白蛇様の言い伝え
僕のお祖母ちゃんの家は、物凄く田舎にある。
どれくらい田舎かというと、見渡す限り山だとか畑だとか田んぼだとかが広がっていて、家なんてほとんどない。「隣の家」でも結構歩くレベル。
そんなお祖母ちゃんの家に、夏休みにはしばらくの間両親と遊びに来たりしていた。
一緒に遊ぶような友達も居なく、ゲームもマンガもなかったけど、僕は全然退屈しなかった。
外に出れば街では見たことのないような虫もたくさんいたし、近くの小川では魚釣りもできた。自由研究には事欠かない。
お祖母ちゃんもとても優しく、色々な話を聞かせてくれたり、おやつを用意してくれたりした。大好きなお祖母ちゃんだった。
そして、一番楽しかったのが、お祖母ちゃんの家の蔵の探検だった。
お祖母ちゃんの家は古い日本家屋という感じで、結構広い。
そして、母屋から少し離れたところに、これまた立派で大きな蔵があった。
中は薄暗くて、埃っぽいようなカビ臭いような独特な臭いがして、いろいろな物が所狭しと置いてあって。
ゲームに出てくるような魔法のアイテムとかが眠ってるんじゃないかと、僕はわくわくしながら探検していた。
ある日、僕はまた蔵を探検していた。
すると、薄暗がりの中、大きな箱の後ろで何か動いたような気がした。
僕は好奇心に任せて、大きな箱の後ろを覗き込んだ。
すると、目の前に白い何かがシュルっと飛び出してきた。
それは、小さくて真っ白な蛇だった。
僕は驚いて悲鳴をあげ、その場に尻餅をついた。
「どうしたんだい!?」
庭を箒で掃いていたお祖母ちゃんが、悲鳴を聞きつけて飛び込んできた。
僕は口をぱくぱくさせながら白い蛇を指差した。
お祖母ちゃんはその白蛇を見ると、驚いたような顔をした後、手を合わせて拝み始めた。
「おやまぁ、白蛇様じゃないか。ありがたや、ありがたや…」
「しろへびさま?」
「そうだよ。この辺りじゃね、白蛇様が住んでいる家は栄えるって言い伝えがあるのさ」
「へぇー…」
「守り神みたいなものさね。だから陽介、そんなに驚いたりしちゃ罰が当たるよ。謝っておきんさい」
「う、うん。しろへびさま、おどろいて、ごめんなさい」
僕は白蛇に向き直ると、お祖母ちゃんの言うとおり素直に謝った。
改めて見ると、埃っぽい蔵にいたにも関わらず、まるで少し輝いているかのような白い鱗に、赤くてつぶらな目、時折ちろちろと赤く小さい舌を出したりと、意外と可愛い。
それでいて、何となく不思議な、神秘的な雰囲気を漂わせており、なるほど確かにご利益がありそうな感じだった。
「そうだ、陽介、白蛇様に気に入られた男の人は、将来綺麗なお嫁さんが貰えるという言い伝えもあるんだよ。だから、陽介も拝んどきんさい」
「えー…?」
お嫁さんとか言われてもピンと来ないし、正直恥ずかしかったが、とりあえず僕は何となく白蛇様を拝んでおいた。
当の白蛇はと言うと、その場を動かず、こちらをじっと見たまま舌をちろちろと出していた。
…今思えば変な蛇だったと思う。
やがて白蛇は積まれた箱なんかの間にするりと入っていき、姿が見えなくなった。
その日はいくら探しても白蛇は見つからなかったが、次の日になるとまた姿を現し、探検している僕のことをじっと見つめていた。
僕も次第に「本当に白蛇様なのかも」と思うようになり、目が合うたびに白蛇に挨拶したりしていた。
夏休みも終わりに近づき、家に帰るとき、お祖母ちゃんとお別れするのも寂しかったが、白蛇と会えなくなるのも不思議と寂しく思えたのを覚えている。
それからほぼちょうど10年が経ったある日、お祖母ちゃんが亡くなった。
久々に訪れたお祖母ちゃんの家は、妙に広く、そして静かに感じられた。
葬式が終わった後、僕は縁側でぼーっとしていた。
両親は親戚の人たちと色々話している。遺産の分配とかいろいろ話し合うことがあるらしい。
もちろん、ドラマみたいに遺産相続を廻って血で血を洗う争いに…なんてことにはならない。
それでも、色々と面倒な話もあるらしいので、しばらくはここに泊まることになりそうだった。
僕としても、ちょうど夏休み中で特にやることもなかったので、こういう田舎で過ごすのも悪くない。
…お祖母ちゃんがいないのは、正直、すごく寂しかったけど。
「そう言えば、あの白蛇はまだいるのかな」
ふと思い出したことをぽつりと口にして、僕は蔵へと足を運んだ。
蛇の寿命なんて知らないが、あれから10年経っている。普通に考えたらいるわけがない。
でも、あの不思議な白蛇だから、もしかしたら…などと思ってしまう。
「あれ?」
蔵の前に来て、ある事に気付く。
「…開いてる…?」
蔵の扉が薄く開いていたのだ。
(閉め忘れ? …まさか泥棒?)
