余韻
朝の日差しの中、我が愛機シュトルヒは草の絨毯の上で翼を広げていた。垂直尾翼の前でレミィナがホバリングし、彼女の紋章に白ペンキで加筆している。
鼻歌を口ずさみながら楽しそうに作業する彼女を見つつ、私はルージュ・シティでもらった保温壷を開けた。中から漂ってくる香りに、故郷の風景が思い浮かぶ。中身をひとつまみ取り出して口に含むと、その瞬間懐かしい酸味が口一杯に広がった。
「これだ……」
ザワークラウト。硬いキャベツを塩に漬けて乳酸発酵させた、祖国ドイツの伝統食。軍でもなじみ深い糧食だっただけに、この世界でもどうしても食べたかったのだ。発酵期間が長く感じたことと言ったら……。
「ヴェルナーの頭も塩漬けにすれば、少し柔らかくなるのかしら?」
悪戯っぽい声でレミィナが言う。
「もっと丁寧に扱ってください」
「じゃあ、わたしの蜜壷におちんちんを漬け込むしかないかな?」
「はいはい、これから毎晩楽しみにしております」
そんな会話をしているうちに、レミィナはすとんと地面に舞い降りた。
完成した彼女の紋章は、今までの時計の文字盤の背後に白い鳥のシルエットがあった。アスペクト比の大きい翼に長い首……コウノトリだ。
「どう?」
「かっこいいですよ。気品もある」
この新たな紋章は、私とレミィナが共に歩んでいくという誓いの印だ。紋章のコウノトリのように、私は常に彼女に寄り添うことになる。そして始まるのは永遠に続く、果てない旅だ。彼女の眷属になったからといって、私に角や翼が生えたわけではない。だがレミィナと同じ時間の船に乗ることはできたし、翼ならこのシュトルヒがある。
「さーて、サーカスの準備も手伝わなくちゃね」
「ええ。エコー隊長も忙しそうですし」
サーカスのテントにはすでに町の住民が詰めかけており、中にはクラウゼ氏の姿もある。もうすぐ開演だ。私も曲技飛行と、シュトルヒへの試乗体験を行うことになっている。
親衛隊の連中はやはり気の良い奴らだ。今朝はなんだかんだと言いながらも、私とレミィナを祝福してくれた。特にエコーは少し涙ぐんでさえいた。彼女達となら、いい戦友になれるだろう。
私の腕に尻尾を巻き付けて歩き出すレミィナを見て、ある言葉が口から出た。
「姫、愛しています」
「……それ、起きてから三回言ってるよ」
「姫がもっと言って欲しそうだったので」
「あ、分かる?」
照れくさそうな笑みを浮かべ、彼女は身を寄せてくる。
「かわいそうなヴェルナーは、わたしから逃げられなくなりましたとさ」
「いえ、私が姫を逃がさないのです」
そんなことを言いつつ、我々はエコーたちの元へ向かった。
……私は早く死ぬことを望んでいた。戦友も家族も全て喪い、故郷を蹂躙され、長生きするよりも空で誇り高く死ぬべきだと思っていた。この世界に来た後もそれは変わらなかったし、太く短く生きるのが航空兵だと信じていた。
だがレミィナと出会い、あの時計師の老人のことを聞き、初めて思った。人間は天寿を全うすべきなのだと。
レミィナの眷属となった今、私の天寿がどれほどなのかは当のレミィナでさえ分からない。以前なら退屈さへの絶望しか感じなかっただろうが、今ならずっと飛び続けられる自信がある。彼女と一緒になら、私はどこまでも飛べる。そしてコウノトリの翼で、誰かに幸せを運ぶこともできるかもしれない。
生きて祖国の土を踏めなかった戦友たち。
爆撃で死んだ家族。
収容所で死んでいった同族たち。
彼らのためにも。私は自分の時間を悔いなく、余す事なく使い切らなくてはならない。
愛しい悪魔の姫君と共に。
〜fin〜
鼻歌を口ずさみながら楽しそうに作業する彼女を見つつ、私はルージュ・シティでもらった保温壷を開けた。中から漂ってくる香りに、故郷の風景が思い浮かぶ。中身をひとつまみ取り出して口に含むと、その瞬間懐かしい酸味が口一杯に広がった。
「これだ……」
ザワークラウト。硬いキャベツを塩に漬けて乳酸発酵させた、祖国ドイツの伝統食。軍でもなじみ深い糧食だっただけに、この世界でもどうしても食べたかったのだ。発酵期間が長く感じたことと言ったら……。
「ヴェルナーの頭も塩漬けにすれば、少し柔らかくなるのかしら?」
悪戯っぽい声でレミィナが言う。
「もっと丁寧に扱ってください」
「じゃあ、わたしの蜜壷におちんちんを漬け込むしかないかな?」
「はいはい、これから毎晩楽しみにしております」
そんな会話をしているうちに、レミィナはすとんと地面に舞い降りた。
完成した彼女の紋章は、今までの時計の文字盤の背後に白い鳥のシルエットがあった。アスペクト比の大きい翼に長い首……コウノトリだ。
「どう?」
「かっこいいですよ。気品もある」
この新たな紋章は、私とレミィナが共に歩んでいくという誓いの印だ。紋章のコウノトリのように、私は常に彼女に寄り添うことになる。そして始まるのは永遠に続く、果てない旅だ。彼女の眷属になったからといって、私に角や翼が生えたわけではない。だがレミィナと同じ時間の船に乗ることはできたし、翼ならこのシュトルヒがある。
「さーて、サーカスの準備も手伝わなくちゃね」
「ええ。エコー隊長も忙しそうですし」
サーカスのテントにはすでに町の住民が詰めかけており、中にはクラウゼ氏の姿もある。もうすぐ開演だ。私も曲技飛行と、シュトルヒへの試乗体験を行うことになっている。
親衛隊の連中はやはり気の良い奴らだ。今朝はなんだかんだと言いながらも、私とレミィナを祝福してくれた。特にエコーは少し涙ぐんでさえいた。彼女達となら、いい戦友になれるだろう。
私の腕に尻尾を巻き付けて歩き出すレミィナを見て、ある言葉が口から出た。
「姫、愛しています」
「……それ、起きてから三回言ってるよ」
「姫がもっと言って欲しそうだったので」
「あ、分かる?」
照れくさそうな笑みを浮かべ、彼女は身を寄せてくる。
「かわいそうなヴェルナーは、わたしから逃げられなくなりましたとさ」
「いえ、私が姫を逃がさないのです」
そんなことを言いつつ、我々はエコーたちの元へ向かった。
……私は早く死ぬことを望んでいた。戦友も家族も全て喪い、故郷を蹂躙され、長生きするよりも空で誇り高く死ぬべきだと思っていた。この世界に来た後もそれは変わらなかったし、太く短く生きるのが航空兵だと信じていた。
だがレミィナと出会い、あの時計師の老人のことを聞き、初めて思った。人間は天寿を全うすべきなのだと。
レミィナの眷属となった今、私の天寿がどれほどなのかは当のレミィナでさえ分からない。以前なら退屈さへの絶望しか感じなかっただろうが、今ならずっと飛び続けられる自信がある。彼女と一緒になら、私はどこまでも飛べる。そしてコウノトリの翼で、誰かに幸せを運ぶこともできるかもしれない。
生きて祖国の土を踏めなかった戦友たち。
爆撃で死んだ家族。
収容所で死んでいった同族たち。
彼らのためにも。私は自分の時間を悔いなく、余す事なく使い切らなくてはならない。
愛しい悪魔の姫君と共に。
〜fin〜
12/09/08 22:39更新 / 空き缶号
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