第十六話 「状況は最悪だ」
夜半、突然鳴り響いた半鐘に布団から飛び起きる。丁度ナナカと一回戦終えたばかりだった。聞きなれない鐘の音に戸惑うナナカへ、一先ず着るものを放ってやる。
「ありゃ火事の合図だ。逃げられるようにしとけ」
いい雰囲気のところを邪魔されたというのはナナカも同じだろうが、こいつは聡明な女だ。すぐに頷いて服を着始める。
俺もふんどしを締めたところで、障子がスッと空いた。立っていたのはエコーだ。
「お二人さん、お楽しみだったみたいだけど、緊急事態だよ」
この女も魔物には違いない。俺たちが今何をやっていたのか察していて、尚且つそれを気にもしていないようだ。敵と聞いて思い浮かぶのは何か、決まっている。
「教団か?」
「そう。ギリギリでこっちのスパイが伝えてくれてね。とりあえず二人とも服を着て、一緒に来てよ」
「合点だ」
どんな事態になるか分からないので、第二種軍装ではなく飛行服を着る。拳銃にもクリップで弾を入れてホルスターに納める。ナナカも素早く身支度を整え、二人でエコーに着いて行った。
「教団は転送魔法で決死隊を送り込んできた。君を殺して、零観を破壊するために」
「転送魔法ってーと、俺がこっちへ来たのと同じやつか?」
あの海上に開いた穴へ飛び込んで瞬間移動した、あれを教団も使ったというのだろうか。そんなことができるなら敵の首都に大規模兵力を直接送り込むとか、もっと大胆な作戦をやりそうなものだが。
「理屈は同じ、一方通行の転送魔法だね。大人数を転送する魔法は条件が厳しくてほぼ無理だから、少数精鋭で勇者を送ってきたんだ」
一方通行。その言葉を聞いて真っ先に二文字の単語が思い浮かんだ。
「レスカティエがあっさり陥落して、教団には勇者はもう当てにならないと考えてる奴らも多い。だから使い捨てでいいか、って開き直る指揮官もいるわけさ。まったく、敗因は別のところにあるってのにね」
……教団はどうやら、我が祖国と同じ道に入ってるようだ。
エコーの他、先日出会った角井秀重という侍とその部下も合流し、海の方へ逃げる。途中で甲冑を来た兵の一団とすれ違い、逆方向で鬨の声も聞こえた。すでに決死隊との戦いが始まっているようだ。
駆けて行く兵士たちは皆、年若い少女たちだった。尾を二、三本生やした狐の妖怪だ。その表情には若干の不安が見えたが、槍を手に足軽具足を着込み、しっかりとした足取りで仲間についていく。
「こっちから転送魔法を用意するには時間がかかるから、君は先に港から飛び立って空で待機して。教団は地上で君と飛行機を始末するつもりみたいだし、ヴァルキリーは来てないようだからね」
服に巻きつけた鎖をジャラジャラと鳴らしながら、エコーは俺たちの前を走る。彼女の説明を聞き、ふと心に靄が広がった。要するに、俺と零観が標的だから逃げろということだ。
「だが、ここの連中に迷惑かけておいて逃げるってのは……」
「心配なさるな。貴殿は奥様を守ることを考えられよ」
そう言う角井さんは甲冑を着ておらず、外から見える防具は鉢金くらいだったが、すでに臨戦態勢といった雰囲気だ。腰に差した刀は大小共に装飾のほとんどない、いかにも実戦用の拵えだ。ルージュ・シティで会った怪僧ヅギと一緒にしていいか分からないが、この男も普通の人間ではあるまい。敵の『勇者』という連中がそうであるように。
先ほどすれ違った狐の少女たちとて、妖怪である以上俺より遥かに強いはずだ。そういう奴らに後ろを任せて、俺はナナカと自分の身を守ることに全力を注ぐのが、確かに正解なのかもしれない。
だが、それで良いのか?
言い伝えで聞いただけの化け物が闊歩し、魔法だの呪いだのが当たり前に存在している世界へ来て、その中で暮らして、ふと視線を感じるようになったのだ。死んでいった戦友たちからの視線を。
あいつらは靖国には行かず、俺をじっと見ているのではないか。俺がまだ生きて、飛行機に乗っているから。彼らのように立派に戦死するでもなく、焼け野原になった祖国を生き返らせるために働くでもなく、未知の世界で女房を持って生きていくことになったから。自分たちの死に意味があったのか、それを俺に問いかけているのではないか。
今も、あいつらの声が聴こえてくる。生きていてもきっと同じことを言われるだろう。
ーー順さん。あんたが飛行機乗りになったのは、女子供に戦わせて逃げ回るためなのか?
