起
向かいに見える山の稜線に沈みゆく夕陽を横目に、灘盛一郎(なだ せいいちろう)は汗に輝く顔を袖で拭って歩みを止めた。
朱の空に感化されるように初夏の空気も夕方のそれに移ろっている。
日が沈むのは時間の問題だ。しかし、彼が歩いている山道は全体の半分をようやく過ぎようかという辺りだった。
町と町を繋ぐこの山は、周囲の町では急ぎでもなければ遠回りだが平坦な街道に迂回して通るのが定石の難所として知られていた。
彼は杖替わりにしていた傘を肩に担って唸り声を上げる。
「飯屋のおやじが言った通り、これは日没までには山を越えられそうにないな」
齢二十の体はまだ動けると主張しているが、陽が沈んでしまえば街道とはいえ山を歩くのは危険でしかない。今日はこれ以上進むべきではないだろう。
そう見切りをつけた盛一郎は、街道脇に風呂敷に包んだ行李を下ろして中から紐を取り出した。
ジョロウグモの糸を編んで作られた紐は、細身ながらも丈夫な代物だ。
盛一郎はそれを傘の頭に結わえた。
これで後は浅く溝でも掘ってどこか適当な木にでも吊るしておけば雨をしのげる寝床が出来上がる。
慣れた野宿の準備のために手頃な木を探そうと盛一郎は森に足を踏み入れた。
獣の気配を探るがどこにも獣が植物を踏んだ跡や食べ残しなどはない。やはりそれなりの数の人間や妖怪などが通る街道沿いともなると獣は警戒して近寄らないらしい。
(それに、おそらく街道の整備を行う役回りの者もいるのだろう)
街道はぬかるみや穴が砂で埋められているし、道に伸びてきた枝を剪定した跡もある。この山越えの道は急ぎの旅行者が利用する頻度が高い。そんな旅人に少しでも楽且つ安全に道中を過ごせるようにと考えられて整備されているのかもしれないと考えると、盛一郎の顔に笑みが浮かんだ。
(大きな戦も起こらなくなって俺もこうして暢気に旅なんぞしている……ありがたいことだ)
そんな盛一郎の笑みに水を差すものがあった。
森の奥の方から、女が何かを拒絶するような厭わしげな声が聞こえたのだ。
盛一郎は、出来るだけ音を立てないよう気をつけながら、声がした方へ近付いた。
声は先程聞こえた女のものの他に、男のものが複数聞こえてくる。話の内容までは分からないが、女の声が一貫して拒絶を示しているところから、狼藉者が女を害そうとしているのだろうと予想できた。
やがて木の陰から人影が見えた。
上等なものと一目で分かる着物を来た女が一人。木を背にした彼女を囲むように、風体の良くない男が四人居た。
男の一人が、女の黒髪をまとめていた簪を掴み、女は「これ以上の御戯れはおやめください」とそれを払いのけた。
パンッ、と小気味良い音が鳴って手を打ち払われた男は声を荒げる。対する盛一郎より少し年下に見える若い娘は、凛とした態度を保って男の怒声に一切揺るがない。それが端整な目鼻立ちと合わさって一種の威厳すら感じられた。
しかし、顔がちらちらと動いており、なんとか逃げようと機会を窺っているのは明らかだった。男たちもそれを理解しているのか、女を囲む包囲は慎重に狭められている。
野盗か何かに追われてここまで逃げて来たが追い詰められたといったところだろう。
見たところ、女はこれもまた上等そうな風呂敷に包んだ荷物を背負っている。見た目から金目の物有りと判断されたか、そうでなければ体目当てだろうか。
(こんな所に居合わせたのも何かの縁か……)
助けを呼びに行って戻ってくる頃には手遅れなのは確実だし、見過ごすのは忍びない。ならば助けるのが人情というものだろう。
かといって正面から打って出た所で、女を人質にでも取られればこちらは手出しできなくなる。
ならば、
(奇襲でまとめて倒す)
やることを決めると、盛一郎はそっと行李をその場に降ろし、落ちていた枝を拾った。
逃げる機会を窺う女の視線が盛一郎が居る位置から外れた瞬間。彼は枝を投擲した。
枝が木にぶつかる音を立て、一同の視線が音がした方へと吸い寄せられる。
それと同時に盛一郎は駆け出した。
まず、女が盛一郎に気づいて「あ」と声を上げ、直後に「しまった」という風に口を押さえる。
当然後の祭りで、何かが背後に迫っていると察した男たちは振り返り――手近な一人を盛一郎が蹴り飛ばした。
襲う側だった男たちは突然加えられた襲撃に動揺した。
男たちが浮足立っている隙に、盛一郎は女を背後にかばう位置に体を滑り込ませて呆けた顔をしている二人目の男の顎を傘で打ち上げた。
白目を剥いた男が倒れる間に、横合いから手が伸びてきて四人の中で一番体格が良い大男が盛一郎の傘を引っ掴んだ。
「なんだてめえ?!」
誰何に応えず、盛一郎が柄の石突を押し込みながら籐を捻って相手に傘を掴ませたまま一歩退くと、柄竹の中から刃が覗いた。
「は――?」
意外を重ねられて動きが止まっている大男と最後の一人の横腹を、傘に仕込んだ脇差の峰が殴打する。
骨を砕く感触と共に二人の男が倒れるのを見届け、女に迫っていた男たちが全員、すぐに動けそうにないことを確認してから盛一郎は女に声をかけた。
「大丈夫だろうか? 早く下山した方がいいと思うが、もう陽が暮れてしま――」
女は目を見開いて首を振り、盛一郎の左手を引いて位置を入れ替えた。
前に出た女の前方には、肉厚の鉈を振りかぶった五人目の男が居た。
(もう一人居たか……っ)
一人見逃していたことに舌打ちし、盛一郎は女の袖を全力で引っ張り返した。
女が盛一郎の胸に引き寄せられ、直撃しそうだった刃が外れる。
憤りの声を上げながら再び振りかぶられる鉈を、盛一郎は脇差を斜めに構えて受け流そうとした。
振り下ろされた刃が、掲げられた持ち手の近くに落ちて、作られた斜面に沿って刃先へと流れていく。
綺麗な受け流しだった。だが、刃が半ばまで流れた所で脇差で異音が鳴った。
ヒビが入ったのだ。
続く一瞬で細見の脇差は折れ、鉈は力を受け流されて泳ぎながらも、盛一郎の右の二の腕を抉っていった。
「っ、だが――」
憤りのままに鉈を振り下ろしたせいか、五人目の男はバランスを盛大に崩していた。
その隙を逃す手はない。盛一郎は男の手に半ばで折れた脇差の柄を振り下ろす。
男の手から鉈が落ち、咄嗟に拾おうとしたのか、男の姿勢が低くなった。
そんな男の肩にもう一度柄を振り下ろすと石突が男の体でいい音を立て、続く膝蹴りが男の顔面を強かに打った。
●
沈黙した五人の男たちを気にしながら、盛一郎は女に問う。
「まだ他にこいつらの仲間は居たか?」
「いえ、私が追われたのは五人だけでした……どこかに消えたと思ったらまさか隠れていたなんて」
「見張り役だったのだろう」
まだ何者かが居るのではないかと警戒は続けているが、他に人の気配はない。ここまでやられておいて出てこないということは、仲間はもういないか、あるいは逃げたかだろう。
目的は達した。仕上げとして、盛一郎は男たちの首根っこを掴んで女が背にしていた木の辺りにまとめる。
「あ、あの……」
黙々と行われる作業をおろおろと見ていた女が意を決したように声を上げた。
「腕の傷が……」
「ああ、見た目程の傷ではない」
