決戦の地へ
ミルラナがリフォンと口付けを交わした、その日の夕方。
ミルラナは、妙に帰りの遅いセトゥラを探しに、夕日に照らされた街を歩いていた。
あの後しばらくリフォンと無言で抱き合っていた彼女だったが、何ともいえないむず痒い空気に耐えられなくなったというか、気恥ずかしくなったというか。
幸せではあったが、ずっとそのままの状態だと頭がぼーっとしてのぼせそうだったので、ちょっと頭を冷やしたかった、という理由もあった。
セトゥラはすぐに見つかった。
彼女は、眩しそうに夕日を見ながら、広場の噴水に腰掛けていた。
「……セトゥラ?」
「……あ、ミルラナ」
ミルラナの声に、セトゥラは振り返る。
いつものような元気はなく、儚げな笑みを浮かべていた。
明らかにいつもと違う様子に、何と声をかけたものかミルラナが戸惑っていると、セトゥラは明るい声で、
「……あ、そっか。もうこんな時間だもんな。ごめんごめん、すぐ戻るよー」
と言って、ぐるぐると腕を回しながら宿の方へと歩いていった。
明らかに、空元気だった。
……ミルラナは、その理由を察してしまった。
だから、それ以上彼女に声をかけることができなかった。
人気のなくなった通りを歩き、ミルラナも宿に戻ってくる。
……が、改めてリフォンと顔を合わせるのが何とも気恥ずかしい。
こういうときはどんな顔をすればいいのかわからない。
……少し、頭を冷やさなきゃ。まだ、全部終わったわけじゃないんだから。
ミルラナは改めて考える。
まだ、暗殺ギルドとの戦いは終わっていない。支部をいくら潰しても、大元を潰さなければ終わったとはいえない。
このままあちこちの支部を潰していけば、そのうち大元にたどり着く可能性はある。
だが、相手も警戒しているだろう。そう簡単に尻尾を掴ませてくれるとは思えない。
……駄目だ、やっぱりいい考えが浮かばない。
リフォンと顔を合わせるのはやっぱり気恥ずかしいと思いつつ、ミルラナが宿に戻ろうとした、その時だった。
「……ミルラナ」
彼女を、呼び止める声。
リフォンじゃない。
あまりにも、意外すぎる声。
ミルラナは飛び退りながら素早く短剣を抜いて構え、声の主を睨みつける。
「メルスト……っ!?」
「ああ。久しぶりだな」
声の主は、暗殺者ギルドの連絡役、メルストだった。
ミルラナは戦闘態勢のままメルストの動きを観察する。
だが、メルストは彼女の予想に反し、笑みを浮かべたまま両手をひらひらと振って見せた。
「おいおい、待ってくれよ。俺は別にお前たちとやり合おうってわけじゃないんだ」
「何ですって……!?」
思いがけない言葉に、ミルラナは耳を疑った。
だが、これも作戦である可能性があるので、警戒は解かない。
「……まぁ、警戒するのは当然だろうな。……俺は、お前に情報を持ってきただけさ」
「……情報?」
「ああ。……『彼』からの伝言だ」
「っ!?」
ミルラナは、再度耳を疑った。
ミルラナが寝返ったことはとうに知れているはず。
それなのに、何故今更「彼」がメルストを通して接触してくるというのか?
