第五話 『キャベツ頭ということは自覚していますが』
「姫、眩しくないですか?」
「平気よ」
ガラス張りの操縦席に陽光が差し込む中、悪魔の王女は穏やかに応えた。私の操縦の下、シュトルヒは海岸の上を飛ぶ。打ち寄せる波が陽光に煌めき、ガラス張りの操縦席にも温かな光が差し込んでいるが、闇から生まれた悪魔であるにも関わらずレミィナは元気そうだ。心なしか我が愛機も調子が良く、この旅を喜んでいるような気がする。
「んふふっ。ヴェルナーって結構紳士よね」
「女性への配慮は欠かすな。両親から教わった通りにしているだけですよ」
イタリア人のように歯の浮くような台詞を言うわけでもないのだし、私からすればこのくらい当然のことだ。褒められる理由にもならない。
さて、我々の目的地はトーラガルドという、レミィナが幼い頃住んでいた町だ。勿論出発前に飛行計画を立ててある。まずルージュ・シティから海岸に沿って北東へ飛び、海峡を横断してエスクーレ・シティという港町で補給を行う。エスクーレまでは魔物と教団の勢力圏が重なり合う『複合戦線』であり、平和なルージュ・シティも外ではゲリラ戦を展開しているとのことだ。今のところ、魔物側が優勢だという。
そこから先は魔物の勢力の強い地域だが、それでもやはり教団による侵攻が散発的に行われているらしい。トーラガルドもそこにある。教団とやらはどうしても魔物を殲滅したいようだが、違う生き物同士で憎み合えるうちは私の世界よりはマシだろう。むしろ人間だけの世界がどれだけ悲惨なことか。
「ところで、親衛隊は私以外に何人いるのです?」
「五十人くらい」
やや大雑把にレミィナは答えた。親衛隊は普段レミィナと別行動を取っており、必要に応じて合流するらしい。今回の合流場所はトーラガルドとのことだが、親衛隊という言葉に良いイメージの無い私は会うのがやや不安である。もっとも彼女の親衛隊で、あの領主リライアが隊長を務めていたのだから、祖国の武装親衛隊のようなクソ野郎共とは思えないが。
「前は二百人くらいいたんだけど、その殆どがルージュ・シティを作るためにリライアが集めた人材でね。人材コレクターなのよ、彼女」
「つまり、姫もあの町を建てるのに協力したことになりますね」
私の言葉に、彼女は「まあね」と笑う。彼女は後ろにいるため顔は見えないが、声に鈴のような笑い声が混じっていた。
「わたしもリライアの作る町が見てみたかったの。なんていうか、わたしより彼女の方が人の上に立つ器がありそうだし。ヴェルナーもそう思ってるんじゃない?」
反応を試すかのような口調だったが、ここで咄嗟に面白いことを言えるほどのユーモアセンスは無い。なので機体を浅くバンクさせつつ、正直な感想を口にした。
「姫には姫の良さがあると思います」
「それも配慮?」
「私は配慮はできても、お世辞は言えない男です」
女性に敬意を払うのは当然として、へりくだる筋合いは無い。男に対しても同様なので、血筋を明かさなくとも私を嫌う上官も多かった。飛行機学校時代は戦闘機かせめて急降下爆撃機を志望していたのに、偵察や連絡用であるシュトルヒのパイロットを命じられたのもそのせいかも知れない。とはいえ今ではこの機体に愛着を持っているし、下手に出世でもしたら地上勤務が増えるので、飛行機にさえ乗れれば後は何でも良かった。
そして、私の言う褒め言葉は全て本心からだ。
「んふふっ、確かに不器用そう。でも曲がったことは嫌いで実直なタイプよね、ヴェルナーは」
「私自身はひねくれ者とよく言われますがね」
言いながら、私は前方を凝視した。陸地が途切れ、微かに海のラインが見える。あれがエスクーレ海峡だろう。それほど長い距離ではないというが、救命胴衣も持たずに洋上飛行するのはやはり不安だ。それでもレミィナがいると、何とかなりそうな気がして困る。
「ところで姫は悪魔ですから、真面目で誠実な人間や聖者様をそそのかして、堕落の道に引きずり込んだりするのですか?」
「するよ」
事も無げに、レミィナは答えた。
「特に女の子なら、わたしたちと同じ魔物にできちゃうしね」
「ああ、そう言えば」
彼女の母……魔王の計画では、人間の女性は全て魔物に変えるそうだ。女などというのは元から男を惑わすようにできているのだし、私からすれば本物の魔物になったところで対して変わらない。だが教団とやらがそれに強い反感を持っているのも理解はできる。
「ま、わたしはやるかやらないかを含めて、割と適当だけどね。女の子を徹底的に調教して、骨の髄まで魔物にしちゃう姉上もいるけど」
「動物扱いですか」
「あ、いや、調教っていうのはそういう意味じゃなくて」
レミィナが珍しくしどろもどろな口調になる。私が何か余計なことでも言ったのだろうか。人間同士でさえ優越民族と劣等民族を決めて他者を見下したがるのだから、彼女たち魔物が人間を見下していても特に違和感はないのだが。とはいえ私は彼女たちのことを何も知らないに等しいのだし、あまり物事を決めてかかるべきではない。
「……あー。なんていうか、真面目な人とこういう話すると疲れるわ」
