魔物娘と年末
「.........。」
今、僕こと大学生の小野剛(おのつよし)は寝ている。
布団の暖かさを少しでも逃さないように、くるまりながら寝ている。
後、布団から出たくないこともあった。だって、布団の外は絶対寒い。わざわざ布団の温もりを捨てて、外の寒さを味わうという愚かな行為は、誰だってしないだろう。
このまま布団の中で、一日を過ごしてみようか。大学は冬休みだし、外へ行ってもやることがない。
そう決めつけようとした時だった。
不意に、枕の側に置いてあった目覚まし時計がけたたましく鳴り、寝続けることを阻害される。
「......んん。」
僕は、邪魔されたことに不機嫌になりながらも、目覚まし時計を止めようと布団から手を出す。
布団の外は予想以上に寒く、布団の中で暖まった手が急速に冷えていく。
僕は、布団の中に手を戻したい衝動に耐えつつ、手探りで目覚まし時計を探していく。目覚まし時計は、大体同じ場所に置いてあるので、探すのは容易だった。
すぐさま、小刻みに震えて音を出す目覚まし時計が、僕の手に当たる。僕は上のスイッチを押し、その音を止ました。
静寂が戻ったので、布団の中に手を引っ込める。そして、二度寝をしようと敷き布団に、横向きで体を預ける。
しかし、僕はある大事な事を思い出した。
「.....今、何時だ?」
それは、目覚まし時計のけたたましい音を止めるだけで、現在の時刻を確認していなかったことだった。
正直、もう布団の外には手を出したくなかったが、覚悟を決め、手を出す。
そして、先程止めた目覚まし時計を掴む。
その目覚まし時計を枕の側まで持って行き、顔を上げ、寝ぼけ眼で時計を見る。短針と長針が、共に12と刻印されているところを指していた。
「12時...、もうお昼なのか...。まぁ、昨日はあんだけ騒いだんだから、仕方ないか...。」
そう言いながら、布団から出ようと床に手を着く。できればこのまま布団の中で一日を過ごしたいが、飯を食べずに寝続けるということは無理だろう。やりたいこともあるし。
しかし、いざ起き上がろうとすると、胴回りに抱きついている大きな何かが力を強くする。
なんだ、まだ寝ていたのか....。 そう珍しく思いながら、布団をめくる。
「んー.....。つよしぃ....。」
そこにはもこもこの手足を持ち、申し訳程度に女性の部分を隠す体毛が生えている、褐色肌の巨乳なイエティ」、僕の腹に顔を埋めながら、心地よさそうに眠っていた。
この魔物娘が、僕の通っている大学の同級生であり、彼女である山本薫(やまもとかおる)だ。
「ほら、薫。そろそろ起きないと。」
僕は彼女起こそうと、彼女の体を揺さぶりながら声を掛ける。
「んん.....?今何時....?」
眠そうに目をこすりながら、時間を訊いてきた。時間は先程確認したとおり、午前12時。僕達がいつも起きている時間よりは、大分遅い。
「もう12時だ。」
「え、もうそんな時間なの...?」
僕は分を省略して、彼女に時刻を伝えた。
すると、眠そうなのは変わりないが、彼女は目をぱちくりさせながら聞き返してきた。
「うん、もうそんな時間。そろそろ起きなきゃね。」
「うん....分かった...。」
僕が起きるように促すと、彼女は了承しながら僕に抱きつく力を強くした。
ちょっと待て。何で起きようとするのに抱きつくのんだ?
「どうしたの、薫?起きるんじゃあなかったの?」
「....して。」
「へ?」
僕が遠回しに、何故抱きついたの訊くと、彼女はボソボソと何かを呟いた。
それが聞き取れなかった僕は、何を呟いたのか彼女に聞き返す。すると、彼女は、僕の耳元まで顔を寄せ、眠たそうな声でこう呟いてきた。
「だっこ、して。」
そういえば、休みの日はいつも彼女を抱きかかえて起こしていたな。眠り過ぎてすっかり忘れていた。
そのことを思い出した僕は、彼女の胴回りに手を入れる。そして、力を込めて持ち上げた。
「よいしょっと!」
「うわぁ!」
自分の上半身の高さまで勢いよく上げる。彼女はそれほど重くはないため、持ち上げることは容易だった。
彼女はその行動に驚きの声を上げたが、すぐさま、僕の腰に足を絡ませてきた。
「えへへ♥剛、あったかい!♥」
「ハハ、薫も暖かいよ。」
互いに、体の温かさを全身で受け止めながら笑い合う。実際、抱き合っている薫と僕の温度は、外の寒さを感じさせないほど暖かかった。
「ねぇ、剛?」
しばらくして、彼女が上目使いをしながら、甘い声で僕の名前を呼んできた。そんな目で見つめられ、しかも甘い声で呼ばれるなんて、起きたばっかりの僕には刺激が強すぎる。
「うん?」
「ん♥」
頭がクラクラしそうになるのを我慢しつつ、僕は何の用かと聞き返す。
すると、薫は目を瞑り、唇をすぼませて、無言で何かを要求してきた。彼女が、こんな表情をしながら要求してくることは、ただ一つだ。
僕は彼女と同じように唇をすぼませてから、彼女の唇に僕の唇を重ね合わせた。
「ん....。」
「ん♥」
キスした瞬間、彼女が嬉しそうな声色を上げる。そして、僕の口内に舌を入れながら、より一層に抱きつく力を強くした。
