読切小説
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僕のお母さんを紹介します
 爽やかな風の吹く五月初めの、学校からの帰り道。安藤樹は今日も一人で家路へと向かっていた。頭を下げ、黙って道を歩いていた。

「……」

 自分の周りには自分と同じ学校に通っている子達が、まばらになって同じ道を歩いていた。そこには同じ学年の子もいたし、自分より年上の子もいた。そして自分より年下の子もいて、彼らないし彼女らは自分の上半身と同じくらいの大きさのランドセルを必死に背負いながら、上級生と一緒に家路へと向かっていた。

「でさー。このまえ私がそう言ったらさー」
「えー、本当なのー?」
「……」

 彼らは樹と同じ格好をしていた。同じ学帽、同じ制服、同じランドセル。そんな樹と同じ外見を持った彼らは仲の良い者同士、もしくは先輩後輩同士でグループを作って下校していた。
 樹はひとりぼっちだった。周囲が歩道いっぱいに広がって仲良く談笑する一方で、彼は頭を下げて自分の足下とその周囲の地面を真っ直ぐ見つめながら、無言で朝来た道を逆に辿って行っていた。
 だが樹はそれを苦とは思っていなかった。耳に入ってくる楽しげな声も気にならなかった。一人になるのは慣れていたからだ。




 下校する生徒の集団から離れて、樹は学校から家までの帰り道を真っ直ぐ進んでいたが、そのまま家に帰る気は無かった。今家に帰っても誰もいないからだ。家に帰って夜に寝て、朝に起きても誰もいないからだ。
 だから彼は下校時にはいつも、家に帰る前にちょっと寄り道をする事にしていた。一人で行動する彼を咎める者はいなかった。彼は一人だったからだ。

「……あった」

 そこは通学路の途中にある、一つの建物だった。正面には樹の身長のほぼ二倍の高さを持った柵のような門があり、門の横には詰め所が建てられていた。門の向こうには半球型のドーム状の建物が一つあり、そのドームは縦横に組まれた細い鉄骨の上から透明なビニールを被せるようにして作られていた。
 そのドームは鉄骨がある程度錆びてはいたが全体的には清潔な印象を持っていた。だが詰め所の方は壁の塗装が剥がれてボロボロに朽ち果てており、窓口にあるガラス窓にもヒビが入っていた。
 そして門もまた塗装が剥げ落ちて詰め所と同じくらいに朽ち果て、更に柵の部分には植物の蔦が好き放題に絡み付いていた。そんな蔦だらけの門の端っこに、門と同じくらい朽ち果てていた木製の看板が貼り付けられていた。
 そこにはデフォルメされた狸のイラストと共に『おさかべ植物園』と書かれていた。
 植物園。それは彼にとっては楽園のような響きを持っていた。

「……ごめんくださーい」

 樹がその門の前で立ち止まり、そして門の横にある詰め所に近づいてその中へヒビ割れた窓ガラス越しに大きな声で呼びかけた。するとそれまで全く人気の無かったその詰め所の下の方から、不意に一人の女性がひょいとガラス窓越しに姿を現した。

「おお、花好きの坊ちゃん。今日も来たのかい?」

 それは頭の上に大きな葉っぱを乗せ、肩に『おさかべ』と書かれたバッジをつけた、ほんわかとした雰囲気を持つ女性だった。外見こそ人間と大差ないが、その葉っぱと言い金色に輝く両目と言い、彼女は普通の人間とはどこか違う異様な特徴や雰囲気を纏っていた。

「今日も遊びに来たのかい? いつも通り?」
「うん。おさかべさん、門あけてくれませんか?」
「ああ、うんうん。わかったよ。ちょっと待っておくれ」

 おさかべさんと呼ばれた女性はまるで孫に語りかけるかのように柔らかな口調で樹に答え、手元にあるスイッチ――窓の下にあったので樹の方からは見えなかった――に指をかけた。その直後、金属同士の擦れる甲高い音を響かせながら門が左右に割り開かれていく。

「じゃあ、樹ちゃん。あの子によろしくねえ」
「うん。じゃあおさかべさん、またね!」

 下校時には見せなかった朗らかな笑みをおさかべさんに向け、樹が門の向こうへと走り去っていく。おさかべさんはその後ろ姿を見ながら、「若いっていいねえ」とご馳走を前にしたかのように、音を立てて舌なめずりをした。