「私は普通にしているだけです。キャベツ頭ということは自覚していますが」
「キャベツ頭?」
私の出した単語……かつて捕虜になった敵兵に言われた言葉だが、レミィナは興味を持ったようで、操縦席に少し身を乗り出してくる。
「ドイツのキャベツは硬いんです」
「ああ。石頭!」
楽しそうに、彼女は私の頭を軽く撫でた。この無邪気な声や仕草はやはり和む。だからといって何をされてもいいというわけではないが。
「じゃあキャベツ頭のヴェルナー。わたしが今、お花を摘みたいから降ろしてと言ったらどうする?」
「お花……エスクーレのご友人にでも渡すのですか?」
「おしっこしたいって意味! 女の子にこんなこと言わせちゃ駄目でしょ」
口を尖らせながら頬を摘まれる。隠語だろうが、平気でセクハラ発言をする彼女がそのような言葉を使う必要があるのだろうか。男の器官を何の躊躇いもなく口に含み、精液を吸い出した彼女が。
ともあれ、海峡が近づいてきた以上、今の内に用を足しておいた方がいいだろう。
「了解、着陸します。掴まっていてください」
下は起伏の少なそうな草むらであり、シュトルヒの脚なら問題なく降りられる。着陸地点を定め、機首を下げながら減速。ハンドルを回してフラップを降ろす。
レミィナはそれらの操作を、興味深げに見つめていた。どうもこのような「専門的な技術」が好きらしく、ルージュ・シティでも仕立屋や調香師の店に遊びに行くことがあった。人間と価値観に違いはあるだろうが、基本的に魔王の娘もただの物好きな女の子なのかもしれない。それにしてもこのような目で見られると、死んだ妹を思い出す。いつか私のように空を飛ぶと言って、グライダーの勉強をしていたが……
――やりきれんな――
ため息を一つ吐き、私は機を接地させた。
………
「本当に見なくていいの?」
「見ません。さっさと済ませてください」
レミィナはつまらなそうな顔をして、背の高い草むらへ向かっていく。確かに彼女は魅力的な女性だが、放尿する所をわざわざ見ようとは思わない。見せようとする彼女が一番問題だが、悪魔に道徳を説くなど虎に菜食主義を講釈するのと同じくらい無意味だろう。それでもせめて誘惑する相手くらい選べと言ってやるべきか。
私はシュトルヒの前で、ライフルを手に見張りに付いた。ここは教団の勢力もある地域で、いくらレミィナが高位の魔物とはいえ、無防備な所を襲われたら心配だ。歩哨など初めてだが、この世界に来たからには航空兵だからといってエリートを気取ってはいられない。
それにしても、何と長閑なことだろう。苦楽を共にした軍用機があって、手元には銃があり、軍服を着ているというのに。空は私の世界と同じ色で、雲が漂い鳥が飛び交う。そして少なくとも、その雲の合間から敵機がやってくることはないのだ。
だがそれも当然のこと。この空の下には私の祖国がないのだから。
「……ん?」
空を見上げ、鳥の動きを目で追っていると、一際大きな鳥が徐々に高度を下げてくるのが見える。いや、あれは鳥人の仲間のようだ。黒い翼で羽ばたかずに滑空しながら、徐々に高度が低くなってきている。やはり美女だが、よく見ると整った顔には疲労の色が浮かんでいた。そしてその視線は私に向けられている。
――追い剥ぎか?――
ブラックハーピーという鳥人には盗賊行為を行う者もいると聞いていたので、咄嗟に銃を構えた。だが襲いかかってくるにしては、彼女の動きは緩やかである。
その刹那、視界を何かが横切った。細長い物が風を切り、重力に逆らって上へ飛ぶ。矢だ。
次の瞬間には、それが飛んでいる鳥人の肩に突き刺さった。たちまち錐揉みしながら墜ちてくる彼女に向かって、私は即座に走り出す。だが鳥人はまだ私から遠い距離におり、人間の脚力では到底間に合わなかった。
「Scheisse!」
ドサリと墜落した彼女に駆け寄りつつ、遠方に目を凝らす。馬に乗った人間のシルエットが三つ見え、クロスボウらしきものを手にした奴がいることまで確認できた。しかし飛んでいる相手にあの距離から矢を当てるなど、人間業とは思えない。
「姫、敵襲です!」
姿勢を低くしつつ、私は叫んだ。同時に指で日光を遮り、敵の姿を確認する。視力の良さは飛行機乗り、特に偵察の必須条件だ。
相手は夜盗にしてはしっかりと鎧を着ていおり、しかも装飾が施されていた。昔話の騎士のような奴らが土煙を上げて迫ってくる。
「弓騎兵一人、槍騎兵二人!」
言いながら鳥人を抱き上げ、近くにある岩の後ろに身を隠す。一応墜落した際に受け身を取ったらしく、魔物ということもあって矢傷以外は打ち身と脳震盪くらいですんだようだ。こちらの武器は不時着時の護身用に積んである銃なので、狙撃用のスコープはついていない。そもそも私は狙撃兵ではないのだから、あの距離の敵を、それも照門と照星だけで狙う技術など持ち合わせていないのだ。
それに対し、敵はクロスボウでこちらを狙える腕。迂闊に身を出せない。
私が唇を噛んだその時。
鈍く空気を切り裂く音が、すぐ側を通り過ぎていった。私たちの後方からだ。
