悩むなら、支え合いながら……
頭が重い。
夜更かしした翌日とはまた違う、不快な目覚めだった。そもそも、俺は何時に寝たのだろう。朝早くに起きて、レイチェルを探して走り回って、気絶している彼女を店に連れてきて……。
そうだ。俺のオムレツを、美味しいと言ってもらえたのだ。心の底から美味しいと、涙と笑顔を見せつつ言ってくれた。あの笑顔は一生忘れないだろう。
‐‐その後は……彼女の首が落ちて……
そこまで考えた時、俺は 後頭部に当たる柔らかい感触に気付いた。温かみのある優しい感触の枕が、不快感を和らげていく。そして何よりも、いいニオイがした。このまま二度寝したら、さぞ気持ちいいだろう。
「……あ、シャルル。起きたか?」
上から聞こえてくる、女の声。
数回瞬きすると焦点が合ったのか、レイチェルが俺を見下ろしているのが見えた。俺が丁度真下から見ている状態のようで、彼女の胸の稜線から顔が半分だけ見えているという素晴らしい構図だ。そしてこの構図から考えるに、俺の後頭部にある枕の正体は彼女の膝か。男のロマンの一つ、膝枕。
「シャルル……ごめんな。私がいろいろ溜めこんでいたせいで……」
申し訳なさそうにいうレイチェル。口元の表情は前述の通り、胸の稜線に隠れて窺い知ることはできない。しかし少し不安そうな、子犬を連想させるような目で俺を見つめる彼女はかなり可愛かった。口調だけは普段の状態に戻っているというギャップも、それを引き立てている。
同時に、彼女との激しい交わりの記憶が呼び起こされていく。完全に豹変し、無我夢中で俺の精を貪るレイチェルの姿も、一生忘れそうにない。そして、疲労と同時に満足を感じている自分がいた。
「ごめん、本当に……」
「平気だよ……」
俺は笑顔で答えた。上手く笑えたかは分からない。
「俺、レイチェルのこと好きだから」
「し、シャルル……」
レイチェルの顔が赤く染まる。やはり可愛い。
彼女の白い手が、おずおずと頬を撫でてくれた。それだけで、気分がすーっと楽になる。本当に、このまま二度寝してしまおうか。
そんなことを考えていたとき、ドアをノックする音が聞こえた。その時ようやく、今いるのが俺の借りている安アパートの部屋だと気付いた。ヤるだけヤって気絶した後、彼女か店長がここに運んでくれたのだろう。
未だにぼんやりした気分で「どうぞ」と答えると、ゆっくりとドアが開いた。
「あらあら、仲良くなったねー」
ソプラノの声が、部屋に響いた。今この状況で、会いたいような、会いたくないような相手。あの白髪でポニーテールのサキュバスさんだ。相変わらずの明るい笑顔で、楽しそうに俺達を見ている。
しかし彼女の来訪に強く反応したのは、俺ではなくレイチェルだった。
「あ、貴女様は!?」
動揺したように叫ぶレイチェルを、サキュバスさんは片手を上げて制した。気品を感じさせる佇まいが、不思議な圧力を生み出している。レイチェルの様子から見ても、やはりただ者ではないのだろう。
ポニーテールをふわふわと揺らしながら、サキュバスさんはゆっくりと近づいてくる。手にしたバスケットを安物の机に置くと、ベッドに腰掛けて俺達を見た。レイチェルと対極的な、赤い瞳だ。
「あの修道士……ヅギさんは、貴女に稽古の相手を頼まれただけだと言って、私設軍を納得させたみたいよ」
「えっ……!?」
レイチェルの目が大きく見開かれた。まさか仇に助けられるとは思っていなかったのだろう。俺でさえ、ヅギさんが何故そうまでレイチェルを助けようとするのか疑問だった。数えきれないほどの人と魔物を殺し、人肉を食うという話まであるヅギさんが、自分を狙ってきた相手を庇う理由があるのか。もっとも、そんな人間と友達づきあいをしている俺も大概だが。
「彼から伝言があるわ。『お前は教会に住んでいる家族を巻き込まないでくれた。だから殺さなかった。情けではないし、恩に着せるつもりもない。傭兵なりの返礼だ』……ってね」
謝罪の言葉など一切無い、一方的な台詞だった。しかし今のレイチェルにとっては、むしろ救いだったかもしれない。騎士にとって屈辱である情けをかけられたのではなく、返礼として命を助けられたのだから。