幸いにもそれほど深く切られていないのだろう。右腕は痛みこそあるが、手を開閉しても違和感がない。だから先に男たちをまとめておくことを優先したが、程度が分からない彼女には気がかりだったのだろう。
何か気を紛らわすための仕事を与えようと思い、盛一郎は荷物が置き去りなのを思い出した。
「すまないが、あのあたりに行李が置いてあるので持って来てはくれないか?」
「はい、すぐに」
女が走って行李を取りに行く間に、盛一郎は男たちを木の周りに引きずって仕込み傘の本体に結わえていたジョロウグモの紐で木に縛り付けた。
簡単には脱出できないことを確かめると、盛一郎は女が持ってきた行李から薬を取り出して傷口に塗り、布を巻いた。
「これで放っておけば治る」
「本当ですか?」
「この薬は特別製だ。治りも早い」
実際、薬は知識を極めた大陸の妖怪が作ったもので、人が作るそれとは質が違うと薬を持たせた盛一郎の養母は言っていた。
女は傷口を振って無事を示す盛一郎を見て、その後木に縛られてうなされている男たちを見た。
盛一郎は男たちには致命になるような傷は与えていない。その内目を覚ますだろう。
「その、彼等はどうなさいますか?」
「そうだな……。五人もいるのでは俺が全員引き連れて山を下るというわけにもいかん。彼等を置いて山を降り、お上に報告して後は任せることになる。
獣に見つからなければ一日程度、放っておいても死にはすまいよ。そこは彼等の運がいいことを祈ろう」
「そうですか……そうですね。さすがにこの者たちをそのまま野に放すことはできませんし、しかるべきところで更生してもらうのが一番ですね」
彼等に襲われていた分、もっと強い制裁を女が望むかと思った盛一郎の考えを他所に、女は懐から取り出した鈴を鳴らした。
妙に通る音で鈴は鳴り。その音の余韻が過ぎるまでの間を置いて女は名乗った。
「わたしは穂積といいます。あなた様はえっと、お名前は?」
「俺は灘盛一郎という」
「盛一郎様。この者たちですが、すぐに麓の町で山の警備を行っているカラステングの皆様が迎えに来てくれます。一晩の身の安全を考えなくてもよいですよ」
「……そうか」
そんな物を持っている以上、やはり彼女は普通の町娘というわけではないのだろう。
「ここがカラステングたちの縄張りとなると、この山の街道を整備しているのも彼女たちなのか?」
「いえ、わたしにも詳しいことは分からないのですが、人間と妖怪の共同で警備を含めた管理をしているそうです」
穂積の言葉で、平地に比べて利用者が少ない山越えの道が丁寧に整備されていることにも納得がいった。
女性しかいない妖怪たちの番は人間から選ばれる。そんな理由もあってか妖怪は全体的に人間に対して友好的だ。
彼女らには森や山を住処とする種もいる。そんな彼女たちにとって、道を通りやすくして人々に山越えの道を出来るだけ使用してもらうようにするということは、出会いの機会をより多く作るということにも繋がる。
山の管理が行き届いているのは人間側の先を急ぎたいという望みと、妖怪たちの出会いの機会を得たいという望みとが、山の管理という形で合致したからだろう。
(この街道を使うような先を急ぐ旅人を捕まえられるかどうかは妖怪の器量次第となるのか)
実際のところ勝率はそんなに悪くはないのではないか。妖怪とその夫という夫妻に育てられた身の上のためか、そんなところにまで頭が回る。
なんにせよ、これで男たちのことは気にしなくてもよくなった。カラステングが来るならば、うまくすれば盛一郎も穂積も一緒に山を下ろしてもらえるかもしれない。
そう考えていると、穂積が頭を下げた。
「盛一郎様。先程は助けていただき、ありがとうございます。
そのお礼と、また、腕のお怪我ですが、私のせいでできた傷でもありますのでその分のお詫びも是非させていただきたいのです。道中お急ぎでしょうか?」
申し訳なさそうな穂積が不憫で、盛一郎は正直に事情を話す。
「いや、往路は急ぎだったが復路は自由の身でな。あいにくと金の持ち合わせがなくて物見遊山する余裕がないだけで、そう急いではいない」
とはいえ、と付け加え、
「申し出はありがたいが、詫びなどいらん。怪我をしたのは俺が未熟なせいだ。ただし、礼をいただけるのなら是非一椀の飯をいただきたい。可能ならば弁当も付けてもらえると助かる」
手持ちの金では家に辿り着くまでこの後三日は野宿の上一日一飯で過ごさねばならないところだ。衣服の生地や簪の意匠を見る限りでは、穂積は比較的裕福な家の出のようである。彼女の応対から推察するに、一日分の飯を恵んでもらうことはできるだろう。
果たして、穂積はほっとしたように息をついて表情を和らげた。笑いをこらえるように口もとに手をあて、
「ええ、ええ。かまいませんよ」
(飢えているのが読まれたろうか?)
がっつかず、もう少し余裕の態度で要求すればよかったと思っていると、穂積が言った。
「では行きましょうか」
「行く、とは?」
空は薄らと暗みがかってきていて、いくつか星も見えている。まさか今から徒歩で山を下りようというわけではないだろう。それなら運んでくれるか分からなくてもカラステングを待った方がまだ今日中に下りられる可能性は高い。
「私の家は町の方ではなくてこちら、山の中に建っております。ですからそちらにご案内を、と思いまして」
穂積は一度星を見ると、森の奥を指さした。
「あちらの方ですね。今からならば日が落ち切る前に着けますし、盛一郎様は早めにお体を休めた方がよろしいかと思います」
「山の中に村があるのか?」
「そのようなものです。あるのは私個人の家ですけれど」
「これまで登ってきた道は一本道で他にどこかへと繋がっているような道は無かったが」
「ふふ、隠れ家ですから」
(若い娘が道も作られていないような山の中にある家に住んでいる、か)
これで相手が妖怪だったら不思議は無いのだろうが、穂積からは妖気の類は感じられない。盛一郎は本当に彼女が言う通り、この先に家があるのか疑いを持った。
最悪、彼女も含めて野盗の一派の可能性もあるとまで考えた盛一郎は、空から近付いてくる羽音を聞いた。
気付けば、橙と紺に染まる空には翼を持つ人影が四つあった。
影は一つを空中に残して残りが降りてくる。
近付いてきたのは鴉のように黒い翼を持ち鳥の脚をした女たちで、全員が麓の町で見た同心の羽織を着たカラステングだった。
男たちが縛られた木の上に止まった彼女たちは、縛られた男たちを見て、次いで盛一郎に視線を寄越した。無言で観察を終えた彼女たちは最後に穂積へと親しい口調で話しかけた。
「穂積様、お久しゅうございます。ようやく鈴を使ってくれましたね」
「ええ、そういえばあまり使う機会もありませんでしたね。旦那様とは円満にしておりますか?」
「はい。世話をしてもらった者たちは皆礼を言いたいと言っております。よければ挨拶に行かせていただければと思います」
「私はそんな大層なことはしていませんよ。
ですが、そうですね。せっかくですから別の機会にお茶の席でも設けましょうか」
プライドの高い彼女たちが同族や大天狗でもない穂積に礼を尽くしている様が盛一郎には驚きだった。
(ただの若い娘に見えるが、相当な名士の娘なのか?)