「……ここから北東の街、カートセリアに行け。そこが、暗殺ギルドの本拠地だ。……『彼』も、そこにいる」
「なっ……!?」
とんでもない情報に、ミルラナはまたしても耳を疑った。
向こうの方から本拠地の場所を教えてきたのだ。
普通に考えれば、明らかに異常だ。
「……それを、信じろっていうの……?」
「信じる信じないはお前ら次第だ。だが、お前ら、動こうにも手がかりが少なすぎて動けないんだろ?」
「……っ」
確かにその通りだった。
「……『彼』は、何を考えているの……?」
「さあな。俺がそこまで知るわけないだろ? ……とにかく、これで伝言は伝えたぞ。じゃあな」
「あっ、ちょっと!」
ミルラナが止めるよりも速く、メルストは建物の陰に溶け込むように去っていった。
ミルラナはしばし呆然としていたが、
「……とりあえず、リフォンに伝えないと……」
と呟き、宿屋の中に戻っていった。
「……なるほど、な……」
ミルラナから話を聞いたリフォンは、険しい顔で考え込む。
ミルラナはそんなリフォンの横顔をじっと見つめていた。
何だかちょっと眩しく見えて、やっぱり気恥ずかしい。
でも、リフォンの方は特にそう思っている様子はなく、いつも通りで、ちょっと悔しい。
ミルラナがそんなことを考えていると、視線を感じたリフォンがふとミルラナの方を見た。
それだけで、ミルラナの心臓がどくんと跳ねる。
「……どうした? 俺の顔に何か付いてるか?」
「う、ううん。なんでもない」
「そ、そうか……」
リフォンはそう言うと、わずかに顔を赤らめ、目を逸らした。
……どうやら、リフォンの方もミルラナと同じだったらしい。
「……で、その、アレだ。そいつからの情報は信用できそうなのか?」
まだ若干動揺しながらも、リフォンは話を元に戻した。
「……判断が難しいわ。彼――メルストは、私が暗殺ギルドにいた頃、よく上からの指令を私に持ってきてたの。ある意味彼のことは信頼できると言えなくもないけど、今は全然状況が違うから……」
「……なるほど、そうだよなぁ」
「例え情報が本当だとしても、どういう意図で私たちに伝えたのかがさっぱりわからないわ。罠、とも考えられるけど……」
二人はしばし無言で考える。
やがて、リフォンが口を開いた。
「……とりあえず、行ってみるしかない、かな。確かにそいつの言うとおり、情報が不足して動けなかったところだ。例え嘘でも罠でも、闇雲に動くよりは遥かにやりやすい」
「……そう、ね。向こうに踊らされているようで嫌な感じはするけど、そうするしかなさそう」
「ああ。そうと決まれば、なるべく早く行動した方がいいだろうな。明日にでも出発しよう」
「うん。……でも、リフォン」
ミルラナは、気がかりだったことをリフォンに尋ねた。
「……セトゥラは、どうするの?」
その問いに、リフォンは少し沈黙し、そして答えた。
「……あいつは、連れて行けない。今回は手伝ってもらったとはいえ、あいつは一般人だ。危険すぎるし、守ってやれる保証もない。終わるまでこの街にいてもらうのが安全だろう。ベレリックさんもいるしな」
「……うん、そうよね」
この答えはミルラナの予想通りだった。それが最善だろうと、ミルラナも思う。
だが、ミルラナはセトゥラの儚げな笑みを思い出し、何となく後ろめたいような、そんな気がしていた。
「明日、二人にちゃんと話しておかないとな」
「……うん」
「そうと決まれば、今日は早めに休んだ方がいいな。ミルラナも、ちゃんと休んでおけよ。……あ、それと」
「え?」
きょとんとするミルラナを、リフォンはがばっと抱き寄せた。
「ちょ、ちょっとリフォン!? いきなり、どうしたの!?」
ミルラナの顔が一瞬で真っ赤になる。
「んー、何となく。……それじゃ、おやすみ」
リフォンはミルラナの耳元で囁くと、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、ミルラナを解放した。
「……っ! お、おやすみっ!!」
ミルラナは顔を真っ赤にしたまま、逃げるようにリフォンの部屋を飛び出した。
「〜〜〜っ!! いきなりあんなことされて、眠れるわけないじゃない……っ!!」
その後、ミルラナは自分のベッドの中でしばらくの間悶々としていたのだった。
翌朝、二人が旅支度を整えてからセトゥラの部屋を訪ねると、彼女はいなかった。
宿の主人の話によると、道の修理の手伝いに行くと言って朝早くに出て行ったらしい。
二人がそこに向かうと、そこではセトゥラとベレリック、他数人の衛兵たちが作業していた。
「あっ、兄貴ーっ!」
セトゥラは二人の姿を見つけると、手を振りながら駆けてくる。
その様子は、いつもと同じように見えて、やはりどこか元気がないように感じられた。
