連載小説
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第1話 1日目「コレでヌいたら負けかなと思った」
時を遡り、その日の朝。
澄み渡る早朝の街道を、カッポカッポとゆっくりなペースで蹄を鳴らす1台の馬車があった。
「さってと、この調子なら明後日の朝くらいには町に着くか」
幌の張った馬車の手綱を握る青年は、手元の地図と相談しながら一人ごちた。
そしてチラリと幌の隙間から荷物を確認する。荷台にはトマトなどの野菜や材木、蜜蝋などその他諸々の交易物資が乗せてある。
「あとはこの先にある関所を越えればいいんだが……」
地図上の目的地を指で差し、ルートを確認する。その指先は、今青年が進む街道の国を越えた港町の上に置かれている。
それをまじまじと眺め、
「はぁ……正直行きたくねーなぁ」
と嘆息まじりに下を向く。かと思いきや、今度は顔を上げて、
「けど、やるっきゃないか。この仕事が終われば、当分は金に困らないほどの報酬が待ってるんだからな!!」
と自身を鼓舞し始めた。なんとも変わり身の早い男である。
「そうだ。この金さえあれば、歓楽街の女の子とニャンニャンしちゃったり、色々エロエロできる!エロエロ!エロエロッ!!」
しかも、目の前のニンジンがエロスときた。なんとも俗世に塗れまくっている男である。
男が懐からこの一帯の地図を取り出した。
(今の所は怖いくらい順調だ。まだ神様にも見放されてないみたいだ)
地図を眺めて、軽薄そうにニヤリとほくそ笑む。盗賊や事故にも遭わず、天候にも恵まれ、ここまで何ら支障なく来る事ができた。
このまま順調に行けば、エロエロはもう目前だ。
ふと、ニヤニヤと地図を見ていた青年がお祈りをするように胸の前で手を組んだ。
「東の、えーと……ジパングっていう国の神でも、うちの国の神様でもいいから、どうか何も起きませんよーに。このまま仕事成功させて下さい。お願いします。マジで」
私は無神論者です、と公言するような祈りをささげる青年。
敬虔な信徒ならを激怒する事間違いなしのお祈りだったが、しかして青年の願いは真剣そのものだった。
この仕事は絶対に成功させたい。そんな気負いがありありと見て取れるほどだ。
「いやむしろ、頼むならエッチで美人なおねーちゃんが俺の目の前に降って湧いてくる方が……神様!そっちの方もどーか、お願いします!マジで!!」
敬虔な信徒なら最早武器を手にして襲い掛かるレベルのお祈りだったが、悲しい事に青年のこの願いも真剣そのものだった。本当に残念すぎる。前の願いよりも真剣だというのがさらに残念具合を煽っていた。
しかし、どうやら物好きな神様がそんな残念な願いをする青年を気に入ってくれたらしい。もっとも、神は神でも疫病神という名の神様だったが。

ヒュゥゥ……
と、その「音」はどこからともなく、突然聞こえてきた。
いや、突然という訳ではなく、不真面目なお祈りを真面目にやっているために「それ」がすぐ近くに来るまで、気づかなかったのだろう。
後に自分の運命を大きく変える、ある意味奇跡の音に。
ヒュゥゥゥゥゥゥ……
(……ん、なんだ?)
何かが飛来する音に青年が気づいた瞬間、
ドスンッ!!
と、今度は激しい衝撃音と共に馬車の荷台が大きく揺れた。
「うおっ!……どうどうっ、落ち着けっ!……いったいなんなんだよ、落石か?」
衝撃で暴れる馬を御しつつ、青年は辺りを見回す。
「……って、こんな開けた街道で石なんて降ってくる訳ねーか。それより積荷は!?」
音の出が積荷だとようやく思い至った青年は、青い顔をして幌の口にまわる。
(どうか、積荷が無事でありますように、どこかの神様っ!!)
先ほどの不真面目な祈りをしつつ、幌の幕を開く。そして、その祈りはしっかりと聞き届けられた。
無論、疫病神に。
「うわっ……」
引きつった悲鳴が、幌の中に響いた。
幌の中は、床一面に赤い液体がグシャグシャに広がっていた。まるで桶いっぱいの赤い絵の具を零したかのごとしで、無事だった他の荷箱にも赤い飛沫が転々と飛び散り、さながら惨劇の場を彷彿とさせるものがあった。
「な、なんだよ、これ。どうして……」
惨劇の場を目の当たりにして声を震わせる青年。
青年の鼻腔に突き刺さった湧き立つ特有の臭みが、さらにこの場を演出させる。
だが何よりも、もっともこの場をふさわしく演出する「それ」が、ちょうど床の中心部に転がっており、それが青年の恐怖の元凶となっていた。
怯えた青年の視線の先にある物。それは、髪を振り乱して横たわる人間の後頭部だった。
顔は見えないが髪や大きさから、女性のものだと分かる。散らばった髪にもベットリと赤い液体がこびりついていた。
「どうして……人の首なんかがあるってんだよ……」
目の前の現実に呆然とする。だが事態は青年に追いうちをかけるように進行していく。
「うーん……」
「え?」
床の中心に鎮座していた生首が、さながら気絶から目が覚めたかのような呻き声と共に、グラグラと揺れ始めたのだ。
生首が喋るはずがない。ましてや動くはずがない。青年は一瞬、幻覚でも見ているのかと思ったのが、
「痛ったぁ……」
という二言目が、見事にそれを打ち消した。
淡い幻想を打ち消され、目の前の状況が青年に現実を咀嚼させる。
そして目の前の生首は喋っている、そう認識した瞬間、
「うっ、うひゃぁぁぁっ!」
青年の口から叫び声が漏れ出ていた。
その声が呼び水となったのか、生首は後頭部の青年に気づき、声をかけた。
「あ、ちょうどよかった。ちょっと、ウソ、なんで人間がいるのよ!?」
「う、うわ、な、生首が喋った!!」
突然の指名に、さらに驚く青年。
「な、生首とは何よ!生首とは」
その青年に食って掛かる生首。
「え、じゃあ死んでるのか?」
「しっかりと生きてるわよ!……まぁアンデッド族だけど」
「それ、生きてるって言うのか……?」
「……うーん、微妙ね。ってあーもうっ、細かい事はいいから、さっさと私を助け起こしなさいよ!」
いささかズレた問答する二人だったが、痺れを切らした生首、問答を遮って大声一喝。
「あ、ああ……」
あまりの奇異な状況に、すっかり毒気を抜かれた青年は言われるがまま、おそるおそる生首を持ち上げた。
「……」
「……」
見つめ合う二人。いや、赤い液体塗れの生首を持ってガン見する男が一人。
ロマンティックなムードなど一片もない。というかドン引きせざるを得ない。
「あ……」
「なによ?」
ジロリ、と刺すような視線を向ける生首。首だけのくせに妙に居丈高で威厳のある彼女に向かって、青年は尋ねた。
「あーその、お前は……」
「お前?」
ジロリ、から、ギロリへとクラスチェンジ。
「あ、いや、すんません……マジすんません。あのーそれで、あなたは……なんです?誰とかじゃなくて、なんです?」
この青年はアホなのだろうか?いや、度胸があるというのか。とにかく青年は、不躾とかのレベルをはるか斜め上に行った質問を繰り出したのだった。