それでも、彼女の顔は複雑そうだった。揺らいでいるのだろう。あくまでも姉の仇を取るべきか、許して未来に向かって生きるか。ヅギさんに対するイメージも、今の言葉で変わったのかもしれない。
俺が彼女なら、どうするのだろうか。
「悩みなさい。悩んでいいのよ」
優しい微笑を浮かべ、サキュバスさんは言う。
「今なら悩んでいるとき、間近で支えてくれる人がいるでしょ?」
レイチェルははっとしたように、俺の方を見た。青い瞳に吸い込まれそうだ。支えになってみせるという意思表示として、手を伸ばし、その頬を撫でてみる。たちまちその目が潤み始める。首が落ちたときのように豹変はしなかったが、やはり普通の女の子の表情だった。魔物であり、気高き騎士である彼女でさえ、悩み続けていたのだ。それが、自分を壊しかねないほどに。
‐‐そう言えばレイチェル、自分は泣き虫だったって言ってたような……
「だからね、仇のことも、仕事のことも、お家のことも。一杯悩んで、泣いて、笑って、考えなさい。……シャルル君と一緒にね」
「……はい!」
頬に、何か水が垂れたような気がした。レイチェルの目から零れおちた、尊い雫だ。考えてみれば彼女は、泣きたくても泣けない立場だったのだろう。真面目な性格が災いして、どんどん負の感情を溜めこんでいたのだ。
涙を流しながらも、彼女は確かに嬉しそうだった。
「で、シャルル君」
「は、はい!」
体は咄嗟に起こせなかったが、いきなり話しかけられて緊張気味に返事をする。店長が見たら笑うだろう。
「やったじゃない。もう自分に自信が無いなんて言わないでしょ?」
「ええ、もちろんです。まだ見習いだけど、今なら料理人の自分に自信を持てます!」
「よし」
サキュバスさんは机に置いたバスケットから、文字の書かれた紙きれを取りだした。折りたたまれていたものを広げて、俺に差しだしてくる。大きめの字を見て、店長が書いた物だと一瞬で分かった。
『ミンスの妊娠が分かったので、仕事を休ませる。よって人出が減る。それにお前のオムレツを店のメニューに加えるので、疲れているとは思うが明日は店を休むな。遅刻したら殺す。 PS.ミンスのミルクをやるから飲んでおけ』
見ると、バスケットの中にはミルクの瓶が入っている。明日までに体力を回復させろと言うことだろう。
いっそのこと、俺も『サキュバスの秘薬』を飲むべきか。サキュバスの魔力を抽出した薬で、飲むとすぐにインキュバスになれるらしい。普通は相手がサキュバスでなくても、魔物となら何回もセックスしているうちにインキュバス化するというが、手早くインキュバスになりたいならその薬を飲むのが一番だそうだ。店長は奥さんがいいミルクを出せるようにと、自ら飲んだと言っていた。
だが、今は奥さんのミルクで何とかするしかない。正直この疲労感は、ホルスタウロスのミルクでも回復するか心配だが……。
「どうする? お休みしたい?」
「いいえ。俺の料理をメニューに加えてもらえるんです、じっとしてなんかいられません」
俺の答えに、サキュバスさんは満足げな笑みを浮かべた。レイチェルも、応援するように笑ってくれる。
「やっぱりカッコいいわね、職人魂っていうのは」
言いながら、サキュバスさんは黒い懐中時計を取り出し、軽くゼンマイを巻く。遠い目で文字盤を少し見つめた後、すっと立ちあがった。
帰るのだろうと思い、俺は背中を向けた彼女に、今まで思っていたことを口にした。
「貴女は一体、何者なんですか?」
するとサキュバスさんは微笑んで振り向いた。赤い瞳が、妖しげな美しさを放っている。恋をした少女がいなければ、俺は間違いなく彼女に魅了されていただろう。
「号を風来姫、名はレミィナ……リリムの一柱!」
溌剌とした声で告げ、彼女は軽い足取りで部屋から出て行く。くねる尻尾で器用にドアを閉め、足音だけが遠ざかって行った。
リリム……確かサキュバスの中で、レイチェルたちが仕える魔王の娘のことを指したような気がする。
‐‐つまり……魔物のお姫様!?
