三年と三日目 朝
起きると、なにやらふかふかしたものに頭を埋めていた。顔を傾けると、すぐ上にある姉さんの顔。
「おはようちーくん。日曜日だからって寝すぎだぞ?」
「おはよう……あれ? ……姉さん?」
なんで姉さんがここにいるんだろう。
俺の部屋だ。時計が十二時を指していること以外はいつもと同じ朝だった。
「もう、昼じゃん……」
時間を無駄にした感が凄い。
姉さんがくるくると何かを指で回して言った。
「私も暇すぎたから耳掃除してたの。ちーくんの」
「え? あっ」
膝枕。その状況を理解した俺は、浮かせた頭を下げることもあげることもできず硬直した。
「ほらまだ終わってないから」
姉さんに頭を押されて、ぽふんと頭を下げる。
耳掃除は終わりかけのようで、少し耳を掻かれたらすぐに暖かい濡れタオルで拭われた。それが寝起きにはとても心地よく感じられた。
それが膝枕が終わってしまう合図でもあることがわかったので、少し残念な気もした。
姉さんは俺がこの時期は朝起きると風呂に入ることを知っている。あらかじめ沸かせておいてくれるのは本当にありがたい。
「姉さんがいなくなったら、俺は生活できなくて死ぬかもしれんなぁ」
とろりとした湯に身を沈める。
現状俺は何一つ家事ができない。改めて認識すると凄いことだ。ヤバい気がする。かろうじて自室の掃除はしているが、大掛かりなものとなると姉さんに手伝って貰っていた。
入浴剤で紫がかった湯を顔にかけると、熱を持ったそれがなめらかに滑り落ちた。
こういう入浴剤とかも、一人では使うことはないだろう。
俺に現状できることは何だろうか。姉さんのために、何か。
俺はむんと一念発起して湯から上がった。
「買い物に一緒に行きたい?」
姉さんが目をぱちぱちさせた。
俺はちょっとでも姉さんの助けになりたいという旨をアピールした。
うーん、と姉さんが顎に人差し指を当てて上を向く。
「じゃ、デートしよっか」
そういうことになった。
なんでも、昨日の時点で必要なものはほとんど買っていたらしい。何昼寝してんだ都合が悪いぞ俺。
しかし、姉さん的にはそう言って貰えるだけでもモチベーションが上がるから助かるらしい。
「ね、姉さん?」
「何かなちーくん」
「な、何でそんなにひっついてくるの?」
「嫌だった?」
嫌ではないけど。俺はもごもごと言った。
姉さんはぴんと人差し指を立てて説明してくれた。
「流石に、一緒にいるのに魔物娘に攫われたとかシャレにならないからね。だからこうしてるってワケ」
姉さんは組んだ腕をぎゅっと強く絡めた。
肘に当たっているものの柔らかさに記憶領域を支配されながら、俺は曖昧に頷いた。
しかし、それにしてもヤケに視線が集まっていて恥ずかしいのだ。
姉さんはキョトンとした。
「そりゃ、私がメイド服で出歩いてるからじゃない?」
普通、デートとなると魔物娘でもメイド服を着ることはあまり無い。
俺にとってしてみれば全く違和感のない服装なので、気付いていなかったのだ。というか姉さんのそれ以外の服を見たことがない。
俺は震える声で言った。
「なな、なんでメイド服を?」
姉さんは悪戯っぽく口を歪めた。そしてよく響く声で言う。
「愚問ですわご主人様! それは私がもごっ」
慌てて口を塞ぐも時すでに遅し。周囲のざわめきが大きくなっていた。
姉さんは粘液系の魔物娘だが、なまじ擬態が上手いために一見しただけでは種族がわからないのだ。確か、ショゴスだか何だかそんな名前だった。
そういうわけで、薄紫の肌の色以外は魔物娘の特徴を示すもののない姉さんの口を塞いでいる俺は、奇妙なものを見る目を向けられているのだった。
「あっはは! あー面白かったー」
「全くもう」
姉さんと二人して走って、途中で二人三脚みたいになったが、それはそれで楽しかった。
俺がベンチで不貞腐れていると、ぴとっと冷たいものが頬に当てられた。
「もう、ゴメンて。これで許して」
缶ジュースだった。葡萄味、炭酸のそれは、俺が子供の頃からずっと好きな飲み物だ。
雑な甘みと刺激。冷たさが、火照った身体と心を癒した。
「しょうがないなぁもう……」
