第八話 『嬉し泣きをお裾分け』
カーリナたちを助けるのに時間を使ったため、日がすでに傾きかけていた。そうでなくても洋上飛行というのは神経がすり減る。山に衝突する心配は無いが、常に自分が本当に正しい方向へ飛んでいるのかという不安に襲われるのだ。私ほどの操縦士でも時折そのような錯覚に苛まれるが、計器や太陽の位置を確認し、下手に進路を変えないことが大切だ。幸い私が以前から使っていた腕時計型のコンパスなどはこの世界でも正常に動く。後は何度もこの海峡を自力で往復しているという、レミィナの経験を頼るべきだろう。
それにしてもこの海は地中海によく似ている。地図を見た限りは同じように陸に囲まれた海であり、レミィナ曰く教団と魔物の勢力が入り交じる混沌とした地帯とのことだ。貿易上重要な一体でもあるため、古来よりこの海を狙う多くの権力者や魔物、それらに歯向かう民衆などによる抗争が絶えなかったという。
「エスクーレという町ですが、飛行機で乗り付けたら大騒ぎになりませんか?」
今更ながら訊いておくことにした。いくら親魔物寄りの町だからと言っても、いきなり見慣れぬ乗り物が空からやってくればパニックになるだろう。初めてこの世界に来たときは燃料切れから町中に不時着したが、あのような騒ぎを毎回起こしたくはない。
「旅の魔物が利用する民宿があるの。町外れだからそこに降りれば目立たないよ」
シュトルヒが着陸するだけのスペースはある、とレミィナは付け加えた。話を聞く限りではルージュ・シティほど人間と魔物が入り交じって暮らしているわけではなく、魔物用の隠れ家のような宿も存在するようだ。
「なるほど。そこに泊まるのですね」
「うん。寝床だけだけど、晩ご飯は美味しい店がいくらでもあるから大丈夫」
滑らかな声で彼女は言う。確かにこれだけ奇麗な海があり、その上貿易の重要拠点であるのだから食事は期待してもよさそうだ。「昼食をしっかり食べて朝食と夕食は軽め」というライフスタイルのドイツ人としては、昼前に着きたかったところだが。
沈み行く太陽が、海を赤く染めていた。私の世界のと同じ、神々しく切ない美しさ。それも陸からではなく、海の上空という特等席から眺めるのだから感慨も大きい。飛行機乗りになってよかったと、心の底から思う瞬間だ。
ちらりと後ろを振り返ってみると、レミィナは愛用の懐中時計を布で拭いていた。文字盤が太陽光を反射して幻想的に輝いている。
「大事になさっていますね」
「子供の頃、大切な人からもらったの」
「逆回りには何か意味が?」
何気なく尋ねているうちに、陸が見えてきた。夕日の中で目を凝らし、緑に覆われた岬と、その先に見える広大な港町を確認する。まだ遠いが、ルージュ・シティよりも港の規模は大きいようで、大型の帆船らしきシルエットも多数見受けられた。
「んふふっ……そのうち教えてあげるよ」
レミィナが悪戯っぽく笑った瞬間、操縦桿に僅かな抵抗が感じられ、機体が揺れた。ペダルを僅かに踏み、操縦桿も微調整する。風が渦巻いているようだ、軽い機体なので流されないようにしなければ。
陸地に近づくにつれ、町の様子がはっきりと見て取れるようになってきた。やはり地中海のそれに似た美しい町並みに、港に並ぶ多数の帆船。教会のような建築物も見受けられる。海鳥がいないか注意しつつ、レミィナが指示した着陸地点を目指し降下していく。
「……『あれ』が宿ですか?」
「そう。結構シャレてるでしょ」
レミィナがそう評した『民宿』というのは、どう見ても座礁したガレー船だった。帆布はボロボロに破れ、長い間野ざらしにされていたことが上空からでも分かる。全長は五十メートルはあり、往時にはさぞかし立派な船だったのだろう。傾いた船体は一応碇やロープで固定されているようで、陸地から桟橋がかけられている。
「なるほど、いつ海の藻屑になるか分からないというスリルが味わえそうだ」
「ああ見えて魔法で防水されているから平気よ。嵐にも何度か耐えてるし」
魔法というのは何かと便利らしい。とりあえず私は上空を旋回し、着陸態勢に入った。下は起伏の少ない岩場で、シュトルヒの脚なら問題なく降りられるだろう。後は海鳥との衝突にだけ注意すればいい。
「揺れるのでご注意を」
姫に注意を促しつつフラップを降ろし、風下から低速で滑り込むように侵入。
接地。直後、岩場の凹凸で機体がガタガタと揺れる。不整地への着陸にも耐えうる設計だが、やはり何度やっても緊張するものだ。後ろに乗っているのが女性だと特に。
しかし向かい風ということもあり、ほどなくして速度は落ちた。ゆっくりと静止。
息を吐き、緊張が解れる。なかなか上手く着陸できた、自己評価で八十点くらいはつけていいと思う。難破船の方を見ると、甲板から何人かの女性がこちらを見下ろしていた。海面には人魚の姿も見える。魔王の紋章があるから敵と見なされることはなさそうだが、やはりこのような乗り物は初めて見るだろう。
「さて、チェックインしたら遊びにいきましょ」