 樹は真っ直ぐに件のドームへと駆け寄っていった。ドームは近づくほどに巨大な物として樹の前にたちはだかったが、樹は気後れする事無く目の前にあるプラスチック製の枠の中にビニールを張ったドアを開けてドームの中へ入っていった。
 ドームの中はまさに植物の宝庫――花好きの樹にとっては正に楽園であった。
 中に人間が通るような通路は全く存在せず、樹の膝ほどの高さを持った雑草が隙間無く辺り一面に生い茂っていた。更にその雑草の中に紛れて大小様々な花や木々が至る所に無造作に生えていた。黄色い花や赤い花、紫の花に青い花。縦では無く横に広がった木やドームのてっぺんまで届かんとしている程の高さを具えた大木など、バラエティ豊かな植物の群れが視界いっぱいに広がっていた。
 そんなまともに道も整備されていない小さな密林の中を、樹はしっかりとした足取りで迷うこと無く踏み進んでいった。その顔は期待と興奮で赤くなっていたが、それは彼が大好きな草花に囲まれていたからだけでは無かった。

「あら、樹君。いらっしゃい」

 そして樹がそのドームの中程まで進んだ時、彼を呼び止める女性の声がどこからか聞こえてきた。樹は立ち止まって辺りを見回すが、その時彼の右手に生えていた一際太い大木――中に樹が入り込めてしまうほどに巨大な木だった――の真中の部分から何かがへし折れる乾いた音が響き、その音のした部分だけが弓なりに折れ曲がるようにして左右に割り開かれていった。

「あ」

 音を耳にした樹がその木の方へ目をやる。開かれた所から見えるその木の中は空洞だった。そしてその空っぽな木の壁面に、一人の黄緑色の肌をした女性の上半身だけが貼り付いていた――正確には、女性の腰から上が木の内側から生えて来ていた。
 明らかに普通の人間では無かった。だがその女性の姿を見た途端、樹は怖がるどころか喜びに顔を輝かせた。

「エンジュさん!」
「こんにちは、樹君」

 柔らかな笑みを浮かべる女性――ドリアードのエンジュに向かって、樹がその顔に喜色満面の色を浮かべて駆け寄っていく。そして躊躇うこと無く割り開かれた所から木の中へと入り込み、エンジュのすぐ近くまで近づいていった。そして樹はエンジュの顔を見上げながら屈託の無い笑みを浮かべて言った。

「えへへ。エンジュさん、今日も来ちゃった」
「もう、樹君たら。ここに来るのはいつもの事じゃない」
「え? そうかな?」
「そうよ。初めて会ってから、もう毎日来ているわよ」

 樹と顔が合う高さにまで音も無く腰を下ろし、その慈愛に満ちた目で彼の眼を見つめながらエンジュが言った。樹はそのエンジュの真っ直ぐな眼差しに一瞬ドキリとしたが、すぐにバツの悪い表情を浮かべてか細い声で呟いた。

「やっぱり、毎日来るのは迷惑だった?」
「ああ、違う。違うの。迷惑とか全然思ってないから。いつでも歓迎っていうか、樹君は悪くないから、ね?」

 項垂れ、見るからに意気消沈した樹を前にエンジュが両手を顔の横で振りながら慌てて弁明する。そしてそれでもなお暗い表情を崩さない樹を前に、やがてエンジュは慌てた素振りを打ち消して小さくため息を吐いた。

「もう、樹君は心配性なんだから」
「え?」

 意味がわからず顔を上げた樹の腰に手を回し、その小さな体をエンジュが優しく抱き留めた。

「あ、の……え?」
「大丈夫よ。樹君」
「……エンジュ、さん?」

 腕に力を込め、更に強く樹を抱きしめる。

「私は、ずっと君の傍にいるから。君の傍にいるからね」

 そして樹の耳元でそっと、優しい声で囁く。

「約束よ」
「うん……」

 それを聞いた樹は顔を真っ赤にし、他では感じる事の出来ない温もりに思わず目頭を熱くさせる。そしてたわわに実ったエンジュの胸が押し当てられ、その柔らかな感触を直に感じた事によって、彼の心臓はいつもよりもずっと速く高鳴っていった。だが樹が何か言おうと口を開いた瞬間、エンジュは自分から体を離して再び樹と相対し、初めの頃と変わらない明るい口調で樹に言った。

「さ、まずはやる事済ませましょ? 樹君、準備準備♪」
「あ、うん。ちょっと待ってて」

 その声が樹の頭を急激に冷やしていった。そしてエンジュの声を受けて樹が大急ぎでランドセルを降ろして中身を外に出していく。その一方、エンジュは自分の生えている木の内側の上方から先端がテーブルのように滑らかな表面を持ち、それでいて丸く大きく広がった一本の太い木の枝――樹のお願いに答えたエンジュが自ら拵えた特別製の枝である――を降ろし、それを座った樹の胸元辺りの高さにまで降ろしてきた。それを見た樹もまた、ランドセルから引っ張り出した教材を慣れた手つきで次々とそのテーブルの上に置いていく。