彼女のたわわに実った双丘がやんわりと僕の体に押しつけられ、舌で口内を犯される。その驚異的な合わせ技に、息子がいきり立ってしまう。
かに思われたが、朝の時点で交わるのはさすがにまずいことと、昨日も散々薫と交わって疲れていたため、僕は必死に耐えた。
「プハァ!」
1分か2分ぐらい経った後、彼女の唇と僕の唇が互いに離れる。その間には、銀色のアーチが架かっており、やがて切れた。なんとか耐えることが出来た....。
「ふふふ!♥剛の唾液、おいしい!」
「そ、そんなこと言わないでくれよ!照れるだろ!」
彼女の恥じらいのカケラもない発言に、僕は恥ずかしくなり、視線を顔を下に背ける。二人っきりだからこそ言えることなんだろうけど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
しかし、彼女から顔を背けてしまった所為で、薫に責められやすい雰囲気を作り出してしまった。なんとか話題を変えることはできないかな...。
そういや、まだ朝ご飯を食べていなかったな。よし、この話題に切り替えよう。
そう思い、僕はその話題に切り替えることにした。
「よ、よし!今から朝ご飯を食べようか!」
「あ!そういえばまだ食べていなかったね。けど、今の時間帯で言うなら朝ご飯じゃなくて、昼ご飯だよ!」
「ああ、そうか!そうだな!ハハハ!」
「えへへへ!」
ちょっと声が上ずりそうになったが、何とか朝ご飯の話題に切り替えることが出来たようだ。
とりあえず、彼女を抱きかかえたままテーブルまで行こうかな。抱きつくことをやめるよう言ったって、彼女は抱きつくことをやめないし、僕も嫌ではない。
「じゃあ、一緒にテーブルの所まで行こうか!」
「はーい!♥」
僕は彼女を抱きかかえながら、テーブルが置かれている居間へと向かった。
「はい、お待たせ。」
「うわ〜!おいしそー!」
抱きかかえたままテーブルに辿り着いた僕は、薫をテーブルの横に置いてある席に腰を掛けさせ、一人で台所に向かった。
そして今、冷蔵庫にあった食材で簡単な朝ご飯.....昼ご飯を作り、テーブルまで持っていったところだ。
僕が作った料理を見るなり、彼女は嬉しそうな表情を浮かべ、率直な感想を述べた。よっぽど腹が減っていたのだろう。
「じゃあ、食べようか?」
「うん!いただきます!」
「はい、いただきます。」
僕達は合掌しながら、食事の挨拶を交わし合い、互いに箸を手にとって食べ始める。
ちなみに、イエティの大きな手で箸のような小さい物が握れるのかというと、答えは握れる。薫はシャーペンを握れるほど器用なのだ。多分、他のイエティもそうじゃないかな。
「う、うんま〜い!やっぱり剛が作る料理はおいしいね!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。」
彼女は美味しそうに笑い、僕の料理を褒める。その言葉に、僕も嬉しくなり、口角を上げて返す。いつも褒めてもらっているのだが、薫の心底美味しそうな表情で褒められると、嬉しくなってしまう。
山本薫は、先程述べた通り、僕が通っている大学の同級生だ。いつも明るく元気で、クラスのムードメーカー的な存在だ。
僕は、そんな彼女に憧れていたと同時に、恋心も抱いていた。彼女の明るい性格、それにあのもふもふな大きな手。あれに抱きよせられると、どれだけ暖かく気持ちが良いか、想像するだけでも暖かそうだった。
ちなみに、僕は獣の魔物娘が大好きだ。特に、あのモフモフしてそうな毛並みが堪らない。
高校時代は獣の魔物娘だけが載っているエロ本を買って慰めていたが、彼女が出来てからはその本を焼却して、今はもう無い。
話を戻そう。そして、今年と同じような冬。当時、僕は大学一年生で、彼女を屋上に呼び出して告白をした。今思えば、僕は大それた行動をしたと思う。
多分、断られるだろうと思った。僕みたいな人、興味がないと思っていた。
けれど、彼女は「待ってました!」といわんばかりな表情で喜び、勢いよく僕に抱きついてきた。彼女の腕のモフモフした毛は、予想以上にモフモフしていて、暖かった。
そして現在。僕達は親の許可を貰って、同棲をしている。毎日が幸せだ。
「剛。今日は何をして過ごすの?」
「う〜ん....そうだなぁ....。」
何をして過ごすか訊かれ、僕は食べながら考え込む。外に出掛ける....は、昨日出掛けたし....。いつも通りにこたつに入り、蜜柑を食べるながらテレビの特番でも見ようかな。
そう決めようとした時、不意に薫のマフラーが目に入る。よく見ると、彼女のマフラーは所々糸が飛び出しており、綺麗な青色も、少し色あせていた。
そうだ、この際だから彼女の新しいマフラーを買ってみようか。そうすれば彼女も喜ぶに違いない。
「ねぇ、薫。マフラーを買いに行かないかい?」
「マフラー?」
「うん、マフラー。そのマフラー、高校時代から着続けていて、もうボロボロだろ?」
僕がそう言った途端、薫の表情がみるみる曇っていく。どうしたんだろうか?
