過去との決別
夜になり、裏路地はすっかり暗くなる。
そんな中、酒場「三本足の鴉」の窓からは、灯りと賑やかな笑い声が漏れ出していた。
そんな酒場の扉をばーんと開け放ち、一人の男が入ってきた。
「ぅお〜う、こぉ〜んなところにも、ゥイック、飲める店が、ィック、あるじゃねぇかィック」
身なりこそ整っているが、顔は真っ赤で、足取りもおぼつかない。どう見ても酔っ払いだった。
「ぉお〜い、何でもいいから、ゥィック、酒ぇ、くれやゥイック」
男はふらふらとカウンターへと歩いていき、よろけるようにテーブルにもたれかかる。
中にいた客たちは、そのまま騒ぎながらも素早く互いに目配せをして、そしてテーブル近くにいた一人の巨漢が男に歩み寄った。
「おいおいおい、見慣れねぇ顔だが、えらく出来上がってるじゃねぇか。おっさん、大丈夫かぁ?」
「ぁあ〜ん!? お前のような奴にィック、おっさん呼ばわりされる筋合いはック、なぁ〜い!!」
男は巨漢を追い払うように手を振り回すが、全く狙いが定まっていない。
巨漢は苦笑しながら肩をすくめ、男の肩を担ぐように抱えた。
「ったく、困ったおっさんだぜ……。悪ぃが、この店は会員制でなぁ。おっさん、今日はもう飲まねぇで帰った方がいいぜ?」
「んだとぉ〜う? この店はぁ、ィック、俺に出す酒がぁ、ゥィック、ねぇってのかぁ〜!?」
「ったく、こちとらピリピリしてるってのによ……おら、おっさん、頑張って歩け」
そう言いながら、巨漢は男を引きずるようにして店を出ると、少し離れたところで男を解放した。
「ほれ、さっさと帰んな。んなところで寝るんじゃねぇぞ」
「ぅるせぇ、クソったれがぁ、ゥイック、おとといきやがれってんだゥィック!」
巨漢は地面にへたり込んだまま悪態をつく男を見て苦笑しながら肩をすくめると、店の中へと戻っていった。
男はしばし座ったままぐったりしていたが、巨漢の姿が見えなくなると、すっと立ち上がり、静かにその場から移動した。
さっきまでの様子が嘘のように、男は慎重に、店の方に注意を向けながら、素早く路地を曲がる。
そこには、隠れて様子を伺っていたリフォンたちがいた。
「……ふぅ、どうやら後を尾けられたりはしていないようだな。……どうした、何だその顔は」
リフォンたちは唖然とした様子でその男――衛兵たちのリーダーの顔を見つめていた。
彼が、リフォンたちに迷惑をかけた侘びとして、偵察を手伝わせて欲しいと願い出てきたのだ。
今回は前の街と同様に店の中の客が全員暗殺者であるという保証がなかったため、顔を知られているリフォンたちにとってはありがたい提案だった。
なので、彼に酔っ払いの一般人の振りをしてもらい、様子を探ってきてもらったわけなのだが。
「……あんた、本当に衛兵たちのリーダーさん、だよな……?」
髭を剃り、服を着替える等、簡単に変装しているとは言え、最初に会った時の彼とはあまりにもかけ離れた演技だった。
「はっはっは、これでも昔は役者を目指していたこともあったのだよ。……それと、私にはちゃんとベレリックという名前があるのだぞ?」
「あ、ああ。すまない。道理で、本当の酔っ払いみたいに見えたわけだ……」
「……あのおっさん、『より酔っ払いらしくするため』とか言って、浴びるほど酒飲んでいったよな……?」
「……今普通に会話してる方が信じられないわ……」
リフォンの背後で、ミルラナとセトゥラがひそひそとそんなことを話している。
「……で、中はどんな感じだった?」
リフォンも若干不安になったらしく、ベレリックにそう尋ねた。
「うむ、中は意外と広く、見える範囲にいたのは11人だな。奥の部屋とやらまでは見えなかった。会員制だと言っていたし、全員で素早く目配せをして私を追い出したところを見ると、皆暗殺者だと見て間違いあるまい」
ベレリックはさらさらと淀みなくそう答えた。恐ろしく冷静かつ的確な観察である。
「……ありがとな。これで、一般人が人質に取られる心配はなさそう、か」
最大の懸念事項がなくなり、リフォンはほっとした表情になる。