……宿に改造された難破船の中は予想より奇麗だった。古びた船室ではあるがベッドは使用に耐えうるし、床も補強されており、腐った箇所を踏み抜いてしまうことは無さそうだ。航空兵は歩兵よりは優遇されていたとはいえ、戦場で粗末な寝床に慣れた私からすれば快適と言っていい。船の壁に文章が彫られていたり、往時の乗組員の遺品らしきパイプや割れた花瓶が残されているのが少し不気味だ。しかし祖国ではイギリス軍のモスキート爆撃機が就寝時間を狙って夜襲をしかけてきたことに比べれば、この程度の薄気味悪さが私の安眠を妨げる事にはなるまい。
むしろ問題なのは私とレミィナが相部屋で、ベッドが一つしかないということだが……私はその気になれば床だろうと砂の上だろうと操縦席だろうと三分で熟睡できる。敵の嫌がらせ夜襲を毎晩受けているうちに身に付いた悲しい特技だ。ベッドは姫君に譲り、従者は床にでも寝るとしよう。
民宿の管理人である人魚に挨拶を済ませた後、私とレミィナは町へ食事にでかけた。夜でも人通りは多いが、ルージュ・シティと違い人間の比率が遥かに多い。それも明らかに堅気ではなさそうな輩もうろついており、ここは美しい港町であっても決して楽園ではないことが分かる。レミィナはいつもの開けた胸元、丈の短いスカート、ニーソックスという服装だが、角や翼などは隠していた。
「そう言えば、あの資料をご友人に渡すのでしたね」
教団の研究施設から回収した、非人道的な実験の記録書。この町にいる彼女の友人に渡せば役立ててくれるだろう、と言うのだが、この町でそんなものをもらって喜ぶ奴といえばやはり堅気ではなさそうな気がする。実際彼女は父親から「悪い友達と付き合い過ぎ」と小言を食らったことがあるそうだし。
「明日にでも会って渡してくるよ。マフィア屋さんは夜忙しいかもしれないし」
「マフィア……ですか」
やはりこの町には悪徳が渦巻いているようだ。古来より余所者の侵略にさらされてきた土地に、そのような暴力組織が生まれるのは必然なのかもしれない。私の世界でもそうだった。だが私としてはそれよりも、何故彼女のような女性がそういった連中と付き合っているのかが気になる。
「確かに悪党だけど、善人とか悪人とかくだらない区別だと思う」
私の考えを読んだかのように、レミィナは言葉を続けた。
「友達付き合いしていて面白いかどうか。そのくらいよ」
「姫はいつも、面白いかつまらないかで物事を決めるように思えます」
「うん、そうした方が面白いからね」
レミィナは朗らかに笑みを浮かべる。道行く人々の大多数が彼女を振り返り、中には脚を止めて呆然と見入る者さえいた。本人曰く、これでも魅了の力は押さえ込んでいるというが、確かにそうしなければ普通に町を歩くことさえできないだろう。今でさえ赤い瞳を見つめていると、次第に正気が保てなくなりそうなくらいだ。
「なんていうか、スリルの無い生き方じゃつまらないって思わない?」
「……それは全面的に同意します」
こういう時、やはりこの女性とは気が合うように思えてしまう。私の求める飛行機乗りとしてのスリル嗜好と、レミィナの求めるそれとは違うかもしれない。だが退屈を極度に嫌うという点では、私と彼女には共通する部分があると言ってよいだろう。
ふと、小麦粉とチーズの焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐった。年季の入った石造りの店から漂ってくるその香りに、レミィナもまた心惹かれたらしい。歩を止め、逆回りの懐中時計をちらりと眺める。腹が減ってくる時間だ。
「ここのピッツァはかなり美味しいの。ここにしましょ」
「了解」
ピッツァ屋……アフリカからイタリアに転戦したとき、何度か行ったことがある。イタリア人は独立独歩の気風が強い民族だ、同盟国とはいえ我が者顔で町をのし歩く我々ドイツ兵に対し、町の住民はいい顔をしなかった。パルチザン(抵抗運動組織)に命を狙われたこともあったし、あまり思い出したくない記憶だ。
姫君と一緒に食事をするのに、そんな記憶は邪魔になるだけだ。捨て去ることは到底できないが、奥底の引き出しにしまい込み、私は店の門をくぐった。
「じゃ、これでお願い」
「へい、少々お待ちを!」
髭を生やした中年の店主が、威勢良く石窯の方へと歩んでいく。古風な(と言ってもこの世界では普通だろうが)内装の店はかなり昔から使われているようで、掃除はされていても壁などの色からそれが判断できた。中にいる客たちは料理を食べながら、チラチラとレミィナを観察しているようだ。
「……わたしの“友達”もこの店がお気に入りなの」
私の向かい側で、レミィナは微笑む。
「彼らが守ってきたからこそ続いてる、っていう古い店も結構あるのよ」
「その連中は魔物を受け入れているのですか?」
マフィアというのはその土地に根深く食い込む。この町は親魔物寄りだというし、実際魔物もいくらか住んでいるようだが、マフィアどもがそれを認めなくては平和には暮らせないはずだ。あるいは凶悪な犯罪組織でさえも、彼女たち魔物の魅力には勝てないのだろうか。むしろレミィナを前にして正気を保てる私が異常なのかもしれないが。
「昔はある程度距離を置いていたけど、今じゃ構成員にも魔物がいたり、首領が魔物の奥さんを持ったり……彼らが魔物側に着くことは明白になってる」
そう語り、彼女は少し切なそうな目で懐中時計を眺めた。ウェイターがグラスに食前酒を並々と注ぎ、やはりレミィナを見て頬を赤らめる。しかし彼女自身は、男のそのような反応を気に留めていなかった。
