彼女は無口な鍛冶屋さん
細い山道を黙々と歩く。
辺りは見渡す限り木、木、木。つまりは森である。
俺は足を止めて汗を拭い、よろけるように近くの岩に腰掛け、ため息と共に呟く。
「…まずいな。完全に迷った」
旅の途中、近くの街道に盗賊が出ると聞き、それを避けるために山越えのルートをとったのが裏目に出たようだ。
かれこれ3日くらいはこの山の中を彷徨っているが、いつになっても山を抜けることができず、それどころか全く進んでいないような気もする。
持っていた携帯食料や水はほとんど底をつき、森の木の実などで飢えや喉の渇きを癒しているが、それもそろそろ限界に近い。
俺の師匠は、かつて俺にこう言った。
『シロウよ、時には迷うことも悪くないものだぞ』と。
でも師匠、俺、このままだと本気で死にそうなんですが。
「…俺、ここで死ぬのかな…」
思わず弱音を吐く。
疲労も、空腹も、喉の渇きも、既に限界に近かった。
それでもどうにか立ち上がろうとするが、よろめいて、そのまま地面に倒れた。
「…あぁ、これは、もう、駄目、かもな…」
諦めと共に、俺はゆっくりと自分の意識を手放していった。
…意識が闇に沈む直前、誰かの足音が聞こえた、気がした…。
目を覚まして俺が最初に見たものは、木製の天井だった。
…天国ってのは、案外質素なところなんだろうか。
そんなことを考えたが、すぐに自分はまだ生きているのだと思い至る。
確か、俺は山道で力尽きて倒れたはず。
…ということは、誰かが助けてくれたのだろうか。
ゆっくりと身体を起こし、状況を確認する。
あまり飾り気のない質素な部屋だ。
誰かに助けられた俺は、ベッドに寝かされていたらしい。
ベッドの左側には、愛用のジパング刀を含め、荷物がまとめて置いてあった。
そしてベッドの右側を見ると。
大きな一つ目の女の子が、正座してじーっと俺のことを見つめていた。
「#$☆%&@*!?」
驚きのあまり、変な声を上げてベッドから落ちてしまった。
よろよろと起き上がり、再度その女の子を見る。
青みがかった肌に、額の角、大きな一つ目。
…改めて見るとなんてことはない。サイクロプスの女の子だ。
彼女は俺の奇行にも全く動じた様子はなく、変わらず正座したままじーっと俺のことを見つめていた。
「…その、すまない。大げさに驚いてしまって。…君が助けてくれたのか?」
女の子はこくりと頷いた。
「ありがとう。あのまま死ぬかと思ったよ」
女の子はこくりと頷いた。
「…? もしかして、喋れない、のか?」
女の子はふるふると首を振った。
「……喋るの、得意じゃ、ない」
思っていたより可愛い声だった。
「…そうか。俺の名はシロウ、旅の剣士だ。是非とも助けてもらった礼をさせてほしいのだが」
俺がそう言うと、女の子はきらりと目を輝かせ、即座に何かを指差した。
その指の示す方向にあったのは、俺の愛用のジパング刀だった。
「…その、すまない。刀はジパングの剣士にとって、魂と言えるものなんだ。できれば、他のものにしてもらえないだろうか」
俺がそう言うと、女の子は刀を凝視したままふるふると首を横に振り、
「刀、見せて、ほしい」
と言った。
「見せるのは別に構わないが…危ないから気をつけてくれよ?」
「大丈夫」
俺が刀を手渡すと、女の子は刀をゆっくりと抜き、隅々までじっくりと見始めた。
その仕草は不思議と手馴れたものだった。
表情こそ最初とあまり変わらないが、大きな瞳はきらきらと輝いている。
…変わった娘だなぁ。
俺がそう思っていると、女の子は丁寧に刀を鞘に戻し、これまた丁寧な仕草で俺に返してくれた。
そして。
「……しばらく、仕事、手伝って」
と、言った。
俺がぽかんとしていると、彼女は言葉を続けた。
「…助けた、お礼」
「…あ、あぁ。わかった。できることであれば何でも手伝わせてもらうよ」
「…うん。それと、時々、刀、見せて、欲しい」
「…? まぁ、それも別に構わないよ」
俺がそう言うと、彼女はここで初めてわずかに微笑んだ。
「…決まり。よろしく」
「あ、あぁ。えーと…」
「ミサリカ」
「あぁ。よろしくな、ミサリカ」
かくして、俺は彼女の手伝いとしてしばらく厄介になることとなった。