これが、何でも屋の青年、レイと生首―デュラハン、ヴァネッサの奇妙な邂逅の始まりだった。


− − − − −


「私の名前はヴァネッサ。魔界でも勇猛果敢でその名を馳せる種族、デュラハンよ」
青年の不躾な質問に対し、罵詈雑言をぶちかまし後に、生首ことヴァネッサは仰々しい口調で名乗り上げた。
「俺はレイ。行商やら何やらを色々やってる」
その様に気圧されつつ、幌の中の箱に置かれたヴァネッサに青年―レイも名乗る。
「それにしてもデュラハン……首無し騎士か、道理で首だけで会話ができるわけだ」
「そう、とりあえずは納得したようね」
まるで「ようやく理解したかバカめ」と言わんばかりの口調で生首もといヴァネッサが言う。
「まあ、一応は」
それに対し、レイは「慌てたぐらいでなぜここまで見下されなきゃならんのだ」という面持ちで頷く。そんな不承不承なレイを前に、ヴァネッサはにんまり笑うと、
「そう、わかったらまず、私の髪の毛を綺麗にしてもらえる?」
鷹揚に言い放った。
「は……?」
「なにをアホ面かましてるの?髪がこうも汚れては話もできないわ」
「おいおい、ちょっと待てよ!」
最早命令と言ってもいい口調のヴァネッサに、たまらずに制する。
「ん?私の言うことが聞けないの?」
再び、ギロリと視線が飛ぶ。しかしその眼光をレイは気丈にも跳ね返し、逆に睨み返した。先ほどは気圧されてしまったが、このまま主導権を取られる訳にはいかない。
「髪の毛を拭く前に、まず聞きたい事がある」
「う……な、なによ」
「どうして俺の馬車なんかに突っ込んできたんだ?しかも、首だけで。いったいなにがあったんだ?」
「え、いや、その……」
矢継ぎ早に出される質問を前に、いきなりしどろもどろになるヴァネッサ。
(こりゃあ、なにかあるな)
尊大な態度が見る影もなく萎んでいくその姿に、何か引っかかる物を感じたレイはさらに畳み掛けた。
「それに首があるなら、胴体もあるはずだろう?胴体はどうしたんだ」
「……!!」
ピクリと、一瞬だが目尻に動揺が浮んだ。
「も、もちろんよっ!胴体なら、近くにいるわよ!もうすぐ……回収に来るはずよ」
慌てて言い繕うが、逆にそれがもっとも触れて欲しくない話題だと雄弁に語っていた。
「……」
「……」
両者、沈黙する。しかし、両者の間には大きな差があった。
一方は沈黙「している」のに対し、もう一方は沈黙「してしまって」いる。
その沈黙破ったのは、やはり「している」方だった。もう一度、沈黙のきっかけを投げかける。
「……胴体は近くにいないのか?」
「ち、ちがっ……!」
反射的にヴァネッサは否定の言葉を発する。だがしかし今度は明確に目尻が震えていた。
確信を込めて、語気を強め、レイは王手をかけた。
「……おい、お前」
「……っ!」
二人称が「お前」に切り替わった。明確に両者の立場が示された言葉と、その視線がヴァネッサを身構えさせた。構える体はないが。
「正直に言え……胴体は近くにいないんだろ?」
「……」
「……」
両者、再び沈黙する。しかし、両者の間には明らかな勝敗があった。そして暫くの逡巡のあと、ヴァネッサが折れた。
「……ああ、もうっ。そうよ、確かに、胴体は近くにいないわよっ!!」
見透かされたと悟るなり、投げやりに肯定する。
「ふんっ……どうせ人間に捕まってしまった時から私の運命は決まっていたのよ。煮るなり焼くなり好きにしなさいっ!」
好きにしろと言っている割には、まるで殺してやると言わんばかりの、敗者らしからぬ視線を向ける。
「……ああ、そうかい」
その視線を受け止めると、レイは傍らにあった道具袋に手を入れる。思わず刃でも取り出すのかと思いきや、
「え?」
袋から出てきたのは手ぬぐいであった。
キョトンといった面持ちで手ぬぐいを見つめるヴァネッサに、
「なにアホ面かましてるんだ?とりあえずは、髪を拭くぞ。こうも汚れちゃ話もできないんだろ」
先刻言われたセリフでレイはそっくり返したのだった。


− − − − −


「まったく、散々だわ……こら、髪の毛はもっと優しく拭きなさいよ」
「生首に荷物ぶっ壊された上に、こうやってその生首を綺麗に拭いてあげてる俺に向かって言うセリフがそれか……」
「ごちゃごちゃうるさいわね……ほら、まだ前髪の方がトマトの匂いがするわ。早く拭いてよ」
「はいはい……」
急かされた青年、レイは抱えたヴァネッサの前髪をかき上げた。
「うおっ、本当だ。まだこんなにトマトがついてる。……まぁ、トマトの籠に突っ込んできたんだから、しょうがねえと言えばしょうがねえんだが」
「そのトマトを、血と勘違いして悲鳴あげたのはどこのどいつよ。そんな事よりも無駄口はいいから、さっさとしなさい」
前髪にベットリと付着したトマトの汁に目を見張るレイに、忌々しげに命令するヴァネッサ。
(……ったく、体がないのにどんだけ居丈高なんだよ、この首は)
丁寧に拭って、さらに貴重な水で洗い流しているというのにもかかわらずこの言動に、布で拭いていたレイの眉間に皺が寄った。流石にこれは水に流せなかったようだ。
「って痛い痛い痛い!」
無言でグイグイ荒っぽく拭うと、今度はヴァネッサが悲鳴をあげる。
「ちょっと、優しくって言ったでしょう!」
ギロリにクラスチェンジした視線で射抜き、文句を言う。
「……(ガン無視)」
が、視線の先の当人はというと涼しい顔で髪を拭い続けている。
「こ、こら、無視してるんじゃないわよっ!」
「……(超ガン無視)」
「こらぁーっ!」
街道中に響き渡りそうな声で叫んだところで、ようやくレイが口を開く。
「……おいおい、無駄口禁止なんじゃないのか?ま、すまんすまん。早くって言ったから、つい力んで……」
「なにが、つい、よ。ふんっ、さっきとはえらい態度の違いようね。さっきまではなんだかんだで低姿勢だったのに」
「そりゃ、間抜けだとわかったら、な」
「だ、誰が間抜けよ!」
「お前だよ、おーまーえ。胴体と離れ離れになってしまった、魔界でも勇猛果敢でその名を馳せるデュラハン、ヴァネッサさんの事だよ」
「ぐっ……これは、その仕方なくて……」
イヤミに事実を突きつけられ、口ごもるヴァネッサ。
「へぇー。仕方ないって?そんじゃあ聞かせてもらおうじゃねえか。胴体と離れ離れになったわけをよ。さぞかし、仕方ない理由なんだろうな、え?」
「ど、どうしてそんな事言わなきゃならな……」
「さてと、投げるのにちょうどいいトマトがまだあったな」
「……事の始まりは、あいつらのだまし討ちだったわ」
あっさりと脅しに屈する魔界でも勇猛果敢でその名を馳せるデュラハン。名乗り上げた時は生首でも確かな凛々しさとか威厳とかカッコよさがあったというのに、今でももうまったく感じられない。今まさにパワーバランスが明確に示されてしまった瞬間だった。
(弱っ!うわー、こいつチョロいわー)
あっさりと屈したヴァネッサに内心ほくそ笑みながら、
「だまし討ち?いったい誰にやられたんだよ?」
オウム返しで聞き返した。
「あいつら……隣の国の奴らよ」
その時の事を思い出したらしく、ヴァネッサは忌々しげな表情で顛末を語った。