「ただ……首領のアレッシオは奥さんを本当に愛しているし、魔物の構成員もちゃんと仲間扱いされてる。でも彼らにとって、魔物側に着くのは単に『勝つ方に味方する』ってだけなの」
「勝つ方に……?」
「アレッシオたちはね、本当はわたしの母上も主神も、あまり好きじゃないのよ」
苦笑して酒を煽るレミィナ。私はビールが飲みたい気分だったが、とりあえず白ワインを一口飲む。フルーティーな香りと滑らかな喉越しである。
私には何となく、彼女の言っていることが分かった。この町のマフィアは不安定な情勢に対する、民衆の叫びとして生まれた『必要悪』なのだろう。町の生活を守るため、自らの手を汚して外敵を排除すべく団結した。そして首領・アレッシオなる人物がその精神を受け継いでいるならば、神であろうと魔王であろうと、権力の頂点に座る存在を良く思わないのも自然なことだ。
「母上は世界を根底から変えようとしてる。わたしもそれを望んでいるし、彼らも理解を示してはくれている。彼らは伝統とか、この町で昔から続いているものを守りたいだけなのよ」
「この町が魔物によって急激に変えられることを恐れていると?」
「そう。……ま、あいつらの考え方が古いだけだって言う人もいるけどね」
苦笑するレミィナだが、彼女の最後の言葉がどうにも引っかかった。私はたまたまこの世界に迷い込んだ人間であり、この世界の思想などにあまり深く干渉する気はない。しかし気に留めないことはできなかった。
「……飛行機は初飛行したときから旧式化が始まります。戦争中ともなれば敵軍より優れたものを戦場へ送るべく、次々に新型が開発されていきます」
旧式化しても第一線で使われる機体もあるにはあるが、それは基礎設計が優れていることに加え任務上代替の必要が無いか、後継機の開発が滞っているためだ。ちなみに愛機シュトルヒは前者であるが、それでも改良は行われている。
「開発者たちは古くなって退いた機体からも、次の飛行機を作るためのヒントや反省点を得ます。年老いた航空兵もまた、次の世代に自分の技術と誇りを伝えるのです」
レミィナは懐中時計を片手に、じっと私の話に聞き入っている。赤い瞳がしっかりと私の目を見据えており、不思議な緊張を感じた。
「私が飛べるようになったのは古いものを受け継ぎ、そこから新しいものへ繋げたからこそだと思っています。古いものが消えるのは必然かもしれませんが、古きが無ければ新しきも生まれません。古きを守ることは、決して愚かではないと思います」
……話終えた後、場に沈黙が流れた。この世界に来てから一番長く喋ったかもしれない。私自信が軍人として、飛行機乗りとして古臭い人間と言われてきただけに、どうにもこのような話題には口を出したくなってしまう。
私を見つめながら、レミィナは微笑を浮かべた。小さな花のような美しさ、だがいつもの微笑みとは何かが違う……そう思ったとき、彼女の目元に何かが光った。目尻から水滴が零れ落ち、頬を伝っていく。心臓が高鳴った。悪魔が涙を流すというのは一つの発見かもしれないが、今の彼女の表情は何によるものなのか分からない。泣いているのに悲しそうには見えない、不思議な姿だ。
「……何か悪いことを言いましたか?」
尋ねてみると、彼女は首を横に振った。
「……嬉しかったの。ヴェルナーがそう言ってくれて」
柔らかな笑みを浮かべ、レミィナは白い頬に伝う雫を指先ですくい取った。その指をゆっくりとこちらに差し出し……煌めいた雫が、私のワイングラスに滴る。ワインの水面に広がる波紋に、何故か見入ってしまう。
「嬉し泣きをお裾分け」
いつものように悪戯っぽい笑みを浮かべるレミィナ。またこうやって私をからかうつもりだろうか。しかしこの笑顔にも何となく違和感があった。いつもの滑らかで白い肌、絹の滝のような髪だが、一つだけ違う気配のする部位がある。
赤く妖しい光を放つ瞳。それが妙に熱を帯びた視線で私を見据えているのだ。思わず視線を逸らすと同時に、その瞳を以前にも見たことを思い出した。そう、魔力切れと騙されたときや、地下施設での戦いの中で分けも分からぬまま抜かれたときの、淫らな行為に及ぼうとする眼差しだ。
身構えたときにはもう遅かった。“何か”が、私のベルトを外し始めたのだ。
「姫……!」
大声でたしなめようとして、私ははっと息を飲んだ。ここは営業中の飲食店であり、他にも客がいるのだ。
幸いというべきか、テーブルクロスのおかげで私の下半身は隠れている。視線を落としてみると、何か黒い物が蠢いていた。いかなる材質でできているのかさえ判然としないが、それは明らかに女性の指の形をしており、私の男根を衣服の下から引きずりだそうとしているのだ。
「嬉し泣きついでに、気持ちよくしてあげる」
レミィナはにやにやと笑いながら、私の反応を楽しんでいた。今ここで周囲の人間に気づかれれば、当然彼女も恥をかくことになる。この姫は女性へのエチケットを本能レベルで刷り込まれている私が、周囲に助けを求めることができないと見越して行為に及んだのか。なんという悪辣なことだろう、まるで悪魔ではないか。ああ、悪魔か。
「……他の親衛隊員にもこういうことをやっているのですか?」
腰のワルサーPPを取ろうとする右手を左手で押さえつけ、私は苦し紛れに尋ねた。