「どうしたんだい?新しく買うのが嫌なの?」
「うん....。だって、このマフラー、高校時代から使ってきたから手放したくないの....。」
そう言いながら、薫はマフラーを愛おしそうに撫でる。確かに、誰だって思い出の品は捨てたくないものだ。けど、そのまま使い続けていくのはどうだろうか...。
「別に新しく買わなくても、そのマフラーを新調しても良いんだよ。けど、そんな店あるかな...。」
「ボク、知ってるよ。」
「え、ホント!?」
薫の予想外の発言に、僕は驚いてしまう。
「うん。このマンションの裏に商店街があるでしょ?」
「ああ、あるね。」
「あそこの隅に、仕立て屋「アラーニャ」という店があるの。」
仕立て屋「アラーニャ」...。名前からして、アラクネが経営してそうな名前だ。
「そんな店があるのか...。知らなかったな...。」
「だって、あそこの店長、あまり目立ちたくないタイプだもん。」
なるほど。だから見たことも聞いた事もなかったのか。
「で、なんで薫はその店のことを知ってるの?」
「お母さんと一緒に、子供の頃からマフラーを直しに行ってたの。でも、最近は忙しくて行く暇がなかったなぁ...。」
「へぇー....。」
薫の知っている理由に、僕は相槌を打つ。どうやらこれで、今日の予定の目途が立ったようだ。よし、ご飯を食べたら行ってみようかな。
「じゃあ、ご飯を食べたら行ってみようか。」
「うん、分かった!」
僕達はその店に行くことを決め、ご飯を食べていった。
「ここが、仕立て屋「アラーニャ」だよ。」
「へぇー...。こんなところがあったのか...。」」
僕達は商店街の隅にある、仕立て屋「アラーニャ」まで来ていた。しかし、子供の頃からこの商店街に来ていたけど、こんな店、見たこともなかった。
店の外見は、店長の目立ちたくない性格を示すように、「アラーニャ」と大きく書かれた看板しか立て掛けられてなかった。
「けど、こんな所にあるなんて、全然知らなかったなぁ....。」
子供の頃からこの町に住んでいるけど、こんな所に仕立て屋さんがあるというのは全く知らなかった。
「剛?入らないの?」
「ああ、うん。」
呆然としながら店の外見を眺める僕に対し、薫が入ろうと促してきた。
いかん、ちょっとボーッとしてたな。 そう自分を戒めながら、僕は店の扉のノブに手を掛ける。
店の扉は喫茶店のようにオシャレな装飾が施されており、開けた瞬間、扉に取り付けられていた鈴が鳴る。多分、来客を知らせるために取り付けられているのだろう。
「すっごい綺麗だな....。」
僕は、店内に入って数歩前に動いてから、開口一番にそう呟いた。
店内は、とても清潔に保たれており、床やカウンターには塵一つ無いことが一目で分かった。
そして、それを際立たせるように、適度な明るさを放つ照明と、売り物の服や帽子が客に邪魔にならないよう考えて配置されていた。
「この店、すごく奇麗でしょ?なんでも、店長が奇麗好きなんだって。」
「へぇ...。それでこんなに奇麗なんだなぁ...。」
この店内のあまりの奇麗さに、僕は感嘆の声を上げる。他店の服屋でも、ここまで奇麗にしている服屋はそうそういないだろう。
「あら、お客様?ようこそ、いらっしゃいませ。」
不意に、カウンターの方から声が掛かる。僕は我に返り、声がした方向へと振り向く。
そこには、店内の明かりに照らされて輝きを放つ銀髪に、鋭い赤い目を持つ、この店の店長と思われる美しいアラクネが居た。
「あ、どうも。」
「アラーニャさん!お久しぶりです!」
「あら、薫ちゃん!本当に久しぶりねー!」
僕を尻目に、互いに喜び合いながら、再会を分かち合う二人。
僕はその再会を微笑みながら見つめ、壁を背に空気椅子をする。とりあえず、二人の感動の再会が終わるまで待つか。
「あら?あの人は薫ちゃんの彼氏?」
「えへへ、そうなんです!
「いい男じゃあないの!絶対逃すんじゃないよ!」
「はい!分かりました!」
なにやら不穏な会話が聞こえてくるが、僕が彼女から逃げるわけがない。薫という素晴らしい彼女が出来たことだけでも、幸せの絶頂なのに。
二人はしばらく自らの近況を話し合った後、何かを思い出したように「あっ!」と薫が声を上げ、こちらを向く。
「そういえば、店長さんの名前、剛には話してなかったね。こちらが店長の「アラーニャ・ウルツビア」さん。」
「よろしくね、坊や。」
「あ!こ、こちらこそ、宜しくお願いします。」
僕はアラーニャさんに挨拶をされた途端、体が縮こまり、野球部員の挨拶のように、きちんとお辞儀をしてしまった。
一瞬アラーニャさんが美しくも恐ろしい笑みを浮かべていたように見えたが、幻覚だろうか?もしかすると、薫から一生離れないように、戒めているのかもしれない。
薫とは絶対離れないようにしよう。 そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと体を上げていく。
「もう、どうしたの、剛?そんなに畏まっちゃって。」
「ふふふ、礼儀正しいのね。」
薫は、あのアラーニャさんの笑みに気付いてなさそうに、僕の態度を笑う。だって、あんな恐ろしい笑みを向けられたら、誰だって畏まってしまう。
「で、あなた達がここへ来た理由は何なの?」
アラーニャさんに理由を訊かれ、僕ははっとする。そういえば、まだ話してなかったな。
「実は、薫のマフラーを新調してもらいたいんですが...。」
「うん、最近ここに来てなかったから、もうボロボロなんです!」
「ああ、そうなの。...確かにそのマフラー、もうボロボロね。」