「今日はそれで全部かしら?」
「うん。今日出た宿題はこれくらいかな」

 テーブルの上に置かれた教材の山を見て言ったエンジュに樹が返す。その樹が置いたノートの一つを手に取りながら、「進学校はやっぱり違うのね」と独りごちた。

「そうなんですか? それが普通だと思うんですけど」
「普通の小学生はこんなに宿題はしないわよ。少なくとも、私が今まで見てきた中では、ここまでするのは進学校の生徒だけよ」
「そうなんですか」

 感心したように樹が答え、次いで「長生きしてる人は違うなあ」と呟いた。その素直な賞賛の言葉を受けて「年長者は敬わないとね」と得意げに返した後、エンジュが笑みを浮かべながら彼に言った。

「じゃ、今からお勉強を始めしょう。いつも通り人生の先輩としてアドバイスしてあげるわ。樹君、用意はいいわね?」
「はい。お願いします」

 エンジュに対して樹がハキハキと答える。その姿は一見、家庭教師と生徒というお堅い関係の様に見えたが、その後仲良く談笑しながらも真剣に宿題に取り組む樹とそれをサポートするエンジュの姿は、まさに血の繋がった姉弟か親子のように見えた。

「はい、せいかーい♪ 樹君、よくわかったわね。偉い偉い♪」
「ちょ、ちょっとエンジュさん、そんなに抱きつかないで……」
「これはよく頑張った樹君へのご褒美なの♪ さあ樹君、この私の完熟ボディ、思う存分味わっても良いんだからね♪」
「だ、だから、そんなに近く――うわあっ! 耳に息吹かないで! 集中出来なくなるって何度も言ってるじゃないですか!」

 若干スキンシップ過多な気がするが――樹が問題を解いてる時にもエンジュはその背中から抱きついていた――それでも彼らはとても幸せそうであった




 それから九十分後、エンジュの指導の下で宿題と予習復習を済ませた樹は、彼女と一緒に件のテーブル枝の上に置かれたチェス盤を使ってチェス勝負を楽しんでいた。既に陽は沈みかかっていたが、エンジュも樹もそれを気にする様子は無かった。

「はい。チェックメイト」
「ええ!? ウソ!?」

 ポーンをキングの真正面に置き、エンジュが静かに宣言する。そのエンジュの宣言に樹が目を丸くし、盤上の駒を舐めるように見つめていく。そうする内に樹の顔から覇気が抜け落ちていき、最後は脱力しきった風にその場に座り込みながら負けを認めた。

「参りました……」
「ふふふっ、これで私の百五十七連勝ね」
「うう……全然勝てないよ……」

 得意げに胸を反らすエンジュの向こう側で、盤を挟んで座る樹ががっくり肩を落とす。そんないかにも精根尽き果てた風の樹に対し、エンジュが微笑みながら言った。

「仕方ないわよ。人間と魔物じゃあ生きてる年数が違うんだから。如何ともしがたい経験の差、って奴が出てくるのよ」
「経験の差って、チェスでも勉強でも?」
「ええ。男の人と関わりを持たずに長生きしてくると、それ以外の余計な知識が嫌でも頭の中に詰まってきてしまうのよねえ」
「余計って……」

 魔物娘という生き物は、意中の男性以外の全てを要らない物と断じる傾向がある。そんな目の前の魔物娘から聞いた事を思い出しながら、樹がその埋める事の出来ない価値観の差を前にして小さく戦慄を覚える。するとエンジュはその樹の様子にめざとく気づき、体を伸ばしてその頭を撫でた。

「大丈夫。私は絶対に君の事は忘れないから。周りの人が君の事をなんて思ってるのかは知らないけど、私だけは君を大切に思ってるからね」
「――うん」
「私は君の恋人さんで、お姉さんで、お母さん。ずうっと君を守ってあげるから」
「うん……」

 エンジュが甘く囁き、樹が嬉しそうに顔を綻ばせて頷く。それを見たエンジュが満足そうに微笑みながらその頭を軽く撫でる。そしてエンジュが手を離した後、樹が顔を上げてエンジュに言った。

「ね、ねえエンジュさん。もう一回チェスで勝負しよう?」
「別に良いけど、ご飯はどうするの?」
「これが終わってから! このまま負けっ放しで終わらせるのは何だか悔しいの!」
「負けを重ねるだけになるかもよ?」
「次は絶対に勝つもん!」

 若干見下すような声でからかうエンジュに、樹が悔しさで顔を真っ赤にして必死に食い下がる。そしてそれを見て「ちょっとからかい過ぎちゃったかな」と内心申し訳なく思いつつ、同時にその姿を見て可愛いとも思いながら、テーブルの上にあるチェス盤を元に戻し始める。

