待ち合わせ
朝日に目を細めながら、礼慈は通い慣れた通学路を歩いていた。
結局昨日は日付が変わるまでアスデル家での酒盛りは続いた。
いつの間にか家には連絡が行っていて、ネハシュが泊まっていくようにとまで言ってくれたが、そこはなんとか固辞して家にたどり着いた時には一時を回っていただろうか。
リリは日付が変わる随分前に寝落ちしてしまっていたので挨拶もできなかった。そのことが心残りではあるが、
(まあ、今日もまた放課後に会えるか)
公園に行けばリリが居る。
まだ二回あっただけの、特に決め事をしたわけでもない再会にもかかわらず、礼慈は三度目の再会を一切疑ってはいなかった。
今日はまた裏山へ行って昨日はできなかった掃除の続きをやることになるだろう。だとしたら、とりあえずあの本が置いてある場所には手を出さないようにしなければなるまい。
(昨日みたいな乱暴はしないようにしないとな)
昨夜リリのパンツは洗ってみたが、どうにもゴワゴワした感じは取り切れていない。もうあれは処分するしかないとして、秘密基地に落ちていない理由を考えておくべきかどうか。
その答えはでないままに正門に着いていた。
守結学園は巨大な正門を通して全学の生徒・教師が登校し、それから各学校の敷地を区切る校門へと分かれていく。
様々な人魔、年齢を取り揃えた登校風景は見慣れてなお壮観だ。
それぞれの特徴は登校風景にも表れる。巨大な門であるがゆえにわざわざ真ん中を通ろうとするのはプライドの高い者か貴族かといった具合で、人間は隅から埋めていくように門を通過していくのが主流だ。
礼慈も普段通り門の隅を通ろうとして、ど真ん中に見知った少女を認めた。
(リリ……?)
流動する人々の流れの中で、リリは一人動きを止めて登校してくる生徒たちに正対していた。
ただでさえ目立つ容姿をしているのに生徒たちを観察するように立って往来の動きをせき止めているので余計に目立つ。
何をやっているのかと思っていたら、後ろから人にぶつかられた。
「あ、悪い」
「いや、止まってた俺が悪いから」
リリの行動を気にしている間に礼慈も足が止まっていたらしい。
「……」
見たところ、正門の真ん中を通ろうとする者たちの中には俯いて歩いているような者は居ない。皆堂々としたものだ。故にリリの存在を早くに認めて避けてくれている。
時折高等部や大学部らしい生徒が注意するためにか足を止めて声をかけているが、数言言葉を交わすと仕方ない、といった表情で手を振って離れていく。そうしてまた待ちの姿勢になるリリ。
そんな状況が礼慈の目の前でもう五分以上は続いていた。
「……礼慈、どうした?」
「――っ」
道の端に避けていたのにいきなり声をかけられて驚く。声の方を向いてみると、英と鏡花が居た。
「いや、な」
怪訝な顔をしている二人に見せるように礼慈はリリを指で示した。
「さっきからあんな所で立ち止まってるんだ。何やってるのかと思ってな」
二人は顔を見合わせて、鏡花が半歩引いた。
英は受ける形でコホン、と咳払いをして、
「お前が来るのを待ってるんだろ?」
「――は? 何でまた」
「いや、そりゃ俺にはわかんねえけど、同じ年代の友達を待ってるなら小等部の校門に居た方が人が少なくて見落としもないだろ? なら待ってんのは同年代じゃねえ。ってなると、俺には礼慈くらいしかあの子が待ってる相手の予想なんてつかない」
「ここですとリリさん、背が小さめですので十分な視界を確保できませんし、おそらくそのせいで鳴滝君の姿を見つけられないのではないかと思います」
「いつまでもそんな隅っこにいるからだぞ?」
英の非難の混ざった指摘に、人が正門を隅に寄って入ろうとするのは通例というものだろうと言い訳を思う。そして通例といえば、リリは非常に格の高い家の者だ。門は中央を通るものと当たり前に考えているのかもしれない。
(いや、リリはそういうタイプじゃないか……?)
ともあれ、立ち止まっているということは何かを待っているのだろうし、今のリリの状況で他所の学校に友人を作っているとは考え難い。
また、英の言う通り、小等部の友達との待ち合わせにここは不向きだ。
ということは、
(……本当に俺を待ってるのか?)