僕は近くに立てかけてあった箒(※武器)を手に取りつつ、恐る恐る扉を開け、中を覗き込んだ。
中はあの時と変わっていなかった。
薄暗くて、埃っぽくて、カビ臭いような、独特な雰囲気。
高いところにある小さな窓から傾きつつある日の光が差し込んでおり、
…それに照らされるように、蔵の中に一人の少女が佇んでいた。
それは、まるでこの世のものとは思えないほど幻想的な光景。
少女は白い着物?を着ており、彼女の長い髪もそれに合わせたかのように真っ白だった。
首筋などから見える肌も透き通るように白い。
差し込む日の光は蔵の中に漂う埃を照らし、まるで彼女を照らすスポットライトのようだった。
僕がその光景に見とれていると、ふと彼女が振り返り、僕と目が合った。
「きゃっ」
驚いて固まる少女。
顔つきからすると僕と同い年かやや下くらいだろうか。
赤い瞳が特徴的な、とにかく美少女としか言いようのない美少女だった。
彼女ほどの美少女を、これまでテレビでも見たことがない、というレベルの。
「あ、あの…」
鈴の鳴るような彼女の声に改めて我に返る。
「…あ、あぁ、驚かせちゃってごめん。僕は…」
「…もしかして、陽介さん、ですか?」
「え?」
驚いた。
何故彼女は僕の名前を知っているのだろう。
間違いなく初対面のはずなのに。
「やっぱり、あなたが陽介さんなんですね? おばあさまから話を聞いて、ずっとお会いしたいと思っていました」
「おばあさまって…僕のお祖母ちゃんのこと?」
「はい。…あ、申し遅れました。私、真白(ましろ)と申します」
そう言って彼女…真白はぺこりと頭を下げた。
聞くところによると、彼女は白子(後で調べたらアルビノとも言うらしい)で生まれつき身体も弱く、よくいじめられていたところを僕のお祖母ちゃんに助けられ、その後も良くしてもらったのだそうだ。
「おばあさまは、陽介さんのことをいつも楽しそうに、誇らしげに話していたんですよ。それで、私もずっと陽介さんにお会いしてみたいと思っていました」
彼女がこの蔵にいたのも、僕がここでよく遊んでいたから、もしかしたら会えるかもと思ってのことだったらしい。
…何だろう、この嬉しいような恥ずかしいようなくすぐったいような気持ち。
会ったこともない美少女がずっと自分に会いたいと思っていたとか、そんなファンタジー小説みたいな出来事がまさか自分に起こるとは。
「…いやでも、実際に会ったら、想像と違ってがっかりしたんじゃない?」
「そんなことありませんよ。むしろ、想像してたよりずっと素敵で……や、やだ、私ったら、何を…すみません、忘れてくださいっ」
そう言って彼女は顔を赤らめて慌てる。いかん、超可愛い。惚れそう。
「…あ、でも、陽介さんはもうすぐお帰りになってしまうんですよ、ね…」
明らかに悲しそうな表情になる真白。
「いや、もう少しの間はここに滞在するよ。何かお祖母ちゃんの遺産相続とかで色々あるみたいなんだ」
「本当ですかっ!?」
今度は一転してぱっと表情を輝かせる。おしとやかな外見に反しころころと表情を変えるのがまた実に可愛らしい。
「本当だよ。だからさ、その、僕はその間ほとんどやることがなくて暇だから、良ければ、話し相手にでもなってくれると嬉しい、んだけど…」
「はいっ、こちらこそ、喜んで…!」
若干照れながら言った僕の言葉に、彼女は心底嬉しそうな表情で即答する。