微かに残像の見えたそれを追ってみると、迫ってくる敵騎兵の一人にその物体が直撃するのが見えた。クロスボウを持った兵士が落馬し、槍騎兵が慌てて掴み上げる。奴らはもうそれなりの距離まで近づいていた。鎧の装飾などもはっきりと見える。
「これなら……!」
敵の遠距離攻撃という驚異は消えた。即座に岩から身を乗り出し、銃を構える。槍騎兵の一人に照準を合わせ、引き金を引いた。
火薬の炸裂音と共に、肩にかかる反動。硝煙の臭いを感じると共に、狙った騎兵が肩を押さえて仰け反るのが見えた。どうやら命中したらしい。
銃のボルトを引いて空薬莢を弾き出す。敵兵は辛うじて手綱にしがみついているが、あの状態で鎧を着て戦うのは辛いだろう。
隊長らしき兵士が何かを叫び、馬を反転させた。次は自分が的になると思ったのだろう、馬腹を蹴って撤退していく。クロスボウの兵士も何事もなかったかのように馬上へ戻り、それに続いた。
しばらくそれを見送り……ゆっくりと息を吐く。やれやれ、レミィナが用をたすだけで、早速このようなトラブルに巻き込まれるとは。
「ヴェルナー、大丈夫?」
背後から、ソプラノの綺麗な声が聞こえてきた。
「ええ、何とか……」
そう答えながら振り向き、私は愕然とした。そこに立っているのは間違いなくレミィナであり、先ほど弓騎兵を倒したのは彼女だということも分かっている。あの援護がなければ危なかっただろう。だが彼女が手にしているのは大きな眼帯のような形状の帯……スリングだ。石を振り回し、遠心力を利用して投擲する、極めて原始的な飛び道具。
「……それで倒したのですか?」
「まあ、魔法も使ったからね。わたしってリリムの中じゃ弱い方だから、こうやって道具と魔法を組み合わせることが多いの」
レミィナは笑いながら、得意げにスリングを振り回してみせた。
腕力だけによるものでは無かったようだ、少し安心してしまう。しかしたかがスリングで『狙撃』ができてしまうというのは、ある意味戦闘機の群れより恐ろしい気がする。私はこの世界でやっていけるのだろうかという不安が、今更ながら込み上げてきた。
と、ふいにレミィナは自分の胸……開けた服の胸元に手を入れた。彼女の白い手が谷間に挟まれ、胸も柔らかく形を変える。そしてそのまま、谷間から何かを引っ張り出した。
縞模様の、三角形の布。
「終わった後でよかったわ。履いてる暇はなかったけど」
朗らかに言いながら、彼女はその布を、縞模様の下着に脚を通していく。そして上へ上げ……。
一瞬、丈の短いスカートが捲れあがった。
「……!」
見た。いや、見てしまった。白く滑らかな曲線を描くふとももと、その上にある、本来なら最も神聖であるはずのもの。小さくふくらみ、その間にある割れ目。初めて見たわけではない。だがスカートが捲り上げられたとき、私は得体の知れない『芳香』のようなものを感じた。ぴたりと閉じられた、一見清楚にさえ見える女性器だが、男を貪ろうと誘う淫らな恐ろしさと美しさを放っているように思える。
次の瞬間にはそれが下着で隠され、スカートが重力に従って元通りになる。下半身の露出は裾とニーソックスの間の空間だけになった。
「ん〜? どうしたのかな〜?」
レミィナが上目遣いで、悪戯っぽい笑みで見つめてくる。私ははっと我に返った。『そこ』が見えたほんの僅か、ごく僅かな時間ではあったが、それを凝視してしまったのだ。羞恥心がわき上がり、思わず彼女から目を逸らす。心臓の脈動もやたらと早くなっていることに気づく。
私の反応がよほど面白いらしく、悪魔の姫君は愉快そうに尻尾をくねらせている。
「お止めください、怪我人の前で……」
「おっと、そうね」
辛うじて、彼女の意識は未だ倒れている鳥人へと向いた。王族としての自覚はあるのかないのか分からないが、少なくとも眷属を気遣う気持ちはあるようだ。
黒い翼の鳥人は脳震盪から回復してきたようで、ゆっくりと息をしながら我々を見ている。レミィナはスリングを魔法の鞄にしまい、代わりに薬らしきものの詰まった瓶を取り出した。
「ブラックハーピーね。魔法である程度は治療できるけど……」
「……リリム……様……?」
手当てしようとするレミィナを見て、鳥人は呟いた。レミィナは彼女を安心させるように微笑みながら、肩に刺さっている矢に手をかざした。同時に口で薬瓶の蓋を開け、中の液体を傷口に注ぎ込む。鳥人の顔に一瞬苦痛が浮かんだが、すぐに和らいだ。
「大丈夫そうですか?」
「とりあえずはね」
レミィナの掌が微かに光ったかと思うと、矢がゆっくりと抜け始めた。先ほどの薬の効果か、彼女の魔力によるのかは分からないが、鳥人は痛みを感じていないらしい。普通このような場合、刺さったもの簡単に抜いてはいけないのだが、鏃まで全て抜けても出血は少なかった。
「魔法薬で止血したから、ひとまず大丈夫よ」
「雑菌が入るかもしれません」
「魔物は免疫力が強いから、普通の病気にはかからないわ」
鳥人はしばらく私を、というよりは騎士鉄十字勲章を見つめていたが、私とレミィナが会話するのを見て教団の関係者でないことは分かったようだ。顔色もよくなり、意識がはっきりしてきたようである。