「何、当然のことをしたまでさ。部下たちも店に続く道全てに配置して封鎖してある。あとは……」
「ああ。突入、だな」
「うむ。こちらとしても不測の事態に備えておきたいし、ああいった連中を相手にするのは君たちの方が場慣れしている。……申し訳ないが、よろしく頼んだぞ」
「任せておいてくれ。……それじゃ、行きますか」
リフォンはそう言って歩き出し――ふらりとよろけるように近くの壁に手をついた。
「ちょっと、リフォン? 大丈夫?」
ミルラナが心配そうに声をかける。
「っと……ああ、大丈夫だ。暗くて足元の石に気づかんかっただけだ」
「何だよ、兄貴らしくないなー。気をつけろよー?」
「おう。ありがとな」
セトゥラの忠告に、リフォンは笑ってひらひらと手を振りながら答える。
だが、ミルラナの表情はまだ晴れなかった。
「……リフォン、本当に大丈夫なの? 無理してるんじゃ……」
「……ありがとうな、ミルラナ。俺なら大丈夫だ。気を引き締めていこう」
「……うん……」
ミルラナはそれ以上追及せず、心配そうにリフォンを見つめつつも、リフォンの後に続いた。
入り口のドアを普通に開き、リフォンたちは店の中へと入った。
店の中でわいわいと騒いでいた男たちの視線がリフォンたちに一気に集中する。
すぐに、一人の巨漢がにやにや笑いながらリフォンたちに歩み寄った。ベレリックを追い出した男だった。
「よう兄ちゃん、見ねぇ顔だなぁ? 悪ぃが、ここは女連れで来るような所じゃねぇぜ。わかってるだろ?」
「そりゃ知らんかった。次からは気をつけるさ。……ところで、『奥の部屋』は空いてるかい?」
その言葉を聞いて、巨漢の顔が一瞬引き攣る。
「……なるほど、茶番はいらねぇ、ってことか、よっ!!」
巨漢はその外見からは考え付かないほどの速さで短剣を閃かせ、リフォンの喉を切り裂こうとする。
だが、リフォンはそれよりも速くその腕を払い、同時に巨漢の腹に軽く拳をあてた。
「ぐ、ほぉ……っ!?」
巨漢は身体をくの字に曲げ、白目をむいてその場に崩れ落ちる。
その直後、周りの男たちも次々と3人に襲い掛かっていった。
「……? こいつら……!?」
「……っ!! この動き、まさか……!?」
リフォンとミルラナは、その違和感に気づいた。
最初の巨漢をはじめ、敵の戦い方が、ミルラナのそれと非常に似通っていたのだ。
リフォンはセトゥラをかばうようにしながら敵の攻撃を次々と捌き、ミルラナも敵の武器を折り、首を打ち据えて倒していった。
戦えば戦うほど、敵の動きはミルラナと似ていることがわかる。
そして11人の敵が全て床に倒れ伏し、リフォンは小さく息を整える。
「……ふぅ……。なぁ、ミルラナ、こいつらの戦い方……」
リフォンがそう言いながらミルラナを振り返ると、ミルラナは自分の身体を抱くようにしながらがたがたと震えていた。
リフォンとセトゥラは、そんな彼女に慌てて駆け寄った。
「ミルラナ!? 大丈夫か、怪我でもしたのか!?」
「ちょっとちょっと、大丈夫!?」
ミルラナは、なおも震えており、
「……まさか……まさか……!」
と呟いている。
リフォンは、そんな彼女の肩に優しく手を乗せた。
「……あ……リフォ、ン……?」
「……落ち着いたか? 何があったのかはわからないが、無理はしないほうがいい。お前だけでも引き返していいんだぞ?」
「……そうだよ。何か、すっごく怯えてるみたいだったぞ?」
セトゥラも心配そうにミルラナの顔を覗き込む。
「……ごめん、大丈夫。……これは、私自身の問題だから、私が、ケリをつけなきゃ……」
ミルラナはそう言うと、未だ震えている身体を押さえつけるようにしながら顔を上げた。
「……ミルラナ、俺たちは仲間なんだ。いつでも、頼ってくれていいんだからな?」
「そうそう、アタイだって特別に手助けしてあげちゃうぞー!」
2人の言葉が嬉しくて、ミルラナはわずかに微笑んだ。
「……うん。ありがと、二人とも。……行きましょ」
3人は、奥の部屋へと歩き出した。