ベレリックも二人に気づき、彼女に続いて二人のもとへと歩いてくる。
「おはよっ、兄貴、ミルラナ! ……あれ、どうしたの、その荷物」
「……セトゥラ、俺たちはこれからカートセリアに行くことになった。それで、お前のことなんだが……」
リフォンが言おうとするのを、セトゥラは儚げな笑みを浮かべながら手で制した。
「兄貴、わかってるよ。アタイは連れて行けない、ってことだろ? アタイがいると、足手まといになっちゃうもんな」
「……すまない。ここから先は、危険すぎる。お前を、守ってやれる保証もない」
「うん。……兄貴、行く前に、一つ、お願いがあるんだ」
「……何だ?」
セトゥラは、真っ直ぐにリフォンの目を見つめた。
「アタイと、もう一度だけ、本気で戦って欲しいんだ」
「……」
リフォンは無言でセトゥラの目を見つめ返す。
「勿論、アタイが勝ったら連れて行って、とかそんなことは言わないよ。ただ、一度だけ、本気で戦って欲しい。それだけだからさ。頼むよ」
リフォンはしばしセトゥラの目を見つめる。
セトゥラも、目を逸らさず、真っ直ぐにリフォンの目を見つめていた。
そして。
「……わかった」
リフォンはそう言うと、荷物を地面に置いた。
「……へへ、ありがとな、兄貴」
セトゥラも嬉しそうで、それでいて寂しそうな笑みを浮かべ、リフォンから距離をとる。
「……ミルラナ、前のときみたいに、掛け声、お願い」
「……わかったわ」
セトゥラの言葉に、ミルラナは素直に頷いた。
「それじゃ、二人とも、構えて」
ミルラナの言葉と共に、セトゥラとリフォンが同時に構えをとる。
「……始めっ!」
先に動いたのは、以前と同じく、セトゥラだった。
以前よりもさらに鋭く、速く、深い踏み込み。
セトゥラは一気にリフォンの懐に飛び込み、思い切り右の拳をリフォンの顔面目がけて繰り出した。
「うおりゃあああああああぁぁぁぁっ!!」
だが、リフォンはその一撃を、わずかに身体を引き、手で払って受け流す。
勢いのある攻撃なだけに、受け流されればバランスが大きく崩れる。
だが、その瞬間、セトゥラはわずかに笑みを浮かべた。
「っらあああああああぁぁぁぁっ!!」
受け流されるのと同時に、セトゥラはさらに一歩足を踏み出した。
そして、受け流された勢いをそのまま利用し、強引に身体を回転させ、リフォンの首を目がけて後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
まるで戦鎚のごとき強烈な一撃。そしてまさしく戦鎚を地面に叩き付けたかのような轟音が響く。
だが。
セトゥラが脚に感じる感覚は、まるで違ったものだった。
例えるなら、ふわふわの真綿。
確かに蹴りはリフォンの首の根元をとらえ、直撃している。
なのに、彼女の脚にはその衝撃も反動もなかった。
代わりに、リフォンがわずかに後ろに引いていた右足を中心に地面が陥没し、砂埃が舞っている。
「……なっ……!?」
理解できない現象に、セトゥラが戸惑った、その一瞬。
リフォンの右拳が、がら空きになったセトゥラの背中に叩き込まれた。
「がっ……!!」
炸裂音と共にセトゥラの身体は吹き飛ばされ、地面でバウンドし、そのままごろごろと転がり、そして止まった。
「セトゥラっ!?」
うつ伏せになったまま動かないセトゥラに、ミルラナが慌てて駆け寄る。
リフォンも、ゆっくりとセトゥラに歩み寄った。
「……っ、い、痛たたた……っ!」
痛みに顔をしかめながら、セトゥラがゆっくりと身体を起こし、ミルラナは胸をなでおろした。
「……全く、本気で、って言ったじゃんか……。それなのに、最後、手加減するんだもんなぁ……ぁ痛てて」
セトゥラは痛みに顔をしかめながらも笑顔を見せる。
リフォンは、そんな彼女に苦笑いしながら答えた。
「……悪い。やっぱり、女の子相手だとそれが限界なんだ。ただ……」
「……ただ?」
セトゥラが首をかしげる。
「……後ろ回し蹴り、直撃したのに当たってないような、変な感じがしただろ?」
「うん」
「あれは、自分の身体を通して衝撃を地面に全て逃がしたんだ。この技をまともに使ったのは初めてだ。……あの後ろ回し蹴りは、正直予想外だったよ」
そう言うリフォンは、少し悔しそうだった。
「……そっか。えへへ……」
セトゥラは嬉しそうに微笑むと、ミルラナに向き直った。
「……ミルラナ、兄貴のこと、好きなんだよね?」
「……うん」
ミルラナは、真っ直ぐセトゥラの顔を見て、頷いた。
セトゥラは、痛みに顔をしかめながら、ミルラナに拳を突き出した。
「……約束。兄貴のこと、アタイの分まで、ちゃんとサポートしてやるんだぞ」
「……うん。約束。任せといて」