「じゃあ、これが終わったらチェスは一度止めにしましょ。ご飯にしなきゃね」
「うん、いいよ。最後にぼくがエンジュさんを負かして終わりにするんだから」
「あら、言ったわね。ならその自信、バキバキにへし折ってあげるわ」

 互いに売り言葉に買い言葉を重ねながら、それでも終始和やかな雰囲気で二人は再びチェスをやり始めた。その二人の間には真剣な空気が、そしてこの時間を心から楽しんでいる幸せな気配が漂っていた。




 樹がチェス勝負で惨敗した頃、外は既に薄闇に閉ざされていた。このまま行けば闇はますますその色を濃くしていくだろうが、樹が家に帰る気配は無かった。

「ほら、樹君。しっかりして。ご飯の時間ですよ」

 ボロ負けし、すっかり意気消沈していた樹に対してエンジュが励ますようにそう告げる。すると上から先端部分に食べ物を巻き付けた枝が何本も降りてきた。そしてその枝達は食べ物がテーブルに接地した所で動きを止め、次いで巻き付きを解いてそれらをテーブルの上に静かに置いて行った。
 今日の夕飯は黄色く拳大の大きさのレモンのような果物が三つと、真っ赤に熟れたイチゴみたいに小降りの果物が五つ。それと細長く黄色い皮に包まれたバナナのような果物が二本と、そして牛乳のような白い液体がなみなみと注がれた瓶が一本だった。
 それらはもはや料理とは呼べない代物だった。だがそれはいつも一人でカップ麺や冷凍食品を食べているのよりもずっと美味しく、何より誰かと一緒に食べているのが楽しかった。――いつもはそう思うのだが、チェス勝負に勝てなくてへそを曲げていた今の樹は、そんな事考えてもいなかったが。

「ほうら、君の大好きなホルスタウロスのミルクも一緒よ。ふて腐れてないで、早くいただいちゃいましょう」
「ううっ……」

 そんなボロ負けした悔しさからすっかり捻くれていた樹の気を引こうと、エンジュはそこにあるミルクの入った瓶を持ち上げて樹にアピールする。対して樹はそっぽを向いてエンジュの言葉を突っぱねようと努力したが、結局どんなに悔しい気持ちも腹の虫には勝てなかった。

「……うう……」

 その食べ物の発する甘い匂いを嗅いだ樹が段々と態度を軟化させ、そのテーブルの上に規則正しく置かれた果物を視界に収める。そしてその美味しそうな食べ物を前にした樹は完全に食欲に屈し、それまでのふて腐れた気持ちをかなぐり捨てて表情をぱあっと明るくさせた。

「うわあ……!」
「ね? いつもながら美味しそうでしょう? ここで火は使えないから料理は出来ないんだけど」
「そんなの全然平気だよ。このままでも十分美味しいのは知ってるからさ」

 そしてエンジュに向かって明るい声で言った。

「やっぱり、何度見てもこっちの奴と似てるね」
「それは人間の世界からもらった種を使っているからね。似ているのは当然よ。でもこっちの方が、栄養価はずっと高いわよ」

 なにせここで私の魔力を注いで育てた物なんだから。そう自慢げに話すエンジュに樹が尋ねた。

「これって確か、おさかべさんが種を持ってきてるんでしたっけ?」
「ええ。あの腐れ縁の狸っ子が持ってきてくれているのよ。ここで根を張って私のお婿さんを探そうって決めたのも彼女なの」
「でも、おさかべさんはそれで良かったんですか?」
「大丈夫よ。あの子はもう結婚してるから」
「そうなの?」

 初めて聞く事実に樹が驚いた声を上げ、そしてこれまで詰め所で何度も顔を合わせた、頭に葉っぱを乗せた不思議な雰囲気の女性の顔を脳裏に思い起こした。

「あの人が……」

 と、樹がおさかべさんの弾けるような笑顔を思い出していたその時、いきなりエンジュが手を伸ばして彼の頬を思い切り引っ張った。

「い、いたたたた!」
「もう! 樹君てば、今他の女の子の事考えてたでしょ!」
「そ、それは……」
「目の前にとっても美人さんがいるのに、それはいくらなんでも酷くないかしら?」

 エンジュがそう言って手を離し、反射的に樹がエンジュの方を見る。彼の視界に収まったエンジュは顔を赤くして頬を膨らませ、いかにも怒っていることをアピールしていた。

「樹君の浮気者」

 エンジュが恨みたっぷりに呟く。それを聞いた樹は目に見えて狼狽し、テーブルの上に両手を置いてエンジュに詰め寄った。

「ち、違うよ。違うって。ぼくは浮気とかしないって」
「本当に?」
「ほ、本当だよ」
「じゃあ、証拠が欲しいな」
「え?」
「証拠」

 エンジュが微笑み、そして僅かに唇を突き出して目を閉じる。その美しくも淫蕩な姿を見て樹は心臓を一際強く跳ね上がらせたが、一つ生唾を飲み込むと、意を決したように彼女の唇へ自分の唇を近づけていく。