会話から察するに、彼女たちに伴侶となる男を紹介したのだろうか。
何にせよ、町の名を背負った羽織を着た同心――それも人間を害することに忌避感を覚える妖怪の同心が現れた以上、これで穂積の身分はほとんど保証されたようなものだ。
頭に浮かんでいた疑いを払っていると、盛一郎にずっと値踏みするような視線を向けていたカラステングの一人が口を開いた。
「お前は何者か?」
「その方は私をそこのならず者から助けてくれた方ですよ。貴女方を呼んだのはこの者たちをしかるべき所へと運んで頂きたいからです」
穂積が言うと、カラステングは高圧的な態度を一変させた。
「これは、穂積様を助けて頂いた方だとは露知らず、失礼な態度を取りました。
それではこの者たちは私共が運ばせて頂きます」
カラステングたちは着地すると、盛一郎に会釈して、
「もう陽が暮れます。お怪我もなされているようですし、貴方さえよろしければ私共が下の町まで運びますが、いかがいたしましょう?」
今日中に山を下りられるのならば魅力的な話だ。ありがたく連れて行ってもらおうとした盛一郎だが、返事をする前に穂積が「すみません」と口を挟んだ。
「盛一郎様はこれから家へご案内して今回のことのお礼をさせてもらおうと思っておりますので、下の町には改めてお送りして頂けますか?」
カラステングを駕籠屋か何かのように扱う発言に盛一郎はぎょっとして内心冷や汗をかいたが、彼女たちは気分を害するどころか、互いに目配せし合うと何故か嬉しそうに声を弾ませ、
「なるほど、そう、そうなのですか。
それでは、何かご用命がありましたらまたお呼びください」
そう言葉を残してカラステングたちは男五人を引っ掴んで飛んで行った。
驚きが続いたせいで穂積の礼を辞退して一緒に連れて行ってもらうよう頼むのも忘れた盛一郎は、吊るされて飛んでいく男たちをぼうっと見送り、はたと気づいた。
(しまった、ジョロウグモの紐を返してもらいそびれた)
買えば高くつく代物だ。後日頼めば返してもらえそうだが、どうにも格好がつかないので言わないだろう将来の自分が目に浮かぶ。
惜しいことをしたと思っていると、穂積が「さて」と行李を持ち上げた。
「せっかくの飛脚を断ってしまったのですから、これはいよいよ心尽くしにもてなさなくてはなりませんね」
嬉しそうに先を行く穂積を盛一郎はまだ驚きから覚めずに見送っていたが、数歩行った穂積が不安そうに振り返った。
「……あの、ご迷惑でしたら、皆さんにすぐに戻ってきていただきますが」
「ああ、いや、少し呆けていただけだ。――どれ、荷物も自分で持とう」
穂積の顔を曇らせるのは気が咎めたし、事ここに至って手厚くもてなされてやろうという気構えができつつあった盛一郎はようやく彼女について行った。
●
どこからか水の音がする。どうやら川が近くにあるようだ。
水音に近付くように先導する穂積の足取りは旅を生活の主としている盛一郎よりも軽い。重心も安定していて呼吸も落ち着いている。着物も汚さずに薄暗い山道を躊躇なく歩く辺りからも、山を生活圏としているのは本当なのだろうと思う。
(資産もありそうなのに、不便そうな山の中に住むのはどういった事情からだろうか)
俗なことを考えかけた盛一郎は、ん? と首を傾げた。
山を歩いている内、盛一郎たちはいつの間にか水音に向かって歩いていた。近くに川でも流れているのだろうと思っていたのだが、徐々に音も大きくなってきて、もう目の前で川が流れていてもおかしくはない程近くに水音を感じているにもかかわらず、未だに水音の源が見えなかった。
「どうされました?」
盛一郎があちこち見回していることに気づいた穂積が訊ねて来る。
「いや、音が近くに聞こえる割にはこの近くに川は流れていないのかと思ってな」
「あら、川の音が聞こえるのですか?」
少し驚いたように穂積は言った。
「妖怪由来の物も持っていらっしゃいましたもの。盛一郎様は妖気に敏感なのかもしれませんね」
合点がいったように呟くと、彼女は足を止めた。
「穂積殿?」
「私は、盛一郎様に話していないことがございます」
そう言うと穂積は一つ、柏手を打った。
乾いた涼やかな音が一帯に響く。
瞬間、盛一郎の視界が歪んだ。
歪みは一瞬で掻き消えたが、今度は軽く眩暈を感じてしまった。
「これはまた……」
木が生い茂って狭められていたはずの視界は開け、正面には豪華とは言わないが、堅実な見てくれをした家が建っており、近くには井戸と小さな畑がある。
ずっと聞こえていた水の音の正体はやはり川だったようで、畑の横を小川が通り、その流れは盛一郎や穂積のすぐ近くにも続いていた。
移動した、というよりも隠されていたものが炙り出されたかのような印象を受ける変化に、なるほど、と盛一郎は得心した。
「穂積殿。貴方は妖怪なのか」
「騙すつもりではなかったのです」
穂積は盛一郎に向き直って髪に挿されていた簪を引き抜く。それと同時に盛一郎の目には穂積の体が一瞬発光したように見えた。
それが幻覚がどうかを確認する間も無く、盛一郎は既に起きていた変化に目を見開いた。
解かれて広がった腰ほどまである黒かった髪は、金糸のような鮮やかな色に成り替わり、頭からは三角形の獣の耳が生えていた。髪に埋もれた背後からは穂積の身長の半分はありそうな立派な尻尾が伸びていて、金の毛に包まれた尻尾の、そこだけ白い先端が盛一郎を誘うように揺れる。
盛一郎を見つめる穂積は、金瞳を笑みに細めた。
「おっしゃる通りでございます盛一郎様。私は妖怪――稲荷でございます」
●
一目で妖怪と分かる変化を遂げ、妖気も発するようになった穂積は、盛一郎を見て首を傾げた。
「あまり驚かれないのですね」
「けっこう驚いているのだが」
とはいえ、穂積が人間であることに違和感を覚えていたのも事実だ。彼女が妖怪であるならば、人里離れた所に住んでいるのも、着物を汚すことなく山道を歩いていたことも、カラステングたちの態度も納得できる。
それに、妖怪という存在自体は盛一郎にとっては身近だった。
「俺は妖怪の女将と人間の旦那が経営する商家で育てられた。客として妖怪が来ることもあるから妖怪そのものには慣れているし、気配もある程度分かる。そのせいで穂積殿には落ち着いて見えるのかもしれん」
だからこそ、妖怪相手ならばその妖気を察することができると思っていた分、それを全く感じることができなかったことに驚きがあった。
「ここまで完璧に妖気を隠して人に変化する妖怪は家の女将以外だと初めてだ」
「それはこの簪のおかげですね」
穂積は変化を解く際に髪から抜いた、精緻な細工が施された一本簪を見せてきた。
見ているだけで気が遠くなるような細かい文様が刻まれているそれを見て盛一郎が抱く感想は、高そうである、という一言に尽きる。
「これは?」
「とある縁で頂いた魔道具です。人間のみ、なのですが私自身が化けるよりもより人間に近い変化ができるのです」
人間に化ける専用の魔道具だからこそ、妖気を一切感じない変化ができたのだろう。
(と、なると……)
「先程のは野盗を釣り出すのは作戦だったか。俺は余計なことをしてしまったな」
引っ立て要員のカラステングに連絡を取る用意もしてあったのならば、元々山に居た野盗をおびき出して捕まえる作戦だったのだろう。
場を混乱させてしまったことを詫びようとすると、穂積が首を横に振って制した。
「いえ、私は今日、作った織物を町に届けて金子を受け取って帰るだけの予定だったのです。そこであの者たちに遭ってしまいまして……それからは盛一郎様も知っての通りです。