僕が腰を低くして理由を話すと、薫が僕の話した理由に後付けをした。
それを聞いたアラーニャさんは、薫の首に掛かっているマフラーをまじまじと見つめ、納得したように言った。
「でも、これくらいの傷みならば、十数分程で直して上げるわ。」
「本当ですか?ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
数十分程で直せると言われた僕達は、同時にお礼の言葉を述べて、お辞儀をする。しかし、あれだけ傷んだマフラーを数十分で直せるとは、さすが裁縫が得意といわれている種族だ。
「いいわよお礼なんて。じゃあ、薫ちゃん。そのマフラーを貸してくれる?」
「あ、はい!」
マフラーを貸してくれるように言われた薫は、傷まないようにマフラーを丁寧に外し、アラーニャさんに手渡す。
「はい、ありがとう。じゃあ、終わるまであそこの席に腰を掛けて、少し待っててね。」
「はい、分かりました。それじゃあ薫、行こうか。」
「うん!」
アラーニャさんが手を向けた方向には、こぢんまりとした腰掛けがある椅子が、二つ置かれていた。
僕は了承し、薫の方へ振り向いた後、二つの席へ行こうと促す。
すると、彼女が元気良く返事をして頷いたので、一緒にその席へ移動し、座る。
「じゃあ、少し待っててね。」
「あ、はい。」
アラーニャさんはそう言い残すと、カウンターの奥へと引っ込んでいった。
さて、薫と二人っきりになってしまったが、何を話そうか...。 そう考え込んでいると、この店がいつ開店したか気になってきた。薫に聞いてみようか...。
「ねぇ、薫?」
「うん?」
「この店って、いつからあるの?」
「分かんない。けど、ボクのお母さんの話だと、子供の頃からあったらしいよ。」
薫のお母さんが子供の頃から...。どうやらこの店は、開業してから長い年月が経っていそうだ。
「へー...、そんな昔まであるんだなぁ...。それでこんなに奇麗だなんて...。」
「あくまでも噂だけどね。でも、すごいよね。そんな昔までこの店があるなんて。」
「本当だよ...。」
この店が長年やっていることに感心しながら、僕達はカウンターの奥からアラーニャさんが戻ってくるのを待ち続けた。
しばらくすると、アラーニャさんがカウンターの奥から戻って来た。その手には、新調されたマフラーが大切に握られていた。遠目でも、新調され奇麗になっていることが一目で分かる。
「はい、お待たせ。ちゃんと奇麗に新調しておいたわよ。」
「ありがとうございます!あ、ちゃんと糸崩れが無くなってる〜!」
「ハハ、良かったな、薫。」
「うん!....ん?」
薫は糸崩れが無くなったマフラーを手にし、嬉しそうに微笑みながら、マフラーに頬ずりをする。直ったのが相当嬉しかったみたいだ。よかった、よかった。
しかし、頬ずりをやめた薫がそのマフラーを広げると、違和感を感じたのか、首をかしげた。どうしたんだろう?
「どうしたんだい、薫?」
「これ、さっきのよりも長い。」
「え、あ、本当だ。」
薫が長さが違うことを指摘したので、改めてアラーニャさんが直してくれたマフラーをまじまじと見つめる。
すると、先程よりも、若干長さが変わってくることに気付いた。
「アラーニャさん、これ...。」
「あら、気付いた?それはね、あなた達ふたりが仲良く巻けるように作ったのよ。」
「ええ!?」
アラーニャさんのマフラーを長くした意外な理由を聞いて、僕は驚く。マフラーを二人で巻くなんて、そんな恥ずかしいこと...。
そう思いながら薫の方を見ると、とっても嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます、アラーニャさん!一生大切にしますから!」
「良いってことよ。そんなに喜ぶんだったら、二人の名前を刺繍しておけばよかったわね〜。」
「是非とも、よろしくお願いします!」
「ちょ、薫!?やめてくれよぉ!」
マフラーに僕達の名前を刺繍する話を聞き、僕は恥ずかしさのあまり、薫にやめるよう必死に伝えた。二人で一つのマフラーを使うことでさえも恥ずかしいのに、名前を刺繍されたら恥ずかしさのあまり死んでしまいそうだ。
「もぉ〜、剛ったら!恥ずかしがり屋なんだから〜。」
「しょ、しょうがないだろ!恥ずかしいものは恥ずかしいんだから!」
薫にからかわれ、僕はすぐさま反論するが、全然反論になっていない。しかも、薫にからかわれてしまった。
「はいはい、イチャつくのは他の所でやりなさい。」
「あ、すいません。」
手を二回ほど叩きながら、アラーニャさんがやめるように言う。
僕は素直に謝り、薫に反論することをやめた。反論になってなかったけど。
「あの...、お支払いの方は?」
「ああ、別に良いわよ。」
「え、払わなくていいんですか!?」
マフラーを新調したのに払わなくても良いとは。なんて懐が深いのだろうか。
「ええ、久しぶりに薫ちゃんと会えたし、それにあなたが薫を見捨てない男だと確信したからよ。」
なるほど、そういう訳だったのか。けど、あのやり取りの中で、僕が見捨てないということを見抜いたんだろうか?
やはり、アラーニャさんの見る目は違う。 僕は、そう確信したのだった。
「もう!アラーニャさん!剛は一生、ボクから離れないよ!」
「ふふふ、疑って悪かったわね。」
「あ、別にいいですよ。気にしてませんから。」
アラーニャさんが疑っていたことを謝ってきたが、僕は首を振りながら否定する。実際、疑っていたことは何とも思っていなかった。
ふと壁に掛かっている時計を見ると、6と刻印されたところを刺していた。
「では、もう時間なので、失礼します!」
