連載小説
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禁足地の木像
帆に風を受け、船は快調に進んでいた。精霊使いによってシルフの力を宿された帆は、順風・逆風どちらでも最大限の推力を生み出す。
 空はどこまでも青く済んで、所々に綿菓子のような雲が漂っている。船乗りたちは雲の形からも天候を予測するため、むしろ雲ひとつない青空の方が怖いらしい。もっとも海の魔物なら水温や、時には海神からの託宣によって気象を知ることができる。

 ただこうした快晴にも関わらず、この辺りに魔物はほとんど近寄らない。定期的にシー・ビショップが訪れる以外、人間も魔物もここへやってくることはないのだ。

 その『海の禁足地』の中心にあるのが、ジュンガレイ島。ルージュ・シティの港から高速帆船を走らせ、二時間ほどで着く火山島だ。島の東側に位置する火山は遥か昔に活動を停止し、今は島中が鬱蒼としたジャングルに覆われている。動植物の楽園であり、食料も豊かではあるが、やはり人間も魔物も住んでいない。
 正確には『今は』住んでいない、と言うべきか。旧魔王の時代には僕の先祖が暮らしていたのである。そして彼らと共存していたある種族が、今でも住んでいるはずだ。

「上陸準備だ」
「おう!」

 僕の声に、仲間が元気に返事をする。船員と傭兵一名を除いて、皆ルージュ・シティ美術館の学芸員たちだ。ヴァンパイアの領主が納め、人魔共栄を掲げる都市国家。それだけに学芸員も人魔混成で、それぞれの得意分野を生かして仕事に取り組んでいる。今回はリャナンシーやサキュバス、そしてラミアやアラクネも同行していた。

 今回の仕事は島の先住民……僕の先祖たちが遺した『芸術品』を回収し、後世のために保存することだ。




 ヨットは島の砂浜に接岸し、投錨した。上陸した僕らを出迎えたのは浜を這い回るヤドカリ、そして木々の合間から顔を覗かせる猿だった。金色のたてがみを持つ美しい猿たちは、僕らが砂浜を踏みしめるとけたたましい鳴き声を上げて姿を消した。
 ツタや木の生い茂る密林の向こうには成層型の火山が聳えて、島中を見下ろしている。僕の先祖たちもあの山を仰ぎ見て、その雄大さに何かを感じただろうか。耳に聞こえるのは波の音と、密林に住む動物たちの声だ。秘境、という言葉がよく似合う。

「果物でもあったら土産に持っていこうかな」

 護衛の傭兵が森を見ながらぼやいた。聖職者のような格好をして、その上美男子と言っていい顔をしているが、経歴はかなり物騒な人だ。

「ヅギさん。万一のときには頼りにしてますが、勝手な行動は謹んでくださいね」
「ああ、出番があろうとなかろうとギャラは出るんだろ。オレこれでも病人だし、無駄な戦いはしないよ」

 ヅギ・アスター氏は気だるげに答えた。確かに病人には違いないが、教団の勇者とさえ渡り合える腕利きの傭兵だ。見た目に反して『人肉を食べる』という猟奇的な噂があり、当人もそれを事実だと認めている。最近は食べていないとも聞いたが。
 その一方で傭兵のくせに略奪は一切行わない、という風変わりな人だ。現に平常時は紳士的だが、ふいに狂気じみた一面を見せる。

「で、どんな奴なんだ?」

 尋ねつつ、腰に提げた山刀の埃を払う。

「……『木像の守人』ってのはさ」




 ジュンガレイ島近海が禁足地となったのは旧魔王時代のことだ。魔物の大軍がこの島に押し寄せ、島の住人と死闘を繰り広げたのである。当時の魔物は本当に人間を捕食し、時には意味もない殺戮を喜びとした。彼らは原住民の大半を殺したものの、自分たちも一匹残らず道連れにされた。それ以降、人間のみならず魔物にとってもこの島は不吉な場所となっている。
 僕の先祖はその戦いの前に島を離れた人間らしい。そして今島には、その凄惨な戦いを生き延びた者たちの子孫が暮らしている。ただし、人間ではない。

 ジャングルの中、僕らは草をかき分けて進む。所々に住居の残骸らしき木が落ちており、ここが全くの原生林ではないことが分かる。ただしここに暮らしていた僕の先祖たちは皆、自然と一体になって生きていた。森からもたらされる恵みを忘れず、その環境を壊さないように暮らしてきた。
 今でもその営みの残渣が、僅かに残っているのだ。

「ペースが速かったら言えよ」

 先頭に立つヅギ氏は山刀を振るい、邪魔な蔦を切り払う。船の中で薬を飲んではいたが、本当に病人なのかと疑うほど足取りは軽い。彼の山刀はククリ刀と呼ばれる、山岳民族が使う大ぶりなナイフだ。前のめりに湾曲した形をしており、刃の重さが切っ先に集中するように作られている。本来は農作業や狩猟に使うものだが、武器として使えば高い殺傷力を発揮する。

