
「リク君の気持ちは全部私に伝わったよ…そして、私の気持ちもリク君と同じ…リク君のことが大好きよ」
「でも…でも今…ヒッグ…カチュアお姉さん…ボクのこと嫌いって…」
「あら?私がいつリク君のことを嫌いって言ったのかしら?」
「…え?」
「ふふ…言葉じゃ難しいかもね…くすくす」
そう言って笑ったお姉さんは、目の前で泣きそうな少年の首に腕をまわすと、少年に優しくキスをしました。
最初は唇で、そして徐々に舌を使いながら少年の唇を優しく愛撫しました。
初めてのキスに驚きながらも、優しくリードするお姉さんに従うように少年もゆっくりと唇を動かし始めました
舌に残るチョコは少しずつ少年の口へと広がり、甘く蕩けた快感と味に少年は酔いしれます。
チョコよりもずっと甘い、好きという思いに心まで蕩けるような、そんなキスでした。
お姉さんの口の中のチョコがなくなるまで、長く甘い、恋人同士がするような素敵なキスは続きました。
「んっ…んふ、どうかしら?お姉さんの気持ちはちゃんと伝わった?」
「ふぁ…ぅん…」
「ふふ、蕩けちゃったね…♪ 顔も真っ赤にしちゃって。とっても可愛いわ」
「んぅ…カチュアお姉さんも…顔赤いよ…」
「…ふふ、そうね。だって好きな人とこんな素敵なキスが出来たんだもの」
「カチュアお姉さん…」
「でもね…リク君はまだ幼すぎるの」
「……」
「だからね…まだ、まだリク君の気持ちにはお姉さんは応えられないかな」
「ボクは…」
悲しそうな、それでいて戸惑いに暮れた顔を浮かべる少年をお姉さんは優しく抱きしめました。
その言葉はどこまでも優しくて、温かく愛に満ちたものでした。
「だから、いつかまた…リク君が大きくなったらもう一度同じ言葉を聞きたいわ」
「大きくなったら…?」
「そう、私がこうして膝を曲げて…貴方と同じ目線の高さにする必要が無くなるくらいに大きくなったら」
「…そんなの…ずっと、ずっと先になっちゃうよ」
「そうね…でも」
そういうとお姉さんは抱きしめていた少年をそっと離すと、コツリと少年の額に自分の額を触れさせました。
「私は…私は待つよ…貴方がもう一度、同じ思いで…今以上の気持ちを持って…私の元へ来てくれることを」
「カチュアお姉さん…」
「約束するわ。貴方が来てくれるその時まで、ずっと待ってる。だから、いつかまた貴方の思いを聞かせて?」
「…うんっ!」
「…いい返事ね…それじゃあ、約束の指切りげんまん」
そっと差し出したお姉さんの小指に、少年の小指が重なります。
しっかりと絡み合った指は、互いを信じ合い、そして決して破らぬ約束であることを誓うようでした。
そんな二人を、夕日と月明かりが優しく照らしていました。
それからまた、お姉さんの偶に忙しい、のんびりとした日々が流れるようになりました。
「あら?いらっしゃいカリラ。今日は旦那さんへのお土産かしら?くすくす♪」
偶にやってくる親しい友人。
「こんにちは、お久しぶりねお二方…あら?その子はもしかして…そう、琴音ちゃんっていうの…ふふ、二人によく似てるわ♪」
お菓子教室で知り合った夫婦。
「こーたさんお久しぶりね♪ あら、そちらの方は?…まぁ!?ふふ、きっとこーたさんの愛の証ね♪うふふ、羨ましくなっちゃうわ、くすくす♪」
夫の愛を受け華麗な姿へと変貌した元ゾンビの子。
お姉さんのお店には、幾つもの幸せの顔がありました。
そして、それを優しい笑顔で見守るお姉さんの姿がありました。
今日もお店は多くの人が訪れ、そして皆一様に笑顔で帰っていきました。
最後のお客さんを見送ったお姉さんは、お店のドアプレートを「close」に変えるために外へと向かいました。
まだ春には少しだけ早い、冷たい風が吹き抜ける夕刻の中。
ドアプレートをひっくり返したお姉さんが店に戻ろうとしたその時でした。
振り返ると、そこには一人の青年が立っていました。
かつて少年だった、それでいてもう少年と呼べない程に立派に育った風貌の青年でした。
その青年はどこか決意を秘めた表情で、それでいてどこまでも優しい笑みを浮かべていました。
お姉さんもまた、それに負けないほどに優しい笑みを浮かべていました。
「…あの時の約束を守りに来ました」
「…うん」
昔交わした、大切な約束を守るために。
「カチュアお姉さん…いえ、カチュアさん」
その言葉は、あの時と何一つ変わらない、それでいて募る想いはかつてとは比べ物にならないほどに大きく。
「貴方のことが好きです…大好きです!」
沈みかけの太陽と登りかけの月が、二人を優しく照らしていました。
18/03/14 22:30更新 / クヴァロス