盛一郎様が助けてくださらなかったら私は彼等を煙に巻いて逃げ、後のことはカラステングの皆さんか山の見回り衆に話を持って行ったかと思います」
「こんな幻術を扱えるのだから、彼等を捕まえること自体は簡単だったのではないか?」
「そうかもしれませんが、あまり山で正体を明かしたくはなかったのです。それに私のような個人が解決を図るよりも彼女たちに任せた方が今後、山のどの辺りを警戒して見回ればいいのかなどの指標にもなりますし、公の手が山に入っているということを周囲に知らしめておけば、ああいう輩も出なくなると思いますので敢えて彼等を捕まえることはしなかったでしょう。
それに、ですね。
あの姿になっていると、その間どうやら感覚器も人のものに近くなるようでして、もう一人隠れていた者に気づくことができませんでした。そうなると、無傷で逃げおおせることができたかどうか怪しいですので、つまりは盛一郎様の助けはとてもありがたかったのです」
ただ、と穂積は盛一郎の腕に目をやる。
「盛一郎様が代わりに傷付けられてしまうくらいならば、早々に正体を現してあの者たちを捕らえてしまえばよかったと後悔しています。盛一郎様がお怪我をされた責任の一端はやはり私にあるのです。お詫びを受けてはくださらないということですが、このような事情があった以上やはり詫びるべきであると私は思っております」
一気にまくし立てられた内容に、盛一郎は穂積が詫びたいと言っていたわけを察する。
無傷で済ませられる力があったのにそれを使わなかった。そのせいで怪我人が出たというのは、確かにしくじってしまったと感じるだろう。
とはいえ、盛一郎からしてみれば、それでもやはりあの場で目に見える敵を倒しただけで油断してしまった自身の自業自得の部分が大きい。
「礼の分で俺は手一杯だ。詫びは言葉だけ、受け取らせてもらおう」
妥協点としてそれだけ答えると、穂積が胸を撫で下ろす。
「お礼はさせていただけるのですね? ありがとうございます。もし隠し事のせいで嫌いになられてしまったらと、気を揉んでおりました」
「もう一人居たことに気づけなかった自分のふがいなさの方が悔しくて隠し事のことなど大して気にもならん。それに、人間の男というのは美人を嫌いになるのは相当に難しいのだ」
養家の旦那も、女将との馴れ初めは財産を全て奪われたからだという。
容姿の良さとその後の手管ですっかり骨抜きさ。などと酒に酔いながら語った時は、世の中いろんな出会いがあるのだと感心したものだ。
そんな養家での話を思い出しながら言った、美人は得だという含みを持たせた諧謔に、穂積は意外なほど初心な反応をした。
「え、美人ですか?!」
「自覚はあるだろう?」
「い、いえ、どうでしょうか……。姿形で恐れられたことはなかったので醜くはないのだろうと思っておりましたが。
それなりに長く生きていますが、これまで面と向かって言われたことはなかったので……」
目が泳いでいるところを見ると、穂積は戸惑っているようだ。本当に言われ慣れていないのかもしれない。それでも美人と褒められるのは嬉しいものなのだろう。口もとが緩んでいる。
(美しいと思っていたが、可憐でもあるのか)
それこそ外見に相応しい可憐さだと感じた時、穂積は妖怪である以上見た目通りの年齢とは限らないのだと思い至った。
「ところで、穂積殿は齢いくつになるのだ?」
「そのようなことより――ええ、もう陽が落ちてしまいます。ここで立ち話をするより中でお話しませんか?」
穂積の笑みの質が微かに変わった。家業の手伝いをして身に着けた、相手の表情を読み取る技術でそれを察した盛一郎は、大人しく穂積の誘いに乗ることにした。
●
家の中に通されて居間に上がると、中にはあまり物がなくすっきりとしていた。そのためか、物が所狭しと置かれている養家に比べて外観よりも広く感じられる。
「すぐに座布団をお持ちします」
そう言って穂積は隣室の戸を開け、そこに機織り機があるのが見えた。
織物を届けに町に行っていたというから、それを作るための作業場なのだろう。
機場から持ってきた座布団を勧めると、穂積は前掛けを着けて土間に下りた。
「それでは、お食事を作りますので少々お待ちください」
言葉の間にひとりでに台所で火が点く音がして、そのまま調理に入る音が聞こえてくる。この音がまた手際が良く、味には期待できそうだった。
期待を膨らませつつただ待つのも手持無沙汰で、盛一郎は内装を見回した。
全体的に煌びやかさこそ無いが、さり気なく透かし彫りや襖などの造作に手が込んでいる。どれも作品と呼べるような代物だ。座布団の布もなかなか上質なもので、穂積の趣味の良さが窺えた。
(俺に商才があったら製作者を紹介してもらうところだな……)
どうにも無粋な見方しかできない己を恥じて縁側に視線を転じれば、小さな畑と小川が月の光に輝いている。
雅が解らない盛一郎にして、美しいと思える景色だった。
「何か気になるものでも?」
湯呑を持ってきた穂積が訊く。
「いやなに、死ぬなら忙しない町より、こういう場所の方が心穏やかに逝けそうだと思って見ていた」
「まあ、そのような寂しいことはおっしゃらないでください」
「人の家を見て変なことを言ったな。
すまない、あまりにも落ち着いた場所なのでつい物思いに耽ってしまった。食事を作ってもらいながらですまないが、話し相手になってもらっても良いか?」
「ええ、是非」
土間の戸を開けたまま食事を作りに戻った穂積の後ろ姿が見える位置に移動して、盛一郎は言う。
「幻術で家を隠しているということは、この山はあの野盗のような輩が頻繁に出るのか?」
「いえ、あのような者たちはここ何十ね――ここしばらくはめっきり数が減りました。皆さんがよく見回ってくれております」
一瞬軽快な調理の音が途切れたが、何事もなかったように再開した。
「幻術を施してあるのは、まだ各所に戦火が残っていた頃の名残です。山や、逃げて来たものたちが復帰不能なほど害されることがないように山全体を監視でき、またここを攻めようとやって来ても見つけることができないように敷いた陣がこの家だったのですよ。今となってはそれも昔の話ですけれどね」
「カラステングたちが果たしている役割を一人で果たしていたのか?」
「このあたりには小さな村がいくつかある程度で、人通りも少なかったので私一人でも対処できていたのです。
今でもここに住んでいるのは、籠城もできるようにと作った家の住み心地が平時でも良いからですね」
「それでも町の便利さには敵わないと思うのだが」
穂積は「それもそうなのですが。町は……」と歯切れ悪く言う。
「山にしつこく攻め入る者たちを手酷くあしらったことがありまして、ですね。過去のその所業が原因で、私は神様扱いされてしまうので、どうも据わりが悪いのです。
無用に混乱を起こすのも悪いので、町に赴く場合はああして化けた上で行っておりますし、町ではカラステングの皆さんしか簪を挿した姿の正体が私であると知りません」
「わざわざ不便だろう人の姿に化けていたのはそういう事情からか」
過去の所業がどういったものかは分からないが、表情などから察するに、扱いは荒御魂なのだろう。
そんなことを考えながら、盛一郎は気づけば後ろ姿をじっと見ながら話をしていた。
正確には尻尾で隠れつつ、たまに尻尾が揺れる度に覗く尻をだ。
(着物越しでも安定していそうな良い形だと分かるものだが、そうか、据わりが悪いか)
ちらと覗くというのが注意を惹きつける。そんなことを思っていると、穂積がしんみりと言う。
「ああしてたまに人に化けて町に下りるのが楽しみなのです。人に紛れていると、自分もそこに受け入れられた気になって嬉しいですしね。