「見つけたァァ!」
突如雄叫びが響き、弾かれたように振り向く。屋根の上を伝ってくる男が目に入った。月明かりで見えるのは金髪に洋式の鎧、明らかにこの国の人間ではない。そいつが俺を見据え、槍を振りかぶって跳躍したのだ。
頭が状況を把握しきる前に体が動いた。俺には魔力だのなんだのは無くても、鍛え抜いた反射神経がある。腰の拳銃を抜き、安全装置を外し、構える。
だが俺が引き金を引くより早くエコーが動いていた。右腕の袖から銃らしき物が飛び出すのが見えたかと思うと、そこから水色の光が放たれる。零観の機銃と同じ魔力の弾丸が、空中へ跳んだ『勇者』の腹を射抜いた。
そいつは短い叫び声と共に地面へ落下するが、即座に起き上がる。俺たちとその前に立ち塞がるエコー目掛け、槍を手に突っ込んでくる。
エコーが再度発砲。勇者は魔力の弾丸を槍で払いのける。
しかし次の瞬間にはエコーの方からそいつに接近していた。防御のために槍の穂先が逸れた瞬間を狙い、間合いの内側へ飛び込む。
相手が目を見開いた瞬間、エコーの突き出した左手……その袖から見えた小さな刃が、男の胸に突き刺さっていた。
「ぐ……!」
刃が引き抜かれると同時に、男は膝を着いた。侍の持つ提灯の明かりで顔がよく見えた。まだ若い、少年兵と言っても良い年の若者だ。人種も顔つきもまるで違うのに、どこかあの少尉を連想させる。
するとまたもや、屋根伝いに駆けてくる影が見えた。同じように洋式の鎧を着ているが、体型からして女のようだ。すでに抜刀した角井さんが身構えるも、エコーが手をかざして制止する。
「ケイア、お疲れ様」
「エコー隊長! 遅くなり申し訳ありません!」
返事をしつつ屋根から飛び降り、先ほどの男の側に着地する。エコーの言っていたスパイか。肌の色は褐色がかり、どちらかというとアジア人に近い顔立ちだ。腰には南方の民族が使うような幅広の刀を二本提げ、背中には弓が見えた。
「ケイア! お前が裏切ったのか!?」
胸を押さえて怒鳴る男の顔には、驚きと絶望が入り混じっていた。戦友が敵に寝返ればそうもなろう。
だがケイアという女は動じない。
「ごめんなさい、先輩。ですが教団が私を裏切ったのでありますよ」
「何……!?」
「教団は私の部族から土地を奪った。私は同胞から、侵略者に傅いて生きる裏切り者と見做された。それでも勇者になるべく努力してきたのは、それが同胞の地位の向上に繋がると言われたから」
彼女の声は決して冷静ではなかった。むしろ激情に震えている。俺はナナカの前に立ち、銃の柄に木製のホルスターをとりつけて銃床とした。モーゼル拳銃はこうして騎兵銃のように構えられるのだ。
銃口を男に向けたまま、スパイの話に耳を傾ける。
「けど、勇者の地位を得たとき司祭は私に言った。『汚らわしい民族の血を引いていることなど忘れ、神へと大衆へ奉仕せよ』と。その時点で自分の人生そのものを否定されたのですよ、私は」
「だから……魔物に着くと言うのか……ッ!? こいつらは……人類を……」
「人類の未来なんてどうでもいい! 私が人間の世界で何よりも欲し、手にできなかった宝を魔物たちが約束してくれた!」
感情を爆発させる彼女を見て、俺は直感的に察した。この女はすでに人間ではないと。だが、誰よりも人間らしいと。
「自由! 平等! 愛! 教団が大義のために捨てた小義こそが、私の戦う理由だったのであります!」
「そういうことさ。結局、大のために小を殺すなんてのは……自分が殺される側じゃないから言えるんだよ」
エコーも男に銃を突きつけた。しかし指が引き金にかかった瞬間、男の手で何かが鈍く光った。黒い小瓶だ。ケイアという女がハッと目を見開き、それを奪い取ろうとする。
だがそれよりも早く、男は小瓶を握りつぶした。
「主神とその僕達に栄光あれ!」
刹那。砲声のような衝撃が体を叩いた。
…………
……
……意識が覚醒したとき、鼻に潮の香りを感じた。不快な目覚めだ。痛む頭を抱えながら起き上がり、自分が海の近く、船着場に寝かされていたことを知る。ナナカの大きな瞳が、こちらを心配そうに覗き込んでいた。
「ジュン!」
俺が身を起こすと、ナナカはしっかりと抱きついてくる。大丈夫だと頭を撫でてやるが、こいつの体の感触を味わっている場合ではなさそうだ。
「飛曹長、大丈夫か?」
フィッケル中尉と姫様も近くにいた。周囲から悲鳴や号令が聞こえ、町人たちが提灯を持った武士……または提灯そのものが女に化けたような妖怪に誘導されて逃げていく。
海を見ると、俺の愛機が静かに波に揺られていた。機銃の使者をした後陸揚げして点検を受けたのだが、恐らく俺とナナカが逃げられるようにエコーが手を回したのだろう。だがそのエコーの姿は見えない。
「中尉。何が起きたんです」
「そうだな……」
中尉は真剣な面持ちで、右手には拳銃を握っていた。ワルサーPPというやつだ。姫様の方もいつものふざけた様子は無く、それどころか彼女まで武装していた。長剣の生えた籠手という、日本ではまず見ない武器だ。
二人の視線の先……黒垣の市街地に目をやり、愕然とした。黒い巨大な柱が、街から天へ向かってそびえ立っていたのだ。いや、柱と言うには不定形だ。南洋で見た竜巻のように渦を巻き、蠢いている。
ナナカを抱きしめながら、呆然とその凄まじい光景を見つめる俺に、中尉が再び口を開いた。
「『オンデュウミナスの魔神』……状況は最悪だ」
20/01/23 20:58更新 / 空き缶号
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