前編
私の祖国を含む東方諸国には、『正気』と『邪気』という考えがある。邪気とは病気の元となる存在や、気温の急激な変化など人体に悪影響を及ぼすもののこと。そしてそれに対する抵抗力や自然治癒力が正気だ。人間の場合、正気を生む要素は『気』『血』『津液』『精』の四つ。そのうち精は今の世界において、我々妖怪と人間を繋ぐ重要な要素でもある。
人間の精を活力源とする種族が魔王に即位した今、全ての妖怪が人間の男から精を受け取るようになった。人と妖怪が男女として互いに求め合い、体の交わりを通じて精と妖力を交わらせ、絆を深めあうのだ。
だから異国の町の往来を歩いていたとき、ある店から感じた精の気配に、私は敏感に反応した。虫を呼ぶ花の香りのように、気がつくとふらふら吸い寄せられてしまうほどの甘美な気配。文化交流のためこの町に来てから、初めて感じた素晴らしい精だ。祖国でもこれほどに私を惹きつける精の持ち主は見たことがない。
不思議なのは往来を通る他の魔物たちが、この精に気づきもしないということだ。私は精を察知するのが得意な方だが、これほどまでに魅力的な精なら誰でも‐‐もちろん魔物であれば‐‐気付くだろうに。
店の看板を見ると、整った字で『リベルテ紳士服工房』と書いてある。仕立屋のようだ。
‐‐どないな殿方がいらっしゃるんやろ……
そう思うと、体が熱くなり始めた。精の気配だけで、ここまで私を高ぶらせる男性がいるのか。
種族として理性的な私も、妖怪は妖怪。直に会ってみたいという衝動を抑えることなどできず、扉に手をかけた。
そして。まだ新しい扉は静かに開き、私の視界に店内の風景が広がった。内装は至って単純で、中央の作業台の他、マネキンや生地の入った棚が数カ所に置かれているだけだ。
しかし私の目を引きつけたのは、作業台に取り付いて布を裁断している一人の男だった。顔の造形は整っているが、額の左側から頬にかけて醜い痣で覆われており、お世辞にも美しい容貌とは言えない。子供が見たら泣き出してもおかしくないだろう。だがその目つきの鋭さは尋常ではなかった。眼鏡のレンズの向こうで、灰色の瞳が射るような光を放っているのだ。あれで見つめられたら、どうなってしまうのだろうか。着ているシャツの白さまでもが、凛々しさを引き立てているかのようだった。
彼の握るハサミが、軽やかな音を立てて布を切り裂いていく。ただの薄い布地が素早く切り裂かれ、服を構成する部品となっていった。それらを見つめる彼の視線は、どんな僅かな狂いも許さないと言っているかのようだ。
思わず唾を飲み込み、尻尾の毛を逆立たせ、私はその姿に見とれていた。だが話しかけることはできない。彼は今、鬼になっているのだ。ただただ、服を作ることに熱中している。彼の精が、気が、ハサミに宿りうねっているかのようだ。剣舞の達人のごとく、つけ入る隙など一切無い。
次から次へと白い布が裁断されていき、袖や裾などの原型ができていった。ひとしきり終わると、彼は切った生地を眺め、ふっと息を吐いた。相変わらず鋭い目つきの無表情だが、どこか快楽に酔っているようにも見える。部屋を包んでいた緊張感が解け、ふと彼が私に目を向けた。
「……ご用件は？」
「え、あ、ああ、ええっと……」
しどろもどろになる私を、彼はあの目線でじっと見つめていた。人と魔物が共存するこの町でも、日の国の妖怪は珍しいはずだが、特に私を見て驚いた様子は無い。心臓の鼓動が高鳴っていく。彼の精の気配は相変わらず私を酔わせ、自慢の白い毛並みが真っ赤に染まるかと思うほど高揚してしまう。
「う、うち、日の国の狩戸藩から来た、紺いいます！」
「……オーギュ・リベルテ。ご用件は？」
目つきに似合う、低く重い声で問いかけてくる。私はふらふらと、夢遊病患者のように彼に近づいてしまった。
‐‐アカン。アカンのは分かるんやけど……
怪訝そうな顔をする彼に、一歩、二歩と近づいていく。そして彼が後ずさったとき、反射的に手を伸ばし、彼の肩を捕まえてしまった。
その瞬間、理性が弾け飛んだ。振り払おうとする彼の腕を強引にねじ伏せ、体ごと抱きつく。最高の精が、気が、私の間近で脈打っている。最早抑えなど効かず、妖怪としての獣欲に身をゆだねた。
「ふふ、オーギュはん……」
「おい、お前！」
引き離そうとしてくるオーギュさんも、稲荷である私が妖力を込めてねじ伏せればどうということもない。そのままじりじりと壁に追いつめ、体重をかけて押さえつける。
