連載小説
[TOP][目次]
影少女は夕暮れに恋をする その1
 薄暗い明かりが灯る板張りの部屋に菅野と白川は対峙していた。白川が菅野を見る目は厳しく、言葉の選択を誤ろうものならばその長い胴体で絞殺されてしまうことが容易に想像できた。

「で、結局悪戯をしたアークインプに何もできずに子供に助けてもらって、さらにいろんな痴態を見られたから自分がいたたまれなくなって先に帰った……と」
「お、おっしゃる通りで……」
「最低ですね」

 鋭い言葉の刃が菅野を貫く。自分でも最低なことをした自覚はある。少なくとも普段の菅野ならば絶対にしない『逃げ』を選択したのだ。

「それでその足で私のところにきて……ただで帰れるとでも思っているんですか?」
「思ってねぇ。どうしても知りたいことがあったから来たんだ」
「答えるとでも?」
「……」

 そうだ。菅野の質問に白川が答える義理はない。ましてや自分が大切に大事に思い始めている彼方がもっともっと小さい時から見守り、将来は嫁になるとまで言い切った白川に直接会いに来るなど、自殺行為に等しい。

「……彼方は一体何なんだ?」
「何なんだ、と言いますと?」

 あの時彼方は何事もなく魅了の呪文を正面突破で破り、箒で叩いただけでそこそこのダメージをアークインプに与え、さらに自分に掛かっていた催淫術も破った。

 はっきり言って異常だ。まず前提としてアークインプは見た目こそ子供だがその保有する魔力や魔法制御力は並みはずれている。だからこそ魔法使いや魔術師たちは万が一にもアークインプを召喚しないように細心の注意を払って召喚をするし、ましてや契約を結ぶことはまずない。そして魔王やその直系に当たる魔物特有の色素の薄さからも尋常ではない魔物であることがわかる。

「あなたに話すことはありません。それにもう二度と彼方には関わらないでほしいと思ってますし」
「……そういわれても仕方ないと思ってる。でもあいつは、アンジュは『また来る』って言った。彼方の行動範囲が仮に限られていても、学校にいる間に襲われたら俺しか守ってやれない」
「どの口が言ってるんですか?」

 白川の鋭い切り返しに菅野は答えることはできなかった。不意打ちだったとはいえ、完封され、なすすべもなく凌辱されていたのだから。

 苦い記憶を振り切る。一度負けたからと言って逃げていい理由にはならない。

「確かに俺は完封された。だけど次は負けねぇ」
「それをどうやって証明するのですか?」
「それは……」

 実際問題、真っ向勝負をしてもかなり厳しい戦いになることは想像に難くない。魔女とアークインプの種族的な差もあるがそれ以上に菅野の魔法との相性が最悪なのだ。

「……まあ、神社の仕事でどうしても離れることができない私と違ってあなたは自由に行動ができますから嫌でも彼方からある程度の距離にいてもらわないと困るのも事実です」
「それじゃあ」
「あなたを信用したわけじゃありません。彼方の足を引っ張らないために話すのです。そのぐらい彼方の固有魔法は癖がありますから」―



 ―夕焼けに染まる校舎をゆっくりとした足取りで歩く。まだごく少数、学校に残っているやつらがいたようだ。騒ぎになっていないところを見るとどうやら先ほどの騒ぎは誰にも見られていなかったらしい。足は気が付けば図書室へ向かっていた。

「……あ、彼方くん」
「まだ帰ってなかったのか早乙女」

 図書室に残って本を読んでいたクラスメイトの早乙女護は前髪に隠れた大きな瞳でこちらに視線を向ける。

「う、うん。本読んでたら遅くなっちゃって……」
「借りて帰ればいいだろう」
「え、えへへ……どうしても続きが気になっちゃって」

 早乙女が呼んでいた本をちらりと見る。『走れメロス』か……。

「……あ、あの、どうして僕から距離をとるの?」
「前に雪ねぇが言っていた……。走れメロスは同性愛者(ヘンタイ)の聖書だと」
「な、なにそれ!?」

 普段は大人しい早乙女が珍しく声を大きくする。が、すぐに縮こまってしまう。

「あれだろ?その本は男が男のために身を尽くして最終的に裸になって僕を殴れ!僕のほうも殴ってくれ!とか言い出すなんというか……変態男祭りの本だろ?」
「な、内容的に間違ってないけど言い方に悪意しか感じないよ……」