隣の国(今レイ達がいる地点からの)は、魔物排斥運動が盛んな事で有名な国だった。今でも時折、自国内の騎士団を主力として魔物と戦火を交えている。
そんな中、つい先日隣国内にある魔物達の拠点となる集落に、騎士団から不可侵条約を結びたいという申し入れがあった。
相次ぐ戦いに国力が疲弊し、戦線を縮小したいというのが理由だった。対する物量で劣る魔物側もほぼ同じ理由により、これを受け入れる事となる。今回の戦況は魔物優勢だったという事もあり隣国側が捕虜を連れて赴くという形で、集落がある山麓に締結の場が設けられた。
しかし、それは隣国の謀略だった。締結の場を利用し、隣国を奇襲をかけてきたのだ。
突然の事態に防戦一方となった魔物達は、集落の一角まで遁走する他なかった。そこには魔界へとつながっている魔法陣が敷かれており、魔物側代表の貴族(魔物側にも貴族という概念があるらしい)の護衛としてその場に居合わせていたヴァネッサは、負傷した魔物(とその夫である人間)達を避難させるため殿軍として時間稼ぎをする事となる。
多勢に無勢ではあったものの、ヴァネッサ達はよく奮闘しあらかたの魔物達は魔方陣により避難させる事ができた。
魔方陣がある部屋を隠し、そしていざ自分もと魔方陣に乗ろうとした際に、それは起きてしまった。
殿軍の疲労でヘロヘロだったヴァネッサは、段差でこけたのだ。
デュラハンの首は外れやすい。僅かな衝撃でも外れてしまう。
盛大にすっころんだヴァネッサは、胴体と分離。そして首だけが魔方陣へと転がっていったのだった……。


「気づいた時には、私は空の上にいたわ」
「そして生首の終着点が、トマトの籠だったってわけか」
「そういう事……もっとも、やわらかい幌じゃなくて、地面だったら終着点は死だったけどね。さぁ……これが全てよ」
自嘲気味に口端を歪め、生首にジョブチェンジした顛末を締めくくった。
それに対しレイの反応は、
「……ぅゎ」
なんだが残念な子供を見るような目で返してしまった。
「あ、今、うわっ、ダサッとか言ったでしょ!何よ、確かに油断はいていたけど、まさかこんな事になるなんて思わないじゃない!!」
その視線にヴァネッサが再び言い訳がましく喚く。
「いや、ダサッ、は言ってないけどよ。うん、なんというか、間抜けだわ」
「ほとんど同じじゃない!!」
「ていうかそれ以前に、なんで空の上なんだよ。その魔方……陣?ってやつは魔界へつながってるんだろ?」
「……転んだ拍子に持っていた剣も飛んで……剣先で魔方陣傷つけちゃって、その、誤作動を……」
「…………うわぁ」
「またうわって言ったっ!しかもさっきより大きい声で!!」
「ああ、言ったさ。でも、これは言わざるを得ない。正直、ねーよ。確かに、こりゃ大層な理由だ。言いたくねー訳だ」
そしてとうとう、トドメのダメ出しを突きつけた。
「うぐっ……」
そのトドメが、『きゅうしょにあたった!こうかはばつぐんだ!』とテロップが流れそうになるほどヴァネッサに突き刺さった。
苦虫を噛み潰したかのような表情で、怒りに震えている。
散々コケにされて洗いざらい吐いた結果、「正直、ねーよ」という言葉は確かに精神的にキツイだろう。
だがしかし、いつまでも震えてはいられないと思ったのか、ヴァネッサはレイを見上た。
「レイ」
先ほどまでの憤怒が消え失せ、決死の表情で目の前の男を見据える。
「……恥を忍んで、あなたにお願いがあるの」
「忍ぶも何も、もう充分に恥かきまくりだがな。で、なんだよ?」
この発言にヴァネッサのこめかみが震えたが、なんとかそれを抑える。いじられ続け、流石に我慢を覚えたようだった。
「私の胴体を、捜して欲しいの!ここであなたに見捨てられたら、私の身の破滅よ!」
「破滅すんのは身だけじゃなく頭もだけどな」
しかし、その我慢を知ってか知らずか(多分知っているのだろうが)、レイも露骨に責めてくるようになった。
「くっ……!いちいち、揚げ足を取らないでくれる……?」
「足ねぇ……ぷぷっ」
「このっ……言葉尻を捉えてネチネチと……」
「尻?」
「…………がぁぁぁぁぁぁっ!!!」
そして、レイが下卑た笑みを浮かべた瞬間、とうとうヴァネッサがキレた。急ごしらえの我慢では荷が重すぎたようだった。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!!」
怒りのあまり最早人語すら言えず発狂している。怨霊か何かと見間違えてもおかしくないような光景に、収拾がつくまでに倍の10分を要した。
レイは喚きまくっていたヴァネッサの息が整うのを待ち、口を開いた。
「とまぁ、お遊びはここまでにしといてっと」
「……!!あ……そ……な……じゃ……」
ヴァネッサが掠れた声で、何事かを漏らす。恐らく『遊んでんじゃないわよっ』とツッコミたかったのだろうが、叫びすぎて息が追いついていない。
レイはその掠れたツッコミを見事にスルーし、そして真顔になってヴァネッサに非情の言葉を言い放った。
「ヴァネッサ。悪いが、その依頼を受けるわけにはいかねえ」
「な、なんでよっ!?」
ようやく回復したヴァネッサが、食って掛かった。
「俺は今、仕事の真っ最中なんだ。正直、お前の面倒まで見切れなねえよ」
「も、もちろんタダじゃないわ。今は持ち合わせがないけど、体が元通りになったら、たっぷりと報酬を……」
「その、体が元通りってのが難しいんだろ。話を聞く限り、お前の胴体は隣国側にあるんだろう。隣国へ行くには今から向かう関所を越えなきゃならねえんだ。関所の周りは切り立った山だらけだしな。で、魔物のお前を持ってあの関所を越えるってのは正直、難しい。流石にそこまでしてやる義理は、ない」
軽薄そうな顔とは裏腹に、理路整然と淡々にレイは述べていく。
この男の言うとおりだった。
魔物に厳しい対応を取る隣国で、魔物と接触している事が露見すればそれは破滅を意味する。ましてや魔物を密入国させようというなどいう事がバレてしまったら、待っているのは縛り首か断頭台だ。
冷たいように思えるが、人生終了の爆弾を持ち運ぶというのは相当に難しい依頼である。首を横に振る方が当たり前なのだ。
「……」
唇を噛み締めながらヴァネッサはそれを聞いていた。
「ま、そういう訳だ。諦めてくれ」
「あ……」
なにかを言いかけて、ヴァネッサはまた口を閉ざした。なにかを言おうとして、そしてなにを言っていいのかわからなかったのだ。
必死になって頭を回転させるも、レイの考えを覆す言葉は浮かんでこなかった。
ここまでか、と脳裏に絶望がよぎったその時だった。
「……とまぁ、冗談はここまでにしといてっと」
先ほどと同じような口調で、先ほどと同じようなセリフをレイは言った。
「……え?」
「お前の胴体、捜してやるよ」
「……ええっ!?」
「なんだよ。捜してって言ったのはお前だろ?」
「そうだけど……その……いいの?」
いきなりの申し出に、戸惑いと疑惑が混じった視線を向けて訝しむヴァネッサ。
確かに、あれだけの説明をされた後に急に首を縦に振る理由がわからない。善意や慈悲の心を、目の前の軽薄そうな男が持ち合わせているとは思えなかった。
それを察してか、レイはすぐに解答を出した。
「安心しろ。善意とか、情けとかじゃねえよ。強いて言えば、魔が差したってやつ?最近退屈だったし、まぁいいかなってね?」
「……そんな事言って、まさか私をあいつらに差し出すつもりじゃないでしょうね?」
「疑り深いな……。ま、そう思いたければそう思ったっていいんだぜ。今のお前に出来る事っていえば『思う』だけだしな」
懐疑的な視線を、レイは一笑に付した。どの道今のヴァネッサは、レイに従うしか選択肢はないのだ。
「……わかったわ。とにかく、私の体を捜してくれるならそれだけでも十分よ」
「よーし。じゃ、これからよろしくな」
「……ええ。その……よろしく」
途切れ途切れではあるが、しっかりとヴァネッサが、レイに返事をした。
両者の間(正確にはほとんどヴァネッサ一方)に流れる空気が少し軟化していく。
しかしそれも一瞬の事だった。
懲りないというか遊んでいるのか、スッとレイは手を差し出して、両者に流れている軟化した空気をぶち壊した。
「……なに?」
その手とニヤつく顔を交互に睨みつけて、ヴァネッサはわかりきった事を訊ねる。
「何って、友好の握手に決まってるだろ。……ってああ、そうかぁ!!握手したくても体がないから出来ないよなっ。いやぁ、めんごめんご」
最後までからかいまくるレイであった。
その後発狂した生首を鎮めるのに、さらに倍の20分を要した。