何だかんだ言っても、姉さんが俺の好みを覚えていてくれるだけで許してしまうほど、俺は姉さんが好きなのだ。
「ん、汗かいてる」
姉さんが手を伸ばして、顔の汗を吸い取った。粘液とはかくも便利なものだ。
「いくら気温が低いって言っても、流石に走ったら汗かくね」
そういう姉さん自身は何事もないが、その目は俺に向けられていた。
「背中がヤバい。服変色してそう」
俺の場合、背中の汗が特に多いため、すぐにシャツがみっともない状態になってしまう。そして冬は上着を着ているためまず乾かない。延々と不快な状況が続くのだ。
隣に座り込んだ姉さんが言う。
「そっちも吸ってあげよか」
「えっ? 流石にそれは」
姉さんの黄色い目が真っ直ぐにこちらを見ていた。
「嫌なの?」
「嫌では」
ないけど。俺はもごもご言った。
ただ、少しばかり公序良俗に反する気がしたのだ。
俺の思いを汲み取ったのか、姉さんがポンと手を打った。
「あぁ、大丈夫。そのまま服の下に粘液伸ばすから、服脱がなくていいよ」
それはそれでエッチだ。俺は口には出さず、そっと頷いた。
「じゃ、動かないでね」
隣に座った姉さんが、組んだ腕の先、俺の手の甲から、長袖の中を伝って粘液を伸ばしてくる。ぞわり、と鳥肌が立つ。
ぴっちりと腕にフィットした姉さんの一部が、皮膚を伝って二の腕から脇、そして背中へと蠢く粘液を伸ばす。姉さんの粘液がぐちゃりと音を立てて広がる。
俺は擽ったさに声が出ないように必死に口を結んだ。
「うーん、前も汗かいてるしこのままアンダーシャツみたいにしよっか」
「えっ」
とろりとしたものに首元が包まれる。
それが胸、腹へと塗り広げられ、既に興奮しつつある下半身のすぐ上で止まった。
「よし。これで汗はお姉さんに任せなさい!」
姉さんが無邪気にそう言う。
俺はホッとしたような残念なような、複雑な感情で「ありがとう」と姉さんに告げた。
嬉しそうな姉さんは俺と手を繋いだまま立ち上がった。
「あとちょっとだけ時間あるから、もうちょっとだけデートしよ!」
そして俺の手を引く。その言葉に頷いて、俺も立ち上がった。
終始ご機嫌だった姉さんは家に帰ってからもご機嫌だった。
鼻歌のまま料理をし、手早く晩御飯を作り上げ、そのまま食器を洗うときまでご機嫌だった。
「あ、そだ。ちーくん、冷蔵庫にゼリーあるよ」
「お、何の?」
俺はゼリーが好きだ。プリンもだが、そういうプルプルしたのが好きだ。
「コーヒーゼリー。昨日買っといたの」
「助かる」
食事は命を繋ぐものなら、デザートは心を繋ぐものだ。俺は冷蔵庫からゼリーを取り出し、スプーンで掬ったところで気付いた。
同じ色をしている。
未だに俺の手首から腰に張り付いている姉さんの粘液と、コーヒーゼリーが。
「食べないの?」
皿洗いをしていた姉さんが目の前に座っている。
その顔には子供の幼さと、大人の妖艶さが同居していた。
俺は少し躊躇して、口元にスプーンを寄せてーー。
「きゃー、食べられちゃうー」
「ごっ!?」
姉さんのふざけた調子の声に思わず噎せてしまった。
慌てた姉さんが背中をさすってくる。
「ちょ、ごめん! そこまでなるとは」
「裏声ぇ……あ、でも美味いわこれ」
「お、良かったー。安かったからどうかなと思ってたんだ」
俺は何とか調子を取り戻して、コーヒーゼリーを食べ進めた。
一息つくと、明日が月曜日である事実が登場両肩にのしかかってくる。
「うへぇ、明日起きれるか? というか今夜寝れるかな」
姉さんが心強いことを言う。
「起きれなくても起こすけど、寝れた方がいいよね。足を布団の外に出しとくと寝やすいよ」
「へー、そうなんだ」
姉さんは生活系の雑学に詳しい。
「あと、それ着たまま寝ていいよ」
「えっ」
「寝汗って、実はコップ一杯分もあるからねー。体温調節ならこっちでできるし、それ着てたら布団も要らないよ。というか汗つかないからその方が洗濯も楽」
俺は感心した。あまりに便利すぎる。一家に一台姉さんだ。
風呂に入った後自室に戻った俺は、そのままベッドに寝転ぶと、気がつけば眠りに落ちていた。