そう言って、ミルラナはセトゥラの拳に自分の拳を当て、そしてそのままセトゥラを軽く抱きしめた。
リフォンはベレリックに向き直ると、頭を下げた。
「ベレリックさん、セトゥラのことを含め、よろしく頼みます」
「任せておけ。……全く、最後の最後でまた地面を壊していくとはな」
ベレリックが苦笑しながら答えると、リフォンはばつが悪そうに目を逸らしながら頭をぽりぽりと掻き、辺りに笑い声が響いた。
そして、セトゥラやベレリック達に見送られ、二人は北東の街、カートセリアへと旅立っていった。
セトゥラは、二人の背中が見えなくなるまで、ずっと笑顔で手を振り続けていた。
「……行っちゃった、なぁ」
振っていた手を下ろし、二人が歩いていった方を見つめながら、セトゥラはぽつりと呟く。
セトゥラの隣で、同じように二人が歩いていった方を見ながら、ベレリックが静かに口を開いた。
「うむ。……よく、我慢したな」
セトゥラの目からは、大粒の涙が次々とこぼれだしていた。
「……っく、これまでで、一番、負けて、っく、悔しかったなぁ……っ」
堪えきれず、セトゥラは声を上げて泣いた。
ベレリックはセトゥラの顔を見ず、二人が歩いていった方を見つめたまま、セトゥラの肩を優しく叩いていた。
「……よし、セトゥラ殿。今から飲みに行こうじゃないか」
「……っく、今からって、今、朝だよ? それに、衛兵の、リーダーなのに、そんなことして、いいの?」
「何、ちょっと職権濫用させてもらうだけだよ。さぁ、そうと決まれば行くぞ! この街の酒を飲みつくしてやろうじゃないか!」
「……あはは、仕方ないおっさんだなぁ……」
セトゥラは、泣き笑いのような表情で、ベレリックと共に街の中へと歩いていったのだった……。
ミルラナは、妙に帰りの遅いセトゥラを探しに、夕日に照らされた街を歩いていた。
あの後しばらくリフォンと無言で抱き合っていた彼女だったが、何ともいえないむず痒い空気に耐えられなくなったというか、気恥ずかしくなったというか。
幸せではあったが、ずっとそのままの状態だと頭がぼーっとしてのぼせそうだったので、ちょっと頭を冷やしたかった、という理由もあった。
セトゥラはすぐに見つかった。
彼女は、眩しそうに夕日を見ながら、広場の噴水に腰掛けていた。
「……セトゥラ?」
「……あ、ミルラナ」
ミルラナの声に、セトゥラは振り返る。
いつものような元気はなく、儚げな笑みを浮かべていた。
明らかにいつもと違う様子に、何と声をかけたものかミルラナが戸惑っていると、セトゥラは明るい声で、
「……あ、そっか。もうこんな時間だもんな。ごめんごめん、すぐ戻るよー」
と言って、ぐるぐると腕を回しながら宿の方へと歩いていった。
明らかに、空元気だった。
……ミルラナは、その理由を察してしまった。
だから、それ以上彼女に声をかけることができなかった。
人気のなくなった通りを歩き、ミルラナも宿に戻ってくる。
……が、改めてリフォンと顔を合わせるのが何とも気恥ずかしい。
こういうときはどんな顔をすればいいのかわからない。
……少し、頭を冷やさなきゃ。まだ、全部終わったわけじゃないんだから。
ミルラナは改めて考える。
まだ、暗殺ギルドとの戦いは終わっていない。支部をいくら潰しても、大元を潰さなければ終わったとはいえない。
このままあちこちの支部を潰していけば、そのうち大元にたどり着く可能性はある。
だが、相手も警戒しているだろう。そう簡単に尻尾を掴ませてくれるとは思えない。
……駄目だ、やっぱりいい考えが浮かばない。
リフォンと顔を合わせるのはやっぱり気恥ずかしいと思いつつ、ミルラナが宿に戻ろうとした、その時だった。
「……ミルラナ」
彼女を、呼び止める声。
リフォンじゃない。
あまりにも、意外すぎる声。
ミルラナは飛び退りながら素早く短剣を抜いて構え、声の主を睨みつける。
「メルスト……っ!?」
「ああ。久しぶりだな」
声の主は、暗殺者ギルドの連絡役、メルストだった。
ミルラナは戦闘態勢のままメルストの動きを観察する。
だが、メルストは彼女の予想に反し、笑みを浮かべたまま両手をひらひらと振って見せた。
「おいおい、待ってくれよ。俺は別にお前たちとやり合おうってわけじゃないんだ」
「何ですって……!?」
思いがけない言葉に、ミルラナは耳を疑った。
だが、これも作戦である可能性があるので、警戒は解かない。
「……まぁ、警戒するのは当然だろうな。……俺は、お前に情報を持ってきただけさ」
「……情報?」
「ああ。……『彼』からの伝言だ」
「っ!?」
ミルラナは、再度耳を疑った。
ミルラナが寝返ったことはとうに知れているはず。
それなのに、何故今更「彼」がメルストを通して接触してくるというのか?
