連載小説
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第1話 The Empire City 欲望の街 Bパート
 33rdストリート12番地。GPS情報を辿って到着したそこは、小ぢんまりとしたクリーニング店だった。ダウンタウンの中でも盛り場から遠いこの一角には、道行く人も車もほとんど見られない。
その閑散とした通りにあって、クリーニング店の前に黒塗りのミニバンが1台、入り口を塞ぐように停車していた。スモーク処理された窓ガラスが視線を遮り、車の向こう側を覆い隠す。その景色は、何か日常とはかけ離れたもの、平和を乱すものに特有の威圧感を、ストリートに向けて放っていた。
 闇に紛れる装束を纏ったシオンはエンジンをかけたままバイクを降り、音を立てずにミニバンの側へ駆け寄る。車体の下をそっと覗き込むと、開け放たれた店のドアの前に、黒い革靴を履いた数人分の足が見えた。
「…だから、そう急に言われても…!今日の所はひとまず帰って…」
「…こちらとしてもビジネス上の都合がありますので。この場で即決して頂きたい」
魔物の優れた聴覚が、店の中から漏れ聞こえてくる会話を捉える。状況を詳しく探るため、シオンは身を屈めたまま、車体の陰から一歩身を乗り出した。
 

 ビジネスマン風のスーツを着た7,8人の男が、店の入り口前を占拠していた。
『スーツ1着$15〜, Jacky’s Cleaning』と書かれた窓ガラスの向こうには、数人の男が店内へ入り、カウンターを挟んで店主らしき男性と交渉している後姿が見えた。――みな一様に黒のスーツに身を包んだ男たちが店主を取り囲んでいる光景は、「交渉」と表現するには些か異常ではあったが。
「我々リバーデイル不動産の新規開発計画に、こちらの物件も含まれているのです。その再開発にご協力頂けないとなれば、土地を売却して頂く他は…」
「そんな話は聞いてないし、あんた達に指図される理由もない!」
 エプロン姿の若い店主は、威圧的な態度の男たちに負けじと強い口調で応じていた。しかし交渉役の男はあくまで淡々と、感情の感じられない声で話を続ける。
「もちろん、相応の保障は致します。こちらの書類にサインを頂ければ、ここに記載の金額を月々あなたの口座へ…」
「アンタたち、そんな約束を信用しろって言うの!?」
 そう言って話に割り込んだのは、店の奥から現れた背の高い女性だった。店主の妻らしいその女性は、頭には曲がった角、背中には蝙蝠の翼を持つ魔物―年の若いサキュバスであった。
「店を軌道に乗せるまで、どれだけ大変だったと思ってるの?いくらお金を貰ったって、この街を出てそう簡単にやり直せる訳ないじゃない!」
 女性は店主に劣らぬ激しい剣幕で男たちに食ってかかる。店主も腕組みをして断固戦うという意志表示をすると、カウンター越しに睨み合う両者の間に緊迫した空気が流れる。
(…地上げ屋ね)
その光景を覗き見ながら、シオンは考える。不動産業界には詳しくない彼女だったが、人々の欲望が渦巻くこの街では、裏でそのような行為が横行していても決して不思議ではないように思われた。力を持つ者は持たざる者を支配しようとし、従わない者には力を以って黙らせる。その「力」は、ある時は金の力、またある時は暴力となって、理不尽な行為を押し通す。
問題は、この男たちがそのどちらの力を持つ者か、という事であった。


 その時、
「ガタガタ騒ぐんじゃねぇ!!」
 突然、交渉役の隣にいた男が空気を震わす怒声を上げた。店主夫婦はビクリと身体を震わせ、思わず一歩後ずさる。
「テメエらの苦労話なんざ聞いてねぇんだ。話を受けるのか?断るのか?ハッキリ聞かせてもらおうか」
 その言葉と共に男がスーツのジャケットを開くと、店主がまた一歩後ずさりした。シオンの位置からは見えなかったが、夫婦の表情から確信できた。男は拳銃を取り出そうとしている。
 交渉役の男は隣の男を手で制する仕草をすると、夫婦へと向き直る。
「…だ、そうですが。いかかでしょう?」
 感情の無い声でそう告げた。
 シオンの背中を冷や汗が伝う。ほぼ間違いなく、この男たちはギャングの構成員だった。
 この街を裏から操るギャング組織の存在は、住民ならば誰もが知る暗黙の事実である。クスリの取引、売買春、賭博で財を成す彼らと、シオンはこれまで一戦交えたことがない訳ではなかった。しかし、裏通りのゴロツキとは一線を画す戦闘力、豊富な武器、なにより統率の取れた組織を持った彼らと正面から戦うなど、いかに魔物といえども危険すぎる行いである。あの夫婦を見捨てることはできない。しかし少なくとも、たった一人でギャングの一団を相手取ることだけは、避けなければならなかった。
(…2人を呼ばないと)
 ケイティとシェリルと連絡を取るため、シオンは腕時計型端末に手を伸ばす。
 その時だった。