僕としてもこんな美少女とお近づきになれるのだから、嬉しいことこの上なかった。
それから、僕と真白は毎日一緒に過ごした。
都会のような遊ぶ場所なんて全くなかったので、できることなんて散歩したり適当な場所で座って他愛のない話をしたりするくらいだったが、それでも十分に楽しかった。
真白はずっとこのあたりで暮らしており街に行ったことはないというので、僕が街の話をすると目を輝かせて聞いていた。
赤くて綺麗な目を丸くして驚いたり、鈴の転がるような声で笑ったり。
そんな彼女に、僕はあっという間に惹かれていった。
しかし、そんな時間もすぐに終わりを迎えた。
「…明日、お帰りになってしまうんですよね…」
「…うん」
お祖母ちゃんの遺産相続やら何やらが終わり、早くも明日、帰ることになったのだ。
隣に座っている真白の足元で、ぱた、と小さく何かが落ちる音が聞こえる。
…真白は、声を押し殺して泣いていた。
「……っ…!」
僕は、黙って彼女の肩に手を回し、彼女を静かに抱き寄せた。
「…ぅ…っく…ごめん、なさい…困らせて、しまって…」
「そんなことないよ。僕だって、真白と離れるのはすごく寂しいんだ」
「えっ…」
真白は涙に濡れた顔を上げ、驚いたように僕を見た。
これが今生の別れとは思っていないが、想いを伝えるなら今しかない。
きっと僕はそう思っていたのだろう。
驚くほど自然に、その言葉が口から流れ出した。
「…真白のことが、好きなんだ」
「……っ!」
口を押さえ、声を呑む真白に、僕は続けた。
「だからさ、僕は、また絶対に真白に会いに来るよ。絶対に」
僕がそう言うと、真白は目に涙をため、僕の胸にしがみついた。
「……っ! 私も…! 私も、陽介さんのことが、大好きです…っ! だから、私も、絶対に、陽介さんに、会いに、行きます、から…っ!」
しがみつく真白の頭を優しく撫でる。
やがて真白は瞳を潤ませて僕の顔を見上げた。
僕も、自然に真白に顔を寄せ、
真白と、唇を重ねた。
「…んっ…ぅ…ちゅ…んぅ…」
長く、息苦しいほど情熱的なキス。
キスが終わり、僕たちは互いに互いを優しく抱きしめあった。
「…約束だから。絶対また、会いに来るよ」
「はいっ…はいっ…!」
しばらくそうしていた僕たちだったが、やがて真白の方から身体を離し、彼女は真剣な面持ちで僕のほうに向き直った。
「陽介さん、ごめんなさい。私、陽介さんに、ずっと、隠していたことがあるんです…」
「隠していたこと?」
「はい。実は、私…」
意を決して何かを言おうとしている真白だったが、ふと僕は彼女が何を言おうとしているのか思い当たってしまった。
だから。
「あ、待った。それ、当ててみるよ」
「…えっ?」
きょとんとする真白。
僕は、普通に考えたらあり得ないはずのその考えを、さらりと口にした。
「真白は、あの時の『白蛇様』、だよね?」
真白は一瞬ぽかんとしていたが、やがて目を見開いて驚いた。
「え、えええぇぇっ!? ど、どうしてわかったんですかっ!?」
「ずっとどこかで見たことあるような気はしてたんだ。考えてみると、あの白蛇様と雰囲気とか目の感じとか似てるなー、って思ってさ」
「…は、はい。その通りです…。だから、私のこの姿も、仮初のものなんです。本当の姿を見たら、きっと、怖がられてしまうと思って…」