情報通り、奥にあった個室にはクローゼットがあった。
罠に注意しつつ開けてみると、一見普通のクローゼットのように見えるが、奥が隠し扉になっていることに気づく。
かなり巧妙に隠されており、事前情報がなければ発見するのは難しかっただろう。
隠し扉を開けた先は狭い下り階段になっており、リフォンたちはその中を慎重に下りていった。
暗く狭い階段を下りた先にも扉があり、リフォンは警戒しつつ扉を開く。
扉の先は想像以上に広い空間が広がっており、何かを記した紙がテーブルの上に散乱していたり、あちこちに空の酒瓶が転がっていたりと、いかにもな雰囲気をかもし出していた。
そして、その奥に、一人の男が待ち構えていたかのように立っていた。
「……っ、ぁ……」
男の顔を見て、ミルラナの表情がとたんに強張る。
男は口元に冷たい笑みを浮かべたまま、ミルラナのことを見つめていた。
「久しぶりだな、ミルラナ」
男がゆっくりと口を開く。
「こういう形でお前と再会するとはな。……やはり俺の見込み違いだったようだ」
「……っ……!」
ミルラナは青ざめた顔で、小さく震えている。
リフォンは男を警戒したまま、ミルラナに声をかけた。
「……ミルラナ、知り合いか?」
ミルラナは答えず、代わりにその男が答えた。
「……何だ、話していなかったのか? なら折角だから教えてやろう。そいつの、過去を」
「…………て……」
ミルラナが何かを呟くが、男は気にせずに続ける。
「そいつは人買いに売られてたのを、俺が買ってやったのさ。そいつは、俺に捨てられたくないとか言って、無様にもがいてたなぁ」
「……め……て……!」
男は冷たい笑みを浮かべたまま続ける。
「馬鹿な奴だよ。所詮道具に過ぎねぇってのに。挙句の果てに拾ってやった恩も忘れて寝返るとはな。全く、使えないなんてもんじゃねぇ、見込み違いもいいとこだ。お前は道具以下、ゴミだよゴミ! くはははははははは!!」
「……もう、やめてぇ……っ!!」
男の笑い声に、ミルラナはガタガタ震えながら自分の耳を押さえる。
そんな時、彼女の頭に何かが優しく触れた。
リフォンの手だった。
リフォンはミルラナをかばうように一歩前に踏み出し、
「……黙れ」
と、静かに口を開いた。
その言葉の中に秘められているのは、明確な「怒り」だった。
「おっと、今の話はお気に召さなかったか?」
男はニヤニヤ笑いながらそう言うが、リフォンはそれには答えず、さらに一歩足を踏み出す。
「……セトゥラ、ミルラナを頼む」
「……わかった。アタイも、あーいう奴、心の底から大っっっ嫌いだ! 兄貴、あんな奴、思いっきりぶっ飛ばしちゃえ!」
「……勿論だ」
セトゥラも怒りに満ちた目で男を睨みつけながら、そっとミルラナに寄り添った。
「随分とお怒りのようだな。そこでガタガタ震えてるゴミがそんなにお気に入りか?」
「……ミルラナは俺の大切な相棒だ。ミルラナを傷つけ、ゴミ呼ばわりしたお前を、俺は絶対に許さない……!」
「……リフォ、ン……」
冷たく、傷ついたミルラナの心が、リフォンの言葉により暖かさを取り戻し、癒されていく。
出会ってからこれまで、何度リフォンの優しさに救われてきたことだろう。
ミルラナは、暖かいものが胸の中に広がっていくのを感じていた。
「……そうかい。まぁ、こちらとしても生きて帰すつもりはさらさらねぇけどな。……俺を、上にいた奴らやそこのゴミと同じだと思うな、よっ!!」
一瞬の出来事だった。
何の予備動作もなく、男は短剣を閃かせた。
目で捉えることなど不可能に近い、首を狙った神速の一撃。
だが、リフォンはそれすらも見切り、わずかに身体を動かし、軽く手で払うことで、紙一重でその一撃をかわす。
同時に、リフォンは男の腹に拳を「全力で」叩き込んでいた。
炸裂音に近い音と共に、男の身体は壁に叩きつけられていた。
「が、ぶぁっ……!?」
男の腹が大きく陥没し、男の口からは血が溢れた。
そのままずるずると力なく崩れ落ちる男を一瞥し、リフォンはくるりと男に背を向ける。
そして、セトゥラとミルラナのもとへ歩み寄ろうとして――