ミサリカが俺の刀に固執する理由はすぐにわかった。
彼女は鍛冶屋だったのだ。
確かに、サイクロプスは鍛冶屋が多いと聞いたことがある。
彼女の工房には、無数の刀剣が置かれていた。
「凄いな…。これ、全部ミサリカが作ったのか?」
ミサリカに問うと、彼女はこくりと頷いた。
「…ちょっと見てみてもいいか?」
ミサリカはこくりと頷く。
俺は近くにあった長剣を手に取り、抜いてみた。
…気のせいか、ミサリカが若干緊張した面持ちで俺を見ているような気がする。
「……これは凄いな。これまでこんな業物は見たことがない…!」
感嘆のため息と共に、正直に思ったことを口にする。
俺が普段使っているのはジパング刀で、大陸風の長剣はほぼ使ったことはない。
俺がジパング人で、剣士の武器と言えばジパング刀というのが普通だったからというのもあるが、それだけではない。
ジパング刀と大陸の刀剣では明らかにジパング刀の方が切れ味がいいのである。
形状の違いなどもあるかもしれないが、似たような反りのある片刃剣とジパング刀を比べてみても差は歴然だった。
だが、ミサリカが作ったこの長剣は違う。
今までの旅の途中で街で売っていた剣や憲兵が持っていた剣などとは全く比べ物にならない。
剣技に長けた者がこの剣を振るえば、鉄の鎧ごと相手を真っ二つにすることも可能だろう。
本気でそう思えるほどの業物であった。
俺は興奮を隠せず、他の剣も同様に手に取ってみる。
どれも最初の剣に負けず劣らずの業物ばかり。
俺は夢中で次々と剣を手に取って見ていたのだが。
ぽにゅん。
…ふと、背中に感じる暖かくてやわらかい感触。
そして青みがかったしなやかな腕が、背後から俺の首に回される。
…ミサリカが、後ろから、抱きついている…?
「…み、ミサリカ? ど、どうしたんだ?」
突然のことに硬直しつつ、俺は彼女に問いかけた。
「…嬉しい。ありがと」
彼女はぽつりとそう言った。
どうやらこれはミサリカなりの感謝のしるし、らしい。
普段は無口で何を考えているかわからないことが多いが、意外と積極的な面もあるようだ。
…というか、背中に押し付けられているやわらかい感触が気になってどうしようもない。
「…っと、とりあえず、適当にそこらへんで食材を採ってくるよ」
俺は逃げるように外へと飛び出したのだった。
「……むぅ…」
ミサリカが小さく不満げな声を上げたが、勿論俺は気づくわけがなかった。
どうやらミサリカは自分の手でジパング刀を作ろうとしているらしかった。
俺の刀を見ては鉄を叩き、そしてなかなかうまく再現できずに口を尖らせていた。
それでも、作業に集中しているミサリカは楽しそうで、そして美しかった。
そんな彼女を応援する意味も込め、俺も自分に出来ることを色々と手伝った。
食材を集めて料理を作ってみたり、知りうる限りの刀の知識をミサリカに教え、彼女が作る試作品を見てアドバイスをしてみたり。
ある日、俺とミサリカは小屋の外の切り株に並んで腰掛けていた。
休憩がてら日の光の下で刀の構造を見たいとミサリカが言ったためである。
俺が刀の各部位について説明すると、ミサリカは真剣な面持ちで頷きながら聞いていた。
そんな時。
「…? 何だ?」
森の中から、数人の男の話し声と、ガサガサと草木を掻き分けるような音が聞こえてきた。
音はだんだん近づいてきて、そして音の主が姿を現した。
数人のむさくるしい男だ。ただでさえ汚い格好に、木の枝や毛虫、葉っぱなどが大量にくっついて非常にカオスな状態である。
「ひゃっはー! 小屋だー!」
「俺たちゃ盗賊だー! 金を出せー!」
「あと食べ物と飲み物もよこせー!」
自ら盗賊と名乗ったぞ、こいつら。
というか、こいつら、道に迷ってたような気がしてならない。
俺が呆気にとられていると、隣に座っていたミサリカは、表情を変えずにすっと俺の後ろに隠れた。
…いや、表情こそ変わっていないように見えるが、俺の背中に触れている彼女の手は間違いなく震えていた。
…女の子なんだから、怖いのは当然だろう。なら、俺がすべきことは一つだ。
俺は自分の刀を手に取り、自称盗賊に声をかけた。