ですから正体がばれてしまわないように簪を取られることは避けたかったのですが、あれを使わなくても人に化けることはできますからね。もし正体がばれても織物を卸す先との関係は改めて作ると決めて、簪はすっぱり諦めてしまえばよかったです」
また自罰的になろうとしているのを悟って、盛一郎は彼女の話に割り込んだ。
「簪と言えば、あの姿のままであの町に暮らすわけにはいかなかったのか?」
「ずっと簪を着けたままというわけにはいきませんし、それに寝る時分にはやはり尻尾がないと」
「ああ、あの規模の町ならばなかなかないだろうが、夜盗が居ないとも限らないか。耳だけではなく尻尾も索敵に使えるのか?」
「い、いえ。その、尻尾を抱いていないと落ち着いて眠れないものでして……」
そう言った穂積は勢い良く振り返り、
「笑わないでくださいね……っ。私も恥ずかしいとは思うのですが、癖でして」
「そもそも俺には尻尾が無いのだから、それが普通なのかどうかすら分からんし、普通、尻尾のある者がどう寝るかも寡聞にして知らん。笑うための比較もできん」
念押しするからには恥ずかしいものなのだろうとは思うが、敢えてそこを笑ってやることもないだろう。
「いっそのこと、この地を離れてしがらみのない遠い所で暮らすことも考えたのですが、それをするにはこの山の管理はまだ行き届いていませんでしたし、敬遠しながらも慕ってくれる人間たちが用意してくれたこの家や彼らの子たちとの関係。それに妖怪同士の友誼を失くすのは寂しかったので、つい長居してしまいました。
結局、私はここから離れがたかったのですよ。愛着があったのです。
でもこのような所ですから、人間のお客様を迎える機会はありませんでした。家を造ってくださった方々は畏れ多いと言って来てくれませんでしたから、盛一郎様が、大きな戦が治まってから初めて迎える人間のお客様です。お礼の件がなくとも最高のもてなしをさせていただきます」
「神の客とは俺も思わぬ所で思わぬ役を頂戴するものだ」
「ただの一尾相手にそれは言い過ぎですよ。ただ、昔に縄張りの長をやっていただけですし、縄張りも今となってはこの家があるだけです」
言葉の切れ目で盛一郎は茶をすすって一呼吸置いた。
(何かのために、というのは嫌いではないが……過ぎると傍から見ていて気の毒に見える)
どうにも、目の前で甲斐甲斐しく働く狐はお人よしが過ぎるようだ。
「穂積殿。話を聞いていると貴方は山の管理だ無用の混乱だと他を優先して自分が本当にやりたいことを抑えているように感じる。人間のために自身を殺してくれるな。
穂積殿は一個の生き物なのだ。やりすぎたなら誰かが横っ面を打ちに来るのだから、それまで自分を一番にして生きればいい。人と居るのが好きならば人の町に居を構えてもいいだろう。しばらくは町の人間もとっつきにくいだろうが、なに、人など大抵のことには慣れるものだ――と、まあ、これは俺を育てた女将の受け売りなのだが」
そこまで言って、さすがに差し出がましいことを言ったかと盛一郎は反省する。機嫌を損ねてはいないかと穂積を見ると、彼女は背を向けて鍋をかき回しながら柔らかい口調で言葉を返してきた。
「正直な人。
――こういうことを言ってくださるから、皆きっと人間が好きなのです」
盛一郎の視界から突然尻が消えた。顔を上げると振り返っていた彼女が微笑んでおり、
「簪の件は自分を優先させているのですよ? それにここから離れがたく、さりとて人間との関係も捨てきれない私はそのわがままを通すために自分のできることをして自分が得たい物を出来る限り手に入れているのです。辛いことなどありませんとも」
前掛けを外した彼女の背後で火が消えた。
「さて、お食事ができました。召し上がってくださいな」
●
面と向かい合うように用意された席で、二人は夕食を食べた。
卓に並んだのは魚に野菜に白米に汁物。食事としてはどれも馴染みがある品目だが、どういうわけか箸が進んで止まらなかった。
供されたものはどれもがこの山で採れたものだという穂積の説明に盛一郎は唸った。
「こんなに美味いものが手に入るのなら、ここから離れたくなくなるのも道理だ」
「そうでしょう? こういう所もここを離れがたくさせている一つなのです」
「何より、音を聞いただけで分かる調理人のあの手際の良さが味に出ている」
何気なく言った言葉に穂積は無言で俯いた。尾が揺れているということは、喜んでいるのだろうか。嘘をついたわけではないが、世辞の部分も無いわけではない。先程の諧謔といい、その機微を解さない穂積ではなさそうだが、彼女は全力で嬉しそうな様子で、
「お気に召していただけたようで幸いです。あの、あの――そうです、お酒はお飲みになりますか?」
「頂けるなら喜んで頂戴する」
「はい!」
先に用意していたのだろう、穂積はすぐに味噌と絡めた茸や野菜や魚と共に酒を運んできた。
彼女は盛一郎の横に座ると、銚子を差し出して、
「お着物を繕ったお礼にと、鬼の方に頂いたお酒でございます」
飲んでみると口の中に果実に近い香りが広がって鼻に抜けていく。喉に流しこめば舌に淡い苦みが残って味を切り、体内から抜けてくる芳香が口内を鎮めて体の火照りを優しく残した。
「これも美味いな」
「誰かと酌み交わすまでと置いておいたとっておきでございますもの」
味噌が口の中を上書きしても再度の飲酒で押し負けない腰の強さだ。鬼と相まみえたことはないが、繊細でありながら力強い、良い酒を作る。
小さな口で一息に一献呷った穂積に酒を注ぐと、同じく注ぎ返される。
一回、二回と繰り返し、穂積がついと訊ねて来た。
「盛一郎様が山を登り始めた時分にはもう陽も暮れかかっていたのではないですか? そんな時間にあの難所を急いでいたのです。本当は急ぎの旅路ではありませんでしたか?」
「養家から頼まれた急ぎの使いを終えた帰りで急ぎの時間は終わっていた。ただ……恥ずかしい話なのだが、路銀が尽きかけていたので物見遊山などせずに手早く帰ろうとしていたのだ」
懐に手を入れる穂積を手で制して、盛一郎は続ける。
「元々片道分の金しか持たされていない。予備の金も普段は持たんので路銀が底を尽きるのは道理でな。いつも使いの時はこんなものだ」
「正式に頼まれてのお使いではないのですか? 何故そのような少額しか準備されないのでしょう?」
「あちこち放浪している俺に対する圧力だろう。金がなければ今の世の中、行動はかなり制限される」
そう言って笑ってみせると、穂積が思いのほか不機嫌そうな顔をした。
「息子の身へ徒に危険を招くような仕打ちはあんまりではありませんか」
「最悪野宿になっても俺は困らんし、自衛の為の手段は用意しておいてくれている」
盛一郎は行李と一緒に土間に置いてある傘を指す。
「そもそも危険に遭わないよう配慮すべきだと私は思うのです」
「まあ、教育方針というやつだ」
盛一郎が納得しているならばと言い、穂積も傘に視線をやる。
「……そうです盛一郎様。あの傘、柄竹に仕込まれていた刀が折れてしまいましたが、修繕できますでしょうか?」
「あれならば問題ない。物はどこにでもある脇差で、絡繰りの部分は無事だった。何より、舶来の傘本体が無事なので如何様にでもできる」
「舶来の仕込み傘ですか。珍しいですね」
「養家の女将というのが刑部狸でな。異国との貿易の折に手に入れたらしい。元が普通の傘だったものを絡繰り師に特注して作らせた代物だ。警戒されることなく武器を携帯できて都合が良く――」
お気に入りの道具について語っていた盛一郎は、穂積が傾けかけていた銚子の動きを止めたことに気付くのが少し遅れた。