 ヴィィィィィィィン!
 耳障りなヴァイブレーションの音が、辺りに鳴り響いた。それは店の前にいる者にも、はっきりと聞こえるほどの音だった。
(……しまった!)
 音の発信源は明らかだった。シオンの右腰に付けたポーチ。中に入った携帯のヴァイブレーションである。身の危険を感じた店主夫婦が密かに発したEMR(緊急出動要請)により、付近にいたシオンにCERIS Alertが発令されたのだろう。しかし運悪く、シオンが身を隠していたミニバンの車体に端末が触れており、鉄板に当たってヴァイブ音が増幅されてしまったのだった。
 シオンはとっさに車体から身を離すが、もう手遅れだった。声が聞こえてくる。
「…今、何か音がしなかったか?」
「ああ。あの辺りだ。車の前の…」
 店の前で待機していた男の1人が、こちらへ向かって歩いてくる足音が聞こえる。シオンは息を殺し、近づく足音を待ち受ける。
「確かこの辺りで―」
 男が車の陰を覗き込んだ、その瞬間、
「ッ!!」
 男の腕を掴んで車体の陰に引きずり込み、一瞬で鳩尾に膝蹴りを見舞った。コンマ5秒以内の強烈な蹴り。男は声を上げる間もなく昏倒する。
 しかし、異常が起こった事は仲間に悟られてしまった。
「おい、どうした!?」
 もはや一刻の猶予もなかった。
 シオンは全身のバネを使ってミニバンの屋根へ飛び上がり、そのまま屋根を蹴って跳躍、ビル壁面の外階段へ飛び移った。
 数秒遅れて男の叫び声。それを聞いたギャングたちが店の入り口から飛び出してきた。
「おい、どうした!」
「ペドロが…ペドロがやられた!やったヤツがまだ近くにいるぞ!」
「姿は見えたか?」
「一瞬見えた気はしたんだが…消えちまった…」
 店の前でにわかに殺気立ったギャングたちは、すぐ頭上に飛び上がったシオンの姿には気づいていないらしかった。ひとまず胸を撫で下ろすシオンだったが、見つかるのも時間の問題だった。外階段を駆け上り、屋上へと身を隠す。
「ダメだ…一撃で気絶させられてる…」
「かなりの手練れだ。気をつけろ!」
 眼下で走り回るギャングたちを見下ろしながら、シオンは考える。結果的に彼らを店から引き離す事には成功したが、このままでは埒があかない。1人で銃を持ったあの人数に立ち向かうのは、どう考えても無謀だった。
(1人ずつ引き離すしか…)
 シオンが考え込んでいたその時、
 背後から軽快な口笛が聞こえた。振り返ると、そこにはシオンの見慣れた2人の姿、ボディスーツ姿のケイティと、緑のマントを纏ったシェリルが、夜空を背にして立っていた。