 ショボーンとした顔をして本棚に戻しに行く早乙女。前髪に隠れているがその瞳は大きく、背も平均以下。ちょっとおどおどした部分があるがそこが小動物らしくて愛くるしい……らしい。以前職員室で女の先生同士が集まって『やっぱり早乙女きゅんは総受けよね!』『あえて、鬼畜な早乙女きゅんっていうのも……』みたいな話をしていたが、まあつまり受け身で消極的っていう意味なんだろう。多分、きっと。俺としては他の奴と違ってバカ騒ぎしないし、こちらに積極的にかかわってこない分、かなり接しやすいので二人組を作るときとかは重宝している。

「そ、それより彼方君はどうしたの?さっき帰ったみたいだけど」
「ああ……ちょっと戦争してた」
「ど、どういうことかな……?」

 なんというか言葉にしづらい。ああいうなんというか人外?っぽいやつは正体をばらしたりすると何か罰則みたいなのがある気がするし。

「菅野さんは?」
「……今日はいい夕日が見えるね」
「な、なんで今話題を逸らされたんだろう……」

 綺麗な夕日だ。3階にある図書室からは特に地上から見る景色と違って邪魔なものがないし、実にいいものだ―



―「仮称『退魔』?」
「そうです」

 あまりにも変わった固有魔法の名称に思わず復唱してしまう。

「仮称ってなんだよ……そもそも退魔属性なんて聞いたこともねーし」
「それはまだ正式な名前を決め損ねているからです。そしてこの属性を持っていたのは長い歴史の中でもごく少数です」

 静かにその先の説明を促す菅野。ゆっくりと続きの説明がされる。

「過去、この属性を持ったものはその人生が良いにしろ悪いにしろ必ず歴史に名を刻んでいます。そして名称が定まっていないのもあまりに情報が少なく、またその時代に応じて当人たちが名称を決めていたからです」
「……」
「例えば……『聖女』ジャンヌ・ダルク、『第六天魔王』織田信長」
「最終的にあんまりいい死に方してない顔ぶれだな」

 一気にうさん臭さを感じ始める菅野をよそに説明を続ける白川。

「『退魔』は端的に言ってしまえばありとあらゆる異能、異形を無効化し、力の強さによってはそのまま消滅もさせることができると言われています」
「何だよそれチートじゃねーか」
「そうでもありませんよ、確かに私たち魔物は異形という点で一切太刀打ちできなくなりますし、神に仕えてどうのこうのしてるいわゆる勇者も方向性が違うだけで異形扱いになりますけど」

 一度言葉を切り、菅野を正面に見据える。

「第一に純粋な人間による純粋な力量での戦いには一切効果を発揮しません」
「あー、なるほどな」
「ただ少しでも『気』や『魔力』などが使えるようになってしまった達人などは異形のカテゴリに分類されてしまうようです。まあ、『気』は異能なので当然といえば当然ですが」
「やっぱりチートだ!!」
「それでも遠くから銃で脳天を撃たれれば死にます」
「うん、それ多分たいていの奴が死ぬよな」

 まさか『俺TUEEEE』的な奴だったとは。

「他にも魔法である以上魔力が切れると使用できなくなるため長期戦や連戦には向きません。短期決戦が一番力を発揮できます」
「んでもやっぱ強力であることにかわりねーだろ」
「ですが私たち魔物にとってもっとも致命的なことがあります」
 うつむきがちにその『致命的』なことを話し始め―菅野の顔は蒼白になった。



―「そろそろ帰るか」
「あ、うん。そうだね」

 早乙女を伴って帰ろうとする彼方に自分たち以外の影が映る。

「おーっす、遅かったな」
「あ、菅野さん」
「……」

 ……おかしい。何かがおかしい。目の前にいる少女から不穏なものを感じる。しかしその正体がつかめない。

「……先に帰ったんじゃないのか?」
「いや、やっぱり薄情だったかなーって思って」
「……」

 何かが違う。言葉にできないモヤモヤが胸の中を渦巻く。菅野の皮を被り、菅野の声で菅野を装うナニカに寒気がするが、まったく気が付いていない早乙女はとりとめもない世間話を始めてしまう。