「……ここから北東の街、カートセリアに行け。そこが、暗殺ギルドの本拠地だ。……『彼』も、そこにいる」
「なっ……!?」
とんでもない情報に、ミルラナはまたしても耳を疑った。
向こうの方から本拠地の場所を教えてきたのだ。
普通に考えれば、明らかに異常だ。
「……それを、信じろっていうの……?」
「信じる信じないはお前ら次第だ。だが、お前ら、動こうにも手がかりが少なすぎて動けないんだろ?」
「……っ」
確かにその通りだった。
「……『彼』は、何を考えているの……?」
「さあな。俺がそこまで知るわけないだろ? ……とにかく、これで伝言は伝えたぞ。じゃあな」
「あっ、ちょっと!」
ミルラナが止めるよりも速く、メルストは建物の陰に溶け込むように去っていった。
ミルラナはしばし呆然としていたが、
「……とりあえず、リフォンに伝えないと……」
と呟き、宿屋の中に戻っていった。
「……なるほど、な……」
ミルラナから話を聞いたリフォンは、険しい顔で考え込む。
ミルラナはそんなリフォンの横顔をじっと見つめていた。
何だかちょっと眩しく見えて、やっぱり気恥ずかしい。
でも、リフォンの方は特にそう思っている様子はなく、いつも通りで、ちょっと悔しい。
ミルラナがそんなことを考えていると、視線を感じたリフォンがふとミルラナの方を見た。
それだけで、ミルラナの心臓がどくんと跳ねる。
「……どうした? 俺の顔に何か付いてるか?」
「う、ううん。なんでもない」
「そ、そうか……」
リフォンはそう言うと、わずかに顔を赤らめ、目を逸らした。
……どうやら、リフォンの方もミルラナと同じだったらしい。
「……で、その、アレだ。そいつからの情報は信用できそうなのか?」
まだ若干動揺しながらも、リフォンは話を元に戻した。
「……判断が難しいわ。彼――メルストは、私が暗殺ギルドにいた頃、よく上からの指令を私に持ってきてたの。ある意味彼のことは信頼できると言えなくもないけど、今は全然状況が違うから……」
「……なるほど、そうだよなぁ」
「例え情報が本当だとしても、どういう意図で私たちに伝えたのかがさっぱりわからないわ。罠、とも考えられるけど……」
二人はしばし無言で考える。
やがて、リフォンが口を開いた。
「……とりあえず、行ってみるしかない、かな。確かにそいつの言うとおり、情報が不足して動けなかったところだ。例え嘘でも罠でも、闇雲に動くよりは遥かにやりやすい」
「……そう、ね。向こうに踊らされているようで嫌な感じはするけど、そうするしかなさそう」
「ああ。そうと決まれば、なるべく早く行動した方がいいだろうな。明日にでも出発しよう」
「うん。……でも、リフォン」
ミルラナは、気がかりだったことをリフォンに尋ねた。
「……セトゥラは、どうするの?」
その問いに、リフォンは少し沈黙し、そして答えた。
「……あいつは、連れて行けない。今回は手伝ってもらったとはいえ、あいつは一般人だ。危険すぎるし、守ってやれる保証もない。終わるまでこの街にいてもらうのが安全だろう。ベレリックさんもいるしな」
「……うん、そうよね」
この答えはミルラナの予想通りだった。それが最善だろうと、ミルラナも思う。
だが、ミルラナはセトゥラの儚げな笑みを思い出し、何となく後ろめたいような、そんな気がしていた。
「明日、二人にちゃんと話しておかないとな」
「……うん」
「そうと決まれば、今日は早めに休んだ方がいいな。ミルラナも、ちゃんと休んでおけよ。……あ、それと」
「え?」
きょとんとするミルラナを、リフォンはがばっと抱き寄せた。
「ちょ、ちょっとリフォン!? いきなり、どうしたの!?」
ミルラナの顔が一瞬で真っ赤になる。
「んー、何となく。……それじゃ、おやすみ」
