第九話 『世界は貴女が思っているより広い』
ヴァルキューレなる天使は明らかに俺を狙っていた。行く手を塞ごうとする竜騎兵たちを上下左右へ交わし、きらりと光る物……幅広の剣を抜き放って向かってくる。地球の航空力学とは別の力で飛んでいるのが分かった。白い翼から黄金色の粒子を散し、それが飛行機雲のように尾を引いている。
速い。即座にスロットルを開き、沖へ機首を向けて逃走を図る。
「追いつかれる……!」
伝声管を通じてナナカの声が聞こえた。さすがの彼女も声に不安が滲んでいる。
あいつが教団の手の者なら、俺と零観を鹵獲しようとしているのかもしれない。人間が空を飛ぶための手段だ、欲しいだろう。だが噂通りの連中なら、魔物であるナナカを活かしておかないはずだ。
「大丈夫だ、ナナカ」
俺が戦争へ行っている間、一つだけ自慢できることがあった。後部座席に座った奴を一人も死なせなかったことだ。撃墜されたときも引っ張って泳いで帰還した。だからナナカも死なせない。これから女房にしようって女を不名誉な第一号にするわけにはいかないのだ。
だがヴァルキリーは速かった。こちらは鈍足の水上機だが三百キロ以上は出る。それなのにあいつは見る見る内に追いすがってきた。竜騎兵たちが編隊を組んで攻撃を仕掛けるものの、小回りでは相手の方が上でかわされている。それでも時間稼ぎにはなってくれていたから逃げていられるが、このまま着水体勢に入ろうものなら降りる前にやられてしまう。
機銃が撃てればまだ抵抗のしようもあるが、今は試験飛行だ。後部座席の銃は降ろしたままだし、前方機銃には弾が入っていない。あるのは領主から返してもらったモーゼル自動拳銃だけだ。
それでもあいつの翼をプロペラに巻き込んで道連れにしてやるくらいのことはできる。ナナカを乗せていなければ、だが。
後ろで剣光が一閃し、竜騎兵が乗っている竜もろとも墜落していくのが見えた。そしてヴァルキリーは近くまで……戦闘機が相手を撃墜する距離まで近づいていた。顔も見える。流れるような長い金髪に白い肌。深紅の鎧をを身に纏っていた。手にした剣を高々と振り上げ、その刃に青い光が奔る。
感覚で分かった。あれは墜とすつもりだと。
「舌を噛むなよ!」
伝えた直後、機体を急旋回に入れた。左翼の端が地面を指し、垂直に左へ回る。
その瞬間、すぐ横を閃光が掠めていった。機銃の曳光弾とも稲光とも違う、青い、強烈な閃光だった。ただの光ではないことは、その余波で機体がビリビリ震動していることで分かる。
あれが奴の飛び道具か。喰らおうものならひとたまりもあるまい。
だが後方だけに注意しているわけにはいかなかった。眼下でも異変が起きている。着水地点に定められていた海面が、突如輝き始めたのだ。白い光が円形に広がったかと思うと、轟音と共にそこが黒一色に変わる。まるで海上に穴でも空いたかのように。
いや、本当に穴が空いているのかもしれない。そこに水があるように見えないのだ。
何だあれはと思っているうちに、フィッケル中尉の声が聞こえた。
《飛曹長! 海上の穴に飛び込め!》
とんでもない命令があったもんだ。ドイツ空軍中尉に日本海軍飛曹長への命令権なんてあるのかは別問題として、今は従う他に道はない。何が起こるのか尋ねている暇もないし、このまま座して死を待つよりはいいだろう。
もうどうにでもなれ。機首を目標に合わせつつ急降下に入れた。翼が音を立てて風を切る。スロットルを開いて降下しつつ、一瞬後方を確認する。有り難いことにヴァルキリーの進路を妨げているものがあった。
白いコウモリのような翼、黒い衣。一瞬見ただけだったが、レミィナ姫様だ。さすがに魔王の娘ともなると相当強いのか、対峙するヴァルキリーも俺への追撃を中断していた。女に背中を守られるのは何だが、今はこのまま脱出する他はない。
「掴まってろよ!」
海面に広がる漆黒の穴へと、まっしぐらに降下する。高度計の針がどんどん下がっていく。二〇〇メートル……二五〇……一〇〇……五〇……もう後ろは見ない。仮に攻撃がきたとしても、この高度で降下しながら回避機動はできない。
次の瞬間、機首から闇の中へ突入した。周囲が黒一色に包まれ、一切の音がなくなった。プロペラは回っているのにエンジン音が聞こえない。奇妙な感覚だ。
だがそれも一瞬のことだった。耳に音が戻った途端、周囲が再び明るくなった。零を指していた高度計の針が一気に振れ、一五〇〇メートルを指す。確かに海面へ突っ込んだはずなのに、抜けるような青空の中に放り出されていた。そして眼下には海。
後ろを見ると空中にぽっかりと、あの漆黒の穴が空いており、それがすーっと縮小して消えていく所だった。今俺たちはそこから出てきたようだ。これも何かの魔法なのだろうが、それどころではない。
追ってくる者はいないが、機体は未だ急降下を続けていた。計器盤中央の航空羅針儀を確認しつつ、ゆっくりと操縦桿を引く。
次第に機首は上がり、零観は水平に復帰した。念のためもう一度周囲を見回す。敵影はない。ナナカは一つ目でじっとこちらを見ていた。
「……ナナカ、怪我はないか?」
「……平気」
彼女は相変わらずの無表情だったが、伝声管から伝わってくる声は少し掠れていた。当然だ。平和に進捗していた試験飛行が、いきなりあんなことになったのだから。