ついでに、四本ある尻尾を彼の体に擦りつける。毛先を使い、シャツ越しに脇腹辺りを愛撫してみると、くぐもった声を出して身を捩じらせた。それが可愛くて、尻尾の届く範囲を順番にくすぐっていく。逃がさないよう、しっかりと捕まえたまま。
「く……お前、いい加減に……!?」
即座に唇を奪い、言葉を封じる。閉ざされたかけた歯を舌で押し開き、口の奥へ潜り込んだ。舌に噛みつかれるようなことはなかった。だがオーギュさんが私の口づけに応えてはくれないので、無理矢理舌を絡ませる。
「んむぅ……んんっ……ふみゅ……♪」
無我夢中で彼の口を味わいつつ、私は彼の下半身に手をかける。少し妖力で負荷をかけてやると、革製の帯は簡単に千切れた。ズボンを降ろし、手探りで男根を露出させる。
‐‐ああ、コレや……
オーギュさんの体が、ぴくりと震えた。柔らかいそれを右手で撫でまわし、形を確認する。その間も、唇は重ね合わせたままだった。尻尾で愛撫しているうちに彼の抵抗が大人しくなり、掌の中で男根がゆっくりと勃起していく。
唇を離すと、彼も息遣いが荒くなっていた。単に息苦しかっただけかもしれないが、その姿は私の情欲をさらに刺激する。
「うっ……」
立派にそそり立った肉棒の裏筋を撫でると、オーギュさんは声を漏らした。なんだか嬉しくなってくる。
「お前、は……？」
「ふふ……殿方を悦ばせる技、ちゃんと心得とります。せやから安心して、ウチに任せて？」
頬の痣を舌で舐めて、軽く息をかけてやると、たちまち肉棒からいやらしい汁が染み出してくる。掌で亀頭を撫で、じっくり可愛がってみると、量はますます多くなった。
私はすっと屈み、オーギュさんの肉棒に顔を近づけた。血管の浮き出た大きな棒を眺め、匂いを嗅ぐ。男と精のいい匂いが、鼻孔へ入ってくる。うっとりと楽しんでいるうちに、先走りの汁はどんどん多くなった。垂れそうなそれを、唇で掬い取ると、僅かに混じっている精の味が感じられた。やはり、甘く蕩けそうな、それも私好みの味。たまらない。
「うふ……もっと濃いのを出してほしいんや、濃いのを……」
彼の腰に腕をまわし、肉棒をぱくりと口に含んだ。舌先で亀頭をくすぐるように刺激し、裏筋をつーっと舐めていく。オーギュさんは私の頭を掴んで、引きはがそうとしているようだが、力が入らないらしい。ここぞとばかりに、神経を舌に集中させ、唾液を絡めてねっとりと舐めまわす。
「あ……く……っ！」
「んっ、んんっ、ちゅっ……」
もう少しで精が溢れるというのに、オーギュさんは我慢しているようだ。いきなり現れた女に肉棒をしゃぶられ、あっさりと漏らす気にはなれないようだ。だが、こんな壁は簡単に崩せる。
‐‐お狐様を舐めたらアカンでぇ♪
私は尻尾の一本を、オーギュさんの股下に入れる。日ごろ手入れを欠かさない、ふさふさの白い尾だ。その先端を玉袋に当て……
こちょ、こちょと、くすぐった。
「う……ううっ！」
短く叫んだ瞬間、口の中で肉棒が脈打った。それに送りだされるかのように、オーギュさんの精が、白い御馳走が、一気に迸った。
「んんっ！」
濃厚な甘さと、それ以上に体を震わせる逞しい力。私の全身が、その精を受けて力に満ちていくかのようだった。
‐‐な、なんやこれ……凄い♪
最高の精に、体から力が抜けてしまう。オーギュさんの顔を見上げると、頬を紅潮させ、為す術もなく発精に追い込まれた屈辱と、出し尽くした悦びが同居した表情だった。
萎えた肉棒を咥えたまま、精を味わう。亀頭に残った液も、綺麗に舐め取って飲み込む。しかし、その動きがまた肉棒を刺激した。舌を押し返すように、ゆっくりと硬さと大きさを取り戻していく。
自分でも気付かぬうちに、私は左手で自分の股を弄っていた。ふとももや膝の辺りまで汁が滴り、疼きはまだ強くなっていく。いつもはここで自分の尻尾を挿入して満足を得ているのだが、今そんなことをする気はない。せっかく目の前にある竿を、押し込まない手は無いだろう。
「ふふ……ほなオーギュはん、本番やで？」
着物の裾をまくり、立ち上がる。下着は動くときに邪魔くさいので、普段からつけていない。ゆっくりと彼の肩を抱き、片手で肉棒の向きを調整する。
「お、おい、いくらなんでも！」
「何言うとんねん。オーギュはんかて、ウチとしたいやろ……？」