だとしたら、昨日に続いて今日もまたリリを待たせてしまっていることになる。
待ち合わせの約束をしたわけではない。だというのに罪悪感がのしかかってきた。
「……ちょっと行ってくる」
「おー行ってらー」
「行ってらっしゃいませ」
友人たちに送り出され、茶目っ気というやつだろうか、リリの背後に回り込んだ礼慈は彼女の華奢な肩を叩いた。
「へぁ?!」
振り向いたリリは一瞬の驚きの後、華やいだ笑顔になる。
「おはようございます」
「おはよう。こんな所でどうしたんだ? ひかれてしまうぞ?」
道の端の方へと連れて行きながら言うと、リリははにかんで、
「えっと、レイジお兄さまに会えるかなって思って、少し立ち止まってしまいました。それで、待っていたら、本当に会えましたっ」
(……マジで俺を待ってたのか)
英たちの指摘は正しかったわけだ。そして、礼慈自身も心のどこかで思っていた部分もある。その答え合わせができたのだが、
(……うん、精神衛生に悪いな)
罪悪感が正しく刺さってもいた。
約束もなしに相手を待ち続けられる純真さは子供故だろうか。今はまだリリの求める通りに動くことができているが、そんな偶然もいつまで続くかは分からない。
(ネハシュさんからもよろしくと言われてるしな)
「リリ、いつも待たせてばかりで悪いし、次からは約束して会うことにしようか」
「いいんですか?」
「ああ、俺は友達にフラれっぱなしだからな。暇なんだ。リリが相手をしてくれるっていうんなら時間も潰せて嬉しい」
そう言いながら、礼慈は視界の端の英たちにあっち行けと手を振る。
二人は生温い笑みを浮かべてオーダー通り、正門を抜けて行った。
「さて、いつ会おうか」
「あの……お昼にお会いすることはできますか?」
「ん? 昼休みか?」
放課後を想定していたので早めの希望に少し意外を思った。だが、友人との会話もままならない今のリリの状態では活気のある教室に居るというのも辛いのかもしれない。
「よし、じゃあお昼一緒に食べようか」
「はいっ!」
確認してみると、リリは弁当派らしい。礼慈も礼美作の弁当で昼は済ませている。
「じゃあ食堂に行く必要はないな」
大学部の方にある全学が使えるテラスで食べようかと考えていると、リリが手を挙げた。
「どうした?」
「わたし、レイジお兄さまが通っている学校がどのようなところなのか知りたいです」
「あー学校か……」
高等部と小等部は基本的に違いはないのだが、リリからすれば年上の者たちが通う学校がどのようなところなのか気になるという気持ちも分かる。
(つってもこの子を連れて教室に行った日にはおちおち昼飯なんて食べれないし……)
自分がクラスメイトたちのおもちゃになるのは目に見えている。
少し考えて、礼慈は結論した。
「よし、じゃあ特別に生徒会室に案内しようか」
●
4限が終わって昼食の時間。
授業終了と共に教室を抜け出した礼慈が授業時間の関係で早めに昼休みに入っている小等部の校門に行くと、リリは既に待っていた。
「待たせたな」
「いえ、あの、来たばかりですから」
「……行こうか。弁当を持つよ」
「いえ、そんな……」
少し強引にリリの手から弁当箱を取ると、彼女は「にもつを持っていただくわけには」と言って空いた手を伸ばしてきた。その手を掴んでやると、戸惑うような一息があって、だがそれきり弁当箱を取り返そうとする動きもなくなった。
「レイジお兄さまって生徒会の方だったんですね」
「今の生徒会長に使えそうだからって誘われたんだ」
「お声がかかったんですか! すごいです!」
「元々そういうのは柄じゃないと断ったんだけど、結局引き受けさせられた辺り、何度も生徒会に誘ってきた生徒会長がすごいんだと思うよ」
「そんなことないです。レイジお兄さまがすごいから、その会長さんも何度も誘ったんだと思います」
「どうだろう……ああ、でも損をしたとは言わせてないから、それだけのことはできてるのかもな」
「レイジお兄さまは、わたしのこともそうやって、なんでもないというふうにして助けてくださいました。やっぱりすごいです」
そういうふうに言われると柄にも無く少し嬉しい。