ともあれ、これからどうするべきか考えなくてはならない。下には海の他、陸地と港が見える。木造船が数隻見えた。陸には木造家屋が密集して並んでいる。魔法には人を一瞬で遠くへ運ぶものがあると領主から聞いていたが、ルージュ・シティとは全く違う場所へ放り出されたようだ。見た事のない風景だが、何か奇妙なものを感じる。懐かしいような感覚だ。
その正体は、視線を下方からやや遠くへ移したときに分かった。城があったのだ。屋根は黒い瓦に覆われ、壁は白く、天守閣の両端には金の鯱らしきものが光っている。堀に囲われて堂々とそびえ立つ、日本式の城だったのだ。
「ここは一体……!?」
「……多分、黒垣藩だと思う……」
ナナカが答えた。
「黒垣藩?」
「ジパングの町……ルージュ・シティと、同盟を組んでいる……」
同盟相手。それを聞いて合点が言った。ひとまず俺たちを安全な場所、それも味方がいる所へ退避させたということか。それにしてもここまで、かつての日本にそっくりな国があるとは。ルージュ・シティでも和服を着た狐の妖怪などを見たことはあるが、彼女たちの故郷はここなのだろう。
高度を下げていく。燃料計改め魔力計を見て、まだエンジンを動かす魔力が十分残っていることを確認する。下では船上で和装の人間や魔物が俺を見上げ、指差しては何やら叫んでいた。あまり低く飛ぶと船を転覆させてしまいかねない。
だが一部の船が沖へと散って行き、陸から張り出した所謂『出島』付近の海面が空いた。そこに着水しろということだろうか。出島にいる人間たちが手を振っている。
「フィッケル中尉、聞こえますか?」
魔法の通信機に尋ねてみても答えはない。さすがに遥か遠くまで離れてしまうと通じないようだ。
このまま当てもなく飛び続けていても仕方ない。こちらの着水地点を空けたということはきっと、ルージュ・シティから話が伝わっているのだろう。同盟関係にあるのだし、魔物の町なら同胞であるナナカを悪いようにはしないはずだ。
「ナナカ。降りるから掴まってろ」
「……うん」
………
……
…
異世界の物体が転移魔法の穴に逃れるのを、私は止めることができなかった。人工の鳥のような奇妙な乗り物が姿を消した後、海面に空いた穴はすぐに消え失せる。私の剣から放たれる裁きの光を受ければ、奴は跡形もなく消滅しただろう。
だが目の前に現れた難敵によって、その追撃を止めざるを得なかった。白い髪を靡かせ、血のような赤い瞳を光らせる黒衣の悪魔。その開けた胸元で、口元に浮かべた笑みでどれだけの人間をたぶらかしてきたことか。私にはその汚らわしき目の色が、白い髪の意味することが分かっていた。
こいつはリリム。我らが主の宿敵・魔王の娘だ。
「もう帰ってもらえるかしら?」
口元に薄ら笑いを浮かべ、奴は言う。右腕には黒く禍々しい形状の篭手をはめ、その先から剣が伸びていた。パタと呼ばれる異教徒の武器だ。腕の力をそのまま刃に乗せることができるが、使い方には熟練を要する剣である。
「これ以上この町で好き勝手するなら……思いっきり後悔してもらうよ」
剣を装備してこちらと向かい合っているにも関わらず、構えは取っていない。両手をだらりと下に下げ、ただ宙に浮いているだけだ。
私の任務は異世界人の抹殺と、持ち込まれた飛行物体の破壊。主神の創りしこの世界の秩序を乱すばかりか、人間の身で空を飛ぶという神への冒涜を犯している。これらを抹消するのが、神から私に与えられた責務だ。この汚らわしい魔物の町を破壊するのは二の次である。
それでもリリムは主神と信徒たちへの重大な脅威、倒しておくに越したことはない。しかし今は優先すべきことがあった。
「異世界からの漂流者がもう一人いるはず。そいつを引き渡せ」
「やっぱりそういうことね」
ため息を吐き、リリムは肩をすくめる。次いでパタを真っ直ぐ横へ突き出し、空いた右掌をこちらへ突き出してきた。魔法剣士が取る構えに似ている。しかし殺気の類が全く感じられない。戦意すら無いかのようだ。
例え戦意が無かろうと、相手が魔物で、邪魔立てするなら斬らねばならない。左手の盾を前へ突き出し、剣の切先は後方へ向けて構える。剣を盾の背後に隠して軌道を読ませぬための構えだ。この破魔の聖剣ならば、例えリリムだろうと斬れる。
見合ったまま数秒、動きを止める。竜騎兵は遠巻きに周囲を旋回していた。割って入るのは危険と踏んだのだろう。だが目の前にいるリリムからは戦いに臨む者の重圧が感じられなかった。戦闘力の低い個体なのか……いや、それならばヴァルキリーたる私の前に立ちはだかったりはしないはずだ。口元からは笑みが消えているものの、何を考えているのか読めなかった。
不用意に近づくのは危険だ。まずは遠距離で仕掛ける。
「リリム、覚悟!」
剣を高く振り上げ、突撃。上段から斬り掛かると見せつつ腕を降ろし、右からの斬り上げに変ずる。
だがそれも欺瞞。距離を半分ほど詰めた所で、私は翼に力を込めて一気に上昇した。天より舞い降りてきたこの体、舞い上がるのにも魔物如きに遅れは取らない。リリムを見下ろす高さで剣に聖なる力を込めた。魔物を浄化する光が私の掌から生じ、それを剣の刃に乗せて増幅する。
力を最大限まで練り上げていては避ける暇を与えることになる。半分ほどまで溜めて、剣を振り下ろした。白銀の刃から青い閃光が解き放たれ、鐘の鳴るような音が響いた。魔王の娘と言えどこれをまともに受ければ無事で済むまい。