「またねー、アラシアさん!」
「またいらっしゃいね、薫ちゃん、剛くん。」
互いに別れを告げ、僕達は人が賑わう町に戻っていった。
「ふふふふ♥」
「どうしたんだ、薫?やけに嬉しそうじゃあないか。」
マンションに帰る途中、嬉しそうに笑っている薫を見て、僕は尋ねた。
「だって、マフラーを新調してもらったんだよ〜。こんなに嬉しい事はないよ!」
マフラーを愛おしそうに撫でながら、嬉しそうに薫は声高々に言った。そりゃあ、ボロボロになっていたマフラーが、新品同様になって返ってきたんだ。誰だって嬉しいだろうな。
夜空を眺めながらそう思っていると、不意に、僕の首に何かが巻き付けられていく感触がした。
「うわぁ!?なんだ?」
その声と共に目線を下に下げると、薫が僕の首にマフラーを巻いていた。
「えへへ♥剛、一緒にマフラーして歩こう?」
僕はやめるよう言おうと思ったが、薫の子供のように無邪気な笑顔を見ている内に、反論する気が失せていった。
「分かったよ、薫。このまま一緒に歩こうか。」
「うん、分かった!」
僕達はマフラーで互いに寄り添いながら、マンションへと帰って行った。
今、僕こと大学生の小野剛(おのつよし)は寝ている。
布団の暖かさを少しでも逃さないように、くるまりながら寝ている。
後、布団から出たくないこともあった。だって、布団の外は絶対寒い。わざわざ布団の温もりを捨てて、外の寒さを味わうという愚かな行為は、誰だってしないだろう。
このまま布団の中で、一日を過ごしてみようか。大学は冬休みだし、外へ行ってもやることがない。
そう決めつけようとした時だった。
不意に、枕の側に置いてあった目覚まし時計がけたたましく鳴り、寝続けることを阻害される。
「......んん。」
僕は、邪魔されたことに不機嫌になりながらも、目覚まし時計を止めようと布団から手を出す。
布団の外は予想以上に寒く、布団の中で暖まった手が急速に冷えていく。
僕は、布団の中に手を戻したい衝動に耐えつつ、手探りで目覚まし時計を探していく。目覚まし時計は、大体同じ場所に置いてあるので、探すのは容易だった。
すぐさま、小刻みに震えて音を出す目覚まし時計が、僕の手に当たる。僕は上のスイッチを押し、その音を止ました。
静寂が戻ったので、布団の中に手を引っ込める。そして、二度寝をしようと敷き布団に、横向きで体を預ける。
しかし、僕はある大事な事を思い出した。
「.....今、何時だ?」
それは、目覚まし時計のけたたましい音を止めるだけで、現在の時刻を確認していなかったことだった。
正直、もう布団の外には手を出したくなかったが、覚悟を決め、手を出す。
そして、先程止めた目覚まし時計を掴む。
その目覚まし時計を枕の側まで持って行き、顔を上げ、寝ぼけ眼で時計を見る。短針と長針が、共に12と刻印されているところを指していた。
「12時...、もうお昼なのか...。まぁ、昨日はあんだけ騒いだんだから、仕方ないか...。」
そう言いながら、布団から出ようと床に手を着く。できればこのまま布団の中で一日を過ごしたいが、飯を食べずに寝続けるということは無理だろう。やりたいこともあるし。
しかし、いざ起き上がろうとすると、胴回りに抱きついている大きな何かが力を強くする。
なんだ、まだ寝ていたのか....。 そう珍しく思いながら、布団をめくる。
「んー.....。つよしぃ....。」
そこにはもこもこの手足を持ち、申し訳程度に女性の部分を隠す体毛が生えている、褐色肌の巨乳なイエティ」、僕の腹に顔を埋めながら、心地よさそうに眠っていた。
この魔物娘が、僕の通っている大学の同級生であり、彼女である山本薫(やまもとかおる)だ。
「ほら、薫。そろそろ起きないと。」
僕は彼女起こそうと、彼女の体を揺さぶりながら声を掛ける。
「んん.....?今何時....?」
眠そうに目をこすりながら、時間を訊いてきた。時間は先程確認したとおり、午前12時。僕達がいつも起きている時間よりは、大分遅い。
「もう12時だ。」
「え、もうそんな時間なの...?」
僕は分を省略して、彼女に時刻を伝えた。
すると、眠そうなのは変わりないが、彼女は目をぱちくりさせながら聞き返してきた。
「うん、もうそんな時間。そろそろ起きなきゃね。」
「うん....分かった...。」
僕が起きるように促すと、彼女は了承しながら僕に抱きつく力を強くした。
ちょっと待て。何で起きようとするのに抱きつくのんだ?
「どうしたの、薫?起きるんじゃあなかったの?」
「....して。」
「へ?」
僕が遠回しに、何故抱きついたの訊くと、彼女はボソボソと何かを呟いた。
それが聞き取れなかった僕は、何を呟いたのか彼女に聞き返す。すると、彼女は、僕の耳元まで顔を寄せ、眠たそうな声でこう呟いてきた。
「だっこ、して。」
そういえば、休みの日はいつも彼女を抱きかかえて起こしていたな。眠り過ぎてすっかり忘れていた。
そのことを思い出した僕は、彼女の胴回りに手を入れる。そして、力を込めて持ち上げた。
「よいしょっと!」
「うわぁ!」
自分の上半身の高さまで勢いよく上げる。彼女はそれほど重くはないため、持ち上げることは容易だった。
彼女はその行動に驚きの声を上げたが、すぐさま、僕の腰に足を絡ませてきた。
「えへへ♥剛、あったかい!♥」
「ハハ、薫も暖かいよ。」
互いに、体の温かさを全身で受け止めながら笑い合う。実際、抱き合っている薫と僕の温度は、外の寒さを感じさせないほど暖かかった。
「ねぇ、剛?」
しばらくして、彼女が上目使いをしながら、甘い声で僕の名前を呼んできた。そんな目で見つめられ、しかも甘い声で呼ばれるなんて、起きたばっかりの僕には刺激が強すぎる。