そう言った真白の下半身は、いつの間にか白い蛇へと変化していた。
「…やっぱり、こんな、化け物は、嫌、ですよね…」
「いや、全然」
僕は迷わず即答した。
「えっ」
「いや、だって真白は真白でしょ? 別に外見だけで真白のことが好きになったわけじゃないよ。それに10年前の白蛇様のことも、結構好きだったんだよ? …まぁ流石にあの時は恋愛感情じゃなかったけどね」
「それでも、私、人間じゃなくて、妖怪、ですよ…?」
「…実を言うと、お祖母ちゃんはこのあたりには色々妖怪が住んでるとか、そういう話ばっかりしてくれたんだ。だから驚かなかったわけではないけど、本当にいたんだなぁ、くらいかな」
「そ、そんなものなのでしょうか…?」
「…他の妖怪だったらどうかわからないけど、相手が真白だからね。もう僕は真白のことが好きになってたわけだし」
「…ぁぅ」
顔を真っ赤にして照れる真白。
尻尾の先がゆらゆら動いているのも感情表現だろうか。
「ほ、本当に、いいんですか…?」
「うん。だから、また絶対会いに来るから。約束」
「…はいっ♪」
頬を赤らめたまま、真白はにっこりと微笑んだ。
次の日。
とうとう帰る時間が近づき、僕は最後に真白に挨拶をしに行った。
真白は蔵の中で僕を待っていてくれた。
「それじゃあ、また会いに来るから」
「はい。私からも会いに行きますね」
「うん。それじゃ、また」
「あ、待ってください、陽介さん」
振り返ろうとした真白が僕を呼び止めた。
真白は僕に歩み寄ると、そっと僕の耳に顔を寄せ、
「…『白蛇様』に気に入られた男の方は、綺麗なお嫁さんが貰えるんですよ。…期待していてくださいね?」
そう囁き、僕の頬にちゅっとキスをした。
不意打ちにわたわたしている僕に対し、真白はぺろりと舌を出してみせる。
そんな彼女の顔は、薄暗い蔵の中でもわかるくらい、赤くなっていた。
「…綺麗なお嫁さんって『白蛇様』自身のことだったんだな…」
僕は苦笑しながら真白に手を振り、蔵を後にした。
いつ、また彼女に会いに来ようか、なんて考えながら。
どれくらい田舎かというと、見渡す限り山だとか畑だとか田んぼだとかが広がっていて、家なんてほとんどない。「隣の家」でも結構歩くレベル。
そんなお祖母ちゃんの家に、夏休みにはしばらくの間両親と遊びに来たりしていた。
一緒に遊ぶような友達も居なく、ゲームもマンガもなかったけど、僕は全然退屈しなかった。
外に出れば街では見たことのないような虫もたくさんいたし、近くの小川では魚釣りもできた。自由研究には事欠かない。
お祖母ちゃんもとても優しく、色々な話を聞かせてくれたり、おやつを用意してくれたりした。大好きなお祖母ちゃんだった。
そして、一番楽しかったのが、お祖母ちゃんの家の蔵の探検だった。
お祖母ちゃんの家は古い日本家屋という感じで、結構広い。
そして、母屋から少し離れたところに、これまた立派で大きな蔵があった。
中は薄暗くて、埃っぽいようなカビ臭いような独特な臭いがして、いろいろな物が所狭しと置いてあって。
ゲームに出てくるような魔法のアイテムとかが眠ってるんじゃないかと、僕はわくわくしながら探検していた。
ある日、僕はまた蔵を探検していた。
すると、薄暗がりの中、大きな箱の後ろで何か動いたような気がした。
僕は好奇心に任せて、大きな箱の後ろを覗き込んだ。