だが奴は避けることも、防御魔術を唱える様子もなかった。パタの篭手で防ぐわけでもなく、空いた左手を自分の目の前にかざしている。
「な……!?」
私は自分の目を疑った。放った閃光が、聖なる力が、リリムの掌へ吸い込まれたのだ。光が消えた後、その掌には傷一つない。防いだのではなく吸収されたのである。
直後、リリムの目つきが若干変わった。今までのぼんやりとした眼差しから、こちらへ狙いを定める目つきに。
刹那。奴の手から光が迸った。私が今放った聖なる光を、そのまま撃ち返してきたのである。
「くうッ!」
相手の目つきの変化に気づけたため、防御が間に合った。盾から左腕へ、自分の攻撃魔法の衝撃が伝わってくる。盾に当たった光が水の如く拡散し、放射状に周囲に飛び散っては消えていった。
リリムの手から閃光が出尽くしたとき、盾からは煙が燻っていた。今奴は魔物の身でありながら、私の聖なる力を吸収して跳ね返した。こんなことはあり得ないはずだ。如何に強い力を持っていても、魔物と相反する我々の力を吸収するなど……。
「言っておくけど」
構えを解きつつ、リリムは口を開いた。
「わたしは成人してるリリムの中では弱い方だよ」
奴が動いた。白い蝙蝠のような翼をはためかせ、空中に弧を描きながら迫ってくる。決して速くはない。だが極めて不規則……予測しにくい。上下へ、左右へ、その動きは一定しない。
それが突如、一直線にこちらへ向かってきた。パタの黒い刃が禍々しく煌めく。
「はっ!」
盾で身を庇いつつ、剣を相手の剣にぶつけ合わせて止める。篭手と一体化したパタの一撃はさすがに重かった。直後に思い切り盾を押し出してリリムを突き飛ばしたが、盾は奴の体に微かに触れたのみで手応えはない。
再び振り下ろされるパタを盾で防ぎつつ反撃するも、我が剣の切先はパタの剣先で払われた。さらに数手斬り結ぶ。電光石火の動きではないが、リリムの剣技は極めて読みにくく、緩やかかと思えば急に素早く攻めてくる。こちらには盾があるが、縦横無尽に動き回ってはこちらの防御を崩しにくる。教団の勇者にこんな動きをする者は一人もいない。同じヴァルキリーでさえもだ。
聖なる攻撃魔法を吸収して撃ち返したことといい、このリリムは不可解すぎる。私の剣をパタの篭手で受け止めたとき、奴は赤い瞳でじっと見つめてきた。
「奴隷根性で動いているだけの貴女に、わたしは倒せない!」
「黙れ!」
剣が離れ、打ち合いが始まる。私が剣で薙ぎ払い、奴は後ずさって避ける。奴の回転切りを、私が盾で逸らす。
「私は偉大なる神によって創られた! この忠義は絶対だ!」
「その奢りのせいで、世界の広さが見えないのよ」
リリムの左手が閃いたかと思うと、私の盾が凄まじい力で横へ引っ張られた。念動力だ。一瞬のことだが防御が解かれ、その隙にリリムは後方へ飛びずさる。転移魔法の一種だろう、その左手に何かが出現した。細長いその武器を奴は振りかぶり、私へ投げつけてくる。
回転しながら飛翔するそれは折れ曲がった投げ棍棒……カイリーと呼ばれる戦闘用ブーメランだ。
防御が間に合わない。悟った私は両腕を広げ、力を解き放った。私を中心に放たれた波動が大気を震わせるも、リリムは髪が靡いただけだ。しかしカイリーは衝撃波の壁にぶつかり、地上へと自由落下していく。
「お見事。多分貴女はわたしより強いね」
リリムはニヤニヤと笑った。
「でも、わたしの方が『巧い』」
再び魔法剣士に似た構えを取ったかと思うと、パタを上段に振りかざして打ちかかってくる。途中で剣の軌道が代わり、横薙ぎに変化した。その程度のフェイントは苦もなく見切り、盾でガードする。だが剣の一撃を盾に受けた瞬間、脚に何かが巻き付いてきた。
これは……こいつの尾だ!
刹那、胸元に衝撃。今までの不規則な動きとは違う、瞬間の掌打だった。鎧によって防がれたものの、魔力の込められた一撃で後ろへ仰け反ってしまう。
「よいしょっ」
リリムが急上昇する。私の脚を尻尾で捉えたまま。掌打で体勢を崩した私はそのまま脚を引っ張り上げられ、空中で逆さ吊りのような体勢になってしまった。奴の視線は私の下半身……地上の重力で捲れた腰巻きの中を見つめる。
「おー、可愛いの履いてるじゃない」
「み、見るなぁっ!」
四枚の翼で羽ばたき、すぐさま体を起こす。こいつだけは生かしてはおけない。
剣に全力を注ぎ込んだ。急速に聖なる力が溜まり、強烈な青い光が刃から発せられる。リリムは眩しそうに目を背けた。これを魔法として発射すれば吸収されるだけだろうが、剣に乗せたまま叩き付ければどうなるか。
「滅びろ!」
至近距離からの渾身の一撃。奴は完全に私の間合いに入っていた。
だが、剣は空ぶった。リリムは私から距離をとったわけでも、上下左右へかわしたわけでもない。剣の間合いの更に内側へ入り、私に密着してきたのだ。
「力任せはよくないよ」
その言葉と共に、リリムの掌から稲妻が迸った。黒く禍々しい魔力の雷、この距離ではかわす間などない。
それはまるで矢のように、私の喉を射抜いた。
一瞬、脳裏を『死』という単語が掠める。だが痺れるような衝撃だけで、体にそれ以上の負荷はなかった。
すぐさま距離を取る。麻痺などの魔法でもなかったようで、翼や手足も問題なく動いた。ただの虚仮威しだったのか?