「ん……」

 やがて、互いの影が重なり合った。それは唇が触れ合うだけの軽いキス。その暖かな感触を受けてエンジュがくすぐったそうな声を漏らす。

「んっ、ふう、ん……」
「ん、んむ……」

 そこから互いに微動だにしないまま、暫くの時間が過ぎた。やがて樹の方から顔を離し、今まで息を止めていた分肩で息をしながら、その茹で蛸のように真っ赤になったエンジュの顔を視界に収める。

「こ、これで、どうかな?」

 頬を掻き、目をそらしながら樹が恥ずかしげに言った。エンジュはその自分と同じくらい恥ずかしさで真っ赤になっていた樹の顔を見ながら、口元から垂れた涎を拭いつつ蕩けた笑みを浮かべて答えた。

「うん。ばっちり」
「ほ、ほんとうに?」

「ええ。君の好きって気持ち、ちゃんと伝わってきた」

 エンジュが再び笑い、樹も再び笑顔をこぼす。そしてそんな明るさ一杯の樹の笑顔を見つめながら、エンジュはおもむろにバナナの一本を手にとって皮を剥いた。

「さ、ご飯にしましょう。お口開けて」
「……今日も、それやるの?」
「ええ。こうした方が、普通に食べるよりもずっと甘みが増すのよ」

 そう言ってからエンジュはバナナを自ら頬張り、その口の中に入れたバナナと自分の唾液が混ざるように良く咀嚼する。

「あい。いふひふん」

 やがて十分混ぜ合わせた後でエンジュが樹を手招きする。そして観念し、恥ずかしげに赤くして恐る恐る近寄って行く樹の顔をエンジュはいきなり両手で挟み込み、強引にその唇を奪った。

「うむぅ……っ!?」
「ん、ちゅ、くちゅ、ちゅ……」

 舌を使って樹の口をこじ開け、そこから自分がそれまで含んでいた物を流し込んでいく。樹はされるがままにそれを受け入れ、エンジュの唾液ごと夕飯のバナナを胃に流し込んでいった。

「ちゅ、ぴちゅ……くち、んちゅ……ぷは……」

 更にエンジュは舌を伸ばし、樹の歯ぐきをねぶり、その舌に絡みついて優しく愛撫を繰り返す。そして送り込むべき物が無くなってもエンジュは唇を離そうとはせず、愛しい相手の口内を存分に味わった。

「あむ……ん、ぷはぁっ」

 やがて相手の口をたっぷり味わい尽くし、エンジュの方から顔を離す。その顔は快感でドロドロに蕩け、口からは涎が滝のようにこぼれ落ちていた。

「……おいしかった?」

 エンジュが熱に浮かされたように樹に語りかける。そして彼女と同様に顔を真っ赤にして肩で息をしながら頷く樹を見て、エンジュは酷く淫蕩に微笑みながら囓りかけのバナナを再び手に取った。

「じゃあ、全部食べちゃいましょうね……♪」

 赤子に語りかける母親の様にそう優しく言いながら上半身を持ち上げ、樹を見下ろすような位置に体を持って行く。そして下にいる樹を挑発するように見つめながら、エンジュがバナナを再びその表面をねぶるようにしながらゆっくりと口の中に入れていく。その凄まじくイヤらしい口運びの姿を前にして、樹は自分の血液が下半身に貯まっていくのを否が応でも感じていった。




 やや過激な夕飯を終えた頃には、既に外はとっぷりと夜闇に包まれていた。だがこの時間になってもなお、樹はエンジュの元を離れようとはしなかった。家には一度も帰っていなかったのだが、それに関して彼の持っている携帯電話に両親からの電話が届くことは無かった。

「樹君、今日はいいの?」
「うん。明日は学校休みだから」
「家に戻らなくても?」
「……うん。誰もいないから」

 上方から降ろされてきた太い木の枝を椅子代わりにして、エンジュの隣に座っていた樹が努めて明るい声を出して言った。

「家に帰っても誰もいないからさ。こんな感じに夜遊びしても誰も怒ってこないから、自由に動き回る事が出来るんだよ。これはこれで今の生活の良い所かな」
「樹君……」
「だから、エンジュさんは気にしないで。ぼくは大丈夫だからさ」
「――ッ!」