− − − − −


「さてと、まずは色々聞いておこうか」
発狂した生首が再び人語を話すまでに理性を取り戻し、レイは話を切り出した。
「……なにを?」
先ほどの一件からか、未だに態度と声を硬化したヴァネッサが睨め付ける。
「もちろん、胴体についてだ。とりあえず、質問に答えてくれ。あ、仕事に必要な事なんだから、ウソは吐くんじゃねえぞ」
「……わかってるわよ。ただし、変な質問には答えないからそのつもりで」
「はいはい……わかりましたっと」
一方はニヤつく顔を隠しもせず楽しそうに、もう一方はまなじりを吊り上げて素っ気無くお互いに釘を刺すという、険悪な質疑応答が始まった。
「じゃあそうだな……まずは胴体はどこにいるのか、わからないのか?心当たりとかは?」
「恐らくあの集落から移動は出来ていないはずよ。……魔方陣の部屋で取り残されているから。近くにいれば胴体の感覚が伝わってくるから、集落まで行けばわかるはずよ」
「移動って、胴体だけでも動けるのか!?」
「ええ。本来は頭を腕で抱えて移動するくらいだし」
「マジかよ……まぁどうせ集落には隣国の兵士が駐屯しているだろうから、移動しても捕まるだけだろうし。つーか、そうなったら確実に詰みだな」
「そうね。力尽きて倒れているかもしれないわ。むしろそっちの方が確率としては高いかも」
「行き倒れる?魔物でも、そういうのはあるのか?」
「もちろんあるわ。魔物でも食料はいるのよ。動けばお腹も空くし、食べなければ倒れるわ」
「なるほどね……じゃあ、お前らデュラハンは普段なにを食べてるんだ?」
その問われた途端、ヴァネッサが慌てだした。
「え、いや……その……あなた達人間と、一緒よ」
(……こいつ、ウソ吐くのド下手くそだな)
レイは見抜いていたが、ここで騒がれても時間の浪費に繋がると判断し無視しておく事にする。
「そうか、わかった。だが、こりゃ思っていたよりも相当難儀しそうだな。ったく、この生首がポカやらかさなきゃ、今頃は関所についていたはずなのに……」
「わ、悪かったわね……」
「まぁ、過ぎた事はしょうがねえ」
軽い口調でそう言うとレイは、
「さてこれが最後の質問だ」
打って変わって、真剣な口調に切り替わった。
「……なにかしら?」
その口調に、この質問が相当重要な項目であると察し、同じく真剣な口調でそれを待つ。
「お前の胴体の……」
「私の胴体の……?」
「……スリーサイズはいくつなんだ?」
一瞬の間。
「はぁ?あなた、何を言ってるのよ!?」
「おいおい、外見は非常に重要な情報だろうが。それにあくまでついでだが、俺のヤル気がまったく違ってくるし」
あくまで情報収集です、と言い張るレイであるが、明らかに後者の方が本音である事に間違いない。
「バカじゃないの、そんなの、言えるわけないじゃなのっ!それ以前に首がない胴体っていう丸わかりの特徴があるでしょう!!あと、変な質問には答えないって言ったでしょーがっ!!」
一瞬でも真剣になった自分に怒りを覚えながら、ヴァネッサはすっかり十八番になった怒鳴りツッコミを入れまくる。
それに対し、レイも十八番の涼しい顔。
「そうか、ならここでお別れだ。野犬が来る前にイイ人に拾ってもらえるように祈るんだな」
絶対的優位から来る笑みで、脅しをかける。これを引き合いに出されては、ヴァネッサに勝機はない。
「くっ……じゃあ、胸だけでいい?」
歯噛みをし、せめてもと妥協案を出すのが精一杯であった。
「……まぁ、いいだろう。それで勘弁してやろうじゃねえか」
まるで借金取りのチンピラが言うようなセリフでその要求を呑んだ。
「胴体取り戻したら覚えてなさいよ……」
逡巡したのち、ヴァネッサはボソリと爆弾発言を投下した。
「……私の胴体の胸は、100センチは越えてるわ」
再び一瞬の間。
「……マジで?」
衝撃の爆弾発言、もとい爆乳発言に、勝者の笑みも剥がれて呆気に取られるレイ。
「事実よ。正確に測った事はないけど、100センチは越えてるわ」
キッパリと言い放つヴァネッサ。どうやら苦し紛れのウソではなさそうだった。
「キ……キター!!おっきなおっぱいキター!!」
そう悟った瞬間、レイが下半身丸出しの咆哮を放つ。
「マジかよマジかよ。こんなへんちくりんな生首だから一口トマトサイズあれば恩の字だと思ってたのに、100センチ!スウィートなメロンですよ、あなた!!うおおおっ、み な ぎ っ て き た!!!!」
かなり失礼な事を叫びながら、ガッツポーズを決めた。
「うゎ……」
そのあまりの興奮ぶりに怒る事も忘れてヴァネッサがドン引きしている。そして爆弾発言が起爆剤になっている助平な男を尻目に、
「本当にこいつに任せて大丈夫なのかしら……」
と改めて嘆息するのだった。
とにかく、こうして人間一人と生首一つは街道のど真ん中で「はぐれた胴体を探す」という依頼を契約したのだった。