彼の制止の声など問題にもせず、亀頭に割れ目の入口を密着させる。それだけで快感が走るほどに、私は高ぶっていた。これが初めての交わりだということも、気にならない。むしろ彼のような素晴らしい精の持ち主なら、処女を捧げて当然とさえ思える。そのままゆっくりと腰を沈め、肉の花弁にじっくりと咥え込んでいく。
「うう……や、め……！」
「あ……あ……あ……♪」
徐々に、奥深くへと肉棒を導いていく。不思議と、痛みは微塵も感じない。しかし肉棒が焦らすように擦れていく感触が、たまらない快感を与えてくれた。硬くて、大きくて、とても熱い素敵な肉棒
が、私の奥深くへと挿入されていく。口から涎が垂れてしまうほどに、この快感は甘美だった。
そして、一番奥の気持ちいい所に、先端がこつんと口づけした。体が震え、膣がきゅっと締まる。
が、その時。
「ひあぁっ!?」
あまりの気持ちよさに蕩け切った私の膣を、肉棒が荒々しく突き上げた。
「やぁっ、ちょ、まって……そんら、あああん♪」
オーギュさんはぎろりと眼を光らせ、私を見つめた。私の背に腕をまわし、しっかり抱きしめて腰を突き上げてくる。敏感な状態の膣を突き上げられるたび、快感が槍のように体を突きぬけていく。尻尾の毛が逆立ち、全身がびくびくと震え、それを受け止めていく。彼が抱きしめてくれていなければ、立っていることすらできないだろう。
「ひぎぃっ！ あ、ひぃぁ♪ あんっ、ああっ♪」
突き上げられるたびに、体が勝手に叫んでしまう。そうしているうちに、彼は片手を私のお尻、それも尻尾の付け根辺りに伸ばしてきた。根元の敏感な所をぐりぐりと抓まれ、尻尾を撫でられ、その度に快感が走ってしまう。
いきなり理性を失って初対面の殿方に襲いかかり、しかも犯したはずがいつの間にか逆転されているという状況。もし故郷の同族に見られでもしたら、もう祖国に帰れない。そんな情けない私の姿を、オーギュさんは血走った眼で見つめていた。
「俺はッ、他人にッ、主導権を握られるのがッ、大嫌いでな！」
吐き捨てるように、オーギュさんは言った。その間も腰の動きは止まってくれない。がつん、がつんと腰がぶつかり合い、子宮を先端が突き上げる。
‐‐ああ、そっか。ウチが悪いんやな……
そうだ。
これはお仕置きなのだ。極上の精に釣られ、いきなり彼を犯した私が全て悪い。だから彼に逆に犯してもらって、ごめんなさいしなければならないのだ。
そんな考えが浮かび、私の思考は濁っていく。
「あンッ、オーギュはん、もっとぉ、もっと雌狐おまんこッ、弄って……♪」
被虐心たっぷりにおねだりし、稲荷の誇りは何処へ行ったのかと思い、自分で泣きそうになる。故郷で修行を重ね、異国に日の国の文化と医学を紹介するためやってきたこの私が、犯されることを悦んでいるのだ。しかし今は彼にお仕置きしてもらわなければならないという思いが、他の全ての感情を押さえつけていた。そもそも、こんな快楽の中でまともな思考などできない。
「オーギュはんになら、あンっ、ぶっ壊されてもぉ、ひぐぅっ♪ 本望やからぁ♪」
私の言葉に応えてかどうかは分からないが、立ち位のまま腰の動きはどんどん激しくなる。膣肉を擦られ、子宮を突き上げられ、私はとうとう限界の一線を越えようとしていた。オーギュさんも歯を食いしばっており、同じく限界なのだろう。
‐‐一緒に、イけるんや……♪
初めての人と一緒に、快楽の海に飛び込める。
彼の精を、今度は胎内で味わえる。
そう思った瞬間、私は、そしてオーギュさんも、ついにその一線を越えた。
「くっ、出る！」
「あ、き、て……オーギュはん、おー、ぎゅ、ふぁああああぁん♪」
体全身が浮き上がるような、強烈な快感。自分の手や尻尾でするのとは全く違う。そして体の中に、火傷しそうなほど熱い物が迸る。
これが、男の味。なんと愛おしく、なんと気持ちのいいものなのだろう。
頭がくらくらするような絶頂の時間が終わりに近づき、強張った体から力が抜けていく。
‐‐あ、アカン……おしっこ……
体に力が入らず、壁に背を付けたオーギュさんを頼りに立っている私に、失禁を止める術はない。繋がったままだというのに、たちまち股間から漏れ出してしまった。しかし羞恥心はなく、ただただ快楽の余韻と解放感があるだけだった。
私の尿がじょろじょろと音を立て、床に水たまりを作っていく。これは絶対にオーギュさんに怒られるだろう。そうしたら、今度はどんな風にごめんなさいをすればいいのだろうか。もっと淫乱に交わることになるのだろうか。