 そう言った樹の体を、エンジュは反射的に抱きしめていた。何事かと思い目を白黒させる樹に、エンジュが優しく語りかけた。

「何度も言ってるでしょ。無理しないの」
「えっ」
「辛いことがあったら、何でも私に言ってちょうだい。私は君の味方だから。ね?」
「エンジュさん……」

 弱々しく相手の名を呼ぶ樹の頭を優しく撫でながらエンジュが口を開く。

「心配しなくていいからね」
「……うんっ」

 それを聞いた樹がエンジュの腕の中で頷きながら、その豊満な胸に顔を埋める。その体は僅かに震えていた。そんな樹の華奢な体を抱き留めながら、エンジュは初めて彼と出会った時の事を思い出していた。




 初めて樹と対面した時、彼は尻餅をついてその顔に恐怖と驚愕を貼り付けていた。無理も無い。目の前の大木がいきなり割開かれて、その中から上半身を木から生やした女性が一人だけいたからだ。だがそこで樹が失神しなかったのは、エンジュは素直に凄いと思った。
 そして立ち話もなんだから、と言う事でエンジュは平然と樹を中に招き入れ、樹も必死にそれに従った。そしてそこで軽い自己紹介を済ませた後で、エンジュはなぜここまで来たのかについて尋ねた。
 樹は自分が門前にある植物園と書かれた看板をまじまじと見つめていた所をおさかべさんに発見され、彼女によって強引に手を引っ張られてこのドームの中に一人で押し込まれ、仕方なくそこを彷徨う内にドーム中央にある一本の大木に辿り着いたという一連の流れを簡潔に話した。看板を見つめていた事については、自分は花を見たり花に水をやったりするのが好きだからと樹は説明した。

「素晴らしいわ。あなたの趣味、とっても素敵よ」
「……そうなんですか?」
「ええ。花にも命が宿っているんですもの。そんな花を大切にするのは、私はとても美しい事だと思うわ」
「そ、そうですよね! そうなんですよ! 花だって生きてるんです!」

 エンジュが素直に嬉しい感想を述べると、樹はそれまでの怯えようがウソのように顔を輝かせて声を張り上げた。それまでの大人しさとは真逆の反応にエンジュは一瞬面くらい、思わず体を後ろにのけぞらせてしまった。

「ね、ねえ、イツキ……君?」

 そしてエンジュは驚きの波が退くと共に一つの疑念を胸の内に抱くようになった。なので彼女は完全に落ち着きを取り戻した後で再び体の向きを元に戻し、樹に対してその疑問――「君はなぜそんなに喜ぶのか」と尋ねた。

「やっぱり、お花が好きだから? 飛び跳ねちゃうくらいに」
「……」

 だがそれを聞いた途端、樹はそれまでの明るい表情から一転して、最初に話し始めた時と同じレベルにまで顔を暗くした。こちらの問いかけにも全く応じない姿を見て、エンジュは本日二度目の驚愕を見せた。

「え、ちょっと、どうしたの? そんなに暗くなっちゃって。もしかして、何か具合でも悪いの? 熱でも出たとか?」

 エンジュが身の内の驚きを払底できないままに樹を心配する。そんな慌ただしく声をかけるエンジュに対して首を横に振ってから、樹は声のトーンを落として静かに答えた。

「……誰もそう言ってくれなかったからです」
「え――?」
「僕の趣味、褒めてくれる人が今までいなかったから、つい……」

 男子が花に興味を持つ。それを前にして彼の同級生達は揃って彼を除け者扱いした。女子も女子で気持ち悪がり、彼から距離を置いた。
 ただ花が好きなだけなのに。
 彼の両親は共働きで、そして共に家庭より仕事に熱を出すタイプだった。一日中家にいないのが当たり前であり、家に帰っても彼を出迎えてくれる者はいなかった。彼を進学校に入れたのも、そうしたしっかりした所に入れておけばしつけをする手間が省けると思ったからだった。
 彼はひとりぼっちだった。




 それを知ったエンジュは深く悲しみ、そしてそんな悲惨な境遇に置かれていた樹の悲しみを少しでも和らげてあげようと心に誓った。魔物娘というのは、元より人間に対して、当の人間よりも強い愛着を抱いている存在である。困っている者、悲しんでいる者を放っておくことは出来るはずも無かった。
 その肝心の癒し方は、やはりというか何というか、魔物娘独特の物であったが。

「さあ、樹君。来て?」

 満月が空高く浮かび上がった頃、魔法で生み出したオレンジ色の光の下で、樹とエンジュは互いに全裸になって体を密着させ合っていた。エンジュがそれまで自分が生えていた木からその身を引き剥がし、足の先端以外はほぼ完全な人型となって樹と横並びになり、肌を重ね合わせていたのだった。
 この時の二人は抱きしめあってはいたが、まだ秘所同士を結合させてはいなかった。ただ互いの体温を確かめ合うようにひしと抱きしめ合い、その温もりを感じ合っていた。