− − − − −


ヴァネッサの話を聞き、目的地を集落と決めた二人は街道を進んでいた。
「もう少し早く進めないの?」
「無理だな。荷物もあるし、これ以上は馬を潰しちまう」
「ちっ、使えないわね……」
「もっとも、お前を捨てれば、速度も少しは上がるかもしれねぇがな」
「……わかったわよ。だとしても、急いでよね」
「はいはい……」
文句を言う生首に急かされ、ほんの少しだけ馬車の速度を上げると、レイはチラリと視線を移す。
隣で鎮座ましましていた女の生首が、口をへの字にしてまっすぐと街道を見据えていた。
(にしてもキレイ……だよなぁ、こいつ)
ガタガタと馬車の振動で時折揺れる、肩口まで(その肩がないが)伸びた髪。
すっきりとした鼻梁に、切れ長の目。
確かに、傍から見れば騎士然とした凛々しい美人、と言っても過言ではなかった。ぶっちゃけレイ好みのど真ん中に的中していた。
(だが、まぁ……)
視線をもう少しだけ下げると、使い込まれた御者台と黒と、白い首の境目が見事な濃淡を浮かび上がらせていた。
まさに「顔」だけしかないヴァネッサに、
(本当に顔だけ、なんだがな。これで人間だったら……)
と思う矢先の事だった。
自分が進む街道の先で、小さな点が浮かんできたのだ。
「ん……?」
その点は次第に大きくなり、なおかつ後方から土煙を上げている。それが対向してくる馬車だと察知した瞬間、
「やべっ」
「ぎえっ!」
隣にいた生首の髪を鷲掴み、幌の中へと素早く入れた。
「痛いわね!あなたいきなりなに……」
すかさず怒声が飛んでくるが緊迫した口調でレイが制す。
「いいから黙ってろ。前から人が来た。絶対声出すんじゃねえぞ」
「……それって騎士団?」
人が来た、という事でヴァネッサにも緊張が走る。若干声も震えていた。
「……恐らくはな。油断するなよ」
「……ええ」
そう応じるとヴァネッサは荷台の中で息を殺し、レイは平静さを装って手綱を握り締めた。
やがて相手方の馬車がゆっくりと近づいてくる。
(頼むからなにも起きないでくれよ……)
固唾を呑むレイをよそに、とうとう馬車の御者の顔が見えるほどまでの距離になった。
相手の御者と視線が合い、レイも手を上げて挨拶を交わした。
どうやら相手も不審がる様子もなく、そのまますれ違い、そして去っていった。
「ふぅ……おい、もういいぞ」
周りに誰もいないのを確認し、幌の中で硬直しているヴァネッサを呼ぶ。
「おーい、ヴァネッサ」
「……聞こえてるわよ」
幌の中を覗くと、射抜くような目で睨みつけているヴァネッサが転がっていた。
「まったく、随分と乱暴な男ね。あなたは」
「あー悪かったよ」
「確かに、あの対処はわかるわ。でもいきなり髪掴むのはやめてくれる?」
「悪い悪い。掴みやすかったから、ついな」
「あなたねぇっ!」
憤懣やるかたない様子で唸る生首。
(まったく、どうにか機嫌を取らねえとうるさくてかなわねえな。とりあえず物で釣ってみるか?なんか荷物で使えそうなのは……あーあれ使うか)
未だに唸る生首に、レイは幌の荷物にあった物を取り、差し出した。
「だーかーら悪かったって言ってるだろう。ほれ」
「……なによ、コレ」
「なにって、干し肉。これで機嫌直せよ」
「……」
キョトンと一瞬目を丸くしたヴァネッサだったが、すぐにその眼光の鋭さを増して睨みつけた。
「あれ、もしかしていらない?」
「あなた、バカ?どうして私が肉をもらって喜ぶと思ってるのよ?」
「いや、なんとなく」
「女のプレゼントに肉とか信じられないわ。あなたバカなの?バカでもマシな物寄こすわよ!!」
「はぁ?せっかくのプレゼントに、なんだよその態度は」
「だったらもっとマシな物を出してみなさいよ!行商ならそれくらい余裕でしょっ!」
「ちっ、しょーがねーな、ちょっと待ってろ!」
ぎゃあぎゃあと売り言葉に買い言葉を重ね、レイは幌の中に引っ込んでいくと、すぐに戻りそれを突き出した。
「ほら、これならどうよ」
「はっ、バカのあなたが出す物なんてしょせ……ん……」
「どうよ、髪の毛が地面まで垂れてるお前にピッタリだろう」
得意げに語るレイの手の内に納められている物、それは樫で作られたコーム(髪留め用の櫛)だった。
しかも柄の部位には花の紋様が掘り込まれており意匠も凝っている。
意外にまともなそうな物だったので、ヴァネッサは目を見張る。確かにレイの言う通り、肩口まで伸びたヴァネッサの髪は生首のままだと地面についてしまっていた。すでに毛先が痛み始めているヴァネッサにとって、かなり有用な物だと言えるだろう。
(うわーこいつすげぇ物欲しそうな顔してやがる。わかりやすー)
これなら欲しがるだろうと予想はしていたが、それ以上の反応を見せるヴァネッサにレイは内心ほくそ笑んだ。
「……」
「なんだよ、これもいらないのか?じゃあしまうぞ」
未だ硬直している生首に向かって意地悪く再び幌の中へと入ろうとすると、慌てた声が飛んできた。
「ちょっ!そうは言ってないでしょ。まぁ……あなたにしてはマシだからちょっと驚いていただけよ」
「ほーせっかく持ってきたってのにそういう態度か。やらねぇぞ」
「ちっ……わかったわよ、あなたがまともなプレゼントも渡せるって認めるから、早くそれつけてよ」
「……態度は及第点以下だが、まぁいい。それじゃつけるぞ」
後ろ髪に手を差し入れ掻き上げると、ほっそりとした白いうなじがあらわになった。
透き通るような肌からは微かな色香が放っていた。
(あ、やべ。意外とエロい)
極力その色香に反応しないように注意し、髪をまとめてコームを差して留める。
「ほれ……できた」
「あ、ありがと。まぁ……いいんじゃないかしら」
「そりゃどうも。作った俺としても評価をもらえてなによりだ」
作った、という言葉にヴァネッサが反応した。
「え?コレあなたが作ったの?」
「ああ。昔から手先は器用でな。こうやってアクセサリを作って、売ったりもしてんだよ」
事もなげに言うレイに、
「へ、へぇ……まぁあなたみたいな男にも特技の一つはあるみたいね」
と憎まれ口を叩いた。
(こいつも素直じゃねーな)
口を尖らせつつも顔を赤らめて礼を述べるヴァネッサを見て、レイもうなじで乱された調子を取り戻した。
「……うん、これでより掴みやすくなったな」
「っ!」
「はっ、冗談だって」
「あなたねえ……!!」
「さーてと、少し飛ばすぞー」
「え、ちょっと待って。これ凄く揺れ……きゃあああっ!!」
再び騒ごうとするヴァネッサに、馬にムチを入れるのだった。