「…何かよくわからんが、盗賊だというなら相手になるぞ。怪我したくないならさっさとお引取り願いたい」
「馬鹿め、この人数相手にたった一人でどうするつもりだぁ!?」
「バーカ!」
「アーホ!」
…物凄くイラッとしたので、お仕置き決定。
俺は無言で刀を鞘に納めた。
「…お? やっぱり降参か?」
そして腰を低くして構え、
ヒュッ
キンッという音と共に刀を鞘に戻す。
「…な、何だ? やっぱり怖気づいたのかぁ!? でももう遅いぜ。野郎共、行くぜぇ!」
リーダーらしきおっさんが声を上げ、腰の剣に手を伸ばす。
スカッ
おっさんの手は空しく空を掴んでいた。
「…ありゃ?」
おっさんが腰の剣に視線を落とす。
おっさんの剣の柄は、根元からなくなっていた。
そしてさらに、時間差でおっさんのベルトが切れ、ズボンが落ち、下半身が丸出しとなる。
「な、な、な、なんじゃこりゃあああぁぁ!?」
「…酷い格好になったな。で、まだやるのか?」
「…く、くそぅ! 野郎共、撤退だ! 覚えてやがれえぇぇ!!」
「サノバビーッチ!」
「お前の母ちゃんデーベソー!」
自称盗賊たちは、思い思いの捨て台詞を吐いて逃げ出していった。
…手下の二人はもうちょっと痛い目にあわせても良かった気もしないでもない。
ともかく、これで一安心…
ごすっ。
「ぐはぁっ!?」
背中にどすりと硬くて鋭い何かが食い込む感触。
振り返ってみると、ミサリカが俺の背中に頭突きをかましていた。
硬いものは彼女の角だったようだ。
「何すんだっ!?」
「…武器、壊した」
ミサリカ的には武器を壊すのはNGだったらしい。
「いや、なるべく傷つけずに戦闘不能にしようと思ってだな…」
「…でも、ありがとう。怖かった…」
そう言ってミサリカは俺に抱きつくようにして頭をぐりぐりと押し付けてくる。
頭突きは照れ隠しだったのかもしれない。
俺は苦笑しつつ、黙ってミサリカの頭を撫でてやった。
その間、ずっと角も当たっていたので、正直結構痛かったのは内緒だ。
ある日のこと。休憩がてらミサリカと俺が食卓でハーブティ(と言えるかどうかは不明だが、そこらへんのそれっぽい草で淹れたお茶)を飲んでいると、
「たのもー! ミサリカ殿ー! 会いに来ましたぞー! 今日こそ俺の気持ち、受け取ってくださーい!!」
と、玄関から野太い声が聞こえた。
「…よくわからんが、お客さんらしいぞ」
そう言ってミサリカを見ると、彼女は明らかに嫌そうな顔をしていた。
「…あの人、ずっと私に、言い寄ってくるの。嫌だって、言ってるのに…」
困った顔をしていたミサリカだったが、ふと俺の顔をじっと見つめる。
「…? どうかしたのか?」
「シロウ、一緒に、来て」
「まぁ、それは構わないけど」
ミサリカに連れられて玄関へと向かう。
そしてドアを開けて俺の視界に飛び込んできたものは。
全身を青く塗り、額にニンジンをしばりつけ、大きな一つ目を描いたアイマスク(?)をつけた半裸の大男だった。
…うわぁ、まごうことなき変態だ。
「ミサリカ殿、今日こそ俺の気持ちを……って、そこの男、お前は何者だ」
お前は何者だと聞きたいのはこっちだ。
「…ごめんなさい、あなたの気持ちには、応えられない。だって…」
ミサリカはそこまで言うと、俺の服をくいくいと引っ張った。
俺がミサリカの方を振り返った、その時だった。
「…んっ…」
…唇に、やわらかい感触。
首に回された、ミサリカの腕。
熱っぽい、彼女の吐息。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
俺にとっては非常に長く感じられたキスを終え、ミサリカは俺から離れ、変態(そう言えばこいつの名前すら知らない)に向き直った。
「…そういう、ことだから。ごめんなさい」
そう言ってミサリカはぺこりと頭を下げる。
当の変態(ずっと変態呼ばわりするのもかわいそうな気がしてきた)と俺は、完全に硬直していた。
「…う、嘘だ。演技に決まってる。そうでなければ、ミサリカ殿が、こんな…っ!!」
絞り出すように変態(面倒だしもう変態でいいや)がうめく。
「…違う。好きじゃない人に、こんなこと、しない」