「わたしはリリムのレミィナ。こっちは御者のヴェルナー。貴女は?」
「……カーリナ」
ゆっくりと名乗ったかと思うと、彼女は突如身を起こし、苦痛に顔を歪める。
「まだ急な動きをしない方がいいわ。鎮痛効果にも限度があるもの」
「くっ……お、お願い……仲間達を、助けて……!」
苦痛に呻きながら、カーリナは懇願した。レミィナは彼女の肩を抱いて宥める。
「落ち着いて、何があったか聞かせて」
「あたいたち……群れ全員、教団に掴まったんです。姉さん、義兄さんたちも……」
「群れ全員?」
ブラックハーピーというのは集団生活を営む魔物なのだろう。翼などはカラスに似ているが、カラスという鳥は以外と仲間への思いやりが強いものだ。しかし空を飛べない人間に、群れごと捕らえられるとは。
「あいつ……あのゴーレムです。教団の連中、ゴーレムを使ってやがるんです……!」
「ゴーレム!? 教団が?」
姫の問いに、カーリナは頷いた。歯を食いしばり、悔しそうに俯いている。捕らえられたときのことを思い出したのだろう。
「奴ら、どこかから作りかけのゴーレムを盗んだみたいで……それを魔法で操って、あたいたちを……!」
「ゴーレム……」
元の世界では実在こそしなくとも、私のよく知っている魔物だった。土や石で作られた巨大な動く人形で、祖国でもそれを題材にした映画が作られている。この世界のゴーレムはルージュ・シティで話に聞いたが、やはり他の魔物同様に女性の姿をしており、形自体は人間とほぼ違わないそうだ。そしてカーリナの話からすると、教団とやらは魔物の撲滅を掲げながらも、魔物の一種であるゴーレムを操って利用していることになる。
「レスカティエが堕ちてから、教団もなりふり構わなくなってきたわね」
「そのゴーレムというのはもしや、先ほど貴女を射た……?」
尋ねてみると、カーリナは再び頷く。あのクロスボウによる狙撃といい、落馬するほどの一撃を受けながらも平然と去っていった後ろ姿といい、人間と言うには不自然で不気味な奴だった。空が飛べなくても、あいつなら鳥人を片端から捕らえることもできるだろう。
その後カーリナが語ったところによると、教団は今夜に彼女の仲間を『処分』するつもりらしい。別の牢へ移される一瞬の隙を突き、彼女一人が脱走に成功した。捕らえられた時の戦闘ですでに疲れ切っていたが、エスクーレ・シティにいる同族に助けを求めるべく、海峡を横断しようとしていたのだ。その途中、魔王の紋章が描かれた妙な乗り物が停まっているのを見て、ここに降りようとした……
「姫、どうします? 今からエスクーレまで飛んでも、救援が間に合うか……」
「そうね、わたし達で助け出すしかない。それにゴーレムも自由にしてあげないと」
レミィナがカーリナを助け起こし、ゆっくりと立たせる。やることはすでに決まっているようだ。
「カーリナ。疲れていると思うけど、貴女の仲間がいる場所まで道案内、頼める?」
「はい! ありがとうございます!」
続いて、レミィナは私を見た。誘う目つきではない、王族の風格漂う凛々しい視線に、先ほどとは別の意味で胸が高鳴った。
「ヴェルナー、旅だって早々だけど……」
「覚悟の上です。至急準備に入ります」
踵を返してシュトルヒに向かうと、レミィナが小さな声で「ありがとう」と言うのが聞こえた。彼女は優しい女性だ、できれば私を危険な目に遭わせたくないのかもしれない。だが私とて仮にも職業軍人であり、男である。しかも、ペテンによるの強制入隊だったとはいえ、彼女の親衛隊員になることを承諾した。ならば、やるべきことをやるだけだ。
それに。
――よりによって、ゴーレムか――
心の中で、私は悪態をついた。悪魔の姫君と共に旅をするとはいえ、何らかの理由で魔物が敵として襲いかかってくることも少しは考えていた。この世界には様々な魔物がおり、私の世界に伝わる者も多くいるようだが、その中でゴーレムが敵として私の前に立ち塞がったのだ。そう、これはもしかしたら因縁かもしれない。レミィナが言ったように、教団に操られているその人形を自由にしてやらねばならないだろう。
カーリナが見知らぬ機械に戸惑いながらも、レミィナに促されてシュトルヒに乗り込んだ。続いてレミィナも乗り、ドアを閉める。エンジンは静かに、しかし勇ましくプロペラを回していた。相棒もやる気十分らしい。
「頼むぞ……」
計器板を撫で、私は呟いた。フラップを開き、離陸準備に入る。
「ヴェルナー、ちょっと聞きたいんだけど」
カーリナと共に後部座席に乗ったレミィナが、ふいに口を開いた。
「何でしょうか?」
前方を確認し、鳥などがいないか確認する。そんな私に、レミィナは小声で問いかけてきた。
「白と縞模様、どっちのパンツが好き?」
「……発進します!」
叫びつつ、スロットルを開く。機体は加速し、やがて脚が地面から離れる。
姫の言動はもはや手に負えない。頭を抱えたくなる私だったが、同時に先ほどまで辛そうな顔をしていたカーリナが、くすりと笑ったことにも気づいていた。
「平気よ」