− − − − −


「ちょっとちょっと、どこに行くのよ?」
レイの馬車が街道から外れたのを不審に思ったヴァネッサが声を上げたのは、日が傾こうとしている夕方の事だった。
(明らかに街道から外れているし……まさかこいつ迷って……)
「街道からちょっと外れたところにある雑木林だ。別に迷ったわけじゃねーから安心しろ。今日はそこで夜を明かすんだよ」
なんともない口調でレイが質問に答える。
「夜を明かすって、なんでそんなところで野営する必要があるのよ?一刻も早く関所を越えないといけないんだから、もっと近くですればいいじゃない」
「あのな、商人は俺だけじゃねーんだ。関所近くで野営すれば、他の商人達の人目につくだろう。だからワザワザこんな人目のつかない場所まで来たんだよ。この付近には盗賊もいないらしいしな」
「で、でも、今なら急げば今日中に関所に着くんじゃない?」
「確かにそうだが、もう一つ理由があるんだよ」
「理由?」
「ああ。関所っていうのは、市場の仕入れの関係で朝が一番混雑するだ。混雑すればその分関所の検閲もおざなりなる。だから朝イチの混雑し始めたあたりに関所に着くように、ここで時間を調節するんだよ。関所のまん前で時間潰すわけにもいかねーしな」
文句があるのか、と言いたげな口調で淡々と述べるレイ。
「わかったら文句言うなよ」
「……わかったわよ」
ここまで言われれば関所の詳細を知らないヴァネッサはただ黙るしかなかった。
(なによ、ちゃんと考えるてるじゃない。ふん……スケベのくせに)
かくしてあたりが薄暗くなる頃には、二人は件の雑木林に到着する。
「さてと、まずは火だな……」
着くや否やレイがテキパキと野営の準備を進めていく。その様子を、場所の荷台から眺めていたヴァネッサが言った。
「随分と手馴れているのね」
「そりゃ今まで一人旅だったからな。これぐらいは出来るさ」
「一人旅って、家族は?」
家族、という言葉に火をおこすレイの肩が細かく震えた。
(え……?)
「……ガキの頃にあっさり逝っちまった。それ以来、天涯孤独の身でございますっと。お、点いた」
煙が立ち始めた焚き火を注視しつつレイが言う。その返しに、聞いたヴァネッサの方が戸惑ってしまった。
「あ……ごめ」
「いいって、気にすんな。それよりメシだ、メシ」
謝罪を制し、レイがヴァネッサの前に球状の物体を差し出した。
「なに、これ?」
「杏の砂糖付けを干した物だ。食べな」
差し出しれた干し杏を前に、ヴァネッサは怒りの眼差しを向ける。
「……また体のない私をからかうつもり?もしかしてさっきの仕返し?」
「ちげーよ。これはマジだ」
その眼差しを真っ向から受け止めつつ、レイが否定する。
「お前、胴体と分離してからなにも口にしてないだろ。栄養くらい取っとけよ」
確かに胴体と分離して、そのままレイの馬車に落ちたのだからなにも食べてはいなかった。
「でも……」
「なんだよ、魔物は杏は食えねえのかよ?」
「別に、そういう訳じゃないけど……それに」
いったいどうやって食べるの、と言いかけてヴァネッサは口をつぐんだ。
「ほれ、あーん」
レイは干し杏を、さながら犬にエサをやるようにフルフルと目の前で揺らす事で、ヴァネッサの質問に答えた。
「…………」
しかし、ヴァネッサはそれに応えなかった。男に「あーん」攻撃をされるというこのシチュエーションは、気位の高いヴァネッサには恥ずかし過ぎた。
(い、い、いくらなんでもこれは、恥ずかし過ぎるわ……)
「恥ずかしがってんじゃねーよ、ほれほれ」
だがそれを見咎めるようにズイッと、さらに干し杏を突き出してきた。レイとしても譲る気はないらしい。
「栄養補給は必要だろーが。さっさと食え」
栄養補給という名目を持ち出し、鼻先を掠めるほどにさらに突き出した。
「…………………くっ。……あ、あーん」
いくばくかの間を経て観念したのか、そろそろとヴァネッサが口を開けた。
「よーし、よしよし」
「はやくいへなはいよ!!」
レイが嬉しそうに笑うのを尻目に、ヴァネッサが口を開けたまま睨みつける。
苦笑するレイがそっと舌の上に乗せ、パクッと口が閉じる。
「よし、飲み込むなよ、喉から下はないんだからな。舌の下に入れとくんだ」
「…………あむ」
ヴァネッサは頷くと、口をモゴモゴと動かし、干し杏を舌下に鎮座させる。
舌下に収まった干し杏は唾液と引き換えに甘辛い液体を吐出する。杏の酸味と砂糖の焼け付く様な甘味が、朝から何も口にしていないヴァネッサの口中に、急速に染み渡っていく。
(あ、これ美味しい……)
「そうだ。そのまま染み出した砂糖を、口の粘膜全体で味わうんだ」
「……う、む」
言われるまま、分泌されてきた甘露交じりの唾液を舌で口の中に塗り広げ始める。
それはたった一粒の小さな干しの実だったが、空腹が満ち足りていく感覚をヴァネッサにもたらした。もちろん、今は胴体がないので満腹感を得る訳がない。
(凄いわ……なによこれ、美味しいじゃないのよ……っ!)
だがヴァネッサはこの感覚を夢中で味わった。波乱続きで忘れかけていた飢餓感が、今になって悲鳴を上げていたのだ。
足りない。もっと欲しい。
飢餓感がさらに悲鳴を上げた。
その悲鳴に従い、飴玉を転がす要領で干し杏を舌先で弄んだ。
酸味と甘味が干し杏から出る。それを舌で塗り広げる。その単純動作を、熱心に、執拗に繰り返す。レイの視線の存在すら念頭から外れるほどに。
「……れぇる」
舌先が頬の内を巡る。グチュリという音がした
「……んむっ」
舌下の唾液を啜る。ズズズという音が響く。舌を蠢かすたびに、口の中にたまった唾液が粘着音を漏らした。
干し杏に夢中で気がついていないようだが、ぶっちゃけ今のヴァネッサは相当にエロかった。
「……ごくっ」
その痴態とも言ってもさしつかえないヴァネッサの様子に、レイは自然と生唾を飲み込んだ。
当のヴァネッサはレイの視線に構うことなく、より淫らな音を立てて干し杏を味わっていく。
「じゅるるるるっ」
もっとだ、もっと欲しい。いくら啜っても満たされない。満たしたいのに満たされない。
強くなる飢餓感の悲鳴に、突き動かされるように呟く。
「……コレ……もっと……」
啜りながら、ヴァネッサの本能が、渇望がよだれと共に口からも漏れ始めた。
「コレ」ではいくら満たそうとしても足りない。もっと「なにか」違うモノが―。
「も、もう一個欲しい……のか?」
そのただならぬ様子に、レイが恐る恐る聞く。
もっと違うモノが―。
「ほひ(し)ぃ……」
「よ、よし。わかった。ほら」
レイは袋から干し杏をい取り出し、先ほどと同じようにヴァネッサの舌に入れようとした。
ヴァネッサの眼前に干し杏と、「違うモノ」が差し出された。
それを見た瞬間、ヴァネッサは、
「……ぱくっ」
「うおっ!?」
レイの指ごと口に含んでいた。
「ちょ、おまっ、おいおいおいおいおい!」
「じゅるるるっ、れるっ。じゅるるるるっ!!」
驚きの声を上げるレイをガン無視し、干し杏以上に啜りたてる。
干し杏と、レイの指先の泥と汗、樹木の苦味、そして人間の雄が混ざり合った味が瞬く間に広がった。決して美味とは言いがたい雑味なはずだったが、さっきまで含んでいた干し杏よりも数段に甘露だった。
(美味しい!このちょっと硬くてしょっぱいの美味し過ぎるっ!!)
コレが欲しい。コレなら満ち足りる。そう飢餓感が主張した。
干し杏をつまんだ指−親指と人差し指を交互に舐めしゃぶり、激しく吸い立てる。
「じゅっぱっ!ちゅっちゅちゅぅぅぅっ!!」
「う……っく」
呆気に取られていたレイの指先から伝わる、柔らかい感触、吸引感がレイの背筋を駆け抜けた。
「おい、やめろ……って」
慌てて制止をかけるレイ。
「ちゅっぱ……じゅるるっ(超ガン無視)」
が、そんな呼びかけなどお構いなしに、ヴァネッサはチュウチュウチュパチュパ吸いまくり、レロレロペロペロ舐めまくる。
その様はまさに、蹂躙という言葉を連想させるほどの勢いだった。
「んんっ、じゅっぷ、じゅじゅじゅじゅじゅっ」
「ぐっ……おおっ、あひっ」
舌先が爪の間を撫でる。指紋の溝一つ一つを味蕾で押し潰す。
その感触が背筋を駆け抜け脳髄に達した瞬間、それが快感だと意識してしまう。
快感だと認識したら、あとはもう連鎖反応だった。
「うっ……」
気づけばすでに、レイの股間は窮屈になってしまっていた。
「あ、う、あ、うひっ!ヤバイって、コレ!!うひぃっ!!」
時々残念な奇声を上げつつ、窮屈さを悟ったレイは大いに慌てた。
このままではマズイ。色々とマズイ。止めなければ絶対にマズイ。直感的に自身の桃色の脳細胞に点在する理性(現在急速に減少中)が警鐘が鳴らす。
もうちょっとこの感触を味わっていたい(実際に味わっているのはヴァネッサの方だが)という欲望を振り切り、ちょー気持ちいい!とほざいている桃色の脳細胞と、そして目の前の指フェラ中の生首に向かって、レイは渇を飛ばした。
「こ、この……おい、こらっ!ヴァネッサ!!」
一方ヴァネッサもレイの指を舐める度に、吸う度に、己の渇望が満たされていくの感じていた。
美味い、これほど美味なる物があるなんて、夢にも思わなかった。
(ああ、これでようやく満足できそう……)
甘露の如くそれを味わい尽くすヴァネッサ。
だがそれは飢餓感の叫びも次第に小さくなってゆく事を意味していた。それと同時に、飢餓感の叫び以外の、自分への呼びかけも聞こえるようになってきた。
「……お……こ……ヴァ……サ!!」
「ふぇ……?」
「おいヴァネッサ。どうしたんだ!」
「え……らに(なに)よ?」
「何よ、じゃねーよ、どうしたんだよ、いったい」
「ろ(ど)うしたっれ……あ……?」
飢餓感がなりをひそめ、理性が戻ったヴァネッサは改めて自分の様子に気づいた。
(レイ……?ってなに?なによだれ垂らして……それに、この口の中にあるのは……)
口の端からダラダラと垂れた涎。そして口内に感じる肉感のある物体の存在。
それがなにであるか、そして自分が何をしていたのかを悟った瞬間、
「ひ、ひゃああああああああああっ!!がぶっ」
「ぎっ、っでええええええええええ!!」
とりあえず思い切り叫んで口を閉じた。
当然、レイはギロチンの餌食となり、別の意味で思い切り叫んだのだった。


