連載小説
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二枚目のキャンパス
「……これで終わりだ」

 仕立屋は短く言った。先ほどまで俺の体に定規を当てて寸法を採っていたが、今はそれを書き込んだ紙を見つめてあれこれ思案しているようだ。今いるのは彼の工房で、ハサミなどの道具類やマネキン、生地などが置かれている。画商をしていたころから服はそれなりに持っていたが、この町へ亡命する際にいくらか失ってしまった。絵描きとしての再出発ということもあり、テオに紹介してもらった仕立屋で一着作ることにしたのだ。
 店主のオーギュという男は寡黙で、たまに口から出る言葉にはレスカティエ系の訛りがある。いかにも堅物の職人といった雰囲気で、顔に大きな痣がある上に無愛想なため余計強面に見える。だが奥さんの前では少し、本当に少しだけ表情が緩んでいる気がした。

「あんた、レスカティエ教国の生まれかい?」
「そうだ」

 紙にあれこれ書き込みながら、彼は一言だけ答えた。レスカティエと言えば昔は教団の最重要拠点であり、表向きの煌びやかさとは裏腹に、庶民は酷く困窮した生活を強いられていたことで知られている。だが今は魔物の手に落ち、国民は今までの苦難の分を取り戻さんと享楽にふけっているという。それはまあいいとして、問題は魔物と戦うために庶民から搾取してきた支配者階級もまた、魔物にかしずいて生き延びているということだ。そのことに反感を持ち、国に帰らないレスカティエ人もいるという。

「国を出て長いのか」
「ああ」

 特に感情のない声で返事が返ってくる。仕事と女房以外のことはどうでもいいのか、他人事のような口ぶりだ。

「……絵はよく描いていたようだな」
「ん?」
「絵描きを諦めて画商になったと言っていたが、その後も絵は書き続けていただろう。でなければここまで屈伸体にはならん」

 自分ではあまり意識したことはないが、屈伸体と言われれば確かにそうだ。画商をやっている間も確かに絵は描いていた。忘れなどしない。

「まあな。似合う服は作れそうかい?」

 話題を変えようと質問すると、彼は俺をじろりと睨んだ。

「もし俺がレスカティエに帰れば、国中の仕立屋が破産する。だから二度と帰らない」
「……分かった、期待して待ってるよ」

 どうやら自分の腕には相当の自負があるようだ。それもそうだろう、この男は明らかに腕一本で生きてきた職人(アルティザン)だ。故郷を離れてこの町へ流れ着くまでどれだけ苦労したかは分からない。だが少なくとも俺よりはずっと筋の通った生き方で、ひたすら腕を磨いてきたはずだ。その腕を信じる事にしよう。

 オーギュは数回仮縫いを行うので、その際は俺のアパートを訪ねると言った。地底遺跡の調査が本格的に始まるのはまだ先のことなので、それまでは服の出来上がりを楽しみにしつつ、絵を描いて過ごすことになるだろう。画商時代に稼いだ金はまだあるのだ。

 工房を出た後、辻馬車を拾って町の中央区へ向かった。この町の馬車は車輪やクッションに魔法がかけられているらしく、馬車が揺れても飲み物がこぼれなかったり、尻が痛くならなかったりとなかなか優れもののようだ。
 やはり魔法というのは親魔物領の方が広く浸透している傾向がある。人間と魔物の力量の違いではなく、大抵の反魔物領では魔法技術を教団や支配階級が独占しているためだ。教団にそれを言えば、強い力を野放しにしておくのは危険なことであり、権威ある者がしっかりと管理すべきという言い分が返ってくるだろう。それは確かに一理ある。

 だが魔物はそんな理論すら超越してしまっているのだ。現魔王によって魔物たちは皆人間を愛するように生まれ変わり、その本能に反する目的に力を使わない。それでいて各々の自由や個性を尊重して生きているのが、大事なことだ。
 だからこの町では魔術も、そして芸術も金持ちが独占することなく、大衆に広まっている。金を払わなくても庶民が美術館を見物できるくらいに。

 威厳のある重厚な佇まいの建物が見えてきて、馬車がゆっくりと止まる。貴族の住まいにさえ見えるが、ここが無料で見られる美術館だ。
 馬車の戸を開けると、宙に飛んでいる蝶に気づいた。虹色の翅を持つその蝶はパタパタと俺の方へ近寄り、にっこりと笑顔を浮かべた。

