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絞蛇

 リッチである私に睡眠は必要ない。
 本当にする事がない時は寝てしまうが、すべきことしたいことがある時は寝ない。
 今日は読んでしまいたい本があった。だから深夜二時、私は眠らずに優雅に読書をしていた。
 外では雨が降っているらしく、心地よい雨音が優美な空間を演出していた。
「〜〜♪」
 軽くハミングしながらコーヒーを口にし、ページをめくっていく。
 本の半分ほどを読み終えた頃。

 ピンポーン

 静粛な雰囲気を打ち壊すようなチャイムの音が鳴った。
 ため息をつき、本にしおりを挟む。
 ったく、誰だこんな時間に訪ねてくるデリカシーの無い輩は。きっと同じくらいデリカシーの無い顔つきをしているのだろうな。
 と、心の中で悪態をつき、ドアの覗き穴を覗く。
「!」
 私は急いでドアを開けてやる。そして、そこに立っている男に声をかける。
「こんばんは、此目」
「こんばんは、智慧」


「普段から夜行性だと謳ってはいるが、さすがにこんな時間に訪ねてくるのはいただけないなぁ」
「すまないな、智慧」
 タオルで水分を拭きつつ此目は私がすすめた椅子に座る。パラパラと水滴が飛び散るが彼が気にする様子はない。デリカシーが無い奴という予想は当たっていたようだ。
 とても心の広い私は、嫌な顔を浮かべることなく暖かいコーヒーを淹れるために(安物のインスタントだが)電気ケトルでお湯を沸かす。
 ─────さて。
「此目………一体何があったんだ?」
「…………」
「なぁ」
「…………お前の」
 ようやく彼は、口を開く。
 その上下の唇は鉛のように鈍く重く動いていた。
「お前の言っていたことが理解できてしまったんだよ」
「? 何のことだい」
「『彼女達の目が何故一つなのか』」
 あぁ、それか。
「じゃあそれがどういうことなのか───此目の口から教えてくれないかい」
「…………はぁ」
 彼は小さくため息をつき、語り始める。
「普通、ゲイザーには触手がある──って言いたかったんじゃないのか?」
「正解」
 そうだ。
 どうやら此目はあまり魔物娘には詳しくないらしい。恐らくそれに気が付くまで、あの二人に触手が無いことに関して一切違和感など持っていなかっただろう。
 だから私はヒントを出した。
「……あのさぁ、おまえ全部わかってんだろ?ならさっさと教えてくれればよかったじゃないか」
「依頼は『アリスちゃん』のことだけだったからね。それ以降は業務外だ」
「どうせちゃんと依頼しても教えないだろ、お前なら。しかし、『アリステラ』のことだけ、ねぇ………」
 また此目はため息をつく。もうこの話はしたくないとでも言いたげだ。
 その様子を見ると、やはり彼の中の答えと私の中の答えは重なるようだ。
「で、触手がないこと、が何に繋がるの?まだ『何故』の答えには辿り着いていないよ」
「………触手がない。そしてその先っぽにある『目玉』もない。だから彼女達は正真正銘の単眼なんだ。本当に『目玉』が一つしかないんだ」
 彼は私の顔を伺う。
 きっと私の口から「間違っている」の言葉が出るのを待っているのだろう。
 だが私は何も言わない。
「そしてその『目玉』が一つしかない少女が二人現れた───そう、『目玉』が二つ現れたんだ」
 彼はここで息を吸う。
 躊躇いの籠もったため息だった。


「つまり『何故』の答えは、『彼女達は一人の人間の眼球それぞれから生まれた存在だから』なんだよ」


「……………少し飛躍しているように感じられるんだけれども」
 まったく根拠がない。色々なものをすっ飛ばしてしまっている。
 学校の問題だったら文句なしの×である。
「そう、そんな突拍子の無いことは思いつかなかったんだ…………アレを見るまでは」
「…………見ちゃったんだね」
 そうか、ついにそこに辿り着いてしまったか。
「そうだ。彼女達のことを調べるにはあそこしかないだろう───肝試しの洞窟。そしてその最奥にある『祠』」
 彼は、あの時肝試しに行ったのだ。
 『洞窟の祠を撮影すること』。それが目標だったはずだ。
「それで、此目はそれを開けてしまったのかい?」
「いいや」
 意外なことに、彼は首を横に振った。
「ならなんで……」
「開けなくてもわかったんだ───感じ取れたんだ、あの中に眼球が二つ祀られているのを」
 此目の呼吸が荒くなる。それとともに顔に絶望の色が浮かんでいく。
 それもそのはずだ。彼の脳内に直接送られた映像なのだ。焼き付いて離れないのだろう。
「サイコメトリーの暴走か……やはりあの子達の影響なのか」
「あぁ、そうだ。ここ最近変なものばかり見えるんだ」
 泣きそうな声で彼は言う。
 自分の能力を呪っているのだろうか、彼は軽く頭をかきむしる。
「傲慢だったよ。この能力さえあれば彼女達の何かを解決できる───解決はできなくとも受け止めてあげられると思ってたんだ。
 でも、でも───無理だ。こんなのは僕じゃどうにもできないんだ。こんな真実は僕なんかじゃどうしようもないんだ」
「…………」
 眼球だけが祀られている理由。
 宗教、魔術、村の因習──いくらでも考えられる。
 もちろん、それだけでも胸糞悪い話だが。
 それ以前に。
 眼球だけが祀られているということは。