すると、目の前に白い何かがシュルっと飛び出してきた。
それは、小さくて真っ白な蛇だった。
僕は驚いて悲鳴をあげ、その場に尻餅をついた。
「どうしたんだい!?」
庭を箒で掃いていたお祖母ちゃんが、悲鳴を聞きつけて飛び込んできた。
僕は口をぱくぱくさせながら白い蛇を指差した。
お祖母ちゃんはその白蛇を見ると、驚いたような顔をした後、手を合わせて拝み始めた。
「おやまぁ、白蛇様じゃないか。ありがたや、ありがたや…」
「しろへびさま?」
「そうだよ。この辺りじゃね、白蛇様が住んでいる家は栄えるって言い伝えがあるのさ」
「へぇー…」
「守り神みたいなものさね。だから陽介、そんなに驚いたりしちゃ罰が当たるよ。謝っておきんさい」
「う、うん。しろへびさま、おどろいて、ごめんなさい」
僕は白蛇に向き直ると、お祖母ちゃんの言うとおり素直に謝った。
改めて見ると、埃っぽい蔵にいたにも関わらず、まるで少し輝いているかのような白い鱗に、赤くてつぶらな目、時折ちろちろと赤く小さい舌を出したりと、意外と可愛い。
それでいて、何となく不思議な、神秘的な雰囲気を漂わせており、なるほど確かにご利益がありそうな感じだった。
「そうだ、陽介、白蛇様に気に入られた男の人は、将来綺麗なお嫁さんが貰えるという言い伝えもあるんだよ。だから、陽介も拝んどきんさい」
「えー…?」
お嫁さんとか言われてもピンと来ないし、正直恥ずかしかったが、とりあえず僕は何となく白蛇様を拝んでおいた。
当の白蛇はと言うと、その場を動かず、こちらをじっと見たまま舌をちろちろと出していた。
…今思えば変な蛇だったと思う。
やがて白蛇は積まれた箱なんかの間にするりと入っていき、姿が見えなくなった。
その日はいくら探しても白蛇は見つからなかったが、次の日になるとまた姿を現し、探検している僕のことをじっと見つめていた。
僕も次第に「本当に白蛇様なのかも」と思うようになり、目が合うたびに白蛇に挨拶したりしていた。
夏休みも終わりに近づき、家に帰るとき、お祖母ちゃんとお別れするのも寂しかったが、白蛇と会えなくなるのも不思議と寂しく思えたのを覚えている。
それからほぼちょうど10年が経ったある日、お祖母ちゃんが亡くなった。
久々に訪れたお祖母ちゃんの家は、妙に広く、そして静かに感じられた。
葬式が終わった後、僕は縁側でぼーっとしていた。
両親は親戚の人たちと色々話している。遺産の分配とかいろいろ話し合うことがあるらしい。
もちろん、ドラマみたいに遺産相続を廻って血で血を洗う争いに…なんてことにはならない。
それでも、色々と面倒な話もあるらしいので、しばらくはここに泊まることになりそうだった。
僕としても、ちょうど夏休み中で特にやることもなかったので、こういう田舎で過ごすのも悪くない。
…お祖母ちゃんがいないのは、正直、すごく寂しかったけど。
「そう言えば、あの白蛇はまだいるのかな」
ふと思い出したことをぽつりと口にして、僕は蔵へと足を運んだ。
蛇の寿命なんて知らないが、あれから10年経っている。普通に考えたらいるわけがない。
でも、あの不思議な白蛇だから、もしかしたら…などと思ってしまう。
「あれ?」
蔵の前に来て、ある事に気付く。
「…開いてる…?」
蔵の扉が薄く開いていたのだ。
(閉め忘れ? …まさか泥棒?)