「ヴェルナーだけ、って言ったらどうする?」
「……ちっ」
その返事を聞いて確信した。私は彼女にとって、最もからかい甲斐のある存在になっているのだろう。これで親衛隊の先輩に会ったとき最初にすることが決まった。このスケベ王女の監視態勢を大至急整えるよう意見具申せねば。
「むぅ。舌打ちすることないじゃない。わたしは徹底的に辱めてやりたい奴か、凄く気に入った人としかこういうことはしないよ」
レミィナが小声で拗ねた瞬間、外気にさらされた男根に別の感触を覚えた。先ほどの黒い手ではない。何かすべすべとした、布に包まれた物が当たっている。
「こんな風に……足でおちんちんをこねくり回したりなんかね」
「ッ……!」
ニーソックスに包まれた足がテーブルの下で、男根を撫で回していく。このような意味の分からないことをされているにも関わらず、私の男根はその刺激に反応してしまった。男の体というのはこうも単純なものなのか。我ながら情けなくなってくる。
膨張し始めた竿が足の裏に挟まれた。そのまま器用に、上下にしごかれる。
「普通なら屈辱よね、ヴェルナーみたいな人にとっては。でもわたしは魔物だから……」
男根の感触を確かめるように、ゆっくりと足でさすられる。
「これでもちゃんと、気持ちよくできるのよ」
脚の指で緩急をつけて握られ、竿がぴくりと震える。
「我慢してもいいけど……射精するまで止めてあげないからね」
「この……!」
私の抗議の呻きさえも、彼女は面白がっているかのようだった。無駄な抵抗は止めろという言葉があるが、今の宣告はつまり「いくら抵抗しようとねじ伏せる」ということだ。むしろ抵抗せず、彼女の望み通り射精してしまうべきではないかとさえ考えてしまう。しかし私はあくまでも『御者』として、彼女に近づきすぎてはならないのだ。誰に言われたわけでもないが、そこまで密な関係になってはならない。彼女にとっては遊びでも……。
だがそのような私の葛藤も無駄と言ってよかった。レミィナの足は巧みに、的確に快楽を与えてくる。口でしゃぶられたときのように、自慰を見せつけられながら手で弄られたときのように、結局この悪魔の姫君には勝てないのだと思い知ってしまった。
「うっ……」
私が竿への刺激で高まってくると、今度はつま先で亀頭をつつき回された。軽く弾かれるように刺激されたかと思えば、両足の親指で先端部分を挟まれる。そのままぐりぐりとこね回され、男根から先走り液が出るのが自分でも分かった。
そうやって器用に快感を与えられると、ふいに無造作に男根を踏まれる。レミィナの体は足の裏まで柔らかで、力を抜いたり入れたりを繰り返されると、えも言われぬ快楽が広がってきた。彼女は全身が淫らな機能を備えているかのようだ。いや、実際のところその通りなのだろう。そうやって生きる悪魔なのだから。
「く……ッ!」
「わたしの足、もうベトベトになってきたよ……」
くすくすと笑いながら、周りに聞こえない程度の声量でレミィナは囁いた。その言葉通り、ニーソックスに男根の汁が染み込み、ぬるぬるとした感触の足が股間部を這い回っている。変わっていく刺激に翻弄され、元々耐える気力があまり無かっただけにもう追いつめられている。彼女に抜かれるのが三回目のせいで、体が彼女からの刺激を覚えてしまったのかもしれない。そう考えると得体の知れない恐怖が湧いてきたが、それの正体は全く分からない。
そもそも、何のための自重なのだ……?
「出そう? じゃあ仕上げに……ぎゅっ♥」
「ぐぁっ……!」
私は辛うじて悲鳴を封じ込めた。だがその代わり、男根が悲鳴を上げることになった。亀頭部分が足の指で『握られた』のである。柔らかな刺激で高められたところに強い刺激を受け、風船が割れるように快感の印が迸った。こみ上げてくる恍惚感。吐き出したそれは彼女の足に受け止められ、最後の一滴まで搾り出されていく。
やがて快楽を伴う気だるさがこみ上げてきたとき、私は改めて敗北を実感した。レミィナの足は尚も股間部を這い回り、精液をニーソックスで拭き取っている。
「へいお待ち。熱いうちに食いな」
目の前にいきなり、香ばしい匂いのピッツァが置かれた。生地の上でとろけたチーズの白、トマトの赤が目に眩しい。レミィナは心底幸せそうに笑った。
「来た来た! これが美味しいのよ、本当に」
「ガハハ、可愛いお嬢さんに褒められるとやる気もでるってもんだ!」
豪快に笑う中年シェフは、太い腕で私の肩を荒っぽく叩いた。
「色男、なんか疲れてるみたいだが、ガツッと食って元気出しな! とびっきりの美女と一緒なんだからよ!」
「……どうも」
そのとびっきりの美女のせいで疲労したのだと言ってやりたい。それと前にも言ったが、ドイツ人としてはガツッと食うのは昼食にしたかった。
そんな私を他所に、レミィナは鼻歌を歌いながらピッツァを切り分けている。今の疲労と羞恥を消し去るには、シェフのアドバイスに大人しく従うのが懸命だろう。半ば自棄になりつつ、自分のピッツァを一口分切って口に運んだ。熱さで口の中の皮が剥けそうになるのにも構わず、咀嚼し、味わい、飲み下す。最高に美味な焼け石を飲み込んだ気分だ。
「美味しいでしょ?」
「ええ、最高ですよ」