倒錯したことを考えながら、私は彼に体重を預け、気持ちよく放尿を続けるのだった。
… … …
「あー、これは完全に魔力が込められてるわね」
白い髪に赤い瞳の女性が、オーギュさんのハサミを見てそう言った。
節のある黒い角、そして髪と同様に白い翼を持ち、腰から伸びる尾がゆらゆらと揺れている。後頭部でまとめた長い髪が、涼しげな印象と妖艶さを併せ持つかのように見えた。体から溢れる妖気と相まって、同性の私さえ見とれてしまいそうな、奇妙な魅力を生み出していた。
「これ、いつから使ってるの？」
「二年前だ。サイクロプスの夫になった男に服を仕立て、代金代わりにもらった」
オーギュさんは鋭い目つきのまま、彼女の手の中にあるハサミを見つめていた。あの後数回交わり、私が自分が漏らした尿を掃除したころに、この白い淫魔がふらりと店にやってきたのだ。
オーギュさんの素晴らしい精の原因は、彼の持つハサミだった。妖怪が強い妖力を込めて作った道具は俗に『呪われた品』などと呼ばれる。女性が手にした場合、妖力が体を侵食していき、やがてはその品を作った者と同種の妖怪へと変貌してしまうのだ。それを願う者たちの手によって人間社会に流通しているわけだが、男性が手にした場合は違う現象が起こる。妖力の干渉によって、精の質が変化していくのだ。丁度、その妖力の持ち主と同種の魔物が好むような、匂いと味に。
「元は稲荷の魔力が込められた、ジパング製の刀か何かだったんじゃないかしら。それを奥さんのサイクロプスが、何を思ったかハサミに打ち直した、と」
微笑を浮かべ、楽しそうに語る白い淫魔に対して、オーギュさんは不機嫌そうだった。そのような道具を、それと知らぬまま渡されたのだから、当然と言えば当然だ。
「ま、稲荷は普通ジパングにしかいないし、大して問題ないだろうと思っていたのかもよ。実際に今まで使ってみて、かなり良かったでしょ？」
「……確かに、この使い心地は他では変えられないが……」
「多分悪意はなかったと思うよ」
「……魔物どもはいつもそう言う」
オーギュさんは舌打ちし、卓上の時計に目をやる。もう夕方になっていた。私が調子に乗って、何度も交わりを望んだせいだ。仕事の邪魔をし、いきなり襲いかかったことに対する申し訳なさと、彼に対する愛しさが胸の中で渦巻く。正直、苦しい。交わりの最中は彼の肉棒で弄られることで、全ての罪が許されるような思いこみをしていたが、現実に戻るとまだ罪悪感が残っている。
「ちなみに、貴方はもうこのハサミのせいでインキュバス化してるわ。シても疲れなかったでしょ。精も完全に変質してるから、ハサミを捨てても無駄よ？」
「ふん、まあいい」
白い淫魔の手からハサミを受け取り、オーギュさんは作業台に向き直った。裁断された生地が、未だに整然と並んでいる。
「仕事にかかる。帰ってくれ」
私たちに背を向け、仕立てを再開しようとするオーギュさん。その背はまるで、もう私たちに興味が無いと言っているかのようだった。ただひたすら服を作ることに熱中する、仕事の鬼へと戻っていくのだ。そんな彼はかっこいい、だがそうなれば、また話しかけられなくなる。
私は咄嗟に、彼の背に叫んだ。
「あ、あのっ。これからも時々来てええやろか？ ご飯作ったり、指圧とかお灸とか、何でもするから！」
ぴくりと、彼の意識が私の方に向いた。
「いきなりあんなことをした、お詫びがしたいんや！ それに身勝手やけど、オーギュはんの味を覚えてもうた……このまま嫌われたくないんや。この通り！」
深く頭を下げる私に背を向けたまま、オーギュさんは道具の準備を続ける。白い淫魔も何も言わない。沈黙の中、私はじっと頭を下げていた。ここで拒絶されたらと思うと、恐怖で全身が強張る。殿方を好きになることが、こんなにも辛いとは思わなかった。私の両親が出会ったときも、このような思いをしたのだろうか。
……そんなことを考える私の耳に、オーギュさんの声が聞こえてきた。
「好きにしろ。次に仕事の邪魔をしたら叩き出す」
それだけ告げ、針仕事にかかる彼の後姿。妙に大きく、堂々としているように見えた。
そして私は受け取った言葉をゆっくりと飲み下し、意味を理解する。
「おおきに！ おおきにな！」
再度頭を下げる私に「頑張ってね」と告げ、白い淫魔が店を出て行く。