妙にそわそわした気持ちになっていると、リリが手を握る力を強めた。
「昨日はありがとうございました。代わりにお父さまにレイジお兄さまがおこられてしまって、あの、ごめんなさい」
「ああ、それならちょっとした注意だけで済んだから大丈夫だって昨日言っただろ? それにあの後酒盛りして仲良くなったしな」
「はい……」
リリは少し沈んでしまったようだった。
昨日もこの件を口にするたびに沈んでいた。ここはリリの中で納得がいくのを待つしかないだろう。
「あ、あの――」
「着いたぞ。高等部だ」
二人の目の前には来客を歓迎するように開かれた門があった。
●
高等部の校舎が見てみたいというリリの求めに応える形で、礼慈は昇降口から入って最も近くにある教室を覗かせた。
机も黒板も小等部にあるものと大きさが違うくらいで大した違いはない。妖精種やケンタウロス種のための机や椅子があるため備品の大きさに統一感が無いのも小等部と変わらないだろう。
リリの感想も「学級文庫が置いてないです」という呟きがあったくらいだ。
そんな通常教室を通り過ぎて廊下の端を目指す。
途中ですれ違う生徒たちは外見年齢と実年齢が一致しない同級生と見ているのか、サバト系のカップルだと見ているのか、それぞれ勝手に納得して特にこちらにちょっかいをかけてくることもない。このあたりは個人主義者が多い魔物の生態に影響を受けた学園様々だ。
校舎に一本走る廊下の両端には階段がある。その内の片方を四階まで登っていけば生徒会室だ。
そしてこちら側には特別教室が固まってもいた。
フロアを一つ上がるごとにリリに近くにある教室を見せてやる。
小等部にはない二階の視聴覚室ではその設備そのものが興味深そうだったし、三階の音楽室は音響効果も考えられて造作された教室と、授業用に置いてある楽器の多さに目を輝かせており、礼慈もそんな彼女の表情を引き出せたことに充足を得ていた。
(泣いてる子供って苦手だしな)
秘密基地に連れて行った時もそうだったが、リリが驚いたり楽しんだりしている顔を自分は楽しみにしているのだろう。
「さて、ここが本日の目玉。生徒会室だ」
扉を開けると案の定、生徒会室には誰も居なかった。
昨日までに当面の仕事にケリを着けておいたので生徒会メンバーがここに来る必要はない。リリがメンバーと顔を合わせることもないわけだ。我ながら見事な高校見学ツアーを組んだものだと思う。
リリは特別教室を案内した時と同じく物珍しげに生徒会室を見回している。
長机が四角く設置され、その一番奥の席にやけに豪華な椅子が置いてあるという教室のセッティングが目新しいのだろう。
「あの奥の席が生徒会長ルアナ・フロレスクの席だ。座るか?」
「い、いえ。そんなおそれおおいですっ」
では、と他の席を示すが、リリは他の席に座るのも辞退した。
「だって、みなさんすごい方で、だからこそその席をもらっているのですから、かってにその席にすわるのはいけないことだと思います」
「たぶん誰一人としてそんな重たく考えてる奴はいないと思うけど」
それでも一度気にしてしまったら座れないのだろう、リリは及び腰だ。
(……座ったって怒るような人たちじゃないんだけどな)
もしなにかあるにしてもリリと居ることに対して礼慈がからかわれるくらいだろうが、リリが座れないというのなら無理強いするものでもない。
「あーじゃあ、俺がよく使わせてもらってるところで食べようか」
そう言って礼慈は生徒会室の奥にある扉を開いて生徒会準備室にリリを招いた。
「ここは準備室――資料室みたいなところだな。ちょっと狭いけど、二人でお昼食べるならこれくらいでもいいだろ」
「ここにあるのは、お仕事の本なんですか?」
スチール棚の中の資料を眺めるリリに頷いてやる。
「うん。これまでのこの学園の歴史とか、この学園がしてきた催しとかがまとめられてる。で、そこの机が図書館で言うところの閲覧スペースだな。まあ使う人なんて生徒会でもめったに居なくて俺が自由に使わせてもらってる感じだ」
言うと、リリは尊敬の眼差しで礼慈を見てきた。