「そ、そういえば菅野さん。今日はク、クラスのみんなと一緒に帰らなかったんだね」
「ああ、彼方とちょーっと悪戯をな」
「……」

 沈黙。完全に菅野なのに一向に心の靄が晴れない彼方。

「な、何だよそんなに睨むなよ……。置いていこうとして悪かったよ」
「お前は誰だ」
「ちょ、彼方君どうしたの?」
「そーだぞ、どっか頭でもぶつけたのか?」
「かもしれない。少なくとも俺はお前と初めて会った気がする」

 突然のことに慌てふためく早乙女と、呆れているのか半眼で彼方を睨み付ける菅野。だが、観念したのか口を開く。

「はあ、しょーがねーなー。記憶喪失ごっこは今日限りだぜ?……コホン。えーっと『わたし』は菅野愛梨。好きな食べ物は―」
「……お前は誰だ」
「はぁ?何なんだよ……護もなんか言ってくれよ」
「……」
「早乙女。お前が感じた違和感は正しい。そいつの言葉に耳を貸すなよ」

 はじめは困った表情をしていた早乙女だったが、彼方が言おうとしている意図はしっかりと伝わったようだった。そう―

「自分を『俺』と言わないで『あたし』というお前は誰だ」
「ちょっとイメチェンしてみようかなーって思っただけじゃんかよ」
「なら」

 スッと手を差し出す彼方。あくまでも自分こそが菅野と言い張るこの不審者はきっとさっきの悪魔っ子と似たようなものだろう。少なくとも子供の目から見ても目の前にいる菅野愛梨の真似をしているやつの動き方や声、仕草一つをとってもその物まねは人間業ではない。

「なんだよ……手ぇ握れば信じてくれんのか」

 菅野は彼方の手を握り。驚愕に目を見開いた―



―「インキュバスに…なれない…!?」
「そうです」

 ありえない。本来ならあり得ない。そう、『本来』なら。

「男性が基本的にインキュバスになるためには私たち魔物の魔力に侵されることによって変化しますが、彼方にはそれが効かない」
「だ、だったら……魔力切れの時を狙って」
「それも無理でしょう。生き物はそもそもどれほど全力を尽くしても最後の最後では生きるためのブレーキをかけてしまう。これは意志の強さなどでどうにかできる代物ではありません」
「な、なら……」

 なにか他の方法がないかを考える。あらゆる異能の力や異形に完全な防御を持つものをインキュバスにする方法を……。

 別にインキュバスにする必要はない。ただ傍にいて、ともに暮らし、愛を確かめ合うことができればそれはきっと恋人として、夫婦として至上の喜びだと思う。

 だが、魔物は極めて長い時間を生きる。それはきっと時間という概念が無くなるほどに。魔女となった自分は生きる時間が人間とは文字通り桁が違う。このまま彼方と過ごしたとして、なにもしなければおよそ70年は一緒にいられるだろう。だがそのあとは?自分は70年なんて鼻で笑えるくらい生きることができる。でも……その70年で共に過ごし、築き、自分が感じた幸せは―きっとそのまま永遠に自分を縛り、悲しみの奈落に沈めるある種の呪いのようになるだろう。

 つまり、インキュバスになることができないというのは本来ならば誰も気にしない、想像すらもしない永遠の別れが確実に迫りくることを意味しているのだ。

「……俺は……」
「……残念ですが先ほども言ったように彼方の持つ固有魔法は百年に一人いるかいないかというほど希少な属性ですので、まともな記録もありませんし」

「少なくともここまで情報が出回っていないことを考えると過去にこの属性を持った人間は確実に寿命を迎え、死んでいます」
「……!」

 何とかしたい。何とかしたいが……少なくとも現状、何も措置の取りようがない。交わり続けたところで自分が魔女という魔物である以上魔力での干渉は行うことができない。……魔力での干渉を行うことができない?

「なぁ、もしかして……」
「気が付きましたか?そう魔力での干渉が行えないということはつまり、私たち魔物娘ならではの男性を落とす力も恐らく通用しないということです」

 重ねて告げられる絶望的な事実。魔物は通常見た目だけでも十分な魅力を持っているがさらに男を落とすためそれぞれの種族が様々な特徴を持っている。サキュバスならば高い魔力を用いた様々な誘惑の魔法を。ラミアならば男性を誘惑する魔力がこもった甘い声。他にも俺のような魔女ならばこのろりぼでぃで魅了し、主従契約を締結させ、使い魔にもできる。……する予定はないけど。目の前にいる白蛇こと白川ならば嫉妬の念によって生み出される炎のような魔力で自分に依存させて離れさせなくすることができる。