「やあ、マフリチェカ」
「ふふっ、ベルストさん……」

 馬車から降りて手を差し出すと、リャナンシーの少女はゆっくりとその上に舞い降りた。ひげ面の御者に代金を払い、俺たちは美術館の門を潜った。














………










……
























「これぞ英雄の肖像、って奴だな」
「はい、素晴らしいです……」

 館内の一角にかけられた『若き将軍の肖像』を眺め、俺たちは嘆息した。今から二百年ほど前に描かれた絵で、荒野に佇む鎧姿の騎士が描かれている。長身で白い髪を靡かせ、鎧の胸元には黄金の獅子の紋章が輝く。瞳に強い光を宿す美青年だが、剣を鞘に納める仕草が生還の安堵感を醸し出している。

 この絵の作者はルトラージェンという画家で、俺が最も尊敬している芸術家だ。その人生は謎が多いが、若い頃には当時の英雄の絵を、晩年には庶民を題材とした風俗画を描いたとされる。精密な筆遣いで細かく描き込まれた人物の姿は今にも動き出しそうなほどで、それに対して淡白に描かれた背景がそれを引き立てている。俺はこういう古典的な具象画が一番好きだ。
 ただやはりというか、一部の権力者がその絵を独占しているせいで、一般人は彼の名前しかしらないことも多い。

「こういうものを誰でも見られるのって、いいですよね」
「ああ。やっぱり芸術は大衆の物であるべき……」

 また持論を語りかけたとき、近くで同じ絵を眺めている男に気づいた。
 歳は二十代半ばあたりだろうか、背の高い金髪の男だ。軍装らしきコートを着ていて、ポケットの辺りに短剣を吊っている。だがそれ以上に、俺はその首に下がっている黒い物が気になった。

 十字架。教団が紋章などによく使うアイテムだ。
 教団の信者が何故このような所にいるのか……そう思っていると、その男は俺の視線に気づいたらしい。

「何か?」
「……あんた、その十字架は……」

 俺の言葉に、彼は「ああ」と合点がいったような声を出した。

「この勲章は祖国の騎士団の紋章です。主神教団とは関係ありませんよ」
「……それは失礼した」

 その十字架は黒一色で、銀で縁取りされているものの無骨なデザインだ。確かに教団が好むような意匠とは違う。
 しかしこの男は騎士階級出身者にしてはいささか奇妙に見える。あの仕立屋と同様、俺も人の体格を見ればどのような仕事をしているのかある程度分かる。人物画を描く上で重要なことだからだ。この男は軍装がかなり板についているようだし、丈夫そうな体つきではあるが、鎧を着た事ことがあるようには見えなかった。

「素晴らしい絵ですね。この絵の騎士はどのような人物ですか?」

 こちらの疑問を他所に、彼は紳士的な口調で訪ねてくる。俺の肩に乗るマフリチェカがおずおずと口を開いた。

「二百年前の人です。もう滅びた国の人なんですけど……」
「異民族の侵攻を阻止して故郷を救ったレイツ将軍だ。だが英雄としてもてはやされるに連れて傲慢になっていき、私生活でも堕落していった」

 彼女の説明を俺が引き継いだ。絵画に描かれている姿は実に精悍な若者で、堕落や腐敗などという言葉とはほど遠い存在に見える。だがそれは作者のルトラージェンが若き日の彼の姿を見て描いたからだ。レイツ将軍の変貌がきっかけで、ルトラージェンは英雄の肖像を描くのを止めてしまったとも云われている。

「後年には部下に無理な命令を出して戦争に負け、失脚して国を追われた。これは英雄だった頃の肖像ということさ」
「……フッ」

 何が面白いのか、十字架の男はそれまでの引き締まった顔を綻ばせ、一瞬笑みを浮かべた。

「失礼。年を取るにつれて暗愚になった英雄……祖国の国家元帥とあまりにも似ていたもので」
「あんたの祖国というのは?」
「ドイチュラント。ご存じないとは思います、遠い国なので」