――その場に、がくっと膝をついた。
「兄貴っ!?」
「リフォンっ!?」
セトゥラとミルラナが同時に叫ぶ。
そして、二人は同時に気づいた。
……リフォンの背後で、力尽きたはずの男が無理矢理身体を起こし、リフォンに飛びかかろうとしていた。
「ぐ、がああああああああぁぁぁぁぁっ!!」
喉から絞り出すような咆哮と共に、男が床を蹴る。
先程受けたダメージを考えれば出来るはずのない、あまりにも鋭い踏み込み。
「しまっ……!?」
セトゥラは男の動きに反応が間に合わず、最悪の結末が頭をよぎる。
だが。
次の瞬間、乾いた金属音が響く。
「がっ……!?」
折れた短剣の刃が、まるでスローモーションのように床に落ちる。
リフォンを守るように短剣を構え、そこに立っていたのは、ミルラナだった。
「ミ゛ル゛ラ゛ナ゛……っ!?」
男は驚愕の表情で、かすれた声で叫ぶ。
ミルラナは男を力強く睨みつけ、そして、
「……私は、もう、お前たちの道具でも、ゴミでもないっ!! 私はミルラナ! リフォンの、パートナーだっ!!」
そう、叩きつけるように叫び、男の首に斬れない短剣で強烈な一撃を叩き込んだ。
鈍い音と共に男の身体は床へと叩きつけられ、そして男は、今度こそ、動かなくなった。
ミルラナは既に男には目もくれず、慌ててリフォンに駆け寄った。
「……はは、最後の最後で守られることになるとは、我ながら、情けない、な……」
「そんなこと……!! それよりリフォン、大丈夫なの!?」
「何、ちょっとばかり、疲れただけさ。……ミルラナ、さっきの、よく言ったな。流石、俺の、パートナー、だ……」
リフォンはそこまで言うと、そのまま床にどさりと倒れた。
「リフォン!? ねぇ、しっかりしてよ!! リフォン!! リフォン――!!」
「兄貴、しっかりしてくれよぉ!! 兄貴!! 兄貴ってばぁ――!!」
ミルラナとセトゥラの声だけが、辺りに響いていた。
そんな中、酒場「三本足の鴉」の窓からは、灯りと賑やかな笑い声が漏れ出していた。
そんな酒場の扉をばーんと開け放ち、一人の男が入ってきた。
「ぅお〜う、こぉ〜んなところにも、ゥイック、飲める店が、ィック、あるじゃねぇかィック」
身なりこそ整っているが、顔は真っ赤で、足取りもおぼつかない。どう見ても酔っ払いだった。
「ぉお〜い、何でもいいから、ゥィック、酒ぇ、くれやゥイック」
男はふらふらとカウンターへと歩いていき、よろけるようにテーブルにもたれかかる。
中にいた客たちは、そのまま騒ぎながらも素早く互いに目配せをして、そしてテーブル近くにいた一人の巨漢が男に歩み寄った。
「おいおいおい、見慣れねぇ顔だが、えらく出来上がってるじゃねぇか。おっさん、大丈夫かぁ?」
「ぁあ〜ん!? お前のような奴にィック、おっさん呼ばわりされる筋合いはック、なぁ〜い!!」
男は巨漢を追い払うように手を振り回すが、全く狙いが定まっていない。
巨漢は苦笑しながら肩をすくめ、男の肩を担ぐように抱えた。
「ったく、困ったおっさんだぜ……。悪ぃが、この店は会員制でなぁ。おっさん、今日はもう飲まねぇで帰った方がいいぜ?」
「んだとぉ〜う? この店はぁ、ィック、俺に出す酒がぁ、ゥィック、ねぇってのかぁ〜!?」
「ったく、こちとらピリピリしてるってのによ……おら、おっさん、頑張って歩け」
そう言いながら、巨漢は男を引きずるようにして店を出ると、少し離れたところで男を解放した。
「ほれ、さっさと帰んな。んなところで寝るんじゃねぇぞ」
「ぅるせぇ、クソったれがぁ、ゥイック、おとといきやがれってんだゥィック!」
巨漢は地面にへたり込んだまま悪態をつく男を見て苦笑しながら肩をすくめると、店の中へと戻っていった。
男はしばし座ったままぐったりしていたが、巨漢の姿が見えなくなると、すっと立ち上がり、静かにその場から移動した。
さっきまでの様子が嘘のように、男は慎重に、店の方に注意を向けながら、素早く路地を曲がる。
そこには、隠れて様子を伺っていたリフォンたちがいた。