正直に答えながら、私は自棄食いを続けた。とりあえず当面の問題は宿に帰った後、この悪戯好きの王女と同じ部屋で、希望通りに床で寝ることができるかということだ。
レミィナの涙が混ざったワインは、心なしか彼女の香りがした。
それにしてもこの海は地中海によく似ている。地図を見た限りは同じように陸に囲まれた海であり、レミィナ曰く教団と魔物の勢力が入り交じる混沌とした地帯とのことだ。貿易上重要な一体でもあるため、古来よりこの海を狙う多くの権力者や魔物、それらに歯向かう民衆などによる抗争が絶えなかったという。
「エスクーレという町ですが、飛行機で乗り付けたら大騒ぎになりませんか?」
今更ながら訊いておくことにした。いくら親魔物寄りの町だからと言っても、いきなり見慣れぬ乗り物が空からやってくればパニックになるだろう。初めてこの世界に来たときは燃料切れから町中に不時着したが、あのような騒ぎを毎回起こしたくはない。
「旅の魔物が利用する民宿があるの。町外れだからそこに降りれば目立たないよ」
シュトルヒが着陸するだけのスペースはある、とレミィナは付け加えた。話を聞く限りではルージュ・シティほど人間と魔物が入り交じって暮らしているわけではなく、魔物用の隠れ家のような宿も存在するようだ。
「なるほど。そこに泊まるのですね」
「うん。寝床だけだけど、晩ご飯は美味しい店がいくらでもあるから大丈夫」
滑らかな声で彼女は言う。確かにこれだけ奇麗な海があり、その上貿易の重要拠点であるのだから食事は期待してもよさそうだ。「昼食をしっかり食べて朝食と夕食は軽め」というライフスタイルのドイツ人としては、昼前に着きたかったところだが。
沈み行く太陽が、海を赤く染めていた。私の世界のと同じ、神々しく切ない美しさ。それも陸からではなく、海の上空という特等席から眺めるのだから感慨も大きい。飛行機乗りになってよかったと、心の底から思う瞬間だ。
ちらりと後ろを振り返ってみると、レミィナは愛用の懐中時計を布で拭いていた。文字盤が太陽光を反射して幻想的に輝いている。
「大事になさっていますね」
「子供の頃、大切な人からもらったの」
「逆回りには何か意味が?」
何気なく尋ねているうちに、陸が見えてきた。夕日の中で目を凝らし、緑に覆われた岬と、その先に見える広大な港町を確認する。まだ遠いが、ルージュ・シティよりも港の規模は大きいようで、大型の帆船らしきシルエットも多数見受けられた。
「んふふっ……そのうち教えてあげるよ」
レミィナが悪戯っぽく笑った瞬間、操縦桿に僅かな抵抗が感じられ、機体が揺れた。ペダルを僅かに踏み、操縦桿も微調整する。風が渦巻いているようだ、軽い機体なので流されないようにしなければ。
陸地に近づくにつれ、町の様子がはっきりと見て取れるようになってきた。やはり地中海のそれに似た美しい町並みに、港に並ぶ多数の帆船。教会のような建築物も見受けられる。海鳥がいないか注意しつつ、レミィナが指示した着陸地点を目指し降下していく。
「……『あれ』が宿ですか?」
「そう。結構シャレてるでしょ」
レミィナがそう評した『民宿』というのは、どう見ても座礁したガレー船だった。帆布はボロボロに破れ、長い間野ざらしにされていたことが上空からでも分かる。全長は五十メートルはあり、往時にはさぞかし立派な船だったのだろう。傾いた船体は一応碇やロープで固定されているようで、陸地から桟橋がかけられている。
「なるほど、いつ海の藻屑になるか分からないというスリルが味わえそうだ」
「ああ見えて魔法で防水されているから平気よ。嵐にも何度か耐えてるし」
魔法というのは何かと便利らしい。とりあえず私は上空を旋回し、着陸態勢に入った。下は起伏の少ない岩場で、シュトルヒの脚なら問題なく降りられるだろう。後は海鳥との衝突にだけ注意すればいい。
「揺れるのでご注意を」
姫に注意を促しつつフラップを降ろし、風下から低速で滑り込むように侵入。
接地。直後、岩場の凹凸で機体がガタガタと揺れる。不整地への着陸にも耐えうる設計だが、やはり何度やっても緊張するものだ。後ろに乗っているのが女性だと特に。
しかし向かい風ということもあり、ほどなくして速度は落ちた。ゆっくりと静止。
息を吐き、緊張が解れる。なかなか上手く着陸できた、自己評価で八十点くらいはつけていいと思う。難破船の方を見ると、甲板から何人かの女性がこちらを見下ろしていた。海面には人魚の姿も見える。魔王の紋章があるから敵と見なされることはなさそうだが、やはりこのような乗り物は初めて見るだろう。
「さて、チェックインしたら遊びにいきましょ」
……宿に改造された難破船の中は予想より奇麗だった。古びた船室ではあるがベッドは使用に耐えうるし、床も補強されており、腐った箇所を踏み抜いてしまうことは無さそうだ。航空兵は歩兵よりは優遇されていたとはいえ、戦場で粗末な寝床に慣れた私からすれば快適と言っていい。船の壁に文章が彫られていたり、往時の乗組員の遺品らしきパイプや割れた花瓶が残されているのが少し不気味だ。しかし祖国ではイギリス軍のモスキート爆撃機が就寝時間を狙って夜襲をしかけてきたことに比べれば、この程度の薄気味悪さが私の安眠を妨げる事にはなるまい。