 静かな声で告げられた国名は、確かに聞いたこともないものだった。そんなに遠い所から人が来るほど、この町の交易は盛んということだろうか。この美術館の展示も戦利品だけでなく、交易によって入手された品も多いのだ。
 この男もあの仕立屋と同様、もう国に帰る気はないのだろうか。祖国を懐かしんでいる様子はあるが、今の自分が置かれている状況を受け入れているようでもあった。

「では失礼」

 くるりと背を向け、去っていく彼の姿を見て、『ワケ有り』が集まるというこの町の一面を実感した。
 同時に俺のような罪人にも、この町はやり直す機会を与えてくれるかもしれない、という希望も。


 その後も二人で館内を巡り、時には小声で議論も交わした。やはりマフリチェカと一緒にいると実に楽しい。創作のインスピレーションを与えてくれる種族ということを抜きにしても、ただ傍らにいて欲しいと思う不思議な少女だ。

 いささか情熱的すぎるところもあるが……。

「えへへ……♥ やっぱりベルストさんのコレが素敵です♥」

 館内のベンチに座る俺は、公共の場、それも空の下にも関わらずマフリチェカと事に及んでいた。ズボンの中で勃起したペニスを、下着の中に潜り込んだリャナンシーは愛おしそうに抱きしめている。彼女の熱い吐息が中に籠り、むずむずとした快感が広がってくる。
 元はと言えば展示品の彫像を見て、というよりその石の男根を見てマフリチェカがその気になってしまったのだ。魔物というのはどこでいきなり発情スイッチが入ってしまうか分からない。実際、展示されていたアンティークドールや土人形がいつの間にかいなくなっていたかと思えば、学芸員や客と交わっていたという光景を何度か目にした。だがら今の俺たちの行為を誰かが見ても「仕方がない」で済ませてくれることを願おう。

「おちんちん、凄く熱いですね……♥」
「そりゃ、こんなに抱きつかれていれば、な」

 俺の体も思いの外敏感というか、体を一杯に使って愛撫してくるマフリチェカの責めにより大部感じている。朝の淫行だけで彼女の体が癖になってしまったのだろうか。今の彼女は服を着ているが、小さな女体の柔らかな感触は艶かしく男根を侵してくる。亀頭に吹きかけられる吐息がまた気持ちいい。
 じっくりと丁寧に刺激され、玉袋の中身が徐々にこみ上げてくる。彼女もそれが分かったようで、小さな舌でくちゅくちゅと鈴口を舐めてきた。

「出る、ぞ……」

 一応周囲の人の目を気にしつつ、パンツの中で射精する。快感と共に吹き出したものを、マフリチェカが小さな体で受け止め、舐めとっていくのが分かった。その掃除するかのような舌の動きがまた気持ちよく、残っていた精液まで全て吐き出してしまう。
 しばらく快楽に浸っていると、やがてズボンの中からマフリチェカが顔を出した。俺の放ったものをすっかり舐めとってしまったようだ。

「ふふっ♥ 気持ちよかったですか……?」
「ああ、たまらなかった……」

 顔に残った白い物を舐めながら這い出してきた彼女に、率直な感想を伝えた。周囲の人間は気づいていないか、または見て見ぬ振りをしてくれているようだ。マフリチェカは花のような笑みを浮かべ、翅を羽ばたかせて宙へ浮かび上がる。鱗粉が僅かにキラキラと舞った。

「ん……」

 ふいに、彼女はスカートの上から自分の股間をぎゅっと押さえた。

「どうした?」
「あっ……その……ちょっと、おトイレ行ってきます」

 恥ずかしそうに頬を赤らめ、パタパタと飛んでいくマフリチェカ。その後ろ姿を見て、それを無性に描きたくなってきた。リャナンシーである彼女と一緒にいるとインスピレーションがどんどん湧いてくるのだ。
 後でちゃんとモデルになってもらうとして、大まかな構図だけでも描いておくか……俺はスケッチブックを開き、鉛筆でラフスケッチを始めた。マフリチェカの可愛らしい笑顔も小さな体も、幻想的に輝く蝶の翅も、全て脳裏にしっかり焼き付いている。本人がこの場にいなくても、それなりの絵を描けそうだ。