「……ふぅ、どうやら後を尾けられたりはしていないようだな。……どうした、何だその顔は」
リフォンたちは唖然とした様子でその男――衛兵たちのリーダーの顔を見つめていた。
彼が、リフォンたちに迷惑をかけた侘びとして、偵察を手伝わせて欲しいと願い出てきたのだ。
今回は前の街と同様に店の中の客が全員暗殺者であるという保証がなかったため、顔を知られているリフォンたちにとってはありがたい提案だった。
なので、彼に酔っ払いの一般人の振りをしてもらい、様子を探ってきてもらったわけなのだが。
「……あんた、本当に衛兵たちのリーダーさん、だよな……?」
髭を剃り、服を着替える等、簡単に変装しているとは言え、最初に会った時の彼とはあまりにもかけ離れた演技だった。
「はっはっは、これでも昔は役者を目指していたこともあったのだよ。……それと、私にはちゃんとベレリックという名前があるのだぞ?」
「あ、ああ。すまない。道理で、本当の酔っ払いみたいに見えたわけだ……」
「……あのおっさん、『より酔っ払いらしくするため』とか言って、浴びるほど酒飲んでいったよな……?」
「……今普通に会話してる方が信じられないわ……」
リフォンの背後で、ミルラナとセトゥラがひそひそとそんなことを話している。
「……で、中はどんな感じだった?」
リフォンも若干不安になったらしく、ベレリックにそう尋ねた。
「うむ、中は意外と広く、見える範囲にいたのは11人だな。奥の部屋とやらまでは見えなかった。会員制だと言っていたし、全員で素早く目配せをして私を追い出したところを見ると、皆暗殺者だと見て間違いあるまい」
ベレリックはさらさらと淀みなくそう答えた。恐ろしく冷静かつ的確な観察である。
「……ありがとな。これで、一般人が人質に取られる心配はなさそう、か」
最大の懸念事項がなくなり、リフォンはほっとした表情になる。
「何、当然のことをしたまでさ。部下たちも店に続く道全てに配置して封鎖してある。あとは……」
「ああ。突入、だな」
「うむ。こちらとしても不測の事態に備えておきたいし、ああいった連中を相手にするのは君たちの方が場慣れしている。……申し訳ないが、よろしく頼んだぞ」
「任せておいてくれ。……それじゃ、行きますか」
リフォンはそう言って歩き出し――ふらりとよろけるように近くの壁に手をついた。
「ちょっと、リフォン? 大丈夫?」
ミルラナが心配そうに声をかける。
「っと……ああ、大丈夫だ。暗くて足元の石に気づかんかっただけだ」
「何だよ、兄貴らしくないなー。気をつけろよー?」
「おう。ありがとな」
セトゥラの忠告に、リフォンは笑ってひらひらと手を振りながら答える。
だが、ミルラナの表情はまだ晴れなかった。
「……リフォン、本当に大丈夫なの? 無理してるんじゃ……」
「……ありがとうな、ミルラナ。俺なら大丈夫だ。気を引き締めていこう」
「……うん……」
ミルラナはそれ以上追及せず、心配そうにリフォンを見つめつつも、リフォンの後に続いた。
入り口のドアを普通に開き、リフォンたちは店の中へと入った。
店の中でわいわいと騒いでいた男たちの視線がリフォンたちに一気に集中する。
すぐに、一人の巨漢がにやにや笑いながらリフォンたちに歩み寄った。ベレリックを追い出した男だった。
「よう兄ちゃん、見ねぇ顔だなぁ? 悪ぃが、ここは女連れで来るような所じゃねぇぜ。わかってるだろ?」
「そりゃ知らんかった。次からは気をつけるさ。……ところで、『奥の部屋』は空いてるかい?」
その言葉を聞いて、巨漢の顔が一瞬引き攣る。
「……なるほど、茶番はいらねぇ、ってことか、よっ!!」
巨漢はその外見からは考え付かないほどの速さで短剣を閃かせ、リフォンの喉を切り裂こうとする。
だが、リフォンはそれよりも速くその腕を払い、同時に巨漢の腹に軽く拳をあてた。
「ぐ、ほぉ……っ!?」
巨漢は身体をくの字に曲げ、白目をむいてその場に崩れ落ちる。
その直後、周りの男たちも次々と3人に襲い掛かっていった。