「もう十分でしょう? 貴女はわたしには勝てないよ」
「黙れ、汚らわしい魔物が! おチンチンしゃぶりたいぞ!」
……叫んだ直後、自分の口からとんでもない言葉が出てしまったことに気づいた。無意識のうちに、言うつもりもない、そもそも思ってもいないことを口走っていたのである。
「な、な、ななな……」
殴られたり斬られたりするよりよほど強い衝撃だった。ヴァルキリーたる私が、聖なる存在が卑猥な言葉を口走るなど。混乱する私に、リリムは不敵な笑みを向けてくる。
まさか今のは……呪い!?
「んふふ。世界は貴女が思っているより広い。旅をしていろいろ学べば、貴女達の力を跳ね返す方法も……呪いをかける方法も分かる」
構えを解いて余裕を見せながら、奴は得意げに語った。
「ちなみに今かけたのは、台詞にいやらしい言葉を付け加えてしまう呪いよ」
「貴様ぁぁぁ! 乳首舐めさせろ! よくもそんなものを私に……アナルが痒いぞ!」
怒りの言葉に、勝手に混じる汚れた単語の数々。頬が紅潮していくのが自分でも分かった。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。いっそ殺せ。いやその前に、こんな屈辱を味わわせているこのリリムを抹殺しなくてはならない。何が何でもこいつだけは殺す!
「はぁぁぁぁッ、おマンコォォォォ!」
全力で突撃し、剣を振り下ろす。怒りに任せて蹴りを放つ。盾で殴る。魔法も放つ。
その全てをリリムはふわふわと、風に漂うような動きで避ける。構えを取ったり、パタで防御するようなことはせず、何でもないかのように尽く避けられてしまった。まるでタンポポの綿毛でも相手にしているかのようだ。しかし綿毛を憎いと思うことはないが、このリリムへの憎悪は我が体全てを支配するほどだった。
何が何でもこいつの首を切り落とさねば。振るった剣をいくら避けられても、私は戦い続けた。
「おおっと、ヴァルキリーさんが怒りに身を任せました! これは果たして神族の道なのでしょうか!?」
「黙れおっぱい! 何が何でも貴様とシックスナイ……貴様を倒してくれる! そして帰って自慰をする!」
「なお、今までの発言は全て……」
リリムはおもむろに、ポケットからきらりと輝くものを取り出した。空豆くらいの小さな水晶玉だ。
「この記録水晶に録音しておりま〜す!」
「おのれぇ! パイズリだぁぁぁ」
何かを言うごとに必ず淫語を付け加える、呪われた喉。いっそ剣で抉り取ってしまいたかった。
「ああ、もう無駄だって。力任せの技がわたしに当たるわけないでしょ。降伏しなさいよ」
「して欲しかったらクンニしろぉぉぉ!」
その瞬間、リリムの姿がふっと消えた。剣が空振りし、私は周囲を見回す。
だが見つかる前に、下半身にぞわっとする刺激を感じた。
「ひぁぁっ!?」
思わず、戦乙女にあるまじき黄色い声を出してしまう。リリムは私のスカートに頭を突っ込み、股間に顔を密着させていたのだ。
下着が降ろされ、ねっとりと何かが這ってくる。魔物の舌だと分かった瞬間、例えようもない不快感が湧き立った。
だが私の股……子を成すという神聖な行為を行うための割れ目に舌が入りこんだとき、体がビクリと震えた。
気持ちいい。
そう思ってしまった自分を即座に戒め、リリムを体から引きはがそうとする。しかし再び舌で舐め上げられると、途端にその気力はなくなってしまった。
「はぅぅぅ、よ、止せ……おマンコ、気持ちいい……」
口走った言葉は呪いによるものだったが、次第に感情までそれに同調しそうになる。舌が割れ目を這う度に夢心地になり、駄目だと思ってはまた快感に意思をねじ伏せられてしまう。体がビクビクと震え、じゅるじゅるという水っぽい音がどこからともなく聞こえてきた。リリムが何かを舐めとっている。まさか私の女性器から、そんなにまで淫らな汁が垂れているというのか。こんな、淫乱な女のように……
「おマンコ、気持ちいい……おマンコ、気持ちいい……おマンコ、気持ちいい……」
うわ言のように垂れ流される言葉。違う、これは私の意思ではない。
「ああああんっ♥ 気持ちイイっ♥」
舌先で女性器の突起をつつかれ、体がびくびくと震えた。続いて、きゅんと下腹部が疼く。
「おっと!」
何かを察したかのように、リリムは私から放れた。その顔はぬらぬらとした液体にまみれている。あれが全て私の女性器から垂れたというのか。
だがそれよりも、私の下腹部の疼きは急激に高まった。それが何なのか分かり、私は咄嗟に剣を鞘に納め、手で股間をぎゅっと押さえた。だが……。
「あああああっ! 駄目ぇ! 見るなぁ! 気持ちイイーッ!」
羞恥心が最高潮に達した瞬間、堤防が結界した。股間から流れ出す黄色い液体を、私は止めることができなかったのだ。スカートに染みが広がり、太ももを温かい感触が伝って行く。
ヴァルキリーともあろう者が魔物に股間を舐められ、よりにもよって魔物の町の上空で失禁させられた。私のプライドは斧で一万回以上殴られたかのように粉々になっていた。そしてそれすらも気持ちよく感じてしまったことに、言い知れぬ怒りが込み上げてきた。
「くぅぅッ……貴様だけは必ずファックし……抹殺してやる! 覚えておけ!」
残る全ての力を翼に込め、私は一気に急上昇する。「シてあげたんだから降伏しなさいよー!」と叫ぶリリムを無視し、全力で東へ、味方の拠点を目指した。竜騎兵も追ってはこない。解呪を行い、今度は我が戦友と……神に選ばれた勇者と共に、必ず奴を倒すのだ。