 つまりはそういった本来なら息を吸うようにできる数々の魔物として男性をモノにできる特権もなく、純粋な今の見た目と中身でしか勝負することができないということも意味する。

「……わかりましたか、私やあなたがどれほど困難で……険しい道を進もうとしているのかが」
「困難で険しいってんなら……あんたは諦めればいいじゃねーか」

 つい突っかかるような言い方をしてしまっているが、これほど状況は絶望的、頼れるものもいない状況である以上しょうがない。白川も察してくれているようで何も言ってこなかった。

「はあ、なんか……チートっていうよりもバグって感じだな……」
「あまり関心出来る表現ではないですが……おおむねその理解で間違いないでしょう」

 二人の乙女は答えの出ない、暗く、陰鬱とした未来を見据え……静かに微笑んだ―



―「えっと……だれ、だろう」
「知らない」

 先ほどまで彼方の手を握っていた菅野だったモノは姿を変え、今は真っ黒な少女になっていた。たとえるならば影のような少女。地味で小柄。早乙女以上に前髪を伸ばし、瞳は完全に隠れてしまっている。

「あ、あ、あの……わたし……」
「……もう遺書は作ってあるんだろうな?」
「ぴゃっ!」

 握る手に力を込め、ギリギリと締め上げる。なんか蒸発するようなジューッという音がするがこの際知ったことではない。

 なぜかイラついた。なんとなく菅野ではないことはわかっていたし、そもそも本物の菅野だったとしてもどうということはないが、菅野の姿を借りて、物まねまでされ、とても腹が立った。たとえるなら超ヘタクソな物まね芸人が自分が敬愛する人の物まねをして全然似てないのにさも似ているかのようにどや顔をしているぐらいムカついた。

「このまま手の骨粉々にしてやろうか……」
「ちょ、ちょっと彼方君!」

 不穏当なことを口にしたとたん早乙女が割って入る。いつもは大人しいのにどうしたんだ?

「あ、あの彼方君。この子もおびえてるし、そ、その……手の骨折ったらこの子の生活大変だよ!?」
「気にするところはそこか」

 あぅ、と二人してうめき声をあげる。なんか似た者同士だな。

「その……僕もうまく言えないけど……この子はそんなに悪い子じゃない……と思うんだ」
「少なくとも俺はそんな奴見たことがない。勝手に学校に入ってくるのは不審者だろ」
「も、もしかしたら誰かの妹かもしれないし……」

珍しく引き下がらない早乙女。なにか事情があるのか、それとも本当に誰かの妹なのか……。

「わかった、もう追求しない」
「え?」
「代わりにちゃんとそいつの姉だか兄と合流させてやれよ」
「う、うん」

 なんか手伝ってほしいオーラというか小動物オーラが出ているが無視する。これ以上帰りが遅くなるのは御免だし、自分でかばって、自分で背負った面倒ごとだ。もう俺の知ったことではない―



―目の前の小柄な男の子を見る。自分の手の骨を折る宣言をしてきた男の子と違い、小柄で、自分のように前髪で目が見えにくいけど、とても大きなかわいらしい目をしている。

 どうして彼は自分をかばってくれたのだろう。どうして彼の声は鈴のように響いて自分の心に入ってくるのだろう。目の前の彼が段々と愛しくなってきている自分がいる。

ああ、そうか。人を好きになるっていうのはこういうことなんだ。

彼方から何とか少女をかばった早乙女の行動は影のような少女―ドッペルゲンガーを恋に落とすには十分な行動だった。
17/02/01 02:26更新 / かすてら
戻る 次へ

■作者メッセージ
 最近インフルエンザが流行っているようですが皆さんいかがお過ごしですか?あれですよインフルエンザもちょっとお転婆な美少女だと思えば大丈……夫ではないですね、体の中で暴れられたら死んじゃいます。

 話は変わりますけど、強い能力には大きく分けて2種類あると思うんですよね。一つが制限が多い代わりに発動すれば無類の強さを発揮するタイプと、もう一つが汎用性があまりにも広いため、様々な応用でものすごく柔軟に戦えるタイプ。皆さんはどっちがお好きですか?

 ……コメントを長くしてどうする自分……。

NEXT STORY『影少女は夕暮れに恋をする その2』

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33