「……? こいつら……!?」
「……っ!! この動き、まさか……!?」
リフォンとミルラナは、その違和感に気づいた。
最初の巨漢をはじめ、敵の戦い方が、ミルラナのそれと非常に似通っていたのだ。
リフォンはセトゥラをかばうようにしながら敵の攻撃を次々と捌き、ミルラナも敵の武器を折り、首を打ち据えて倒していった。
戦えば戦うほど、敵の動きはミルラナと似ていることがわかる。
そして11人の敵が全て床に倒れ伏し、リフォンは小さく息を整える。
「……ふぅ……。なぁ、ミルラナ、こいつらの戦い方……」
リフォンがそう言いながらミルラナを振り返ると、ミルラナは自分の身体を抱くようにしながらがたがたと震えていた。
リフォンとセトゥラは、そんな彼女に慌てて駆け寄った。
「ミルラナ!? 大丈夫か、怪我でもしたのか!?」
「ちょっとちょっと、大丈夫!?」
ミルラナは、なおも震えており、
「……まさか……まさか……!」
と呟いている。
リフォンは、そんな彼女の肩に優しく手を乗せた。
「……あ……リフォ、ン……?」
「……落ち着いたか? 何があったのかはわからないが、無理はしないほうがいい。お前だけでも引き返していいんだぞ?」
「……そうだよ。何か、すっごく怯えてるみたいだったぞ?」
セトゥラも心配そうにミルラナの顔を覗き込む。
「……ごめん、大丈夫。……これは、私自身の問題だから、私が、ケリをつけなきゃ……」
ミルラナはそう言うと、未だ震えている身体を押さえつけるようにしながら顔を上げた。
「……ミルラナ、俺たちは仲間なんだ。いつでも、頼ってくれていいんだからな?」
「そうそう、アタイだって特別に手助けしてあげちゃうぞー!」
2人の言葉が嬉しくて、ミルラナはわずかに微笑んだ。
「……うん。ありがと、二人とも。……行きましょ」
3人は、奥の部屋へと歩き出した。
情報通り、奥にあった個室にはクローゼットがあった。
罠に注意しつつ開けてみると、一見普通のクローゼットのように見えるが、奥が隠し扉になっていることに気づく。
かなり巧妙に隠されており、事前情報がなければ発見するのは難しかっただろう。
隠し扉を開けた先は狭い下り階段になっており、リフォンたちはその中を慎重に下りていった。
暗く狭い階段を下りた先にも扉があり、リフォンは警戒しつつ扉を開く。
扉の先は想像以上に広い空間が広がっており、何かを記した紙がテーブルの上に散乱していたり、あちこちに空の酒瓶が転がっていたりと、いかにもな雰囲気をかもし出していた。
そして、その奥に、一人の男が待ち構えていたかのように立っていた。
「……っ、ぁ……」
男の顔を見て、ミルラナの表情がとたんに強張る。
男は口元に冷たい笑みを浮かべたまま、ミルラナのことを見つめていた。
「久しぶりだな、ミルラナ」
男がゆっくりと口を開く。
「こういう形でお前と再会するとはな。……やはり俺の見込み違いだったようだ」
「……っ……!」
ミルラナは青ざめた顔で、小さく震えている。
リフォンは男を警戒したまま、ミルラナに声をかけた。
「……ミルラナ、知り合いか?」
ミルラナは答えず、代わりにその男が答えた。
「……何だ、話していなかったのか? なら折角だから教えてやろう。そいつの、過去を」
「…………て……」
ミルラナが何かを呟くが、男は気にせずに続ける。
「そいつは人買いに売られてたのを、俺が買ってやったのさ。そいつは、俺に捨てられたくないとか言って、無様にもがいてたなぁ」
「……め……て……!」
男は冷たい笑みを浮かべたまま続ける。
「馬鹿な奴だよ。所詮道具に過ぎねぇってのに。挙句の果てに拾ってやった恩も忘れて寝返るとはな。全く、使えないなんてもんじゃねぇ、見込み違いもいいとこだ。お前は道具以下、ゴミだよゴミ! くはははははははは!!」
「……もう、やめてぇ……っ!!」
男の笑い声に、ミルラナはガタガタ震えながら自分の耳を押さえる。
そんな時、彼女の頭に何かが優しく触れた。
リフォンの手だった。
リフォンはミルラナをかばうように一歩前に踏み出し、
