連載小説
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第十五話 「友達……みたいなもんかな」
 昭和二十年 八月 佐世保近海





 『瑞星』発動機が唸りを上げ、零式水上観測機は空を駆ける。南方でよく乗っていた機種だ。その後二式水上戦闘機、零戦、彗星へと機種転換したが、今になってこの複葉機との縁がまた巡って来るとは。吹きさらしの飛行機に乗るのは久しぶりで、体に受ける風圧が懐かしい。たまたますぐに飛ばせる機体がこれしか無かったので借用したが、米軍機に見つかれば命は無いだろう。
 今や日本の空は俺たちのものではなくなった。だが俺は飛ばなくてはいけない。電信員席には誰も乗っておらず、旋回機銃が虚しく風に吹かれている。それでいいんだ、今更消えていく命は一つだけで十分だ。

 そうしているうちに、空の中に小さな見つけた。複葉の翼、三つのフロート……同じ零観だ。

「見つけた! 鹿島少尉!」

 古巣の佐世保で出会った、特攻隊員の若い少尉。階級は向こうが一つ上だが、兵学校を出たばかりのごく若い人だ。仲間と共に片道切符の攻撃へ向かい、発動機の不調で一人引き返してきた、謂わば『死に損ない』だ。
 終戦の報を聞いた後、彼は徹底抗戦を叫んだ。厚木に合流して戦い続けるべきだ、と。

 俺は必死で、止めるように説得した。日本人はこれ以上無駄死にしてはならない、と。本心から言ったわけじゃない、彼は俺より若いから死なせたくなかった。
 だが少尉は飛び出してしまった。仲間たちの後を追うために。

「鹿島少尉! 引き返してください!」

 聞こえないのは分かっていても、叫んでしまう。俺は燃料消費を無視して高速で飛んできたため、巡航速度で飛んでいる彼にも追いつけた。小さなシルエットが徐々に大きくなっていく。
 だが少尉はこちらに気づかず、前だけを見続けている。くそ、周辺警戒もできない新米が敵艦と刺し違えるなんて十年早いぞ。仮に刺し違えたとして、それで終戦が取り消しになったらどうする?
 日本は草木一本生えなくなるだろうが。

 さらに接近する。まだ少尉はこちらを振り向かない。

 さらに近く。敵なら撃墜できる距離だ。

 左右のレバーを引き、二つの機銃に初弾を装填する。そして照準器を覗く。光像式照準器なら良いが、零観は旧式の望遠鏡型だ。狙いをつけている間は極端に視界が狭くなる。
 少尉の機体の脇、ギリギリ当たらない辺りへ狙いを定める。スロットルレバーに左手をやり、引鉄を引いた。断続的な発射音と共に、機首の7.7mm機銃が火を吹いた。曳光弾の光と煙が相手の脇を掠めていく。

 鹿島少尉がハッとこちらを振り返った。たまに撃たれても気づかない奴もいるが、この人はまだマシだったか。

「引き返せ! 鹿島少尉!」

 大声で叫びつつ、身振り手振りで「引き返せ!」と伝える。少尉が首を横に振った。再び威嚇射撃をする。可能な限り凄まじい形相で。

 これでも従わないなら本当に撃墜し、俺も海に突っ込んで死ぬ。終戦がご破算になるよりはマシなはずだ。

 覚悟を決めていたとき、俺はふと後方を見た。何か音が聞こえたわけではない。戦闘機乗りの本能だ。誰も乗っていない電信員席と九二式旋回機銃の向こう、尾翼のさらに向こうに、小さな点が四つ見えた。
 じっと凝視する。単発の戦闘機、折れ曲がった翼……まずい。

「逃げろ少尉! シコルスキーだ!」

 後ろを指差して知らせようとする。俺が機銃を撃ったためか、少尉の顔にはいくらか恐怖の色があった。しかし米軍機には気づかず、俺がただ引き返せと繰り返しているように見えたらしい。
 彼がやっとのことで気づいたとき、足の速い敵機はすでに間近まで迫っていた。

 やるしかない。

「逃げてくださいよ、少尉!」

 機を横転させ、急旋回。敵が編隊を解き、二手に別れた。

 機首の長い、翼がW字型に折れ曲がった空冷エンジン機。米海軍または海兵隊のF4Uコルセアだ。全く、濃紺の機体に書かれた星の白さにまで腹が立つ。
 はっきり言って勝ち目はない。零観の武装は7.7mm機銃二丁に対し、向こうは12.7mmを六丁も積んでいる。速度は少なくとも、こっちより200km/hは速い。零観が優っているのは小回りの良さだけ。