 彼女達の生みの親は目を抉られた可能性が高いということなのだ。

 それはもう。
 一人の人間では支えられないくらいに絶望的な話なのではないだろうか。
「…………なぁ、此目。冷たい事を言うようだが、それについてはもう、我々にはどうしようもないことだ」
 過去は変えられない。
 その惨憺たる事実はもう動かない。
「気にしない方がいい。君は今まで通り彼女達に接するべきだ」
 それが最も幸せになれる方法なのだろう。
「そうだ。わかってるんだ。でも」
「いいかい、君にできることは彼女達を幸せにすることだ。彼女達の辛かったことを打ち消すくらい幸せに」
「……………」
「できるはずだ。君は二人の事を愛しているし、二人も同じくらい君のことを愛している。幸せになれないはずがないんだ」
「………」
 私は精一杯彼を励ます。きっとサイコメトリーのせいで精神が乱れているんだ。サイコメトリーでショッキングなイメージを見たせいで……
「お願いだ。いつまでもクヨクヨ落ち込んでその幸せを逃すことだけは止めてくれ。彼女達を幸せにするとここで約束してくれ。君にならできるはずなんだ」
 だが、サイコメトリーのせいで落ち込んだというのなら、サイコメトリーのおかげで励まされることもできるはずだ。
 微弱ではあるが彼からは魔力が放出されている。常に弱くは魔法が発動しているようだ。
「………わかった」
 彼はゆっくりと頷く。

「僕はあいつらを全力で愛す。そして他のことを考えられないくらいに幸せにする。絶対にな」

 彼の目の中に、わずかではあるが希望の光が灯ったように見えた。
「………よかった。そう言ってくれると安心だ」
 大丈夫だ。
 君の心は簡単には折れないはずだ。
 そう信じていたが───それはやはり正しかったようだ。
 カチッ
 と、場の雰囲気も和らいだところで、電気ケトルから音がした。
 お湯が沸いたようだ。
「そうだ、コーヒーを用意してたんだ。安いインスタントなんだけれども飲むかい?」
「あぁ、いただくよ」
 私はさっさとコーヒーを作る。さすがはインスタントだ。
「しかし、不運だったね。雨が降っちゃうだなんて」
 また彼が落ち込まないように私は明るく振る舞う。
「あ、そういえば砂糖は必要だったっけ?此目は確か甘い方が────」
 私の手が彼の手に触れる。

 その瞬間。
 ゾワリと寒気が走る。
 まるで誰かに観察されているようだった。

「っ!」
 ガシャン!
 握っていたはずのコーヒーカップが床に落ちて割れる。
「ぁ…………智慧?」
 さっきまでは明るかった彼の表情が。
 一瞬にして恐れと怯えで染まる。
「此目!違う。これはなんでもないんだ。だから────」
 ───そんな目で見ないでくれ。
「ち、智慧。ご、ごめんっ!」
「此目!」
 彼はそのまま。
 走り去ってしまった。
 まるで化け物を見たかのように取り乱しながら…………




 智慧と話している間に雨は止んでいたようだ。
 雨音すらなくなりほとんど無音の夜道を歩く。
「……………」
 僕の心はぐちゃぐちゃに濁っていた。今日一日でいろんなものを覗いてしまった。
「最悪だ………」
 なんだこの魔法………まるで役に立っていないじゃないか。
 僕を傷つけるばかりじゃないか。
「はぁ─────」
 思い出す。
 あの祠の周りに溢れていた負の残留思念を。
 恐怖。悔恨。────そして絶望。
 ありとあらゆる泥水のように濁った感情があそこで渦を巻いていた。
「──────」
 だけれども。
 智慧の心の中は───もっとひどかった。
 あれで生きていけているのが不思議なくらいだ。
 いや、生きてはいないのか。
「はぁ─────はぁ─────」
 急に、夜道が恐ろしいものに思えてきた。
 振り返ったら最後、何かに引きずり込まれていくんじゃないか───そんな気配を背後に感じる。
「くっ!」
 僕は走り出す。
 早く帰りたい。
 早く帰って寝てしまいたい。
 目を閉じて寝てしまえば、きっと何も見なくてすむはずだ。
 それに、あいつらが隣にいてくれる。
 それが何よりも頼もしかった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
 息を切らしながら僕はドアの前で立ち止まる。
「鍵、鍵───違う、これじゃない」
 慌てていたせいか間違った鍵を出してしまう。
 こうしている間にも後ろの何かは迫っている、そんな気がする。
「早く───」
 鍵を開け、僕は急いで、しかし二人を起こさないように布団に入る。
 目を強く閉じる。
 何も見えない。
 そうだ、何も見えない。
 それがこんなにも心強いことだなんて思いもしなかった。
 やがて、僕は眠っている二人の精神と繋がったせいか。
 あっさりと眠りにつくことができた。







 『影』がぬるりと部屋の中に入る。
 誰も見ていない闇の中で一人佇む。
 視線の先には一人の男と二人の単眼の少女が眠っている。
 『影』はその三人の傍らに屈み、手を伸ばす。
 その先には単眼少女の首。
 ゆっくりと指に力が入り、少女の首に沈み─────



「んんぅ、コノメおにーちゃん………」

16/10/07 22:44 鯖の味噌煮

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そろそろ繰り返しの日常も終わりです。
終わりに向かっていきます。
[エロ魔物娘図鑑・SS投稿所]
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33