僕は近くに立てかけてあった箒(※武器)を手に取りつつ、恐る恐る扉を開け、中を覗き込んだ。
中はあの時と変わっていなかった。
薄暗くて、埃っぽくて、カビ臭いような、独特な雰囲気。
高いところにある小さな窓から傾きつつある日の光が差し込んでおり、
…それに照らされるように、蔵の中に一人の少女が佇んでいた。
それは、まるでこの世のものとは思えないほど幻想的な光景。
少女は白い着物?を着ており、彼女の長い髪もそれに合わせたかのように真っ白だった。
首筋などから見える肌も透き通るように白い。
差し込む日の光は蔵の中に漂う埃を照らし、まるで彼女を照らすスポットライトのようだった。
僕がその光景に見とれていると、ふと彼女が振り返り、僕と目が合った。
「きゃっ」
驚いて固まる少女。
顔つきからすると僕と同い年かやや下くらいだろうか。
赤い瞳が特徴的な、とにかく美少女としか言いようのない美少女だった。
彼女ほどの美少女を、これまでテレビでも見たことがない、というレベルの。
「あ、あの…」
鈴の鳴るような彼女の声に改めて我に返る。
「…あ、あぁ、驚かせちゃってごめん。僕は…」
「…もしかして、陽介さん、ですか?」
「え?」
驚いた。
何故彼女は僕の名前を知っているのだろう。
間違いなく初対面のはずなのに。
「やっぱり、あなたが陽介さんなんですね? おばあさまから話を聞いて、ずっとお会いしたいと思っていました」
「おばあさまって…僕のお祖母ちゃんのこと?」
「はい。…あ、申し遅れました。私、真白(ましろ)と申します」
そう言って彼女…真白はぺこりと頭を下げた。
聞くところによると、彼女は白子(後で調べたらアルビノとも言うらしい)で生まれつき身体も弱く、よくいじめられていたところを僕のお祖母ちゃんに助けられ、その後も良くしてもらったのだそうだ。
「おばあさまは、陽介さんのことをいつも楽しそうに、誇らしげに話していたんですよ。それで、私もずっと陽介さんにお会いしてみたいと思っていました」
彼女がこの蔵にいたのも、僕がここでよく遊んでいたから、もしかしたら会えるかもと思ってのことだったらしい。
…何だろう、この嬉しいような恥ずかしいようなくすぐったいような気持ち。
会ったこともない美少女がずっと自分に会いたいと思っていたとか、そんなファンタジー小説みたいな出来事がまさか自分に起こるとは。
「…いやでも、実際に会ったら、想像と違ってがっかりしたんじゃない?」
「そんなことありませんよ。むしろ、想像してたよりずっと素敵で……や、やだ、私ったら、何を…すみません、忘れてくださいっ」
そう言って彼女は顔を赤らめて慌てる。いかん、超可愛い。惚れそう。
「…あ、でも、陽介さんはもうすぐお帰りになってしまうんですよ、ね…」
明らかに悲しそうな表情になる真白。
「いや、もう少しの間はここに滞在するよ。何かお祖母ちゃんの遺産相続とかで色々あるみたいなんだ」
「本当ですかっ!?」
今度は一転してぱっと表情を輝かせる。おしとやかな外見に反しころころと表情を変えるのがまた実に可愛らしい。
「本当だよ。だからさ、その、僕はその間ほとんどやることがなくて暇だから、良ければ、話し相手にでもなってくれると嬉しい、んだけど…」
「はいっ、こちらこそ、喜んで…!」
若干照れながら言った僕の言葉に、彼女は心底嬉しそうな表情で即答する。
僕としてもこんな美少女とお近づきになれるのだから、嬉しいことこの上なかった。
それから、僕と真白は毎日一緒に過ごした。
都会のような遊ぶ場所なんて全くなかったので、できることなんて散歩したり適当な場所で座って他愛のない話をしたりするくらいだったが、それでも十分に楽しかった。
真白はずっとこのあたりで暮らしており街に行ったことはないというので、僕が街の話をすると目を輝かせて聞いていた。
赤くて綺麗な目を丸くして驚いたり、鈴の転がるような声で笑ったり。
そんな彼女に、僕はあっという間に惹かれていった。
しかし、そんな時間もすぐに終わりを迎えた。
「…明日、お帰りになってしまうんですよね…」
「…うん」
お祖母ちゃんの遺産相続やら何やらが終わり、早くも明日、帰ることになったのだ。
隣に座っている真白の足元で、ぱた、と小さく何かが落ちる音が聞こえる。
…真白は、声を押し殺して泣いていた。
「……っ…!」
僕は、黙って彼女の肩に手を回し、彼女を静かに抱き寄せた。