「うん?」
「ん♥」
頭がクラクラしそうになるのを我慢しつつ、僕は何の用かと聞き返す。
すると、薫は目を瞑り、唇をすぼませて、無言で何かを要求してきた。彼女が、こんな表情をしながら要求してくることは、ただ一つだ。
僕は彼女と同じように唇をすぼませてから、彼女の唇に僕の唇を重ね合わせた。
「ん....。」
「ん♥」
キスした瞬間、彼女が嬉しそうな声色を上げる。そして、僕の口内に舌を入れながら、より一層に抱きつく力を強くした。
彼女のたわわに実った双丘がやんわりと僕の体に押しつけられ、舌で口内を犯される。その驚異的な合わせ技に、息子がいきり立ってしまう。
かに思われたが、朝の時点で交わるのはさすがにまずいことと、昨日も散々薫と交わって疲れていたため、僕は必死に耐えた。
「プハァ!」
1分か2分ぐらい経った後、彼女の唇と僕の唇が互いに離れる。その間には、銀色のアーチが架かっており、やがて切れた。なんとか耐えることが出来た....。
「ふふふ!♥剛の唾液、おいしい!」
「そ、そんなこと言わないでくれよ!照れるだろ!」
彼女の恥じらいのカケラもない発言に、僕は恥ずかしくなり、視線を顔を下に背ける。二人っきりだからこそ言えることなんだろうけど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
しかし、彼女から顔を背けてしまった所為で、薫に責められやすい雰囲気を作り出してしまった。なんとか話題を変えることはできないかな...。
そういや、まだ朝ご飯を食べていなかったな。よし、この話題に切り替えよう。
そう思い、僕はその話題に切り替えることにした。
「よ、よし!今から朝ご飯を食べようか!」
「あ!そういえばまだ食べていなかったね。けど、今の時間帯で言うなら朝ご飯じゃなくて、昼ご飯だよ!」
「ああ、そうか!そうだな!ハハハ!」
「えへへへ!」
ちょっと声が上ずりそうになったが、何とか朝ご飯の話題に切り替えることが出来たようだ。
とりあえず、彼女を抱きかかえたままテーブルまで行こうかな。抱きつくことをやめるよう言ったって、彼女は抱きつくことをやめないし、僕も嫌ではない。
「じゃあ、一緒にテーブルの所まで行こうか!」
「はーい!♥」
僕は彼女を抱きかかえながら、テーブルが置かれている居間へと向かった。
「はい、お待たせ。」
「うわ〜!おいしそー!」
抱きかかえたままテーブルに辿り着いた僕は、薫をテーブルの横に置いてある席に腰を掛けさせ、一人で台所に向かった。
そして今、冷蔵庫にあった食材で簡単な朝ご飯.....昼ご飯を作り、テーブルまで持っていったところだ。
僕が作った料理を見るなり、彼女は嬉しそうな表情を浮かべ、率直な感想を述べた。よっぽど腹が減っていたのだろう。
「じゃあ、食べようか?」
「うん!いただきます!」
「はい、いただきます。」
僕達は合掌しながら、食事の挨拶を交わし合い、互いに箸を手にとって食べ始める。
ちなみに、イエティの大きな手で箸のような小さい物が握れるのかというと、答えは握れる。薫はシャーペンを握れるほど器用なのだ。多分、他のイエティもそうじゃないかな。
「う、うんま〜い!やっぱり剛が作る料理はおいしいね!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。」
彼女は美味しそうに笑い、僕の料理を褒める。その言葉に、僕も嬉しくなり、口角を上げて返す。いつも褒めてもらっているのだが、薫の心底美味しそうな表情で褒められると、嬉しくなってしまう。
山本薫は、先程述べた通り、僕が通っている大学の同級生だ。いつも明るく元気で、クラスのムードメーカー的な存在だ。
僕は、そんな彼女に憧れていたと同時に、恋心も抱いていた。彼女の明るい性格、それにあのもふもふな大きな手。あれに抱きよせられると、どれだけ暖かく気持ちが良いか、想像するだけでも暖かそうだった。
ちなみに、僕は獣の魔物娘が大好きだ。特に、あのモフモフしてそうな毛並みが堪らない。
高校時代は獣の魔物娘だけが載っているエロ本を買って慰めていたが、彼女が出来てからはその本を焼却して、今はもう無い。
話を戻そう。そして、今年と同じような冬。当時、僕は大学一年生で、彼女を屋上に呼び出して告白をした。今思えば、僕は大それた行動をしたと思う。
多分、断られるだろうと思った。僕みたいな人、興味がないと思っていた。
けれど、彼女は「待ってました!」といわんばかりな表情で喜び、勢いよく僕に抱きついてきた。彼女の腕のモフモフした毛は、予想以上にモフモフしていて、暖かった。
そして現在。僕達は親の許可を貰って、同棲をしている。毎日が幸せだ。
「剛。今日は何をして過ごすの?」
「う〜ん....そうだなぁ....。」
何をして過ごすか訊かれ、僕は食べながら考え込む。外に出掛ける....は、昨日出掛けたし....。いつも通りにこたつに入り、蜜柑を食べるながらテレビの特番でも見ようかな。
そう決めようとした時、不意に薫のマフラーが目に入る。よく見ると、彼女のマフラーは所々糸が飛び出しており、綺麗な青色も、少し色あせていた。
そうだ、この際だから彼女の新しいマフラーを買ってみようか。そうすれば彼女も喜ぶに違いない。
「ねぇ、薫。マフラーを買いに行かないかい?」
「マフラー?」
「うん、マフラー。そのマフラー、高校時代から着続けていて、もうボロボロだろ?」
僕がそう言った途端、薫の表情がみるみる曇っていく。どうしたんだろうか?