むしろ問題なのは私とレミィナが相部屋で、ベッドが一つしかないということだが……私はその気になれば床だろうと砂の上だろうと操縦席だろうと三分で熟睡できる。敵の嫌がらせ夜襲を毎晩受けているうちに身に付いた悲しい特技だ。ベッドは姫君に譲り、従者は床にでも寝るとしよう。
民宿の管理人である人魚に挨拶を済ませた後、私とレミィナは町へ食事にでかけた。夜でも人通りは多いが、ルージュ・シティと違い人間の比率が遥かに多い。それも明らかに堅気ではなさそうな輩もうろついており、ここは美しい港町であっても決して楽園ではないことが分かる。レミィナはいつもの開けた胸元、丈の短いスカート、ニーソックスという服装だが、角や翼などは隠していた。
「そう言えば、あの資料をご友人に渡すのでしたね」
教団の研究施設から回収した、非人道的な実験の記録書。この町にいる彼女の友人に渡せば役立ててくれるだろう、と言うのだが、この町でそんなものをもらって喜ぶ奴といえばやはり堅気ではなさそうな気がする。実際彼女は父親から「悪い友達と付き合い過ぎ」と小言を食らったことがあるそうだし。
「明日にでも会って渡してくるよ。マフィア屋さんは夜忙しいかもしれないし」
「マフィア……ですか」
やはりこの町には悪徳が渦巻いているようだ。古来より余所者の侵略にさらされてきた土地に、そのような暴力組織が生まれるのは必然なのかもしれない。私の世界でもそうだった。だが私としてはそれよりも、何故彼女のような女性がそういった連中と付き合っているのかが気になる。
「確かに悪党だけど、善人とか悪人とかくだらない区別だと思う」
私の考えを読んだかのように、レミィナは言葉を続けた。
「友達付き合いしていて面白いかどうか。そのくらいよ」
「姫はいつも、面白いかつまらないかで物事を決めるように思えます」
「うん、そうした方が面白いからね」
レミィナは朗らかに笑みを浮かべる。道行く人々の大多数が彼女を振り返り、中には脚を止めて呆然と見入る者さえいた。本人曰く、これでも魅了の力は押さえ込んでいるというが、確かにそうしなければ普通に町を歩くことさえできないだろう。今でさえ赤い瞳を見つめていると、次第に正気が保てなくなりそうなくらいだ。
「なんていうか、スリルの無い生き方じゃつまらないって思わない?」
「……それは全面的に同意します」
こういう時、やはりこの女性とは気が合うように思えてしまう。私の求める飛行機乗りとしてのスリル嗜好と、レミィナの求めるそれとは違うかもしれない。だが退屈を極度に嫌うという点では、私と彼女には共通する部分があると言ってよいだろう。
ふと、小麦粉とチーズの焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐった。年季の入った石造りの店から漂ってくるその香りに、レミィナもまた心惹かれたらしい。歩を止め、逆回りの懐中時計をちらりと眺める。腹が減ってくる時間だ。
「ここのピッツァはかなり美味しいの。ここにしましょ」
「了解」
ピッツァ屋……アフリカからイタリアに転戦したとき、何度か行ったことがある。イタリア人は独立独歩の気風が強い民族だ、同盟国とはいえ我が者顔で町をのし歩く我々ドイツ兵に対し、町の住民はいい顔をしなかった。パルチザン(抵抗運動組織)に命を狙われたこともあったし、あまり思い出したくない記憶だ。
姫君と一緒に食事をするのに、そんな記憶は邪魔になるだけだ。捨て去ることは到底できないが、奥底の引き出しにしまい込み、私は店の門をくぐった。
「じゃ、これでお願い」
「へい、少々お待ちを!」
髭を生やした中年の店主が、威勢良く石窯の方へと歩んでいく。古風な(と言ってもこの世界では普通だろうが)内装の店はかなり昔から使われているようで、掃除はされていても壁などの色からそれが判断できた。中にいる客たちは料理を食べながら、チラチラとレミィナを観察しているようだ。
「……わたしの“友達”もこの店がお気に入りなの」
私の向かい側で、レミィナは微笑む。
「彼らが守ってきたからこそ続いてる、っていう古い店も結構あるのよ」
「その連中は魔物を受け入れているのですか?」
マフィアというのはその土地に根深く食い込む。この町は親魔物寄りだというし、実際魔物もいくらか住んでいるようだが、マフィアどもがそれを認めなくては平和には暮らせないはずだ。あるいは凶悪な犯罪組織でさえも、彼女たち魔物の魅力には勝てないのだろうか。むしろレミィナを前にして正気を保てる私が異常なのかもしれないが。
「昔はある程度距離を置いていたけど、今じゃ構成員にも魔物がいたり、首領が魔物の奥さんを持ったり……彼らが魔物側に着くことは明白になってる」
そう語り、彼女は少し切なそうな目で懐中時計を眺めた。ウェイターがグラスに食前酒を並々と注ぎ、やはりレミィナを見て頬を赤らめる。しかし彼女自身は、男のそのような反応を気に留めていなかった。
「ただ……首領のアレッシオは奥さんを本当に愛しているし、魔物の構成員もちゃんと仲間扱いされてる。でも彼らにとって、魔物側に着くのは単に『勝つ方に味方する』ってだけなの」
「勝つ方に……?」
「アレッシオたちはね、本当はわたしの母上も主神も、あまり好きじゃないのよ」