「いたぞ!こっちだ!」
 周囲を警戒していたギャングたちは、仲間の声に一斉に振り返った。
 声の聞こえた方へ走ると、そこはクリーニング店の脇から伸びる、細い裏路地だった。街灯もなく、ゴミの悪臭が漂うその路地を、銃を構えた男たちは慎重に進んでいく。
「無闇に撃つなよ」
 先ほど店内で交渉役を担っていた男が、銃を構える仲間を窘める。男は銃を手にしてはいなかったが、その全身に緊張感がみなぎり、あらゆる方向からの襲撃に備えようとしていた。
「どっちに行った?」
「知らねえよ。見たの俺じゃねぇし」
「…じゃあお前か?見たと言ったのは」
「いや、俺はてっきりアンタかと…」
 男たちが口々に言い合いながら、路地を中程まで進んだ、その時だった。
 2つの影が、音もなく男たちの只中に舞い降りた。
 体重を感じさせない羽根のような着地に、目の前にいた者すら何が起きたか分からなかった。理解するより早く、襲撃者の一撃で意識を失ったからである。
「なっ……!」
 男たちに衝撃が走る。数秒で2人を打ち倒した襲撃者2名は背中合わせに立ち、集団を分断するように前後の敵を襲い始めた。
「おい!出やがったぞ――」
 前を行く仲間に警告を発しようとした男も、シオンの強烈な右フックで地面に倒れ伏す。銃を構えていた男たちは、目の前に現れた敵を前に一瞬引き金を躊躇う。不用意に発砲すれば仲間に当たる恐れがあった。その一瞬の隙を突き、ケイティは後ろ回し蹴りで一気に2人を壁に叩きつける。シオンとケイティの手により、瞬く間にギャングたちは半分以下の人数にまで減らされていた。
「クソッ……!」
 残った男の1人が銃を捨て、懐からナイフを取り出す。シオンに向けて真っ直ぐにナイフを構え、雄叫びを上げて飛びかかる。切っ先が正確に心臓を狙うその動きは、殺しに熟練した者のそれだった。
 シオンは冷静に、首に巻いた深紅のマフラーを手に取る。長いマフラーの端を、ロープのように右腕と共に前方へ伸ばす。男との距離1メートル、ナイフとシオンの腕が交差した瞬間、シオンが動いた。右手首をナイフに沿わせて1回転させ、手首ごとナイフを絡めとる。そのまま右手側に強く引っ張ると、男はバランスを崩して前へよろめく。間髪入れず、下段の足払い。男は受け身を取ることもできず、背中から地面に落下した。
 落下の衝撃で動けなくなった男の手から、マフラーをほどくシオン。ほぼ同じタイミングで、ケイティが背後から声をかける。
「こっちはもう終わり!」
 両手をはたきながらそう言った彼女の背後には、折り重なって倒れるギャングたちの変わり果てた姿があった。最後に残ったのは、集団の先頭を歩いていた男。クリーニング店で交渉役を務めていた男だった。
 男はシオンから距離を取って立ち、至って冷静な様子で口を開く。
「…想像以上の手練れのようだな」
「そりゃそうだよ!」
 ケイティが口を挟む。
「シオンのママは、本物のニンジャなんだからねっ!」
「…ママじゃなくて、先祖がね」
 2人の軽口を意にも介さないように、男が冷たい声で言い放つ。
「何者だろうと…仕事の邪魔だ」
 男が懐に手を伸ばしたのを見て、シオンが動いた。拳銃を取り出される前に一瞬で距離を詰め、勢いを乗せた右ストレートを相手の頭部に叩き込む。
 相手の頭に直撃、したかに見えた。しかし咄嗟に頭部を守った男の両腕に、その拳は阻まれていた。すぐさま腕を引っ込め、構えを取りなおすシオン。歩幅1歩分の距離を空け、両者の視線が一瞬交差する。
 再びシオンが動いた。目にも留まらぬ速さで上半身を狙った連撃を繰り出すも、全て阻まれてしまう。胸の前に両腕を立てた防御の構えで、男はあらゆる方向からの攻撃を弾いてゆく。
 不意にシオンは左足を軸にターン、右足の後ろ回し蹴りを男の側頭部に叩き込む。これも男の腕にガードされた。そのまま男はシオンの足を掴み、外側へ捻ろうとするのをシオンは身体ごと1回転させて回避。しかし空中でバランスを崩し、仰向けに転倒してしまう。
 その隙を突き、男が懐から拳銃を取り出し、倒れたシオンに向けて撃鉄を起こす。一瞬、男の目に勝ち誇った笑みが浮かんだ。
 しかし次の瞬間、
「…はッ!」
 仰向けに倒れたまま、掛け声と共に勢いよく両足を蹴り上げるシオン。正確に男の手首を打ち、拳銃が弾き飛んだ。そのまま蹴り上げた勢いで後方に1回転し、跳ね起きて着地する。
 間髪入れず接近し、腕を弾かれガラ空きとなったボディに連撃を打ち込む。突き、手刀、拳が入り乱れて1発、2発、3発。最後に放たれた渾身の正拳突きが、男の腹部にめり込んだ。
「っ……!」
 男の息が止まり、膝をつく。信じられないという顔で、男が呟く。
「この動き……カラテか…」
 そのまま男は崩れ落ちた。倒れた男を見下ろし、拳を開きながらシオンは言い放った。
「ジークンドーよ」