− − − − −


「……」
「その……、悪かったわよ」
幌の中、荷箱の上で珍しくしおらしい様子のヴァネッサを前に、未だに歯型がくっきりと残る指を摩りながら、レイは無言を貫いていた。
「……」
「だからー悪かったって言ってるでしょ!!」
その態度に焦れたヴァネッサも、声を荒げて謝罪する。
「なんだよ、その逆ギレは……まぁ、これに関してはもういいわ。痛えけど。だけどさっきのアレ、なんだ?」
ジロリとヴァネッサを睨みつけながら、問いただす。アレとは無論、指チュパの件である。
「あーそれは、その……ちょっと理性のタガが弛んじゃって……」
「理性のタガって、まるで人間みたいなだな。魔物に理性なんてあんのかよ」
「……もちろん、あるわよ。当たり前でしょ」
レイの揶揄に、ヴァネッサが口を尖らせる。
「私達も、人間と同じく千差万別なのよ。確かに、多くの魔物は本能に忠実よ。でもね、理性的な魔物だっているの。好戦的な魔物もいれば物静かな魔物もいる。それこそ、あなたたち人間のようにね。魔物全てを、一緒くたにしないで欲しいわ」
「人間のように、ねぇ……」
ヴァネッサの言葉に、レイが口端を上げた。
「何よ、おかしいっていうの?」
「いや、別に。ま、確かにお前の言う通りなのかもしんねえな……」
「レイ……?」
軽薄だったレイの表情に翳りが浮ぶのを見て、ヴァネッサが訝しむ。
「って悪い悪い。いやーお前が人間のようにって言うからさ、俺みたいなスケベな魔物もいるんかと思ってついついあらぬ妄想がな……」
だがその翳りもすぐに立ち消え、またいつものように軽薄な顔に戻った。
「……って、あなたはそういう事しか頭にないの!?」
「ないっ!(キリッ!」
堂々としたドヤ顔で断言するレイに、もはやヴァネッサもどう声をかけたらよいのかと嘆息する。
「はぁ……もういい加減に寝ましょう。明日は早いんでしょ?」
「おう、そうだな。それじゃあ……っと」
幌の中に寝袋を敷くと、さっさと準備を整えて潜り込んだ。
「よし、ランプ消すぞ」
「いいわよ。じゃあ……おやすみ」
「え?あ、ああ……」
ヴァネッサの言葉にレイは一瞬違和感を覚えつつ、ランプの息を吹きかける。
その違和感の正体が、長らく交わす事のなかった「おやすみ」という言葉だと気づく前に。


− − − − −


「ねぇ、ちょっと、ちょっと!レイったら!!」
この一声で、夢の中でエロいねーちゃんとニャンニャンしていたレイは、突如として現実の世界に引き戻された。
「……ん?ってまだ夜じゃねーかよ、いったいなんなんだよ……」
(せっかくあとちょっとで合体できそうだったのに……)
内心で文句を垂れつつも、反射的に護身用のナイフを掴む。
ニャンニャンの邪魔をした生首の声は酷く切迫していた。もしや盗賊か……と一瞬思ったが、馬車の外には物々しい気配は感じられない。
「ヴァネッサ、どうした?」
不思議に思いながらも、現実に連れ戻した張本人に視線を向ける。
「さっきから、外でなにか物音がするの!もしかしたら、ケモノかもしれないわっ!」
「ケモノぉ?」
幌の膜からそっと首を巡らしてみる。しかし外になにかいる気配は感じられなかった。
「誰もいないぞ。きっと風のせいだろ。こんな事で起こすんじゃねーよ……」
(まだおねーさんのボインボインに顔を埋めてなかったのに……)
やはり内心で残念な文句を垂れる。
「だって、だっていきなり外から物音がしたんだもの。その……驚くに決まっているでしょっ」
レイの言葉にヴァネッサが言い訳がましく文句を垂らしたその時、ガサリと幌の外から確かに物音が聞こえてきた。
「ひっ!?」
「落ち着け、風で枝が音を立てただけだって」
「でも、やっぱり、何かケモノとか来たら、この馬車を襲ってくるかもしれないじゃない!!」
「考えすぎだろ。そりゃねえとは言えないけど……」
「ほらやっぱり!」
不安で半狂乱になったヴァネッサが喚き散らしているとガサガサッとその不安をさらに煽るかのごとく、さらに草むらから物音する。
「ひぃィっ!?」
「だーかーら、落ち着けって!」
「そ、そんな事、言っても……あなたには手も足もない、なにも出来ない私の気持ちがわかるのっ!」
悲痛な声で、思い切り叫ぶヴァネッサのその言葉に、レイも何も言い返せなかった。
確かに、手足が動かせない、いやそのものがないという感覚。文字通り手も足も出せない、絶対的な弱者に突如としてなってしまったその恐怖は想像を絶する。恐らく、見通しの悪い夜の森というこの状況が、よりその恐怖心を煽っているのだろう。
意外にもまともな考えがレイの頭をよぎっている間にも、ヴァネッサの錯乱は続いていた。
「ほら、またそこで音がしたっ!絶対ケモノがいるわよ。それも複数よ、複数!きっと群れで取り巻いて、私を狙っているんだわ!!」
いつの間にか妄想上のケモノの標的が、馬車から「私」に変わっていた。自分の発言でより混乱していく、典型的な恐慌の状態に陥っている。
(ダメだ、こいつ。もう話聞いてねえ)
ここまでくれば最早人の話を聞く耳などない。
「ちょっと、黙ってないでなんとかしなさいよっ!!さっさと追っ払って……って、でもしばらくしたらまた襲う可能性だってあるし……ああ、どうすればいいのっ!?くっ、待て待て、落ち着きなさい、ヴァネッサ!野営時のケモノ対策を思い出すのよ……」
自分で落ち着けと言っているが、どう見てもまったく落ち着いてない。
(もういいわ。ほっとくか……)
レイはもう混乱の行く末を生暖かい目で見守る事にした。
そんな生暖かい視線など露知らず、ヴァネッサの錯乱っぷりはさらに拍車がかかっていく。
「……そう、そうよ。この場合、ケモノに私が一人ではないと思わせる事が重要なのよ。ならばこちらも声や音を出して対抗すべき……?でも刺激を与えてしまったら逆効果になる可能性もあるし……いえ、そもそも問題なのは私がケモノにとって狙われやすい、首だけの状態だという事なのよ。体はここにはない。それは仕方ない。じゃあ何か、何か別の物で代用すれば……」
ブツブツと一人で呟きまくるヴァネッサの視線が、ここで突然左右に泳ぎ始めかと思うと狂気を孕んだ視線がピタリと、レイに向いて止まった。
(え?なにこいつの目、怖い!!)
「……じー(血走った目でガン見している)」
「ヴァ、ヴァネッサ……なんだよ?」
その視線にちょっと引き気味のレイに、ガン見しているヴァネッサは