この屈辱は永遠に忘れない。放尿を終えて未だに疼く股間を押さえながら、私は復讐を誓った。
「姫の戦いぶりはどうかな、フィッケル卿」
「ただのイジメですね」
速い。即座にスロットルを開き、沖へ機首を向けて逃走を図る。
「追いつかれる……!」
伝声管を通じてナナカの声が聞こえた。さすがの彼女も声に不安が滲んでいる。
あいつが教団の手の者なら、俺と零観を鹵獲しようとしているのかもしれない。人間が空を飛ぶための手段だ、欲しいだろう。だが噂通りの連中なら、魔物であるナナカを活かしておかないはずだ。
「大丈夫だ、ナナカ」
俺が戦争へ行っている間、一つだけ自慢できることがあった。後部座席に座った奴を一人も死なせなかったことだ。撃墜されたときも引っ張って泳いで帰還した。だからナナカも死なせない。これから女房にしようって女を不名誉な第一号にするわけにはいかないのだ。
だがヴァルキリーは速かった。こちらは鈍足の水上機だが三百キロ以上は出る。それなのにあいつは見る見る内に追いすがってきた。竜騎兵たちが編隊を組んで攻撃を仕掛けるものの、小回りでは相手の方が上でかわされている。それでも時間稼ぎにはなってくれていたから逃げていられるが、このまま着水体勢に入ろうものなら降りる前にやられてしまう。
機銃が撃てればまだ抵抗のしようもあるが、今は試験飛行だ。後部座席の銃は降ろしたままだし、前方機銃には弾が入っていない。あるのは領主から返してもらったモーゼル自動拳銃だけだ。
それでもあいつの翼をプロペラに巻き込んで道連れにしてやるくらいのことはできる。ナナカを乗せていなければ、だが。
後ろで剣光が一閃し、竜騎兵が乗っている竜もろとも墜落していくのが見えた。そしてヴァルキリーは近くまで……戦闘機が相手を撃墜する距離まで近づいていた。顔も見える。流れるような長い金髪に白い肌。深紅の鎧をを身に纏っていた。手にした剣を高々と振り上げ、その刃に青い光が奔る。
感覚で分かった。あれは墜とすつもりだと。
「舌を噛むなよ!」
伝えた直後、機体を急旋回に入れた。左翼の端が地面を指し、垂直に左へ回る。
その瞬間、すぐ横を閃光が掠めていった。機銃の曳光弾とも稲光とも違う、青い、強烈な閃光だった。ただの光ではないことは、その余波で機体がビリビリ震動していることで分かる。
あれが奴の飛び道具か。喰らおうものならひとたまりもあるまい。
だが後方だけに注意しているわけにはいかなかった。眼下でも異変が起きている。着水地点に定められていた海面が、突如輝き始めたのだ。白い光が円形に広がったかと思うと、轟音と共にそこが黒一色に変わる。まるで海上に穴でも空いたかのように。
いや、本当に穴が空いているのかもしれない。そこに水があるように見えないのだ。
何だあれはと思っているうちに、フィッケル中尉の声が聞こえた。
《飛曹長! 海上の穴に飛び込め!》
とんでもない命令があったもんだ。ドイツ空軍中尉に日本海軍飛曹長への命令権なんてあるのかは別問題として、今は従う他に道はない。何が起こるのか尋ねている暇もないし、このまま座して死を待つよりはいいだろう。
もうどうにでもなれ。機首を目標に合わせつつ急降下に入れた。翼が音を立てて風を切る。スロットルを開いて降下しつつ、一瞬後方を確認する。有り難いことにヴァルキリーの進路を妨げているものがあった。
白いコウモリのような翼、黒い衣。一瞬見ただけだったが、レミィナ姫様だ。さすがに魔王の娘ともなると相当強いのか、対峙するヴァルキリーも俺への追撃を中断していた。女に背中を守られるのは何だが、今はこのまま脱出する他はない。
「掴まってろよ!」
海面に広がる漆黒の穴へと、まっしぐらに降下する。高度計の針がどんどん下がっていく。二〇〇メートル……二五〇……一〇〇……五〇……もう後ろは見ない。仮に攻撃がきたとしても、この高度で降下しながら回避機動はできない。
次の瞬間、機首から闇の中へ突入した。周囲が黒一色に包まれ、一切の音がなくなった。プロペラは回っているのにエンジン音が聞こえない。奇妙な感覚だ。
だがそれも一瞬のことだった。耳に音が戻った途端、周囲が再び明るくなった。零を指していた高度計の針が一気に振れ、一五〇〇メートルを指す。確かに海面へ突っ込んだはずなのに、抜けるような青空の中に放り出されていた。そして眼下には海。
後ろを見ると空中にぽっかりと、あの漆黒の穴が空いており、それがすーっと縮小して消えていく所だった。今俺たちはそこから出てきたようだ。これも何かの魔法なのだろうが、それどころではない。
追ってくる者はいないが、機体は未だ急降下を続けていた。計器盤中央の航空羅針儀を確認しつつ、ゆっくりと操縦桿を引く。
次第に機首は上がり、零観は水平に復帰した。念のためもう一度周囲を見回す。敵影はない。ナナカは一つ目でじっとこちらを見ていた。
「……ナナカ、怪我はないか?」
「……平気」
彼女は相変わらずの無表情だったが、伝声管から伝わってくる声は少し掠れていた。当然だ。平和に進捗していた試験飛行が、いきなりあんなことになったのだから。
ともあれ、これからどうするべきか考えなくてはならない。下には海の他、陸地と港が見える。木造船が数隻見えた。陸には木造家屋が密集して並んでいる。魔法には人を一瞬で遠くへ運ぶものがあると領主から聞いていたが、ルージュ・シティとは全く違う場所へ放り出されたようだ。見た事のない風景だが、何か奇妙なものを感じる。懐かしいような感覚だ。