 同僚たちはジャングルの中に見える動植物……色とりどりの花や鳥を見て感嘆の声を上げながら、道無き道を進む。ヅギ氏は時折道脇に生えた木の実やキノコを摘まみ取っては、生のまま口へ放り込んでいた。

「……それ、毒じゃ……」
「ああ、症状は全身麻痺だろ。慣れてるから平気だよ」

 ツッコミは無駄のようだ。

 彼の後について周囲を見渡し、時折ツタなどで転びながらも密林を進む。だがしばらくすると、僕らは目的地に着いた。木々の合間から見える、開けた窪地。その中に立つ、木製の加工品が見えたのだ。

「……あれだ!」

 思わずヅギ氏を追い抜いて飛び出した。木の葉に遮られていた陽光が体に照りつける。

 僕は息を飲んだ。低い崖に見下ろされた窪地にそびえ立つ、苔むした木の柱の数々。どれも僕の背丈の倍以上はあり、太さは一抱えほどだ。
 そしてその一つ一つが、外面に様々な彫刻を施されていた。ある柱には弓や斧を手にした戦士たちが彫り込まれ、またある柱には踊る女性の姿がびっしりと彫り込まれている。それらの縁には渦巻くような、複雑な模様が彫られ、神秘的な印象を引き立てる。他には獣、鳥、天気……数多くのテーマがそれぞれの柱に描かれ、窪地の中に聳えていた。

 精密に、それでいて直感的に彫られた木像。僕の先祖たちが作り上げた芸術品だ。作った者達がいなくなった今でも、この密林の窪地に静かに立ち続けている。その姿は何とも神秘的だった。

「これは……美しい」
「何かの物語を表していそうな物もある。考古学的にも詳しく調べる価値がありそうだ」
「でも大分風化が進んでいる。このまま放っておいたら朽ち果てるわね」

 同僚たちが口々に感想を述べる。この木像の存在はシー・ビショップたちから伝え聞いていた。彼女たちは定期的にこの島へやってきて、人化の術で陸地にまで踏み入るのだ。先祖たちが遺した木像の美しさと、それが朽ち果てつつあるという話は彼女たちが教てくれた。

 事実、美しい木像は風化が進んでいた。元々魔力を含んだ木だったからこそ何百年も保ったのだろうが、それも限界がある。かつて塗られていたであろう塗料は既に剥げ落ち、苔が生えている。彫刻にもところどころ崩れていたり、中には柱が丸ごと倒れているものもあった。
 木に宿っていた魔力がすでに抜けてしまっているなら、もう二、三十年で全て朽ち果ててしまう。先祖の生み出した作品が全てなくなってしまうのだ。だがルージュ・シティの美術館に持ち帰ることができれば、適切な環境でいつまでも保存できる。

「このサイズだと、全て海岸まで運ぶのは大変だな」
「建築局に頼んでジャイアントアントに来てもらえばいいじゃない。あの子たちの力ならどうってことないわ」
「だがジャングルを抜けて運ぶより、空輸の方が早くないか?」
「ああ。このサイズだとハーピー数人がかりか、またはドラゴンに……」

 あれこれ話ながら、僕らはもっと近くで見ようと足を進めた。この神秘的な木像を調査・回収せねばならないわけだが、今はもっとこの美しさを見ておきたい。
 我らが領主・ルージュ卿は芸術にも造詣が深い。報告書を出せばきっと同意してくれるはず……


「止まれ!」

 ヅギ氏が叫んだ。鋭い声にはっと体が硬直した、その途端。

 僕の胸に、矢が突き刺さった。

「う……ッ!?」

 鋭い痛みと、衝撃。

 脚が体重を支えられなくなる。

 体が地面に崩れ落ちる。

 ばたばたと何かが倒れる音。

 何が起きた?


「……その像から離れて」

 凛とした女性の声が、窪地に響いた。

 僕の他、同僚たちは皆同じように倒れていた。人間も魔物も、一人残らず。
 だがいつの間にか、胸に突き立ったはずの矢は消えていた。痛みもない。皆何が起きたのか分からないという顔をしていた。

 この場で立っているのは……ヅギ氏だけだ。

「おい、タコ助」

 状況が全く分かっていない僕に、彼はぶっきらぼうに声をかける。

「『守り人』が来たぞ」


 ……窪地を見下ろす高台の上に、少女が一人立っていた。歳は僕より少し下……十六、七くらいか。もっとも人間ではないから実年齢は分からない。透き通るような白い肌、凛々しく整った顔立ち、若葉のような緑の髪。樹皮の繊維で作った簡素な服を身にまとい、枝を編んだ冠を身につけていた。そして左手には、蔦で補強した弓。
 思わず息を飲んだ。この密林そのものが女性になったら、こんな姿になるのではないか……そんなことをぼんやりと考えるほど、その姿はジャングルに似合っていた。

 人間と大きく変わらない姿……しかし耳は魔物と同じく尖っている。エルフだ。

「ぼ……僕は、ガーレイ族の末裔です!」

 何とか起き上がりつつ、必死で叫んだ。彼女が目を見開くのが見えた。
 エルフは排他的な種族で、人間を特に嫌う。だが全ての部族がそうというわけではなく、この島のエルフは同じく島に住む人間にだけは心を開いていた。そう聞いている。