密かに酒を飲むための場所であるということを伏せた礼慈としてはその視線は非常に刺さる。
居心地の悪さを誤魔化すために、礼慈はさっさと弁当を机に置いた。
「昼休みが終わってしまうし、そろそろ食べようか」
●
リリが開けた弁当箱を見て、礼慈は思わず唸った。
子供サイズの弁当箱の中身は日常で食べるには不釣り合いな程に豪華だ。
彩り豊かなおかずが整列するように丁寧に、それでいて華やかさを削がれることなく敷き詰められている。
(ネハシュさんは凝り性か……)
リリの姉たちの内の誰かの作なのかもしれないが、どちらにせよこれほどの弁当、随分な手間がかけられていることだろう。リリが家族に愛されているのが垣間見えて嬉しくなる。
「わー」
そんなリリは、礼慈が開いた弁当の中を見て歓声をあげていた。
「何か面白いものでもあったか?」
礼慈の弁当は基本的に店で出ているものと同じものが詰め込まれている。大衆食堂の定食に近い内容で、歓声を上げる程珍しいものでもないはずだが、
「ぁ、すみません。……あの、そういうお弁当、見るの初めてで……ほとんどこちらの世界の材料で作ってますよね」
「あー、そういや今日の飯はこっちの世界のものばかりだな」
ごま油香る肉多めの野菜炒めに焼売にひじきにこれでもかという白米。彩りよりも満足感と飯をかき込む楽しさに振った食べざかり御用達の昼食だ。
男子学生のためのご飯というのが女子には珍しく映ったのかもしれない。
「気になるか?」
「はい」
他人の食事をジロジロ見ていた自分が恥ずかしいのか、リリは身を縮こめながら頷く。
「ちょうど俺もリリのその弁当は気になってたんだ。せっかく一緒に弁当をつつくんだし、ちょっとずつおかずを交換しないか?」
その提案にリリの瞳が明るく輝く。
「ぜひよろしくおねがいします!」
「こちらこそ」と礼慈はリリの分の食事を取り分けた。
●
弁当の感想を言い合いながらの食事が終わってお互い飲み物で一服すると、リリが「あの」と切り出した。
「朝に、お母さまから聞きました。わたしはあることを見たり聞いたりすると、きおくが消えてしまうんですよね。お兄さまもそのことは知ってらっしゃるとお聞きしました」
突然の本題、ともいえる内容に礼慈は少し面食らった。
ネハシュは本当にリリに説明したのだなと思いながら頷く。
「そうだな。そして、リリは俺の前でも記憶を失っているというのは昨日、家で話をしたな」
「はい」
「ネハシュさんから話は聞いてて、リリがなぜ記憶を失ってしまうのかは俺も知っている」
頷くリリの顔は昼食を食べていた時とは違って硬い。
「きおくが消えてしまう理由がなんなのかをわたしが知っても、またきおくが消えてしまうので言えないってお母さまに言われました。そして、それはお母さまのマホウでもどうしようもないとも」
「俺の認識でもその通りだと思う」
「でも、お母さまはそのきおくが消えてしまうのはそのうちなおると言ってくれました」
だが、それは完全に運でしかなく、こちらからどうにかその運を引き寄せるために働きかけるというのもネハシュの話では難しそうだった。
そのことはリリも説明を受けたのか、「でもそれはいつになるのか分かりません……」と辛そうに続けた。
「ですから、お母さまはこれからも急にきおくがなくなるかもしれないと分かっていてもこの世界でくらしていくのか、きおくがなくなることがなくなるまでの間お母さまといっしょにあちらの世界で過ごすのか、聞きました」
どちらの世界で暮らすのかという問いに、リリはどう答えたのか。その回答を待っていると、リリはしばし時間を置いて、
「……わたし、お母さまに答えることができませんでした」
「……無理もない。引っ越すことになるんだからな。大変なことだ」
世界を移動しての引っ越しとなると、礼慈にはどのような感覚なのか分からない。海外に引っ越すよりもより強い隔絶感があることは確かだろう。
ネハシュの言では魔界に移住した際、リリはネハシュが所有するダンジョンで外界と隔離されて暮らす手筈になっていたはずだ。決めるのはかなりの重大事となる。