ガラス張りの操縦席に陽光が差し込む中、悪魔の王女は穏やかに応えた。私の操縦の下、シュトルヒは海岸の上を飛ぶ。打ち寄せる波が陽光に煌めき、ガラス張りの操縦席にも温かな光が差し込んでいるが、闇から生まれた悪魔であるにも関わらずレミィナは元気そうだ。心なしか我が愛機も調子が良く、この旅を喜んでいるような気がする。
「んふふっ。ヴェルナーって結構紳士よね」
「女性への配慮は欠かすな。両親から教わった通りにしているだけですよ」
イタリア人のように歯の浮くような台詞を言うわけでもないのだし、私からすればこのくらい当然のことだ。褒められる理由にもならない。
さて、我々の目的地はトーラガルドという、レミィナが幼い頃住んでいた町だ。勿論出発前に飛行計画を立ててある。まずルージュ・シティから海岸に沿って北東へ飛び、海峡を横断してエスクーレ・シティという港町で補給を行う。エスクーレまでは魔物と教団の勢力圏が重なり合う『複合戦線』であり、平和なルージュ・シティも外ではゲリラ戦を展開しているとのことだ。今のところ、魔物側が優勢だという。
そこから先は魔物の勢力の強い地域だが、それでもやはり教団による侵攻が散発的に行われているらしい。トーラガルドもそこにある。教団とやらはどうしても魔物を殲滅したいようだが、違う生き物同士で憎み合えるうちは私の世界よりはマシだろう。むしろ人間だけの世界がどれだけ悲惨なことか。
「ところで、親衛隊は私以外に何人いるのです?」
「五十人くらい」
やや大雑把にレミィナは答えた。親衛隊は普段レミィナと別行動を取っており、必要に応じて合流するらしい。今回の合流場所はトーラガルドとのことだが、親衛隊という言葉に良いイメージの無い私は会うのがやや不安である。もっとも彼女の親衛隊で、あの領主リライアが隊長を務めていたのだから、祖国の武装親衛隊のようなクソ野郎共とは思えないが。
「前は二百人くらいいたんだけど、その殆どがルージュ・シティを作るためにリライアが集めた人材でね。人材コレクターなのよ、彼女」
「つまり、姫もあの町を建てるのに協力したことになりますね」
私の言葉に、彼女は「まあね」と笑う。彼女は後ろにいるため顔は見えないが、声に鈴のような笑い声が混じっていた。
「わたしもリライアの作る町が見てみたかったの。なんていうか、わたしより彼女の方が人の上に立つ器がありそうだし。ヴェルナーもそう思ってるんじゃない?」
反応を試すかのような口調だったが、ここで咄嗟に面白いことを言えるほどのユーモアセンスは無い。なので機体を浅くバンクさせつつ、正直な感想を口にした。
「姫には姫の良さがあると思います」
「それも配慮?」
「私は配慮はできても、お世辞は言えない男です」
女性に敬意を払うのは当然として、へりくだる筋合いは無い。男に対しても同様なので、血筋を明かさなくとも私を嫌う上官も多かった。飛行機学校時代は戦闘機かせめて急降下爆撃機を志望していたのに、偵察や連絡用であるシュトルヒのパイロットを命じられたのもそのせいかも知れない。とはいえ今ではこの機体に愛着を持っているし、下手に出世でもしたら地上勤務が増えるので、飛行機にさえ乗れれば後は何でも良かった。
そして、私の言う褒め言葉は全て本心からだ。
「んふふっ、確かに不器用そう。でも曲がったことは嫌いで実直なタイプよね、ヴェルナーは」
「私自身はひねくれ者とよく言われますがね」
言いながら、私は前方を凝視した。陸地が途切れ、微かに海のラインが見える。あれがエスクーレ海峡だろう。それほど長い距離ではないというが、救命胴衣も持たずに洋上飛行するのはやはり不安だ。それでもレミィナがいると、何とかなりそうな気がして困る。
「ところで姫は悪魔ですから、真面目で誠実な人間や聖者様をそそのかして、堕落の道に引きずり込んだりするのですか?」
「するよ」
事も無げに、レミィナは答えた。
「特に女の子なら、わたしたちと同じ魔物にできちゃうしね」
「ああ、そう言えば」
彼女の母……魔王の計画では、人間の女性は全て魔物に変えるそうだ。女などというのは元から男を惑わすようにできているのだし、私からすれば本物の魔物になったところで対して変わらない。だが教団とやらがそれに強い反感を持っているのも理解はできる。
「ま、わたしはやるかやらないかを含めて、割と適当だけどね。女の子を徹底的に調教して、骨の髄まで魔物にしちゃう姉上もいるけど」
「動物扱いですか」
「あ、いや、調教っていうのはそういう意味じゃなくて」
レミィナが珍しくしどろもどろな口調になる。私が何か余計なことでも言ったのだろうか。人間同士でさえ優越民族と劣等民族を決めて他者を見下したがるのだから、彼女たち魔物が人間を見下していても特に違和感はないのだが。とはいえ私は彼女たちのことを何も知らないに等しいのだし、あまり物事を決めてかかるべきではない。
「……あー。なんていうか、真面目な人とこういう話すると疲れるわ」
「私は普通にしているだけです。キャベツ頭ということは自覚していますが」
「キャベツ頭?」