その正体は、視線を下方からやや遠くへ移したときに分かった。城があったのだ。屋根は黒い瓦に覆われ、壁は白く、天守閣の両端には金の鯱らしきものが光っている。堀に囲われて堂々とそびえ立つ、日本式の城だったのだ。
「ここは一体……!?」
「……多分、黒垣藩だと思う……」
ナナカが答えた。
「黒垣藩?」
「ジパングの町……ルージュ・シティと、同盟を組んでいる……」
同盟相手。それを聞いて合点が言った。ひとまず俺たちを安全な場所、それも味方がいる所へ退避させたということか。それにしてもここまで、かつての日本にそっくりな国があるとは。ルージュ・シティでも和服を着た狐の妖怪などを見たことはあるが、彼女たちの故郷はここなのだろう。
高度を下げていく。燃料計改め魔力計を見て、まだエンジンを動かす魔力が十分残っていることを確認する。下では船上で和装の人間や魔物が俺を見上げ、指差しては何やら叫んでいた。あまり低く飛ぶと船を転覆させてしまいかねない。
だが一部の船が沖へと散って行き、陸から張り出した所謂『出島』付近の海面が空いた。そこに着水しろということだろうか。出島にいる人間たちが手を振っている。
「フィッケル中尉、聞こえますか?」
魔法の通信機に尋ねてみても答えはない。さすがに遥か遠くまで離れてしまうと通じないようだ。
このまま当てもなく飛び続けていても仕方ない。こちらの着水地点を空けたということはきっと、ルージュ・シティから話が伝わっているのだろう。同盟関係にあるのだし、魔物の町なら同胞であるナナカを悪いようにはしないはずだ。
「ナナカ。降りるから掴まってろ」
「……うん」
………
……
…
異世界の物体が転移魔法の穴に逃れるのを、私は止めることができなかった。人工の鳥のような奇妙な乗り物が姿を消した後、海面に空いた穴はすぐに消え失せる。私の剣から放たれる裁きの光を受ければ、奴は跡形もなく消滅しただろう。
だが目の前に現れた難敵によって、その追撃を止めざるを得なかった。白い髪を靡かせ、血のような赤い瞳を光らせる黒衣の悪魔。その開けた胸元で、口元に浮かべた笑みでどれだけの人間をたぶらかしてきたことか。私にはその汚らわしき目の色が、白い髪の意味することが分かっていた。
こいつはリリム。我らが主の宿敵・魔王の娘だ。
「もう帰ってもらえるかしら?」
口元に薄ら笑いを浮かべ、奴は言う。右腕には黒く禍々しい形状の篭手をはめ、その先から剣が伸びていた。パタと呼ばれる異教徒の武器だ。腕の力をそのまま刃に乗せることができるが、使い方には熟練を要する剣である。
「これ以上この町で好き勝手するなら……思いっきり後悔してもらうよ」
剣を装備してこちらと向かい合っているにも関わらず、構えは取っていない。両手をだらりと下に下げ、ただ宙に浮いているだけだ。
私の任務は異世界人の抹殺と、持ち込まれた飛行物体の破壊。主神の創りしこの世界の秩序を乱すばかりか、人間の身で空を飛ぶという神への冒涜を犯している。これらを抹消するのが、神から私に与えられた責務だ。この汚らわしい魔物の町を破壊するのは二の次である。
それでもリリムは主神と信徒たちへの重大な脅威、倒しておくに越したことはない。しかし今は優先すべきことがあった。
「異世界からの漂流者がもう一人いるはず。そいつを引き渡せ」
「やっぱりそういうことね」
ため息を吐き、リリムは肩をすくめる。次いでパタを真っ直ぐ横へ突き出し、空いた右掌をこちらへ突き出してきた。魔法剣士が取る構えに似ている。しかし殺気の類が全く感じられない。戦意すら無いかのようだ。
例え戦意が無かろうと、相手が魔物で、邪魔立てするなら斬らねばならない。左手の盾を前へ突き出し、剣の切先は後方へ向けて構える。剣を盾の背後に隠して軌道を読ませぬための構えだ。この破魔の聖剣ならば、例えリリムだろうと斬れる。
見合ったまま数秒、動きを止める。竜騎兵は遠巻きに周囲を旋回していた。割って入るのは危険と踏んだのだろう。だが目の前にいるリリムからは戦いに臨む者の重圧が感じられなかった。戦闘力の低い個体なのか……いや、それならばヴァルキリーたる私の前に立ちはだかったりはしないはずだ。口元からは笑みが消えているものの、何を考えているのか読めなかった。
不用意に近づくのは危険だ。まずは遠距離で仕掛ける。
「リリム、覚悟!」
剣を高く振り上げ、突撃。上段から斬り掛かると見せつつ腕を降ろし、右からの斬り上げに変ずる。
だがそれも欺瞞。距離を半分ほど詰めた所で、私は翼に力を込めて一気に上昇した。天より舞い降りてきたこの体、舞い上がるのにも魔物如きに遅れは取らない。リリムを見下ろす高さで剣に聖なる力を込めた。魔物を浄化する光が私の掌から生じ、それを剣の刃に乗せて増幅する。
力を最大限まで練り上げていては避ける暇を与えることになる。半分ほどまで溜めて、剣を振り下ろした。白銀の刃から青い閃光が解き放たれ、鐘の鳴るような音が響いた。魔王の娘と言えどこれをまともに受ければ無事で済むまい。
だが奴は避けることも、防御魔術を唱える様子もなかった。パタの篭手で防ぐわけでもなく、空いた左手を自分の目の前にかざしている。
「な……!?」
私は自分の目を疑った。放った閃光が、聖なる力が、リリムの掌へ吸い込まれたのだ。光が消えた後、その掌には傷一つない。防いだのではなく吸収されたのである。