ネハシュも今すぐリリにこれからのことを決定しろとは言わないだろう。少なくともそれなりの時間があるはずで、
(もしリリがあらゆる関係を断って引きこもってしまったら強制的に時間切れってことか)
決定的にリリの心が傷つけられてしまう前にあの両親なら手を打ってくれるだろう。
だから、その時までは焦らずに自分のこれからのことをよく考えてみようかと言おうとした礼慈に、リリは告げた。
「……本当は、わたし、ここに居たいんです。だってわたしは、こっちの世界でずっと生きてきたんです。こんなことがあってちがう世界に行ってしまったら、きっとわたし、こっちの世界をずっと気にしてしまいます」
リリの中では希望は固まっているようだ。ではなぜそれを母親に言えなかったのか、礼慈が訝しんでいると、
「でも、わたし、こっちの世界に居続けても、みんなとうまく話せないままで、いつの間にか知らないところに居たりとか、そういうことになってしまうかもしれなくて、大切な約束までわすれてしまっていそうで、こわいんです」
それから彼女はためらうような間を置いて続ける。
「……レイジお兄さまといっしょだと、きおくがなくなってしまってもこわくなかったんです。
お母さまもお父さまもお姉さまたちでもあんなに安心したことはないのに、お兄さまとなら……だから、その、わたし、レイジお兄さまがいっしょに居てくださるのなら、きっとこっちの世界に居続けてもだいじょうぶだと思うんです……」
そう言うと、リリは俯いてしまった。
初秋の風がカーテンを揺らし、沈黙を囲む二人に何やらレクリエーションに興じる生徒の声が届く。
「……なるほど」
「…………」
頭を垂れたまま上げようとしないリリがなぜネハシュに今の返事をすることができなかったのか察しはついていた。
(聡い子というか……ちょっといい子過ぎだ)
彼女の誠実さにきちんと向き合えるようにと意識しながら、礼慈はリリに彼女が必要とする問いを投げた。
「自分でも理由が分からずに記憶を失うのに俺の傍にいてもいいのかと、リリはそう聞きたいんだな?」
「はい……」
やはり、リリは記憶を失うことによって礼慈にかけることになる負担を恥じ、それでも礼慈をたのみにしてこの世界に居てもいいかと許しを得ようとしていた。
礼慈としては答えは決まっている。
「別に居たいなら居ればいい。記憶が消えることくらい問題ないし、俺としても一緒に遊んでくれる奴が近くに居てくれるっていうのは嬉しいことだしな」
これはネハシュとの約束は関係ない礼慈の本心からの言葉だ。
顔を上げたリリは、嬉しそうな表情で、しかしそれがいけないことであるかのようにはっとして顔を引き締めようとして、結局できないでいた。
結果として出来上がった困ったような顔で、リリは謝るように口を開く。
「でも、わたしいきなりそれまでしていたお話を全部忘れてしまうかもしれませんよ?」
「いいさ。言ってくれれば何度だって話はする」
「そんなことがいつまで続くのか、ぜんぜん分からないんです」
「できるだけ早く解決できるように俺も協力するよ。
……ネハシュさんに都合が付けられないことをどうにかできるかは、ちょっと怪しいけどな」
「わたし、この世界に居てもいいですか?」
「リリがずっと育ってきた場所に居ることに今更許可なんていらないよ」
こらえられないというように安心したような笑みがリリの顔にこぼれた。
「わたし、すぐにレイジお兄さまにごめいわくをおかけしないようになりますから、だから、少しだけ、甘えてもいいですか?」
「いくらでも構わない。迷惑なんて思わないから焦らなくていい。ゆっくり解決できる時を待とう」
何やら気負っているリリに言うと、不意に生徒会室の扉が開かれる音が聞こえた。
「あれ? だれか」
「あー、たぶん――」
考えるよりも先に予想はついていて、果たして準備室の扉を開けて現れたのはその通りのヒトであった。
「やあご両人! よろしくやっているかね?」
「よろしくやっていると思うならもうちょっと遠慮してください」
「うむ、健全なお食事タイムだったわけだな。そしてそれも終わったと」
空の弁当箱を見て察したルアナに礼慈は待ってくださいと言う。