リフォンはミルラナの耳元で囁くと、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、ミルラナを解放した。
「……っ! お、おやすみっ!!」
ミルラナは顔を真っ赤にしたまま、逃げるようにリフォンの部屋を飛び出した。
「〜〜〜っ!! いきなりあんなことされて、眠れるわけないじゃない……っ!!」
その後、ミルラナは自分のベッドの中でしばらくの間悶々としていたのだった。
翌朝、二人が旅支度を整えてからセトゥラの部屋を訪ねると、彼女はいなかった。
宿の主人の話によると、道の修理の手伝いに行くと言って朝早くに出て行ったらしい。
二人がそこに向かうと、そこではセトゥラとベレリック、他数人の衛兵たちが作業していた。
「あっ、兄貴ーっ!」
セトゥラは二人の姿を見つけると、手を振りながら駆けてくる。
その様子は、いつもと同じように見えて、やはりどこか元気がないように感じられた。
ベレリックも二人に気づき、彼女に続いて二人のもとへと歩いてくる。
「おはよっ、兄貴、ミルラナ! ……あれ、どうしたの、その荷物」
「……セトゥラ、俺たちはこれからカートセリアに行くことになった。それで、お前のことなんだが……」
リフォンが言おうとするのを、セトゥラは儚げな笑みを浮かべながら手で制した。
「兄貴、わかってるよ。アタイは連れて行けない、ってことだろ? アタイがいると、足手まといになっちゃうもんな」
「……すまない。ここから先は、危険すぎる。お前を、守ってやれる保証もない」
「うん。……兄貴、行く前に、一つ、お願いがあるんだ」
「……何だ?」
セトゥラは、真っ直ぐにリフォンの目を見つめた。
「アタイと、もう一度だけ、本気で戦って欲しいんだ」
「……」
リフォンは無言でセトゥラの目を見つめ返す。
「勿論、アタイが勝ったら連れて行って、とかそんなことは言わないよ。ただ、一度だけ、本気で戦って欲しい。それだけだからさ。頼むよ」
リフォンはしばしセトゥラの目を見つめる。
セトゥラも、目を逸らさず、真っ直ぐにリフォンの目を見つめていた。
そして。
「……わかった」
リフォンはそう言うと、荷物を地面に置いた。
「……へへ、ありがとな、兄貴」
セトゥラも嬉しそうで、それでいて寂しそうな笑みを浮かべ、リフォンから距離をとる。
「……ミルラナ、前のときみたいに、掛け声、お願い」
「……わかったわ」
セトゥラの言葉に、ミルラナは素直に頷いた。
「それじゃ、二人とも、構えて」
ミルラナの言葉と共に、セトゥラとリフォンが同時に構えをとる。
「……始めっ!」
先に動いたのは、以前と同じく、セトゥラだった。
以前よりもさらに鋭く、速く、深い踏み込み。
セトゥラは一気にリフォンの懐に飛び込み、思い切り右の拳をリフォンの顔面目がけて繰り出した。
「うおりゃあああああああぁぁぁぁっ!!」
だが、リフォンはその一撃を、わずかに身体を引き、手で払って受け流す。
勢いのある攻撃なだけに、受け流されればバランスが大きく崩れる。
だが、その瞬間、セトゥラはわずかに笑みを浮かべた。
「っらあああああああぁぁぁぁっ!!」
受け流されるのと同時に、セトゥラはさらに一歩足を踏み出した。
そして、受け流された勢いをそのまま利用し、強引に身体を回転させ、リフォンの首を目がけて後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
まるで戦鎚のごとき強烈な一撃。そしてまさしく戦鎚を地面に叩き付けたかのような轟音が響く。
だが。
セトゥラが脚に感じる感覚は、まるで違ったものだった。
例えるなら、ふわふわの真綿。
確かに蹴りはリフォンの首の根元をとらえ、直撃している。