「どうしたんだい?新しく買うのが嫌なの?」
「うん....。だって、このマフラー、高校時代から使ってきたから手放したくないの....。」
そう言いながら、薫はマフラーを愛おしそうに撫でる。確かに、誰だって思い出の品は捨てたくないものだ。けど、そのまま使い続けていくのはどうだろうか...。
「別に新しく買わなくても、そのマフラーを新調しても良いんだよ。けど、そんな店あるかな...。」
「ボク、知ってるよ。」
「え、ホント!?」
薫の予想外の発言に、僕は驚いてしまう。
「うん。このマンションの裏に商店街があるでしょ?」
「ああ、あるね。」
「あそこの隅に、仕立て屋「アラーニャ」という店があるの。」
仕立て屋「アラーニャ」...。名前からして、アラクネが経営してそうな名前だ。
「そんな店があるのか...。知らなかったな...。」
「だって、あそこの店長、あまり目立ちたくないタイプだもん。」
なるほど。だから見たことも聞いた事もなかったのか。
「で、なんで薫はその店のことを知ってるの?」
「お母さんと一緒に、子供の頃からマフラーを直しに行ってたの。でも、最近は忙しくて行く暇がなかったなぁ...。」
「へぇー....。」
薫の知っている理由に、僕は相槌を打つ。どうやらこれで、今日の予定の目途が立ったようだ。よし、ご飯を食べたら行ってみようかな。
「じゃあ、ご飯を食べたら行ってみようか。」
「うん、分かった!」
僕達はその店に行くことを決め、ご飯を食べていった。
「ここが、仕立て屋「アラーニャ」だよ。」
「へぇー...。こんなところがあったのか...。」」
僕達は商店街の隅にある、仕立て屋「アラーニャ」まで来ていた。しかし、子供の頃からこの商店街に来ていたけど、こんな店、見たこともなかった。
店の外見は、店長の目立ちたくない性格を示すように、「アラーニャ」と大きく書かれた看板しか立て掛けられてなかった。
「けど、こんな所にあるなんて、全然知らなかったなぁ....。」
子供の頃からこの町に住んでいるけど、こんな所に仕立て屋さんがあるというのは全く知らなかった。
「剛?入らないの?」
「ああ、うん。」
呆然としながら店の外見を眺める僕に対し、薫が入ろうと促してきた。
いかん、ちょっとボーッとしてたな。 そう自分を戒めながら、僕は店の扉のノブに手を掛ける。
店の扉は喫茶店のようにオシャレな装飾が施されており、開けた瞬間、扉に取り付けられていた鈴が鳴る。多分、来客を知らせるために取り付けられているのだろう。
「すっごい綺麗だな....。」
僕は、店内に入って数歩前に動いてから、開口一番にそう呟いた。
店内は、とても清潔に保たれており、床やカウンターには塵一つ無いことが一目で分かった。
そして、それを際立たせるように、適度な明るさを放つ照明と、売り物の服や帽子が客に邪魔にならないよう考えて配置されていた。
「この店、すごく奇麗でしょ?なんでも、店長が奇麗好きなんだって。」
「へぇ...。それでこんなに奇麗なんだなぁ...。」
この店内のあまりの奇麗さに、僕は感嘆の声を上げる。他店の服屋でも、ここまで奇麗にしている服屋はそうそういないだろう。
「あら、お客様?ようこそ、いらっしゃいませ。」
不意に、カウンターの方から声が掛かる。僕は我に返り、声がした方向へと振り向く。
そこには、店内の明かりに照らされて輝きを放つ銀髪に、鋭い赤い目を持つ、この店の店長と思われる美しいアラクネが居た。
「あ、どうも。」
「アラーニャさん!お久しぶりです!」
「あら、薫ちゃん!本当に久しぶりねー!」
僕を尻目に、互いに喜び合いながら、再会を分かち合う二人。
僕はその再会を微笑みながら見つめ、壁を背に空気椅子をする。とりあえず、二人の感動の再会が終わるまで待つか。
「あら?あの人は薫ちゃんの彼氏?」
「えへへ、そうなんです!
「いい男じゃあないの!絶対逃すんじゃないよ!」
「はい!分かりました!」
なにやら不穏な会話が聞こえてくるが、僕が彼女から逃げるわけがない。薫という素晴らしい彼女が出来たことだけでも、幸せの絶頂なのに。
二人はしばらく自らの近況を話し合った後、何かを思い出したように「あっ!」と薫が声を上げ、こちらを向く。
「そういえば、店長さんの名前、剛には話してなかったね。こちらが店長の「アラーニャ・ウルツビア」さん。」
「よろしくね、坊や。」
「あ!こ、こちらこそ、宜しくお願いします。」
僕はアラーニャさんに挨拶をされた途端、体が縮こまり、野球部員の挨拶のように、きちんとお辞儀をしてしまった。
一瞬アラーニャさんが美しくも恐ろしい笑みを浮かべていたように見えたが、幻覚だろうか?もしかすると、薫から一生離れないように、戒めているのかもしれない。
薫とは絶対離れないようにしよう。 そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと体を上げていく。
「もう、どうしたの、剛?そんなに畏まっちゃって。」
「ふふふ、礼儀正しいのね。」
薫は、あのアラーニャさんの笑みに気付いてなさそうに、僕の態度を笑う。だって、あんな恐ろしい笑みを向けられたら、誰だって畏まってしまう。
「で、あなた達がここへ来た理由は何なの?」
アラーニャさんに理由を訊かれ、僕ははっとする。そういえば、まだ話してなかったな。
「実は、薫のマフラーを新調してもらいたいんですが...。」
「うん、最近ここに来てなかったから、もうボロボロなんです!」
「ああ、そうなの。...確かにそのマフラー、もうボロボロね。」
僕が腰を低くして理由を話すと、薫が僕の話した理由に後付けをした。
それを聞いたアラーニャさんは、薫の首に掛かっているマフラーをまじまじと見つめ、納得したように言った。
「でも、これくらいの傷みならば、十数分程で直して上げるわ。」
「本当ですか?ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
数十分程で直せると言われた僕達は、同時にお礼の言葉を述べて、お辞儀をする。しかし、あれだけ傷んだマフラーを数十分で直せるとは、さすが裁縫が得意といわれている種族だ。