「レイ、私を抱きなさい!!」

と言い放ったのだった。
「は……はぁ!?お前、なに言ってんだ」
突然の「抱いてっ!」発言に戸惑うレイ。いつものレイなら「うひょーっ!夢が正夢になったぜーっ!!」と一もニもなく突撃しているはずだが、いかんせん相手は生首。さしものレイの股間も、反応しなかった。
(こいつはいったいなにを言っているんだ?)
発言の意図が理解できず、ヴァネッサの鬼気迫る雰囲気にさらに引いてしまう。
「なにも別におかしな事は言っていないわなぜなら私の頭を抱けば私とあなたで見かけ上の体の大きさが増えてケモノに牽制をかける事によりも襲ってくる可能性が低くなりなおかつ暖も取れて非常に合理的な方法じゃないだから私を抱きなさい!!」
それに対し流れるようにペラペラと、瞬き一つせずにヴァネッサがまくし立てる。
その目は明らかに据わっていた。イッちゃっていた。レイでなくとも、常人が見たらドン引き以外にありえない目だった。
「ちょ、おま、マジで落ち着け!!」
「それとも……私を抱くのはイヤ?」
「え、いや……」
かと思いきや、一転して上目遣いで目を潤ませるという反則技を使用してきた。
(あ、この視線はヤバい)
生首ではあるが、男なら股間直撃の視線に、レイも少し反応してしまった。
そして反則技を使いつつ、魅惑的な声でヴァネッサはさらに畳み掛けて来た。
「お願い……私を抱いて……」

こうして、かなり長くなってしまったがここでようやく冒頭に戻るのであった。


− − − − −


そして冒頭を経て、再び雑木林。
辺りに響くほどのツッコミを入れられたヴァネッサは、
「……人形性愛者とか?」
と返答した。
「いいのか?お前は依頼のパートナーがそんな変態でいいのか?つーかまずお前どういう目で俺を見てるんだよ」
「ドスケベ、変態、バカ、軽薄男」
「ひどくね!?仮にもパートナーに対してそれ言い過ぎじゃね!?」
「だって、今までの言動見てると、ねぇ……?」
侮蔑の混じった視線で、ヴァネッサがレイを見上げる。
「うわっ、何だよ、その目は」
「別に……それより、私を抱くの?しないの?しなさいよ!」
「最後命令になってるぞ!?それにさっきの話の流れからすると、抱っこしたら俺人形性愛者になっちまうんですけど!?」
「ああもうっ。ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと私を抱けばいいだけの話でしょう!」
侮蔑から睨みつけるような視線に変わる。その目は「お前が頷くまで言い続ける」と言わんばかりであった。
「……わかったよ」
今回は珍しく、レイが折れた。というか折らざるを得なかった。こんなヤヴァイ目に対抗できるはずもなかった。
「本当!?」
「ああ、これ以上騒がれてもかなわねーしな。ただし、俺は寝袋だから抱いて寝るのは難しい。枕元に置く、それでもいいか?」
「わかったわ。なんでもいいから、早くしてっ」
そしてあっさりと、ヴァネッサも妥協案を呑んだ。
「はいはい……」
レイは苦笑いを浮かべると、枕元に比較的綺麗な布と転倒防止のため輪状にした荷物の縄を置き、簡易の寝床を作った。
さらし首台の設置と同じ要領というのがある意味悲しい。
「……ふぅ。これでいいだろ。もう頼むからさっさと寝てく……って」
そしていざ、さらそうとヴァネッサに呼びかけると、
「すぅ……」
「もう寝てやがるよ……」
先ほどまで興奮していたためか、一旦安心した途端、ヴァネッサ眠りに落ちてしまっていた。
「まったく、あんだけ大騒ぎしておいて結局コレかい……」
嘆息しつつ、縄を首に巻きヴァネッサをさらし首にする。
(これでよし、と。それにしても、こいつもよく見ればキレイな顔立ちしてんなぁ。これでもう少し静かならっ……て、何考えてんだ俺は。こいつは、魔物なんだぞ……)
寝息を立てているさらし首をまじまじと眺めながら、レイは再び嘆息した。
「……いい加減、寝るか」
これ以上考えてはいけない事を考えないようにするために、ヴァネッサに背を向けて寝袋に潜り込んだ。
目を閉じて、無心になろうとする。
だがそれも束の間、
「ぅ……ん」
むずがるような吐息がヴァネッサの口から漏れ出た。
後頭部から伝わる微かな吐息が、とてつもない存在感を伝えてくる。
(うぉぉぉぉっ、ちょ、なんか息、息がっ!エロい。すんげーエロいんですけどっ!)
目には見えない吐息が、先ほどの指しゃぶりをまざまざと脳裏によぎらせた。
すぐにそれを振り払おうとしたが、意識した時にはもう手遅れである。ようやく縮小した己の分身が、寝袋を突き上げて自己主張していた。
「ちっくしょう……ようやく収まったのに……くそ、なんでこんな事になんだよ……」
節操なく痛いくらいに腫れあがった分身を呪いながら、レイは必死に煩悩と戦い始めた。
だがその努力をあざ笑うかのように、
「ふぅ……すぅ……」
さらし首にあるまじき艶のある吐息を飛ばし続けてくる。
「くそ、こいつ、昼間の仕返しでもしてんのか……」
一瞬、こっそりオナニーしてしまおうかと考えるが、それを振り払った。
結局、レイは思春期の少年のように明け方になるまで寝袋で煩悶としていたのだった。

11/11/15 21:16更新 / 苦助
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■作者メッセージ
初めての投稿です。初めてで長文です。誤字脱字もあると思いますので時折修正しています、申し訳ありません。全部で3話くらいになると思います。

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