なのに、彼女の脚にはその衝撃も反動もなかった。
代わりに、リフォンがわずかに後ろに引いていた右足を中心に地面が陥没し、砂埃が舞っている。
「……なっ……!?」
理解できない現象に、セトゥラが戸惑った、その一瞬。
リフォンの右拳が、がら空きになったセトゥラの背中に叩き込まれた。
「がっ……!!」
炸裂音と共にセトゥラの身体は吹き飛ばされ、地面でバウンドし、そのままごろごろと転がり、そして止まった。
「セトゥラっ!?」
うつ伏せになったまま動かないセトゥラに、ミルラナが慌てて駆け寄る。
リフォンも、ゆっくりとセトゥラに歩み寄った。
「……っ、い、痛たたた……っ!」
痛みに顔をしかめながら、セトゥラがゆっくりと身体を起こし、ミルラナは胸をなでおろした。
「……全く、本気で、って言ったじゃんか……。それなのに、最後、手加減するんだもんなぁ……ぁ痛てて」
セトゥラは痛みに顔をしかめながらも笑顔を見せる。
リフォンは、そんな彼女に苦笑いしながら答えた。
「……悪い。やっぱり、女の子相手だとそれが限界なんだ。ただ……」
「……ただ?」
セトゥラが首をかしげる。
「……後ろ回し蹴り、直撃したのに当たってないような、変な感じがしただろ?」
「うん」
「あれは、自分の身体を通して衝撃を地面に全て逃がしたんだ。この技をまともに使ったのは初めてだ。……あの後ろ回し蹴りは、正直予想外だったよ」
そう言うリフォンは、少し悔しそうだった。
「……そっか。えへへ……」
セトゥラは嬉しそうに微笑むと、ミルラナに向き直った。
「……ミルラナ、兄貴のこと、好きなんだよね?」
「……うん」
ミルラナは、真っ直ぐセトゥラの顔を見て、頷いた。
セトゥラは、痛みに顔をしかめながら、ミルラナに拳を突き出した。
「……約束。兄貴のこと、アタイの分まで、ちゃんとサポートしてやるんだぞ」
「……うん。約束。任せといて」
そう言って、ミルラナはセトゥラの拳に自分の拳を当て、そしてそのままセトゥラを軽く抱きしめた。
リフォンはベレリックに向き直ると、頭を下げた。
「ベレリックさん、セトゥラのことを含め、よろしく頼みます」
「任せておけ。……全く、最後の最後でまた地面を壊していくとはな」
ベレリックが苦笑しながら答えると、リフォンはばつが悪そうに目を逸らしながら頭をぽりぽりと掻き、辺りに笑い声が響いた。
そして、セトゥラやベレリック達に見送られ、二人は北東の街、カートセリアへと旅立っていった。
セトゥラは、二人の背中が見えなくなるまで、ずっと笑顔で手を振り続けていた。
「……行っちゃった、なぁ」
振っていた手を下ろし、二人が歩いていった方を見つめながら、セトゥラはぽつりと呟く。
セトゥラの隣で、同じように二人が歩いていった方を見ながら、ベレリックが静かに口を開いた。
「うむ。……よく、我慢したな」
セトゥラの目からは、大粒の涙が次々とこぼれだしていた。
「……っく、これまでで、一番、負けて、っく、悔しかったなぁ……っ」
堪えきれず、セトゥラは声を上げて泣いた。
ベレリックはセトゥラの顔を見ず、二人が歩いていった方を見つめたまま、セトゥラの肩を優しく叩いていた。
「……よし、セトゥラ殿。今から飲みに行こうじゃないか」
「……っく、今からって、今、朝だよ? それに、衛兵の、リーダーなのに、そんなことして、いいの?」
「何、ちょっと職権濫用させてもらうだけだよ。さぁ、そうと決まれば行くぞ! この街の酒を飲みつくしてやろうじゃないか!」
「……あはは、仕方ないおっさんだなぁ……」
セトゥラは、泣き笑いのような表情で、ベレリックと共に街の中へと歩いていったのだった……。
13/04/07 20:48更新 / クニヒコ
戻る
次へ