 だがもう一つだけ有利な点がある。乗っているのがこの柴順之介ということだ。
 せめて少尉が逃げ切るまで、時間を稼いでやる。それがここまで生き残ってきた俺の、軍人としての最後の義務だ。


「ガ島帰りを舐めんなよ!」











 ……その後、どうなったのかよく覚えていない。とにかく無我夢中だった。F4Uが攻撃してくるのは急旋回でかわし、背後を取れる。だが向こうの方が速いので撃てるのは一瞬だ。そして米軍機は頑丈だから、7.7mmの豆鉄砲では当てたところでなかなか墜ちない。そんなことを必死で繰り返し、突如近くに現れた雲へ苦し紛れに飛び込んだ。一機の敵が追ってくるのが見えたものの、雲に隠れて逃れることができた。
 そして気づいたときには、豪雨の中で浜辺へ着水していた。そこが異なる世界だとは知らずに。

 ついこの間のことなのに、随分昔のことのように思える。何もかも分けのわからんことばかりだった。それなのに今となっては、俺はここへ来るために飛行機乗りになったのではないかと思うくらい、この世界に愛着が湧いている。
 ナナカのいるこの世界に。

「コンターック!」

 『瑞星』発動機が始動し、三翅のプロペラが回り始める。スロットルで回転数を調節し、異常がないことを確認した。
 次いで振り返って後席を見た。今乗っているのはナナカだ。適当な材料で自作した単眼用のゴーグルを装着し、こちらへ微笑を向ける。

「魔法錨解除。行くぞ!」
「うん」

 零観は正常に水の上を滑走する。プロペラの反動を方向舵で相殺しつつ、徐々に速度を上げる。二度目の飛行体験ということもあってか、ナナカは大分冷静で、飛ぶことを楽しんでいた。戦場ではとてもできなかったことだ。
 そう、今の俺たちには自由がある。

 速度計と体に当たる風圧で、離水速度を察する。二重の翼が十分な揚力を得たところで操縦桿を引いた。三つのフロートが水面を離れ、我が零観は上昇していく。
 フラプを閉じ、さらに高度を取る。やはり動力源が魔力に変わってから出力が上がっていた。

「ナナカ、寒くないか?」
「平気!」

 恋女房は元気な声で応えてくれた。後部座席にはルージュ・シティから届いた九二式七粍七機銃が据え付けられ、機首の固定機銃も戻っている。
 そして眼下の水面には試射の的として、無人の小舟が浮かんでいた。左右の機銃に初弾を装填。機体をゆっくりと旋回させ、降下する。

「攻撃に移る」

 機首を下げ、スロットルを絞る。空中戦を想定した機体で爆装も可能だが、艦爆のような急降下爆撃急降下をしては簡単に空中分解してしまう。水面の小舟目掛けて速度を出しすぎないよう緩降下していく。可能な限り近づいて撃ちたいところだが、当然海に突っ込んでも駄目だ。
 照準器を覗く。レンズの向こうで木製の小舟がゆらゆらと揺れている。ラダーを静かに踏み、左右角度を調整。照準線を合わせる。

 発射レバーを短く引き、驚いた。機首に水色の発射炎がちらついたのだ。回転するプロペラの合間を縫い、金属ではなく魔力でできた弾が発射される。アイスキャンデーのような光の帯を引き、小舟の周囲に小さな水柱が上がる。

 操縦桿を引いて上昇、離脱。
 まったく、ルージュ・シティの技術力が日本に無かったのが惜しい。薬莢すら使わない魔法の弾を発射するように機銃を改造し、そのくせ使い方は以前と変わらないときた。ただ風や重力の影響を受けないから、普通の機銃弾と感覚は少し違う。

 距離を取って旋回し、再び一撃。今度は小舟自体に着弾し、パッと水色の光が散った。手応えよし。次だ。

「後部機銃、用意!」
「ん!」

 ナナカが収納式の機銃を引っ張り出し、槓杆を引いた。小舟の上を通過し、機を傾けて横腹を標的に向ける。
 大型機に搭載するような動力銃座ではなく、人力で旋回させる機銃だ。風圧に耐えながらこれを操るには意外と腕力が必要だが、ナナカは軽々と横へ向けて見せた。