ミサリカの言葉を聞き、変態はしばらくわなわなと震えていたが、やがて、
「うおおぉぉぉぉーーーーーーーん!!」
と物凄い泣き声で泣きながら走り去っていった。
…あ、背中の真ん中辺りは青色じゃないんだ。手が届かなかったんだろうな。
…あ、転んだ。やっぱり視界不良なのか。
「…シロウ」
まだ硬直状態から立ち直れずどうでもいいことを考えていた俺に、ミサリカが若干気まずそうに声をかける。
「…その、ごめん、なさい。…嫌、だった、よね…」
「…いや、驚いたけど、嫌、ではなかった。うん」
ぎこちなく俺が答えると、ミサリカはほっとしたような表情になった。
「…でも、私が、最後に、あの人に、言った言葉は、嘘じゃ、ない、から」
「…ミサリカ」
「…でも、シロウは、旅人。これ以上、引き止めることは、できない。だから、最後に、私が作った刀を、持っていって」
最後の方は半分涙声だった。
まだ気持ちの整理ができていない俺は、黙って頷くことしかできなかった。
そして、ついにミサリカの刀が完成した。
「…見て、シロウ。完成」
「…ああ」
俺はミサリカが差し出したその刀を手に取り、ゆっくりと抜いた。
「…凄い」
鏡のように磨かれた刀身に、美しい刃紋、理想的な反り。
鉄の鎧どころか、鉄の柱をも真っ二つにできそうなほど、鋭利な刃。
文句のつけようもない名刀だった。
「…ジパングでは刀に名をつけることがある。ミサリカ、この刀は名前を持つにふさわしい。名前をつけてくれ」
「名前…。うん、シロウのために、作った刀、だから、『シロウ』にする」
「…名刀『シロウ』か。気恥ずかしいが、嬉しいよ」
ミサリカは一瞬寂しそうな表情をしていたが、すぐにぱっと顔を上げた。
「シロウ。その刀で、盗賊を追い払ったときの、あれ、やって」
「…ああ、わかった。名刀『シロウ』の切れ味、見せてもらおうじゃないか!」
俺は名刀「シロウ」を鞘に納め、適当な木の前に立った。
そして、腰を低くして構え、
ヒュパァン
刀を鞘に納め…いや、何かおかしい。
音も変だし、手にかかっている重さも違う。
…恐る恐る刀を見てみると、名刀「シロウ」は刃が半ばから折れていた。
慌てて辺りを見回すと、近くの木に折れた刃が突き刺さっていた。
…いや、突き刺さったなんて生ぬるいものではなく、木の真ん中を貫通している。
とんでもない切れ味で…。
ごすっ。
「はぁぅおっ!?」
ミサリカの頭突き。角が肩甲骨の下あたりからちょっと隙間に入った感じ。凄く痛い。
「…私の、最高傑作を、折ったなー」
ごすっ、ごすっ。
「痛っ、ちょっ、ごめん、本当に申し訳ないっ!」
必死で謝ると、ミサリカは頭突きしたままの姿勢でぴたりと動きを止めた。
「…まだ、本物の刀には、及ばなかった。だから、また、挑戦、する。だから…」
ミサリカの顔は見えない。
でも、彼女の心は伝わってくる。
だから。
「…ああ。それじゃ、また俺も協力するから、頑張ろうな」
ミサリカがぱっと顔を上げ、俺を見つめる。
「…まだ、ここに、いて、くれるの…?」
「ああ。元々目的もない放浪の旅だったからな。ミサリカが望むなら、いつまでも」
ミサリカは瞳を潤ませ、そして再び顔を伏せ、頭を俺の身体にぐりぐりと押し付けた。
「…うん。それじゃ、これからも、一緒に、居てください…っ」
「…ああ。こちらこそ、またよろしく頼むよ、ミサリカ」
俺はそう言いながら彼女の頭をやさしく撫でた。
ふと、師匠の言葉が頭をよぎる。
『シロウよ、時には迷うことも悪くないものだぞ』
…そうですね、師匠。死にかけましたが、おかげで可愛い鍛冶屋に出会い、新たな生きる目的を見つけることができました。
ミサリカの頭を撫でながら、俺は心からそう思うのだった。
月日は流れ、ミサリカは大陸では珍しいジパング刀の刀匠として知られるようになった。
彼女が作るジパング刀には「シロウ」の名がつけられており、いずれも素晴らしい名刀として、特にジパングの剣士たちの憧れの逸品となった。
中でも、最高傑作と噂される最初の「シロウ」は、「シロウ」の名の元となった稀代の剣士であり、彼女の夫である剣士シロウが生涯愛用していたと言われている。