出会いはどうあれ、きっかけを掴めたのなら、ここからが勝負だ。何としても、彼を振り向かせて見せる。
決心を固めた私は、彼のため夕飯の準備にかかった。
人間の精を活力源とする種族が魔王に即位した今、全ての妖怪が人間の男から精を受け取るようになった。人と妖怪が男女として互いに求め合い、体の交わりを通じて精と妖力を交わらせ、絆を深めあうのだ。
だから異国の町の往来を歩いていたとき、ある店から感じた精の気配に、私は敏感に反応した。虫を呼ぶ花の香りのように、気がつくとふらふら吸い寄せられてしまうほどの甘美な気配。文化交流のためこの町に来てから、初めて感じた素晴らしい精だ。祖国でもこれほどに私を惹きつける精の持ち主は見たことがない。
不思議なのは往来を通る他の魔物たちが、この精に気づきもしないということだ。私は精を察知するのが得意な方だが、これほどまでに魅力的な精なら誰でも‐‐もちろん魔物であれば‐‐気付くだろうに。
店の看板を見ると、整った字で『リベルテ紳士服工房』と書いてある。仕立屋のようだ。
‐‐どないな殿方がいらっしゃるんやろ……
そう思うと、体が熱くなり始めた。精の気配だけで、ここまで私を高ぶらせる男性がいるのか。
種族として理性的な私も、妖怪は妖怪。直に会ってみたいという衝動を抑えることなどできず、扉に手をかけた。
そして。まだ新しい扉は静かに開き、私の視界に店内の風景が広がった。内装は至って単純で、中央の作業台の他、マネキンや生地の入った棚が数カ所に置かれているだけだ。
しかし私の目を引きつけたのは、作業台に取り付いて布を裁断している一人の男だった。顔の造形は整っているが、額の左側から頬にかけて醜い痣で覆われており、お世辞にも美しい容貌とは言えない。子供が見たら泣き出してもおかしくないだろう。だがその目つきの鋭さは尋常ではなかった。眼鏡のレンズの向こうで、灰色の瞳が射るような光を放っているのだ。あれで見つめられたら、どうなってしまうのだろうか。着ているシャツの白さまでもが、凛々しさを引き立てているかのようだった。
彼の握るハサミが、軽やかな音を立てて布を切り裂いていく。ただの薄い布地が素早く切り裂かれ、服を構成する部品となっていった。それらを見つめる彼の視線は、どんな僅かな狂いも許さないと言っているかのようだ。
思わず唾を飲み込み、尻尾の毛を逆立たせ、私はその姿に見とれていた。だが話しかけることはできない。彼は今、鬼になっているのだ。ただただ、服を作ることに熱中している。彼の精が、気が、ハサミに宿りうねっているかのようだ。剣舞の達人のごとく、つけ入る隙など一切無い。
次から次へと白い布が裁断されていき、袖や裾などの原型ができていった。ひとしきり終わると、彼は切った生地を眺め、ふっと息を吐いた。相変わらず鋭い目つきの無表情だが、どこか快楽に酔っているようにも見える。部屋を包んでいた緊張感が解け、ふと彼が私に目を向けた。
「……ご用件は？」
「え、あ、ああ、ええっと……」
しどろもどろになる私を、彼はあの目線でじっと見つめていた。人と魔物が共存するこの町でも、日の国の妖怪は珍しいはずだが、特に私を見て驚いた様子は無い。心臓の鼓動が高鳴っていく。彼の精の気配は相変わらず私を酔わせ、自慢の白い毛並みが真っ赤に染まるかと思うほど高揚してしまう。
「う、うち、日の国の狩戸藩から来た、紺いいます！」
「……オーギュ・リベルテ。ご用件は？」
目つきに似合う、低く重い声で問いかけてくる。私はふらふらと、夢遊病患者のように彼に近づいてしまった。
‐‐アカン。アカンのは分かるんやけど……
怪訝そうな顔をする彼に、一歩、二歩と近づいていく。そして彼が後ずさったとき、反射的に手を伸ばし、彼の肩を捕まえてしまった。
その瞬間、理性が弾け飛んだ。振り払おうとする彼の腕を強引にねじ伏せ、体ごと抱きつく。最高の精が、気が、私の間近で脈打っている。最早抑えなど効かず、妖怪としての獣欲に身をゆだねた。
「ふふ、オーギュはん……」
「おい、お前！」
引き離そうとしてくるオーギュさんも、稲荷である私が妖力を込めてねじ伏せればどうということもない。そのままじりじりと壁に追いつめ、体重をかけて押さえつける。
ついでに、四本ある尻尾を彼の体に擦りつける。毛先を使い、シャツ越しに脇腹辺りを愛撫してみると、くぐもった声を出して身を捩じらせた。それが可愛くて、尻尾の届く範囲を順番にくすぐっていく。逃がさないよう、しっかりと捕まえたまま。