「なんで会長が昼休みにここに居るんですか? 仕事は一区切りでしばらくは暇になったでしょう?」
だからこそ昨日彼女は妹共々、教師を引き連れてデートと洒落込んでいたはずだ。昨日の今日で放課後でもないなら生徒会に仕事が舞い込んでいるわけもない。
彼女だって昼は愛する者と食べようとするのではないか。
「いやなに心配はいらん。健全ではない方の食事は楽しんできたのだ」
よく見ればルアナはつやつやしている気がする。
「食後に武彦には血を補充してもらおうとレバーを食べさせるために食堂に向かっていたのだ。そうしたらなんだ、鳴滝が美幼女を連れて校内をこそこそ移動しているというじゃないか。君が人目をはばかって誰かを連れて行くとしたらどこか、と考えたら答えは一つだった」
ルアナはリリを見ると、「ふむ」と頷いた。
「なるほど。彼女がリリ・アスデル嬢か。可憐な子だ。鳴滝が入れ込むのも分かる」
「あの……」
リリは突然現れた年上の女性に戸惑っていた。
「リリ。この方は高等部の生徒会長、ルアナ・フロレスクさんだ」
「ルアナでいい。よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします」
差し出された手をリリが握り返すと、ルアナは笑み、
「教頭ちゃまから話は少しばかり聞いている。うちのエースが助けになっているようでなによりだ。高等部生徒会としても、君のことは厚くもてなすつもりでいるとおぼえていてくれて構わない」
「あの……わたしは」
「ああ、大丈夫だ。おそらくこの会話の記憶は無くならないし、もし失われたとしても鳴滝が覚えているだろう?」
「ええ、それはもちろん」
「うむ、では高等部生徒会としては生徒会室とこの準備室の利用許可を正式に出すものである」
「ありがとうございます。会長」
「あの、ありがとうございます!」
「いやなに茶飲み友達が増えるかもしれないと思うとこちらも嬉しい――ところで、だ」
ルアナは礼慈が持つ水筒を視線で示した。
「その中身、リリ嬢には飲ませていないな?」
「子供に飲ませるわけないじゃないですか」
「そうか。もし飲ませていたらリリ嬢には午後からはサボるように言い渡していたところだ」
「レイジお兄さまの水とうの中ってのんだらだめなんですか?」
不思議そうなリリにルアナは頷く。
「鳴滝の水筒の中身は酒だからな。リリ嬢くらいの幼い身体だと多少なりともバッカス神の加護がかかっている酒は正気を奪うかもしれない。だから、もし飲んでいたならば午後の授業はお休みにしてもらっていた。高等部に来ていきなり酔って戻ってきたと悟られたら堅物寄りの教師陣に小言を言われてしまう」
「単純に度数だけでみても子供にはきついだろうな」
「お酒なんですか?!」
リリは驚きの顔で礼慈の手にする水筒をしげしげと見つめた。
「お姉さま方がお兄さまは本当はお酒はまだのんじゃいけないって言ってました」
こちらの世界で生きていくためにこの国の法まできっちり学んできている姉たちには脱帽する。とはいえ、彼女らも楽しいことには前向きな魔物だ。昨夜はラザロスと共に酒を煽ってイケる口であると分かった途端にぐいぐいと勧めてくるようになっていた。
「実は飲んでも赦される立場ってものがあるんだよ」
「実際には黙認。更には大手を振って飲めるわけではないがな」
「信仰の為ですらあまりいい顔はされないところですし、窮屈な思いをするのは仕方ないですね。でも俺はその分やることはやってるアピールはしてるんで」
「ああ、主席だったな。勉学に精進するのは感心だ」
肩をすくめるルアナ。
そんなやりとりを聞いていたリリは好奇心旺盛な表情で訊ねた。
「わたしもお酒、のんでもいいですか?」
礼慈とルアナは顔を見合わせた。
「良い好奇心だがなリリ嬢。残念ながら午後からの授業のためにもそれはやめておいた方がいいだろう」
「だな。それにこれはさっきも言ったが、子供が飲む
ものじゃない」
「お母さまもお姉さま方もそう言ってのませてくれないです……」
口を尖らせるリリに、ルアナは微笑ましげに笑った。
「そこは諦めてもらうしかないな。