「ルージュ・シティから来ました! 僕は先祖の作ったこの木像を守りたいのです!」

 エルフの少女はじっと僕を見据えた。背負った矢筒に矢は入っているようだが、再び射ってくる様子はない。

「……守る? 何から?」
「このままここに放置しておけば、木像は風化する一方です! これは大事な文化遺産! ルージュ・シティへ移して、美術館で適切な修復と保管を行い、後世へ残さなければ……!」

 そう言った途端だ。彼女の弓が僕へ向けられ、全身に衝撃が走った。

 手足、胸、喉……体全身に矢が突き立った。悲鳴を上げる間もなく、僕は再び仰向けに倒れた。嫌という程地面に叩きつけられる。

「ロッフォ!」
「班長!」

 同僚たちが僕の名を呼び、駆け寄ってくる。皆に助け起こされたとき、また矢は消えていた。やはり傷一つ無い。

 エルフはどこか物悲しげな眼差しで、僕たちを見下ろしている。先ほど弓をこちらへ向けたが、矢を番えてはいなかった。だが今なお向けられた弓から放たれる圧力が、僕を押さえつけていた。体が動かない。

「あなたはガーレイ族の末裔“かもしれない”。でも血は継いでいても、精神を受け継いでいない」

 淡々と語られる言葉が、先ほどの矢のように僕に突き刺さった。
 僕の先祖はこの島に住んでいた。だがその文化やしきたりはほとんどが失伝していて、受け継がれていない。だからこそ、僕は自分のルーツを探りたい。

「た……確かに僕は……」

 喉が詰まったようになりながら、辛うじて声を発する。

「先祖の伝統を、受け継いでは……いません……ですが、先祖たちの遺したものを、守りたいという気持ちは、嘘では……ない……」
「そうです! このままではこの木像は朽ち果ててしまいます!」

 仲間の一人が代わりに叫んでくれた。

「このような美しい芸術品が、風化して、崩れ去って……後数十年もすれば何もなくなってしまいますよ!」
「それでいいじゃない」

 場が一瞬沈黙した。耳を疑った。あまりにもあっさりとした返事だ。

「この島の土から生えた木で作られたものが、同じ土に戻る。何もおかしくない」
「まあ道理だな」

 ヅギ氏が他人事のように評し、僕を苛立たせる。この人にとってはこの芸術品もただの丸太なのか? 所詮傭兵に美術が分かるわけがない。
 エルフの守人は彼をちらりと見たが、すぐに僕へ視線を戻した。

「あなたが先祖の伝統を継いでいないのは、恥ずかしいことじゃないわ。けど、この木像をあなたたちには任せられない」

 白い指が背中へまわり、矢筒から矢を一本引き抜いた。鏃の素材は何だろうか。魔界の鉱物や霊木なら人を傷つけることはないはずだが、そうでなければ僕の命を絶つ。急所を外れたとしても、島のカエルから採った狩猟用の毒が塗られていれば……一発で人間の体を麻痺、または死に追いやることができるはずだ。

 後輩が相棒のリャナンシーを懐に入れて庇う。護身用のナイフに手をかけたり、身構える者もいた。しかしヅギ氏が静かに手をかざし、無言の圧力でそれを制している。彼がククリナイフを納刀していることに初めて気づいた。
 守人は再びヅギ氏を見やったが、矢をかざして僕ら全員を見下ろした。

「立ち去りなさい。次は本当に矢を射るから」
「……だ、そうだ。帰ろう」

 ヅギ氏はあっさりと踵を返した。ギャラさえ受け取ればいいということか。

「あんた……!」

 一人で立とうとしても足元がふらつき、仲間に支えられる。そんな僕を、傭兵は呆れたような目で見返した。

「何をされたかも分からなかっただろ? 矢じゃなくて気を当てられたんだよ。ジパング人が『心の一方』とか『居竦の術』とか呼ぶ技と同じだ。オレには効かないけど、そんな技を使える奴からお前らを守るのは無理がある」
「でも……!」
「お前モテないだろ。ちょっとは黙って人の話を聞け、唐変木」

 不意に首を掴まれた。いつでも絞め殺すことはできる、とでも言うような力を加えられ、言葉が引っ込んでしまう。

「オレの仕事はお前らを無事に町へ帰すことだ。ちなみに俺には食った物の毒を濃縮したゲロを吐き出す奥の手がある。あんまり聞き分けが悪いとさっき食ったキノコの麻痺毒をお見舞いして、引きずって帰るぞ」
「……班長、今回は帰りましょう」

 肩を貸してくれている同僚が言う。
 他の皆の顔を見た。意気消沈している。悔しそうな顔をしながらも、今は退くべきだという考えには反論できない……そんな様子が伺えた。

 エルフの少女は弓に矢を番えたまま、僕らの動向をじっと見守っている。これ以上話す気は無い、という圧力が感じられた。

 結局僕は同僚たちに肩を貸してもらいながら、窪地を去るしかなかった。

19/08/19 23:44更新 / 空き缶号
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