「く……お前、いい加減に……!?」
即座に唇を奪い、言葉を封じる。閉ざされたかけた歯を舌で押し開き、口の奥へ潜り込んだ。舌に噛みつかれるようなことはなかった。だがオーギュさんが私の口づけに応えてはくれないので、無理矢理舌を絡ませる。
「んむぅ……んんっ……ふみゅ……♪」
無我夢中で彼の口を味わいつつ、私は彼の下半身に手をかける。少し妖力で負荷をかけてやると、革製の帯は簡単に千切れた。ズボンを降ろし、手探りで男根を露出させる。
‐‐ああ、コレや……
オーギュさんの体が、ぴくりと震えた。柔らかいそれを右手で撫でまわし、形を確認する。その間も、唇は重ね合わせたままだった。尻尾で愛撫しているうちに彼の抵抗が大人しくなり、掌の中で男根がゆっくりと勃起していく。
唇を離すと、彼も息遣いが荒くなっていた。単に息苦しかっただけかもしれないが、その姿は私の情欲をさらに刺激する。
「うっ……」
立派にそそり立った肉棒の裏筋を撫でると、オーギュさんは声を漏らした。なんだか嬉しくなってくる。
「お前、は……？」
「ふふ……殿方を悦ばせる技、ちゃんと心得とります。せやから安心して、ウチに任せて？」
頬の痣を舌で舐めて、軽く息をかけてやると、たちまち肉棒からいやらしい汁が染み出してくる。掌で亀頭を撫で、じっくり可愛がってみると、量はますます多くなった。
私はすっと屈み、オーギュさんの肉棒に顔を近づけた。血管の浮き出た大きな棒を眺め、匂いを嗅ぐ。男と精のいい匂いが、鼻孔へ入ってくる。うっとりと楽しんでいるうちに、先走りの汁はどんどん多くなった。垂れそうなそれを、唇で掬い取ると、僅かに混じっている精の味が感じられた。やはり、甘く蕩けそうな、それも私好みの味。たまらない。
「うふ……もっと濃いのを出してほしいんや、濃いのを……」
彼の腰に腕をまわし、肉棒をぱくりと口に含んだ。舌先で亀頭をくすぐるように刺激し、裏筋をつーっと舐めていく。オーギュさんは私の頭を掴んで、引きはがそうとしているようだが、力が入らないらしい。ここぞとばかりに、神経を舌に集中させ、唾液を絡めてねっとりと舐めまわす。
「あ……く……っ！」
「んっ、んんっ、ちゅっ……」
もう少しで精が溢れるというのに、オーギュさんは我慢しているようだ。いきなり現れた女に肉棒をしゃぶられ、あっさりと漏らす気にはなれないようだ。だが、こんな壁は簡単に崩せる。
‐‐お狐様を舐めたらアカンでぇ♪
私は尻尾の一本を、オーギュさんの股下に入れる。日ごろ手入れを欠かさない、ふさふさの白い尾だ。その先端を玉袋に当て……
こちょ、こちょと、くすぐった。
「う……ううっ！」
短く叫んだ瞬間、口の中で肉棒が脈打った。それに送りだされるかのように、オーギュさんの精が、白い御馳走が、一気に迸った。
「んんっ！」
濃厚な甘さと、それ以上に体を震わせる逞しい力。私の全身が、その精を受けて力に満ちていくかのようだった。
‐‐な、なんやこれ……凄い♪
最高の精に、体から力が抜けてしまう。オーギュさんの顔を見上げると、頬を紅潮させ、為す術もなく発精に追い込まれた屈辱と、出し尽くした悦びが同居した表情だった。
萎えた肉棒を咥えたまま、精を味わう。亀頭に残った液も、綺麗に舐め取って飲み込む。しかし、その動きがまた肉棒を刺激した。舌を押し返すように、ゆっくりと硬さと大きさを取り戻していく。
自分でも気付かぬうちに、私は左手で自分の股を弄っていた。ふとももや膝の辺りまで汁が滴り、疼きはまだ強くなっていく。いつもはここで自分の尻尾を挿入して満足を得ているのだが、今そんなことをする気はない。せっかく目の前にある竿を、押し込まない手は無いだろう。
「ふふ……ほなオーギュはん、本番やで？」
着物の裾をまくり、立ち上がる。下着は動くときに邪魔くさいので、普段からつけていない。ゆっくりと彼の肩を抱き、片手で肉棒の向きを調整する。
「お、おい、いくらなんでも！」
「何言うとんねん。オーギュはんかて、ウチとしたいやろ……？」
彼の制止の声など問題にもせず、亀頭に割れ目の入口を密着させる。それだけで快感が走るほどに、私は高ぶっていた。これが初めての交わりだということも、気にならない。むしろ彼のような素晴らしい精の持ち主なら、処女を捧げて当然とさえ思える。そのままゆっくりと腰を沈め、肉の花弁にじっくりと咥え込んでいく。