辺りは見渡す限り木、木、木。つまりは森である。
俺は足を止めて汗を拭い、よろけるように近くの岩に腰掛け、ため息と共に呟く。
「…まずいな。完全に迷った」
旅の途中、近くの街道に盗賊が出ると聞き、それを避けるために山越えのルートをとったのが裏目に出たようだ。
かれこれ3日くらいはこの山の中を彷徨っているが、いつになっても山を抜けることができず、それどころか全く進んでいないような気もする。
持っていた携帯食料や水はほとんど底をつき、森の木の実などで飢えや喉の渇きを癒しているが、それもそろそろ限界に近い。
俺の師匠は、かつて俺にこう言った。
『シロウよ、時には迷うことも悪くないものだぞ』と。
でも師匠、俺、このままだと本気で死にそうなんですが。
「…俺、ここで死ぬのかな…」
思わず弱音を吐く。
疲労も、空腹も、喉の渇きも、既に限界に近かった。
それでもどうにか立ち上がろうとするが、よろめいて、そのまま地面に倒れた。
「…あぁ、これは、もう、駄目、かもな…」
諦めと共に、俺はゆっくりと自分の意識を手放していった。
…意識が闇に沈む直前、誰かの足音が聞こえた、気がした…。
目を覚まして俺が最初に見たものは、木製の天井だった。
…天国ってのは、案外質素なところなんだろうか。
そんなことを考えたが、すぐに自分はまだ生きているのだと思い至る。
確か、俺は山道で力尽きて倒れたはず。
…ということは、誰かが助けてくれたのだろうか。
ゆっくりと身体を起こし、状況を確認する。
あまり飾り気のない質素な部屋だ。
誰かに助けられた俺は、ベッドに寝かされていたらしい。
ベッドの左側には、愛用のジパング刀を含め、荷物がまとめて置いてあった。
そしてベッドの右側を見ると。
大きな一つ目の女の子が、正座してじーっと俺のことを見つめていた。
「#$☆%&@*!?」
驚きのあまり、変な声を上げてベッドから落ちてしまった。
よろよろと起き上がり、再度その女の子を見る。
青みがかった肌に、額の角、大きな一つ目。
…改めて見るとなんてことはない。サイクロプスの女の子だ。
彼女は俺の奇行にも全く動じた様子はなく、変わらず正座したままじーっと俺のことを見つめていた。
「…その、すまない。大げさに驚いてしまって。…君が助けてくれたのか?」
女の子はこくりと頷いた。
「ありがとう。あのまま死ぬかと思ったよ」
女の子はこくりと頷いた。
「…? もしかして、喋れない、のか?」
女の子はふるふると首を振った。
「……喋るの、得意じゃ、ない」
思っていたより可愛い声だった。
「…そうか。俺の名はシロウ、旅の剣士だ。是非とも助けてもらった礼をさせてほしいのだが」
俺がそう言うと、女の子はきらりと目を輝かせ、即座に何かを指差した。
その指の示す方向にあったのは、俺の愛用のジパング刀だった。
「…その、すまない。刀はジパングの剣士にとって、魂と言えるものなんだ。できれば、他のものにしてもらえないだろうか」
俺がそう言うと、女の子は刀を凝視したままふるふると首を横に振り、
「刀、見せて、ほしい」
と言った。
「見せるのは別に構わないが…危ないから気をつけてくれよ?」
「大丈夫」
俺が刀を手渡すと、女の子は刀をゆっくりと抜き、隅々までじっくりと見始めた。
その仕草は不思議と手馴れたものだった。
表情こそ最初とあまり変わらないが、大きな瞳はきらきらと輝いている。
…変わった娘だなぁ。
俺がそう思っていると、女の子は丁寧に刀を鞘に戻し、これまた丁寧な仕草で俺に返してくれた。
そして。
「……しばらく、仕事、手伝って」
と、言った。
俺がぽかんとしていると、彼女は言葉を続けた。
「…助けた、お礼」
「…あ、あぁ。わかった。できることであれば何でも手伝わせてもらうよ」
「…うん。それと、時々、刀、見せて、欲しい」
「…? まぁ、それも別に構わないよ」
俺がそう言うと、彼女はここで初めてわずかに微笑んだ。
「…決まり。よろしく」
「あ、あぁ。えーと…」
「ミサリカ」
「あぁ。よろしくな、ミサリカ」
かくして、俺は彼女の手伝いとしてしばらく厄介になることとなった。