「おはようちーくん。日曜日だからって寝すぎだぞ?」
「おはよう……あれ? ……姉さん?」
なんで姉さんがここにいるんだろう。
俺の部屋だ。時計が十二時を指していること以外はいつもと同じ朝だった。
「もう、昼じゃん……」
時間を無駄にした感が凄い。
姉さんがくるくると何かを指で回して言った。
「私も暇すぎたから耳掃除してたの。ちーくんの」
「え? あっ」
膝枕。その状況を理解した俺は、浮かせた頭を下げることもあげることもできず硬直した。
「ほらまだ終わってないから」
姉さんに頭を押されて、ぽふんと頭を下げる。
耳掃除は終わりかけのようで、少し耳を掻かれたらすぐに暖かい濡れタオルで拭われた。それが寝起きにはとても心地よく感じられた。
それが膝枕が終わってしまう合図でもあることがわかったので、少し残念な気もした。
姉さんは俺がこの時期は朝起きると風呂に入ることを知っている。あらかじめ沸かせておいてくれるのは本当にありがたい。
「姉さんがいなくなったら、俺は生活できなくて死ぬかもしれんなぁ」
とろりとした湯に身を沈める。
現状俺は何一つ家事ができない。改めて認識すると凄いことだ。ヤバい気がする。かろうじて自室の掃除はしているが、大掛かりなものとなると姉さんに手伝って貰っていた。
入浴剤で紫がかった湯を顔にかけると、熱を持ったそれがなめらかに滑り落ちた。
こういう入浴剤とかも、一人では使うことはないだろう。
俺に現状できることは何だろうか。姉さんのために、何か。
俺はむんと一念発起して湯から上がった。
「買い物に一緒に行きたい?」
姉さんが目をぱちぱちさせた。
俺はちょっとでも姉さんの助けになりたいという旨をアピールした。
うーん、と姉さんが顎に人差し指を当てて上を向く。
「じゃ、デートしよっか」
そういうことになった。
なんでも、昨日の時点で必要なものはほとんど買っていたらしい。何昼寝してんだ都合が悪いぞ俺。
しかし、姉さん的にはそう言って貰えるだけでもモチベーションが上がるから助かるらしい。
「ね、姉さん?」
「何かなちーくん」
「な、何でそんなにひっついてくるの?」
「嫌だった?」
嫌ではないけど。俺はもごもごと言った。
姉さんはぴんと人差し指を立てて説明してくれた。
「流石に、一緒にいるのに魔物娘に攫われたとかシャレにならないからね。だからこうしてるってワケ」
姉さんは組んだ腕をぎゅっと強く絡めた。
肘に当たっているものの柔らかさに記憶領域を支配されながら、俺は曖昧に頷いた。
しかし、それにしてもヤケに視線が集まっていて恥ずかしいのだ。
姉さんはキョトンとした。
「そりゃ、私がメイド服で出歩いてるからじゃない?」
普通、デートとなると魔物娘でもメイド服を着ることはあまり無い。
俺にとってしてみれば全く違和感のない服装なので、気付いていなかったのだ。というか姉さんのそれ以外の服を見たことがない。
俺は震える声で言った。
「なな、なんでメイド服を?」
姉さんは悪戯っぽく口を歪めた。そしてよく響く声で言う。
「愚問ですわご主人様! それは私がもごっ」
慌てて口を塞ぐも時すでに遅し。周囲のざわめきが大きくなっていた。
姉さんは粘液系の魔物娘だが、なまじ擬態が上手いために一見しただけでは種族がわからないのだ。確か、ショゴスだか何だかそんな名前だった。
そういうわけで、薄紫の肌の色以外は魔物娘の特徴を示すもののない姉さんの口を塞いでいる俺は、奇妙なものを見る目を向けられているのだった。
「あっはは! あー面白かったー」
「全くもう」
姉さんと二人して走って、途中で二人三脚みたいになったが、それはそれで楽しかった。
俺がベンチで不貞腐れていると、ぴとっと冷たいものが頬に当てられた。
「もう、ゴメンて。これで許して」
缶ジュースだった。葡萄味、炭酸のそれは、俺が子供の頃からずっと好きな飲み物だ。
雑な甘みと刺激。冷たさが、火照った身体と心を癒した。
「しょうがないなぁもう……」
何だかんだ言っても、姉さんが俺の好みを覚えていてくれるだけで許してしまうほど、俺は姉さんが好きなのだ。
「ん、汗かいてる」