「うう……や、め……！」
「あ……あ……あ……♪」
徐々に、奥深くへと肉棒を導いていく。不思議と、痛みは微塵も感じない。しかし肉棒が焦らすように擦れていく感触が、たまらない快感を与えてくれた。硬くて、大きくて、とても熱い素敵な肉棒
が、私の奥深くへと挿入されていく。口から涎が垂れてしまうほどに、この快感は甘美だった。
そして、一番奥の気持ちいい所に、先端がこつんと口づけした。体が震え、膣がきゅっと締まる。
が、その時。
「ひあぁっ!?」
あまりの気持ちよさに蕩け切った私の膣を、肉棒が荒々しく突き上げた。
「やぁっ、ちょ、まって……そんら、あああん♪」
オーギュさんはぎろりと眼を光らせ、私を見つめた。私の背に腕をまわし、しっかり抱きしめて腰を突き上げてくる。敏感な状態の膣を突き上げられるたび、快感が槍のように体を突きぬけていく。尻尾の毛が逆立ち、全身がびくびくと震え、それを受け止めていく。彼が抱きしめてくれていなければ、立っていることすらできないだろう。
「ひぎぃっ！ あ、ひぃぁ♪ あんっ、ああっ♪」
突き上げられるたびに、体が勝手に叫んでしまう。そうしているうちに、彼は片手を私のお尻、それも尻尾の付け根辺りに伸ばしてきた。根元の敏感な所をぐりぐりと抓まれ、尻尾を撫でられ、その度に快感が走ってしまう。
いきなり理性を失って初対面の殿方に襲いかかり、しかも犯したはずがいつの間にか逆転されているという状況。もし故郷の同族に見られでもしたら、もう祖国に帰れない。そんな情けない私の姿を、オーギュさんは血走った眼で見つめていた。
「俺はッ、他人にッ、主導権を握られるのがッ、大嫌いでな！」
吐き捨てるように、オーギュさんは言った。その間も腰の動きは止まってくれない。がつん、がつんと腰がぶつかり合い、子宮を先端が突き上げる。
‐‐ああ、そっか。ウチが悪いんやな……
そうだ。
これはお仕置きなのだ。極上の精に釣られ、いきなり彼を犯した私が全て悪い。だから彼に逆に犯してもらって、ごめんなさいしなければならないのだ。
そんな考えが浮かび、私の思考は濁っていく。
「あンッ、オーギュはん、もっとぉ、もっと雌狐おまんこッ、弄って……♪」
被虐心たっぷりにおねだりし、稲荷の誇りは何処へ行ったのかと思い、自分で泣きそうになる。故郷で修行を重ね、異国に日の国の文化と医学を紹介するためやってきたこの私が、犯されることを悦んでいるのだ。しかし今は彼にお仕置きしてもらわなければならないという思いが、他の全ての感情を押さえつけていた。そもそも、こんな快楽の中でまともな思考などできない。
「オーギュはんになら、あンっ、ぶっ壊されてもぉ、ひぐぅっ♪ 本望やからぁ♪」
私の言葉に応えてかどうかは分からないが、立ち位のまま腰の動きはどんどん激しくなる。膣肉を擦られ、子宮を突き上げられ、私はとうとう限界の一線を越えようとしていた。オーギュさんも歯を食いしばっており、同じく限界なのだろう。
‐‐一緒に、イけるんや……♪
初めての人と一緒に、快楽の海に飛び込める。
彼の精を、今度は胎内で味わえる。
そう思った瞬間、私は、そしてオーギュさんも、ついにその一線を越えた。
「くっ、出る！」
「あ、き、て……オーギュはん、おー、ぎゅ、ふぁああああぁん♪」
体全身が浮き上がるような、強烈な快感。自分の手や尻尾でするのとは全く違う。そして体の中に、火傷しそうなほど熱い物が迸る。
これが、男の味。なんと愛おしく、なんと気持ちのいいものなのだろう。
頭がくらくらするような絶頂の時間が終わりに近づき、強張った体から力が抜けていく。
‐‐あ、アカン……おしっこ……
体に力が入らず、壁に背を付けたオーギュさんを頼りに立っている私に、失禁を止める術はない。繋がったままだというのに、たちまち股間から漏れ出してしまった。しかし羞恥心はなく、ただただ快楽の余韻と解放感があるだけだった。
私の尿がじょろじょろと音を立て、床に水たまりを作っていく。これは絶対にオーギュさんに怒られるだろう。そうしたら、今度はどんな風にごめんなさいをすればいいのだろうか。もっと淫乱に交わることになるのだろうか。
倒錯したことを考えながら、私は彼に体重を預け、気持ちよく放尿を続けるのだった。
… … …
「あー、これは完全に魔力が込められてるわね」