ミサリカが俺の刀に固執する理由はすぐにわかった。
彼女は鍛冶屋だったのだ。
確かに、サイクロプスは鍛冶屋が多いと聞いたことがある。
彼女の工房には、無数の刀剣が置かれていた。
「凄いな…。これ、全部ミサリカが作ったのか?」
ミサリカに問うと、彼女はこくりと頷いた。
「…ちょっと見てみてもいいか?」
ミサリカはこくりと頷く。
俺は近くにあった長剣を手に取り、抜いてみた。
…気のせいか、ミサリカが若干緊張した面持ちで俺を見ているような気がする。
「……これは凄いな。これまでこんな業物は見たことがない…!」
感嘆のため息と共に、正直に思ったことを口にする。
俺が普段使っているのはジパング刀で、大陸風の長剣はほぼ使ったことはない。
俺がジパング人で、剣士の武器と言えばジパング刀というのが普通だったからというのもあるが、それだけではない。
ジパング刀と大陸の刀剣では明らかにジパング刀の方が切れ味がいいのである。
形状の違いなどもあるかもしれないが、似たような反りのある片刃剣とジパング刀を比べてみても差は歴然だった。
だが、ミサリカが作ったこの長剣は違う。
今までの旅の途中で街で売っていた剣や憲兵が持っていた剣などとは全く比べ物にならない。
剣技に長けた者がこの剣を振るえば、鉄の鎧ごと相手を真っ二つにすることも可能だろう。
本気でそう思えるほどの業物であった。
俺は興奮を隠せず、他の剣も同様に手に取ってみる。
どれも最初の剣に負けず劣らずの業物ばかり。
俺は夢中で次々と剣を手に取って見ていたのだが。
ぽにゅん。
…ふと、背中に感じる暖かくてやわらかい感触。
そして青みがかったしなやかな腕が、背後から俺の首に回される。
…ミサリカが、後ろから、抱きついている…?
「…み、ミサリカ? ど、どうしたんだ?」
突然のことに硬直しつつ、俺は彼女に問いかけた。
「…嬉しい。ありがと」
彼女はぽつりとそう言った。
どうやらこれはミサリカなりの感謝のしるし、らしい。
普段は無口で何を考えているかわからないことが多いが、意外と積極的な面もあるようだ。
…というか、背中に押し付けられているやわらかい感触が気になってどうしようもない。
「…っと、とりあえず、適当にそこらへんで食材を採ってくるよ」
俺は逃げるように外へと飛び出したのだった。
「……むぅ…」
ミサリカが小さく不満げな声を上げたが、勿論俺は気づくわけがなかった。
どうやらミサリカは自分の手でジパング刀を作ろうとしているらしかった。
俺の刀を見ては鉄を叩き、そしてなかなかうまく再現できずに口を尖らせていた。
それでも、作業に集中しているミサリカは楽しそうで、そして美しかった。
そんな彼女を応援する意味も込め、俺も自分に出来ることを色々と手伝った。
食材を集めて料理を作ってみたり、知りうる限りの刀の知識をミサリカに教え、彼女が作る試作品を見てアドバイスをしてみたり。
ある日、俺とミサリカは小屋の外の切り株に並んで腰掛けていた。
休憩がてら日の光の下で刀の構造を見たいとミサリカが言ったためである。
俺が刀の各部位について説明すると、ミサリカは真剣な面持ちで頷きながら聞いていた。
そんな時。
「…? 何だ?」
森の中から、数人の男の話し声と、ガサガサと草木を掻き分けるような音が聞こえてきた。
音はだんだん近づいてきて、そして音の主が姿を現した。
数人のむさくるしい男だ。ただでさえ汚い格好に、木の枝や毛虫、葉っぱなどが大量にくっついて非常にカオスな状態である。
「ひゃっはー! 小屋だー!」
「俺たちゃ盗賊だー! 金を出せー!」
「あと食べ物と飲み物もよこせー!」
自ら盗賊と名乗ったぞ、こいつら。
というか、こいつら、道に迷ってたような気がしてならない。
俺が呆気にとられていると、隣に座っていたミサリカは、表情を変えずにすっと俺の後ろに隠れた。
…いや、表情こそ変わっていないように見えるが、俺の背中に触れている彼女の手は間違いなく震えていた。
…女の子なんだから、怖いのは当然だろう。なら、俺がすべきことは一つだ。
俺は自分の刀を手に取り、自称盗賊に声をかけた。
「…何かよくわからんが、盗賊だというなら相手になるぞ。怪我したくないならさっさとお引取り願いたい」