姉さんが手を伸ばして、顔の汗を吸い取った。粘液とはかくも便利なものだ。
「いくら気温が低いって言っても、流石に走ったら汗かくね」
そういう姉さん自身は何事もないが、その目は俺に向けられていた。
「背中がヤバい。服変色してそう」
俺の場合、背中の汗が特に多いため、すぐにシャツがみっともない状態になってしまう。そして冬は上着を着ているためまず乾かない。延々と不快な状況が続くのだ。
隣に座り込んだ姉さんが言う。
「そっちも吸ってあげよか」
「えっ? 流石にそれは」
姉さんの黄色い目が真っ直ぐにこちらを見ていた。
「嫌なの?」
「嫌では」
ないけど。俺はもごもご言った。
ただ、少しばかり公序良俗に反する気がしたのだ。
俺の思いを汲み取ったのか、姉さんがポンと手を打った。
「あぁ、大丈夫。そのまま服の下に粘液伸ばすから、服脱がなくていいよ」
それはそれでエッチだ。俺は口には出さず、そっと頷いた。
「じゃ、動かないでね」
隣に座った姉さんが、組んだ腕の先、俺の手の甲から、長袖の中を伝って粘液を伸ばしてくる。ぞわり、と鳥肌が立つ。
ぴっちりと腕にフィットした姉さんの一部が、皮膚を伝って二の腕から脇、そして背中へと蠢く粘液を伸ばす。姉さんの粘液がぐちゃりと音を立てて広がる。
俺は擽ったさに声が出ないように必死に口を結んだ。
「うーん、前も汗かいてるしこのままアンダーシャツみたいにしよっか」
「えっ」
とろりとしたものに首元が包まれる。
それが胸、腹へと塗り広げられ、既に興奮しつつある下半身のすぐ上で止まった。
「よし。これで汗はお姉さんに任せなさい!」
姉さんが無邪気にそう言う。
俺はホッとしたような残念なような、複雑な感情で「ありがとう」と姉さんに告げた。
嬉しそうな姉さんは俺と手を繋いだまま立ち上がった。
「あとちょっとだけ時間あるから、もうちょっとだけデートしよ!」
そして俺の手を引く。その言葉に頷いて、俺も立ち上がった。
終始ご機嫌だった姉さんは家に帰ってからもご機嫌だった。
鼻歌のまま料理をし、手早く晩御飯を作り上げ、そのまま食器を洗うときまでご機嫌だった。
「あ、そだ。ちーくん、冷蔵庫にゼリーあるよ」
「お、何の?」
俺はゼリーが好きだ。プリンもだが、そういうプルプルしたのが好きだ。
「コーヒーゼリー。昨日買っといたの」
「助かる」
食事は命を繋ぐものなら、デザートは心を繋ぐものだ。俺は冷蔵庫からゼリーを取り出し、スプーンで掬ったところで気付いた。
同じ色をしている。
未だに俺の手首から腰に張り付いている姉さんの粘液と、コーヒーゼリーが。
「食べないの?」
皿洗いをしていた姉さんが目の前に座っている。
その顔には子供の幼さと、大人の妖艶さが同居していた。
俺は少し躊躇して、口元にスプーンを寄せてーー。
「きゃー、食べられちゃうー」
「ごっ!?」
姉さんのふざけた調子の声に思わず噎せてしまった。
慌てた姉さんが背中をさすってくる。
「ちょ、ごめん! そこまでなるとは」
「裏声ぇ……あ、でも美味いわこれ」
「お、良かったー。安かったからどうかなと思ってたんだ」
俺は何とか調子を取り戻して、コーヒーゼリーを食べ進めた。
一息つくと、明日が月曜日である事実が登場両肩にのしかかってくる。
「うへぇ、明日起きれるか? というか今夜寝れるかな」
姉さんが心強いことを言う。
「起きれなくても起こすけど、寝れた方がいいよね。足を布団の外に出しとくと寝やすいよ」
「へー、そうなんだ」
姉さんは生活系の雑学に詳しい。
「あと、それ着たまま寝ていいよ」
「えっ」
「寝汗って、実はコップ一杯分もあるからねー。体温調節ならこっちでできるし、それ着てたら布団も要らないよ。というか汗つかないからその方が洗濯も楽」
俺は感心した。あまりに便利すぎる。一家に一台姉さんだ。
風呂に入った後自室に戻った俺は、そのままベッドに寝転ぶと、気がつけば眠りに落ちていた。
19/07/28 22:41更新 / けむり
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