 知り合ってさほど経っていないにも関わらず、彼女の存在は俺の中で大きな物になってきている。俺のような罪人は筆を捨てるべきかと思ったこともあるが、リャナンシーに好かれたということはまだ、俺にもやり直せる道があるということだろう。マフリチェカと二人なら、まだ芸術家としてやっていけそうだ。
 感謝の気持ちを込め、紙の上にさらさらとラフ画を描き進めた。リャナンシーの力のお陰か、意欲が湧いて筆が乗ってくる。

「……ベルスト・ヴァン・クーベルマンさんですね?」

 しかし、最高に良い気分のとき、俺の名を呼ぶ声がした。

「ああ、そうだが?」

 事務的な声に対し、スケッチを続けながら応える。

「私設軍警官隊の者です。領主様から貴方に出頭命令が出ています」

 ざわり、と嫌な感覚が背筋に走った。
 顔を上げると制服姿の警官が三人、ベンチに座る俺を囲むようにして立っていた。唾を飲み込み、早まる心臓の鼓動を押さえる。

「出頭……どういうことだ?」
「ルトラージェンの名画、『吊り橋での決闘』という絵を覚えていますね?」

 心臓を鷲掴みにされたような感覚が、俺を襲った。

「貴方はこの町に来る前、画商をしていたそうですが」

 淡々と語る、隊長らしき警官の口調が、さらに俺の心を冷やす。
 ああ、結局そうなるのか。あの絵の名前がここで出てくるとは。やり直す機会を得られたと思ってもやはり、罪は罪なのか。

「貴方にはその名画を、悪逆非道の暴君に売却した疑いがかけられています」

 声が出ない。努めて無表情を取り繕い、出す言葉を探す。

「この町は元犯罪者も多く住んでいます。ここで人生をやり直したいと思えば大抵は受け入れられますが、貴方は遺跡発掘隊として、仮にも領主様に雇われた身分です。信用に足る人間か、領主様は今一度確かめたいと仰せです」
「……その、絵の、件に、ついては」

 途切れ途切れに、何とか言葉を紡いだ。

「いくらか……誤解がある」
「ではそれを詳しく説明していただくためにも、ご同行願います」

 嫌だと言えば力づくで連れて行かれるだろう。俺はゆっくり、脚腰に力を入れて立ち上がった。
 過去を忘れ、好きな絵を描きながら暮らす新しい未来を夢見ていた。このルージュ・シティでなら無償でそれができると思った。だがやはり、そう甘くはない。この町の領主は寛大ではあっても無能なお人好しではないのだ。やはり自分の罪とは向き合わなくてはならないのだろう。

 覚悟を決め、警官たちに従い歩き出す。一つ気がかりなことを挙げるなら、マフリチェカだ。
 彼女に何と言って、俺の罪を伝えるべきか。彼女はどう思うか。全くもって身勝手なことだが、彼女だけは失いたくない。

 思案しながら美術館の外に出て、警官たちが用意していた馬車に乗せられる。領主邸まで大した距離ではないが、脱走防止のためだろう。鞭を当てる音が聞こえると、馬車はゆっくりと走り出した。

「……『吊り橋での決闘』は今、この町にあってな」

 隣に座る警官が言った。

「通商破壊での戦利品で、近々美術館に展示される。俺は絵のことはよく分からんが、あの絵は美しいと思う」
「……そうかな」
「領主様も大層お気に入りでな。俺はあれを悪党に売るような奴は信用ならんと思うね」

 吐き捨てるように言って俺を睨む警官は、熱い正義感の持ち主なのだろう。立派なことだ。だがそれ以上に滑稽だった。先ほどまでの俺の震えが止まってしまうくらいに。

「領主様はあの絵をどうしているんだ?」
「領主邸に置いています」

 先ほどの隊長が答えた。

「まだ市民には存在が秘匿されているので、絵を見た者は僅かですがね。貴方の件が解決すれば一般公開されますよ」
「……ふん」

 こんな状況だと言うのに、俺は彼らの言葉を鼻で笑ってしまった。そしてつい、怖いもの知らずな言葉が口から溢れた。



「あんたらはまあ、仕方ないとして……あの領主様も思ったより愚かだな!」



14/05/06 21:38更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ

何とか更新できました。
農業従事者にGWはない(ただし冬場は一ヶ月以上休めたりするらしいw)。

主人公のモデルが誰だろうかと考えている方もいらっしゃるかもしれませんが、ヴェルナーがちょろっと出てきたこととがある意味ヒントです。

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