「馬鹿め、この人数相手にたった一人でどうするつもりだぁ!?」
「バーカ!」
「アーホ!」
…物凄くイラッとしたので、お仕置き決定。
俺は無言で刀を鞘に納めた。
「…お? やっぱり降参か?」
そして腰を低くして構え、
ヒュッ
キンッという音と共に刀を鞘に戻す。
「…な、何だ? やっぱり怖気づいたのかぁ!? でももう遅いぜ。野郎共、行くぜぇ!」
リーダーらしきおっさんが声を上げ、腰の剣に手を伸ばす。
スカッ
おっさんの手は空しく空を掴んでいた。
「…ありゃ?」
おっさんが腰の剣に視線を落とす。
おっさんの剣の柄は、根元からなくなっていた。
そしてさらに、時間差でおっさんのベルトが切れ、ズボンが落ち、下半身が丸出しとなる。
「な、な、な、なんじゃこりゃあああぁぁ!?」
「…酷い格好になったな。で、まだやるのか?」
「…く、くそぅ! 野郎共、撤退だ! 覚えてやがれえぇぇ!!」
「サノバビーッチ!」
「お前の母ちゃんデーベソー!」
自称盗賊たちは、思い思いの捨て台詞を吐いて逃げ出していった。
…手下の二人はもうちょっと痛い目にあわせても良かった気もしないでもない。
ともかく、これで一安心…
ごすっ。
「ぐはぁっ!?」
背中にどすりと硬くて鋭い何かが食い込む感触。
振り返ってみると、ミサリカが俺の背中に頭突きをかましていた。
硬いものは彼女の角だったようだ。
「何すんだっ!?」
「…武器、壊した」
ミサリカ的には武器を壊すのはNGだったらしい。
「いや、なるべく傷つけずに戦闘不能にしようと思ってだな…」
「…でも、ありがとう。怖かった…」
そう言ってミサリカは俺に抱きつくようにして頭をぐりぐりと押し付けてくる。
頭突きは照れ隠しだったのかもしれない。
俺は苦笑しつつ、黙ってミサリカの頭を撫でてやった。
その間、ずっと角も当たっていたので、正直結構痛かったのは内緒だ。
ある日のこと。休憩がてらミサリカと俺が食卓でハーブティ(と言えるかどうかは不明だが、そこらへんのそれっぽい草で淹れたお茶)を飲んでいると、
「たのもー! ミサリカ殿ー! 会いに来ましたぞー! 今日こそ俺の気持ち、受け取ってくださーい!!」
と、玄関から野太い声が聞こえた。
「…よくわからんが、お客さんらしいぞ」
そう言ってミサリカを見ると、彼女は明らかに嫌そうな顔をしていた。
「…あの人、ずっと私に、言い寄ってくるの。嫌だって、言ってるのに…」
困った顔をしていたミサリカだったが、ふと俺の顔をじっと見つめる。
「…? どうかしたのか?」
「シロウ、一緒に、来て」
「まぁ、それは構わないけど」
ミサリカに連れられて玄関へと向かう。
そしてドアを開けて俺の視界に飛び込んできたものは。
全身を青く塗り、額にニンジンをしばりつけ、大きな一つ目を描いたアイマスク(?)をつけた半裸の大男だった。
…うわぁ、まごうことなき変態だ。
「ミサリカ殿、今日こそ俺の気持ちを……って、そこの男、お前は何者だ」
お前は何者だと聞きたいのはこっちだ。
「…ごめんなさい、あなたの気持ちには、応えられない。だって…」
ミサリカはそこまで言うと、俺の服をくいくいと引っ張った。
俺がミサリカの方を振り返った、その時だった。
「…んっ…」
…唇に、やわらかい感触。
首に回された、ミサリカの腕。
熱っぽい、彼女の吐息。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
俺にとっては非常に長く感じられたキスを終え、ミサリカは俺から離れ、変態(そう言えばこいつの名前すら知らない)に向き直った。
「…そういう、ことだから。ごめんなさい」
そう言ってミサリカはぺこりと頭を下げる。
当の変態(ずっと変態呼ばわりするのもかわいそうな気がしてきた)と俺は、完全に硬直していた。
「…う、嘘だ。演技に決まってる。そうでなければ、ミサリカ殿が、こんな…っ!!」
絞り出すように変態(面倒だしもう変態でいいや)がうめく。
「…違う。好きじゃない人に、こんなこと、しない」
ミサリカの言葉を聞き、変態はしばらくわなわなと震えていたが、やがて、