「撃て!」

 号令と同時に、ナナカの青い指が引鉄を引いた。機首のと同じ水色の光弾が放たれる。最初は見当違いな方向に着弾したが、ナナカの一つ眼は即座に照準を修正。二連射目は見事に小舟へと命中した。
 平穏な状況とはいえ、教えた通り冷静に機銃を操作している。初心者はつい引鉄を引きっぱなしにしてしまい、すぐに弾切れを起こしてしまう。やはりナナカは肝が座っている。

「上手いぞ、ナナカ」

 褒めてみても、ナナカは小さく頷くだけだった。これが何に使われる物なのか分かっているからだ。ただこの魔力弾は物を壊すことはできるが、生物に対しては気絶させる以上の害を与えない。ルージュ・シティから来た技師はそう説明していた。
 魔物は人間の死も流血も望んでいないが、敵さんはそうではない。だから俺たちにも危機が迫っている。

 だがこの零観があれば、少なくともナナカを守ってやれる。共栄圏だとかなんとか、そんな大義名分なんてもう関係ない。一番大切なものを守るため、そしてナナカやルージュ・シティの連中への恩返し……俺の戦う理由はそれだけだ。

 後は精々、鹿島少尉が無事に帰ったことを祈るのみだった。















 …………






 ……







 波は寄せては引いて、同じ動きを飽きもせず繰り返す。落ちている貝殻からヤドカリが顔を出し、カサカサと砂浜を歩いて行ってはまた閉じこもる。
 俺の後ろには風で揺れる椰子林。太陽が白い砂浜を焼き、素足では歩けないほどだ。

 沖の方から女の子たちの笑い声が聞こえてくる。時折大きな水しぶきを上げ、豊かな女体が空中へ飛び跳ねた。上半身は文句の言いようのない超一級の美女、下半身は魚。おとぎ話に出て来る人魚そのものだ。

「一緒に遊んできたらどうだ?」

 そう声をかけてきたのは島の漁師だった。海の男らしく日焼けした屈強なヒゲ親父。ここに不時着して以来、ずっと居候をさせてもらっている。

「未婚の可愛い人魚を紹介してもらえるかもしれんぞ」
「……オレの機体はちゃんと直るのか?」

 問いかけると、漁師は呆れたようにため息を着いた。そりゃそうだろう、毎日のように同じことを訊いているのだから。

「少しは俺の女房を信じろよ。グレムリンの島だぞ、ここは」
「信用してないわけじゃないんだけどさ……未だに理解が追いつかなくて」

 ポケットから煙草を……いや、煙草の空箱を取り出し、意味もなく弄ぶ。白い箱だ。確か戦争が始まった後、物資節約のために色が変わったのだが、元々は何色だったのか思い出せなくなってきている。

 ただ脳裏に浮かぶのは、あの零式水上観測機の機影。
 もしかしたらあいつも俺と同じく、この奇妙な世界に来ているのかもしれない。そう簡単に死ぬような奴じゃないはずだ。だとすれば今、この海を超えた先のどこかで生きているのだろうか。

「愛機が直ったら、あいつを探しに行く。可愛い女の子の話はそれからさ」
「……そうかい。そいつはよっぽど、大事な友達なんだろうな」

 親父は苦笑した。難儀な奴だな、とでも言いたげだが、どこかで俺の気持ちも分かってくれているようにも思えた。立場は違えど同じ海の男だから、だろうか。

「友達……みたいなもんかな」

 沖を跳ねる人魚たちを眺めながら、俺はぼんやりと答えた。向こうはどう思っているか知らないが、間違っていないはずだ。

 オレもあいつも、海の男で……飛行機乗りなのだから。
19/07/24 23:34更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ
西さん!
西さん!!
西さあああああん!!



お読みいただきありがとうございます。
上のはガルパン最終章第二話の感想です。
読後感ぶち壊しじゃねーか(セルフツッコミ)。

いやはや、体調不良になった若手の代替として結構過酷な部署に異動になってしまいまして……。
会社の体制はまともですが猛暑の中での重労働なので、たまにクラクラと……。
ですがこの話はちゃんと書きたいので、死なない程度に続けていきます!

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