「……黙れ」
と、静かに口を開いた。
その言葉の中に秘められているのは、明確な「怒り」だった。
「おっと、今の話はお気に召さなかったか?」
男はニヤニヤ笑いながらそう言うが、リフォンはそれには答えず、さらに一歩足を踏み出す。
「……セトゥラ、ミルラナを頼む」
「……わかった。アタイも、あーいう奴、心の底から大っっっ嫌いだ! 兄貴、あんな奴、思いっきりぶっ飛ばしちゃえ!」
「……勿論だ」
セトゥラも怒りに満ちた目で男を睨みつけながら、そっとミルラナに寄り添った。
「随分とお怒りのようだな。そこでガタガタ震えてるゴミがそんなにお気に入りか?」
「……ミルラナは俺の大切な相棒だ。ミルラナを傷つけ、ゴミ呼ばわりしたお前を、俺は絶対に許さない……!」
「……リフォ、ン……」
冷たく、傷ついたミルラナの心が、リフォンの言葉により暖かさを取り戻し、癒されていく。
出会ってからこれまで、何度リフォンの優しさに救われてきたことだろう。
ミルラナは、暖かいものが胸の中に広がっていくのを感じていた。
「……そうかい。まぁ、こちらとしても生きて帰すつもりはさらさらねぇけどな。……俺を、上にいた奴らやそこのゴミと同じだと思うな、よっ!!」
一瞬の出来事だった。
何の予備動作もなく、男は短剣を閃かせた。
目で捉えることなど不可能に近い、首を狙った神速の一撃。
だが、リフォンはそれすらも見切り、わずかに身体を動かし、軽く手で払うことで、紙一重でその一撃をかわす。
同時に、リフォンは男の腹に拳を「全力で」叩き込んでいた。
炸裂音に近い音と共に、男の身体は壁に叩きつけられていた。
「が、ぶぁっ……!?」
男の腹が大きく陥没し、男の口からは血が溢れた。
そのままずるずると力なく崩れ落ちる男を一瞥し、リフォンはくるりと男に背を向ける。
そして、セトゥラとミルラナのもとへ歩み寄ろうとして――
――その場に、がくっと膝をついた。
「兄貴っ!?」
「リフォンっ!?」
セトゥラとミルラナが同時に叫ぶ。
そして、二人は同時に気づいた。
……リフォンの背後で、力尽きたはずの男が無理矢理身体を起こし、リフォンに飛びかかろうとしていた。
「ぐ、がああああああああぁぁぁぁぁっ!!」
喉から絞り出すような咆哮と共に、男が床を蹴る。
先程受けたダメージを考えれば出来るはずのない、あまりにも鋭い踏み込み。
「しまっ……!?」
セトゥラは男の動きに反応が間に合わず、最悪の結末が頭をよぎる。
だが。
次の瞬間、乾いた金属音が響く。
「がっ……!?」
折れた短剣の刃が、まるでスローモーションのように床に落ちる。
リフォンを守るように短剣を構え、そこに立っていたのは、ミルラナだった。
「ミ゛ル゛ラ゛ナ゛……っ!?」
男は驚愕の表情で、かすれた声で叫ぶ。
ミルラナは男を力強く睨みつけ、そして、
「……私は、もう、お前たちの道具でも、ゴミでもないっ!! 私はミルラナ! リフォンの、パートナーだっ!!」
そう、叩きつけるように叫び、男の首に斬れない短剣で強烈な一撃を叩き込んだ。
鈍い音と共に男の身体は床へと叩きつけられ、そして男は、今度こそ、動かなくなった。
ミルラナは既に男には目もくれず、慌ててリフォンに駆け寄った。
「……はは、最後の最後で守られることになるとは、我ながら、情けない、な……」
「そんなこと……!! それよりリフォン、大丈夫なの!?」
「何、ちょっとばかり、疲れただけさ。……ミルラナ、さっきの、よく言ったな。流石、俺の、パートナー、だ……」
リフォンはそこまで言うと、そのまま床にどさりと倒れた。
「リフォン!? ねぇ、しっかりしてよ!! リフォン!! リフォン――!!」
「兄貴、しっかりしてくれよぉ!! 兄貴!! 兄貴ってばぁ――!!」
ミルラナとセトゥラの声だけが、辺りに響いていた。
13/04/05 15:55更新 / クニヒコ
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