苦笑して酒を煽るレミィナ。私はビールが飲みたい気分だったが、とりあえず白ワインを一口飲む。フルーティーな香りと滑らかな喉越しである。
私には何となく、彼女の言っていることが分かった。この町のマフィアは不安定な情勢に対する、民衆の叫びとして生まれた『必要悪』なのだろう。町の生活を守るため、自らの手を汚して外敵を排除すべく団結した。そして首領・アレッシオなる人物がその精神を受け継いでいるならば、神であろうと魔王であろうと、権力の頂点に座る存在を良く思わないのも自然なことだ。
「母上は世界を根底から変えようとしてる。わたしもそれを望んでいるし、彼らも理解を示してはくれている。彼らは伝統とか、この町で昔から続いているものを守りたいだけなのよ」
「この町が魔物によって急激に変えられることを恐れていると?」
「そう。……ま、あいつらの考え方が古いだけだって言う人もいるけどね」
苦笑するレミィナだが、彼女の最後の言葉がどうにも引っかかった。私はたまたまこの世界に迷い込んだ人間であり、この世界の思想などにあまり深く干渉する気はない。しかし気に留めないことはできなかった。
「……飛行機は初飛行したときから旧式化が始まります。戦争中ともなれば敵軍より優れたものを戦場へ送るべく、次々に新型が開発されていきます」
旧式化しても第一線で使われる機体もあるにはあるが、それは基礎設計が優れていることに加え任務上代替の必要が無いか、後継機の開発が滞っているためだ。ちなみに愛機シュトルヒは前者であるが、それでも改良は行われている。
「開発者たちは古くなって退いた機体からも、次の飛行機を作るためのヒントや反省点を得ます。年老いた航空兵もまた、次の世代に自分の技術と誇りを伝えるのです」
レミィナは懐中時計を片手に、じっと私の話に聞き入っている。赤い瞳がしっかりと私の目を見据えており、不思議な緊張を感じた。
「私が飛べるようになったのは古いものを受け継ぎ、そこから新しいものへ繋げたからこそだと思っています。古いものが消えるのは必然かもしれませんが、古きが無ければ新しきも生まれません。古きを守ることは、決して愚かではないと思います」
……話終えた後、場に沈黙が流れた。この世界に来てから一番長く喋ったかもしれない。私自信が軍人として、飛行機乗りとして古臭い人間と言われてきただけに、どうにもこのような話題には口を出したくなってしまう。
私を見つめながら、レミィナは微笑を浮かべた。小さな花のような美しさ、だがいつもの微笑みとは何かが違う……そう思ったとき、彼女の目元に何かが光った。目尻から水滴が零れ落ち、頬を伝っていく。心臓が高鳴った。悪魔が涙を流すというのは一つの発見かもしれないが、今の彼女の表情は何によるものなのか分からない。泣いているのに悲しそうには見えない、不思議な姿だ。
「……何か悪いことを言いましたか?」
尋ねてみると、彼女は首を横に振った。
「……嬉しかったの。ヴェルナーがそう言ってくれて」
柔らかな笑みを浮かべ、レミィナは白い頬に伝う雫を指先ですくい取った。その指をゆっくりとこちらに差し出し……煌めいた雫が、私のワイングラスに滴る。ワインの水面に広がる波紋に、何故か見入ってしまう。
「嬉し泣きをお裾分け」
いつものように悪戯っぽい笑みを浮かべるレミィナ。またこうやって私をからかうつもりだろうか。しかしこの笑顔にも何となく違和感があった。いつもの滑らかで白い肌、絹の滝のような髪だが、一つだけ違う気配のする部位がある。
赤く妖しい光を放つ瞳。それが妙に熱を帯びた視線で私を見据えているのだ。思わず視線を逸らすと同時に、その瞳を以前にも見たことを思い出した。そう、魔力切れと騙されたときや、地下施設での戦いの中で分けも分からぬまま抜かれたときの、淫らな行為に及ぼうとする眼差しだ。
身構えたときにはもう遅かった。“何か”が、私のベルトを外し始めたのだ。
「姫……!」
大声でたしなめようとして、私ははっと息を飲んだ。ここは営業中の飲食店であり、他にも客がいるのだ。
幸いというべきか、テーブルクロスのおかげで私の下半身は隠れている。視線を落としてみると、何か黒い物が蠢いていた。いかなる材質でできているのかさえ判然としないが、それは明らかに女性の指の形をしており、私の男根を衣服の下から引きずりだそうとしているのだ。
「嬉し泣きついでに、気持ちよくしてあげる」
レミィナはにやにやと笑いながら、私の反応を楽しんでいた。今ここで周囲の人間に気づかれれば、当然彼女も恥をかくことになる。この姫は女性へのエチケットを本能レベルで刷り込まれている私が、周囲に助けを求めることができないと見越して行為に及んだのか。なんという悪辣なことだろう、まるで悪魔ではないか。ああ、悪魔か。
「……他の親衛隊員にもこういうことをやっているのですか?」
腰のワルサーPPを取ろうとする右手を左手で押さえつけ、私は苦し紛れに尋ねた。
「ヴェルナーだけ、って言ったらどうする?」
「……ちっ」
その返事を聞いて確信した。私は彼女にとって、最もからかい甲斐のある存在になっているのだろう。これで親衛隊の先輩に会ったとき最初にすることが決まった。このスケベ王女の監視態勢を大至急整えるよう意見具申せねば。