ああ、それとも授業をサボりたいお年頃かな?」
「ち、ちがいますっ」
大声で否定したリリは口に手を当てる。
「ごめんなさい。わたし、大きな声を」
「君がそういう生真面目な子だということを知っていてからかったんだ。私の方こそ許してほしい」
ルアナが言うと、チャイムの音が聞こえてきた。
「あ……」
「予鈴だな」
「あ、わたし、もどります」
弁当箱を片付けるリリにルアナが「待つんだ」と声をかけた。
「からかったままお別れというのは気分がよくない。また明日もここに来るといい。何か美味い甘味などを提供させてほしい」
「え、あの」
「遠慮などしないように。君に便宜を図れば鳴滝がより仕事にやる気を出して生徒会長としては仕事が楽になるからな。これはそのための投資だ」
「本人の目の前で言ってちゃあんまり効果は出ませんよ」
どこ吹く風のルアナに、リリは「えっと、それでは、また明日もおじゃまさせていただきます」と言った。
「ああ、待っているとも」
●
校門まで送って行った礼慈にリリはお辞儀をする。
「それではお兄さま、放課後に、この門でお待ちしてます」
「高等部は授業が長いから待つことになるぞ」
「約束がありますから、どれだけだって待てます」
リリはそう言って高等部から出ていく。礼慈は眩しいものを見るように目を細めて見送った。
昇降口に戻るとルアナが居た。
彼女は世にも楽しそうに、
「いやいや、いつの間にか『お兄さま』と呼ばれるまでの仲になっているとはな」
礼慈は面倒臭そうなのを隠しもせずに応じる。
「別に、なんでもいいじゃないですか」
「これでも祝福しているのだ。あの子は君を好いているのがいじらしい程伝わってくるし、君もあの子のことを憎からず思っているのだろう?」
「だとしたらなんなんです?」
「うむ、できる限り力になってやりたいと思っているのだ。私にできそうなことであれば遠慮せずに言ってくれて構わない。ツケにしておくからな」
「そのツケは怖いですが……それなら一つ訊いておきたいことがあります」
「アリスたちが呼ばれるという不思議の国についてか?」
ルアナの的確な返事に礼慈は思わず会長の顔をじっと見た。
「その顔は私の勘が当たっていたということでいいのだな?
まあ、私も君がネハシュ家の娘にご執心らしいと昨日の電話で知ってから、少し詳しく調べさせてもらったのだ。あの子はどうやらアリスとしての特殊性が強く出ているようだな」
「ええ、そのようです」
「教頭ちゃまから友人関係にも支障が出ているという話も聞けた。そして塞ぎ込んでいたリリ嬢を君が助けたというのも聞いた」
「助けたというか、気晴らしに付き合っただけですよ」
「それがその時のリリ嬢には重要だったのだろう? 表情もマシになったと聞いたぞ」
「そうですか。ところで――」
リリの問題を解決する手段はあるのかと確認しようとした礼慈にルアナは首を振った。
「不思議の国への行き方は残念ながら私の伝手では分からん」
「そうですか……」
魔王の王女や異世界などが絡む問題だ。難しいのは分かっているつもりだったが、やはり落胆は隠せない。
「実家にも話を通しておくが、あまり期待しないでいてもらうしかないな」
「いえ、すみません。手を煩わせてしまって」
「なに、このくらい大したことではない。
力になれなくてすまないが、私は嬉しいぞ」
ルアナはそう言って笑んだ。
「良い相手を見つけたではないか。ネハシュ様は立場など気にされない方だ。このまま本懐を遂げても構わないだろう。なんなら協力するぞ? 実践派演劇テロ集団の知り合いも居る。君の中の倫理観が邪魔をするようならそれを打ち壊す雰囲気作をさせてもらおう」
「その気持だけで十分です」
「そうか……まあ、いい相手も見つかったのだし」
ルアナは礼慈の水筒を指差した。
「それももう必要ないのではないか?」
「それとこれとは話が違いますね。あの子はこれの代わりじゃないですよ」
18/12/04 22:13更新 / コン
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