白い髪に赤い瞳の女性が、オーギュさんのハサミを見てそう言った。
節のある黒い角、そして髪と同様に白い翼を持ち、腰から伸びる尾がゆらゆらと揺れている。後頭部でまとめた長い髪が、涼しげな印象と妖艶さを併せ持つかのように見えた。体から溢れる妖気と相まって、同性の私さえ見とれてしまいそうな、奇妙な魅力を生み出していた。
「これ、いつから使ってるの？」
「二年前だ。サイクロプスの夫になった男に服を仕立て、代金代わりにもらった」
オーギュさんは鋭い目つきのまま、彼女の手の中にあるハサミを見つめていた。あの後数回交わり、私が自分が漏らした尿を掃除したころに、この白い淫魔がふらりと店にやってきたのだ。
オーギュさんの素晴らしい精の原因は、彼の持つハサミだった。妖怪が強い妖力を込めて作った道具は俗に『呪われた品』などと呼ばれる。女性が手にした場合、妖力が体を侵食していき、やがてはその品を作った者と同種の妖怪へと変貌してしまうのだ。それを願う者たちの手によって人間社会に流通しているわけだが、男性が手にした場合は違う現象が起こる。妖力の干渉によって、精の質が変化していくのだ。丁度、その妖力の持ち主と同種の魔物が好むような、匂いと味に。
「元は稲荷の魔力が込められた、ジパング製の刀か何かだったんじゃないかしら。それを奥さんのサイクロプスが、何を思ったかハサミに打ち直した、と」
微笑を浮かべ、楽しそうに語る白い淫魔に対して、オーギュさんは不機嫌そうだった。そのような道具を、それと知らぬまま渡されたのだから、当然と言えば当然だ。
「ま、稲荷は普通ジパングにしかいないし、大して問題ないだろうと思っていたのかもよ。実際に今まで使ってみて、かなり良かったでしょ？」
「……確かに、この使い心地は他では変えられないが……」
「多分悪意はなかったと思うよ」
「……魔物どもはいつもそう言う」
オーギュさんは舌打ちし、卓上の時計に目をやる。もう夕方になっていた。私が調子に乗って、何度も交わりを望んだせいだ。仕事の邪魔をし、いきなり襲いかかったことに対する申し訳なさと、彼に対する愛しさが胸の中で渦巻く。正直、苦しい。交わりの最中は彼の肉棒で弄られることで、全ての罪が許されるような思いこみをしていたが、現実に戻るとまだ罪悪感が残っている。
「ちなみに、貴方はもうこのハサミのせいでインキュバス化してるわ。シても疲れなかったでしょ。精も完全に変質してるから、ハサミを捨てても無駄よ？」
「ふん、まあいい」
白い淫魔の手からハサミを受け取り、オーギュさんは作業台に向き直った。裁断された生地が、未だに整然と並んでいる。
「仕事にかかる。帰ってくれ」
私たちに背を向け、仕立てを再開しようとするオーギュさん。その背はまるで、もう私たちに興味が無いと言っているかのようだった。ただひたすら服を作ることに熱中する、仕事の鬼へと戻っていくのだ。そんな彼はかっこいい、だがそうなれば、また話しかけられなくなる。
私は咄嗟に、彼の背に叫んだ。
「あ、あのっ。これからも時々来てええやろか？ ご飯作ったり、指圧とかお灸とか、何でもするから！」
ぴくりと、彼の意識が私の方に向いた。
「いきなりあんなことをした、お詫びがしたいんや！ それに身勝手やけど、オーギュはんの味を覚えてもうた……このまま嫌われたくないんや。この通り！」
深く頭を下げる私に背を向けたまま、オーギュさんは道具の準備を続ける。白い淫魔も何も言わない。沈黙の中、私はじっと頭を下げていた。ここで拒絶されたらと思うと、恐怖で全身が強張る。殿方を好きになることが、こんなにも辛いとは思わなかった。私の両親が出会ったときも、このような思いをしたのだろうか。
……そんなことを考える私の耳に、オーギュさんの声が聞こえてきた。
「好きにしろ。次に仕事の邪魔をしたら叩き出す」
それだけ告げ、針仕事にかかる彼の後姿。妙に大きく、堂々としているように見えた。
そして私は受け取った言葉をゆっくりと飲み下し、意味を理解する。
「おおきに！ おおきにな！」
再度頭を下げる私に「頑張ってね」と告げ、白い淫魔が店を出て行く。
出会いはどうあれ、きっかけを掴めたのなら、ここからが勝負だ。何としても、彼を振り向かせて見せる。
決心を固めた私は、彼のため夕飯の準備にかかった。
11/09/25 09:45更新 / 空き缶号
戻る
次へ