「シェリル、陽動お疲れさま。そっちは大丈夫だった?」
「はい…お店に被害はありません」
 店から借りた粘着テープで気絶した男たちを縛り上げながら、シオンはシェリルに尋ねる。ギャングの1人に変身して路地におびき寄せたシェリルはその後、ギャングに逃げられ仲間を呼ばれないための監視、および店主夫婦に危険が及ばないよう護衛の役目を任されていた。店主夫婦はその後ろから、恐る恐るシオンたち3人の様子を伺っていた。
「あなたたち、ギャングの恨み買うようなコトしたの?」
 手持ち無沙汰だったケイティが、夫婦に声をかける。
「いえ……関わった事もありません。ビルのオーナーも普通の人だったし…ねえ?」
「ええ。裏社会との取引なんて、ウチでは一切ありませんよ。本当になぜ目を付けられたのか…」
 おずおずと答える夫婦。それを聞きながら、シオンも同じような疑問を感じていた。
 この夫婦を立ち退かせようとした、ギャングたちの目的は一体何だったのか。組織に場所代を支払って経営していた店ならばありうるが、夫婦の話ではそのような事実は無いという。お世辞にも条件の良い土地とも言えないこの店を乗っ取ることで、ギャングに何かメリットがあるのだろうか。
 シオンが考え込んでいたその時、ケイティが突然声を上げた。
「あ、ヤバい!警察来たよ!」
 シオンの耳にはまだ何も聞こえなかったが、さらに優れたワーキャットの聴覚がパトカーの音を聞きつけたのだろう。シェリルが立ち上がり、ケイティと共に急いで路地を出ていく。
(今頃来たって遅いわよ。本当に役立たず…)
 心の中で悪態をつきながら、シオンも立ち上がった。そのまま立ち去ろうとするシオンに、サキュバスの妻が取りすがる。
「あ、あの…何とお礼を言ったらいいか…!」
「いいのよ。今日の事は忘れて。…ああ、それと、警察には私たちの事は黙っておいてね」
 それだけ言って、シオンは歩き出そうとした。その時、
 コツン、と、シオンの足が何かを蹴った。ふと足元を見下ろすと、そこには高価そうなライターが転がっていた。おそらくギャングの1人が持っていたものだろう。シオンはそれを拾い上げる。
 手にずっしりと感じる重みを持った、オイルライターだった。その表面に刻印された円形の紋章に、シオンは目を凝らす。
「……これって…」
「シオン!早く!」
 通りの向こうから呼ぶケイティの声に、シオンは我に返る。ライターをポーチにねじ込むと、呆気にとられる店主夫婦を置き去りに、シオンは仲間の許へと走り去った。




 
 シオンが拾ったオイルライターの表面に描かれていたのは、翼を広げたワシと5つの星の紋章。エンパイア・シティを支配する大富豪の経営する企業、ドミノ・コーポレーションのマークだった。
17/03/15 02:19更新 / 琴白みこと
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■作者メッセージ
このSSは実在の人物、地域、団体とは一切関係ありません。念のため。

例の人が大統領になっちゃったので、予定していたプロットを大幅に変更しました。その関係で、前回上げた第1話の内容を若干修正しています。ご了承ください。

CERISについてはそのうちキチンと解説しますが、今回出てきた用語について少しだけ説明。
MR: Marching Request(出動要請)。CERISによる通報には2つの種類が存在し、そのうち緊急性が比較的低い事件に対する通報。平均25分で警官が現場に到着する。

EMR: Emergency Marching Request(緊急出動要請)。緊急性の極めて高い事件に対する通報。10分以内に警官が駆けつける、とされているが、実際には通報から20分以上時間がかかる場合がほとんど。

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