「いいわよお礼なんて。じゃあ、薫ちゃん。そのマフラーを貸してくれる?」
「あ、はい!」
マフラーを貸してくれるように言われた薫は、傷まないようにマフラーを丁寧に外し、アラーニャさんに手渡す。
「はい、ありがとう。じゃあ、終わるまであそこの席に腰を掛けて、少し待っててね。」
「はい、分かりました。それじゃあ薫、行こうか。」
「うん!」
アラーニャさんが手を向けた方向には、こぢんまりとした腰掛けがある椅子が、二つ置かれていた。
僕は了承し、薫の方へ振り向いた後、二つの席へ行こうと促す。
すると、彼女が元気良く返事をして頷いたので、一緒にその席へ移動し、座る。
「じゃあ、少し待っててね。」
「あ、はい。」
アラーニャさんはそう言い残すと、カウンターの奥へと引っ込んでいった。
さて、薫と二人っきりになってしまったが、何を話そうか...。 そう考え込んでいると、この店がいつ開店したか気になってきた。薫に聞いてみようか...。
「ねぇ、薫?」
「うん?」
「この店って、いつからあるの?」
「分かんない。けど、ボクのお母さんの話だと、子供の頃からあったらしいよ。」
薫のお母さんが子供の頃から...。どうやらこの店は、開業してから長い年月が経っていそうだ。
「へー...、そんな昔まであるんだなぁ...。それでこんなに奇麗だなんて...。」
「あくまでも噂だけどね。でも、すごいよね。そんな昔までこの店があるなんて。」
「本当だよ...。」
この店が長年やっていることに感心しながら、僕達はカウンターの奥からアラーニャさんが戻ってくるのを待ち続けた。
しばらくすると、アラーニャさんがカウンターの奥から戻って来た。その手には、新調されたマフラーが大切に握られていた。遠目でも、新調され奇麗になっていることが一目で分かる。
「はい、お待たせ。ちゃんと奇麗に新調しておいたわよ。」
「ありがとうございます!あ、ちゃんと糸崩れが無くなってる〜!」
「ハハ、良かったな、薫。」
「うん!....ん?」
薫は糸崩れが無くなったマフラーを手にし、嬉しそうに微笑みながら、マフラーに頬ずりをする。直ったのが相当嬉しかったみたいだ。よかった、よかった。
しかし、頬ずりをやめた薫がそのマフラーを広げると、違和感を感じたのか、首をかしげた。どうしたんだろう?
「どうしたんだい、薫?」
「これ、さっきのよりも長い。」
「え、あ、本当だ。」
薫が長さが違うことを指摘したので、改めてアラーニャさんが直してくれたマフラーをまじまじと見つめる。
すると、先程よりも、若干長さが変わってくることに気付いた。
「アラーニャさん、これ...。」
「あら、気付いた?それはね、あなた達ふたりが仲良く巻けるように作ったのよ。」
「ええ!?」
アラーニャさんのマフラーを長くした意外な理由を聞いて、僕は驚く。マフラーを二人で巻くなんて、そんな恥ずかしいこと...。
そう思いながら薫の方を見ると、とっても嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます、アラーニャさん!一生大切にしますから!」
「良いってことよ。そんなに喜ぶんだったら、二人の名前を刺繍しておけばよかったわね〜。」
「是非とも、よろしくお願いします!」
「ちょ、薫!?やめてくれよぉ!」
マフラーに僕達の名前を刺繍する話を聞き、僕は恥ずかしさのあまり、薫にやめるよう必死に伝えた。二人で一つのマフラーを使うことでさえも恥ずかしいのに、名前を刺繍されたら恥ずかしさのあまり死んでしまいそうだ。
「もぉ〜、剛ったら!恥ずかしがり屋なんだから〜。」
「しょ、しょうがないだろ!恥ずかしいものは恥ずかしいんだから!」
薫にからかわれ、僕はすぐさま反論するが、全然反論になっていない。しかも、薫にからかわれてしまった。
「はいはい、イチャつくのは他の所でやりなさい。」
「あ、すいません。」
手を二回ほど叩きながら、アラーニャさんがやめるように言う。
僕は素直に謝り、薫に反論することをやめた。反論になってなかったけど。
「あの...、お支払いの方は?」
「ああ、別に良いわよ。」
「え、払わなくていいんですか!?」
マフラーを新調したのに払わなくても良いとは。なんて懐が深いのだろうか。
「ええ、久しぶりに薫ちゃんと会えたし、それにあなたが薫を見捨てない男だと確信したからよ。」
なるほど、そういう訳だったのか。けど、あのやり取りの中で、僕が見捨てないということを見抜いたんだろうか?
やはり、アラーニャさんの見る目は違う。 僕は、そう確信したのだった。
「もう!アラーニャさん!剛は一生、ボクから離れないよ!」
「ふふふ、疑って悪かったわね。」
「あ、別にいいですよ。気にしてませんから。」
アラーニャさんが疑っていたことを謝ってきたが、僕は首を振りながら否定する。実際、疑っていたことは何とも思っていなかった。
ふと壁に掛かっている時計を見ると、6と刻印されたところを刺していた。
「では、もう時間なので、失礼します!」
「またねー、アラシアさん!」
「またいらっしゃいね、薫ちゃん、剛くん。」
互いに別れを告げ、僕達は人が賑わう町に戻っていった。
「ふふふふ♥」
「どうしたんだ、薫?やけに嬉しそうじゃあないか。」
マンションに帰る途中、嬉しそうに笑っている薫を見て、僕は尋ねた。
「だって、マフラーを新調してもらったんだよ〜。こんなに嬉しい事はないよ!」
マフラーを愛おしそうに撫でながら、嬉しそうに薫は声高々に言った。そりゃあ、ボロボロになっていたマフラーが、新品同様になって返ってきたんだ。誰だって嬉しいだろうな。
夜空を眺めながらそう思っていると、不意に、僕の首に何かが巻き付けられていく感触がした。
「うわぁ!?なんだ?」
その声と共に目線を下に下げると、薫が僕の首にマフラーを巻いていた。
「えへへ♥剛、一緒にマフラーして歩こう?」
僕はやめるよう言おうと思ったが、薫の子供のように無邪気な笑顔を見ている内に、反論する気が失せていった。
「分かったよ、薫。このまま一緒に歩こうか。」
「うん、分かった!」
僕達はマフラーで互いに寄り添いながら、マンションへと帰って行った。
13/12/30 21:34更新 / こりき