直後、リリムの目つきが若干変わった。今までのぼんやりとした眼差しから、こちらへ狙いを定める目つきに。
刹那。奴の手から光が迸った。私が今放った聖なる光を、そのまま撃ち返してきたのである。
「くうッ!」
相手の目つきの変化に気づけたため、防御が間に合った。盾から左腕へ、自分の攻撃魔法の衝撃が伝わってくる。盾に当たった光が水の如く拡散し、放射状に周囲に飛び散っては消えていった。
リリムの手から閃光が出尽くしたとき、盾からは煙が燻っていた。今奴は魔物の身でありながら、私の聖なる力を吸収して跳ね返した。こんなことはあり得ないはずだ。如何に強い力を持っていても、魔物と相反する我々の力を吸収するなど……。
「言っておくけど」
構えを解きつつ、リリムは口を開いた。
「わたしは成人してるリリムの中では弱い方だよ」
奴が動いた。白い蝙蝠のような翼をはためかせ、空中に弧を描きながら迫ってくる。決して速くはない。だが極めて不規則……予測しにくい。上下へ、左右へ、その動きは一定しない。
それが突如、一直線にこちらへ向かってきた。パタの黒い刃が禍々しく煌めく。
「はっ!」
盾で身を庇いつつ、剣を相手の剣にぶつけ合わせて止める。篭手と一体化したパタの一撃はさすがに重かった。直後に思い切り盾を押し出してリリムを突き飛ばしたが、盾は奴の体に微かに触れたのみで手応えはない。
再び振り下ろされるパタを盾で防ぎつつ反撃するも、我が剣の切先はパタの剣先で払われた。さらに数手斬り結ぶ。電光石火の動きではないが、リリムの剣技は極めて読みにくく、緩やかかと思えば急に素早く攻めてくる。こちらには盾があるが、縦横無尽に動き回ってはこちらの防御を崩しにくる。教団の勇者にこんな動きをする者は一人もいない。同じヴァルキリーでさえもだ。
聖なる攻撃魔法を吸収して撃ち返したことといい、このリリムは不可解すぎる。私の剣をパタの篭手で受け止めたとき、奴は赤い瞳でじっと見つめてきた。
「奴隷根性で動いているだけの貴女に、わたしは倒せない!」
「黙れ!」
剣が離れ、打ち合いが始まる。私が剣で薙ぎ払い、奴は後ずさって避ける。奴の回転切りを、私が盾で逸らす。
「私は偉大なる神によって創られた! この忠義は絶対だ!」
「その奢りのせいで、世界の広さが見えないのよ」
リリムの左手が閃いたかと思うと、私の盾が凄まじい力で横へ引っ張られた。念動力だ。一瞬のことだが防御が解かれ、その隙にリリムは後方へ飛びずさる。転移魔法の一種だろう、その左手に何かが出現した。細長いその武器を奴は振りかぶり、私へ投げつけてくる。
回転しながら飛翔するそれは折れ曲がった投げ棍棒……カイリーと呼ばれる戦闘用ブーメランだ。
防御が間に合わない。悟った私は両腕を広げ、力を解き放った。私を中心に放たれた波動が大気を震わせるも、リリムは髪が靡いただけだ。しかしカイリーは衝撃波の壁にぶつかり、地上へと自由落下していく。
「お見事。多分貴女はわたしより強いね」
リリムはニヤニヤと笑った。
「でも、わたしの方が『巧い』」
再び魔法剣士に似た構えを取ったかと思うと、パタを上段に振りかざして打ちかかってくる。途中で剣の軌道が代わり、横薙ぎに変化した。その程度のフェイントは苦もなく見切り、盾でガードする。だが剣の一撃を盾に受けた瞬間、脚に何かが巻き付いてきた。
これは……こいつの尾だ!
刹那、胸元に衝撃。今までの不規則な動きとは違う、瞬間の掌打だった。鎧によって防がれたものの、魔力の込められた一撃で後ろへ仰け反ってしまう。
「よいしょっ」
リリムが急上昇する。私の脚を尻尾で捉えたまま。掌打で体勢を崩した私はそのまま脚を引っ張り上げられ、空中で逆さ吊りのような体勢になってしまった。奴の視線は私の下半身……地上の重力で捲れた腰巻きの中を見つめる。
「おー、可愛いの履いてるじゃない」
「み、見るなぁっ!」
四枚の翼で羽ばたき、すぐさま体を起こす。こいつだけは生かしてはおけない。
剣に全力を注ぎ込んだ。急速に聖なる力が溜まり、強烈な青い光が刃から発せられる。リリムは眩しそうに目を背けた。これを魔法として発射すれば吸収されるだけだろうが、剣に乗せたまま叩き付ければどうなるか。
「滅びろ!」
至近距離からの渾身の一撃。奴は完全に私の間合いに入っていた。
だが、剣は空ぶった。リリムは私から距離をとったわけでも、上下左右へかわしたわけでもない。剣の間合いの更に内側へ入り、私に密着してきたのだ。
「力任せはよくないよ」
その言葉と共に、リリムの掌から稲妻が迸った。黒く禍々しい魔力の雷、この距離ではかわす間などない。
それはまるで矢のように、私の喉を射抜いた。
一瞬、脳裏を『死』という単語が掠める。だが痺れるような衝撃だけで、体にそれ以上の負荷はなかった。
すぐさま距離を取る。麻痺などの魔法でもなかったようで、翼や手足も問題なく動いた。ただの虚仮威しだったのか?
「もう十分でしょう? 貴女はわたしには勝てないよ」
「黙れ、汚らわしい魔物が! おチンチンしゃぶりたいぞ!」
……叫んだ直後、自分の口からとんでもない言葉が出てしまったことに気づいた。無意識のうちに、言うつもりもない、そもそも思ってもいないことを口走っていたのである。
「な、な、ななな……」
殴られたり斬られたりするよりよほど強い衝撃だった。ヴァルキリーたる私が、聖なる存在が卑猥な言葉を口走るなど。混乱する私に、リリムは不敵な笑みを向けてくる。
まさか今のは……呪い!?