私の出した単語……かつて捕虜になった敵兵に言われた言葉だが、レミィナは興味を持ったようで、操縦席に少し身を乗り出してくる。
「ドイツのキャベツは硬いんです」
「ああ。石頭!」
楽しそうに、彼女は私の頭を軽く撫でた。この無邪気な声や仕草はやはり和む。だからといって何をされてもいいというわけではないが。
「じゃあキャベツ頭のヴェルナー。わたしが今、お花を摘みたいから降ろしてと言ったらどうする?」
「お花……エスクーレのご友人にでも渡すのですか?」
「おしっこしたいって意味! 女の子にこんなこと言わせちゃ駄目でしょ」
口を尖らせながら頬を摘まれる。隠語だろうが、平気でセクハラ発言をする彼女がそのような言葉を使う必要があるのだろうか。男の器官を何の躊躇いもなく口に含み、精液を吸い出した彼女が。
ともあれ、海峡が近づいてきた以上、今の内に用を足しておいた方がいいだろう。
「了解、着陸します。掴まっていてください」
下は起伏の少なそうな草むらであり、シュトルヒの脚なら問題なく降りられる。着陸地点を定め、機首を下げながら減速。ハンドルを回してフラップを降ろす。
レミィナはそれらの操作を、興味深げに見つめていた。どうもこのような「専門的な技術」が好きらしく、ルージュ・シティでも仕立屋や調香師の店に遊びに行くことがあった。人間と価値観に違いはあるだろうが、基本的に魔王の娘もただの物好きな女の子なのかもしれない。それにしてもこのような目で見られると、死んだ妹を思い出す。いつか私のように空を飛ぶと言って、グライダーの勉強をしていたが……
――やりきれんな――
ため息を一つ吐き、私は機を接地させた。
………
「本当に見なくていいの?」
「見ません。さっさと済ませてください」
レミィナはつまらなそうな顔をして、背の高い草むらへ向かっていく。確かに彼女は魅力的な女性だが、放尿する所をわざわざ見ようとは思わない。見せようとする彼女が一番問題だが、悪魔に道徳を説くなど虎に菜食主義を講釈するのと同じくらい無意味だろう。それでもせめて誘惑する相手くらい選べと言ってやるべきか。
私はシュトルヒの前で、ライフルを手に見張りに付いた。ここは教団の勢力もある地域で、いくらレミィナが高位の魔物とはいえ、無防備な所を襲われたら心配だ。歩哨など初めてだが、この世界に来たからには航空兵だからといってエリートを気取ってはいられない。
それにしても、何と長閑なことだろう。苦楽を共にした軍用機があって、手元には銃があり、軍服を着ているというのに。空は私の世界と同じ色で、雲が漂い鳥が飛び交う。そして少なくとも、その雲の合間から敵機がやってくることはないのだ。
だがそれも当然のこと。この空の下には私の祖国がないのだから。
「……ん?」
空を見上げ、鳥の動きを目で追っていると、一際大きな鳥が徐々に高度を下げてくるのが見える。いや、あれは鳥人の仲間のようだ。黒い翼で羽ばたかずに滑空しながら、徐々に高度が低くなってきている。やはり美女だが、よく見ると整った顔には疲労の色が浮かんでいた。そしてその視線は私に向けられている。
――追い剥ぎか?――
ブラックハーピーという鳥人には盗賊行為を行う者もいると聞いていたので、咄嗟に銃を構えた。だが襲いかかってくるにしては、彼女の動きは緩やかである。
その刹那、視界を何かが横切った。細長い物が風を切り、重力に逆らって上へ飛ぶ。矢だ。
次の瞬間には、それが飛んでいる鳥人の肩に突き刺さった。たちまち錐揉みしながら墜ちてくる彼女に向かって、私は即座に走り出す。だが鳥人はまだ私から遠い距離におり、人間の脚力では到底間に合わなかった。
「Scheisse!」
ドサリと墜落した彼女に駆け寄りつつ、遠方に目を凝らす。馬に乗った人間のシルエットが三つ見え、クロスボウらしきものを手にした奴がいることまで確認できた。しかし飛んでいる相手にあの距離から矢を当てるなど、人間業とは思えない。
「姫、敵襲です!」
姿勢を低くしつつ、私は叫んだ。同時に指で日光を遮り、敵の姿を確認する。視力の良さは飛行機乗り、特に偵察の必須条件だ。
相手は夜盗にしてはしっかりと鎧を着ていおり、しかも装飾が施されていた。昔話の騎士のような奴らが土煙を上げて迫ってくる。
「弓騎兵一人、槍騎兵二人!」
言いながら鳥人を抱き上げ、近くにある岩の後ろに身を隠す。一応墜落した際に受け身を取ったらしく、魔物ということもあって矢傷以外は打ち身と脳震盪くらいですんだようだ。こちらの武器は不時着時の護身用に積んである銃なので、狙撃用のスコープはついていない。そもそも私は狙撃兵ではないのだから、あの距離の敵を、それも照門と照星だけで狙う技術など持ち合わせていないのだ。
それに対し、敵はクロスボウでこちらを狙える腕。迂闊に身を出せない。
私が唇を噛んだその時。
鈍く空気を切り裂く音が、すぐ側を通り過ぎていった。私たちの後方からだ。
微かに残像の見えたそれを追ってみると、迫ってくる敵騎兵の一人にその物体が直撃するのが見えた。クロスボウを持った兵士が落馬し、槍騎兵が慌てて掴み上げる。奴らはもうそれなりの距離まで近づいていた。鎧の装飾などもはっきりと見える。