「穂積殿?」
「刑部狸、ですか……」
聞こえてきたのは暗い調子の声だ。耳が伏せて尻尾が立っている。
ここまで過敏な反応を示すことに興味が湧いて、盛一郎は訊ねてみた。
「以前、刑部狸と何か?」
「ええ、昔のお話になるのですが、ここに腰を落ち着けて一人で暮らしはじめた頃でしょうか。人里と関わりを持つ方法として、心得があった機織りを行い、それを売りにだそうと考えていたところで行商の折にこの山を通過しようとしていた刑部狸の方がいらっしゃいまして、私が作った機と着物に値段を付けてくださったんです。
その時の値段が今私が機を売りに出す際の基準になっていて、相場も知らなかった私からすればそれはとてもありがたいことだったのですけれど、でも、ひどいんですよ?」
くい、と杯を乾して穂積は続ける。
「私は何の変哲もない普通の織物や着物を作っていただけですのに、彼女は私が作ったものには神様の加護があるなどと出鱈目を言って売っていたのです!」
既に言葉ほどは憤ってはいないのだろう。演技的な憤慨を行った穂積に盛一郎は酌をする。
「話を聞くと圧政を布く代官を騙してその者を旦那様にするための手段だったらしいのですが、あまり良い気はいたしません。盛一郎様もひどいと思いませんか?」
「ん、んん……まあ、嘘も方便と言うし」
「向こうの肩を持たれるのですか?」
ずいと近づいてくる穂積の胸元から覗く双丘に目を奪われながら盛一郎は歯切れ悪く、
「いや、そうは言わんがな。養家の旦那も過去に似たようなことを女将にされたというのであまり否定もしづらいのだ……」
穂積から香る芳香に耐えかね、食材の香気を摂取すべく箸を伸ばす。しかし、慌てた動きが災いして腕が痛んでほぐした魚の身を落としてしまう。
改めて身を口に運んで味噌の匂いに落ち着きを得ながら、自然と襟元に寄りそうになる視線を意志の力で引き剥がす。
そんな盛一郎の苦労を知ってか知らずか、穂積がやおらにくすくすと笑い出した。
「どうした?」
「いえ、つい過去のことを話しすぎてしまったと思いまして」
「嫌なことを思い出させてすまない」
「とんでもございません。私も盛一郎様が聞き上手なのでつい口が滑ってしまうのです」
聞き上手なわけはないと盛一郎は自身を評して思うが、機嫌がよさそうな彼女に水を差すものではない。
尚も楽しそうに笑っていた穂積は良いことを思いついた。というような表情で「そうです」と言うと、盛一郎の顔を好奇心に輝く金瞳で覗き込んできた。
「もしよろしければ盛一郎様の話をお聞きしたく思います」
「かまわないが、さて、何か面白い話などあっただろうか……」
「私を助けてくださった折、鮮やかな手並みで五人も倒していらっしゃいましたが、どこで武術の心得を?」
盛一郎は一度仕込み傘を見て、
「俺も自分を一番に考えて生きればいいと言われたことがあると言ったろう? それとも関係する話になる」
穂積の耳が立つ。興味が薄れたというわけではなさそうだと判断した盛一郎は続きを話した。
「俺はそもそも生まれは下級武士の家だ。一時期よりは規模も小さくなって数も大分マシになったとはいえ、まだ戦があった頃。子供の頃の俺は父に戦い方を教わっていた。
そんな父はやがて戦死し、村に飛び火した戦火から逃げる際に幼い俺をかばって母は斬られた。主君の元へと俺を送り届けると、形見の脇差を一本残して母も事切れてしまった。
ただ、幸運にも連れて行かれた先の家ではよく取り計らってもらい、当時取引相手だったという商家に養子として引き渡された。
それが今の育ての親になっている刑部狸とその旦那さんの家だ」
穂積、慌てた動きで傘を見やった。
「それでは、あの刀は大切なものなのではありませんか?」
取り返しのつかないことを、と悔やむ穂積に盛一郎は言う。
「別に無くなったわけではないのだし、折れたままでも形見は形見だ。脇差など消耗品。使い込んでいたからいつ壊れてもおかしくはなかった。
ボロの刀剣一振りでこの食事にありつけたと思えば上等だ。気にしないでくれ」
さて、と盛一郎は話を繋ぐ。
「引き取られたのはいいのだが、ガキだった俺はしばらく両親の復讐を考えて争いごとの稽古ばかりしていた。が、気がつけば父を殺し村を焼いた敵はとうに滅びていて、戦も時を経るごとに減って行った。どうにもやることがなくなってしまったのだ。
そんな折に女将が言ってくれたのだな。甦ってもいない死者のために、今生きているお前の全てを費やしても意味がない。あの世の二人が睦み合う邪魔になるだけだ。お前はお前の幸福のために生きて良い。と、そんなことを言われてやっとこれからを思って生きることができるようになり、養ってもらっている以上なにかしら家に尽くさねばと思えるようにもなって、これまでに身に着けていた戦う術を活かして商品の護衛を行うようになっていった。
まだ子が居ない故、本来ならば稼業の根本の部分を手伝い、将来的には彼等の子の補助ができるようになっておくべきなのだろうが、何分、俺には商才がなかったようで、どうにもうまくいかなかった。
まあ、幸い妖怪は長寿で、夫になった人間もまた長寿になる。子も彼等の長い生の中で生まれるだろうから、その辺りは早々に見切りをつけた。二人も自由にしてくれていいと言ってくれているので、今は護衛の他に使いをしながら、なにか養家に利するようないい仕事がないかと探しているのだ」
口を湿して盛一郎は話を締める。
「護衛などをしていると道中野盗の類と争うこともあり、結果としてこれまで鍛えたものを振るう機会にも恵まれた。武術というほど立派なものではないが、戦う術を身に着けている理由としてはこんなものだな」
「これまで、大変だったのですね」
「いや、父母を失ったことはともかくとして、それ以外では俺は恵まれている方だろう。養家に居る間は生活に困ったことが一度もない。
ただ、旅暮らしを始めてからは荒事に定期的に巻き込まれる上に貧乏な生活をしているせいで美味い食事にも美人にもとんと縁がなかったのだが、ついにこの生活にも運が付いてくるようになったのか、今回はこうして歓待を受けている。人助けはしてみるものだ」
「お上手ですね」
穂積はそう言って、傘から視線を盛一郎に戻して酌をする。
「よろしければ旅のお話をもっと聞かせていただけませんか?」
「かまわんが、珍しいな。これまで旅の話を聞きたがったのは客の子供くらいのものだったものだが」
「あら、子供ではなくても旅に興味はあるのですよ?」
穂積の言葉に促される形で盛一郎がこれまでした使いや、苦手ながらも尽力した行商の話、荷物を護衛した先で参加させてもらった漁や祭の話などを話している内に酒も肴も無くなった。
口直しにと出されたお茶を飲んで二人でホッと息を吐く。
縁側の方を見てみれば、月が高くに昇っていた。
「長く居過ぎた。そろそろお暇しよう」
目を細めて少し眠たげにしていた穂積が、耳を上げて驚いた。
「この時間に出て行かれるおつもりですか?」
「流石に同じ屋根の下に行きずりの男が居るのは落ち着かないだろう? 俺は野宿に慣れているから問題ない」
そう言って家を出ようとするが、穂積が止める。
「盛一郎様! 私は盛一郎様なら一緒の屋根の下でも歓迎です」
「いや、待て」
何かしら説教染みたことを言おうとした盛一郎の前で、穂積は柏手を打った。
「はい! 今、結界が張り直されてしまいました。今夜はもう外に出ることはできませんよ」
縁側を見てみると、家のすぐ近くにまで木々が生い茂っていた。土間に降りて玄関を開けてみると、目の前には大量の木が生えていて一歩も外に出られそうにない。