「……シャルル」
驚愕している俺に、レイチェルが口を開いた。俺の頬に両手を添え、微笑んでいる。手のぬくもりとすべすべした肌触りが気持ちいい。時々ふんわりと漂ってくる汗のニオイも、膝の感触も、全てが最高だった。
「えっと……何か、欲しい物はないか?」
「……それじゃ、このまま膝枕お願い」
「ふふっ、了解だ」
俺の目標の一つは達成した。しかし料理人としてはむしろ、ここからが試練と言えるだろう。一流、そして超一流の領域に辿り着くまで、歩き続けなければならない。
だが……何とかなる。
レイチェルが俺を支えとしてくれるように、彼女もすでに俺の支えなのだ。
〜fin〜
夜更かしした翌日とはまた違う、不快な目覚めだった。そもそも、俺は何時に寝たのだろう。朝早くに起きて、レイチェルを探して走り回って、気絶している彼女を店に連れてきて……。
そうだ。俺のオムレツを、美味しいと言ってもらえたのだ。心の底から美味しいと、涙と笑顔を見せつつ言ってくれた。あの笑顔は一生忘れないだろう。
‐‐その後は……彼女の首が落ちて……
そこまで考えた時、俺は 後頭部に当たる柔らかい感触に気付いた。温かみのある優しい感触の枕が、不快感を和らげていく。そして何よりも、いいニオイがした。このまま二度寝したら、さぞ気持ちいいだろう。
「……あ、シャルル。起きたか?」
上から聞こえてくる、女の声。
数回瞬きすると焦点が合ったのか、レイチェルが俺を見下ろしているのが見えた。俺が丁度真下から見ている状態のようで、彼女の胸の稜線から顔が半分だけ見えているという素晴らしい構図だ。そしてこの構図から考えるに、俺の後頭部にある枕の正体は彼女の膝か。男のロマンの一つ、膝枕。
「シャルル……ごめんな。私がいろいろ溜めこんでいたせいで……」
申し訳なさそうにいうレイチェル。口元の表情は前述の通り、胸の稜線に隠れて窺い知ることはできない。しかし少し不安そうな、子犬を連想させるような目で俺を見つめる彼女はかなり可愛かった。口調だけは普段の状態に戻っているというギャップも、それを引き立てている。
同時に、彼女との激しい交わりの記憶が呼び起こされていく。完全に豹変し、無我夢中で俺の精を貪るレイチェルの姿も、一生忘れそうにない。そして、疲労と同時に満足を感じている自分がいた。
「ごめん、本当に……」
「平気だよ……」
俺は笑顔で答えた。上手く笑えたかは分からない。
「俺、レイチェルのこと好きだから」
「し、シャルル……」
レイチェルの顔が赤く染まる。やはり可愛い。
彼女の白い手が、おずおずと頬を撫でてくれた。それだけで、気分がすーっと楽になる。本当に、このまま二度寝してしまおうか。
そんなことを考えていたとき、ドアをノックする音が聞こえた。その時ようやく、今いるのが俺の借りている安アパートの部屋だと気付いた。ヤるだけヤって気絶した後、彼女か店長がここに運んでくれたのだろう。
未だにぼんやりした気分で「どうぞ」と答えると、ゆっくりとドアが開いた。
「あらあら、仲良くなったねー」
ソプラノの声が、部屋に響いた。今この状況で、会いたいような、会いたくないような相手。あの白髪でポニーテールのサキュバスさんだ。相変わらずの明るい笑顔で、楽しそうに俺達を見ている。
しかし彼女の来訪に強く反応したのは、俺ではなくレイチェルだった。
「あ、貴女様は!?」
動揺したように叫ぶレイチェルを、サキュバスさんは片手を上げて制した。気品を感じさせる佇まいが、不思議な圧力を生み出している。レイチェルの様子から見ても、やはりただ者ではないのだろう。
ポニーテールをふわふわと揺らしながら、サキュバスさんはゆっくりと近づいてくる。手にしたバスケットを安物の机に置くと、ベッドに腰掛けて俺達を見た。レイチェルと対極的な、赤い瞳だ。
「あの修道士……ヅギさんは、貴女に稽古の相手を頼まれただけだと言って、私設軍を納得させたみたいよ」
「えっ……!?」
レイチェルの目が大きく見開かれた。まさか仇に助けられるとは思っていなかったのだろう。俺でさえ、ヅギさんが何故そうまでレイチェルを助けようとするのか疑問だった。数えきれないほどの人と魔物を殺し、人肉を食うという話まであるヅギさんが、自分を狙ってきた相手を庇う理由があるのか。もっとも、そんな人間と友達づきあいをしている俺も大概だが。
「彼から伝言があるわ。『お前は教会に住んでいる家族を巻き込まないでくれた。だから殺さなかった。情けではないし、恩に着せるつもりもない。傭兵なりの返礼だ』……ってね」
謝罪の言葉など一切無い、一方的な台詞だった。しかし今のレイチェルにとっては、むしろ救いだったかもしれない。騎士にとって屈辱である情けをかけられたのではなく、返礼として命を助けられたのだから。