「これなら……!」
敵の遠距離攻撃という驚異は消えた。即座に岩から身を乗り出し、銃を構える。槍騎兵の一人に照準を合わせ、引き金を引いた。
火薬の炸裂音と共に、肩にかかる反動。硝煙の臭いを感じると共に、狙った騎兵が肩を押さえて仰け反るのが見えた。どうやら命中したらしい。
銃のボルトを引いて空薬莢を弾き出す。敵兵は辛うじて手綱にしがみついているが、あの状態で鎧を着て戦うのは辛いだろう。
隊長らしき兵士が何かを叫び、馬を反転させた。次は自分が的になると思ったのだろう、馬腹を蹴って撤退していく。クロスボウの兵士も何事もなかったかのように馬上へ戻り、それに続いた。
しばらくそれを見送り……ゆっくりと息を吐く。やれやれ、レミィナが用をたすだけで、早速このようなトラブルに巻き込まれるとは。
「ヴェルナー、大丈夫?」
背後から、ソプラノの綺麗な声が聞こえてきた。
「ええ、何とか……」
そう答えながら振り向き、私は愕然とした。そこに立っているのは間違いなくレミィナであり、先ほど弓騎兵を倒したのは彼女だということも分かっている。あの援護がなければ危なかっただろう。だが彼女が手にしているのは大きな眼帯のような形状の帯……スリングだ。石を振り回し、遠心力を利用して投擲する、極めて原始的な飛び道具。
「……それで倒したのですか?」
「まあ、魔法も使ったからね。わたしってリリムの中じゃ弱い方だから、こうやって道具と魔法を組み合わせることが多いの」
レミィナは笑いながら、得意げにスリングを振り回してみせた。
腕力だけによるものでは無かったようだ、少し安心してしまう。しかしたかがスリングで『狙撃』ができてしまうというのは、ある意味戦闘機の群れより恐ろしい気がする。私はこの世界でやっていけるのだろうかという不安が、今更ながら込み上げてきた。
と、ふいにレミィナは自分の胸……開けた服の胸元に手を入れた。彼女の白い手が谷間に挟まれ、胸も柔らかく形を変える。そしてそのまま、谷間から何かを引っ張り出した。
縞模様の、三角形の布。
「終わった後でよかったわ。履いてる暇はなかったけど」
朗らかに言いながら、彼女はその布を、縞模様の下着に脚を通していく。そして上へ上げ……。
一瞬、丈の短いスカートが捲れあがった。
「……!」
見た。いや、見てしまった。白く滑らかな曲線を描くふとももと、その上にある、本来なら最も神聖であるはずのもの。小さくふくらみ、その間にある割れ目。初めて見たわけではない。だがスカートが捲り上げられたとき、私は得体の知れない『芳香』のようなものを感じた。ぴたりと閉じられた、一見清楚にさえ見える女性器だが、男を貪ろうと誘う淫らな恐ろしさと美しさを放っているように思える。
次の瞬間にはそれが下着で隠され、スカートが重力に従って元通りになる。下半身の露出は裾とニーソックスの間の空間だけになった。
「ん〜? どうしたのかな〜?」
レミィナが上目遣いで、悪戯っぽい笑みで見つめてくる。私ははっと我に返った。『そこ』が見えたほんの僅か、ごく僅かな時間ではあったが、それを凝視してしまったのだ。羞恥心がわき上がり、思わず彼女から目を逸らす。心臓の脈動もやたらと早くなっていることに気づく。
私の反応がよほど面白いらしく、悪魔の姫君は愉快そうに尻尾をくねらせている。
「お止めください、怪我人の前で……」
「おっと、そうね」
辛うじて、彼女の意識は未だ倒れている鳥人へと向いた。王族としての自覚はあるのかないのか分からないが、少なくとも眷属を気遣う気持ちはあるようだ。
黒い翼の鳥人は脳震盪から回復してきたようで、ゆっくりと息をしながら我々を見ている。レミィナはスリングを魔法の鞄にしまい、代わりに薬らしきものの詰まった瓶を取り出した。
「ブラックハーピーね。魔法である程度は治療できるけど……」
「……リリム……様……?」
手当てしようとするレミィナを見て、鳥人は呟いた。レミィナは彼女を安心させるように微笑みながら、肩に刺さっている矢に手をかざした。同時に口で薬瓶の蓋を開け、中の液体を傷口に注ぎ込む。鳥人の顔に一瞬苦痛が浮かんだが、すぐに和らいだ。
「大丈夫そうですか?」
「とりあえずはね」
レミィナの掌が微かに光ったかと思うと、矢がゆっくりと抜け始めた。先ほどの薬の効果か、彼女の魔力によるのかは分からないが、鳥人は痛みを感じていないらしい。普通このような場合、刺さったもの簡単に抜いてはいけないのだが、鏃まで全て抜けても出血は少なかった。
「魔法薬で止血したから、ひとまず大丈夫よ」
「雑菌が入るかもしれません」
「魔物は免疫力が強いから、普通の病気にはかからないわ」
鳥人はしばらく私を、というよりは騎士鉄十字勲章を見つめていたが、私とレミィナが会話するのを見て教団の関係者でないことは分かったようだ。顔色もよくなり、意識がはっきりしてきたようである。
「わたしはリリムのレミィナ。こっちは御者のヴェルナー。貴女は?」
「……カーリナ」