「うおおぉぉぉぉーーーーーーーん!!」
と物凄い泣き声で泣きながら走り去っていった。
…あ、背中の真ん中辺りは青色じゃないんだ。手が届かなかったんだろうな。
…あ、転んだ。やっぱり視界不良なのか。
「…シロウ」
まだ硬直状態から立ち直れずどうでもいいことを考えていた俺に、ミサリカが若干気まずそうに声をかける。
「…その、ごめん、なさい。…嫌、だった、よね…」
「…いや、驚いたけど、嫌、ではなかった。うん」
ぎこちなく俺が答えると、ミサリカはほっとしたような表情になった。
「…でも、私が、最後に、あの人に、言った言葉は、嘘じゃ、ない、から」
「…ミサリカ」
「…でも、シロウは、旅人。これ以上、引き止めることは、できない。だから、最後に、私が作った刀を、持っていって」
最後の方は半分涙声だった。
まだ気持ちの整理ができていない俺は、黙って頷くことしかできなかった。
そして、ついにミサリカの刀が完成した。
「…見て、シロウ。完成」
「…ああ」
俺はミサリカが差し出したその刀を手に取り、ゆっくりと抜いた。
「…凄い」
鏡のように磨かれた刀身に、美しい刃紋、理想的な反り。
鉄の鎧どころか、鉄の柱をも真っ二つにできそうなほど、鋭利な刃。
文句のつけようもない名刀だった。
「…ジパングでは刀に名をつけることがある。ミサリカ、この刀は名前を持つにふさわしい。名前をつけてくれ」
「名前…。うん、シロウのために、作った刀、だから、『シロウ』にする」
「…名刀『シロウ』か。気恥ずかしいが、嬉しいよ」
ミサリカは一瞬寂しそうな表情をしていたが、すぐにぱっと顔を上げた。
「シロウ。その刀で、盗賊を追い払ったときの、あれ、やって」
「…ああ、わかった。名刀『シロウ』の切れ味、見せてもらおうじゃないか!」
俺は名刀「シロウ」を鞘に納め、適当な木の前に立った。
そして、腰を低くして構え、
ヒュパァン
刀を鞘に納め…いや、何かおかしい。
音も変だし、手にかかっている重さも違う。
…恐る恐る刀を見てみると、名刀「シロウ」は刃が半ばから折れていた。
慌てて辺りを見回すと、近くの木に折れた刃が突き刺さっていた。
…いや、突き刺さったなんて生ぬるいものではなく、木の真ん中を貫通している。
とんでもない切れ味で…。
ごすっ。
「はぁぅおっ!?」
ミサリカの頭突き。角が肩甲骨の下あたりからちょっと隙間に入った感じ。凄く痛い。
「…私の、最高傑作を、折ったなー」
ごすっ、ごすっ。
「痛っ、ちょっ、ごめん、本当に申し訳ないっ!」
必死で謝ると、ミサリカは頭突きしたままの姿勢でぴたりと動きを止めた。
「…まだ、本物の刀には、及ばなかった。だから、また、挑戦、する。だから…」
ミサリカの顔は見えない。
でも、彼女の心は伝わってくる。
だから。
「…ああ。それじゃ、また俺も協力するから、頑張ろうな」
ミサリカがぱっと顔を上げ、俺を見つめる。
「…まだ、ここに、いて、くれるの…?」
「ああ。元々目的もない放浪の旅だったからな。ミサリカが望むなら、いつまでも」
ミサリカは瞳を潤ませ、そして再び顔を伏せ、頭を俺の身体にぐりぐりと押し付けた。
「…うん。それじゃ、これからも、一緒に、居てください…っ」
「…ああ。こちらこそ、またよろしく頼むよ、ミサリカ」
俺はそう言いながら彼女の頭をやさしく撫でた。
ふと、師匠の言葉が頭をよぎる。
『シロウよ、時には迷うことも悪くないものだぞ』
…そうですね、師匠。死にかけましたが、おかげで可愛い鍛冶屋に出会い、新たな生きる目的を見つけることができました。
ミサリカの頭を撫でながら、俺は心からそう思うのだった。
月日は流れ、ミサリカは大陸では珍しいジパング刀の刀匠として知られるようになった。
彼女が作るジパング刀には「シロウ」の名がつけられており、いずれも素晴らしい名刀として、特にジパングの剣士たちの憧れの逸品となった。
中でも、最高傑作と噂される最初の「シロウ」は、「シロウ」の名の元となった稀代の剣士であり、彼女の夫である剣士シロウが生涯愛用していたと言われている。
13/03/12 21:17更新 / クニヒコ