「樹君、暖かい……」
「ん……」

 寂しさを埋めてあげるように、心の溝を埋めてあげるように、エンジュが自分の胸の間に樹の顔を埋めていく。樹はその胸の暖かさと柔らかさの前にすっかり安心しきった表情を浮かべ、心地よさげに吐息を吐きながらすりすりと顔を擦りつけていく。
 と、その時に樹と密着していたエンジュがある事に気づく。そしてその腰に手を当てて胸の間に顔を埋めていた樹をやさしく引き離し、突然の事にきょとんとする樹に向けて微笑みながら言った。

「樹君、もう限界だったりする?」
「え、なんのこと?」
「ここ」

 とぼける樹の股間に手を差し伸べてエンジュが柔らかい口調で問い詰める。樹のそこは、既にガチガチに堅くなりながら天高く屹立していた。

「ひうっ……!」
「ねえ、樹君? もう限界なんでしょう? いいのよ、無理しなくても。私がぜーんぶ受け止めてあげるから……❤」

 不意打ちを前に悲鳴を上げる樹に対してエンジュが耳元で囁き、掌全体を使ってその表面を舐めるようにゆっくりなぞっていく。指で輪っかを作って全体を優しくこすり、浮き上がった血管の上を指先でそっとなぞっていく。更に空いた方の手では樹の胸板を撫で、口では彼の耳たぶを甘噛みする。

「うふふっ❤ もうこんなに硬くしちゃって❤ もう我慢出来ないんでしょう? これがいいんでしょう?」

 耳たぶを唾液まみれにしてから、エンジュが吐き気のするほど甘ったるい声で樹に囁いた。自身の肉棒のみならずその全身に快感を送り込まれ続け、それまで気恥ずかしさから素直になれずにいた樹はついに首を縦に振ってしまった。

「うん……! うん……ッ! え、エンジュさん! そ、それ、それがいいの! いいよお!」
「エンジュ、じゃないでしょ? いつもの通りにね❤」
「う、うんっ。エンジュ……はあ、かあさん! かあさん、気持ちいいよ❤ 母さんそれ気持ちいいよおおっ❤」

 気持ちのタガが外れた樹が、それまで得られなかった愛情を貪るように延珠に向けて叫ぶ。エンジュはそれをただ微笑んで全て受け止め、樹の頭を優しく撫でる。樹はその後もエンジュになすがままにされながら、それを嫌がる素振りも見せずにエンジュに向けて「母さん、母さん」と甘えるように連呼する。

「母さん、もっと❤ もっとぼくのこと、優しくして❤ やさしく褒めて❤」
「うん❤ うん❤ 樹のこと、もっとたっぷり褒めてあげる❤ だって私は母さんだもの❤ 息子を褒めるのは母さんの仕事だもの❤」

 最愛の男性――それも年端のいかない、血の繋がってさえない少年から母親と呼ばれる。その禁断の甘さ、あまりの背徳感にエンジュはゾクゾクと背筋を震わせ、その顔を喜びと幸せでドロドロに蕩けさせて行った。そして更に快感を得ようと、エンジュは樹の頬に舌を這わせながら甘い声で言った。

「ねえ、樹? 樹は母さんのこと、好き? 大好き?」
「う、うん! 母さん好き! 大好きぃっ!」
「う、うふふふふ❤ そうなのね、樹は母さんの事、大好きなのね❤ か、母さんもね、樹のこと、だぁいすきなのっ❤ それに、樹のおちんぽも、かあさん大好きっ❤」
「ふわあぁぁっ! 母さん! かあさあん!」

 そう叫びながら、肉棒をしごくスピードを速めるエンジュの体に樹が自分から抱きつく。エンジュはその姿を見て今にも絶頂してしまいそうになったが、それを必死に耐えながら樹に熱く言った。

「ねえっ、ねえっ、樹❤ かあさん、もう限界なのっ❤ 樹のおちんぽ、私の中に入れてほしくて疼いて仕方ないのっ❤」
「か、かあさん、ぼくもっ! ぼくもかあさんのなか、なかにいれたいようっ!」
「い、いいわよっ❤ さあ、樹? 来てっ❤ 母さんのここ、めちゃくちゃに犯してええええぇぇぇぇっ❤」

 自身の秘裂を指で広げながらエンジュが絶叫する。それを聞いた樹は自ら腰を浮かせて狙いを定め、既に愛液でぐっしょり濡れていたエンジュの秘裂の奥に同様に我慢汁でしとどに濡れていた肉棒を躊躇いなくぶち込んだ。