「…ぅ…っく…ごめん、なさい…困らせて、しまって…」
「そんなことないよ。僕だって、真白と離れるのはすごく寂しいんだ」
「えっ…」
真白は涙に濡れた顔を上げ、驚いたように僕を見た。
これが今生の別れとは思っていないが、想いを伝えるなら今しかない。
きっと僕はそう思っていたのだろう。
驚くほど自然に、その言葉が口から流れ出した。
「…真白のことが、好きなんだ」
「……っ!」
口を押さえ、声を呑む真白に、僕は続けた。
「だからさ、僕は、また絶対に真白に会いに来るよ。絶対に」
僕がそう言うと、真白は目に涙をため、僕の胸にしがみついた。
「……っ! 私も…! 私も、陽介さんのことが、大好きです…っ! だから、私も、絶対に、陽介さんに、会いに、行きます、から…っ!」
しがみつく真白の頭を優しく撫でる。
やがて真白は瞳を潤ませて僕の顔を見上げた。
僕も、自然に真白に顔を寄せ、
真白と、唇を重ねた。
「…んっ…ぅ…ちゅ…んぅ…」
長く、息苦しいほど情熱的なキス。
キスが終わり、僕たちは互いに互いを優しく抱きしめあった。
「…約束だから。絶対また、会いに来るよ」
「はいっ…はいっ…!」
しばらくそうしていた僕たちだったが、やがて真白の方から身体を離し、彼女は真剣な面持ちで僕のほうに向き直った。
「陽介さん、ごめんなさい。私、陽介さんに、ずっと、隠していたことがあるんです…」
「隠していたこと?」
「はい。実は、私…」
意を決して何かを言おうとしている真白だったが、ふと僕は彼女が何を言おうとしているのか思い当たってしまった。
だから。
「あ、待った。それ、当ててみるよ」
「…えっ?」
きょとんとする真白。
僕は、普通に考えたらあり得ないはずのその考えを、さらりと口にした。
「真白は、あの時の『白蛇様』、だよね?」
真白は一瞬ぽかんとしていたが、やがて目を見開いて驚いた。
「え、えええぇぇっ!? ど、どうしてわかったんですかっ!?」
「ずっとどこかで見たことあるような気はしてたんだ。考えてみると、あの白蛇様と雰囲気とか目の感じとか似てるなー、って思ってさ」
「…は、はい。その通りです…。だから、私のこの姿も、仮初のものなんです。本当の姿を見たら、きっと、怖がられてしまうと思って…」
そう言った真白の下半身は、いつの間にか白い蛇へと変化していた。
「…やっぱり、こんな、化け物は、嫌、ですよね…」
「いや、全然」
僕は迷わず即答した。
「えっ」
「いや、だって真白は真白でしょ? 別に外見だけで真白のことが好きになったわけじゃないよ。それに10年前の白蛇様のことも、結構好きだったんだよ? …まぁ流石にあの時は恋愛感情じゃなかったけどね」
「それでも、私、人間じゃなくて、妖怪、ですよ…?」
「…実を言うと、お祖母ちゃんはこのあたりには色々妖怪が住んでるとか、そういう話ばっかりしてくれたんだ。だから驚かなかったわけではないけど、本当にいたんだなぁ、くらいかな」
「そ、そんなものなのでしょうか…?」
「…他の妖怪だったらどうかわからないけど、相手が真白だからね。もう僕は真白のことが好きになってたわけだし」
「…ぁぅ」
顔を真っ赤にして照れる真白。
尻尾の先がゆらゆら動いているのも感情表現だろうか。
「ほ、本当に、いいんですか…?」
「うん。だから、また絶対会いに来るから。約束」
「…はいっ♪」
頬を赤らめたまま、真白はにっこりと微笑んだ。
次の日。
とうとう帰る時間が近づき、僕は最後に真白に挨拶をしに行った。
真白は蔵の中で僕を待っていてくれた。
「それじゃあ、また会いに来るから」
「はい。私からも会いに行きますね」
「うん。それじゃ、また」
「あ、待ってください、陽介さん」
振り返ろうとした真白が僕を呼び止めた。
真白は僕に歩み寄ると、そっと僕の耳に顔を寄せ、
「…『白蛇様』に気に入られた男の方は、綺麗なお嫁さんが貰えるんですよ。…期待していてくださいね?」
そう囁き、僕の頬にちゅっとキスをした。
不意打ちにわたわたしている僕に対し、真白はぺろりと舌を出してみせる。
そんな彼女の顔は、薄暗い蔵の中でもわかるくらい、赤くなっていた。
「…綺麗なお嫁さんって『白蛇様』自身のことだったんだな…」
僕は苦笑しながら真白に手を振り、蔵を後にした。
いつ、また彼女に会いに来ようか、なんて考えながら。
13/03/01 18:00更新 / クニヒコ