ゆっくりと名乗ったかと思うと、彼女は突如身を起こし、苦痛に顔を歪める。
「まだ急な動きをしない方がいいわ。鎮痛効果にも限度があるもの」
「くっ……お、お願い……仲間達を、助けて……!」
苦痛に呻きながら、カーリナは懇願した。レミィナは彼女の肩を抱いて宥める。
「落ち着いて、何があったか聞かせて」
「あたいたち……群れ全員、教団に掴まったんです。姉さん、義兄さんたちも……」
「群れ全員?」
ブラックハーピーというのは集団生活を営む魔物なのだろう。翼などはカラスに似ているが、カラスという鳥は以外と仲間への思いやりが強いものだ。しかし空を飛べない人間に、群れごと捕らえられるとは。
「あいつ……あのゴーレムです。教団の連中、ゴーレムを使ってやがるんです……!」
「ゴーレム!? 教団が?」
姫の問いに、カーリナは頷いた。歯を食いしばり、悔しそうに俯いている。捕らえられたときのことを思い出したのだろう。
「奴ら、どこかから作りかけのゴーレムを盗んだみたいで……それを魔法で操って、あたいたちを……!」
「ゴーレム……」
元の世界では実在こそしなくとも、私のよく知っている魔物だった。土や石で作られた巨大な動く人形で、祖国でもそれを題材にした映画が作られている。この世界のゴーレムはルージュ・シティで話に聞いたが、やはり他の魔物同様に女性の姿をしており、形自体は人間とほぼ違わないそうだ。そしてカーリナの話からすると、教団とやらは魔物の撲滅を掲げながらも、魔物の一種であるゴーレムを操って利用していることになる。
「レスカティエが堕ちてから、教団もなりふり構わなくなってきたわね」
「そのゴーレムというのはもしや、先ほど貴女を射た……?」
尋ねてみると、カーリナは再び頷く。あのクロスボウによる狙撃といい、落馬するほどの一撃を受けながらも平然と去っていった後ろ姿といい、人間と言うには不自然で不気味な奴だった。空が飛べなくても、あいつなら鳥人を片端から捕らえることもできるだろう。
その後カーリナが語ったところによると、教団は今夜に彼女の仲間を『処分』するつもりらしい。別の牢へ移される一瞬の隙を突き、彼女一人が脱走に成功した。捕らえられた時の戦闘ですでに疲れ切っていたが、エスクーレ・シティにいる同族に助けを求めるべく、海峡を横断しようとしていたのだ。その途中、魔王の紋章が描かれた妙な乗り物が停まっているのを見て、ここに降りようとした……
「姫、どうします? 今からエスクーレまで飛んでも、救援が間に合うか……」
「そうね、わたし達で助け出すしかない。それにゴーレムも自由にしてあげないと」
レミィナがカーリナを助け起こし、ゆっくりと立たせる。やることはすでに決まっているようだ。
「カーリナ。疲れていると思うけど、貴女の仲間がいる場所まで道案内、頼める?」
「はい! ありがとうございます!」
続いて、レミィナは私を見た。誘う目つきではない、王族の風格漂う凛々しい視線に、先ほどとは別の意味で胸が高鳴った。
「ヴェルナー、旅だって早々だけど……」
「覚悟の上です。至急準備に入ります」
踵を返してシュトルヒに向かうと、レミィナが小さな声で「ありがとう」と言うのが聞こえた。彼女は優しい女性だ、できれば私を危険な目に遭わせたくないのかもしれない。だが私とて仮にも職業軍人であり、男である。しかも、ペテンによるの強制入隊だったとはいえ、彼女の親衛隊員になることを承諾した。ならば、やるべきことをやるだけだ。
それに。
――よりによって、ゴーレムか――
心の中で、私は悪態をついた。悪魔の姫君と共に旅をするとはいえ、何らかの理由で魔物が敵として襲いかかってくることも少しは考えていた。この世界には様々な魔物がおり、私の世界に伝わる者も多くいるようだが、その中でゴーレムが敵として私の前に立ち塞がったのだ。そう、これはもしかしたら因縁かもしれない。レミィナが言ったように、教団に操られているその人形を自由にしてやらねばならないだろう。
カーリナが見知らぬ機械に戸惑いながらも、レミィナに促されてシュトルヒに乗り込んだ。続いてレミィナも乗り、ドアを閉める。エンジンは静かに、しかし勇ましくプロペラを回していた。相棒もやる気十分らしい。
「頼むぞ……」
計器板を撫で、私は呟いた。フラップを開き、離陸準備に入る。
「ヴェルナー、ちょっと聞きたいんだけど」
カーリナと共に後部座席に乗ったレミィナが、ふいに口を開いた。
「何でしょうか?」
前方を確認し、鳥などがいないか確認する。そんな私に、レミィナは小声で問いかけてきた。
「白と縞模様、どっちのパンツが好き?」
「……発進します!」
叫びつつ、スロットルを開く。機体は加速し、やがて脚が地面から離れる。
姫の言動はもはや手に負えない。頭を抱えたくなる私だったが、同時に先ほどまで辛そうな顔をしていたカーリナが、くすりと笑ったことにも気づいていた。
12/04/03 21:44更新 / 空き缶号
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