それでも、彼女の顔は複雑そうだった。揺らいでいるのだろう。あくまでも姉の仇を取るべきか、許して未来に向かって生きるか。ヅギさんに対するイメージも、今の言葉で変わったのかもしれない。
俺が彼女なら、どうするのだろうか。
「悩みなさい。悩んでいいのよ」
優しい微笑を浮かべ、サキュバスさんは言う。
「今なら悩んでいるとき、間近で支えてくれる人がいるでしょ?」
レイチェルははっとしたように、俺の方を見た。青い瞳に吸い込まれそうだ。支えになってみせるという意思表示として、手を伸ばし、その頬を撫でてみる。たちまちその目が潤み始める。首が落ちたときのように豹変はしなかったが、やはり普通の女の子の表情だった。魔物であり、気高き騎士である彼女でさえ、悩み続けていたのだ。それが、自分を壊しかねないほどに。
‐‐そう言えばレイチェル、自分は泣き虫だったって言ってたような……
「だからね、仇のことも、仕事のことも、お家のことも。一杯悩んで、泣いて、笑って、考えなさい。……シャルル君と一緒にね」
「……はい!」
頬に、何か水が垂れたような気がした。レイチェルの目から零れおちた、尊い雫だ。考えてみれば彼女は、泣きたくても泣けない立場だったのだろう。真面目な性格が災いして、どんどん負の感情を溜めこんでいたのだ。
涙を流しながらも、彼女は確かに嬉しそうだった。
「で、シャルル君」
「は、はい!」
体は咄嗟に起こせなかったが、いきなり話しかけられて緊張気味に返事をする。店長が見たら笑うだろう。
「やったじゃない。もう自分に自信が無いなんて言わないでしょ?」
「ええ、もちろんです。まだ見習いだけど、今なら料理人の自分に自信を持てます!」
「よし」
サキュバスさんは机に置いたバスケットから、文字の書かれた紙きれを取りだした。折りたたまれていたものを広げて、俺に差しだしてくる。大きめの字を見て、店長が書いた物だと一瞬で分かった。
『ミンスの妊娠が分かったので、仕事を休ませる。よって人出が減る。それにお前のオムレツを店のメニューに加えるので、疲れているとは思うが明日は店を休むな。遅刻したら殺す。 PS.ミンスのミルクをやるから飲んでおけ』
見ると、バスケットの中にはミルクの瓶が入っている。明日までに体力を回復させろと言うことだろう。
いっそのこと、俺も『サキュバスの秘薬』を飲むべきか。サキュバスの魔力を抽出した薬で、飲むとすぐにインキュバスになれるらしい。普通は相手がサキュバスでなくても、魔物となら何回もセックスしているうちにインキュバス化するというが、手早くインキュバスになりたいならその薬を飲むのが一番だそうだ。店長は奥さんがいいミルクを出せるようにと、自ら飲んだと言っていた。
だが、今は奥さんのミルクで何とかするしかない。正直この疲労感は、ホルスタウロスのミルクでも回復するか心配だが……。
「どうする? お休みしたい?」
「いいえ。俺の料理をメニューに加えてもらえるんです、じっとしてなんかいられません」
俺の答えに、サキュバスさんは満足げな笑みを浮かべた。レイチェルも、応援するように笑ってくれる。
「やっぱりカッコいいわね、職人魂っていうのは」
言いながら、サキュバスさんは黒い懐中時計を取り出し、軽くゼンマイを巻く。遠い目で文字盤を少し見つめた後、すっと立ちあがった。
帰るのだろうと思い、俺は背中を向けた彼女に、今まで思っていたことを口にした。
「貴女は一体、何者なんですか?」
するとサキュバスさんは微笑んで振り向いた。赤い瞳が、妖しげな美しさを放っている。恋をした少女がいなければ、俺は間違いなく彼女に魅了されていただろう。
「号を風来姫、名はレミィナ……リリムの一柱!」
溌剌とした声で告げ、彼女は軽い足取りで部屋から出て行く。くねる尻尾で器用にドアを閉め、足音だけが遠ざかって行った。
リリム……確かサキュバスの中で、レイチェルたちが仕える魔王の娘のことを指したような気がする。
‐‐つまり……魔物のお姫様!?
「……シャルル」
驚愕している俺に、レイチェルが口を開いた。俺の頬に両手を添え、微笑んでいる。手のぬくもりとすべすべした肌触りが気持ちいい。時々ふんわりと漂ってくる汗のニオイも、膝の感触も、全てが最高だった。
「えっと……何か、欲しい物はないか?」
「……それじゃ、このまま膝枕お願い」
「ふふっ、了解だ」
俺の目標の一つは達成した。しかし料理人としてはむしろ、ここからが試練と言えるだろう。一流、そして超一流の領域に辿り着くまで、歩き続けなければならない。
だが……何とかなる。
レイチェルが俺を支えとしてくれるように、彼女もすでに俺の支えなのだ。
〜fin〜
11/09/22 00:12更新 / 空き缶号
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