「んふふ。世界は貴女が思っているより広い。旅をしていろいろ学べば、貴女達の力を跳ね返す方法も……呪いをかける方法も分かる」
構えを解いて余裕を見せながら、奴は得意げに語った。
「ちなみに今かけたのは、台詞にいやらしい言葉を付け加えてしまう呪いよ」
「貴様ぁぁぁ! 乳首舐めさせろ! よくもそんなものを私に……アナルが痒いぞ!」
怒りの言葉に、勝手に混じる汚れた単語の数々。頬が紅潮していくのが自分でも分かった。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。いっそ殺せ。いやその前に、こんな屈辱を味わわせているこのリリムを抹殺しなくてはならない。何が何でもこいつだけは殺す!
「はぁぁぁぁッ、おマンコォォォォ!」
全力で突撃し、剣を振り下ろす。怒りに任せて蹴りを放つ。盾で殴る。魔法も放つ。
その全てをリリムはふわふわと、風に漂うような動きで避ける。構えを取ったり、パタで防御するようなことはせず、何でもないかのように尽く避けられてしまった。まるでタンポポの綿毛でも相手にしているかのようだ。しかし綿毛を憎いと思うことはないが、このリリムへの憎悪は我が体全てを支配するほどだった。
何が何でもこいつの首を切り落とさねば。振るった剣をいくら避けられても、私は戦い続けた。
「おおっと、ヴァルキリーさんが怒りに身を任せました! これは果たして神族の道なのでしょうか!?」
「黙れおっぱい! 何が何でも貴様とシックスナイ……貴様を倒してくれる! そして帰って自慰をする!」
「なお、今までの発言は全て……」
リリムはおもむろに、ポケットからきらりと輝くものを取り出した。空豆くらいの小さな水晶玉だ。
「この記録水晶に録音しておりま〜す!」
「おのれぇ! パイズリだぁぁぁ」
何かを言うごとに必ず淫語を付け加える、呪われた喉。いっそ剣で抉り取ってしまいたかった。
「ああ、もう無駄だって。力任せの技がわたしに当たるわけないでしょ。降伏しなさいよ」
「して欲しかったらクンニしろぉぉぉ!」
その瞬間、リリムの姿がふっと消えた。剣が空振りし、私は周囲を見回す。
だが見つかる前に、下半身にぞわっとする刺激を感じた。
「ひぁぁっ!?」
思わず、戦乙女にあるまじき黄色い声を出してしまう。リリムは私のスカートに頭を突っ込み、股間に顔を密着させていたのだ。
下着が降ろされ、ねっとりと何かが這ってくる。魔物の舌だと分かった瞬間、例えようもない不快感が湧き立った。
だが私の股……子を成すという神聖な行為を行うための割れ目に舌が入りこんだとき、体がビクリと震えた。
気持ちいい。
そう思ってしまった自分を即座に戒め、リリムを体から引きはがそうとする。しかし再び舌で舐め上げられると、途端にその気力はなくなってしまった。
「はぅぅぅ、よ、止せ……おマンコ、気持ちいい……」
口走った言葉は呪いによるものだったが、次第に感情までそれに同調しそうになる。舌が割れ目を這う度に夢心地になり、駄目だと思ってはまた快感に意思をねじ伏せられてしまう。体がビクビクと震え、じゅるじゅるという水っぽい音がどこからともなく聞こえてきた。リリムが何かを舐めとっている。まさか私の女性器から、そんなにまで淫らな汁が垂れているというのか。こんな、淫乱な女のように……
「おマンコ、気持ちいい……おマンコ、気持ちいい……おマンコ、気持ちいい……」
うわ言のように垂れ流される言葉。違う、これは私の意思ではない。
「ああああんっ♥ 気持ちイイっ♥」
舌先で女性器の突起をつつかれ、体がびくびくと震えた。続いて、きゅんと下腹部が疼く。
「おっと!」
何かを察したかのように、リリムは私から放れた。その顔はぬらぬらとした液体にまみれている。あれが全て私の女性器から垂れたというのか。
だがそれよりも、私の下腹部の疼きは急激に高まった。それが何なのか分かり、私は咄嗟に剣を鞘に納め、手で股間をぎゅっと押さえた。だが……。
「あああああっ! 駄目ぇ! 見るなぁ! 気持ちイイーッ!」
羞恥心が最高潮に達した瞬間、堤防が結界した。股間から流れ出す黄色い液体を、私は止めることができなかったのだ。スカートに染みが広がり、太ももを温かい感触が伝って行く。
ヴァルキリーともあろう者が魔物に股間を舐められ、よりにもよって魔物の町の上空で失禁させられた。私のプライドは斧で一万回以上殴られたかのように粉々になっていた。そしてそれすらも気持ちよく感じてしまったことに、言い知れぬ怒りが込み上げてきた。
「くぅぅッ……貴様だけは必ずファックし……抹殺してやる! 覚えておけ!」
残る全ての力を翼に込め、私は一気に急上昇する。「シてあげたんだから降伏しなさいよー!」と叫ぶリリムを無視し、全力で東へ、味方の拠点を目指した。竜騎兵も追ってはこない。解呪を行い、今度は我が戦友と……神に選ばれた勇者と共に、必ず奴を倒すのだ。
この屈辱は永遠に忘れない。放尿を終えて未だに疼く股間を押さえながら、私は復讐を誓った。
「姫の戦いぶりはどうかな、フィッケル卿」
「ただのイジメですね」
15/03/28 15:50更新 / 空き缶号
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