「かひぃ――っ!」
「あ、くあぁっ!」

 肉棒全部でヒダヒダを擦られ、その快楽が電流となって脳髄を直撃し、総味噌をピンク色の悦びでドロドロに溶かす。その悦楽の波の前にエンジュは言葉も出せずに大口を開けて背筋を反らし、そして樹もエンジュと同様に挿入直後のあまりの快感にショックを覚え、言葉も出せずにただ口を開閉させる。

「う、うごく、よ――!」
「あ、かはっ、きゃうんっ❤ ――う、うんっ、うんっ❤」

 先に回復した樹がゆっくりと腰を打ち付ける。その衝撃で気を取り戻したエンジュも、息も絶え絶えになりながら頷いてそれに答える。

「あんっ❤ あんっ❤ いつ、き、くうぅん……きゃううううん❤」

 生々しい水音と肉同士が打ち付け合うリズミカルな音が辺りに響く。一突きごとに中の肉がぐちゃぐちゃとかき混ぜられ、そしてその度にエンジュがあられも無い嬌声をあげる。

「い、いつき、くん❤ てっ、かあさんの手、つないでぇぇぇっ❤」

 エンジュが呂律の回らない声で催促し、そしてそれを聞き終えるよりも前に樹がその手を握り指を絡ませる。そして両手を強く握りしめ合い、樹がエンジュの上に乗るような体勢になってから更に激しく腰を打ち付ける。

「ああん❤ きゃうん❤ いつきっ、しゅき❤ いちゅききゅん、らいしゅきぃぃぃん❤」
「かあさん❤ ぼくも、ぼくもすき❤ ぼくもかあさん、らいしゅきぃぃっ❤」

 エンジュが愛情たっぷりに叫び、樹がそれに答える。それと共に樹の動きもラストスパートを向かえ、更に一段と激しく腰を打ち付ける。一突きごとに結合部分から愛液と先走り汁が混じり合った液体がばしゃばしゃ溢れ出し、それによって滑りの良くなった肉棒はエンジュの更に奥底へとその灼熱の杭を打ち付ける。

「ひっ――」

 そしてついに亀頭がやわらかい子宮口を突いた瞬間、雷に打たれたかのようにエンジュが息を引きつらせる。
 直後、エンジュが辺りも憚らずに悦びの叫び声を上げた。

「きゅうううううううんっ❤」

 そしてその声を聞いた樹も我慢の限界を迎える。

「ぼくも、ぼくも――うくあああぁぁっ!」

 鈴口から精液が鉄砲水のように子宮を直撃し、その衝撃でエンジュが再度絶頂を向かえる。

「きゃん❤ きゃん❤ きゃううううん❤」
「かあさん! かあさあぁぁぁん❤」

 エンジュと樹が共鳴し合うように嬌声をあげていく。エンジュが艶めかしい声を上げる度に樹が更にエンジュの中に精液をぶちまけ、それを受けたエンジュが更に悦びの叫びをあげる。

「もうっ、もうむりっ❤ いちゅききゅん❤ わらひ、しきゅうっ❤ しきゅうもうむりいいぃぃぃっ❤」
「かあさん❤ うけとってっ❤ ぼくのだいすきなきもち、ぜんぶうけとってええぇぇぇっ❤」

 それから互いの手をしっかりと握り合ったまま、二人は連続して絶頂の波にその身を委ね続けた。




「かあさん……」

 二人が互いの気持ちを存分に伝え合ってから数時間後、すっかり日を跨いでしまった深夜の頃に、エンジュは全裸のまま自分の横で心地よさそうに寝息を立てている樹の髪を愛おしげに撫でた。

「かあさん、だいすき……❤」

 樹が頬をほころばせ、うわごとのように寝言を呟く。その言葉を聞くだけで、彼の愛情をたっぷりと注いでもらったエンジュの子宮が切なそうに疼き始める。

「わたしも、だいすきよ❤」
「かあさん……」

 樹の寝顔を穏やかな顔で眺めながらエンジュが呟く。

「私は、ずっと君の味方だからね」

 自分に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いでいく。

「絶対に見捨てないから。君の事は、絶対に守ってあげるから……❤」
「ん……っ」
「樹君、愛してるわ❤」

 そしてその小さな唇に自分の唇を軽く重ね、彼の体を抱きしめながらエンジュも眠りについた。

「おやすみ」




 二人仲良く寄り添って眠りにつくその姿は、まさに母親と息子のようであった。
13/06/13 00:06更新 / 蒲焼

■作者メッセージ
「ぼく、大きくなったらここで働く!」
「おお、よく言ったね坊ちゃん。じゃあ大きくなったら、ウチが黒字経営出来るようにキリキリ働いてもらわんとねえ」
「おさかべさん? 樹君をこき使うのは許しませんよ?」
「……お母さんを説得するのは骨が折れそうだねえ」

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