無言で扉を閉め、土間の縁に座ると、盛一郎は少し考える時間を空けて、
「……一飯恵んでもらったところ重ねて申し訳ないが、一泊させてもらってもよいか?」
「はい、喜んで。――さ、まずはお風呂をおあがりください」
狐は満面の笑みだった。
●
盛一郎は穂積に押し込められるような形で湯殿に入った。
尻尾を持つ者が入る事を想定されて作られているためか、湯殿はかなりの広さをもっていた。形式としては養家のものと同じく、湯に浸かる形式の風呂だ。
盛一郎はこの型の湯殿が疲れが一番取れるので好きだった。
木材でつくられた浴槽に川から引いた水を妖力で加熱しているらしく、微かな妖気を浴槽から感じる。天井に据えられた、これも妖気を元にして発光しているらしい行灯に照らされた浴室には仄かに瑞々しい匂いが漂っている。
匂いの元であろう果実が浴槽に浮いており、桶で湯を掬って体にかけてみれば、体全体がよい香りに包まれた。
(先に体を洗わねばな)
盛一郎にとってはこれが実に三日ぶりに風呂になる上に今日は山歩きまでしてきた。三日の間は手ぬぐいで体をこするくらいしかしていなかったので、念入りに体を清めておきたい。
さて、と洗い場を見渡して盛一郎は気付いた。
(ぬか袋がない)
で、あれば湯のみで体を洗うのが穂積の流儀なのかと思うが、盛一郎の体は自身ではあまり自覚がないが、おそらくかなり汚れている。
一番風呂をもらった手前、あまり湯は汚したくはない。さりとて湯が目の前にあってそれに浸かれないのも残念だ。
手ぬぐいがあればまだ自分に言い訳ができる程度には身体を洗えるのだがと思っていると、扉の外から声がかかった。
「盛一郎様、お湯加減はいかがでしょうか?」
「それが、まだ入っていないのだ。先に身を清めておこうと思ったのだが」
皆まで言う前に、穂積が手を打つ音がする。
「石鹸を置いておりませんでしたものね。失礼いたしました。すぐにお持ちいたします」
「俺の行李の中に手ぬぐいもあるのでそれも」
持って来て欲しい、と言い切る前に扉が開いた。
目の前にはいつの間に着替えたのか、襦袢を着た穂積が立っている。当然、これから湯にでも浸かろうと思っていた盛一郎は全裸だ。
固まった盛一郎の裸体を見た穂積は頬に手を当てて、
「まあ、やはりご立派なお体をしてございます」
穂積は椅子を置くと、細められた金瞳で盛一郎を見ながら椅子を示す。
「さあ、こちらにお座りください」
蠱惑的な仕草に酒気を吹き飛ばされた盛一郎は慌てて言う。
「待て、穂積殿。一体何を」
「歓待すると言ったではございませんか」
薄い布を押し上げる胸を張ると、穂積は盛一郎の肩を掴んで尻尾で膝を引っかけ椅子に座らせてしまった。
「ほら、お体が冷えてしまいます」
桶に湯を汲んで体にかけると同時に、盛一郎の体はあっさりと一回転して穂積に背中を向ける形になっていた。
背後で石鹸が泡立てられる音がする。
「ここまでしなくてもいい。俺は十分歓待してもらった」
「いいえ腕を怪我していらっしゃる盛一郎様のお助けをしなくては稲荷の恥でございます。先程のお食事の際、魚を取り落していたのを私は見逃しませんでしたよ」
大丈夫だと主張しようとした盛一郎の発言は潰され、言葉に詰まる彼の髪に優しく手指が触れる。
「それとも……このようなことをしたと分かると都合が悪くなるような良い人がいらっしゃるのですか?」
言われた言葉に盛一郎は正直に首を横に振った。
「そういう人が居ればこんなふらふらした生活はしていないのだろうな」
考えてみればここで穂積に背中を流してもらうことになっても何も気にすることはないのだ。
おせっかいにも、絡まれているところを助けただけでここまでさせることに抵抗はあったが、本人が乗り気なようなら遠慮することもないだろう。
「頼めるか?」
返事は喜色溢れるものだった。
「よろこんで!」
言葉のすぐ後で、待ちかねたように背中に掌が当たる。
「さあ、力を抜いてください」
緊張していた体を解すように手が背中を柔く揉んで、首を擦って肩を解す。
「御髪も失礼します。目をつぶっていてください」
そっと手が汗や泥で硬くなった髪に分け入って丁寧に洗髪していく。
気を抜けばそのまま眠りに落ちてしまいそうになるほど気持ちいい。
体が舟を漕ぎ出す寸前。髪を洗い終えたのか、穂積が手を頭から離した。
「お湯をかけます」
石鹸が湯に流され、したたる滴を穂積が手ぬぐいで拭いていく。手ぬぐいがあるのならそれで洗えばいいのではないかと盛一郎は思うが、今更口にするのも遅いし、心地よい体験ができたことに不満はない。
後は自分でやると言おうとすると、背後で間合いを測るような一呼吸が聞こえる。
そして、
「失礼します」
言われると共に、穂積の両腕が盛一郎の視界に映った。と、同時に背中に何か柔らかいものが触れる。
「――?!」
「だめですよ。ほら、力を抜いてくださいな」
何事か言われているが、盛一郎は本能的に全神経を背中に回していて力を抜くどころではない。呼吸も荒くなっている。
力が抜けないことはしょうがないと諦めたのか、穂積の手は盛一郎が落ち着くのを待たずに彼の胸元を撫でまわしはじめた。
ため息のような吐息が盛一郎の耳をくすぐる。
「やはり、硬くて厚い。鍛えられた胸をしていらっしゃいます」
そういう穂積の胸は柔らかくて温かい。
「そ、そちらも、立派な胸をしていらっしゃる」
「喜んでいただけて何よりです」
手が動くごとに形を変えていくのを背中に感じていると、そんな盛一郎の腕を。穂積が優しく撫で洗い始めた。
両手で左腕を肩の付け根から撫でさすって石鹸で覆い、右腕に移る。
こちらは初めは傷口に触れないように丁寧になぞり、しかし「あら」と呟きが漏れて傷口そのものを繊手が労わるように辿った。
むず痒さに盛一郎が鼻から息を噴くと、穂積はそれが苦痛から出たものではないと分かったようで、
「大事はないようでよかったです。あのお薬も素晴らしい効果ですね」
「家は仕入れている品物も一級品だからな」
言っていると、再び胸に手が置かれる。と、同時に耳に生ぬるく湿った感触が来た。
正体は考えるまでもなく、吐息に含まれる湿気が耳にかかる位置にあることで知れた。
穂積の舌先が盛一郎の耳をなぞっていた。
「穂積……っ、どの?」
「はい、綺麗にいたしますね」
舌が耳全体をなぞっていき、耳穴に侵入してくる未知の感触に、盛一郎の身体が跳ねた。
「っ、な……?!」
「ふふ、かわいらしい、です」
うろたえる盛一郎の様子を楽しんでいるらしく、舌の動きが軽快になって弾んだ吐息が耳に当たる。
右耳が終わって左耳を舐り始めると共に、胸から腹へと撫でまわす位置を下げていた穂積の手は盛一郎の股間に達しようとしていた。
盛一郎は咄嗟に両脚を閉じて股間を守り、股間が閉ざされていると悟った穂積は一瞬手と舌を止め、ねだるように耳たぶを甘噛みしながら股間を守る太ももを撫でさすった。
耳を舐りながら下腹部を撫でるために前のめりになった穂積は、盛一郎の背に胸をより密着させた。背で柔らかく潰れた彼女の胸の奥の鼓動まで盛一郎の体が感じ取り、その鼓動が随分早いと分かる。盛一郎自身の、戦闘時もかくやという程の現在の鼓動の早さといい勝負だ。
(いや、ここは、さすがに我慢が……っ)
理性が警鐘を鳴らす音を感じながら、盛一郎は両手を使って穂積の行為を差し止めた。
ここにきて明確な拒絶があったためか、戸惑うように穂積の手が止まる。
試すように、差し押さえる盛一郎の手ごと穂積の手が脚を撫でようとするが、彼の力は緩まず、股間は死守されたままだ。