「むぅ。舌打ちすることないじゃない。わたしは徹底的に辱めてやりたい奴か、凄く気に入った人としかこういうことはしないよ」
レミィナが小声で拗ねた瞬間、外気にさらされた男根に別の感触を覚えた。先ほどの黒い手ではない。何かすべすべとした、布に包まれた物が当たっている。
「こんな風に……足でおちんちんをこねくり回したりなんかね」
「ッ……!」
ニーソックスに包まれた足がテーブルの下で、男根を撫で回していく。このような意味の分からないことをされているにも関わらず、私の男根はその刺激に反応してしまった。男の体というのはこうも単純なものなのか。我ながら情けなくなってくる。
膨張し始めた竿が足の裏に挟まれた。そのまま器用に、上下にしごかれる。
「普通なら屈辱よね、ヴェルナーみたいな人にとっては。でもわたしは魔物だから……」
男根の感触を確かめるように、ゆっくりと足でさすられる。
「これでもちゃんと、気持ちよくできるのよ」
脚の指で緩急をつけて握られ、竿がぴくりと震える。
「我慢してもいいけど……射精するまで止めてあげないからね」
「この……!」
私の抗議の呻きさえも、彼女は面白がっているかのようだった。無駄な抵抗は止めろという言葉があるが、今の宣告はつまり「いくら抵抗しようとねじ伏せる」ということだ。むしろ抵抗せず、彼女の望み通り射精してしまうべきではないかとさえ考えてしまう。しかし私はあくまでも『御者』として、彼女に近づきすぎてはならないのだ。誰に言われたわけでもないが、そこまで密な関係になってはならない。彼女にとっては遊びでも……。
だがそのような私の葛藤も無駄と言ってよかった。レミィナの足は巧みに、的確に快楽を与えてくる。口でしゃぶられたときのように、自慰を見せつけられながら手で弄られたときのように、結局この悪魔の姫君には勝てないのだと思い知ってしまった。
「うっ……」
私が竿への刺激で高まってくると、今度はつま先で亀頭をつつき回された。軽く弾かれるように刺激されたかと思えば、両足の親指で先端部分を挟まれる。そのままぐりぐりとこね回され、男根から先走り液が出るのが自分でも分かった。
そうやって器用に快感を与えられると、ふいに無造作に男根を踏まれる。レミィナの体は足の裏まで柔らかで、力を抜いたり入れたりを繰り返されると、えも言われぬ快楽が広がってきた。彼女は全身が淫らな機能を備えているかのようだ。いや、実際のところその通りなのだろう。そうやって生きる悪魔なのだから。
「く……ッ!」
「わたしの足、もうベトベトになってきたよ……」
くすくすと笑いながら、周りに聞こえない程度の声量でレミィナは囁いた。その言葉通り、ニーソックスに男根の汁が染み込み、ぬるぬるとした感触の足が股間部を這い回っている。変わっていく刺激に翻弄され、元々耐える気力があまり無かっただけにもう追いつめられている。彼女に抜かれるのが三回目のせいで、体が彼女からの刺激を覚えてしまったのかもしれない。そう考えると得体の知れない恐怖が湧いてきたが、それの正体は全く分からない。
そもそも、何のための自重なのだ……?
「出そう? じゃあ仕上げに……ぎゅっ♥」
「ぐぁっ……!」
私は辛うじて悲鳴を封じ込めた。だがその代わり、男根が悲鳴を上げることになった。亀頭部分が足の指で『握られた』のである。柔らかな刺激で高められたところに強い刺激を受け、風船が割れるように快感の印が迸った。こみ上げてくる恍惚感。吐き出したそれは彼女の足に受け止められ、最後の一滴まで搾り出されていく。
やがて快楽を伴う気だるさがこみ上げてきたとき、私は改めて敗北を実感した。レミィナの足は尚も股間部を這い回り、精液をニーソックスで拭き取っている。
「へいお待ち。熱いうちに食いな」
目の前にいきなり、香ばしい匂いのピッツァが置かれた。生地の上でとろけたチーズの白、トマトの赤が目に眩しい。レミィナは心底幸せそうに笑った。
「来た来た! これが美味しいのよ、本当に」
「ガハハ、可愛いお嬢さんに褒められるとやる気もでるってもんだ!」
豪快に笑う中年シェフは、太い腕で私の肩を荒っぽく叩いた。
「色男、なんか疲れてるみたいだが、ガツッと食って元気出しな! とびっきりの美女と一緒なんだからよ!」
「……どうも」
そのとびっきりの美女のせいで疲労したのだと言ってやりたい。それと前にも言ったが、ドイツ人としてはガツッと食うのは昼食にしたかった。
そんな私を他所に、レミィナは鼻歌を歌いながらピッツァを切り分けている。今の疲労と羞恥を消し去るには、シェフのアドバイスに大人しく従うのが懸命だろう。半ば自棄になりつつ、自分のピッツァを一口分切って口に運んだ。熱さで口の中の皮が剥けそうになるのにも構わず、咀嚼し、味わい、飲み下す。最高に美味な焼け石を飲み込んだ気分だ。
「美味しいでしょ?」
「ええ、最高ですよ」
正直に答えながら、私は自棄食いを続けた。とりあえず当面の問題は宿に帰った後、この悪戯好きの王女と同じ部屋で、希望通りに床で寝ることができるかということだ。
レミィナの涙が混ざったワインは、心なしか彼女の香りがした。
12/05/21 06:18更新 / 空き缶号
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