お互い無言で攻防を続け、やがて業を煮やしたのか、左耳の耳たぶに強めに歯を当てると、穂積が密着を解いた。
責めがなくなったことにほっとする間も無く、盛一郎の眼前に穂積は移動してきた。
襦袢は濡れて肌が透けており、ふと視線が眼前にある臍のくぼみから上の方、先程まで背中に当たっていた胸にいきそうになる。いかん、と思い咄嗟に目を逸らすと、穂積は恐る恐るといった調子で訊ねてくる。
「盛一郎様は決まった女性はいらっしゃらないのでしょう? それとも、私ではお嫌ですか?」
「い、いや」
「まさか――だ、男性の方がお好みとか……?」
「それはない」
深刻な声音で言われたので盛一郎としては即否定をしておく。その上で穂積の方を尚も正視できないまま、
「その、だな。こういうことは初めてでどうもな」
「緊張なさいますか?」
「それもあるが、あの程度のことの礼でここまで、穂積殿のような――その、美しい人にしてもらうというのはどうにも気が引けてしまう」
湿気を吸った尻尾がペチペチと揺れる音が聞こえる中で、潤んだ声が言う。
「あんなことなどとおっしゃらないでくださいませ。盛一郎様はよくあることと思っておられるようですが、襲われているところを助けていただくというのはとても心に響く行為なのですよ」
「そういうものか」
人が困ってたら助ける。自分がしてもらったことを誰かにも返しているだけなのだからそれがどれだけ影響を与えるのかは考えたことがなかった。
穂積のため息が聞こえる。雰囲気でなんとなく察するに、どうも呆れられているようだ。
「あなた様はどこかで他の女性にも懸想されておられそうですね」
「まさか、こんなふらふらした男に惚れる女などいない」
「あの旅のお話の端々に心の昂ぶるものを感じたものです。同好の士は少なからず居るものと思いますが」
「あんな話も、喜ぶのは子供たちだけだと思って滅多にしてこなかったな」
「あらあら、これまでみだりに女性――特に妖怪たちにこのような話をしてこられなかったのは私にとって僥倖ですね」
「そうだろうか?」
ええ、と応えて、穂積は股間を死守する盛一郎の手に改めて触れた。
「私が、あなたの初めてになれるのですから」
声にこれまでに倍する艶を感じて、盛一郎は咄嗟に手を止めようとした。
「いや待て自分で洗――」
言葉が出尽くす前に尻尾が脇をくすぐって盛一郎から力が抜ける。その隙に盛一郎の手は穂積に優しく外されていた。
続く動作で膝でにじり寄る穂積に閉じた脚も割り開かれ、盛一郎の股間を守っていた物はなくなり、隆々と勃起した盛一郎の逸物が穂積の眼前に晒された。
「まぁ……」
「……その反応はどういう?」
穂積は応えずに逸物の先端に指を這わせた。
盛一郎の腰が跳ねるが、穂積は止まる様子もなく幹を下って陰嚢を両手で掴んだ。それから両手で撫で上がると、幹を両手で握り、ほぅっと息を吐いて、
「熱くて硬くて、敏感で……ふふ、可愛らしい……。痛くはないでしょう? でも力加減を間違えてしまうかもしれませんので、あまり動かないでくださいね?」
脅しともいえる発言を上機嫌に言われ、盛一郎は返答に困った。
なにせ、泡立った手で逸物を洗っていくその動きに勝手に腰が反応してしまうのだ。
手の動きも、最初はゆっくりと確かめるようなものであったのが、やがて裏筋を指先でなぞってみたり陰嚢を様々な強さで揉んでみたりと余裕を出してきている。
それらの動作一つごとに盛一郎の腰が跳ねる。
穂積は声を聞きながら熱心に逸物を弄り、同時に尻尾で脚を洗い始めた。
長い毛に擦られる快感とくすぐったさにいよいよ昂ぶりが抑えきれなくなる頃に、片足を洗い終えた尻尾が桶を掴んで湯を盛一郎の逸物に流す。
水圧をものともせず勃ち続ける逸物を、穂積のはだけた胸が挟み込んだ。
天井に点けられた灯りを反射する、白い珠の肌の谷間から盛一郎の赤黒い逸物が飛び出ていることに曰く言い難い感動を覚えていると、穂積が「そしてこう……」と言いながら胸を手で挟みながら上下させた。
手でされるのとはまた違う感触と、襟から覗いていた時から存在を主張していた形の良い胸が盛一郎の下腹に触れる度にするパチュン、パチュン、という音が心地良い。
湯で一度鎮められた昂まりがすぐにぶり返してくる。
胸が上下するのに合わせて盛一郎の腹に当たった乳頭が擦れていく。その感触がはっきりしていくのは彼女もまた興奮しているからではないかと思っていると、胸を挟んでいた手の内の片方が谷間から顔を出す盛一郎の先端に触れた。
新たな種類の刺激に逸物が震え、驚いた穂積が指を離すと、そこから糸が引いた。
「気持良いのですね、盛一郎様?」
「穂積どの、……っ」
まともな受け答えをする余裕が無く、目前に迫った決壊の瞬間を告げると、穂積は世にも嬉しそうな顔をした。
「それでは……っ」
力の入った言葉と共に、胸の谷間から盛一郎の逸物は解放された。
断続的に与えられていた快感が途切れて眩暈と共に安堵と一抹の寂しさを感じていると、穂積の両腕が膝裏に入った。何事かと構える間も無く腕が持ち上げられ、ゆっくりと盛一郎の体が仰向けに倒れ始めた。
「――っ」
うまく体に力が入らない――というか今下手に力を入れたら暴発してしまいそうな盛一郎の体は、脚を洗っていたはずの尻尾が彼の胸を突いたことで完全に頭から落ちる形で後方に倒れた。
洗い場の床に頭をぶつける前に、尻尾が先回りして緩衝材になる。
一連の動きが数秒の間に行われ、自分がどうなっているのか盛一郎の理解が追いつく前に穂積の手が膝から離れ、椅子を支点にして仰向けになった盛一郎の尻にその手が回る。
と、同時に盛一郎の逸物が生暖かい感触に包まれた。
「――――ッ」
盛一郎が尻を撫で擦る感触に尻をもぞつかせると、逸物の先端が何かに当たって穂積から押し殺した声が漏れ聞こえる。
視線を股間にやると、盛一郎の逸物は穂積の口内に消えていた。
「ほ、づ――」
「むぁら おひり ありゃって まひぇん ふぇしたのれ」
上品な唇に逸物をほおばりながら穂積が喋るごとに、舌や頬や口蓋が逸物に触れる。その度に盛一郎の頭が弾けてしまいそうな快楽が走った。
美しい女性が尻に抱き着きジュプジュプと下品な音を立てながら屹立を口で扱きたてているという情景に、既に限界だった盛一郎の腹の底から熱い塊が湧き出してきた。
それでもこれまでの鍛錬と商家での生活が練り上げた忍耐が、無意識のうちに歯を食いしばらせ、丹田に力を込めさせて下腹に溜まった熱が溢れるのを抑えようとする。
股間から表情を窺っていた穂積は、口端から涎を垂らしながら盛一郎が耐えている光景に限界を察したのか、次の行動に移った。
洗うと称して尻を撫でまわしていた穂積の指が、盛一郎の尻穴に入り込んだのだ。
「―――――――ッ?!」
尻穴に唐突に潜り込んだ異物感から逃れようと腰が跳ね上がると、口蓋を突いた亀頭が粘膜を滑って喉の奥を突いてしまった。
「――んむぅ?!」
穂積が苦しそうな声を上げ、盛一郎が残った理性で腰を引こうとすると、穂積の指が更に尻穴を穿って腰が跳ねた。
反動をつけて思いっきり喉を突き上げる形になった盛一郎の逸物は、突き上げの勢いで尻穴から穂積の指が抜けたのを契機に熱を弾けさせた。
「……っ、……っ、……!」
「んぶっ! っむ、――、――――っ」
使いの旅の間処理することもなかったせいか、逸物の脈動は二回、三回と過ぎてもなかなか勢いを落とさない。
穂積が逸物を吸い上げているせいでこらえるということができず、盛一郎は脈動が収まるまで、体が求めるままに熱を吐き出し続けた。
16/08/25 21:22更新 / コン
戻る
次へ